1.はじめに
近年の地震学上の重要な進歩の一つに断層震源理論が確立されたことがあげられる。これによって地震波の発生機構と、地殻の変形などの過程が、統一的に理解されるようになった。したがって海底の鉛直変動によって発生する地震津波の波源の機構を、地震の発生と密接なむすびつきをもって考えることが出来る。
しかし理論的には簡単化されたモデルが使用されるから、実際の場合に、はたしてよく適合するかどうかしらべる必要がある。一方大型コンピューターの充実につれ、この種のシミュレーションは、比較的簡単に行われるようになり、計算面での精度も向上している。そこでまずこのような観点から、現在までに行われて来た津波発生のシミュレーションの方法とその精度をみることにする。
つぎに典型的な例として、このシンポジウムの主題である東海・南海道地方の津波のシミュレーションの実際について述べる。
さらに近年津波災害対策の見地から、各方面で津波のシミュレーションが行われ、あるいはその結果について議論がなされているので、波源としての問題点について考え、またシミュレーションの基本的な意義についても簡単にふれる。
2.シミュレーションの方法
Yamashita and Sato(1974)は、半無限弾性体の上に水の層を考え、弾性体の中に生じる断層によって水面におこる津波を計算した。この方法では水深一様な海が仮定されていて、実際の海岸形状、海底地形を与えることは困難である。しかし弾性体の運動に与える水の効果は、かなり小さいものと考えられるから、弾性体表面(海底面)の鉛直変位を食い違い弾性論で計算し、その変位から生じる津波を流体力学によって別に計算することが許されよう。このようにすれば、実際の水深、海岸形状のもとで、数値的な取扱いができるから、シミュレーションが可能である。
津波の波源域の水平ディメンションは、普通数10km以上であるが、それに対して波源域周辺の海の水深は数km以下である。また発生する津波はmのオーダーである。これらの事から、すくなくとも波源域周辺においては線型長波の近似が十分な精度で成立する。しかし浅海域特に湾内の浅い部分になると、非線型の効果を考慮する必要が生じる。
長波近似のもとで、水の運動・連続の式は、
q1t=−gHηx (1)
q2t=−gHηy (2)
ηt=−q1x−q2y+ξt (3)
である。ここにq1,q2は鉛直方向に積分された流量のx,y成分、ηは水位上昇、ξは海底の鉛直変位、Hは水深、gは重力の加速度であり、添字x,y,tによってそれぞれに関する偏微分係数をあらわす。
すなわち任意点、任意時刻のξを知ることができれば、例えばleap−frog法で差分的に(1)、(2)、(3)からη,q1,q2を時間をおって計算することができる。近年これらの式を有限要素法で解くことも行われており、実際計算の方法は種々あるが、以下に述べるシミュレーションはleap−frog法によるものである。
さてξを与えるために断層のパラメータから地表の鉛直変位を計算する方法として、Mansinha and Sm−ylie(1971)のものが有名である。これはボアソン比1/4の半無限弾性体中、深さzの地点に、長さL、幅w、傾斜角δの長方形の断層があり、断層の両側のブロックが相対的に長さ方向の成分us、幅方向の成分udのずれを生じた際に、弾性体の任意の点の変位を求める解析解を与えたもので、上のパラメータから地表の変位を計算するプログラムを容易に書くことができる。
3.断層モデルによる海底の鉛直変位
ここで1964年新潟地震の解析(Katsuyuki Abe1975)を例にとって、地震学的に断層モデルが求められる経過を簡単にみることにする。
まず世界的な拡がりで多くの地震波記録があつめられ、P波初動の押し引き分布、およびS波の偏りの角の分布の解析から、直交する2枚の節面の方位角、傾斜角が決定される。
つぎに震源において、それぞれの節面に沿う2組のモーメントを与えて、各方位に角距離π/2離れた地点の長周期表面波の理論記象(ラブ波およびレーリー波)を計算する。あらかじめ各観測所で観測されたラブ波(G波)、レーリー波(R波)の観測波形を、距離π/2の地点のものに等化しておき、最大振幅と、その方位分布を計算値と比較する。これによって地震モーメントが決められる。また実体波初動分布から求められた節面の向きや、傾斜に不確定さがあった場合は、この長周期表面波の解析によって、より妥当な結果に修正される。
上に述べた2枚の節面のどちらかの面上に、断層破壊が生じると考えられるが、この決定にここでは余震分布が使われた。また断層は第一近似として、長方形と仮定される。第1図右側には、このような経過で求めた1964年新潟地震の断層を、水平面に投影した長方形で示してある。
この結果、地震モーメントMoは3.2×10^27dyne・cm、断層の長さLは80km、幅wは30㎞、傾斜角δは56°と求められた。地殻の剛性率μがわかれば、D=M。/(μLw)で断層のずれの量が求められる。ここにD=√us^2+ua^2である。
さて断層のずれの量が求められると、前節でもふれたように、食い違い弾性論によって地表の鉛直変位が計算出来る。第1図右側の図に示された等高綜はμ=3.7×10^11dyne・cm^−2、D=3.3mとした場合の地表の鉛直変位である。Katsuyuki Abe(1975)は、日本海沿いに走っている水準路線の地震時の変動量や、新潟県弥彦における階段的傾斜変動の方向が、モデルによる計算と調和することなど、地震波以外のデータを含めて総合的にこのモデルを妥当なものと結論した。
一方水路部においては、地震の直前にこの付近の精密水深測量を実施していたという幸運にめぐまれ、直後の再測によって地震時の水深変化を求めることができた(Mogi,et al.1964)。この結果を一部細かい点を省略して示すと第1図中央の等高線のようになっている。これによると最大4m以上の隆起が認められ、右側の地震波解析から結論された地表の変位約2mとはかなりの違いが認められる。なおこの図に破線で示した楕円は、津波の逆伝播図から求めた波源域(Hatori 1965)であって、水深測量の範囲はこの上半部におよんでいないので、実際の変動の状況は不明だが、右側の断層モデルによる変動範囲とはかなりよく一致している。
Kuniaki Abe(1978)は、第1図左側の図に示すような折れ曲った断層を仮定して地表の変位を求め、津波の数値実験を行った。そして酒田および松ケ崎(新潟、阿賀野川河口)の検潮記録との比較を行い、このモデルが津波の挙動によく調和していると結論した。このモデルの断層のずれの量は6m、地表の鉛直変位は最大約3.5mとなって、水深測量から求めた値に近くなる。
粟島には生物附着面が、海面から露出するようになったことから求められた隆起量実測値があり、本州の海岸には水準点の変動量測量値がある。まだその中間の海上は上記の水路部の水深測量でつなぐと、粟島を含む東西断面で、地盤変動実測値が第1図左下の斜線で示したものになる。
これに対して津波モデル、地震モデルの計算変動量はそれぞれ点線(T)および実線(S)で示される。
このようにみると海底の鉛直変位の真実の姿を求めることはなかなかむつかしいことがわがる。けれども隆起・沈降の大勢は断層モデルによって十分再現されており、量的な不一致が認められはするが、地震と結びついた根拠をもっており、津波シミュレ一ションの波源としては、今日最も妥当なものと考えられる。
4.断層モデルによるシミュレーションの信頼性
断層モデルを用いたシミュレーションは、すでにかなり多数行われたので、それらがどの程度の精度をもっているかを見てみよう。
時問ステップをおって計算を繰返すために、波のはじまりの方が計算精度が高いから、津波の第1半周期、第2半周期の振幅a1、a2についてしらべる。これには計算波形が、実測波形と振幅、位相の面で相当近似していることが前提となっている。
i番目の観測点の観測値xi、計算値yiを求め、その比をKiとする。このKiを計算域全域n個の観測点について平均的にみるため、
【式】:(4)
であらわされる幾何平均Kをとることにする。すなわち実際の津波の高さが、計算モデルのK倍であることをあらわす。
つぎに平均値KからのKiのバラツキをあらわす指標として
【式】:(5)
で計算されるκを用いることにする。
このようなKとκを用いて、津波シミュレーションに対する断層モデルの適応性をみるため、第1表に9例の結果を示した。
No.1~5の地震パラメータは、地震波解析などによって求められ、論文に発表されたそれぞれの著者による数値にほぼ忠実な値を採用したものである。Kの値がいずれも1より大きいことがわかるが、No.3を除けば平均して1.4程度である。すなわち地震学的に求めた断層モデルによる海底変動量は、津波の振幅の面から見るとやや小さ過ぎることが系統的に認められる。
No.6~9は津波の挙動をよりよく再現するように、断層パラメータを調節して行ったシミュレーションの結果である。したがってKはほぼ1になっている。しかしNo.1~9を通じてκは表の最下段に記すように、1.4~1.5程度である。
以上は検潮器などによる津波波形記録と数値計算波形との比較であるが、その他に沿岸の津波痕跡高と数値計算波高との比較を行ったものがある。すなわち海岸の津波の痕跡高と、200m等深線上の計算津波波高(全振幅)の比は、三陸海岸などでは2~3程度であるので、ここではこの比の平均値2.8をとり、200m等深線上の計算津波波高の2.8倍を海岸の計算値とした(相田 1977)。
この場合も実測値と計算値の比のバラツキを前と同様(5)式の表現のκであらわす。第2表はこの種のシミュレーションの結果をまとめたものである。但しNo.103は後節で述べるようにやや取扱いが異っている。またこのκは第1表のκとはやや性質が異り、平均2.8と仮定された陸棚増幅率の地域的なバラツキなども含まれている。しかしこの場合でも、7個の津波についてκの平均は1.44程度であって、第1表に示したものとほぼ同等の値を示している。
以上の結果をみて、断層モデルにもとづくシミュレーションは十分な精度とはいい難いかもしれない。しかし個々のものについては、かなりよいものがある。第1表のNo.6,No.7,No.9、第2表のNo.103などである。これらはいずれも実測値と計算値の比が、全域にわたってほぼ0.8~1.2の間にあることを示している。
5.東海・南海道の津波のシミュレーション
このシミュレーションのため、房総半島から大隅半島東岸に至る965×400km^2の広い海域を考え、格子間隔5km毎に水深を与えた。さらに比較する津波記録のある湾、あるいは湾内津波の動向に特に注目を要する湾など8個所については、1/2づつ4段階に格子間隔を細かくして行き、最小格子間隔は312.5mにとってある。これによって直接湾内の波形の計算が可能である。計算時間間隔は0.05min(3sec)である。
a 1944年東南海地震津波(相田 1979)
この地震については、はじめに発震機構を研究したKanamori(1972)のものを含めて、陸上の地盤変動のデータとも調和するように断層のパラメータを調整したものなど、第2図に示す4種類の断層モデルが発表されている。またそれらのパラメータは第3表に示される。
これらのモデルのどれが津波と最もよく調和するかは興味あるところである。そこでこれらの断層のずれによって地表に生じる鉛直変位を計算し、それを初期水位として海面に与え、津波の伝播を計算した。すなわち海底の変動が、津波の進行にくらべて十分速いものと仮定してある。比較する津波記録としては、布良,伊東,内浦,松阪,下津,土佐清水の6個所を選び、さらに下田,尾鷲についても湾内の津波波形を計算した。
さて4種のモデルを評価するため、前節で述べたように、第1半周期および第2半周期の波の振幅a1,a2について、実測値と計算値の比Kiの幾何平均、およびそのバラツキの指標κを求めると第3表の右半分に示すようになる。
この表でModelIII、IVがよいことが明らかに認められる。別に細かく点検してみると、Model IVのKiは波源の東側の観測点で大きくなり、西側の観測点では小さいという系統的な差がある。それに比べて、ModelIIIは全域にわたって均等なバラツキを示し、波源からの波の放射分布が実際の津波に近いことを示している。またκはa1に対して1.18、a2に対して1.37であって、前節で述べた過去のシミュレーションの中で最も成績がよい部に属すといえる。
しかしKをみると平均0.45で、モデルに与えた断層のずれの量が大き過ぎたことを示している。そこで断層のずれを0.45倍して、南西部でud=2.Om、us=−0.7m、北東部でud=1.4m、us=−0.5mとしたモデルをModelIII′とし、この計算波形を実測波形と比較して示すと第3図のようになる。はじまりの2波程度は非常によく近似している。また後半に入っても、波形全体の特徴、例えば伊東において短周期になり振輻が大きくなることなどもよく相似している。
ただ松阪のはじまりの部分で、実測波形は少し下げ波ではじまっているが、計算にはそれがあらわれていない。モデルからの計算によると、伊勢湾内はゆるやかな沈降域にあって、湾口から徐々に隆起域に移っている。したがって著しい下げ波は発生せず、ゆるやかな上げ波となってあらわれている。実測記録のようにはじめに下げ波が生じるためには、伊勢湾ロ付近にかなり著しい沈降域がなければならない。しかし副断層のような局地的な沈降を生じさせるものがあったかどうかは明らかでない。
尾鷲では来襲津波の時間経過が、目測によって観察記録されている。これを参照すると津波の周期が計算と報告でよく一致していることがわかる。
また湾内では多くの痕跡高の測量がされており、代表的な地点で計算波形の極大値をとって比較してみると、第4表のようになる。すなわちさきに述べたModelIII′は実測値とかなりよく一致している。また同様のことが下田湾についてもいえ、同表に示すように、このシミュレーションによって湾内の痕跡高もかなりよく説明できることがわかった。
b 1854年安政東海地震津波(相田 1979)
つぎにこの地方の代表的な大津波である。1854年安政東海津波をとりあげる。石橋(1976)は第4図下に二つの長方形で示した位置に、この地震の震源断層を推定した。aで述べた東南海地震との著しい相違点は、駿河湾奥深くまで断層が入り込んでいることである。これらの断層のパラメータは第5表に示す通りである。
そこでこの断層モデルから計算される海底の鉛直変位を初期水位条件として、津波伝播のシミュレーションを行った。計算海域はaの場合と同じであるが、計算格子を細かくする地点として、下津、土佐清水を除き、清水、御前崎を加えた。
さて古記録などにより、第4図の海岸線に丸印で示した地点での津波の高さが、羽鳥(1974,1977)などによって推定されている。これらの推定値を実測値と考え、同図上段に短い横棒でその高さを示してある。
つぎに海岸まで格子を細かくして計算した地点については、計算波形の極大値を津波の高さ計算値とする(A)。それ以外の地点では、その沖合200m等深線上での安政東海津波の計算波形と、前項aで計算した東南海津波の同じ地点の計算波形を比較して、同一位相の波の振幅比をとり、これを東南海津波のその海岸の痕跡高に乗じて、安政東海津波の海岸での計算津波高さとした(B)。
第4図上は、A, Bを二重丸と丸で区別して示した。駿河湾内と下田、および熊野灘沿岸は津波が高く、遠州灘沿岸および伊勢湾は津波が低いという特徴が、実測、計算共にあらわれている。
実測値と計算値の比をとって示すと、第4図の中段のようにほとんどの地点で0.8~1.2の間になり、しかもA,B2種類の計算方法の区別がつかないように、ほぼ等しい値になっている。(4)、(5)式のK、κを求めてみると、AのみについてK=0.99、κ=1.16、またA,Bを含めると、K=0.92、κ=1.20となり、シミュレーションとしては非常によい成績といえる。
すなわちこの断層モデルを波源とすると、安政東海津波の挙動は、広域の津波の高さ分布についても、また津波の高さの絶対値についても、かなりよい近似を示すことがわかる。
駿河湾内の断層については別の考え方もある。茂木(1977)は、1974年伊豆半島沖地震をおこした半島南端の断層の延長上、静岡市付近にかけて駿河湾を横切る構造線を推定し、駿河湾内の断層がこの構造線で止まり、その北側の部分には破壊がおよばない場合もあり得るのではないかと述べている。
また恒石・塩坂(1978)は駿河トラフから富士川付近を北上する左横ずれ断層の存在を指摘し、駿河トラフが、安政地震に寄与した大きな左横ずれ断層であると述べている。
そこでこの二者の考えをとり入れたモデルで計算を行ってみた。まず前者については、駿河湾を横切る構造線といわれるあたりを断層の北端とし、北東部断層の長さを76km、ずれの量を4.9mとした。また後者については幅20kmの鉛直の左横ずれ断層を考え、us=4m、ud=2mとし、さらにその下側に傾斜角15°の低角逆断層、長さ110km、幅70km、us=2m、ud=3.5mを考えた。
これらのシミュレーションの結果を、御前崎以東の地域で比較してみると、前者は駿河湾奥や下田以東で計算結果がやや低くなり、また後者は清水、御前崎の計算値がやや大き過ぎ、下田以東の計算値は1/2程度に小さくなる。これをκであらわすと、前者はκ=1.19、後者はκ=1.38となる。しかし第4図に示したモデルでは、この地域でκ=1.18で、この二者よりも成績がよく、また地域全体に平均した計算値のバラツキを示している。したがって駿河湾内の断層についても、湾奥まで入り込んだ低角逆地震のモデルが妥当であると結論される。
C 仮想東海地震津波
前項で安政東海津波と東南海津波の断層モデルの著しい違いは、駿河湾内にのびた断層の有無にあると述べた。このことが、今問題になっている東海地震発生の可能性を指摘する大きな根拠の一つになっている。すなわち、1854年安政東海地震で破壊した二つの断層の中、南西側の部分は90年後の1944年に再び地震をおこして、蓄積エネルギーを放出したのに対して、北東側の部分は現在まで126年間、エネルギーの蓄積を続けている筈であるというものである。
そこでこの北東側の部分が単独にずれた場合の津波の計算を行ってみた。断層パラメータは安政東海地震の北東側部分のそれ(第5表)と全く同じである。そうすると、熊野灘沿岸は1/3~3/5程度に津波の高さが減少するが、駿河湾内はほとんど安政東海津波とかわらないことがわかった。
このことは少くとも駿河湾内に関しては、仮想東海津波に対して、安政東海津波の実測値を基準として津波対策を講じることが妥当であることを示している。
6.断層モデル波源の問題点
これまで述べて来たように、地震学から求められる断層モデル、あるいはそれを少し修正したモデルによって、津波の挙動がかなりよく近似できることがわかった。しかしもっとも成績のよい場合でも、実測値と0.8~1.2倍程度の違いがある。これは現在のモデルが、断層面として長方形で近似され、面上では一様に変位するものと仮定してあり、また断層面も主な破壊面として1~2枚程度を考えるという、第一近似的なものであることによると思われる。
最近では、地震学的な断層の決定においても、次第に、主破壊面のみでなく、副次的な断層を含めた複雑な系を求めるようになって来た。また地表変位の測地学的データを説明するための断層モデルも、複数の断層面から成るものと仮定し、逆問題としてパラメータを決定する例もある。
一方海のプレートが島弧のプレートの下へもぐり込んでいる場合、プレート間の断層のほかに、海のプレートの上にのっているプリズム内で、かなり高角度の逆断層が多数存在するのではないかといわれている(中村 1977)。これは陸棚斜面が全体として海溝側へ傾斜しているにもかかわらず、部分的には陸側へ逆に傾斜している構造をよく説明できる。
室戸岬は南海道の大地震の際に隆起し、その後沈降に転じるが、いくらかの残留隆起を残して次の地震が発生するというパターンを繰返している。島崎(1980)は高角逆断層を付け加えることによって、1946年南海道地震の際の室戸岬の鉛直変動を説明することを試みている。第5図上はAndo(1975)によって提案された南海道地震の断層モデルによる鉛直変位コンターであるが、中段に示すように、低角の主断層から分岐する高角度の断層A,Bが島崎の説によるものである。
また加藤(1980)は土佐湾西部の井ノ岬の先端で、南海道地震による隆起量が40㎝にも達していることから、この岬の沖に第5図の上と下の図に示すように高角逆断層が存在したと説明している。ただ問題はこの断層が地震の発生を伴うような急激なものであったか、それともクリープ的な長い時間かかって動くようなものであったか、はっきりしていない。
以上のことを津波発生の面から考えると、おそらく大局的には安藤のあたえたモデルが主断層であって、これによって津波の大勢が支配されるものと思われる。しかしここで述べた室戸岬、井ノ岬など小さな副断層は、局部的には津波の波形を変え、高さの分布が変わることもあると思われる。
またFnkao(1979)は主破壊の先端付近、海溝よりの方で、高角度の逆断層が生じると、地表の浅い所で剛性率が低いことと、地表に断層がつきぬけることのために鉛直変位が大きくなり、地震波のエネルギーの割に、大きな津波を発生すると考えている。1963年エトロフ地震の10月20日の余震や、1975年6月10日の根室東方沖の地震はそれであって、それぞれ1963年10月13日の地震や、1969年8月12日の地震の際のプレート間の主断層の破壊が一旦止まった先端部で、応力が集中している場所におこったものである。
また1964年アラスカ地震は、プレート間の断層破壊と同時に、それから分岐する高角逆断層が地表につきぬけた場合であって、それがMontague島の断層にあらわれている。
このように海底部の鉛直変位は複雑な断層系によって支配されて、細かい点では発生津波の特性もかわってくる筈である。
また断層破壊の伝播時簡、破壊の立上り時間についても考慮する要がある。Kanamori(1972)は、1896年三陸津波のように地震波の発生にくらべて、津波の大きい地震を津波地震と定義した。これは100秒程度の立上り時間とされていて、この程度では津波の発生は効率よく行われる。しかし最近Slow−earthquakeと呼ばれて研究されているような(三雲 1979)、さらに立上り時間が長く、または破壊の伝播速度が遅い地震があるとすれば、津波の発生効率、あるいは指向性に影響を与えることも考えられる。
第5図に示した南海道地震の断層においても、西側の断層面内では余震がおこらず、おそらくクリープ的な破壊をしたと想像される。安藤・三雲(1974)は、40分程度の立上り時間が考えられるとしている。このような点についても、特別な津波について考慮されねばならないと思われる。
7.むすび
以上津波の波源の問題点を述べて来たが、大津波の被害は陸上浸水によって惹き起こされる。したがって陸上での挙動を知り、被害の発生との関連をしらべる必要がある。
陸上浸水のシミュレーションは物質座標系の考え方を用いた後藤・首藤(1979)の方法や、通常の浅海波方程式を陸上遡上部にも適用し、up−windに差分をとって波先端部を計算する岩崎・真野(1979)の方法、浸水先端に流量係数、陸上部、堤防部などに等価摩擦係数を導入して計算する相田(1977)の方法などが行われている。
1946年南海道津波の高知県宇佐のシミュレーションによれば、浸水部の水流の圧力と、地域別の家屋被害率の分布が、きわめてよい相関をもっていることがわかり、陸上浸水のシミュレーションによって、かなり細かい地域別津波被害の検討も可能になろうとしている。
しかしシミュレーションは文字どおり、ある津波を模擬するものであって、原型となる実際津波の動向を適確に知る必要がある。しかもそのことをふまえた上で行われるシミュレーションは、流速などのように、実測資料のほとんど得られていない動的な情報を得ることが可能で、それが一つの大きな役割となろう。
また埋立地の造成、防波堤、護岸堤防の建設による海岸地形の著しい変化に伴う津波挙動の変化の予測も、シミュレーションによってはじめて明らかにされる。
すなわち断層モデルによる波源から、陸上の浸水に至る津波のシミュレーションは、今なお不確定さを残す部分もあるとはいえ、その限界を知った上で活用するならば、今後も津波の物理的諸性質や、津波災害あるいは防災に関する知識を増す上で、有効な手段であろう。
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