序
昭和34年9月26日奇しくも13号台風の6周年を迎えた翌日、ふたたび本県は超大型台風15号に襲われたのであります。
この台風により県下全域にわたり、甚大な災害をうけ、なかでも異常高潮による被害は激甚をきわめ、とくに伊勢湾沿岸の惨状は目をおおうものがあったのであります。
全県下の被害総額は3,223億余万円の巨額に達し尊い犠性者は3,168名の多数にのぼり浸水面積は350km^2にもおよんだのでありまして、本県はもとよりわが国におきましても未曽有の大災害となったのであります。その後、伊勢湾台風と命名され、台風災害史上、特筆されるとともに防災ならびに復興対策等についても数々の貴重な教訓を残したのであります。時を移さず、国内はもとより遠く海外からも温かい救援の手がさしのべられましたことは被災者の物心両面の痛手をいやし再起への大きな力となり、また復興への意欲を喚起する原動力となったのであります。
復興事業についても国をはじめとして関係当局の絶大なご援助によりまして抜本的な復興計画がたてられ、かつ早期完遂の道が開かれたのでありまして土木、農林あわせ総額545億余万円におよぶ災害復旧、および伊勢湾高潮対策事業は関係各方面のご支援により順調に進捗いたし昭和38年度をもって完成することができたのであります。私はこの大事業の完成を全県民と共に深く感謝し、これが将来県民の生活の安寧を計り、更に産業開発への大きな基盤となることを確信いたします。
ここに復興事業の完成を機として伊勢湾台風災害復興誌を編さんし苦難に満ちた幾多の貴重な経験と資料を集録し今後の防災対策の教訓としてながく生かすため本書を上梓するものであります。
愛知県知事 桑原幹根
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発刊のことば
私が、本県に着任しましたのは、昭和38年7月でございます。したがって伊勢湾台風災害は身をもって体験してはおりませんが、被災当時の情況は、新聞紙上、ラジオ、テレビ等によって承知し、強い感動を受けたのでございます。
そして罹災者の方々のご苦労を想い、一日も早く生活の安定を得られるよう復興作業の進捗をお祈りいたしておりましたのでございますが、はからずも本県にまいりまして、伊勢湾台風災害関係事業に関与することになったのも何かのご縁と存じます。
規模の非常に大きな事業の内容と、その被害の程度が想像以上に甚だしかったことを知り驚いたのでございます。
土木部所管のみでも総額245億余万円の巨額にのぼる大事業が、34年度から38年度のわずか4ヵ年半の間に完成されたということは、国はもとより、この事業に従事された人々の日夜をわかたず献身的な努力と地元関係各位の絶大なご協力とご援助なくしては到底なし得なかったことと思います。こうして建設された延々228キロメートルの河川、海岸堤防は将来郷土を高潮の災禍より防護するに万全の備えとなったのでございます。
このたび本事業の完成にあたり、伊勢湾台風災害復興誌を発刊して、災害発生の原因より復興事業完成までの経過を詳述して関係各位のご厚志に謝意を表し、かつご苦労の一端を偲びたいと思うのでございます。
また、この貴重な体験の記録は二度とあるとは予想しないのでございますが、万一の大災害時における活動の指針ともなることを確信するものでございます。
なお最後に、本誌編さんのためにつくされた方々のこ労苦に対して感謝の意を表しまして、発刊のことばとする次第でございます。
愛知県土木部長 北村正之
発刊によせる
私が愛知県に着任いたしましたのは、昭和35年4月で、伊勢湾台風の傷痕は、街に、海岸に、また山に、県内いたる所にその生々しい爪跡を残しておりました。台風当時の惨状をあれこれ頭の中に描きながら赴任した私ではありましたが、聞きしにまさる惨禍に身のひきしまる思いをしたことでした。
とりわけ被災当時の皆さん方、わけても前任土木部長の大谷英氏を始めとする県土木部の皆さん方の献身的な努力と、その成果には全く敬服の外はありませんでした。
然し乍ら当時としては、未だ被災堤防の応急締切が漸く出来たばかりの時でありまして、当面の問題として台風期までに被災箇所の原形復旧工事を完了することが至上命令であり、県の全力がこれに傾注されたことは申すまでもありません。
幸にも、建設省の行きとどいた取計らいによりまして、最も被害の激甚であった南陽、海部および鍋田の3海岸と、鍋田川は建設省の直轄工事に取り上げていただき、日光川河口の防潮水閘門工事もまた、建設省に工事を委託することとなりましたことは、技術職員の不足に悩む県にとって、大きな助けとなりました。
とは云い乍ら、被災箇所は前述のように、全くの応急締切でありまして、些かの増水でも破堤する恐れがありますので文字通り一日も忽せに出来ない状態でありました。全く薄水を踏む思いの毎日であったわけであります。
6月下旬の豪雨、8月中旬の台風11号、12号も、海岸や河川の感潮部には大した被害もなく、順調に工事が進められまして、無事台風期が過ぎ去った時の喜びは、今もなお忘れることが出来ません。
昭和36年度からは表護岸工事を主とした改良工事の部分にも着工しましたが、この年も6月下旬の豪雨、9月中旬の第二室戸台風と2回にわたり災害の発生がありました。然し幸なことに工事には何等の支障もなかったことは、土木部の職員、建設業者の献身的な努力の賜であり、同時に天祐でもありました。
こうして漸く堤防の形も一応安心の出来る状態になり、昭和37年度を迎へたわけでありますが、それ以後は裏法関係を主とした、いわゆる仕上げの段階に入ったわけでありまして、昭和37年7月上旬の豪雨を始めとして3回にわたる災害にも何等影響されることもなく順調な進捗を見たわけであります。
今こうして竣功の段階にいたりました過去をふり返って見ますと、これ丈けの難事業でありながら、大した事故もなく比較的順調に、又短期間の間によくも出来たものだと感無量なものがあります。
然し今日の成功の蔭には、現場は現場なりに、本庁は本庁なりに色々な苦心があったことを忘れることは出来ません。例へば公共事業としての高潮対策事業の予算獲得の問題にしても、災害発生当初こそ政府の同情もあり、世間も納得して多額の予算が獲得出来ましたが、2年たち3年たつ内には予算獲得も次第にむつかしくなり、遂には三重、愛知の両県が孤立状態のままで政府当局に強請しなければならない状態となったこと等、在職当時の諸々の事、顧みて誠に感慨深いものがあります。
今回伊勢湾台風災害復興誌を発刊されるに当り、この大事業完成のため尽されました多くの人々に心から感謝の意を表しますと共に、災害の犠性となられました数多くの人達の御冥福をお祈りして筆をおくことと致します。
前 愛知県土木部長 首都高速道路公団理事 八島 忠
発刊によせる
このたび、伊勢湾台風災害関係事業完成の報に接して、わずか4か年半の短日月をもって、この大事業を成し遂げられたことは、国をはじめ関係各位のなみなみならぬ御努力による賜であると感じ、この功績に対して深い敬意を表するしだいであります。又復興誌を編さんしてこの事績を永く後世に残されることは、誠に意義ある企てと存じます。当時の悲惨な状況や、各方面から寄せられた絶大なる御協力と御援助等については復興誌上に詳述されることと思います。只あの時を回想して特に感じたことの一端を述べさせていただきます。
当時愛知県では、昭和28年の13号台風災害復旧助成事業が、昭和35年度完成をめざして昭和34年度も県下の8海岸に於いて継続施行される予定でありました。画期的な三面巻堤工法で日毎に完成に近づいて行く堤防の姿は、再び海岸災害は起り得ないと思わせる力強いものでありました。又一方13号台風では被害が軽微であり、助成事業計画に入らなかった海岸のうち、重要性を認められた海部海岸に堤防修築事業、南陽、上野の両海岸に局部改良事業、奥田海岸に浸食対策事業、石浜海岸には助成事業がそれぞれ進められており、これ等の改良事業は第1段階として表護岸の補強、波返しの嵩上等が主として施行されておりました。台風に対する海岸堤防の備えは着々と整備されつつあったのであります。しかるに、過去の記録を1m以上も上廻る伊勢湾台風の異常高潮は、これ等の堤防を溢流して、築堤土砂を流し、破堤を招き、流失家屋3,000戸の多きに達したのであります。県下の全海岸が被災したのでありますが、特に海部、南陽および上野の3海岸は壊滅的な被害をうけ、13号台風災害助成海岸では、三面巻堤に完成した区域は殆ど被災せず、未完成断面及び表護岸工のみの区域に被災箇所を生じたのであります。
応急仮締切工事は200箇所以上の多きを数え、土木部の全力をこれに集注して、11月下旬海部海岸を最後に応急仮締切工事が完了されたのであります。
引き続いて、直ちに本復旧工事に着手されたのでありますが、海岸堤防の被災状況にかんがみ、本復旧計画は三面コンクリート巻堤を原則として打出され、画期的な大事業となったのであります。
今、昭和38年度をもってこの大事業が完工したことを聞き、応急工事の当時をしのび感慨無量の気持であります。工事の完成を心からお喜び申し上げるとともに、この間関係者の皆様の御努力と御労苦に対し深い敬意を表すると共に、災害に貴い生命を失われた犠性者の方々の御冥福を心からお祈りする次第であります。
元 愛知県土木部長 大谷 英
表紙題字 愛知県知事 桑原幹根
序…………愛知県知事 桑原幹根
発刊のことば…………愛知県土木部長 北村正之
発刊によせる…………前 愛知県土木部長 首都高速道路公団理事 八島 忠
発刊よせる…………元 愛知県土木部長 大谷 英
目次
第1章 愛知海岸および河川感潮部の概況…………1
第1節 概説……………………………………1
第2節 遠州灘沿岸……………………………………21
第3節 三河湾沿岸……………………………………22
第4節 伊勢湾沿岸……………………………………27
第5節 むすび……………………………………31
第2章 伊勢湾台風の気象状況……33
第1節 概説……………………………………33
第2節 気象……………………………………36
1.風と気圧……………………………………36
2.降雨……………………………………39
第3節 高潮および波浪………………………………43
1.高潮……………………………………43
2.痕跡……………………………………49
3.波浪……………………………………51
4.台風13号との比較………………………………52
第4節 河川の出水……………………………………53
1.木曽川……………………………………53
2.庄内川……………………………………55
3.矢作川……………………………………56
4.豊川……………………………………58
5.その他の河川……………………………………59
第3章 被害状況………61
第1節 概要……………………………………61
第2節 一般被害……………………………………69
1.人的被害……………………………………69
2.家屋被害……………………………………71
3.農地被害……………………………………72
4.農林、水産の被害………………………………72
5.商工関係の被害…………………………………74
第3節 公共土木施設被害……………………………74
第4章 応急対策………91
第1節 中部日本災害対策本部………………………91
第2節 県の組織……………………………………92
1.水防本部……………………………………92
2.災害救助隊……………………………………93
3.災害対策本部……………………………………93
4.応急仮締切本部…………………………………94
第3節 災害対策並びに救助…………………………95
1.事前対策(予防対策)…………………………95
2.災害救助対策……………………………………95
第4節 自衛隊の活動…………………………………96
第5章 応急仮締切工事………97
第1節 概要……………………………………97
第2節 仮締切に対する方針…………………………99
1.経過……………………………………99
2.大綱方針……………………………………99
3.地区計画……………………………………99
4.資材の調達……………………………………101
5.労務者……………………………………101
6.ポンプ船及び電力の確保……………………101
7.仮締切工法決定の経緯………………………101
第3節 組織機構…………………………………106
第4節 仮締切工事の実施状況……………………108
1.概要…………………………………108
2.進捗状況…………………………………110
3.高潮区域内…………………………………110
4.高潮区域外…………………………………111
5.実施例…………………………………131
6.自衛隊関係…………………………………150
7.消防団、学生、その他の協力………………157
第5節 ポンプ船…………………………………159
第6節 資材…………………………………162
1.支給材…………………………………162
2.業者持出…………………………………163
3.供給地…………………………………163
第7節 輸送…………………………………165
1.概要…………………………………165
2.陸上輸送…………………………………165
3.海上輸送…………………………………166
第8節 経過…………………………………167
第9節 考察…………………………………169
1.概要…………………………………169
2.平均水深とメートル当り評価………………170
3.平均水深とメートル当り所要土量…………171
4.平均水深とメートル当り所要労力…………172
5.平均水深とメートル当り、かます、俵量…173
6.結語…………………………………174
7.単価変動…………………………………174
難工事のかずかず-仮締切工事状況写真集…175
第6章 復興に対する立法措置……193
第1節 立法までの概要……………………………193
第2節 公共土木施設関係…………………………194
1.公共土木施設の災害復旧事業に関する特例…………194
2.災害関連事業に対する特例…………………195
3.水防資材に関する特例………………………195
第3節 高潮対策事業関係…………………………196
1.特別措置法…………………………………196
2.法第1条第1項第2号による率……………197
3.法第1条第1項による率……………………197
第4節 堆積土砂および湛水排除に関する特例…198
第5節 建設省の機構強化…………………………199
第6節 建設省直轄施行の海岸……………………200
第7章 伊勢湾等高潮対策事業計画……201
第1節 概説…………………………………201
第2節 計画策定の基本方針………………………202
1.伊勢湾等高潮対策協議会……………………202
2.伊勢湾等高潮対策事業計画基本方針………202
第3節 建設省関係直轄施行区域…………………204
第4節 建設省関係県施行区域……………………204
1.計画策定の経過………………………………204
(1)災害査定………………………………204
(2)堤防計画高………………………………207
(3)高潮対策事業………………………………213
2.計画区域内の他事業の概要…………………248
(1)名古屋港高潮防波堤………………………248
(2)名古屋港臨海工業地帯造成………………253
(3)防潮樋門………………………………255
(4)昭和37年6月の再調査の概要……………255
第5節 運輸省関係………………………………260
1.災害査定…………………………………260
2.計画の基本方針………………………………261
3.堤防計画高…………………………………263
4.伊勢湾高潮対策事業…………………………266
第6節 農林省関係………………………………271
1.災害査定…………………………………271
2.計画の基本方針………………………………272
3.堤防高の決定…………………………………272
4.高潮対策事業…………………………………272
第8章 事業の実施……279
第1節 概説…………………………………279
第2節 建設省関係直轄施行………………………279
第3節 建設省関係県施行…………………………281
1.概説…………………………………281
(1)実施の年度計画……………………………281
(2)予算外施行について………………………297
(3)中部地建えの委託…………………………298
(4)施行業者概説………………………………302
(5)労力及び資材概説…………………………302
2.地区毎の概要…………………………………309
(1)山崎川、七条町、破堤区間の復旧について……………309
(2)日光川応急仮締切グラウト工について…311
(3)大江川左岸堤、堤防付替堤………………313
3.防潮樋門及び陸閘……………………………317
(1)概説………………………………317
(2)日光川水閘門………………………………317
(3)扇川防潮樋門………………………………343
(4)五ヶ村川防潮樋門…………………………351
(5)その他の防潮樋門…………………………355
(6)陸閘………………………………365
(7)防潮高欄………………………………372
4.主な附帯工事…………………………………374
(1)概説………………………………374
(2)名古屋鉄道常滑線の山崎川、大江川及び天白川橋梁の嵩揚げ工事…374
(3)国鉄東海道線山崎川橋梁の継足し工事…393
(4)山崎川市道呼続橋改築工事………………396
5.他との合併施行………………………………398
(1)日光川高潮対策事業の河口締切り及び水閘門工事の委託と名四国道の合併…398
(2)名古屋市内河川堤防天端鋪装工事………403
(3)大高町込高樋門……………………………415
(4)半田市、江川橋……………………………417
(5)西尾市、寺津橋……………………………419
6.竣功写真集…………………………………421
第4節 運輪省関係…………………………………444
1.概説…………………………………444
2.各港別概要…………………………………444
(1)名古屋港…………………………………444
(2)衣浦港…………………………………450
(3)常滑港…………………………………454
(4)師崎港…………………………………455
(5)吉田港…………………………………455
(6)蒲郡港…………………………………455
(7)豊橋港…………………………………456
(8)福江港…………………………………456
第5節 農林省関係…………………………………456
1.実施の概要…………………………………456
2.地区別実施…………………………………457
(1)三谷漁港…………………………………457
(2)豊浜漁港…………………………………458
(3)大井漁港…………………………………458
第9章 一般災害復旧事業……479
第1節 概要…………………………………479
第2節 一般災害復旧事業…………………………479
1.河川、海岸…………………………………480
2.道路、橋梁…………………………………480
3.砂防…………………………………481
4.港湾、漁港…………………………………481
第3節 災害関連事業………………………………482
1.河川、海岸…………………………………482
2.砂防…………………………………483
3.道路、橋梁…………………………………483
4.港湾…………………………………484
第4節 単独県費災害復旧事業……………………484
第5節 各事業別断面及び竣功写真………………485
1.一般災害復旧事業……………………………485
2.災害関連事業…………………………………490
第10章 国家賠償訴訟等について……498
第1節 国家賠償訴訟事件…………………………498
1.昭和34年(ワ)第1949号損害賠償事件…………498
2.昭和35年(ワ)第1644号国家賠償請求事件……498
3.昭和34年(ワ)第1950号妨害予防訴訟事件……499
あとがき
第1章 愛知海岸および河川感潮部の概況
第1節 概説
太平洋は、直接これに面する渥美半島(伊良湖岬)および志摩半島(伊勢市と志摩郡界)の相対じする延長僅かに20粁余の一線を界として、外洋と内海に分けられている。内海はさらに、ほぼこの中央に突き出す知多半島によって、二分されて、西部を伊勢湾、東部を三河湾と呼ばれる。この袋状の湾形は、平時の海面は平穏であるが、台風時には、異常高潮を誘起する一大原因となっている。
本県の海岸は遠州灘、三河湾および伊勢湾の3沿岸に分れている。海岸線の総延長は412粁余におよび、国鉄東海道本線の県内延長100余粁と比較して4倍近くの長さになる。これを名古屋駅からの鉄道延長に置き換えて、西下すれば遠く岡山と広島の県境近くになり、東上すれば遙かに千葉と茨城の県境に到る。如何に海岸線の屈曲が多いかを想像することができよう。
海に直接注ぐ河川は、施行河川7と、準用河川53、計60河川の多きにおよぶ。
港は港湾15と漁港40(内に水面漁港4)計56港がある。
沿岸には8市17町村があり、行政機関の設けられている島が3島ある。
海岸堤防築造の歩みを、昭和28年度以降に施行された各種の海岸事業の概要を述べて、伊勢湾台風襲来当時のその面影を偲んでみよう。
渥美半島の遠州灘沿岸は、赤羽根漁港の改良工事施行区域を除き、他は殆んど天然海岸のまま放置されていた。
三河湾および伊勢湾沿岸の海岸堤防については、現存するもの、大半が干拓堤防であることを思えば、その築造の歴史は遠く400年の昔、永禄年間に造成された幡豆郡吉良町地内幡豆海岸白浜新田の干拓堤防を嚆矢とするものと想像される。(今はこの新設当初の堤防構造を詳細に知る術もないが、これが母体となって、その後、時代の推移と被災の経験につれて、工法の工夫改良が計られて現在の姿になったものである。)尚その後も各時代を通じて、各地に続々と干拓工事が施行されて海岸線の異動が続けられて来た。これ等は既存の海岸堤防を範として、彼此の工法を検討して、各地に適応するものを採り入れ、新設、改良および維持等の工事が施こされて、段々と標準的な型態が生まれて来たものであろう。従って昭和初年頃の海岸堤防の形態は大同小異となり、良質土砂で盛土築堤をして、表法先に石積護岸を設うけ、その天端より上部の表法面は、全部又は一部を石張りにしたもの、あるいは、表法先から表法肩までの全部又は一部を石張工とし、何れも他の部分には、芝、篠竹又は葦等を植え付けたものとに大別される。
往昔の海岸堤防の構造の一端を知るよすがとして、史誌神野新田(神野新田土地農業協同組合発行)により、明治23年5月に竣功し、同25年9月の大暴風雨の為に破堤し壊滅した。神野新田の前身である毛利新田の干拓計画について述べよう。
以下原文のままに記載する。
三河国渥美郡牟呂村始め6ヶ村海面築立目論見書
牟呂村始め6ヶ村地先
東長 850間
{表3割 法
{裏1割5分
西長 1,500間
1. 堤防長延 2,350間 平均{高 2間半
馬踏 1間半
敷 12間8分
此土坪 42,006坪3合
南西長 500間
{同法
西長 2,000間
1. 堤防延長 2,500間{高 3間
{馬踏 2間
{敷 15間
此土坪 65,625坪
合土坪 107,631坪3合
人夫 376,709人6分 但1坪ニ付3人5分
此賃 56,506円44銭 但1人ニ付15銭
是は表張土厚2尺糊土を用ゆ裏厚5寸以上
1. 蒔石 4,875坪
代金 12,187円50銭 但し1坪に付2円50銭
是は姫島の石割取の積り不足あれば買取
内
1,958坪3合
是は東南延 2,350間 法5間厚3尺
2,916坪7合
是は南西と西長延 2,500間 法7尺厚1尺
1. 杭木 696,850本
代金 4,879円95銭 但し1本に付7厘
内
284,350本
是は東南長 2,350間11 通り長延 25,850間の処間に11本打
412,500本
是は南西と西と長延 2,500間 15通り合間数 37,500間の処間に11本打
l. 人夫 11,614人2分 但し1人15銭 賃金 1,742円13銭 是は1人にて60本打
l. 圦樋大拾腹 代 3,000円
l. 小圦橋 代 2,000円
l. 内側杭柵始め 代 2,500円
l. 波戸2箇所 代 2,000円
l. 澪留3ヶ所 代 6,000円
l. 内側除堤諸色共 代 15,000円
l. 雑費 2,000円
l. 予備費 20,000円
合計 126,814円2銭
以上の目論見書の内容から、海岸正面堤は天端幅を2間(3.64m)表法匂配3割、裏法1割5分とし、盛土のうち、表法及び天端は厚2尺(0.60m)裏法は5寸(0.15m)以上の衣土を被覆し、尚表法には蒔石をして、小杭を打ち込みその脱落を防いだことが判る。又盛土高3間は現況から判断すれば、海底高T.P-1.50m程度とすると、馬踏の高はT.P+4.00m前後と推定される。尚目論見書中・印の箇所は矛盾があり、誤植があるとを思はれるものである。この表法面に打った小杭は、通称おさ杭と呼ばれ、他の新田の被災箇所又は改良工事の施行に当りたまたま見受けられるものである。
海岸堤防築造400年の歴史のうちで、最もこの工法に重大な影響を与えたものは、人造石とセメント発見であろう。
天保11年(1840年)に三河国碧海郡北新川村字西山で出生した服部長七氏が、明治6,7年頃に着想し、その後工夫改良を重ねて完成した入造石は、明治16年(1883年)には現在の碧海郡高浜町地内衣浦海岸服部新田の練石張表護岸工に使用されて、当時の人々の賞讃の的になったといわれる。その翌17年には、宇品港築工にこれが使用されている。明治26年には、前に述べた毛利新田の復興工事として、神野新田干拓事業が着工されたが、この大工事にも全面的に人造石練石張表護岸工が採用されて、同28年に完成している。その後昭和28年13号台風まで、1回の破堤もみなかったということは、如何に入造石工法が優れたものであるかを立証し得たものといえよう。尚この時の目塗りとしてモルタルが使用されている。当時の最新式の工法であったと推察される。其の後この工法は、堰を切って落した水に似て、全県下に波及して、人造石練積、又は練張石工が、維持修繕に或いは改良工事として採用されて昭和時代にまで到ったのである。
セメントの使用は、前記のように神野新田でモルタルとして目塗りに使用されているが、これがコンクリートとして使用されるようになったのは後の事と思われる。本県の土木工事関係の台帳により、コンクリートを最初に使用した年代を検べてみた処、橋梁台帳によれば、アーチ型コンクリート橋、眼鏡橋が現在の西加茂郡猿投町四郷地内に架設されたのは明治35年である。又砂防工事台帳には、大正6年に同猿投町田籾地内田籾川にコンクリート放水路を新設したと記録されている。
この両台帳の築造年頃から想像すると、一般に使用されるようになったのは大正初期頃からのことであろう。
現行の海岸保全事業の沿革と、その昭和28年度以降の実施状況を述べる。
① 災害復興事業
昭和29年度版「災害統計」によれば、吾国で土木事業に国の補助が行なわれたのは、明治15年に、2県に対して、国費5万6千円を支出したことが最古の記録となっている。
その後16星霜を経た後、時代の推移につれて、明治32年に「災害準備金特別会計法」が制定されて、国庫補助制度が法制化されたのである。その後さらに幾変遷を重ね、発展強化されて、昭和26年法律第89号「公共土木施設災害復旧事業国庫負担法」となったものである。然し本県の海岸堤防を県管理の公共土木施設として認定したのは、昭和3年以降である。従って海岸災害に県工事として国庫の補助をうけたのはこれ以後のことである。
② 災害復旧助成事業
昭和27年度に創設されたものである。災害復旧に合せて改良工事を同時に施行して、施設効果の高度化を計るものである。
③ 災害関連事業
昭和29年度に創設されたが本県では昭和28年13号台風災害復旧事業及び同助成事業に適用された。
④ 局部改良事業
昭和23年度から災害防除施設事業が創められていたが、昭和26年度に打切りとなり、昭和27年度から本事業が創められた。
⑤ 高潮対策事業
昭和25年度に、高潮防禦対策事業ならびに海岸堤防修築事業が創設されたが、昭和31年海岸法の創定公布に伴ない、昭和32年度からこれが統合されたものである。
⑥ 海岸侵食対策事業
昭和27年度から創められたものである。
⑦ 地盤変動対策事業
昭和19年「東海地震」20年「三河地震」21年「南海地震」および23年「北陸地震」と、相次いで起った地震のために、公共土木施設は相当の被害を蒙ったのであるが、何分大東亜戦争終戦の直前直後のことであって、機材および人手の不足等のために精密な調査が出来ないままに、昭和23年に災害復旧事業として査定が行なわれた。従って申請箇所は外見的に損傷の多い箇所のみに止まっていた。その後水位、水流等の変化が顕著となり、予想外の広域に亘って、地盤の沈下および隆起が起きており尚経年変化の動きもあることが判明して来た。この実情に副って、昭和28年に「地盤変動対策事業」が創設されて、災害復旧事業とは切り離した補助事業となったものである。
これ等の事業は別表の通りである。
このうち特筆大書すべきものは、13号台風海岸災害防止事業(後に13号台風災害復旧助成事業と改称)である。施行延長実に112粁余、第1期計画事業費総額105億8千余万円である。名古屋南部に隣接する上野町地内を起点とする上野横須賀海岸(伊勢湾沿岸)半田市を中心とする半田武豊海岸、衣ヶ浦湾東部西部を包含する衣浦海岸、一色町を中心とする幡豆海岸、御津町より豊川右岸までの宝飯海岸、神野新田を主とする豊橋海岸、田原湾の周囲に当る田原海岸、福江港域から泉港域に亘る福江海岸(以上7海岸は三河湾沿岸である)の計8海岸になる。その他の補助事業は、13号台風では被害が軽微であったが、気象条件によっては将来特に危険と思われる海部、南陽海岸始め別紙箇所調書の通りである。
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第2節 遠州灘沿岸
渥美半島は、東は静岡県境と、西は梅田川河口を基部として、恰も慈母が吾児を抱く愛の腕のように、西南西に伸びること45粁余あり、1市3町を擁している。直接大平洋の荒波が、県本土を侵すのを阻止する天然の一大防潮堤となっている。この尖端、伊良湖岬までの大平洋岸が遠州灘沿岸であり往古から片浜13里と呼ばれている。悠久1万数年、地球上にこの半島が姿を現はしたと想像される第四紀洪積世の終り頃以来、大平洋の海潮は一瞬の休みもなく、時には愛児が母の膝に戯れるかのように、軽く海浜を這い廻るかと思えば、一度風に使嗾されるや、狂瀾怒濤と化して、巌を噛み!岸を削り!飛沫と変じて、沿岸の植物にまで暴威を奮って来たのである。
従って、その大半は、10数米の断崖となり、海浜沿いの樹林には、枯木が空しく点在して、過去の苦闘を物語り、生木は海風に未来永劫の宿命を訴えている。
海岸線は、直線状であって、泊地水面は皆無に近いが、往古から小規模な漁を業とする住民が多く、赤羽根漁港始め4港がある。これ等の区域の延長は20粁におよんでいる。
伊勢湾台風前には、海岸保全施設は殆どなく、僅かに、赤羽根漁港を避難港および外海漁場開発の根拠地とするために、昭和28年度から、防波堤の築造が進められていた程度である。
河川は、山嶺が海に近く、流域が狭少なため、見るべきものはない。
然しこの地形は、大平洋上を渡って来る南風によって、県内の常春地帯と呼ばれ、花卉、野菜等の促成栽培が盛んである。特に花卉の温室栽培は目覚しい発展を遂げ、山裾に、あるいは海蝕、崖上に建ち竝らぶ温室群は、昼は陽光を反射して輝き、夜は電照栽培灯に不夜城の観を呈し、身の辺境にあるを忘れさせる。
半島の尖端にある伊良湖岬灯台は、三重県神島と指呼の間にあり、その白亜の塔は、紺碧の海や、背後の樹林と対照の妙を発揮して、隣接する恋路ヶ浜、石出の石門と共に県内屈指の景勝地であり、三河湾国定公園の一部になっている。俳聖芭蕉もこの地に遊び、一羽の鷹に旅情を慰められたという。
しかし今は、鷹の姿はなく、ジエット機の飛翔するを見る時代となったが、昔歌人磯丸が「ときはなる伊良湖がさきのそなれ松浪にこそかかれ色はかはらじ」と詠んだように、天然の美には聊も変りはない。松籟濤声も亦永遠に、この地を訪れる人々に、喜怒哀楽の情をこめて、絶え間なく、思いのままを私語き続けていくことであろう。
昭和28年度から昭和34年度までに、当沿岸に施行された工事は別表の通りである。
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第3節 三河湾沿岸
渥美半島を左腕とすれば、知多半島は右腕にあたる。左手の先が伊良湖岬であり、右のそれが羽豆岬である。この両腕に抱かれた海水域が三河湾である。なお湾内を地域毎に分ければ、渥美、田原、知多、および衣ヶ浦の4湾になる。伊良湖岬から羽豆岬までを三河湾沿岸と呼ぶ。延長250粁余、県内海岸線の60%を占めている。両腕に対する胸部の出っ張りが、日本デンマークと称せられる区域を含み、三河平野であり、尾張平野に次ぐ本県の穀倉地帯である。西浦と宮崎の突出部は両乳房の趣きがあり、左腋下に当る海面が三河港、右のそれが衣浦港の、それぞれ港域となっている。
湾内に直接流入する河川は、豊川、矢作古川、および矢作川の3施行河川と、境川始め38の準用河川があり、計41河川の多きに達している。
これ等の河口部に生じた三角州地帯は、絶好の干拓適地となり、遠く400年の昔、永録年間から干拓が始められ、大正末期までには、78新田、4,400ヘクタールが開拓されて、三河平野の一部となって来たのである。
昭和になってからは、農林省所管事業として、碧南干拓始め4ヶ所、375ヘクタールが干拓され、さらに田原湾には600余ヘクタールの干拓計画がある。又運輸省所管事業としては、昭和35年度から、衣浦港臨海工業地帯の土地造成が開始され、昭和43年度までに、1,400ヘクタールの埋立を行なう。なお三河港域についても、4,300ヘクタールの造成計画がたてられている。これ等の計画は、6,600余ヘクタールとなる。これは、過去400年間の実績の1.5倍近くである。しかもこの宏大な土地を、近々数10年間に造成しようとしている。建設機械の進歩と、県勢発展の伸張度が、如何に急であるかを覘い知ることが出来よう。
海岸は長汀曲浦に富み、白砂青松の海浜、静穏な海面、行き交う漁舟船舶、その湾内に描く航跡、あるいは湾上に浮かぶ、東海の松島の称がある詩情豊かな篠島とその周辺の無人の島々、全島漁港で、漁舟の出入りも忙がしく、呼ぶも面映ゆい日間賀島、養殖真珠の佐久の島(以上3島には町役場の支所がある。)
大島、小島、仏島、姿も優しい姫島や、猿や兎を放し飼う、木島、前島、沖の島、雑の楽園梶島と枚挙にいとまないが、特に古来から東海の江の島として宏く世に知られてきた。霊験もいと灼かな神を祀る、その名も竹島等20余島の佇ずまいとともに、真に一幅の名画の如き景観である。昭和33年4月に、三河湾国定公園の指定をうけている。
沿岸には、6市11町がある。産業は、農漁業関係を始め、昔から特産品として知られてきた三河木綿や、三州瓦の伝統を継ぐ織布、窯業、その他醸造、鋳造、家畜飼料、機械および車輌等宏汎に亘っている。更に臨海工業地帯の開発につれて、産工業の発展も亦期待される。なお働く人々の憩の場として、沿岸の景勝地には、10指に近い温泉郷が開発されて、骨を休めるには三河の温泉をと、観光の宣伝も亦盛んである。
伊勢湾台風襲来直前の当沿岸に於ける海岸保全施設並らびに河川感潮部の概況について述べよう。
当沿岸には、13号台風災害復旧助成事業計画により、昭和28年被災直後から直工して、継続施行中の海岸は福江海岸始め7海岸あった。昭和35年度に完了を目途に工事の進捗が計られて海岸正面堤の殆どが表護岸工を完了し、河川、入江の取付工事が主に残工事となっていた。
① 福江海岸
助成事業計画延長11,246米のうち表護工は殆んど完了していたが、三面巻堤の断面完成延長は9,063米、裏根止、同法張および天端張工の全部又は一部が未施行の区域延長2,183米、捨石工未施行延長503米となっていた。波返工の計画等はT.P+5.00米~+3.50米であった。天白川河口には防潮樋門が設置されていた。
② 田原海岸
助成事業計画延長16,632米のうち、三面巻堤完成区域の延長は4,845米、工事中延長は11,787米におよんでいた。波返工の計画高はT.P+5.00米~+3.50米、河川部はT.P+3.00米となっていた。
③ 豊橋海岸
本海岸は、神野、二回地および吉前の3新田よりなり、助成事業計画延長9,878米でその大半は神野新田海岸堤であった。三面巻堤の断面完成区域延長は6,862米。工事中区域3,016米であった。波返等は県下で最高のT.P+6.50米(神野新田)~+5.50米である。豊川左岸堤防は在来のままでT.P+3.70米程度であった。
④ 宝飯海岸
助成事業計画延長7,021米、このうち三面巻堤の断面完成延長5,895米で、海岸の正面堤防は殆んど完成し、河川、入口の取付工事を施行中であった。波返等はT.P+6.00米であったが、御馬および大草海岸は計画を変更して波返工と中止しT.P+4.41米で三面巻堤となっていた。河川部はT.P+3.50米前後であった。
⑤ 幡豆海岸
助成事業計画延長41,366米であり、波返工の計画高はT.P+5.80米、河川入江部についてはT.P+3.50米程度であった。
⑥ 衣浦海岸
当海岸は衣ヶ浦湾を中に相対峙する三河部と尾張部よりなる。三河部全壊部のみが三面巻堤他は表護岸工のみ、尾張部は河川部を除き全部三面巻堤の計画であった。助成事業計画延長8,019米である。波返工の計画等はT.P+4.00米、河川堤防等は大体T.P+2.50米程度であった。
⑦ 半田武豊海岸
助成事業計画延長12,902米、このうち康衛および末広新田は、全壊部のみと三面巻堤に完成し他は表護岸のみを施工してあった。
他の新田は殆んど河川、入江の取付部を除き完成断面となっていた。8海岸のうち最も進捗率の大なる海岸であった。河川堤防高はT.P+2.50~+3.00米程度になっていた。
一般補助事業としては別表の通りである。なお河川感潮部についても別表の通りであった。
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第4節 伊勢湾沿岸
知多半島は、その東側は、三河と尾張の国境を南流して衣ヶ浦湾に注ぐ境川の、西側は、名古屋市と知多郡界を西流して伊勢湾に注ぐ天白川の、前者は右岸、後者は左岸の河口部をそれぞれ基部として、南え約40粁突き出している。この尖端が羽豆岬である。愛知と三重の県境を流れる鍋田川の左岸河口から羽豆岬などが伊勢湾沿岸である。この延長は112粁余ある。
伊勢湾に直接注ぐ県内の河川は、庄内川、新川、鍋田川および木曽川の4施行河川と、日光川始め14の準用河川がある。
日本三大河川の一つである木曽川の流路変転の歴史の跡は、尾張平野の大半を占めているといえよう。その扇状地、寄州、自然堤防および三角州は、吾々の祖先の倦むことを知らなかった旺盛な開拓精神を、払はれたであろう多大の犠牲とによって開発されて、今日の隆昌を招来したのである。
江戸時代初頭の海岸線は、現在の国鉄関西線附近にあったといはれている。これより以南の現海岸線までの間は、今から320余年前、寛永年間から干拓又は埋立が始められて、1万数千ヘクタールの土地が達成されて現在の地形になったのである。しかし関西線以北にも、現海岸線から20粁近くも離れているにもかかわらず、津島市附近にまで海抜零米地帯がおよんでいることを考えると、干拓の歴史は更に更に古いものであろうと想像される。三河湾沿岸の干拓地は、開拓当時の外貌を知るに足る形跡を残しているが、余りにも広大な当地域では、正確にこれを知ることは困難である。
天白川以南の知多郡内の干拓地は、260余年前、元禄年間に完成した名和前新田を始めとして、大正年間までに、20新田、260余ヘクタールである。
昭和時代になってからは、木曽川河口に、国営鍋田干拓事業が行なわれ、640ヘクタールが造成された。
湾奥にある名古屋港の発祥の歴史は、遠く360有余年前東海道五十三次「宮の渡」発足の昔から更に更に遡ること8百年近く、平安初期の「間遠の渡」に始まるといえよう。この「渡」が時代の推移につれて、徐々に港の形を整え、明治29年2月には熱田港となり、更に明治40年11月には、開港場の指定をうけて、名古屋港と命名されたのである。その後港勢は頓に盛んとなり、相次いで港湾建設整備事業が行なはれて、今日の繁栄の基礎を築いたのである。
これ等の事業の一環として、明治31年から埋立工事が始められて、昭和34年度までには、1号地から12号地までの12地区および埠頭等が造成されて広茅700ヘクタール近い陸域となったのである。
更に昭和35年度からは、設備投資ブームの波に乗り、南部臨海工業地帯の埋立てが始められ、昭和43年度までに4地区1,950ヘクタールの、なお西部臨海工業地帯5地区、1,800ヘクタールの、それぞれ埋立計画がたてられ又着々と実施されている。
湾上に浮かぶ数隻のサンドポンプ船によって、今日の1万平方米の滄海は、明日は陸となり、1年間には400ヘクタール近くの土地造成が行なはれている。
埋立地には、工場建設の槌音が高々と響き渡る。色とりどりの工場棟が忽然と姿を現はす。高圧電線が白管のように、これ等の工場群に張り廻はされて行く。日ならずして、モーターは唸り、機械は始動の叫びを挙げる。製産は開始された。製品は船で、トラックで出荷されて行く。テンポの速いこと、まさに時進日歩とでもいうべきである。
これにつれて内陸部も、昨日の丘陵地は、今日は一般住宅地あるいは社宅団地となり、行き交う自動車に道路には日々狭隘をつげる。臨海部開発の姿は、実に県勢発展の縮図を見る思いがする。
海岸は、三河湾沿岸に比して、曲浦には乏しいが、白砂青松の海浜と長汀が連なり、海水浴場の適地が多い。
眼を一度湾上に転ずれば、そこには巨大な諸国の貨客船や、豆粒のように右往左往する艀舟や漁舟の動きを見ることが出来よう。色とりどりの船体、船型、加之海風にはためく千差萬別の船旗は、この海面は遠く世界に繋ることを思はしめ、見る人をして夢を遠く諸外国にまで馳せさせるのである。
半島の尖端近くにある須佐の入江は、当沿岸最大の入江であり、豊浜港湾ならびに漁港として古くから開発されて来たところである。羽豆岬から美浜町野間までの問は三河湾国定公園の一部になっている。
沿岸には2市7ヶ町村がある。中京名古屋を擁する本沿岸は、県勢発展の原動力的存在である。濃尾大平野の一半である尾張平野は、あらゆる産業を包含して、発展に発展を続け、特に戦後の成長率の大なることは、瞠目に価するといえよう。農漁業関係始め、商業、および工業とあらゆる分野を網羅しており、名古屋南部臨海工業地帯の造成によって、重工業も亦急速に発展を遂げようとしている。「偉大なる田舎」と称せられる名古屋市が、田舎の域を脱する時期は目前に迫っている。名古屋港勢の伸張こそ、そのバロメーターといえよう。東海の名城、名古屋城の金鯱の輝きは、永遠にこの地方を明るく照らし続けて行くことであろう。
次に伊勢湾台風襲来直前の海岸保全施設について述べる。
昭和28年13号台風災害復旧事業としては、当沿岸には上野横須賀海岸がある。28年被災直後に着工して、35年度完成を目途に継続施行中であった。伊勢湾台風襲来までには、海岸正面堤の表護岸工は波返工まで完了し、裏法張工も、裏法高から1米下りまで張り立てられ、天端張工のみが未着手であった。河川および入江については、前者はT.P+3.00米、後者はT.P+3.50米まで盛土が施行されていた。海部および南陽海岸は、13号台風では被害が軽微であったため、助成事業計画区域には取り入れられなかった。しかし気象条件によっては非常に危険な区域と考えられたので、昭和28年度から高潮防禦対策事業で、飛島地区の波返工嵩上げと表護岸の補強工を昭和31年度迄継続施行して、その延長は2,900米におよんでいた。
又昭和31年度からは海部海岸堤防修築事業をおこして、昭和34年度までに延長2,581米にわたり表護岸の補強ならびに樋門の改築を行なった。南陽海岸は昭和29年度より、浅山海岸は31年度から、両者共に海岸局部改良事業を継続して施行中であった。知多半島のほぼ中央に値する美浜町奥田地内の天然海岸については、波返工T.P+4.50米の階段型護岸工を、昭和32年度から着工、海岸侵食対策事業で施行中であった。河川感潮部については別表の通りである。
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第5節 むすび
以上で海岸ならびに河川感潮部の概要を述べたのであるが、別表により明かなように、県全体面積の28%に過ぎない沿岸地方に、人口はその61%を包容し、製造品出荷額は60%を占めている。沿岸の発展が如何に大であるかを知ることが出来る。この情勢は今後もますます盛んになり、県勢発展の原動力的役割りをはたして行くものと思はれる。従ってこれらの地域に、13号ならびに伊勢湾台風による如き大災害は、今後は絶対に起さぬよう、海岸、河川感潮部の施設の保全に万全の対策を講ずる必要がある。両度に亘る大災害のために、二大助成事業が施行されて、全国の模範的な保全施設が設けられて、その面目を一新したのである。しかし吾人は、この大事業の蔭には、全国民の暖かい同情の力が推進力となっていることを忘れることは出来ない。この恩に応たえるためには、これが維持管理に萬全の対策を樹てて、極力施設の永久化に勉め、日本全国の海岸保全施設が、本県と同様に改良工事が施こされて海岸災害の絶滅を一日も速く招来出来るよう希うものである。
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第2章 伊勢湾台風の気象状況
第1節 概説
後に伊勢湾台風と命名された台風15号は、9月20日エニウエトック島の西方洋上で弱い熱帯低気圧(1,008mb)として、その姿を現はし、次第に発達しながら、西のち北北西に進み、22日9時に台風15号となり、同日15時にはサイパン島の北東およそ150kmの海上で970mbの中心気圧を示した。その後北西に進み23日15時には硫黄島の南南東およそ600kmの海上に達し、中心気圧894mb、最大風速75m/s、中心から400km以内は25m/s以上の暴風圏をもつ超大型台風となった。そして毎時20~25kmの速度で北西に進み、25日の昼過ぎに潮岬の南1,000kmの海上に達した。その頃には、1,000mbの等圧線の長軸は1,500kmに達する程になっていた。その後向きを北西から北北西に転じ、26日6時には潮岬の南南西およそ520kmの海上に達し、速度を増しながら毎時35kmで北に向っていた。このときの中心気圧920mb、最大風速60m/s、半径400km以内の東側と300km以内の西側では25m/s以上の暴風雨となり、東海地方の沿岸部でもすでに10m/s以上の風が吹き始めていた。
その後台風はさらに速度を増し9時過ぎには北緯30度線を越え、14時頃には紀伊水道の南およそ200kmの海上にせまり、東海地方の沿岸でも20m/s以上の東風が吹き、前線の活動による23日からの累加雨量は40~100mmに達した。
その後台風は毎時55kmで北北東に進み26日18時すぎに潮岬の西方15kmの地点に中心が上陸した。潮岬では18時13分最低気圧929.5mbを観測し、台風眼に入った。このころ陸上の暴風圏はさらに拡大して、半径300km以内では30m/s以上となり、東海地方一帯もその圏内に入った。
台風はその後19時に奈良、和歌山の県境に、21時には鈴鹿峠附近を通り、22時には揖斐川上流に達した。このとき中心気圧は945mbとなり、暴風圏は北東に移って東海地方・中部山丘部は風速20~30m/sとなった。最大風速は名古屋で22時南南東37m/s、岐阜で同じく32m/sを観測した。なお台風の中心が通過する前2~3時間は時間雨量40~70mmの激しい雨が各所に降った。このように台風は伊勢湾沿岸に最悪のコースを通ったわけで、南からの強風域は伊勢湾に集中し、気圧低下とあいまって、21時半頃名古屋港での最高潮位はT.P.+3.89mでこれは推算潮位より3.55m高い記録的な値を残した。
ついで台風は23時過ぎに高山を通り、27日0時には高山の東から日本海に入った。このころ中心の気圧は960mbとなり毎時75kmの早い速度で北北東に進み、秋田の東から北海道の南の海上を抜け毎時40kmの速さで千島の南東海上を去った。
東海地方特に伊勢湾沿岸に大災害をもたらしたこの台風を、昭和28年9月25日三河湾沿岸を恐怖に陥いれた台風13号と比較して見る。台風の経路について見ると(図2-2)本土に上陸するまでは、13号の方がおよそ南乃至西側にあったが、潮岬附近ではそれが逆の関係となり、その後、13号台風が伊勢湾・知多湾を横切って三河山間部から長野県に入ったのに対し、伊勢湾台風は紀伊半島を縦断し愛知県の西側を通って岐阜県から富山県に抜けたわけである。
次に潮岬附近上陸時の勢力を見ると下表のように暴風半径以外はほぼ類似している。
しかし、伊勢湾沿岸にとって、台風の西に位置するか東かによって非常に事情が異なり、名古屋における最大風速時の風向は台風13号のときは北北西であったのに対し、伊勢湾台風のとぎは南南東と全く正反対で、このため伊勢湾台風では海水が海岸へ吹き寄せられ気圧低下とあいまって3.55mに達する潮位偏差を見たわけである。
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第2節 気象
1.風と気圧
気象台観測による名古屋、伊良湖、津の記録を見ると気圧曲線はほぼV字型で尖鋭度は津、名古屋、伊良湖の順になっている。これは台風中心からの気圧傾度に比例しているようである。また名古屋では最低生起が21時30分頃に対し、伊良湖と津では1時間早い20時30分頃であった。(図2-3、図2-4、図2-5)
風速変化曲線は名古屋、津では22時、21時を中心にほぼ対称形で同じような傾向を示しているが、伊良湖では左よりとなっている。名古屋では26日9時頃から南東の風が次第に強くなり、13時頃より東に傾き、17時頃まで10m/s、前後の風速を保ち、18時頃から南に風が廻るとともに次第に風速を増し、22時に南南東の風37m/sを示した。それから急激に弱まり西にかたよって行き、27日1時南南西16.6m/s、6時西北西3.8m/sとなった。従って15m/s以上の風が26日18時以降7時間程吹続したことになる。一方伊良湖では11時に15m/sを突破し、12時ですでに東20m/sとなり、16時頃までほぼ同じ風向、風速を示し、西北西に変るとともに次第に風速を増し、21時には南36.6m/sを示した。以後西の方向に変化しながら急激に衰え、27日2時には西南西5m/s以下になった。15m/s以上の風が26日11時以降13時間吹続している。(図2-6、図2-7、図2-8)
知多半島では瞬間最大45m/s以上であり、風向はほぼ南より東に傾いていた模様である。三河湾内でも概ね同傾向であるが西浦半島以東では南に近かったものと思はれ、豊橋に近づくにつれて風速は減って30m/s位を記録している。渥美半島では伊良湖岬に近づくにつれて風速も増し、福江小中山では南東67m/sの瞬澗最大風速を示した。
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2.降雨
東海地方の雨は、台風が北緯20°線に近付いたころ日本の南岸にあった前線によって23日昼頃から降り始め、三重県では23日夜中ごろから24日夜中ごろまで、濃尾平野では少しおくれて24日早朝から夜中すぎまで強く降った。25日9時までの総雨量は濃尾平野で50mm程度、三河郡部で10~30mmである。25日中は各地とも雨は小降りになったが、台風が向きを北西から北にかえ始めた夕方ごろから、東海地方全般にふたたび強い雨が降り始めた。これは台風の北上にともなう前線活動によるもので、三重県、岐阜県では100mm以上に達したが、愛知県では尾張部で50mm程度であった。26日午前中は雨が降ったり止んだりで、濃尾平野では午後になって晴れ間が出る程であった。然し台風の接近にともない、東海地方では15時頃から強い雨が降り始め夜中ごろまで続いた。時間雨量の最大は台風中心の最も近づく直前にあらわれた所が多く、尾張部では40~60mm、三河山間部では60~80mmに達したところもある。26日の日雨量は尾張部で80~100mm、三河山間部では300mmに達した。(図2-9、図2-10、図2-11、図2-12、表2-2)
この雨量分布は地域的に見て日雨量としては驚ろく程多くはないが、短時間の中に集中的に降ったため、県内河川のうち、矢作川、豊川水系において特に記録的な出水を見ることになった。
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第3節 高潮および波浪
1.高潮
伊勢湾台風による高潮は、名古屋港において既往最高と云はれる大正10年9月25日の記録を約0.9m、更に昭和28年の台風13号のそれを1.5m以上上まわる未曽有のものであった。図2-13は名古屋港における台風当日の潮位曲線であるが、実測と推算の潮位偏差は、風速が10m/s以上の風が吹き始めた昼頃に約0.5m、台風が一番接近して、風速が40m/s近くを示した21時35分には実に3.55mに達した。このピークは図のようにするどく立ち、台風通過後には、風速の衰えとともに急激に退潮している。
図2-14,~22は県内観測所の潮位曲線である。一般に台風中心から離れる程、極潮位も低くなり、時間のずれもあるが、台風接近による潮位のするどいことがらを示している。図2-23は伊勢湾および三河湾の最高潮位を示したもので、両湾とも湾奥程大きな値を示している。即ち湾口では2.Omくらいのものが、伊勢湾奥では4.Om程度、渥美湾奥では3.Om程度である。図2-24は潮位曲線より求めた各地の潮位最大偏差とその起時を示したもので、台風の接近による南南東の風を真正面に受けた伊勢湾奥が21時30分頃に最大偏差を示したが、渥美湾奥は大分遅れて、風が南南西にまわった22時30分頃となっている。(図2-13,14,15,16,17,18,19,20,21,22,23,24)
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2.痕跡
表2-3に採録した痕跡の高さは半田・岡崎・豊橋の各土木出張所および衣浦港務所が行なった調査、ならびに10月5日から9日の間に港湾課が運輸省調査班と合同で行なった調査の成果である。各出張所の調査はレベルを用い、最寄りのB.M.を基準にして測定したものである。調査班の行なったものは測量時の海面上よりの高さである。なお、調査班の痕跡調査方法は、海岸線から40~150m程度入っている平坦部で、最前線の残存家屋、戸口、窓等の破壊された家屋等を避け、比較的頑丈な家屋の中に判然と残っているものをとり、附近の人に聞いて確認したうえ、ポール・巻尺・ハンドレベルを用いて測量した。同一地点の痕跡の測量結果の偏差は最大20cm程度であった。
図2-25、26は庄内川改修工事事務所において調査した成果である。測量はレベルにより、B.M.または距離標を基準にした。調査の方法は堤防法面、堤防上の家屋、樹木等の痕跡の最高位を(場所によっては打上げられた漂流物の高さを)約200m毎に左右岸で測量した。平面形状の複雑さと、更に波浪・しぶき等が加わって、縦断的に不連続であるが、検潮記録との差から見て、庄内川明徳橋下流では平均1.20m程度、上流では0.60m程度、新川日の出橋下流では0.80m、上流では0.50m程度の波高が生じたであろう。
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3.波浪
台風の接近が18時~22時にかけての夜間であったため、目測がほとんどできなかった。計測記録として、名古屋の外防波堤前面約200mの箇所に設置された直結型波高計と、福江小中山設置のケーブル式波高計とで一部得られたが、最盛期のものは読み取れていない。これらの記録を整理した有義波高によると、伊勢湾では、20時30分頃2.4m、渥美湾内では17時頃1.5mが記録内最大となっている。一般にHmax/H1/3=1.8の関係によれば、最大波として伊勢湾で4.3m、渥美湾で1.8mとなる。以上のことから、最盛期の21時~22時には更に大きな波高が発生したと思はれる。
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4.台風13号との比較
昭和28年三河湾(渥美湾)沿岸をおそった台風13号の潮位等の比較を表2-6に示す。これによると、三河湾内における潮位は13号と余り差はないが、伊勢湾台風の通過時は小潮の干潮から満潮へ移るときであったのに対して、13号台風の際は大潮満潮時であったことを考えると、伊勢湾台風の潮位偏差の方が台風13号のそれより大きいはずである。
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第4節 河川の出水
台風の接近する25日までは県内各地の総雨量は30~50mmに過ぎず、河川水位の上昇も緩漫であったが、台風接近による烈しい雨のために、河川の水位も急激に上昇し、各所で警戒水位を突破した。特に三河山間部に流域をもつ矢作川・豊川は記録的な出水となり、豊川では上流部で計画高水位を突破した。今度の出水の特長としては、台風接近前後の短時間の強雨により上流部水位曲線は最高水位附近で非常にとがり、下流部での鈍化が著しかった。また感潮区域では出水ピークの前に高潮によるピークが生じ、出水のピーク水位を上廻る箇所もある。
1.木曽川
木曽川は、今渡において、26日22時過ぎから水位が上昇し、27日6時には最大流量7,406M^2/sを示し漸次減水した。この流量により、県内各観測所は警戒水位を突破し、犬山では40.62m、西中野では9.85m、葛木では5.68mとなり、警戒水位を夫々0.70m、0.55m、0.04m越えた。なお、成戸下流では出水のピークに先立って高潮によるピークを生じ、河口に近い船頭平では高潮ピークの方が高くなった。(表2-7、図2-27)
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2.庄内川
庄内川水系は26日午後から降り始めた雨により26日23時頃に各観測所で警戒水位を突破し、多治見で27日0時、大留で1時、枇杷島で3時、矢田川瀬古で0時夫々最高水位を記録し、警戒水位を1m前後上まわったが、最高水位時における推定流量は大留において1,380m^2/s、枇杷島1,330m^2/sであり、特に記録的な出水とはならなかった。(表2-8、図2-28)
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3.矢作川
矢作川水系は豊川水系とともに記録的な出水で、27日0時~3時に警戒水位を突破して計画高水位に迫り、2時~6時に最高水位を示し、上中流部では1m前後の余裕があったが、下流部では計画高水位を突破した。(表2-9、図2-29)
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4.豊川
豊川は26日22時~27日1時に警戒水位に達し、上流部では集中豪雨による急激な水位上昇のため、新城で0時30分、石田で0時、東上で1時夫々計画高水位を上まわる最高水位を示したがその後3時間程で警戒水位まで急減した。下流部は上流部のとがった水位曲線形が鈍化し、新城の最高水位が計画高水位を1.36m、警戒水位を3.30m上まわったのに対し、三上では計画高水位以下、警戒水位を1.28m上まわっただけであった。(表2-10、図2-30)
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5.その他の河川
以上の外、県内の主要河川として、日光川、境川水系において観測記録があるが、降雨による出水は例年に比し大きいものではなかった。然し高潮侵入により、河口部においては現在堤防を越え、破堤箇所も出た。
第3章 被害状況
第1節 概要
伊勢湾台風は全国的にみても昭和9年9月の室戸台風、昭和20年9月の枕崎台風をはるかに凌ぐ台風災害史上未曽有の大災害を東海地方一帯にもたらした。
被害においては、他の類を見ない大きなもので、特に死者は台風被害として未曽有の多きを算し、住宅被害も極めて莫大であった。
更に広大な地域に亘り長期湛水した為、農地被害及び都市被害を大きくしたことも、伊勢湾台風による災害の著しい特徴である。
昭和28年9月、伊勢湾沿岸一帯に大被害をもたらした台風13号と比較しても、表3-1に示すように遙に大きな値を示している。
本県に災害をもたらす主な原因は、毎年5~7月梅雨時の大雨と、8~10月に南方に発生する台風の来襲に依るものであって、県下を、東三河、西三河、尾張、海岸地方及び県下全域(その他の地域)の5ブロックに分けると、これらによる地域別災害傾向は図3-1のようになっている。
この図で分るように、海岸地方は、全体の30%近くを占めているが、之は地形的にも知多、渥美両半島の突出による海岸線の長いことに起因している。
本県の海岸線は延長412kmの長きに亘り、その大半を占める海岸堤防は、去る昭和28年の台風13号によって大部分が欠潰した。その復旧工事は、愛知海岸災害復旧助成事業とし、被害直後より鋭意復旧につとめ、昭和35年度を以って一応完成を計る計画であった。然し、完成を目前にひかえ、再び今回の伊勢湾台風の襲来をうけたのである。
本県の被害総額は3,223億6千万円の巨額に達し、内公共的施設被害652億円、民間被害2,572億円でこの内訳は表3-2、表3-3の通りである。
特に本県は台風進路の右側に位置し、台風来襲時が折悪しく満潮時直前と合致した為、海岸及び河川の破堤、溢水、山崩れ、地すべり等に依る人名の損傷、家屋の倒壊、流失等激甚を極め、その惨状は目をおおわしめるものがあった。殊に名古屋市南西部、海部郡一帯及び知多半島、三河湾沿岸を含め200箇所の多数に亘る破堤箇所から表3-4に示す如く23,119haの広大な地域に海水が浸水し、父祖伝来の耕地も家屋も生産施設も、交通、通信機関もことごとくが海中に没し無惨な姿と化し、遠くは海岸より15km以上も離れた津島市まで、被災後2ヶ月以上も湛水を続け、住民は想像に絶する苦しみにあえいだ。
このように大災害を受けた原因は、勿論台風の規模が驚異的であったことであるが、次に述べる事も大きな原因であったと考えられる。
① 高潮に依る溢水、破堤が夜陰であったこと。
破堤時刻は、台風後の現地調査や伊勢湾に於ける高潮最高位の推定時刻線などから推定すると9月26日20~21時の間に次々と起ったものと推定される。
名古屋港では21時35分最高汐位T.P.+3.89mを記録し、此れは当地方の既往最大潮位である。大正10年9月26日のT.P.+2.97mを約1.Om超えている。
② 人口の密集した名古屋市南部の低地が伊勢湾の最奥部に位置し、この附近の異常潮が最高であったこと。
名古屋市南部臨海工業地帯で、多くの大小工場が林立し、一般民家および社宅などが受けた損害は大きかった。
③ 流木流材の影響によるもの
被災直前に名古屋港にあった貯木材の、大半が風浪で移動し、直径1m以上もある巨木が流過した経路の建物は、例外なく大きな損害を受けており、この為の死者、負傷者は夥しい数にのぼった。
④ 背後地の悪条件
堤防の殆んどが干拓堤防で前面には寄洲がなく背後地は極めて低く大部分か海抜Om以下の地帯で、殊に背面には排水と塩害防止の効用を兼ねた潮遊池があって、一旦破堤すると被災水深も深く、障害物も少ない為水勢も強く、又適当な避難場所が少なかった為に人命被害を大とならしめた。
⑤ 堤防高の不足及び構造の貧弱
本県の海岸堤防はその位置に依り高さは異なるが大略T.P.+3m~6mの不同で、且つ護岸構造も貧弱で天端裏法被覆もなく、伊勢湾台風のような異常高潮を防護するには余りにも低く貧弱過ぎた事が致命的な原因であった。
⑥ 地震による影響
海岸提防の大部分が沖積地帯に造られている関係上、築造以来の長年月間における圧密沈下に加え、昭和19年以来相次いで起きた東海、三河、南海道の三大地震の影響を受けて堤防が全般的に0.3m~0.6m沈下していたこと及び護岸に緩み、亀裂等が生じて弱体化していた。
⑦ 其の他
堤防屈曲部で波が収斂した箇所、又排水樋門位置で前面の水深が比較的深い為波力が強大となった箇所等に於て多く被災の原因が見受けられる。
尚今回の災害は潮位が非常に高かったので従来の災害の如く、基礎の洗堀、或は表護岸より堤体土砂の吸出し等が直接被災の原因になったと認められるものは余り見当らなかった。
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第2節 一般被害
高潮は伊勢湾の奥名古屋港附近で最高潮位となり、この為海岸河川堤防は県下全般に亘って破堤し、強風は家屋を倒壊、泥水は家屋を流失し、尊い多くの人命を奪い、山林、農作物にも甚大な被害を与えた。
その一般被害は表3-5の通り死者3,168名、行方不明92名、負傷者59,045名、住家全壊23,334戸、流失3,194戸、半壊97,049戸、床上浸水53,560戸、罹災者数793,401名、罹災者世帯数173,786世帯の多きに達した。
今回特に被害激甚であった海岸は、昭和28年の13号台風により被害を受けなかった名古屋南部、海部海岸、南陽海岸及び知多郡の北部地域では被害が特に大きく、三河部では13号台風愛知海岸災害復旧助成事業の、二期計画区域となっていた入江部で破堤をしている。
河川では名古屋市内の山崎川、大江川、天白川、荒子川、庄内川、新川を始め海部地方の日光川、鍋田川等の河川下流部の各所で破堤した。
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1.人的被害
人的被害の約2/3が名古屋市南部臨海工業地帯の南区、港区を始め中川区、熱田区方面で受けた被害であり、過去の最高記録を約1mも越える高潮が急激に海岸堤防を乗り越え、瞬時にして浸水し、又河川の溢流、欠壊により堤防が寸断された為一面の泥海と化した。
特に南区では貯木場の巨大なラワン材が奔流し、附近の家屋に激突し倒壊したことによって多くの人命が奪われている。
海部郡の沿海部は低湿地帯である為、今迄洪水の防御に多くの施設や改善が行われており、日光川流域を中心とする地帯はその代表的なところである。然しながらこの地域の海岸堤防は13号台風であまり被害を受けなかったので、高潮に対して安全であるという気持があり、この為避難が遅れ、鍋田干拓始め弥富町、飛島村一帯は甚大な被害を受けた。
知多郡沿岸は、高潮による海岸堤防の破壊により半田市、上野町が甚大な被害を受けたが、全般的には先に大被害を受けた13号台風の尊い経験を生かして被害を最少限度にくいとめた。
東三河及び西三河地方は比較的高潮も低く、13号台風の経験もあって避難が早かったので人命の損失は比較的少なかった。
この様に人的被害を多からしめた原因としては、今までに台風による大きな災害を受けた経験がなかったこと、警報が発令されてから前線による雨がやみ、雲が切れて12時頃一部薄日がさした為、警報の内容がそのまま公衆に受取られなかったこと、また強風により18時頃停電した為、テレビ・ラジオに依る情報や解説を全く聴くことが出来なかったことなどが考えられる。
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2.家屋被害
家屋被害は、県下全般に亘り、殆んどの家屋が大なり小なりの被害を受けた。特に名古屋南部、海部南部に於ては壊滅状態になった部落も多い。地域的にみると表3-7のように、特に名古屋南部地域の被害が大きく、その被害の原因は風、高潮、長期湛水、地盤の決潰の外に貯木場より奔流した流木によるものが目立った。名古屋港管理組合の調査によれば、貯木場は8号地貯木場を始め14箇所に存在し、面積は1,22km^2収容能力は、119万0,410tを有し、台風時の貯木状況は8号地貯木場の8万tを始め全体で25万0,797tであったが、その内約20万tが流失、分散し最も遠距離に流出したものは2.5kmに達した。此の流木により家屋の全壊、流失したものは、1,874世帯、死者1,511名と推定される。
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3.農地の被害
農地の被害は、尾張南部を主体とする沿岸部は高潮により激甚な災害を受け、農地の被害は約152億円になり田畑の流失埋没面積が約60ha、海水の長期湛水15,000ha、其の他農業、土木施設の被害などである。
4.農林、水産の被害
暴風は山林及び農作物に猛威を振い、被害総額は414億円である。中で最も大きな被害を受けたのは水稲で、その被害は予想収穫量の5割を上回る16万トンで約113億円にのぼった。尾張南部は県下の穀倉地帯で、その被害は極めて大きく、海水の長期湛水した田約12,000haは収穫が皆無の状態であった。又野菜、果樹など約240億円、家畜の被害約4億9千万円に達した。
次に林業では、三河山間地の美林を始め県下全域で、年間伐採量の約1.9倍に当る63,000m^3、被害額は約38億円に達し、水産業では、高潮により沿岸漁業協同組合の施設等の損害、及び総漁船の8割以上の6千隻が流失、損害を受け、又漁具の流失などの被害も大きく総額17億円に達した。
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5. 商工関係の被害
被害は名古屋南部臨海工業地帯を中心に、県下全域に亘って約652億円に達する尨大な被害額となった。名古屋南部の工業地帯に所在する化学工業、繊維工業、機械金属工業などの工場約5,000、商店9,000が約2週間に亘って湛水し施設の破損、商品、原料などの損失があった。
第3節 公共土木施設被害
この台風による公共土木施設の被害総額は、表3-8に示す通り8,869箇所、210億円に達する大きなもので、建設省所管分は2,694箇所、184億7千万円で全体の93%に当っている。又運輸省所管分は177箇所、10億円、農林省所管分は173箇所、7億6千万円となっている。特に海岸及び海岸に接続した河川部の被害が最も大きく全体の90%に当り、河川880箇所、90億円、海岸251箇所、75億8阡万円で河川海岸の比率は1:0.84である。
又延長的に見るに表3-9の通り高潮対策事業延長内の災害復旧被災延長比は、河川66.5%、海岸55%を占め河川海岸被災延長111.9kmの内13.2kmの堤防は完全に流失して堤防としての機能を喪失した。
更に之を箇所毎に内容を検討するに一連の復旧費1億円以上のもの、河川10箇所、海岸10箇所、一連の復旧延長1km以上のもの、河川、海岸各々の12箇所宛で又その最大金額は、河川では日光川21億7千万円、延長4,055m、海岸では海部海岸(末広)の15億9千万円、延長3,548m等であり、その被害規模の大きかったことを如実に物語っている。
災害復旧事業費ベスト10位表で見る如く海部郡、名古屋南部、知多郡北部等が最も被害激甚で悲惨であったことが見受けられる。
次に伊勢湾等高潮対策事業に含まれる災害復旧費は表3-11の通り直轄事業区域21箇所、36億円、補助事業区域405箇所、108億8千万円である。
参考迄に終戦後に於ける県下の公共土木施設災害発生状況を工種別に示せば表3-12の通りであり、又終戦後に全国の災害の内県下で発生した額及びその比率を示せば表3-13の通りである。
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第4章 応急対策
第1節 中部日本災害対策本部
9月30日に、愛知県庁内に設置された「中部日本災害対策本部」は、その後12月9日に閉鎖されるまでの70日余にわたって、現地における緊急対策実施の中心となって活動を続けた。
この間、機構の面においては、重点施策として、締切排水、災害救助、住宅復興を強力に推進するため「締切排水」「住宅対策」「災害救助」の各連絡小委員会が設置されて、専門的、技術的な面から実施についての検討が行なわれた。
他方、活動の面においては、災害救助及び復旧のために諸施策の強力、迅速、機動的な処理が要請されて、被害が広範多岐にわたることから対策もこれに即応したものとなって水没地に対する災害救助活動、復旧工事的な締切排水活動、住宅復興その他復興施策が併行して推し進められた。この間本部関係の会議出席者数は、延数千人の多きにのぼり、現地における政府の総括的な災害対策機構としてその機能を十分に果たした。
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第2節 県の組織
伊勢湾台風の来襲に際して応急対策を強力且つ迅速に推進するための県の組織としては、水害を防止するための水防組織、被災地住民の早急な救助を行なうための災害救助隊組織、さらに被災地の急速な復興を図るための災害対策本部組織とに大別することができる。
なお、被災地のあらゆる復興を急速に進めるための重点施策として、湛水排除の前提である仮締切工事を一段と強力に進捗させるため中部日本災害対策本部の設置と呼応して、愛知県災害対策本部の下部機構として、特に仮締切工事本部を設けた。
以上の各組織を概説すれば、次のとおりである。
1.水防本部
水防時にあって県下水防管理団体の水防活動が効果を発揮するために、県が行なう、水防警報の発令、水防活動の現地指導あるいは水防資材の緊急援助等については、昭和34年度水防計画に定めるところであるが、その根幹である県水防本部の組織については、水防本部を土木部河川課内におき、本部長に土木部長が、副本部長には水防の主管である河川課長をあて、本部付として主に土木部内の関係各課長、次長をあてて、本部事務を分担する。庶務、企画指導、情報連絡、交通、及び応援の5係には、土木部内関係職員を配して、水防事務の処理にあたっていた。
さらに、水防管理団体の現地指導等にあたる土木出張所(河川工事事務所を含む。)には所長を水防長として、その下に所員を係別に配し、また土木出張所の分所は詰所として、それぞれの管轄区域を分担せしめて、現地指導の完遂に努めていた。
従って、当時の県における水防組織は、主として土木部関係各課及びその出先機関のみで組織されていた。
(水防本部) (注)各現地班の係は、必要度に応じて選定する
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2.災害救助隊
災害に際して、罹災者に対し応急的な救助を行なうための災害救助隊の編成は、隊長に知事、副隊長に副知事をあて、その下に所要の部を設けて関係各部長を配していた。
この下部機構として、各地方事務所及び各市には地方支隊又は市支隊を、町村には、地方支隊の分隊として町村分隊を編成させ一体的な救助活動ができるような組織としていた。
伊勢湾台風の来襲においては、被災住民の早急救助活動を推進するため、9月27日午前1時、県庁内副知事室に本部を設置して任務の完遂に努めた。
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3.災害対策本部
伊勢湾台風による県内被災地の急速な復興活動を関係機関の協力を得て強力且つ急速に推し進めるため9月26日19時急遽「愛知県災害対策本部」を組織し、本部を副知事室に設け災害復興のため総力を傾注した。
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4.応急仮締切本部
県内破堤か所163か所を一刻も早く締切り湛水の排除を行なうことは、被災地住民の民生安定上重要な条件であるとともに、あらゆる災害復興の基本となることから強力かつ急速に進めることとなり、県では、災害対策本部、土木復興部の下部機構として「応急仮締切工事本部」を設置し本部長には土木部長をあて、その下に災害地域の特性を考慮して海部地方仮締切工事本部と知多地方仮締切本部を設置した。さらに海部地方仮締切本部は現地を新川、日光川左岸工区を担当する東部班と日光川右岸、海部海岸、鍋田、旧国道の各工区を担当する西部班に区分し、仮締切工事の促進を図った。
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第3節 災害対策並びに救助
1.事前対策(予防対策)
県においては、台風による災害の発生を予期して、応急救助の迅速な実施を期するため、非常態制を整えた。
すなわち、9月26日午前11時15分には、暴風雨警報、高潮警報、波浪警報が発令され本県に多大の影響を与える公算が大きくなったので、正午には副知事名で全庁員に対し待機命令を出すとともに、各県事務所長及び市長あてに緊急措置の手配を通達して防災体制に入った。
同日午後0時30分には、「台風をひかえての注意事項」を詳細に印刷し、報導機関の協力を得てその周知を図り、午後6時には、県庁内特設マイクにより、台風による災害の防除について詳細な注意事項を県民にうったえ、特に海岸地方や山くづれのある地方については、至急避難の準備を整え、地元責任者の命令に即応して退避できるようにするとともに、今後の気象状況に十分注意するよう警告を発した。
次いで、知事発令による水防警報を、伊勢湾、三河湾全域に出して、水防及び避難の万全を期するよう要請し、通信連絡、水防指導等全力をあげて被害防止に努めた。また、県下の水防管理団体もこれに呼応して、消防、水防団員を動員して、水防業務に全力をつくした。
すなわち、水防管理団体の水防活動は、すべて過去の記録を更新する大規模なものであって、出動した水防管理団体は、53団体を数え、県下の総数98団体の過半数におよび出動人員も11万4千人余にのぼった。その所要経費は、水防資材、人件費を合せて、2,667万8千円の巨額に達した。これらの水防活動は未曽有の異常高潮との対決であって大きな災害を被りはしたが、多大の効果も収め、住家3万9千余戸、耕地7千余ha、金額にして約21億円にのぼると推定されている。
2.災害救助対策
災害救助法の発動は、9月27日午前1時の名古屋市南区、港区、蒲郡市、半田市をはじめとして市区町村別に逐次行なわれ被害の全ぼうが判明するにおよび10月1日県下全域に発動した。
災害救助活動は、被災後ただちに、緊急幹部会議を開催し、対策を検討、自衛隊の出動その他の協力を要請して救助態勢の強化に努めた。
また、当面の方針として、人命救助を第一義として、被災者の救出、収容、炊出し、給水、医療、助産等の活動に全力を尽すよう関係機関に指示または要望した。
一方、生活必需物資及び救助に必要な資器材については、各方面の協力により順調に入手し、9月27日から、陸、海、空自衛隊の機動力と人力を結集しての輸送を行ない多大の成果をあげた。しかし、海部郡等湛水地域の被害者には、次の大潮を控えて更に人命損傷の恐れがあったので、9月30日集団避難を勧告し、周辺市町村に特設した避難所に収容されてその期間は80日に及んだが、救護班、保健婦、栄養士等を派遣して健康管理に万全を期するとともに、収容児童、生徒に対しては、教科書、学用品等を支給して避難先での学習に支障のないよう措置した。
このほか、災害により不幸にして死亡した遺族には、知事より弔慰金を送った。また内外からの義援金品も多数にのぼり逐次市町村に送達した。さらに国、私鉄の協力を得て被災者の無賃乗車の措置等法外な援護にも尽した。
第4節 自衛隊の活動
陸上自衛隊は、県下全域にわたって救援及び復旧作業に連日平均8,000名余の隊員を投入した。
すなわち、9月26日午後11時、愛知県知事の要請にもとつぎ、守山市の人命救助を最初に、山崎川木曽川の堤防決壊部の締切り、知多郡上野町の道路開設、名古屋市南陽町の人命救助、半田市の遺体収容などに総力が結集され、建設科部隊は応急潮止作業、交通路の確保等の技術作業に全力が結集され、普通科部隊は、救援物資の輸送等を担当した。
海上自衛隊は、各基地から小舟艇を集め、人命救助、物資輸送に全力をあげた。特に名古屋港内の流木整理並びに水路確保のための簡易掃海を実施した。
航空自衛隊は、浜松救難航空隊、小牧救難分遣隊により、食糧、衣類を空輸し、災害状況の判明するに従って、輸送航空団によって大量の救援物資を急送した。
第5章 応急仮締切工事
第1節 概要
仮締切工事と内水排除は何をさしおいても先づ完了させなければならない絶対条件であった。
本県では災害直後いち早く、被災実態の把握につとめ、機を逸せず全勢力を投入する態勢をととのえ仮締切工事に着手した。
本伊勢湾台風仮締切工事の特徴としては、
① 河川、海岸堤防の破堤規模、広大な浸水区域は言語に絶するもので特に被害中心部が臨海工業地帯及県下屈指の穀倉地帯で締切工事の成否は民生上重大な問題であった。
② 澪の深さが13号台風(S28年)のT.P.-4~6m(神野新田-9.Om)に対し-5~10mも深い。
③ 海部郡及名古屋市西部地区の堤内背後地の広大な地域は、いわゆる、海抜Om地帯と呼ばれる海面以下の地盤高であるので、浸水により陸上輸送が全然出来なかった。
④ 従って仮締切工事用諸資材、労力の輸送は舟による海上運搬以外になく、しかも澪口は深いが海浜は総体的に遠浅で大型船艇の使用が出来なかった。
⑤ 小舟は県下において川舟、漁船等の所有地帯が被災浸水したため、流失又は災害救助活動に振り向けられたので、県内遠隔地及県外からの調達を余儀なくされた。
⑥ 建設機械類が搬入路途絶その他で全く使用出来ず人カ施行のみとなり、従って人と小舟でもって濁流に対した工事であった。
県下における仮締切工事の概要は
河川 91ヶ所 5,941m
海岸 109ケ所 10,113m
道路橋梁 10ケ所 6,014m
港湾 1ケ所 90m
計 211ケ所 22,158m
の膨大なものであり、これに要した費用は2,285,450千円である(これは自衛隊出動関係の燃料費のみを含み人員68,619人、資材輸送用重軽車輌4,702台、舟艇2,591隻及び其他後方支援作業等の費用は含まず)
これを13号台風仮締切と比較すると表5-1となる。
使用した資材は土(石)俵793万余俵、石材14万m^3、木(杭)材1.7万m^3、板材9万m^2、鋼(鉄線)材類247ton、土砂(中詰、築堤用)は、ポンプ船を瀬戸内海始め全国各地から27隻、1万3千HPを集め166万m^3を吹溜め、26万m^3を陸上採取した。
これらの作業に従事した職員関係延16,216名、労務者延712,644人である。
陸、海、空の各自衛隊の協力は特筆すべきものがあった。即ち尾西作戦を始め出動人員68,619人、ダンプカー3,670輌、建設重機械1,032台、大、中、小型舟艇2,612隻の機動力の出動があった。
又消防団、地元民、青年団、婦人会、一般有志、及学生隊の協力出動は118,606人の多きを数えた。
一面の泥海と化した市街地や、永々と築いた美田を、一瞬のうちに失った被害地域を一刻も早く救わんと、同胞愛に燃え、老若男女官民一体となって総力を結集し、昼夜の別なく怒濤のごとき濁流との戦を続け、遂に名古屋市南部を10月5日、最難の山崎川七条町湾を10月7日に成功させたのを始めとして、以来順調に各地区を完了させ、県下でもっとも困難を極めた海部南部地区を11月21日、A.M.10.30に完了させたのを最後として、我が国土木工事史上特筆される伊勢湾台風仮締切工事に終止符を打った。
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第2節 仮締切に対する方針
1.経過
被災直後で混乱し、堤防が各所で寸断され通信が杜絶した悪条件の中で、一刻も早く仮締切すべく被災状況の調査と同時に仮締切工事に着手した。其の後被害の重大性に鑑み9月30日、県庁内に中部日本災害対策本部、締切排水委員会が設置されそこで伊勢湾台風仮締切計画の大綱方針が決められ、更にそれに基づき地区計画が樹てられた。
2.大綱方針
中部日本災害対策本部を通じ、計画面、資材の確保、技術者及労務入員の確保と配置、ポンプ船、輸送車輌及び船舶、電力等の確保と適切配分は締切活動の円滑な実施と早期完了のための不可欠な要素であるので国が全般的に援助を行う事となった。
愛知、三重両県の257ヶ所、延長33kmに及ぶ決壊ヶ所のうち、名古屋港から木曽三川河口に至る海岸部及び木曽、長良、揖斐、日光、新川、庄内の各河川堤防は被災程度が甚しい上背後地の湛水面積が広大であるので、一刻も早く仮締切を完了させるために次の担当区域が決められた。
(1)担当区域
イ、木曽、長良、揖斐の各河川部及び木曽岬、長島、城南(三重県管内)の仮締切工事は中部地方建設局が担当する。
ロ、上記以外の愛知、三重の両管内は両県の施行区域とする。
(2)仮締切工法の方針
イ、仮締切工法は検討の結果
(イ)大量の土砂を迅速、低廉に入手出来る
(ロ)資材運搬陸路が寸断されている
(ハ)本工事用の土砂が併せ確保出来ることの理由により大型ポンプ船を主体とする工法が大々的に採用されることになった。
ロ、本県担当区域は主として杭打詰石(土)俵、捨石(土)俵で荒水切を行ったあとにポンプ船にて土砂の吹付補強の工法をとることにした。
ハ、中部地方建設局担当の木曽三川周辺では粗染沈床を法足留とし直接ポンプ船にて締切る工法がとられた。
3.地区計画
本県はとりあえず次の計画を決め、被災実態の把握、仮締切工事の進捗状況により更に細部計画を樹てることにした。
(1)被災実態の把握
堤防が各所で寸断され広大な地域に海水が常時浸入して被災箇所に近寄ることが困難であり、被災状況を迅速正確に把握することが難しかった。このため航空写真を撮影し、これにより締切工事の計画を樹てることとした。
(2)名古屋市南部及び庄内川以東
臨海工業地帯で、県下の被災地域中で最も人口密度の高い本地区について10月5日迄に締切るよう知事命令が出され経済性をある程度無視してでも一刻も早く荒水切を目標とした。
(3)庄内川以西
名古屋市の庄内川以西の南陽、富田地区については最初旧東海道(南陽町のほぼ中央にて東西に縦断している)にて締切ることが考えられたが検討の結果海岸線に沿って締切り、河川についても旧法線にて締切ることにした。
(4)海部地区北部
海部郡については、この地区のほぼ中央を南に彎曲して走る旧東海道(弥富町~六条~重宝)を経て筏川神戸堤(飛島村笹の郷)を結ぶ線で南北に2分し、この旧街道の締切り嵩上げにより北半分を先づ締切ることにし全長7.7kmを第1,2,3工区とし第1,2工区を自衛隊に要請し、第3工区の内筏川堤防を自衛隊、県道締切を県で行うことにした(本締切作業が当時の新聞、ニュース等で大々的に報ぜられた県道締切及尾西作戦である)。
(5)海部地区南部
海部地区南部については日光川右岸より海岸線で鍋田干拓地附近では第2線堤で締切ることにした。
本地区は屈指の難締切が連続している箇所であるので進捗状況により自衛隊の応援を得ることにした。
(6)庄内川
庄内川河口左岸(宝神町)の締切は名古屋港管理組合に依頼した。
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4.資材の調達
今回の仮締切用諸資材は13号台風災害仮締切工事で、県が一括購入して施行業者え支給する方法をとって成果を挙げた経験を生かし同様の方法をとった。
海部地区に必要な資材は名古屋港4号地及稲永埠頭を集結場とし又砂利(土)俵製作場所とした。
5.労務者
建設機械の使用見込がたたず人海作戦にたよる以外は早期仮締切が見込めないので、労務者の緊急集結を図った。即ち消防団の緊急動員、自衛隊の派遣要請、学生、地元民、婦人会、請負業者等の協力を全国的に求めることにした。
6.ポンプ船及電力の確保
県保有のポンプ船2隻はとりあえず新川と日光川に回航配置することにし、あとの所要隻数を中部日本災害対策本部を通じ全国各地から招集した。
尚電力送電線、変電所の復旧は中部電力に於いて締切計画に合う様供給電力を確保することとした。
7.仮締切工法決定の経緯
(1)工法決定するための要素及び概要
決壊口の状況、運搬道路の有無、資材入手の難易、労務者数等現地の状況に適した工法を決定することにした。
イ、杭打可能な澪については杭打詰石(土)俵とする。
ロ、杭打不能で流出入激しい深澪T.P.-5m~-10mについては木沈、粗朶沈床、捨石(俵)等の捨込とポンプ船の吹溜の併用。
ハ、澪止位置については本工事を考慮し最短所要日数にて締切が出来る位置とした。
(2)海部海岸
イ、決壊口が非常に大きく多量の土量が短時に必要であるから土砂採取の方法はポンプ船以外に方法がない。
ロ、現地附近の土質は非常に細砂で直吹きが出来ぬが仮せぎを作れば30~40%は吹溜めが出来る。
ハ、仮せきは捨石が一番確実でよいが生産数量や運搬舟に限度があるので、この外に石袋又は砂袋を夫々混入使用することとし仮せぎの断面を決定。
二、仮せぎの法線は復旧堤防内に捨石、石袋等の透過性雑物を含ませると再度破堤の原因となるから旧根固工より10m海側に送り出す。
ホ、仮締切完成後、再度本復旧用土砂を吹溜めることは塩害、排水等の諸問題が予想されるので、仮締切工の強化を考へ、本復旧に要する盛土分も併せ吹溜めすることとした。
(3)日光川
イ、法線については調査の結果
(イ)前面の河底は泥土である。
(ロ)在来堤防敷は良質土である。
(ハ)本工事の際に旧法線で締切っても基礎工事に支障ない。
(二)澪の横断面は比較的高い地盤であるから材料が少く締切が容易である。
(ホ)既設護岸に丁張代りの高さと見透点を簡単に記すことが出来る。
以上により旧法線とし、決潰口に隣接する既設護岸の表法T.P.+1.50mと+3.00mの点を第1列、第2列の杭の位置とした。
ロ、捨石をしてポンプ船で土砂の吹溜をするのが最適工法と考へられたが捨石の供給難、ボンプ船不足、作業開始の日時が不確定のため、後日ポンプ船が配置されることを考慮に入れ杭打砂利(土)俵詰エ法とした。
ハ、施行に当っては中詰砂利(土)俵の捨込は澪の縦横断面方向とも捨上りがなるべく水平になるよう全断面に均等に捨て込むこと。
(4)新川
イ、杭打が出来ない藤高、七島(各南陽町地内)の澪については対岸堤(庄内川導流堤)まで陸路で材料搬入可能、対岸から小舟で澪まで運搬する見込がついたので捨石材を木曽川産に求め捨石で荒水切を図る。
ロ、粗朶沈床を澪口の海水流出入が緩になる干満潮の間隙を狙って沈設する。しかしその時間が極めて短いので他の時間は直捨石を行う。
ハ、三日月橋(国道1号線架設)上流についてはT.P.-5.Omのため杭打が困難ではあるが他に小舟の調達及舟運のための材料積卸場所、ポンプ船の見込が樹たなかったので杭打石(土)俵詰工法を強行し深堀を防ぐため「せめ」の箇所をつくらず全延長に亘って一様に中詰捨上りとする。
二、法線については本工事を考慮して旧法線とした。
ホ、台風直前まで直営施行中の工事を一時中止し直営人夫、その他器材を澪止に集中する。
(5)庄内川(名港管理組合に施行委託)
イ、澪止め時期を小潮時(10月8~10日)と決め、澪止高を小潮満潮位より0.3mの余裕をとりT.P.+1.Omとした。
ロ、上流部への材料搬入は、堤防が罹災者の避難場所となっており且つ堤防以外の用地なく材料集積に不適、下流部は埋立地で広大な工場跡があるが、これに至る途中道路が数ヶ所決壊しており又流木が山をなしているため、先づ此の搬入道路の確保から着手し、下流側から締切にかかる。(海上輸送も検討したが決壊ヶ所迄の途中、浅瀬が多く満潮を利用しても1回/日の輸送しか出来ないため断念した)。
ハ、澪の状況は、下流側には既設残存護岸が連在し、上流側に最深部のT.P.-6.Om区間がある。従って締切工法は杭打と麻袋(石俵)で前後2併列の麻俵壁をつくる。中央部(平均巾8.Om)はポンプ船に依り吹溜め土砂の歩止の高率化を図った。
二、ハにより人海作戦とし大量の人員投入を図る。
ホ、此の決壊口1ヶ所(230m)によって背後面積は3,000ha、浸水家屋11,000戸、被災人口約100,000人は県下最大の規模である。従って瞬時も空費出来ない状況であったので「沈船工法」が計画された。即ち当時の経緯を中部日本新聞(34.10.5朝刊)によれば、
「鉄船を沈め潮止め、庄内川宝神町」
庄内川宝神町地内の潮止工事は大潮のため投入する土が流れ決壊口200mの仮締切はぜんぜん完成のめどがたたなくなったので、名港管理組合では日本の土木事業でかつてない「沈船工法」を採用9日同組合の鉄船7隻をじゅずつなぎに沈めて仮締切をすることになった。この船は港を深くするために堀っているしゅんせつ船の土を運ぶもので150トン、全長33mこの船7隻を現地に回航し船腹にアナをあけ、約300トンの土を入れ9日正午頃満潮時に沈没させる。船と船との間に土俵をつめ陸地側に杭を打ち付けてひとまず水の流れを押さえるという考へである。その間に自衛隊豊川102達設大隊300人が後方で本堤防の建設に当る方針である。このため9日迄に土俵8万俵をつくる。これで管理組合の鉄船はほとんどなくなり金額にして約1億円にのぼるが「旅順港の閉鎖再現」の方法でいかなければ手の打ちようがないほどの被災状態である。
同(38.10.8朝刊)「沈船工法は不必要か、あす庄内川の仮締切」
庄内川(港区宝神町)決壊=200mのうち同日(7日)中に110mを完成した。9日に全部の完成を目標にしているが現在の進みぐあいによるとさきに考へた沈船による仮締切りは必要でないと思われる。ただし沈船しない場合は工事現場に約千人とダンプカー25台が必要となる。後略。
(6)名古屋南部3川(山崎川南区七条町を除く)
イ、早急に海水を排除するため破堤13ケ所は一斉に着手する。
ロ、施行は請負業者施行とし周辺の大小ほとんどの業者を動員することにし、中小業者は数社合同して一ヶ所を分担する。
ハ、工法は破堤箇所の延長、水深からみて原則として杭打詰土のう工を採用する。締切堤防高は在来堤防高T.P.+3.Om程度とし幅員は天端巾を3.Omとし凸字型の締切断面とすることにした。
ニ、締切位置は旧堤防法線位置とする。破堤状況をみて大部分が此の法線で行けると判断したのであるが、この地帯は非常に地質の悪い処であり、旧堤防法線が一番信頼できる位置であり、材料運搬の困難さを加味して最少限の資材で最短期日の締切を考へた。
ホ、材料運搬路として期待出来るものがないので舟又は筏にたよる外なく、土は附近から取りあえず採取し、締切排水後他所から運搬して採取箇所に返還することにし、附近に該当箇所がない場合は、止むを得ない措置として残存堤防からの採土利用を認めることにした。
へ、材料はすべて業者持とし、手持のないものは県水防資材を貸出すことにした。
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第3節 組織機構
災害発生後政府関係にて前述の通り中部日本災害対策本部を中心とした機構が設立され、県もこれに併行して「海部地方仮締切工事本部」及び「知多地方仮締切工事本部」を設置し、土木部長を本部長とした仮締切体制をととのえ、分担を明らかにした。ポンプ船の手配、緊急電力設備、資材及輸送用船舶の集結等はすべてこれらの組織を通じて迅速に実施された。
各工区の担当者には13号台風のときの仮締切工事の経験者をあて、夫々非常配置を行うと共に県内各土木出張所、工事事務所職員の臨時配置換を行って工事の促進を図ったが、技術者不足のため全国に応援を求めた結果建設省より35名、都道府県から22名の応援派遣を得た。
他官公庁からの応援配置状況を表5-2に県内臨時配置換の状況を表5-3に示した。
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第4節 仮締切工事の実施状況
1.概要
伊勢湾台風仮締切工事に動員された人員及び資材は、我が国土木工事史上特筆されるべき大規模なものであり、陸、海、空よりの立体作業は、今次仮締切工事が如何に難事業であったかを物語っている。
県下で実施した仮締切工事(T.P.+1.50m以下を仮締切工事とし、それ以上のものは応急工事として取扱った)は
211ケ所 22,158.12m 2,285,450千円
であり、本復旧計画が立案、策定するにつれて、高潮対策事業区域が確定したので同区域内と同区域外とに分類し内訳を表示すると表5-4となる。又職員、労務者、資材の総括を表5-5に示す。
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2.進捗状況
(1)名古屋市南部地区
この地区は人口及び各種施設、建物の密集した市街地であるため、10月5日までに全22箇所の決壊箇所を締切ることを目途としたのであるが、折からの大潮により決壊口は奔流と化し、また貯木場の巨大なラワン材が仮締切堤を崩すなど悪条件が重なり、締切工事は予定より遅れ、天白川、大江川右岸は10月6日、特に難工事を極めた山崎川は7日に、庄内川右岸河口部は9日に終了し排水を実施した。
(2)名古屋市西部、南陽富田地区
この地区は隣接する庄内川以東の地区がすでに10月初旬締切排水を完了しているため、住民の不満が強かったが、海部北部地区と同様、大規模工事で、しかも日光川の土質がポンプ浚渫船の作業に適しなかったために工事が遅れ、10月25日ようやく締切を完了した。
(3)海部北部地区
この地区の旧東海道の嵩上、締切(尾西作戦と県道締切403の2号工事)工事は、自衛隊の出動により10月3日着工されたが、全長7.7km、決壊口30ヶ所の締切と残区間の嵩上に及ぶ大工事であったため、自衛隊は陸、海、空合せて3,500名の人員と舟艇130隻、車輌200余台を動員し、県も多数の業者及び労務者を動員して作業に当った。
この大工事は足場が悪いため、資材の輸送及び配分、人員及び機材の配置等について随所で諸問題が起きたが、これを調整しつつ、作業開始1ヶ月を経た11月10日、最後の飛島村笹ノ郷の県道嵩上げ工事の完了をもって終了し、排水に着手したのである。
(4)海部南部地区
この地区は沿岸部でもあり、連続する深澪と資材海上輸送のため苦闘の連続であったが、途中からの自衛隊の協力(海南作戦)及びポンプ船の到着もあり、11月に入って作業も急ピッチに進み、11月18日迄に11箇所を21日迄に全部を完了し、県下の仮締切工事の終止符を打った。
(5)その他の地区
知多半島以東の上野、横須賀海岸については自衛隊の協力(上野作戦)を含め第2線堤(町村道)にて11月5日に完了した。
知多南部、東浦、刈谷、衣ヶ浦、半田、武豊、幡豆、西幡豆、豊橋の各地区に於いても、夫々悪条件を克服し早期に締切工事を完了させた。
3.高潮区域内
高潮区域は、昭和34年台風第15号により災害を受けた伊勢湾等に面する地域における高潮対策事業に関する特別措置法及同施行令(昭和34年法律第172号)に依り決められた、愛知県下では伊勢湾、知多湾、渥美湾が該当区域となり、之に接続する河川は、査定方針により、15号台風による高潮の到達した区域内における最上流の越波又は越水箇所の上流端より下流の区域、及びその取り合せに必要な区域を纒めて高潮対策事業区域とし、当該区域内の応急仮締切工事は同法により高率補助となった。
県下で実施した同区域内の応急仮締切工事の全貌は表5-6の通りである。
(表5-6)の註
① 延長欄の延長は、澪口に接続したT.P.+1.50m以上の区域も含めた一連の仮工事延長であり、( )内は澪口延長を示す。
② 締切工法位置欄 旧法線…旧堤防法線締切、前月輪…前面(堤外)月輪型締切、後月輪…後面(堤内)月輪型、河ロ…河口締切、二重堤…後退又は後方の二重堤にて締切。
③ 同工法欄 杭、俵…杭打詰土(石)俵、サンドポンプ…サンドポンプ船による吹溜、沈床…木工沈床又は粗朶沈床工法。
④ 澪止着手、一応完了年月日は、荒水切の完了した日時を目標としたが、当該仮締切工事の完了日時が記されているものもある。
従って本章文と相違したものもある。
⑤ 資材及労務人員内訳欄 本欄の資材は当該工事に使用した全数量であり、労務人員中には自衛隊関係は含んでいない。
ポンプ船欄の( )内は延日数である。
⑥ 摘要欄 (P)はポンプ船所有又は同施工の業者名である。
⑦ 抽出欄 第9節、考察、文中に記す各1m当り諸検討の対象として抽出した箇所である。(第9節参照)
⑧ 番号欄は地区毎の澪番号を示し、番号の○印は第4節、5.実施例に抽出した箇所。
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4.高潮区域外
前記の高潮区域内より外の地域の仮締切工事は57ヶ所、8,505.72m、172,799千余円である。
被災激じん地とそれ以外の一般地域とに分かれるが、県下全部については表5-7の通りである。
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5.実施例
県下各地区に於いて、各々その地区の条件を勘案し決定実施された仮締切工事の実施例を次に示す。(本掲載実例は各地区の代表的なものから、伊勢湾台風災害誌、応急仮締切工法、伊勢湾等高潮対策事業概要、などに既刊掲載されているものは省き、未発表のものに重点をおいた)。
(1)海部海岸 421-1号(1.地区)
海部海岸(筏川河口締切421の1)
両岸より仮締切を施工し、決潰口327mの所35mに絞ってきた。この攻口は北部仮締切の舟運路になっており深堀保護ができず、潮の干満により洗堀され数日のうちにT.P-750mとなった。その後捨石、砂利俵を用い攻口25mまで締切り木工沈床により一気に締切り、砂利俵でT.P+2.Omまで補強、引き続いてポンプ船により腹付けしながらT.P+3.Om迄立上り仮締切を完了した。
(2)鍋田海岸 422-2号(2.地区)
鍋田海岸(422の2)
木枠を作り錘として土俵を投入し、木枠を沈下させこれを連ねて一応の潮止工を完了。干拓の二重堤のためポンプ船が現場まで入れず、鍋田川にポンプ船を据えポンプ船から締切箇所まで送泥管を設置して土砂の吹付けを行い仮締切工を完了。石材の入手が困難で土俵を使ったが重量が小さく木枠を真直沈下させるのに苦労した。
(3)鍋田川 412号(3.地区)
鍋田川(412号)
捨石にて床拵、河床保護をし、石俵を錘として木枠を沈下させT.P±0.0m迄立上った。その後木枠の前後を捨石、石俵で補強しT.P+T.P1.5m迄立上りポンプ船にて後面を腹付けを行い、T.P+3.12m迄の仮締切を完了した。
(4)南陽海岸 418-6号(4.地区)
南陽海岸(418-6号)
杭打積土俵工を採用し、先ず杭を打ち布木を掛けたが、土石俵の製作が遅れた上に干満に伴う流速が大きく杭の根元が洗堀し流失の恐れを生じ大半の杭は継杭打直ししなければならない状態であった。自衛隊の協力を得て土石俵を杭の表、裏、中と一挙に投入し11月1日荒水を切り前後に板柵工を施工しその間にポンプ船で土砂を吹付けT.P.+3.00m迄立上り表面を土石俵にて被覆し完了。
(5)日光川右岸 403-5号(5.地区)
日光川右岸(403-5号)
破堤延長130mの内中央部70mの他は旧護岸の法尻部が残存していた。杭打板柵工を施し法尻護岸残存部は土石俵をつめて完了中央部70mはポンプ船で土砂を吹上げ土石俵にて表面を補強し仮締切を完了。
(6)庄内川左岸 75-1号(6.地区)
庄内川左岸(75-1号)
当初資材輸送は海上輸送を対象にしたが附近の水深が浅いのでポンプ船に必要な資材のみ海上輸送とし他は陸上輸送とした。
締切作業は下流部より進め最終締切は上流側とした。
(7)新川右岸 86-4号(7.地区)
新川右岸(86-4号)
当初簡単な石袋捨入による締切工法を考えたが、石材の大量集積、諸材料運搬方法軟弱地盤の深堀等考慮した結果能率的な粗朶沈床工法を用いた。満潮位まで粗朶沈床を用いて流速を減少させ、粗朶沈床の前面T.P+1.50m、上部T.P+3.00mまで石俵を漏水止として積上げ、堤内地洗先に板柵を設けポンプ船で吹上げ流水を止めた。さらにT.P+4.50迄盛土を行い完了した。
(8)山崎川右岸 5号(8.地区)
山崎川右岸(5号)
既設石積がT.P+1.20mまで残ったので満潮時に少し潮の出入があったが大したことなく又深堀の必配もなかった。10月1日背後地の荒地で土砂を採取し既設護岸を利用して盛土工俵積を行った。その後漏水等に悩まされたが10月10日に完了した。
(9)大江川右岸 17号(9.地区)
大江川右岸(17号)
延長67mの内37mが澪口となり最深部はT.P-2.20mで一部石積根石が残存していたが干満変動時には潮が流入し根石の後部が幾分深堀した。仮締切工法は石積根石を利用し土のう積工法を採用。土のうの流失がなかったのが幸いして10月1日には仮締切を完了。
(10)上野海岸、南柴田新田 135-1号(11.地区)
上野海岸南柴田新田(135-1号)(上野作戦)
本堤は6ヶ所、957.5mに亘り寸断決壊し堤防の原形殆んどなく短期間に澪止不可能なため一時的に二重堤を締切ることにした。二重堤に於ても5ヶ所、355rnに亘り決壊した。底質が軟弱な泥土であるため干満のたびに深堀れが激しく石俵にて深堀防止をした。ただちに杭柵を施し干満のたるみを利用して一気に土俵及中詰土を投入して仮締切を完了。
(11)上野横須賀海岸、天宝新田 147号(12.地区)
上野、横須賀海岸天宝新田(147号)
前方月輪型工法を採用。9月29日着手し最後の締切は沖側の隅寄部15mで行うことに決定。15mまで狭めた攻口は流速7~8m/secとなり干潮時を期して地元民、消防団の応援を得て一気に締切った。流速が大きいので一時は失敗が危ぶまれた。又杭の打込に際し底質が硬質の粘土層のため非常に困難した。
(12)知多南部海岸山王川右岸 36号 (13.地区)
山王川右岸(36号)
底質は軟弱な粘土層で干満のたびに深堀れした。堤防の両側に資材を集積し干潮のだるみをみて一気に締切った。
(13)衣浦海岸新々田 184号(15.地区)
衣浦海岸新々田(184号)
満潮時は水深T.P+2.70mで残存根固の底が抜けており背後地が低いため流入量が多かった。背後地の工場が甚大な被害を蒙り地元の要望で澪口の前面に一時的に仮締切を行った。締切後も海水の流入が激しく補強に補強を重ねた。その後本堤位置に二段の締切堤を作り完了。残存根固の空洞を塞ぐのに大変苦労した。
(14)衣浦海岸服部新田 201-5号(15.地区)
衣浦海岸服部新田(201-5号)
この決壊箇所の左右にも決壊箇所があり陸上による資材輸送ができず海上輸送によった。流速が早く澪が深いため杭打に困難をきたし又底質が軟弱泥土のため深堀防止として石俵を投入。その後舟及び決壊口の両側に集積した土俵を手送りで投入し10月11日午後4時締切を完了。
(15)東浦海岸石浜新田 186号(16.地区)
東浦海岸石浜新田(186号)
陸上による材料運搬が出来ず舟によった。残存した根固の前に昼夜兼行で杭を打ち土俵つめ、最後に残った締切箇所は土砂船を待機させ人海戦術で捨土俵を行った。水深が非常に大きく干潮時には滝となり深堀れするので杭がもたなく又水の中へ入って板を打ちつけることも出来ずしかたなくT.P±00mより板を張り海水を止め後へT.P+2.50mまでの締切を行った。
(16)刈谷海岸逢妻川左岸 95号(17.地区)
刈谷海岸逢妻川左岸(95)
破堤箇所の前面に捨石が残っていて幾分水勢は弱まるが流速が大きく又深堀も早かったので堤体前面の締切は不適当と考え堤体中央部に締切を行った。10月8日午前9時の干潮を利用して叺を徐々に投入し12時頃の潮の中だるみに杭の前後に叺を投入して一気に立上ると共に待機していたブルドーザーで土砂を詰込み潮止に成功した。
(17)幡豆海岸平坂入江 198-4号(18.地区)
幡豆海岸平坂入江(198-4)
延長約100mの内上流側60mは転倒コンクリートがあり深堀れ等の恐れなく又下流側40mは最大流速5.Om/sec程度でT.P-3.Omであった。水深は比較的浅いので澪口に砂利俵を投入し深堀れを防ぎつつ両側より杭打土俵詰工を行い澪口20mまでこぎつけた。その後海、陸両側から一気に砂利俵を投入し締切を一応成功したが、漏水があったので腹付を行い締切を完了した。
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6.自衛隊関係
(1)活動概要
被災後の混乱、麻痺した状況下での自衛隊の活動は目覚しいものであった。
全国各地から部隊を増援して、自衛隊の災害対策本部の指揮下に入り、各地に配属された隊員数は、陸、海、空の精鋭で最大時(10月中~下旬)に約12,000名、車輌1,800余輌、舟艇約200隻、航空機20機に及び、果敢忠実な行動と、これらの機動力を駆使して、陸上では河川及び海岸の仮締切、道路の啓開、補修、流木泥土等の処理、架橋、通信線の復旧、海上からは人員、救援物資、仮締切用資材、飲料水、医薬品等の緊急輸送、空からは輸送機、ヘリコプターによる状況調査、連絡、被災者の救出、防疫薬の空中散布、食糧及衣料の空中緊急輸送、及びこれら全般の後方支援等、縦横の活躍は史上最大の規模であり、被災、動揺する地元民始めすべての者に、深い感銘を与えずにはおかなかった。
即ち、10月3日以前は救助作業を主力とし、旧東海道、山崎川、庄内川、半田海岸の仮締切応援作業に一部従事したが、10月4日以降はこれに仮締切作業を重点並行させ、これが完遂を期するため、自衛隊創設以来最初の作戦名を冠し、「尾西作戦」を骨幹とし引続き「上野作戦」「南陽作戦」「海南作戦」の締切作業を、陸、海、空自衛隊の鋭知を集中し行い、11月21日の海南作戦完了を最後に大成功を収めたのである。
自衛隊出動の状況を表5-9に示す。
(2)西尾作戦
旧東海道(海部郡弥富町~六条)から県道(六条~重宝)を経て筏川神戸堤(飛島村笹之郷)に至る。(亀ヶ池に至る県道締切は県が施行)7.7kmのうち、破堤ヶ所30ヶ所、2,749mの仮締切と、笹之郷地区を含めて1,260mの嵩上工事をT.P.+1.8mの高さ迄、杭打土(石)俵積工法で締切った。
即ち10月3日より木曽川尾張大橋からの材料搬入道路補修、確保の前哨戦から引き続き、建設大隊を主力とし、海上舟艇を加えた総力を集結させ、第1、2、3、工区と各々分担し、一面浸水のために、飛島村重宝、笹之郷、及びその中間地点に上陸用舟艇にて上陸、資材は名港11号地より海上運搬し、更に鍋田大橋より重宝地区へ、ブルドーザーの渡河を成功させ、今迄人力のみに頼ったものに、機械の一大威力を加え、11月5日には第2工区を完了させ引き続き、11月12日十四山村神戸堤防嵩上と、第3工区県施行の県道(名古屋桑名線)締切の完了により、西は木曽川から東は日光川に至る、津島市をも含む、広大な海部郡北部地区(海部郡浸水地域78km^2、65,000人のうち、50km^2、55,000人)を泥海から救ったものであり、本災害仮締切工事の自衛隊担当分では、最大の規模及び成果であった)。(詳細は尾西作戦作業経過表3-10及び状況図図5-38参照)
(3)上野作戦
知多郡上野町南柴田新田(天白川河口南側附近)で海岸堤防は殆んど、没水中のために、第2線堤(町村道)1,120mのうち、破堤12ヶ所、600mの締切と、当2線堤から天白川左岸に至る250m区間の新規締切で、計画をたて県と密接な連携により、杭打土俵詰(ポンプ船にて中詰土は吹溜)工法で資材は①、天白川左岸からダンプカー②、中央部及び南側は附近を走る2級国道より、舟艇及びトロにて運搬した③、海上からはポンプ船にて吹溜した。
10月10日着手し、尾西作戦に次ぐ難工事であったが、動員された延人員12,682人、ダンプカー288台、バケット、クレーン等119台、舟艇20隻、土のう247,000俵、杭520本を投入し、11月5日完了した。詳細は図5-39の通り。
(4)南陽作戦
名古屋市港区南陽町藤高前新田、南陽海岸(新川右岸河口~日光川左岸河口)破堤8ヶ所のうち、日光川寄り4ヶ所と日光川左岸1ヶ所の計5ヶ所、296m(水深2~4m)の仮締切作業であった。
10月22日着手し名港11号地より中型上陸用舟艇にて資材を搬入し、濁流中にて杭打し、土(石)俵詰、捨石工法を進め、T.P.+2.Om迄を、着手1週間後には完了させ、引き続き補強を続け11月3日完了した。
動員された延人員、4,315人、舟艇62隻、石(土)のう、麻袋作成80,500俵、同右運搬183,420俵、杭打475本であったが、工事中11月2日の夕刻にはこの月最高の潮位のため、仮締切口から海水が流れ込み始めたが、必死の補強作業により、大事を未然に防いだ。
(5)海南作戦
尾西作戦の成功により、県下における大湛水地帯として残されたものは、海部郡南部(尾西作戦ルート以南)地帯のみとなり、これが締切のため、日光川右岸河口より筏川河口締切を経て、鍋田干拓地背後の第2線堤に至る海岸線で、被災直後から県において仮締切工事が続けられ、順次完了して来たが、11月10日現在、6ヶ所(弥富町東末広、筏川河口締切、飛島村新政成)の最難関澪止が苦闘中であり、そのうち2ヶ所、東末広(12号)筏川河口締切(11号)820mの澪に挑戦し、それらの支援作業が本作戦の特徴であった。
即ち、砂利運搬(木曽川草井地区~名港11号地)、石のう(砂利俵)作成、海上自衛隊舟艇への舟積、輸送、投入集積の一貫作業で、石のう作製103,095俵、海上輸送179,452俵、砂利運搬648m^3、人員8,928人、ダンプ144台、クレン34台、ドーザー及びバケット14台、舟艇215隻の成果を集中し、遂に11月21日A.M.10.30水切に成功し本災害仮締切工事の自衛隊受担作業はすべて、終止符を打った。
(6)その他
作戦名を冠しなかったが、その他の仮締切作業に出動又は、後方支援作業に従事した内訳は表5-8に示した通りである。
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7.消防団、学生、その他の協力
今次災害における消防団の活躍は、広範な業務に亘り顕著なものがあった。
特に被害の大きかった地域の、河川、海岸の仮締切丁事の応援、協力は早期仮締切工事完了の礎となった。
学生奉仕隊(高校、大学生)は主として名港11号地で、一刻も早く仮締切工事の完了を願って、自発的に土(石)のう作製、運搬に従事した。その奮闘ぶりは涙ぐましいものであった。
青年団、地元民、婦人会、名古屋市職員等も職場、家庭をもかえり見ず尊い協力があった。
これらの協力内訳は表5-11に示す。
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第5節 ポンプ船
被災状況調査の進むにつれて、破堤ヶ所の大部分が海部及名古屋の干拓地区であることが判明したので、莫大な築堤土砂を要する仮締切工事にはポンプ船が欠くことの出来ないものとなった。そこで県では直に県手持船を配置させ、同時に全国のポンプ船の所在を調査するとともに、それぞれの所有者並に現使用者に交渉の手配をした。それに応じて10月3日に船主の会社側と、需要者の建設省中部地方建設局、三重県、愛知県との会合が行われ、そこで船の配分について協議を行い、その決定をみたのである。現地では準備を整え一日千秋の思いで船の到着を待ったのであるが、名古屋港内に在ったものは修理に相当の日数を要したため、又東京、大阪方面から回航するものは台風16号の発生等のため予定より到着がおくれ、10月中旬から下旬にかけてようやく集結をみたのである。その総数は本県所有船を含めて27隻13,075馬力に及び総浚渫土量1,657,653m^3であった。この浚渫船の活動状況を表5-12に示す。
表5-12に示す如く電動機を使用しているものが半数なので、県では被災後直ちに中部電力KKに、名古屋西部及海部地区への電力供給を求めたところ快諾を得、会社は即刻、本社、支店、営業所と一貫した関係係員をあつめて、二・三日にして変電所の復旧と配線工事の準備に着手されたのである。
このときの協力はその後の締切工事の促進の鍵とも云うべきものであったことを特記したい。
しかしながら、一面海と化した海部地方に於いて高圧線配線工事は、電柱1本たてることさえ容易なことではなく、ましてその方面へ送電する変電所さえ無被害のものはなく、変電所を復旧し、更に数粁又は10数粁に及ぶ配線工事は、すべて水面上の作業であって、その困難は筆舌につくしがたいものがあった。この配線工事の費用については表5-13に示しておく。
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第6節 資材
1.支給材
28年13号台風災害の際に仮締切工事用資材を県で一括購入して施行者へ支給する方法をとって成功した経験を活かし、今回の災害に於いても同様の方針をとり直ちに石材、木材、麻袋等主要資材の手配をした。
主な資材の購入状況は表5-14に示す如くで、麻袋及び叺6,835,435枚、丸太類140,060本、捨石33,093m^3となっている。(28年13号台風の際には麻袋及び空俵2,616,732枚、丸太類153,893本、捨石21,850m^3であるので今回が麻袋及び叺が、4,218,000枚、捨石で11,000m^3の増となった)
更に今回は麻袋に砂利、礫を詰めて石俵を製作して支給する方法をとったが、その数量は1,625,771俵に及び、捨石に換算すると約32,000m^3に相当し、28年13号台風の仮締切工事に比較して、麻袋及捨石(石俵を含めて)の使用量が約3倍になっていることは、如何に規模が膨大であったかを物語っている。
これらの支給資材の大部分は、名古屋市西部地区及び海部郡地方の仮締切工事用として使用されたものであるが、これが運搬については、陸上輸送はほとんど不可能のため、すべて海上輸送によらざるを得なかったので、名古屋港管理組合の協力により資材集積基地として名古屋港4号地(自衛隊関係は11号地始め)の提供を得て、そこに県係員が常駐して、資材の受払作業を行い、更に石俵の製作のために、同港稲永、石炭各埠頭を特に石俵製作場として使用することにして、砂利の搬入、石俵製作、海上運搬船への積込が一貫作業として行なわれ、今次仮締切作業の重要な役割を支障なく遂行した。
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2.業者持出
名古屋市南部及び知多地区以東については、主として資材の調達は業者持出施行とした。
県下の業者持出資材内訳は表5-15の通りである。
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3.供給地
莫大な資材の短期間、集中調達のため県内のみでは調達出来なかった資材も相当あった。
各資材の供給地及び当供給地より仮締切工事使用場所に運搬した経路の内訳は次表の通りである。
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第7節 輸送
1.概要
前述した膨大量の資材の輸送に当っては、浸水区域はもちろん、区域外にあっても道路決壊、及び障害物、橋梁被災等にて交通不能路線が県下各所に多発した状況で、数少い通行可能道路に、救援物資、罹災者救出、見舞、迂回定期バスの往復等混然と通行する中で、仮締切資材及び労務者輸送が行なわれたが全く困難を極めた。
資材輸送車輌の概別は、海部郡地区は県にて借り上げ使用及び自衛隊車輌、新川以東については、自衛隊及び業者所有(請負施工、資材納入、運搬専業)分にたよった。
2.陸上輸送
県下に於いて資材輸送に動員された車輌数は、各仮締切工事に使用した要運搬資材数量より推定すると次のように膨大な延車輌数となり、1日平均2,300台の動員となる。
そのうち県にて借上げた内訳は表5-18に示す。
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3.海上輸送
海部、南陽地区を始め、陸上から輸送が出来ない箇所の資材及び人員輸送等に使用された舟船は、次の通り膨大な船隻数(推定)となる。
表5-19のうち、県借上げ船舶の内訳は労務輸送分を含めて次の通りである。運輸省第2港湾建設局所属船借上による(表5-20)及び名古屋港平水機帆船組合、愛知平水組合(表5-21)等である。これと施工業者に貸与して資材輸送の円滑を図った。
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第8節 経過
台風後はじめての、小潮廻りの10月7日迄に山崎、大江川を完了し、又名古屋港管理組合に委託施行した庄内川河口の仮締切工事も9日に完了して湛水排除に取りかかった。
そこで次の小潮廻りの10月25日を目標にし名古屋市西部地区の締切工事を進め予定通り、南陽町藤高前新田の締切を最後に荒水切を完了した。この地区始め海部郡方面の締切工事はポンプ浚渫船による土砂の吹付補強を最も必要としたが、16号台風来襲、土質不適等各種の作業進捗を制約する事象が次々と生じ、困難を極め、更に11月2日の大潮で若干の手戻りを生じたが、順調な経過をたどって、11月21日の海部海岸を最後に、本台風の仮締切工事を全部完了し、湛水排除を俟って、伊勢湾台風被害全般の復興へと途を開いた。
排水が進むにつれて、避難していた罹災者や、長い間水中で苦闘を続けて我が家を守った人々が、一日千秋の思いで待ちこがれた乾陸の出現が遂に来たのである。
県下各地域の締切及び排水完了状況は表5-22のとおりである。
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第9節 考察
1.概要
応急仮締切工事は前にも述べたように、ほとんどの場合、極めて悪条件のもとに施行しなければばならないのが普通である。したがって十分な調査や計画が出来ないうちに着工しなければならない事が多い。
応急仮締切工事はそれぞれの場合によって立地条件が異なり、使用材料等もその地域にあるものが用いられるため互に比較し難い事や、工事がじん速さを尊ぶため、必ずしも記録に残す程の十分計画に時間を費した工法をとることができず、臨機応変の処置をとる場合が多いことや引続いて本復旧工事が急がれるので、記録として纒めておく余裕がほとんど無いこと、などから今まで研究されておらず、文献としてもほとんどないのが現状である。従って応急仮締切工事を必要とする災害が生じた場合は、果してどのような工法をとればよいのか、工事費はどの位掛かるのか、材料はどの位必要であるのか見当がつかず、わずかな資料でも貴重な指針として大いに役立てていたのである。
本節は昭和34年の伊勢湾台風に伴う高潮によって海岸堤防あるいは河川感潮部堤防が各所にわたって破堤したが、それらの破堤箇所については応急仮締切工事を施工した際の資料に基づいて、分析した結果を集録したものである。
資料は中部地方建設局、愛知、三重両県から提出された約260箇所の応急仮締切工事のうち、地域的に分散し工法的に割合と資料の整備された100箇所を選び、そのうちさらにアトランダムに40箇所を選んで、これらの箇所について検討することとした。(図5-40参照)
この40箇所のうち愛知県分については、延長、工費、資材土量、労務者、工法、水深等の各諸元を並記したものが表5-6(伊勢湾台風応急仮締切工事箇所別内訳表(5-6)抽出欄番号参照)で、メートル当りの数量にしたのが表5-23である。
以下、分析の結果について述べる。
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2.平均水深とメートル当り評価
応急仮締切工事を施工する場合にどれ程の費用を必要とするかを検討してみる。縦軸に平均水深Hm、横軸にメートル当り単価Cmを表わすこととした。工法による分類は図に於いて符号をもって表わすこととした。
この場合において平均水深Hmは、破堤延長lの各点における東京湾中等潮位0メートル以下の水深をH_1、H_2……HnとしΣHi/lの形で表わしたものである。Cmには事務雑費は含まれていない。(図5-40)その関係は図5-41から大体の傾向が把握でき、Cmの上限(図では逆になっている)を求めると、
6m>Hm>2mの場合
Cm(万円)=20Hm-15…………(1)
Hm<2m
Cm(万円)=5Hm^2+5…………(2)
但し水深は絶体値をとる。
となり、Cmの下限を求めると、
6m>Hm>4mの場合は、
Cm(万円)=20Hm-20…………(3)
Hm<4m
Cm(万円)=1.12Hm^2+2…………(4)
となる。これらの式によると上限と下限が非常に差があるが、下限は工法的にみると、ほとんどサンドポンプ船工法が占めており、これらの点を除いた他の工法だけをみると差がなくなっている。
注意を要することは、平均水深Hmの割合に比べてメートル当り単価が高い箇所は、「せめ」口が急に深くなっており、「せめ」の部分に特殊な工法を用い相当多額の経費を要している場合など特殊なケースがあるため、この図表、式をそのまま使用することはできないが大体の近似値である。
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3.平均水深とメートル当り所要土量
応急仮締切工事を施工する場合にどれ程の土量を必要とするかを検討してみる。
横軸にメートル当り土量Vmを表わし、縦軸に平均水深Hmを表わした。
この場合にVmはΣΛi/lで表わしており、サンドポンプ船による吹上げ土砂と自動車運搬による山土をそのまま加えた数字としている。ここに少し問題点があるが資料が不十分であるためやむを得なかった。
図5-42をみるとサンドポンプ船工法が非常に多い土量を必要とすることは勿論であるがこれは、吹上げる土砂の量を持って表わしており、締固まった仮締切工事として必要なだけの土量ではないことに注意を要する。
サンドポンプ船工法による吹上げ土砂量の上限は
1m<Hm<5mの場合
Vm(m^3)=300Hm-80…………(5)
サンドポンプ船工法以外の工法において上限は
2m<Hm<5mの場合
Vm(m^3)=160Hm-140…………(6)
となっており、例えば平均水深3mであればサンドポンプ工法によると、820m/m^3、それ以外の工法によると、340m/m^3が最大限度であるということができる。
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4.平均水深とメートル当り所要労力
応急仮締切工事を施工する場合にどれ程の労力を必要とするかを検討してみる。
横軸にメートル当り労務員数Mmを表わし、縦軸に平均水深Hmを表わした。
この場合にMmはΣMi/lで表わし、一般労務者、自衛隊員、消防団員、学生等すべて含んでいる。
図5-43をみると非常に各点が分散しており、相関関係が無いように見えるが、1箇所づつを実例などを考慮してみた場合に、一つの湛水区域において多数の応急仮締切工事箇所がある場合、最後の締切り箇所となった場合は、自衛隊員、消防団員など多数の労務員が集結されているし、人海戦術を最初から予定していた仮締切箇所などもHmに比して多く表われている。
Hm-Mmはその点で今少し検討の余地があるので一応図表にとどめておく。
ただ木曽三川においてサンドポンプ船工法を用いた箇所、図5-40において⑪、⑫、⑬、あるいは日光川の⑭、⑮、などは、Hmの割に人力に頼らなかった結果が表われている。
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5.平均水深とメートル当り所要かます俵量
応急仮締切工事を施工する場合にどれ程のかます、俵類を必要とするかを検討してみる。横軸にメートル当りかます、俵数量Tmを表わし、縦軸に平均水深Hmを表わした。
この場合にTmはΣTi/lで表わしており、捨石俵、捨砂利表、捨土俵など俵袋類はすべて含まれている。図5-44において点線で囲んだ⑪、⑫、⑬の部分は、前にも述べたように木曽三川におけるサンドポンプ船工法による箇所を表わし、⑭、⑱、⑲の部分は、捨石の施工とサンドポンプ船による土砂吹上げ補強を行なった箇所で、これらの各点を除くと上下限は、大分間隔がせばめられる。その上限は、
4m>Hm>1mの場合
Tm(袋)≒502Hm…………(7)
4m<Hmの場合
Tm(袋)≒872Hm-1480…………(8)
となる。
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6.結語
その他石材、そだ、鉄線などの関係も求めてみたが矢張り、分散度が非常に大きいので記載することを止めた。今後さらに260箇所について資料を整理し、工法別に細分して相関関係を求めると、実用的な図表が出来る可能性があると考えられる。
7.単価変動
単価推移の内容として次の表(表5-24)を参考にあげておく。
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難工事のかずかず
―仮締切工事状況写真―
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第6章 復興に対する立法措置
第1節 立法までの概要
わが国土は、地形的にも気象的にも天然の異常現象による災害を受け易い条件下にある。即ち、冬期における北日本海に面した地域の豪雪とその融雪に伴なう3~4月の洪水と6月から7月にかけて不連続線の日本列島附近停滞へ伴なう長雨、いわゆる「梅雨」と称する雨期で、この長雨はしばしば極地的に豪雨をもたらすことがある。さらに8月から9月にかけては、熱帯性低気圧が、強い風と多量の降雨を伴なう台風となって本土に来襲する。
なかでも、台風は、強大な破かい力をもってほとんど日本全域に亘り人的、物的災害をもたらし、これによる国富の損失は甚大なもので戦後における年ごとの被災額は、2,400億円余りと推算されている。
このような災害に対処するため、諸般の災害対策がすでに整備、研究されつつあったが、昭和34年には、特に災害が頻発し、7月中旬には台風5号の影響による豪雨と数次の局地的豪雨が引き続き、8月には、台風6、7号と局地的豪雨が相ついだので災害に対処するための特別立法の必要性が一部で強調されはじめた。9月を迎えるや、中旬には台風14号、下旬には同15号即ち伊勢湾台風が来襲し 惨害をもたらす結果となった。
特に伊勢湾台風は、沿海部各地に異常高潮を伴ないその被害は、伊勢湾沿岸に集中的に発生し、また異常な湛水、土砂堆積等の被害は全国的な発生を見たのである。
これらの惨害を蒙った地方公共団体では、災害復旧のために多額の出費が要求される結果となったので、災害の態様に応じた、抜本的、恒久対策として各種の特別立法措置が検討されはじめたのであった。
自民党においては、10月10日特別災害対策小委員会を設置し11月10日頃までに災害関係諸法案の立法化をすませるよう内定し、その審議の基本方針として次のことが一応確認された。
○特別措置法の対象災害を台風6号以降台風15号によるものまでとする。
○措置内容は、昭和28年の台風13号その他の災害に際してとられたものを参考として、それ以後法制が整備され一般化したものを除きまとめる。
○立法の形式を政府提案とする。
かくして、一般に「災害国会」といわれた第33回臨時国会が、10月26日召集され、10月27日には、災害対策のかなめとなる、34年度補正予算案と関係諸法案が提出される運びとなった。
災害対策に関することとなると、各方面における調整などで審議は非常に難航を極めたが、災害関係諸法案27件の提出(うち1件は議員立法)のうち18法案は11月20日に衆議院を通過し、残る9法案は、11月25日に可決された。
他方、災害補正予算については、11月26日政府原案どおり参議院で可決され、これは国会提出以来30日目のことである。
これらほとんどの諸法案は、災害復興を早急かつ強力に推進するため、国が特別措置をとって、被災地の公共団体の財政負担を軽減し、あるいは被災者に対する復興資金の特別融資を企図するものである。
第2節 公共土木施設関係
1.公共土木施設の災害事復旧業に関する特例
公共土木施設の災害復旧事業費については、通常、公共土木施設災害復旧事業費国庫負担法により行われているが、昭和34年災害に対しては、国庫負担率の引き上げ、限度額の引き下げ等について検討された結果災害復旧事業そのものについては、国庫負担率の引き上げにより対処することとなった。この負担率の引き上げは、昭和28年に前例を見るものであるが、「激甚地指定」については新規の方式であった。
この特別措置法は、12月3日「昭和34年7月および8月の水害または同年8月および9月風水害を受けた公共土木施設等の災害復旧等に関する特別措置法(昭和34年法律第171号)」として成立したもので、その内容を概述すれば、国庫負担率においては、本法に定める期間内に同政令で定める地域に発生した災害の復旧事業を行なう場合、災害復旧事業の総額を昭和34年度の標準税収入の2分の1まで、標準税収入の2分の1から標準税収入まで、標準税収入をこえる額に区分し、逓次に10分の8、10分の9、10分の10を乗じて算出した額の当該災害復旧事業費の総額に対する率により行なうものと規定され、また、国が直轄で災害復旧を行なう場合における地方公共団体の負担割合は、補助事業の場合に相応し国が負担すべき割合を除いた割合とした。さらに、7、8、9月の災害復旧事業を対象とする関係からこの期間以外の一般法を適用する災害復旧事業費の負担率の大きい場合は、この特別措置法の趣旨である地方公共団体の財政負担の軽減、復旧事業の促進という点から一般法を適用することと規定している。
次に、本法の特別措置の適用される地域の指定、いわゆる災害激甚地域であるが、特別措置法施行令(昭和34年政令第387号)に定められた指定方法を要約すれば次のとおりである。
激甚地指定の方法
県事業
(事業費)>(標税)×1/2の県内で
① (市町村内の県事業費+(市町村事業費)>(市町村標税)+{(県標税)×(市町村標税)÷(全市町村標税)}となる市町村の区域
② 湛水事業のある市町村(区)の区域の全部または一部の区域
市町村事業
① (事業費)>(標税)の市町村の区域
② (事業費)>(標税)×1/2で(市町村内の県事業費)+(市町村事業費)>(市町村標税)+{(県標税)×(市町村標税)÷(全市町村標税)}となる市町村の区域
③ 湛水事業のある市町村(区)の区域の全部または一部の区域
以上の方法により主務大臣が指定した地域で、愛知県関係分は、表6-1のとおりである。
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2.災害関連事業に対する特例
伊勢湾台風等による災害の実態にかんがみ特に改良復旧の必要性が痛感され、従来の単なる予算措置中心のものを改めて、再度災害の十分なる防止を期するため、災害復旧事業と合併して施行する改良、新設事業も含める広義のもとに、この事業に関する国の負担率または補助率は、他の法令により3分の2未満のものは、3分の2まで引き上げ、また、単なる予算措置で取り扱っていた事業も、3分の2の補助をすることとした。
しかし、道路、砂防施設に対しては、通常の災害関連事業で、3分の2の補助または負担が行なわれているから除外された。
これら事業の適用地域は、災害復旧に関する特別措置の適用区域と同一とされた。
3.水防資材に関する特例
従来、水防法では、水防管理団体等が水防によって使用した水防資材に対する国庫補助の規定はなかったのであるが、今次伊勢湾台風等の災害に対しては、水防管理団体、県とも多量の水防資材を使用した。
従って、特別措置法では、水防に使用した主要資材(俵、かます、布袋類、畳、むしろ、なわ、竹、丸太、鉄線等)で再使用できるものを除き、その購入に要した費用の額が、都道府県は、100万円、水防管理団体は、20万円のものを指定地域とし、それぞれの額をこえる部分の額に対して3分の2の補助を規定した。
指定地域のうち、本県関係分は、表6-2のとおりである。
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第3節 高潮対策事業関係
伊勢湾台風の高潮により、伊勢湾沿岸の海岸堤防およびこれに接する河川堤防は、各所で決かいし、背後地は激甚な災害を受けた。この現状にかんがみ、抜本的な高潮対策事業を実施しこれに対して国は、高率の国庫負担を行なうこととなった。
方法に当っては、各種の検討がなされた結果昭和28年と同様に特別立法の方式が採用された。しかし、従前と異なり公共土木施行等の特別措置から引き離した単一法として制定された。また、災害復旧事業および改良事業を一体としてとらえ、統一的に運用することとし、ただ、国庫負担率の算定にあたっては、区分し災害復旧相当分にはその率をその他の部分には、10分の8の率により算出し、さらに、適用区域の指定に対しては、具体的に沿岸地域を指定することとなった。即ち、愛知県、三重県の区域のうち、伊勢湾、知多湾、渥美湾および熊野灘に面する地域が指定された。
これらの地域で、伊勢湾台風により激甚な災害を受けたもの、および、これらと接続し、これらと同じ効用をもつ、海岸、河川について、高潮、暴風、洪水その他の異常な天然現象から生ずる災害を防止するために必要な施設の新設、改良、および災害復旧に関する事業を施行する場合に地方公共団体等の財政負担の軽減を図るため、国は、高率の負担を行なうこととなった。
この場合の国の負担率は、事業費を災害復旧事業に相当する部分に要する費用の額とその他の部分に要する費用の額に区分し、前者については、公共土木施設災害復旧事業費国庫負担法、若しくは農林水産業施設災害復旧事業費国庫補助の暫定措置に関する法律、または前節で述べた特別措置法を適用した国庫負担率を、後者には、他の法令の規定による国庫負担または補助率が10分の8以上のものはその率を、それ以外の場合は10分の8を、それぞれ算定した額の当該伊勢湾高潮対策事業費に対する率によることとされた。
その負担率について、愛知県(市町村工事を含む。)分を数値をもって示せば次のとおりである。
1.特別措置法(以下法という)
第1条第1項第1号による率(34年災害特別措置法による率…以下34災特例法という)
(1)県事業
34特例災害総額 20,220,607,000…………(A)
内訳
{県分………………19,920,387,000
{港務局分…………300,220,000
県の標準税収入額 14,258,828,000…………(B)
従って、34災特例法第1条第1項第1号による国庫負担額……B×1/2×8/10=5,703,531,200
34災特例法第1条第1項第2号による国庫負担額……B×1/2×9/10=6,416,472,600
34災特例法第1条第1項第3号による国庫負担額……A-B×10/10=5,961,779,000
計(国庫負担額総額) 18,081,782,800…(C)
よって、負担率は、C/A即ち18,081,782,800/20,220,607,000=0.8942 34特例法第1条第1項(後書)により0.894
(2)市町村事業(本県では美浜町)
この場合旧町村区域(河和、野間)に分離して計算したうえ、年々算出する。
(イ)河和町
34特例災害総額 49,776,000……(A)
河和町の標準税収入 26,001,000……(B)
従って、34災特例法による国庫負担額
法第1条第1項第1号…B×1/2×8/10=10,400,400
法第1条第1項第2号…B×1/2×9/10=11700,450
法第1条第1項第3号…A-B×10/10=23,775.000
計 45,875,850…(C)
よって負担率はC/A即ち45,875,850/49,776,000=0.9216→0.922
(ロ)野間町
同左 21,036,000………(A)´
〃 14,011,000………(B)´
〃
〃 B×1/2×8/10=5,604,400
〃 B×1/2×9/10=6,304,950
〃 A-B×10/10=7,025,000
計 18,934.350…(C)´
同左C´/A´即ち、18,934,350/21,036,000=0.9000→0.900
これより美浜町の負担率は(A)×0.922………45,893,472
(A)´×0.900……18,932,400
64,825,872……D D/A+A´即ち64,825,872/70,812,000
=0.9154 34災特例法1条1項により0.915
2.法第1条第1項第2号による率
県事業
}いづれの場合にも8/10
市町村事業
3.法第1条第1項による率(高潮対策事業負担率)
(1)県事業
本法適用区域内を本事業計画(高さ、断面等)により算出した事業費…………………29,977,031,000……(A)
同区域内の34特例災害総額…………………14,807,448,000……(B)
高潮対策事業相当分(A-B)………………15,169,583,000……(C)
従って国庫負担額は
34災特例法による国庫負担額(B×0.894)…13,182,564,225……(D)
本法 〃 〃 (C×0.8)…12,135,666,400……(E)
計(国庫負担総額) 25,318,230,625……(F)
よって負担率はF/A即ち、25,318,230,62/29,977,031,000=0.8445 法第1条第1項により0.845
(2)市町村事業(美浜町、冨具崎川)
冨具崎川(一般河川)の復旧、改良を本事業計画により算出した事業費…………………236,034,000……(A)´
同川における34特例災害総額…………………54,437,000……(B)´
本事業相当分(A´-B´)………………………181,597,000……(C)´
従って国庫負担額は
34災特例法による国庫負担額(B´×0.915)…49,809,855……(D)´
本法 〃 ……145,277,600……(E)´
計(国庫負担総額) 195,087,455……(F)´
よって負担率はF´/A´即ち、195,087,455/236,034,000=0.8265 法第1条第1項により0.826
第4節 推積土砂および湛水排除に関する特例
伊勢湾台風を含めて、昭和34年8月、9月の暴風雨は、各地に多量の土砂と海水を含む浸水状態を生じこれらの被害は従前に例をみない多量のものであった。これらの排除にあたってはこれまでの諸法令等のみでは不十分であり、地方団体の財政事情等の理由もあって、円滑な進捗を見なかった。
この種の事業の遅延は、全体の復興事業、地域住民の復興意欲の高揚にも大きな支障となることにかんがみ、これらの事業を施行する地方公共団体に対する国庫補助に関して特別の措置を図るためこの法律の制定を見ることとなった。
それによれば、8月9月の暴風雨またはこれに伴なう高潮で、土砂の流入、崩かいにより異常に多量な泥、砂、岩石、材木などが堆積した場合、または、浸水が政令で定める状態にまで達した場合、河川、道路、農林漁業施設等の土砂等の排除事業について、国が10分の9まで地方公共団体に補助する。
なお、堆積土砂の被害地域は、林業用施設および漁場については農林大臣が、その他については、建設大臣が告示することとしており、建設大臣の所管に係るものについては、昭和35年2月に告示され、愛知県関係分は次表のとおりである。
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第5節 建設省の機構強化
伊勢湾台風災害復旧事業に対処するため、建設省設置法、同組織法、行政職員定員法の一部改正が行われ、最も被害の大きかった地域にある、中部地方建設局に、海岸部と愛知工事事務所が新設されて直轄海岸の復旧に当ることとなり、河川部には、河川工事第2課を新設するとともに、木曽川下流三重工事事務所の機構強化がそれぞれ表-4のごとく行なわれた。
これにともない、建設省の定員も200名増加されて、昭和34年内にそれぞれ配置された。
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第6節 建設省直轄施行の海岸
伊勢湾高潮対策事業は、工事の規模、工期重要度等から、国が直轄で施行するか、または委託を受けて施行することが必要であると考えられるようになったため、建設省設置法および行政機関職員定員法の一部の改正に基づき、中部地方建設局に海岸部を新設した。
昭和35年3月の海岸法の一部改正は、海岸保全施設についても、主務大臣が、直轄事業として施行し得るよう改め、昭和28年災害のごとき、受託方式にかわって、国の直轄事業として、伊勢湾高潮対策事業が施行されることとなった。
この直轄事業施行区域は、伊勢湾奥部の新川右岸河口部から朝明川左岸河口部(三重県)に至る、南陽海岸、海部海岸、鍋田海岸(愛知県)木曽岬海岸、長島海岸、川越海岸(三重県)の6海岸延長14,305メートルが決定した。
被災当時の昭和34年度においては、中部地方建設局が愛知県および三重県から受託し施行した海岸は、南陽、海部、鍋田、木曽岬、長島の5海岸であったが、昭和35年前記の海岸法の一部改正に基づき、川越海岸を含めて、直轄海岸事業区域として公示施行されることとなった。
第7章 伊勢湾等高潮対策事業計画
第1節 概説
愛知県の海岸線延長は412kmあり、その所管は、31年11月に施行された海岸法により、建設省、運輸省、農林省に分かれている。政府ではこの大災害の復旧について、「伊勢湾等高潮対策事業に関する特別措置法」を制定し、関係各省の係官をもって「伊勢湾等高潮対策協議会」を設置し、復旧計画について相互に矛盾のないよう、総合的かつ強力に推進するための措置をとったのである。
計画には、伊勢湾台風の気象条件を基本として、計画区域、計画高及び工法等が、被災直後より数次にわたり慎重に調査、検討を重ねて決定された。
またすでに三河部及び知多半島の地区では、昭和28年度より着工し35年度でその第一期計画の完成を見る予定であった。愛知海岸災害復旧助成事業は打切施行とし、残事業は今回の伊勢湾等高潮対策事業に含めることとなった。
各省別全体事業費は次表の通りである。
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第2節 計画策定の基本方針
1.伊勢湾等高潮対策協議会
本項については、中部地方建設局発行の「伊勢湾台風復旧工事誌」上巻第4章に記述されているので参照されたい。
2.伊勢湾等高潮対策事業計画基本方針
前述の高潮対策協議会で審議され、35年2月18日に四省幹事会において、つぎの計画基本方針が発表された。
(1)伊勢湾高潮対策事業の計画方針
今回伊勢湾台風(15号台風)による異常高潮は未曽有のものであり、このため海岸部は全面的に甚大な被害を受け多数の人命の損失と数千億円に達する被害を生ずるにいたった。
この様な事態に対処するには、直接高潮を防禦する海岸、河川、港湾、漁港、及び干拓地等における諸施設の築造計画のみならず、非常時における通信、水防及び避難その他被害軽減の諸対策をもあわせて全面的に検討すると共に高潮対策に関する科学的調査研究の促進を図り、これを総合した防潮対策を確立して早急にその実施を計る必要がある。
然しながら本協議会に於ては、これらのうち、高潮を直接防禦する一般公共土木施設の築造計画を樹立するための基本的事項について協議するものとし、これ以外の前記諸対策は別途に推進するものとする。
一般公共土木施設の計画、規模の基準は、経済上の点等も考慮して、可能最大の規模を対象とせず、生起する可能性を考慮して定めるものとする。
計画の方針はつぎによるものとする。
イ、基本的事項
(イ)計画は、海岸、河川、港湾、漁港、干拓地、埋立地ならびに道路等の諸計画を総合的に考慮して樹立することとする。
これら計画のうち、その具体的実施の方法、時期等について、現段階において明確にしがたいものに関しては、これと関連ある計画は、それらの計画が確定した際に、所要の修正を行うものとする。しかしながら当面の実施にあたっては計画が改訂された際に、二重投資にならない様十分考慮するものとする。
(ロ)堤防の構造については、下記の計画対象の条件に対しては破堤しないものとし、計画を越える条件においても被害を最小限度にとどめる様考慮するものとする。
ロ、堤防の規模について
(イ)15号台風の気象および海象条件(偏差及び波浪)を計画の対象とするものとし、天体潮位は、台風期平均満潮位をとるものとする。
それぞれの地点に於ける堤防天端高はこの基準にもとずき背後地の条件、堤防構造の特性、堤防法線の局地的特性及び堤防前面の海底地形あるいは、港湾、漁港にあっては、港湾、漁港の機能の保持ならびに防波堤の効果等の諸点を考慮して定めるものとする。
例へば
a.海面下にある地区、あるいは比較的地盤が低平で人口稠密な地区等の前面堤防天端高は計画の対象とした高潮ならびに波浪による海水を堤内に流入させないよう、台風期平均満潮位に15号台風時の最大偏差及び波高を加えた高さを基準とする。
b.背後の土地が高く比較的人家等の少ない、単独地区については、その実状により一部の越波は止むを得ないものとするが、高潮の流入及び波浪のエネルギーは阻止するものとする。
c.港湾、漁港の埠頭地区、あるいは臨海工場地区においては、荷役機能及び工場生産機能に支障をきたさない限度の高さとし、場合によっては高潮時に一時冠水するものがあっても止むを得ないものとする。
(ロ)防波堤による波力、異常高潮の減殺効果及びこの築造が他に及ぼす影響の程度あるいは、河川、入江部に侵入する波、異常高潮の遡上現象等については、速やかに調査及び実験等の技術的検討を加えるものとする。
ハ、堤防の築造について
築造にあたっては、とくにつぎの事項に留意するものとする。
(イ)堤防の構造は出来るだけ統一をはかるものとするが、既設堤防との取付けの関係あるいは地形上の特性、土質条件、土地取得の難易ならびに防禦目的の差異等のため、画一的な構造とすることが困難な場合があるので、この様な箇所については、その接続点が弱点とならない様とくに留意する。
(ロ)計画の対象の潮位及び波浪に対して越波させない規模で築造する堤防に於ても堤体の天端及び裏法は必ずコンクリート等の被覆工を施して、法面保護を実施し、越波を考えて築造する場合はとくに法面保護及び法尻の洗堀防止の強化に留意する。
(ハ)堤防被覆工内には空隙を生じないよう、また波返しが構造上弱点にならない様設計上、施工上留意する。
(ニ)施行後の沈下がとくに懸念されるような土質条件の場合は、あらかじめ十分な措置を考慮する。
(ホ)将来予想される地盤の沈下に対しては十分対処しうる様考慮する。
第3節 建設省関係直轄施行区域
今回の伊勢湾台風による被害は史上類をみない大きいものであり、特に名古屋南部、西部の被害は激甚を極めた。これら地域の経済、産業の面からその復旧は極めて重要であり、かつ急を要した。この為鍋田海岸、海部海岸、南陽海岸については昭和34年度より建設省が直接施行することとなった。しかしこれら海岸については当時未だ海岸法にもとづく海岸保全区域の指定はなされておらなかったため、建設省直轄事業としては出来ないので昭和34年度は海岸法は適用せず、県公共土木施設の災害復旧事業の委託工事として施行した。昭和35年3月31日海岸法にもとつぎ鍋田海岸、海部海岸、南陽海岸を海岸保全区域に指定告示し、昭和35年度より昭和37年度までこれら3海岸は建設省直轄海岸として施行した。なお昭和37年9月30日これら3海岸は事業が完了し、昭和38年1月1日にふたたび愛知県知事に引継がれた。
第4節 建設省関係県施行区域
1.計画策定の経過
(1)災害査定
災害査定は被災後1箇月足らずの昭和34年10月20日~30日の11日間にわたって緊急査定が行われ、引続いて昭和34年12月8日~25日まで、18日間にわたり本査定が実施された。本査定は県下全般にわたり実施され、長期湛水等で緊急査定の不可能であった箇所も含めて全箇所について実施された。これら災害査定と併行し、伊勢湾等高潮対策事業全体計画案の作成に着手したが、この経緯を述べると次のとおりである。
昭和35年2月22日より3月6日にわたり、伊勢湾等高潮対策事業区域内現地調査並び同区域内災害再査定が建設省及び大蔵省立合のもとに実施された。これに対し、県としては全体計画事業費22,074,990千円を申請し、現地調査の結果修正事業費19,882,340千円に決定した。これに引続き同年3月大蔵省において、高潮対策事業区域、工法等の修正により、事業費16,591,645千円となった。同年4月高潮対策事業区域内(日光川、新川、庄内川)についての災害再々査定が実施され、高潮対策全体計画事業費内の災害費が修正され、事業費16,423,456千円となり、更に7月建設省において、事務費、工事雑費等間接費の訂正があり事業費16,420,552千円に決定した。その後知多半島日長地区より、海部郡の鍋田干拓を結ぶ名古屋港大防波堤の建設計画の決定をみて、昭和35年12月大防波堤による防波堤内の水理的効果を勘案し、日光川、庄内川、新川の三川河口部の高さT.P+7.50より、T.P+6.20mに計画高を低くし、これらの減額により、全体計画事業費16,183,849千円に決定した。昭和37年6月建設省において、高潮対策事業残事業費調査が実施され、最終改訂全体計画、延長177,520m、事業費16,100,299千円に決定され現在にいたっている。
なお、伊勢湾等高潮対策事業全体計画の経緯表、名古屋港大防波堤による減額調書および防波堤による効果表を示すと次のとおりである。
(2)堤防計画高
計画堤防高の基本的な数字については、伊勢湾台風の後で設置された、伊勢湾等高潮対策協議会により決定されたのであるが、この概要を「昭和35年5月、防災技術講義集、伊勢湾等高潮対策事業について、建設省河川局防災課土木専門官、巌真温」より抜萃すると次のとおりである。
計画対称としての気象、海象条件
「台風期(7月~10月)の平均満潮位をもって天文潮位とし、潮位偏差及び波浪は伊勢湾台風時のものを採る」計画潮位としては、既往最大を採るか、あるいは朔望平均満潮位に既往最大の潮位偏差を、両者が同時におこる頻度を考慮のうえ、加えた高さとするのが通例である。今名古屋港における具体例について説明すると、
イ 既往最大潮位は 3.89m
ロ 朔望平均満潮位は 1.22m
ハ 既往最大潮位偏差は 3.55m
ニ 台風期平均満潮位 0.97m
であるので、今回の計画潮位は、0.97+3.55=4.52mとなり、イの3.89mよりも大きく、ロ+ハの4.77mよりも小さい。これは、ロとハが同時に起る可能性が少いと考えた為である。
なお、昭和28年の13号台風による海岸助成事業に際しては、朔望平均満潮位1.20mに当時の既往最大潮位偏差1.60mを算術加算した値2.80mをもって計画潮位とした。
又、計画波高については、Moliter法等各種の方法によって算出した値、ならびに28年の13号台風および今回の台風による被災状況の調査資料を勘案して定めたものであり(例えば名古屋附近では2.90m)、実測データにとぼしいのであくまで推定の域を脱しないけれども、おおむね妥当と考えられるであろう。これらの作業結果を一覧表にしたものが表7-5である。
堤防の高さと構造
堤防の天端高は、前述の基準に従って定められることは当然であるが、基準に従うとはその値そのものを無条件にとると言う意味ではなく、
イ 背後地が海面下にあるが、或いは比較的地盤が低平で人口密度の高い地区等では海水の堤内流入を許さない高さとする。
ロ 背後地が高く、比較的人家の少ない地区では一部の越波は許容する高さにとどめる。ただし高潮の流入および波浪のエネルギーは阻止する。
ハ 港湾、漁港の埠頭地区とか臨海工業地区では荷役機能および工場生産機能に支障を来たさない限度の高さとする。したがって高潮時に一時冠水することは止む得ない。
という方針により夫々の箇所で高さを決定した。 (以上抜萃)
上記の方針にもとづき各海岸の計画高を決定した。この結果を示すと(表7-5)、(表7-6)のとおりである。
(3)高潮対策事業
イ、事業費
前述のごとく、全体計画事業費については数度の改訂がされたが最終的には、昭和37年7月、建設省において昭和37年度以降残事業費が決定され最終的な全体計画事業費が決定された。この内容を示すと表7-7、表7-8のとおりである。
なお、昭和28年13号台風による海岸災害復旧助成事業は28年度より着手され、34年伊勢湾台風のため打切りとなったが、この経過表を示すと表7-9のとおりである。
ロ、各地区毎計画概要
(イ)日光川
濃尾平野を南北に貫流する排水河川で、流域はいわゆる海抜Oメートル地帯で、河口から約20kmの奥まで感潮区域である。河口から約5kmの地点に防潮樋門があり、伊勢湾台風の際には、この樋門より上流では河川堤防にさ程の被害はなく、これより下流に於て堤防は寸断され大災害をうけたのである。本地区に於ける高潮対策事業は、この樋門より下流区域とし、更に堤防護岸工費と、河口に防潮樋門を新設し樋門の内側は原形復旧工法として積算した工費とについて比較検討した結果、後者の計画を採用した。たまたま、河口樋門新設工事は、中小河川改良事業で昭和32年に着工、台風時には基礎工の一部を工事中であったので、中小河川改良事業は台風時を以て打切り、残工事をそのまま高潮対策事業にひきつぐこととなった。この場合の河口締切堤及び 樋門の外水位条件等は、接続する南陽海岸及び飛島海岸の計画高(T.P+6.20m)及び計画工法に準ずるものとした。
また、河口樋門より上流区間、旧樋門までの区域については原形復旧工法とした。
(ロ)新川、庄内川
河口より1.Okmまでは海岸部工法と同一とし、(計画高T.P+6.20m)、測点2/800に於てT.P.+5.00mまで漸減せしめ、これより上流は一様にT.P+5.00mとした。
計画上流端については、庄内川に於ては測点5/800附近に於て現堤が、T.P+5.0m以上となるので、その地点までとし、新川では当初一応近鉄橋梁(測点6/500)までとしたが、後に調査した所更に上流部でもT.P+5.0mより低く、伊勢湾台風の際溢流の被害をうけていることが実証されたので、大治橋(測点10/700)まで区域を延長した。
堤防構造についても、河口より上流へ向って護岸強度を漸減させており、明徳橋(庄内川)、日の出橋(新川)までは、(ともに測点3/400)三面コンクリート被覆とし、これより上流一色大橋(庄内川)、三ヶ月橋(新川)までは、(測点5/100)表護岸のみ、更にこれより上流は表護岸高をT.P+3.50mまでとし、堤防嵩上げは盛土施工とした。
尚、明徳橋より下流の背割堤については単独災害復旧工事により施行することとした。
(ハ)山崎川、大江川
ともに名古屋港へ流入する名古屋市南部地区の河川で波浪の影響はないので、計画高をT.P.+4.60mとし、三面コンクリート巻立工法により現堤を被覆し、直高0.90mのパラペットで計画高を施行した。
(ニ)天白川
河口左岸堤は上野海岸に接続しており、当初上野海岸の計画高T.P+5.50mであったので、天白川に於ても、第一橋梁千鳥橋までを両岸ともT.P+5.50mとし、これより上流はT.P+5.Omと決定したが、その後名古屋港高潮防波堤計画が確定して、その場合天白川河口の計画波頂高T.P+5.10mと改訂された。上流端は国鉄東海道線橋梁より上流約500mまでとし、千鳥橋まで700m間はコンクリート三面巻立、これより上流2/300までは表護岸及び天端張とし、裏法は土羽堤とした。更にその上流は表護岸のみとして天端及び裏法は盛土工法とした。
又、支川扇川は、上流区域の堤防高が低く護岸工法を計画する場合その延長は相当上流まで計画区域にとりいれる必要があり、事業費の増大が予想され、又人家密集区域もあって堤防方式では不得策と考えられたので、測点2/300附近に防潮樋門を設置することとした。尚、樋門より下流の背割堤については単独災害復旧工事により施行することとした。
(ホ)上野海岸
全体計画延長のほとんどが破壊した激甚地区である。工法は海に面する正面堤、これに隣接する天白川左岸河口部及び入江堤は当初ともに全断面コンクリート巻立で計画した。しかし、本海岸および南接する上野・横須賀海岸は、名古屋南部臨海工業地帯埋立計画および名古屋港大防波堤建設計画地の背後地にあるため、天白川左岸河口部のみ三面コンクリート巻立とし、あとは前面護岸のみに計画を変更した。
(ヘ)上野・横須賀海岸
13号台風による愛知海岸災害復旧助成事業により、波浪に直面する正面堤防は表護岸、波返、裏根止および裏法張の大半は施行ずみであったので、今回の台風に際してもほとんど被害はなかった。被害のあったのは、第2期計画に予定されていた入江堤防のみであった。計画としては、はじめ正面堤および入江堤ともに全断面コンクリート巻立を計画したが、上野海岸と同一条件により三面巻立は原則としてやめた。ただし前面に直接埋立しない信濃川筋は防潮樋門下流は三面巻立とした。なお太田川、横須賀川、信濃川には防潮樋門を設置した。又入江部、河川部については、既設波返高T.P+3.50mを、T.P+4.60mに嵩上げを計画した。
(ト)知多南部海岸
本区域は、日長、西阿野、大谷、小鈴谷、奥田、山海、河和および布土の8地区海岸で、いづれも海岸背後地が比較的高い区域であり、計画としては、日長海岸の擁壁護岸工、奥田、布土海岸の階段護岸工を天然海岸に新設したほかは、大体旧来護岸の補強嵩上工を計画した。特に河川河口部については、全面的に防潮樋門方式をとり、大谷川、山王川、杉谷川、山海川、時志川、布土川の各河口には、防潮樋門を計画した。正面堤については全面的に三面コンクリ一ト巻立を計画した。
(チ)半田・武豊海岸
13号台風による愛知海岸災害復旧助成事業の完成をひかえ、康衛新田の正面堤をはじめ、第2期計画区域に残された入江部に、多大の被害をうけた。工法としては、正面堤はもちろん、入江部においても防潮樋門設置箇所までは、全断面コンクリート巻立で計画した。阿久比川については、河口より767mの江川橋までは、三面巻立とし、江川橋については、高潮対策事業費に単独市費を加え防潮高欄方式を採用した。江川橋上流については表護岸のみ計画した。また、神戸川、石川、浅水川には防潮樋門を計画し、樋門上流はT.P+3.00mで嵩上工を計画した。
(リ)衣浦海岸
13号台風による愛知海岸災害復旧助成事業の区域である。亥子、新々田、前川、鞆、流作、服部の各新田に、新たに、東海海岸を加え計画区域とした。工法としては、正面堤および防潮樋門までは三面巻立とし、これより上流は前護岸および嵩上工とした。服部新田の一部、流作、鞆、前川の各新田の天端はアスファルト舗装工で計画した。また、須賀川、前川左岸、前川右岸、流作新田に防潮樋門を計画した。
(ヌ)東浦海岸
昭和31年災害により、単独で石浜海岸災害復旧助成事業として、表護岸および根固工の施行中今回被災した。計画区域としては、旧計画区域である石浜海岸と、これに接続する岡田川、五ヶ村川を加えて計画している。石浜海岸の旧計画高はT.P.+4.Omであったが、被災当時は土羽堤防で、高さはT.P+3.41mであった。岡田川、五ヶ村川も同程度の土羽堤防であったが、今回計画高はT.P+4.Omとし、全断面コンクリート巻立で計画した。しかし五ヶ村川については、施行区間が長く、かつ左岸が境川の導流堤を兼用するという特殊事情にあるため、五ヶ村川、岡田川合流点直下流において、防潮樋門を計画し、これより上流については原形復旧で計画している。
(ル)刈谷海岸
本地区は、新らしく計画区域にとり入れた海岸で、逢妻川左岸および猿渡川河口部一帯にわたる低湿地地帯を保護する堤防は土羽堤防であった。今回台風により溢水し、各所で破堤し、低湿 地地帯は多大の被害をうけた。計画区域としては、逢妻川河口より、国鉄東海道本線鉄橋上流950mの地点までと、猿渡川河口部を計画している。工法としては、猿渡川河口部および逢妻川河口より、県道名古屋碧南線市原橋上流620mの地点までは、三面巻立を計画し、これより上流国鉄鉄橋までは前面護岸のみとし、国鉄鉄橋上流は盛土による嵩上を計画した。天端工についてはすべてアスファルト舗装工に計画した。
(オ)幡豆海岸
28年13号台風によりもっとも被害の大きかった海岸で、海面以下の広大なる背後地をひかえている。愛知海岸災害復旧助成事業の第1期計画で、92%におよぶ進捗を図り、正面堤防および正面の小入江も含めて、直接外海の影響をうけると考えられる区域は、ほとんど前面護岸、波返工および裏法張工の大半は施行ずみであったため、今回の台風でも正面堤については、ほとんど被災しなかったが、第2期計画区域にまわされた蜆川、平坂入江、矢作古川、矢崎川等河川河口部および入江部において被災している。計画区域としては、旧助成事業第1期計画の残工事である。正面堤防の裏法張継足および天端張工と、入江部等第2期計画に残された区域を三面巻立で計画した。天端工については、正面堤はコンクリートとし、蜆川、平坂入江、古居新田、中根新田、矢作古川についてはアスファルト舗装とした。なお正面堤表護岸の保護のため大々的に突堤工を計画した。また、平坂入江の計画区域の終端には防潮樋門を設置し、上流は取付護岸程度にとどめた。
(ワ)西幡豆海岸
本地区は、13号助成区域より新らしく計画区域にとり入れた海岸で、未新田、古新田および松原新田よりなり、堤防背後地域は比較的小さい地区で、計画としては全断面コンクリート巻立とし、入江部東川および八幡川については、いづれも防潮樋門を計画している。
(カ)宝飯海岸
旧助成事業第1期計画により、海岸の正面堤はほとんど完成し、入江部および河川取付部の一部が第2期工事にまわされていた。今回の被災は、河川取付部の一部が半壊程度でほとんど被災しなかった。計画としては、旧助成事業の河川海岸取付部の計画の不備を是正するため、全断面コンクリート巻立とした。計画区域は、旧助成事業区域のほか、音羽川左右岸および豊川右岸の河川海岸取付部分を増加し、計画区域としている。なお大草、御馬地区の比較的背後地が高く、旧計画で波返工を第2期計画に残された区域についても全面的に波返工を新設嵩上をし、溢水、越波を防止するよう計画した。
(ヨ)豊橋海岸
本海岸の主体をなす神野新田堤防は、T.P.+6.50mの高さを有する雄大なるもので、旧助成事業により正面堤防は、全断面コンクリート巻立として完成していた。そのため今回台風によってもほとんど被災しなかった。計画としては、旧助成事業の残工事の入江部堤防の裏法張工、天端張工を計画した。豊川右岸河口部については、新たに計画区域にとり入れた。
(タ)田原海岸
旧助成事業第1期計画により、海岸正面堤防はほとんど完成していたため、今回台風でも、ほとんど被災はなかった。計画としては、入江部および河川海岸取付部も全断面コンクリート巻立で計画している。なお、旧計画区域ではなかったが、今回被災した野田および仁崎海岸を新たにとり入れ計画区域としている。
(レ)福江海岸
旧助成事業区域で、今回台風による被災はほとんどなかった。計画としては、旧助成事業の残工事となっていた入江堤防を、全断面コンクリート巻立で計画している。
なお、各河川海岸全体計画平面図、および標準横断面図を示すと次のとおりである。
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2.計画区域内の他事業の概要
(1)名古屋港高潮防波堤
伊勢湾台風により、未曽有の被害をうけた名古屋南部、西部一帯を高潮から防ぐため、海岸堤防の復興は勿論であるが、これをより効果的に防禦する目的をもって、名古屋港高潮防波堤が建設計画された。この内容を「運輸省伊勢湾港湾建設部」のパンフレットより抜萃するとつぎのとおりである。
イ、計画の理由
昭和34年9月26日、わが国台風史上最大級の規模といわれる伊勢湾台風の襲来によって、伊勢湾沿岸一帯は未曽有の被害を受けた。
名古屋市の港地区周辺においては、特にその被害が甚だしく、広大な区域に浸水し、5,000人に近い尊い人命が犠牲となり、その被害額は5,000億円を越え、台風後約40日間中京経済圏はほとんどその機能を停止した。
今後再びこのような大惨事を起さないようにするために、昭和34年末、伊勢湾地区の高潮対策事業を緊急に実施するため、特別措置法が制定された。
この事業のうち名古屋周辺の高潮対策として、高潮と波浪による被害を防ぐには、海岸堤防だけでなく、沖合に防波堤を築造して高潮被害を2段に防ぐことが最も効果的であり、またこの高潮防波堤の築造によって、堤内の海岸堤防の高さを1m以上低くすることができ、海陸の連絡を便利にし、港湾の機能を阻害することなく、背後地を高潮から護るもので、名古屋港の将来の発展のためにも寄与することができる。
ロ、計画概要
高潮防波堤は、木曽川河口左岸の鍋田干拓地西南部より知多郡知多町古見地先(名古屋港南部埋立地第3区と第4区の境)にいたる間に築造され、延長約8,250m、天端高は名古屋港基準面(海図の0.0m)上(+)6.5mである。
この防波堤には主港口幅350mと副港口幅50mの2箇所の開口部を設ける。防波堤の主要部分の構造断面は別図のとおりである。
高潮防波堤の構成
鍋田堤……水深小さく海岸堤防の延長とみられるも約3,350m、中央堤と同じ構造のもの約1,100m合計約4,450m。
中央堤……水深-8.0m前後の砂杭基礎工法の箇所で約2,285m。
知多堤……中央堤と同じ構造のもの約815m、置換砂基礎のもの約700m、合計約1,515m。
建設総工費は約108億円。竣功は昭和39年7月の予定である。
ハ、設計条件
(イ)気象条件
a 波の諸元
波向:防波堤法線に直角(S-SW)
周期:7sec
波高:3.Om(中央部)
b 潮位
L.W.L.;±0.0m(N.P.=T.P.-1.41m)
H.W.L.;+2.3m 但し台風期。
H.W.L.;+2.6m
c 高潮偏差;2.4m(中央部)
d 天端高
台風期平均満潮位 ;2.3m
高潮偏差 ;2.4m
波(波高3.0mの60%);1.8m
計;6.5m
(ロ)地質条件
a 軟弱土層
軟弱粘土層は海底-8.Om~(-25~40m)までであり、それ以下は砂または砂質土などの互層である。設計条件としての軟弱圧密層は一応、海底から-40mまでとする。
b 土の単位重量
粘土:l´=0.55t/m^3(水中重量)
砂:lt=2.Ot/m^3(飽和重量)
:l´=1.Ot/m^3(水中重量)
c 現地盤単純圧縮強度qu。および粘着力C
qu=0.131H+0.88t/m^3
C=0.155H+0.44t/m^3 H:海底面よりの深さ
d 粘着力増加係数(K=△c/△p)
K=0.28(100%圧密)
e 先行圧密荷重(P_o)
P_o=1.6+l´H(t/m^2)
f 圧密係数(Cν))
Cν=1×10^-1/min.-8.0~-20.Om(サンドドレーン内)
Cν=2.5×10^-1/min.-20m~-30m
ニ、施工概要
中央部の断面はコンクリート・ケーソンを使った混成堤である。地盤が軟弱なのでサンド・ドレーン工法によって改良し、混成堤の捨石部およびケーソン荷重を、圧密荷重に利用している。
サンド・パイルの径、間隔は地盤の性質と工期からきまってくるものであり、ここで採用した方法では、80%圧密に要する日数は約70日である。両側の幅広い捨石は、ケーソンを据付けた際の円孤すべりに対する押えの役割を果すものである。
施工順序
① 現地盤(-8.Om)に厚さ2.Om幅130mの敷砂をし、その中央部46m区間にサンド・パイルを-20mまで打込む。
② 小割石で砂止堤を築造して厚さ1.5mの置砂を行い、さらに小割石で犬走被覆工をして厚さ0.75mの置砂を行なう。
③ 小割石、中割石で幅40m厚さ2.25mの載荷工を行なう。
④ サンド・ドレーン上の捨石部分は地盤の圧密によって70日間に50~60cm沈下し、捨石堤天端は-2.Om~-2.1mとなるから、この時にケーソンを据付ける。
⑤ 地盤強度の関係から全部中詰することは不可能なので、ケーソンの約半分±0.Omまで中詰し残りの部分には、水をみたして放置する。
⑥ この荷重によって約1ヵ月後(50%圧密)には地盤の粘着力は増加し、中詰の追加が可能となるから残りの中詰を全部施工し、厚さ20cmの蓋コンクリートを打設する。
⑦ケーソンの両側に厚さ1.5m~0.75mの被覆石を施工する。
⑧ この状態で140日間放置(約100%圧密)して地盤の強度を高め上部コンクリートおよびパラペットを打設する。
⑨ このようにして最終断面が完成しても、その後約10年間にわたる下部粘土層の永年沈下によって、パラペット天端高は所定の高さより低くなるものと考えられるので、パラペット天端高を+6.8mと計画天端高より0.3m高くすることとした。
ホ、問題点
砂杭基礎上の防波堤は、わが国最初のものであり、砂杭の施工とその後の土質のかたまり具合をみながら上部を施工してゆく施工管理が大変むつかしくもあり、興味ある点であった。現在までのところ圧密の進行と沈下の模様は理論値とおおむね一致しており、成功をおさめたと考えている。
へ、所要資材
砂 2,500,000m^3 石 1,300,000m^3 コンクリート 800,000m^3 鋼矢板 6,000t ケーソン 310個(主要部分5m×15m×10m約450t)
(2)名古屋港臨海工業地帯造成
地理的条件に恵まれた名古屋港は、近来臨海工業の発展はめざましいものがあり、これに呼応すべく、名古屋港内の埋立計画は着々と実施されている。この計画の概要を「名古屋港管理組合、躍進名古屋港建設譜、昭和37年」のパンフレットより抜萃するとつぎのとおりである。
(イ)南部工業港
伊勢湾臨海工業地帯の急速なる発展、殊に東海製鉄並びにその関連工場を中心とした重化学工業の進出に対応する為、第一区1,000,000坪、第二区2,300,000坪、第三区1,600,000坪、第四区1,000,000坪、計5,900,000坪、の埋立計画のもとに第一区は昭和35年度より着手し現在すでに600,000坪の土地造成が完了しており、昭和38年度に於いて造成面積1,000,000坪を完成の予定であり、第二区についても昭和34年度より着手し現在1,200,000坪の造成が完了し昭和37年度に於いて造成面積2,300,000坪(内池804,000坪)を完成の予定である。
尚第一区公共用地89,000坪第二区公共用地20,000坪を確保する計画で埋立に伴なう仮護岸並びに計画護岸は図7-6のとおりである。
次にすでに譲渡契約を完了したる状況を示せば
第一区
愛知製鋼 309,100坪
富士製鉄}
東海製鉄}332,000坪
東亜合成}
東洋レーヨン}
日本セメント 21,200坪
三菱セメント 13,000坪
東邦ガス 46,000坪
石原工業 12,300坪
第二区
東海製鉄 1,853,000坪
大同製鋼 208,500坪
(ロ)西部工業港
西部地帯は木曽、揖斐、長良の三河川並びに庄内川に挾まれたデルタ地帯であることから工業用水に恵まれ従って工業用水工業特に石油精製、石油化学工場及び木材工場の立地を考慮しこれらの進出に対応する為1ブロックの用地単位を1,000,000坪以上として約5,500,000坪の埋立計画のもとに昭和37年度を初年度として昭和44年度迄に土地造成を計るものである。
ハ、衣浦港臨海工業地帯造成
衣浦港は名古屋港に最も近く、中部経済圏の一環として、背後には豊富な電源地帯と、また木曽川、矢作川を水源とする工業用水に恵まれた地域である。現在推し進められている計画は、港の入口に大防波堤を設けて水域の保全を計り、その内側両岸1,700万平方米(約500万坪)の遠浅地域を埋立て工業地帯を造成する。両岸の連絡の至便な中央部に夫々公共埠頭を突出させて、東西に外貿専用3バース、内貿専用16バースを設ける計画である。この埠頭間には連絡橋を架けて西は名古屋港方面に、東は豊橋方面へ通ずる予定である。本港防波堤から中央埠頭までの埋立地約240万坪は、主として第1次加工工業地帯に、中央埠頭より港奥に亘る約180万坪の地域は、第2次加工工業地帯を予定し、大防波堤の外埋立地には木材工業地帯の設置も計画している。なお、衣浦港の埋立計画の平面図を示すとつぎのとおりである。
(3)防潮樋門
今回の伊勢湾台風による被害の特徴は、河川部、海岸堤防入江部の被害が大きかったことであり、従来往々に、正面堤に比し、河川部、入江部は海象に対する考え方は軽んぜられる傾向にあった。
今回このような考えは、是正され、高潮に対しては、正面堤はもちろん入江部、河川部についても正面堤より相当の区域は、海象の支配をうけるものとし、これの計画にも抜本的な考え方をとり入れ、河川部、入江部について出来得るだけ防潮樋門方式による計画をたてた。もちろん計画にあたっては、高潮防禦を堤防方式にするか、防潮樋門方式にするかは、その地点の地勢、立地条件・工費等種々条件により比較検討さるべきであり、今回計画においても十分各個々の樋門について検討を重ね、海岸については上野横須賀海岸の太田川防潮樋門をはじめ、32箇所河川については扇川、日光川防潮樋門を計画した。なお樋門の具体的内容については実施の項で記すことにする。
(4)昭和37年6月の再調査の概要
伊勢湾等高潮対策事業の全体計画は、34年度より35年度にわたり、種々検討の結果樹立されこの計画にもとづき鋭意復旧に努力してきたのであるが、その後名古屋港南部臨海工業地帯の埋立計画の確定により当初計画の修正は必至となったこと、又高潮の防禦に対し一連の効果を期待するためには是非とも新規に計画をたてる箇所のあること、又は過大計画の箇所などの修正が必要となった。一方実施面においても、全体計画作成後における労務賃金、工事用材料等の昂騰、用地費、補償費の昂騰等の問題もあり、昭和37年5月に建設省の現地調査があり、同年6月に東京において再調査が実施された。なおこの再調査により新規に採択された箇所の概要を、河川、海岸別に記すとつぎのとおりである。
イ、新川
国道1号線三ヶ月橋(5.1k)から上流近鉄鉄橋(6.5k)までの河川護岸高T.P.+2.50mをT.P.+3.50mまで法枠護岸で継足しをする。
追加理由
表護岸の高さについては、下流より上流に逓減しているが、36年の第2室戸台風の際波浪で当該施工済の土羽法面が崩壊し、護岸高が当初計画高では不足と思われる。
ロ、庄内川
国道1号線一色大橋(4.6k)から終点(5.8k)まで河川護岸高T.P.+2.70mをT.P.+3.50mまで法枠護岸で継足しをする。
追加理由
新川に同じ。
ハ、天白川
右岸、支川扇川
扇川防潮水門(2.3k)上流東海道線鉄橋まで延長1.200mの右岸堤え0.30m平均嵩上げする。
追加理由
防潮水門を計画した為に、水門の堰上が起りこの堰上の影響する区間を嵩上げする。
尚右支川大高川も嵩上げは必要であるが、別途で河川改修計画があるから除外とした。
二、山崎川
(イ)東海道線橋梁の継足し
東海道線架設の橋梁は、橋長39mで右岸が土堤で16m程突出しておるため、橋梁を16.50m継足して上下流の法線に合致させるため。
尚この橋梁は桁下高が高いため、当初の高潮対策事業から控除されていた。
(ロ)市道、呼続橋及び山崎橋の防潮高欄
市道、呼続橋 現況 橋長l=25.19m
橋幅 w=5.3m
橋面高 T.P.+3.55m
山崎橋 現況 橋長 l=18.40m
橋幅 w=6.5m
橋面高 T.P.+3.20m
の木造土橋で両橋とも右岸寄り10m程土堤で突出しており、高潮については無防備の状態におかれていた。これ等の橋梁を夫々P.C.橋の防潮高欄にする。
計画 呼続橋 橋長 l=34.30m
橋面高 T.P.+3.90m
防潮高欄高 T.P.+4.60m
山崎橋 橋長 l=27.10m
橋面高 T.P.+3.90m
防潮高欄高 T.P.+4.60m
(ハ)呼続橋上流左右岸は石積護岸でこの石積護岸を継足して波返し高T.P.+4.60mとしたが、在来石積にゆるみが来ており補強を必要とするため、T.P.+1.50mまで張コンクリートで補強するもので延長630m。
(ニ)呼続橋上流から終点までの天端幅員は在来堤の儘の三面巻きの計画であるのを、大端幅員5.50mに拡幅する。延長は730m。
呼続橋より下流については現況堤防天端幅員で5.50mが確保出来たが、上流については3m前後で、堤内背後地は人家が密集していたから当初計画では現況の3m程度の天端幅員で計画してあったが、今回の再調査に於て下流と同様に名古屋三川は非常の際の水防活動と避難を兼ねるため、特殊の箇所を除いて全線にわたって5.5mになるよう計画した。
ホ、上野海岸
名古屋港南部臨海工業地帯の埋立計画により、当初全断面コンクリート巻立を計画したが、南柴田新田天白川筋は、高潮の影響を考慮して当初計画どおりとし、他の区域は全面的に表護岸波返工、築堤工までにとどめた。
へ、上野・横須賀海岸
上野海岸と同じように、全断面コンクリート巻立を計画していたが、天端張工、裏法張工については全面的に廃工した。川南新田、太田川防潮樋門を新規計画し、このため樋門上流の計画は廃工とした。
ト、知多南部海岸
日長海岸の突堤工1基、西阿野海岸の張コンクリート90m、布土海岸の計画高の不足している 部分の波返継足工300mを新規計上した。
チ、衣浦海岸
靹新田、流作新田の表法張モルタル吹付補強工を新規計上した。服部新田については、当初天端張工はコンクリートで計画していたが、衣浦臨海工業地帯埋立計画を考慮し、アスファルトに変更、また前面捨石根固工も廃工した。東海海岸については、天端、裏法を新規計上した。
リ、東浦海岸
五ヶ村川防潮樋門上流表法張をコンクリート・ブロック張で新規計上したが、再調査においては保留となり、その後現地調査により石羽口工に工法変更し採択された。
ヌ、幡豆海岸
蜆川右岸、左岸の天端、裏法、裏根止延長3,850mを新規計上した。
ル、宝飯海岸
13号助成事業で施行したが、伊勢湾高潮対策事業の計画高に対し不足する、丸山海岸、大草海岸、御馬海岸については延長1,312.5mについて、波返工を新規計上した。又佐奈川左岸640m、右岸640mについて、表法張工を新規計上した。
オ、福江海岸
石神新田に接続する高木海岸の三面コンクリート巻立を延長910m新規計上し、一連の効果を期待出来るよう計画した。
なお、今回再調査による関係調書を示すとつぎのとおりである。
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第5節 運輸省関係
1.災害査定
伊勢湾台風は近来稀にみる大規模なものであり、県下港湾区域内に於ける施設についても多大な被害を蒙り、その災害額は約2,225億円、件数にして230件の多きに達し、被害は膨大なものとなり、決壊箇所総延長1,700m、又繋留施設も2号地先の3埠頭及び稲永埠頭が各所において破損した。この様に未曽有の被害をもたらした伊勢湾台風に対し、ただちに復興に立上がり応急仮工事、応急本工事に着手した。しかしその災害の規模はあまりにも大きく、応急工事についても本省との断面打合せ、採択基準etc.早急に打合せ実施する必要を生じ昭和34年10月中に、現地に於いて緊急査定が行われ、次いで12月中本査定が行なわれたが、一方において伊勢湾高潮対策事業の実施が確定された為、高潮区域内については更に現地調査が行なわれる事となった。災害査定に対する申請より決定迄の経過は下記内訳表の通りである。
又伊勢湾台風に依る被災延長は下表の通りである。
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2.計画の基本方針
伊勢湾高潮対策事業は昭和34年12月3日に発令された「昭和34年台風第15号により災害をうけた伊勢湾等に面する地域に於ける高潮対策事業に関する特別措置法」及び12月21日発令により伊勢湾台風の激じんなる被害に鑑み高潮に対する根本的対策を樹てる様計画された。
これに応じて港湾区域内の防潮施設も今次台風程度の高潮にも、充分耐える様な防潮施設を建設するための検討を加え、昭和35年港湾局に於いて当初全体計画が策定された。
この伊勢湾高潮対策事業の全体計画作成の基本的な考え方は、
(1)堤防高
堤防高については各個の背後地の条件、堤防の構造、防波堤の有無等について検討を加える事とし、基本的な高さは台風期の平均満潮位+台風時の最大偏差+波高とした。
(2)構造
堤防の構造はなるべく統一をとる事とし、波浪に対して越波しない構造でも原則として三面張コンクリートで施行する事とした。
なお伊勢湾高潮対策事業費の決定に際しての経済効果、試算表は下記の表の通りである。
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3.堤防計画高
伊勢湾高潮対策事業による堤防天端高の決定に際しての基本的な考え方は、台風期平均満潮位+15号台風時の最大偏差+波高とし、伊勢湾等高潮対策協議会に於いて県下天端高の基本が示された。
上記方針のもとに、堤防天端高の決定を行なったのであるが、各港については個々に検討を加えた。衣浦港については下表の通りである。
又、各地区についての既設堤防高との比較表は(表7-17)の通りである。
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4.伊勢湾高潮対策事業
伊勢湾高潮対策事業は河川の部でも詳述されている様に、昭和35年度伊勢湾台風特別措置法により、再度災害防止の見地から伊勢湾高潮対策事業としての全体計画を策定、この計画にそって昭和35年度より、38年の台風期までに完成をみるべく建設に着手したのである。
衣浦港については、同時に大防波堤の建設計画が考慮されたのであるが、その建設費については伊勢湾高潮対策事業としては、大蔵当局において結局取り下げられ、また38年台風期までの完成は不可能との結論に達し、衣浦湾内の防潮堤高については考慮を加えなかった。
しかし、昭和36年度に発足した衣浦港審議会によって決定された衣浦港建設計画により、衣浦湾内ほぼ中央の半田市康衛新田地先より大浜漁港防波堤基部を結ぶ、中央埠頭の建設も近々に着工の目途がたてられ、中央埠頭内湾部の防潮堤計画高の再検討が加えられることになった。
しかし衣浦港内には運輸省所管堤防のみでなく、建設省所管の海岸堤防、農林省所管の干拓堤漁港区域の防潮堤と三省が管轄し、中央埠頭建設に対する他省計画高については、その時点のずれのため、ほとんど考慮がはらわれなかった。
運輸省関係の防潮堤については埠頭内部の建設はほとんど着工されてなく埠頭建設によって削減される費用をその建設費に割振り、伊勢湾台風級の台風に対処すべく建設された。
また、残事業の時点においては、衣浦大防波堤建設後のことも考慮され、衣浦港内の防潮堤高に対し、全面的に再検討された。
前述の如くの経過をえて、中央埠頭への高潮費の支出額は710,938千円と算出されたのであるが、その後、大蔵省当局の要望により残事業調査後、中央埠頭建設に対する改修費(-3.5m物揚場-5.5m岸壁)高潮費および単独費の割振計算を行った。
この様な経過をたどり実施されてきた伊勢湾高潮対策事業も昭和36年度工事を終了したころから、各港の事業遂行にあたり、各工事の断面にも種々の不合理が生じ、また事業費も各港によって大きく過不足を生じてきたため、三省とも昭和37年6月本省において机上再査定が行われた。
当初計画より再調査の総括表および残事業費決定調書は下記の通りである。
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第6節 農林省関係
1.災害査定
今回の伊勢湾台風による異常高潮は未曽有なものであり、このため漁港の所在する臨海部は全面的に甚大な被害を受け多数の人命と多額の財産を一瞬のうちに失った。
漁港区域内の諸施設についてもその被害は大きく被災件数178に達し近年ではその例をみない。
災害査定は34年11月下旬指定漁港41漁港に対し32漁港に亘って行なわれ査定額810,922千円であった。
昭和35年2月国において伊勢湾高潮対策事業の計画方針が決定され、単に原形復旧にとどまらず、大巾な新築改良を計り、再度高潮による災害を防止するための総合的な防災対策を確立し早急にその実施を図るため、県においてもその方針に沿った計画を立案、3月上旬、農林省、大蔵省の現地調査が行なわれた。
2.計画の基本方針
漁港区域の背後地は人家密集地帯でその地方の政治、経済、文化の中心である。再度災害を防止する見地から安全な防災施設を築造することが急務である。
施設計画の考え方の重点として
イ、防波堤を整備し、安全な碇けい泊地を確保する。
今次高潮により小型漁船が漂流し背後の施設、人家等を破壊し、さらにこれが漂流物となって被害を一層大きくした実例に鑑み高潮にも漁船を安全に収容できる碇泊地を確保する。
ロ、埠頭の背後に防潮壁を築造、背後の人家等を守る
漁港の機能保持と高潮の防禦とは相反するが防波堤による遮蔽を充分にし、また埠頭における一時冠水は止むを得ないものとして、埠頭の背後に防潮壁を設けて背後人家を確実に高潮から守る計画をする。
3.堤防高の決定
計画高の決定に当っては各漁港の背後地の条件、堤防の構造並びに防波堤の有無等について検討を加えることとし、基本的な考え方としては、
地区別台風期平均満潮位+台風期偏差+波高
各漁港の計画高は別表7-21のとおりである。
4.高潮対策事業
高潮対策事業についての法的措置としては「昭和34年7月及び8月の水害又は同年8月及び9月の風水害を受けた公共土木施設等の災害復旧等に関する特別措置法」が定められて高率の国庫負担を適用し、災害復旧事業並びに災害関連事業の促進が講ぜられ、さらに「昭和34年台風15号により災害を受けた伊勢湾等に面する地域における高潮対策事業に関する特別措置法」が定められて、単に原形復旧に止まらず再度災害防止の見地から災害復旧事業と併せて従来にその例をみない画期的な海岸保全施設の新設改良を行なうこととし新設改良分については8割の高率の負担率を適用して事業の促進を計ることとなった。
事業の申請並びにその結果については別表7-22のとおりである。
残事業費調査
昭和37年度以降に残事業のある漁港についてその所要額を適確に把握し事業の円滑なる実現を計るため、昭和37年6月6、7日の両日大蔵省において机上調査が行なわれた。28漁港のうち、昭和36年度までに完了している。漁港は一色漁港をはじめ4漁港で既定残事業費1,452,803千円に対し、改定残事業費1,445,354千円となった。事業の経過状況は別表7-24のとおりである。
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第8章 事業の実施
第1節 概説
被災してより鋭意復旧に努力し、34年12月には、ほとんどの地区の仮締切工事は終了し、3ヶ月ぶりに、一面海と化していた、土地も再び黒々と、その地肌を現わした。しかし、堤防は惨害の跡をそのまま残し、僅かに土俵を積重ねた程度であり、たんに海水の侵入をかろうじて防いでいるにすぎない現状であった。この状態で来る台風には到底耐え得るものでないため、本工事は時を移さず、35年台風期をめざして、全壊部は勿論、半壊部、これに接続する堤防の復旧に全力を傾注することになったのである。特に34年度から、35年度にかけては、全壊部、半壊部を中心に、被災箇所に工事の重点をおき、35年度台風期までには、全面的に原形高までの復旧を実施した。一方予算的にも、34年度は勿論、施行年全年にわたり、予算外施行の手段をとり、早期着工、早期完成に全力を傾注した。又施行分担についても、被害の激甚を極めた南陽、海部、鍋田の三海岸については、建設省直轄で施行した。工事の実施にあたっては、その工事量からいっても地元業者のみでは、到底消化出来得るものではないため、全国業者の参画をまって、すべて請負方式をとった。
第2節 建設省関係直轄施行
南陽、海部、鍋田の3海岸については、34年度は県委託工事とし、35年度以降は海岸保全区域の指定をまち、直轄海岸として施行した。南陽海岸については、34年度は表護岸高T.P.+3.30mまで施工し、35年度は計画波返高T.P.+6.20mまでと、裏根止工、裏法張工まで施工し、36年度は天端張工および裏根止補強平場工を施工した。
海部海岸については、34年度は、表護岸高T.P.+3.50mまで施工し、35年度は計画波返高T,P.+6.20mまでと、裏根止工、裏法張工まで施工し、36年度は、天端張工および表護岸捨石工を施工した。37年度は裏根止補強工を雑割石で施工した。
鍋田海岸については、34年度は、表護岸高T.P.+3.90mまで施工し、35年度は計面波返高T.P.+5.20mまでと、裏根止工および裏法張の一部を施工した。36年度は天端張工および裏法張工を施工した。更に実施の詳細については、「伊勢湾台風復旧工事誌、建設省中部地方建設局」の工事誌にゆづることにする。なお3海岸の年度別実施状況を示すとつぎのとおりである。
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第3節 建設省関係県施行
1.概説
(1)実施の年度計画
イ、計画
(イ)伊勢湾高潮対策事業の工事の進捗目標について、34年12月次の様な指示目標が定められて本復旧に着工された。
(ロ)35年台風期に対して取られた措置
a.盛土、表法補強等台風期までに完成すべき工事は特に急ぐこと。
b.工事の実施については台風時に堤防が弱体化していることのないよう、単区間毎に工事を完成してゆく等心懸けること。
c.工事の進捗状況を常に把握して弱点箇所については、関係職員全員が承知しておくこと。工事の起終点、樋門箇所、新らしい盛土部分、被災箇所等。
d.台風が接近してきた場合は早くから巡視、警戒を始め、特に潮位を観測して水位の異常現象に注意すること。
e.水防資材、器材を再整備し、仮締切から発生した古杭、古丸太等は現場近くに整理して、その処分は台風期以後に行うこと。
f.夜間水防に備え、照明、作業灯(カーバイト)発電機、蓄電池による照明等整備して非常時に故障していることのないよう心懸けること。
g.建設業者の手持労務者(特に飯場人夫)の実態を把握して、非常時の活用について考えておくこと。
h.契約工事区域内の水防については建設業者に万全の措置をとらしめること。
i.市町村その他関係機関と連絡を密にしておくこと。
j.建設業者所有の器材、トラック等水防に活用できるよう考えておくこと。
ロ、実施
(イ) 日光川
34年度 被害の最も激甚な河川で河口より上流旧東海道の日光橋の樋門まで、破堤ヶ所22箇所、延長1,815mにも及び堤内の湛水は3ヶ月もの長期間続いた。
本川の復旧計画は、河口650mを締切り、水閘門を建設し堤防は原形復旧するよう計画された。
破堤ヶ所は34年11月18日の澪止を最後として締切られたが、堤防の仮締切はT.P.+3.00m程度に復旧されたに過ぎない。河口締切り、水閘門の建設完了には37年台風期まで要し、破堤ヶ所の復旧は一刻の裕余も許されなかった。34年度工事は、破堤ヶ所を重点的に完成断面になるよう計画施工した。計画高としては、
堤防天端高 T.P.+4.50m~4.00m 波返し高 T.P.+5.50m~5.00m
護岸 T.P.+3.50m~1.50m 裏根止 T.P.+0.50m~-0.50m
工事の内容は 盛土 20,430m^3 表根固工 411m 表護岸 411m
波返し 339m 裏根止353m
35年度 南陽海岸、海部海岸、鍋田海岸が直轄施行される事になり、これに伴う海岸保全施設の一環として、日光川河口締切工及び水閘門の施工を中部地建に委託する事となり、7億円委託した。
堤防工事は34年度の予算外義務負担工事に引き続き、表護岸を主として施工し、裏根止めは最少限に留めた。
36年度 35年度と同様表護岸を主として施工した。水閘門工事も順調に進み、8月に水閘門の通水を9月には河口の締切りを完了した。
37年度 9月には水閘門、河口締切り工が完成して、10月には県が引渡しを受け、管理事務所を設けて、常時管理操作に当って来た。堤防工事については表護岸の補強を殆んど完了した。
38年度 仕上げの最終の年で、裏根止工(コンクリート柵工)を主として施工した。昨年完成した水閘門の上下流が其の後洗堀したため捨石で補強した。
(ロ)新川、庄内川
34年度 新川の破堤箇所7箇所延長482mと庄内川の2箇所延長249mの復旧を中心に被災箇所の堤防盛土、表護岸を施工した。尚新川については、工事用運搬道路として堤内の市道を整備補強した。
35年度 堤防の外法に家屋があって表護岸が施工出来ない、下之一色地内や、日之出橋下流の新川右岸堤、又明徳橋下流の庄内川左岸堤のように、法線の整正を計って堤防付替を検討
したような、特殊な箇所を除いて表護岸波返し工を全面的に施工した。尚河口部については裏法張工も併せ施工した。
36年度 35年度に引き続いて新川の日之出橋下流の家屋の立ち退いた跡、庄内川の明徳橋下流及び一色大橋下流の右岸堤の表護岸、波返し工の完了を計り、裏法張り工を重点的に施工した。
37年度 主として天端水叩き工を施工して、三面張り区域の完成を計った。上流区域については、第二室戸台風の被災に鑑み、表法張工の継足しを施工した。
38年度 新川左岸堤、庄内川右岸堤の堤防法敷に人家の連坦密集している下之一色町地内が未施工のまま残った。この地区については前年より工法について種々検討せられて来たが最終年度で解決をせまられ、庄内川については堤防嵩揚げ工法を、新川については両郡橋上流は庄内川上流と同様堤防嵩揚げ工法で下流については、漁業協同組合の魚市場があって堤防天端がこれに通ずる唯一の通路である事、又法敷の人家が営業者が多い事のため、家屋の外側に鉄筋コンクリート擁壁を作る工法に決められた。
(ハ)山崎川
34年度 全壊箇所8箇所延長330mの堤防の盛土と表護岸工、根固工を重点的に施工した。表護岸はT.P.+3.30mまで施行をした。
35年度 34年度施工区間に引続いて表護岸を重点的に施工し、残り区間の完了を計った。護岸高については、34年度と同様T.P.+3.30mまでの高さとした。
波返工はT.P.+4.60mの高さで、下流より呼続大橋まで、裏法張りについては下流より道徳橋を主として施工した。
36年度 呼続大橋よりの上流の波返し工の完了を計り、裏法張り裏根止工については、呼続大橋上・下流の中流部を完成させるよう計画施工した。
37年度 裏根止と裏法張りの完成を計った。
天端張については、忠治橋~道徳橋を重点的に施工した。(道徳橋下流については、名鉄常滑線の嵩揚げ工事のため進入路がないため後年度施行とした)
38年度 台風期までに完了するよう、予算外義務負担を計上して早期着工した。施工した主な箇所は、残りの裏法工、天端水叩き工、表護岸の補強工及び附帯工事の呼続橋、山崎橋の嵩揚げ工事である。
(ニ)大江川
34年度 山崎川と同様全壊箇所4箇所延長305mを中心に、被災箇所の堤防の盛土と表根固工、表護岸工を施工した。表護岸の高さはT.P.+3.30mまで施工した。
35年度 河口を締切る案と堤防方式と比較検討したため、波返し工は後年廻しとなり、表護岸を34年度に引続いてT.P.+3.3mまで橋梁の嵩揚げする特殊な箇所等を除いて全線施工した。
36年度 堤防方式で復旧する事に決まり、波返しを全線施工すると共に、裏法張り工についても、堤防付替堤箇所、樋門箇所(樋門の閉鎖、統合について結論が得られなかった)、堤防法敷と家屋のある処を除いて施工を完了した。
37年度 裏法張りの残り区間と、天端水叩工を主として施工した。i)港東橋下流の水叩工は山崎川と同様、名鉄常滑線の嵩揚げ工事のため、ii)附替堤区間は、築堤年度の新しいため後年度施工とした。
38年度 山崎川と同様、台風期まで完了する様予算外義務負担で早期着工し、残りの裏法張工と天端水叩き工を施工した。
(ホ)天白川
34年度 破堤箇所の復旧に留めた。
35年度 表法張工については全区間を河口より名鉄橋梁までについては、波返し工T.P.+5.10mまでと裏法張工を施工して、天端水叩き工を残すのみとした。
36年度 波返し工(T.P.+5.00m)を全区間施工し、裏法張については下流側を重点的に施工した。
37年度 36年度に引続いて裏法張り工の完了を計ると共に、下流の水叩工を施工した。名鉄常滑線橋梁より河口までは完成断面となった。扇川の防潮樋門を38年台風期完成目標として着工した。
38年度 山崎川、大江川と同様38年台風期完成を目標に予算外義務負担で早期着工した。
施工区間は、
i)左岸堤 ①水叩き天端工 ②千鳥橋上流の法敷に家屋の連坦している区域の路側擁壁工 ③防潮樋門上流の堤防嵩揚げ工
ii)背割堤 37年度からの扇川防潮樋門の完成を急ぐと共に、天白川の左岸堤を兼ねている背割堤の天端水叩き及裏根止工
iii)右岸堤 37年度より引続いて残り区間の天端水叩工。
(ヘ)上野海岸
34年度 仮締切工に引続き破堤部の表根固工、表法張工、盛土工を施工。
35年度 全般的に盛土、表護岸工を施行。
36年度 前年に引続き、波返工、築堤工を施行。
37年度 前年と同様、入江部の表護岸、築堤工を施行。
38年度 天白川筋の表護岸、天端、裏法張、裏根止工を施行。
(ト)上野横須賀海岸
34年度 仮締切に引続き、破堤部、被災部の表護岸、築堤工を施行。
35年度 前年に引続き、表護岸施行。
36年度 全般的に、表護岸、築堤工を施行。
37年度 防潮樋門を予算外をもって施行。
38年度 前年に引続き主とし、防潮樋門を重点的に施行、これら取付の護岸を施行。
(チ)知多南部海岸
34年度 仮締切工に引続き、被災大の地区より表護岸施行。
35年度 前年に引続き、正面堤部分の表護岸施行。
36年度 全面的に、裏法張、天端張の施行。
37年度 前年に引続き施行、防潮樋門は予算外をもって施行に着手。
38年度 日長天然海岸のコンクリート擁壁をはじめ、河川、入江部、防潮樋門上流護岸等全体計画の残工事を施行。
(リ)半田・武豊海岸
34年度 仮締切に引続き、被害激甚であった康衛新田をはじめ、被災部分の前面護岸施行。
35年度 前年に引続き、前面護岸を重点的に施行、又裏法、天端張に着手。
36年度 前面堤施行に引続き、阿久比川をはじめ、入江部、河川部の表護岸施行。
37年度 天端、裏法をはじめ、防潮樋門を施行。
38年度 天端、裏法張等の残および防潮樋門を引続き施行。
(ヌ)刈谷海岸
34年度 仮締切工事終了に引続き、昭和34年12月より本工事に着手した。全壊部は、各河川とも表法張工をT.P.+3.00mまでと、裏根止工を施工した。
半壊部は各河川ともT.P.+3.00mまでの表法張工を施工した。
35年度 34年度に引続き、本年度は表護岸を全面的に施工した。
即ち逢妻川左岸の物揚護岸部分と猿渡川左岸荷揚場のある部分を除き、表護岸を波返天端までのT.P.+4.00mまで(逢妻川市原橋~国鉄間はT.P.+4.00~+5.00m)施行した。
36年度 35年度予算外にて、前年度中に契約した各河川の表法張工を引続き4月より施行し、表法張工は一部を除き、8月末までにはほぼ完了した。
新規契約分は、7月より着手した。即ち表法張工は猿渡川左岸の荷揚場附近の表法張工及波返工を、裏根止工は、各河川とも下部より計900m施行した。
尚36年度分予算外として、37年2月より逢妻川物揚場附近の表法張工及び各河川とも裏根止工を更に1,180m着手した。故に裏根止工は残りは各河川の計にて約940mとなった。
37年度 前年度に引続き、36年予算外工事にて、表法張工(逢妻川荷揚場附近)と裏根止工の一部を施行し、37年新規工事は、残りの裏根止工全部950mと、裏法張工を+3.00mまでを全線にわたり37年予算外も入れて施行した。尚表法張工は亀城公園の下流及境橋、国鉄の取付を施行し、表法張工は完全に完了した。
38年度 37年度予算外に、逢妻川左岸687m、猿渡川右岸195mの裏根止工を施工すると共に、38年度新規にて天端工は逢妻川左岸市原橋下流を全部、猿渡川右岸の全部と猿渡川左岸の残り249mを施工した。尚追加工事にて市原橋上流620mの裏根止工、裏法張工、天端工を施工した。
(ル)衣浦海岸、東浦海岸(尾張部)
34年度
i)応急仮工事 全壊部9ヶ所、半壊部1ヶ所の延長842.45mを最深部(T.P.-2.1m)石俵捨
込みし上部計画高T.P.+2.50m迄杭打土俵積の澪止工事を行う。
ii)本工事 破堤箇所を重点的に計画高T.P.+2.41m迄前面護岸(T.P.-1.00m~±0.0m迄捨石工、表根固工、T.P.+2.41表法張工、盛土工)を施行する。
35年度 護岸の完成を目標とし計画高T.P.+4.00迄一部全面完成し、T.P.+4.00m迄波返工を全部完成する。
36年度 一部、裏根止、裏法張工、天端張を残し全面完工する。河口部の防潮水門を予算外にて施行する。
37年度 全面護岸工を完成し、防潮水門を施行する。
38年度 防潮水門より上流の河川堤防を計画高T.P.+3.00m迄嵩上する。
(オ)衣ヶ浦海岸(三河部)
34年度
i)応急仮工事 全壊部6ヶ所半壊部13ヶ所の延長913.80mを最深部(T.P.-4.00m)石俵捨込みし上部計画高T.P.+2.00m迄杭打土俵積の澪止工事を行う。
ii)本工事 破堤ヶ所を重点的に計画高T.P.+1.50m迄前面護岸を施行T.P.+2.48~+3.00m迄、表法張工及盛土築堤工を施行する。
35年度 表法張工及築堤工完成を目標とし計画高T.P.+3.00m迄、表法張工T.P.+4.00mの波返工及T.P.-0.50m~+0.50mの裏根止工を施行する。
36年度 入江部(防潮樋門より上流)の表根固及表法張を施行する。計画高T.P.-0.10m~+1.70m迄の裏根止工及T.P.+2.50m~+3.42m迄の裏法張工、及び一部天端張工を施行する。
37年度 裏法張工の継ぎ足し(T.P.+3.42m迄)及び13号台風破堤ヶ所の注入及び吹付を行う。防潮樋門3基を施行する。
38年度 防潮樋門より上流部の表根固及表法張工の完成及び13号破堤ヶ所の注入、吹付工を施行する。又裏法張、天端舗装を施行し工事完結を計る。
(ワ)幡豆海岸(西尾地区)
34年度
i)応急仮工事 全壊部5ヶ所半壊部4ヶ所の延771.60mを最深部(T.P.-5.Om~-7.5m)石俵捨込みし上部、計画高T.P.+2.00rn迄杭打土俵積の澪止工事を行う。
ii)本工事 破堤ヶ所を重点的に計画高T.P.+2.00m迄前面護岸工を施行、計画高T.P.+4.80~+3.50m迄表法張工及盛土、築堤工を施行し全壊部は前面捨石工を施行する。
35年度 表法張工及築堤工完成を目標とし、計画高T.P.+4.80~+3.50m迄表法張工T.P.+5.30~+4.00mの波返工及T.P.±0.0mの裏根止工を施行する。
36年度 裏根止工(計画高T.P.±0.0)及裏法張工を施行。裏法張工は天端排水を考慮し法長1.00~1.20mを控除し計画高T.P.+4.10~+2.80m迄施行する。
37年度 裏根止、裏法張工を施行し、入江上流部に防潮堤、防潮樋門を施行し海岸部より天端舗装を施行する。
38年度 防潮堤、防潮樋門、防潮扉、橋梁嵩上工を完成し、全面的に天端舗装を施行し工事完結を計る。
(カ)幡豆海岸
34年度 応急仮締切工事に引続き、昭和34年12月より本工事に着手した。各新田とも全壊部半壊部の表護岸を35年台風期まで施行することとし、尚一部全壊部は裏根止工も施行した。即ち蜆川、矢崎川はT.P.+3.00mまでの表護岸。平坂入江はT.P.+4.80m~+3.50mまでの全・半壊部の表護岸、矢作古川はT.P.+3.50mまでの全・半壊部の表護岸を施行した。尚外に、一部全壊部の裏根止工及他に一部半壊部の裏法張等を施行した。
35年度 幡豆海岸は、13号台風海岸助成にて前面(表法張工、波返工)は相当施行してあったが、前年度に引続き、一部予算外も含めて年度始めより着工した。
即ち i)正面堤は全線にわたり三面巻きを完了した。高さはT.P.+5.80m。
ii)入江部、河川部については蜆川はニツ橋より上流を全断面完了した(T.P.+4.00)平坂地区(平坂入江、古居、中根新田)は、表法張工、波返工は、13号工事施行残及全・半壊部の前年度施行部分の外残っている箇所を全部施行した。高さはT.P.+5.30~+4.00。
藤江入江、矢作古川、矢崎川は波返工を全部完了した。高さは藤江T.P.+5.80~+4.00m。
矢作古川T.P.+5.80~+5.00m矢崎川T.P.+5.80~+4.00mである。尚矢崎川の名鉄鉄橋より下流は裏根止工、裏法張工、天端工も施工し全断面完了とした。
36年度 昭和35年度の予算外工事を引続き4月より施工し、6月末に予算外工事は完了し、正面堤は三面巻きを完了した。(T.P.+5.80m)尚6月より平坂入江、古居、中根新田は衣浦港域のために、衣浦港務所へ移管した。
新規契約工事は7月初めより着手した。即ち蜆川は下流部2,00m(左右岸共)の裏根止、裏法張、天端張を施行し、計画外の中間部1,700mを除き全部完了した。
大岡、鳥山新田の入江も残りの裏根止、裏法張、天端を施行した。
矢作古川左右岸、藤江入江は36年予算外も入れて裏根止工、裏法張工と天端工(矢作古川左右岸500mのみ)の一部を施行した。
矢崎川は、名鉄鉄橋より上流を左右岸とも裏根止、裏法張工を施行し、天端工も36年予算外を含めて左右岸計840m施行した。このため矢崎川は終点部附近の天端を左右岸550mと基礎舗強を残すのみとなった。
白浜新田の吉田港(宮崎西港)への取付の天端、裏根止工も本年施行した。(T.P.+5.80~+4.20m)
37年度 蜆川は、河口より450mよりニツ橋上流200mの間1,900mを37年6月の再調査により裏
根止、裏法張工、天端工を認められたので、37年度予算外も含めて左右岸の裏根止工、天端工を施工した。
正面堤は、突堤工を37年度予算外も含めて42本を六脚ブロックにて施行した。突堤工は、長さ26mである。
藤江入江、矢作古川左右岸、矢崎川左右岸の残っている天端工及表根固工を施行した。(矢崎川は左岸天端220mが残った)。尚矢崎川血洗橋は地元負担金も入れて嵩上げをした。
38年度 37年度予算外にて、蜆川裏法張工と、突堤工は東、西実録新田、竹生新田、大岡新田に24基を施工した。
38年新規着工では、蜆川の天端工及び正面堤の突堤工(長26m一部23m間隔は長さの3~4倍)にて61基(一部にコンクリート巻立)を施工した。鳥山新田、矢作古川左右岸、矢崎川左右岸の家屋連帯部は、排水工を延3,094mと大岡新田、矢崎川の天端工を施工した。
尚追加工事として、残金にて大岡新田入江部と東実録新田の入江部の天端工、裏法張、裏根止工を施工した。尚東実録新田はいづれも補強である。
(ヨ)西幡豆海岸
34年度 応急仮締切工事終了に引続き、34年12月より本工事に着手した。即ち各新田とも破堤部を重点的に、半壊部の全部の表護岸T.P.+4.00mまでと裏根止工を施行した。又、未、古新田の防潮樋門予定箇所より上流の表護岸もT.P.+3.00mまで旧護岸を補強した。
35年度 前年度に、T.P.+3.80m~+3.60mまでの表法張工の全部と裏根止工の大部分(八幡川部分と古新田の一部を除く)を施工したので、本年度は、波返工、裏法張工、天端工と裏根止工の残りを施工し、全線にわたり三面巻きを完了した。高さはT.P.+5.00mである。
なお、本海岸おいて、後年度以降は松原、古新田両樋門と捨石工、突堤工のみとなった。
36年度 35年度予算外にて松原新田の天端工(T.P.+5.Om)を施行した外、古新田、松原新田の防潮樋門をそれぞれ11月より着手した。これには一部36年度予算外も入っている。
37年度 36年度予算外の古新田、松原新田の防潮樋門は7月31日に完了した。
37年新規工事では突堤工を、古新田、松原新田にて7基(六脚ブロック5基、コンクリート巻立2基)と、古新田の捨石工166mを施工した。
38年度 37年度予算外にて未新田の捨石工、古・松原新田の突堤工4基を施工したが、38年新規工事では、古新田、松原新田の捨石工と松原新田の突堤工1基を施工した。
(タ)宝飯海岸
34年度 御馬海岸、堤防破堤ヶ所のみ重点的に築立し計画高T.P.+3.70m迄表護岸工及低水護岸
工を施行した。
下佐脇新田、堤防破堤ヶ所のみ、重点的に築立し計画高T.P.+3.70m迄表護岸工を施行した。
35年度 御馬海岸、堤防破堤ヶ所を重点的に、計画高T.P.+4.42mまで表護岸、天端工および裏法張工まで施行し堤防は1部を残して現形に施行した。
下佐脇新田、堤防破堤ヶ所を重点的に、計画高T.P.+4.00mまで表護岸工、天端張工及裏法張工等を施行した。
浜新田、天端工及裏法張工を施行した。
加藤新田、堤防破堤ヶ所を重点的に、計画高T.P.+5.00mまで波返工、天端工、裏法張工及裏根止工等を施行した。
豊川通リ右岸、堤防破堤ヶ所を重点的に、計画高T.P.+3.79mまで表護岸工を施行し、1部は計画高T.P.+5.00mまで波返工及表護岸工等を施行した。
36年度 丸山海岸、堤防築立し計画高+4.42mまで表護岸工を施行した。
御馬海岸、堤防破堤ヶ所を重点的に、34年度に続き計画高T.P.+4.42mまで表護岸、天端工及び裏法張工まで施行し現形に復旧した。
下佐脇新田、本年度は、35年度に続き計画高T.P.+4.00mまで表護岸工、天端工及裏法張工を施行した。
豊川通リ右岸、35年度に続き、計画高T.P.+5.00mまで表護岸工、1部捨石工を施行した。
37年度 丸山海岸、捨石工を施工し、堤防起点部の紫川に防潮樋門を施行した。
御馬海岸、波返工を計画高T.P.+5.80mで一部施行した。
音羽川左右岸、表法張工を重点的に、計画高T.P.+4.00mまで施行し、また音羽川支流旧白川河口に防潮樋門を施工した。
浜新田、裏法張工及天端張工を重点的に、計画高T.P.+4.00m迄施行し1部建設省の堺迄天端張工を施工した。
豊川右岸、捨石工、表法張工、波返工を重点的に計画高T.P.+5.00m迄施行した。
38年度 丸山海岸、波返工及天端張工を施工した。
大草海岸、波返工及突堤工を施行した。
御馬海岸、波返工及突堤工を施行した。
佐奈川左右岸、計画高T.P.+4.00mまで表護岸工を施行した。
豊川右岸、裏根止工、裏法張工、天端張工、捨石工、表護岸工を施行した。
(レ) 豊橋海岸
34年度 柳生川、潮溜り側裏根止を重点的に施行した。
神野新田、堤防欠損の裏法張を重点的にコンクリート法張工を施行した。
35年度 吉前新田、堤防決壊ヶ所の裏根止及裏法張を重点的に施行す。
神野新田、破堤した突堤工を重点的に計画高T.P.+5.20mまで表法張及裏根止、裏法張を施行した。
柳生川、決壊箇所の裏根止を重点的に施行した。
36年度 豊川、堤防決壊箇所を重点的に、計画高T.P.+5.00mまで築堤し表法張及波返を施行した。
吉前新田、前年度に引続き、計画高T.P.+5.00mまで波返工を重点的に施行し一部裏法張及裏根止工を施行した。
神野新田、前年度に引続き、表根固及び表法張を計画高T.P.+4.37mまで施行した。
柳生川、堤防計画高T.P.+4.00mまで築堤し、表根固及表法張を重点的に施行した。
二回地新田、助成工事で施行済の表法張を除いた裏根止を重点的に施行した。
37年度 豊川、前年に引続き、表根固、表法張及び波返工を重点的に施行した。
神野新田、前年に引続き、天端張、裏法張を施行した。
柳生川、計画高T.P.+4.00mまで築堤し、表根固及表法張工を重点的に施行し天端張、裏法張工を残すのみとなった。
38年度 豊川、前年に引続き、本年度は計画高T.P.+4.50mまで天端張及裏法張工を施行した。
柳生川、計画高T.P.+4.00mまで天端張及裏法張工を施行した。
二回地新田、天端張(T.P.+4.37m)及裏法張工を施行した。
吉前新田、天端張(T.P.+4.50m)及裏法張工を施行した。
(ソ)田原海岸
34年度 潮川左岸、旧石積堤の根固及張コンクリートを施工した。
青尾新田、全壊部及び半壊部の仮工事及根固表法張を施行した。
35年度 天津新田、海岸災害復旧助成事業に引続ぎ、裏根止、裏法張、天端張を施工した。
福住新田、海岸災害復旧助成事業に引続ぎ、裏根止、裏法張、天端張を施工した。
谷熊東新田、谷熊西新田、神垣新田、海岸災害復旧助成事業に引続き、裏根止、裏法張、天端張を施工した。
潮川右岸、潮川左岸、海岸災害復旧助成事業に引続き、潮川両岸荷揚場附近を重点に、表根固、表法張、波返工を施工した。
吉尾新田、表護岸のみ完成した処であるが、裏法張、天端張を施工し完成断面とした。
青尾新田、波返工未完成区域を全部完成せしめ一応前面のみT.P.+3.50迄施工した。
沖新田、裏法張を全般に施工した。
野田、一部の未施工区域をT.P.+3.60迄完成せしめた。
36年度 天津新田、35年度に引続き、前面のみ施工済の個所に対し裏根止を施工した。又35年度施工の一部を本年度に引継ぎ、裏根止、裏法張、天端張を施工した。
福住新田、35年度の一部予算外として裏根止、裏法張を施工した。
谷熊西新田、35年度の一部予算外として、裏根止、裏法張を施工した。
神垣新田、蜆川河口部の波返、天端裏法張、裏根止を施工した。
汐川左右岸、裏根止未施工ヶ所を完成せしめ、35年度の一部予算外を以て表根固、表法張、波返をそれぞれ500m程施工した。
吉尾新田、35年度一部予算外ヶ所を完成せしめ、本新田の計画を完了した。
沖新田、35年度一部予算外ヶ所を完成せしめ、裏法張工は全部終了した。
青尾新田、前面のみ完成したが、背面部未成のため裏根止の一部を施工した。
仁崎、断面背部未成箇所は裏根止、裏法張、天端張を施工し一部未着手ヶ所の表法張及び捨石を施工した。
野田、35年度一部予算外ヶ所を245.5m完成せしめた。
37年度 天津新田、裏根止工を重点的に施工完成せしめる様にした。一部紙田川河口部の表法張、波返も施工した。
新々田、裏根止未成ヶ所を完成せしめた。
谷熊西新田、神垣新田、蜆川河口部の両岸を前面及裏根止のみ施工した。
汐川左右岸、裏根止工を完成せしめ、一部裏法張も施工した。
愛三新田、裏根止工を完成せしめ、防潮樋門一基施工した。
沖新田、裏法張工未施工部分を完成した。
青尾新田、猿尾復旧完成、裏根止完成、裏法張一部施工。
仁崎、防潮樋門1基完成、斜路付堤防施工。
野田、天端張工、裏法張工、裏根止施工。
38年度 天津新田、天端張、裏法張並びに清水川防潮樋門を施工し、全体計画を完成。
新々田、天端張及裏法張工の一部施工を以て完成。
福住新田、天端張を施工し完成。
谷熊西新田、37年度予算外として着工、天端張865m^2を以って完成。
神垣新田、37年度予算外として着工、表護岸、天端裏法張、裏根止、各工種につき完成。
汐川左右岸、37年度予算外を含め、天端張、裏法張を主として施工完成。
愛三新田、37年度予算外を含め天端張、裏法張を主として施工完成。
沖新田、全域にわたり天端張を施工し完成。
青尾新田、37年度予算外を含め、天端及び裏法張を以って完成。
仁崎、猿尾嵩上工1ヶ所施工。野田六脚ブロックに依り突堤工施工し計画を完成す。
(ツ)福江海岸
35年度 江比間、天端張、裏法張、裏根止、胸壁工を重点的に施行した。
伊井新田、計画高T.P.+3.50mに樋門嵩上し、又天端張工、裏法張、裏根止を重点的に施行した。
向山新田、計画高+3.50mに表護岸嵩上し、又天端張、裏法張、裏根止を重点的に施行した。
新田1本松下、天端張、裏法張、裏根止を重点的に施行した。
36年度 江比間、重点的に計画高T.P.+3.50m迄表護岸、波返施行し又天端張、裏法張、裏根止を施行した。
石神新田、重点的に計画高T.P.+4.00m~3.50m迄波返工施行し、又裏根止を施行した。
37年度 江比間、今堀川に防潮樋門を重点的に施行し、計画高T.P.+3.50m迄表護岸、波返を施行、又天端張、裏法張、裏根止を施行した。
石神新田、既設堤防の内、雑石積等の弱堤部を重点的に、計画高T.P.+3.50m迄表護岸、波返を施行した。
38年度 江比間、前年度に引続き、天端張、裏法張、裏根止を施行した。
伊井新田、新堀川に防潮樋門を施行した。
石神新田、前年度に引続き、計画高T.P.+3.50m迄表護岸、波返、天端張、裏法張、裏根止、捨石及び防波堤を施行した。
日比浜新田、捨石工を施行した。
ハ、年度別実施施行額
河川海岸別の年度別施行状況を示すと次表のとおりである。
(2)予算外施行について
本格的な復旧工事に着手されたのは、34年暮から35年始めにかけてで、この事業は
イ、35年台風期までに、全壊部及び半壊部については、i、表法を、原形高まで復旧する。ii、裏法については原形高までの計画断面の盛土を完了する。
ロ、36年台風期までに、全壊部及び半壊部についてはi、裏法を、原形高まで復旧する。ii、残存部については表法面も原形高まで復旧する。
ハ、37年台風期までに表法を完成させる。
二、38年度については最終年度であり。
i、防潮樋門等工期を必要とするものは早期に着工せねばならぬ。
ii、主要河川については、38年台風期までに完成させる。
以上の様に各々年度毎に計画目標を達成せしめるため、予算外施行が行なわれた。年度毎の各地区の概要は次の表の通りである。
(3)中部地建えの委託
イ、海岸線の委託
「昭和34年台風第15号により災害を受けた伊勢湾等に面する地域における、高潮対策事業に関する特別措置法」(昭和34年12月3日法律第172号)の成立に伴い、中部地方建設局に海岸部及び愛知工事事務所が新設せられ、自南陽海岸~至川越海岸を直轄施行される事になり、南陽海岸、海部海岸、鍋田海岸及び鍋田川左岸の区域は中部地建に引継がれる事になった。
ロ、日光川締切堤の委託
伊勢湾等に面する地域における高潮対策事業に関する特別措置法並びに、海岸法の一部改正が行なわれ、海岸保全施設の災害復旧事業についても、国が直轄施行をなし得るように改正せられ、南陽海岸、海部海岸について直轄施行される事になったから、接続する海岸保全施設の一連として中部地方建設局に施行を委託する事になった。
工事名 伊勢湾高潮対策事業日光川河口工事
工事期間 昭和35年5月20日~昭和37年9月30日
委託金額 1,286,662,000円
施行地 自 海部郡飛島村大字梅之郷
至 港区南陽町藤高
本工事の用地費及補償費については県が直接施行した。
尚締切堤は1号国道1号線のバイパス名四国道と兼用される事になり、道路工事も合併施行された。
ハ、新川、庄内川堤防の名四国道の取付の施行委託
国道1号線のバイパス名四国道が昭和35年度着工になり、新川、庄内川を夫々名古屋市港区南陽町藤高地先同宝神町地先の立会で横断する事になった。
新川、庄内川の高潮対策事業の堤防計画は、波返し高は当該地点ではT.P.+6.20mであり、横断する道路の高さはT.P.+9.80mである。この取付区間を高潮対策事業と道路改築工事とを合併する事になり、この区間の高潮対策事業を委託する事にした。尚道路横断区間50mは道路単独負担である。
委託契約
事業費 37,155,000円
愛知県 21,161,000円
内訳{
建設省 15,994,000円
精算額 31,252,000円
愛知県 20,163,000円
内訳{
建設省 11,089,000円
工事期間
昭和37年10月30日~昭和38年3月31日
(4)施行業者概説
工事の実施にあたっては、昭和34年の応急仮締切工事は勿論、本復旧工事においても、その工事量の大規模なことから、到底地元業者のみでは短期間での復旧の目的は達せられないので、全国業者の参画をまつとともに、地元業者も数社結集した協同企業体を組織し、充分その責を果し得るよう十分なる態勢をもち、被災してより4年有半、鋭意復旧に勢力した結果、台風の爪跡を残した黒い破堤部も順次白いコンクリート堤に変るようになったのである。
(5)労力及び資材概説
災害発生より今日迄4年有半、その間に投入された従業人員は延509万入で、セメント及びコンクリート2次製品については莫大な必要量の確保と品質管理等の面から支給品として県が購入した。しかし名古屋市内及び近郊にある新川、庄内川、山崎川、大江川、天白川については、経費も現場打コンクリートと大差はなく、作業能率等の面に依り生コンクリートを使用した。地域別の資材労力については次表の通りである。
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2.地区毎の概要
(1)山崎川、七条町破堤区間の復旧について
澪止工事完了と同時に本復旧工事を施行する事になったが、応急工事で施行したブロック及捨石を伝わっての漏水があり、先づこの対策としてグラウトを施行し、モルタル(セメント169.12t砂84.4m^3)を16の孔(位置は平面図参照、深度5.00m以上10ヶ所、深度5.00m以下6ヶ所)から注入し、更に腹付盛土を施し他所からの漏水をなくした。以上の工事と併行して本復旧工事に着手したわけであるが、標準断面図及び平面図は別紙の通りである。
昭和34年度から昭和35年度にかけて破堤区間80mの間、名古屋市排水樋門新設の為の11mを除き、上流側26.4m、下流側6.00mは一部既設石張護岸が残って居り、その前に止水用鋼矢板(AIII型15m×0.40m×0.125m)を打込み、T.P.+0.20mに笠置コンクリートを設け石張工に張コンクリートを打設し、T.P.+1.30mに中段根止工、更に1割勾配にてT.P.+3.30m(旧堤防高)迄施行した。(図8-5a:~a断面参照)
亦、36.7mの澪口に対しては表根固工は前後の既設護岸の法線に合わせる事は澪口が最大T.P.-5.00mであり、しかも応急工事に施行した捨石及びブロックがあり、施行が非常に困難であり従って中段根固工より長さ8.30mコンクリート厚0.40m基礎礫0.40mの水平部を設け、表根固工として止水用鋼矢板(AIII型15.00m×0.40m×0.125)を打ち、且つ前に倒れるのを防ぐ為φ32mm×10mのタイロット15本を鋼矢板と中段根止工に依って締め付けた。更にT.P.+0.20mに笠置コンクリートを設けた。亦、中段根止工(幅0.78m高1.50m)をT.P.+1.30mに設け、上段表護岸工(コンクリート厚0.40m基礎礫0.30m)を1割5分勾配にてT.P.+3.30m迄施行した。(図8-5b-b断面図参照)
猶仮締切工として幅5.00mに鋼矢板を河側AIII型15.00m、締切側AIII10mを打ち腹起しを上下2段設けてφ19mm×5.00mのボールトを2.00m間隔にて締め付けたが、地盤軟弱の為鋼矢板がはらみボールトの切れる処があり、又完全に水替をすると、仮締切が倒れるおそれがあるので外水位を考えて水替を行う等の施行上の苦労があった。亦、本工事に隣接して名古屋市道徳ポンプ所の排水樋門が新設施行中で施行業者も同一であるので、仮締切の工費を施行延長の割合に分担した。
引続いて昭和35年度には、T.P.+3.30mの施行高から更に波返工を澪口については、上下流の波返工の法線に合せる為上段表護岸工との間に平均長さ2.92mの水平部(コンクリート厚0.30m基礎礫厚0.20m)を設けた。更にT.P.+2.00mに裏根止工(高1.00m)T.P.+3.00m迄裏法張工をそれぞれ施行した。
昭和37年度から昭和38年度にかけてT.P.+3.00mからT.P.+3.60m迄の裏法張工コンクリート厚0.20基礎礫厚0.20mの継足しと、天端張工を将来自動車交通の増加を考え、天端舗装強化費(名古屋市費)を加えて(別掲)施行した。
亦、昭和34年に施行した上段表護岸工に大きな亀裂が生じ、前述の様に透水性のブロック、捨石等の影響に依り盛土が沈下し、コンクリート法張との間に空洞が出来た為と考えられるので、此の根本的な対策として既施行のコンクリート張を取除き、基礎地盤を充分安定させた後にブロック張工にて施行した。(b~b標準断面図参照)
一部既設護岸の残存して居た区間については亀裂も小さく、グラウト工を施行してコンクリート張工を安定させた。(a~a標準断面図参照)
(2)日光川応急仮締切グラウト工について
イ、施工理由
本河川の破堤箇所は22ヶ所、延長1,815mに及び澪止作業も11月18日迄も続けられた。
破堤ヶ所は日がたつにつれて、干満の潮位差による流速のため、澪筋は深堀の傾向が表われて来た。この傾向は他の仮締切が完了次第、残った箇所は益々この影響を強く受けるに至った。日光川については破堤箇所でT.P.-10.00mにも深堀した処が数ヶ所もあった。これらの箇所の仮締切として捨石、石俵が投入せられポンプ船による土砂の吹溜、施工が行われた。
この結果、河川水位の上昇に伴って、堤内へ漏水の現象が表われて来た。
本復旧として考えられた対策は
① 強固な仮締切を施工して、堤防敷内の捨石、石俵を取除いて良質土砂で築堤する。
② 護岸根固工に現地盤に到達する矢板を打ちこみ、根固工より上の捨石、石俵を取除き入替える。
③ 捨石、石俵投入箇所にグラウトを施工する。
④ 仮締切の背後に堤防を拡幅する。
①及び②については工費も多額となり、工期も永くて難点がある。④については用地買収の問題も起り、堤防法線が不整になる。従って残った③で施工する事になった。グラウト工を施工した箇所は(表8-12)の通りである。
ロ、工事の実施
施工ヶ所5ヶ所の内、宝川右岸、十四山村神戸地内403の2で実施した結果について記する事にする。本ヶ所は、全壊延長93m半壊延長123mで、堤内地盤はT.P.-1.00m程度で、澪筋は最深部T.P.-11.00mにも深堀した箇所であった。
本復旧としては、仮締切工としてAIII型長さ10.00mの鋼矢板で締切った後、T.P.±0.00m以上の澪止工に使った杭、石俵、土俵を一切取除いた。
まづ止水工のAIII型長さ5.00mの止水鋼矢枚と、法留基礎を施工して、T.P.±0.00mの高さまで法張りの基礎礫を張りたてた後、ほぼこの線、即ち表法張がT.P.±0.00mの高さの線(根固工から約2.50m離れた)にグラウト孔を決めた。
グラウト作業としては、グラウト孔を澪止の深堀された深さに応じてT.P.-5.50m~T.P.-9.50mに、5m毎の距離で削孔しグラウトパイプを挿入して、底部より1.50m毎の深度間隔に、15HPのグラウトポンプによってセメント注入を行った。各孔の夫々の深度毎に注入したセメントの数量は(図8-8)の通りであったが、この結果によれば深度T.P-4.00~T.P.-6.00mの間に最も多量注入された。
セメント注入後は引続いて築堤盛土、護岸を施工した。築堤については別途ポンプ船によって吹溜した土砂で、インパクトローラーを使用して厚さ0.30m毎に転圧盛土した。表層の厚0.30mは山土で仕上げた。
表護岸工としては、敷礫厚0.30mの上に厚0.40mのコンクリート法張工を、裏法留としてはコンクリート板柵工を施工した。他の施工ヶ所も大体此処と同様な方法で実施したが、現在までの処漏水は止り、何等の支障も生じていない。
(3)大江川左岸堤堤防付替堤
昭和12年頃から、名古屋市南部の重工業地帯の発展に伴い、運河計画として河幅の拡幅及び堤防補強等の改修工事が実施されて来たが、戦争などの情勢の変化のため、工事は打切られ未改修の儘残されて来た。
本川の星崎町地内の左岸堤については、対岸は拡幅されたが旧堤のまま残り、湾曲していた。
高潮対策事業については、法線の整正についての計画は除外され在来堤の補強で立案された。県としては法線の整正を計画し、必要な経費36,850千円の単独県費を計上し、35年合併施行をした。
この法線整正により、河川敷3,553.72坪堤防敷1,541.3坪が廃川敷となる。廃川敷を公用廃止する事によって貴重な土地5.095坪を造成する事が出来る。
尚堤防天端を道路として利用する事によって、もたらされる便益も大なるものがある。
付替箇所は、港東橋と名南橋のほぼ中間で、上、下流の河幅は60m程あるが、当該箇所の最も広い処は150m近くもある。在来堤は土羽堤で前面には階段状の護岸があって、往時着船施設として利用されていた。
背後地は大同製鋼星崎工場と三井化学名古屋工場の工場敷地で地盤高はT.P.±0.00m程度である。尚堤防のほぼ中央に工場の排水樋管があった。
旧川は左岸堤とほぼ平行に湾曲しておって、現在右岸堤は、法線整正して拡幅された。従って旧右岸堤跡が現在河敷に残っており、付替を計画する際、起点寄り終点寄り120m程は旧河川敷で、河床はヘドロで新堤を河の中に構築するについては滑り出しの危険も予想された。
当初計画としては、盛土を巻出して、築堤してゆき護岸の根固め施工は、築堤した盛土を利用し河表のみ鋼矢枚(AIII型長7.00m)施工を予定して作業を進めたが、河床のヘドロ厚が予想外に厚く盛土した土が広くはみ出して、落ちつかないため更に盛土の仮根止工の鋼矢枚(AII型長5.00m)を内側に追加計上して、この中で根固工を施工した。
又築堤作業を進めるにつれ、河川敷内の旧堤防跡が障碍となり、盛土の流失が多いから、河床(T.P.-1.50m)浚渫としてプリストマン(70HP)を曳船して旧堤防跡延250m、1,900m^3を浚渫した。
根固工、天端は他の区間と同様T.P.-0.50mとしたが、基礎底面については約0.50m低くT.P.-1.50mとした。
下段法張は盛土直後、引続いて施行したから、爾後の圧密沈下に備へると共に工事の簡素化、迅速化を考慮してコンクリートブロック(スクラム式0.30×0.35×0.20)を施工した。
裏法面も同様の理由でコンクリートブロック張とした。尚法留は背面が旧河川の儘残っており、仮締切りと水替工の施工上の理由と将来埋立高を併せ考えてコンクリート板柵工で計画した。
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3.防潮樋門及陸閘
(1)概説
伊勢湾等高潮対策事業については、残存部、半壊部を利用して堤防の嵩揚げ補強をしたため、堤防法線については、特殊な箇所を除いて、在来堤の法線のまま施行した。
河川部、入江部については在来堤の補強嵩揚げの外、堤防を前面に出して河口部を締切って防潮水門を設けて、堤防延長を短くする方法も考えられる。又河川部、入江部については在来堤防が低く、嵩揚げ延長が極めて長くなる箇所や、背後地に人家が連坦していたり取付道路の関係で、嵩揚げが不可能に近い処がある。
防潮水門については、堤防方式に比較して、工期が長くかかり完成しないと効果が発揮出来なく、又建設位置の選定についても、波力の集中を受けないよう、取付堤防法線、護岸に無理のない様に考慮せねばならぬ。維持管理についても堤防方式に比較して費用も嵩む。万一非常の際被災しても堤防方式は復旧が比較的容易である。
これら背後地の土地、水面の利用状況、河川の洪水防禦、工事費について検討した結果、今回防潮水門を新設した箇所は項目(5)の通りである。
これら水門の中には、日光川のように、高潮防禦の外、河川自体の水位を低下して内水排除に効果をあげ併せて、潮汐の流入を防いで塩害を防止するため常時操作をしている水門から手動だけの水門まである。
又今回の台風は名古屋市を中心とした、土地利用の高度化している区域が被災地の中心で、在来堤は、堤外堤内を問わず各種の施設が多数あって、パラペットを連続して施行出来ない処が多く、陸閘を設ける箇所は出来るだけ制限して乗越階段で処理した。
陸閘については、今度の台風に鑑みても、堤防の弱点となり易く木製の角落しはさけて鋼製扉で確実に容易に操作出来る方式を採った。
橋梁については嵩揚方式によったが、地形的に嵩揚げ出来ない処又長大橋で嵩揚げの困難な橋梁については、止むを得ず防潮高欄を施行した。又交通量の極めて少い橋梁で、近く架替の計画のある橋梁については陸閘で処理した。
(2)日光川水閘門
イ、概要
(イ)沿革並びに現況
日光川は、大江用水路(木曽川より本県丹羽郡扶桑町地内で取水する宮田用水路の一幹川)の小島元杁(一宮市の北部東小島地内)に源を発し、流路延長約37kmその間数多くの支川を合流しながら尾張平野の西部を南北に貫流し、名古屋市の西南端に於いて伊勢湾に注ぐ本県有数の河川である。
流域は山地なく平坦で北部工場地帯の都市排水、南部農業排水を集める排水河川で中、下流部において一部逆潮利用の農業用水を兼ねている。
本水系は往古木曽川の乱流した時代のみお筋であって、流路は幾度か変遷し改修の歴史も古いものであるが、大災害についてもまた多くの記録を残している。
水系は本川始め準用河川と称せられるものに12支川があり、総延長約100kmに及び、水系流域は東西約10km、南北約30kmのだ円形を成し6市4郡16ヶ町村の全部又は一部を包含し、その全面
積は297Km^2である。流域内の地目はその70%が田及畑で、この地域特に南部海部郡は本県の穀倉地で平坦なよく野が連っている。又北部の比較的高燥な土地は、繊維工業が盛んであり、殊に毛織物は本邦生産高の半数以上はここで生産されている。流域全域に交通機関が四通発達し商取引が盛んで中京経済圏の重要な一翼をになっている。
しかしながら、このように高度に開発された流域におりながら地形上排水に恵まれず、潮汐の影響を強く受け下流部一帯、流域の2/3はいわゆる低湿地に属し、特に津島市海部南部、名古屋市の一部は「海抜0メートル」以下で、最下流部は平常時干潮の際でも排水はポンプ・アップに依存する外なく、昭和33年の調査では排水機42箇所、63台、6,547馬力が設置されており、その排水区域は163km^2に及んでいる。加えて、昭和19~21年における3回の大地震によって、30cm前後の地盤沈下を生じ、排水はますます困難となり、排水機はその後も増設の傾向にあった。なお下流部特に沿川部の塩害も毎年相当な被害額に達する。
本水系は往昔より高潮の水害がその大部分を占め、常にその恐威にさらされていたのであるが、昭和34年9月遂に伊勢湾台風により下流部、中流部に未曽有の大災害を被った。
(ロ)日光川改良計画
a.概要
前記のような流域の概況であるため、日光川の根本的改修は多年の宿願であったが、その流出機構の複雑さや、河口附近におけるノリ養殖を主体とする沿海漁業の問題、用排水のからみあい、高度開発地域である為改修用地取得の困難性等、本水系改修は昔から相当おこなわれたものの、その被害を解消するまでに至らなかった。
しかしながら根本的解決の努力は着々と続けられ、昭和26年より中小河川改修事業として一部河道改修に着手すると共に複雑な排水方式を調査検討し、流出機構の解明の上昭和32年新改良計画を樹立、国の認可を得た。
本計画は降雨による湛水の速かな排除、及び高潮の防護の根本的解決の為豪雨による高水に対する河道改修計画と高潮に対する河口締切計画を二本の柱とする。この両者の完成相まって改良効果の実が挙げられる。
b.河口締切計画
日光川水系の特性は、前述の如く低湿地緩流河川である為、潮汐の影響が大きいことであり、その潮限は河口より22kmに及んでいた。
日光川の最下流部附近の堤防の高潮に対する安全度は、検討の結果相当危険な状態であって、これが補強を必要とする堤防延長は17kmにも及び、その間家屋、排水機等の施設が連坦し、その工費は10億円余となり、河口締切工事を施行し、締切堤を本堤とすれば工費の節減、安全性の増大が得られる。又河道改修の際下流部浚渫を旧のまま行えば、潮汐の影響が増大し下流部水位が逆に高まり、塩害助長となるので河川への潮汐の出入を阻止してから河道浚渫を行う必要があるので、工費や経済効果について他案と比較検討の結果、本案採用となった。又本計画実施には、下流部塩害防止、中流部自然排水条件の良化、河川水位、流速変動量低下による舟航条件の良化等種々の二次的効果も期待出来ることとなる。
河口締切工事は、日光川従来の河口延長約660mに締切堤防を築き、河川排水のための新川を右岸寄りの堤内地(海部郡飛島村梅之郷地内)に開削し、ここに水こう門を設置する計画であり、工事としては水こう門及締切堤に大別される。新河川水路の平面形状については、水理模型実験に基づいて決められた。又計画高潮位は既往の潮位、雨量の組合わせより最大値を示す。明治29年9月のものよりT.P.+3.00mに波高2.00mを積上げた水位を採った。
以上の様な経緯で、昭和32年までに調査及び準備工、用地買収、物件移転等が終り、同年より本工事としてまず新川掘削、床掘に着工した。施行位置の旧堤裏法先に、鋼矢板遮水壁を施工し河川よりの滲透を遮断して、ウエルポイントにより地下水位を低下させ、0.6m^3ドラクライン1台で掘削を行い、掘削土はそのまま機関車運搬によって材料置場及び付替堤の盛土に使用した。
水こう門構造物基礎は現場打鉄筋コンクリート杭(ペデスタル杭)とし、水こう門基礎の大部分と付替堤擁壁の基礎杭の6割程度を打設したところで昭和34年9月伊勢湾台風によって破堤、被災その後3ヶ月間にわたる長期の冠水が始まった。
(ハ)伊勢湾高潮対策事業および名四国道合併施工との関係
日光川の河口部において、伊勢湾台風による破堤は25ヶ所、総延長2kmに達し、直ちに応急潮止工事が開始された。災害復旧は、伊勢湾高潮対策事業として全面的におこなわれることになり、日光川においては、技術的見地、経済効果等の検討の結果、河川堤防はこれを原形復旧程度にとどめ、河口締切工事を海岸堤防の一貫として当初計画の手直しをなし、伊勢湾高潮対策事業に編入され、工事の早期完成がはかられることになった。そして35年5月20日手戻り工事及び応急本工事のなかばにおいて本工事は本県より国に施行を委託することとなった。
一方名四国道は、1級1号国道のバイパスとして名古屋港四日市港を結ぶ伊勢湾臨海工業地帯の重要産業道路として計画され、昭和33年度より調査が開始され、日光川を通過する路線は締切、堤防を利用する計画も検討されていた。35年本工事着手と共に日光川横断は河口締切堤を拡幅兼用することに決定し合併施工することとなった。
このようにして日光川工事河口は、いくつかの目的をあわせ、沿岸住民の大きな期待のうちに総事業費約20億円をかけ2ヶ年計画で37年度出水期完工を目標に突貫作業に入った。
伊勢湾高潮対策事業として本計画に加えられた主たる変更は計画高潮位であり、前述の通り計画堤防高はT.P.+7.50mと決定され、その後運輸省計画の伊勢湾大防潮堤被護区域内の為の変更がなされT.P.+6.20mとなり、この為水こう門ならびに堤防の計画変更がなされた。
水門有効幅員10m8門のうち6門は放水専用(一般水門と称する)とし、中央2門は航行用を兼ねたもの(通船水門と称する)とし、全開時のゲート下端高は、一般水門ではT.P.+1.5m、通船水門ではT.P.+4.5mとし、水門操作の使用をはかった。
また全閉時のゲートの高さは、扉面積節約のため一般水門ではT.P.+1.5mとし上部に鉄筋コンクリートのしゃ水壁(カーテンウオール)を設け、この天端をT.P.+6.2mとし、計画堤防高と一致させる。通船水門およびこう門部は、ゲートの高さはT.P.+5.Omであるが、これは越波時間が短く、多少の越波はさしつかえないので、扉体重量を節減したものである。
ロ、設計概要
(イ)水こう門
a.設計概要
日光川水こう門が果さなければならない使命は、
(i)日光川の洪水量845m^3/secを流しうること。
(ii)計画高潮位T.P.+4.5mを防ぎうること。
(iii)海水の逆流を防ぎ、内水位を低下させること。
(iv)内外水位差の大きいときにも航行が可能であること。
等が要求される。このため水門8門と、こう門1門をL型に配置した。
後述の如くこう門幅員は7.0m有効長は60.0mとした。水門の操作は、常時操作とし水門を開閉して排水と防潮ならびに大型船舶の航行をはかる。洪水時には、全水門を開き洪水の疎通をはかり、また高潮時には全水門を閉ざして防潮に備える。こう門は内外水位差がある場合小型船舶の航行にあてる。
設計にあたっては、各構造とも平時、高潮侍、地震時(K_H=0.3、K_V=0.15)に対し、内部的、外部的に安全なものとする。
b.基礎
基礎については、井筒基礎、杭基礎の両案が考えられ、地質、調査の結果よりみると、杭基礎の採用が経済的にも有利と判断されたので、これが確認のために杭打試験を行い、杭の支持力を求めるために載荷試験を行い杭基礎の設計をした。水こう門地点の地質は別図のようで砂質部が多く、圧密の影響が少なく、浅い層において比較的大きい地耐力が得られる等、基礎地盤としての条件に恵まれているのであるが、水こう門の安定を検討してみると非常に大きい水平力を受けることになり、杭の水平力について特に多くの検討を加えた。遠心力鉄筋コンクリート・パイルと場所打コンクリート杭の両者につき比較試験を行いそれぞれの長短を明確にし本工事では、最終的にペデスタル杭が採用された。ペデスタル杭は、径43cm、間隔は1.29×1.37、1本あたりの許容支持力は17.5トンとし、建築学会、の単働汽錘による杭打公式により打止めをした、総数1,701本の打込み長の実績は13~23mの範囲となった。
c.遮水壁
水こう門の基礎に遮水壁として鋼矢板を打込み、透水によるパイピング現象の防止と揚圧力の軽減を図った。鋼矢板は八幡皿型を使用した。遮水壁の長さの決定に当っては、先ずパイピング作用に対する安定上必要とする長さをクリープ比より求め、揚圧力よりすれば海側の遮水壁は極力長くして川側を短かくするが得策であるので海側10m、川側5mの鋼矢板を使用した。
d.床版
床版の広さは水門部は幅20.18×99.5m、こう門部は16.7×75.85mである。また厚さは計算より得られた経済断面は1.0mであるが、一般の実施例をみると径間の1/5~1/7位が普通で、構造物として特に重要な部分であるので1.7mとした。
e.水門
鉄筋コンクリート構造で、有効通水幅10m、敷高T.P.-4.00mのもの8連とする。海側に幕壁(カーテン・ウオール)を設けて扉面積の節約を図るが中央2門は通船に供するため幕壁を使用しない。躯体部分の形状は模型実験により流水に対する抵抗の小さい形を定めたが、幅員2.4mは扉の戸当りに必要とする切込み深さ及び施工時の箱抜きの必要長を考慮して定めた。一般水門塔の高さは橋梁上の余施3.3mを考慮し、これに操作台(4.40×4.40m)の厚0.6mを加えてT.P.+9.7mとなった。この値は、径1.0mの滑車を取付けた有効高5.5mの扉を、5.5mm引揚げた場合尚1.2mの余裕を有するものである。塔の幅は、躯体幅と同一に2.4mとした。
通船水門塔の幅は、躯体幅と同一に2.40m高さはT.P.+12.4mとした。通船水路部の橋梁桁下高はポンプ浚渫船(500HP、長22.0m、幅8.0m吃水1.30m吃水上の高さ5.5m)が河川水域に出入可能な様にT.P.+4.50mとする。一方有効扉高は9.0mであるがその揚程はT.P.-4.50mであるから塔体積を節約する為フックを下端より5.60mの箇所に対して、尚之に1.70mの余裕をとり、これに操作台(幅4.40×長5.60)の厚0.6mを加えてT.P.+12.40mとした。この値は、さく望最高潮位T.P.+1.30mにて50t程度の機帆船が通過するに十分可能なものである。
水門の全有効通水幅については、通水幅による水理的影響とその効果等を検討して決定した。上流にある日光川樋門及び蟹江川樋門よりみて、通水幅100m、80m、60mの三案について比較検討した。その際1門の通水幅を10mとした。水門による水理損失は模型実験より得られた結果を用いて、種々の流量、外水位の場合について水門位置の水位差を求めてみた。しゅん功後、水門より排出する平時の流量は50~30m^3/sと推定されたが、この程度の排水を行なうには、60mの通水幅があれば十分なことがわかり、600m^3/s(計画高水量840m^3/s)程度以上の流量が外水位の低い時に流出すると60mの通水幅ではかなりの水位差を生ずるが実験結果では水位差が24cmを越えると射流となった。通水幅80mの場合に800m^3/sの流量が外水位T.P.-1.00m近くの時に流出されると射流現象を生ずるが、水門よりの流出量は河道貯溜量がかなりの量を占めるので、T.P.-1.00m附近では800m^3/s程度の流出は起り得ない。しかし60mの場合は水門水叩は相当の流速を考慮する必要があり、水門の故障、修理等の事故に対する安全異常高水に対する余裕も考慮に入れて80mを採用した。
f.こう門
鉄筋コンクリート構造で有効幅7.0m、敷高T.P.-4.00mで、両側壁内に幅1.20m高1.52mの馬蹄型断面のバイパス孔及びブランチ6個を設け、こう室内外の水位の調節をはかる。こう門は水位がT.P.+1.50m迄運転される。側壁の高さはT.P.+1.50mに50cmの余裕を採ってT.P.+2.00mとした。
こう室の有効長は次の理由により60mに決定した。この地点を通過する船舶は比較的その大きさが小さく、1.5~20.0tまでが大部分で、まれに60~70t程度のものが通る。1日の通過数は多い日で400隻程度である。漁船(長10m、幅1.9m、重量2.7t)の出漁時には、小舟(長9.0m程度)を1隻以上伴うのが通常であるので、こう室の大きさは、2t程度の漁船が15隻の集団で通過するものとして、一回に収容し得る面積を求めた。有効幅は50tの機帆船を対象として7.0mと定めた。
之れに塔の必要長、及びバイパス呑吐口の大きさを考え、側壁の長さを71.20mとした。側壁の幅はバイパスの径1.20mに対重溝の大きさ及び施工事の箱抜きを考慮して3.50mと決定した。先端の形状は水理模型実験により決定した。こう門塔の幅員は海側、川側共側壁と同一に3.50mとし、高さはT.P.+15.00mとした。
g.ゲート
水こう門に設置するとびらは水門8門、こう門2門、バイパス4門、計14門と予備とびらの4種で、大きさ型式は(表8-15)の通りである。
主ゲートは、すべてローラーゲートでワイヤー巻上げとし、一般水門は四方前方水密、他は三方前方水密にした。通船及びこう門海側のゲートは扉高が高く、水圧を多くうける関係でローラーを4対使用した。したがって4対のローラーがローラーあたりに一様に密着するように、扉高の中央で2枚に分割し、簡単なヒンジ構造で上下を結合した。扉体のローラー、滑車等への給油は1とびら1個所からの一元定量給油方式とし、給油を便利にして維持が行き届くようにした。前記14門のゲートは、いずれも管理室内のボタンにより操作するのを原則とし、停止はすべて自動停止とする。ゲートの状態はパイロットランプとセルシン開度計で管理室の制御卓に標示される。
潮位の変化が大潮時最大06m/h程度になるので、水門8門の全閉から全開、全開から全閉に要する時間を30分とし、通船水門は10分以内に開けるように計画した。こう門はカウンターウエイトを付して操作時間を短縮し、海側川側共開閉夫々2.0分とし、バイパス扉は6門共開閉夫々1.5分に計画した。
水門、こう門ゲートとも、修理、塗替え等のためゲート前後に予備用の鋼製かん形10分割角落としとびら(1けた重量2.5t)を設けた。角落としの使用ひん度はきわめて少ないと思われるから8水門に対し1対、1こう門に対し1対用意した。この角落としは水圧がかからなくともスプリングで水密ゴムが戸あたりに圧着し、水もれを防ぐ構造にした。
h.カーテンウオール
ー般水門のゲートは、前述のとおりその上部T.P.+6.2mまでは鉄筋コンクリートのカーテンウオールにして、工費を節約している。カーテンウオールと塔柱との結合部の構造は、最もクラックのはいりやすいところであるので、この点とくに考慮をはらった。水門左岸塔、通船水門塔およびこう門塔は塔の幅が広くカーテンウオールが柱に突き付けとなるので、メナーゼジョイントとし、他の水門塔はカーテンウオール柱の前面に接して(図8-9)のような支承を介して結合され、下端はピヤーの切欠き部にはめ込まれる。柱との接面はアスファルトを塗布し、左右のカーテンウオールを突き付けにして間にセロタイト等の目地材を入れた。支承版は海水に対してさびないようにボルト類も含めて18ニッケル8クロームのステンレス鋼を用いた。
i.管理橋
管理橋は、工事中の主要な運搬路として、又完成後ゲート修理の場合本橋梁を使用せねばならぬので幅員は3.6mでP.S.コンクリートけた11本を並べ2等橋とした。尚幅員の中央部に予備ゲートの落込み口として1.Omの取りはずしの出来るP.C.版をはめ込んだ。又予備ゲート(角落し)運搬用のトロリーのレールを敷設した。
j.水叩
大きさ、厚さは(表8-6)の通りである。約6m×7mのブロックに目地割してある。在来地盤の上に厚30cmの敷砂を、その上に厚50cmの敷れきを施工し、吸出しに備える基礎とした。その上に厚50cm、約6m×7mのブロックに目地割したコンクリートを打設する。ジョイントにやわらかい大型の止水板(塩化ビニール製厚60cm、幅29cm)と不等沈下に対してばらばらにならないようにスリップバーが用いてある。
また水たたきの先端には、3mのP.S.矢板を打って洗掘に備える。
k.根固め
大きさ1.2m、高さ0.43mの十字ブロックを用い、1マットを6個×25個とし、間詰めに栗石を用いた。
(ロ)右岸付替堤防
本堤防は、水こう門位置より海側と川側とに分類され、水こう門より海側は高潮に川側は洪水に対する堤防であると同時に水こう門の水路の側壁をなすもので、敷高をT.P.-4.0mとし、かつ、水面附近以下は鉛直壁であることが望ましいので、異形逆T型擁壁の上部に1.5割ののり張を設けた。海側の表のり張り工、裏基礎工および波返し工は、南陽海岸、海部海岸の海岸堤防と同一型式にした。
(ハ)締切堤防
河口締切堤防工事は、水こう門を設置して新川を開さくして通水後に河口650mを締切ってここに海岸堤防兼名四国道を築造する。全築堤土量は700,000m^3で附近河川敷ならびに海域からサンドポンプ船により土砂採取し、これをT.P.+60mに築堤し全面護岸を施すものである。しかしながら当地点は地質調査の結果、軟弱地盤のため、載荷による地盤沈下が相当量に達し、すべり出しの危険もあるので、サンド・ドレイン工法とバイブロサンドコニパクションパイル工法の併用によって地盤を改良することにした。これが施工は、650mのうちとくに地盤の悪い左岸から300m間でサンドパイル1,105本およびコンパクションパイル820本を打った。
このような悪い土質に対処して次の如き地盤改良と堤体断面の決定をみた。
(i)吹きだめ(一次荷重)完了後直ちにサンドパイルを2.6mピッチに施工し、圧密の促進をはかる。
(ii)完成後のすべり出し崩壊の安全率が1.3m以上となるように、のり面のこう配を1:4とする。
(iii)のり先き、とくに鋼矢板の前後の地盤を強化するため、コンポーザパイルを3列、1.5mピッチで施工する。
(iv)のり張り完成後の残留沈下量による不等沈下に備え、のり張りコンクリートのジョイントを多くし、たわみ性を持たせる。
(v)万一、のり張りコンクリートにクラックを生じても吸出しを防止するように、コンクリートの下にサンドアスファルト基層を置くなどの処理をすることとした。
波返し、天端は南陽、海部海岸に準ずる。裏のり張りは勾配がゆるやかで転圧が比較的確実にできるので、修繕が容易なアスファルト、コンクリートとした。
南陽海岸と締切堤の交差する個所は、台風による風当たりの最も強い方角に当るため、波浪が大きい。このため取付部150mに捨石の上に2t、テトラポットを据付け消波堤とした。
水門と締切堤の取付部は右岸付替堤と同様の擁壁と護岸を設けた。
(ニ)管理施設
管理所
(i)本屋 鉄筋コンクリート3階建、建坪37.50m^2、延坪112.5m^2、高11.0m
奥行4.5m~2.5m、桁行6.0m~4.2m
門扉照明、信号、工業用テレビの遠方操作、設備付。
(ii)予備電源室 壁式鉄筋コンクリート平家建、軒高3.12m、奥行4.18m、桁行5.18m
受電設備並びに75KVAデーゼル発電機設備付
配線用ダクト 電気配線は全てダクトによる。
信号及び照明
2位式交通信号機 2基 こう門用
警報装置 警報灯2基、電鐘1基 通船水門用
赤色標示灯 2基×2ヶ 同上
水銀灯 200W×7ヶ400W×1ヶ700W×4ヶ 水こう門部及海川水面照明用
螢光灯 20W×2ヶ組 12ヶ 捲上機操作台照明
格納庫(予備ゲート用)
軽量型鋼パイプ構造、奥行14.20m 桁行22.40m 軒高5.40m
基礎及床版;鉄筋コンクリート
予備ゲート用走行クレーン装備
量水塔
右岸堤海側、こう室内、川側各1基 3基
自記水位観測装置(こう室内はなし)管理室にて遠隔観測可能
管理人宿舎
補強コンクリートプロック平家建 2棟
ハ、施行経過
前記の如くこの工事が着工当初基礎工の段階に於いて被災したことはこの工事にとり不幸中の幸であった。それでも掘削個所は埋没し、旧堤および付替堤は大きく破堤し工事用設備は、ほとんど流出した。直ちに旧堤破堤部2ヶ所の応急締切と付替堤の仮復旧にかかったが、何分未曽有の大災害であり、なかんづく日光川は激甚地で河口部のほとんどは全、半壊個所となり、その応急工事が一せいにかからなければならない為、技術者の手不足は河口締切工事の重要性は判っていても、例外にする訳には至らなかった。35年5月20日に至りこの応急工事のなかばにおいて日光川河口工事は本県より建設省に委託されることとなり、中部地建愛知工事事務所に於いて直ちに必要な計画の修正がなされ、泥海に埋没している現場において引続き応急締切が急がれるとともに、泥土の排除、資材運搬路の復旧、埋没施設の復旧等全面的復旧が進められていった。
35年7月になりいよいよ河口工事本工事としての水こう門工事が再開されることとなった。日光川下流部の復旧が河口締切を前提として最小限の復旧にとどめられる関係上、この工事にかけられる期待は誠に大きく、36年の台風期には、他の海岸堤防がほとんが完成が予想されるが、日光川河口締切工事は水こう門工事があり、締切堤も無堤の河口に築造するもので、仕事の内容が比較的複雑であるから、その完成の遅れが予想され憂慮された。
工程としては、水こう門完成を35年度末までし約10ヶ月間、併行して附替堤、表護岸、各種ゲート、旧堤除却完成を36年8月とした。締切堤は35年10月着工、36年8月末基礎工終了、みお止は7月初旬を目標とした。
この工程は、計画当初より相当苦しいものと予想はされていたが工事進捗に従い、種々困難な問題が起り、工事は昼夜兼行の1日3交替という大突貫工事となった。当時のこの工事の施工関係者の並ならぬ苦労の全容については本県として直接工事を担当しなかったので、なかなか計り知り得ないが以下、昭和38年4月1日中部地建刊行「伊勢湾台風復旧工事誌」により工事の経過を述べる。
水こう門工事は基礎工、床版工、までは比較的順調に進み、躯体の打設に至り、その戸当たり部の施工が2次打ちコンクリートが必要でその部分の型枠が二度手間になったりして、施行速度が遅れたこともあったが、35年度末には水門部のゲート据付けも終り一応の目鼻がついた。附替堤については、35年度末に基礎擁壁の大部分ができあがったが、盛土の遅れの為工程が大きく狂った。これはイ、盛土に転用する新川掘削土がシルト質が多く砂質土といえども、乾燥を待って盛土しなければならなかったこと。ロ、工事場内は周囲が水で敷高T.P.-4.0mのすりばちの底であり湧水が多く材料過搬が困難で、工事中の附替堤防上が過搬路として重要であった為である。
一方締切堤用土砂のしゅんせつ吹きだめは、35年度台風期あけの10月1日に着手されたが、すでに補償問題が解決していたはずであった。のり漁場の漁民よりの強硬な申入れの為一時工事中止のやむなきに至った。
当地方はのり漁場として知られているが、漁期10月より翌年3月頃まで、しゅんせつ工事による海水の汚濁が補償区域外漁場までも被害を起すというものであり、再三の会合の結果、36年1月中旬に至る約100日間の工事中止ないしは一部制限過転(揚げ潮時のみ過転)ということになった。
このため当初工程は大きく変動することになったが、36年台風期までという切期目標の実現のため36年8月下旬ないしは9月上旬に延びても締切堤みお止めを行うことを目標に、工程の再検討が行なわれた。
その結果、労力、機械力の強化、工法変更、生コンクリートの一部併用、通水後の過搬路として管理橋を早急に通行可能なまでにすること。みお止めまでに必要としない工事は一切中止する等、通水に続くみお止めに集中するよう工程が改められた。
こうして突貫に続突貫の激しい作業により36年8月10日水こう門の通水ができ、同月下旬には平水量の約3割程度が水門側に移り河口締切堤みお止めが出来る見通しが立った。
なお10月に入ると再びのり漁場の問題が起こることが予想され、台風に対しても1日も早くみお止めを行ない、さらにその補強を行なうことか望ましいので、多少の無理をおして、9月2日小潮時の干潮でみお止め決行ということになった。
9月2日は好天に恵まれ、地元消防団の協力のもとに、総勢500余名によってみお止め作業は無事予定通り成功同日夕方には完全に水切りが終った。翌3日にはショベルブルドーザー、ダンプトラックによる仮堤防(高T.P.+3.0m、幅約13m)が完成し、川筋は完全に水門に移された。
かくては待望の締切堤防は不十分ながら河口に根をおろし、その直後9月16日に来襲した第2室戸台風には台風下のかさあげ補強(T.P.+4.0mまで)も、おずかってその効用を完全に発揮した。
その後も急ピッチで工事が進められ37年3月末締切堤表護岸は南陽附側取区間及びみお止め区間の一部を残して、パラペットの高さはT.P.+6.0mとなった。
水こう門は管理室に遠方操作盤が据附けられ、配線工事も終って、遠方操作が開始され、予備電源、照明、信号等諸設備もできた。
附替堤防は天端舗装まで完成した。
37年度は、締切堤の消波堤、捨石等の根固め、天端の舗装がなされ、ガードレール、照明設備等が最後に完了し9月30日に至り河口締切工事は一切の工事を終り人類の英智の結晶として、高潮に対する不安を解消し、その堂々たる威容を完成した。
日光川河口締切工事用土砂採取による漁業補償
日光川河口締切工事用土砂採取による漁業補償については、36年台風期までに河口の締切を完了するために、締切堤の築堤土砂及び澪止土砂を河口より浚渫船によって採用する事になったが、河口に漁業権(共同漁業権第101号並びに区画漁業権第113号)水域のため漁業補償を必要とし、一切の実損失総額150万円を補償した。
(3)扇川防潮樋門
イ、扇川流域の概要
扇川は名古屋市東南、緑区鳴海町、知多郡大高町を流域とした30km^2流路延長12kmのいわば小河川であるが流域の特性は比較的なだらかな丘陵地帯を水源としており、その各々の水源には殆んど農業又は上水道のための142個の貯水池を保有している。
下流地帯はいわゆる、海抜0メートル地帯と称せられる。海面下の土地2.7km^2が拡がっておりこのため2.6kmは天白川に合流させることが出来ずに瀬割堤に依り、分流している。したがってこの低地部は、河川流量の他に、潮の干満に依っても、堤内排水が左右されるので多くは排水路の終端に樋門がありこのマイターゲートに依って効果的に排水しているが近年経済の伸長に伴い宅地計画が進められ、ポンプ排水を計画している現状である。
ロ、防潮水門計画
34年9月26日の伊勢湾台風に依って本川河口部において溢水等に依る多大の被害を土木施設並びに堤内に及ぼしたのであるが、この場合河口、河口部の海岸において大破堤を生じたので河川内に遡上して来る高潮は割合に小さかったと考えられるが、これが完全に復旧されつつある現在再度同じ様な台風が来た場合を考えれば河川上流において、より以上の災害をもたらすであろう事は充分推定できる。
この対策として、堤防方式又は防潮水門に依り河口に於いて高潮をカットする方式がある。この何れを採るかは工費、水理及び地勢を考慮する必要がある。先づ堤防方式は工費面では現在堤防が高潮に対して低過ぎ扇川本川は鳴海町迄、支川大高川は大高町の夫々市街部迄達し、その延長は延5kmに達し莫大な工費を要する。一方防潮水門は水理面での影響を僅少となる構造なる様水門自身を計画する事が出来る。又堤防方式は橋梁の嵩揚げに伴ってこれらの低地部にある交通施設を嵩揚げせしめる必要も生ずる等の欠点が上げられる。従って防潮水門計画がこの河川としては得策と考えられた。
ハ、水門位置
位置の選定は次の点を考慮して定めた。
i.出来るだけ河口に設置し扇川流域を高潮から守る堤防として堤体の大きい右岸の瀬割堤を利用する事を考へた。
ii.寄洲の影響の少ない処
iii.漁船の就業を妨げない処
これらの点を考慮して河口から約1.Okmの地点を選んだのである。
二、設計概要
(イ)主要構造概要
構造の概要を示すと、図8-23及表8-25のようになる。
(ロ)基礎
水門を計画するに当って土質調査を行った結果次の様な事が明らかになった。
沖積層T.P.0.0m~T.P.-19.00m、洪積層T.P.-19.00m~
当地区は長久手台地の縁辺部であるので深部には洪積安定層が厚く堆積しているものと考えられて居たが、之を確認する事が出来た。
又標準貫入試験の結果から地質柱状図に見られる如く沖積層は表面T.P.-7.0m位迄は比較的通常の土程度に安定しているがT.P.-7.0m~T.P.-17.0m位迄は含水率も大きくゆるいシルト層になって居り非常に軟弱であるT.P.-19m以下の洪積層はN値も急激に増え支持力は30t/m^2を超える様であり、当水門の基礎はこの層に定着する必要が認められる。参考の為に附近のボーリングの成果を調査した処名鉄、愛知用水、国鉄新幹線等で夫々土質調査を行い、基礎工法を決定している。此等を、縦断的に並べて見た結果当水門計画地点より、下流1000m位迄は洪積層は河床勾配と同じ様に緩勾配で下っている。しかしそれより下流では急激に下っている事が判る。
基礎工法を工費、施行の面から比較検討してみると、
ウエル:工法の安定性から考へればすぐれて居るが工費が最も高く、工期が長びく怖れが多分にあり出水期をさけて施行する事が出来ないので出水期に河積を縮少される事になる。
鋼管:施工方法を現場の状況に応じて種々考えられ、重量が軽く操作が容易であり工費も、コンクリートパイルより低廉である。
コンクリートパイル:鋼管とほぼ似て居るが鋼管より重量が重く且つ工費が高い。
以上の結果最終的にスパイラル鋼管が採用された。打込の配別は千鳥とし、間陶は2.10m×1.90m1本当りの許容支持力は32tとした。
(ハ)基礎版
基磯版の大きさは厚0.9m×巾12.75×長27.40mで、その下に厚さ0.20mの捨コンクリートを、更にその下に在来地盤の上にブイルターとして厚0.50mの置替砂を施行し、上流側、下流側に止水用として、AII型長5.00mの鋼矢板を設けた。又、構造物の右岸半分を先に施行のため版の施行継手に幅0.80m×厚0.50mのバットジョイント、及び土留木矢板工長2.00mを設けた。
(ニ)水叩工
水叩工の広さは幅23.20m×長7.00m×厚0.60mで下流側には、止水用として、PSコンクリ一ト矢板長3.00m、この先に洗掘を防ぐため敷粗朶の上に捨石工を施行した。
(ホ)ピヤー
ピヤーは導水部及び塔から成る。導水部は基礎版よりの高さ両側2.85m中央3.05mとし塔は導水部よりの高さ6.30で中央部にローラーゲートの戸当り部を有し、その上流部に+4.70mの位置に床版に依って、マイターゲートの吊り金具を設けた。塔の天端に操作台を有し、捲揚機を設置した。
(ヘ)水防用橋梁
導流壁の上流側に瀬割堤と扇川左岸堤を水防連絡橋梁として橋長24.40m橋梁幅員4.00m4径間のT型梁を架設した。
(ト)ゲートの型式の決定について
決定の条件
i)外側水理条件
計画高潮位=(台風期平均高潮位+0.97m)+伊勢湾台風偏差3.55m
=4.52m≒4.60m(TP)
この値は後で大防波堤計画に依り変化するので波高を除いて考える事とした。
ii)内側水理条件
計画洪水量217m^3/s
現河川通水断面としては充分であるが堤内地盤高が低いのでこの部分からの洪水時の流入は現況ではない。従って現在流下して来るのは104m^3/s程度と考えられる。
洪水到達時間2時間~2.5時間
iii)既往発生台風時の内外水理条件の組合せ
昭和28年9月25日13号台風
最高潮位+2.33m 洪水高潮ピーク後3.1時間105m^3/s
昭和34年9月26日伊勢湾台風
最高潮位+3.90m 洪水高潮ピーク後0.9時間68m^3/s
iv)通舟条件
船運としては現在は殆んど利用されて居らない。しかし、立地状況から考え将来小舟筏等の利用は充分考えられるので考慮する必要がある。
v)河道湛水能力
干水状態であれば380,000m^3の湛能力があるが水門閉塞の時期流水の有無により相当量減ずる事が考えられる。又容量としても小さいので小さい洪水でも内水位の上昇は割合に早い。
以上のことからゲートの型式として重点的に勘案する必要のある事は主目的の高潮防禦の他に河川洪水の安全流下を併せて考えなければならない。既往の気象記録から見れば洪水と高潮 のピークが合致する事は殆んど考えられないが伊勢湾台風の様に西側を通過する場合は大きい高潮の発生を見る上に小さい洪水ではあるが夫々のピークが極めて、接近して起る可能性が大きい。従って内外水位の変動に応じて開閉が機敏に行なわれる方法を考える必要がある。
(チ)ゲートの型式
本地点の様な処では内外水位差に依って起動するマイターゲート方式が適当と思われる。
この方式では古くから用いられている観音扉型式と招扉型式の他に機械作動型式の三種があるが漂砂の堆積障害物の附着及び大規模のものに適さない等何れも問題点がある。従って此等の欠点を除去して利点を生かすために下段にローラーゲートを採用し、上段に、マイターゲートを配置する二段方式を採用する事とした。又この方式では通船が困難であるので4連の内一連のみ二重扉方式とする事とした。
a ゲート
b 主ゲート
主ゲートは表8-30で4門の内1門を通船を考慮して複葉ゲートした。捲揚機は塔上に操作台を置き吊手方式を2本のラック棒(豊国工業特許)を用いるピンヂヤッキ捲揚装置(豊国工業特許)は効率の悪いウオームギヤーでベルギヤの使用を極力さけて平ギヤーを多用している為効率の面で非常に透水スピンドルの場合の約4.5倍になっている。この為に附属電動機及び発電設備の規模を著しく縮少出来ると共に4門重複操作も可能になり、捲揚時間もスピンドル方式で行えば4門×7分=28分かかるのが連続起動するために、14分で完了する。又之に加えて、閉鎖方式がブレーキレバー操作のみにて、自力降下できる利点も兼ね備えている。
従って前に延べた様に本川水門の様な処では最も適合するものとして採用する事とした。猶ローラーブッシュにはほとんど給油の必要のない含油鉄材のオイレス#500B並に#500SPを使用した。
c ゲート操作
ローラーゲートは操作室内のボタンに依り操作するのを原則とし、停止はすべて自動停止とする。ゲート運転中は制禦盤の開度計用パイロットランプが点減して水門の開度を表示する。
d マイターグート
マイターゲートには開閉の確実と比較的故障の少ない単純な作動をする招き扉型式のものを採用することにした。招き扉には一般に次の形のものがある。
同一の水理条件とヒンヂ構造ゲートの重量及び傾斜であった場合。
i 外水に対して閉鎖し易いが内水の流水にゲートの阻害が大きい。
ii 内水の流水には良好であるが外水の波動に敏感である。
iii i.ii.の折衷的効果が期待出来る。
しかし何れも与えられた水理条件に対してゲートの傾斜及びフロートの大きさを加減する事に依って条件に適合した。設計とする事はできると思われるが最も容易に適合させ得ると思われる。iiiを本計画では採用する事とした。
e 塗装
門扉は特に防蝕に留意し、塗料はGPクロミオンペイントを使用し下塗を工場で中塗上塗を現場で施工した。
(4)五ヶ村川防潮樋門
イ、流域の概要
本樋門は愛知郡豊明町南部、知多郡大府町一体を流域とする五ヶ村川と、大府町南部、知多郡東浦町北部を流域とする岡田川との合流点約80mの地点に設置され両河川の高潮防禦役目を果しておる。五ヶ村川流域面積は7.0Km^2、流路延長11.Okm、岡田川流域面積6.Okm^2流路延長5.5kmで両河川の合計流域面積は13.Okm^2にして、両河川とも流域は平垣でその形が細長いので洪水の最大流量は割合と小さい。
ロ、防潮樋門計画
減潮区域は樋門設置位置より五ヶ村川は3,400m上流まで、岡田川は1,300m上流まであるが、高潮防禦のために河口部に於いて高潮を遮断する樋門方式と高潮が伝播し被害をもたらすであろう区域まで堤防嵩上しコンクリート巻堤などにより堅固による堤防形式とが考えられる。当五ヶ村川岡田川にて、堤防方式を検討して見ると、五ヶ村川に於いては石ヶ瀬川との交差点まで約2.Okm堤防嵩上及び補強を必要とし、岡田川に於ては最少限にみても国鉄武豊線鉄橋迄約1,0kmの堤防嵩上工及び補強もしなくてはならない。以上の工費は莫大なものとなる、一方樋門形式は高潮時に於ける操作の時刻が問題とはなるが工費の点樋門上流部は堤防整備、補強程度とし上流部の道路橋などの嵩上も必要もなく工費は安価である。以上の点を考慮し本河川は樋門形式を採用した。
ハ、位置
五ヶ村川、岡田川の両河川同時に高潮防禦を考慮し両河川合流点より約80m下流の地点とした。
二、構造概要
(イ)基礎工
樋門設計に当り樋門設置地点の地質調査によると、地質は比較的良好なる地質を有し、標準貫入試験の結果をみると打撃回数値Nは地下深くなるに従って次第に大きくなっている。
従って杭は摩擦杭としても、支持杭としても良く、杭支持力の算定は摩擦と先端支持の両方を考慮して決定された。
又土質種状図から判断してT.P.-11.50m~-15.5m附近の砂礫層内にて杭を打ち止めるものとする。以上の点を考慮してコンクリートパイル径0.30m長11.0mを126本使用した。
止水矢板は水門内外水位の落差によって水は樋門下の透水層を通じて流動するがそれを防止するために、水位差、樋門幅を考慮して長5mのナガイ式水密コンクリート矢板を海側、川側の基礎に使用した。
(ロ)床版
基礎は0.30cmの捨コンクリートを施工し床版の大きさは長27.6m、幅9.50m厚0.60mの鉄筋コンクリートとし、主門の部分の敷高はT.P.-0.90mとし水叩に該当するところはT.P.-1.00mとした。副門の部分は河川の複断面を考慮に入れ敷高は主門より30m高くT.P.-0.6mとし、水叩に該当部分はT.P.-0.70mより傾斜にしてT.P.-1.00mに取りつけた。
(ハ)床固
樋門開扉時の河床洗掘及透水を少なくし躯体保護のため、海、川側に捨石工(100kg~200kg)を施工しその先端は捨石撒乱防止のため生松丸太(φ0.12m×2.00m)による詰杭工を施工した。
(ニ)幕壁
主門の通水部上端高はT.P.+3.70mで水防通路橋の床版厚0.30mにて取付堤高T.P.+4.00mと同一になり、幕壁は不必要となり、副門部は通水上部高がT.P.+2.70mで水防通路橋の床版厚0.30mにてT.P.+3.00mとなる故幕壁は1.00mとなった。
(ホ)巻揚塔
主門、副門共ラーメン構造の鉄筋コンクリートで上部幅は2.5mとし、門扉巻揚装置一式を装備す。
(ヘ)門扉
主、副門共後面四方水密ローラーゲートにしてワイヤーリープによる巻揚式でヂーゼル発電による屋内遠隔操作とし、高潮時の潮位及び内水位の変動に応じて門扉を操作出来る様、水位測定装置を完備した。捲卸所要時間は捲卸の場合には自重で降下する故捲揚時2~3倍くらい早くなり約10分で閉鎖することが出来る。
(5)その他の防潮樋防
別表(8-29)の31箇所については高潮防禦のために堤防方式にするか、防潮樋門方式にするかを各々の箇所について、地勢、立地条件、工費等を検討した結果後者が得策であるとの結論のもとに採択された。
(6)陸閘
堤防の嵩揚げを胸壁で高揚げ施工した区間は、堤外への通路が遮断せられ、自由に通行出来なくなった。このため堤外への通路としては
①胸壁を乗り越す階段工を設ける
②胸壁に陸閘を設ける
の外方法はない。
陸閘は
①日常の通行に支障とならない
②パラペット区間に比較して弱点とならない
③非常の際誰でもが、容易に、確実に、敏速に操作が出来る
④常時の維持修繕費があまりかからない
事が要求せられる。
この為に今回構築せられたものは殆んどが手動式の鋼製引扉である。
此等の壁閘を用途別に分類すると
①道路、鉄道を遮断して設けた施設
②堤外地の舟着場物揚場への通路に設けられた施設
③消防車の汲水坂路に設けられた施設
④堤外地の家屋の出入口に設けられた施設
なお伊勢湾台潮対策事業で施工した陸閘はおよび代表的陸閘構造図を示すとつぎのとおりである。
(7)防潮高欄
堤防嵩揚げに伴う橋梁の措置については橋梁も嵩揚げするが望ましいが、橋梁の取付道路の嵩揚げが困難なもの、橋梁が大きく嵩揚げに多額の経費を要するもので、橋梁自体が堅固な構造なものは、橋梁はそのままにして高欄を防潮壁に改造した。
この外在来橋は木造土橋であったが取付道路が家屋連坦の市街地で嵩揚げ困難のため、橋梁の嵩揚げは洪水に支障のない程度までとし、残余を防潮高欄によって処理したものがある。
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4.主な附帯工事
(1)概説
名古屋市内の山崎川、大江川、天白川の河口附近の名鉄常滑線の三橋梁は何れも、桁下余裕高が低く、径間も極端に短く、山崎川、大江川橋梁の如きは右岸側が何れも河川中に築堤で突出しており河巾よりも橋梁長が短く、今回の台風に際しても、此等の箇所は何れも破堤した。鉄道側に於ても、大江川橋梁、天白川橋梁附近が流失して大なる被害を受けた。尚山崎川には東海道線、名鉄豊橋線の鉄道橋もあり又市道についても忠治橋、呼続橋、山崎橋の重要橋梁がある。又水面が運河として利用されており、原木、石炭等の荷揚施設、搬入路が堤防上にあった。
これら橋梁、荷揚施設については、堤防復旧に伴う、河川工事の原因者負担の附帯工事として施行した。
名鉄常滑線については、三橋梁共堤防波返し天端まで、軌条底面を嵩揚げした。東海道線については桁下余裕高については支障なかったが、右岸側が築堤で突出していたから橋梁を継足して法線を整正した。
名鉄豊橋線は、橋梁附近に、駅もあり、市道の踏切もあり、橋梁嵩揚げは、市道にまで影響し、極めて困難な上、鉄道についても将来高架の計画もあるため、橋梁はそのままとして、波返しの線で、非常の際陸閘で締め切るよう実施した。
市道の橋梁のうち、忠治橋は、河川としては、嵩揚げと継足をし負担したが、市に於て幅員を拡幅して永久橋にする計画があった為その差額を市で負担して永久橋で実施した。呼続橋、山崎橋はP、S橋による防潮高欄橋梁で施行した。
荷揚施設については、原木、石炭等の搬入路として堤防内に幅及び高さ1.00~1.50m長6.00m内外の鉄筋コンクリート管渠を通して、堤外前面に鋼製引揚扉を設けて非常の際閉塞する方法を採った。長大物についてはクレーンによって堤防を乗り越して運ぶ方法を採った処もある。
これらのうち主な附帯工事は次の通りである。
(2)名古屋鉄道常滑線の山崎川、大江川及び天白川橋梁の嵩揚げ工事
イ、河川附帯工事としての橋梁嵩揚げ、
山崎川、大江川及び天白川と高潮対策事業として、波返しの築造、天端の嵩揚げ施工のため、此等三河川に架設せられている。名古屋鉄道常滑線の橋梁は何れも、従来の堤防天端高T.P.+3.00m前後であるため河川附帯工事として嵩揚げする必要が生じて来た。
此等橋梁を嵩揚げする計画高としては、波返し天端高さ(山崎川、大江川夫々T.P.+4.60m天白川T.P.+5.00m)とレール底面と一致させる事とした。
これによれば在来橋梁は、それぞれ概略次の量だけ嵩揚げする事になった。
山崎川橋梁 右岸 1,260m 左岸 1,510m
大江川橋梁 右岸 1,400 左岸 1,400
天白川橋梁 右岸 1,700
河川附帯工事として嵩揚げする程度は、現橋梁を嵩揚げし、これに伴って必要を生ずる両岸の線路の嵩揚げである。
この嵩揚げ方法として、
① 現在橋梁を営業しながら必要量嵩揚げする。
② 仮線を設置して、仮線運転に切換えて、その間に現在橋梁を嵩揚げする。
③ 別に新橋梁を建設して路線を変更して現在橋梁を撤去する。
これら三案について比較検討した結果何れも②の方法が工事費最低となった。この方法によって算出した費用は
山崎川橋梁 C=65,800千円
大江川〃 C=69,900〃
天白川〃 C=111,400〃
計 C=247,100千円となった。
これらの橋梁の嵩揚げ計画については、橋台を河川堤防の法線に合はせるよう継足し、上部の橋桁は其儘使用し、橋脚は嵩揚相当量継足し補強する内容である。処が在来橋梁は何れも架橋年度が相当古く老朽化しており、桁径数も多く、折角多額の費用をかけても管理、維持の上からも不利な処が多いため、名鉄では、将来の輸送力増強の面から、この際河川附帯工事の嵩揚げ費用に別途社費を加えて、改良計画のもとに新橋梁を架設する事になった。
ロ、山崎川橋梁
(イ)嵩揚げ負担額決定
現況
本橋梁は総長48.77mで鋼Ⅰ型桁2.290mが2径間、同5.180mが5径間、槽状桁9.750mが1径間計8径間からなり、7基の鉄筋コンクリートラーメン構造の橋脚と2基のコンクリート造の橋台からなっていた。中央部の径間9.750mの部分は船舶の通路となっていた。橋脚基礎はφ0.18m×7.20mの松丸太杭打で、建設以後河床面が低下し、基礎が現はれ出た箇所もあったのでこの防護のためその周囲にφ0.10m×3.00mの詰杭を打廻し、栗石を填充して根巻をして補強した橋脚もあった。又本橋梁建設以後上下流の堤防法線が引堤になり、左岸側は約18m線路築堤区間が河川内に突出していた。
附帯工事としての嵩揚げ
高潮対策事業に伴う附帯工事としては
① 左右岸の堤防波返し天端高T.P.+4.60mとレールベースを一致させる。
② 橋梁全長を左右岸堤防法線間隔と一致させる。
③ 左右岸の線路取付勾配は在来線の33/1000とする。
④ 橋脚は継足し所定の高さまで嵩上補強する。
基礎は拡幅し増杭を計る。
⑤ 継足し区間の径間は新設桁を計上するが、其の他は在来桁を其のまま使用する。
これらに基づいて積算し、負担額65,800千円を決定した。
この経過は
昭和35年9月19日 橋梁嵩揚げの設計書製作依頼
同 36年10月16日 名鉄より全体計画の承認並びに負担申請。
同 承認、 36年度17,000千円の負担承認。
昭和37年1月16日 橋梁改築の設計変更(合併)申請
同 1月19日 承認。
同 4月1日 37年度負担申請 C=37,000千円
(ロ)計画
a.下部構造
下部構造形式の選定に当り地質調査した結果は別図の通りである。この地質を基にして検討した案は
コンクリートパイル
N値=0の地層がT.P-9.40m~11.30mでN値=20以上の部分え根入を充分にとることを考えると杭長が12.00m以上必要になり而もN値=0の部分が6.0m~8.50mであるので横方向の作用に対して杭自体の強度に不安がある。躯体自体の根入を十分にとる事も考えられるが、接近して仮橋梁があるので仮締工施工に不安がある。
鋼管パイル
工法も簡単であるが、現在防錆に於て不安があり又鉄道橋として使用された例が少い。
ウエル
施工上問題が多く接近して仮橋梁を設けるため、仮橋梁のステージングえの不安が残る。
ニューマッチクケーソン
出来上りの形状は、ウエルと同じであるが、施工が安全確実で構造的にも信頼度が高い。
以上の比較によりニューマッチクケーソンで施工する事になった。
b.上部構造
橋桁の形式選定については、トラス、三主桁下路鋼鈑桁の二つについて比較して、下路鋼鈑桁に決めた。
線路中心間隔は3.60mで全長63.000m在来橋に比較して新橋梁の中心位置が約10m左岸側に移動した。
c.仮線
本線軌道の嵩揚げ並びに新橋梁架替工事施工に当り、仮線を設置し一時仮線を使用して列車を運転し、この間に本工事を施工する事になった。この場合仮線区間はR=250mの反向曲線になるため列車の通過速度は20km/Hに制限した。
(ハ)施工
a.施工順序
仮線敷設に先立って、本線を仮線の分岐点附近まで所定の最終縦断面まで嵩揚げしておく。
仮橋梁設置及び仮線築堤を行い、軌道敷設をまって仮線運転に切換える。
仮線運転切換後、本線軌道、旧橋梁を撤去して、引続いて新橋梁に着手する。
これらと並行して新線を所定の縦断勾配に敷設して新線に切換え、仮橋、仮線路を徹去する。
b.橋梁下部
仮設備として100HPコンプレッサー2基を右岸、堤防裏の敷地に据附け、送気パイプを配置し、気圧ゲージを途中2ヶ所取附けた。一方材料運搬、掘削発生土砂撤去設備として、ブーム長23m5t吊りの3脚デリック、クレーンを左右岸附近河川内に各々1基づつ組立て設置した。
ケーソン構造作業用築島は長15mの八幡III型シートパイルを打廻して締切りH.W.L.T.P.+1.22m以上の高さまで盛土で築島した。ケーソンの概略寸法は壁厚0.70m、6.50m×4.00mの矩形断面で作業室は高さ1.80mとした。ケーソン全長は右岸橋台及び2基の橋脚は16.00m左岸橋台は14.00mである。主鉄筋はSS49異型鉄筋を用いた。コンクリートは生コンクリートを使用し配合は次表のとおりである。
コンクリート打設はケーソンの長さ3.70mを1ブロックとし打設した。各ブロック毎に供試体を取り破壊試験を行った結果は次表のとおりである。ケーソン沈設作業の人員構成は
潜函夫 4~7人(普通5人)、
ロックテンダー 1~2人
ゲージマン 1人
デレック運転工 1人
土捨 1~2人
その他 1~2人
計 9~15人
沈設完了作業室埋コンクリート打までの所要日数は次表のとおりである。
尚本工事は銭高組が施工した。
c.橋梁上部
上部構造は3主桁複線式下路鋼鋲桁で部材の接合は総てリベット接合とした。1連の重量は122t261で上流側に幅員0.70mの橋側歩道を設け線路保守員の通行に供するようにした。橋桁の架設方法は手延式を採った。右岸側休止線路敷で主桁を完全なものに組立て、中主桁、側主桁の3本の主桁を並列に山形鋼でボールト締にて十分連絡固定し、先端に手延べ用として予め用意してある、仮トラスをボールトで連結固定し架設用仮設軌道上のトロに乗せて巻出し第1径間に架設した。その後これら仮トラス及び主桁連結材を取り外し所定の主桁間隔に横移動して定着させ横桁、縦桁等所要部材を搬入し、ドリフトピン及びボールトにて仮締し仮組立後本締絞鋲を行った。
主桁以外の各部材の搬入には軽索を設置し主として右岸側より搬入した。
第1連目の橋梁が所定の組立てを完了した後、同様な方法で右岸側で組立てられた第2連目の主桁を、すでに架設を完了した第1連目の桁の上を通し第2径間の所定の位置まで巻出し橋梁上で組立てを行った。このように第1連から第3連まで同一作業方法で架設した。
軽索設置から架設仮締完了まで1日当り10人~20人で約50日要した。絞鋲は5人組で1日800~1,000本の工程であった。
d.本線軌道敷設、切換え及び仮線撤去。
橋梁架設後本線路敷の盛土をトラックで搬入し、ブルドーザーで転圧を兼ねて敷均し盛立てた。所定の施工基面築堤後軌道を仮線レール同様に37kレールを3本圧接し長さ27.50mとして使用した。本線・新橋梁上はR=2,000mの縦断曲線中になるため橋梁上枕木にパッキングを加工取附け高低調節を行った。仮線切換後約1ヶ年を要して、38年1月30日上り線切換え同2月4日下り線の切換えを実施した。
仮線使用期間は約1ヶ年であったが当初心配していた構造上の変状も殆どなく充分役目を果した。新橋梁ケーソン沈設時に於けるブローの影響についても心配されたが、沈設に際して極端な減圧沈下をさけ極めて慎重に施工したためこれらの影響は全く現われずに施工し得た。
仮線撤去は設置の場合と同様索道を設備し、橋桁、ステージング共これを使って撤去した。基礎杭は現在河床面から相当頭部が出て舟航に邪魔になるのですべて抜取った。
ハ、大江川橋梁
(イ)嵩揚げ負担額の決定
在来線の概要
本橋梁は全長43.28mで径間は、鋼I型桁2@2.14m同2@5.18m上路鋼鈑桁2@11.28mの6径間からなり鉄筋コンクリートラーメン構造の橋脚5基とコンクリート構造の2基の橋台から成っていた。
伊勢湾台風により右岸側の橋台及び第1号橋脚が破壊され、橋梁附近の堤防が64mにわたって溢流破堤したため、堤内の線路築堤も流失した。其の後復旧工事により、かろうじて、下り線のみ開通出来たが、本橋梁附近は単線運転のやむなぎに至った。復旧した単線橋梁は右岸側から約15mの間は木造ステージング構造の上に軌条桁を架けて軌道を敷設した構造で、而もステージング基礎地盤が軟弱なため、ステージング基礎杭支持力を得るため周囲をシートパイルで締切り内部に砂利を約厚4.00mまで投入して築島の状態にして補強し更にこの天端を全面に亘り約15cmの張りコンクリートで保護した極めて不安な構造であり、運転速度も常時15.Okm/Hに速度制限していた状態であった。単線区間は橋梁中心からそれぞれ右岸え約170m左岸え約50m計220mの区間で、被災以来常滑線の列車運行上の狭路となっていた。
附帯工事としての嵩揚げ
高潮対策事業としては河口に防潮樋門の造る案もあって、堤防方式で嵩揚げ決定したのが、他の山崎川、天白川に比較して遅れ、従って本橋梁の嵩揚げ計画も他の橋梁よりも設計協議が後になった。
附帯工事として負担額を決めるについては山崎川の場合と同様で
① レール底面を波返し、天端まで嵩揚げする。
② 橋台を堤防法線まで引きさげる。
③ 橋脚は所定の高さまで継足し補強する。基礎は拡幅して増杭する。
④ 本橋梁はさきに述べた通り、台風により右岸側が流失したため、単線のみ復旧運転していた状態であった。
従って嵩揚げの負担の程度としては、台風以前の複線状態に復旧する費用は会社の単独の費用として、複線を嵩揚げする費用を負担するものとした。
これらに基づいて負担額69,900千円を決めた。
この経過は
昭和36年6月27日 大江川橋梁嵩揚げ工事計画書作成依頼。
同 37年7月31日 嵩揚げ全体計画書提出並びに負担申請
同 8月28日 37年度20,000千円負担承認。
同 12月7日 実施設計の変更申請(合併施行)
昭和38年2月7日 承認。
同 3月23日 37年度負担額20,000千円を47,640千円に変更申請。
同 3月25日 同承認。
(ロ)計画
現在橋梁の下流え路線変更して、新橋梁が直線区間に入るよう左右岸の線路の取附を決めた。この際新橋梁を三主桁下路式鋼鈑橋になるためと、一部橋梁内え緩和曲線が入るために、在来複線中心間隔が3.353mであったのが3.650mまで拡大する必要が生じた。
線路縦断は堤防パラペットの高さにレール底面を揚げる事により、左右岸の線路勾配を33/1000で取附け、橋梁を中心としてR=3,000mの縦曲線を挿入した。このため取付距離は右岸側200m左岸側240mとなった。又新橋梁は旧橋梁より右岸で13m左岸で7m程度離れた。下部構造は山崎川と同様の理由でニュウマチックケーソンとした。
上部構造は上流の二級国道、港東橋のスパンとほぼ一致させるため、山崎川と同様三径間下路式鋼鈑桁橋とした橋桁重量は3連で121tとなった。
(ハ)施工
a.下部構造工事
送気設備として100HPコンプレッサー2基を右岸堤内に設置し掘削土砂、コンクリート、その他工事材料搬入設備として7.5t三脚デリッククレーンを左右岸にそれぞれ1基設置した。
築島はIII型の長さ8.00mのシートパイルを幅9.20m長11.20m打廻し天端高をT.P.+2.00とした。中埋土砂は高さT.P.+1.00mまで盛土した。
ケーソンの概略寸法は4基とも同型で外周半径5.50mの円形断面とし、壁厚は0.60m、作業室は高さ1.80m、底面の直径5.10m天井の直径3.10mとした。
沈設に際しては在来営業線橋梁が極く接近した位置にあり、沈設作業による影響を考えて極端な減圧沈下をさけ慎重に施工したため、全然在来構造物に影響を及ぼす事なく施行する事が出来た。
沈設作業のみに要した人員は次表のとおりである。
ケーソン構築時の施工継手は下から3.0m、3.5m、3.5m、2.5m長の5ロットに分けて施工した。
b.土工及軌道工事
新線盛土は右岸橋台及護岸工の完了後着工した。右岸側新線盛土は在来線に支障することなく盛立てられ能率よく施工出来た。左岸側は新線と在来線との関係位置が右岸と異り、在来路線から新線に分れる位置が、左岸橋台から約120mの点で、それ以遠約110mは在来線のままの位置で線路を嵩揚げした形になる。この区間は両側については会社有の土地があったが東側は、線路嵩揚げに伴って1割5分の法勾配の盛土をすれば、法先が用地外に出てしまうので、この区間コンクリート擁望で立ち上る事になっている。この擁壁は最高3.54mもあり、この施工について営業線に接近して掘削するには強固な仮土留を設ける必要がある。又この仮土留も相当に工費がかさみ又軌道嵩揚げ2.20mを夜間作業で行なうことになり、相当工期も要するから次の方法によった。
これを(図8-35)で説明すれば
i ①の部分に盛土し現在上り線Aを仮線Bに切換える。
ii ②の部分に盛土し現在下り線aを仮線bに切換える。
iii 従って営業は約1線幅西側に移動したことになり、この期間中に仮土留を設けなく擁壁の施工が出来る状態となる。
擁壁の完了後。
iv ③の部分に盛土して仮線下りbを新線Cに切換える。
v ④の部分に盛土し仮線Bを新線上りCに切換える。
以上で大部分所定の新線縦断まで嵩揚げされたことになるが、所定の高さに達しない区間は夜間作業で嵩揚げをした。
c.旧橋徹去
新線運転えの切換が完了した後引続いて旧線の撤去にかかった。旧橋は河床面まで取除くため、河川の中央部は河床面が低下しているため、基礎コンクリートを殆んど取除くこととなった。このため八幡AIII型のシートパイルで締切り水替を行って取除いた。又台風によって流失した処を応急的に復旧したステージング根固工として周囲に打廻らしてある長さ約6mのシートパイル延長約33mの締切工及びこの内部の築島工等も一切撤去した。
ハ、天白川橋染
(イ)嵩揚げ負担額の決定
現況
本橋梁は全長195.07m、31径間で径間割は4.233m+8@4.780m+9@6.310m+13.004m+2@6.130m+9.044m+5@6.210m+13.614m+2@6.310m+3.355mからなり、橋桁は鋼Ⅰ型桁及び上路鋼鈑桁からなっていた。
下部構造は鉄筋コンクリートラーメン構造の橋脚30基と2基のコンクリート造の橋台からなり、基礎は末口18cm長6.400mの松丸太杭が、打ってあった。この天白川橋梁の外に右岸寄りに径間3.50mの上路鋼鈑桁の柴田開渠と左岸寄りに径間4.50mの上路鋼鈑桁の南柴田架道橋と径間5.67mの上路鋼鈑桁の犬山川橋梁が接近した位置にあった。線路縦断は右岸側は27.5/1,000勾配で上り橋梁区間246mレベルとなり左岸側からは同様27.5/1,000勾配で下りていた。
附帯工事としての嵩揚げ
山崎川、大江川橋梁と同様在来橋を継足し嵩揚げする程度までで、在来橋桁は其の儘流用し、橋脚は所定の高さまで継足し補強するものとして算出して負担額111,400千円を決めた。
昭和35年9月19日 橋梁嵩揚げ工事設計書依頼
同 36年10月16日 橋梁嵩揚げ工事全体計画書提出並びに負担申請
昭和36年10月16日 嵩揚げ工事全体計画承認、36年度15,000千円の負担承認。
同 37年1月16日 天白川橋梁改築の設計変更(合併)申請
同 1月19日 設計変更承認
同 4月1日 37年度 63,000千円負担申請
同 9月11日 37年度負担承認
同 38年3月23日 負担額63,000千円を61,000千円に変更申請
(ロ)計画
新橋梁は現在橋梁上流約14.5m~27.0mの位置に架設して、右岸側で約232m、左岸側で約100mでそれぞれ在来線に取りつけた。この結果在来線はR=200mの曲線が1ヶ所あったのがR=800m及びR=500mの曲線に変り、運転速度の制限も解除出来るようになった。
線路縦断は新橋梁のレールベースを波返し天端高T.P.+5.00mに嵩揚げするため右岸側21/1000勾配、左岸側27.5/1000勾配で取りつけた。
この取付匂配は、在来線の取付匂配と同一匂配である。
新橋梁は 3主桁下路式鋼鈑橋 6径間
下路複線トラス4径間について比較検討した結果、後者に決めた。
下部構造については地質調査の結査山崎川、大江川と同様ケーソン工法を採用した。
(ハ)施工
a.下部構造
河川内えの材料運搬用仮設備として4t吊りのキャリヤーを設備し、右岸側に30HPダブルウインチを設置して、索道操作を取扱った。送気設備としては左岸側に100HPコンブレサー2基及び75HPロータリーコンプレサー1台を設備した。
ケーソン構築用築島は橋脚用についてはIII型のl=8.00mのシートパイルによる締切施工(縦方向9.00m横方向13.00mの矩形)とし、天端高T.P.+2.00mまで打込み、築島内部の敷高を±0mに整地し、ケーソン構築作業を行った。
橋台用については、背面が堤防であるため、この部分にはl=10.00mのシートパイルを打ち土留を兼ねた。築島内はT.P.+1.00mに整地した。
橋脚用ケーソンは直径6.00m壁厚0.50mの円形断面をとり、橋台用は幅5.40m長13.00m壁厚0.60mの小判型断面とし根入は右岸からそれぞれ20.50m、22.60m、22.60m、21.30m、26.50mとした。沈設については土質柱状図に示す如く軟弱地盤が深く大変なやまされる結果となった。
橋脚ケーソンの沈設については、ケーソンの周辺の土圧が、ほぼ同一であり、又ケーソンの断面も円形を採った関係で比較的順調に沈設を完了することが出来た。左右橋台ケーソンの沈設に当っては、前面河川内と背面堤防上との間の位置にある関係から地盤高の差が、あり、極めて軟弱な地盤中えの沈下作業であるため、この土圧不均衝によって沈設途中に於てケーソン躯体が傾斜する事態が起った。
右岸側橋台のケーソンについては全長20.50mの内約18.00m近くまではほぼ順調に沈設が進んだが、この附近に於て、急激に偏位を起した。即ち所定中心線に対し作業室底面に於て約100mm堤防側え、ケーソン天端に於ては約1.100m河側え傾斜した。これに対して種々修正手段を試みたが所定の深度沈設まで修正する事が出来なかった。このためケーソン前面の土質を改良して万全を期することとした。土質改良法として前面3.30m間にはφ30l=8.0mのコンクリートバイルを1.50m間隔に2列打込み、天端に厚0.80のコンクリートを打設して、ケーソン前面の支保工とし、このコンクリート前方約14.00m間にはφ40l=8.00のサンドコンパクションパイルを1.5m間隔に総数123本打廻しサンドパイル天端には厚1.00mに捨石を施してケーソン前面附近一帯の地盤の強化を行った。
左岸橋台ケーソンは所定長26.50mの内約15.00mの沈設が進行したあたりから傾斜の傾向が現われ出したので、この修正手段として、減圧沈下を最少にする様荷重によってこれを補う方法によって出来るだけ、沈下の際の減圧を少くして、作業室内えの土砂の流入を防いだ結果、最終沈下位置に於ける傾斜は殆ど修正する事が出来た。
ケーソンの沈設作業に要した日数は次表のとおりである。
b.上部構造
上部構造は支間48.00mの複線下路鋼トラス各部材は熔接構造とし部材間は鋲結とした。1連当り127.3tで4連で509tである。
橋桁の架設方法は、架設位置で組立て設置を行うこととした。材料運搬用に索道を設置し、一方トラスの格点位置には、ステージングを設置し部材に仮受けて組立てを行った。ステージングはφ0.18m×8.00mの松丸太杭を1ヶ所に附6本打込み、これを基礎としてステージングを組立てて設置した。トラス1連に附ステージング10ヶ所となり、基礎杭は60本を要した。架設は右岸側径間より始め2経間分のステージング材料を用意して、第1連目が完成する頃第2連目が架設出来るようにした。架設開始38年3月から架設完了の7月30日まで5ヶ月を要した。
c.土工、軌道工事及び旧線撤去工事
本工事施工に当り、左右岸新線部分は用地買収を行ったが、これらの折衡に予想外の困難を伴い予定より大変に遅れた。又附帯工事として、市道附替も必要となった。其の他構造物として鉄筋コンクリート床版開渠l=3.50m、跨造橋鉄筋コンクリートラーメン橋l=6.00m、鉄筋コンクリート橋l=5.67mの3橋がある。
左岸側は線路盛土に当り、水田地帯であり又軟弱地盤上えの盛土であるためを考慮して盛土高2.00m以上の部分は最下層に厚60cmの切込砂利層を設けることとした。
上下線共新線切換後延長735mに亘る旧線路の撤去を行った。この内左岸側は用地買収の条件として夫々返還又は換地処分した。旧橋梁、犬山川橋梁、南柴田跨道橋は同一地盤まで橋台コンクリートを撤去した。
右岸側は市道として幅員5.4mの道路を、造成した。
旧橋梁は河床面まで撤去するため旧橋梁上に4t吊り索道を設置して橋脚を取壊して堤防上まで搬出して撤去した。
(3)国鉄東海道線山崎川橋梁の継足し工事
東海道線の山崎川橋梁は支間19.2m×2連で当該地点の河幅は55m程度で、右岸側は土堤によって16m程河心に突出していた。この橋梁の継足しについては以前から検討されてきた。
伊勢湾台風に際しては、橋梁架設地点のすぐ上流の右岸堤が47m亘って破堤した。高潮対策事業としては、この橋梁を継足して法線を整正する様当切計画で計画されたが、桁下高が高く支障ないとの理由で外された。其の後残事業調査に於て計画施工される事となった。
現橋梁は橋桁(上下線共)デックガーダーE40、19.2m×2連であり、下部構造は橋台、橋脚共、煉瓦及びコンクリート造である。
施工方法は在来桁はそのままとし、支間16m×1連を右岸側え拡張して上下流の法線に合せる。在来の右岸橋台を橋脚に改築し、右岸橋台を新築する。橋台、改築及び新設は絶縁式吊桁及工事桁を使用し、線路を仮受して施工した。
尚工事の費用負担については、「河川工事と日本国有鉄道工事が相互に関連して必要を生じた工事費用の分担について」を準用して総額32,000千円の折半負担で高潮対策事業として、16,000千円負担した。
(4)山崎川市道呼続橋改築工事
施行位置
名古屋市 南区 河岸町 呼続町 地内
施行内容
PS桁橋 桁高0.50m 桁長11.40m 3径間
橋脚工 コンクリートパイルφ50×12.00m 2基
橋梁幅員 5.70m
工事概要
本橋は橋梁幅員5.00m橋長34m3径間路面高T.P+3.55の木橋が架設されて居たが、木橋の路面高を波返高T.P+4.60m迄嵩揚げするか又路面高を堤防天端高T.P+3.70mにして高さ、0.90mの防潮高欄工を波返高T.P.+4.60m迄施行するか検討されたのであるが、後者については取附道路の嵩揚げ高T.P+0.15m~+0.20m程度で家屋、嵩揚げ補償の必要なく工費も低廉となり実施する事になった。
実施に当り、名古屋市と協議の結果市としては左岸道路は幅員14mであり右岸道路も将来拡幅され、一等橋で橋梁幅員12mの永久橋を架設する計画があり、とりあえず将来計画巾員まで拡巾して桁の架設が出来る様、橋台橋脚を設置する工費及び二等橋と一等橋との差額5,430千円の市費と合併施行で施行し、昭和38年9月30日しゅん工した。
猶予算内訳表は下記の通りである。
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5.他との合併施行
(1)日光川高潮対策事業の河口締切り及び水閘門工事の委託と名四国道の合併
イ、合併事由及び費用負担
名四国道は1級国道1号線のバイパスであって、伊勢湾臨海工業地帯の重要産業道路として35年着工になった。日光川を横断するについては高潮計画の河口締切堤を拡巾して兼用する事によって、高潮、道路両計画共各々経費の節減が計り得られ、併せて堤体は質量増大して波力に対しての安定度が強化されるため合併施工する事になった。
日光川河口締切工事総精算額
県施行中小河川費 275,318,000
県施行高潮費 129,526,112
建設省施工 1,644,555,973
計 2,049,400,085
各費目別負担額(表8-49参照)
道路費負担額 2,048,400,085×18.4%=377,089,616
河川費負担額 2,049,400,085×81.6%=1,672,310,469
委託費 1,672,310,469-(275,318,000+129,526,112)=1,267,466,357
ロ、国道工事の概要
(イ)締切堤天端舗装
締切堤の路床のC.B.Rは現場C.B.R15~16%であり水締めマカダム施工後K値は16~19であった。アスファルトコンクリートの配合は別表の通りである。
備考
① 滑り止めは片勾配部及び縦断勾配部のみ施工
② 中央分離帯巾0.50mは白色コンクリートを施工
鋲は直線区間10m、曲線区間5m毎に設置
③ 締切堤天端路面排水に内径0.30mの横断管7ヶ所を設置
④ 締切堤河側にガードレール設置
(ロ)日光川大橋
日光川橋梁は、水閘門と分離されており、水閘門の上流に半径780mの円弧状の曲線区間の橋梁である。
鋼管杭には、外部電源による防蝕を実施しておる。
右岸寄り堤内の梅之郷用水の溝橋で、高3.70m横3.70mの3径間ボックスラーメン橋である。
照明については、締切堤の区間は48m間隔左右千鳥型に橋梁区間は38m間隔に左右対象に、高さ8mの400W螢光水銀灯を配置した。
(2)名古屋市内河川提防天瑞舗装工事
イ 概 要
(イ)山崎川、大江川、天白川
これらの三川は名古屋市南部の重化学工業地帯を貫流して、下流は名古屋港域になっており、舟運に利用されており、沿川は、高度に土地利用された地域であるが、在来の堤防は天端幅4.00m程度の土砂道であり、名鉄常滑線によって通行は出来ない状態であった。これらの三河川は今回高潮対策事業として天端幅5.5mのコンクリート張りを施工する事になり、名鉄常滑線も嵩揚げ工事に伴って踏切を平面交叉で通りぬけが出来る様に計画された。従って此等三河川堤防天端の水叩き工法を道路舗装と同程度に補強する事によって堤防自体の強化を計り、併せて道路として利用出来るようにすれば、沿川の、より土地利用の高度化が出来沿川の受ける便益は大なるものがあるため、道路管理者である名古屋市と協議して別途道路費と合併施工する事になった。
(ロ)新川、庄内川
新川右岸堤の日之出橋上流は名古屋市内の還状線の道路として利用されているが、その後下流(1.Ok)に名四国道が開通した為に、連絡道路として、堤防天端の利用が浮び上って来た。
庄内川左岸堤については一号線一色大橋から下流明徳橋の区間は、道路と兼用になっていたが、新川と同様下流に名四国道が開通し、この連絡道路を兼ねると同時に、名古屋港に通ずる道路として必要になって来た。
従って此等の河川についても天端の水叩き工法を舗装工法にするため上記三河川と同様に道路費と合併施工する事にした。
(ハ)防護棚
堤防天端の河側にはパラペットが連続していて、防護棚を兼ねる事が出来るが、裏法側は、路肩から、1:1.5のコンクリート法張工であるため、道路費の受託を受け防護棚も同時に併せ施工した。
(ニ)天端張工
天端舗装強化工事は37年度、38年度の両年にわたり施行された。この合併施工の事業内容を示すと表8-53のとおりである。なお、合併施工区域については、図8-2、8-3のとおりである。
ロ、舗装施行について
高潮対策事業として施行する工法(水叩工法)と天端舗装強化のため名古屋市が一部負担する工法(道路工法)及び目地工の標準図は次の様である。
(イ)新川左岸
(ロ)庄内川左岸名四国道より下流
(ハ)庄内川左岸、名四国道より上流
(ニ)山崎川、大江川、天白川(名鉄橋梁より上流)
(ホ)天白川(名鉄橋梁より下流)
ハ、目地施行について
二、単傾について
(イ)舗装工
a.新川右岸
b.庄内川左岸名四国道より下流
c.山崎川、大江川、天白川(名鉄橋梁より上流)
d.天白川(名鉄橋梁より下流)
(ロ)目地工
ホ 駒止工(名古屋市負担金のみにて施行)
(イ)区域
区域については図8-2、8-3のとおりである。
(ロ)施工について
新川、庄内川の駒止工については厚0.20m幅0.60m、高0.40mのコンクリートを天端張面に接着剤にて固定し、2m間隔に設置した。猶庄内川、明徳橋より下流884.3mにわたって、波返し高が天端高と同じであるため河側にもガードレール(I型3種)を施工した。
山崎川、大江川、天白川は、大きさ、間隔については新川、庄内川と同じであるが天端張工と鉄筋にて固定した。標準断面図は次のとおりでである。
(ハ)単価について
(3)大高町込高樋門
合併理由
大高町地内の扇川の左岸堤にある込高排水樋門を河川の附帯工事として改築計画していた処、下流の上野町海岸地先が、名古屋南部臨海工業地帯として埋立てられ、従来の排水路では排水が出来なくなった為に、新に排水路を新設し、扇川の在来樋門に隣接してポンプ排水するよう計画された。従って此の二つの計画のうち、排水樋門について、合併施行する事になり、県が大高町より受託施行する事になった。
合併概要
エ期 37.6.10~38.3.31
高潮計画
函渠1門
2.00m×2.00m×17.50m
合併計画
函渠2門
4.32m×2.00m×17.50m
在来樋門は堤防を斜に下流に向って敷設してあり、天端区間は橋梁になっており、袖は石積で施行してあった。
今回の樋門は堤防に直角に2.00m×2.00mの函渠2門から成っており、上流函渠は自然排水に下流はポンプ排水用である。
吐口に自在招扉を取附け、呑口には予備として、ピンジヤッキ式巻揚げの水門を取りつけてある。
(4)半田市、江川橋
本橋は、半田市東洋町、亀洲町地内、市道亀洲2号線(阿久比川)にかかる橋梁で、現在は木橋(橋長70m、橋梁幅員3.5m)であるが、伊勢湾等高潮対策事業半田武豊海岸、阿久比川嵩揚計画のため本橋も約1.40mの嵩上の必要を生じ、伊勢湾等高潮対策事業としては、木橋のままの嵩揚を計画し、これに要する事業費は、14,492千円で工事計画をたてた。しかし、半田市より、当橋の立地条件より将来の交通量の増大が予測されることから、木橋のままの嵩揚げより、市費を加え永久橋にしてもらいたいとの申請があり、県としては種々検討の結果市費を加えて合併施行とし、防潮高欄形式の永久橋とするのが得策と考え計画した。工事内容としては、橋長69.41m、橋幅4.50m、防潮高欄は橋梁縦断勾配よる(両岸T.P.+5.5m、中心T.P.+6.55m)T.P.+5.5m以上の部分は通風と美観とより普通橋とし橋幅については、現況幅員より1.0m増幅した。橋台はコンクリートパイル(φ0.4m×17.Om)を4本、橋脚については継手金具にて継ぎたしたコンクリートパイル(φ0.50m×18.50m)を各々4本使用した。本体は、旧橋の桁(I型鋼)を流用し合成桁で床版は鉄筋コンクリート床版とし、7スパンで計画した。工事の着手は38年11月6日、竣功は39年3月31日である。なお、事業費の内訳および、江川橋改築工事一般図を示すとつぎのとおりである。
(5)西尾市、寺津橋
本橋は、西尾市寺津町古居新田、小栗町小栗新田地内、市道駅前線にかかる橋梁で、これに接続する海岸堤防を、伊勢湾等高潮対策事業計画として、約70cm嵩揚げすることに計画した。この為本橋もこれに附随し現在ある木橋のままで、嵩揚げを計画し、寺津橋々長154.8mのうち、左岸古居新田側は、9スパン、48.61m右岸平坂入江小栗新田側は、9スパン、48.5mを嵩揚げ計画区間とした。これに要する事業費は、6,845千円である。これに対し西尾市より、木橋のままの嵩上計画に対し、市費を加え永久橋に施行し、将来の交通量の増大に対処したいとの申請があり、県としても種々検討の結果、工事の内容的にも合併することは支障ないと認め、市費の委託をうけ、伊勢湾等高潮対策事業との合併施行を実施した。合併施行の工事内容としては、当切は、中央トラス橋部分は現況のままとし、全体を永久構造化する予定であったが、在来の中央1スパン、トラス橋のコンクリート橋脚の基礎が洗堀をうけていること、ならびにこの橋脚に吊桁の荷重をかけることは支持力の点で非常に危険であり、かつまた、補強工事に予想外の工費を要することが調査の結果判明したので、やむ得ず一部を木構造とし、将来これを永久橋構造化することとして次のように計画した。すなはち、嵩揚げ区間は鉄筋コンクリートゲルバー橋とし、左岸側65.54m、右岸側54.27m、橋台工2基、コンクリート橋脚工、6基、木造橋脚工2基、であり、中央部トラス橋についてはそのまま旧橋を利用している。工事の着手は、37年10月18日、竣功は38年7月31日である。なお事業費の内訳、および寺津橋改築工事一般図を示すとつぎのとおりである。
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6.竣功写真集
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第4節 運輸省関係
1.概説
昭和34年度より着工した伊勢湾高潮対策事業は昭和34年度には緊急を要する個所の復旧につとめ、昭和35年、全体事業の確定により本格的に建設工事を始めた。
なお、年度別の実施状況は別表の通りである。
2.各港別概要
(1)名古屋港
本地域に於いての防潮壁計画高は当初+7.50mで計画されたが、その後名古屋港高潮防波堤の建設計画が策定され、防波堤内の防潮壁の高さは+6.00mで施行される事となった。
施行区域は庄内川左岸より天白川右岸までの延長17,000m区間、横須賀地区800mの前面防潮壁であり、その他の工事として、堀川水門1基、防止柵950m防波堤800mである。前記工事の内堀川水門関係は当初査定では、堀川両岸約20kmにわたって防潮壁の施行を計画したが、両沿岸は木材、建設、造船所等が密集している地区であり、用地関係等により、事業の施行は非常に困難であるので当初の計画を変更、堀川口港新橋下流に排水ポンプを有する防潮水門の設置に計画を変更、昭和37年度より工事に着手、昭和39年の中に完了をみた。
なお、堀川水門の設計概要は下記の通りである。
イ 通行水門
常時の船舶、いかだの通行に供するため水深-4.5m、幅15mの水門4門を設置、型式はマイターゲートとする。
ロ 排水水門
水門の開閉を容易にすると同時に流速の穏和のために、水深-4.5m、幅員4.5mに1門設置、型式はスルースゲート。
ハ 排水ポンプ
高潮時の内水排除のため
ポンプはディーゼル860P.S 3台
設計吐出量:830m^3/min
又この建設費は約12億2千万円を要し、使用した資材は下記の通りである。
セメント 6,000t
砂 43,000m^3
砂利 19,000m^3
鋼材 4,000t
(2)衣浦港
衣浦湾内の高潮対策事業は湾内海岸線延長約70kmのうち、運輸省関係の事業延長は約17kmであり、その他の工事として、防波堤約760m、防潮樋門11箇所であるが、特に工事施行の問題は、知多側の武豊、半田、亀崎、三河側の高浜、碧南等、いずれも繁華な街並が沿岸部まで続いているため陸上部に施行した防潮壁には種々の障害を生じ、陸閘の設置は113個所の多きに達した。又本港は後にものべるように、建設省、農林省、運輸省と三省の管轄に属し、又事業施行の進捗度も省別に異なったこと及び、事業なかばに中央埠頭の建設、大防波堤の建設が立案されたこと等により所管別にその天端高が異なったものとなった。
以下各地区について述べると、
イ 武豊A地区(布土川―大防波堤基部)
本地域は延長約2kmであり、昭和34年度には被災をうけた旧堤(13号台風によって築造)の前面根固及び法張の補修を行い35年度より防潮堤(三面コンクリート張、天端高+6.00m~+6.30m)の施行に着手したが、前面の埋立計画を考慮し一部は在来堤(天端高+5.27m)の天端、表法張の補修にとどめた。
ロ 武豊B地区(大防波堤基部―堀川)
旧武豊港迄の防潮堤については、前面埋立計画及び大防波堤による波浪の削減を考え、旧在来堤の補修にとどめた。又旧武豊港内は前面の在来防波堤の嵩上(+5.00m)延長184mを施行、陸上部には防潮壁(+5.00m)を達設した。又終点部の堀川には防潮樋門(主水門、5.00m×8.00m×1個、補助水門、4.00m×2.50×2個所)を工費約75百万円で36年度より38年度にわたって築造した。
ハ 半田A地区(十ケ川右岸―船方橋前―十ケ川左岸)
本地区は防潮樋門を康衛新田、北新田の前面防潮堤の法線に沿って建設の予定であったが、前面に建設する場合地質が非常に軟弱であること、河幅の大なる事、通船を必要とするため断面が非常に大きくなる事、又天端高も+7.55m(建設省所管の堤防高)にとる必要がある等のことを勘案して、防潮樋門の施行位置を後方に変更し、十ヶ川左右岸に防潮壁を施行することとしたが、本地区左右岸は旧半田港の物揚場として古くから荷役に利用されてきた個所であるが、この個所に防潮壁を建設する事は荷役力を著しくそぐ事となるので、これに替る施設として中央埠頭基部に-2.5m物揚場100m、取付護岸550m、取付道路200mの建設が認められ、中央埠頭工事と同時に着工した。なお、半田水門は建設費7千5百万円をもって36年度より38年度にわたって着手、完了した。
ニ 半田B地区(東奥田新田北端―衣浦干拓南端)
東奥田新田端より旧亀崎港までは天端高+6.30mの三面コンクリート張の防潮堤を施行、旧亀崎港内では前面の在来防波堤(+3.90m)に嵩上(+5.00m)を施行、港内防潮壁の天端高+5.00mとし、港外衣浦干拓堤までの防潮堤は背後に二級国道、名古屋―半田―豊橋線が併行しているが、今回の被災により在来の石積堤は殆んど崩壊したため、背後の二級国道と合併、全体事業費約3億(内高潮費2億5千万円)をもって総延長1,400mを35年、36年度に施行した。又本工事個所は軟弱な地質であり、-2.Om附近までは標準貫入試験によるN値は0であり、-7.Om附近においてN=18の硬質粘土があり、比較的安定した地層をなしているので上層部-1.0mまで砂で置換え、躯体はコンクリートパイル(φ20.3ml=8.0m)の上に扶壁式護岸とした。
ホ 高浜A地区(高浜町境―建設省東海海岸南端)
動式防潮壁とし35~38年度迄に施行、天端高+5.80m後方水叩+4.00m。
へ 高浜B地区(東海海岸北端、高浜川左岸―衣浦大橋基部)
高浜川左岸の横浜橋までは在来の石積に張コンを施し基礎にコンクリートパイル(l=5.00m)を施行、上部を扶壁とした。(天端高+5.80m)又横浜橋上流約150m区間は+5.30mの張コンとした。高浜川左岸は右岸と同様とし、陸上部においては扶壁を施行したが、本地区は旧高浜港の臨港道路を横ぎるため幅員17.70m高さ2.0mの防潮扉を設けた。
ト 高浜C地区(衣浦大橋基部)
在来石積に0.5mの張コンを施行、その上部に天端高+5.30mの鉄筋コンクリート擁壁を施行。
チ 碧南A地区(蜆川右岸基点―大浜漁港)
本地区は当初+6.25mの堤防嵩上を計画したが、その後、大防波堤の影響及び背後地を勘案、在来堤の一部補修にとどめた。
リ 碧南B地区(大浜漁港―新川左岸基点)
本地区は非常に地質が悪く、動式護岸の基礎部にコンクリートパイルを施行したのであるが、東海海岸より約400m区間は非常に悪く、13号台風の復旧にも非常ににがい経験をした事を考え、サンドパイルを打込み、動式護岸とした。又本堤の新川水門(主水門、5.25m×7.60m×1ヶ所副4.15m×6.00×4ヶ所)は36年度より着手、38年度をもって完了、工費約1億円。
ヌ 碧南C地区(新川右―碧南町境)
旧新川港の背後は前面及び側面の防波堤の影響を考え天端高+530mの防潮壁を施行、港外の防潮堤は+5.80mで施行。
ル 中央埠頭
本工事は康衛新田地先より大浜漁港防波堤先端部の区域に総額約24億円をもって、中央突堤を建設し埠頭背後の波浪などを減ずる防潮効果を期すると同時に接岸施設として、-3.5m物揚場280m-5.5m岸壁360mを建設するもので、昭和37年度に高潮費約1億2千万円をもって、取付護岸550m、防波護岸約1,200mの工事に着手、昭和38年度には高潮費約5億5千万円、改修費2億3千万円、39年度には改修費3億円をもって、中央埠頭西の素形はほぼ出来あがった。
(施行概要)
本工事の施行区域の地質状態は知多側約600m程度は比較的に良好であるので、550m区間は重力式取付護岸で施行、その先約1,800m区間の繋船施設、防波施設区間は、水深-15m~-20mまでシルト質粘土の軟弱質であるため、下記断面のように、深さ約8m、幅80mにわたって置換砂を施行、その上部に円弧すべりを防止するために幅広い捨石を施行した。
なお、取付護岸、防波護岸の使用資材は下記の通りである。
石材 210,000m^3
置換砂 540,000m^3
コンクリート 7,000m^3
(3)常滑港
(概要)
防潮堤 約4km、防波堤 約800m、防潮樋門 8ヶ所。
(工事概要)
本工事区間のうち、鯉江新開南側防潮堤約600m区間の高潮時の波浪を防ぐには、天端高+7.00mの防潮堤の建設を必要とし、工法的に非常に大きな断面を必要とするとともに、工事費もかさむので、別添図面の如く、前面の堤高+6.30mとし、背後に幅員8.0mの水叩(+3.90m)を設け、さらにその後方に2重堤として天端高+5.00mの壁を設け、多少の越波を許す計画とし、工費約4千万円をもって34、35年度に建設した。
又本港の内、南防波堤基部より噂水川右岸迄の区間約350mは当初査定では在来法線に沿って建設予定であったが、地元常滑市が前面の埋立計画をもっていたため、これと合併、高潮費約1億5千万円、市費4千万円をもって建設した。
なお、堤防高は防波堤+6.30m、防波堤内+5.50m、北側防潮堤+6.30m、噂水川以南+7.50mより漸次+5.0mとした。
(4)師崎港
(概要)
防潮壁 1,500m 防波堤 4(嵩上)460m、樋門 1個所。
(5)吉田港
(概要)
防潮護岸 400m、天端高 +5.45m。
(6)蒲郡港
(概要)
防潮堤 1,100m、防潮壁 1,300m、防波堤 1,000m、樋門 3基。
本港は、東、西両側に防波堤(天端高+6.50m)約900mを建設、港内防潮壁の天端高を下げるよう計画、防波堤に遮蔽される防潮壁は天端高+5.00m、防波堤外+5.97mで施行した。又、東、西防波堤は別添図面の如く、当時我国でも殆んど施行例をみなかったプレパクト工法を採用、工費約3億6千万円で、35~37年度をもって完了した。
(7)豊橋港
(概要)
柳生川右岸 防潮壁 600m、防潮堤 2,000m、+5,00m。
柳生川左岸 防潮壁 500m、防潮堤 2,000m、+5,00m。
大崎地区 防潮堤 1,000m、防潮樋門 1基、+4.80m。
船渡地区 防潮堤 800m、防潮壁 100m、+6.30m。
柳生川左右岸の防潮壁は在来の石積堤に張コン基礎工を施行し上部場所打にて鉄筋コンクリート壁を施行。
防潮堤は左岸基礎部(函塊工)に三面張のコンクリートを施行。船渡地区の防潮堤は三面張コンクリート堤とし、防潮壁は前面水叩工を施行。又大崎地区防潮堤は在来堤高とし、天端裏法張を施行。
(8)福江港
弁財地区 防潮壁 480m、防潮堤 410m、+4.66m。
折立地区 防潮壁 140m、防潮堤 330m、+4.66m。
高木地区 防潮堤 860m、 +4.66m。
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第5節 農林省関係
1.実施の概要
今回の災害においては波浪の影響が特に著しかったのが一つの特徴である。伊勢湾沿岸一帯は、昭和28年の13号台風の苦しい教訓によって海岸堤防や護岸など、かなり高い天端を有してはいたが、高潮に乗った激しい風波により越波、飛沫などで堤土が流出したことが、災害の第一の原因としてあげられる。天端と裏のりがコンクリートで被覆されていれば、被害もある程度防げたものと思われる。
しかし被災した以上、すみやかに復興に立ち上がり二度とこの惨事を繰返さないよう、災害原因をし細部に究明し、万全の対策をたてることが目下の急務である。
幸いに「伊勢湾等高潮対策事業に関する特別措置法」が定められ、それに基いて具体的な工事を推進することとなり、特に次の方針に基き細部の設計を考慮した。
即ち、方針としては
(1)膨大な工事量であるので、経費の節約と工程を考慮に入れて旧断面を最大限利用する。
(2)大工事量を短期間に施行させるため、入荷可能な資材としてコンクリートを全面的に使用する。
(3)海水の作用を考慮して、高炉セメントを主として使用し、鉄筋はできるだけ使用しない。
(4)今回の災害の結果にかんがみ、細部の設計を充分考慮した。
又考慮した設計内容としては
イ.築堤式海岸堤防は、表のり、天端および裏のりはすべてコンクリートで巻立てる。
ロ.堤防基礎前面に、捨石又はブロックを施し、前面洗堀を防止する。
ハ.裏根止は、越波、飛沫により容易に洗堀を受けないよう充分の深さをとる。
ニ.連続する防潮堤には原則として40m~50m間隔に、又構造物の変る部分には必ず隔壁を設ける。
ホ.天端舗装は中詰土砂の沈下により空洞を生ずることのないよう充分に締固めを行い、原則として翌年度施行とする。
ヘ.防波堤の躯体は全部コンクリートで施工し、従前の捨石を一掃した。又基礎捨石は波の衝撃を受けないよう天端を出来るだけ低く、かつ捨石重量の増大を計る。
ト.防潮扉の両側は扉の受ける外力に対し、抵抗できるようコンクリート断面を増す。
チ.防潮樋門については、主として施行場所の地盤が軟弱のところが多く、構造物の重量の差によって、不等沈下を起さないよう充分考慮する。
2.地区別実施
(1)三谷漁港
高潮対策事業計画高決定にあたっては「伊勢湾等高潮対策協議会」が設けられ、ここで計画高の一応の基準の決定をみたのであるが、これによると
「台風期平均満潮位」+「偏差」+「波高」=「計画高」
となっており、この基準により算定するとD.L.(+)7.24m(T.P.+5.97)となる。しかしながら実際には、水産庁および大蔵省との現地調査の結果、防波堤については(+)6.50m防潮堤(+)5.87m 防潮壁(+)5.0mと夫々決定されたのである。この理由としては、まず防潮堤については台風期平均満潮位(+)2.09m、偏差2.65m、波高1.25mで(+)5.99となる(波高については施行位置前面の比較的遠浅であるので5割を見込む)が、本港の至近地にある塩津海岸で昭和28年13号台風の災害復旧事業で施行した防潮堤が堤高(+)5.87mであり、しかも今回の台風による被害が比較的軽少であり、なお海岸堤防の高さを統一する見地から、本地区附近一帯はこれを参考事実として勘案され(+)5.87mとなったものである。防波堤については、前述の7割を見込み(+)6.50mとし、防潮壁については防波堤計画高および利用面を考慮して(+)5.00mとなったものである。
次に実施概要については計画においては東防波堤351.5m西防波堤408.2m南防波堤125m旧捨石堤205.4mを既設高(+)4.10から(+)6.50mまで嵩上げし、港内堤延長138.3mを原形高(+)4.10mでコンクリートで施工し、防潮堤については延長1,539.5m、防潮壁1,089.5m、樋門4基を施行することとしていたが、実施にあたって別に示す平面図のような一部計画の変更を必要とするにいたった。これは、本漁港が従前より漁港施設用地が狭少で発展を阻害している一因ともなっているので、この際土地造成を考慮して施設用地を確保するため、原計画の法線を変更して、東前地区、水神地区府相地区のそれぞれの前面を埋立するもので事業費の増加分は単独費を充当することにした。これにより東前地区では754.40m、水神地区では680m、府相地区では547.4mの防潮堤を施行し内部埋立は別途に蒲郡市が事業費約285,600千円で土地を造成した。造成された土地は全体で約260,000m^2(79,000坪)、で東前地区155,000m^2(47,000坪)、水神地区72,000m^2(22,000坪)、府相地区33,000m^2(10,000坪)となり、漁業用地、住宅用地、公園用地、工場用地、水産学校用地等、総合的な利用計画を講じている。
(2)豊浜漁港
決定された事業の概要については別に示す平面図のように既設防潮堤715mをD.L.(+)4.93mから(+)5.93m、防波堤1,023mを既設高(+)3.90mから(+)5.50mに嵩上げを行い、港内防潮壁については延長1,743mを(+)4.60mで区域内をすべて取りかこみ、漁港施設の利用度を勘案し防潮扉を19個所施行した。
又、河川、水路の部分については、樋門を3基施行した、
豊浜地区の東西防波堤については当初基礎被覆工を捨石300~500kg法勾配1:2.5で被覆する計画であったが、本個所は海象条件が悪く、三角波の影響を受けることを鑑み2tのテトラポットで被覆するよう変更した、
(3)大井漁港
当漁港は湾内にあって、台風時には湾に沿って一帯に被災した。対策事業として前面をコンクリート防潮壁で固め、既設の防波堤の嵩上げ及び延長丁事を進めて、港内の安全を計ることにした。
防波堤延長169.0mでそのうち第1防波堤は嵩上げ部、新設部合わせて138.8mであるが基部約30mを除いては別添柱状図に示す通り、海底基礎地盤が軟弱であるため、防波堤が圧密による沈下及び円弧滑り等により沈下してもなお計画高(+)5.50mを保持することができる様に、防波堤の港内外両側に捨石を置くことにした。これはこれまでに2回土質試験を行なっており、その資料に基づいて計算し、カウンターウエイト及び堤体コンクリート量を求めた、その求める方法の概要は次のとおりである。
イ.防波堤の位置における土質の物理的試験が行われ、土性がわかっているので、ある荷重に対してその場所において圧密沈下量が推定できる。
ロ.イにより実際に施工すべき防波堤の天端高は、最終的に計画天端高を保持する堤断面(天端高(+)5.50)による圧密沈下量を見込まなければならない。これによって、防波堤断面のうちコンクリート部が決められる。
ハ.次にロまでの方法によって定まった堤体は地盤が軟弱であるのでその地盤内ですべりが生じる。そのため防波堤の内外両側へのすべりを防ぐべく捨て石によるカウンターウエイトを施工する。捨て石量は防波堤が円弧すべりを起すのに対抗できうる量を求めればよい。これは円弧すべり計算により求めることができる。
この捨て石カウンターウエイトによる方法では多量の捨て石が必要となり、港内側では泊地もこの捨て石により狭くなって漁港としての防波堤築造効果は少なくなる。このためさらに他の方法を検討したが、結局、現場では既に一部ブロックは施工済みであるので、他の方法はより困難である。よってこの施行に当っては充分地盤の圧密を行いつつ、上部工を行う必要から一部39年度に繰越を行った。なお防潮堤、防潮壁、防潮樋門は昭和35年度から昭和38年度までに防潮壁1075m、防潮堤398m、防潮樋門工3個所を完成した。
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第9章 一般災害復旧事業
第1節 概要
昭和34年発生災害は2月、7月、8月の豪雨及8月の台風7号及9月の伊勢湾台風による災害である。しかし9月の伊勢湾台風による被害が甚大で昭和34年発生災害の99%をしめている。被災総額は前述(表3-8)の通りである。又国の災害調査も9月29日より昭和35年2月15日迄に延15回に亘り調査が行われ特に伊勢湾に面した海岸及び主要河川の河口部は復旧達設の緊急性と重要性にかんがみ国においては高潮対策事業として採択する事となった。この為、再査定として35年2月22日より3月7日迄調査が行われた。
尚被害が未曽有のもので激甚であった為に、昭和34年12月3日法第171号「公共土木施設等の災害復旧等に関する特別措置法」が出され特例地区を指定し国より高率の補助を受けることが決定した。本県では全市町村の6割強の市町村が特例地区として指定され補助率は最高飛島村の0.992で最低は津島市等の0.800の高率補助が適用される事になった。
第2節 一般災害復旧事業
一般災害復旧事業は、河川899箇所28億7,900万円、海岸57箇所3億5,200万円、砂防274箇所2億2,600万円、道路1,161箇所13億2,600万円、橋梁178箇所4億2,400万円、港湾86箇所2億6,600万円及び漁港109箇所3億7,700万円、合計58億4,800万円をそれぞれ所管省によって決定せられた。以下各工種毎の代表的なものを記述する。
尚査定当時より年々労務賃金及材料費の昂騰により実施額が大巾に変更になって来たので昭和37年6月再査定を受け工事費の適正をはかった。
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1.河川、海岸
建設省所管の災害復旧事業のうち河川、海岸は全体の62%をしめている。河川災害復旧では1箇所当り3,000万円以上が9箇所ありいづれも感潮河川部の背割堤の全面被災である。
その主なものは、庄内川、境川、天白川等の背割堤で、この復旧計画は高潮対策事業計画との関連上、全断面コンクリート巻立堤を採用した。特に庄内川の背割堤は延長2,951m、査定工事費3億249万円で、根固めは長さ4m径20cmのコンクリートパイル詰施工とし、全断面にわたり厚さ25cmのコンクリート巻堤としている。(図9-1 写真9-1.2.)又境川は高1.2mのコンクリート法留工に厚15cmのコンクリート法枠工で法覆をなし厚20cmのコンクリート天端工とした。延長は1,570m査定工事費8,110万円である。(図9-2 写真9-3)
背割堤のほかに大きなものは、戸田川の災害復旧事業であり、準用河川延長7kmのうち、被災延長は5km強におよんだ。これは国道1号線より下流部は1箇所として採択され、延長4,400m、査定工事費1億5,303万円でその上流部は、災害箇所が点在するため関連費を加えて、災害関連事業として採択されている。工法としては表側はコンクリート矢板打上部コンクリート張護岸工で裏側は根止工としてコンクリート板柵が採択施行した。(図9-34. 写真9-4)
矢作川水系も60年来の大出水となり、この水系について主なる工法は、将来直轄で改修の予定があるため、鉄線蛇篭工法で、又豊川はコンクリート法枠護岸で採択施行した。
昭和28年の13号台風で被災し、竣功していた所で、今回の台風で再度災害の多かった海岸線をはじめ重要な区域については、高潮対策事業区域として採択された。
渥美半島大平洋側の海岸のように従来天然の砂丘が海岸構造物の役割を果たしていたものが、その機能を失ったため、それに代るべき施設としてコンクリート壁護岸工、上部含銅鉄線蛇篭法覆工等で採択されたのが、今回の海岸災害復旧事業の特徴である。
2.道路、橋梁
道路災害復旧事業としては海部郡南部の一般県道及び町村道の被害が甚大であった。その主なるものは一般県道新政成、弥富線、町村道筏川第3号線等である。これ等の道路は日光川、海部海岸の復旧工事用資材搬入路である為自衛隊の応援を受け応急仮工事を施行し資材搬入の便を良くした。
又海部海岸の高潮対策工事は建設省直轄工事となったので県道の1部及び筏川3号線は地建委託工事として早期復旧を計ると共に以後の復旧工事の円滑を期した。
又県道境、政成新田、蟹江線は被災も甚大で且つ幅員も狭小である為に関連事業として採択施行した。
工法としては海部南部地区は低湿地帯であるので法留としてコンクリート擁壁工を施行し盛土をなし幅員5m砕石を撒布する工法を採択施行した。県道新政成、弥富線の最も大きなものは査定工事費4,203万円延長1,915m仮工事延長1,879mであり、筏川3号線で最も大きなものは査定工事費2,298万円延長1,662mにおよんでいる。(図9-5)
橋梁災害復旧としては矢作川水系及海部南部地区に多く、矢作川水系の増水により流失した大なるものは、名古屋・天白・岡崎線の日名橋、豊田・新城線の久澄橋、瀬戸・設楽線の加茂橋、名古屋・猿投線の篭川橋。又海部南部の高潮により流失した大なるものは、境・政成新田・蟹江線の河合小橋、間崎・蟹江線の子宝橋、境・政成新田・蟹江線の築止橋等が査定工事費1,000万円以上の橋梁である。これ等の橋梁は永久構造の工法にて施行せられている。
又久澄橋、河合小橋、築止橋、加茂橋は関連事業として採択された。尚日名橋は木造トラス橋で査定採択せられたが主要橋梁である為に橋梁整備費と合併して鋼鈑桁橋として施行した。
3.砂防
砂防災害復旧工事としては河川災害と同じく矢作川水系に多く被災を受けその大なるものは、介木川支川日面川、及び駒山川であった。日面川は延長377.5m床固堰堤2基等で、査定工事費705万円で、駒山川は延長668.4m、堰堤工1基、落差工3基、査定工事費3,239万円で採択施行した。
4.港湾、漁港
運輸及農林省所管の県内に於ける港数は、名古屋港を除き、運輸所管17港、農林所管41港でそのほとんどが被災を受けた。その内で大なるものは、港湾では倉舞港防波堤延長297m査定工事費2,578万円でコンクリート方塊及び場所打コンクリートで採択施行した。(図9-6 写真9-5、6)
漁港では佐久島漁港、防波堤延長143m査定工事費3,626万円、コンクリート方塊による工法で、又豊浜漁港、舟揚場延長302m査定工事費2,172万円、工法はコンクリート法張厚30cmで採択施行した。(図9-7 写真9-7、8)
各年度別施行状況は表9-2、9-3の通り。
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第3節 災害関連事業
伊勢湾等高潮対策事業として施行している区域外で、単なる原形復旧だけでは再度災害を受けるおそれのある箇所については、これを災害関連事業として施行している。(表9-4)
災害関連事業として工種毎の概要は次の通りである。
1.河川、海岸
全体で45ヶ所、実施全体事業費は河川、43箇所、16億4,222万円(内災害費8億8,773万円)でこのうちには伊勢湾高潮対策事業に接続するものが、矢崎川上・下流、猿渡川、阿久比川、東小川、善太川、境川、矢作古川の8河川であり高潮対策事業の実施とともに一連の効果が期待出来るものである。
主なるものは、福田川下流延長左岸3,566m、右岸3,571m、事業費(以下実施額)2億316万円(内災害費1億5,022万円)で左右岸共コンクリート板柵工、コンクリート法張工及びコンクリート・ブロック積裏根止工を施行した。(図9-8)
東小川は延長左岸686m、右岸699m、事業費2億257万円(内災害費1億1,059万円)で、表護岸としてコンクリート根固工、コンクリート法張工をT.P.+2.0m迄厚20cm施行し堤防高T.P.+4.50m幅員4.0mの盛土をなし裏根止工としてコンクリート板柵工を施行した。(図9-9)善太川は延長左岸1,029m左岸841m事業費1億3,771万円(内災害費4,610万円)で工法は大体東小川と同様工法で施行した。猿渡川は延長左右岸共1,182m、事業費1億4,530万円(内災害費7,790万円)で工法は、名鉄三河線鉄橋を境に工法が異なり、下流側については表護岸としてコンクリート根固工を行い法張として厚20cmの法枠工をT.P.+3.50~4.00m迄行ないそれより上T.P.+4.00~4.50m迄コンクリート波返し工をなし天端は幅員3.20~3.50mで厚10cmのアスファルト舗装とし裏法は表法と同じくコンクリート根止工及びコンクリート法枠工で施工した。(図9-10 写真9-9)鉄橋より上流は表護岸及び天端舗装工、裏法止工をなし法覆は筋芝工となっている。
境川は延長2,497mで導流堤の三面コンクリート巻立で施行せられ、その事業費は1億3,873万円(内災害費7,427万円)である。工法は一般災害の境川746号と同様である。
海岸については内海海岸・大塚海岸・堀切海岸の3箇所で総事業費は1億5,983万円(内災害費 1億788万円)で大塚・内海両海岸はコンクリート三面巻で堀切海岸は含銅鉄線蛇篭法覆工で施工した。
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2.砂防
砂防災害関連工事は境川始め4箇所、総事業費2,122万円(内災害費1,132万円)で工法は主として流路工を施行している。境川の断面は(図9-14 写真9-12、13)の様に左右岸練石積工で延長275.3m施行した。
3.道路、橋梁
道路災害関連事業としては県道、常滑・師崎線、境・政成新田・蟹江線、尾西・津島線、島崎・猿投線の4箇所及市町村道、豊橋市の大崎町西里中嶋間の1箇所計5箇所が施行せられその総事業費は1億5,548万円(内災害費1億1,143万円)でありその内主なる箇所は知多郡南知多町大字豊浜・師崎地内の県道常滑・師崎線でその事業費は3,047万円(内災害費1,699万円)延長1,310m幅員5.5~8.0mで海岸線に沿っている為コンクリート法張工及波返工で路面はアスファルト舗装を実施した。
又県道境・政成新田・蟹江線は海部郡十四山村大字亀ケ地・竹田地内で高潮により道路が流失決潰し澪の深さ最深部T.P.-2.00m延長103mとなったので澪止を行ない在来幅員約4.0mを5.5mで施行した。その事業費2,931万円(内災害費2,454万円)延長525mで法留としてコンクリート擁壁工を施工し、盛土復旧をした。
橋梁災害関連事業としては前述(第2節2)の通り河合小橋、築止橋、久澄橋、加茂橋の4ヶ所で総事業費2億7,001万円(内災害費1億7,683万円)で総延長520.5mである。
その主なるものは豊田市挙母・森町間の矢作川に架る久澄橋で事業費1億1,663万円(内災害費6,366万円)延長289m幅員6.0m鋼トラス48.75m2連、鋼合成桁105.5m、木橋86.0mで36年度に竣功した。(図9-15 写真9-14、15)
又海部郡弥富町操出と飛島村政成との間の筏川に架る築止橋は事業費4,220万円(内災害費3,464万円)延長54m幅員6.0mの鋼トラス1連で架橋せられ37年度に竣功した。(図9-16 写真9-16、17)
4.港湾
港湾災害関連事業としては8ヶ所(内県工事6ヶ所市町村工事2ヶ所)で総事業費4,809万円(内災害費3,718万円)でその箇所は衣浦港、蒲郡港、福江港、内海港である。
主なるものは衣浦港、半田地区災害関連工事で事業費2,260万円(内災害費1,902万円)延長142mで前面T.P.+1.55m迄コンクリート擁壁工を堤防高T.P.+2.75m迄波返工を行ない三面コンクリート巻堤とし前面に物揚場及舟溜を施行した。(図9-17 写真9-18、19)
第4節 単独県費災害復旧事業
一般公共土木施設災害復旧国庫負担法の適用を受けない箇所で1箇所工事費5万~15万円の箇所を単県起債事業として3,715箇所工事費4億9,745万円施行をし小災害の復旧につとめた。年次施行額は34年度1,510箇所1億9,829万円。35年度2,205箇所2億9,917万円である。(表9-5)
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第5節 各事業別断面及竣功写真
1.一般災害復旧事業
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2.災害関連事業
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第10章 国家賠償訴訟等について
第1節 国家賠償訴訟事件
伊勢湾台風の異常高潮により河川、海岸堤防が破堤し、このことについて関係地域住民の一部から損害を蒙ったとして名古屋地方裁判所へ提訴されたものが3件あって、その経過並びに結果は次のとおりである。
1.国家賠償訴訟事件{昭和34年(ワ)第1949号損害賠償事件}
提訴年月日 昭和31年11月3日
提訴人住所 名古屋市港区南陽町
氏名 阿部嘉重
提訴理由 名古屋市港区南陽町地内河川法準用河川日光川、東小川堤防の管理が、不充分のため、伊勢湾台風の高潮により破堤し、損害を蒙ったとして国を被告として訴が提起された。
経過概要 昭和35年1月22日以後、準備手続き現地検証、証人尋問等を重ねた。
判決 昭和37年10月12日名古屋地方裁判所において次のとおり判決があった。
原告 阿部嘉重 敗訴
被告 国 勝訴
判決後2週間の控訴期間を経過したので確定した。
判決理由の要点
① 堤防が通常備える安全性の基準
堤防は国土を保全し、住民の生命財産等を保護するためにあるから……この目的を達成するに足るだけの安全性を保有する構造を持たなければならず、したがって通常発生することが予想される高潮等の襲来に対しては、これに堪え得るものでなければならない。
② 天端裏法等のコンクリート被覆の必要性
伊勢湾台風前でも望ましいと考えられていたが、なお一般には天端、裏法の補強度は、堤防の高さとの関係において考察され、堤防の高さが十分である場合には天端、裏法は波浪が堤防の表法に衝突して生ずるしぶき等の跳波による洗堀を防ぐに足る強度を有していればよいとの考え方が支配的であったことが認定できる。
③ 決かいしたこと自体に対する国家賠償の責任
計画堤防高の決定、その他堤防の設計において妥当であり、設計どおり堤防が築造され、かつ、その後の補修等管理に欠けるところがなければ堤防は通常備うべき安全性を保有していたというべきであって、それが築造当時予想され得なかった高潮等により決かいすることがあっても、それは不可抗力による災害と認めざるを得ず、堤防の設備または管理に瑕疵があったということはできない。
2.国家賠償訴訟事件{昭和35年(ワ)第1644号国家賠償請求事件}
提訴年月日 昭和35年10月
提訴人住所 半田市康衛新田
氏名 佐藤八重治外16名
(訴訟代理人、天野末治外10名)
提訴理由 半田市康衛新田の周囲海岸堤防の決かいは、天端の被覆工の未施工、その他設計、施行管理について多くの瑕疵があったためであり、これにより物質的、精神的損害を蒙ったとして、国家賠償法第2条の規定により愛知県を被告として訴が提起された。(請求額500万円)
経過概要 訴の提起後、証拠保金、準備手続、証拠の申立申請等を重ねており現在(昭和39年7月)準備手続き中である。
原告も期日延期の申立が多くほとんど停滞している。
3.国家賠償訴訟事件{昭和34年(ワ)第1950号妨害予防訴訟事件}
提訴年月日 昭和34年11月3日
提訴人住所 名古屋市港区南陽町藤前
氏名 伊藤義一
提訴理由
名古屋市港区南陽町藤前の堤防は、海面下の地域にあって設備も不十分のため度々補強について陳情したが放置されていたやさき昭和34年9月26日伊勢湾台風により堤防が決かい、肉親、家財道具の多くを失った。而して台風は毎年来襲ずることが顕著事実で現状では再度災害を被る恐れがあり連日平穏な生活を営むことができないのである。
海岸法第14条では、海岸堤防の所有者である国は次の如き設備をすべき責任は明らかである。
① 被告は、南陽町藤高前堤防が決かいしないよう相当設備を行なうこと。
② 被告は、原告に対し本訴状到着以降上記堤防完了に至るまで1日金10万円の金額を支払うこと。
③ 訴訟費用は、被告の負担とすること。
経過概要
① 昭和35年4月23日証人橋本規明(名古屋工業大学教授)は、「従来の堤防は、裏側にコンクリートのおおいがなかったため非常に危険で台風の被害を大きくした原因となった。しかし現在国が建設中の海岸堤防は、理想的なものとはいえないが、各方面の意見を取り入れ設計施行されているので、伊勢湾程度の台風が押し寄せても耐えられると考えられる。
② 昭和35年6月18日原告代理人伊藤静男から本件について次の事由により取り下げ書が提出された。
ア 名古屋工業大学教授橋本規明氏が今度国において設計構築せんとする南陽町海岸堤防は、伊勢湾台風程度のものなれば堪え得ると証言したこと。
イ 裁判所の現場検証によりその工事が昼夜兼行で進められている事実を明認したこと。
原告は、国の行為に対し満足の意を表するもので、原告が、最初本訴を提起した目的は一応達したものと考えられるからここに取り下げにおよんだわけである。
③ 昭和35年6月23日 法務省訟務局長から争訟事件の修了について通知があった。
あとがき
未曽有の大災害をうけてより、関係各位の御指導と御協力により鋭意復興にまい進し、ここに大復興事業は完成したのであります。被災してより四年有半の復興に対する経過と貴重な経験を史実として後世に伝え又将来への参考とするために、本書を編さんしたのでありますが、なにぶん短期間における資料蒐集と整理の不十分等のため、本書ご高覧にあたり編さんに幾多の不備と諸種のそしりを免がれないことを幾重にもおわび申し上げます。
なお、本書が上梓されるにあたり、被災写真その他の貴重な資料を提供して頂いた、中部日本新聞社をはじめ編さんに協力頂いた関係各位に衷心から厚く感謝と御礼を申上げます。
'27.2.25 津波
昭和39年9月印刷
昭和39年10月発行
伊勢湾台風災害復興誌
編集・発行 愛知県
印刷 弘益印刷株式会社