霧多布の惨状を語る 本社特派記者座談会
本道ではチリ地震津波ほど大きな津波被害ははじめてである。しかも最大の被災地、霧多布=厚岸郡浜中村大字=は十勝沖地震
津波の被害後七年目にまたこの惨事にあった。二十四日朝、災害現地に取材した本社特派記者たちの座談会を開き、改めて当時
の模様をきいた。
えぐり取られた海岸
被災者、おびえて山を降りず
のしあげた船や家
司会 まず陸から見た災害地を
語ってもらおう。
G 二十四日朝五時半厚岸を出
た。茶内まで行くと霧多布へ救援
に行く消防車がサイレンを鳴らし
て後ろからきた。
F 浜中村榊町が見えるあたり
にくると水びたしの情景が見え
た。これはいけないと思い榊町の
入り口にはいると避難者と馬でご
たごただ。家が流れたとわめいて
いるんだ。榊町ー霧多布道路は完全
に水がきていて海岸から三百メートル
ほど離れたところの家が流されて
いる。暮帰別まで
行くと見る影もな
い。まともに立っ
ている家が一軒も
ない。
B 道路から山
の手に家が流され
ている。浜中湾か
ら波が来たため
だ。
A 山寄りの湿
地にミシンがデン
とすわっていたり
屋根が伏さってい
たり、船があった
り、とんでもない
ところにオートバ
イや農器具、漁船
の発動機がある。
どうして流された
かと不思議に思う
ところへ流されて
いた。
漂流物で
”黒い海”
司会 海から上
陸したときの霧
多布はどうだっ
た。
A 琵琶瀬湾に近づいたので望
遠鏡で見たところ漂流物で海面が
真っ黒い。
F 浜中湾沖へ回って見るとふ
だんは家で見えない琵琶瀬湾がす
っぽり見える。水取場共和あたり
の家が一軒もなく流されていた。
地図ががらりと変わっている。
A 上陸して役場へ行ったんだ
漁■会のあたりで一メートル半も水が
上がっていた。十
勝沖地震の時は全
く水がこなかった
ところだ。これを
みても激しさがわ
かる。
避難が遅
かった
司会 行くえ不
明や死者が出た
状況はどうなんだ。
F 地震がなかったことが行く
え不明や死者を出した大きな原因
だ。十勝沖のときとそこが違う。
B 地震もないのに津波が?…
という考えだ。
A 家屋の流失も木材や漁船が
衝突して破損した結果被害が多く
なった。共和会(地名)にあった一
〇立方メートルほどの木材が一本もなく
流れた。
F 流れた家がまた後ろの家を
押し流す力にもなった。
E だから道路がどこかわから
ない状態だ。
司会 建物の構造上、流されや
すい状態、つまり津波を考慮し
ない建て方をしていたのではな
いか。
A ほとんど全滅の霧多布水取
場で公営住宅が残っている。基礎
が布コンクリートだった。それが
津波から家を守る大事なポイント
だ。
F 十勝沖地震のあとに三十平
方メートルの災害住宅を建てたんだが、
これも残った。基礎が布コンクリ
ートだ。この住宅と並んでいた四
〇平方メートルの家が地グイだけ残して
すっぽり流れている。
放心状態の被災者
司会 被災者たちの模様は。
E 二十四日夕方になって対策
本部は避難者たちに避難所へはい
るようすすめても誰も山を降りよ
うとしないんだ。津波が来るとい
う恐ろしさ、ここから動くのがこ
わいというおびえ切った状態だ。
F ぼう然として気が抜けてい
るものだから、ジメジメした暗さ
がない。これは異様な感じだった。
B 娘さんをなくした三上さん
に”どのたが…”と聞いたらかわい
た声なんだ。”二十七だ、エミだ”
というんだ。暗くないんだ。当人
たちも驚きのあまりアガっている
もんだからまだ悲しいという実感
がこないんだ。だから余計こっち
が気の毒に感じてしまう。
F 大野駐英大使のメイの大野比
呂江さんは長いこと病床にいてリ
ヤカーで運ばれて避難していた。
この人は”不可抗力ですもの”と
いっていたが、村民全部にアキラ
メがあるようだ。
ほとんど零細漁民
司会 この先どう生活を再建し
ていくんだろう。
E 中学一年という小さなふろ
しき包み一つ持っていた女の子に
霧多布はもういやかと聞いたら、
怒ったよ。”私たちここが一番い
いとこだ”というんだ。
A 僕の話した漁師は移住しよ
うと考えていたようだ。
B 村長と話していた漁師は
”湯沸山の下に家を建ててくれ、
そこから海に通う”ともいってい
た。
F ほとんどが零細漁民だ。九
百余隻の漁船のう
ち二百隻が流され
ている。残ったの
も満足にすぐ使え
ない。そこへもっ
てきて主生産物の
コンブがどうなっ
たかわらない。
海水が浜中村から
琵琶瀬湾へ往復し
ているうちコンブ
磯がドロと砂で埋
まったのではない
かといっている。
それとコンブを干
す干し場が流され
てしまった。海岸
がすごくえぐり取
られているんだ。
C 暮帰別で自衛隊員が道路を
応急修理するために砂をとった。
ところがそこの土地の所有者が怒
った。そこから砂をとられたら海
産干し場がなくなり食ってゆけな
くなるというんだ。土現が中には
いって写真をとり。落ちついてか
らこの干し場を写真どおりに修理
するからということでケリがつい
た。
F 海産干し場は七万五千平方
メートルも流されている。これを国費で
でも復旧しなければとても自力復
旧など出来るものではない。
A まだ十勝沖地震の災害復旧
で借りた金が元金の二千三百万円
に対して四百万円しか返していな
い。もう借りる力がないし貸して
も返せとはいえない状態だ。
災害整理の協力者
司会 各方面の復旧協力ぶり
を。
A 海上保安部がよくやった。
花咲沖から行った”ゆうばり”が
午前九時半に現地に到着し漂流者
を救いあげたり、死体を捜した。
それから十五分後に自衛隊の救難
航空隊のヘリコプターが来た。こ
の両者で三十七人を救いあげた。
B 根室からきた”かわぎり”
が大型巡視船との間を伝鳥がわり
に働いたし交通途絶中は浜中と霧
多布の間を往復し食糧と寝具など
の救援物資を運んだ。
E 二十五日昼までしか霧多布
には食糧がなかったんだが、二十
五日朝ヘリコプターで米を運ん
だ。
B 自衛隊の偵察隊が二十四日
午前十一時五十分に、釧路駐とん
司令が午後二時半にはいった。現
在二百五十人とダンプカー十台な
どで建設に防疫に大活躍だ。村民
は自衛隊と保安部に心から感謝し
ている。
C 被災しなかった人々も奥さ
んなどタキ出しのニギリメシ作り
で手を火ぶくれにしながらやって
いた。みんなよくやっていた。
津波災害義援金品 二十八日受け付け
◇本社扱い
十万円 日本清酒株式会社
六千七百九十七円 ボーイスカウ
ト札幌地区
千円 学芸大学札幌分校札学大グ
リーククラブ
二百六十六円 新得中学校三年B
組
四千二百三十円 札幌 千秋庵製
菓KK有志一同
五百円 札幌 家事実習の一少女
四千九百二十円 二幸札幌工場従
業員一同
千円 札幌 竹川測量事務所
千円 札幌 高橋よね
千百六円 札幌 中道機械産業K
K社員一同
一万六百十五円 札幌商高生徒会
千四百九十五円 北海道新聞社労
組青年部
日計 十三万三千百二十九円
◇旭川支社扱い 四千九百七十円
◇釧路支社扱い 二万八千六百七
十円
合計 十六万六千七百六十九円
累計 八十万千七百十
一円
◇本社扱い
衣類二包 札幌市 浅野 千代
同 同 同 天理教クニ布教所
同 一包 同 佐藤 武雄
ノート千冊、鉛筆千四百四十本
同 布川 商店
衣類一包 同 佐々木国子
同 二包 同 高橋 よね
衣類ほか一包 同 斉藤 経造
衣類四十六点 小樽 一色 真理
衣類一包、ふとん一枚
同 桟敷 みよ
富貴飴三十箱 同
池田製菓株式会社
◇函館支社扱い 二件
◇旭川支社扱い 七件
◇釧路支社扱い 十一件
累計 五十八件