緒言
昭和26年10月7日頃東力ロリン方面に発生した熱帯性低気圧は,9日マリアナの西方に進んで,ルース(Ruth)台風と命名され,その後次第に本邦に接近し,奄美大島と屋久島との中間を通り,進路を北々東にとり速度を早め,14日19時頃,川内川の川口附近に上陸熊本県に抜けていつた。これによつて枕崎では最大風速S42.5m/sec,鹿児島市での瞬間風速SSE46.5m/secに達するなど,鹿児島県下全地域に亘つて台風の襲う所となつたが,雨量は比較的少く,潮害最も大なりし南薩方面は殊に少く,12~15日までの3日間で60㎜前後,鹿児島市で76.5㎜,北薩地方はやや大にして170㎜,潮害に殆ど関係なき大隈半島中部では300㎜以上の所もあつた。この台風被害は主として高潮及びこれに伴う潮風によるもので,普通の台風被害とは全く趣を異にし意外の方向に甚大なる惨害を及ぼしたが,同時に防潮林の存在の効果を一般によく認識せしめた。よつてこの機会に,これら被害状況,海岸林の植生調査及び実験を行い,一方には気象的囚子及び地形等と潮害との関係を調査し,他方この潮害に対する海岸防波工事,防潮林等の機能を検討し,進んで南九州地方特有な最も適当なる防潮林の構造を研究せんと企てた。幸に27,28年の2年に亘り文部省科学研究費の交付をうけ,又,地元鹿児島県林務当局並に熊本営林局署の好意ある協力を得たので,都合よく調査研究を実施することを得た。また海岸林の植生調査については鹿児島大学内藤教授,初島教授等の助力に負うところ少くなかつた。茲に記して厚く感謝の意を表する。
I 高潮
A.高潮の原因
鹿児島県下沿岸の高潮は頗る顕著であつたが,その原因は,(1)台風襲来の時と大潮の満潮時と一致したこと,(2)気圧低下による海面の吸上げ,(3)強烈なる台風によつて生じた波浪の吹きよせ等の悪条件の累積によつて稀有な高潮となり,南九州地方災害史上特異な大台風となつた。
(1)満潮
台風襲来の時期は10月14日(月齢13日の夕刻)秋分の大潮(Spring tide)に近く,その満潮時と台風接近の時刻とが殆ど一致しておつた。即ち第1表の如くである。
(2)気圧低下による海面の吸上げ
最低気圧=pとし,これによる潮位の昇高hは,h=13.2(760−p)によりて計算すると,各地における潮位上昇は第2表の如くである。
大体において62~67cm内外の気圧効果である。実際には低気圧中心の進行速度の影響により,更に増加したところもあつたであろう。
(3)波浪の吹きよせ
高潮の高さに最も大なる影響を及ぼしたと考えらるる波浪の高さは幾何なりしや,直接観測の資料を欠いでおるが,この時の最大風速の観測結果はあるから,これから推算することはできる訳であるが,風速より波高を算出する公式は多数ありてその何れをとるか,或はfetchより算出するかによつて各地の潮位に著しく値を異にするので,その何れをとるの可なるや判断に苦しむ。また我々が直接現地調査に当り,当時の潮位の痕跡により測定し,或は地方人の談話から推定した結果は第3表の測定高潮々位として示したもので,これは満潮位以上上昇した高さを後で測定したものであるが,当時は何人も精確に観測する余裕もなく,我々の実査もその後相当時日を経過した後で,これらの資料も頗る不精確であるを免れない。また前記風速により算出する諸式中,2h=0.174Vにより得たる波高と,低気圧により吸上げられた上昇高を合計したものを参考のために掲ぐると第3表中の算出高潮位の如くである。但しこの式は沖波の高さを求むる式で,岸に衝突した時には1.5~2倍になる筈である。要するに,これら実測の値も算出の値も皆区々で一致しない。従つて精確度に欠けるところもあるが,頴娃町東小松原の10.8m,同町戸柱公園の12m,笠沙村野間池10.7mという如きは特殊の地形で,岩礁に激した波浪の飛沫の及びし部をも含むと見るベく,野間池も特殊の地形の例外と認むべく,高潮々位としては大体4~6m位までと見るが適当と思はれる。
B.地形地質と高潮
まづ第1に汀線の方向が風向に直角に近い部分に異常潮位を示し,同一地方でも局部的にかかる地形の部分が被害の大なるは勿論である。殊に風向に対し汀線が凹曲線をなす部分に防に特に顕著である。これらの関係は,前掲第3表に概略を示した。
海岸の遠浅になつておる所と深海になつておる所とでは,湾内では判然たる差異を認め難いが,外海に面しておる所では深海となつておる所が高潮が大であつた。
地質と高潮の関係では新沖積層よりなる砂丘地に被害多く,岩石海岸において被害は少かつた。
II 高潮による被害
A.海岸施設工作物の被害
海岸を防衛保護するために設けられたる護岸工,防波堤において波浪のため非常に巨大堅固なる方塊等をも破壊し去りし例は少くない。我国にても過去に重量1,125ton(横浜港),或は1,100ton(留萌港)のコンクリート塊が動かされた。ルース台風においても鹿児島湾及び南薩沿岸の港湾施設や道路の大半が波に洗はれ決潰したという有様であつた。かく一見非常に堅固に見えるコンクリート防波堤や巨大な石積護岸が意外に容易に破壊さるる所以は,
1)高潮の襲来により水中に埋没せる工作物は全体的に浮力の作川をうくること。
2)工作物が横から波圧をうくるとき一方に応張力をうける。而してコンクリートも石積も張力に対しては非常に弱い。
3)波浪による洗掘をうけ滑動の恐れあること等によると考えられる。
このルース台風に伴つて起つた高潮の最大の波高が果して幾何であつたかが判明し難いが,第3表に示す如く最高潮位は枕崎8.1m,野間池10.7m,串木野市島平8.6mで,鹿児島港における検潮所の潮位によるも4.59mであつた。仮りに波高が3mであつたとしても,その波力=pは広井公式により計算すれば,
p=1.5×1.03×3=4.6ton/m^2
防波堤の頂部の幅さ3mとし,高さ3mのコンクリートの方塊の白重(長さ1m当り)は浮力を減じて,
3×3(2.35−1.03)=12.15ton
高さ3m当りの波力は 4.6×3=13.8ton
であるから容易に転倒せられるであろうし,滑動もせらるるであろう。頂部の広さが5mとしても3m以上の大浪が押よせるときは滑動することとなるであろうから,これ以下の石垣やコンクリートブロツクでは破壊を免れないであろう。実際において26年ルース台風の際,南薩一帯の海岸線の港湾の防波堤や護岸工の大半,また干拓堤塘が甚しく破壊せられたのである。写真1は枕崎市立神国有林の海岸の砂浜に汀線より勾配14°の坂道を30m以上内側まで無数の大玉石が打上げられておる所で,試に2m平方のprobe内の石の大さを測つて見たら,次の如き結果を得た。
B.森林の被害
海に面した防潮林の存在により,その後方にある建物,耕地等が保護せられ,風害,潮害を免れたる実例は到る所にあり極めて顕著であるが,同時にその第1線にある森林1こ被害あるも亦免れない所である。森林の高潮による被害は2つに分けられる。(1)は機械的被害で主として風折,風倒である。(2)は生理的被害で,主として潮害である。勿論両者の害を併せうけて居る場合もあり得るが,今回は風害は少く潮害が著しい。
a)機械的被害 鹿児島から海岸沿いに南薩に,更に北薩に亘り断続しつつ海岸林が存在するが,案外に被害は少く風折,風倒木も比較的少かつた。勿論局地的には特殊の理由より折損,風倒流失したものもある。例えば谷山町小松原黒松(直径15~68cm,平均33cm)100本,喜入町生見防潮林黒松(60年生,直径40~50cm)10数本,阿久根市小松原防潮林黒松(40年生,直径20~30cm)約60本,同市西目防潮林の黒松(20年生,直径4~8cm)約50本等があるが,その原因は主として,(1)その位置があまりに汀線に近く,高潮の来襲により根元を洗掘せられたること,(2)海岸地帯の地下水位が非常に高く,樹根が単に水平の方向に浅く発育したために容易に根倒を起すためである。谷山小松原の風倒木については特に精査したが,写真2に示す如く,根は地下水のため横のみ張り,主根は1~2mに過ぎない。風倒木を倒れた方向に別つと,即ち大部分同地の最大風速の方向たるSSE乃至SSWによりて吹き倒されたもので94%に上ることがわかる。
機械的障害の特異の例として枕崎立神防潮林写真3の如く高潮によりて運ばれ来りし玉石の衝撃によつて全く剥皮せられ枯死するに至れるもので,同時に又如何に多くの進入し来りし岩石がこれら海岸林によりて阻止抑制せられたかを認むることができよう。
b)生理的被害 南薩海岸の広葉樹林は殆ど皆天然生林で,幼時より絶えず風害並に潮害に抗して生長し,これに対する抵抗力は甚だ強い方であるが,而も尚直接潮水を被り,又は潮風を吹きつけられたため,その枝葉を損じ生長を阻害せられ,遂には枯死するに至りしもの少しとしない。
海岸林の植生調査の結果については,防潮林の機構を論ずる揚合に改めて述べるが,かかる自然状態において優勢を維持する樹種は,即ち耐潮性の大なることを意味するものとしてよいと思はれる。各所の海岸林植生調査の場合に台風,高潮共に最も烈しかりし枕崎市立神防潮林において,汀線より35.5m内方に汀線と略平行なNE10°の方向に幅5m,長さ50mの帯状のprobeを設け,これを長さの方向に10箇の方形のplotに分ち,更に各plotをその幅の中央を連ねる線で(a)海岸側と(b)陸地側とに切半し,その各々について直接被害状況を次の4級に分ち,調査した結果は第6表の如くである。
A.殆ど被害なきもの B.被害はあつたが発芽しておるもの
C.上方が枯れて根元より発芽しおるもの D.全く枯死せるもの
即ち海岸側に直接面せる部分(a)と,その(a)部分2.5mだけの防潮林を以て保護せられおる内側部分(b)との間に,前者は被害殆どなきもの77%に対し,後者は92%,反対に被害大なるもの前者23%に対し後者8%となつておる。
更にこれを樹種別被害程度を掲ぐると次の如くである。
鹿児島市郊外磯島津邸の海岸側石塀の内部に石塀に併列している生垣がルース台風によつて可成りの潮害を蒙つた。この生垣は多くの樹種が混植されていて,而も大体同一条件の下に潮害を受けたと看做されるので,各樹種についてその被害程度を比較するに極めて好都合である。そこで我々の行つた樹種別被害調査の結果を示せば第8表の如くである。
これらの結果より見ても明なる如く,樹種によつて異るは勿論だが,その生育する環境によつても被害の程度を異にするものである。
C.その他の被害
a)農産物の被害 被害の主なる原因は直接浸水による外は,潮風による被害である。このルース台風は鹿児島県下にてはその進行速度非常に速で,これに伴う雨量が少かつたから洪水による被害はあまりなかつたが,潮害は却て増大した。それは塩分が雨によつて洗はるることが少かつたためである。これら潮害防止に対する森林の功績は数的に査定することは困難であつたが,適当な防潮林の蔭にあつたものが,然らざるものに比し著しく被害を減じ,或は全くこれを免れたことは明瞭な事実で,一般に防潮林の必要を再認識せしめた。
b)建造物の被害 これは物質的損害額中最大のもので,県下の総額は百億以上に達した。これらに対し適当なる防潮,防風林の存在が,頗る有効なことは既に他地方においてこれまで幾多の先例が報ぜられあると同様で,各地その必要が高調せられ,殊に沿岸地方の学校被害復旧対策の重要事項の一つとして必ず防潮防風林の造成を数えおるをもつてしても,一般にこの効果を実際に認識せしめたかを証明するものということができる。
III. 防潮林の機能
A.潮害の原因
前章森林の被害についても述べし如く,一般に潮害を起こす原因は二つに分けられる。
a)機械的損害(物理的損害) 風波の破壊力でそれには,(i)被害の対象物(工作物叉は樹木)に対する直接の衝撃及び(ii)その対象物の存立する地盤に対して働く洗掘侵蝕作用で,何れにしても,これら被害の原因は力学的関係であつて,従つてこれに対抗するには力学的手段による外なく,その有するEnergyをできるだけ喪失せしめる方策を講ずべぎである。
b)生理的損害(化学的損害) 潮害の化学的作用は塩分の作用である。これは(i)主として樹木の枝葉——殊に柔組織に対する侵害,(ii)地中に滲透して根を侵害する場合とがあるが,主としては前者であり,これに対する防除は防潮林の樹幹枝葉による塩分濾過の作用である。
B.機械的損害に抵抗する機能(力学関係)
波浪の機械的破壊力に対してその危害を防止せんとするには二つの手段が考えられる。
i)波浪の侵入を遮断する法
防波堤,防波護岸の如き工作物によりて波浪の浸入を阻止し,その破壊力を全然遮断せんとするもの。最も完全に内部を保護し得る点において勝つておるが,これがために,総ての外力に完全に抵抗するを要する。然るに波浪の力の強大なるは誠に恐るべきで,これによりて波浪と正面的に撃突し,潮位を愈々上昇せしめ恐るべき破壊力を振はしめるから,却て大なる損害を惹起せしめる。殊に沿岸広域に亘りて充分堅固なる工事を施行するが如きは結局不可能に近い事である。
ii)波浪を半透過半遮断する法
完全に遮断するに非らず,一部はこれを阻止するが一部はこれを通過せしむるもその際の摩擦,また渦流を生ずる等により大部分のエネルギーを消耗せしめんと図るもの,即ち防潮林の場合これに当り,殊に枝葉を多く有しこの隙間を通過するに,接触面が非常に拡大せられ,叉水流の経路を甚だしく屈折するため,エネルギーの喪失が増大するものである。これら両系の優劣は港湾工事の防波堤に捨石堤と直立堤との関係にも見られ,叉海岸砂防工の前砂丘造成に石垣,板壁と粗朶立工との間の関係にも見らるる所であるが,高潮波浪の機械的破壊力を阻止する方法としても上述の如く二つの方法があるので,これが関係を判定するために,次の如き実験を試みた。
流量,流速等を任意に整備し得る水力に関する実験設備を全く有しないので,自然の海岸において自然力の潮汐,叉は波浪を利用することとし第1図及び写真4の如き3種の模型障碍物を,鹿児島湾笹貫海海岸の殆ど平坦な遠浅において,主としてSEの方向の波浪に対して直角をなすような一直線上に設けた。
即ち
1)板塀 1m毎に杉丸太を打込みこれに正五分板張となせるもの。
2)樹梢(枝葉附) 元口直径2~3cmの杉梢頭部の枝葉を附けたものを同じく幅1.5mの間に正三角形植樹の樹幹の如く打込む。
3)樹幹(無枝葉) 末口直径10cmの杉丸太を幅1.5mの間に正三角形植樹の樹幹並列したる状態に打込み枝葉を附せず。
三者何れも高さ1m,長さ6m,模型相互の間隙は5mとする。
波力を測定するための波力計の設備を有しないので,頗る不完全な方法であるが,Price's cur-rent meterを用い,各障碍物模型の中央後方1mの地点及び無障碍箇所(基準水速)の4箇所において,水底より水深の三分の二の点の波の速度を,干潮時より約1時間後,水深約15cmに達した時刻より測定を開始し,それより30分毎に満潮時に至るまで測定することにより,その波力を推算することとした。その結果は第9表の如くである。
測定の結果波力は潮位,風力の増加と共に強くなるのは勿論であるが,各場合の波力を水速によつて比較してみると,(1)板塀,(2)樹梢(枝葉附),(3)樹幹(無枝葉)の順序に約20:86:93の割合に水速を減じ,波浪の衝撃力は水速の自乗に比例するものとして,(1)板塀は4%,(2)樹梢は74%,(3)樹幹86%に減殺せらるる割合となる。更に各種障碍物毎に考察すると。
(1)板塀の場合
その潮位15cmのとき打寄せた波は板塀に沿つて約30~50cm打上げ,水深約30cmに達すると高さ1mの板塀を約10cm位を優にoverflowし,潮位が約2倍に増嵩し,又その板塀の支柱は地上部1mに対し,海底中に約1.2m打込んだにも拘らず,板塀は全面的に波力をうけるため,前後に可成り烈しく振り動かされ漸次支柱が浮上るので,更に杭打して防いだが及ばず,潮位上昇と共に板塀は波浪に益々烈しく翻弄されるに至り,遂に観測開始後約1時間にして板塀全部がその組立られた形のままで海上に横倒しに浮上し,この板塀実験は中止のやむなきに至つた。即ちこの揚合波浪としては,台風高潮の揚合の如きと比較にならぬ程微弱のものであるが,これを全面的に遮断する場合の波力並にその洗掘力の極めて激烈なることを明かにするものである。
(2)樹梢(枝葉附)
この場合にも多少の水位上昇はあるも,枝葉の間隙を渦流を生成しながら容易に流過し,波浪によつて板塀の如く根元より動揺することなく,僅に枝葉のみ振り動されたにすぎない。而も実験の結果は樹幹のみ並列するより更に水力を減退せしむる効果がある。
(3)樹幹(無枝葉)
これは橋脚による脊水の性質と相似ておる。実験の結果は水位稍上昇渦流を生成し,基準水速に比べ幾分その水速を減ずるが,(2)の樹稍には及ばない。
本実験はその装置において,たまその測定の方法について極めて不完全であるが,結局既述の如く高潮の機械的破壊力に抵抗するためには,全面的にこれを遮断する方法は,よく海水の内部浸入を防ぎ得るとしても,水位を高くし洗掘力を大にし波浪の力を増大し,工作物の破壊を招く恐れは甚だ大である。これに反し樹林は侵水を全画的に阻止することはできないが,波力による致命的な損害をうくることなく,しかもよくその破壊力を相当減殺し得ることを示すものということができる。
C.生理的損害に抵抗する機能(化学的関係)
(i)潮水の直接の侵入,又は,(ii)その飛沫細粒を含める潮風の吹付けによる塩分の害から完全に防禦し得る経済的な工作物は考えられぬ。普通の防波堤叉は護岸工は,(i)直接の海水浸入は或る程度阻止し得るも,(ii)潮風を阻止するは殆ど不可能というべく,これに比較して防潮林は一定の高さ,一定の範囲までは,これを濾過阻止し得ることは,これまでの潮風害の際における幾多の実例によりて明かなる所である。今回の調査においても前掲第6表に示す如く僅かに海岸側2.5m幅の林套の内側にある林分が,その外側の林套に比較して被害が前者の三分の一に過ぎないという例によつても明かで,一種の濾過作用をなすものということができる。
要するに防潮林叉は防波工作物は各々得失を有するが,
1.工事類は或程度まで完全に潮水の進入を阻止し,堅固に抵抗することができる。
2.そのためには多大の経費を要し,広大な区域の設備には困難である。
3.外力に対し全面的に抵抗阻止するから限界以上に達すると破壊し易い,且つその水位を増嵩し危険率を大にする。一旦破壊した時はその損害は甚しい。
4.防潮林は絶対的に侵入を阻止することは出来ないで一部の侵入を免れない。
5.その代りに外力と全面的に正面衝突は起さない。
6.侵入した潮水は,その動的力の大部分を喪失せしめ,水の機械的破壊力を著るしく減少せしむる。
7.潮風の吹付による生理的被害は防潮林による濾過により或程度防ぎ得るが,工作物によつては困難である。
8.工作物はその竣工までに比較的長年月を要しないが,防潮林が有効な作用をなすまでには相当の年月を要し,その間危害防止の効果は期待できぬ。
9.森林の造成は経費が少い,場合によりそれ自身経済的収支を償い得る,然らずとも相当広範囲に亘り造成できる。
10.故に両者の特質に応じ,その場所,その時に応じ,何れかを選択し或は両者を併用し補完の作用をなさしむべきである。
IV. 防潮林の機構
以上森林が防潮に関する機能の優秀なるを述べたが,然らばかかる防潮林は如何につくるべきか,勿論それには実験研究の結果にまつべきであるが,これが実験を行うは仮令模型的に行うにしても,困難なばかりでなく不充分である。それ故に我々は自然界に自然に大規模に永年に亘り,潮水に対抗して生育し来ておる海岸林の現況を調査して,参考資料とすることが最も肝要な方策の一つなりと信ずる。そこでまづ南九州地方海岸林の代表的なる林分について植生調査を行い,更にその水平的垂直的構造の分析を試み,以て最も適当なる機構を明にせんとした。
A.植生調査
植生調査を行つた箇所は,薩摩半島にては,その南端枕崎市立神国有林,吹上浜南多布施村潟及び伊作町堀川国有林,大隅半島にては,その南端佐多岬の外洋側,佐多町外之浦,同竹崎及び南端に横たはる無人の小島枇榔島,鹿児島湾に面する側の佐多村島泊,同水ケ尻及び同田尻西海岸において各々1ケ所を選んだ。調査の方法は5m幅の帯状測定法により,5m平方のplot5~10箇を1直線上に並べて設定,このplot毎に,A層(喬木層),B層(灌木層),C層(草本層)の3層に分け,各層毎に次の基準によつて被度及び頻度を調査した。
(+)個体数1~2本,被度1/4以下
(1)個体数(+)より多いが,被度1/4以下
(2)個体数は多いが,被度1/4以下
(3)被度 1/4~1/2
(4)被度 12~3/4
(5)被度 3/4~1
ここには紙面の都合により,その調査の概要を一表にとりまとめると,第10表の如くである。但し掲げたる種名は頻度60%以上のもので,且つ被度頻度の大なるものより順次に列記したものである。
薩摩及び大隅両半島共にA層のDominant treeはクロマツで,B層では薩摩半島側はハマヒサカキ,トベラ,ネズミモチ等が多く,大隅半島側はウバメガシ,シヤリンバイ,トべラ等が多い。C層では,薩摩半島側はススキ,ヤブラン,ツボクサ,大隅半島側はハチジョウススキ,キキヨウラン,ツルボ,フウトウカヅラ,ムサシアブミ等が多い。
大隅半島の外洋と湾内とを比較すると,喬木層,灌木層は殆ど変りがないが,草本層では,外洋側はキキヨウラン,イシカグマ,ムサシアブミ,フウトウカヅラ等が多いのに対し,湾内側はハチジョウススキ,ツルボ,ツワブキ等が多い。
以上により推察すると,大隅,薩摩半島共に防潮林の上級木にはクロマツに異論なく,中級木はハマヒサカキ,シヤリンバイ,ウバメガシ,トベラ,ネズミモチ等で,下級層はススキ,ハチジヨウススキ,ヤブラン,ツボクサ,フウトウカヅラ,キキヨウラン,ムサシアブミ等が考えられる。
B.海岸林における樹木の傾倒状況
海岸林においては屡々海風の影響をうけて,一方に傾いたまま生長しておる場合が少くない。これらの内最も著しいもの5ケ所について特に詳しく調査を試みた。その結果は第11,12表の如くである。
(写真5,6)。
その内第11表は吹上浜堀川国有林74ろ内2ケ所で調べたもの,共にクロマツ人工造林地(15年生)で規則正しく汀線に並行な列状に植樹せられておる。汀線に近き第1列より漸次遠ざかるに従い,その傾斜度を減じ第8列~第9列に至りて,全く直立して潮風の影響より離脱するに至ることを示す。第12表は一部は吹上浜入来浜国有林,他は谷山町小松原民有林における調査で,何れも司じくクロマツ林であるが,第11表よりは老齢(50~60年),大径且つ不規則に散生しておる。従て汀線よりの距離と傾斜度との間に規則正しい関係がなく,土地の局地的特異性,樹木の個性等に影響さるるところ大であるが,原則的には大体汀線よりの距離大となるに従つて傾斜を減じ,一定距離に達して全く潮風の影響より離脱するものを見ることができる。これらのことは叉防潮林に必要なる幅員の最小限度に関する一つの基準を示唆するものと見ることができる。
傾斜生長の尚一つの顕著なる異例は,常に烈しき潮風を海より吹きつけられおる島,叉は岬の海に接続する林分の畸形で,前掲植生調査の佐多岬田尻西海岸もその一例である。樹高は皆1m以下で表一面に撫で揃えた如く,或は刈り揃えた如く枝葉が密生しておる。その表面の傾斜角度は40°~50°,かかる特種の樹冠層を形成する樹種は佐多の調査ではクロマツ,トベラ,ハマヒサカキ,マサキ,シヤリンバイ,マルバニツケイ等である。
C.垂直的構造
a)樹高 防風林において,樹高(h)はその有効区域〔(10~20倍)h〕を決定するけれども,防潮林は高さはあまり必要度が大でない。安全の点からすれば寧ろ低いがよい。内方遠くまで効果あるためには高い方がよく,殊に潮風の飛沫を防ぐためにも樹高も亦一要素と考えらるるが,然し必要ならば第一次樹帯に次いで一定距をおいて第二帯を内方に増設すれば足りるだろう。
b)樹冠の層 防潮林の上級木の主林木たるクロマツは,概して枝下が高くあいておる。これをふさぐために下層まで連続的に常緑広葉樹の樹冠層を数段に,或は数段というより連続的な択伐林型に,また汀線より内方に向つて漸次高くすることは理想的というべく,前項Bの後段に述ベし如き傾斜生長の一異例として述べた如きは,これを自然に出現せしめおるものというべきであろう。
c)根系 海岸殊に砂地の海岸においては,一般に地下水が高く,従つて直根が充分発達せず水平的に横に拡がる傾向ありて風倒れの原因をなすことは前述の如くである(写真2)。これら地盤の補強のためにも種々なる広葉樹を下木として植栽することは必要である。
D.水平的構造
a)密度 大なるほど有効である。枝葉は生理的関係から自然一定限度の空隙は保たれるから,密に失するを考慮する要はないであろう。上層木として植栽の場合は正三角形植が適当であり,加うるに下木をできるだけ密生せしむることが必要である。
b)防潮林の位置 汀線より防潮林の第一線までの距離をあまりに狭くすることは危険である。満潮線より内方におくべきは勿論,更に相当の余地を残しておくことが必要である。汀線より内方に極めて緩なる勾配をなしてやや高まるの如き地形をなすは最も普通であるが,かかるところでは押寄せた波は砕波となり,その極限において重力により底退きするため,樹根が常に洗掘せらるるのみならず,高潮の際根倒し等の大なる被害を受けるのは,概ねこの余裕を残さず,あまりに汀線に接近して林分の存する揚合であること前述の如く,南薩海岸枕崎市立神,阿久根市小松原等はその例である。
c)幅員 防潮林の幅員(厚さ)が大なるほど,効果の大なるはいうまでもないことであるが,小さいものは小さいだけに,それ相当の効果を奏しておる。前掲II,B,森林の被害の条で枕崎市立神防潮植生調査の結果について述べた如く,海岸側2.5mだけの常緑広葉樹の密林に接続する内側の同様な林分は被害が1:3に止つておる。叉IV.B,海岸林における樹木の傾倒度の調査について見ると,一つは15~20m,8~9列位の林分の存在によりて,それより内部は直立生長をなし,他の老大大径木の散生状態のものにては,30~60m内方に至つて漸く直方するという例もある。故に防潮林として内方の地物を有効に保護するためには60~100m以上を要すべく,また防潮林と工作物を併設する時には,幅員を更に減縮し得る場合も少くない。要するにその場所毎の地形,風波の大小,林分の構造によりて具体的に決定すべきもので,一般に基準を数的に表示することは困難である。
d)通路 防潮林が道路その他の横断のため,きれ目を生ずるは風及び波の突破口をつくるもので,この点においてその速力及び水位を増大ならしめ,被害を激甚ならしむる誘因となるものであるから,努めてこれを避けねばならぬ。かかる揚合には第2図の如く一部重り合い,通路をS字形に設くるか,幅員大なる林にては主風方向に斜に設くるよう注意すべきである。
E.工作物との関係
防潮林と工作物との機能の異同得失については,前章IIIに述べし如くで,それぞれ一得一失を免れないから,その事情に応じて適当なものを施設すベきであるが,場合によりこの両者を併用するが有効且つ経済的な場合が少くない。即ち防潮林の幅員を大にすることにより,その機械的破壊力は充分減殺することを得るとしても,潮水の内方に浸入するを防ぐことはできない。殊に多くの海浜の地形は汀線より緩なる傾斜を以て上り勾配をなし頂点に達し,それより内方には殆ど平坦叉は反対に下り勾配となるが如き場合も少くない。かかる場所においては侵入した水は容易にこれを止むることができない。故に簡易なる工作物を併用することによつて制禦せねばならぬ。また工作物の併設は前にも述べた如く,防潮林の幅員の不充分を補う目的にても行はれる。例えば今回の高潮についても,重富村の松原防風林は幅員30mの後方に1.5mの築堤が併設せらるることにより,完全に内部の耕地を保護することができた。
これらに用いらるる工作物は概して簡単な構造のもので石積,コンクリート等も可なれど,単なる土堤叉は張芝堤防にて充分なることが多い。設くる位置については森林の最も外側,中部,最も内側等の位置が考えらるるが,それは防潮林と工作物と何れが主体をなすかによつて決せらるべきものである。防潮林を主とするものにあつては,林の中部又は内側に設くるが安全且つ経済的である。また前述の一旦頂に上り,それより内方に下り勾配となる如き場所にては,頂点の内側に設くるが適当なりと考えられる。工作物の高さについては,内法に緩傾斜する所においては後方に退くに従い高さは減じて可なるべく,何れにせよあまり高くせざる方がよかろう。
要約
1.昭和26年10月14日南九州地方を襲つたRuth台風は非常な高潮を持ち来し,甚しき潮害を蒙らしめた。
2.暴風波浪に対し堅固に築造せられた防波堤,護岸等の工作物の被害は少くなかつた。
3.海岸林も風倒,風折等の損害をうけた所もあつたが,概してよく防潮,防風の効を奏した。
4.高潮の機械的破壊力に対し,固定工作物は,よく全面的にこれを遮断防止し得るが,同時にその力を真正面からうけて潮位を高くし,洗掘を大にし損害を増大する。
5.防潮林は風及び波の一部を遮断し,一部は通過するが,摩擦及び渦流を生ずることによりその有する破壊力を減少せしめる。
6.防潮林はその濾過作用により高潮の植物に対する生理的被害を防ぐ。
7.海岸林についての植生調査の結果,防潮林に適当なる樹種としては,上層木にクロマツ,下層にハマヒサカキ,シヤリンバイ,ウバメガシ,トべラ,ネズミモチ等である。
8.針葉樹等の上層木のみより成る森林は,防潮の目的に対して充分なる機能を発揮することができないのみならず,林分自身風倒の危険も多い。従つて常緑広葉樹よりなる中層,下層まで幾層も重り合つた林型を保つことが望ましい。
9.林分の高さは余り高からぬ方が安全である。耕地防風林として内部遠くまで効力あらしむるためには,一定距離内方に第二の林帯を設けたがよい。
10.汀線より相当の距離を残して防潮林を設くべきである。この間隔なきものは根元を洗掘せられ被害を大にした例が多い。
11.防潮林の幅員については,大なる程よいのは勿論だが,小なれば小なるだけに相当の効果を表はしておる例が多い。これはその場所毎に風波の大さ,地形,林分の構造等により具体的に決定すべきで,一般的基準を数的に表示するは困難である。
12.防潮林と防波工作物とは各得失があるから,それぞれ適所に施設すべきであるが,場所により,寧ろ両者併用することが相互補短の功を奏し有利な場合が多い。
13.工作物を設くる位置は防潮林を主とする場合,その中部又は内側におき,構造は簡易なるもの,高さ大ならざるものを可とする。
本研究は昭和26年10月のルース颱風に因縁して始めたが,本年はこの原稿を書きつつある間にも幾度か颱風来襲の警報におびやかされたことであつた。8月18日は颱風第5号がきた。そのコースも前のルース颱風に頗る似ておつたが,幸に来襲の時日と大潮の時日と少しズレがあつたので,前程の高潮の害は免れ得た。次で颱風13号は9月7日,12号は9月13日,共に又ルース颱風同様の高潮の害を持ち来す可能性は充分であつたが,幸にして皆前述の被害の三要件が一致するに至らなかつたために激甚なる被害なきを得た。然しこれは全く偶然の機会で,それは直ちに又反対に不幸なる機会となる偶然ともなり得る。のど元通れば熱さを忘るではすまされない。来らざるを頼まず備えあるを頼むべきで,一層研究工夫すべきである。(1954年9月14日)
RESUME Studies on the Tide Water Control Forests in South Kyushu Rikizo NISHI and Daizo KIMURA
The highest flood-tide caused by the typhoon Ruth which struck South Kyushu on October 14, 1951 brought the serious damages on various structures and crops in most places, but the coastal forests have gained its object as the tide water control forest by protecting the inland from the damages.
Therefore, to make clear the function and the most adequate mechanism of the tide water control forests researches for the condition of the damages and plant sociological structures of the coastal forests, and some experiments were carried out. Most of the tide water control forests in South Kyushu are dominated by the Japanese black pine (Pinus Thunbergii Parl.) as a first story tree, but it seems advisable to combine the evergreen broad-leaved trees, such as Eurya emarginata Mak., Euonymus japonicus Thunb., Pittosporum Tobira Ait., Raphio-lepis umbellata Mak., Aucuba japonica Thunb., Ilex integra Thunb., and etc., as an under story stand.
The efficiency of the protection against tide water increases with width of the forest, but there are many examples of coastal forest of few metres broad which were proved to be fairly effective against the above typhoon. By some topography it may be more effective to build the simple dam at the center or the inner side of the forest.