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温い縣民のお禮に寒鰤 災害も物かは 意氣込む鰤の町「錦」

■■■■に■ち上らんとする紀
北地方、わけても沿岸漁村の土
■■■しいものがあるがこれは
■■にきく■■■■■■で同町
■■田■次郎氏は九日縣を訪問
■■■らの■い隣人愛の救護を
■■するとともに■■の漁獲期
に入つて■とかして一■でも…
とのさすが■の■「■」の災害
にへこたれぬ■■のよい■町■
■の■■をつぎのとほり■つた
■■■として肝腎の衣食住の
うち衣食の問題については縣
■■■■本部をはじめ■二十
万■■の行きとヾいた■い■
■については、まことに感謝
のほかはありません、たヾ住
の■■については■つてをり
とりあへずつくつていたヾい
たバラツクの■■住宅では不
■しさらに■■方をお■ひに
きたわけで罹災者は炊事も其
■、■■も■■で実はわたく
しも半壞家屋の中で頑張つて
ゐるわけです、錦町としては
昔から■の町であるだけにこ
の縣民の■心に應へて一尾で
も多く魚をとつて出荷したい
といふ氣持で流失した鰤大■
の敷設を急いでゐるわけで、
目の前に鰤の回游をみてみす
みす■のないことほど殘念な
ことはなく何とかして早くと
いふので潜水夫を■つて流失
した網をやうやく探しあてま
した、ところが何しろ大きな
ものでこれが引揚には何百人
かゝつても揚らず、軍から起
重機を借用してやうやく引揚
げこの二十五日までには全町
の大■網を統合して■■すべ
く男は十六歳から六十五歳ま
で、女子は十六歳から二十五
歳までの未婚者と■■を全員
町で徴用して躍起となつてゐ
るわけで、これさへとゝのへ
は■■■は確実です、去年は
町で四十万円、多いときは九
十万円からの漁■を本年も是
非とも完遂したいと思ひます

全壞へは一人七枚 同 情 衣 類

本社らの■■にかゝる南北牟
婁、度会地方の罹災者への衣類
供出は罹災地をのぞく縣下廿万
戸から最低一點づゝをつのつた
結果、十七万七千四百七十六點
があつまり中には着古してない
立派なものもあり、縣軍事厚生
課を感激させてゐるが、中でも
三重郡と津市、鈴鹿市をのぞく
各市が供出成績がよく縣では各
地方事務所ならびに各市役所に
九日處分方を■■した、衣類の
ほかに帽子、足袋なども含まれ
てゐる、處分方法は
流失または全壞家屋へは一人
七枚平均、牟婁または浸水家
屋へは一人三枚平均
となるわけで各地方事務所、市
役所別の供出成績はつぎのとほ
りで一ばん成績のわるいのは河
藝、安濃の兩郡であつた
■■八、九四二▲三重一三、
一五五▲鈴鹿一二,一三二▲
■安七四六▲一志一〇、二八
〇▲飯南多氣一三、七一二▲
度会四、六一二▲志摩三、〇
五六▲伊賀一八、〇七八▲津
二五、七二五▲松阪九、〇五
五▲宇治山田一四、一六〇▲
四日市一五、四七七▲桑名市
一三、七四四▲上野七、八五
〇▲鈴鹿市六、七五二

心配は無用 落ちつきが第一 出來るぞ千餘の急造家屋

震災罹災地のために震災復興本
部から調査員が赴いて現地で■
■解決による建設に着手した急
造バラツクの■■住宅はすでに
百二十室が■■、さらに六百七
十三室を第一次建設計畫に入れ
て着手中でこれは一月中には完
成する見込であり、さらに第二
次建設計畫として四百七十九室
が決定してをり、六疊一家庭の
合計千二百六十四室の縣營住宅
ができ上るわけで罹災現地民か
ら深い感謝が寄せられてゐる

縣下七税務署 直税課長會議

縣下七税務署
の直税課長会議を十日上野税務
署で開き廿年度個人税の徴収方
針など打合せを行ひ併せて震災
罹災者に對する減免、徴収猶豫
の取扱ひにつき協議する

上野署に報道班 十日から活動始む

敵■下の情報蒐集と報道宣傳に
■正敏速を期し銃後國民を安ん
じて職域に敢闘させるため上野
署に報道班が誕生した
辻井署長を班長に同署特高主
任、伊勢、朝日、毎日、大阪
中日、同盟各社支局通信局員
を班員とし
災害時の情報提供、寫眞撮影や
班長の行ふ掲示、宣傳などを作
成し必勝報道に協力するもので
十日から發足した

震災義捐金寄附者芳名 十日正午現在

七千円、度会郡瀧原町吉田善三
郎▲一千五百円、名賀郡瀧川村
井戸本忠藏▲一千円、鈴鹿郡龜
山町橋本一彦▲一千円、岡山縣
知事▲一千円、志摩郡和具町鍋
島公一▲一千円、河藝郡一身田
町川■龍太郎▲一千円、宇治山
田市浦田町高倉篤■▲百五十円
(二人分)
累計金
六十二万七千三百七十九円九錢