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震災避難心得 今村明恒

目次

一 はし書…………………………………………三二七
二 地震と震災……………………………………三三〇
三 地震時に於ける避難の心得…………………三三五
 (一)突嗟嘘の處置……………………………三三五
 (二)屋外への脱出……………………………三三八
 (三)階下の危瞼………………………………三四一
 (四)屋内にての避難…………………………三四三
 (五)屋外にての避難…………………………三四四
 (六)津浪と山津浪との注意…………………三四五
四 震災防止の心得………………………………三四九
 (一)震災防止の第一着手……………………三五〇
 (二)潰家からの發火…………………………三五三
 (三)火災防止…………………………………三五四
五 地震後の心得…………………………………三五六
 (一)餘震に對する處置………………………三五七
 (二)家屋の應急修理…………………………三五八
六 地震前の用意…………………………………三五九
  附録 日本大地震表…………………………三六二

一 はし書

 東京は銀座に近き數寄屋橋のほとりに震災記念碑が立つて居る、これは大正十二年の大震災を忘れない爲に、又此のような大地震が再び襲つて來ても災害は輕くて濟むやうに,世人に其の用意を促さんが爲に建てられたものである。其の臺石には次のような文句が刻んである。
 不意の地震に、ふだんの用意
實際地震は大風や津浪や、其他傳染病などと違つて、またゝくひまに家は潰れ、橋は落ち、火の手があがるのだから、來たらば其の時のことゝいふようなのんきさでは間に合はぬ。必ずや平日に其の用意をして置くべきである。
 然らば其の平常の用意とは、
 これは其の目的の如何により概ね二種に分類することが出來る。即ち
 其一 自己を保護する爲、即ち避難についての用意
 其二 廣く公衆の生命財産を保護する爲、即ち一般の災害防止についての用意
である、これは大地震に出會つたときの用意であるが、此の外に、地震の起る以前から用意して置くべきこともあり、又地震の騒ぎが一通り濟んだ後に注意しなければならぬこともある。
 凡て災害をひき起す原因となるもので一つとして喜ばれるものはない。暴風・雷などもさうであるが、特に地震は、我が國では地震・雷・火事・親父と稱へて、昔から怖いものゝ筆頭に置かれてある。これは無理もないこと、夫の大正十二年の關東大地震に僅か一畫夜半の間に五十五億圓の財産と十萬の貴い人命が失はれた位だもの。
 されば一度きつい地震の見舞を受けるや、女子供は固より、平常強い強いと威張つて居る人までも、吾れ先にと家を飛出して災難を免れようとする。斯くすることは必ずしも臆病だとして笑つたり、非難したりすべき筋合のものではない。凡て動物は、上は萬物の靈長たる人間から、下は禽獣鳥魚に至るまで、自分の身に危險が迫るや否や、無意識に之を避ける動作をする。吾々が眼前に何か物のひらめきを感ずるとき直ちに目ばたきするのもそれである。是れ即ち動物の本能である。此の本能の爲には、賢い人でも、地震に襲はれたとき、あたりかまはず眞先に逃出した例すらある。
 安政二年十月二日江戸欝大地震は三萬の家を潰し又は燒き七千人の死者を生じたが、遭難者の中にはお國の爲になる方も少くなかつた。藤田東湖先生の如きは其の第一人者であらう。此のとき先生は小石川の水戸屋敷に住まつて居られたが、それ地震といふと、もう庭に飛出して居られた。併し悲しいことには老母がよろぼひながら家に取り殘されて居た。それを見るや否や、先生は助けに戻られたが最早遲かつた。此のとき襲ひ來る搖り戻し、即ち今日吾々が謂ふ所の主要動の爲に家は崩れたのである。力及ばずと見て先生は老母を屋外にほうり出されたが、自分は其の反動でよろける間に、軒先きで潰されたのであつた。
 動物本能で逸早く避難するのも良いには良いが、しかしながら時と場處によつては其の爲に却て害を招ぐことがないでもない。昭和二年三月七日丹後大地震のとき、震原に近い峰山町では、搖り戻しの來方が餘りに急なりし爲、店先きに居合せた人達が軒先きで押潰され、室内に居た人が却て難を免れたといふ例もある。又木造二階建の階上に居た人は、自分が比較的に安全な位置にありながら、避難の目的の爲に却て危險な階下に下りて來て、其處で遭難したといふのは、其の例が餘りに多い。曾つて明治四十二年姉川地震のとき、二階で仕事をして居た大工さんが二階から飛び下りて、丁度下にあつた自分の道具箱に飛び込み、大怪我をしたこともあつた。又大正十二年關東大地震の直後、湘南の或る小學校では相模灣沖の砲聲を地震の襲來と誤り、児童が二階から飛び下りて多數の死傷者を出したこともあつた。
 かように地震の襲來に方つてあわたゞしく本能的な避難を試みるのは往々にして悲慘な結果に陥ることもある。それかと言つて、地震が襲つて來るのは極めてだしぬけであるから、其の時になつてからの工夫では間に合はぬ。かような次第であるから平常の用意が必要となるわけである。即ち如何なる場處に於ても、又如何なる時に於ても、必ずや其の場處、其の時に應ずる最も危險の少い避難の方法がある筈であるから、豫ねて斯樣な方法を講究し置き、いざといふとき直ちに其れが實行し得られるよう用意し置くのである。
 地震時の避難についての用意は一身の安全の爲には固より大切なことには相違ないが、國家社會の一員としては其又地震の騒ぎが一通り濟んだ後に注意しなければならぬこともある。
 凡て災害をひき起す原因となるもので一つとして喜ばれるものはない。暴風・雷などもさうであるが、特に地震は、我が國では地震・雷・火事・親父と稱へて、昔から怖いものゝ筆頭に置かれてある。これは無理もないこと、夫の大正十二年の關東大地震に僅か一畫夜半の間に五十五億圓の財産と十萬の貴い人命が失はれた位だもの。
 されば一度きつい地震の見舞を受けるや、女子供は固より、平常強い強いと威張つて居る人までも、吾れ先にと家を飛出して災難を免れようとする。斯くすることは必ずしも臆病だとして笑つたり、非難したりすべき筋合のものではない。凡て動物は、上は萬物の靈長たる人間から、下は禽獣鳥魚に至るまで、自分の身に危險が迫るや否や、無意識に之を避ける動作をする。吾々が眼前に何か物のひらめきを感ずるとき直ちに目ばたきするのもそれである。是れ即ち動物の本能である。此の本能の爲には、賢い人でも、地震に襲はれたとき、あたりかまはず眞先に逃出した例すらある。
 安政二年十月二日江戸欝大地震は三萬の家を潰し又は燒き七千人の死者を生じたが、遭難者の中にはお國の爲になる方も少くなかつた。藤田東湖先生の如きは其の第一人者であらう。此のとき先生は小石川の水戸屋敷に住まつて居られたが、それ地震といふと、もう庭に飛出して居られた。併し悲しいことには老母がよろぼひながら家に取り殘されて居た。それを見るや否や、先生は助けに戻られたが最早遲かつた。此のとき襲ひ來る搖り戻し、即ち今日吾々が謂ふ所の主要動の爲に家は崩れたのである。力及ばずと見て先生は老母を屋外にほうり出されたが、自分は其の反動でよろける間に、軒先きで潰されたのであつた。
 動物本能で逸早く避難するのも良いには良いが、しかしながら時と場處によつては其の爲に却て害を招ぐことがないでもない。昭和二年三月七日丹後大地震のとき、震原に近い峰山町では、搖り戻しの來方が餘りに急なりし爲、店先きに居合せた人達が軒先きで押潰され、室内に居た人が却て難を免れたといふ例もある。又木造二階建の階上に居た人は、自分が比較的に安全な位置にありながら、避難の目的の爲に却て危險な階下に下りて來て、其處で遭難したといふのは、其の例が餘りに多い。曾つて明治四十二年姉川地震のとき、二階で仕事をして居た大工さんが二階から飛び下りて、丁度下にあつた自分の道具箱に飛び込み、大怪我をしたこともあつた。又大正十二年關東大地震の直後、湘南の或る小學校では相模灣沖の砲聲を地震の襲來と誤り、児童が二階から飛び下りて多數の死傷者を出したこともあつた。
 かように地震の襲來に方つてあわたゞしく本能的な避難を試みるのは往々にして悲慘な結果に陥ることもある。それかと言つて、地震が襲つて來るのは極めてだしぬけであるから、其の時になつてからの工夫では間に合はぬ。かような次第であるから平常の用意が必要となるわけである。即ち如何なる場處に於ても、又如何なる時に於ても、必ずや其の場處、其の時に應ずる最も危險の少い避難の方法がある筈であるから、豫ねて斯樣な方法を講究し置き、いざといふとき直ちに其れが實行し得られるよう用意し置くのである。
 地震時の避難についての用意は一身の安全の爲には固より大切なことには相違ないが、國家社會の一員としては其の團體の安全の爲今一つ大切な用意の必要なことを忘れてはならぬ。
 抑、地震が怖いものゝ第一に置かれてあるのは地震其のものが恐ろしいだけでなく、それに續いてもつともつと恐るべき大火災が起り易いからである。これが爲、死人の數も財産の損失も、地震の直接の結果に比べて幾倍にもなり、場合によつては幾十倍にもなることがある。例へば大正十二年關東大地震に於て地震の直接の結果では東京だけでの死者凡そ二千人、財産の損失二億圓程度であつたのが、續いて百五十餘箇所から起つた火災の爲に、死者は六萬人、財産の損失は三十五億圓といふ莫大な數字に上つたのである。
 斯樣な一般的な災害を未然に防ぎ止めることは決して容易な業ではないが、しかしながら必ずしも不可能ではない。これが爲、前に陳べた通り、一般の災害防止に就ての用意が必要となるわけである。
 一身上の安全を計ること固より善い事であるが、しかしながら國家社會の安全を計ることはもつと善いさうして貴い事である、場合によつては一身を犠牲に供しても斯くせねばならぬことがある。一旦緩急あれば義勇公に奉じとはかような場合にも實行すべきであらう。

二 地震と震災

地震は風・雨・雷などのように、天然に起ることがら、即ち自然現象であつて、人の知識や力では之をおさへ付けることは殆ど不可能である。しかしながら、震災即ち地震の災害は激しい地震の結果として吾々人類が被むる生命財産の損失であつて、これは人知人力の用ひ方に依つては全く防ぎ止められるか、少くとも或る程度までは輕くなし得べきものである。
 若し地震が天氣のように前以てわかるようになつたなら申しぶんはないが、しかしながらそれは今日猶ほ望めないことである。但し地震の豫知は出來なくても震災を防ぎ止め又は之を輕くするには別に其の方法がある。
 それは如何ように強い地震にも壞されないように家を建て、橋を架けて置くことが第一であるが、たとひ其の通りに耐震構造が普及しなくとも、若し避難についての用意、震災防止についての注意が行届いたならば、其の目的が達せられるであらう。
 此の爲には先づ地震の知識を有つことが必要である。以下其のざつとした解説を試みることにする。
 昔の人は地震することを、なゐ搖るといひ、地の下の大鯰が身動きする爲に起るのだといつてゐた。これは決して笑ひごとではない。其の大鯰とは魚ではなく、地面の大きな切れ切れをさういつたのである。
 諸子は電車道が一尺角程の石で敷詰めてあるのを承知して居られるだらうが、吾々の住んでゐる土地は五里角程度の石で敷詰められて居る。但し此の敷石は電車道のものと違つて大小色々あり、又眞四角でもなく、極めて不規則な形をして居る。之を吾々の仲間では地塊と名づけ、地震は其の身動きに依つて起るものと考へてゐる。此の身動きに依つて隣の地塊との境目に喰違ひが出來るわけだが、斷層とは此の喰違のことである。斯樣喰違ひは地震の度毎に急に出來るばかりでなく、地震の起る前からも徐々に少しづゝ進行するものゝようである。これは今日、地震豫知法の研究上、大切な手懸りとなつてゐる事柄である。
 こゝで諸子は其の地塊の身動きは如何にして起るかと質問して見たいであらう。
 地の底は深くなるにつれ段々熱くなる。是れ即ち地熱であるが、此の地熱は同じ場處でも、永い永い間には次第に變つて來るから、其の働きが地塊を身動きさせる主な原因の一つとなるのである。但し此の外、火山の爆發など地震の原因となるべきものゝあることを附加へて置く。
 昔の人はなゐが搖ると、すぐ後から恐ろしい搖り戻しが來るから用心せよと言つたものである。其の搖り戻しを今の人は餘震の事だと誤り、何時までも何時までも餘震に怯えてゐる。普通の地震では最初にぶるぶると幾秒間の小さな前搖れがあつて、其後に、初めてぐらぐらといふ大搖れ、最初の十倍位の大きさの本搖れになるのである。前搖れも本搖れも、搖出しの元たる震原から同時に出發し、同じ道を通つて來るのだけれども、前搖れは足並み速く、本搖れはそれが遲い爲、かように時間の差が生ずるのである。搖り戻しとは此の本搖れを指すのであつて、大地震のときには此の爲に家が潰れ橋が落ちることもあるのだから、昔の人が之を恐れたのも尤もなことである。餘震はどんなに強くとも、最初の大地震の十分の一以下のものとされて居るから、之を搖り戻しと誤り縮み上るやうなことをしては、却て昔の人に笑はれるであらう。
 地塊が身動きすると、其の動き方が隣りから隣りへ傳はつて上下四方に擴がつて行く、それは恰も池の水に波が擴がるのや、空氣中に音の波が擴がるのと同樣である。但し地震波の傳はる岩石は固くても幾分ゴムの樣な性質を有ち、力の加へ樣に隨つて伸び又は縮み、或は曲りもし、捩れもするから、第一に音の波の樣な伸縮の波即ち縱波と、第二に鐵棒の横振れに似た横波とが出來る。此の中縱波は小さいけれども速いから第一着の小さな前搖れ即ち初期微動となり、横波は大きいけれども遲いから第二着の大きな本搖れ即ち主要動となるのである。
 此の第一着と第二着との時間の差は震原からの距離に比例して長くなるから、反對に此の時間差によつて震原までの距離を計算することも出來る。此の事は雷のはためくとき、電光を見てから雷鳴を聞くまでの時間を計つて距離の計算が出來ると同樣に、器械なしに、震原の位置、少くも其の距離を計るに役立つので、可なり面白味のあることである。
 地塊は其の質が一樣で無いから、其處を傳はる地震波の速さも一定ではないが、併し概して初動の縱波は凡そ毎秒五・○粁、横波は凡そ毎秒三・二粁である。されば震原距離三十二粁なるときは時間差三・六秒となり、反對に時間差九秒なるときは震原距離八十粁となるのである。
 (上記の數字は東京邊では時間差十秒につき震原距離凡そ八十粁に當る。
 解説は略するが、若し程能き位置にある三點で上記のような震原距離が計算されたならば、それに依つて震原の位置を求めることが出來る。)
 地塊は、前に述べた通り、地球の表面に一面に敷詰めてはあるが、其の中の或る限られたものだけが急な身動きをして地震を起すのである。其故に地震鯰たる地塊は處々に生きてゐるのだと言つても良いであらう。
 實際、大地震は地球上到る處から起るわけではなく、或る限られた細長い地帶の上から起るのである。其の中、太平洋の周圍の地帶、アルプス・カウカサス・ヒマラヤ諸山脈の南側を走る地帶などが最も著名である。斯樣な地帶を地震帶と名づける。
 日本の太平洋沿岸或は其の一二百粁の沖合には上記の太平洋周圍の地震帶がある爲、其處から時々大規模の地震と共に、津浪を起すことがある。又狭い區域の大地震は日本海の沿岸地帶からも起る。
 其の外、信濃川地震帶、關東地震帶などが彼方此方に横たはつて居り、又其の地震帶上の彼方此方に活動性を有つ地塊が潜んで居るのだから、日本内地に於て大地震に縁のない國は皆無だといつて良いであらう。
 吾が國は上には金甌無缺の皇室を戴き、氣候温和、土地豊饒、誠に申しぶんなきお國柄ではあるが、唯一つ玉に疵とは地震といふ好ましからぬ客來が頻々にあることである。而も此の客來が世界の文化國中で最も多いことである。
 地震は人知人力では之を押へ付けることは出來ぬ。されば地震が多いからとて悔むにも及ばず、恥ぢるにも當らない。しかしながら平日に於て之に對する用意を怠るに於ては災害立ちどころに至るのであつて、是れこそ眞に國家の大損失、文化國民としての最大恥辱でなければならぬ。
 大地震が何時如何なる場處に起つても、震災は無いようにしたい。是れ吾々の切なる希望である。

三 地震時に於ける避難の心得

 地震に出會つた際、而もそれが大地震であつた場合、如何にして危險が避けられるか、次の項目
 (一)突嗟の處置
 (二)屋外への脱出
 (三)階下の危險
 (四)屋内にての避難
 (五)屋外にての避難
 (六)津浪と雌津浪との注意
に就て之れが解説を試みる。

(一)突嗟の處置

 最初の一瞬間に於て非常の地震なるか否かを判斷し機宜に適した案を立てること。これには多少の地震知識が入用である。若し最初から器物を倒し壁を裂く程ならば大地震であらう
 し、初動緩ならば震原距離稍遠く、主要動となるまでに若干の餘裕があるも、急ならば距離が近い。
 主要動は概して初動の凡そ十倍程である。
 地震に出會つた一瞬間、心の落着を失つて狼狽もすれば、徒らに逃げ惑ふばかりのもある。平日の用意の足りない人にこれが多い。
 右に記した要項は最初の一瞬間に於て、それが非常の地震なるか否かを判斷せよといふのである。若し大した地震でないとの見込がついたならば、心も自然に安らかな筈であるから、過失の起りようもない。且つ危瞼性を帶びた大地震に出會ふといふのは、人の一生の間に、多くて一二囘しかない筈であるから、吾々が出會ふ地震の殆ど全部は大したものでないといへる。但し其の一生の間に一二囘しか出會はない筈のものに偶々出會つた場合が最も大切だから、さういふ性質の地震であるか否かを最初の一瞬間に判斷することは、地震に出會つたときの心得として最も大切な事件である。
 震原即ち動き初めの點は地表下四五十粁の場合が最も多い。地球の大きさから見れば可なりに淺いが、人間の寸法から見れば頗る深いといはなければならぬ。若し震原が直下でなかつたならば、水平の方向にも距離が加はつて來るから、實際の距離は益々遠くなるわけである。随つて初動と主要動との時間差は少くも五秒か六秒はあるものと假定して良いであらう。しかし主要動が來てから案を立てるのでは間に合はぬから、最初の一二秒間に見極めをつけることが必要である。
 吾々は地震を感じた場合、其の振動の緩急に依つて震原距離の遠近を判斷することが出來る。即ち振動緩ならば震原が遠いことを意味し、隨つて主要動の到着にまで幾らかの餘裕があらうが、振動急ならば震原は吾々に近く、随つて主要動も間近く迫つてゐることを意味する。
 時々、地震と同時に、或は之を感ずる前に、遠方の雷鳴・砲聲或は風聲の如き地鳴を聞くこともある。これは地震が吾々に最も近く起つた場合である。
 次に最初の一二秒間の感覚によつて地震の大小強弱を判斷することである。諺に大風は中頃に弱くて初めと終りとに強く、大雪は初めから中頃まで弱くて終りに強く、大地震は初めと終りとが弱くて中頃が強いといふことがある。これは面白い比較觀察だと思ふ。大雪と大風とは兎に角、大地震についていはれた右の諺は一般の地震にも通ずるものである。最初の弱い部分は地震の伸縮の波、即ち縱波であつて之を初期微動と名づけるし、中頃の強い部分は横波であつて之を主要動或は主要部と名づけること前にも述べた通りであるが、終りの弱い部分は之を終期部と呼ぶことにしてゐる。終期部は地震動の餘波であつて餘り大切なものではないが、しかし初期微動と主要動とは極めて大切なものである。
 初期微動と主要動との大きさの割合は地震の性質により、又地震波の進行して來た方向其の他の關係によつて一樣ではないが、多數の場合を平均していふならば主要動は初期微動に比較して凡そ十倍の大きさを有つてゐる。これが最初の部分に微の字を加へて初期微動と呼ぶ所以であつて、破壞作用を有たない地震に於ては實に文字通り微動であるけれども、破壞作用を有つ大地震では決して微動ではなく、木造家屋や土藏の土壁を落し、器物を棚の上から轉落せしめる位の能力を有つて居る。されば地震に出會ひ、若し最初の一二秒間若しくは二三秒間内に此の程度の強さが示されたならば、これは非常の地震であると判斷して誤はないであらう。
 幸に最初の一瞬間に於て、非常の地震なるか否かの判斷がついたならば、其の判斷の結果によつて臨機の處置をなすべきである。若しそれが非常の地震だと判斷されたならば、自分の居所の如何に從つて處置方法が一々變らなければなるまい。それに就いては以下の各項に於て細説することにする。しかしながら、若しそれがありふれた小地震だと判斷されたならば、泰然自若として居るのも一法であらうが、それは餘りに消極的な動作であつて、地震國の小國民に向つて希望する所ではない。余は寧ろ諸子がかような機會を利用して、地震に對する實驗的の知識を得、修養を積まれるよう希望するものである。

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第一圖

(二)屋外への脱出

 非常の地震たるを覺るものは自ら屋外へ逃れんと力めるであらう、數秒間に廣場へ出られる見込があれば機敏に飛出すが良い。但し火の元用心を忘れないこと。
 地震に出會つてそれが非常の地震であることを意識したものは、餘程修養を積んだ人でない限り、たとひ耐震家屋内に居ても、又屋外避難の不利益な場合でも、屋外へ逃出さんと力めるであらう。此の屋外へ避難することの不利益な場合は後に説明することゝし、若し平家建の家屋内或は二階建・三階建等の階下に居合せた場合には屋外へ飛び出す方が最も安全なことがある。しかしながら、いづれの場合でもさうとは限らぬ。先づ屋外が狭くて、若し家屋が倒潰したならば却て其の爲に壓伏されるような危險はなきか否か、これが第一に考慮すべき點である。
 平家建の小屋組(即ち桁や梁と屋根との部分)は普通に出來て居れば容易に崩れることはない。随つてたとひ家屋が倒伏することがあつても、小屋組だけは元のまゝの形をして地上に直接に屋根を現すことは、大地震の場合普通に見る現象である。かような場合、下敷になつたものも、梁又は桁のような大きい横木で打たれない限り大抵安全である。
 一方屋外に逃出さんとする場合に於ては、まだ出きらない内に家屋倒潰し、而も入口の大きい横木や軒に壓伏される危險が伴ふことがある。前に述べた通り、初動と主要動との時間差は概して七八秒以上であるけれども、昭和二年丹後地震のとき峰山町では五秒未滿であつたらしい。かような場合、家の倒伏前に屋外の安全な場所まで逃げ出すことは中々容易な業ではない。實際前記の大地震に於ては機敏な動作をなして却て軒先で壓死したものが多く、逃げ後れながら小屋組の下に安全に敷かれたものは屋根を破つて助かつたといふ。かような場合を顧みるとき、屋外へ逃げ出して可なる場合は、僅に二三秒で、長くも四五秒以内で、軒下を離れ得られる位置にあるときに限るようである。
若し偶然かような位置に居合せたならば、機敏に飛出すが最上策たること勿論である。
 右のような條件が完全に備はつてゐなくとも大抵の人は屋外に飛出さんとあせるに違ひない。これは前に述べた通り動物の本能によるのであつて、吾々の尊敬する偉人でも斯くされた例すらある位だから、二階建・三階建等の階下や平家建の屋内に居た人が逃げ出すのは尤もな動作と見なければならね。前記丹後地震の如きは寧ろ例外であつて、若し五六秒間に廣場へ出られる見込みがあつたら、斯くすることが一般的に賢明な處置だといつて良いであらう。
 此項を終るに臨み、今一つ加へて置きたいのは火の用心に關する問題である。凡て地震に伴ふ火災は地震直後に起るのが通常であるけれども、地震後一二時間たつてから起ることもある。避難の際、僅に一擧手一投足の勞によつて火が消されるようならば、さういふ處置は望ましいことであるが、若し其の餘裕なくして飛出したならば、後になつてからでも火を消すことに注意すべきであつて、特に今まで居た家が潰れた場合にさうである。これ余が此の項の摘要に「但し火の元用心を忘れないこと」と附け加へた所以である。

(三)階下の危險

 二階建・三階建等の木造家屋では階上の方却て危險が少い。高層建物の上層に居合せた場合には屋外への避難を一時斷念しなければなるまい。
 吾が國に於ける三階は勿論、二階建も大抵各階の柱が床の部分に於て繼がれてある。即ち通し柱を用ひないで大神樂造りにしてある。かういふ構造に於ては大きい地震動によつて眞先に傷むのは最下層である。更に震動が激しいと階下の部分が潰れ、上層の多くは直立の儘に取殘される。即ち二階建は平家造りのように、三階建は二階建のようなものになる。隨つて大地震の場合に於て、二階建或は三階建の最下層が最も危險であることはことわるまでもないであらう。それ故に二階或は三階に居合せた人が、階下を通ることの危險を侵してまで屋外に逃げ出さうとする不見識な行動は排斥すべきである。寧ろ更に上層に上るか、或は屋上の物干場に避難することを勸めたいのであるが、實際かういふ賢明な處置を取られた例は屡々耳にするところである。(大風に由つては家屋の上層の方が却て危險である。)
 近頃吾が國にはアメリカ風の高層建築物が段々增加しつゝある。地震に對して其の安全を危ぶむ識者もあるが、これは其の局に當るものゝ注意すべきことであつて、吾が小國民の關與すべき事でもあるまい。然しながら其のような高い殿堂に近寄ることや、堂上に昇ることは年齡に無關係なことであるから、吾が讀者も偶々かような場所に居合せたとき大地震に出會ふ事がないとも限らぬ。かういふ種類の建物は設計施工によつて地震に傷められる模様が變るけれども、多くの場合、地上階は比較的に堅牢に出來てゐる爲、被害が少い。この點は木造の場合に比較して反對な結果を示すのである。若し階數が七つ八つ、高さ百尺のものならば、二階三階或は四階邊に傷みが最も著しいようである。大正十一年四月二十六日の浦賀海峡地震に傷められた丸の内ビルヂング、大正十二年關東大地震に由つて腰を折られた東京會館などが其の適例であらう。今かような高層建物の上層に居合せた場合、若し地震に出會つて屋外に避難せんと試みたなら、それは恐らくは地震がすんでしまつた頃に到達される位のことであらう。それ故にかような場合に於ては、屋外へ出ることを斷念し、屋内に於て比較的安全な場所を求めることが寧ろ得策であらう。

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第二圖 二階は平家に(大正十二年關東大地震東京赤坂見附外)
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第三圖 三階建は二階になり二階建は平家に(大正十四年但馬地震城崎町)

(四)屋内にての避難

 屋内の一時避難所としては堅牢な家具の傍が良い。敎場にては机の下が最も安全である。木造家屋内にては桁・梁の下を避けること、又洋風建物内にては張壁・煖爐用煉瓦煙突等の落ちて來さうな處を避け、止むを得ざれば出入口の枠構の直下に身を寄せること。
 大地震に出會つて屋外への避難が間に合はない場合は、家の潰れること、壁の墜落、煙突の崩壊などを覺悟し、又木造家屋ならば下敷になつた場合を考慮して、崩壞物又は墜落物の打撃から免れ得るような場所に一時避難するがよい。普通の住宅ならば椅子、衣類で充滿した箪笥、火鉢、碁盤、將棊盤など、總て堅牢な家具ならば身を寄せるに適してゐる。これ等の適例は大地震の度毎にいくらも見出される。
 敎場内に於ては机の下が最も安全なこと説明を要しないであらう。下敷になつた場合に於て致命傷を與へるものは梁と桁とである。それさへ避けることが出來たなら大抵安全だといつて良い。さうして學校の敎場内に並列した多數の机や或は銃器臺などは其の連合の力を以て、此の桁や梁、又は小屋組全部を支へることは容易である。
 木造家屋に對しては處置が比較的に容易であるが、重い洋風建築物に對してはさう簡單には行かぬ。第一墜落物でも張壁・煖爐煙突などいづれも重量の大なるものであるから、机や椅子で支へることが稍困難である。しかし室は比較的に廣く作られるのが通常であるから、右のようなものゝ落ちて來さうな場所から遠ざかることも出來るであらう。室が廣ければ其の中央、若くは煙突の立てる反對の側など、稍それに近い條件を備へて居る。若し室内にかような場所もなく、又は偶々廊下に居合せて、兩側の張壁からの墜落物に挾み撃ちされさうな場合に於ては、室の出入口の枠構が、夕立雨に出會つたときの樹陰位の役は勤めて呉れるであらう。

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第五圖 屋根を支へる家具(大正三年強首地震)
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第六圖 屋根を支へる机(明治四十二年姉川地震田根小學校)

(五)屋外にての避難

  屋外に於ては屋根瓦・壁の墜落或は石垣・煉瓦塀・煙突等の倒潰し來る虞ある區域から遠ざかること。特に石燈籠に近寄らざること。
 地震の初から屋外にゐたものも、周圍の状況によつては必ずしも安全だとはいへない。又容易に屋内から逃げ出すことが出來ても、立退き先の方が却て屋内よりも危險であるかも知れない。石垣・煉瓦塀・煙突などの倒潰物は致命傷を與へることもあるからである。又家屋に接近してゐては屋根瓦・壁の崩壞物に打たれることもあるからである。
 石燈籠は餘り強大ならざる地震の場合にも倒れ易く、さうして近くに居たものを壓死せしめがちである。特に児童が顛倒した石燈籠の爲に生命を失つた例は頗る多い。これは児童の心理作用にも基づくものゝようであるから、特に父兄・敎師の注意を要する。元來、神社・寺院には石燈籠が多く、兼ねて児童も多く集まつて來る。そこで偶々地震でも起ると、児童は逃げ惑ひ、そこらにある立木或は石燈籠にしがみつく。これは恐らくはかういふ場合、保護者の膝にしがみつく習慣が然らしめるのであらう。それ故餘り大きくない地震、例へば漸く器物を顛倒し土壁を損じ粗造な煉瓦煙突を損傷するに止まる程度のものに於ても、石燈籠の顛倒によつて児童の壓死者を出すことが珍しくない。此の事は敎師父兄の注意を促すと共に、吾が小國民に向つても直接に戒めて置きたいことである。

(六)津浪と山津浪との注意

 海岸に於ては津浪襲來の常習地を警戒し、山間に於ては崖崩れ・山津浪に關する注意を怠らざ
ること。
 吾が國の大地震は激震區域の廣いと挾いとによつて之を非局部性のものと、局部性のものとに區別することが出來る。非局部性の大地震は多く太平洋側の海底に起り、地震の規模廣大なると陸地が往々震原から遠い爲に、そこで感ずる地震動は大搖れではあるが、しかしながら緩慢である。さうしてそれと同時に津浪を伴ひ、此の方の損害が地震の直接のものよりも往々大きいことが其の特色である。これに反して局部性の大地震は規模狹小であるが、多く陸地に起る爲に震動の性質が急激である。近く其の例を取るならば、大正十二年の關東大地震は非局部性であつて、大正十四年の但馬地震、昭和二年の丹後地震、同五年の北伊豆地震は局部性であつた。
 非局部性の大地震を起すことのある海洋底に接した海岸方は、大搖れの地震に見舞はれた場合、津浪についての注意を要する。吾が國の太平洋沿岸は概してかような注意を要する地方であるが、しかしながら其の海岸線の全部が津浪の襲來に暴露されてゐるわけではない。それについては三陸地方沿岸の如く津浪襲來の常習地といふものがある、かような常習地は右に記したような地震に見舞はれた場合、特別な警戒を要するけれども、其の他の地方に於ては左程の注意を必要としない。此等については津浪の巻に詳説してあるから、そこを參照せられたい。
 地震の際、崖下の危險なことはいふまでもない。横須賀停車場の前に立つたものは、其處の崖下に石地藏の立てるを氣づくであらう。これは關東大地震のとき、其處に生埋にされた五十二名の不幸な人達の冥福を祈る爲に建てられたものである。かような危險は直接の崖下許りでなく、崩壞せる土砂が流れ下る地域全部がさうなのである。崩壞した土砂の分量が大きくて、例へば百米立方即ち百萬立方米の程度にもなれば、斜面を沿うて流れ下るありさまは、溪水が奔流するが如き勢を以て騨せ下るのである。土砂が乾いてゐようが、或はそれに水が含まれてゐようが、さういふことには全く無差別に、恰も陸上に於ける洪水の如き觀を呈するので、之を山津浪と呼ぶようになつたのである。
 關東大地震の場合に於ては各所に山津浪が起つたが、其の中、根府川の一村を浚つたものが最も有名であつた。此の山津浪の源は根府川の溪流を西に溯ること六粁、海面からの高さ凡そ五百米の所にあつたが、實際は數箇所からの崩壞物が合流したものらしく、其の分量は百五十米立方と推算せられた。それが勾配凡そ九分の一の斜面に沿ひ、五分時間位の間に六粁程の距離を馳せ下つたものらしい。さうして根府川の一村落は崖上の數戸を殘して、五百の村民と共に、其の下に埋沒されながら、海底にまで運び去られてしまつた。此のとき、根府川の鐵道驛も停車中の下り列車と共に同じ運命を辿つたのである。
 山津浪は昭和二年丹後地震のときにも見られた。それは主に海岸の砂丘に起つたものであつて、根府川の山津浪とは比較にならなかつたけれども、雪崩れ下つた距離が五六町に及び、山林・田園・道路に可なりな損害を與へた。此の地方の砂丘は地震ならずとも崩壞することがあるから、地震の際、特に注意すべきは當然であるけれども、平日に於ても氣をつけ、特に宅地の選定について考慮を加ふべきである。
 山津浪は昭和五年の北伊豆地震の場合にも數箇所に起つたが、其の中、梶山が崩れ出したものが最も有名であつた。其の流れ下つた距離は四百米に及び、途中に三棟の家と十五名の人とを埋め、餘勢は平地に擴がつて狩野川の流れを一時遮斷してしまつた。
 根府川の山津浪の爲に一旦は土砂を頭上にまで浴びながら奇蹟的に助かつた人もあつた。此の人は砂ほこりにむせびながら、木の枝・草の根・岩角にしがみつき、もがいて必死の努力を續けつゝ、遂に土砂の線の上に首を出し得たのだといふ。
 凡て山津浪に襲はれさうな場所は主に山間の谿谷であるから、斯樣な場所に住む人は、谷の側面に避難の途筋を平日に於て物色して置くべきであらう。

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第七圖 丹後國島津村の山津浪
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第八圖 梶山の山津浪

四 震災防止の心得

 地震に出會つた場合、一身上の安全を計ること固より善いには相違ないが、國家社會の安全を計ることは更に善い事であり、貴い行であるとの旨は前に述べた通りである。
 吾が國の震災は地震直後に起る火災の爲に人命財産兩つながら數倍にもなり、甚しきに至つては數十倍にも增大するのである。然るに國民各自の用意の如何によりては、此の地震直後の火災だけは之を防止すること困難でない。かような場合、義勇奉公の精神を以て事に當るは國民としての當然の義務であつて、一身の安危の如きは問題にならぬであらう。
 次に震災防止の心得として
 (一)震災防止の第一着手
 (二)潰家からの發火
 (三)火災防止
なる諸項につき、順次に之れが解説を試みることにする。

(一)震災防止の第一着手

 大地震に當り凡そ最初の一分間を凌ぎ得たなら最早危險を脱し得たものと看做し得られる。餘震恐れるに足らず、地割れに吸込まれることは吾が國にては絶對になし。老幼男女總て力のあらん限り災害防止に力むべきである。火災の防止を眞先にし、人命救助を其の次とすること。是れ即ち人命財産の損失を最小にする手段である。
 餘震は最初の大地震に比較して其の勢力十分の一以下のものであるから恐れるに足りない。唯恐るべきは最初の大地震の主要動である。但しそれとても其の最も激しき期間は局部性の地震では數秒、非局部性地震では數十秒に過ぎないのだから、どんな場合でも恐るべき地動は最初の一分間に於てしづまつてしまふのである。此の一分間といつたのは、最も長引く場合を顧慮してのことであつて、大抵の場合では二十秒間位で危險は過ぎ去るのである。
 右のような次第であるから、大地震に出會つたなら、最初の二三十秒間、稀有な場合で一分間位は、その位置環境によつては畏縮せざるを得ないであらう。勿論崩壞の虞れなき家屋の内にゐるとか、或は廣場など安全な場所に居合せたなら畏縮する程のこともないであらう。
 大震のときは大地が裂けてはつぼみ、開いては閉ぢるものだとは、昔から語り傳へられ、若し此の裂け目に挾まると、人畜牛馬、煎餅のように押し潰されるから、避難の場所としては竹藪を選ベとか、戸板を敷いて之を防げなどと戒められてゐる。これは吾が國にては如何なる寒村僻地にも普及してゐる注意事項であるが、海外の地震地方に於ても亦同樣のことをいひ傳へてゐる。然るに吾が國の地震史には右のような現象の起つたことの記録皆無な許りでなく、明治以後の大地震調査に於ても未だ曾つて氣つかれたことがない。尤も道路或は堤防が搖り下りに因つて地割れを起すこともあるが、それは單に開いたまゝであつて開閉を繰返すのではない。又構造物が地震動に因つて裂け目を生じ、それが振動繼續中開閉を繰返すこともあるが、問題は大地に關係したものであつて、構造物に起る現象を指すのではない。尤も卑濕な土地に細長い龜裂を生じ、其處から間歇的に土砂を噴出すことがないでもないが、それとても人畜を吸ひ込むなどとは凡そ縁の遠い性質のものである。兎に角、人畜が吸ひ込まれる程度に於て、大地が開閉するといふことは、吾が國に於ては決して起り得ない現象と見て良い。
 斯くて大地震に遭遇して最初の一分間を無事に凌ぎ得たとし、又餘震や地割れは恐れるに足りないとの悟りがついたならば、其の後に於ては災害防止の爲に全力を盡すことも出來るであらう。此の際或は倒潰家屋の下敷になつてゐるものもあらうし、或は火災を起しかけてゐる場所も多からうし、救難に出來るだけ多くの人手を要し、而もそれには一刻の躊躇を許されないものがある。是れ老幼男女を問はず、一齊に災害防止に努力しなければならない所以である。
 下敷になつた人を助け出すことは震災防止上最も大切なことである。何となれば震災を被る對象物中、人命ほど貴重なものはないからである。若しそこに火災を起す虞れが絶對になかつたならば、此の問題の解決に一點の疑問も起らないであらう。しかしながら、若しそこに火災を起す虞れがあり、又費際に小火を起してゐたならば,問題は全然違つて來る。
 大正十四年五月二十三日の但馬地震に於て、震原地に當る田結村に於ては、全村八十三戸中八十二戸潰れ、六十五名の村民が、潰家の下敷となつた。折惡しく此日は蠶児掃立の日に當り三十六戸は炭火を起してゐた爲、忽ち彼方此方から煙を上げ、遂に三戸だけは燃え上るに至つた。一方では下敷の下から助けを乞うてわめき、他方では消防の急を告げる叫び、これに和して絶え間なき餘震の鳴動と大地の動搖。若し此の時村人が狼狽したり、或は火がかりを後廻しにでもしたならば、全村烏有に歸し、下敷の人達も黒焦となつたであらう。しかしながら訓練の行届いた村人はさうしなかつた。老幼男女すべて口々に先づ火を消せと叫びつゝ火災防止に力め、時を移さず人命救助に從事したのであつた。幸に火も小火のまゝで消止め、下敷になつた人達の中、五十八名は無事に救はれた。唯遺憾であつたのは殘りの不幸な七名であるが、これも崩壞物の第一撃に由つて致命傷を被り、如何に早く救ひの手が伸びても助からない運命の人達であつた。
 昭和二年三月七日丹後大地震のときは、九歳になる茂籠傳一郎といふ山田小學校二年生は一家八人と共に下敷になり、家族は屋根を破つて逃げ出したに拘らず、傳一郎君は倒潰家屋内に踏み留まり、危險を冒して火を消し止めたといふ。又十一歳になる糸井重幸といふ島津小學校四年生は、祖母妹と共に下敷になりながら、二人には退き口をあてがつて、自分だけは取つて返し、二箇所の火元を雪を以て消しにかゝつたが、祖母は家よりも身體が大事だといつて重幸少年を制したけれども、少年はこれを聞かず、幾度も雪を運んで來て遂に消し止めたといふ。此の爲に兩少年は各自の家屋のみならず、重幸少年の如きは隣接した小學校と二十戸の民家までも救ひ得たのであつた。實にこれ等義勇の行動はそれが頑是なき少年によつてなされただけに殊更にたのもしく思はれるではないか。
 吾が國に於ける震災の統計によれば、餘り大きくない町村に於ては、潰家十一軒毎に一名の死者を生ずる割合であるが、若し火災が加はると人命の損失は三倍乃至四倍になり、大都會に於ては數十倍にも上ることがある。これは下敷になつた人の中、無事であつた人までも燒死の不幸を見るが爲である。地震の災害を最小限度に防止せんとするに當り、主義としては人命救護に最も重きを置くべきであるが、唯其の實行手段として、火災の防止を眞先にすることが必要條件となるのである。

(二)潰家からの發火

 潰家からの發火は地震直後にも起り、一二時間の後にも起る。油斷なきことを要する。
 地震に伴ふ火災は大抵地震の直後に起るから、それに對しては注意も行届き、小火の中に消止める餘裕もあるけれども、潰家の下から徐々に燃え上がるものは、大事に至るまで氣附かれすに進行することがあり、終に大火災を惹起したことも少くない。
 大正十四年の但馬地震のとき、豊岡町に於ては、地震直後、火は三箇所から燃え上つた。これは容易に消し止められたので、消防隊又は一般の町民の間に多少の緩みも生じたのであらう。市街の中心地に於ける潰家の下に、大火災となるべき火種が培養されつゝあつたのに氣附かずにゐた。地震の起つたのは當日午前十一時十分頃であり、郵便局の隣りの潰家から發火したのは正午を過ぐる三十分位だつたといふから、火災後凡そ一時間を經過してゐたことになる。これが氣附かれたときは、一旦集合してゐた消防隊も解散した後であり、又氣附かれた後も倒潰家屋に途を塞がれて火元に近づくことが困難であつたなどの不利益が種々重なつて、遂に全町二千百戸の中、町の最も重要な部分を含み、其の三分の二を全燒せしめる程の大火災となつたのである。

(三)火災防止

 大地震の場合には水道は斷水するものと覺悟し機敏に貯水の用意をなすこと、又水を用ひざる消防法をも應用すべきこと。
 地震火災の特色は同時に多數の火元から發火すること、殊に地盤の弱い家屋の密集した箇處から多く發火することである。隨つて専門の消防隊の手の廻らぬ事が通常であるから、罹災者各自の努力が必要となつて來るわけである。
 普通の水道鐵管は地震によつて破損し易い。啻に大地震のみならず、一寸した強い地震にもさうである。特に地盤の弱い市街地に於てそれが著明である。今日都市に於ける消防施設は水道が首位に置いてあるが、普通の火災ではそれで良いとしても、大地震の場合には忽ち支障を來すから、水の止らない中に機敏に之を貯へて置くことが賢明な仕方である。たとひ四邊に火災の虞れがないような場合に於ても、遠方の火元から延燒して來る事もあるからである。
 個人消防の最大要件は時機を失ふことなく、小火の中に最も敏速に處置することにある。これは火は小さい程、消し易いといふ原則に基づいてゐる。或は自力で十分なこともあり、或は他の助力を要することもあり、或は消防隊を必要とすることもあるであらう。
 水は燃燒の元に注ぐこと、焔や煙にそゝいでは何等の效果がない。
 障子の樣な建具に火が燃えついたならば、其の建具を倒すこと。衣類に火が燃えついたときは、床又は地面に一轉がりすれば、焔だけは消える。
 火が天井まで燃え上つたならば、屋根まで打抜いて火氣を拔くこと。これは焔が天井を這つて燃え擴がるのを防ぐに效力がある。この際若し竿雜巾(竿の先に濕雜巾を結付けたもの)の用意があると最も好都合である。
 隣家からの延燒を防ぐに、雨戸を締めることは幾分の效力がある。
 煙に巻かれたら地面に這ふこと、濕れ手拭にて鼻・口を被ふこと。
 焔の下を潜る時は手拭にて頭部を被ふこと。手拭が濕れて居れば猶良く、座蒲團を水に浸したものはもつとよい。
 火に接近するに疊の楯は有效である。
 水を用ひては却て能くない場合は燃燒物が油・アルコールのような揮發油のときである。藥品の中には容器の顛倒に因つて單獨に發火するものもあれば、接觸或は混合に因つて發火するものもある。此等はアルコール・エーテルの如き揮發液から離隔し置くべきものであるが、若し之を怠るに於ては一時に撚え擴がり、直ちに大事を惹起すことが多い。
 化學藥品油類の發火に對しては燃燒を妨げる藥品を以て處理する方法もあるが、普通の場合には乾いた砂でよい。若し蒲團・茣蓙が手近にあつたならば、それを以て被ふことも一法である。
 揚物の油が鍋の中にて發火した場合は、手近にあるうどん粉・菜葉などを鍋に投げ込むこと。
 火に慣れない者は火を恐れる爲に、小火の中に之を押へ付ける事が出來ないで大事に至らしめる事が多い。若し右のような性質を心得て居ると、心の落着も出來る爲、危險の場合、機宜に適する處置も出來るようになるであらう。
 大火災のときは地震とは無關係に旋風が起り勝ちであるから、其の起りさうな場處を避けて避難することも心得べきである。火先が凹の正面を以て前進するとき、其の曲り目には塵旋風と名づくべきものが起る。又川筋に接した廣場は移動旋風によつて襲はれ易い。明暦大火の際、濱町河岸の本願寺境内に於て、又大正の關東大震火災の際、本所被服廠跡に於て、旋風の爲に死人の大集團が出來たことは餘りに有名である。

五 地震後の心得

 大地震の騒ぎや、或は續いて起ることのある火災も一應鎭まつたならば、其の次には如何に處置すべきか。次に
 (一)餘震に對する處置
 (二)家屋の應急修理
について述べることにする。

(一)餘震に對する處置

 餘震は其の最大なるものも大地震の十分一以下の勢力である。最初の大地震を凌ぎ得た家屋はたとひ多少の破損傾斜をなしても餘震に對しては安全であらう。但し地震でなくても壞れさうな程度に損じたものは例外である。
 大地震に引續き餘震が數多く發生する。但し其の數も強さも、日數を經るに從つて、次第に少く且つ弱くなる。
 統計によれば、餘震の震動の大きさは、最初の大地震のものに比較して其の三分の一といふ程のものが最大の記録である。随つて破壞力からいへば、餘震の最大なるものも最初の大地震の九分の一以下であるといふことになる。先づ十分の一と見て良いであらう。それ故に單に統計の上から考へても、餘震は恐れる程のものでないことが了解せられるであらう。
 大地震に因つて損傷した家屋の中には、きはどく倒潰を免れたものもあらう。かようなものは地震ならずとも、或は風、或は雨に因つて崩壞することもあらう。さういふ建物には近寄らぬを良しとしても、普通の木造家屋特に平家建にあつては、屋根瓦や土壁を落し、或は少し許りの傾斜をなしても、餘震に對しては安全と見做して差支ないであらう。實に木造家屋が單に屋根瓦と土壁とを振り落しただけならば、却て耐震價値が前よりも增したと見做し得られる。何となればこれ等の材料は家屋全部の結束には能力なき上に、地震のときは自己の惰力を以て家屋が地面と一緒に動くことに反對するからである。又家屋の少し許りの傾斜も、其の耐震價値を損じてゐない場合が多い。一體家屋が古びて來ると、仕口・柄・楔などの肉が次第に痩せて來て、締附が緩くなる。但し家屋が少し傾くと此の緩みに抵抗すべき上記の材料が始めて利き出して來ることになり、構造物が一層傾かんとするのに頑強に抵抗するのである。恰も相撲のとき、土俵の中央から押された力士が剣の峯に踏み耐へるような形である。最初の大地震に踏み耐へた家屋が、其の後、十分の一以下の餘震によつて押し切られることは先づないものと見てよいであらう。

(二)家屋の應急修理

 木造建の應急修理としては支柱を添へて傾斜を直し、仕口の損所を鎹などの鐵物にて補強すること。
 地震に因る木造建の損傷は、輕きは土壁の龜裂或は振り落しから瓦の墜落などがあり、稍重きものに家の傾斜がある。傾いた家の應急修理に當り、若し直立の位置に復舊したまゝ何等の補強工事を施さなかつたなら、一寸した餘震によつて再び元の傾斜位置にまで戻る虞れがあるから、支柱を加へ、楔を打ち代へるなどの工作を省いてはならぬ。
 家屋が一層傾いた場合には仕口の損傷は更に甚しいと見ねばならぬ。若し一時雨露を凌ぐ爲、強ひて傾斜を直して使用するときは、上に記した補強工事を施すは固より、鐵物を以て損傷を補強することは絶對に必要である。かような場合、鎹は最も使ひ易く、且つ有效な鐵物である。

六 地震前の用意

 前に記したところ、地震時の避難心得から地震後の心得に至るまで、何れもころばぬ先の杖とやらで、地震に出會はぬ中に用意して置くべきことであるが、此の外に、今一つ、地震前に心得て置くだけでなく、適當な機會に於て實行すべきことがある。即ちそれは地震に倒潰しない家、いはゆる耐震家屋の用意である。若しこの事が吾が小國民に對して重荷過ぎるようなら、せめて其のあらましの知識だけでも有ち、避難上の參考にされたいと思つてゐる。
 先づ地震の破壞力には一定の限度があることを述べて置く必要がある。此の限度は場所によつて差異があるが、最惡の場處でも、建物自身の目方の半分程度の水平力であつて、地盤の固い處では更に其の二分の一又は三分の一の程度である。例へば東京の下町では目方の三割、山の手の固い地盤では一割の力で横に働くといふのが大凡の限度である。
 吾が國に於ける木造家屋の在來の建方は、縱の柱と、横の土臺・梁・桁とをつなぐに、一方には穴を明け、他方には細く刻んで其穴に嵌め込むようにするのが原則である。此の爲に、強い地震や大風の爲に、四角な骨組がゆがんで縱横の材料のつなぎ目たる仕口が壞れるのである。
 此の短所を補ふ一つの方法は材料の切り缺きを成るべく少くし、鐡物を以て其の繋ぎ目を補強することである。
 斯くして、昭和五年の北伊豆大地震に於て、大場の平出自轉車屋の二階建、長岡のさかなや旅館三階建など、最高限度に近き程度の地震に襲はれながら無難に凌ぎ得たのであつた。素人の設計ですらさういふ好成績を示すのだから、専門家がやつたなら、一層良好な成績を擧げ得る筈である。
 吾が國に於ける木造家屋の在來の建方の短所を補ふ今一つの方法は、四角な骨組がゆがまぬよう筋違・方杖・火打を加へることである。
 筋違は壁の所に、成るべく隅から隅へ、八の字や、たすきの形に入れること。若し二階建や三階建であつたなら、階下の方には分厚な材料を用ふべきである。近頃樌のような薄い材料を用ひた筋違を見受けることがあるが、これは大した效能はない。
 筋違は柱と柱との間にわたすのだが、方杖は柱と梁・桁・土臺の如き横材との間にわたすのであつて、筋違を加へるに困難な場合、若くは縱横材の繋ぎを補強する爲に用ふるのである。
 火打は土臺や床の隅々に入れ、骨組の横のひずみを防ぐに役立たせる。
 縱横材並に斜材は之を互に繋ぐに成るべく切り缺きを少くし、鐵物を以て一々之を補強するのであるが、此の爲に用ふる鐵物には角鐡・短冊鐵・ボールト・帯鐵・羽子板鐵・逆目釘などの種類がある。
 試みに、右に説いたことを一句の標語にまとめるとしたならばかうもあらうか。
 我が家の耐震、筋違、方杖、火打に鐵物。
 斯くして建てられた木造家屋は同時に耐風家屋としても役立つのである。

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第九圖
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第十圖
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日本大地震表(慶長以後)