1.はじめに
1983年5月26日、秋田、青森県西方の日本海に発生した日本海中部地震は、気象庁によると発震時11時59分57.5秒、震央40°21.4′N、139°04.6′E、震源の深さ14km、マグニチュード7.7であった。日本海としては最大級の規模の地震であり、秋田、青森両県および北海道南西部を中心に、地震・津波の被害が発生した。ことに津波は、秋田県能代市の北方、峰浜村付近で極値14mを示し、男鹿から深浦にかけての海岸は平均4~7m程度の遡上高となった。また遠く能登半島や隠岐島でも津波は3mに達したところもあり、また韓国北部の一部で4m程度の高さに達した。このため、秋田県を中心に津波によって100名の死者を生じたが、これはチリ津波以来のことである。
また能代付近沿岸へ来襲した津波は、快晴の日中の出来事ということで、多くの写真やビデオテープに撮られて、その状況が克明に記録された。それらによると海岸からかなり沖で、前面が白い段になって来襲している様子がみられ、平均海底勾配が1/250にもなる非常に遠浅の浅海域で、津波が非線型変形を生じたものと考えられる。これは波源における津波の周期がかなり短かったことも理由の一つで、海岸の検潮記録などからみても、数分~10分程度のところもあった。
このように短周波で振幅の大きい津波であったことから、沿岸、特に波源域近傍の検潮記録は、検潮井戸導水管の特性を影響を受けて、振幅が非常に減衰したものとなって、津波の浸水痕跡の測量とは、かなりかけ離れた値を示した。このようにこの津波は従来の津波にくらべて、いくつかの特徴的な性質を示して、津波の研究にも問題点をなげかけている。
2.津波の逆伝幡図による波源域
前述のように、振幅の大きさについては問題を残したが、今回の津波は実に多くの検潮器記録が得られた。羽鳥(1983)は、これらの津波記録のはじめの波の到達時刻と波の上げ下げの向きとを調べ、各検潮所位置から逆伝播図の手法で、5分間隔の波面を作図し、地震発震時における波面の包路線から波源域を推定している。図1はその結果で、影をつけた破線で示す楕円形の領域がそれである。それに接する多くの円弧は、各地から作図した波面であるが、点線は水面の動きが下げ波で始まっていることを、実線は上げ波で始まっていることを示している。すなわち波源域の東側から北東にかけて下げ波の領域であることから、この周縁の海底が沈降していることがわかる。それに対して南から南西、および北西側は上げ波ではじまっており、海底が隆起したことを示す。震央は最も近い海岸からでも70~80km離れているが、波源の束縁は深浦や男鹿から10~20kmとすぐ海岸にせまっている。
これで波源の位置、範囲、大路の変動のセンスなどは得られたが、変動の絶対値や変動分布はこれだけでは知ることが出来ない。過去多くの例から、地震の断層モデルによる海底の鉛直変位分布が、第一近似として、津波波源を定量的にあらわしていることが知られている。そこで海岸各地で観測された津波の波形を近似できるような、断層モデルを求めることにする。

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3.地震データからの断層モデル
地震記象の詳細な解析によると、この地震は前述の震源付近にまず初期破壊がおこり、数秒後にそれより大きな第1主破壊が発生した。さらに20数秒後にその北北東数10km離れた場所に第2主破壊が続発したという、いわゆるマルチブルショックであった(石川・他1983,Shimazaki et al, 1983)。気象庁をはじめとする、利用し得る多くのデータを用いて、初期破壊および第1主破壊のP波初動の押引き分布から、メカニズム解が求められている。図2(a)には第1主破壊のメカニズム解を示した。ほぼ東西に圧縮力が働いており、走向がN20°E、傾斜角28°の東下がり面と、走向がS03°E、傾斜角60°の西下がり面が節面となっている。
一方佐竹・他(1983)は、周期256秒と197秒の長周期表面波データを用い、モーメントテンソル法によるインバージョン解析から、震源のメカニズムとモーメントを求めている(図2(b))。これは節面が東下がり西下がり共に45°で、走向はN10°Eになっていて、前のP波によるメカニズム解と矛盾のない結果となっている。そこで佐竹らは、両者を総合して(c)に示すように、走向N10°Eで東下がり30°、西下がり60°の傾斜面を節面とし、地震モーメントは7.6×1027dyne・cmであると結論している。
さてこの2枚の節面のうち、どちらが断層滑り面であるかは、以上の解析からはわからない。この決定には余震分布がよく用いられる。それは断層面上には未破壊の部分が残されており、それが時間と共に引続いて小地震をおこして破壊が進行する。したがって余震は断層面に集中しておこるとかんがえられるからである。
この地震の余震分布をみると、図3(a)(海野・他1983)のようになる。左側は平面分布で、白抜きの星印は下が本震の、上が6月21日の最大余震の震央である。図にA、Bで示した範囲の鉛直分布をその右に示してある。これは海域の速度構造に検討を加えて、震源を更に精度よく決め直したものである。余震はややばらついてはいるものの、東側に傾斜して分布している。佐藤ら(1984)は、さらに地殻の傾斜構造モデルを取入れて震源の決定を行ったところ、分布はもっとまとまりを見せ、傾斜20°の東下がりとなっている。
また溝上(1983)は、海水面で反射して来た相に着目して余震の深さを求めているが、図3(b)に示すように、余震域の北部で東下がり20°、南部で東下がり27°の傾斜をもって余震が分布していることがわかる。
以上のように地震学的に推定されるこの地震の断層モデルは、著者、方法によって多少の相違はあるものの、底角東下がり断層ということが、ほぼ一般的な認識であろう。このことはまた、近年唱えられてきた、日本海東縁が、ユーラシアプレートと、東北日本マイクロプレート乃至は北米プレートとの境界であって、東下がりの沈み込み帯を形成しているという説(地球、1984年1月号参照)からみると、この地震がプレート間地震として矛盾なく説明できることになった。

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3.津波記録から推定される断層モデル
津波波源としての断層モデルを推定するためには、まず断層パラメータを仮定して、海底の鉛直変位場を計算し、その変位量を浅海波方程式に与えて数値実験を行い、沿岸の検潮器などによる津波記録と比較して、可能な限りその一致がよくなるように、試行錯誤でモデルのパラメータを変更しながら、よりよいモデルを得るというのが現在行われている方法である。また基礎方程式を数値的に解く方法として、ここでは差分を用い、leap−frog法で行った。
さきにも述べたように今回の津波は実測と数値実験値との比較に、最も重要な位置である波源近傍の検潮器記録が、検潮井戸の特性によって強い減衰をうけている。したがってそのままでは比較に用いることが出来ないので、主としてやや遠方の記録を使用し、近傍の記録は補助的に用いることにする。
数値実験の領域としては、北海道留萌付近から、金沢付近までの海岸を含む900km×420kmの範囲で、5kmの計算格子間隔で水深値を与えた。また小樽、江差、函館、酒田、新潟東港、両津、寺泊、直江津、富山、輪島の各検潮器記録を用いることにして、これら地点近傍の浅海域については、格子間隔を1/2づつ順次に4段階に細分化し、最少格子間隔は312.5mとした。
前節の地震データを参考にして、まず第1主破壊と第2主破壊に相当する、南北二つの断層面を考え、また余震の平面分布から断層走向をやや曲げる。このような原則にたって、断層位置、断層傾斜、変位量などを変えたModel2からModel13までの断層モデルを用いて数値実験を行った(相田、1984)。これらのモデルの位置を、水平面への投影で示すと、図4のようになる。影をつけたへちま形は余震域をあらわしている。
断層パラメータから海底の鉛直変位を計算し、短時間に変位したとして海面変位として与えた。これらの結果から、まず前述の10個所の検潮器記録の第1の上げ波の振幅をxiとし、その位置の数値実験波形の第1の上げ波の振幅をyiとして、その比Kiの対数標準偏差を求めた。すなわち
【式】:(1)
ここにnは比較点数、KはKiの幾何平均値である。
図5の上段は、各モデル番号を横軸にとり、κを示したものである。これからModel5、6、8~10が選ばれる。また深浦と男鹿での浸水高は、それぞれT.P.上3.1mおよび3.3m程度であるが、これに対して各モデルで計算された平均水面上の最高水位が同図中段に示してある。計算では男鹿がやや小さく出るが、Model6、9、10などが中でもよい結果を与えている。また男鹿、能代、深浦では共に最初に下げ波を観測しているが、その下げ波に対する次の波の峯の振幅の比を求めてみると、同図下段のようになる。ただし男鹿、深浦の観測所については、検潮井戸特性の補正を行った値を採用してある。ここで各モデルの良否の差は、それほど明確でないが、上記Model6、9、10の内から断層位置が余震域と一致するModel10(図4中央で、実線の長方形)が最適と判断した。
Model10の断層パラメータは表1に示してあり、また剛性率を4×10^11dyne・cm^−2とすると、地震モーメントは5.8×10^27dyne・cmであり、また津波のエネルギーは4×10^20ergであった。
さてこのモデルで波源域近傍での津波がどの程度説明できるかみよう。まず十三湖から象潟にいたる海岸に沿って、200m等深線上の計算格子点を約15km間隔にとって図6の黒丸で示してある。この点の数値実験波形からはじめの波の波高(全振幅)H0をプロットすると実線のカーブになる。一方この点に対向する海岸での津波の浸水高を、図の鎖線の範囲で平均すると、二重丸に点線のカーブR0のようになる。ここで丸に付した数字は平均したデータの数、縦の棒は標準偏差、△は最大値を示す。能代北方で14mの遡上高を示した峰浜村付近においても、この程度の範囲の平均値をとると、約7m強程度の浸水高になっている。
そしてこの平均実測浸水高は、200m等深線上の計算波高とかなりよい平行関係がある。三陸海岸などでは、この比が2~3になるが、今回、短周期で非線型変形をおこした津波の浸水高についても、平均的には三陸海岸などとほぼ同じような関係になっている。
また峰浜村の最高浸水高地点について、短周期側の計算精度を上げるように、計算格子を細かく、外海で2.5km、200m以浅で1.25km、625m、312.5m、156.25m、78.125mと順次にとり、最終段階は20m以浅をさらに1/5の15.625mにとって、海岸は遡上を許す移動境界として計算した。図7には海岸付近での計算波形を示したが、水深D=20mで3m程度の振幅が、岸近くなると次第に高くなり、前面が急峻になっていくのがわかる。最終的には6.8mまで遡上した。これは図6で示したこの付近の平均浸水高7mにほぼ一致している。さらに浅海波近似で表現することが出来ない波状段波の形成などの条件があれば、さらに局地的な高い遡上高を示すこともあり得よう。
以上図6および7で述べた波源近傍の津波の挙動に関する数値実験結果は、ここで求めた波源のモデルがかなり妥当なものであることを示している。
一方佐竹(1984)は、前節の地震の発震機構解から、微修正を行って図8に示すようなモデルで同様な数値実験を行った。そのパラメータは表1にModelD2として示してある。検潮器記録との比較点は、前述の相田(1984)の場合と、江差、酒田、両津、富山、輪島は同一で、沓形、石狩、忍路、岩内、吉岡、岩船、柏崎が異なっており、北海道内の地点が多い。
それらの地点の観測波形と、数値実験波形を図9に示した。非常によく一致していて(1)式のκで1.22と良好な結果が得られている。また地震モーメントは7.56×10^27dyne・cm、津波のエネルギーは4.23×10^20ergになっている。ただこの場合波源近傍の津波挙動との比較が十分なされていないので、その検討が必要かとも思われる。

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4.西傾斜断層モデルによる津波
前節の結果は主として比較的遠方の観測記録との比較を行っているので、モデルのパラメータを変更しても、数値実験結果の差違は僅かである。パラメータの明確な決定には是非とも波源近傍のデータが欲しい。
深浦港沖約2kmの水深50mの海底に、運輸省港湾局所管の超音波波高計が設置されていて、5月26日11時50分~12時10分の定時観測時間の水位を記録に残していた(谷本・他 1983)。この記録は図10に示すようで、下段は30秒の移動平均によってLow pass filterした水位である。12時頃から水位の変動がみられ、約400秒後に36cmの水位低下があり、ついでに上昇に転じて104cm水位が上がったところで記録は終っている。この記録は、波源近傍の記録であること、水深50mと深いので津波は非線型の変形を受けていないこと、記録の送りが速く時刻の精度が高いこと、など信頼度の高いものであると考えられる。
いま前節で求めたModel10を用いて、この波高計設置地点の水位を計算してみると、図11(a)に点線で示したようになる。USWと記した太い実線のカーブが、図10の記録を写したもので、Model10は時間的に約1.5分遅れていることがわかる。そこで図12に実線で示した長方形のように、点線で示したModel10をそのまま東に15km移動して、これをModel15とした。これによる計算波形は図11(a)に細い実線で示してあるが、時間的には実測と一致するようになる。
しかし水位が下げから上げに転じる傾斜をみると、実測よりややゆるいことがわかる。これはModel10、15が東下がり傾斜の逆断層であるので、地表に近くあらわれる断層線は西端にあり、そこから東側にむけての鉛直変位分布は、傾斜がゆるやかなものとなるので、それを反映していると思われる。もし東端に断層線があるようなモデル、いいかえれば西下がり傾斜の断層であるならば、断層面東端の沈降から隆起に転じる傾斜はきわめて強くなる。
このような考えから、Model17はModel15北側断層を西下がりの共役面にとったもの、さらにModel19は北側および南側とも西下がりの断層面をとってみた(図12参照)。図11(a)の破線と鎖線でそれらの計算結果を示す。ともに水位の低下部から上昇部にかけて、観測結果とよい一致をみるようになった。
これを男鹿検潮場(戸賀)の記録と比較してみる。
図11(b)にT.G.と示した太い実線は、検潮器の記録に補正をほどこしたものである。補正の方法としては、検潮井戸導水管の特性として、管内流速が井戸内外水位差の平方根に比例すると考え、その比例係数は任意にとってある。図に示すようにModel15、17の南側断層が東下がり傾斜の場合は、上げ波半周期の時間が、実測にくらべてやや長い、それに対して西下がり断層としたModel19は半周期の時間が実測記録とよく一致するようになる。なお表1には各モデルのパラメータを示した。
このように西下がり共役の節面を断層面と考えたモデルの方が、近傍の津波の記録とよく合致する。また遠方のデータに対する近似も、前節のModel10と同等な成績で評価された(表1参照)。
それでは地震データ解析の立場から西下がり断層を示唆するものはないだろうか。地震直後、急きょヘリコプターで海底地震計を設置したグループによる観測結果(北海道大学理学部・他、1984)によると、余震分布鉛直断面の下限が西下がりに見え、また余震震央も陸上データで決めたものより東側に求まるということであった。しかしその後陸上データも含めて震源再決定を行った結果(末広・他、1984)では、西下がりの分布はそれ程明瞭でなくなったようにみえる。したがって現在のところ地震学的にみると、東下がり低角逆断層ということが有力であろう。
また前述の津波データからの西下がり断層の示唆についても、深浦の記録が上げ波の途中までであって完全でない。男鹿の記録は補正の誤差を含んでいる、また数値実験の計算格子によるフィルター効果の評価がなされていない、など不十分な面もあり、これだけで西下がりを結論することは困難であろう。

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5.まとめ
日本海中部地震は東西圧縮の逆断層であるが、前述のように東下がり低角の面が断層面であるとする考えが有力である。したがって現在断層モデルを与えるとすれば、東下がりモデルということになるが、4節で述べた波源近傍の津波記録の説明にやや難点があることになる。この解決には、断層面の東端近くに、高角の副断層を設けるとかして、断層面東端付近の海底変位の傾斜を急にする必要があろう。
しかしいずれにしても深浦のデータは途中で欠けており、また男鹿のデータも検潮井戸の特性がよく分かっていない。このような近傍のデータが完全に得られることが、波源のモデルを細部にわたって確定するには、是非必要であろう。
しかしながら、今回求められたModel10、あるいはModelD2などは、津波全体の規模をよく表現しており、またModel10は、局部的な現象を除けば、波源近傍についてもかなり実際の津波挙動を近似しているといえよう。
参考文献
[1]相田勇:地震研究所彙報 59,93−104(1984)
[2]羽鳥徳太郎:地震研究所彙報, 58,723−734(1983)
[3]北海道大学理学部,東北大学理学部,東京大学理学部:地震予知連絡会会報,31,40−42(1984)
[4]石川有三・他:地球,6,11−17(1984)
[5]溝上恵・他:地震学会講演予稿集 No.2,p.7(1983)
[6]佐竹健治:北海道大学理学部修士論文,pp.174(1984)
[7]佐竹健治・他:地震学会講演予稿集 No.2,p.17(1983)
[8]佐藤魂夫・他:地震学会講演予稿集 No.1,p.37(1984)
[9]SHIMAZAKI,K.and J.MORI:地震学会講演予稿集 No.2,p.15(1983)
[10]末広潔・他:地震学会講演予稿集 No.1,p.40(1984)
[11]谷本勝利・他:港湾技研資料,No.470,pp.299(1983)
[12]海野徳仁・他:地震学会講演予稿集 No.2,p.4(1983)