重傷入院を拒んで殉職 警官魂の權化 加藤六一吉津署長
突如として■つた激震と津浪の
強襲するさなかに身を挺して罹
災者の救出に救護に敢然戰ひつ
づけた警察官、警防團員らの美
談佳話は限りなくあつたが、こ
れは傳統の警察官魂の權化とな
つて散つた吉津警察署長加藤六
一警部補(四一)の涙ぐましくも尊
い殉職美談である
あの日七日加藤署長は署長室
で執務してゐたが突如、眞に
突如として起つた激震ととも
に直に署員を督勵、やがて襲
ひ來るであらう津浪を豫想し
てまづ村民の避難救出を指揮
し、ついで重要書類の搬出に
挺身中來襲した津浪のため廳
舎は倒壞、その下敷となつて
頭部と胸部に瀕死の重傷を負
つた
やがて署員や村民の手によつて
救出されたがその時はすでに人
事不省であり應急手當ののちや
うやく意識を回復したものゝ再
び起つことの出來ない深傷であ
り、救護班の手によつて宇治山
田市の病院へ入院するのでなけ
れば生命も危いと見られたので
入院を勸めたが責任感の極めて
強い加藤署長は「多くの罹災者
を殘して自分一人職塲を去るこ
とは斷じて出來ない」と頑強に
拒否、苦しい息の下から救護と
復舊對策の指揮をつヾけるうち
十日午後八時五十分つひに同村
の濱地武一氏宅でその職に殉じ
たのである
氏は一志郡大三村の出身、大
正十三年七月本件巡査を拜命
昭和六年六月巡査部長、同十
四年八月警部補となり、その
間四日市、松阪、宇治山田の
各署を歴任、情報係として敏
腕を謳はれ、その後情報課に
入つたが十八年五月吉津署長
に抜擢されたもので豪放磊落
な人となりは部内外の信望を
集め、吉津署長としては村民
から■に見る名署長として親
しまれてゐた、家庭には未亡
人貴美江さん(三八)と長男の松
阪工業一年在学中の一也君(一
三)がある
二學徒尊き殉職
三重師範の西川君
上野中学の吉川君
三重師範男子部本科二年、津市
納所、■夫氏長男西川守一君(二
〇)は去る九月から〇〇造兵廠に
勤勞學徒報國隊として出動、■
■■■の學徒であつたが去る七
日殉職した
学校では十二日午後一時から
杉山校長喪主となり西川君生
家近くの玉保院で勤勞報國隊
葬を營み若く散つた勤勞学徒
の■を■ろに慰める
また阿山郡西柘植村、日本■工
品統制会社三重■出張所長吉川
熊吉氏次男上野中學四年生吉川
忠■君(一八)も學徒報國隊として
三菱航空機〇〇工塲で敢闘中七
日同じく殉職、十二日午前十時
より學校で校葬を執行、午後二
時から西柘植村新堂大善寺で告
別式を執行する
靑年團長殉職 度会郡
宿田曾村宿浦靑年團長、佐藤武
夫君(二〇)は病床にあつたが七日
の津浪にすわと飛び起きて全團
員を招集、罹災者の救助に徹夜
で活躍を續け、八日も挺身して
ゐたが遂に倒れ「村民は大丈夫
か」と絶叫しつゝ午後五時頃死
亡した
國土局長ら來縣
宮村内務省國土局長、入江厚生
省健民局長、田中農商省生活物
資局長の一行は十一日來縣、北
勢地方の災害地を視察したのち
縣廳に持永知事を訪ひ縣下の實
情を調査、十二日は南勢地方を
視察する
縣翼壯に救護復興 對策本部を設置
翼壯縣■では本部に救護復興對
策本部を開設
救援隊長に川村團長、對策本
部長に土屋副團長、現地本部
長に堀木縣團本部長、吉津救
護班主任に阪本縣團理事、尾
鷲同主任に若林同理事、長島
同主任に長谷部同理事、木本
同に南牟婁郡團長があたり
さらに復興協力隊として上野、
津、阿山、名賀、鈴鹿郡市、河
藝、一志の八隊を結成、緊急出
動させ現地團を中心に隣接地團
の應援を得て縣との連絡を緊密
にして家屋、道路の復興、資材
の運搬などに挺身するほか人心
安定につとめ復興全般の活動に
挺身してゐる
縣水産業會 調査班派遣
濱地縣水産業会会
長は八日から罹災地を視察、激
勵に務めてゐるが同会西田主事
吉澤主事補、川上主事補、奥書
記の四調査班を派遣して災害状
况を報告させ大體十三日ごろそ
の救濟對策を決定するが現在大
敷網の投■最中にあるのでこの
方面に資材を重點配給し罹災民
の安定就業を講ずるはず
縣靑少年團も協力
縣靑少年團では罹災者救護運動
を呼應し各單位團ごとに災害復
舊事業に協力するほか罹災者に
對する各方面よりの寄贈衣類そ
の他の運搬に協力、また罹災團
員の見舞ひ、氣の毒な團員の士
氣を鼓舞する激勵文を發送する
など各單位團ごとに復舊に全力
をつくすことになり、十一日縣
團長から各郡市團長へ通牒した
修理は重点的に 山田署で一般へ要望
宇治山田署では建築組合木材各
團體代表者と復興資材の適切配
給につき協議した結果一兩日中
に被害家屋の再調査をなし被害
の最も著しいものから重點的に
資材および勞力の配給を行ふ方
針であるから被害家屋のうち不
急のものはこの際修理、再建を
さし控へてほしいと強く要望し
てゐる
震 災 罹 災 者 へ 寄 贈 衣 類 募 る
去る七日本縣を襲つた震災は相當な被害があ
り罹災者の窮状洵に同情に堪へないものがあ
ります、これが救助の一端に資するため縣民
の義心に愬へ寄贈衣類を募ることになりまし
た、婦人會と靑少年團が頂きにまゐりますか
ら縣民各位の切なる御同情をお願ひします
一,實施期間 十二月十一日から三十一日迄
主催 縣 市 長 會、縣 町 村 長 會
翼賛會縣支部、伊勢新聞社
罹 災 者 へ 衣 類 を 贈 ら う 縣 と 本 社 な ど で 運 動
縣下を襲つた震災は各地に相當な被害をおよぼし罹災者の窮状
は■■■■同情に堪へないものがあるので、縣市長会、■町■
長会、翼賛会■支部、伊勢新聞社が主催となつて縣民の温い隣
人愛に訴へ衣類の寄贈を求め罹災者へ贈ることになつた
その実施期間は十一日から三十一日までの二十一日間とし、
市町村長の指示によつて婦人会や靑少年團がその蒐集にあた
るが、寒さに向ふけふこの頃衣類を失つた着のみ着のまゝと
いふ氣の毒な罹災者の上に温い同情を捧げ、お互ひに不自由
な中から一枚でも寄贈して頂きたいものである
本 社 罹 災 見 舞 金
一、金 二 千 圓
伊 勢 新 聞 社
一,金 一 千 円
伊 勢 新 聞 社 重 役
及 從 業 員 一 同
右罹災見舞金として十一日
三重縣廳へ寄託致しました
鄕 土 短 信
度 災害道路復舊
山田土木出張所では管
會 内災害道路の復舊を急
ぎ曾我所長指揮の下に施工中で
あるが吉津ー宇治山田線は吉津
村河内まで開通し、宇治山田ー
鳥羽線、大湊ー宇治山田線は十
二日復舊開通する見込