論 壇 震災復舊の所見
筆者は過般震災直後の縣
下の被害地を視察したのだがそ
の後半月程を經て各地の復舊振
りをつぶさに見聞した某氏がそ
の報告を筆者に寄せた。兩者の
■■を綜合して震災地から得た
所見の二、三を述べる事にする
その第一は罹災者の鄕土愛から
發す 鞏固な 團結である。北郡
の某村では村民の老幼男女を■
はず全村■■■の■■に集まつ
て嚴粛な朝禮を持つてから共同
の復舊作業に着手する。遙かに
東天を拜し、皇國の■■を祈念
し前線將士の勞苦を偲んでお互
の受けた苛酷な運命を切り開く
ために敢然戰を挑むのである。
かくて復舊作業はどんどん進捗
していつた。村人は震災で失つ
たものより大きい何物かを■■
したのである。
◇
その第二は罹災者の不安なき
■■■ついてである。着のみ着
のまゝ津浪の災禍をのがれた村
人の衣食は縣の機動部隊の來援
によつて忽ち應舊處置としての
救援物資が極めて円滑に迅速に
搬入されて生活を充足し災害直
後の人心を安定することが出來
た。安政の災禍の慘状を思ひ合
せるまでもなく、■前慾意奔放
な■■■■では到底今回のやう
な効果的機動的な■■の万全を
期し得なかつたのではなかろう
か、戰時統制經濟の運營が強力
に發動されて非常の効力を發揮
した一例を見たのである
◇
その第三は、罹災村民の自力
更生の姿である。すでに廢屋の
整理跡に麥蒔きを始め、魚網や
漁船を修理して漁業の準備に着
手した村人の姿を目撃して熱涙
を禁じ得ない。また、ある部落
の常会長は隣村警防團員の應援
作業に對して〝私ども部落民は
ある程度復舊に目鼻がついたら
必ず自力でやり遂げます、皆さ
んはどうぞ私どもに構はずその
持塲によつて戰つて下さい〟と
■■と共に感謝の挨拶をしてゐ
た。復舊は必ず自力でやるので
ある。他力を願つたのではいつ
の日か■の姿にかすことが出來
やう。自力復舊は先づ罹災者の
生活の安定である。そして罹災
者の恒久的な生活の根據となる
生業の確保が先決である。
◇
その第四は、災害地における
指導者の立塲である。村人は災
禍の中から起ち上らうとしてゐ
る。父祖の地に對する絶ちがた
い愛着をもつて復舊の意慾に燃
へてゐる。村人の総力を結集し
て鄕土再建工作に凝集させるも
のは一にかゝつてよき指導者の
力である。そしてこの塲合の指
導者は村といふ、部落といふ、
隣保といふ、何等かの組織の中
の指導者がより強力なより的確
な力を發揮することが出來た。
◇
その第五は、罹災地における
隣人愛についてヾある。震災直
後極度に動揺した人心は温い隣
人の愛情によつて結ばれ感激的
な塲合さへ多くあつた。しかし
ながら日を經るに從つて興奮の
冷却から來る寂寞の感を禁じ得
ないものがある。人各々の自我
に破れて災禍の現塲にはすでに
みにくい爭ひの散發してゐるの
を聞かぬではない。擧村の團結
を基幹として、果斷、積極、周
密な復舊工作の推進と、人心を
して毫も弛緩させない村人の志
氣の保持昂揚が急務である。か
りにも不平不滿等から生ずる自
棄厭世の如きは■に警戒しなけ
ればならない。試煉の災害地か
ら我等の學ぶべき多くのことが
このやうな實例の中に深い示唆
を含めて報告されたのではある
まいか。
大 觀
昭和十九年も今日一日となつた、
戰局は悽愴苛烈を極
めマリアナの失陷に國民ひとし
く血涙を呑んで以來、敵の■■
攻勢は執拗にペリリユー、モロ
タイへ侵攻し來り、レイテ、 ミ
■トロに死闘を展開するに至つ
た▼皇軍の勇戰は敵に五十万を
越す出血を算せしめ、その間台
灣、比島沖の海空戰には世界戰
史にいまだ見ざる大量の敵艦船
を覆滅する赫々たる戰果を擧げ
神風特攻隊、■空挺隊、高千穂
落下傘隊の■■■國の大義に殉
ずる壯烈は■史に光■を添へた
▼一方支那大陸では、衡陽、桂
林、南寧の米空軍■■基地を攻
略し昭南、東京の陸路打消を完
成し、戰略態勢の有利を確保し
た▼一方盟邦獨逸は、東部戰線
でソ聯の大反撃を被り西部戰線
で米英の大軍の上陸を許し、戰
略態勢を整へる大撤収を行つた
が、今や三轉して、ルントシユ
テツト大反撃作戰の好調を報じ
つつある▼まさに世界の戰局は
最後の決戰段階に突入した觀が
ある、國内情勢をこの内外の戰
局に即應の施策に全力が傾注さ
れ、東條内閣辭職し、構想を新
にせる小磯内閣は、いよいよ國
民の全力を米英撃滅へ結集、一
億戰闘配置へつけの大號令を發
した▼敵米はルーズベルト大統
領 四選され、マリアナ基地 の
整備を焦せりB29による日本内
地、補給の根源の■■を狙ひ、
既に數次の來襲を見るに至つて
敵の戰意を輕視し樂觀を許さぬ
状態となつた▼かく内外緊迫の
秋に、縣下を襲つた震災と津浪
は、補給戰と食糧增産に敢闘す
る縣民にとつて、大きな打撃で
あつたが、天の試煉と觀じ、 自
力更生の意氣旺盛である▼かく
昭和十九年を回顧する時、内外
の大事變の續出に、大觀子の筆
を壓倒するものあり、明けんと
する昭和廿年こそは、乾坤一擲
悠久三千年の日本歴史に燦爛た
る光輝を加へるべく 吾等 一億
國民の死力を 盡くすべき 年で
ある。
公 人 私 人
○近藤友房氏(大阪在住、三重
縣人会会長)震災見舞のため
三十日來津、縣廳、本社を歴
訪した
○木平周太郎氏(三重縣大阪駐
在所所長、三重縣人会幹事)
同上
○持永本縣知事 三十日午前十
時飯南郡伊勢寺村に至り災害
地の実情を視察した
○河瀬■、稻垣長質兩子爵(貴
族院研究会調査部員) 震災
被害ならびに復興状况調査の
ため一月十二日ごろ來縣する