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電報・巌手縣被害 十九日 巌手縣警察部發

只今までの報告に拠れバ流失家屋五千三
十戸死亡者二万二千百八十
六人負傷千二百四十四人(前號印刷後着)

電報・被害地慘状 十九日 特派員横川勇次 志津川發

被害地にて最も困難なるハ醫師人夫の不足なり
死骸の未だ片附かざる所も多く負傷者も數百人
あらん數ヶ所に救護病院を設け第二師団よりも
軍醫來れり豫ハ被害地を實見せしに實に慘状を
極めたり委細郵報す

電報・巌手縣被害 十九日 巌手縣警察部發

唯今左の報告あり
氣仙郡被害ハ一町十一ヶ村にて流失戸數ハ凡千
四百、死亡六千人餘

南閉伊郡被害のハ流失戸數千六百六十四死亡八千
三百三十四人負傷七百七十八人船舶の流失七百
三十七艘耕地四百七十二町餘
東閉伊郡被害ハ三町八ヶ村にて流失戸數千二百
卅六戸死亡五千六百廿七人負傷三百八十二人

電報・宮城縣被害總計 十九日 仙臺特報

其筋の調査に依れバ志津川及び歌津流失家屋四
百六十四戸死者千二百二十三人負傷四百十人、
大谷流失家屋八十三戸死者三百二十九人、階上
流失家屋八十五戸死者四百二十一人、唐桑流失
家屋二百六十二戸死者八百二十三人、大島流失
家屋三十一戸死者四百五十人、泉流失家屋五十
五戸死者二百三十人、負傷三百人、雄勝流失家
屋十七戸潰家廿五戸半潰七十五戸、死者廿八人、
總計流失家屋九百九十七戸、潰家二十五戸半潰
七十五戸、死者三千五百四人、負傷七百十人以
上ハ正確なり(以上三件前號欄外再記)

雜報・大海嘯電報

雜報・嘯害慘状 巌手縣宮古鍬ヶ崎

宮古警察署長十六日付の報告に曰く
十五日午後九時前後二回の地震あると同時に激浪
襲來すること四度宮古鍬ヶ崎兩町ハ一面★浪の下
に埋没せられ老幼男女逃るヽ途なく怒濤に巻かれ
て流さるヽあり或ハ流亡家屋の中に壓せらるヽあ
り悲鳴號泣目も当てられぬ慘状を現出せり、宮古
町流亡家屋三分一、鍬ヶ崎町ハ殆んど全部流失せ
り署員を各所に配置し人命救護に必死の力を盡く
し老幼を授けしこと數十人なりと雖も怒濤山岳を
崩すが如き海嘯にして其猛烈なる慘状ハ筆紙に盡く
し難く加ふるに暗|K咫尺を辯せず人命救護の上に
於て進退駈引の自由を失し一大困難致候被害の重
なる塲所ハ宮古町字光岸地一円、向町、藤原、旧
館の幾部鍬ヶ崎町ハ殆んど全部流亡の害を被れり
死者の數ハ未だ詳細取調ぶる能はざるも百餘名を
超えたるものと被考候其の被害ハ多く鍬ヶ崎町
にして甚しきを至てハ一家十三挙つて生命を失
ふあり、酸鼻に堪へざる慘況なり其の他負傷者數
しれず不取敢鍬ヶ崎町に二ヶ所の救護所を設け宮
古町ハ当署を救護所に充て醫師をして治療に從事
せしめ置きたり此地部内沿海各所も大いに流亡死傷
ありたる由にて就中田老村の如きハ全村一戸も殘
さず流亡したりとの事にて署員出張取調中に有
之詳細の状況ハ追て報告可及候得共取急ぎ概
況迄云々

巌手縣南九戸郡久慈附近

 南北九戸郡長十六日付の上申書に曰く
昨十五日午後第九時頃南九戸郡久慈町大字門前に
方り突然激雷の如き音響を聞くや否や該町久慈川
に浴びたる塲所に於て俄かに出水之有候に付定め
て海嘯ならんと存じ速に吏員を派し現況視察爲致
候處門前一円ハ殆んど蒼海の如き観を呈し家屋ハ
悉く破壞流失死傷夥しき旨復命候に付早速所
員一同現塲に駈付け救助に從事致候尚ほ野田村市
街並に中野村字小子内原子内も同樣海嘯の趣申
出候に付是亦吏員出張爲致夫々救助に從事致居
候右ハ早速電報申報可致の處右變災の爲め電信不
通に相成到底急速申報致兼ねたる次第に有之候而
して門前村出張中の酒井技手足部負 傷候得共生
命ハ別條無之目下治療中に有之候尚被害實況死傷
者の數ハ追て取調の上詳細具申可仕候得共門前
家屋ハ數戸を殘し悉く破壞死傷又九分通に有之實
に慘状を極む云々

巌手縣氣仙郡盛町附近(祉友發信)

氣仙郡内ハ盛町最も慘状甚しき旨の電報に接せ
しも實際ハ盛町にあらずして其の附近の各村部落
の誤りにして盛町ハ別に異状なき由なり箇ハ匆卒
の際の誤報と認むるより外なし同附近の慘状
を聞くに十五日午後九時頃微細なる地震と同時に
三丈餘の激浪一時に來り海灣民屋潰壞人畜死傷
無算の有樣にて大船渡村に於てハ戸數百戸以上潰
壞百五六十名の死傷あり綾里村ハ同二百戸近く人
畜死傷無數松崎越喜來其他沿岸の各村實に名状す
べからざる慘害なりとぞ
茲に特筆すべきハ激浪中に御眞影を安全の塲所に
奉置せし事是なり越喜來の學校教員に佐藤陣なる
人あり今しも激浪怒濤の凄じき勢ひにて渦まき來
るや同氏ハ敢て狼狽の体もなく直に校内奉置の御
眞影を數町距りたる安全なる塲所に奉置し先づ安
心と取て返して見れバ同氏の愛兒某ハ水中にあり
将に推し流されんとするを見るより氏ハ奮躍して
激浪中に飛び入り首尾よく之を救ひ出し夫より直
ちに村内の慘状を其筋に具申したりとハ天ッ晴れ
の心懸けなり因に記す同村素封家南部屋事苅屋譲
右衛門氏方ハ主人一人を殘したるのみにて家族ハ
溺死家屋ハ流失したりとぞ

巌手縣東閉伊郡山田町附近(社友發信)

山田町ハ戸數七百八十六戸の内完全なる家屋ハ百
戸位に過ぎず潰家凡そ三百九十三戸位浸水家屋前
同斷位にして死者凡そ二百名以上負傷數知れず大
澤村大字大澤ハ三戸を餘し他ハ皆流失人畜死傷推
知すべし織笠村ハ流失家屋凡そ百戸死亡者二十名
船越村大字船越ハ流失戸數凡そ九十四戸にして僅
かに二戸を餘せるのみ死亡者數凡そ四百五十人生
命を全うするを得たるもの百三十二名同大字圓濱
ハ全村の家屋大抵流失随って死傷者も夥しからん
同字大浦ハ流失家屋五戸にして死傷者なかりしハ
何より右に就き山田町に於てハ罹災者避難所を五
ヶ所に設け焚出しを分配する等人心恟々たり斯く
記し了りて又一報あり山田町に於て潰倒家屋より
火災を生じ焼死者も多くありしとぞ

雜報・仙臺特報(十八日發)

宮城集治監雄勝出役所看守にして行方不明となり
しハ男澤儀平山崎英太郎の二名死体發見せしハ菅
野久太左衛門秋山好義小塚斧男今野久五郎片山則
次中津山忠之進の八名にて外に負傷者八名あり又
囚徒中行方不明の者七名なるが其内二名ハ死体漂
着し他の二名も確に溺死せしものならんも殘る三
名ハ逃走したる形跡あるを以て嚴密捜索中なり
被害地ハ到る處醫師看護人人夫等不足なるを以て
多少の赤十字社員及び他地方の醫師出張せるも到
底充分なる救護をなす能はず現に海岸にハ死者累
累中にハ死に瀕して苦呻し居る者もあれど之を顧
るの暇なき有樣にて實に酸鼻の極なるを以て陸軍
予備病院よりハ軍醫四名看護長二名看護人十五名
を派遣したり
家屋財産の流失、田畠宅地の荒廢、船舶漁塲の破
壞等を精算せんにハ其損害鄕非常の金額に上るべ
く單に養蚕のみの損失にても餘程の巨額なるべし
就中最も困難なるハ塩入の田地にて以前の如き
肥沃に回復する事ハ殆ど望むべからずと云ふ

雜報・盛岡特報(十九日 )

雜報・死屍列を成す

 釜石より上京せる人の話によ
れバ海嘯一時に來て家屋人畜を捲き去り又捲き來
るや死屍一大横隊を爲して浪のまにまに打揚げら
れ沙上累々として列を成し蜿蜒數町に亘り観るも
無殘の有樣なりしとぞ

雜報・兩石の悲參  巌手縣南閉伊郡兩石(釜石附近) の村落ハ九百の人口を有し居れるに生存者僅に五 十人に過ぎずと云ふ

雜報・海嘯と郵電

 逓信省着電左の如し   十九日 午後三時五十分 仙臺局發

去十五日の海嘯にて陸前女川局ハ浸水床上に達
し危險に迫りたるも局員以下生命を賭して郵便
物及器具類の保護に盡力し翌日より同地五十番
戸にて事務取扱ふ旨報告あり
  十九日 午後四時 盛局發
去十五日海嘯の爲め盛より二里の間電柱六十本
流失せしに付當地(大船渡村字下船渡)に電信假
局を設け翌十六日より通信を開始せり
  十九日 午後十一時三十分 盛局發
今回の變災以來大船渡村大西平太郎二階を假局
舎とし通信開始の處本日午後六時同所より盛へ
全通に付假局を閉鎖す
  二十日 午後五時四十分 遠野局發
盛、高田の兩局ハ局長を始め局員局舎とも
無事の旨出張員視察報告あり

雜報・東北地方の電信

 今回の海嘯にて不通となり
し電信ハ一昨日午後一時を以て巌手縣東閉伊郡山
田迄開通し昨日を以て宮古迄開通したり尤も同地
方の電信ハ平時にありても昨今の季節ハ北海道漁
業の爲め電信輻湊し其筋に於ても複線の計劃あり
しに今回の嘯害にて電信の輻湊ハ甚だしく逓信省
にてハ十九日の夜書記二名を急派し其事務を補助
せしむる事になりたりが現に輻湊せる證拠にハ盛
岡電信局より至急局報を以て昨日午前十一時八分
に發せし電報が午後三時十五分に至りて漸く到達
せしを以ても知るべし

雜報・海嘯地巡視と調査

 去十八日被害地に派遣せ
られたる岡田文部參事官ハ沿道の小學校を巡視し
昨日宮城縣に向ひ第二鄕等中學校の情況を視察し
夫より巌手を經て小學校の破損兒童就學の模樣を
調査し直に歸京の筈又同省震災豫防調査會にてハ
理化大學地質科第三年生伊木常誠氏に嘱託して沿
道の各地を調査せしむる事とし氏ハ昨日發程先づ
石巻に至るべく大日本私立衛生會よりハ負傷者救
護の爲め役員後藤敬臣氏ガーゼ及白木綿數百反を
携帶して昨日仙臺に向へり

訂正

 全號第一面大海嘯電報の内久米内務省參事官仙臺發の分
本吉郡死者三千四百十三ハ三千四十三の誤