罹災の門に日章旗 決意新に聖地三重の建設譜 きのふ大詔奉戴日 意義深き滿三年を迎ふ
必勝の■■まさに動かんとする
さなかに迎へた大詔奉戴三周年
のきのふ八日、聖地三重は震■
復興の■■■■■しく私をすて
て公につかんとする協心■力、
■■の一途に災害をものともせ
ず意義ある■を迎へたのである
この日縣下鄕軍掉尾を飾る暁天
■■は災害のうちにも毅然とし
て實施され、明くれば傾いた家
■の■■に燦然として日章旗が
■■に■えて天の試煉に起ち上
る、力強くも賴もしい風景を描
き出し、やがて十一時五十九分
には百二十万縣民があの三年前
のあの日あの時の感激を胸によ
みがへらせて幾多散華の英靈に
敬弔の誠をさゝげ大東亞戰爭完
遂と前線將兵に感謝を捧げると
ともに新たなる試煉をのり越え
て一刻もすみやかに復興を完遂
戰力増強へ 邁進すべく 敬虔な
一分間の黙祷を捧げた、この日
縣下各地の工塲、事業塲では一
刻の危急をあらそふ生産増強へ
一切を捧げてたヾちに活動を開
始、逞しくも勝ち抜かん聖地百
二十万縣民の氣魄は悲壯なうち
にもかくてぞ勝たん心強い建設
譜を奏でたのである
災禍に怯まぬ縣民 復興に逞ましい力
七日縣下一帶を襲つた強震は南
北牟婁、度会郡の海岸地帶では
津浪を伴ひ、各地に相當な被害
を發生したが、その災害復舊は
天の試煉にも怯むことなく敢然
起ちあがつた、罹災者はもとよ
り災禍を負ふた人々は緊急工作
隊や警防團員、特設防護團員、
皛軍らの協力を得て七日夜から
八日朝にかけて急速に進み、わ
けても北勢、南勢地方の重要生
産工塲は緊急工作隊の出動によ
つて電撃復興を見、八日朝には
いづれも工塲一ぱいに轟々と機
械が唸り、勝ち抜くための生産
譜が高らかに奏でられ、また災
禍に見舞はれた不幸な人々も隣
組の戰友愛精神によつて温い救
護の手がさし延べられ、至ると
ころに一億戰友の涙ぐましい情
景を描き出してゐる、一方罹災
者に對する宿舎、衣類、食糧も
瞬く間に給與體制が整へられ、
特に 被害の中心である 北牟婁
地方へは太田軍事厚生課長を隊
長に、北勢地方へは世古口經濟
保安課長を隊長に、度会地方へ
は 錦 刑事課長を隊長に、それ
ぞれ救援機動部隊が急行して救
護に大童の活動をつづけ、現地
では地元民の活躍によつて復舊
建設の木槌を響かせてゐる
地震の被害 八日午後
一時縣警防課で取りまとめた強
震の被害状况は伊賀地方を除い
て■下一帶相當程度にのぼり、
死者、負傷者、行方不明者をは
じめ全倒壞、半倒壞家屋、道路
橋渠、堤防の崩壞などがあつた
中心は桑名四日市の海岸地帶と
度会、南、北牟婁の地方で、各
漁村、尾鷲、長島兩町などは地
震とともに津浪のため家屋、漁
船の流失が多く、死者もかなり
あつた
津市 震災の復興について 堀川津市長は語る
市内にも家屋の倒壞したのは
相當數あるがこれらの人には
誠にお氣の毒である、かうし
た非常災害の塲合いよいよ隣
組共助精神を発揮して隣保の
人々の手によつて速やかに復
興してほしい、資材など不足
勝ちではあらうがお互ひの家
にあるものを持ち寄つてやつ
てほしい、私はこの際大工、
左官業者の緊急動員を求めて
一日も速やかに復興したいと
思つてゐる、出來得れば工塲
に勤務中のそれらの人々に二
三日出動 願へれば 最上だと
思ふが、何にしてもまづ倒壞
家屋はそれヾヾの隣組で復興
するの氣魄をもつてやつてほ
しい、これに對する市の補助
も考へてゐる
四日市 市民は天の試煉に
雄々しく起ち上つて八日午前八
時吉田市長、石■市会議長以下
多數が參列、諏訪神社で第二回
愛國市民■二■■■奉告祭を執
行、市民赤誠の集■廿六万円を
陸海軍へ獻納の手續きをとつた
引つヾき十時から市役所で部課
長会議を開き災害對策を決定、
十六班の調査班を■出した、ま
た午後二時には緊急市会を開き
市役所に■相談所を開設、市立
病院を圖書館に移して九日から
平日どほり診療を行ふことにし
た、吉田同市長は今回の災禍に
つき次の如く市民に要望してゐ
る
市は各關係方面と密接な連絡
をとり復舊に万全を期してゐ
るから市民は本市のもつ重要
な使命を自覺して生産増強に
遺憾なきを期せられたい
桑名市 課長以下全吏員
が七班に分かれ被害現塲調査を
行ひ九日午後■時から緊急市会
を開いて■■の對策を協■する