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緒言

 昭和21年12月21日早暁、近畿、四国、中国に亘つてかなり強烈な地震が起り海南地方一帯に津浪が来襲して、一瞬のうちに沿岸の小都市・村落を薙ぎ倒し洗ひ流し、多数の人命、多額の財物を一挙に奪ひ去つた。同地方では之と同様な惨害を、去る昭和19年12月の東海地方の地震の時にも惹起して居り、相続いて天災に見舞はれた訳で、戦災に依つて極度に困窮して居る我が国にとつては所謂「泣面に蜂」的の損害であつた。
 由来、地震に伴ふ津浪の惨害は、地震国と迄云はれう本邦には過去に於いて何遍となく繰返されて居り、将来も亦、同様に繰返されるであろう宿命的な現象であり、防災上、之が豫知及防止は重大なる課題の一つである。然るに地震現象及び之に附随する津浪の現象は其の機構が甚だ複雑であるので、研究上困難が伴ひ,共の發生回数が僅少で、豫知は愚か、防止方法すら未だ完成されて居ないのは甚だ遺憾である。他の一般の自然現象の様に人生に於いて、日に何度とか月に何度とか屡々繰返されるものであれば、津浪は天変地異ではなくなり、研究を待たすとも、人々は夫々適應せる生活様式を見出し、災害より免れてゐるであろうが、所謂天変地異なる類のものは、精々一生に一度位しか體験出来ず、人々の忘れかけた頃に再び襲つて来て、同様な悲惨な災害を起すもので、我々は今更の如く怠つた研究を悔い、足らざりし防備を嘆かねばならないのである。
 斯かる意味から、今回發表せる災害は、實に得難い研究資料であるめで、我々は過去の體験の基礎に加へて、一歩でも防災方法を前進發達せしめ、次代の災禍に備へて万全を期さなければならないのである。
 林業試験場防災部技官四手井綱英、技官川ロ武雄、技官渡邊隆司の三名は、和歌山縣當局の要望により、上司より津浪の被害及び防潮林調査の命を受け、昭和22年2月20日より、3月2日迄の11日間、短時日であるが、津浪の被害の最もはげしかつた南海地方、和歌山より串本迄の海岸一帯に亘り、特に防潮林及び防潮諸施設の効果に重点を置いて調査したが、本報告はその調査記録を取纏めたものである。
 本調査に當り多大の御援助を受けた和歌山縣経済部長、同瀧州林務課長、同古賀林務課員、大阪営林局佐伯経営部長、同佐野計画課長、同山本計画課員、各地方事務所の関係各位、調査地役場の御一同に對し、深謝の意を表する次第である。又幸ひ同行していただいた京大農学部林学科の佐藤教授、岡崎助教授、柴田助手の視察上の御指導に對しても深謝するところである。尚挿入せる寫眞は主として、大阪営林局及び和歌山縣林務課に於いて撮影したものであり、又東大地震研究所長津屋教授より、今回の地震の調査報告たる「地震研究所研究速報」第5号を戴き、地震の概要、規模、津浪の性質等を知り、防潮対策上の参考資料とすることが出來たので、特に記して感謝の念を表すものである。

第1章 地震及び津浪の概況

第1節 震源及び地震の性質、強度

 大阪気象台の發表によれば、本地震は12月21日午前4時19分6秒に發生し、初期微動継続時間2秒2、初動方向北、上下動は最大振幅5糎、性質やや強、震動時間約1時間、中心地は紀伊半島沖やや東寄り40粁と推定されると云ふことであつたが、中央気象台の速報によると各測候所に於ける親測より定めた震央は、東経135度、北緯33度で、後に東経135.3度、北緯33.4度と訂正された。之によると、潮岬南方よりやや西寄りとなり、津浪高も、紀伊半島西海岸に高かつたことがうなづける。各地の震度は、和歌山、奈良は震度5、大阪、京都、兵庫、鳥取は中震、震源地は烈震の模様である、とのことで一昨年の熊野灘に起つたものより大きく、同様に断層地震と思はれ、本州南部を東西に走る環太洋地震帯の一部をなす外側地震帯を震源地としてゐるものである。此の外側地震帯の活動に依る海中の地震には津浪がつきもので、三陸海岸及び南海地方は、過去に何回となく襲はれてゐるものである。

第2節 津浪の概況

 (1)地震より津浪来襲迄の経過
 津浪来襲経過につき、各地方の人々の言を綜合すれば、同地方の人々は屡々津浪に合ひ、その言傳へを聞いてゐる上に、一昨年の東海地震の経験を有し、最近同地方で土地の陥没、隆起の噂多くかなり皆が注意してゐたので、地震來襲と同時に津浪を考へ、避難の準備をしたものが多い。それらを綜合すると地震後15分と云ひ、20分と云ひ、長くて25分位と云ふものがあり、大体に於いて15~25分後に第一回の津浪が来襲したらしい。何分早暁の事とて、外界は暗く海面の状態は判断出來なかつたらしく、津浪來襲に先立つて來る引潮の現象も2、3の村で偶然に海岸に居た人が認めて居るが、下津の検潮器の記録によつても明かに一度引潮があり、次に第1回の津浪が來襲してゐる。安政の大津浪の事を古老から聴いたものによると、地震後飯を炊き、握飯にして逃げる余裕があつたと云ふから、今回より遙かに長く、而も引き潮は、遙か沖の島のすそが見える迄引いたと云はれ、規模がかなり大きかつたものと思はれる。然し、今回でも例へば、新庄の内の浦では、小牛を引き出して、山の上迄つれて逃げる暇があつたとのことで、豫備知識をもち、地震後冷静に処理さえすれば、避難する丈の時間は十分にあることがうかがはれる。第1回の津浪は暗くて様子はよく判らなかつたらしいが、ごうごうと大きな音がしたと云つて居る人があつた。
 東大の震研の研究速報に依ると、今次の津浪の來襲が、寛永、安政のものに比べ、極めて早かつたと述べられてあり、尚この事実と各地に著しい地盤の昇降があつたことから、浪源は陸地周邊で起つたものと判定するのも無稽の説とは云へないであろうとしてある。
 (2)津浪の大さ及び回数
 津浪の大さは後に記す如く、湾形及び湾の向きにより大差があり、串本町の図面に見る如く、最大6米余でかかる個所では海岸の民家は、屋根の上迄上つてゐるものがあるが、他のところでは海岸で軒先迄位のところが多かつた。住民の言によると、第2回又は第3回が最大であつたらしく、各回の高さの差は不明であるが、壁等に印された痕跡より判断すると、最高より各回毎に15~20糎づつ減水してゐるらしいから1、2、3回の差もそれ位かも知れぬ。壁の痕跡では土壁に印されたものは、上より3本迄明かに読みとれる所が多く、それから下は一様に壁が落ちてゐるのは面白い現象で、土壁の津浪に對する強度が知れる様である。ガラス戸や、コンクリート壁に記されたものでは6~8回読取れる所があり、其の読みは次の如くである。乃ち、最上部から20糎、25糎、30糎、45糎、80糎、又他の場所では最上部の筋から20糎、36糎、54糎となつて居り、之によると浸水高膝迄位になるのに最高になる迄の二回を加えて、8~10回位來襲した樣子で、平水迄には、15回位來たのではないかと思はれ、台風津浪が1回で終るのに對し、地震津浪の性質をはつきり示してゐる。
 (3)津浪の性質及び地形との関係
 一般に津浪は怒濤の如く白浪を立てて、大壁の崩れて蔽ひかぶさる如く押寄せて來ることを連想するが、住民の言によると案外静かなもので、今回は第3回位迄は夜明け前で不明であるが、明るくなつて目撃したものによると、波頭が少しく白波となつてゐるが、唯海面が盛上つて來る様に移動する丈だとのことで、音もゴウゴウと汽車が走る様な音が聞えたと云ふものあり、又場所によつては音もなく急に満水する様にやつて來た、そして川を遡る時は、ゴーと音がしたと云ふものもあり、結局速度は早いが、所謂暴風の時の様な激浪ではないらしい。若し怒濤の如きものであつたら、民家の壁に波形の跡でもありはせぬかと、各地で随分良く注意し、海に平行な面と直角の面を見てまわつたが、何れも全く水平一直線であつて、海岸に面した所も、づつと離れた所も、海面が極く静かであつたとしか思へない様であつた。其上例へば、廣村の耐久中学校舎の窓ガラスが、下部のみ一様に破れて居り、他に被害のないのは、津浪のみの力は普通の窓ガラスを破る位の力と思はれ、土壁は前記の様に三回の津浪の跡を残して、下部が崩れる丈で、之は浸水時間が長かつた事に起因するもので、津浪の力が大なるものであれば、壁等は上から落脱してもよい筈である。尤も壁線は、その回毎の最大水位を示すものであるから、曲線のマキシマムに於ける切線の如く、水平となるのが當然であらうが、それにしでも小波の跡すらないと云ふことは、矢張り急速度の多量の浸水と認めるのも無理ではないと思はれる。
 震研の研究速報にも、今回の津浪の規模について、動力学的な作用の少いことを述べ、津浪としては極く緩かな部類に属し、田邊湾の如き入江の多いところでも、津浪高が余り高くなかつたこと、白濱海岸と網不知が各々外海と内海に臨んでゐるのにかかわらす、両地に於て津浪の高さに大差なかつた事を擧げてゐるが、之も今回の津浪が大壁の崩れる如く蔽ひかぶさつて來たのではなく速度の速い浸水だと云ふことを裏書してゐるものであらう。
 要するに、津浪は之等の事實より見れば、來襲したとき、津浪自体の破壊力は大したものではなく、家屋の破壊、流失等の原因は、津浪自体に依るよりも後述する様に二次的に起つたものと判断せられ、又各所で上潮の速さは人の走つて逃げるよりも遅いが、引潮は非常に速かつたと云ふことを聞き、引潮による被害の方が甚大であつたと云はれ、事實、工作物が引潮方向に傾き、転倒してゐたものが多く、是等の内には、上潮方向の力のみを考へ、引潮の力が裏側より加はるのに對して十分考慮がなされなかつたと思はれるものもあつたが、引潮の速度の方が遙かに早かつたと云ふことは、引潮の力が大きく、この為に破壊されたものがより多かつたのであろう。
 地形との関係は、従來何度も述べられてゐるから、此所には記さぬが、矢張りV宇型、U字型の湾が特に高い様で、今回は震源が潮岬南方西寄りであつた為、紀伊半島西側の海岸が、東海岸より遙かに浪高が高かつた。

第2章 被害概況

第2節 被害区域

 本地震は、奥羽地方中部以北を除く日本の中西部全般の人々を驚かしたものであるが、倒潰家屋のあつたのは、中部地方の一部より、近畿、中国、四国、九州に及び、殊に四国に於て最も大であつた。陸上に起る普通の大地震と異り震域の廣いことは驚く程で、この様な大地震は、南海沖に起るものとされてゐるそうであるが、震研速報に依ると、関東地震より大きく、三陸地震より小さく、又昔の大地震と比較すれば、寶永4年の南海地方地震よりは小さいが、安政年11月の南海地震とは伯仲してゐると云ふことである。被害のあつた府縣は長野、岐阜、静岡、愛知、三重、滋賀、京都、大阪、兵庫、奈良、和歌山、鳥取、島根、岡山、廣島、山口、徳島、香川、愛媛、高知、福岡、長崎、熊本、大分、宮崎の2府23県に亘つてゐる。

第4節 被害程度

 被害程度の詳細は、内務省警保局公安第一課より發表された府縣別の統計等其の他の報告がある故、此処では簡単に被害総数のみを記することにする。
 死者1354名、行方不明113名、計1467名、傷者3807名、全潰住家9070、同非住家2521、半潰住家19240、同非住家4283、焼失2595、流失家屋1451、工場其他全壊70、半壊79、浸水28879、橋梁損壊160以上、堤防決潰627以上、道路決潰1531以上、船舶流失破損2349
 尚詳しく調べれば、更に被害程度は増すであろう。

第5節 既往津浪との比較

 之も地震研究所研究速報第5号に詳しく述べられてあるので、此処では、同報告に依つて、その概要を簡単に述べておくこととする。
 本地震は前述の如く、関東地震と三陸地震の略中間の大きさで、寶永4年の南海地震より小さいが、安政元年11月の南海地震とは伯仲の間にあると云はれる。
 安政地震との比較について見るに、震度は未だ資料が十分ではないが、今回が稍々小さいらしい。建物の震害による比較は、西部地域について見れば、安政地震の方が今回より大なることが知られるが、東方地域については、安政度に於ては、前日11月4日の東海地震と区別出來ない為、比較不能である。
 津浪の高さによる比較については、安政地震と今回の地震の震度分布が酷似してゐるが、津浪の様子について、同一地点に於ける比較を行つた結果によると、安政度の方が高かつたことは明瞭である。
 今次の津浪は、その來襲が、寶永、安政度に比して、極めて早かつたことである。このことは、津浪發生地点が陸地近傍であるといふ説を立て得る条件の一つである。
 安政度と今回の津浪を同一地点について比較したとき、両者に殆ど差がない地点と、非常に大差ある地点とあることであるが、之は湾の向きと、津浪來襲方向の相違に依つて生じたものであると云ふことで、安政津浪は東寄りから、今回は南寄りからこの地方に進行して來たものと考へられる。
 この地方は、地震に伴つて、紀伊半島及び室戸半島の突端は、はね上り、紀州では田邊以北、土佐では高知以西の地盤が沈降する特徴があるが、今回も略この傾向に従つてゐるらしいとのことである。
 古來より、南海に生じた地震のうち、記録の確かな最近600年を見ると、正平16年以後7回、平均間隔98年、このうち明應7年の地震はむしろ、東海地震と云ふ可きで、昭和19年の東南海地震域は安政元年11月4日の東海地震に當るものかとも、考へられてゐる故に、それ等を省けば平均間隔は約120年になる。

第3章 調査方法及び個所別記録

第6節 調査方法

 時日が短かかつたので細密な調査をなし得なかつたので、和歌山市より串本町迄の海岸で、特に津波の害の多かつた個所につき、防潮施設を有するものと有しないものに分け、出來る丈多くの調査をなすことにした。調査の重点を防潮林及び防潮工事に置き、視察したのであるが、主として目測によつた為、精密な数字を得るには至らなかつた。

第7節 調査個所

 防潮林を有する個所 南廣村、廣村、切目村、南富田村、東富田村、串本二色、計6個所
 防潮林を有せぬ個所 由良村、田邊市文里、新庄村本村及び内浦、白濱、東富田村袋谷、東富田村朝帰(防波工事あり)、串本袋、計8個所
 其の他防潮林を有してゐるところで、残念ながら割愛した所に、周参見町と御坊町がある。

第8節 調査個所別記録及び所見

 (1)和歌山縣有田郡南廣村大字西廣
 (1)調査記録(圖2参照)
 本海岸は、大きなU字型海岸線の中の、小さなU字湾をなし、海岸線に沿つて石垣を設け、垣の後方は直ちに道路となつてゐる部分と、防潮林を控えた部分とより成つてゐる。防潮林は、主林木として「クロマツ」が植栽してあり、海岸に面して10年生の「クロマツ」が、1米聞隔で、10~20列、その後方に林齢100~150年生と思われる老齢の「クロマツ」が10米間隔で2~3列植栽してある。幼齢林は、樹高5米、直径2~4糎、樹冠半径1~1.5米、老齢林は、樹高20米、直径20~60糎、平均枝下高8~10米、樹冠半径5~10米で、両者共に適度の櫻閉をなして居り、一斉林型で生育良好である。林中には「アキグミ」「マサキ」「トベラ」等の灌木類が生育し、之等は、樹高5米、樹冠の發達良好であつた。地床植物としては「草類」「スゲ類」「ハマエンドウ」が密に蔽つて居り、土壌は礫を含んだ砂であつた。防潮林の後方は蜜柑畠があり、之等林木の津波に依る被害は無かつた。
 護岸工事は、林の基礎となつてゐるものは、練積石垣で高さは地面より1.8米、法2分、中央の部分59米が海岸に向つて倒壊してゐた。又道路個の浸水を防ぐ石垣は、空積で法3分、高さ2.8米、天端幅1米で、堤の上に更に0.9米程石で圍つて土を盛り「アセダケ」を植栽してあつた。この堤も防潮林寄の部分が69米破壊し、此所より後方300米迄浸水し、田圃は20糎程、畝の見える程度に土砂をかぶつた。津浪の高さは、道路上め電柱に塵のかかれる事から、約6米と思はれ、波は6回來り、3回目が高かつたと云ふことで、後方の90戸の家屋には被害はなかつた。
 (2)所見
 ⅰ. 現在の所防潮林に附帯したコンクリート壁の護岸は、破壊状況より見て裏側が薄弱で引潮により、外方に転倒してゐる。裏に潮流の浸入することを考へ、裏面も表面も同様に堅固に塗り固めると共に、重力堰堤の如く重心を下方にさげ、重量を更に増加することが望ましい。例へば断面を梯形にして法面の勾配をゆるやかにするのも一案であるが、緩に過ぎる時は、浪に加速度をつけて、勢を強めるから、之も考慮する必要がある。
 ⅱ. 河口の護岸は更に上流迄延長するのが必要である。
 ⅲ. 空積の防波堤は、之を練積にやり直すか、村道を高くして、防波堤上面と同高にし、道路を防潮堤に兼用せしめ、出來れば其の外個に松並木を作ることも考へられる。更に低地の田畑地は一部犠牲的な遊水池として、その背後に必要な高さの土堤を築く時は、水田の浸水を一部で喰止め得るのではなかろうか。
 (II) 有田郡廣村
 (1) 調査記録(圖3、4参照)
 廣村は海岸線の形、相隣れる湯淺港の防波堤の影響で、津波高は湯淺より高く、4.9米と云はれるが、古來より防潮施設に手を盡し、海岸より護岸堤、海岸林、土堤と三段構に配置され、以て部落を浸水から救つた。
 海岸林の主林木は、「クロマツ」で、其他に、土堤の法面保護の為「ソメイヨシノ」及び「ハゼ」は植えられてゐた。「クロマツ」は、150年生と、80年生とあり、前者は樹高25米、鬱閉度密で、10~15米間隔で5列に植栽した一齋林で30年生のものを移植したとのこと。後者は樹高20米、直径30~35糎、枝下高5~10米、鬱閉度中、10~15米間隔、10列の一齋林で生育良好である。灌木には「マサキ」があり、樹高は5米以下で、鬱閉度は疎で群生してゐた。地床植物は芝。土壌は砂で礫が多い。
 林木の被害は、耐久中学校前の「クロマツ」の根倒れが三本あり、何れも樹高15米、直径45糎、樹冠發達は中で、支根が發達し、主根を缺いてゐた。之は地下水中の塩分の為、主根が發達出來なかつたのであると思はれるが、侵蝕によつて砂が流され根が露出して、樹体を支え得ず、転倒したものである。又中学校の周囲の「クスノキ」が、潮害の為、葉が皆枯れてゐた。防潮工事は、護岸堤が練積石垣で、法2分、高さ1.7米、幅0.8米で、一部欠潰してゐた。土堤は、断面A—Bのものは片面が、空積法2分のもので保護され、他は張芝で固められ、高さ5米、幅1米。断面C—Dのものは、高さ4米、幅2米、45度傾斜で、張芝で固めてあり、尚「ソメイヨシノ」「ハゼ」の根や「クロマツ」の根が斜面迄這上つて、斜面を保護してゐた。
 建築物の被害は、日東紡績工場が一部破壊、一部壁落ち、耐久中学校の校舍の一部破壊、壁落ち、ガラスの下部が破れてゐる。
 浪は江上を遡つて水田に侵入し、この為に水田は30糎土砂をかぶり、一部表土の流失したところもあつた。又防波堤の材料らしき30~50糎の角礫が多数流入してゐた。
 大型漁船の上陸は、二個所に見受けられ、一は耐久中学校前に松林にて止りその為に後方の校舎に衝突して之を破壊するのを防ぎ得た。他は道路の堤防につき當つて、畠の中に残つてゐた。
 日東紡績工場の側の木橋は流出し、其他海中に突き出た防波堤も一部欠潰してゐた。
 (2)所見
 本村は前述の如く古來防潮施設に努力を傾倒したので、現在の防潮林に申し分のない迄に良くなつてゐるが、更に次の点に考慮されても良いと思ふ。
 i. 河川の河口の護岸の増強
 ii. 防潮林北側の護岸工、土堤を有しない松林には、引続き防波護岸堤と土堤の築造が望ましく、川ロ附近迄延長すれば完璧であろう。更に松林後方の堀割は浚渫して舟だまりとし、浸入の際の潮流の逃げ場に利用したいものである
 iii. 耐久中学校前にも防波堤或は土堤の延長が必要であるが、江上川口附近東洋紡を含めた地域を遊水池とするならば、其の後方に適當な築堤が必要である。
 IV. 紡績工場は、将來を考へれば不適當な立地と思はれるが、そのまま存立するならば、強固なコンクリート壁或は松林の如きもので囲み、災害を最小に防ぎたい。
 (III) 日高郡由良村
 (1) 調査記録(圖5参照)
 由良港は、山に囲まれ深く入りこんだU字型湾の奥にあり、港としては良い場所である。地震のみによる破壊は殆ど無いらしく、地震後2分で來襲した津浪により、大きな被害を出したのである。
 本村は前述の如く山が海岸に迫り、由良川沿岸及び海岸近くの僅かの平地に部落があり、防潮林を設ける余地は無いところである。
 防波堤は空積45度勾配で、天端に更にコンクリート壁を設けてある。一部分外海方向に流失してゐた。
 海岸添ひの道路には袖石兼用のコンクリート堤があり、是が継目より上部が転倒してゐた。
 浪高は港口に於いて約4米と云はれる。家屋の破壞は、民家12~13戸。元海軍機雷学校や製粉所が全壊し、その流材がぶつかり、民家が倒壊したと云ふ。
 由良川の木橋は流失し、又舟の上陸によつて壊された家屋もあつた。津浪は由良川を遡つて氾濫したので、川の沿岸は河口より相當上流迄浸水し、浸水家屋の壁は皆落ちた。村では河口附近に遊水池を設ける豫定であるとのこと。
 (2)所見
 i. 村で湾の入口に防波堤を造りたい意向であつたが、賛成のことである。
 ii. 村では、河口附近の低地帯を遊水池として、建物を禁止して、田畑とし免租地とする案をもつてゐたが、適切であると思ふ。河口附近の低地帯の浸水を完全に防止することは不可能で寧ろある範囲の犧牲地を持つことは隣接せる村落へ強烈な津浪の押寄せるのを幾分でも緩和することになる。此の点、南廣村で述べたのと同様である。
 iii. 由良村両側の地域は、山が迫り土地の余裕が少い。此処に埋立して防潮林を作るとの案があつたが、埋立地は軟弱であり、事業的にも多大の困難が伴ひ、植栽した樹木の生育も不良になるものと考えられる。この様な場所は、利用買値の多い平地が少いのであるから、被害も僅少に止る故、家屋を一段高い土地に移し、平地は浸水に委せた方が得策かも知れない。或は同地で生育の良い「アコウ」等の潮風、海水に強い熱帯樹を海岸沿ひに並木として植栽し、津浪の勢力を減少するのも一案であろう。
 iV. 同村には、戦前、セメント工場があつたので、道路及び防波工事は全部コンクリートで非常によく出來て居るが、コンクリートの継目が不完全なのと天端が路面より出て居て、袖石としてある為、引潮によりかなり長距離に亘つて護岸工事が破壊してゐたのは、工事上注意を要する点である。
(IV) 日高郡切目村
 (1) 調査記録(6圖参照)
 本村の海岸線は、極端な凹凸なく、僅かに弧状に入りこんでゐるが、津浪高は3.7米で、切目川が海岸近くで曲折して方向を変え、海岸線を並行して流れ潮時海に流入してゐる。海岸側の川岸は大きな砂丘をなして居り、梅林、竹林松林が、護岸、飛砂防止、防潮を兼ねて居るが、浪は此所でも河を遡つたらしく、砕丘を越え、切目川沿岸の田畠に浸水した。家屋は一段高い所にあるので浸水は免れてゐる。
 切目川の山側の岸には「クロマツ」の林があり、コンクリート壁が、護岸及び林地の基礎となつてゐる。「クロマツ」は老齢林と幼齢林とあり、老齢林は樹高30~35米、直径60~80糎、枝下高10~15米、樹冠半径5米、鬱閉度密で生育良好である。幼齢林は昭和13年に植栽したもので、樹高5~10米、直径3~5糎、枝下高1.5米、樹冠半径0.5米、鬱閉度密で1米間隔で5.000本植栽したもので、川岸より輻40米あり、林には地面より0.5米浸水したのであるが、被害なく、後方の「ナツミカン」も潮害はなかつた。砂丘には川岸に「ウメ」「タケ」の林があり、是も潮害はなかつた。松林中の灌木には「アオキ」「ノイバラ」「ヤマモモ」「トベラ」があり、樹高1.5~2米で鬱閉度は疎で、昭和11年に植栽したものである。「ヤマモモ」は生長は良くなく、「アオキ」は良好であつた。地床の植物はスゲ類が極めて疎に生えてゐた。土壌は砂及び粒径0.5~1糎の礫である。潮害を受けた植物は「ハギ」「マメ類」「ムギ」が枯死してゐた。
 工作物は切目川の山側の岸に高さ3米のコンクリート壁があり、一部破壊されてゐた。又川の曲折することには、張石の護岸及び木柵で保護してあつたが張石は一部崩れたところがあつた。
 本村の西ノ地の海岸は、高さ2米の石垣を設け、上塗をしてあり、堤上に簀垣を置いてあつた。その後方には松林及び家屋があり、土地が高い為に津浪はこの石垣は越えなかつた。切目川の河ロにあつた木橋は流失してゐた。
 (2)所見
 i. 河口附近の護岸は、前述の各地の護岸と同様で、更に研究を要する。本村の河口附近には南海地方に珍しく砂丘が發達し、為に河口が大きく左旋して居り、毎年雨季には河水が氾濫して田畑を害するとの事であるので、此の両者を併せ考へて河川の改修を進める必要がある。
 ii. 現在の防潮林を更に延長するとの考であつたが、耕地をつぶして防潮林とするのは、一考を要する。寧ろ河の前面の砂丘を利用し、砂防を兼ねて更に1.5~2米砂丘を高め(これは砂丘の廣さから考へて、可能と思はれる)、防潮林を兼ねた海岸林を作り、反對側の河岸はしつかりした護岸工事をすれば良いと思はれる。此の砂丘には以前松林があつたらしく、一部残存して生育も良好であるので、前述のことは可能と考へる。
 iii. 砂丘の一部にある竹林は殆ど浪に浸つたにもかかわらず被害がないのは此の附近で竹林が防潮林として用ひられる可能性を示してゐる。地下茎の繁茂より考へ、砂の移動を防止し得て、一挙両得であろう。
 (V) 西牟婁郡新庄村
 (1) 調査記録(圖7参照)
 本村は田邊市の南方に接続し、早くより海陸交通が開けて居た為、村落の大部分は密集し、而も深く湾入した田邊湾に護られて波風は平穏であつた為、沿岸に對する防備はなく、汀線迄極度に利用して居た為、今回の津浪に對して、一村全滅的被害を蒙つた。現地は各部落共皺曲甚だしき海岸線に点々と連続し而も海岸より直ちに耕地、人家と交互に山脚に連り、海濱とは僅か1~2米の高低差あるに過ぎない。浸水高4.5米。本村は防潮林、防潮工作物等を備へないところで、被害状況を役場で聞いたところに依ると、総戸数631、羅災数517、人口2941、罹災人員2391、流失戸数92、同人員394、全壊108半壊246、床上浸水51、床下浸水20、死者22、行方不明4、農地被害94町歩、内、流失50町歩、麥作被害52町歩、耕牛溺死26頭、小船流失85、橋梁梁流失8ケ所、道路決壊13ケ所、同延長30.000米、工場流失7、同半壊15、木材流失30.000石、主なる被害官公衛は新庄村役場、小学校、紀勢線新庄駅、郵便局となつてゐる。
 (2)所見
 i. 本村はU字型の田邊湾の奥にあり、港として絶好で、海岸より山麓迄平地も可成廣く、田邊市に近く、繁榮した村で、防潮林等の對津浪施設を全く無視して水際迄製材所として極度に利用して居た為、前述の如き多大な災害を齎したものであるが、既に今回の津浪にこりずに製材所は同一箇所に復興を開始してゐる。思ふに、償却の早いバラツク造りの工場では、100年に一回の災害を考へる必要がない為であらうが、他の住民にとつては非常な迷惑であるから、出來るだけ之等工場を湾の中心より遠ざけ、文里寄りの山麓の平地か、文里、田邊間の旧海軍兵舎附近の人家の少い所へ移転せしめれば良いと考えられる。之が不可能であれば、民家を國道より山寄りの方へ移し、國道を更に1~2米高くして、防潮堤を兼ねしめ、之に防潮林を附属させて國道より海迄の間を工場にして、住居地域と隔離するのも一案であろう。
 ii. 船舶の上陸による被害がかなり大であるが、船だまりの設計に一考を要するものと思はれる。
 iii. 河川の流域は、前述した通り、護岸の必要がある。
 iV. 兎に角、本村には一日も早く防潮林、防潮工事の施工をうながしたい。さもなければ、永久に災害を免れぬであろう。
 (Vi) 田邊市文里
 (1) 調査記録(圖8參照)
 文里は田邊湾の奥、新庄村に相隣れる、地区で海岸林に「クロマツ」を植栽してあるが、防潮林として密集して備へてあるわけではなく、風景の為と云つた感のするものであつた。樹高20~25米、直徑35~40糎、平均枝下高10米、樹冠半径5米、鬱閉度疎、10米間隔或いはそれ以上に疎開。林齡50~60、一齊林で主根を欠いてゐたが、側根の發達良好で、10~15米に及んでゐるものもあり、地床植物、灌木共になく、土壌は微細砂のみで礫を含まない。
 松の生育良好で、側根が十分發達してゐるにもかかわらず、根返りしたもの多く、被害割合は50%に及ぶ程と思はれた。是は海蝕の為砂が流失して、根が露出して倒れたものと思はれ、倒れた方向も一定してゐなかつた。
 家屋流失18、全壊6、浸水は床上26、床下28、死者34、行方不明2、船舶流出7、破壊33、コンクリート壁は陸の方向に倒れて護岸は決壊してゐた。
 (2) 所見
 i. 本地は風光名美な景勝の地である為、温泉旅館及び避暑地として利用され、前述の如く地盤が微砂のみで、家屋は所謂砂上の樓閣であつて、将來共遊覧地として利用するならば、基礎の堅固な防波工事と防潮林の完成が望ましく、家屋流失等も基礎が不十分であつたり、基礎土台との結合が不完全であつた為であり、この点特に砂地であることに注意を要する。見たところに依ると以前あつた松林を伐り倒して住宅を造つたらしく、災害のもとがこれにある様で、今回の惨害をよく記憶して、将來に資したいものである。此の方面は地盤が軟弱で、突端にある税関の建物前の海の鉄矢板ですら、沈下傾斜してゐることは、工事上注意しなければならない。
 ii. 田邊市寄りの海岸には、コンクリート壁で囲んだ住宅用分譲地らしいものが並んでゐるが、同様に基礎が軟弱であるから注意を要するものと思はれる。寧ろ一歩退いて山麓へ住居を移した方が良い様である。
 (VII) 田邊市所見
 之は防潮林とはやや縁がうすいが、本市の海岸林は、かなり老齡であり枯損木が出るらしく、林孔が所々に出來てゐるが、此の様な海岸林の更新方法として良い考へで、一齊林を不齊林に導くには良い方法である。防潮林が老齢となつた時、一齊に伐採して更新するのは危険であるから、此の様な集約な取扱ひは最も望ましく、多分に参考になるものである。
 (VIII) 新庄村内之浦所見(圖7参照)
 i.  本地は特に深い湾内にあり、長V字型で湾口はむしろ北へ向いてゐるにかかわらず、6米に近い高潮に見舞はれ、全く壊滅してゐる。湾内は水深頗る浅く、湾ロを防波堤で塞いで、其の内部を埋立て、防潮林を作り、平地をふやしたい意向であつたが、良く計画すれば工事としては左程困難なものでなかろう。
 ii. 全村半農の漁村である上に耕地せまく、すぐ丘陵地帯となつて居るので住居を少し後退させれば、住民の被害は半減するのであろう。既に一部の人々が山腹へ新築を急いで居たのは賢明である。
 (IX)西牟婁郡白濱町
 (1)調査記録(圖9参照)
 田邊湾の入口で、海に突出た地区である。潮高は、湾外の白濱海岸で3.7米湾内の霊泉橋附近で3.5米で、内外の差は大して無い様である。被害は家屋全壊15、半壊5、流失10、床上浸水340、床下浸水32、計402桟橋附近及び網不知の附近のコンクリート護岸が海蝕を受けてゐた。霊泉橋は全壊しその残骸は外海方向に倒れ崩れてゐた。石練積で高さは満水面より1米、長さ200米幅5米である。
 此処では家屋の壁、ガラス戸等に、浸水線の跡が極めて鮮かに3本から5,6本認められ、その間隔20~40糎であつた。
 (2)所見
 i. 本町は全町遊覧地で、海岸近くの農耕地は頗るせまく、同町で計画してゐる全海岸の防潮林造成は、風景上から云つても良いと思はれるが、計画による防潮林、防潮堤の幅員は狭ますぎる感がある(2間隔の土堤と、その上の1、2列のクロマツ林)。
 ii. 湯崎寄りの海岸砂地の砂防工事は、一貫性なく、各自思ひの儘、静砂工をやり、クロマツの植栽をしてゐるが、矢張り一貫した計画で實施したいものである。
 (X) 西牟婁郡南富田村
 (1) 調査記録(圖10.11参照)
 本村の海岸一帯に「クロマツ」を植栽してあるが、汀線より林迄垂直距離大で、津浪はこの中に流れ込まなかつたが、安久川及び富田川を遡上したものが氾濫して、後方地域に浸水してゐるが、部落には浸水は及ばなかつた。海岸林の「クロマツ」は樹高15~20米、直径20糎、枝下高10米、樹冠半径5米、鬱閉度中5~10米間隔に1本、林齢80で130年生混在の一齊林又は二層。林の幅は140米。この老齢林の前に幅20米の幼齢林があり、之より汀線迄約50米となつてゐる。林は土地が高く、地下水位が低いので、北半分は殊に生長悪し。灌木には「トベラ」「シヤシヤンボ」「グミ」が点在し、樹高は50糎以下であつた。土壌は礫質砂。
 同じく「クロマツ」樹高20米、直径20糎、枝下高15米、樹冠最大枝張1米で發達悪し。立木度密で5米間隔に1本。大正2年植栽せる一齊林で、雑草が地床を蔽ふ。林の幅は40米で、この林の前に幅10米の幼齢林があり、樹高4~4.5米、直径6~7糎、ha當り1萬本で、15列に密生してゐる。同じく、富田川の對岸には「クロマツ」樹高25~30米、直径25~30糎、60年生で密。
 (2)所見
 i. 本村の海岸は、中部で砂丘が頗る高大となつてゐる為、地下水位が低くなり、「クロマツ」の生育は不良となつてゐる。反對に東富田村の防潮林は高さが適當である為、僅々40年生の「クロマツ」であるにもかかわらず、100年生の前者のものより、樹高、直径樹形共に良好であるのは、海岸林の造成上注意を要するところである。又植栽地が低いと根張りが横にひろがり、直根が出來なくなるらしいから、海蝕に抵抗が少くなる恐れがある。砂丘に高さは、この両者を考へ併せて決定せねばならない。
 ii. 河口附近の低地帯の取扱は、既述と同様で、慎重を期さねばならない。
 iii. 砂丘高が高いので今回は支障がなかつたが、海岸林の道路を、海岸より眞直につけたのは、更に高い潮の來襲した時に危険であり、又潮害防止上も不可である。途中で、1、2回曲折せしめたいものである。
 iv. 戦時中海岸林より、少数の大材を造船材として伐採したところ、潮風の害が後方の田に及び、収穫に影響してゐるとの事であるが、この林の幅は100~14米で、此の事實は、林の幅、高さの問題、取扱の問頭に一つのヒントを與えてゐる様である。
 (XI) 西牟婁郡東富田村
 (1)調査記録(圖10、11、12参照)
 本村は富田川の河口と高瀬川沿岸の、土地の低いところより浸水して、浪高5米に及び、鉄道の土堤を破壊し、橋梁を流失し、家屋を破壊流失してゐる。
 海岸林の「クロマツ」は40年生で樹高25~30米、直径25~30糎、立木度密であり、下木としては、高さ1米の「ササ」が密生して居る。生長は極めて良好である。川の沿岸の直接津浪を受けたものが一部根倒れ、根返りしたものがあつた。高瀬川岸には同じく「クロマツ」10年生のものがあり、高さ5米、ha當り1萬本で生育良好。副林木に「ハンノキ」が植栽してある。之も津浪の為上流方向に45度以下に傾斜したものがあつた。富田川の護岸張石は、海蝕約50米、高瀬川口も護岸が破壊してゐた。土壤は微砂で、所々に「スゲ類」が生えてゐる。
 本村の袋谷は海岸線の皺曲恰も袋の如く、而も二段に曲つてゐて、潮高も6~7米に達したらしかつた。或いは7米、9米、亦5米等の報告がある様で正確なところは判らない。道路及び鉄道は越水し、一部決壊してゐたが、道路下の電柱と「クロマツ」2本(150~200年生、直径60糎、樹高15米)は倒れずに残つてゐだ。
 (2)所見
 i. 南富田村と東富田村の行政区画が、川流と一致しない為、富田川の左岸の防潮林が二分されて、一貫した計画により得ないのは遺憾である。両村の協力が望ましい。
 ii. 此処でも、高瀬川口附近の低地帯の取扱が頗る不備で忘れられて居る点大いに注意を要する。
 iii. 防波堤、防潮林、土堤の三段構は結構であるが、其の関連性が欠けてゐる為、合力が發揮出來ない点は再考を要する。
 (XII) 西牟婁郡東富田村朝來歸
 (1)調査記録(圖13参照)
 本部落はU字型湾にのぞみ、防潮施設として海岸に、高さ4米、練積石垣を設けてある。潮はこの防潮堤の通路の為に切れてゐるところより侵入したが、堤は越えず、潮位低く、後方家屋は床下浸水程度であつたが、縣道沿ひに小川が海にそそぎ、是より遡つた潮は、縣道沿ひに家屋の軒下迄浸水して、潮位が高かつた。
 (2)所見
 本村は防潮林を欠く代りに、4米にも余る高い石垣を築いて潮を防いで居る。土地の狭い個所の防潮施設として好範例である。河口附近の防御も大略良好で、浸水はしたが破壊された家屋はなかつた。
 (XIII)西牟婁郡串本町本袋
 (1)調査記録(圖14参照)
 この海岸も、名の如く袋型で、津浪は湾に沿つて旋回し、家屋、橋梁、鉄道の土堤等を破壊した。津浪高は6米と云はれる。圖の(A)の個所では空積石垣に護られた家屋は破壊せす、後方の山際の家屋は全部流失し、二階屋の二階のみが切断されて100米上方に流されてあつた。道路のコンクリート橋は3分の切断され流失し、道路に沿つたコンクリート壁は海に向つて傾く。津浪が湾内を旋回した為、船が湾を一周して上陸したとのことであつた。
 (2)所見
 i. コンクリート護岸の天端が路面より出て居ることは危険であると既述したが、本村にも其の例があり、強固な縣道側面の護岸は、ブロツク毎に上端をもつて海の方へ、引倒した様に傾斜してゐる。注意を要することである。
 ii. 本村も造船所の船と、丸太による被害が大きい様で、将來海邊の工場施設の立地を決定する上に参考となるものである。
 iii. 海岸に沿つて、狭い平地の建築物は、すつかり流失して居たが、防潮施設を設ける余裕のないこの様な個所は、後退した高所へ多少の不便はしのんでも、移住すべきであらう。
 (XIV)西牟婁郡串本町二色
 (1)調査記録(圖15參照)
 防波護岸と松林の防潮施設をそなへてゐるが「クロマツ」の生育は不良である。昭和12年に植栽した一斉林で、樹高5米、直径2~4糎、鬱閉度密で、ha當り1萬本。幅30米、長さ300米、一部50年生位の老齡林木あり、海岸面の木は稍頭枯死してゐる。灌木相には「トベラ」が点在し、地床植物には「ススキ」「スゲ類」が生えてゐる。土壌状態は礫多し。護岸はコンクリート、高さ2.5米、幅0.5米、長さ301米、前面は砂礫で、約1.5米埋まる。田畑の一部が川より浸入した潮に浸つた外、家屋等の被害はない。
 (2)所見
 i. 本村は縣営の防潮林及び工事により、住居の被害は皆無であつたが、矢張り川口附近の低地帯は災害をうけてゐる。注意を要する点である。
 ii. 防潮林は海面よりかなり高いので、既述の如く生育は頗る不良で、前面は潮風の平時の影響により枯損消失してゐる。徴潮林を更に10~20米後退せしめる。と共に、肥培植植物を植栽するか、施肥するか等の方法によつて「クロマツ」の生育を助長したいものである。すぐ村落に続いてゐるから、片手間の施肥は大して難事ではないと思ふ。
 iii. 海岸より部落に通ずる林内の道路はS宇型にした方がよい。
 以上で個所別記録を終へるが、別掲の写寫眞を各個所について参照されたい。

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地図 第1圖 紀南海岸ニ於ケル津波高
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第2圖 南廣村大字西廣(平面圖及び断面圖)
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第3圖 廣村平面圖
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第4圖 廣村断面圖
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第5圖 由良村平面圖
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図:由良村断面圖
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第6圖 切目村平面圖及び断面圖
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第7圖 新庄村平面圖及び断面圖
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第8圖 田邊市文里
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第9圖 白濱町
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第10圖 富田村平面圖
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第11圖 富田村断面圖
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第12圖 袋谷平面圖及び断面圖
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第13圖 朝來歸平面略圖
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第14圖 串本町平面圖及び断面圖
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第15圖 串本二色平面及び断面略圖

第4章 防潮林について

第9節 防潮林の被害及び潮害

 (1)防潮林の被害
 防潮林の被害としては、海岸の汀線に近い砂地に、護岸工作物なしに、或は弱い工作物のみで松林があつたところでは、クロマツが根返り、根倒れしてゐ個所が2、3見受けられた。他の所では、被害らしい被害を見出し得なかつた。(廣村耐久中学校前、田邊文里海岸、東富田海岸)廣村耐久中学校の松林には、一部低い防波石垣があるが、その一端が破壊され、海蝕を受け、海蝕を受けた周囲のクロマツが数本根返りして居た。倒れた方向は主として陸の方向で、内一本のみ海方向に倒れて居た。根は浅く、主根(杭根)らしい主根を認め得なかつた。
 田邊文里の海岸に於ける根返りは、同様海蝕により地盤が洗ひ流された部分のみに發生して居り、倒れた方向は陸方向、海の方向、何れもあり、一定してゐない。根の状態は同様に主根を欠くが、側根の發達は頗る良好であつた。東富田の高瀬川口の40年生クロマツの根倒れ、10年生クロマツの45度に傾斜してゐるのは、前者は護岸の破壊による海蝕に伴つて居り、後者は河口へ押寄せた上げ潮に全く浸つてしまひ、其の圧力により傾斜したものと思はれる。両者共に生育頗る良好で、10年生のものは樹高6米に及び、最近一年に1米以上も生長してゐるもので、ハンノキと混生し、可成の低地であつた。倒れた方向は大部分が内陸の方向であつた。以上の数例により、次のことが言へる様である。
 i. 今回の如き規模の津浪では、老壮齢木の根倒れ、幼齢木の傾斜以外の被害、例へば幹折れ等は起らない。即ち、津浪の圧力は、樹幹を折損する程大きなものではない。而も、
 ii. 根倒れは、地盤の海蝕により、根が洗ひ出された場合のみにしか起つてゐない。津浪の圧力は、根の安定した樹木を引倒す様な力を有しない。従つて、地盤さへ安定して居れば、云ひ換へれば、基礎を安定せしめる工作物があれば防潮林は能くこの種の津浪に抵抗し得るものである。
 iii. 転倒の方向は一に海蝕の仕方と、根の張り工合によるもので、上げ潮でも引潮でも起るものである。
 (2)潮害
 潮害については、重点を置かなかつたのと、時期が冬季である為、草本類及び落葉濶葉樹で顕著なものは見出し得なかつた。気の附いた数例を示せば「クスノキ」は、樹高が可成り高く、根部の海水に浸漬したと思はれるもの迄葉が全部赤く枯れて居た。
 「スギ」のうちには2、3葉の赤くなつた例があつたが、潮害のみによるか或は其他の原因によるか不明である。「クロマツ」は大部分被害は無かつたが1米以下の稚樹で完全に海水中に浸つたものは枯れてゐた。然し全く海水に没したと思はれるものでも、1米以上の高さのものは枯死して居ない。
 其の他クス科の樹木の様に、緑葉が広く、軟質のものには根のみ海水に浸つたと思はれるものでも、葉の枯れたものが多い。「ウバメガシ」「アオキ」「ヤマモモ」「トベラ」等、葉質の硬いものは、いくら海中に浸つても、皆潮害を受けて居ない。
 果樹では「ミカン」「ナツミカン」「ウメ」等は抵抗力強い。「ナツミカン」中に落果したものが所々にあつたが、原因は知り得ず、潮害で落ちたと判断するには至らぬ様である。
 作物では豆科の「ソラマメ」「エンドウ」共に黒く枯死し、麥類は赤枯したものが多かつた。大根類は大した事はない様である。

第10節 防潮林の効果

 防潮林の効果として常に第一に挙げられるものは、樹木の弾力性により津浪の勢力をそいで、後方への浸水を減少し、又その破壊力を減少する点であるが今回の視察した個所には、それ程の効力を發揮したと考へられる防潮林を見出し得なかつた。是は南海地方の防潮林の多くは、幅狭く、2~3列の老松より成り、又最近縣営にて造成したものは、最小幅40米とされて居るが、未だ幼齢のものが多く、かかる効力を發揮するに至つて居なかつたからかも知れない。然し視察個所では、防潮林の前面と後方の浸水高を調査して見たのであるが、何等差違を見出し得なかつたし、よく實例として記録されてゐる数本の樹木或は、小面積の樹林の存在により、後方の建物が保護されて残つたと云ふ例も、顕著なものは認め得なかつた。例へば寫眞に示す様な、新庄村の一家屋や、田邊文里の「クロマツ」林中の家屋も、寫眞で見れば樹木乃至樹林の存在により助かつた例と見られるのであるが、家の強度そのものも不明であり、偶然の一致と見るのが正しい判決と思はれる。同じ文里にも、四囲を壮齢の「クロマツ」林にかこまれ、當然残る可きものと考へられる様な家屋が、家屋のみ完全に破壊し、樹木丈が残つてゐる個所もある。何れにせよ、樹木や樹林の存在と、建築物等の工作物との関係を外見のみよりとらへて、防潮効果を述べるのは、甚だ危険である。殊に津浪は、地震現象に附隨するものであり、地震がかなり破壊力をもつものであるから、判断は慎重にせねばならない。然し次のことは云へると思ふ。若し建築物が津浪により押流されるか、流されないか、或は倒されるか倒されないかの境にある時、一本の樹木、少数の樹林が其の前後にあれば、それが幾分でも流速を撹乱して、津浪のエネルギーを減じて、流失や破壊を免れしめるであろうと云ふ事である。
 今回の見聞によると、既述の如く、津浪は實に静かな浪で、唯急速度で浸水し、高まつて行く性質のものの様で、所謂怒濤の如きものではない様であるが暴風津浪の様に怒濤となるもの、或は地震津浪でも海底の地形により、非常に高い波浪として押寄せて來る場合もあるとのことで、かかる場合には水流中の杭が、その下流で水深を減じ、渦流の發生によりエネルギーを消耗して破壊力を減ずることは明かであるから、矢張り防潮林は、たとヘー列でも二列でも出來る限り造成すべきものと云ふことが出來よう。
 更に今回の視察で、特に氣付いた点は、津浪による作物の被害の大部分は、船や、丸太や、岩石等の流失物が激突する事により生ずる点で、由良の被害の殆ど全部が数隻の船と一二の急造建築物が荒し廻つた結果であり、新庄の被害は、前面の多数の製材所の丸木の漂流、船舶の上陸によるものであり、串本の袋の被害も大部分、造船所の丸太によるものである。防潮林は之等のものの移動を阻止する点で大いに有効であつて、例へば廣村耐久中学校前の松林は、一隻の150噸型の木造船を阻止して居り、之が上陸して居れば、後方の校舍は一たまりもなかつたであろう。此の点より見て、我々は防潮林の津浪に對する効果を大きく認めねばならない。要するに津浪に對する防潮林自身の効果としては、
 i. 津浪の浸水高を減じ、破壊力を減ずる効果(之は津浪の性質により、効果に大小あり)
 ii. 津浪により二次的に生ずる流失物の、撹乱による破壊を減じ、流失物の海上への流逸を防止する効果が挙げられ、この他に、平時に於てはは
 iii. 防風効果
 iV. 飛砂防止効果
等が挙げられる。
 次に、視察した個所中、防潮林により被害を免れたと云はれる個所について結果を述べると、被害がなく、而も防潮林をもつてゐ個所は、廣村、切目村、南富田村、串本二色等であるが、之等は一様に単なる防潮林のみでなく、石堤砂丘、土堤等の工作物を併有して居り、寧ろ之等の工作物により、津浪の浸入が阻止された為に被害がなかつたと見る可きもののみであつて、東富田村、南廣村の如きは、立派な防潮林を有しながら、耕地の浸水或は家屋の流失、倒壊を免れ得なかつたのである。斯く考へれば、防潮林そのものの効果につき甚だ疑問をいだくに至るのであるが、吾々は之を次の様に解釈したい。
 防潮林の被害の節で少しく述べた様に、防潮林は何等かの基礎工事があつて初めて津浪に對抗し得るものである。換言すれば、防潮林と防波工事とは、一体不離のものであつて、之を二分して考へるのが、疑問を生ずるものであつて防潮林とは、防波工事等の基礎工事と之につながる樹林とを併せたものであると解釈すれば、其の疑問は氷解する筈である。若し工事のない海岸林があればそれは防風効果は持つても、防潮効果は余り期待し得ない。尤も防潮工作物を除いた防潮林の構成上の欠陥も指摘し得られると思ふが、一般に防潮林が基礎工作物と一体のものと考へれば、前記の各村の被害のなかつたのは、矢張り防潮林の効果として良いのである。

第11節 防潮林の生育

 防潮林の生育については、特に調査はしなかつたが、氣附いた点をあげれば(1)海面よりの高さにより生長に差があること。此の著しい例は富田濱であつて、南富田の防潮林は砂丘の發達が大で、海面より10米以上もある大砂丘であるが、其の砂丘の頂上に近づく程「クロマツ」の生長は不良であり、100年生に近いものが30年生のものより遙かに低い。東富田の防潮林は僅々40年生であるが、海岸より1米~2の高さの土地である為、生育は頗る良好で、20~25米の樹高を有してゐる。その原因については、地下水位が関係してゐるのではないかと思はれる。地下水面より著しく隔離された高所に造られた防潮林は海岸が砂地である為、水分、養分の補給が不円滑となり、生長を阻害するのではなかろうか。此の例は二色の防潮林にもあり、高い基礎工事の上に作つたこの防潮林は、潮風の影響も加はり、生育が甚だ不良である。
 (2)海面よりの高さにより根の發逹に差があること。転倒した「クロマツ」、地盤の洗はれた個所の「クロマツ」を見ると、林地面の低いところのものは、直根を欠き、側根が長く伸びて居るが、土堤の様なところで地盤を高くした個所のものは、太い直根が地下深く出てゐる。之も前記と同じ理由からと考へられるが、或は又、余り海面に近い砂地では、地下水の塩分の強いのを嫌つて主根が伸びないのかも知れない。
 (3)飛砂地や、潮風を強く受ける個所は、梢端が枯死したり埋まつたりして、生育を阻害されてゐることと。之は南海地方に砂丘が少い為、飛砂防止工事に関しての知識に乏しい故か、白濱の砂丘や、南富田の砂丘の一部に植栽された「クロマツ」に見られる所で、この様な所は海岸砂防式地拵への植栽方法を採用したいものである。
 以上より考へて防潮林の造成には、既往の津浪の高さより、其の植栽個所の海抜高を考へると共に、生育の方からも、根の張り方と、生長とを考慮して、適當な高さを決定すべきであると思ふ。

第12節 防潮林施業について

 一般に、林が保安林に指定されると、伐採してはいけないと云ふ訳で、唯手をつけずにおけばよいとされ勝であるが、今迄立派に防潮林として生育して來た老齢林が、一時に老朽木となつた時を考へると、寒心に堪えぬものがある。保安林は、あく迄恒続林でなければならぬから、防潮林は出來る丈の幅をとり之を数帯に分けて適當に輪伐して更新するのが良い。又最近猛威を逞しくして中国より関東に及び松を滅しつつある害虫に悩まされてゐるのであるが、かかる豫測せざる支障も考へれば、防潮林として、1つの樹種のみに頼ることも考へさせられる点がある。

第5章 防潮工事共他の工作物に就いて

第13節 防潮工事の被害

 防潮工事を海中の防波堤と陸上の護岸、土堤、石堤等の二つに区分して考察すれば、前者は空積の石堤が多く、廣村及び由良村のものは、海中に突出た先端の一部が破壊されて居た。白濱の霊泉橋も之に属するものであろう。是等は純然たる津浪の破壊力によるもので、土地の人の言によると、引潮の時に破壊されたものと云ふ。事實霊泉橋は引潮の方向に倒れた殘骸が見られた。後者には練積、空積の石垣及びコンクリートのものがあり、之には構造上津浪の力に抵抗し得ず破壊されたもの及び基礎地盤軟弱な為転倒したものが数へられる。
 津浪には地震が先行するから、地震により工作物や基礎地盤が弛み、之に津浪が加はつて更に破壊されると見るのが實際であると思はれるが、此の二つを分けるととは出來ないので、結果的に何れに起因したかは判明しない。何れにせよ、空積の石垣式で法面の急なもの、或は練積と見えても、表面のみモルタルを施したものは大部破壊して居り、特に引潮によると見られる場合が多い様であつた。空積でも法面のゆるかなものには、被害が少い様であつた。コンクリート製のもので破壊されたものには、
 (1)海水が裏面にまわり、裏面の工事が不完全なために崩れ落ちたもの。(南廣村、切目村)
 (2)基礎の砂が浸水により洗ひ流され転倒したもの(文里海岸)
 (3)コンクリートの継目不完全で、引潮により上部のものが転倒したもの(由良村)
 (4)道路端の護岸壁で天端が路面より幾分高くなつ居る為、引潮の圧力が此所にかかり、引き倒された様に転倒、又は傾斜して路面に迄破壊を及ぼして居るもの。(由良村の道路、串本海岸の道路)等が挙げられる。
 冨田村朝來歸の、高さ4米の大防潮壁は良く大浪を防いで後方の家屋を守つたが、練積とは云へ、上塗のモルタルが剥げ、積石が移動し、亀裂の入つた個所が見られた。

第14節 防潮工事の効果

 防潮工事の効果は、津浪の勢力の減殺と、浸水の防止と、海岸そのものの護岸的効果の三つに分けられると思ふ。津浪の勢力の減殺には、海中の防波堤が大いに役立つたと思はれる。其の實際的効果は判然としなかつた。水際の護岸工事中、高さが低かつた為、津浪がそれを乘越えた個所は、南廣村、切目村であつたが、後者は単なる浸水に留り、被害が軽少であつた。浸水の防止に関しては、廣村の防潮堤、二色の防波堤、富田の大砂丘等があり、後方への浸水を完全に防止して居た。
 次に護岸的効果は各所で見られたのであるが、前節に述べた如く、薄弱だつた護岸工事は、海蝕を起して、其の為樹木の根返り、家屋の破壊を惹起して居る。
 防潮工事は単独に存在するものと、防潮林の基礎として存在するものとに分け得られるが、前者の例としては、朝來歸の防潮壁があげられる。之は既述の如く床下浸水程度で、後方の部落を保護し完全に役目を果して居るが、其の結果亀裂を生じ、更に大きな波浪が來れば甚だ危険だと思はれる状態にあり、之のみに頼ることの危険を示して居る。後者の例は各所に見られるが、之にも既述の如く破壊、転倒、傾斜したものが多く、若しも後方の防潮林がなければ、惨害が更に大きかつたのではないかと考へられる。即ち、防潮工事と云ふものは単独のものでなく、防潮林と一体になつて初めて有効なのであり、防潮林の章で述べた様に工事と林は一体不離のもので各々切り離して考へる可きではないのである。更に本節で特に述べたいところは、防潮諸施設の設置個所であつて、今回の視察の各所で最も被害の大きかつたのは、河口附近の低地帯であり防潮施設は皆此の個所を無視して、唯部落の前面のみにある所が多かつた。廣村、南富田村、切目村、朝來歸、二色等防潮工事、防潮林の存在により被害を免れた個所であつても、河口附近は浸水して、耕地を全滅せしめて居るのである、河口附近には護岸工事はあり、土堤等を築いてはあるが、下流に向ふ水流のみを考へて、逆に來る津浪については考慮されて居ない様で、此の点、将來の防潮施設につき。大いに注意せねばならぬと思ふ。河口附近の低地は津浪に對し一番弱点となるところであり、而も津浪の最も高くなるととろであるから此の点河川工事と防潮工事との綜合性が再検討される可きであろう。
 河口附近に於ける對策の一手段として遊水池を設けるのが良いが、海岸の狭い平地では概ねその余地がないのが普通であるから、川岸の堤防や防潮潮林を強化せざるを得ない。然らばどれ位上流迄強化するかと云ふ点が問題となるが湾の地形、河川の幅、蛇行状態、河床勾配、津浪の方向、大さ等によつて、その距離は一概に云へぬし、簡器な條件を仮定して、距離を出して見ても、實際の土地に於けるものより遙かにかけはなれたものとなるであろうから次のことを述べるに止めておく。
 津浪の河川を遡流して浸水する距離は、その土地特有の諸条件で定まる問題であるから、夫々の土地に於て既往の津浪の大さ、方向、地形、逆流浸水の範囲等から考察して、津浪の破壊力の有効な範囲を推定し、之に基いて川岸の防潮施設を強化しなければならない。

第15節 家屋其の他の被害

 家屋等の被害は、純然たる津浪の圧力によるものと、更に之と津浪により運ばれた船や丸太、石垣等の崩れ、又は抜け落ちた漂流物の合力によるもの、又その際家屋等の構造の不完全なことに由來するもの、及び地震の被害に津浪の害が加はつて起つたもの等に分けられると思ふ。
 津浪のみによると考へられるものは、左程激しい被害はないらしく、我々の觀察では構造物の強度が左程弱くない時は単に土壁を落すか、家の内容物を流失せしめる位であるらしく、それ以上の破壊は構造物の強度が非常に弱かつたか、地震によりかなり破壊されてゐたか、或は又船、丸太等の激突によるものだと判断し得た。文里、新庄、内の浦一帯が被害甚大であつたのも、由良村の家屋の破壊も、皆船と丸太の仕業であつた様である、新庄村では造船所の建物により流失物の阻止された方面や、数戸の強度の大きな建物により、流失物の阻止された方面は、皆後方が助かつて居り、歴然とこの点を示して居た。
 家屋の構造上特に氣の附いた点は、土台との接着点であつて、之がボルト等で、しつかり緊められて居るものは、たとへ無防備で海に面して居ても被害を免れてゐることで、土台と分離したものは浮上つて思ひもよらぬ個所へ移動してゐるものが多かつた。
 建築物以外の工作物でも、木橋の大部分の流失は、矢張り土砂、丸太等の流失物が川沿ひに上下した為と判断せられるものが多く、此の点洪水による橋梁の流失が矢張り同様の原因による事が多いのと同様である。串本袋でコンクリート橋の一部が下流20米の所へ流されて、沈没してゐたのを見たが、之は橋脚と橋桁との接続が不完全であつたので、地震により上部のみが幾分移動して、之が引潮により引きはづされたのではないかと考へられた。又鉄道線路の土堤が所々破壊して居たが、之は大部分土石のみの工作物で、而も新しく張芝等も未だ十分に出來てゐないもので、地震に弛んだ上に、浸水により崩壊したものであろう。
 以上取纒めれば、津浪による陸上諸施設の被害は、主として二次的に起る流失物の激突によるもので、今回の様な津浪のみでは左程大なる被害を生じないものと思はれ、この点より考へても防潮林の流失物阻止の効果は大なるものがある。

第6章 結論

 本章で今回の視察により得たことを、重複するが、特に重要事項のみ略記して、更に我々の考へた防潮施設に言及しよう。
 (1)今回の津浪は怒濤の如きものでなく、速度の大きい高潮であつて、津浪のみには衝撃的な破壊力はもたない様で、陸上施設の被害の大部分は漂流物の衝突による。
 (2)防潮林が浸水高を減じ、破壊力を減ずる効果の程度は判然しないが、防潮林のみに就て言へば、それよりも、上記漂流物の移動の阻止と、他の防潮
施設の防護が大きく評価さる可きものと思はれる。
 (3)防潮工事は、津浪の浸入を阻止する上に有効であるが、若し極く小さな一個所に弱点があつても、すぐに全体にわたる破壊を見るから、工作物の補修が十分で常に完全な状態を維持することが必要であるが、そのことがなかなか困難であるから、之のみに頼ることは危険である。
 (4)防潮工事は、防潮林と共存すべきもの、即ち、基礎工事の存する林地と林木の全体であり、両者は一体不離である可きものである。
 樹林は工作物を保穫し、工作物は樹木を保護し、一体となつて津浪に抵抗し災害を防ぐのである。樹木は生物である以上、人々が津浪の惨状を忘れて防潮施設の補修と云ふことが念頭から去つたとしても、自力で生長繁茂し、人工的工事の様に瞬時でも補修を忘れれば、効力を減ずると云ふ点がない。
 (5)防潮林及び工事は、津浪の高くなる湾全体を考へて實施せねばならぬ。特に湾につきものの、河ロー帯の低地に注意し、綜合的な計画を必要とする。津浪は、震源の位置により、その方向は不定で、いつも湾の正面から來るものではないことを考へ、河口附近の川の両側の護岸、堤等を之に波が正面からぷつかることも考へ、防御が薄弱な為河口より浪が後方へ廻つて、海岸には折角立派な防潮施設をもちながら、その効果を無にすることのない様にすべきである。
 (6)防潮林は恒続林であるべきことを忘れてはならぬ。
 (7)地形的に津浪の高くなるU字型、V字型の湾は、海岸に平地せまく十分な防潮林をつくる余裕のないところが多いが、しかもかかる所は良港として種々の産業が發達するところであり、防潮施設により土地を狭くするのを嫌ふ傾向があるが、たとへ一列の並木でも、無いよりは遙かにましである事を銘記して、防潮林造成に努力すべきである。
 (8)防潮林は、最良の場合、防波堤、護岸工事、樹林、防潮堤(石堤又は土堤)の四段構えが良い。最悪の場合でも護岸兼用の堤と、樹林は作りたいものである。特に昨今の様に資材不足の場合は樹林のみでもよいから造成し、幅も許す限り広くすべきである。
 要するに今回の津浪は、穏かな方に属し、對策としては、もつと破壊力の強烈な津浪を念頭において、是に備へねばならない。
     (昭和22年5月)

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写真 写真1:有田郡南廣村大字西廣の海岸防波工事決壊の状態
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写真 写真2:有田郡南廣村大字西廣の海岸防波工事決壊
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写真 写真3:有田郡廣村大字和田の海岸耐久中学校庭の松林と上陸を阻止された船
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写真 写真4:有田郡廣村大字和田 濱口梧陵翁の築造した防潮林海岸より護岸松林防潮堤と三段構で、林の幅は僅か1、2列なれど密植し、能く防潮効果を挙げ得た。
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写真 写真5
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写真 写真6
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写真 写真7:日高郡由良村、由良の海岸 道路側面の護岸壁が倒壊し裏込の石が露出する
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写真 写真8:日高郡切目村大字島田の防潮林全景 切目川の左の林はクロマツ、右は竹林
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写真 写真9:日高郡切目村大字島田 切目川の護岸壁と防潮林
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写真 写真10:日高郡切目村大字島田 壁に亀裂が入る
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写真 写真11:日高郡切目村大字西ノ地防潮堤及び防潮林堤上に簀垣を設く
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写真 写真12:西牟婁郡新庄村の災害状況
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写真 写真13:西牟婁郡新庄村 新庄驛附近の災害状況
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写真 写真14:西牟婁郡新庄村 右の家屋は破壊、左の家屋は松及び石碑の背後の後為、破壊を免れる
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写真 写真15:田邊市文里の海岸 護岸及びコンクリート壁の決壊状況
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写真 写真16:田邊市文里の海岸 砂上の樓閣の傾く状況
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写真 写真17:西牟婁郡白濱町 國立病院白濱分院附近の護岸決壊状況
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写真 写真18:西牟婁郡南富田村の防潮林全景
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写真 写真19:西牟婁郡南富田村の防潮林
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写真 写真20:西牟婁郡南富田村の防潮林
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写真 写真21:西牟婁郡南富田村の防潮林
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写真 写真22:西牟婁郡東富田村 富田川岸の防潮林及び護岸の海蝕状況
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写真 写真23:西牟婁郡東富田村 高瀬川口の40年生クロマツの根倒れ
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写真 写真24:西牟婁郡東富田村 高瀬川口の10年生クロマツの傾斜せる状況
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写真 写真25:西牟婁郡東富田村朝來歸 高さ4米の石垣防潮堤
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写真 写真26:西牟婁郡周参見町海岸の防潮林
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写真 写真27:西牟婁郡周参見町の防潮林
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写真 写真28:西牟婁郡周参見町の防潮林 林に囲まれた家屋は、少くとも漂流物の衝突の危険より免れ得る
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写真 写真29:西牟婁郡串本町串本袋 右の屋家は破壊、左の家屋は防潮壁の為破壊を免る
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写真 写真30:西牟婁郡串本町串本袋 二階建家屋の二階のみが切断されて流されたもの
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写真 写真31:家屋の壁に浪高を示す筋が極めて鮮かに、水平線を示す
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写真 写真33:西牟婁郡串本町二色の防潮林 今回の地震前迄は、護岸堤の脚部迄波が來てゐたといふ。以て土地の隆起したことがわかる
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写真 写真32:串本袋の縣道 コンクリート橋の破壊状況
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表:正誤表