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緒言
大正十二年九月一日突如相模灘ニ發セル大地震ハ史上眞ニ未曾有ノ大事変ニシテ其ノ惨禍ノ大ナル他ニ類ヲ見ズ關東一帯ニ甚大ナル災害ヲ与へ其ノ影響ノ及ブトコロ實ニ測リ知ラレザルナリ。殊ニ震源ニ直面シ震動ヲ受クルコトノ最モ猛烈ナリシ本縣ハ被害激甚ヲ極メ縣下ノ農工業其ノ他有ラユル方面ニ非常ナル惨害ヲ受ケタルガ我水産業ハ陸上ニ於ケル震災、火災ノミナラズ沿海ノ津浪、海底ノ変化等ニ由リ一層烈シキ損害ヲ蒙リ將來ノ發展ニ多大ナル影響ヲ蒙リタリ。是等被害ノ程度ヲ知リ影響ノ範囲ヲ究明シテ復旧ノ方策ヲ講ズベキハ刻下ノ喫緊事タルノミナラズ之ヲ機曾ニ新タニ水産業振興ノ機運ヲ作リ得バ當ニ転禍為福縄ト謂フベク更ニ地震ニ就テ有スル本縣ノ宿命ヲ考へ水産業百年ノ計ヲ慮フトキ一層其ノ切要ヲ感ズルナリ、故ヲ以テ本揚ハ災後多忙ノ裡ニ場員ヲ各地ニ派シテ被害ノ跡ヲ踏査シ調査船ヲ運用シテ海況変化ノ状態ヲ實測シ又漁業組合其ノ他ニ就キ損害ノ状況ヲモ調査シタリ、猶東京湾海陸ノ変異及被害状態ニ就キ水産講習所ト聯絡シテ調査スルトコロアリタルガ之等ノ成績ハ固ヨリ概況ニ止マリ精確ヲ期シ難キモ水産講習所及海軍水路部ニ於ケル相模灘水深変化測量ノ成果ヲモ参照シテ■ニ本書ヲ蒐集刊行シ以テ記録ヲ後日ニ貽スコトトシタリ
大正十三年四月
第一章 総説
今次ノ大地震ハ其震源ヲ相模ノ地底ニ発シ之ニ最モ近キ本縣ハ各方面ニ激甚ナル被害ヲ受ケタリ、殊ニ其ノ深部ヲ震央トセル相模灘ニ直面シテ立ツ我水産業ハ直接間接ニ多大ナル損害ヲ蒙リタリ。縣下各地水産業者ノ家屋建物ノ倒潰、従業者ノ死傷等ハ固ヨリ一般ノ例ニ洩レズ各所ニ起レル火災ハ家屋、製造場等ヲ焼失シ沿岸ニ襲來セル津浪ハ又漁船漁具等ヲ流失破壊シタリ、更ニ海岸ノ隆起、崩壊ハ船ノ碇繋曳揚ヲ不便ニシ海底ノ変化ハ魚介藻類ノ死滅を來ス等各種各様ノ被害ヲ起生シタリ、今頃ヲ分チ被害ノ一般状況ヲ説述セムトス。
一、地震ニ由ル直接ノ被害
地震ニ由ル直接ノ被害ハ縣下沿海各地之ヲ免カレタルトコロ殆ンド無キモ其ノ程度ニ至リテハ震央ヨリノ遠近及其ノ地質地勢ニ由リ多少ノ相違アリタリ、最モ甚大ナリシハ眞鶴ヨリ国府津ニ至ル足柄下郡ノ大部、中郡平塚及高座郡茅ヶ崎附近ニシテ鎌倉郡之ニ次ギ三浦郡ヨリ久良岐、橘樹各郡ニ至ルニ従ヒ被害ノ程度減少ス、早川、酒匂川、馬入川等大河川ノ両岸地帯ハ震央ニ近キノミナラズ其ノ地質脆弱ナルヲ以テ被害激甚ヲ極メタリ、之ニ反シ震央ニ遠カラザルモ地盤及地勢ノ良好ナル下郡吉濱附近、中郡二ノ宮、大磯附近、三浦郡三崎附近等ハ比較的軽微ナリキ、而シテ直接ノ被害トシテ数フベキ主ナル事項左ノ如シ。
(イ)從業者及家族ノ死傷、建物ノ倒潰、山崩等ノ為メ各地多少ノ死傷者アリ、下郡中郡等ノ激震地方特ニ多シ
(ロ)住家及建物ノ倒潰。家屋ノ倒潰ハ各地之ヲ見ザルトコロナク前記激震地方ニアリテハ住家ノ大部分全潰ノ状態ナリ建物トシテ漁具、製造具、材料等ノ倉庫及納屋、製造工場、貯水庫等ノ倒潰ヲ数フルヲ得。
(ハ)漁具、製造用具ノ破損及腐敗、各地ノ倉庫、納屋等ノ破壊及雨漏ニ由リ格納中ノ漁具ニシテ破損並ニ腐朽シタルモノ多キノミナラズ夏網ノ如キ敷設従業中大部破損シ流出若クハ腐敗シタリ、又鰹節、煮干鰮、海苔等ノ製造用具ニシテ製造場倉庫等ノ倒潰ニ由リ破損シタルモノ少ナカラズ
(ニ)製造物並ニ商品ノ破損。各所ノ製造所及倉庫ノ倒潰ニ由リ鰹節、蒲鉾、海苔、塩辛等ノ製造物ノ破損シタルモノ、各地商店ノ破壊ニ由リ同上ノ製品、罐詰其ノ他ノ商品ニシテ損傷セルモノ亦多シ
(ホ)魚介類ノ死滅及逸失。橘樹郡大師町、下郡小田原在等ノ養漁場ニ於テ池塘ノ破壊ニ由リ鰻、鯉等ノ斃死若クハ逸失シタルモノ相當ノ数量ニ及ブ、又内湾ノ浅海底ニ棲息セルあさり、はまぐり、がかがい等ノ死セルモノ少ナカラズ猶金澤湾附近ノ養殖牡蠣ニシテ埋没其ノ他ノ原因ニ由リ斃死セルモノ亦多シ
(ヘ)船揚場ノ破壊。下郡片浦方面、横須賀等ニ於テ船揚場ノ破壊シテ用ヲナサザルモノアリ
二、火災ニ由ル被害
地震ニ引績キ各地ニ起レル火災ハ災害ヲ一層大ナラシメタリ、火災ニ由ル被害ハ住家及建物ノ焼失ハ固ヨリ之ニ伴ヒ各地ニ於テ多少ノ焼死及火傷者ヲ出シ猶漁其、漁船、製造器具、製造物、商品等ノ焼失シタルモノ多シ。
縣下ニ於テ火災ノ起レルハ眞鶴村、小田原町、腰越津村、鎌倉町、横須賀、横濱両市ニシテ其ノ損害ノ最モ激シカリシハ眞鶴村及小田原町千度小路ニシテ両地トモ漁民ノ住家全部焼失シ漁具ノ如キモ大部ヲ失ヒ復旧容易ナラズ、横須賀ニ於テハ三十六隻ノ漁船ヲ焼キ本牧ニ在リテハ漁具ノミナラズ海苔製造具六十組ヲ焼失シタリ、神奈川ノ被害モ亦烈シク漁具ノ焼失千三百四十点餘ニ及ブ、猶小田原町ニ於ケル蒲鉾、塩辛、鰹節等ノ製造業ハ火災ニ由リ一時全滅ノ状態ニ陥リ横濱市ニ於ケル海産干物罐詰貿易業者ハ海産乾物及罐詰ノ在庫品約貮百萬円ヲ焼失シ甚大ナル打撃ヲ蒙リタリ。
三、津浪ニ由ル被害
地震ノ直後津浪ノ襲來セルハ相模湾ニ面スル沿岸ニシテ下郡片浦ヨリ中郡ニノ宮ニ至ル間ハ無事ナリシモ此以外ノ地方ハ到ル所多少ノ被害ヲ見タリ、其ノ最モ激シキハ眞鶴、鎌倉、小坪及松輪トス。
津浪ニ由ル被害中損害ノ甚大ナルハ漁船ノ流失及破壊ニシテ沿岸各漁村之ヲ蒙ラザルトコロナキガ大磯、茅ヶ崎、川口、鎌倉、小坪、佐島、長井、松輪等殊ニ多シ、漁具モ亦各地ニ被害アリ就中損害ノ大ナルハ足柄下、中両郡ニ於ケル敷設中ノ夏大謀網ノ流失ニシテ其ノ数十統ニ及ブ、此外瓢網、猪口網、地曳網、巾着網、二艘張網、蝦網等ノ漁具ハ使用中ニ或ハ格納中ニ津浪ノ爲メ流失若クハ破損シタリ。
四、山崩及山津浪ニ由ル被害
山崩ハ足柄下郡片浦方面ヨリ伊豆熟海ニ至ル渓谷地及三浦半島ノ頸部鎌倉、横須賀等各所ニ起レルガ共ノ被害ノ最モ激甚ナルハ片浦村根府川ニシテ聖岳ニ源ヲ發セル山崩ハ根府川ノ渓谷ヲ落下シ所謂山津浪ノ現象ヲ起シ附近ノ崖崩ト共ニ全部落ヲ地底ニ埋没シ村民ノ大部ヲ埋死セシメ發掘ノ見込サエ莫キニ至ラシメタリ。
五、海岸ノ隆起並ニ低下ニ由ル被害
今次ノ地震ハ地殻ノ激震ニ伴ヒ地盤ノ隆起及低下ヲ起シタリ、本縣ノ海岸ニ在リテハ相模湾ニ面スル各郡及東京湾ニ
接スル久良岐郡ノ沿岸ニ於テ最高七尺五寸ノ隆起ヲ見横濱市及橘樹郡ノ沿岸ニ一尺内外ノ低下ヲナシタリ、而シテ此隆起及低下ハ直接人畜建物等ニ被害ヲ与エザリシモ間接ニ左ノ如キ影響ヲ及ボシタリ。
(イ)碇繋地ノ廣サ及水深ノ減少。地盤ノ隆起ニ伴ヒ眞鶴、小網代、諸磯、三崎等各碇繋地ノ水深ヲ減ジ小多和湾、油壺等錨地ノ廣サヲ幾分狭クシタリ、猶三崎瀬戸ノ通航、須賀、片瀬等ノ川港ノ出入甚ダ不便トナリタリ。
(ロ)魚介類ノ斃死。三浦、久良岐両郡ノ海岸各所ニ於テ地盤ノ上昇ニ由リ海底急ニ露出セルタメ其ノ砂泥底ニ棲息セルあさリ、はまぐり、しほふきがい、まてがい、ばかがい、おほのがい、かき等ノ死滅セルモノ多ク又眞鶴、長井、諸磯、城ヶ島等ノ岩盤ノ近クニ棲息セルあはぴ、いせゑぴ、たこ、うに等ノ斃死セルモノモ少ナカラズ。
(ハ)海藻類ノ枯死。有用藻類中かぢめ、でんぐさ等ニハ特ニ被害ヲ認メサルモ潮汐ノ満干線附近ニ繁殖セルひぢき、ふのり等ハ地盤隆起ノタメ岩床水上ニ露出シテ枯死セルトコロ少ナカラズ。眞鶴崎、江ノ島、長井、諸磯、城ヶ島、松輪等各所ニ其ノ被害ヲ見ル。
(ニ)海苔養殖場ノ変位。地盤隆起ノ為メ海苔養殖場ノ水深減ジ三浦郡久比里川間ニ於テハ■建場廃滅ニ帰シ、久良岐郡ニ在リテハ海苔採取ノ見込乏シクナレリ、之ニ反シ地盤ノ低下セル橘樹郡ニ在リテハ水深ノ増加セルタメ底質ノ硬化ト共ニ■建作業ニ影響ヲ及ボシ其ノ能率ヲ約三割減少ス、而シテ昇降何レニ在リテモ■建ノ場所ヲ多少変更スルノ必要生ジタリ。
六、海底ノ変異ニ由ル被害
前述ノ如ク沿岸ノ形勢ニ多少ノ変化ヲ見タルノミナラズ更ニ沖合ニ於テハ一層烈シキ変異ヲ生ジタリ、仍チ相模湾ノ内外ニ亘リ或ル部ハ陥没ヲナシ或部ハ隆起ヲ起シ又海底ノ崖崩ニ由リ甚シク水深ヲ減ジタルトコロモアリテ其ノ状勢複雑ヲ極ム、大体ニ於テ眞鶴崎沖ヨリ大島附近ニ深サ四五十尋乃至百尋餘ノ大陥没ヲナシ三崎、眞鶴間ニ高サ七八十尋ノ大隆起ヲ見、猶城ヶ島沖合、沖ノ山附近ニ於テ最深二百二十尋ニ達スル陥没部ト最高百尋餘ノ隆起部ト接近スル所アリ。
而シテ之等ノ隆起、陥没両部ニ於ケル海底変化ノ實状ハ之ヲ確知スルニ由ナキモ其ノ部ニ棲息セル底着性魚族ニ一大打撃ヲ与エタルハ争ハレズ、地震ノ當日三崎ノ一漁船ガ布良瀬ニ於テ多量ノ浮揚セル鱈ヲ拾得シタル又九月二日ノ午前大島ノ北東沖合ニ於テ漂流セル深海魚ヲ多数ニ見タルモノアル等之ガ證據ニシテむつ、だぼ、たら、くろいを等ノ有用深海魚ノ斃死セルモノ若クハ其ノ棲息場ノ荒廃ニ帰セルモノ蓋シ尠少ナラザルベシ。
七、重油ノ流失ニ由ル被害
地震ノ直後横須賀軍港ニ於テ火災ノ為メ十数個ノ「タンク」爆破シ約十萬噸ノ重油海上ニ流出シ風及潮流ニ依リテ東京湾ノ沿岸一帯ニ流寄リ各所ニ於テ魚介藻類ニ少ナカラザル被害ヲ与エタリ、本縣ニ於ケル其ノ範囲ハ橘樹郡大師町ヨリ三浦郡松輪ニ至ル沿岸全部ナルガ其ノ程度ノ大ナルハ横須賀、浦賀ノ附近及久良岐郡ノ沿岸一帯ニシテ就中金澤附近ノ養殖牡蠣ハ其ノ約五割ヲ斃死セシメ屏風ヶ浦附近ニ於テ養殖中ノ蜊蛤ハ其ノ約八割ヲ失ヒタリ、猶鴨居、松輪等ノ海藻繁殖地ニ在リテハかぢめ、ふのり等ノ有用藻類ヲ枯死セシム、又被害区域ノ全般ニ亘リ磯魚、釣餌等ノ斃死ヲ招キタルノミナラズ重油ノ消失セザル間從漁ヲ停止セシメラレタル所モアリタリ。
八、濁水ニ由ル川魚ノ被害
九月初日ノ地震後同月中ニ九日、十五日、二十四日ノ三回暴風雨ニ伴フ河川ノ出水アリ、十月ニ入リテモ一回豪雨アリテ縣下ノ各河川ハ其ノ都度多少ノ出水ヲ見タルガ就中酒匂川ハ其ノ程度甚シク特ニ上流各所ニ激シキ山崩アリテア夥ダ
シキ流木ヲ押出シ土砂ノ流レ数ヶ月ニ亘ツテ歇マザリシ為メ同川ニ棲息セル鮎、鰻、なまず、うぐひ、はゑ等ハ大部斃死セルモノ、如ク其ノ後モ降雨ノ都度流水濁リ殆ンド澄ムコト莫キヲ以テ川魚ノ繁殖ヲ妨グルノミナラズ鮎ノ如キ或ハ絶減セザルヤノ■アリ。
九、地震ニ由ル間接ノ影響
今次ノ震災ハ直接ニ前諸項ノ如キ被害ヲ与エタルガ猶間接ニ水産業ノ経営ニ對シ左ノ如キ影響ヲ及ボシ之ガ爲メニ蒙リタル損害モ亦尠少ナラズ。
(イ)從漁ノ停止及不振。震災ノ當時ハ應急ノ雑用、天災ニ對スル恐怖等ニテ從漁スルモノナク九月二十日頃迄ハ縣下ノ漁業全ク停止ノ状態ナリキ、其ノ後モ漁夫ノ不足、資金ノ都合等ニ由リ從業状況振ハズ鮪延縄漁船ノ如キモ例年ノ約半数出漁セルニ過ギズ、兼業者ノ如キ半歳後ノ今日尚大部休業ノ状態ニアリ。
(ロ)製造業ノ休止及養殖業ノ縮小。從漁ノ停止ニ由ル原料ノ缺乏、材料供給ノ不圓滑、人夫ノ不足等ニ由リ煮干鰮、蒲鉾、塩辛等ノ製造業ハ一時休止ノ己ムナキニ至リタリ、海苔養殖業ニ於テハ震災ノ影響ニ由リ一般ニ■建数ヲ減ジ、養魚場ニ在リテハ池塘ノ破壊、用水路ノ缺潰等ニ由リ規模ヲ狭小ニシ事業ヲ縮小スベク餘儀ナクサレタリ。
(ハ)需要ノ激減及魚價ノ低落。本縣ノ漁獲並ニ製造物ノ大消費地タル東京及横濱ニ於ケル需要一時甚ダシク減少シタルノミナラズ湘南一帯ノ別荘及箱根伊豆方面温泉宿ノ荒廃ニ由リ鮮魚ノ要求停止ノ状態ナリシ為メ縣下各地ノ仲買業者及魚商人ノ営業困難ニ陥リ一時多数ノ休業者ヲ出シタリ、猶魚價ノ低落ハ漁業者ニ非常ナル不利ヲ与エタリ。
(ニ)運輸ノ壮絶及金融ノ閉塞。震災後鐡道ノ破壊ニ由リ陸上ノ交通一時壮絶シタルノミナラズ海上ノ船便又意ノ如クナラズ為メニ漁獲物ノ販出ハ勿論、漁業並ニ製造業ノ材料、消耗品等ノ供給ニ不便ヲ來シ從業ニ少ナカラヌ障碍ヲ招キタリ。猶金融状態ノ閉塞ハ事業ノ経営ニ支障ヲ及ボシ比較的資本ヲ要スル大謀網漁業ノ如キ其ノ着業ニ一方ナラヌ困難ヲ与エタリ。
第二章 主要水産業ノ被害状況
一、重要漁業ノ被害
一、定置漁業
本縣ノ定置漁業ハ主トシテ足柄下郡ヨリ鎌倉郡ニ至ル相模湾ノ沿岸ニ行ハレ其ノ種類六七種アリ、免許漁場数ノ如キモ實ニ九十六ヶ所ノ多キニ及ブ、而シテ其ノ主ナルモノハ十二月ノ頃ヨリ翌年五六月ニ至ル鰤ヲ目的トスル大謀網ト六七月ノ候ヨリ十一月ノ頃ニ至ル鮪、鯵、鯖、鰮等ノ雑魚ヲ漁獲スル大謀若クハ小臺網トノ二トス、今次ノ震災ハ此後者所謂夏網ノ漁期中ニ発セルモノニシテ従業中ナリシ十統ノ網ハ大部分激震ノ為メ碇綱ヲ切断サレ高浪ノ為メ網ヲ流失若クハ沈没シタリ、其ノ沈メラレタルモノモ三四十日間放置シタル為メ網地腐敗シ僅カニ綱類若干ヲ収拾シタルニ過ギズ何レモ多大ナル損害ヲ蒙リ其ノ儘漁業ヲ終始スルノ餘議ナキニ至リタリ。今各漁場ノ被害状況ヲ見ルニ左の如シ。
(一)福浦漁場。小田原町山田又ノ経営ニシテ漁船ノ被害無カリシモ網一統流失ス、此損害見積壹萬参千円ナリ。
(ニ)眞鶴漁場。眞鶴村青木壽郎ノ経営ニシテ漁船ニ多少ノ被害ヲ受ケ網二統ヲ沈没腐敗セシメタリ、損害約貮萬五千円、猶當漁場ニ於テハ事務所ヲ焼失シ鰤大謀網ノ網地ヲ格納中流失及焼失シタリ。
(三)岩、江ノ浦漁場。小田原町山田小兵衛ノ経営ニシテ漁船三艘ヲ破壊シ網一統ヲ流失ス、猶津浪ノ為事務所一、■網ヲ納メタル倉庫一、及雑漁具ヲ入レタル物置一ヲ流失シ船揚場ヲ破壊シタリ、損害多大ナリ。
(四)石橋漁場。小田原町両山田家経営、死傷者及漁船ノ被害ナキモ網一統ヲ沈没ス、損害約壹萬参千円。
(五)米神漁場。小田原町山田又市経営、網一統沈没、損害壹萬五六千円。
(六)早川漁場。小田原魚市場会社ノ経営ニシテ死傷者及漁船ノ被害ナキモ網一統ヲ流失シ(此損害約貮萬円)火災ノ為事務所一及附属住家四戸ヲ焼失シタリ。
(七)網一色漁場。東京、氷室組−経営、網一統流失、損害約壹萬貮千円。
外ニ事務所一ヲ全潰シ倉庫二棟ヲ半潰ス。
(八)小八幡漁場。東京、浦兼吉経営、網一統流失、損害約壹萬参千円。
外ニ事務所ヲ半潰シ納屋三棟ヲ全潰ス、此損害約五千円。
(九)前川漁場。箱根、小川方成経営、網一統流失シ事務所ヲ半潰ス損害約壹萬五千円。
(一〇)二ノ宮漁場。小臺網二統流失シ約壹萬七千円ノ損害ヲ受ケタルモ他被害ナシ。
以上ノ外國府本郷、平塚、腰越各漁場ハ休業中、大磯及須賀二漁場ハ夏網ヲ経営セズ、柳島、茅ケ崎及辻堂三漁場は漁業終了後ナリシ爲メ網ノ損害ナク唯各漁場共事務所、倉庫等ヲ多少破損シタルニ止マリタリ。
二、沖合漁業
本縣ノ沖合漁業ニハ主ナルモノニ、鰹鮪揚繰網、鰮巾着網、鰹、いか、鯖等ノ釣漁業アルモ之等ハ其ノ業態上被害幸ニ軽微止ニ止マリタリ。
鰹鮪揚繰網ハ漁業終了後ナリシ爲メ格納後ノ網ヲ多少損ジタルノミ、鰮巾着網モ同様、倉庫ノ破損ニ由リ若干損傷ヲ受ケタルニ過ギズ、鰹、いか、鯖釣ニ在リテハ津浪ヲ受ケタル漁村ニ於テ一部ノ漁船ヲ破壊流失シ火災ヲ起シタル地方ニ在リテ多少漁具ヲ焼失シタルモノアルニ止マリタリ。
三、遠洋漁業
本縣唯一ノ遠洋漁業タル鮪延縄漁業ハ其ノ漁船大部小田原附近ノ二十噸二十五馬力級機船ニシテ其ノ数十七艘アリ、之等漁船ハ毎年九、十月ノ頃ヨリ出漁スルヲ例トシ九月ハ其ノ準備時期トス、故ニ大部ノ船体ハ七月以來陸揚中ナリシ爲ニ幸ニ格別ノ被害ナク既ニ三崎港ニ廻航シ至タルモノモ震災ノ前日天候瞼悪ナリシヲ以テ多ク油壷ニ避難シ居リ同所ニ於テ津浪ノ爲メ多少損害ヲ受ケタルニ過ギザリキ、但シ小田原及腰越ニ於ケル三漁船ハ火災ノ爲メ左記ノ如ク格納中ナリシ漁具及船具ヲ焼失シタリ。
(一)鐡丸。小田原菊地鐡次郎ノ経営ニシテ鮪延縄五十五鉢、びんちよう縄十五鉢及帆道具、綱類全部ヲ全焼ス、此損害約貮千円トス。
(二)吉兵衛丸。小田原町杉山兼吉、北村久吉共同経営ノ船ニシテ鮪延縄百二十鉢ヲ焼失ス、損害見積金貮千六百四拾円ナリ。
(三)第一腰越丸。腰越津村井上俣次郎ノ経営ニシテ船体ニ被害ナキモ機関ノ主要部分東京修繕工場ニ於テ火災ヲ受ケ鮪延縄五十鉢ヲ船主住家ト共ニ焼失ス、此損害約貮千円。
四、介藻類採取業
本縣ニ産スル海藻類ハ主トシテ三浦郡及鎌倉郡ノ沿岸岩礁多キトコロニ繁殖シ、てんぐさ、わかめ、ひぢき、、ふのり等ノ有用藻類ハ其ノ年産額拾萬円乃至貮拾五萬円ニ達ス、震災ニ由ル之等海藻類ノ被害ハ主トシテ地盤ノ隆起ニ因ツデ起レルモノニシテ前記ノ地方ハ處ニヨリ二尺乃至五尺餘ノ隆起ヲ為シタルヲ以テ従來ノ潮汐ノ満干線ノ間所謂沿岸帯ガ干揚リタル結果此部ニ繁殖セルひぢき、ふのり、つのまた等ハ各地トモ大部分枯死シタリ、猶三浦郡ノ浦賀水道ニ面スル地方ニ在リテハ多少残存セルモノモ重油ノ害ヲ受ケ全滅シタルノ状態ナリ。
海藻類被害ノ原因前記ノ如クナルヲ以テ干潮線以下所謂漸深帯ニ繁殖セルわかめ、てんぐさ等ハ被害少ナク又海藻繁殖地附近ニ棲息セルあわび、とこぶし、さざゑ等ノ介類モ浅キ部分ノモノ斃死シタルニ止マリ被害比較的僅少ナリキ、今縣下ノ主ナル繁殖地ニ就キ大正十三年三月中ニ調査セル有用介藻類ノ状況ヲ略記ス。
(一)三浦郡長井。沿岸四尺六寸隆起ス。
ふのり、全滅
ひぢき、未ダ見當ラズ
つのまた、多少アリ
てんぐさ、大ナル被害ナク八九分残存ス
わかめ、被害ナク前年ヨリ発生良シ
あわび、とこぶじ、さざゑ、淺所ノモノ多少死シタルノミ
(二)諸磯。沿岸四尺五寸隆起ス
ふのり、全滅
ひぢき、二三本ヲ見ル
つのまた、極少数残ル
てんぐざ、干潮線以下平年通リニシテ大ナル被害ナシ
わかめ、平年ヨリモ幾分少キモ大差ナシ
あわび、とこぶし、さざゑ、淺所ニ居タル小ナルモノ斃死ス
(三)城ヶ島。沿岸五尺四寸隆起ス
ふのり、全滅
ひぢき、外側ニ一ヶ所極少量残レルノミ
つのまた、全滅
てんぐさ、七八分残ル
わかめ、平年ヨリ少ナシ
あわび、とこぶし、さざゑ、平年ヨリ少ナク死介ノ打上ゲラレタルモノアリ。
(四)松輪。沿岸五尺隆起ス
ふのり、全滅
ひぢき、同上
つのまた、同上
てんぐさ、平年ト大差ナシ
わかめ、同上
あわび、とこぶし、さざゑ、同上
(五)鴨居。沿岸ニ尺九寸隆起ス
ふのり、全滅
ひぢき、同上
つのまた、見當ラズ
てんぐさ、平年ニ変ラズ
わかめ、平年ト大差ナシ
あわび、とこぶし、さざゑ、変化ナシ
有用藻類ノ状況大体前記ノ如クナルガ猶各地トモかぢめノ如キモ非常ニ少ナク又もくモ一般ニ少ナシ、而シテひぢき、つのまた、ふのり等ノ附着スベキ部分ニハ大部あをさヲ以テ掩ハル。
ニ、主要養殖業ノ被害
淡水養殖業
一、大師町魚介養殖株式会社
本縣唯一ノ養魚会社ニシテ大正三年以來資本金五拾萬円ヲ以テ大師町ニ於テ魚介ノ養殖業ヲ経営ス、其ノ養魚部ニアリテハ大師河原及鹽濱ニ総面積四十四町歩ノ養魚池ヲ有シ鰻、鯉。鰡ノ養殖ヲ為シ以テ年額約十四、五萬円(鰻一萬五千貫、鯉二萬五千貫、鰡一萬貫)ノ生産ヲ揚グ、養介部ニアリテハ大師町地先三百二十四萬坪ノ海区ニ於テ蜊蛤ノ養殖ヲ為シ年額六、七萬円(蜊一万五千石、蛤三千五百石)ノ収穫ヲ為シ各部共事業ノ成績順調ニシテ年々一割内外ヲ配當シ健實ナル業態ニ在リシガ今次ノ震災ニ由リ多大ノ損害ヲ蒙リタリ、其ノ概況左ノ如シ。
(一)建築物被害。会社附属ノ建物ハ地震ニヨリ破壊セルノミナラズ海水ノ侵入ニ由リ全部使用スルニ堪エズ、其ノ種類及員数左ノ如シ。
全潰、 事務所 一 住宅 三 魚扱場 一
半潰、 倉庫 五 住宅 四 魚扱場 三
(ニ)養魚池被害。養魚池ハ地盤一帯ニ約二尺低下シ護岸堤防破壊シ区劃堤塘モ崩壊シ九月一五日ノ一部ノ缺潰ニ由リ
海水浸入スルニ至ル、之ガ為メニ逸出セル養魚ノ見込額左ノ如シ。
(三)養介部被害。養介場ノ海底ハ一尺乃至二尺低下シ亀裂ヲ生ジタル箇所アリ蛤及ばかノ養殖場特ニ甚ダシ、而シテ介類ハ一時砂上ニ露出シ横須賀ヨリ流レ來レル重油ノ害ヲ被リ斃死シタルモノ多シ、其ノ見込額左ノ如シ。
(四)損害額及復旧費。以上ノ被害ニ由ル損害見積ハ総額参拾壹萬五千円ニシテ之ガ復旧ニ要スル経費ハ約貮拾四萬円トス内鐸左ノ如シ
堤防損害 五一、○○○円 同修築費 一二〇、○○○円
建物損害 一〇、○○○円 同新築費 ニ〇、○○○円
養魚池損害 五〇、五〇〇円 同修築費 一○〇、○○○円
養魚介損害 二○三、五〇〇円
前記ノ如ク復旧経費貮拾四萬円ヲ要スル見込ナレバ会社ノ財産状態ヲ以テ如トモ成シ難ク長年月ニ亘リテ逐次復旧スルヨリ途ナク現状ノママ安全ナル池ニ於テ放養取上ゲヲ為シ養魚部ヲ継続スル由ナリ、養介部ニアリテハ海底多少ノ変異アリタルモ大ナル障害ヲ認メズ介類ノ被害モ約三割ニ過ザルヲ以テ引續キ経営スル方針ナリ。
二、小田原養魚揚
本養魚場ハ小田原養魚組合ノ経営ニシテ大正十二年六月同町外足柄村荻窪ニ総面積二町四反歩ノ養魚場ヲ築設シ蒲鉢原料ノ廃棄物ヲ餌料トシテ鰻及鯉ノ養殖ヲ創メタルモノニシテ養魚ノ成育ニ於テ顕著ナル成績ヲ認メ九月一日初メテ取上ゲヲ為サントシテ突如震災ニ曾シタルモノニシテ其ノ被害状況左ノ如シ
(一)建築物被害
全潰 事務所兼住家 一棟 半潰 倉庫 一棟
(ニ)養魚池被害。養魚池ノ周囲及中間ノ堤防破壊シ其ノ一部ヨリ養魚逸出シタルノミナラズ土砂ノ崩落及池水激動ノ為メ斃死セルモノ少ナカラズ、猶灌漑用水路ハ上流ノ取入口及途中破壊閉塞セル為メ養魚池ヘノ注水不可能ニ陥リタリ、養魚ノ被害見込左ノ如シ
鰻 逸失 一、五〇〇貫
斃死 四〇〇貫
価格 九、五〇〇円
鯉 斃死 四、〇〇〇尾
価格 一六〇円
(三)損害額及復旧費。損害見積額ハ左記ノ如ク約壹萬六千円餘ニシテ建物及堤防ノ応急修理費約六千円ノ見込ナリ
堤防 損害 五、○○○円
建物 損害 一、五〇〇円
養魚 損害 九、六六〇円
計 一六、一六〇円
堤防 修築費 四、○○○円
建物 建築費 二、○○○円
計 六、〇〇〇円
以上ノ如ク被害少ナカラザルモ養魚池内ニハ猶鰻二千貫鯉一万尾以上残存ノ見込ニテ事業ノ継続必ラズシモ困難ナラザルモ如何セン注水ノ途絶エ他ニ求ムペキ水利無キヲ以テ結局灌水路ノ復旧ヲ見ルマデ事業再興ノ見込ナシ。
三、牧野養魚場
足柄下郡金田村牧野豊三郎ノ個人経営ニシテ大正一二年四月足柄村中曾根ニ面積約八反歩ノ養魚場ヲ築設シ鰻及鯉ノ養殖ヲ創メタルモノナルガ種魚ノ放養後一回ノ取上ゲモ為サズシテ震災ヲ受ク、而シテ建物ノ被害軽微ナリシモ堤防板囲ハ全部破壊サル、幸漏水セザリシ為メ養魚ノ逸出セルモノナカリシモ池水ノ激動ニ由リ養魚ノ疲弊シ居タルニ翌二日早朝濃霧襲來シ爲メニ鰻約百貫鯉約四十尾斃死シ約千円ノ損告ヲ蒙リタリ、猶注水ニ用ヰタル井戸三個ノウチ二個破壊シ一個モ減水セルヲ以テ夏季ノ用ニ堪ヱズ仍テ堤防ノ修築及井戸ノ掘鑿等ニ約五千円ノ復旧費ヲ要ス。
鹹水養殖業
一、金澤村附近牡蠣養殖
久良岐郡金澤村附近ニ於ケル牡蠣養殖業ハ從來陸前松島湾ヨリ種牡蠣ヲ移殖シ實入ヲ行ヒテ京濱地方へ販出シ相當ノ収益ヲ揚ゲ來リ近年益々隆盛ニ向ヒタルガ今次ノ震災ニ由リ多大ノ打撃ヲ蒙リタリ。今年金澤附近ニ移殖サレタル種牡蠣ハ総数一万四千七百七十俵ニシテ其ノ内地震ノ際海底ノ亀裂部ニ陥チ、軟泥ニ沈ミ又土砂ノ崩壊ニ埋メラレテ死シタルモノ、地盤隆起ノ為メ露出数日ニ及ビテ死シタルモノ及ビ附近ノあさり、しほふきがい等ノ斃死腐敗ニ由リ死シタルモノ総テ三千四百西七十俵アリ又流失重油ノ害ニ由リ斃死セルモノ四千十八俵アリテ総計七千四百八十八俵即チ放養量ノ約五割七分ニ當リ此損害見積約四萬五千円ニ達ス。其ノ状況及主ナル養蠣業者左ノ如シ。
前記ノ如ク養殖中ノ牡蠣ノ五割餘ヲ失ヒ少ナカラズ損害ヲ受ケタルモ残存ノ牝蠣ヲ取上ゲ販買シ種代金ノ回収ヲ為シ得ルヲ以テ今後引續キ経営スルニ支障ナシ、但シ金澤湾内ハ二尺乃至二尺五寸ノ土地隆起ヲ來シタル結果放養適地ノ面積多少減少シタリ。
二、屏風ケ浦附近介類養殖業
久良岐郡屏風ヶ浦地先介類養殖業ハ近村ノ漁業組合若クハ個人ノ経営ニシテ毎年千葉縣下並ニ東京府下ヨリ蜊及蛤ノ稚介ヲ購入シ春季撒付ヲ為シ秋季収穫シ京濱地方ニ販出スルモノニシテ相當ノ収益ヲ揚ゲタリ、今年モ此附近ニテ放養セル蜊蛤ハ総数二万五千百樽此取上見込数ハ五万ニ百樽ニシテ地震並ニ流出重油ノ爲メ斃死セル数量約四万樽、即チ取上見込量ノ約八割ニ當リ損害見積價額約貮萬八千九百円ニ達ス、其ノ状況及主ナル養殖業者左ノ如シ。
前記ノ如ク被害率大ニシテ残存セル約二割ノ介ヲ収獲スルモ取上費用ニモ足ラザルノ状況ナレバ殆ンド全滅同様ノ被害ニシテ次年再ビ継續経営スルコト困難ナリ。
以上ノ外猶同郡内野島ニ於テ放養中ノ蜊千樽全滅シ損害約千円ニ達ス、洲崎ニ於テハ蜊一万四千樽ノ内約八割ヲ失ヒ約五千五百円ノ損害ヲ見、柴ニ在リテモ同ジク八割ノ斃死ヲ見約六百五拾圓ノ損害ヲ蒙リタリ。
三、主要製造業ノ被害
一、煮干鰮製造業
本縣ノ煮干鰮製造業ハ三浦半島ノ沿岸各地、鎌倉郡、中郡等ニ行ハルルモ就中三浦郡南北下浦方面ヲ主トシ産額年拾萬乃至二十万貫、價額二十万乃至四拾万円ニ達ス、震災ノ被害ハ製造ノ閑散期ナリシ為メ製造場、竈、器具等ノ破壊焼、失若クハ流失ニ止マリ損害比較的輕微ナリシヲ以テ復業困難ナラズ災後原料ノ漁獲状況ニ由リ各地ニ於テ相當從業シツツアリ主ナル地方ノ被害状況ヲ見ルニ左ノ如シ。
(一)中郡須賀。製造業者九戸ノウチ住家ノ全潰二戸、半潰五戸、製造場ハ半潰五棟、小破四棟アリテ損害額約千円ニ達ス、猶各製造場ノ竃多少宛破壊シタリ、此損害約四百五拾円ニシテ災後十二月上旬迄休業ス。
(ニ)鎌倉郡腰越。製造業者三戸、全部住家ヲ全潰シ製造場ヲ全焼ス、猶製造器具ノ大部焼失シ損害約千円ニ達ス、爾後二戸ノミ復業ス。
(三)三浦郡秋谷。製造業者五戸アルモ、住家、製造器具等ノ被害軽微ニシテ唯製造場ヲ一棟半潰シタルニ止マリタリ。
(四)同蘆名。製造業者三戸、住家ノ被害ナキモ製造場ハ三棟ヲ全潰シ一棟ヲ半潰ス、此損害約千貮百円器具ノ破壊及流失セルモノ若干アリ損害約五百円ニ上ル、猶乾燥中ノ製品ニテ津浪ノタメ流失セルモノ約参百円アリタリ。
(五)同三戸。製造業者三戸、住家全潰二戸、半潰一戸、製造場ハ全部全潰シ損害約千円ニ達ス、器具モ大部破壊シ損害約五百円アリ、震後全部休業ス。
(六)同和田。製造業三戸、住家三戸共半潰、製造場全潰一棟、損害約三百円、器具中煮枠及竃五個破損ス、其ノ損害約五百円ナリ、猶横濱市場ニ於テ焼失セル製品六十貫、價額約百貮拾円アリタリ。
(七)同上宮間。製造業二十六戸、住家全潰六戸、半潰セルモノ非住家ヲ合セ三十六戸アリ、製造場ハ大部破壊シ損害約貮千六百円、器具亦同様ニシテ損害約貮千円ニ達ス、猶製品ノ損害約五百円アリテ災後ハ原料不漁ノ為メ殆ンド休業状態ナリキ。
ニ、小田原町水産製造業
(一)蒲鉾製造業。
縣下ノ蒲鉾製造業ハ足柄下、中、三浦各郡及横濱市等ニ行ハルルモ就中小田原町ヲ主トシ一ヶ年ノ産額約十萬貫、價額五拾萬円餘ニ達ス、而シテ今次ノ震災ニハ本縣ノ製造業中最モ大ナル被害ヲ受ケタリ。
小田原町ノ製造業者ハ総数二十二名アリテ内二名ハ単ニ家屋及製造場ヲ半潰シタルニ止マリタルモ他二十名ハ全部火災ノ為メ其ノ住家ヲ焼失シタルノミナラズ製造場、機械、器具、販売用具等一切ヲ烏有ニ歸セシメ全体ニテ拾六七萬円ノ損害ヲ受ケタリ、製品ハ夏期ナリシ為メ被害比較的少ナク其ノ焼失セルモノ五千円内外ニ止マル、但シ京濱ヘ送荷シ仕切未着ナリシモノ籠淸商店ノミニテ約貮萬円アリ全体ニテ拾萬円餘ニ上ルベク此大部ハ所詮代金回収ノ見込ナシ。
被害状況右ノ如クナルヲ以テ災後ノ復業容易ナラズ十月下旬ニ至リ籠淸商店ノミ手■ヲ以テ製造ヲ開始シ一二月ニ入リ漸ヤク半数ノ着業ヲ見タリ、而シテ何レモ従來専ラ蒲鉾ヲ製造シタルガ現在ハ竹輪、半片等ヲモ製造シ地賣リヲ主トシ若干東京ニ販出ス。
(二)塩辛製造業。
本業モ縣下中小田原町ノ烏賊塩辛ノ製造ヲ主トシ相當ノ被害ヲ蒙リタリ、小田原町ノ主ナル製造業者ノ被害状況左ノ如シ。
小峯徳二郎(ちんりう商店)、住家、製造場、倉庫及三ヶ所ノ販賣店全部全潰シ製品ノ約半部ヲ破損セルノミナラズ二ヶ所ノ賣店ノ商品ノ全部及本店ノモノノ一部略奪サル、之等ノ損害ハ算定シ難キモ入庫中ノモノ約百樽アリシガ其ノ半数破損シ損害約千参百円ニ達ス。
鈴木政吉(みのや商店)、住家、製造場、本支店共全潰シ、製品約五十樽ノ半数破損ス、損害約七百圓。
日比谷興八(日比谷商店)、住家、製造場及本店全焼シ支店全潰ス、製品ノ焼失セルモノ約二十樽アリ、此損害約五百円。
石黒常吉(籠常商店)、住家、製造場及商店全焼シ製品約十三樽焼失ス損害約貮百六拾圓。
以上ノ外小田原町ニハ猶小製造業者七戸アリテ何レモ全焼シ製品約十五樽ヲ焼失ス、斯ク本業ノ被害多大ナリシモ震後十、十一月ニ於テ烏賊ノ稀有ノ豊漁アリタル為メ本業者全部ノ復業ヲ見相當ノ製造ヲ爲シタリ。
(三)、鰹節製造業。
小田原町ニハ本業者五戸アリシモ専業者ハ籠常商店一戸ニシテ大正十二年ニハ同店ノミ製造ヲ為シ少ナカラヌ被害ヲ受ケタリ、仍チ災害ニ由リ住家、製造場、納屋、製造用具等ヲ全焼シタルノミナラズ本年ノ製品ノ大部ヲ焼失シタリ、其ノ損害左ノ如シ。
製造場及製造用具 約一〇、〇〇〇円
製品 鰹節 二二七樽 約四〇、〇〇〇円
惣太節 一〇万尾分 約六、五〇〇円
荒粕 八百貫 約三四五円
損害右ノ如クナリシモ伊東町ニ於ケル製造場無事ナリシタメ同所ヨリ製品ヲ取寄セ假営業所建築後販賣ニ従事ス。
三、海苔製造業
海苔製造業ハ年産額百萬円ニ達シ本縣製造業中第一位ヲ占ムルモノナルガ今次ノ震災ハ製造期前ナリシ為メ幸ニ被害軽微ニ止マリタリ、海苔養殖業トシテハ三浦郡及久良岐郡ノ一部ノ如キ地盤ノ隆起ニ由リ養殖場ノ荒廃ニ歸シタルモノ
中止ヲ餘議ナクサレタルモノナドアルモ製造業直接ノ被害トシテハ本牧ニ於テ火災ノ為メ製造用具六十組ヲ焼失シタル位ニ過ギザリキ。
四、水産関係業者ノ被害
一、横濱海産乾物罐詰貿易商
横濱市ニ於ケル海産乾物罐詰貿易商ハ総数約六十名アリテ従來同業組合ヲ組織シ海産乾物、罐詰類ノ貿易ヲ営ミ居タルガ震災時同市ニ起レル大火ノ為メ全員其ノ住居、店舗、倉庫等ヲ焼カレ多量ノ商品ヲ焼失シ甚大ノ損害ヲ受ケタリ、其ノ内容ニ至ツテハ詳細ヲ知ルニ由ナキモ前記同業組合ニ就キ調査セル概要左ノ如シ。
死傷者。死亡 経営者側一名、家族及店員 約二十名。
建物ノ被害。住家、店舗、工場、倉庫等全部全焼、損害額見積リ難シ。
商品ノ被害。罐詰類ノ焼失セルモノ総数六七万箱價額約貳百萬円ニ達ス其ノ内譯左ノ如シ。
蟹罐 三万乃至四万箱(一箱平均四拾円)百廿万乃至百六拾萬円
鮭罐 二千乃至三千箱(一箱平均拾参円)二万六千乃至参萬九千円
鯖罐 二万四千乃至五千箱(一箱平均拾貳円)二十八万乃至参拾萬円
雑罐 四千乃至五千箱(一箱平均拾四、五円)六萬五千円
海産乾物ノ焼失セルモノ明鮑、■鮑、寒天等ニテ價額約拾萬円ニ達ス。
以上ノ如ク被害大ニシテ復業容易ナラズ災後一時神戸ニ移転セルモノアリシガ其ノ後大部復歸シ生産地ヨリ罐詰類ノ入荷ニ依リ漸次復興ノ状態ニアリ。
ニ、小田原町魚商
小田原町ノ魚商人ハ仲買業者約八十名、小賣業者二百名餘、総数約三百名アリタルガ其ノ内仲買業者、約六十名及小賣業者七割ハ同町ニ町起レル大火ニ由リ住家、店舗、倉庫、用具等ヲ焼失シ僅カニ類焼ヲ免カレタルモノモ激震ノ爲メ住家店舗等ヲ全潰若クハ破壊シテ何レモ多大ノ損害ヲ蒙リタリ、加之仲買業者ノ中ニハ京濱、地方ニ送荷後仕切未着ノママ震災ニ至リ其ノ代金ノ回収困難トナレルモノアリテ其ノ額約拾萬円ニ達セン。
右ノ如ク同町魚商人ノ被害甚ダ大ナルニ更ニ震災後漁業一時停止ノ状態ニテ漁獲物皆無トナレル為メ取引行ハレズ、多少鮮魚ノ供給開始サレタル後モ其ノ主ナル顧客トセル同町ノ旅館、料理店及箱根方面ノ温泉宿ノ復業容易ナラザリシヲ以テ所謂上物ノ需要無カリシノミナラズ一般ノ需要又振ハズ為メニ営業甚ダ困難ニシテ休業スルモノ多カリシガ年ヲ超エ■大謀網漁業ノ漁期ニ入リ漸ヤク復旧ノ緖ニ就キタリ。
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第三章 漁村被害状況
前二章ニ於テ震災ニ由ル被害ノ一般状況及主要水産業被害ノ状況ヲ記述シタルガ猶縣下ノ各漁村ニ就キ九月中旬ヨリ十一月下旬ニ亘リ死傷者、住家ノ被害、漁船漁具ノ被害等調査シタル結果ヲ各漁業組合別ニ表記セルモノ左ノ如シ。但シ表中死傷者ハ組合員ノミナラズ其ノ家族ノ死傷ヲ含ミ傷者ハ重傷ノミヲ数フ、又住家ノ被害ハ組合員ノ住家ノミニシテ非住家ハ之ヲ含マズ、而シテ其ノ被害ヲ全潰、半潰、焼失及流失ニ区別シタリ、猶従業上ノ被害ニハ主トシテ漁業ニ関スル漁具漁船等ノ損害ヲ記載シ備考欄ニハ沿岸ノ地形、水深ノ変化、津浪ノ状況、震災ノ影響、災後ノ従業状況等ヲ略記セリ。
漁村被害状況一覧表
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第四章 海況変化ノ状態
今次ノ地震ニハ最モ顕著ナル地変トシテ地殼ノ隆起及陥没アリ、外ニ山崩、山津浪、海岸線ノ変化並ニ津浪等種々ナル現象ヲ生ジタルガ今之等ノウチ本縣ノ水産業ニ対シ直接ニ被害ヲ與エ間接ニ影響ヲ及ボシタル諸現象ニ就キ調査シタル結果ヲ陸岸ト海底トニ分ケ其ノ概要ヲ記述ス。
一、陸岸ノ変化
一、隆起及陥没。
地殻ノ隆起及陥没ハ陸岸ノ変化中最モ著明ナル現象ニシテ震央地ノ四周ニ於テ一方ニ隆起ヲナシ他方ニ陥落ヲナシタリ、仍チ相模灘ノ中央部ニ於テ北西ヨリ大島、洲ノ崎間ヲ南東ニ走ル海底陥没線ヲ境トシ之ヨリ南西ノ伊豆東海岸地方ハ陥没ノ傾アリテ約一尺ノ低下ヲナス、之ニ反シ陥没線ノ北東部ニ在リテハ北方横濱、木更津線ニ至ル迄ノ間、湘南一帯、三浦半島及房総半島地方ニ隆起ヲ見其ノ程度モ低下ヨリ大ニシテ二尺乃至七尺五寸ニ達ス。
今海岸線ニ沿ヒ西ヨリ東ニ上昇及降下ノ跡ヲ視ルニ伊豆半島ノ東岸ニ在リテハ川奈崎以南爪木崎ニ至ル間一様ニ約一尺ノ沈降ヲナシ下田港ニ至リ低下ノ跡ヲ絶ツ、伊豆大島モ亦何等ノ変化ナシ、熱海附近ニ於テモ約一尺六寸ノ下降ヲナセルガ網代附近ニテハ変化ナク伊東ニ於テ却テ一尺五寸内外ノ隆起ヲ見ル、伊東ノ沖合初島ハ地震當時十尺餘ノ上昇ヲナシタル如キモ現在ハ約三尺ニ止マル。
眞鶴附近ヨリ以北ハ土地ノ上昇著シク吉濱一尺、眞鶴二尺六寸ナルモ眞鶴埼ノ先端ハ其ノ前方ニアル三ツ石ノ岩礁ト地續キトナリ初メ十尺内外ノ隆起ヲナシ其ノ後七尺五寸ニ減ズ、小田原、酒勾方面ハ上昇ノ程度五六尺ナルモ大磯附近ハ當時十尺餘、現在猶八尺五寸アリテ湘南沿岸中ノ最高ヲ示ス、平塚以東ハ漸次減少シ江ノ島附近ニ於テ二尺六寸アリ三浦半島ニ至リ再ビ増加シ沿岸ヲ北ヨリ南ニ進ムニ從ヒ其ノ程度ヲ増ス、仍チ葉山ヨリ小多和湾ニ至ル間三尺三寸、長井四尺六寸、小網代及三崎五尺ニシテ城ケ島ニ於テハ五尺三寸乃至六寸ニ達ス、半島ノ突端松輪埼ニ至リテハ隆起六尺六寸ニ及ブトコロアリテ此方面ノ最高ヲ示ス。
三浦半島ノ東海岸ニ在リテハ金田湾ノ沿岸南下浦ニ於テ四尺六寸、北下浦四尺三寸、久里濱約五尺ニシテ觀音崎以北ハ北上スルニ從ヒ其ノ程度ヲ減ジ横須賀沖猿島ニ於テ尚二尺六寸ノ上昇ヲ見ルモ横濱本牧埼ニ至レバ最早隆起ノ跡ナシ更ニ横濱ヲ経テ神奈川附近ヨリ東京湾北部ノ沈降帯ニ入レバ、生麥、大師河原方面一様ニ約一尺ノ低下ヲ見ル。房総方面ニ在リテモ三浦半島同様南方程隆起ノ跡著シク富津二尺、湊三尺五寸、金谷、保田四尺六寸乃至五尺、船形六尺洲埼ヨリ野島埼ニ至ル間五尺乃至六尺ニシテ外房松田、鴨川方面ニテハ二三尺ニ減ジ更ニ勝浦附近ニ至リ全ク上昇ノ跡ヲ絶ツ。
如上ノ土地ノ昇降ハ地震當時其ノ程度烈シク其ノ後約二週間ノ内ニ各方面ニ於テ著シク舊態ニ復シタルノ傾アリ、其ノ最モ顯著ナルハ三浦及房総半島ノ先端地方ニシテ前者ノ南端三崎ニ在リテハ地震當時二十尺餘ノ隆起ヲナシ為メニ前面城ヶ島トハ陸續キトナリタルガ二三日目ヨリ次第ニ沈降シ十数日ノ間ニ十尺餘減退シテ現在ノ上昇六尺ニ止マリタリ。
二、山崩及山津浪。
山崩及山津浪ハ地殻ノ昇降ニ次グ著明ナル地変ニシテ山崩ノ最モ多ク発生セルハ熱海小田原間箱根山ノ東麓、酒勾川流域ノ両岸山地、相模大山ノ東及南麓、房総半島ニ於ケル鋸山以南船形町ニ至ル海岸等ニシテ三浦半島ノ頸部鎌倉、横須賀方面ニモ亦諸所山崩アリタリ。
山津浪ノ巨大ナルハ前記熱海、小田原間ノ根府川及片浦ニシテ西方二里餘、聖岳附近ノ連山山崩ヲ起シ落下セル赤土谷川ニ沿ヒ黒烟ヲ上ゲテ流下シ地震後数分ヲ出デズシテ根府川部落ヲ襲ヒ其ノ大部ヲ埋没シ去リタリ、片浦村ニテモ米神ノ一部埋没サル、而シテ之等ノ山崩及山津浪ノ為メ附近ノ海水ハ距岸二三浬ノ間九月半過迄濁リ去ラズ、酒勾川ノ如キモ上流ノ山崩ノ爲メ三四ヶ月ノ後尚河水濁リ其ノ後モ降雨ノ都度烈シキ濁水ヲ流出シ河口附近ノ漁場ニ少ナカラヌ影響ヲ与エツツアリ。
三、沿岸ノ状況。
前記ノ諸現象ノ外海岸線ノ変異、沿海航路及錨地水深ノ変化、錨泊地形状ノ変異、航路標識ノ被害等船舶ノ航海碇繋ニ關スル事項ニ就テハ海軍水路部ニ於テ實測セル結果ヲ水路告示第三十七號附録ヨリ採録ス。
(一)東京海湾南部西岸
イ、横濱附近。羽根田燈臺ヨリ横濱ニ至ル沿岸水深ニ変化ナシ。
横濱港北水堤ハ港口ニ近キ方二鏈、東水堤ハ港ロニ近キ方約三鏈半ノ間水面下ニ沈下シ東水堤北端燈臺ノ南8/10鏈ノ所ニ於テ低潮面下三呎二ノ水深アリ、北及東ノ両水堤端燈臺ハ直立シ原形ノ儘沈下シ居レリ。北水堤ノ港務部見張所ハ半ハ倒壊ス。西波止場ハ焼失破損シ商船用岸壁ハ過半亀裂破壊シ居レリ。内港即北、東水堤内方ニ於ケル水深ハ幾分増加シ海底沈降セルヤノ傾アルモ大ナル変化ヲ認メズ。
ロ、横濱至三崎。横須賀及浦賀附近ニ於テハ海図ト照合シテ岸線ニ大ナル変化ヲ生ジタル所ナシ、只海岸ノ石垣及崖ノ崩壊セルモノ非常ニ多シ、然レドモ航海上特ニ注意ヲ要スル程度ノ変化ヲ認メズ。
ハ、横須賀。横須賀港内水深ハ海図記載ト大差ナシ。港口西方防波堤ハ其東部ハ全部没落シテ漸ク水面ニ出没シツツアリ東方防波堤ハ北半部ハ僅ニ水面上ニ現ハレ、南半部ハ全ク水中ニ陥没セリ、其陥没部中央ニ於ケル堤上水深十一呎ナルモ周囲ノ水深ニハ変化ナシ。
ニ、第三海堡。一部崩壊セルモ燈臺ハ辛フジテ倒壊ヲ免レタリ、周囲ノ水深ハ十三尋乃至二十尋舊態ト変化ナキモ北部ハ距岸約四十米餘ノ所迄石垣ノ破片進出セルモノアルヲ以テ近寄ラザルヲ可トス。
ホ、浦賀港。港内水深ハ海図ト大差ナク舶船出入ニ何等不安ヲ与フルモノアルヲ見ズ。
へ、三崎附近。此附近ニアリテハ海図上干出岩坡ナリシ處今ハ露出セル岸線ト変シ一見シテ其変化ノ著シキモノアルヲ感知スルヲ得、三崎港内北條ノ小澳内ハ澳底ヨリ約四分ノ三ノ處迄沙泥干出シ、三崎瀬戸ノ抱高根ハ水深減少ノ結果實測三呎ナルヲ験セリ。
(ニ)東京海湾南部東岸(木更津ヨリ洲ノ崎)
木更津附近迄ハ水深変化ナシ。
イ、第一海堡、外見舊形ヲ存シ富津崎ト第一海堡間ニ干出沙堆擴延シ居レリ。
ロ、弟二海堡、燈竿傾斜シ北岸ノ防波堤ハ殆ド破壊沈下シ去リ石垣崩壊全潰セルモ附近水深ニハ変化ナシ接航シ得ベシ。
ハ、明金崎至大房鼻。沿岸ハ崖ノ崩壊セルモノ多シ。
ニ、舘山湾内。距岸二浬以内ハ幾分水深ヲ減ジ、岩碓等ノ高サヲ比較スルニ四呎乃至五呎隆起シ現ニ船形湾前面防波堤突端ヨリ東北東方全部干出シ、又館山ノ前面ニアル高島ト陸岸トノ間ハ干出ス、館山町上陸桟橋モ破壊セリ、洲ノ埼ノ東方約一浬三鏈ニアル波左間島ハ目下高十呎アリ約六呎隆起シ居レリ。
(三)房総半島南東岸(洲ノ崎ヨリ勝浦ニ至ル)
洲ノ崎ヨリ野島崎ニ至ル沿岸ハ土地ノ隆起比較的ニ大ナルニ拘ラズ陸上ノ被害比較的少ナシ洲ノ崎燈臺ハ異状ナキモ野島崎燈臺ハ基礎二間位ヨリ折レ居レリ、布良望樓信號竿共外見異状ナキモ其東方ノ大山山頂ヨリハ大崩崖ヲナセリ
(四)相模灘沿岸。
沿岸各地崖崩レ多数アリ、小田原ヨリ熱海ニ至ル沿岸特ニ甚シ。
(五)大島。
大島沿岸ニテハ土地隆起又ハ沈降ノ模様ヲ見ズ、且東岸、風早燈臺下、岡田、中根鼻以南至波浮港口、西岸野増沿岸ニ多少ノ崩壊アリ。
四、陸岸ノ低下説ニ就テ。
地震當時隆起セル陸岸ガ其ノ後漸次復舊低下シツツアリトノ説ハ各地ニ於テ縷々傅ヘラレタルトコロナルガ此風評ニ對シ實地験測ヲナセル海軍水路部ノ水路要報附録ニ於テ發表セルモノ左ノ如シ。
前略「右ハ海面ノ一時的現象ヨリ下セル臆断ニシテ九月下旬以降震災地域内数ケ所ニ於テ連續験測シツツアル當部ノ験潮ニ於テハ全然平均水面ノ変動ヲ認メズ勿論潮汐ハ断ヘズ干満ヲ繰返シツツアルモノナルモ陸岸ノ高サニ変化ナキ限リ平均水面ト陸岸トノ關係ハ不変ノモノニシテ當部ニ於テハ潮高ノ連續験測ノ外各所ニ於テ多数ノ離岸、干出岩等ニ就テ時ヲ隔テテ其高サヲ測定シ是等ヲ一定ノ基準面ニ導キ以テ平均水面ノ移動ヲ験シツツアルモ一トシテ変化ヲ示スモノナシ但シ毎日ノ平均水面ハ其日ノ天候ニ因リテ多少ノ差アルハ何處ニ於テモ表ハルル現象ニシテ彼舘山湾内沖ノ島沈下ノ風評ノ如キハ偶々強西風連吹ニ基ノ水面ノ一時的膨脹ヨリ想像セル臆説ニシテ西風止ムト共ニ水位舊ニ復シ前同様ノ隆起量ヲ示セルハ當部ノ實測ノ證スル所ナリ。
ニ、海底の変化
陸上ニ於ケル土地ノ上昇降下ト同時ニ相模灘ノ海底ニ於テハ一層烈シキ地殻ノ陥没及隆起ヲナシ水深ニ著シキ変化ヲ來シタリ、其ノ状況ニ就テハ元々三百尋以上九百尋餘ノ深海ナルヲ以テ測深作業容易ナラズ本場又之ガ設備ヲ■キ直接調査ヲナシ得ザリシガ水産講習所及海軍水路部ハ各々専門的ニ測量ヲナセルヲ以テ其ノ結果ニ依リ観察ヲナシタリ。
一、陥没及隆起。
相模灘ニ起レル地変ノウチ最モ顯著ナルハ海底ノ陥没ニシテ湾内ヨリ大島附近各所ニ其ノ跡ヲ認ムルモ最モ大ナルハ眞鶴崎ノ沖合ヨリ相模灘ノ中央ヲ南東ノ方向ニ大島ノ東方ニ至ル延長約三十浬、最大幅約十六浬ノ廣大ナル地域ニシテ平均四五十尋、場所ニヨリテハ百尋餘ノ陥没ヲナス、此区域ノ北端ハ眞鶴崎南東沖四浬ニ達シ東端ハ房州洲ノ崎ノ西方沖合約四浬ニ近ヅキ西南部ハ大島ニ接近シテ其ノ南端ハ波浮ノ東方沖八浬餘ノ地点ニ至ル。
隆起ノ大ナルハ三崎、眞鶴間ノ中央ニ於テ東西約十五浬、南北約十浬ノ区域ニシテ平均七八十尋ニ達スル隆起ヲナス
其ノ北端ハ江ノ島ノ南沖四浬、東部ハ長井ノ西方三浬半、城ケ島ノ西五浬ノ沖ニアリ、西端ハ眞鶴崎ノ東沖七浬ノ地点ニ達シ南部ハ殆ンド中央ノ大陥没部ニ接近ス。
以上ノ外ニ大島ト伊豆ノ間ニハ五六十尋以下ノ東西ニ狭長ナル隆起部ト南北ニ走ル陥没部トアリ、又城ヶ島南沖、沖ノ山ノ近クニハ一方ニ百尋内外ノ隆起ヲナシ他方最深二百二十尋ニ達スル急峻ナル陥没ヲ起シテ此處ニ一大深淵部ヲ形成ス、之ニ接近シ城ヶ島洲ノ崎ノ中央ニモ八九十尋程度ノ隆起ト陥没トアリ。猶大磯、平塚ノ沖合約二浬乃至六浬ノ区域ニモ百六十尋以内ノ陥没部アリテ其ノ附近ニ小面積ノ隆起部点々ス、眞鶴崎沖三四浬ノ地点ニモ亦小隆起アリ。
二、水深ノ変化。
海水ノ深サハ陸岸ニ近キ淺海ニ於テハ概シテ沿岸陸地ノ上昇、低下ニ隨ヒ多少ノ増減ヲ見ルニ過ギザルモ沖合ニ在リテハ前記海底ノ隆起及陥没ニ伴ヒ到ル處著シキ変化ヲ來シタリ。其ノ最モ激シキハ城ヶ島沖合、沖ノ山附近ノ陥没部ニシテ其ノ最深部ハ舊水深三百十七尋ニ對シ二百二十尋ヲ増シ之ニ隣接スル隆起部ニ在リテハ舊水深七百七十五尋ヨリ百二十六尋ヲ減少ス。
水深減少ノ著明ナルハ三崎眞鶴間ノ隆起部ニシテ其ノ最大ハ舊水深五百八十七尋ニ對シ百三十七尋ヲ減少セリ、相模灘中央ノ大陥没部ニ在リテハ大島ニ近キ深海部程水深増加ノ程度烈シク七八十尋ヨリ、百十尋餘ニ及ブ、大磯沖合ノ陥没部ニアリテモ舊水深三百八十七尋ニ對シ百六十五尋ヲ増加シタルトコロアリ。
三、東京海湾海底ノ変化。
東京湾内ニ在リテハ外海程ノ変化ハナキモ多少海底ノ昇降ニ伴フ水深ノ増減アリ、其ノ状況ハ水産講習所ト本場ト連絡調査ヲナシタルガ其ノ結果ニ就キ同所ノ発表セルモノヲ左ニ摘録ス。
北部沿岸ニアリテハ羽根田燈臺附近、大森及品川地先等ニ於テ海底ノ上昇セル所アルモ其他ニアリテハ一般ニ低下セリ、就中低下ノ顕著ナルハ横濱ヨリ羽根田ニ至ル間及深川ヨリ檢見川ニ至ル間ニシテ二三ヶ所ヲ除クノ外ハ水深ノ増加ヲ來シ其最大ハ船橋地先ニアリテ一、八七尋ヲ増加セリ。北部沖合ニアリテモ亦〇、二尋乃至一、四尋ノ陥落ヲ認ム、殊ニ横濱沖合ノ如キハ最大二尋沈下セル所アリ。中部沿岸ニアリテハ木更津小濱附近ニ於テ水深ノ増減相半バシ而モ其差共ニ少ナクシテ海底ニ著シキ変化アルヲ認メザルモ盤洲附近及ビ大堀ヨリ富津ニ至ル間ハ海底明カニ隆起セリ、然レドモ其上昇度ハ決シテ大ナラズ、大堀地先ニ於テ最大○、六七尋ヲ示スニ過ギズ。西岸本牧ニ至レバ稍々上昇シ、根岸ヨリ磯子ニ至ルニ從ヒテ稍々低下シ殊ニ磯子地先ニアリテハ水深ノ増加最大一、二三尋ヲ示セルモノアル以外ハ到所上昇セリ。中部沖合ニアリテハ中ノ瀬ヲ中心トシテ僅ニ隆起シ其東側ニ於テ約一尋沈下セル所アリ。南部ニアリテハ東西両沿岸共海底ノ隆起顕著ニシテ金谷、剣崎、大房鼻附近等ニアリテハ二乃至四尋上昇シ其ノ沖合ニアリテハ観音崎及剣崎各沖合ニ於テ約二尋前後ノ低下セルモノアル以外ハ一乃至三尋ノ上昇アリ。
之ヲ要スルニ東京海湾深度ノ変化ハ頗ル複雑ナリト雖北部ハ概ネ水深ヲ増加シテ海底陥没シ中部及南部ハ一般ニ水深ヲ減少シテ海底隆起セリ。
三、津浪ノ状況
九月一日ノ激震後相模灘ニ面セル各地ニ襲來セル津浪ニ就テハ當時之ヲ目撃セルモノノ談及各地被害ノ跡ヲ踏査セル結果ニ多少ノ考察ヲ加エタルモノナルヲ以テ必ラズシモ正確ヲ保シ難キモ其ノ概況ヲ左ニ項ヲ別チ記述ス。
一、津浪襲來ノ区域。
今回ノ津浪襲來ノ区域ハ伊豆ノ東海岸ヨリ三浦半島ノ西海岸並ニ房総半島ノ南部沿岸ニ至ル間ナルガ縣内ニ在リテハ足柄下郡中伊豆沿岸ニ接續セル、眞鶴附近及鎌倉郡江ノ島ヨリ三浦郡城ヶ島附近ニ至ル沿岸ニシテ下郡片浦ヨリ中郡及高座郡ニ至ル沿岸ニハ當時高浪ヲ見タルモ津浪ト稱スベキ程度ニ達セズ従ツテ被害モ少ナカリキ。
二、津浪襲來ノ状況。
前記ノ沿岸ニ津浪ノ來襲セルハ西部眞鶴附近ニ在リテハ激震後五六分時ノ後ニシテ東部三浦郡沿岸ニ於テハ三崎附近ニ早ク四五分ノ後、長井鎌倉等北上スルニ従ヒ遅レテ江ノ島附近ニテハ約十分後ノ後ナリキ、而シテ各地トモ一様ニ初メ強烈ナル退潮起リテ沿岸ノ海底露出シタル後前後二回若クハ三回津浪襲來ス、其ノ高サハ各地共二回目最大ニシテ眞鶴方面ニ在リテハ二十尺ニ達シ東部ニ於テハ海岸ノ形状ニ由リテ異ナレルモ大体ニ於テ鎌倉、小坪、秋谷方面ニ高ク二十尺餘ニ上リ片瀬及佐鳥ヨリ三崎ニ至ル間ハ十尺内外ニ過ギザリキ。津浪襲來ノ方向ハ附図ニ示ス如ク各地期セズシテ相模灘ノ中央部ニ向フ。
縣外伊豆ノ海岸ニ在リテハ熱海伊東間最モ烈シク激震後五六分ニシテ多少ノ退潮アリタル後三回ノ津浪來リ其ノ高サ二十尺乃至三十五尺ニ達ス、而シテ川奈崎以南ハ漸次其ノ程度ヲ減ジ下田ニ至リテハ激震後約二十分ニシテ高サ六七尺ノモノ波及セルニ止マレリ。
三、各地ノ状況。
縣内及伊豆沿岸各地ノ津浪ニ就キ目撃セルモノノ談及踏査ノ結果ヲ略記ス。
イ、上宮田、金田湾以北ニハ高サ五六尺ノ高浪來リ上宮田ニ於テ生■ヲ流失セルモ津浪ト見ルペキモノナシ、
ロ、松輪。剣崎附近約二十尺ノ津浪來襲セルモ松輪ニ於テ漁船及漁具ヲ破壊流失セルノミ、附近漁村ニ被害ナシ。
ハ、三崎、地震後約五分時ニシテ退潮烈シク三崎瀬戸ノ海底露出シタルモ津浪來ラズ被害ナシ、但シ城ヶ島ノ外側ニハ巨大ナル津浪ノ襲來セシ跡アリテ城ヶ島漁村ニハ漁具、漁船ノ被害相當アリタリ。
ニ、諸磯。高サ十五六尺ノ津浪西方ヨリ來リ漁船及漁具ヲ破壊流失ス、油壷ニ避難中ノ漁船モ大部分破壊ス。
ホ、和田。高サ約十尺ノ津浪西南ヨリ來リ漁具漁船ヲ破壊ス。
へ、長井。高浪西南沖ヨリ來リ漁船ノ大部破壊ス。
ト、佐島。四方ヨリ高サ約十尺ノ津浪襲來シ漁船、漁具ヲ破壊流失ス。
チ、秋谷。高サ約二十尺ノ津浪西南沖ヨリ來リ防波設備ヲ破壊シ漁具、漁船ノ大半ヲ破壊流失ス。
リ、小坪。津浪ノ被害烈シク漁船三十艘及漁具ノ過半ヲ流失ス。
ヌ、鎌倉。地震後約十三分ニシテ高浪ニ次デ西南沖ヨリ津浪襲來シ高サ二十尺餘ニ達シ滑川附近ノ浸水甚ダシク平地上四五尺ニ及ブ、漁船ノ大部分破壊シ漁具ノ流失セルモノ若干アリ。
ル、腰越。初メ引潮激シク後三回津浪來ル、二回目大ニシテ高サ十尺餘ニ達シ神戸川ヨリ浸入シテ附近ノ道路ヲ洗フ、片瀬、腰越、江ノ島共ニ漁船漁具ノ被害多シ。
ヲ、須賀。附近一帯ニ高浪來リ、各地共漁船ヲ破壊シ漁具ノ一部ヲ流失ス。
ワ、岩。初水深七尋位ノ處迄退潮シ後東方ヨリ津浪來ル、高サ約十五尺、海岸ノ家屋及漁具流失ス。
カ、眞鶴。湾内一旦退潮シタル後高サ十六尺ノ津浪襲來シ漁船ノ大部ヲ流失襲壊シ海岸ノ家屋ヲ破壊ス。
ヨ、熱海。地震後約五分時ニシテ南東ヨリ津浪來襲シ高サ三十五尺餘ニ達シ本町一帯ノ家屋ヲ破壊シ十七名死者ヲ出シ漁船四十七艘漁具二百餘点ヲ流失ス。
タ、網代。地震後四五分ニシテ高浪來リ其ノ引潮ニテ湾内約三分ノ一露出シ二回目津浪トナリ高サ約一五尺ニ上リ海岸ヨリ約一町半ノ處迄浸水ス、漁船漁具ノ破壊セルモノ多シ。
レ、伊東。震後約七八分、初メ多少引潮アリタル後三回津浪來ル、二回目最大ニシテ高サ約二十尺、伊東大橋上約六尺ニ上ル、而シテ其ノ引潮ノ激流ニ家屋建物等ヲ破壊シ去ル、當町ノ被害ハ地震ヨリモ津浪ノ害大ニシテ楠見最モ多ク滑川方面之ニ次グ、水死者及行方不明八十七名ニ及ブ、因ミニ當町ハ元禄地震ノ際モ津浪ニ由ル死者男女百六十三名ニ達シタル舊記アリ。
ソ、川奈。震後五六分ニシテ津浪三回來ル、最初大ニシテ高サ十七八尺ニ達シ漸次減退ス、川奈崎ノ内側ニハ津浪ナカリキ。
ツ、下田。初メ退潮アリテ第一震ヨリ約二十分後高サ六七尺ノ高浪一回來リタルモ海岸ノ家屋ニ浸水シタルニ止マリタリ。
四、津浪ニ就テノ考察。
前記各地ノ状況ニ依リ津浪來襲ノ由來ヲ考察スルニ其ノ發生ノ原因固ヨリ今次ノ海底地震ニ在ルハ爭ハレズ、仍チ海底ニ起レル急激ナル陥没及隆起ガ海面ニ高低ヲ生ジソレガ横波トナツテ海岸ニ波及セルモノナリ、而シテ初メ各地一様ニ退潮ヲ起シタルハ地震津浪ノ前驅トシテ普通ニ起ル現象ナレバ特ニ奇異トゼザルガ今回ノ場合ニ於テハ陥没部ノ面積廣大ナルノミナラズ陥没ノ程度又烈シカリシヲ以テ其ノ部ニ周囲ノ海水ヲ吸収スルコト急激ナリシハ想像ニ難カラズ■ヒテ海岸ニ於ケル退潮モ強烈ナリシナルベク殊ニ江ノ島ヨリ三崎ニ至ル三浦半島ノ西岸ハ遠淺ナルト地盤ノ隆起セルトガ相待ツテ一層烈シキ退潮ヲ示シタルハ爭ハレズ。
津浪ノ高サノ處ニヨツテ大ニ異ナリ同ジ湾内ニ在リテモ一様ナラザリシハ港湾内ニ高浪ノ浸入スル時其ノ形状ニ從ツテ方向ヲ変ジ又進入スルニ隨ヒ深サト廣サトヲ減ズルヲ以テ或ル場所ニ於テハ相集ツテ浪ノ高サヲ増加スル為メニシテ東部、伊東、熱海、眞鶴附近及西部江ノ島、鎌倉、小坪附近ノ如ク湾曲ヲナセル海岸ニ特ニ高サヲ増シテ二十尺乃至三十五尺ニ達シタリ、之ニ反シ小田原、大磯、平塚、茅ヶ崎等ノ海岸ニ於テ高浪ニ止マリタルハ開■セル海岸ニ全然屈曲ナキノミナラズ地盤ノ五六尺乃至八九尺隆起セル為メナルベク、三浦半島ノ西南部ニ在リテハ多少ノ屈曲アルモ同ジク當時四尺乃至七八尺地盤ノ隆起ヲナシタルヲ以テ津浪ノ高サモ十尺内外ニ過ギザリキ。
大正十三年五月二十五日印刷
大正十三年五月二十八日発行
神奈川縣水産試験場
横濱市相生町三丁目五十一番地
印刷者 大橋 徳壽
横濱市相生町三丁目五十一番地
印刷所 大橋活版印刷所
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