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1.はじめに

 わが国においては、古くからしばしば地震津波を経験してきたし、明治以来多くの研究者の調査研究の成果があるので、世界で最高の経験的知識を蓄積しているといえる。すでに歴史的な津波の表(IIDA,Cox,and PARARAS-CARAYANNIS,1967;渡辺、1968等)というかたちで、経験の一部は整理されているが、各地での津波の高さに関し、もう少し詳しいことを整理しておくことは有用であろう。
 また一方では、最近における津波の理論的研究の進歩によって、ある特定の海域で、地震による地殻変動が与えられれば、それによっておこる津波の概略を数値実験によって推定することが可能になりつつある。いまのところ、まだきわめて初歩的な段階にあるとはいえ、数値実験的手法による各地の津波の高さの予測は近い将来かなり信頼できるようになるであろう。
 本文では、南関東周辺という地域を対象として、地震津波の過去における資料を整理し、また、1923年関東大地震について、もっともらしいと思える海底の地殻変動を仮定すると、津波数値実験でどのような結果がでるか、また,それが実際の津波の高さの分布とどの程度対応するかを紹介する。
 ここで、すこし「津波の高さ」と呼ばれる量について述べておきたい。第一に、高さを測る基準面にはいろいろあるので(1)波の谷,2)平均水面,3)工事基準面,4)そのときの予想潮位面,5)その他)、その区別を明確にすることが大切である。つぎには、おなじ高さの波といっても、その状況によって、またその場所の地形によって波の性質は大巾に変ることがあるので(進行波,重複波,段波等)、流速を問題にするときには注意を要する。

2.南関東沿岸の津波歴

 南関東沿岸では三陸、南海道と比べて、津波の影響まかなり小さい。とくに房総東岸から鹿島灘にかけての沿岸地域では、1600年以来の津波で受けた津波エネルギーは太平洋沿岸の中でも最低であった(羽鳥,1973)。
 いま、津波カタログ(今村,1949;渡辺,1968)から有史以来、南関東沿岸に被害もしくは影響を与えた津波を拾いだすとTable1のようになる。ここで、1972年2月と12月の八丈島東方沖津波のように、津波の高さが50cm以下で検潮器しか感知できない津波は表から除いてある。記事には、大日本地震史料から南関東に関係する古記録を抜粋して示す。また最近の津波では、検潮記録から主な場所の津波の高さ(最大波の片振幅〉を示す。
 Table1にあげた津波の半数以上は、相模湾ならびに房総近海で起こされている。この地域の代表的な津波として、1923年関東地震津波と、1703年(元禄)津波は資料も比較的多数あり、次節で詳しく述べたい。相模湾、房総近海の津波についで、南関東に影響を与えた津波に東海、南海道沖の津波がある。その数は全体の約1/3に達し、とくに遠州灘で起こされた巨大地震の津波は、伊豆沿岸はもちろん鎌倉付近をはじめ伊豆大島、八丈島にも被害を与えたことが古記録にあり、注目すべきであろう。一方で、三陸沖はきわめて津波活動の高い地域であり、しばしば三陸沿岸に甚大な被害を出してきたが、例えば1933年3月三陸津波では、布良で僅かに60cm(片振幅)程度の津波が観測されたに過ぎない。
 ここで、外国で起きたいわゆる遠地津波に目を向けてみよう。1960年5月チリ沖で起きた津波は、22時間余を経て日本沿岸に達し、北海道、三陸,紀伊沿岸に多大の被害を与えたことは、まだ記憶に新らしい。このチリ津波で、南関東沿岸では1~2mの高さが観測され,港湾水産関係に損害を与えた(チリ津波合同調査班,1961;気象庁,1961)。また1877年5月チリ北部沖津波では東京湾で70cm、九十九里浜では死傷者も出した(三好,1962)。このほかにも日本沿岸に被害を与えた南米の津波が古記録にいくつかあり、この地域に起こるM8以上の巨大地震に注意を払いたい。そのほか南千島、カムチャツカ、アリューシャン、アラスカ沖で起きた巨大地震の津波は、例外なく日本太平洋沿岸全域で観測され(HATORI,1965)。三陸沿岸では水産関係に被害を出している。しかし、南関東では大体50cm以下の津波にとどまり、社会的には大して問題にはならなかった。これは前に述べた三陸津波と同様に、東北日本沿海を南下してくる津波に対して、関東沿岸以西では、島弧の折れ曲りによる蔭の効果が大きく現われるためであろう。

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Table1.南関東沿岸に影響を与えた津波

3.1923年関東地震津波と1703年(元禄)津波

 1923年関東地震では、世間一般から2次災害の火災に注目が集まり、この地震に伴った津波には被害の少なかったためか、関心が薄かったようである。しかし、津波の高さと影響範囲から津波マグニチュードはm=2と見積もられている。これは1964年の新潟地震津波と同程度の規模であり、相模湾沿岸、房総先端付近では無視できない津波である。
 津波調査は地震直後行なわれ、震災予防調査会(1925)と中央気象台(1924)からそれぞれ報告された。そのほかに田中館(1926)は、海岸の地殻変動の調査と合わせて、津波の高さについて、主に聞きこみによる現地調査を行なった。これらの調査結果から、各地の津波の高さを表示するとTable2のようになる。「B」の報告で熱海12m、房総先端付近の相浜9m、伊豆大島岡田12mと高さが異常に大きいのが目立つ。これらの高さは、おそらく傾斜地もしくは砂浜を津波が局地的にはい上った値と考えられる。各報告とも、具体的な測定地点についての記述が少ないので、相互の比較は困難であり、細かな数字をそのまま信用するわけにはいかないが、ほぼ波高分布の傾向をみることが出来る。
 1703年(元禄)津波について、大日本地震史料(第2巻)から各地の津波被害、浸水などの記録を拾いだし、津波の高さをごく大ざっぱに推定するとTable3のようになる。推定の根拠としては、津波被害や浸水域の広がりから、現在の水準点の高さ(B.M.)を基準に津波の高さを推測した。例えば外房の小湊誕生寺では、津波で寺の一部が破損した記事がある。5万分の1の地形図によるとその付近のB.M.は4.88mであり、地殻変動を無視すると6m程度の津波が考えられる。そのほかに、1923年関東地震津波と比べて津波の高さを判定した。したがって個々の高さの数値はごく粗いが、津波の挙動を大局的に理解できよう。
 1703年と1923年津波の高さの分布を示すとFig.1のようになり、下図で津波の高さの比較をする。図示のように、相模湾沿岸では両津波の高さの分布は、ほとんど同じ程度にみられるが、外房沿岸では1923年津波(白丸)より1703年(黒丸)の方が3倍近く大きい。このほかに古記録によれば、1703年津波は伊豆大島、八丈島にも多大の津波被害を与えた。震度分布では1703年と1923年の地震はよく似ているようであるが(萩原,1972)、波高分布から判断すると1703年津波の波源域は、1923年のものより南部沖合を考えさせる。なお、1953年房総沖津波の場合には、外房沿岸でも2m以下、相模湾岸では津波が認められていない。
 Fig.2には、浦賀水道から東京湾における1703年と1923年の両津波の高さの分布を示す。ともに高さは浦賀水道の口で高く,奥に進むほど減衰し東京湾内に入ると、ほぼ一様になる。1960年チリ津波の場合も、湾内では同様な傾向を示し、渡辺(1970)は理論的な解釈を加えた。古記録によれば、1703年津波の東京港付近の高さは1923年津波を上まわったらしいが、それでもせいぜい2m程度と思われる。もし将来東京港付近に2m程度の津波が襲ったとしても、津波が港湾護岸などの施設を直接破損するようなことは、まず免かれよう。しかし、地震でこれらの施設に被害が生じれば、零メートル以下の地域では浸水による2次的水害の発生も考えられる。

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Table2.関東地震津波(1923年9月1日)における各地の津波の高さ
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Table3.元禄16年津波(1703年12月31日)における各地の津波の高さ
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Fig.1.Distributions of the inundation height(unit:m)for the Kanto tsunamis of 1703 and 1923.Heights of the 1703 tsunami are inferred from old documents.
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Fig.2.Distributions of the inundation height(unit:m)in Tokyo Bay and Uraga Strait.Closed circle:the 1703 tsunami,open circle:the 1923 tsunami.

4.1923年関東地震津波の数値実験

 前述のように、南関東地方に大きい津波をもたらした地震は、1703年と1923年のものである。その内1923年の地震については、科学的観測結果もかなり揃っていることから、験震的、測地的に詳細に研究が行なわれている。従って津波についても地殻変動との関連において、量的な評価が期待できる。
 相田(1970)は、1923年の地震後に、水路部によってなされた相模湾底の水深測量の結果をもとにして、津波の数値実験を行なった。この実験の一つの目的は、水路部の測量結果である100m以上に達する異常に大きな海底の隆起沈降が正しいとすれば、海底の垂直変動の速さが非常に遅かったのではなかろうか、ということを検討するにあった。しかし、津波の周期に対して異った応答を示す相模湾岸と、東京湾岸の実際の津波調査の事実と計算結果を比較すると、津波をおこした海底の変動は少くとも数分間で終了することが必要であり、変動量もせいぜい6~10m程度にしかならない、と結論された。
 その後KANAMORI(1971)は、地震波の観測データから、この地震の断層モデルを発表した。またANDO(1971)は、測地学的データから、震源の断層モデルを推定した。その結果,両者のパラメーターはよく一致しているが、スリップの量のみは前者の2mに対して。後者は3~6mと異っている(本論文集8金森・安藤の論文参照)。以上の弾性論的な地殻変動の議論から、この地震によって生じた陸上部の垂直変動を、相模湾、東京湾の海底部分に外挿したような変動モデルは、地震波の験測事実とも調和することがわかった。そこで前の数値実験の補遺として、Fig.3に示すような垂直変動のパターンをもち、1分間で変動が終了するようなモデルによって、数値実験を行なった。これは、MIYABE(1934)によって求められた陸上の垂直変動の等高線を、安藤の数値計算を参照して海底部に延長したものである。
 数値実験の格子網は前の実験と全く同じく、4km間隔で25×37の大きさである。この実験結果を相模湾岸の地点について図示すると、Fig.4のようになる。Suppl.と符号をつけた白丸は、今回の実験値であり、地震前の平水面から最大の波の高さをメートルで示してある。これに対してEx.7と符号した黒丸は、前の実験で、最大変動量−6m、変動時間2分の場合を代表として示した。これを見ると、両者には1~2mの差がある。ところで実際の津波については、すでにTable2に示したような、現地調査の資料がある。これらは、陸岸の津波の高さを示しているが、数値実験では水深20~50mのやや沖合いの波が計算されるので、そのまま比較できない。海岸の水深を5mとして、単純にグリーンの法則を適用すると、岸では計算値の1.4~1.8倍の振幅になる。津波の波長に比べ相模湾の海岸傾斜はかなり急であるので、グリーンの法則をそのまま適用することにも疑問がある。また、格子間隔の疎さによる津波スペクトルの高周波成分の切断の影響もある。それらを含めて考慮し、ここでは計算点付近の沖合いでは、岸での実測値の1/2になっているとして、計算値と比較する。図中に縦線で示したものがそれで、地震後の地盤隆起を考慮し、またその長さは、数個の観測値を参考にしてきめた値の不確定さの目安である。この実測値は、ほぼ2つの計算値の中央に入っている。
 すなわち、今回実験した相模湾で最高2mの隆起があったとするモデルは、考えられる変動量の下限であって、実際に津波発生に効果的であった変動は、変動時間を1~2分以内であるとすれば、最大変動量が2~6mの間にあったと考えられる。
 なお、この種の実験において、もっとも確かな実測データは検潮記録であるが、当時の相模湾岸の記録は1つも得られていない。また、現在でもこの地域で利用できる検潮所の数が非常に少ないことは、残念なことである。

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Fig.3.Model of the bottom deformation for the 1923 earthquake.The vertical displacement(unit:m)is extrapolated from geodetic data on land.
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Fig.4.Observed and computed highest levels of the 1923 tsunami.Ex.7:a typical example in the previous experiments.Suppi.:the result of the present experiment.Vertical bars:uncertainty of the offshore 

5.むすび

 南関東を対象地域として、過去の津波の沿岸における高さの分布、および、津波数値実験の結果の一部を述べてきたが、これからさき、いつかは起こるであろう大地震において、津波は各地においてどの程度のものになるかをきめ細かく予測するには、まだまだ問題がたくさんある。あい路としては、地震にともなう地殻変動の予測の困難さが一方にあり、他方では、陸岸近くでの波の変形、陸上へのはい上りなどに関する予測の困難さがあげられる。最近における研究の進歩は、徐々にこれら両方の困難を打開するようになってきてはいるが、まだ満足できる段階にはほど遠い。現在の知識の段階では、第4節に述べたように、陸上での津波の実測値と、数値実験による値とを比較するところで大きな不確定性がはいり、結論がかなり定性的にならざるを得ない。これは、いまの数値実験モデルがかなりあらいことに問題があることは確かであるが、陸岸付近の取扱いについて新しいアイデアの導入が必要なように思われる。この点を解決しないと、これからの津波予報技術を進めることは難しいのではなかろうか。
 しかし、すでに第2節で述べたように、いままでの経験からいって、関東周辺の海におこる大地震では、震央の位置によっても少し変るが、5~6m程度の津波の高さは南関東沿岸全域で予想すべきであろうし、局所的には10m程度のはい上りの高さを考える必要がある。これに対し、東京湾内では地形が有利に作用して、波の高さは2m程度ですむものと思われる。
 これまでは、津波の高さだけを問題にすることが多かったが、近年の沿海利用状況からみると,津波にともなう流れが重要である。水深の小さなところでは、陸上被害が出ない程度の津波でも流速がかなり大きくなり、水産養殖施設,船舶、木材の繋留、その他に影響を与えるであろうし、海底の土砂洗掘や堆積などもひきおこす可能性がある。このような観点からも、津波対策を考える必要があるし、津波数値実験モデルの改良がのぞまれる。

文献
相田勇,1970,1923年関東地震津波の数値実験,地震研究所彙報,48,73-86.
ANDO,M.,1971,A Fault-Origin Model of the Great Kanto Earthquake of 1923 as Deduced fromGeodetic Data, Bull.Earthq.Res.Inst.,49,19-32.
チリ津波合同調査班,1961,1960年5月24日チリ地震津波に関する論文及び報告,丸善・東京・中央気象台,1924,関東大震災調査報告(地震篇).
福富孝治,1936,伊豆下田における過去地震津波の高さ,地震研究所彙報,14・68-75.
萩原尊礼,1972,明治27年東京地震,安政2年江戸地震,元禄16年関東地震の震度分布,地震予知連絡会会報,7,27-31.
HATORI,T.,1965,Study on Distant Tsunamis along the Coast of Japan,Part1,Distribution of Tsunami Energy and Travel Time,Bull.Earthq.Res.Inst.,43,499-508.
羽鳥徳太郎,1973.日本沿岸における津波のエネルギー分布と到達時間,地震[ii]26.1-7.
IIDA,K.,D.C.Cox,and G.PARARAS-CARAYANNIS,1967,Preliminary Catalog of Tsunamis Occur-ring in the Pacific Ocean,Hawaii Inst.Geophys.,Univ.of Hawaii,HIG-67-10,DataReport No.5.
今村明恒,1949,本邦津波年代表、地震[ii]2,23-28.
KANAMORI,H.,1971,Faulting of the Great Kant Earthquake of 1923 as Revealed by Seismo-logical Data,Bull.Earthq.Res.Inst.,49,13-18.
気象庁,1961,昭和35年5月24日チリ地震津波調査報告,気象庁技術報告,8.
MIYABE,N.,1934,0n the Vertical Earth Movement in Kwanto Districts,Bull.Earthq.Res.Inst.,9,1-21.
三好寿,1962,津波,日本海洋学会20周年記念論文集,265-271.
震災予防調査会,1925,震災予防調査会報告,100乙.
田中館秀三,1926,関東大地震と海岸の昇降運動,1~4,地学雑誌,38,130-135,188-201,324-329,374-390.
渡辺偉夫,1968,日本およびその周辺(沖縄および南千島を含む)の津波の表,地震[ii]21,293-313.
渡辺偉夫,1970,南関東沿岸の津波,地学雑誌,79,167-174.

6.Tsunamis in the South-Kanto District.

By Tokutaro HATORI,Isamu AIDA and Kinjiro KAJIURA,
Earthquake Research Institute.
 In this report two aspects of tsunamis in the South-Kanto district are treated:(1)Review of past tsunami records,(2)Numerical hydrodynamic experiments on tsunami generation.
 After the chronological listing of documented tsunamis in the past,the height distributions of two Iarge tsunamis accompanying the giant earthquakes in 1703 and 1923 are summarized.The estimated inundation heights along the coasts of Izu and Boso reflect the difference of the source locations of these two tsunamis.However,in both cases,the inundation height along the open coasts seems to have reached 5 to 6m with the localized run-up maximum of about 10 meters.On the other hand,the height of the tsunamis that invaded Tokyo Bay did not exceed 2 meters.
 Numerical experiments concerning the generation of the tsunami for the Great Kanto Earthquake in 1923 is briefly explained.Assuming a reasonable pattern of the sea-bottom de-formation,consistent with the geodetic evidence on land,the behavior of the generated tsunami is examined.The comparison of the computed tsunami heights along the coast with the ob-served heights indicates that the maximum vertical displacement of the sea-bottom generated this tsunami would be in the range of 2 to 6 meters.