[I]震央及び觀測所の位置が與へられた場合,震央に於て生起した地震津浪の波動が如何なる形の經路を描いて觀測地に襲來し來るかと言ふ問題に就いて,著者等は此處に多少數學的の考察を試みた.此の問題に關して從來試みられた方法は,言はば多く數値的の方法であつて,所謂ハイゲンス(Huygens)の原理を津浪波動に應用して其の次々の時刻に該當する波動前線(Wave front)を描き,其の上にて,斯かる波動前線の各々を直角に截る直截線(Orthogonal-trajectory)として津浪の經路を求めて居た.此の方法は地震津浪の經路に對して,恐らくは最も眞實に近き經路を與ふるものではあらうが,只可なりの時間と勞火とを要するのである.寺田博士は此れに對して次の如き方法を提出せられた.即ち,海圖上に於て震央と津浪の襲來地點とを連ぬる(津浪の經路と思しき)數本の線を引き,此れ等數個の假想經路の各々に就きて津浪波動の傳播するに要する時間を計算し,其の最小なるものを以つて實際の經路に最も近きものならんと推定する方法である.著者等は矢張り傳播時間が最小てふ假定を基として出發したいと思ふ.扨て實際問題として,觀測所即ち驗潮所(S)は多く灣内に存在し,Sより灣口(O)迄の經路SOは略々此れを推定するに容易であるが,Oより震央或は波源(E)に至る經路OEを推定する事が困難である(第一圖參照).今Oの水面を直交座標軸の原點に採り,Z-軸を下方に,又X-及びY-軸を適當に選び,震央EのX-,Y-座標を夫々a,bとすれば,a,bは勿論既知の量である.扨て,地震津浪を長浪(Long wave)と考へ,其の傳播速度をVとし,Kを求むる津浪波動の經路と考ふれば,V=√gzなるが故に,OE間を傳播するに要する時間τは明かに次式で與へられる.
【式】
故にKに沿ふての所要時間が最少てふ條件は
【式】・・・(1)
である.
此の最後の式に於て,深さzはx及びyの函數なるが故に{}内の式はx,y及びy’の函數である.今此れをF(x,y,y’)にて表はせば,吾人の條件は【式…文中1】となる.此の式を滿足する如きy=f(x)は求むる地震津浪の經路を表はす式に他ならぬのである.而して此れを求むるには,變分學に於ける彼のラグランヂ(Lagrange)の式を解けば良いのである.即ち
【式】・・・(2)・(3)
となる.此れは求むる經路の微分方程式の最も一般な形式である.扨て實際の場合には,海底面の形状が極めて複雜であり,zはx,yの複雜な函數となる爲め,(3)を一般に解く事は至難であるが,z(x,y)がx,yの或簡單なる函數として表示せらるる場合には解く事が不可能ではない.然れば,z(x,y)が如何なる形の函數ならば(3)が解き得らるるかと言ふ事を論ずる事も數學的には興味の有る事である.然し,此れ等に關する論議は他の機會に讓る事とし,此處には一つの實例に就いて如上の方法を適用して見度いと思ふのである.
[II]等深線が平行に走つて居る場合には(3)は簡單な形に變化する事が出來る.即ち,此の場合は等深線に直角の方向,即ち海底面の傾斜の最も急なる方向にX-軸を採れば,zはxのみ函數となり,δz/δy=0なるが故に,結局(3)は
【式】・・・(4)
となるのである.
此の條件を略ぼ倶へた實例の一つは,今次の三陸地震に際して津浪の襲来を受けた宮城縣追波川河口月濱(東經141°27・′0,北緯38°34・′7)である.第二圖は追波灣の海圖で,月濱は同灣の奧に存在する.曲線K0は上に述べた如く觀測地點月濱より灣口O(東經141°33・′3,北緯38°34・′6)に至る經路で,Oは水深約40尋の所である.第三圖は追波灣より震央に至る一帶の海圖で,等深線は,極めて大略ではあるが,略々平行に走つて居ると見做しても左程不穏當ではない.今Oより海底面の最大傾斜の方向に沿ふて直線OXを引き,此れをX‐軸に選び,X軸に沿ふ深さzの分布を見れば第一表の如くであつて,此れを圖示すれば第四圖の○印の如くである.又圖の曲線は此れらの點を最も良く通る如く引いたもので,餘り單一ではないが震央E(東經144・°6,北緯39°・2)からOに至る間の曲線は,略々A(第一圖)を頂點とする放物線の如く見做して差支へないと思ふ.即ち,今OA=dとすれば
z=α(x+d)^2・・・・・・・・・:・・・・・・・(5)
と書く事が出來る.茲にd=5790米,α=1.62×10^-7である.扨て(5)を(1)に代入すれば
【式…文中2】 從つて【式…文中3】となる.
故に 【式…文中4】
,求むる經路がO(0,0)及びE(a,b)を通る事より積分常數β及びγを決定すれば,結局經路の方程式は
【式】…(6)
となる.此れは勿論【式…文中5】に中心を有し,【式…文中6】を半徑とする圖の方程式に他ならぬのである.然れば,幾何學的に經路を描く事は極めて簡單であつて,Aを通りY-軸に平行なる直線と,OEを結ぶ線分の垂直二等分線との交點Cを中心とし,COを半徑とする圓弧EOを描けばよいのである.
[III] 次に津浪波動が上に求められた經路EOSに沿ふて傳播する場合に要する時間の略値を計算しやう.
所要時間【式…文中7】であるが,現在の目的には此の代りに【式…文中8】を用ひても結果に於て變る所は無い.但しhkは各等深線によつて區切られた經路の長さs_kに對する平均の水深である.s_k及びh_kの略値を示せば第二表の如くである.
此の表のsk及びhkを用ひてτを計算すればτ≒50分8・3秒となる.次に實際の所要時間を驗潮記象から檢べて見やう.今次の三陸津浪に際し,月濱に於いては驗潮記象に顯著な津浪の現象を現はした.(驗震時報.第七卷,第二號.關口鯉吉,中野猿人: 驗潮儀に依る三陸津浪の調査報告附圖參照.)又幸に地震の跡を殘して居り,且つ津浪の初相も比較的明瞭である.今地震の痕跡の印せられた時刻を約2時32分と見れば,津浪の初動の到達せし時刻は約3時18分である.故に今發震時を2時31分とし,津浪が地震と同時に起されしものと考へ,且つ津浪の波源を假りに震央と同一箇所なりしものと見做せば,(今村博士其の他に依れば,津浪の波源は必ずしも震央と同一箇所には非ずと言ふ.若し然りとすれば此處に言ふ所のEの位置,從つて此の所要時間は多少修正さる可きである.)實際の所要時間(τ)は(τ)≒3h18m-2h31m=47mである.而して此れは吾人が上に計算せしτの略値と略ぼ同程度の大さである.次に參考迄にEOを直線にて結び,斯かる經路EOSに沿ふて津浪波動が傳播せしものと考へて,其の所要時間の略値を計算すれば次の如くである.即ち此の場合sk及びhkに相應する[sk],[hk]の略値は第三表の如くであつて,此れより決定せられたτの略値は[τ]≒51分50・1秒である.故にOEを直線にて結ぶよりも圓軌道とする方が幾分實際の所要時間に近き數値を與ふる事となるのである.
要するに,現在は未だ十分精密なる海圖も無く,津浪の波源の位置に就きても之を精確に斷定する事が困難であるから,以上の所論も多少豫備的のものではあるが,津浪波動の傳播經路の大勢を推知する上に何等かの示唆を與へ得るであらうと信ずる.著者等の企圖も此の目的の爲めに外ならなかつたのである.
(昭和八年七月中央氣象臺)