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論 壇 震災復舊の所見

筆者は過般震災直後の縣
下の被害地を視察したのだがそ
の後半月程を經て各地の復舊振
りをつぶさに見聞した某氏がそ
の報告を筆者に寄せた。兩者の
■■を綜合して震災地から得た
所見の二、三を述べる事にする
その第一は罹災者の鄕土愛から
發す 鞏固な 團結である。北郡
の某村では村民の老幼男女を■
はず全村■■■の■■に集まつ
て嚴粛な朝禮を持つてから共同
の復舊作業に着手する。遙かに
東天を拜し、皇國の■■を祈念
し前線將士の勞苦を偲んでお互
の受けた苛酷な運命を切り開く
ために敢然戰を挑むのである。
かくて復舊作業はどんどん進捗
していつた。村人は震災で失つ
たものより大きい何物かを■■
したのである。

その第二は罹災者の不安なき
■■■ついてである。着のみ着
のまゝ津浪の災禍をのがれた村
人の衣食は縣の機動部隊の來援
によつて忽ち應舊處置としての
救援物資が極めて円滑に迅速に
搬入されて生活を充足し災害直
後の人心を安定することが出來
た。安政の災禍の慘状を思ひ合
せるまでもなく、■前慾意奔放
な■■■■では到底今回のやう
な効果的機動的な■■の万全を
期し得なかつたのではなかろう
か、戰時統制經濟の運營が強力
に發動されて非常の効力を發揮
した一例を見たのである

その第三は、罹災村民の自力
更生の姿である。すでに廢屋の
整理跡に麥蒔きを始め、魚網や
漁船を修理して漁業の準備に着
手した村人の姿を目撃して熱涙
を禁じ得ない。また、ある部落
の常会長は隣村警防團員の應援
作業に對して〝私ども部落民は
ある程度復舊に目鼻がついたら
必ず自力でやり遂げます、皆さ
んはどうぞ私どもに構はずその
持塲によつて戰つて下さい〟と
■■と共に感謝の挨拶をしてゐ
た。復舊は必ず自力でやるので
ある。他力を願つたのではいつ
の日か■の姿にかすことが出來
やう。自力復舊は先づ罹災者の
生活の安定である。そして罹災
者の恒久的な生活の根據となる
生業の確保が先決である。

その第四は、災害地における
指導者の立塲である。村人は災
禍の中から起ち上らうとしてゐ
る。父祖の地に對する絶ちがた
い愛着をもつて復舊の意慾に燃
へてゐる。村人の総力を結集し
て鄕土再建工作に凝集させるも
のは一にかゝつてよき指導者の
力である。そしてこの塲合の指
導者は村といふ、部落といふ、
隣保といふ、何等かの組織の中
の指導者がより強力なより的確
な力を發揮することが出來た。

その第五は、罹災地における
隣人愛についてヾある。震災直
後極度に動揺した人心は温い隣
人の愛情によつて結ばれ感激的
な塲合さへ多くあつた。しかし
ながら日を經るに從つて興奮の
冷却から來る寂寞の感を禁じ得
ないものがある。人各々の自我
に破れて災禍の現塲にはすでに
みにくい爭ひの散發してゐるの
を聞かぬではない。擧村の團結
を基幹として、果斷、積極、周
密な復舊工作の推進と、人心を
して毫も弛緩させない村人の志
氣の保持昂揚が急務である。か
りにも不平不滿等から生ずる自
棄厭世の如きは■に警戒しなけ
ればならない。試煉の災害地か
ら我等の學ぶべき多くのことが
このやうな實例の中に深い示唆
を含めて報告されたのではある
まいか。

大 觀

昭和十九年も今日一日となつた、
戰局は悽愴苛烈を極
めマリアナの失陷に國民ひとし
く血涙を呑んで以來、敵の■■
攻勢は執拗にペリリユー、モロ
タイへ侵攻し來り、レイテ、 ミ
■トロに死闘を展開するに至つ
た▼皇軍の勇戰は敵に五十万を
越す出血を算せしめ、その間台
灣、比島沖の海空戰には世界戰
史にいまだ見ざる大量の敵艦船
を覆滅する赫々たる戰果を擧げ
神風特攻隊、■空挺隊、高千穂
落下傘隊の■■■國の大義に殉
ずる壯烈は■史に光■を添へた
▼一方支那大陸では、衡陽、桂
林、南寧の米空軍■■基地を攻
略し昭南、東京の陸路打消を完
成し、戰略態勢の有利を確保し
た▼一方盟邦獨逸は、東部戰線
でソ聯の大反撃を被り西部戰線
で米英の大軍の上陸を許し、戰
略態勢を整へる大撤収を行つた
が、今や三轉して、ルントシユ
テツト大反撃作戰の好調を報じ
つつある▼まさに世界の戰局は
最後の決戰段階に突入した觀が
ある、國内情勢をこの内外の戰
局に即應の施策に全力が傾注さ
れ、東條内閣辭職し、構想を新
にせる小磯内閣は、いよいよ國
民の全力を米英撃滅へ結集、一
億戰闘配置へつけの大號令を發
した▼敵米はルーズベルト大統
領 四選され、マリアナ基地 の
整備を焦せりB29による日本内
地、補給の根源の■■を狙ひ、
既に數次の來襲を見るに至つて
敵の戰意を輕視し樂觀を許さぬ
状態となつた▼かく内外緊迫の
秋に、縣下を襲つた震災と津浪
は、補給戰と食糧增産に敢闘す
る縣民にとつて、大きな打撃で
あつたが、天の試煉と觀じ、 自
力更生の意氣旺盛である▼かく
昭和十九年を回顧する時、内外
の大事變の續出に、大觀子の筆
を壓倒するものあり、明けんと
する昭和廿年こそは、乾坤一擲
悠久三千年の日本歴史に燦爛た
る光輝を加へるべく 吾等 一億
國民の死力を 盡くすべき 年で
ある。

公 人 私 人

○近藤友房氏(大阪在住、三重
縣人会会長)震災見舞のため
三十日來津、縣廳、本社を歴
訪した
○木平周太郎氏(三重縣大阪駐
在所所長、三重縣人会幹事)
同上
○持永本縣知事 三十日午前十
時飯南郡伊勢寺村に至り災害
地の実情を視察した
○河瀬■、稻垣長質兩子爵(貴
族院研究会調査部員) 震災
被害ならびに復興状况調査の
ため一月十二日ごろ來縣する