電報・龍田の嘯害地探檢 十九日靜岡特發
清水港碇泊中の軍艦龍田ハ俄に命令あり宮城巌
手兩縣海嘯被害沿岸の死者探檢の爲め昨朝抜錨
せり横須賀にて石炭を積入れ直に被害地沿岸に
向ふべし
電報・嘯害視察 十九日仙臺特發
久米内務省參事官昨晩當地に來り今朝嘯害地に
向け出發せり
電報・嘯害(宮城縣)十八日仙臺特發
本日迄の調査に拠れバ本縣下の海嘯死亡者總計
三千六百四十人なり
雜報・大海嘯電報
雜報・盛岡特報(十七日發)
本日聞得たる巌手縣下(匹嘯害諸報を一束して左
に通信す
宮古町の慘状
十五日午後八時二十分頃より
三回の地震あり同九時頃にやありけん俄然百雷の
一時に轟くが如き凄まじき音して海嘯起り宮古町
光岸寺築地通り中瀬向町下町藤原等の人家流失破
潰死傷數十名(匹鍬ヶ崎町ハ全町浸水して破壞流失
したる戸數三百餘戸死亡人員未だ詳らかならざる
も行方不明の者百名以上あり各町役塲郡役所警察
署等の吏員總出にて死傷者の處置焚出しの配付等
に尽力し役塲及び學校を避難所に充て救助中なり
當夜ハ恰も旧暦端午の節句なりしかバ町内各家と
も酒宴最中にて測らずも此凶變に遇ひ驚愕周章
殊に甚しく歓樂瞬間に一變して修羅塲とハなれり
小本附近の慘状
北閉伊郡小本村大字小本並
に小成ハ悉皆流失し役塲書記及び巡査某の妻ハ溺
死し普代村にてハ大字太田各部四十二戸の内一戸
を餘すのみ人も僅に十一人(男三人女八人)を餘し
て他ハ悉く溺死し小本普代兩村の醫師も亦負傷し
たれバ岩泉及び小川村の醫師を迎へて負傷者を救
護し居れり
釜石其他の慘状
釜石全市流失して死亡五千
餘人あり死体拾集(匹負傷者救護の爲め頗る混雜な
り釜石警察署員ハ皆負傷し巡査一名死亡せり山田
港ハ九分通り流失して死傷百餘名あり大槌(匹安渡(匹
吉里々々にてハ五百戸餘流失死亡六百人餘あり
釜石電信局長の義奮
今回の海嘯にて最も
慘状を極めたるハ釜石にして五千人の死者を生じ
電信局も流失したるが茲に感ずべきハ同局長村
井儀藏氏にして自身も将に溺死せんとせしも辛く
して九死の中より一生を得たるが見れバ家族ハ已
に皆溺死せり尋常のものなれバ悲嘆極まりて茫然
爲す所なかるべきに元來健気の同氏なれバ職務に
殉ずるとハ斯る塲合なり電信の不通ハ此塲合第一
の不便なりと奮励一番幸ひ流失の難を免れたる古
器械を捜し出し遂に今日に至りて同地より發電す
るを得たるハ實に同氏の義奮に依ると云へり(記
者曰く前號欄外(匹海嘯と電信の項に「釜石ハ辛う
じて予備機械一座丈持出しスヾ鑛山の電池を一時
借受け今午前十時全通」云々とあるハ即ち此事な
るべし
雜報・仙臺特報(一七日發)
宮城縣下の海嘯被害概略調査行届きし左の如し
本吉郡大谷村流失家屋九十戸(匹溺死四百人●同
階上村流失家屋九十戸(匹溺死四百餘人(匹負傷凡
そ一百人●氣仙沼警察署部内死亡一千四百五十
余人(但氣仙沼町無事)●同歌津村全村六百餘戸
悉皆流亡(匹溺死六百餘人(匹負傷二百五十餘人●
志津川町流失家屋七十餘戸(匹死亡七十四人●桃
生郡雄勝濱死亡三十一人(内宮城集治監出役所
詰看守八人(匹囚徒七人死亡(匹五人重傷(匹馬三頭死
亡)流失家屋四十餘戸(内集治監看守合宿所一
棟流失但監舎無事)●△△△△△△行方不明二
十七人●同大原村字谷川死亡三人(匹同字女川一
人
此他本吉郡唐桑村(匹戸倉村及小泉村の内大島(匹牡
鹿郡大原村の内尾浦(匹海中の孤島たる江の島(匹出
島等も非常なる慘害を蒙りたる由なれど未だ其詳
報に接せず●小泉宮城集治監典獄ハ書記看守等六
名を第二憲兵隊分隊長岩井大尉ハ數名の憲兵を小
林土木監督署長ハ技手を率いて共に被害地へ出張
し目下管内巡回中なる乃木師団長も女川灣視察
の爲め途中より出張したり●一昨夜來怪音及び微
震屡次あり殊に本日午後一時の震動ハ稍ゝ烈しか
りき●今回の大海嘯ハ慶長年中仙臺領内一万二千
人の死亡ありたる大海嘯以來の慘害なりと云へり
雜報・八戸特報(十六日發)
昨十五日夕刻微震二回あり既にして午後九時頃大
砲に類似せる異常の音響二回八戸町に聞え後三十
分許にて海岸一面津浪の來襲し來れるを知る偖被
害の模樣を報せんに湊町ハ被害少く唯湊川河口よ
り浸入したる海水逆流して沿岸の家屋床下まで浸
水し漁具其他家屋等に綱を附して流失を防ぎたり
併し海水逆流の勢ひ烈しくして百石積の帆前船一
艘ハ河の右岸陸上に打上られ三十石位の帆前船ハ
河中に於て顛覆したり被害の最も甚しきハ濱下
及び白銀村とす漁家悉皆波に打れ建具漁具ハ或ハ
破壞せられ或ハ流失し老幼相争ふて背後の丘陵に
身を以て免る慘害の激烈なるハ漁船の散亂したる
に依て知らる此漁船ハ平常海岸の沙地に備附ある
ものなるが津波の勢力を以て海岸より一二町を距
てたる道路に移轉せられ大小百餘艘の漁船散亂し
て通行の妨害をなし漁船の舳家屋の羽目板を破つ
て突入したる工合等恐怖するに堪へたり又本年ハ
去月三十日より引き續き鰯の大漁にて其収獲青餘
程の巨額に上り從って製造中或ハ干し上り荷造等
なしたる〆粕ハ皆此等の漁塲に貯藏しありしに或
ハ流失し或ハ浸水し其損害青甚し且つ此慘事の
爲め漁船漁網等流失破壞せられ向後鰯群集し來る
も之を漁獲して今回の損害を償ふ能はず地方の爲
一大天災と謂ふべし其他白銀村の清水尋常小學校
ハ二階造の建物なるが津波の爲道路に押し出され
階下ハ破壞して流失し唯二階のみ道路に横臥しあ
り死傷ハ審ならざれども十人内外の死傷ありと
云ふ北方海岸南方海岸の被害猶一層激烈なりし趣
にて百餘戸の一漁村二十餘戸を殘して悉皆流失し
たる所あり又一村にて三十人以上の溺死者ありし
所ありと云ふ未だ詳細の報知を聞かざる故不分明
なれども聞く程慘状を極む
雜報・釜石海嘯慘状
田中長兵衛氏の釜石鑛山所長
横山久太郎氏ハ同地變災後十六日の夜頗る詳密な
る書信を認め東京の本店に宛てヽ差出し此紙面ハ
昨日午後に至りて同店に達したり書面の大略ハ釜
石に於ける同店に關する被害の模樣にして此書面
並に同地より急行昨日午後東京に着したる人の云
ふ所によれバ變災当日午後八時頃地震四五度あり
晝頃よりハ降雨もありしが此地震後異常の音響あ
り何事ならんと★取りどりなりしが此時海嘯のあ
りたる事を傳へ來りたるものありしが忽ちにして
救助を乞ふて叫ぶ聲凄じく聞えしを以て海岸に出
て見れバ果して目も當てられぬ慘状なりしと云へ
り即ち此海岸より十八町を隔てたる田中氏の事務
所までハ海嘯至らずして所長横山氏の如きハ四五
の人々と共に夜話を爲し居りしと詳細の事ハ更に
記すべきも其海嘯の跡を見れバ海魚の陸上に殘れ
るもの多く船の荷物を積みたる侭押上げられて陸
上に殘されたるものあり一時ハ悲泣の聲甚だしか
りしも暫くありてハ泣く聲さへも聞えず幸にし
て生命の助かりたるものハ食料の乏しき爲め今ハ
是も一命危き有樣なれバ一昨十八日より米噌を運
び居れりと
雜報・九死に一生を得
釜石立標修繕の爲め逓信省
より派遣せられたる航路標識技手二名及工夫等の
一行ハ釜石町の旅舎に投宿中海嘯に襲はれ孰れも
屋上に逃れ出でしも家屋ハ人を載せて看すみす押
し流されたりスワヤ家と共に海底に捲き込まるヽ
ならんと生きたる心ハ無かりしが幸運なる哉一同
不思議にも大難を免かれ一先歸京する事なりし
と尤も修繕に要する物品器具等ハ悉皆流亡したり
雜報・嘯害統計
昨日迄に分りたる所にて概略の統
計を作れバ左の如し
死亡
負傷
流家潰家
巌手
一四(匹〇〇〇餘
未詳
四(匹〇〇〇餘
宮城
三(匹一〇三
五五五
九七三
青森
三〇〇餘
未詳
未詳
計
一七(匹四〇三餘
未詳
未詳
雜報・縣治局長の出張
内務省にてハ一昨日久米參
事官を宮城巌手青森三縣下へ派遣せしが三崎縣治
局長も亦昨日巌手縣下へ出張を命ぜられ今朝上
野發一番汽車にて屬官三名を随へて出發す
雜報・内務書記官の出張
内務書記官大田峯三郎
氏ハ青森縣へ出張せり
雜報・逓信省官吏派出
海嘯の爲め電信輻湊甚だし
きに付逓信省にてハ更に二名の技術官を仙臺に向
はしめ既に一昨十八日出發し猶同省にてハ通信事
務の敏捷を圖る爲め青森へも同樣派遣する事とな
り是亦昨夜出發せり
雜報・近衛の被害地入営者處分
近衛第一第二聯隊
にてハ海嘯被害地より入營せる下士官以下に対し
二週間の休暇を譽へて随意帰國せしめ親戚故旧の
訪問を許し猶義捐金を募りて被害地出身の下士官
以下に贈譽するに決したりと