電報
雑報 慘輪一束
盛岡特報 (廿二日發)
南巌手郡本宮村感恩寺住職古川日★★△本縣沿海各被害地を巡回し死亡者埋藏の際續經回
向を爲す爲め昨日出發せり
辛くも命△助かりても一★★の身に纏ふべきものなき者多し依て縣廳より單物七百枚を送
れり
本日被害地に在る淺田書記官の電報に曰く本日磯鶏大澤の各村被害地を巡見負傷者に△臨
時の手當を爲し重傷と認むるもの△宮古假病院に輸送のととし只今山田町着實況取調を爲
せり尚山田町船越村に△負傷者多數あり交通不便の爲め病院支部を設置し明日△船越村巡
視の筈又宮古假病院△本日より開始せり
第二師團の工兵四十名昨日當地を經て都に向け出發せしが猶同師團より軍醫五名看護人十
五名氣仙郡盛町に出張し又{sp赤十字社支部よりも醫員二名看護人一名△當地を經て宮
古に同醫員二名看護人一名△一ノ關を經て氣仙に向へり
本日も亦人夫百五十名△小本方面に、五十名△久慈方面に出發し盛岡消防組百人も田老小
本田野畑に向け出發せり
しない生姜町赤十字社正社員藤澤與三郎氏△無報酬にて避難者教護に從事したき旨を申出
て又同馬町中村菊治、同鉈屋町佐藤昌一の二氏の發起にて廿七八年の戰役に軍夫となり従
事したるもの數十名申合せ是亦無報酬にて被害者救護に從事したき旨縣廳へ申出でたり
被害地一面の混雜なるに乘じ掏摸盗賊出没して不正を働くもの往々あるよし言語道斷沙汰
の限の人非人なり
遭難者の實況具申書
巌手縣の土木技手酒井鐡三郎氏△海嘯の時同縣南九戸郡久慈港に在り均しく難に罹りて傷
を負へるも幸ひに死を免かれたる人なり紙が同縣知事に提出したる具申書△即ち地震遭難
の實況を説きたるとて慘状目のあたり見るが如し曰く六月十五日△朝來陰雲暗澹として
時々降雨あり梅雨の候と△いへ如何にも★岡敷非常に人意をして不快を感せしめたるも市
中家々★暦五月五日に相當するを以て端午の祝酒を催さんと別に意を介する所もあらざり
しが晩暮七時五十分に水平の微動あるを始めとし八時頃に至りて再び動揺あり晩食に就く
凡そ五分にして震動の大なるを感じたれども其度合△釣ランプの動揺△左程に△あらざり
しも之に反して身体の震動△益々大なるを感じ漸く其職を終らんとする頃ひ(凡八時十分
頃)忽然戸外庭前に於てピストルを發射したる如き音響を耳にし益■奇異の思を起したる
が八時十五分頃となるや東方海岸に當りて俄然鳴動を始め汽船据付の機關震動の如き感あ
り大ならず小ならず上下一定の微動にして震動愈■愈■強さを加へたり依て蹶起して東方
の海面を見るに牛島と稱する島嶼の方面に當りて大空朦朧として薄赤色を呈し鳴動の方位
も同一にして右方々面に△些の異状なし是ぞ天變地異の徴ならんと立退の用意に掛るや否
や寄洲中に建設しある數十の納屋小屋轟然破竹の勢を以て壊倒し來りたれ▲海嘯なり海嘯
なり速かに戸外に出づべしと叫びて駈出したるも如何せん四邊暗|Kにして事物を識別する
能はず躊躇する中に身△既に數十丈の怒濤に襲はれ兩足を拂はれて激浪に捲き込まれたる
が會■流失の土蔵らしきものに衝突して頭部を撲ち此時身体の三四回回轉するを覚えたり
水上に泳ぎ出でんとすれ▲頭上に△巨財と塵芥の滿ち■て身△只益■水底に押流さるヽの
み依て到底水面に泳ぎ出ると能はざるを覺悟し呼吸を止めて濁水を■にせざることを勉め
たり夫より五六分過ると覺ゆる頃フト水面に首を擡げ出し三四回呼吸するを得るや否や
又々一大家屋の前面に横はるあり激流に逆らふ力なく再び此廻轉中に汲ひ込まれたる後△
只管身体の疲勞を防がんことにのみ考へしが併し最早此時に至りて△呼吸を止め得ず究迫
の餘り二三回濁水を汲収するや苦痛煩悶少事も措く能はざりしが此時既に身体の疲勞甚し
く人事不省となりしが如し後微かに人の呼ぶ聲を聽くと感せしが偶■人の來りて大材の間
に挾まりしを救ひ揚げられたるが何ぞ圖らん最初宿泊居たりし湊村より一里以外の久慈町
大字門前琴比羅臺の下なる一力寺に在らんと△顧みて四邊を窺へ▲只悲鳴慟哭の聲あるを
聽くのみ暫らくにして人肩に憑り久慈町病院に向はんとし下門前に至るや警官數人に出遇
い警官等の最早醫師の來る筈に付暫時待つべしと告ぐるあり或農家に憩ひ午前二時頃に至
り醫師出張負傷の檢査を受け再び人肩にて午前六時頃久慈町病院に着したるが實に不思議
にも萬死の内に生を得たり云々
負傷者の慘状
大日本私立衛生會より出張せる後藤敬臣氏の一昨日午後遠野發電左の如し
釜石町負傷中死亡する者百五十餘名目下陸軍々醫之が治療に從事せり慘状△筆舌に盡し難
し宮城縣赤十字社支部の假設病院十一ヶ所の負傷患者目下五百九名なり
,A{r森縣に於ける遭難教護 廿三日發電
赤十字社より賴森に派遣せられたる救護員△去廿一日下田停車塲に着し上北郡百石村なる
嘯害地に至り師團派遣の軍醫員と共に救護に盡力中にして其報告及電報左の如し
負傷者△眞の外傷△割合に少なくして家の中に在て溺れたるをなれ▲ゴミクタ魚油並に肥
料の類を飲みて發したる病氣(報告抜萃)十九日の調によれ▲重傷十五輕傷百二十とあれ
ども追追減少す重傷△當地(上北郡百石)に集むる筈割合に嚥下性肺炎多し(廿二日發電)
被害地區廣し鹽竃の近傍八ヶ頭に病院を設く
中央備荒儲蓄金支出
海嘯被害地の救助△直樣地方備荒儲蓄金を以てするも夫のみにて引足るべくもあらず地方
儲蓄金五分の一以上を支出せる塲合に△中央儲蓄金の補助を請求するとを得る規定なるを
以て巌手縣より已に其請求あり不取敢一昨日同縣へ向け金五萬圓を支出せられたり尚出張
書記官の報告次第支出せらるべき由なるが先年濃尾震災の時△只管焦眉の急を救はんとし
て其支出多きに過ぎし例もあれ▲今回△最も注意を加へ過不足なき様適當の支出を爲す見
込なりといふ
大藏書記官の嘯害地行
大藏書記官岩槻★次郎氏△一昨日宮城巌手賴森三縣へ出張を命ぜれたり其用向△備荒儲蓄
金支出に關すると及び収税上の調査にして主税局の屬官三名隨行す
赤十字社幹事の嘯害地行
同幹事小澤男爵△本日直行汽車にて出發負傷者慰問として病衣を齎し行き千五百枚を巌手
縣に五百枚を宮城縣に二百枚を賴森縣に寄贈する由
軍醫學會特志救療員派遣
陸軍々醫の組職に係る同會にて△第一師團奉職の軍醫五名に看護長以下二十七名を附して
昨日嘯害地に送れり
看護婦の篤志
京橋區西紺屋町八番地看護婦會主幹山本里子△看護婦十名を隨へ自費を以て嘯害地へ出發
ありたき旨巌手縣知事へ願でるに盛町へ向け出發ありたき旨回答ありたるに付昨日直行汽
車にて出發せり
寄贈品の注意
海嘯避難者たる襦袢一枚家具一ッ持たざるもの多し金員の義捐も左るとながら衣服物品の
寄贈も極めて必要なり而して人の心付かずして却て必要なる△、ふんどし、ゆもじ、手拭
さて△塵紙等なりと