鄕土再建へ振ひ起つ 復舊工作は快速調
紀 激震と津浪の被害町
北 村では罹災者の救護
施設として國民學校、寺院、神
社、非住家その他を宿舎にあて
るほか縁故疎開により平穩をと
りもどし地元日■などが炊出し
を行ひ 給食の■を 期してゐる
■■、長島兩署では■警防課の
■■で附近の警防團員をはじめ
在鄕軍人、翼壯、中■生の救援
團を被害町村へ配置して到ると
ころに■ぐましい人情美談を■
き者も若きも一■再興へたちあ
がり、■しい■■■景をくり■
げてゐる
一方■■生活必需物資なども
貨車、トラツクでどんどん補
給され■■■■■■してゐる
なほ十日持永知事は最も被害
の 多かつた 地方の■■を■
■、■■■■■■■なる■■
■■を行つた、また罹災者救
護■■■■■■については各
町村とも■■■研究を重ね衣
料、■■、■■■■の醵出方
■なども■■てゐる
度 九日から■■■■■
會 ■を議長とする■■
■■■の■■によつて本■■に
■■しつゝあるが吉津村大字■
■■、■■■■■■■■には■
■■部隊本部を設け工作隊、隣
接町村からの應援などを督勵し
て災害地の後始末、道路再建、
假設住宅の建築、半壞家屋の修
築など應急の處置を講じ隣保■
■を單位とする共同生活■勢を
■へてゐる、また慰問激勵義金
など温い隣人愛の救援に感涙し
ながら早くも荒癈地を開いて農
耕を開始、魚船魚網を修理して
魚撈の計畫を進めるなど鄕土再
■の賴もしい■が見られる
小山吉津村長は三女みどりさ
んが重傷を負ひ■生島津村長
は自宅の倒壞をも省みず終日
復■■本部に■■そのほか吉
津署員、國民學校職員、警防
團員、婦人会員、男女靑年團
員、■■などの■ぐましい活
動が罹災村民志氣を一層■■
させて被害地復興工作は素晴
らしい勢ひで■行しつゝある
泗 市民復興への意氣は
市 すさまじく既に倒壞
家屋等の跡片づけを殆ど終つた
生■■の出動率も平常に覆しひ
たむきに■■めざすたゆみなき
前進がつづけられてゐる
市役所では十二日午後一時か
ら、罹災關係町内会長会を開
き復舊對策につき■■町内会
關係民の協力を要望した、十
三日三■の臨時調査班を出し
修理資材の割當を決定するが
住居をなくしたものには建物
疎開との關係も睨み合せ必ず
しも市内居住を必要とせぬ向
は此の際■■するやう■■す
る
震禍と日傭勞務の賃金 縣で抑制、ちかく告示する
震災の復舊に呼應する緊急工
作班の出動はたヾちに開始され
すでに本部の指令によつて罹災
地の度会、紀北の各町村へ大工
土工、■■などが主として松阪
■■、■■各諸管内から■■さ
れたほか北勢、中勢、地方にも
■■■■■ごとに出動を命ぜら
れてをり着々復舊作業が行はれ
てゐる
縣では復舊工作の■■を促進
する一方日傭勞務者の賃金の
不法な値上りを■■するため
個人の小■修理については一
さい各職種別の■■組合に計
■的に努力配置を行はせると
ともに十三日には縣勞政課に
各■■組合の代表者をあつめ
て協定賃金について打合せる
が全面的な協定賃金について
は廿日ごろ告示して來年から
実施する豫定だが復舊工作に
從事する勞務者にもこの協定
賃金の趣旨に添はせてゆく
津の錢湯復興開業 乳幼兒を優先的取扱
震災により津市の風呂屋はかな
りの痛手を蒙り數十軒の業者中
そののち復舊して開塲してゐる
のは僅かなので津署では市民の
衞生上また乳幼兒の保健上湯屋
の復興が急速を要するため十二
日全湯屋業者を招集、復興對策
を協議したが被害甚大で■■急
速に復舊出來ないものは資材、
勞力の面と睨み合せ當分休業さ
せ僅かの資材、勞力で復興し得
るものに對しては警察署で資材
を斡旋し一日も早く開業させる
こととした
さらに入■者の混雜をさける
ため地区別に復興させ大體こ
の町はどの■■へといつた風
に一ヶ所の■■へ殺到せぬや
う營業させるほか特に乳幼兒
のために午後四時ころから開
湯、營業時間も十時を半時間
延長し十時半迄とした近いう
ち十二軒風呂屋が通夜開湯し
更に復興容易の七軒が日なら
ずして開湯する事であらう
津市會で對策
津市の
震災復興について市会では十二
日午前十時より市会■議会を開
き復興對策に關し協議檢討した
さしあたり市会に復興對策委
員会を設置することに決定、
十一名の委員を設けてまづ市
内の災害状况を詳細に調査し
た上物資、勞力その他復興に
關する資材の確保或ひは應急
修理に要する補助金問題につ
いて檢討し
市および縣との連絡を圖り可急
的に復興すべく努力する
首相から一萬圓 罹災者へ義捐金募る
縣下一帶を襲つた震災は罹災者
の悲壯な決意によつて復興對策
の最善が期せられてゐるが、こ
れら罹災者救護の万全を期する
ため
持永知事、杉本縣会議長、堀
川縣市長会代表、森縣町村長
会長、野口翼賛会縣支部長、
松木伊勢新聞社長
らが發起人となつて縣内外の有
力者にうつたへつぎの要項によ
つて罹災者救護の■■金を募集
することになつたが十二日現在
で縣■■厚生課へ寄託されたも
のは
朝日新聞一万一千五百円、神
奈川縣五千円、伊勢新聞社
の三千円をはじめ一万九千余
円に上り小磯首相からも一万
円の寄託申込みがあつた
義捐金募集要
義捐金額は一千円以上▽送附
先は三重縣廳■■厚生課▽募
集期限は昭和二十年一月末日
限り▽伊勢新聞紙上に寄附者
の氏名を登載して領収証に代
へる
松阪から急援隊
松阪市翼壯、商■挺身隊の精鋭
は去る九日震災地の尾鷲、長島
錦村方面へ多數特派したが更に
現地先遣隊員の情報に接し十二
日午後第二次救援隊二十四名を
現地へ派遣したが引つヾき本部
長上田音市氏は兩三日中に現地
へ出張の準備中
泗市の建物疎開 住宅供與を懇談
四日市市の建物疎開は震禍とは
關係なく既定方針通り進められ
るが市當局では疎開關係■移轉
者を収容すべき住宅の確保に■
■の努力を拂つてをり、さきに
住宅を物置、納屋等に使用して
ゐる向に對しその提供方を要請
したが純然たる倉庫、物置で住
宅に改造可能のものに對し改修
提供するやう十三日所有者を第
一國民學校に集めて懇談する
この塲合改造費は二千円を限
度にその六割まで國庫から補
助、資材についても便宜供與
される
神都市會
宇治山田市で
は十二日午後一時から臨時市会
を開き
知事諮問の大湊町地先公有水
面三十余坪埋立に對する答申
決議をなし、ついで同市ほか
六ヶ町村および同市ほか二十
九ヶ町村兩基本財産林造成組
合会議員各一名の選擧を行つ
て何れも齊藤市長を推し
議了後齊藤市長から震災復舊な
らびに罹災者救濟についての經
過報告があつた
津の慰安街から 綿三百貫を供出
津市飲食店、旅館その他慰安街
方面の古綿回収は十二日行つた
が最高一營業店で六貫、最低二
三貫といふ割合で大體旅館業者
が百五十貫、有席飲食業者が百
貫その他待合、貸席など五十貫
計三百貫余が山と積まれ回収を
終つた
聖慮畏み神宮總遙拜
畏き神宮御親拜の■■を聖地に
迎へ奉つてから滿二年、きのふ
十二日は三たび天皇陛下御親拜
の日を迎へて聖地百二十万縣民
は感激一入新たなるうちに■然
として■■完遂を誓つたのであ
る、この日縣下は震災の復興着
々として進捗し復興の色一しほ
めざましいうちに各戸■旗をか
かげ御親拜の時刻たる午後一時
廿二分にはこの日國民を代表し
て小磯首相は聖域に額づき至尊
■■ら神宮に御記念あらせられ
給ふた有史以來比類なき御聖■
を畏み、百二十万縣民は一億總
親拜に和して■敵の一■敵愾心
を結集するとともに震災禍の復
興へ敢然蹶起を誓つたのである
聖 域 に 颯 爽 われらの小磯首相 一億に代つて必勝を祈念
必勝の決意も固く新に迎へた神宮御親拜二周年
記念日の十二日、神宮には曉のしヾまを破つて
曉天參拜者が■き敵米英■■の火のやうな祈り
が擧げられた、午前八時には高倉、古川大少宮
司以下神官は粛々と參進、大少宮司恭しく大御
前に祝詞を奏上したが、參拜者は刻々に增し折
柄參拜する小磯首相に敬意を表すると首相は温
顔で迎へて一々擧手の禮で答へる、やがて民一
億總親拜の時刻午後一時二十二分となれば野口
翼賛会本縣支部事務局長および各支部長をはじ
め參拜者は齊しく一昨年のこの時刻、皇祖の大
御前に神靈の御加護を祈らせ給ふ御告文を御奏
進遊ばされた畏き大御心を偲び奉り聖恩の有難
さに恐懼感泣、一億■當りで征戰の目的を完遂
し宸襟を安んじ■らんことを固く誓ひ■つた
縣會全員協議會 九日東京から歸る
と息をもつがず十日夜からたヾちに紀州路の災
害地視察に赴いて歸つてきた持永知事は十二日
は陣頭に起つて兼々纏められてくる復興状况報
告や資材の要望などについて各課長を呼びよせ
ては一寫千里に解決し、衣料品の發送も十二日
すでに手配を完了して各災害地へ送られたが十
三日午後一時から縣会全員協議会を開き災害状
况を報告するとともに復舊對策、救護對策をは
じめ諸般の復興對策について協議、臨時縣会の
招集その他について打合せるが今回の災害を天
與の試煉として挫けず、起ち上らんとする百二
十万縣民の決意に燃えてゐる
震 災 罹 災 者 へ 寄 贈 衣 類 募 る
去る七日本縣を襲つた震災は相當な被害があ
り罹災者の窮状洵に同情に堪へないものがあ
ります、これが救助の一端に資するため縣民
の義心に愬へ寄贈衣類を募ることになりまし
た、婦人會と靑少年團が頂きにまゐりますか
ら縣民各位の切なる御同情をお願ひします
一,實施期間 十二月十一日から三十一日迄
主催 縣 市 長 會、縣 町 村 長 會
翼賛會縣支部、伊勢新聞社