序
昭和34年9月26日台風第15号は,伊勢湾一帯に高潮による未曽有の被害を惹き起した。資源調査会は,この災害に対応して,「伊勢湾台風災害調査特別委員会」を設置して,その実態調査を行うことになつたが,同調査会の森林資源部会においても,別途,三重・愛知両県下の全海岸線の防潮林について,その効果の実状を調査した。
本資料は,その森林資源部会の調査をとりまとめたものであり,単に今回の台風災害の実状のみならず,防潮林の沿革,既往の地震津波に際しての防潮林の効果の実績,防潮林機能の解明に必要なヒント,防潮林について今後考慮されるべき事項や問題点等,全般に亘つて述べられている。従来防潮林に関する資料で,このようにまとめられたものは少ないのではないかと思われるので,関係方面の参考に供したい。
昭和35年3月23日
資源調査会森林資源部会長
藤村重任
目次
I 序説……………………………………………………………………1
1.調査の目的……………………………………………………………1
2.調査方法………………………………………………………………1
1)調査日程および担当……………………………………………1
2)調査の方法………………………………………………………1
3.伊勢湾台風の概況……………………………………………………2
4.災害の概況……………………………………………………………7
II 防潮林の現地調査……………………………………………………8
1.三重県の防潮林………………………………………………………8
1)海岸林の概況……………………………………………………8
2)調査した事例……………………………………………………8
2.愛知県の防潮林……………………………………………………18
1)愛知県の海岸林…………………………………………………18
2)調査した事例……………………………………………………21
III わが国防潮林の沿革………………………………………………26
1.名称…………………………………………………………………26
2.意義…………………………………………………………………26
3.旧藩時代の防潮林政策……………………………………………26
4.現在の防潮林………………………………………………………28
IV 防潮林の機能………………………………………………………30
1.防潮林の効果………………………………………………………30
2.塩分補捉機能………………………………………………………31
1)海風中の塩分……………………………………………………31
2)林帯の影響………………………………………………………32
3.津波・高潮の破壊力の軽減機能…………………………………33
1)津波および高潮…………………………………………………33
2)波の作用…………………………………………………………34
3)防潮林の津波・高潮の軽減機能………………………………36
4)防潮林の強度……………………………………………………38
V 今後考慮されるべき事項……………………………………………39
1.海岸保全のため考えられるべき前提……………………………39
1)気象的因子………………………………………………………39
2)地形的因子………………………………………………………42
2.海岸防災施設として採用される諸方法…………………………43
1)防潮堤……………………………………………………………43
2)護岸………………………………………………………………43
3)緩衝地帯…………………………………………………………43
4)防潮林……………………………………………………………44
3.海岸防潮林の在り方………………………………………………44
1)現存する防潮林について………………………………………44
2)新たに防潮林を造成することについて………………………46
4.海岸施設として防潮林のおかれるべき位置……………………48
1)人工構作物のない場合…………………………………………48
2)人工構作物のある場合…………………………………………48
3)塩風防除として考える場合……………………………………50
4)防潮林の副次的効用……………………………………………50
VI 残された問題………………………………………………………53
1.科学技術上の問題点………………………………………………53
1)土地の変動について……………………………………………53
2)防潮林の最も合理的な集約的構成について…………………53
3)干拓地の適木について…………………………………………53
4)塩害に関する研究…………………………………………………54
2.行政政策上の問題点………………………………………………54
1)海外防潮林の保安林制度について……………………………54
2)海岸防災各担当分野の協同計画化について…………………54
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I 序説
1.調査の目的
台風第15号(伊勢湾台風)は,昭和34年9月26日,高潮と暴風と洪水により,愛知・岐阜・三重の三県を中心に,未曾有の災害をひき起し,特に異常高潮と暴風による海岸地帯の被害は甚大であった。資源調査会には「伊勢湾台風災害調査特別委員会」が特設され,その実態を調査することになったが,同森林資源部会においては森林公益性の立場から,この機会を捉えて,防潮林機能の実情を調査し,今後の海岸保全対策の参考に資することとした。海岸堤防の決壊によって失われた多数の人命や巨額の被害は,今までに例のないほど悲惨なものであった。若しこの場合に防潮林があったならば,その被害は相当緩和しえたのではなかったろうか。この報告は伊勢湾一帯における防潮林の実態を調査し,海岸防潮林の在り方,防潮林と土木的工作物の組み合せ方,さらに海岸地帯における土地の総合利用等今後の臨海地域の保全対策の参考に供しようとするものである。
2.調査方法
1)調査の日程および担当
この調査は資源調査会森林資源部会長藤村重任(科学技術庁科学審議官)・専門委員飯塚肇(三重大学農学部教授)・専門委員河田五郎(名古屋大学農学部助教授)・専門委員松本守雄(科学技術庁科学調査官)・総理府技官鎌田藤一郎(資源局専門職)の5名が愛知県庁および三重県庁の応援をえて行ったもので,その日程および分担は次のとおりである。
2)調査の方法
三重・愛知両県の海岸全般にわたって概況調査をなし,必要に応じて適宜精査した。調査日程が十分でないので,聴きとりと,見とりとを主体とし,計測的調査は行わなかった。現地については,地元関係者と出来るだけ面接して当時の実情や既往の災害その他参考資料の集収につとめた。また両県庁および各林業事務所に関係資料の提供を求め,さらに現地につきそれぞれ説明を求めて万全を期した。
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3.伊勢湾台風の概況
この台風は普通の台風に比較して,かなり違った特徴をもっていた。
第一に,発生期,発達期ともきわめて短く,ほぼ2日後には最低気圧895mbを示した。
第二に,暴風圏が広く,本邦南方海上を北上する頃は最大風速75m/sec,風速25m/sec以上で,暴風圏直径は700kmとなり,本土に上陸するまでその勢力が余り衰えなかつた。
第三に,本土縦断時には毎時70km以上の大きな速度となり,そのため風による被害を特に大きくした。
第四に,1900年以後最高の高潮記録を示した。
第五に,本邦付近で東西に延びていた停滞前線が台風の接近と共に活撥となり,山岳地帯にはかなりの大雨をもたらしたが,台風の速度が早かつたため,台風の規模の大きい割合に降雨時間は短かく,平地地帯の雨量は比較的少なかった。
昭和年代の主な台風の比較一覧表を示せば第1表のとおりである。
台風の経過
この台風は,9月21日マリアナの東方洋上にあった弱い熱帯性低気圧が発達して,台風第15号となつたものであり,23日15時には早くも最低気圧895mbを記録した。台風はその後,向きを北北西から北にかえ,速度を速め,26日朝には潮岬の南々西およそ500kmの洋上に達し,この頃から本州の太平洋側では風雨が次第に強まり,26日午後には東海地方から九州まで暴風圏に入り,紀伊半島や四国東部では20~25m/sec中国,北九州は15~20m/secの暴風雨となった。台風は26日18時過ぎ潮岬の西方に上陸し,最低気圧929.5mbを記録した。
その後台風は19時に奈良と和歌山の県境,20時に奈良県中部,21時に亀山の西方,22時に揖斐川上流,23時に高山西方を通過し,27日0時頃日本海に抜けた。この間わづか6時間余りで台風は本土を縦断し,平均風速は70km/hrであった。(第1図参照)
台風の東半円に当る中部,関東では20m/sec内外の強風が吹き,海岸地方では最大風速30m/secを越えた。各地の最大風速(最大瞬間風速)は名古屋37.0m/sec(47.7m/sec),伊良湖42.7m/sec(55.3m/sec),36.8m/sec(51.3m/sec)などが観測され,中心コースから約300kmも離れた東京でも27.0m/sec(37.0m/sec)であった。伊勢湾各地の風速関係記録は第2表の通りである。
異常潮位
台風は26日21~22時の間に伊勢湾北部に最も接近したが,当日は小潮でしかも満干潮の中央部に当ったが,台風による異常高潮位を示し,その上大きな風速によって起る激烈な波浪が加わり,そのため海岸堤防は各所において溢流破堤した。名古屋港における気圧・潮位・風速の変化を示すと第3図のとおりであり,また各地における最高潮位と最大風速を示したのが第2図である。
なお,降雨量はこの台風の規模の割には少なかったことは既にのべたが,各地における降雨量は第3表と第2図に示すとおりである。
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4.災害の概況
伊勢湾は台風進路の右側に当り,台風襲来時が満潮時の直前に合致するという悪条件が重り,暴風雨と高潮および波浪のため,臨海部の被害は殊に甚だしく,とりわけ名古屋から四日市にかけての海岸および知多湾の半田付近では激甚な災害をひき起した。愛知および三重両下における被害は,34年12月1日の警察庁調査によると死者4,375人,全半壊および流失家屋103,911棟,流失・埋没・冠水耕地面積は75,382haにおよぶ惨害となった。今その被害の内訳を示せば,第4表のとおりである。
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II 防潮林の現地調査
1.三重県の防潮林
1)海岸林の概況
三重県は海岸にそって細長くのびた県であり,旧くから台風に対する海岸の人家や耕地の防禦に意が注がれ,藩制時代から海岸林の造成が行われてきた。海岸林は前面に土堤防を伴なったものもあり,伴なわないものもあるが,往時は三重県海岸一帯がクロマツの美林で庇護されていたといわれる。昭和10年の林野庁調査によれば,海岸林で保安林に指定されているものだけでも488箇所302haにおよんでいるが,最近の人口増と土地不足等によって宅地・農耕地が海岸線に向って進出する傾向となってあらわれ,反面,港湾,突堤等の築堤の影響で海岸線の変化や後退が目立ち,これ等海岸林の存立条件に変異をきたしている。さらに,海岸防禦の土木的施設としての海岸堤防の築堤のための伐採や,堤防に対する信頼感のため,海岸林が軽視されがちの傾向があって,往時のように整備された海岸林は非常に少なくなった。それでも三重県はまだ多くの海岸林が残存する方であり,特に七里御浜20kmにおよぶ国有防風林は昔日の面影をとどめている。
三重県の海岸は,大雑把にいって方位・位置・地形等により,伊勢湾海岸・志摩半島部海岸・熊野灘海岸の三地区に大別される。その中志摩半島部海岸はリアス地形で凹凸がはげしく,海岸が断崖状をなすところが多く人家や耕地が直接高潮等の浸水をうけることが少なく,海岸林は主として魚付・防風等の役割をもって設定されているが,他の二地区は内海と外洋に面するという相違はあるが,いずれも直接高潮や津波等に洗われる危険が多い。特に熊野灘方面は過去にも台風や地震による波の被害を数度に亘ってうけている。海岸堤防は昭和28年の13号台風以来急速にすすみ伊勢湾海岸はほぼ完成されておるが,反面,この地域の海岸林はその荒廃が目立つ。熊野灘は未だ,ほとんど築堤がすすんでいないのであるが,海岸林は比較的良好な状態を維持している。今回の現地調査にあたっては,伊勢湾海岸と熊野灘海岸の二地区に重点をおき,志摩半島は概況を見るにとどめた。
2)調査した事例
a.四日市市富田浜および霞ケ浦
霞ケ浦は海水浴場として知られるところで,比較的広い海岸砂地には,以前は巾の広いクロマツの防潮・風林があって,台風時の災害を防禦してきたのであるが,現在では海水浴場施設の設置等のため大部分伐採され,辛うじてその面影をとどめるにすぎない。霞ケ浦およびこれに隣接する富田浜には海水浴場の一部をのぞき干潮面上5m位の海岸堤防が構築されている。
伊勢湾台風時における潮位上昇は名古屋港とほぼ等しく,これに強風による波浪が加わって干潮面上7~8mにおよぶ波浪がおしよせたことが,海岸林等に残された痕跡からも推測される。そのため海岸堤防はかなり破壊され,海岸の立木が倒れた外,家屋等の破損倒壊などを生じた。
調査地の関係位置は第4図のとおりであり,写真①はA地点におけるもので海岸堤防が破壊し背後の作業小屋1棟および住宅2戸が倒壊流失した跡である。ところがこれと同じような条件にあるB地点では写真③に見られるように海岸堤防の背後にわずか10m巾の70~80年生,直径30~40cm,樹高15m位のクロマツ林帯があったため後方の家屋は全く被害をうけなかった。また,C地区では海岸林の前面にあった諸施設が写真②のように鉄骨等を残し破壊され,その破片は後方林内に押し流されたが,写真④に見られるようにこれら破片,流木等はこのクロマツに衝突し,クロマツ樹幹を著しく損傷したにとどまり,流木の後方への流入を阻止したため林帯背後の住宅等は安全であった。また,D地区においても巾10m程度の30年生位のクロマツ林帯が後方の住宅を保護したが一部疎開し,林木の庇護がなかった住宅(この住宅は他の住宅より立派であった)のみ破損していた。
以上,要するに,この地区では,海岸林が波浪のエネルギーを減殺すると共に,流木等の流入を阻止し,後方の施設等を災害から防いだものと判断された。
b.鈴鹿市北浜
ここには往時かなり立派な防潮林があって,暴風時の高潮被害,平時の潮風害(塩害)等を防止してきたのであるが,戦時中の一部伐採や人家その飽施設の割りこみのため・ひどく疎開したところが多い。場所によっては海岸林と海岸堤防の間に人家が建ち並び,これら家屋は今次の台風で非常に大きな被害をうけ,人命も奪われた。第5図は防潮林と家屋等の位置的関係を示すものである。
この地区に住む人々は,前面に新設された海岸コンクリート堤防に全面的な信頼をよせていたもののようであるが,堤防に激突した波浪は跳波となり,連続的に背後の家屋をたたき,一方堤防をこえる波浪のエネルギーとの二重の作用で,これ等人家は軒並に破壊されてしまった。調査時点においてはこれら跡地は整理されていたが,写真⑤に見られるようにその跡に建てられた応急住宅がその間の事情を物語っている。上図左端の人家は,距離的には被害地と同じ位であるのに,わずか数列の直径20~35cm,樹高12m程度のクロマツ林帯の保護によって被害を全くうけなかった。なお,地元民の語るところでは,海岸防潮林の背後の水田約20haは林帯により台風被害を20~30%程度軽減したという事である。
要するに,海岸堤防が如何に堅固であって,高潮の浸水を防いでも,跳波の侵入を防ぐことは不可能とすらいわれ,これら跳波はかなり強力な破壊力をもっており,林帯は跳波エネルギーを減殺,吸収し,塩分を含んだしぶきを濾過し,背後の被害を軽減するものと考えられる。
c.鈴鹿市若松
若松海岸には明治年間につくられた堤防(伊坂堤防と呼ばれる)があり現在は改築されてコンクリート堤防と化しているが,写真⑥にみられるように,この海岸堤防の背後にはクロマツが植えられてある。現在では,堤防改築工事,戦時中の伐採で一部けずられ,巾10m,直径20~30cm,樹高14m,で5列位に並んだ延長490mの林帯であるが,この海岸林は伊勢湾台風の際,その10%は根倒れ,30%は梢折れまたは幹折れを生じ,残木も強い塩風,跳波にうたれて枝葉はいちじるしく損傷,枯損を生じている。この背後には農耕地があるのみで被害の軽減に役立ったが,人家との直接の関係をしらべることは出来なかった。しかし林帯がこのようにいためつけられたことは跳波,しぶきの暴威を物語るものであり,事実これに隣接する北若松地区では堤防がこれよりも高く,堅固であるにもかかわらず,林帯がなく堤防の背後に家屋が並んでいるところでは,少なくとも最前列の家屋は,軒並に破壊または倒壊していた。
d.鈴鹿市鼓ヶ浦
鼓ヶ浦も遊園地・海水浴場であり,砂浜には松が生え,その背後には土の堤防があり,堤防上および前後にクロマツが植えられ,比較的巾の広い林帯を形成し,直径20~40cm,樹高15mになっている。ここではその背後にあった県営臨海ハウスおよびその事務所等は写真⑦でもみられるように全く被害を受けなかった。この土の堤防はわずか1~2m程度の高さにすぎず,高潮によりかなり破損されているが,若松や北浜等にみられたように跳波はあまり生じなかったため,松の緑に異変はなかった。波浪のエネルギーは松林の中に吸収し去ったものといえよう。すなわち模型図的に表現すれば,鼓ヶ浦の場合は第6図であり,北浜等の場合は7図である。
なお,堤外地に仕立てられたクロマツは砂浜の一時的侵蝕によってその一部が根部の洗堀による根あがりをおこしたり,倒壊したりしていた。このことからしても,のぞましい形としては,堤防の背後にクロマツを育成することであり,両者の協同作用により背後を護ることがよい。いわば堤防は父であり林帯は母であり柔剛相和して防潮機能は一段と補完されるものといえよう。
e.河芸郡磯山
ここの海岸には明治30年代に植えられた古いクロマツ林が堤外地に,壮令のクロマツ林が堤防敷上にあり混交している。この両者を併せた林帯の巾は40~50m位あるが,前線の老令クロマツは台風の都度根倒れを生じ疎林化している。現在の土の堤防は老令の海岸林が造成されたはるか後になって築堤されたもので,以前はもっと前面に旧い堤防があったといわれる。
すなわち杉野兵曹長戦死の際この村の村葬が水葬としてこの浜で行われたが当時は現在よりほぼ150/100~200mも先に汀線があったといわれる程,この地区の海岸線は後退しているのであり,同様のことは北浜や若松でも耳にしたことである。海岸線の後退は林帯の成立をかなり困難にしているといえるので,そのため林帯前面の堤防が必要となろう。
この海岸には漁夫の作業小屋があるだけで背後は農耕地となっていたため,作業小屋の破壊の外に被害は見当らない。
f.渡会郡二見
二見海岸は海岸堤防および防風林が比較的整備している。(その一部は神社直轄の堤防と海岸林である)ここで注目されるのは海岸林の中にアカマツの混生をみることである。海岸のすぐ近くまでアカマツが生えていることは,前にものべたように,この林の成立当時は汀線がかなり先の方にあったものと見てよいであろう。事実その当時はもっと先に汀線があり林帯の巾も,もっと広かったといわれている。この海岸の後退は現在でも進行しており,これを防止するために石出しを設けている。その原因は明確でないが,港湾の突堤構築以来急激に変化したといわれており,一考を要する問題であろう。
なお,この地区では風が内陸から海に向っていたため,風による被害はあるが,高潮の被害は殆んどみなかった。
g.志摩郡阿児町甲賀
志摩半島一帯は海岸が断崖状をなしているところが多く,したがってこの地方にある断崖上の林帯は防風およびしぶき等の害を防ぐためのものである。甲賀附近の家屋は土壁や石垣で風の害を防ぐとともにその上に樹木を仕立てて保全を期している。まだウバメガシやマキ等の生垣が高く密に仕立てられ防災の効果をあげている。入江等比較的海岸の低いところにはクロマツを主木とし,下層にウバメガシ・トベラ・モチノキ・ヤブツバキ・タブノキなどの暖帯広葉樹を交え,よく潮風害を防いでいる。
h.志摩郡大王町波切
波切海岸断崖上に植えられてあるクロマツ林は強い潮風等によってかなりいためられている。特に針葉の色は褐色に変って恢復が危ぶまれるものも多い。跳波は高さ40mのこの位置にもおよんだものと推定され,しぶきおよび潮風は強い塩分を含んでかなり遠くまでのび,海岸が壁状であれば,逆に潮風害の大きいことを物語っている。
i.北牟婁郡長島町
長島町は過去にも台風や津波で大きな被害にみまわれているが,伊勢湾台風の際も流失家屋42戸,全壊98戸,半壊185戸の大被害をうけた。そのため住民の74%が罹災者となったが,幸に裏山に逃げたため死傷者はほとんどみなかった。
長島町は写真⑧で見られるように,汀線近くの海岸堤防を境として海にそって細長くのびた街であり,堤防と人家の間には防潮林を介在しない。写真⑧は26日午後1時頃の干潮時におけるものであるが,このときすでに,波浪の高さは4mの堤防をこえる状態であり,その1時間後には写真⑨のように跳波の高さが10mをこえるにいたったといわれる。午後4時頃から風速は一段と強まり砂礫を交えた波しぶきが弾丸のように民家をおそい,壁や屋根を貫いて侵入し,これを破壊していった。また,うちよせられた漁船は家屋に激突し,屋根にのりあげるという惨状であった。その後,風はいよいよ烈しさを加え午後7時の最大風速時の潮位上昇は1.73mであったから,この状態をわずか4mの海岸堤防が防げなかったことは,説明するまでもない。長島町は波浪や砂礫を交えた跳波のあらしに覆われたであろうことは,地元住民の言葉をかりるまでもない。
長島町の調査によるまでもなく,このような強力な波浪や跳波に対しては堤防のみに頼れるものでないことが十分に想像出来る。調査時には被害跡地が大方整理され,その惨状を詳述しえないが,写真⑩にみられる長島町名倉の家屋および作業場等47棟の流失,全壊の状況から当時をしのぶことが出来る。
j.北牟婁郡三野瀬村古里・道瀬
古里および道瀬には古くからクロマツ防潮林が仕立てられてきたのであるが,海岸堤防の設置および人家等の進出によって現在では極めて貧弱な林相と化している。写真⑪でもみられるように今次台風で海岸堤防は破壊され,後方の人家にも被害が及んでいるが,若干集団的に残存した林団はその周辺を多少保護したともいわれるが,明確な効果をみとめえなかった。単木または小集団では全面的に来襲する高汐波浪に抗すべくもなく,効果をあげることは出来ないといえよう。
またその沖500m位のところには丸山島があるが,第8図で示すように午後6時~7時の最大風速時には高さ40m位のこの島がすっぽりと波浪に包まれたといわれ,このとき堤防に激突した波浪および跳波も想像以上強烈なものであったものと思われる。破堤部の後方では300m以上も内陸(沢筋)に浸水し,スギ幼令造林木や生垣を枯死させている。道瀬ではそのため人家の流失3戸,全壊2戸,半壊5戸を出している。
k.熊野市新鹿
新鹿の海岸には立派な海岸堤防が築設されている。新鹿は昭和19年12月7日の津波によって流失戸数149戸,死傷16人の甚大な被害をうけた経験をもっており,そのとき防潮林が果した役割は高く評価されている。近代的防潮堤は高潮の侵入をふせいでも,跳波,波浪を全面的に防ぐことは出来ないものと考え,海岸堤防の堤外に34年4月卒業記念に植樹を実施している程である。
この街の海ぞいの部分は往時飛砂地を土堤で仕切ってつくられたもので,今でいう干拓に相当するものであろう。その名残は写真⑫にみられるとおりである。その堤防敷上には写真でみられるようにクロマツ林が仕立てられている。この林帯は巾50m位の整備したものであったといわれ,堤外にはさらにマツ林および巾20m位のメダケ叢生地がみられたとのことであるが,今は残痕すらとどめない。堤敷にうえられた林帯も大部分は,伐採(戦時・築堤等)により失われ,わずかに名残をとどめるにすぎない。今次台風では,この防潮林の効果がはっきりみとめられた。
第9図はその関係を示すものであり,写真⑬はA地点における市営住宅4戸および作業所1棟がパラペット付の高さ5mくらいの堤防をこえた波浪および跳波によって完全におしつぶされてしまった状態を示し,防風林保護下では被害をみなかった。
l.七里御浜
熊野市羽市木から新宮にいたる熊野灘海岸を七里御浜と呼ぶが,この海岸には全面的に海岸防潮林が仕立てられてきた。
この防潮林は羽市木付近がわづか民有であるがその大部分は国有林である。300年前新宮城主水野重仲入国の際植えたのが,そのはじまりである。往時100~200mの巾をもった立派なものであったが,戦時中の伐採および農耕・宅地の侵入によって部分的には林相の破壊をみ,一部には林帯の欠除するところも見うけられるが,しかし全般的には写真⑭でみられるように良好な林相が維持されており樹高25m前後,直径30~60cm(その中に部分的に小径林帯を介在するところもある)位のクロマツ林下に,ウバメガシ・トベラ・マサキ・ヤブニッケイ・グミ・クス・ツバキ・ヤマモモ・ネズミモチ・クロバイ・タイミンタチバナなどの下木を比較的密に混交した林帯が汀線から大凡50~100m(この林帯が造成された当初は100~200mあったといわれる)の位置に巾40~130m,延長20km,面積110ha(戦前は183haあった)におよんでいる。
伊勢湾台風の際には熊野市循ケ崎の突端の岩壁が,海上60mの高さまで波浪や跳波に洗われたのであるが,この防潮林はこのような激浪・強風による被害から背後に延々とつらなる4,000戸の人家や1,500ha以上の農耕地,果樹園等を保護したようである。すなわち,林帯の欠除していた羽市木の一部・御浜町阿田和・紀南町井田等で人家等建物の倒壊をみたのであるが林帯に保護された部分には殆んど建物の被害を見なかった。
阿田和では防潮林が一部欠除しており,この地域では海岸堤防の築設をみているが,堤防背後の人家20余戸が全壊した外50戸の半壊を招き写真⑮のような惨状を呈した。これに隣接する市街地でも前面がクロマツ林帯で保護されたところでは,海岸堤防が欠除していたにもかかわらず人家は被害をうけずにすんだことが注目される。このような事例は写真⑯,⑱,⑲でみられるように紀南町井田・御浜町一帯でも認められた。この場合,海岸堤防がなければ被害は一層ひどく,また著しく疎開し単木が生立するような林相のところでは被害を顕著にくいとどめることはむずかしいものと判断される。
七里御浜の海岸防潮林は大部分その前面に海岸堤防が構築されていない。そのために高潮が林内および背後の宅地まで侵入するのを防ぐことは出来なかったのであるが,高潮および波浪が林帯を通過するあいだにそのエネルギーが著しく減殺され,背後の人家を倒壊,破損からすくったもので,防潮林の機能が明確に認められた。写真⑰は比較的巾の狭い老令クロマツの林にみられる倒木であるが,はげしい波浪および海岸砂地の一時的侵蝕により,その使命を果し倒れたものであり,波浪の強さを物語るに十分であろう。
また,堤防の欠除によって直接高潮が林帯に激突するのであるが,林帯は土木的工作物と聊か性質を異にし,柔軟で弾力に富み,幹枝とも円形であり波浪をやわらかくつつみ,その速度を減殺し徐々にエネルギーを吸収しつくすため,跳波の発生を少なくし,後方の農耕地・果樹園・森林等の潮(塩)害を軽減している。また前面に工作物があり,跳波の発生が著しい場合でも,そのしぶきを吸収濾過して塩分の少ない状態にし,風速を弱めるなどの効果がある。志原川にある三重県農業試験場紀南分場のしらべによると,温州ミカンの例ではこの林帯の樹高のほぼ10倍にあたる背後200m付近までは,潮害が頗る少なく葉色の変化すらみなかったが,200~400mまでの間は軽微な被害をうけ,400mをこえる地点では,葉色の変化が目立ち,枝折れや落果も多く防風林から遠くはなれた山手附近は80%の減収をみたといわれる。また荻内の防風林の欠除しているところでは収穫皆無であったことからも潮害防止上の効果がみとめられる。なお,潮害にもっとも弱いといわれる桃の場合でも林帯背後100mのところに植えられたものが全く被害がなく,他地方でみられた返り咲きをみなかったことが知られている。今回と類似の強い潮害を伴った台風は,この地方では2年に1回位の割で経験されたのであるが,その都度同じようなことが立証されている。
また,熊野川からは洪水のたびに木材や根株が上流から流出し,これら流木は河口附近の海岸に打ち上げられるのであるが,今次台風でも約6,000石の流木が写真⑳でみるように海浜に押し上げられた。これらは海岸林がなければ波にのってさらに内陸に流入し,人家等に被害を及ぼしたであろうと想像されるのである。
今後土地不足や人口増加等によって,人家や耕地がますます海岸に接近してゆくことが予想され,海岸林を十分に設けることが一層むづかしい事情になるであろうが,海岸林にかわるに海岸堤防等土木的工作物にのみ頼ることは危険であり,少なくとも堤防の背後に相当巾の林帯をのこすべきであろ。現在この海岸林ぞいに海岸堤防の構築が計画されているとのことであるが,この点に十分留意されることがのぞまれる。羽市木の民有防潮林の前面に海面上16mの高さをもつ海岸堤防兼道路(第10図)が作られたため,付近住民は,その背後のクロマツ林の保安林解除を強く要請し,宅地に転用しようという希望をもっていたが,その実現をみない中に今次高潮を経験し,台風後においては保安林解除の申請をとり下げただけでなく,その林相の整備に力を注いでいる状況である。
m.志摩半島一帯の潮害
先にも少しふれたが,鳥羽以南の半島部一帯は強い潮風におそわれ,森林だけでも15,300haにのぼる潮害をうけた。そのような被害は大なり小なり,果樹園や農耕地にも及んでいるものと考えられるが,森林に例をとって調査の結果をのべると,全被害地の中広葉樹林が12,000ha,針葉樹林が3,300haで,針葉樹林の中1,800haは恢復の見込がうすく,伐採の上新生林分を造成する必要があると推測されている。(恢復するものと,枯死するであろうと思われるものとの区別を科学的に判断することが現段階ではむずかしく,大凡の見当である)
一般に広葉樹は潮害に対しつよく,針葉樹は弱いのであるが,針葉樹の中ではクロマツが最も耐えるようである。事実,海水を冠ったスギの2m位の幼令樹は全部枯死していたが,より長時間風浪にもまれた同じ程度のクロマツはなお十分活力があった。これはスギ・ヒノキ等は樹皮が粗くかつ薄いために塩分の付着が多く,付着した塩分は容易に内部に滲透して形成層を破壊するのではないかとみられている。また広葉樹は樹皮が滑かであり,上記の点で有利な上,落葉してもその生理機能を止めるまでにはいたらないので被害は少ないものとみられる。その他に針葉樹はゆれが大きく根系の細根が切断されてその生理機能が甚だしく低下する等のことが知られている。
ともかく,このように広範に亘る被害も三重県伊勢林業事務所が造林木についてしらべたものによると地区別に区々であり,大王町のように海岸線に防風林があってその背後地が平坦地か小丘状地である場合,または海岸近くに高い山があり内陸の山が低いところでは被害が少ないが,海岸に近い,土地が低くそれから内陸に漸次高くなっているような地区では被害が大きい。潮害の大きいのはスギ・ヒノキでマツはこれより幾分小さい。またスギ・ヒノキでは樹令の若いもの程潮害が大きい傾向にある。潮害の水平的分布をみるに,海岸から10km以上では潮害が軽微であり5km以内では潮害をうけている。また垂直的には数百mの高さにおよんでいる。尾鷲林業事務所管内でも局部的にはスギ・ヒノキの壮令林の被害が目立ち,一団地が全滅したようなところもあるが,このようなところは汀線から極く近い距離にあるが,急傾地の山腹に植栽されたもので直接飛沫を浴びたものや潮風をまともにうけたようなところであり,志摩半島部程広範におよばないのは,地形的相違によるものであろう。
さらに比較のため熊野灘沿岸一帯の森林の潮害についてみると,前述のように海岸防風・潮林が割合に整っているので,地形の関係で一様ではないが,潮害の範囲は極限され海岸から余り遠くまでおよんでおらず2~3km地点では殆んど潮害が認められない。これに隣接する熊野市荒坂では海岸がリアス地形で波浪の跳上りが大きく,海岸一帯の山腹は潮害のため茶褐色にやけ,そのはげしさを示していた。
以上を要約すると,汀線で飛散する塩分をふくんだしぶきは強風におくられて,地形によっては10km以上も深く内陸部に侵入して潮害を生ずるのであるが,汀線に防潮林がある場合には内陸の被害は大巾に軽減されるもののようである。飛散塩分の垂直分布は内陸深く吹き込んだものでは数百mにもおよぶが,汀線付近における飛散は大体100m以下の高さにとどまり,したがって,海岸近くにそれ以上高い山があればその後方では潮害をうけない。
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2.愛知県の防潮林
1)愛知県の海岸林
a.海岸線
愛知県の地形は,知多半島と渥美半島が突出して伊勢湾,太平洋に面していると共に,知多湾,渥美湾をかかえているので,海岸線は相当長い。地図上で概測してみると,283kmになる。伊勢湾に面するのが83km,知多湾および渥美湾が156km,直接大平洋に面するのが44kmとなっている。海岸線の出入りは渥美湾をのぞいては割合少ない。地域別に分けてみると,伊勢湾の最奥部(木曾川の河口から天白川まで)は名古屋市と海部郡であるが,海岸線は全部干拓地と埋立地で構成されている。伊勢湾の東側は知多半島で,丘陵地帯が続き,海岸の平地はごくせまく,海岸線の変化も少ない。名古屋寄りの地区では,干拓地が前面につくられているが,大部分は自然海岸である。知多半島の東側は知多湾に面しているが,地形は西岸とほぼ同様で,北部の衣ヶ浦地区は埋立地,干拓地が造成されている。三河地方の海岸は,知多湾ぞいは平野が拡がり,干拓地が突出しているが,渥美湾の北岸は平地が少なく港湾が発達している。豊橋は渥美湾の奥にあるが,これから渥美半島の田原にかけては,埋立地,干拓地があり,平担地が続いている。渥美半島の北側の海岸は,中央部には平地が殆んどないが,西部の福江港付近から,伊勢湾に直面する伊良湖海岸にかけては,平担地が多く,特に立馬岬と伊良湖岬の間の海岸は広い砂地がひろがっている。渥美半美の太平洋岸は大部分断崖となっていて,海岸線はほとんど直線的である。
b.海岸林の分布
海岸の使用状態と海岸林帯の分布について,調査した範囲では次のようになっている。
(1)海部郡および名古屋海岸(木曾川河口-天白川河口)
全域海岸堤防の連続で,前面には林帯は全くない。前面の堤防は比較的近年にできたもので,昔は海面で,林帯が存在していたこともない。しかし内側の旧堤防にそっては,並木程度の林帯の残っているところがある。
(2)知多半島西岸(天白川河口-師崎)
名古屋に近い上野町の海岸は前線に海岸堤防があり,その後方は耕地または工場敷地になり,次に電鉄線路,国道となっている。電鉄軌道は海面下で堤防によって護られていたのである。この地域では前線に林帯は全く見当らない。上野町の南に接する横須賀町の海岸もほぼ同じで,海岸堤防-干拓耕地-国道と続いているが,常滑線太田川駅付近の長山部落には,昔の海岸堤防(土堤)が延長800m位残っている。巾は10m位で,堤の上にクロマツの林帯があって,樹令は100年以上と推定される。非常に疎開していて,樹列の間隔は5m以上離れている。堤防の内側には住家が並んでいる。
南に下って知多町に入ると,朝倉駅から日長駅の間は,丘陵が海岸まで出ていて,耕地・住家・道路はその裏側になるので,海岸林はない。その隣りの新舞子海岸は,海水浴場で,別荘・旅館が海岸にならんでいる。この付近の海岸は,コンクリートの海岸堤防で護られているが,海水浴場の中心部は砂浜が汀線まで続いていて堤防はない。浜の巾は50m位で,胸高直径20~30cm,樹高10m内外のクロマツが生立している。その間の空地に海水浴のための施設が建っている。これに連らなる別荘地帯の前面の浜は堤防で囲まれていて,砂浜には老令のクロマツが数十本並んでいるが,立木度は疎である。この付近には以前は一面のマツ林があって,これが防潮の役目を果していたようである。
これより南の西ノ口から常滑市街まで6kmの間は,海岸に林帯が継続している。海岸堤防は完成しているが,その後方に林帯の残っているところもある。西ノ口海岸もそれで,幅員100m位の砂浜があって,後方は人家になっている。以前は海岸堤防がなかったので,昭和12年に防潮林を前線に造成したが,昭和28年の13号台風で被害を受け,コンクリートの海岸堤防が造られた。このため林地が相当潰れたが,堤防の背後に巾20mぐらい存在している。堤防と防潮林の間にできた空地には,数年前に植えたクロマツが生えている。
美浜町の野間に下ると,海岸線に延長4kmの海岸砂防林がある。戦前より造成にかかったもので三奥川の南側の林帯は昭和13年の造成で,巾は100m位あり,林相は良好である。それより南の方にも,海岸砂防林の造られているところもあり,天然林の残っているところもある。内海町も海水浴場で,建物が海岸に密集している。ここにも昔は海岸林があったが,海岸堤防が造成されたため,その後方の林帯は大部分伐採されて,人家が並んでいる。これより半島の突端までは,山が海岸に迫っているので,海岸には平地がほとんどない。
(3)知多半島東岸(師崎-境川河口)
知多湾に面する側も海岸林帯が断続している。ここの海岸も大部分海岸堤防で囲まれてい■■,防潮林,海岸砂防林も数ヶ所で造成されたことがある。美浜町の飛行場跡に戦後間も■■■林された海岸砂地の造林地は,林令13年位,樹高4mで非常に密生している。布土の市街の前面の海岸に昭和30年度施行の海岸砂防林があり,その後方には旧いクロマツの林帯が残存している。半田市東浦町の前面には林帯は殆んどない。
(4)三河海岸(境川河口-豊川河口)
知多湾に面した碧南市の海岸に林帯が残っている。新須磨の浦は遊覧地であるが,海浜に樹高18m,直径30~40cmのクロマツ林がある。また大浜の熊野神社の境内から海岸にかけてクロマツ林がある。蒲郡の海岸にも林帯が散在しており,その東の方には防潮林が造成されているところもあるが,大体前面には海岸堤防ができている。豊橋市西方海岸には,海岸堤防の後方に比較的厚い林帯が残っている。
(5)渥美半島北部(豊川河口-伊良湖岬)
田原湾内にある大津島の周囲には,防潮林が造成されていて,良好な成長を示している。渥美湾ぞいに全線に亘って,海岸林帯が存在しており,その中には防潮林として造られたものも数ヶ所ある。この海岸は海岸堤防はまだ完成されておらず,昔の土堤が残っている場合が多い。半島の先端部の伊勢湾に面する海岸は広大な砂地で,以前は陸軍の射撃場であったが,戦後開拓地になったところである。650haの耕地が造成され,その前面は100~500mの巾で460haが海岸砂地造林の計画地となっており,その中270haは造林が済んでいる。
(6)渥美半島南岸(伊良湖岬-県境)
伊良湖岬より東の方4km位は大体砂浜が連なっていて,前線には海岸砂防林がある。半島の東部は高い崖となっていて,その上端に防風林帯が連なっている。この断崖は年々海蝕により後退しているので,前線の防風林帯は逐次決壊して落ち,すでに林帯が失われたところも出ている。(明治17年当時の地籍資料と比較して,最大部分で100m,最小部分でも20m後退し,崖の先端にある海岸防災林の面積も当時に比し60%に減少したといわれており,そのため内側の農地を塩風と強風から保護している防災機能が危たいに頻している)
海岸林の現況は以上のようであるが,全般的にみると,以前はほとんど全海岸に林帯が存在していたと見ることが出来る。近年漸次土地利用の発展と共に失われてゆき現在みられるような疎開した林帯が残るか,あるいは全くこれを欠いてしまった。例外的にクロマツの厚い林帯が残っている部分は,渥美半島を除いては,海水浴場か別荘地帯だけだといってもよい。新たに海岸林を造成する事業,すなわち海岸砂地造林や防潮林を造成する事業は昭和12年頃より行われ,良好な林相を形成しているところが多い。しかし反面,折角造成した林地も海岸堤防の,敷地として潰れたものも少なくない。
2)調査した事例
今度の台風で防潮林はどの程度の効果をあらわしたであろうか。愛知県の海岸林帯は概して薄く,疎開しているものが多いので,普通いわれている防潮林としての十分な条件を備えているものは少ないが,大略次のように分けることができよう。
(1)海水の侵入を著しく阻止したと認められるもの。
(2)ある程度高潮の勢力を殺ぎ,林帯後方の施設の被害を軽減したと認められるもの。
(3)効果の有無を確認できないもの。
(4)海水の阻止には直接関係がなかったが,防潮林としての効果があり,風下の被害(風害,塩害)を軽減したもの。
以下個所毎に調査の結果を述べる。
a.新舞子海岸
知多町の新舞子は,海水浴場であり,別荘地帯でもある。海水浴場の部分は海岸堤防がなく,汀線から砂浜が直接クロマツ林(約50年生前後)に接続しており,その背後に旅館,店舗,住宅が並んでいる。高潮は約3m,海岸は西に面しており,台風の風向は大体汀線に平行に南から北に吹いた。海水浴のための仮設工作物で林帯の前方にあるものは,殆んど全部破壊流失しており,林帯の中,若しくは後方にあるものは多少の破損はあったが,無事であった。
(第11図参照)
なお,汀線より約40mのところにクロマツ林に囲まれた平家があったが,床上浸水30cmで,高潮と波浪で押しあげられた砂が床下一杯に埋まっていた。林帯の前方海寄りにあった物置小屋は跡形もなくなっていたが,母家が安全であったのは,構造が堅固であったせいもあるだろうが,林帯の保護の影響も見逃せない。(写真21参照)
b.美浜町布土海岸
クロマツの巾の狭い30年生位の林帯があり,さらにその前方に昭和30年度植栽,現在約1mの高さのクロマツ海岸砂防林がある。海水浴場として発展し,海岸堤防はない。海岸に近い人家は床上1mの浸水があり,海岸から約70m離れた街路上では地上1mの浸水があった。林帯が切れている所の後方の家が2軒倒壊していたが,これは主に風のためと考えられ,高潮の破壊力のみによるものではないようだ。(写真22,23参照)
なおマキは潮風に対して比較的強く,その生坦が,海水の侵入エネルギーをある程度減殺する効果が認められている。
c.碧南市新須磨海岸
海水浴地で,100年生前後の胸高直径30~40cm,樹高18~20mのクロマツ林が保存されている。床上浸水1mで,林帯の前面にあった脱衣場等は全部流失しているが,後方の家の被害程度は割合に軽い。若しこの林帯がなかったならば,もっと大きな損害を受けたものと推定される。
暴風のための倒木や折損木が,全立木の凡そ20%位生じている。正確な観測値はないが,名古屋市や伊良湖岬の風速から推定すると,最大瞬間風速は40~50m/secに達したものと思われる。幸い風向が海洋方向に向っていたので,倒木による人家の被害は僅少であった。風向によっては,倒木による被害の発生を考慮しなければならないし,また後述の熊野神社境内においても見られるように,老令のマツは強大な風に対する抵抗が弱いと思われる。土地状態によっても異なるであろうが,マツの直根と根張りの発達状態とその年令の関係を研究し,海岸林の適切な若返り更新方法等も検討する必要があろう。なお,ここでは海水によりマツの根元の砂が洗い流され,風倒を容易にしたことも認められる。(写真24,25参照)
d.碧南市大浜の熊野神社境内のマツ林
大浜港南方の熊野神社境内のクロマツ林も樹令100年以上と推定され,風上に当る東南の林縁部に多くの風倒木を生じた。(写真26参照〉海岸堤防を溢流した潮水(最高潮位2.84m)により,地上約1mの浸水をみているが,マツの根元の砂が洗い流された形跡は全くない。直根は余り発達していない。風倒木を生じた部分は海岸から100mも離れており,地下水と地中の塩分の影響も全く考えられない。元来マツの直根は高令になるに従つて直根が退化し,側根からの杭根(垂直にのびる根)が発達するといわれている。林のウツ閉度や土地の条件によって一概にはいえないだろうが,樹高と根張りの関係が年令に相関してどう変化し,風圧に対する抵抗性がどうなるのか,またそのためにとられるべき適当な森林の更新方法など,今後研究解明を要するものと思われる。
e.真野新田,浅生新田および碧南干拓
色町の真野および浅生新田は以前は塩田であったが,昭和28年13号台風で破堤した。同年堤防を強化して干拓地となし現在に至るが,今回の台風では破堤しなかった。堤防を溢流した海水で約2mの浸水を見たが,破壊的惨害はまぬかれた。古い干拓との間に高さ3m位の土堤があり,堤防上は道路となり,30~50年生のマツの並木がよく保護されている。この旧堤防の下に約1mの土盛りをして,農家が建てられてあり,約1mの浸水を受けたが,そのために破壊されたものはなく,ただ暴風で屋根の飛んだものがあっただけである。家の背後には3m位の「ヒヨンノキ」-(方言)-の生垣が連り,潮風のため樹葉は一時枯れ落ちたが,台風後1ヶ月の本調査時には新芽を出していた。この土堤は,伊勢湾台風では全く安全であったので,今後の干拓計画上参考となる点が多い。(第12図,写真27参照)
碧南干拓地では第一線堤防が決壊し,大惨害をまねいたが,やはりその背後の第二線旧堤防は,真野・浅生新田の旧堤防と同様,土堤であり,堤防の裏法面にはマツが植栽され,現在20~30年生となっており,堤上は道路として使用され,今回の台風では安全であった。ただその農家は,真野・浅生新田と異なり,干拓地と同一水準面に建てられていたため,殆んど全滅の非運にあった。
f.蒲郡市三谷港の東部海岸
海水浴場遊覧地で,50年生以上のクロマツ林が保存されている。防潮堤はなく,低い護岸(殆んど破壊された)があるだけで,林帯の前方の砂浜は10~15mで汀線に接続する。適度にウツ閉した林帯に保護されて,林内または後方の家屋は風と高潮のため,多少の被害を受けたが,大害は免れている。最高潮位は凡そ2.5mと推定され,汀線から数米離れて生立するクロマツ(樹令凡そ60年,胸高直径約30cm,樹高14~15m)は,直根がよく発達し,約1m程根元の砂が洗い流されても,なおよく立っていたものが見られた。(写真28参照)ここでは,マツの直根発達のため,海水の塩分の影響は認められない。前述の新須磨海岸や熊野神社境内で見られた風倒のマツに較べて,樹令が20~30年位若いと推定される。
g.豊橋市大津島の防潮林
戦時中,陸軍の飛行場として使用された周囲約5kmの島で,海面より1m余の高さの平坦地である。戦後農地として開拓されたが,その結果は良好でなく,現在その一部に東都製鋼の工場が建設されている。昭和25年以降防潮林造成事業と海岸砂地造林事業により,国の補助をえて島の周囲にクロマツ林が仕立てられ,初期のものは既に8~9年を経て,成育良好であり,樹高も2~3mとなった。台風時に豊橋その他付近の最高潮位観測の結果は2.5~3.1m(T.P上)であり,この島でも1.5m位の浸水があった。林帯は殆んど被害を受けておらず,葉の赤くなったものも少なく,枯死したものは見当らない。
h.伊良湖海岸
立馬岬から伊良湖岬に至る一帯は元陸軍試射場で,戦後135戸が入植し650haを開墾した。(既農家増反分を含む)残り460haの内,昭和25年度より34年度までに270haの海岸林造成を終り,写真29にみられるように順調に成育しており,さらに今後190haの造林が予定されている。海岸寄りには低い砂丘が見られ,陸軍用地時代に1~1.5m位の土堰堤が海岸に平行して造られたが,農林省でこれを強化嵩上げする計画があり,立馬岬付近ではすでに着手されている。海岸林の造成は昭和25年に南の方から着手し,その巾は狹い所で50m,広い所では500mにも及ぶ。開墾された耕地は,150m×300mに大区画され,その区画線には一定の巾の防風林も造成されている。
既存の土堰堤が低いので,今回の高潮時には(福江港における最高潮位2.13m)いたる所海水が侵入し,殊に中央部においては砂丘が決壊し,その地域一帯は半ヶ月程湛水したが,海水は後方の農地までは到達しなかった。その湛水部分では1時約1.3mの浸水があり,植栽後3年のクロマツの50%が枯損状態にある。
i.渥美町堀切・日出海岸
太平洋に直面し約4kmの砂浜が続き,海岸堤防はない。50年生以上の古い防風林・防潮林があり,その前面の砂地にはさらに近年になってクロマツが増植されて,林帯の巾を増大している。その1モデルを示せば第13図および写真30の如くである。
最高潮位の観測値はないが,2m前後の高潮と波浪は,小砂丘および古い土堤を越して内側に侵入した。そのため県道および耕地は浸水したが,その破壊力は厚い林帯により消耗されて,受けた被害は軽微であり,人家の被害は皆無であった。
この調査個所で特記すべきことは,潮風の被害である。すなわち,そのため前面のクロマツの枝葉が赤変し,殆んど全部枯死状態となり,その裏面のクロマツは殆んど被害を受けていない。また後方の農作物も,浸水を受けた所は別として,潮風に含まれる塩分による被轡は,この林帯の炉過作用により非常に軽減されている。もともとこの地方では,農作物を潮風から守るためにこの海岸林帯を重視し,その保護管理は周到を極めていたのである。この度の台風でこの防潮林の大半が枯死状態となり,その大部分はもはや恢復は覚つかないと思われるから,虫害の予防とその更新対策について十分の検討を要する。
伊良湖岬での最大風速は42.7m/sec(最大瞬間風速55.3m/sec)を観測しているから,この付近でも相当な暴風であったことは想像できる。全面のクロマツが枯死状態となり,裏面のクロマツが安全であったことは,前面のクロマツが台風により吹き付けられた塩分の化学作用と,強烈な物理的障害をうけたことが原因と思われるのであるが,さらにその原因を科学的に研究,堀り下げる必要があろう。
なお,伊勢湾台風でクロマツその他樹木の受けた潮風害は各地に見られ,特にその激甚な所は上記の箇所の他,知多半島の先端内海町,豊浜町,師崎町,渥美湾に面する幡豆町,西浦町等の海岸地帯である。台風の風向に直面する東南面の部分がひどく,その反対側は殆んど被害を受けていないことは対照的である。
j.渥美半島太平洋岸(赤羽町越戸)
上記の堀切・日出海岸を除けば,渥美半島の太平洋岸は断崖が連なっており,その断崖は地殻変動と海蝕により年々削り取られて,年平均78cmも後退しているということは1-b-(6)でも述べた。今回の台風時には高潮とその波浪のため侵蝕が甚しく,一挙に数米も後退した所があるといわれている。
崖の上にはクロマツを上木としウバメガシ・グミ・ハゼ・ハギ等を下木とする防潮林・防風林がよく保護されており,その後方に耕地・温室・人家が配置されている。ここの防風林のねらいは潮水ではなく,強い潮風を防ぐことにある。(写真31参照)
ところがその防潮林の立っている崖が,毎年侵蝕されて後退するため,林帯の巾が逐次狹少となり,ある場所では大事な防潮林がなくなって,農作物に大きな影響を与えている。接続する農地をつぶして新たに防潮林を造成することと海蝕の防止について,地元ではその対策を真剣に考究中である。
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III わが国防潮林の沿革
1.名称
わが国の海岸防潮林は,随分古くからいろいろの名称で呼ばれ重視されてきた。概ねその名称を示すと次の通りである。
潮風除林(しおかぜよけばやし) 弘前藩,幕府駿河国,鹿児島藩
潮風囲林(しおかぜかこひばやし) 幕領大森
潮除林(しおよけばやし) 盛岡藩,平藩
潮除並木(しほよけなみき) 中村藩
潮除須賀松(しおよけすがまつ) 仙台藩
潮霧囲林(しおきりかこいばやし) 高知藩
風潮林(かぜしおばやし) 水戸藩
浪囲林(なみかこいばやし) 徳島藩
洲賀林林(すがまつばやし) 徳島藩
波除囲松(なみよけかこいまつ) 厳原藩
浜松留林(はままつとめばやし) 高知藩
2.意義
この種の森林は,主として田畑・の山林などに対する潮風の害を防止する目的で保存され,仕立てられたのであるが,海嘯(地震津浪)の被害のためにも備えていたものである。総じていえば,海岸地帯の防風・防潮・高潮防止・津波防止など海岸保全を目的として総合的な複合目的をもっていたものと認められる。場合によっては,魚付や海防の役割も兼ねていた例もある。
3.旧藩時代の防潮林政策
海岸防潮林の起源は詳でないが,万葉時代の記録もあるので,わが国では相当古くから海岸保護のために松原を大切に取扱っていたことが推測される。
しかし,その対策が積極的になったのは徳川時代に入ってからである。民生の安定,食糧の生産といった封建制時代の社会的ならびに経済的要求から,幕府,各藩ともにその実績をとどめている。
記録にとどまる主な事項
万治元年 1658 徳島藩 勝浦郡の砂原に松の植付を許す。
寛文5年 1665 平藩 潮除松林を禁伐とす。
〃 7年 1667 盛岡藩 海辺田地風除松林の手入を命ず。
〃 8年 1668 仙台藩 高田松林植立開始。
〃 9年 1669 高知藩 白浜海辺に松を植える。
延宝6年 1678 和歌山藩 和田に松木山あり。
宝永年代 1704~10 幕府 伊豆下田町潮風除等用の御林伐採を中止す。
享保2年 1717 〃 大森代官所管内にの山の植松を伐採して潮風囲を失う。
〃 〃 〃 駿河国相良町,浪除垣内外土堤の間に黒松を植える。
〃 8年 1723 弘前藩 塩風除のため柏木立分に移る村あり。
〃 13年 1728 鹿児島藩 屋久島に塩風除松木植立る。
寛政5年 1793 厳原藩 田畑波除囲仕立の松原あり。
享和2年 1802 津藩 高砂の並木松を植立る。
天保3年 1832 鳥取藩 灘筋浜辺に塩除松を植立る。
〃 7年 1836 中村藩 潮除並木を植立る。
慶応2年 1866 幕府 駿河国に潮風除林の伐採を中止す。
幕府ならびに各藩では主として耕地保全のため,海岸防潮林を保護し,その伐採を禁制していたことは記録に明らかである。幕府所領の海岸林は御林などといい,各藩も御留山としてその管理は厳重であったし,さらに積極的に海岸林の造成を行っていた。
その当時の中央政府は各藩とくに外様に対しては,種々の苛酷な命令をもって木材や石材や夫役を仰せつけたものであるが,御用材用達のため,海岸林を伐採するような場合に,地元農民が「防潮防風のため肝要な場所であり古くから手厚く備えてきたものであるから」といって伐採停止を願出ている例も多い。また大地震海嘯のあった折にも「船にて避難せし者は死歿し,松原に逃れた者は安全なり」として「枝を伐らず樹を傷けず」ということが不文律となっていたところも多い。
和歌山藩有田郡広村の浜口悟陵の「堤防の大工事を起し,堤外に松を植栽して潮害に備えた」業績は今も歴然としていて,その後幾度かの高潮や津浪の場合にも古い防潮林が大きく貢献している。
津藩は享和年間「海手高砂三所南米津浦より北者大部田浦まで二里余之場所」に松を並木に植えさせているが,このような事例は至るところにある。
こうして保護され育成された海岸防潮林は旧藩時代にも一般に日本海方面に少なく,太平洋方面に多かった。これは災害の経験から当然のことと思われる。
4.現在の防潮林
上記のような旧藩時代の海岸保護林は大部分,明治維新後も引きつがれたものとみてよいであろう。明治初年,官林は禁伐林,民林は伐木停止林として所要の保護林は存置されていたが,明治30年に森林法が制定され保安林制度が確立されたとき,それらは保安林に編入されているとみなされる。
現在,防潮林は保安林名を「潮害防備林」とされているが,その大要を示すと第5表通りである。
保安林種にしたがって潮害防備林だけについていえば,全国10,577箇所にあって,その面積は9,165haである。これを太平洋側と日本海側に分けてみると,
日本海側 1,929箇所 1,941ha
太平洋側 8,648〃 7,224〃
であって箇所数にしても,面積にしても,太平洋側は日本海側の3~4倍も上まわっている。
しかし,この他に防風林,飛砂防止林または魚付林として潮害防備の役割を兼ねている保安林がある。
以上の海岸保安林,とくに潮害防備林についてみれば,その配置の状況は,必ずしも科学的にみた海岸災害の危険度に対応しているとはいえない感がある。再調査,再整備を要すべきものと思われる。
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IV 防潮林の機能
1.防潮林の効果
防潮林の効果として,一般に挙げられているのは,次のものである。
①海風中の塩分補捉効果
②津浪・高潮の防浪効果
海風には塩分が含まれていて,風速が増加すると塩分の含有量も大きくなるものである。暴風あるいは強い季節風が海上より陸に向って吹くと,多量の塩分が陸上に送られて作物や樹木に付着し,あるいは地表に落下し,農作物や林木に塩害を及ぼす。森林が海岸にあると,塩分を含んだ風が林帯を透過するとき,樹冠に遮られて塩分はこれに付着,あるいは落下して,塩分濃度が薄められる。また林帯の上方の気流は攪乱され,渦流が生じるので,空気中の塩分は拡散して濃度が低下する。このため森林の風下側の空気中の塩分の量は著しく減り,農作物の塩害防止に効果があるというのである。海岸林帯が潮風害の防止に効果のあることは,長い間の経験によって確められているのであるが,これは普通の季節風程度の風速の風に対してであって,今回の伊勢湾台風のように平均風速30mを越える風のときには,塩分が10km以上も内陸に飛散することもあるので,定量的な防止効果はまだ判っていない。ただ暴風のときは風のために高い波が起り,海岸に打寄せて砕けるときに飛散した水の粒子が風に乗って飛ぶものであるが,林帯がこれを遮り塩分の陸地に落ちるのを防ぐことに効果のあるのは明らかである。
津波・高潮の防浪効果というのは,海底地震によって発生した津波や台風による高潮が陸地を襲うとき,海岸の森林は海水の侵入勢力を弱め,後方の陸地の被害の防止軽減作用を指すものである。各地域に発生した津波・高潮の際に,海岸に森林があることによって,後方にある施設が被害を免れたり,軽減されたと認められる例は多数あげられている。
その効果の第一は,津波に乗り上げた船とか海浜の構築物が波と共に陸上に押寄せて,家屋を破壊することが多いが,途中に林帯があれば流出物は樹幹に遮られて止り,後方は安全を保たれる。第二に考えられることは,波が森林内を通過して内陸に押寄せるとき,林木の樹幹や下木,下草等にさまたげられて,水流の水頭損失があり水位が低下することである。津波が森林をでて開けた土地にくべると流路断面が増すので,水位・流速が落ちて津波の破壊力は一層弱まるので,森林の後方の地域の被害を軽減することが期待されるのである。第三の効果は,津波が引くとき海水は再び森林内を通過し,そのとき林木の摩擦抵抗によってその減退速度は低下するので,家屋等の流失するのを防ぐことができるというのである。
海水が海岸の森林内に流入するとき,水の流れがどのような状態にあるか実際に調べられたことはないので,森林の機能を具体的に示すことはできない。またある波高の津波が押し寄せるとき,水の勢力は位置と速度の水頭の他に波動の勢力も伴っているものであるし,波の先端は砕けて複雑な渦流が生じているであろうから,津波のもつ全勢力を算定するのは困難である。そしてこれが森林という複雑な形態の構造物に衝突したときの変化を理論的に定めることは,なお難しいものと考えられる。したがって現在の段階では津波が森林に遮られて,ある程度勢力を弱められるという事実を経験しているというに止る。
この他に防潮林の効果で見おとすことのできないのは森林の防風機能である。これは普通防風林といわれるものであるが,海岸に森林があれば森林内あるいは風下では森林のために風速が減ずる。また風上でも森林の近くは,ある程度平開地にくらべて風速が弱まるので,暴風のときは家屋・農作物の被害は軽減される。伊勢湾台風でも防潮林の効果として,あるいは海岸林の効果として,一番はっきりしているのは,林帯の風下にある家屋,あるいは樹木に囲まれている家屋は,風による破壊をまぬがれていたことであった。
防潮林の効果は大略以上のようであるが,その効果の機構が充分に解明されていないので,防潮林を計画し造成するに当り,その内容について明確な根拠を与えられないことが多い。また防潮林も樹木の集合であるので,強い風や津波にあえば倒れたり折れたりすることもあり,海風の塩害を受けて枯れることもある。予想される危害に対して十分な抵抗力を持つことが必要なので,林帯の強度についても充分な資料がえられないかぎり,完全な防潮林は成立しえないのである。これらの点について科学的な研究が望まれるのであるが,以下現在知られている範囲で防潮林の機能についてのべてみる。
2.塩分補捉機能
1)海風中の塩分
海風中に含まれる塩分の量は一定しないが,一般に風速が大になると塩分の濃度も増加するといわれる。
松平康雄氏(松平康雄:潮風について 海洋の科学3(昭18))が御前崎で,蒸留水に湿したガーゼを額縁に張り,一定時間風向に直角の方向に露出して塩分を捕捉したところ,風速と捕捉塩素の量との間にはほぼ直線的な関係が認められた。(第6表参照)
海風中の塩分の垂直分布については,林業試験場が青森県の横浜海岸で測定した数値を内田茂男氏が纒めた結果は第7表のとおりで,地表面の近くが最も塩素の含まれる量が多く,地上2.5m以上になると急速に減少している。この測定のときの風速は7.5m/secで強風状態ではなかったので,風速が増加すれば垂直分布の状況も変るであろうが,地表の付近の塩分濃度が高いことは同じあろう。風によって塩分が内陸にはこばれる総量は明らかではないが,暴風時には相当遠距離まで到達することは確かである。福井英一郎氏の調査(福井英一郎:新潟県柏崎付近の積雪の含塩量の分布その他について 海と空15(昭10))によると,海岸から7kmはなれたところまで飛んだことが確められている。
2)林帯の影響
海岸の林帯が海風中の塩分の飛散をどの程度阻止するものであるかについて,林業試験場で調査したことがある。場所は宮城県北釜海岸および青森県横浜海岸で,クロマツの雛形防風林(高さ1.5m)と実際のクロマツ林(平均樹高12m)について測定したものである。調査報告(飯塚肇 他:雛形防風林試験報告(第1報)林業試験場研究報告45(昭25))には次のように述べられている。
①実験方法は林帯の風上,風下および林内に塩分捕捉器を設置し,それぞれの箇所の空中塩分を捕捉した。捕捉器はガーゼを枠に張り,その面に風が直角にあたるように設置した。
②防風林の無いときは,塩素付着量,空中塩素濃度は海岸が最大で,内陸に進むに従って最初は急に減じ,その後は徐々に減少する。
③防風林が存在するときは,付着塩素量は林内に入ると急激に減じ,風下林縁直後が最も少ない。林帯を風下に向って離れるに従って増加するが,樹高の25~30倍付近で増加は止る。この位置が林帯の塩分濾過効果範囲と考えられる。
④林帯の空中塩分の捕捉率は,実際の防風林では0.88,雛形防風林では0.72の結果をえた。
⑤林帯の風下における空中塩分の減少は,林帯の塩分炉過効果と風速の減少による単位時間に通過する塩分を減少せしめることによる。両作用共林帯の厚い方が効果が大きい。風速の減少による効果は濾過効果よりはるかに少ない。
⑥林帯が海風を上昇境攪乱せしめ,渦流拡散を大ならしめて,塩分濃度を減少せしめる効力がある。この影響は,はるか後方までおよぶものであるが,平常は効果微弱である。暴風時には大きな効果をあらわすものと考えられる。
第8表は測定データーの一部である。このように森林が塩分の飛散を阻止する機能を持つことは明らかであるが,風速30mというような時には,どうなるかは測定されていないし,また不可能であろう。適当な実験と理論の発展とによって,推定できうるようになることが望ましいが,これも森林という複雑な構造のものが対象であるから仲々困難のことと思われる。
林帯が風速を減少する機能については,多数の測定や実験が行われているが,風速減退効果の範囲は大体風下では樹高の25倍,風上では6倍程度とされている。
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3.津波・高潮の破壊力の軽減機能
1)津波および高潮
津波は海底地震や海底火山の爆発によって起るもので,日本の太平洋はこれに見舞われることが多い。高潮は暴風津浪ともいわれ,台風または低気圧の移動に伴ない,海面が上昇して海水が陸地に押寄せるために起るものである。
地震津波は長周期波で,波長は非常に長いものである。波長は波の周期と水深との函数であって,周期10分の波の波長は,水深10mで波長6km,水深100mで18km,水深500mで42kmになる。また周期30分の波の波長は水深10mで18km,水深100mで55km,水深500mで126kmに達する。津波の波高は海岸の地形によって異なるもので,V字形の湾の奥部で最も高くなる。また湾内の幅と水深にも関係し,理論的には次の関係式がえられている。
式1
昭和18年3月の三陸地震のとき烈しい津波が襲来したが,岩手県の綾里湾の奥では津浪の高さは20m以上におよんだ。津波は波高の高い波が急激に海岸に押寄せるのが特徴で,その破壊力は極めて大きい。前記の三陸津波の平均伝播速度は12.8km/minで,昭和21年12月の南海地震のときは11.4km/minであった。
高潮は気圧の低下に伴なう海面の上昇と風の吹寄せによる波とが合さったものである。静的気圧低下をΔpmb,海水の密度を1.03gr/cm^3とすると,海面上昇の高さは
式2
となる。風の吹寄せによる波高は風速に比例するとされている。特にV字形湾においては,台風進行速度と湾の長波速度が干渉することにより海面に強制振動が生じ,共鳴したときには著しい海面上昇が起る。高潮の高さを推定するには次の経験式が用いられている。
式3
今回の高潮の高さは,名古屋港で3.89m(T.P上)を観測されているが,これに波の高さを加えると6m程度になる。満潮時と高潮が重なると潮位は一層高まるが,それでも強大な地震津波にくらべれば低いものといえよう。潮位の上昇割合は伊勢湾台風では,名古屋港で1時間1.4m,新川下の一色では1.6m,三河湾の奥の前芝(豊橋)では1.65mとなっている。鍋田干拓地では殆んど瞬間的に1.5mの上昇が記録されているが,これは内水の水位で破堤によって急激な上昇をみたものである。検潮儀は波の影響を消すように設置されているから,野外では波による水位の変化がこれに加わるわけである。異常潮位の継続時間は割合短く,名古屋港では東京湾中等潮位を2m越す値は2時間程度にすぎない。最高潮位の持続時間もきわめて短く最大値に達するとすぐに下降したようであって,知多半島の先端の師崎では最高潮位が約30分間続いているのが例外に過ぎない。これらの記録からみても高潮の侵入速度は地震津波よりは遅いことがわかる。堤防の破壊のため海水が一時に流入すれば,流速の大きい水が押し寄せるが,露出した海岸では潮位の上昇による海水の侵入速度は小さく,風による波の力が破壊力の主な原因であろう。
2)波の作用
深海では波形は進行するが,水の粒子は円軌道を描いて回転するだけである。水深が浅くなると軌道は惰円に変り,海底の水は水平移動を行なうようになる。波長と波速は水深の減少につれて減ずるから,波のエネルギーの保存性によって,浅海にくると波高は増加してくる。陸岸に近づき水深が更に浅くなると,波は砕けて砕け波となる。波の峰の角度が大体120°になるかあるいは波形勾配が1/7になると,波がくだけて形を失なうことが観測され,理論的にも説明されている。砕け波では水粒子の運動の軌道は一層扁平になり,水底の水は前後運動を行なう。波の砕ける地点の水深と砕ける波の波高との間には,次式のような一定の関係があることが見出されている。(J.W.Johnson:海岸工学(土木学会海岸工学委員会訳)(昭30))即ち
式4
経験からしても波の破砕点の付近が最も波の破壊作用が大きい。津波の場合は波高は相当高いので,破砕点は汀線より海側になることが多く,陸上の施設は砕け波によって破壊される可能性が大きい。また高潮のときは海面上昇により水面は陸上に上り,波高はあまり高くないから砕波点は当然陸上になろう。したがって砕け波の性質を解明することが必要であるが,まだ不明のことが多いようである。
波の力については,多くの研究が行われているが,防波堤のような固定物に波が作用するときの波圧は第14図のように示されている。水深が波高の2倍以上のときは,重複波として扱うSainflowの公式等があり,砕け波については広井公式,Minikinの実験式がある。しかしこれらの式もなお不明確な点があるので,実際の適用には慎重を要するものである。
海中に打込まれた杭工に作用する波力については,Morison(J.W.Johnson:海岸工学(土木学会海岸工学委員会訳)(昭30))によって理論が提示され,模型実験で確められている。この理論の仮定は,水深が波長にくらべて大きく,波高は波長にくらべて小さいということであるので,水深の非常に浅いところで波形勾配の大きい波には適用できない。したがって砕け波についてはこの理論は成り立たないわけである。防潮林の林木の樹幹を杭工と同様のものとして扱うことも考えられるが,この場合はかなり高い潮位の高潮によって林内は浸水し,これに波高の低い波が作用するときに限られるのである。
この式では水実質部分の水平な変位,速度および加速度を次のようにあらわしている。
式5
また杭工の微小部分d_zに働く力をFとすると
式6
さらにMorison氏は杭の任意の点に働くモーメントを求めている。
3)防潮林の津波・高潮の軽減機能
防潮林のような林帯に津浪や高潮が作用するときの林帯の防浪機能については,まだ理論的な説明が出されていないが,加藤愛雄氏(林友会青森支部:防潮林径営研究録(昭23))は次のように述べている。
「津浪に対し防潮林は摩擦抵抗の役割をなし,そのため水勢を減ずる。この効果を表す公式はないが,走常流が一列の杭列によって水頭を減ずる式利用できる。
式7
Vを4m/sec,Bを2m,Sを0.3mとすれば,水頭は約1/100減ずる。すなわち一列の樹木によってさえ若干水頭が減ずることになる。密生林の場合はさらに効果が大きい」
防潮林の必要なところは海岸平地のある平坦な海岸であるから,海岸近くの水深も浅いのが普通である。林帯は汀線からある程度距り平常の波には洗われないところに造成されるから,津波の波は林帯の前方で砕け,ある速度をもつ水が林内に流れこむことが多いであろう。海岸に達したときの流速は相当早いものであろうが,陸岸は若干の傾斜があり,地表面の摩擦抵抗もあるので,水の勢力は損粍し遂に流速は0になる。林帯がその流路を遮れば,抵抗は増大して水流の勢力は一層弱められる。このときの水の流れは渦の発生により複雑な流れとなるので,走常流として扱うことは適当ではないであろうが,その実体が明らかでないので,一応走流としても支障ないと考える。
河川の流路を横切る橋脚があると,水流は遮ぎられて橋脚の上流側の水位は上昇して背水を生じる。
d'Aubuisson公式によれば,水位上昇をhとすると
式8
橋脚を短形断面とすると,
式9
となる。
ν_1は上流側の流速,ν_2は橋脚の間の部分の流速,Qは流量,gは重力加速度
A_1は上流側の流路断面積,A_2は橋脚間の流路断面積,Hは上流部の水位
B_1は上流部の流路巾,B_2は橋脚間の流路巾,μ=係数
式10
橋脚によって流路断面は急に縮少するので,流量Qが通過するには流速は増加しなければならない。水位の上昇がこれに釣合うのであるが,ここにaという損失が伴うのである。橋脚の上流の水位上昇のため,流水の勢力は橋脚のない場合にくらべ小さくなる。
水路内にごみ止め格子を鉛直に取付けたときの水頭損失をhとすると
式11
であらわされる。
βは形状係数,bは格子の間隔,tは格子の直径,νは流速
林帯は円柱格子の列が重ったものとみればこの式を用いることがでぎる。一列の樹列を考え,b=3m(樹の間隔),t=0.3m(樹の直径),ν=4.0m,β=1.79とするとh=7cmになる。またb=1.5m,t=0.3mのときはh=12cmになる。樹列を10列とすると,全体の水頭損失は相当大きくなるので,これに必要な背水の上昇に費される勢力も少なくない。それだけ林帯に流入するときの流速が減ずるので,平坦の海岸に流れこむときにくらべ,はるかに水の力は弱くなる。水流が林帯をでると急に流路断面が拡大するので,流速はさらに減って林帯後方の被害は軽減されることになる。林帯が非常に密であると一層水流は遮られて,上流に向った段波を生ずることもあるかもしれない。そうなれば逆津波の現象が起り,海からくる水の流速を減少せしめる。
高潮の場合は高い潮位は1~2時間続くであろうから,防潮林は海水の侵入速度を小さくすることはできるが,海面水位までの侵水を防ぐことには役立たない。風の吹寄せによる波は波高も低く周期は短いが,この勢力の阻害には林帯は充分効果があるので,水の破壊力を軽減することができる。
海岸線に防潮堤を設け,その後方に防潮林を設けることが考えられているが,この場合防潮林は越堤した波浪の勢力を殺ぐことは明らかである。また万一防潮堤が破堤したときは,高い水位の水が決壊孔から流入するので,非常に早い流速が出現して大きな被害を生じるのであるが,これも林帯があれば前述のように流入速度を減らすので,侵水はしても大きな被害をまぬがれることができよう。
4)防潮林の強度
防潮林に海水が達すると,波圧あるいは動水圧が樹木に働く。成林したときは枝下高が4~5mあるから樹幹が圧力を受けることになる。水圧で倒れたり折れたりすることは困るので,各樹木は水圧に耐えられることが望ましい。樹幹に加わる流水の動水圧をPとすると,単位長について
式12
kは係数で円形断面積では1.0,aは杭の巾,γは水の単位容積重量,νは流速
gは重力加速度
ν=4.0m,a=0.3m,γ=1.0とするとP=0.245トンになり,水深3mならば0.735トンの動水圧が樹木に加わる。波圧を受けるときは,砕け波の理論を応用すれば大体の見当はつくと考えられる。
樹木の被害は根倒れが多いが,根系の引張りに対する強さは根の張り方によって異なるので,一定の動水圧に耐えられる樹の樹高・直径を算定することはむづかしい。しかし前線の樹木が水圧を受けて倒れても林帯の巾が相当あれば後方の樹群によって充分防潮機能を果すことができるから,健全な森林を造成することに努めればよいであろう。また高潮のときは暴風が起きているので,風倒の危険を考えなければならないが,これも伊勢湾台風の経験では,風上の部分において現存の林帯の風倒率はせいぜい20~30%であり,風下の部分には殆んど風倒は起っていないから,それ程心配することはないと考える。
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V 今後考慮されるべき事項
1.海岸保全のため考えらるべき前提
1)気象的因子
伊勢湾台風に伴なう海水による被害は,高潮の害といっている。高潮というのは,現在でに日本気象学会で認めている用語であるが,これは室戸台風のときに大阪,神戸の気象関係の人の報告によって初めて用いられたものである。それは海面が低気圧のためにジワリジワリと盛り上ることから高潮という言葉を用いたようである。以前,海岸地方で海脹-うみぶくれ-といわれたものに相当する用語のように思われるが,海脹は人が逃げられないことはない程度のものを意味していた。しかし実際の場合,台風時の激しい海水の動きは従前に用いられてい大「風津浪」といった方が現象的表現としては適当のように思われる。気象専門家の中にも同様の意見をもっている人もいる。台風のときに防潮堤を越して来襲する海水侵入の力は非常にはけしい。海岸低地に向うようなときには特にすさまじいものである。この度の伊勢湾台風の場合でも,高潮というよりも,風津浪といった方が現実に近い連想をおこさせるように思われる。この風津浪に対して地震によって起るものを「地震津浪」といっている。「山津浪」といわれる山崩れ現象に対照して呼称されたものであろうが,この地震津浪も以前はその現象的表現として「海嘯」ともいわれていた。今は「地震津浪」に統一されている。
わが国のような台風の多い,また地震の多い国柄として,海岸の保全を考える場合には高潮(風津浪)と地震津浪とを切り離して処理することはできない。いうまでもなくわが国の陸地の形態は,他に類をみない長い海岸線をもっており,山岳的国土であるために人も家もその長い海岸にそって密集している。したがって海面の異常な活動がその海岸地帯に甚大な影響を及ぼすことは大きい。従って伊勢湾台風によって喚起された高潮対象を単に台風によっておこった風津浪だけに限定して将来への策を図ることは,わが国の保全対策としては許されないことと思う。
資源調査会の作製した資源データーブック第6号災害編その2「災害危険度の分布」によると「日本は世界一の津浪国である。日本地震史料を繙いてみると,一番古い天武天皇12年(西歴687年)10月14日南海道大津浪から,昭和21年12月21日の南海地震津浪まで大小68回の津浪を数え得る…………小津浪に至ってはその数を計り知り得ない」としている。
そして津浪を4階級に分け危険度を図示しているが,それによると,三陸沖と南海道沖とは地震の最も多く起っておるところであり,東海道沖,北海道,千島沖はこれに次いでいる。総じて日本海面には少なく,太平洋面は多い(第15図参照)
日本海沿岸の地震は海陸の境や陸に入ったところに多くおこるために津浪を伴なうことは少ない。しかし太平洋の方では海岸から100~200km内外のところにあるいわゆる外側地震帯の地殻変動によって発生することが多く,そこは完全に海底であるという位置の関係から,地震は必ず津浪を伴なうことになる。
三陸地方の津浪
年号 西暦 浪源 津浪の大さ
貞観11年 876 三陸沖 大の大
慶長16年 1611 〃 大の大
元和2年 1616 〃 小
寛永17年 1640 北海道沖西部 小
延宝5年 1677 三陸沖 中
元禄2年 1689 〃 小
宝暦12年 1763 陸奥八戸沖 小
寛政5年 1793 陸中沖 中
天保6年 1835 陸前沖 中
〃 14年 1843 北海道沖東部 中
安政3年 1856 北海道沖西部 中
明治27年 1894 北海道沖東部 小
〃 29年 1896 三陸沖 大
〃 31年 1898 陸前沖 小
昭和8年 1833 三陸沖 大の小
(注-浪の高さ3m以上のもの)
さきの伊勢湾台風の高潮はたまたま都市部がその対象となったために人命の被害が多く異常な注目をひいたのであったが,その浪の高さは5m内外であった。しかし,地震津浪ともなれば遙かにその高さも強さも大きく,少なくとも2~4倍の浪が強襲するわけである。昭和8年3月3日の三陸津浪の場合は,場所によっては19~20mの高さであり,その激しさ(エネルギーは16×10^22エルグ)はとても伊勢湾台風の比ではなかった。地震津浪の来襲の模様は「海面がジリジリと上昇してくる-(静かなとき)」とか「水壁が押寄せてくる-(相当激しいとき)」とか「水流となって打付けてくる-(最も激しいとき)」とか表現されているが,三重県甲賀村に保存されている記録には地震津浪来襲時の有様が次の如く真によく表記されている。
「村方領分去る四日辰之中刻頃(五ッ半時,今の午前九時)大地震仕り候節は土蔵古屋等捻潰し家々瓦落破損等有之一同驚き罷在候処程無く潮高潮と心得候内津浪村方江押寄せ候処五度就中三度浪干し去る事平常と甚だ遠く六七拾間も余計に引去り是れは津浪と彌々驚き候処丑寅の方より白浪十重二十重に打ち重り矢の如く押懸け一時に村方里中一面に押流され申候末刻(八ツ時,午後二時)に到り浪少々干口に相成り候節も村の田一円に海に相成り夕方に至り漸く静まり申候,磯際にて浪の高さ凡そ三丈五尺,浪先き凡そ十七八町来り申候」
これは嘉永7年(安政元年)の地震津浪の記録であるが,これによって津浪来襲時の様相を理解することができる。このときには数百名の死者が出たが,「家に来り樹木に上り漸く命助かり申候」とある。
三陸地帯についてみると,明治29年の津浪による死者22,366人,昭和8年のときは3,022人であった。その時代における社会環境とその地域の社会事情とを想像して,災害の当時を推察するとき,その現象の激しさを想うことができる。
この三陸沖地震以来,昭和19年12月には遠州灘,昭和20年1月には三河沖の地震があったが,昭和21年12月21日には熊野灘にまた地震が発生して南海地震津浪となったのである。この場合には和歌山県だけで死者195人を出している。
台風頻度については,ことさらにいう必要を認めないが,海岸の地形によっては非常な高波となり砕波となり奔流の性質をおびて陸上に打上げる。このために著しい高潮の害を惹きおこすことは昭和9年9月21日の室戸台風,今次の伊勢湾台風の例によっても判るとおりである。名古屋を中心とした伊勢湾台風の被害は,流死者の多かったことと都市が被害をうけたということによって特記されるが,名古屋がまだ発展の初期であった大正元年にも大暴風に襲われている。そのために高潮がおこり新田は全決壊し流材の被害は甚大であった。ただこのときには前年(明治40年秋)漸く名古屋湾が開港しただけであって,あまり施設もなく人も少なかったために被害も余り目立たず,これを契機に貯木施設の糸口を開いた程度であった。
さらに海岸における高潮,津波等による災害時には砕波が飛沫となって高くまた遠く運ばれいわゆる塩風となって被害をおこすことを忘れてはならない。塩風の垂直的ならびに水平的分布は,波浪の強度,風力の大小,海岸の地形,海岸構作物の有無と形状等によって異なるが,非常に広範囲に及ぶことがある。伊勢湾台風の場合も,高さ50~60m,内陸3~5km(低地の場合は10km)に及ぶ範囲に被害を及ぼしている。
以上のように,台風や地震によって恐るべき高潮や津浪は広範囲に被害を及ぼす塩風を伴なって,わが国の海岸地帯にいかに度々来襲したか。それは災禍の歴史がこれを明らかにしている。わが国の海岸防災を考える場合には異常海況の実体とそれが陸地における動態とを十分に理解し総合的考慮の上に万遺漏なきを期さなければならない。
2)地形的因子
高潮や津浪の侵入現象は海岸の地形によって異なる。海岸地形とくに港湾の形状,深浅の如何が侵入波の形態に大きな影響を与えるものである。ここにその関係を大きく分類すると概ね次のようになる。
(A)直接に外洋に向っている湾
(a)湾形がV字形をなすとき 最も浪は高く勢力を増して打上げる。
(b)湾形がU字形をなすとき (a)に次ぎ浪は高く勢は強い。
(c)海岸線に凹凸が少ないとき (b)より稍低い。
(B)大湾の内にある港湾
(d)港湾がV字形をなすとき 浪は(Aa)の形をとるが稍低い。
(e)港湾がU字形をなすとき (Bd)に次ぐ。
(f)海岸線に凹凸が少ないとき (Be)に次ぐ。
(C)湾が細長くかつ比較的浅いとき 浪は概して低い。
(D)海岸線は直線に近く海底の傾斜比較的緩なとき 浪は(C)より多少高い。
(Aa)の場合には勿論,(Ab),(Ac)のときにも大地震津浪に対して正面から完全に防衛することは殆んど不可能といわれている。防潮堤を完成された防潮林によってカバーし,エネルギーを殺減してできるだけ後方施設の破壊を防ぐ他はない。古い防潮林が自らの犠牲によって後方の施設を防衛した事例は多いが,しかも防潮林自体が全滅してしまったことは殆んどない。防潮林の真価が発揮されるところである。
(Bd),(Be)の場合も前記のような効果が発揮できる。土木構造物が破壊し去られた場合に防潮林の特有の価値が多く認められる。不用意に防潮林が除去された場合にもその存在の価値が再認識されることが多い。
(Bf),(C),(D)の場合には防潮林は防災機能を遺憾なく発揮するものである。
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2.海岸防災施設として採用される諸方法
1)防潮堤
防潮堤は高潮または津浪に対して直接にこれを防ぐ人工構造物であって,海に設ける場合と陸に設ける場合とがある。この二者を併用する場合もある。また陸上に設ける場合も海岸のものを一番堤,陸上背後に設けるものを二番堤,三番堤と呼ばれている。この防潮堤は海岸防災の最も一般的な手段であるが,浪の高さと強さに対して完全にこれを防ぐためには,その施設には多額の経費が要る。総じて,防潮堤の高さと強さとは概ねその築造費に平行するために,被保護物の価値に相応して計画され設計される。したがって同一の波浪侵入に対しても施設の抵抗力に差違が生じ,必ずしも常に全防災施設が完全とはいえない。これは上記のように自らそれぞれの投資に限界が存在するからである。しかも,地震津浪の場合を考慮すれば20~30mもの大津浪に対し,如何なる場合でも十分に抵抗しうるかは技術的にも疑問であろう。また複合式にして全体的保全をはかるとしても,その経費は莫大なものとなる。そこにも自ら限界があろう。
2)護岸
護岸は最も多くの場合に採用される手段であるが,波浪があまり高くない場合には効果がある。海岸侵蝕を防ぐのに有効であり,経済的にも比較的実行し易いために,海岸に余地が少ないときには海中防波堤と併用して効果を挙げることが多い。しかし防災に限度があることはいうまでもない。
但し,護岸の形式によっては砕波,飛沫を増大して塩害を助長することがある。
3)緩衝地帯
第一には,浪の侵入を直接防除するのではなく,海岸のスペースを波浪エネルギーの消耗のため緩衝地帯として残置しておき,保護対象をその後方におくことは有効である。しかしこの場合には海岸地帯に相当の余地が存在することが前提となる。
第二には,浪が全エネルギーをもって,そのまま陸上に打上げることを避けるため,浪の侵入を海に通ずる水路に受け波高を減殺するような緩衝施設を有利とすることがある。(宮城県真山堀はその好例である)これがためにも海岸地帯に相当の余地が必要である他,水路掘鑿,護岸に多くの経費を要する。
4)防潮林
防潮林は造成後,主林木がまだ喬林化しない幼令のときと,既に喬林化が完成し下木とともに防潮機能を十分に具備したときとによって,その防災能力に差異があるが,いずれの場合も森林構造の大小に応ずる効果をもたらすことができる。とくに,喬林化が進んだものはその高さが15~20mに達するので,林帯が厚い場合には侵入波に対する抵抗力は非常に大きく破壊エネルギーの減殺効果は著しい。このような防潮林に護られた背後地の家屋その他の構作物が破壊,損傷を免れた事例は枚挙にいとまがない。防潮林は生きた樹木の集団構成であり,弾力性のある抵抗体であるが,これに多少の土木的施設を併用すれば,その防災効果は極めて顕著である。しかも,その造成経費は他の土木的施設に比して極めて僅少であって,延長1m当り9,000円程度に過ぎない。またその造成方法も技術的弾力性が大きく,防災上の利用性が高い。
3.海岸防潮林の在り方
1)現存する防潮林について
a.保存すべき防潮林
現在,存在する防潮林には旧藩時代または明治大正時代に造成したもので少なくとも30~50年以上を経過し,樹高は20m以上の喬木林帯をなしているものがある。とくに三重県海岸に多い。
これらの海岸林は過去の貴重な体験に基ずいて苦心の結果造成され保存されてきたものであるために,その防災価値は一般に高い。したがって新しくその土地を利用するために林木を除去するような場合には慎重な総合検討を経て実施すべきものと思料される。近視眼的判断によって林帯またはその一部を除去して建物などを造り,その区域だけが津浪の侵入をうけ一挙に破壊流失した事例は数多い。また防潮堤や道路等土木的構作物を築造し従来の海岸林を除去することも多いが,津浪や塩風の被害を考慮して両者協同の効果を発揮するようにし,防災一体化の機能を活用すべき場合が多い。熟考を要することと思われる。
b.改良すべき防潮林
古い防潮林のうちには喬木が老令となり,樹勢が衰え林帯構成因子として十分でなくなったものがある。また,林帯自体が粗悪化して構造的に有機体の本質を喪失しているものもある。さらにまた,防潮林の下木構成が衰退したり,中には欠如して防災力の低下をきたしているものもある。また逆に全く上木を失ってしまって矮性広葉樹や竹籔状の下木群だけのものもある。
このような海岸林は防潮機能を十分に発揮することができない。速かに補修改良して補強を講ずる必要がある。
c.保護撫育を要する防潮林
海岸防潮林が存在していても造成後日が浅く,まだ20年生以下のもの,とくに10年生以下の若い林帯は防潮林として幼年期に属する。これらは防潮機能をもっていても,まだその能力は未熟であり,防災価値は低い。防潮林の造成は成林期間の短縮が必要であるので,その撫育管理が特に大切である。また海岸地帯は落葉落枝の採取や樹木の折損傷害などの人為的被害をうけ易いところである。その保護管理が肝要である。
このような幼令海岸林に対してはまず保護管理を第一にし,技術的な撫育手段を積極的に加えて成長を促進し,一日も速かに防災機能の充実を図らなければならない。
2)新たに防潮林を造成することについて
(1)臨海地帯で直ちに保護すべきものはないが,将来のため現在造成を必要とする場合
まだ隣接地を保護するのでなく遠い背後地のために,またその地域の将来の発展を予期して,現在海岸林を造成し長期育成によって完全な機能を発揮しうるよう企画する場合がある。
この場合には汀線附近の不安定地帯を残置しておき,その後方の植生安定線以内において,十分に厚く(少なくとも100m以上)林帯を造成させる。もし林帯の最前線が平常の最大波浪または前方砂地の飛砂によって不安定と思われる場合には,2~3mの高さに保護用の土堤を築造することが必要である。この場合,石礫,許せばコンクリートを用うれば一層安全である。
また海岸を水産用具の干場や,または漁船操作に利用することがあるが,それらのために必要となる道路は,海岸線にT字形をなす直線路でなく,S字形,電光形等の路線とすることが肝要である。
樹種は一般にクロマツを主林木とし,下木としてマサキ・ツバキ・イボタ・モッコク・トベラ・ナツツバキ・ヤブニッケイなどを用いる。またグミ・ノバラ・ハマナス等を併用しても良い。
(2)早急に効果のある防潮林を要する場合
海岸附近に価値財があって,その破壊,損傷を直接防衛することの必要性は,そこの土地利用の高度化,工業化,都市化にしたがって多くなる。しかも保護さるべき対照の価値が増大するにしたがって,その必要性は高まる。わが国でもこのような内容を備えた地域は次第に拡大されつつあるといってよい。
こんな場合には,それに相当する投資によって防災施設を設置する可能が生まれる。そこでは一般に人工による高経費の防災構造物を可能にし,より投資額の大きな,したがってより強度の施設が造られうる。すなわち直接の保護対象で農地の場合よりも住宅群の場合,または工場群の場合がより多額の投資により,より強靱な防災構造物を築造しうることになる。
しかし,災害は設計の規準を超したときにおこる。われわれのもつ経済性から編み出される設計の規準とは,このような性格を持つものである。しかし,このことは当然といわなければならない。それでもなお,われわれはこの設計を超した自然現象に対しても,できるだけの受け入れ体制を持たなければならない。防潮林はこの構造物の設計計算外の役目をももつ保全施設の唯一のものと思われる。
防潮林は,土木的防災構造物の設計規準が低い場合には,これと協同して防潮機能を拡大強化し,設計規準が高い場合にも,より高度の規模に相当するまで機能を引上げる役割を演じうるのである。若し,全く人工構造物を造りえない場合にも防潮林自体直接にその持つ防潮機能を万全に発揮するよう企画しうるのである。しかし,この場合には必ず防潮林造成の設計の中に,前方の小堤防(高さ最小1~2.5m)を組み入れ,使用する樹苗はなるべく大苗とし,事情が許せば1~2m,場合によっては4~5mの樹苗を使用するようにしなければならない。
これに使用する樹種もクロマツを第一とするが,場合によってアカシア,ポプラ等成長の速い樹種を第一段階として使用し,二次的にクロマツに移行するように企画するのがよい。いずれの場合でも下木(トベラ・モッコク・その他)を密生させることが必要である。
しかし,実際には,何を保護するかその目標物の内容によって技術上弾力性のある計画をたて実効を期しなければならない。
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4.海岸施設として防潮林のおかれるべき位置
1)人工構作物のない揚合
一般に海岸防災施設の防災対象が余り高い価値財でない場合や社会公共性が高度でない場合には,人工構作物を設けることは少ない。このような場合には,高い経費を要しない樹林帯によって海洋からの波浪の侵入を防ぐことが賢明である。すなわち,このような環境の下では防潮林の存在,防潮林の造成が最もそのところをえたことになる。
防潮林の新設には植栽木が生育するまで波浪防止のための土堤を作って樹木を保護することが必要であるが,1haの防潮林造成費は396,000円位で海岸ぞいの巾40m内外で1m当り1,500円見当で造成される。したがって一般防潮堤等に比べればその経費は非常に安いので,高潮,または津浪の危険度の高い地域では,海岸地帯にまだ余地を有するうちに防潮林を造成しておくことが容易であり,かつ有効である。防潮林は造成後20~30年を経過すれば相当の防潮機能をもち,50年内外となるときには高潮に対しては勿論,地震津浪に対してもその防災効果は大きい。
2)人工構作物のある揚合
(1)比較的簡易な構作物のある場合
この最も普通の場合は海面干拓であろう。現在の海面干拓は1haの造成費が全国平均23~30万円,その70%程度が海岸堤防の築造費である。1m当り約4万円位で時には15万円位にもついている。それでもなお,強力な高潮に対してはこの程度では脆弱であるといわれている。それは伊勢湾台風の経験で明らかに証明されている。まして大津浪に対する抵抗力は殆んどない。これにより強度を加え耐浪防災機能をもたせるためには(例えば防潮堤の裏をコンクリート張りにする。このため防潮費15万円/mのものが30万円/mとなっていく)地元負担度に限度があるから,結局は一般公共投資を相当加えなければならないことになる。このようになればもはや単純な農地造成ではなく,農地を造成するということと背後諸施設を防衛するということの意識の中に,公益的性格を大きくもたせなければできない。
それにしても干拓地の最前線に位置するものは,低い農地であることに変りはない。したがって,高潮や津浪の災害をまずこの農地が最初にうけることになる。しかもなお,干拓堤防としてはその規模や経費の点に前述のような限界があって,このまま地震津浪や異常の高潮に対して完全な防災はできないといわれている。
防潮林の特長を十分に活かしていくとすれば,造成費が安いこと,成長して次第に防災能力が増すこと,完備したものは弾力性のある防災機能が発揮されること,その他の副次的効用のあることなどを考慮して,まず海岸に直面した一番堤の内側に重厚な防潮林を造成し(要すれば二番堤にも同様),さらに内部の幹線農道にそっては樹列を配置することが最も有利であろう。
この場合にはまず急速な造成を目途としてアカシア,ポプラ等をクロマツとともに植栽し,将来クロマツ林に転換するように計画することが有効である。なお,この植栽に際しては,アルファルファ等の草木類をもって土地を蔽い主木の生長を促進し採草に役立たせることも良い着想である。
(2)相当強い構作物のある場合
この場合は埋立地(土地造成〉の場合に多い。伊勢湾台風時においても埋立地の工場等では海水の侵入があっても破壊はあまりなかった。これは埋立のために地盤は干拓地よりも高いうえに企業体では自己防衛のための防災手段をも充分考慮していたためであった。しかし,一般の住宅群となると工場にみるような防災施設は十分に徹底せず社会公益性によって取扱われているため,却って災禍を集めて引受けた結果とさえなっている。
また,幹線道路などの海岸護岸や公共事業として建設省の実施する海岸防潮堤は,社会公益性を主体とし,その築造費は1m当り20~40万円といわれる。しかし,伊勢湾台風の事例によって判るように,この種施設を新設したために,既存の旧防潮林を除去したところもあり,新防潮堤を過信して却って家屋を破壊され流失の災にあったものもあった。したがって地震津浪におもいをいたすならば,なおさら高い喬木性林帯を併用し,その複合防災力を保持するよう配慮すべきではあるまいか。三陸地震津浪の場合には,この種の防潮林効果が極めて顕著であったのである。
(3)完全と思われる構作物のある場合
この場合には,企業体の自己防災対策にまつことが有利である。したがって防潮林の必要は少ない。ただし工場環境の緑化等の目的はこの限りではない。
名古屋港臨海地区の埋立経費は坪6,500円程度といわれているが,工場を実際に造るときには,さらに盛土をし護岸を強固にして防災手段を講ずることが多い。したがって防潮施設としての投資は極めて大きい。
3)塩風防除として考える場合
風が海水の微粒子を内陸に吹上げ運搬し,植生の生理作用に障碍を及ぼす現象を塩害といっている。海水の微粒子が植物の葉面に付着すれば,その含有塩分は堆積して気孔を塞ぎ植物の生理作用を妨げ,塩化ナトリウムは溶解し滲透性に基ずいて原形質から水分を奪い,また他の一部は葉肉内に入って化学的被害を与えるのである。平常の時でも強い海風の場合にはこの塩害はおこる。
台風や津浪などの場合には,海岸で砕波した海水の飛沫が空中高く打上がり,高く遠く分布される。とくに海岸に人工構作物が直立しているような場合には,砕波は激しく,海水粒子の垂直分布は非常に大きい。したがってまた内陸深く水平に分布されることも烈しい。そのような自然状態の下では,海岸付近の植物はその枝葉が激しい風のためにもみたたかれて物理的な破壊をうけ,また濃度の高い塩水の化学的影響から赤変枯死することになるのである。
伊勢湾台風の場合をみれば,海岸のクロマツ林帯は勿論,マキなどの生垣さえ赤変して塩水の分布を示していたが,被害は高さ50~60m,内陸への深さは数kmに及んでいた。
なお,海水の侵入区域の土壌悪化はいうまでもないが,(一般に植物は0.5%以上の塩分濃度で生理作用を害する)塩水粒子の遠距離分布のためにおこる広範囲の土壌悪化も見逃することはできない。また塩水粒子の垂直分布のため臨海地帯の送電線などに塩分が凝結固着し,送電ロスを著大にすることも知られている。
この塩害に対しては,葉肉が厚く葉面の狹小なもの程耐塩性は高い。また塩風直後降雨があればその被害は減少されるし,晴天がつづけばその被害は甚しくなる。
以上の事証から,海岸地帯には許す限り防潮林を設けるようにして海水の侵入を少なくし,塩風の害を減殺するよう樹林帯の機能を有利に活用することが必要である。
今般の災害に際して,三重・愛知両県の臨海地帯においてみるように,クロマツの樹冠の海に面する部分が塩風のために赤変し,裏面の部分が緑色を保っているのは樹冠が塩分含水粒子を保留濾過したことを証明しているものであるが,樹冠の集団である樹林のもつ塩風保留濾過作用は想像以上に大きいものである。海岸林がいかに背後地を保護しているかは,この林帯の赤変によって推測できる。三重県南部七里御浜沿岸一帯の防潮林が内陸のミカン畑を保護した実績は特記に値するものであった。
4)防潮林の副次的効用
(1)災害時の救助作用について
高潮,津浪の来襲は多量の海水を陸上に運び,一面の海に変貌させるのであるが,とくに干拓地域は,平坦低地であるために海水侵入の脅威は大きい。普通干拓地は数百haまたはより以上の大団地であって,その地区は単に堤防によって囲まれより高い海面と遮断されているに過ぎない。
このため一度干拓地が海水の大来襲にあえば,入植農家は流失したり水中に孤立したりすることになる。しかも,広大な地区が海に一変するためにそこには何の拠りどころもなく,波浪を起こし救助作業さえ不可能に陥いることも多い。この実情は昭和32年7月の諫早水害,今次の伊勢湾台風高潮災害の例をみても判る。
このような場合,樹木の存在が如何に重大な役割を果すか(中国大陸の洪水時の様相と樹木の役割を想起できれば好都合である)干拓地植樹について検討される必要があろう。
この場合とくに防潮堤の内面,主要幹線道路の両側,農家(干拓農家は分散より集団化が適当)の周辺などに,ポプラ・アカシア・クロマツ(ラクウショー)その他成長の速い樹種を選び樹林帯,樹塊または樹列を造成することが推奨される。
(2)防風林としての効用
海岸防潮林は直接海水に対する防災機能と海水粒子を含む潮風に対する防除機能とをもっているが,海岸地帯が台風や地震に襲われない場合でも,海風の防風機能を発揮することはいうまでもない。この防風機能は農地を保護する場合とくに肝要である。
(3)行路樹としての効用
海岸防潮林は一般に内陸の農地,住宅その他私的または公的の財を保護するために設けられるのであるが,海岸ぞいの地帯は交通輸送のための路線として最も好適な立地であるため,道路を通ずる場合が非常に多い。わが国の海岸防潮林は海岸線にそってグリーンベルトを形成しているが,クロマツを主体とするマツ並木として古くから認識されている。
新干拓地の道路に樹を植えるのも防潮,防風をかね行路樹の役割をもかね,さらに後述する風致要素ともなるのである。
(4)風致林としての効用
白砂青松とは日本国土の風致的表現としての代表的用語である。松原といえば一般に海浜に位置させる観念が従来からあるが,実際は古くから海風や高潮や津浪など海からの過剰エネルギーを減らして,内陸を防衛するための産業上または社会上の要求から造成されたものである。しかし海岸林は,この現実的効用を果しながら社会一般の審美的要求を満していることはこれまた否定できない。さらにこの防災林がその環境の安定に役立ちつっ同時に社会大象のリクリエーションの対象ともなっていることは無視できない一面であり,最近その価値が漸次増大しているといえよう。
(5)林産物供給源としての効用
海岸防潮林はその本質が保護林であって,保安林とすることが適当である。したがってその健全な保存を第一とするものであるが,森林は一つの植物社会であって,場合によっては森の健全化のために不良不要木を除去することが必要になることもある。また適切な方式によって,森林の更新作業を必要とするための除伐,主伐をすることもある。このような作業の結果は,当然地元に林産物を供給することになり,経済的役割をも果しうるのである。また,平常適当な規準を以って,落葉落枝を家庭燃料として供給したり,時にはキノコなどの副産物を与えることもある。
Ⅵ 残された問題
1.科学技術上の問題点
1)土地の変動について
今次の伊勢湾台風に伴なう高潮の被害を調査しているうちに逢着した一つの問題は,海岸線が後退しつづけているという事実である。例えば三重県の霞ケ浦では今から35~40年前は今の沖合(200m?)は砂地であったといわれ,また長太海岸では30年前200m位の沖まで陸地であったといい,鼓が浦でも約300m先が50年前は陸地であったといっている。また愛知県渥美半島の太平洋の崖が毎年70~80cmも後退している例もある。海岸に造成されている古い松原は次第次第に海岸侵蝕にあって,林帯の厚さを減じつづけているが,それは海岸線後退の進度を示している。
今一つの現象は,突堤など海岸構作物のために局地的に沿岸潮流に変化をきたし,そのための海岸の侵蝕や堆砂を生じていることである。この現象は海岸地形の二次的現象として理解すべきものである。
さらにまた,名古屋地域の臨海地区のように地下水の汲み上げによる地盤沈下現象もある。これらの現象が場合によっては複合的に作用していることもありうる。したがってこれらの土地の変動現象に対して科学的な調査を行って,その機構を明かにする必要がある。その変動の原因を分析して現象の真相を探求し,これを解明するのでなければ,科学的基礎の上に立った合理的な対策を樹立することはできない。速かに調査研究を要する事項である。
2)防潮林の最も合理的な集約的構成について
防潮林は単木の集合体であるが,その構成の如何は防潮機能に重大な影響を及ぼすものである。高潮または津浪が林帯に衝きあったとき,どのようなエネルギー消耗の過程をたどるか,そのメカニズムを科学的に研究し,そのエネルギー消滅効果を大にし,しかも所要の用地を最も少なくしうる林帯造成の再研究が必要である。
3)干拓地の適木について
干拓地は浅海地を排水して造った土地であるために土壌はアルカリ性をもち,地下水面は高く土壌水分は多い。特に新干拓地ではその特殊性は強い。このような土地条件のところに最も速かに最も健全に生育し,しかも耐塩耐風性のつよい樹種についてさらに研究を進め,またその育成技術についての研究が要る。
4)塩害に関する研究
塩風は海岸植生に生理的被害を与え,強度の場合には枯死に至らしめる。防潮林はこの被害を除去軽減するために設けられ,内陸の農作物,果樹等はこれによって助かる。伊勢湾台風塩害の例をみれば直ちに首肯されるところであろう。
しかし,塩風の来襲に立向った多くの樹林はその正面に烈しい塩害をうけ,耐塩性のつよいクロマツさえ針葉の大部分,若しくは一部が枯死しているのである。マサキ・マキ等も同様である。このように植物営養体が塩分の害にあって枯死することがあっても,不定芽を出す広葉樹,とくに落葉広葉樹はその恢復力が旺盛であるが,常緑針葉樹のマツなどについては問題がある。すなわち,全針葉の何%が枯死した場合にその樹木の致死率となるか,その限界点が問題である。被害をうけた海岸林は速かに復旧させなければならないが,被害をうけて衰弱し枯死した林木には害虫が発生し易く火災に弱い。したがって樹勢の恢復不可能な林木はこれを伐採除去して害虫火災等の二次的被害を防がねばならない。しかし恢復力がまだあるなら,できるだけ残置して新芽新葉をまち樹勢の回春を期待した方が賢明である。塩害をうけた林木の生死判定の科学的研究が必要である。
2.行政政策上の問題
1)海岸防潮林の保安林制度についで
海岸林の公益的性格から,これを保安林に編入し背後地の保護に資すべきことは,今次災害によって明らかである。しかるに伊勢湾台風被害地域の海岸林をみると,保安林に編入されているものが比較的少ない。そのため私有海岸林は臨海地利用のために次第に薄弱となり,あるいは除去せられているところも多い。このようなところでは海に直面した部分が被害をうけただけでなく,その部分から海水の侵入がおこり後方に災禍を拡げ家屋・道路・農地等の損失を大きくしている例が極めて多い。
海岸地帯の災害危険度を攻究して公益価値を正当に判定して保安林制度を徹底せしめることが緊要であろう。
2)海岸防災各担当分野の協同計画化について
伊勢湾台風の高潮被害は海岸防潮施設に問題が集中した。そして土木工作物の設計規準の問題,規模の増大強化の問題,総合配置の問題など,すべて人工営造物によって処理しようとしている。しかし,その人工構造物の設計は現象の統計的要件に対応して造られるために,台風による高潮現象に対しては防災能力ありとしても,より強大な地震津浪現象に対しては完全に防禦しうることは保証しえない。このような場合に対処する旧藩時代の技術は,土と石と木とを要素とする総合的組成体を検討し,そのそれぞれの長所を巧みにかみ合せ,防潮堤をもった防潮林を種々の編成において巧妙に配置していたのである。
土木技術の現段階が完全に自然現象をコントロールしえないとき,自然の植物構造体の強靱性を併せ利用することによって,相互の弱点を補い,防災のベストを尽すことを広い視野において企画実施すべきではなかろうか。
これがためには,お互いの分野において謙虚な気持となり,各種技術を協同せしめるよう努力することが必要である。その実現にはそれら技術者の心の協同が先行すべきであり,その所属する組織体の横の連携と協力とが要る。慎重に検討すべぎ事項であろう。