1.はじめに
1741年8月29日(寛保元年),北海道渡島半島から津軽地方にかけての日本海沿岸に,大きな津波が来襲した.大日本地震史料第2巻や,新収日本地震史料第3巻に集められている古記録によると,8月23日に渡島大島が噴火し,その後かなりはげしい活動が続いたことが記載されている.そして29日早朝に突然津波が襲ったが,そのとき地震があったという確かな記録は残されていない.そのためこの津波が,火山噴火に伴ったものであるか,地震によって起ったものであるか明らかでない.
羽鳥・片山(1977)および羽鳥(1979;1984)は古記録のうち津波に関する調査から,この津波が低周波地震によるものであるとしている.北海道防災会議(1977)の報告書によると,噴火を原因とするには津波の規模が大き過ぎ,一方地震の記録がないということで,津波の原因を断定することを避けている.
しかし噴火を原因と考えた場合,どの程度の津波が期待できるのか量的な見積りは今までなされていない.この見積りは津波の原因を明確にするための一過程として必要なことと思われる.ここでは噴火による火山山体の崩壊を想定して,その機構からの津波の発生について検討を行う.
2.津波発生の機構
渡島大島火山については,北海道防災会議(1977)の詳細な調査報告がある.これによると,1741年8月18日頃から松前西方約60kmの海上にある渡島大島の噴火活動が始まっていたらしく,25,26日には福山,江差地方で,日中でも灯火を必要とする程の降灰があり,深いところでは地上10~15cmも積った,29日夜明け頃噴火は最大に達した.
このような噴火活動を実際に近くで目撃したという記録はない.しかし津波と関連のありそうな活動を想像させるものとして,現在の地形に残されている北側に大きくえぐられた馬蹄形の崩壊地形がある。Fig.1は,1/25,000地形図と北海道防災会議(1977)の報告を参照して描いた渡島大島の地形図と,N20°Eに沿った縦断面図である.
清部岳と江良岳の二つの峰があるが,清部岳をほぼ中心に馬蹄形のカルデラ縁が北側に開いている.これはおそらく噴火活動に伴って生じた崩壊地形であって,このような山体の大崩壊を伴う噴火活動の例は,1888年磐梯山の場合などかなりの数が認められる.また1980年,セントヘレンズ火山の噴火でも,山体の大崩壊がおこったが,活動の経過などが詳しく調査されている(例えぽ下鶴(代表者),1981).
高橋(1981)はセソトヘレンズ火山の場合,山体の崩壊物質は,地表に沿って流下する土石なだれと,その上方に高濃度に微細粉を含む流れが生じて,遠方に拡散したという仮説を提示している.この流れは密度流として山腹の木をなぎ倒しながら広範囲に流れ出した.木の倒れた範囲は20×30km^2程度に達している.そして横向きの衝撃波を考えるよりも,継続的な流れとしてとらえる方が,倒木が流れ去ってしまったり,山の蔭で渦巻状に木が倒れているなどの事実を説明し易いとしている.荒牧・宇井(1981)も,横向きの流れは爆発的なものではなかったとして,高橋の考えを支持している.
渡島大島の山体崩壊をこれと同様に考えた場合,津波の発生に寄与する機構として,上記の土石なだれは島の海岸から直接海に流入する.またこの上部に生じた粉体流はかなり遠方に流れ,広い海面に圧力および流速による摩擦応力として作用するであろうから,津波の発生には効果的であるように思われる.
そこで渡島大島においても,Fig.2に模式的に示すように土石なだれと粉体流とが発生した場合を考えることにする.

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3.粉体流の推定
Fig.1の地形図で,崩壊地形の東西両側の稜線の向きから,崩壊物質の流れの方向をN20°Eと仮定した.また崩壊前の山体形状は右側に示した様であったと考え,崩壊量は0.4km^3であるとした(北海道防災会議,1977).その中0.1km^3は土石なだれとして海中に流入し,0.2km^3が空中を粉体流として流れ,残り0.1km^3は地上に残りあるいは空中に飛散するなど津波発生には寄与しなかったと考える.
さてこの粉体流について,セントヘレンズ火山の場合,高橋(1981)は容積濃度1/100程度で,約200mの高さをもった密度流として,流速135m/secになり得ると見積っている.これは一次元の傾斜面を流下する場合の見積りである.津波発生を考える場合,二次元的に求める必要があるが,空気と固体の混合流体について厳密に解くことは難かしい.そこで簡単に,空気と固体の混合体を非圧縮性流体と仮定し,また粉体の沈降も無視して,水平の海面上を流れる密度流の運動,連続の式として,
式:密度流の運動
をとる.ここにηは海面から粉体流上面までの高さ,Qx,Qyは鉛直に積分した流量のx,y成分,fdは海面での摩擦係数(ここでは0.01にとった),Q^2=Qx^2+Qy^2である.g´は空気の密度をρa,粉体流の密度をρd,重力の加速度をgとすると,g´=g(ρd−ρa)/ρdである.今粉体流中の固体の容積濃度を1/100としてρd=0.0265とすれば,ρa≒0.001であるから,g´=0.96gとなりg´≒gとおける.
摩擦係数fdは,実際の現象をよく説明できるように選ばれるべきであろうが,ここでは水流の底面摩擦係数が0.003程度にとられているのよりは大きく,0.01と仮定した.fdが大き過ぎれば粉体流の拡がりが小さくなり,fdが小さければ,大きく拡がるものと思われる.
これを格子間隔833m,計算時間間隔0.05minで差分leap-frog法で数値的に解いた.入力としては大島に相当する位置の3格子2.5kmに対して,時間関数として流量を与え,また流出の先端についてはフルード数2の条件を与える(岩崎・富樫,1969).
さて粉体流として流出した量を0.2km^3とすると,その流出の継続時間を仮定することによって流量が決まる.宇井・荒牧(1983)によると,セントヘレンズ火山の場合,崩壊物が運動を停止するまでに10分位かかったということである.ここでは稍々速い3分間流出を続けるとした.そしてそれは時間的にQ0cos(πt/6),(t;min)の形をとると仮定した.Q0を求めると4.2×10^6m^3/min/mとなる.但し粉体の容積濃度は1/100としてある.
以上の仮定にもとづいた粉体流のシミュレーションによって,海面上に生じる粉体流の上面の高さを求め,等高線によってその分布を示すとFig.3のようになる.0.5min毎の分布によってその拡がっていく様子を示した.粉体流の輪郭をあらわすために,最も外側の等高線は10mにとってあるが,あとの等高線は左上の0.5minの場合のみ100m間隔,他は50m間隔である.図の縦軸はN20°Eにとってある.
これにより,流出の前面に円弧状の峰を持ちながら,前方に進むと同時に側方にも拡がり,次第にその高さを減少していることがわかる.3分後,進行方向に約15km,側方左右に約10kmずつの拡がりを持っている.この後は面積の拡大はあるが,高さが急激に減少して,5min程度でほとんど消滅する.
この拡がりの面積は崩壊量や火山の高さで異ると思われる。宇井によるカルデラ壁と堆積物末端の比高と,火山泥流堆積物の到達距離の関係についてのまとめ(荒牧・宇井,1981)をみると,比高800mに対して到達距離7~8kmであるので,このシミュレーションの結果はそれより稍々拡がりが大きい、セントヘレンズ火山での木の倒れた範囲は,前述のように20km×30kmの範囲になっている.
Fig.4は流出中心軸に沿った断面を示している,上の図は粉体流上面の海面からの高さの時間毎の空間分布で,下の図は平均流速のそれである.粉体流の高さは,溢出の当初600mに達しているが,大島火山の崩壊の前の高さは800mを超えていた(Fig.1)と思われるから,この高さは妥当なものであろう.粉体流は高さを減じながら進行しているが,前面のピークを除くと,300mから100m位の高さになっている.進行の速さは70m/secあまりである.また前面の形は,計算格子が833mと疎いため,ややなだらかな形となっている.
また下の図の流速は空間的にも時間的にも比較的変化が少く,100m/secから150m/sec程度である.
これらの数値が実際の現象とどの程度一致しているかが重要なことであるが,セントヘレンズ火山での高橋(1981)の仮定的な見積り,粉体流の高さ200m,流速135m/secにほぼ見合ったものとなっているので,第1近似としては妥当な値と考えられる.

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4.津波発生の数値実験
海面上に前述の粉体流が流出する場合の津波の発生について,その海面に対する静的圧力と,流速による摩擦応力を考えることにする.この際粉体流と海水との相互作用は無視する.そうすると運動方程式は
式:運動方程式
になる.ここに移流項と海底の摩擦項は無視する.ζは海面の上昇,qx,qyは海底まで積分した流量のx,y成分,hは水深である.ρdは粉体流の密度で,容積濃度1/100として0.0265g/cm^3にとった.ρwは海水密度である.またηは粉体流の海面からの高さ,Wx,Wyは粉体流の流速で,前節のQx,QyからWx=Qx/η,Wy=Qy/ηで与え,γは海面の摩擦係数で0.01にとった.またW^2=Wx^2+Wy^2である.
数値実験での基本的なプログラムおよびデータは,1983年日本海中部地震津波に関するもの(相田,1984)を用いた.但し外海域での格子間隔は2.5kmとして計算を行った.Fig.5に渡島大島の近傍のみをとり出した計算領域の図を示す.この格子系はJ軸がN21°Eにとってあるので,渡島大島崩壊物質の流出の方向N20°Eとほとんど等しい.したがって流出入力の方向はJ軸に等しいとした.
入力の条件の異るつぎの4つの場合について数値実験を行った.
Ex.1.土石なだれのみを考えた場合.2.5kmの格子点に土石なだれの流量に等しい海水流量入力を与える.3分間を1/2周期とする正弦半波形状とし,最大流量は2.0×10^4m^3/min/mになる.この方式は島原半島眉山の崩壊に伴った津波に適用して,かなり妥当な結果が得られた(相田,1975).
Ex.2.前節のシミュレーションで求めた粉体流の流速による海面摩擦応力のみが働いている場合.
Ex.3.粉体流の流速による摩擦応力と同時に海面におよぼす静的圧力も考えた場合.
Ex.4.土石なだれと,粉体流が同時に発生.Ex.1とEx.3を合わせた条件.
まずFig.5に示した渡島大島を中心に,半径30kmの円周上のほぼ等間隔のNo.1~20の地点を通る津波についてしらべてみる.Fig.6はNo.2とNo.11の地点の波形をそれぞれ実線と点線で示した.発生する津波はほぼ1山1谷から成り,それに続く小さい1山程度の波が存在すると思われる.ほぼ崩壊の向き(後述するようにこの方向が最大波)No.2に生じた波にくらべて,その逆方向No.11の波は著しく小さい.No.11の波の上げ下げの向きが,場合によって異っていて,Ex.2ではNo.2の波とほぼ逆の向きの波が発生するが,Ex.1でははじめわずか下げ波が生じるがすぐ大きい上げ波にかわっている。Ex.3ではNo.11の波が特に小さい.
No.1からNo.20までの地点を通過する波は進行波であるとして,計算波形から各方向へ射出される波のエネルギーを求めてみる.進行波のポテンシャルエネルギーは,単位幅あたり,[式:進行波のポテンシャルエネルギー]であらわせる.ここに積分は求める波の長さについて行うことを示す.ここでは発生した津波は,1山1谷とそれに続く小さい1山までと考え積分の範囲に決めた.また波の長さについての積分は,その地点の長波速度√ghを乗じて時間間隔ΔTの積分におきかえた.
こうして求めたポテンシャルエネルギーを2倍して各地を通過する津波のエネルギーとしFig.7に放射分布を示した.図中No.1の方向が崩壊物質の流出方向であるが,それよりやや東に向いたNo.2の方向に最大のエネルギーが放射している.これは30kmまでの伝播経路の海底地形に影響を受けたものと思われる,しかし,Ex.2の粉体流流速の海面摩擦応力を入力としたものは,その流速方向に最も鋭いエネルギー放射をしている.
指向特性は粉体流の静圧力および海面摩擦を入力したもの(Ex.3)が最も鋭く,土石なだれによるもの(Ex.1)はそれよりはやや指向性が鈍い.とはいうものの,全体として非常に鋭い指向性をもった放射パターソを示していて,通常の海底変動による津波とは著しく異っている.
これらを半径30kmの円周に関して積分して,発生全エネルギーを計算してみるとTable1のようになる.これによると,粉体流の圧力による効果は,海面摩擦応力の効果より,発生エネルギーが1桁大きい.また土石なだれの効果は最も小さく,粉体流の海面摩擦応力によるものより下まわる.因みに崩壊物質が持っていた位置のエネルギーは,重心の高さを550mとすると5.4×10^22erg程度と概算される.津波のエネルギーはEx.4でもその10^-4程度である.

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5.1741年津波との比較
1741年8月29日朝,大島火山の活動が最も活発になっていた頃,渡島半島から津軽地方にかけての日本海岸に大津波が来襲した.羽鳥(1984)は古記録を整理して,この津波の各地の高さを推定している.北海道熊石から松前に至る海岸は津波の高さ6~15mに達し,津軽でも4~7m,また遠く佐渡の外海府で3~5m,能登で3~4mと推定しており,また現在の韓国北部でも人家や船に被害があったということである(都司,1984).渡島半島から津軽にかけてのこの推定値をFig.8に横棒でプロットした.
これに対してEx.4の津波数値実験で得られた江差と深浦の津波の高さRを二重丸で,そして200m等深線上で約15km間隔の黒丸の地点の津波第1波の波高(全振幅)H0を黒丸でプロットした.このH0の2~3倍が海岸での津波の高さにほぼ一致することは三陸海岸の例(相田,1977)などで明らかにされたが,日本海中部地震津波の能代付近海岸の津波の高さについても,ほぼ妥当な倍率であることが示されている(相田,1984).そこでH0の2倍から3倍の範囲を影線のベルトで示した.これから今回の数値実験による津波の高さは,渡島海岸で古記録からの推定値の1/3~1/4,津軽では1/10程度にしかならないことがわかる.
Fig.9は更に遠方の佐渡,能登を含めて各実験ケースについてプロットした.上方に影線で示した長方形の領域は,古記録からの津波の高さ推定値とその地域の範囲を示している(羽鳥,1984).すなわち能登のような遠方においても,渡島沿岸の高さの1/3程度の高さになっている.これに対して数値実験値Ex.1~4のプロットは,いずれも能登では1/10あるいはそれ以下に減衰していることがわかる.また数値実験値はEx.4の場合でも,遠方の能登では1741年津波推定値の1/20程度の高さにしかなっていない.
津波エネルギーの面からみても,Ex.4で5.5×10^18ergであり,1983年日本海中部地震津波の4×10^20erg(相田,1984)から2桁も小さいことがわかる.

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6.むすび
火山噴火による津波としては1883年のクラカタウ島噴火によるものが有名である.最近YOKOYAMA(1981)はこの噴火に関して,地球物理学的な視点から種々の現象についての検討を行っている.津波に関しては伝播図の作図と,グリーンの法則を用いてクラカタウ島の外周を結ぶ約10km×13km程度の範囲を波源とすると,波源における水位の高まりは30~40mと見積られた.この発生の原因は噴火による海底の突然の高まりによるとしている.なお参考のために,このポテンシャルエネルギーを求めてみると,5.7×10^21~1.0×10^22ergとなる.
1952年9月の明神礁の噴火による津波については,UNOKI and NAKANO (1953)の調査がある.明神礁は当初海面に現われていない,海底からの噴火であった.コーシーポアソン波としての理論的な結果から,八丈島,城ケ島,御前崎の波浪計で観測された津波の振幅減衰を説明するためには,半径2.2kmの拡がりで,海水に瞬間的な圧力が与えられて発生した津波であるとすると都合がよいことがわかった.
また1792年島原半島眉山の崩壊に伴った津波は,火山噴火が直接原因とするには問題があるが,火山山体の崩壊であり,著しい津波被害を生じたことでも注目される.相田(1975)は,山体崩壊物質の海中への流入を,それに等しい海水流量として与えるような数値実験によって,ほぼ実際の津波現象が近似できることを確かめた.
このように火山噴火による津波の発生機構は,噴火の様相とも関係して,多様であると思われる,渡島大島の噴火によって,若し津波が発生するとすれば,火山島がほとんど消滅してしまったようなクラカタウ島噴火や,海底から噴火した明神礁の場合などとは異った機構であろう.現在島に残されている北側斜面の大崩壊のあとから,むしろ眉山の山体崩壊によって発生した津波のような機構が考え易い.
Ex.1はこの考えから行った数値実験であるが,山体崩壊による土石なだれのみによって発生する津波はかなり小さく,エネルギーにして3.4×10^17ergで,島原眉山の場合の5×10^19ergに比べて1/100以下である.これは渡島大島が海岸からすぐ1,000mの海に急傾斜で連なっているために,有明海のように浅い海におけるより津波発生効率が著しく悪いことを示している.
眉山崩壊の場合,地下水若しくは火山体内の熱水が,崩壊土塊の流動化を高めたと考えられている.しかし大島火山の場合は水が主要な役割を果したとは考えられず,山体物質が気体と混合して流下するドライアバランシュであると考えた方が適切であると思われる.
Ex.4は,このような考えから山体に沿って流れ下る主として固体の土石なだれと,空気と混合してその上を流れる粉体流とを仮定して,津波の発生を数値実験した.この場合は5.5×10^18ergの津波エネルギーを発生し,渡島半島海岸には2~3m,最高4m程度の津波が期待される.
しかし1741年津波は,この地域で6~15mであって,少くとも現在考えた津波発生機構では,この津波を火山噴火によるものとすることはできない.
この津波は羽鳥(1984)によると日本海中部地震津波より稍々大規模なものであるという.いま仮りにエネルギーを5×10^20ergと仮定すると,例えば直径10kmの円形域を波源とすると,その内部全域で11.4m程度の水位の上昇(若しくは下降)が必要であり,直径20kmならば5.7mの水位変動がなければならない.直径10kmの波源で水位上昇を11.4mとすると渡島沿岸の津波の高さはおそらく高すぎることになるから,波源の拡がりは20km程度は考える必要があろう.渡島大島火山噴火によってこの程度の拡がりで平均5.7mという大きい水位の変動を与える機構を考えることは,かなりむずかしいと思われる.
謝 辞
この論文をまとめるにあたり,有益な御意見を頂いた地震研究所梶浦欣二郎教授,荒牧重雄教授に厚く謝意を表します.また数値計算は東京大学大型計算機センターを利用させて頂き,等高線図の作図には吉沢昭宣・佐久田博司両氏製作のライブラリープログラム,J6/TC/CONT3を使用したことを記し,併せて謝意を表します.
文 献
相田 勇,1975,1792年島原眉山崩壊に伴った津波の数値実験,地震II,28,449-460.
相田 勇,1977,200m等深線上の津波波形と浸水高,地震II,30,11-23.
相田 勇,1984,1983年日本海中部地震津波の波源数値モデル,地震研究所彙報,59,93-104.
荒牧重雄・宇井忠夫,1981,噴火のメカニズムとdebris avalanche (土石なだれ)と軽石流,セントヘレンズ火山の噴火活動とそれに伴う災害の研究,文部省科学研究費,突発災害研究成果報告書,No.B・55.1,42-57.
羽鳥徳太郎,1979,北海道渡島大島津波(1741年)の供養碑,地震研究所彙報,54,343-350.
羽鳥徳太郎,1984,北海道渡島沖津波(1741年)の挙動の再検討—1983年日本海中部地震津波との比較—,地震研究所彙報,59,115-125.
羽鳥徳太郎・片山通子,1977,日本海沿岸における歴史津波の挙動とその波源域,地震研究所彙報,52,49-70.
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都司嘉宣,1984,韓国東海岸を襲った地震海溢海洋科学,16,527-537.
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YOKOYAMA,I., 1981, A geophysical interpretation of the 1883 Krakatau eruption, Jour. Volcanol. Geotherm. Res., 9,359-378.
Au Estimate of Tsunamis Generated by Volcanic Eruptions —The 1741 Eruption of Oshima-Ohshima,Hokkaido— Isamu AIDA Earthquake Research Institute The University of Tokyo
A great tsunami hit the Japan sea coast of Oshima and Tsugaru Peninsulas on Aug. 29, 1741. The idea that the tsunami was caused by the bottom deformation due to a large earthquake might be reasonable because the tsunami was ranked as one of the largest in the sea of Japan. However, there were no old records to prove the tremor or damage due to an earthquake, in contrast with the existence of many records on the
eruption of the Oshima-Ohshima volcano.
So, we have examined the possibility of whether the volcanic eruption could generate such a large tsunami or not. It is assumed that the tsunami was caused by a debris avalanche and a dust storm which were commensurate with the collapsed volume, 0.4km^3, at the northern slope of the mountain. The dust storm is a multi-phase flow of air and fine dust of collapsed material. But it is simply assumed to be incompressible fluid and precipitation of the dust is ignored as the first order approximation.
In numerical experiments of tsunami generation, a debris avalanche is modeled by a volume transport of water at the shoreline, and as to a dust storm, time varying volume of dust is assigned at the source boundary condition and the hydrostatic pressure and frictional stress on the sea surface due to density flow are considered to be the source of water wave generation.
The resultant tsunami height at the coast of Oshima peninsula was only 1/3 or 1/4 of the estimated height of the 1741 tsunami. The energy of tsunami generated by this mechanism was 5.5×10^18 ergs which may be only about 1/100 of the actual tsunami. Thus, it is not possible to explain the 1741 tsunami by this mechanism.