三陸津浪動向調査票ノ一
ー、各項トモ出来ル丈詳細ニ記入アリタシ
二、字ハ明瞭ニ書クコト
三、遭難ガ船上ナラザルトキハ四、五及ビ六ノ項ハ記入ノ要ナシ
一 調査項目
ー、地震後津浪襲来直前ノ海况
調査資料提出者(氏名及ビ年齢記入)
二、岩手県九戸郡侍濱村大字北侍濱 林崎初五郎(六三才)
三 遭難場所
三、岩手県九戸郡侍濱村大字北侍濱
四 遭難船名又ハ漁具名
ー
五 右ノ所有主又ハ経営者
ー
六 乗組員又ハ従業員氏名
ー
三陸津浪動向調査票ノ二
一、字ハ明瞭ニ書クコト
二、一枚ニ記入シ終ラザルトキハ何枚使用スルモ可、ソノ折ハ紙毎ニ番号ヲ記入スルコト
七 遭難目撃状況ノ詳細ナル調書(説明上必要ト認ムルトキハ地図ヲ添付セラレタシ)(第 号)
七 三月三日午前二時四十分頃地震アリ家屋動揺烈シキ為メ津浪ヲ顧慮シ海岸ニ出テ海面ヲ見ルニ海水ノ引キ方急ニシテ見ル見ル三十間乃至四十間位引ケテ行ツタノデ附近ニ津浪ノ警告ヲシタ間モナク沖合ヨリ大浪ノ寄セ来ル様ナ音ヲ聞ク其ノ後約七、八分ニシテ津浪ノ襲来ヲ見タリ
(地震後約四十分ニシテ津浪ノ来襲ヲ見タリ)
三陸津浪動向調査票ノ一
ー、各項トモ出来ル丈詳細ニ記入アリタシ
二、字ハ明瞭ニ書クコト
三、遭難ガ船上ナラザルトキハ四、五及ビ六ノ項ハ記入ノ要ナシ
一 調査項目
地震後津浪襲来直前のノ状況
調査資料提出者(氏名及ビ年齢記入)
岩手県九戸郡中野村太字小子内 川崎富蔵(六一歳)
三 遭難場所
同上
四 遭難船名又ハ漁具名
ー
五 右ノ所有主又ハ経営者
ー
六 乗組員又ハ従業員氏名
ー
三陸津浪動向調査票ノ二
一、字ハ明瞭ニ書クコト
二、一枚ニ記入シ終ラザルトキハ何枚使用スルモ可、ソノ折ハ紙毎ニ番号ヲ記入スルコト
七 遭難目撃状況ノ詳細ナル調書(説明上必要ト認ムルトキハ地図ヲ添付セラレタシ)(第 号)
地震直後津浪ノ襲来ヲ顧慮シ隣家ヘ警告ス海岸ニ出テ目撃シタルニ前日ト大差ナク大浪ナリキ帰宅地震後三十分ニシテ津波襲来セシモ海岸住宅流失セルモ當濱地先ニハ死亡者ナシ
三陸津浪動向調査票ノ一
ー、各項トモ出来ル丈詳細ニ記入アリタシ
二、字ハ明瞭ニ書クコト
三、遭難ガ船上ナラザルトキハ四、五及ビ六ノ項ハ記入ノ要ナシ
一 調査項目
一、津浪襲来前日ノ状況
二、海岸ニ於ケル津波襲来直前ノ状況
三、全遭難ノ状況
調査資料提出者(氏名及ビ年齢記入)
岩手県九戸郡長内村大字長内 荒谷ハル(四十七才)
三 遭難場所
全県全郡全村大字全 諏訪下海岸
四 遭難船名又ハ漁具名
ー
五 右ノ所有主又ハ経営者
ー
六 乗組員又ハ従業員氏名
ー
三陸津浪動向調査票ノ二
一、字ハ明瞭ニ書クコト
二、一枚ニ記入シ終ラザルトキハ何枚使用スルモ可、ソノ折ハ紙毎ニ番号ヲ記入スルコト
七 遭難目撃状況ノ詳細ナル調書(説明上必要ト認ムルトキハ地図ヲ添付セラレタシ)(第 号)
津波襲来の前日ハ極メテ波穏カナリシモ根延縄漁業ニ出漁セシモ概シテ不漁タリ
明治二十九年津浪ノ際ノ地震ニ均シイノデ地震直後津浪ノ襲来ヲ顧慮シ海岸ニ出テ目撃シタルニ海ノ波ハ二三米突位ヅツ常ヨリ引イタリ寄セタリシテ居タ斯様ナ事ガ五、六回アツテ後急ニ三、四米突以上海面ガ引ケテ行ツタノデ出漁準備中ノ漁夫及村部落ニ津浪ノ襲来ノ警告ヲシタ.津浪ハ南沖ヨリ北方ヘ動向第一回第二回第三回ト襲来最後ノ津浪ハ一番高ク約十五米突位ニシテ沖一面眞里ク引波ハ南ヘ引去リ海上真白トナリタリ。
三陸津浪動向調査票ノ一
ー、各項トモ出来ル丈詳細ニ記入アリタシ
二、字ハ明瞭ニ書クコト
三、遭難ガ船上ナラザルトキハ四、五及ビ六ノ項ハ記入ノ要ナシ
一 調査項目
津浪地震前日ノ野田湾口ノ海況異変ナシ
調査資料提出者(氏名及ビ年齢記入)
岩手県九戸郡野田村大字玉川字玉川 大澤覺治(五十才)
三 遭難場所
全右
四 遭難船名又ハ漁具名
ー
五 右ノ所有主又ハ経営者
ー
六 乗組員又ハ従業員氏名
ー
三陸津浪動向調査票ノ二
一、字ハ明瞭ニ書クコト
二、一枚ニ記入シ終ラザルトキハ何枚使用スルモ可、ソノ折ハ紙毎ニ番号ヲ記入スルコト
七 遭難目撃状況ノ詳細ナル調書(説明上必要ト認ムルトキハ地図ヲ添付セラレタシ)(第 号)
一 津浪襲来ノ前日ノ状況
二日の夜ハ十二時ニ床ニ就イタ
就寝前飲料水ナキニ気付キ程近キ沼ノ端ノ何時モノ井戸(本人宅ヨリ二十間位ノ所)ニ水汲ニ行ツタ栖杓ヲ酌ツテモ酌ツテモ更ニ水ガ入ツテ来ヌ.明ヲ下ゲテ覘イテ見タラ一滴ノ水モ無カツタ
此ノ様ナ話ハ明治二十九年ノ津浪ノ前兆ニモ聞クトコロデアル猶其ノ夜ハ直グ前ノ海岸荷積船碇泊シ荷積作業ガ十時頃迄カカツタガ積荷ノ終ル頃ハ異常ニ潮ガ干タト聞ク
二 海岸ニ於ケル津浪襲来直前ノ状況
三日午前ニ時激シイ地震ハ息シダト思ツタラ何時モノ浪ノ音ガ絶エテナクナツタ
三 海岸ニ於ケル津浪襲来遭難ノ状況
異常ノ変事ニ恐怖ヲ感ジタ私共ハ近隣誘ヒ合ハセテ側ノ諏訪山ニ避難シタ間モナク烈シイ物音ニ沖ノ方ヲ見タラ暗ヲ透シテ作根見当トモ覚シキアタリニ白塔ノ様ナモノヲ見タ夫ガザワザワト崩シ廣ガルト見ル内ニ最ウ奔流ガ日ノ前ニ迫ツテ居タ津浪ガ打ツヨリモ奔流ノ水鼻ガ先デ州河ノ納屋ハ浪ノ打ツ前ニ大底破壊シ去ラレタ様ニ記憶スル
惟フニ津浪ハ牛嶋ニ打付ケタ反動浪ト小袖崎ヲ迂回シテ入リ込ンダ浪トガ斜ニ(鋭角コト)衝突シテ水高ト速度ヲ増シ其ノ浪ガ諏訪山ノ突端ニ突キ當リ其ノ反シ浪が里松ノ防風林ニ支ヘラレ久慈港ノ方ニ流レ久慈川ヲ辿ツテ流出シタ様ニ思ハル
夜明後見タ水形ハ諏訪山ノ突端ハ最高デアツタ
三陸津浪動向調査票ノ一
ー、各項トモ出来ル丈詳細ニ記入アリタシ
二、字ハ明瞭ニ書クコト
三、遭難ガ船上ナラザルトキハ四、五及ビ六ノ項ハ記入ノ要ナシ
一 調査項目
津浪地震前日ノ野田湾口海况異変ナシ
調査資料提出者(氏名及ビ年齢記入)
岩手県九戸郡野田村大字野田字城間 大澤仁太郎(四十九才)
三 遭難場所
岩手県九戸郡野田村大字野田字下屋敷海濱
四 遭難船名又ハ漁具名
ー
五 右ノ所有主又ハ経営者
ー
六 乗組員又ハ従業員氏名
ー
三陸津浪動向調査票ノ二
一、字ハ明瞭ニ書クコト
二、一枚ニ記入シ終ラザルトキハ何枚使用スルモ可、ソノ折ハ紙毎ニ番号ヲ記入スルコト
七 遭難目撃状況ノ詳細ナル調書(説明上必要ト認ムルトキハ地図ヲ添付セラレタシ)(第 号)
三月三日午前二時半過大地震為メ海ノ様子ノ変リナキヤヲ感ジ波打際ニ下リタルニ海水沖合迄退ケ海上一面暗黒トナリ居ルヲ以テ其ノ程度判明セズ異津波ノ前兆ト思ヒ大急ギニテ居宅ニモドリ家内ヲ避難セシメ西行屋敷の項上ニテ沖ヲ眺メタルニ南方ヨリ大震動ト共ニ浪砕ケ北方ニ走ル「波先ノ■海面明ルクナレリ」面シテ一回二回三回ト浪押寄セタリ夫が■海濱ノ倉庫納屋住家漁船漁具等全部流失セリ明治ニ十九年津浪ヨリ小ニシテ陸上ノ被害ハ僅少ナリシモ海中ノ岩石ノ異動セルハ幾層倍ス因ニ水量ノ小ナル割合ニ波勢強キモノト覚エ尚明治ニ十九年海嘯直後ハ海上平穏ナルニ反シ今回ノ津浪ノ直後ハ干満度甚ダシク午前十時頃迄海水動揺シタリ
三陸津浪動向調査票ノ一
ー、各項トモ出来ル丈詳細ニ記入アリタシ
二、字ハ明瞭ニ書クコト
三、遭難ガ船上ナラザルトキハ四、五及ビ六ノ項ハ記入ノ要ナシ
一 調査項目
地震後津浪襲来直前ノ状況
調査資料提出者(氏名及ビ年齢記入)
岩手県下閉伊郡津軽石村大字津軽石第一地割四番ノ一号地 盛合孝慈(四十四才)
三 遭難場所
ー
四 遭難船名又ハ漁具名
ー
五 右ノ所有主又ハ経営者
ー
六 乗組員又ハ従業員氏名
ー
三陸津浪動向調査票ノ二
一、字ハ明瞭ニ書クコト
二、一枚ニ記入シ終ラザルトキハ何枚使用スルモ可、ソノ折ハ紙毎ニ番号ヲ記入スルコト
七 遭難目撃状況ノ詳細ナル調書(説明上必要ト認ムルトキハ地図ヲ添付セラレタシ)(第 号)
三月三日午前二時半過(地震直後)地震性大ゆりナルニ依リ海面異状ナキヤヲ懸念シ居宅を出テ約数十間ヲ距ツ波打際ニ至リタルニ波打際ヨリ約十数間(其ノ沖合ハ暗黒ノ為不明)沖合迄干潮シ海底ハうねりトナリ低キ部分ハ多少氷結シアリ唯茫然ト沖合ヲ眺メ居タルニ黒崎沖ヨリ燐光ノ如キ黄白ノ球ト覚シキモノ電光ノ如ク北方ニ三崎沖ニ走レリ是即チ波頭ナラン直後波ノ泡ト覚シキモノ顔面に打付ラレアツト云フ間ニ浜須賀ノ峠ニ吹飛サレソレヨリ「津浪ダ」ト叫ンデ居宅ニモドリタルニ其ノ時ハ家内ノ者全部避難シアリ.明治二十九年津浪ノ約三分ノ一位ナルタメ辛じて生命■全シタリ波ノ回数ハ三回ニシテ一番浪ハ小サク二番浪ハ小サク二番浪ハ最大ノモノト覚エ以上述ベタ如ク明治ニ十九年ノ津浪ヨリ小ナルハ津浪襲来時刻恰モ干潮時ノ為メ海浅ク襲来セル津浪ニ全程ノ沖合ヨリ波勢砕ケタルヲ以テ比較的陸揚セザリキ。
三陸津浪動向調査票ノ一
ー、各項トモ出来ル丈詳細ニ記入アリタシ
二、字ハ明瞭ニ書クコト
三、遭難ガ船上ナラザルトキハ四、五及ビ六ノ項ハ記入ノ要ナシ
一 調査項目
海岸ニ於ケル津浪襲来直前状況
調査資料提出者(氏名及ビ年齢記入)
岩手県下閉伊郡山田町 佐々木秀雄(三〇才)
三 遭難場所
岩手県下閉伊郡山田町海岸
四 遭難船名又ハ漁具名
ー
五 右ノ所有主又ハ経営者
ー
六 乗組員又ハ従業員氏名
ー
三陸津浪動向調査票ノ二
一、字ハ明瞭ニ書クコト
二、一枚ニ記入シ終ラザルトキハ何枚使用スルモ可、ソノ折ハ紙毎ニ番号ヲ記入スルコト
七 遭難目撃状況ノ詳細ナル調書(説明上必要ト認ムルトキハ地図ヲ添付セラレタシ)(第 号)
地震直後屋外ニ出テ見ルト前例ナキ干潮ニテ川口付近ノ川底頻リニビチビチ鳴ル汐ノ上ゲ下ゲ激変スルヲ見テ津浪襲来ナルヤヲ恐シ部落全部ニ避難ノ用意ヲ合圖セリ而シテ地震後三十分位ニシテ南方山田
湾口付近ヨリ大暴風ノ如キ音響ノ東空ニ来ルヲ聞ク津浪襲来ト覚リ発動機船、小漁船撃ギニ駆ケ付ク間ニ鳴音ハ己ニ重茂村閉伊崎ヲ打越ヒ湾内各浜辺ヲ洗荒シ白浜崎ヲ打ツ激浪物凄ク灰白色ニ見エ瞬ク間ニ赤前大須賀ニ打寄セ家屋及樹木其ノ他ノ壊流スル音人ノ悲鳴ヲ聞ク浪ハ高ク打寄セ思ハズ裏山ニ駆ケ登ル途端浪ニ追ハレ下足ヲ取奪ハレタリ.
三陸津浪動向調査票ノ一
ー、各項トモ出来ル丈詳細ニ記入アリタシ
二、字ハ明瞭ニ書クコト
三、遭難ガ船上ナラザルトキハ四、五及ビ六ノ項ハ記入ノ要ナシ
一 調査項目
地震後津浪襲来直前ノ海況
調査資料提出者(氏名及ビ年齢記入)
普代村第貳捨地割字馬揚野七四ノ二
普代消防組第二部長 熊谷嘉吉(三十六才)
三 遭難場所
ー
四 遭難船名又ハ漁具名
ー
五 右ノ所有主又ハ経営者
ー
六 乗組員又ハ従業員氏名
ー
三陸津浪動向調査票ノ二
一、字ハ明瞭ニ書クコト
二、一枚ニ記入シ終ラザルトキハ何枚使用スルモ可、ソノ折ハ紙毎ニ番号ヲ記入スルコト
七 遭難目撃状況ノ詳細ナル調書(説明上必要ト認ムルトキハ地図ヲ添付セラレタシ)(第 号)
地震ノ際古老ノ話ヲ思ヒ出シ津波襲来スルニ非ズヤト餘感シ家族ニ萬一ノ場合ヲ注意シ特ニ火気ニ留意シ戸外ニ出デタルニ北方沖合ニ於テ「ゴー」ト言フ物凄キ一種異様ノ音ヲ聞キタルヲ以テ戸内ニ入リタルモ何等ノ異常ナク約五分間経過セル頃二度地震ノ如キ響キアリ
雨戸ノガタガタスル音大ナルモ地震ニ非ズ不思議ト思ヒタル瞬間近所ヨリ「ワー」ト言フ大声聞エタルヲ以テ職掌柄火事ト直感シ直チニ武装シ戸外ニ出ヅルヤ津浪襲来ト知リ屯所ニ行キ警鐘乱打村民ヲ集メ夫々ニ部所ニ就カシム
地震約三十分經過シ約二百間モ沖合ヨリ海水引キ次ニ異様ノ先沖合地平線上ニ見エタリト思ヤ山ノ如き波浪(波ノ高サ約十五米)襲来シ続イテ一、二分間毎ニ七回襲来セルモ部落住家高所ニ在ルヲ以テ他ハ比較シ僅少ノ損害ニテ助カル
三陸津浪動向調査票ノ一
ー、各項トモ出来ル丈詳細ニ記入アリタシ
二、字ハ明瞭ニ書クコト
三、遭難ガ船上ナラザルトキハ四、五及ビ六ノ項ハ記入ノ要ナシ
一 調査項目
地震後津浪直前ノ状況
調査資料提出者(氏名及ビ年齢記入)
岩手県下閉伊郡磯難村大字高濱
中島弘(三十一才)
三 遭難場所
同上
四 遭難船名又ハ漁具名
ー
五 右ノ所有主又ハ経営者
ー
六 乗組員又ハ従業員氏名
ー
三陸津浪動向調査票ノ二
一、字ハ明瞭ニ書クコト
二、一枚ニ記入シ終ラザルトキハ何枚使用スルモ可、ソノ折ハ紙毎ニ番号ヲ記入スルコト
七 遭難目撃状況ノ詳細ナル調書(説明上必要ト認ムルトキハ地図ヲ添付セラレタシ)(第 号)
地震ノ余リニ大キク且ツ長ク続ク為津浪ノ襲来ヲ直感シ海岸ニ出テ見タガ海ハ何時モノ通リ静穏ダツタ「津浪ノ来ル時ハ井水ガ涸レル」トノ古老ノ言ヲ思ヒ出シ自宅ニ引キ返シ井戸ヲ窺ツテ見タガ別段変化ガアルトモ見エナカツタ。再ビ海岸ニ出テ見タラ(其レ迄ニハ二十分以上ヲ経テ井ルト思ハレタ)油ヲ流シタ様ナ水ガ何時モヨリ大キクユツタリト引イタリ寄セタリシテ井タガ間モナク海水ガグングン引イテ大干潮ヨリモ尚ニ十間位遠クマデ干上ガルノガ見エタ同時ニ遥カノ沖ニ一大音響ヲ聞イタ無我無中デ「津浪ダ」「津浪ダ」ト叫ケンデ通リカラ山手ヲ走ツタ.
間モナク大浪ノ寄セル音建物ノ倒壊スル響ヲ聞イタ.小舟ガ沖カラ内ニ内カラ沖ニ矢ノ様ニ流レルノガ見エタ.
三陸津浪動向調査票ノ一
ー、各項トモ出来ル丈詳細ニ記入アリタシ
二、字ハ明瞭ニ書クコト
三、遭難ガ船上ナラザルトキハ四、五及ビ六ノ項ハ記入ノ要ナシ
一 調査項目
海岸ニ於ケル遭難ノ状況
調査資料提出者(氏名及ビ年齢記入)
宮古町鍬ヶ崎 山根仁平(年三十才)
三 遭難場所
岩手県下閉伊郡宮古町鍬ヶ崎新埋立海岸繋船中
四 遭難船名又ハ漁具名
底曳網漁船(早鳥丸十七噸)
五 右ノ所有主又ハ経営者
船主 浅井元次
経営者 全人
六 乗組員又ハ従業員氏名
浅井元次 山根仁平 岩間勝郎 瀬浪寿太郎 ■■ 初太郎 菅原源蔵 山本鉄男 山根幸平
三陸津浪動向調査票ノ二
一、字ハ明瞭ニ書クコト
二、一枚ニ記入シ終ラザルトキハ何枚使用スルモ可、ソノ折ハ紙毎ニ番号ヲ記入スルコト
七 遭難目撃状況ノ詳細ナル調書(説明上必要ト認ムルトキハ地図ヲ添付セラレタシ)(第 号)
フト気ガ付キ目ヲ醒シタ時ハモウ船ハ横ニナツテ居リマシタ。サテ津浪ト直感シ直チニ船首ノ繋網ヲ切断シ船尾ノ錨鋼ニ四人デ力ノアランカギリ取リスガリマシタヤガテ波音ハ恰モ大風ノ林ヲ通ル如ク強クト思フ間ニ一番波ハ横ニナツテ居タ船ヲ岸ヲリ高ク浮カシヤガテ二番浪ハ押シ寄セ船ハ桟橋ノ上、道路上ニ漂ヒマシタ二番浪引浪ト同時ニ舟尾ノ錨網ヲユルメズアランカギリノ力デタタキキリマシタ所舟ハ道路ヨリ下リ海上ニ浮ブ事ガ出来得マシタ 其ノ中ニ機械ハカ■リ三番浪モ苦ニセズ其ノ中ニ四番五番ト来マシタガ只道路ニ乗ルダケデシタ一番強イノガ二番波デシタ。思ヒノ外静カニ来タモノダナア津浪ツテ此ンナモノカ!!住ニシカ思ヒマセン
押シ寄セル音ノ割合ニ普通ノ大浪ノ岸ニ寄セル如クデナク只水量ガ肥大シテ押力ノ非常ニ大デアツタ事ヲ思イマス磯浪ノ大キナモノデアツタラ絶対ニ僕達五人ハ船ト共ニ残ツテ居ルモノデハアリマセン.電燈ノ消エタ時ハ二番浪ノ時デアリマシテアタリハ真暗デシタガ浪ノ形ダケハ黒々ト目立ケマシタ 今度ノ津浪ノ襲来ニ就キ私ノ思フ所ヲ圖ニ示シテ見タイト思ヒマス.
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- ファイルサイズ:410.3KB
三陸津浪動向調査票ノ一
ー、各項トモ出来ル丈詳細ニ記入アリタシ
二、字ハ明瞭ニ書クコト
三、遭難ガ船上ナラザルトキハ四、五及ビ六ノ項ハ記入ノ要ナシ
一 調査項目
海岸ニ於ケル津浪襲来直前ノ状況
調査資料提出者(氏名及ビ年齢記入)
岩手県下閉伊郡織笠村
菊池義三(二十七才)
三 遭難場所
岩手県下閉伊郡織笠村跡濱
四 遭難船名又ハ漁具名
ー
五 右ノ所有主又ハ経営者
ー
六 乗組員又ハ従業員氏名
ー
三陸津浪動向調査票ノ二
一、字ハ明瞭ニ書クコト
二、一枚ニ記入シ終ラザルトキハ何枚使用スルモ可、ソノ折ハ紙毎ニ番号ヲ記入スルコト
七 遭難目撃状況ノ詳細ナル調書(説明上必要ト認ムルトキハ地図ヲ添付セラレタシ)(第 号)
地震直後津浪ノ襲来ナキカト闇ヲスカシテ櫓上ヨリ海面ヲ窺イタルニ平常ト変リナシ第二回強震ニヨリ尚警戒ヲナシ水面ヲ見ツメツツアルモ依然変リナシ
其ノ後(第一回地震ヨリ約十五分位)山田電話事務員ヨリ「大槌ニ津浪襲来」トノ電話ニ接シタレド詳報ヲ得タリ山田警部補派出所ヘ電話ヲカケタルニ右ハ強震ニ脅イタル大槌町民ノ流言ナリト打消サル
第一回地震後約三十五分位ニシテ織笠川口ノ海苔■ヘアタル激シイザワメキヲ聞クト共ニ急激ナル引水ヲ見タルニヨリ津浪ト叫ビツツ避難ス其ノ後十分位ニシテ襲来ヲ見タリ.
三陸津浪動向調査票ノ一
ー、各項トモ出来ル丈詳細ニ記入アリタシ
二、字ハ明瞭ニ書クコト
三、遭難ガ船上ナラザルトキハ四、五及ビ六ノ項ハ記入ノ要ナシ
一 調査項目
津浪襲来直前ノ状況
調査資料提出者(氏名及ビ年齢記入)
岩手県九戸郡種市村八木
(八木郵便取扱所長) 石橋三七郎(三三才)
三 遭難場所
岩手県九戸郡種市村字八木
四 遭難船名又ハ漁具名
ー
五 右ノ所有主又ハ経営者
ー
六 乗組員又ハ従業員氏名
ー
三陸津浪動向調査票ノ二
一、字ハ明瞭ニ書クコト
二、一枚ニ記入シ終ラザルトキハ何枚使用スルモ可、ソノ折ハ紙毎ニ番号ヲ記入スルコト
七 遭難目撃状況ノ詳細ナル調書(説明上必要ト認ムルトキハ地図ヲ添付セラレタシ)(第 号)
強震ニ吃驚シテ起キタガ其ノ後別段変ツタコトモ無イノデ寒クナツテ再ビ寝ニ就イタガ眠ラレナカツタ少シスルト何カ「ノゴノゴ」音ガスルノデ臨時列車ノ通過スルノカト思ツテ居ルト足駄ノ音ガスルダンダン高クナルノデ再ビ起キテ裏口ヲ開ケ村井氏トノ間三尺バカリノ所ニ出ルト強風ニ波音ダカラ「津浪ダ」ト叫ンデ妻ト共ニ子供等ノ寝テ居タ室ニ馳込ミ子供■ヲ起ス隙モナク家ガ倒壊シ其ノ下敷トナツテヰル内ニ二分住デ水ガ侵リ妻子ノ安否モ確メズ内ニズンズン流サレ板材等ノ下敷キトナリ深イ方ニ流サレテ居ル中ニ引潮ニナリ材木■ガ除カレタノデ海ノ中カト思ツテヰルト北ノ方ニ逃ゲル人ガ見エタノデ鉄橋ノ内側ニヰル事ガ解リ北ニ逃ゲタ人ヲ見テ無意識ニ自分モ北ノ方ヘ泳ギ漸ク這ヒ上ツテ五六分間這ツテヰルト又波ノ音ガシタノデ見ルト巨浪ガ黒ク見エタト思フ間モナク再ビ波ヲ覆テ製板工場ニ流サレ木宅ニ身体ヲ打タレ水ニ弄バレテヰル中ニ「ヒョイ」ト右手ガ生木ニ触レタノデ無中ニナツテ取付クト線路ノ土手デアツタ流サレソウニナルノヲカヲ入レテシガミ付テヰルト水ガ引ケタノデ歩カウトシタケレドモアチコチ痛ンデ立タレナイノデ線路上ヲ這ツテ北ニ進ミ意識ガ明瞭ニナツタノデヨク見ルト大柳家ガ見エタ漸ク同家ニ行クト皆逃シテ盲目ノ老人ガ一人居リ老人ニ話シテ着物ヲ探シ出シテ着換エ大ニ炭ヲツイデ全身ヲ暖メテ居タラ裸体男三人ガ駆ケ込ンデ来タ之ハ大野村大工達デ夢我夢中ノ状デアツタカラ着物ヲ着セ炬燵ニ入レテヤツタラ漸ク正気付イタ様デアツタ夜モ漸ク明ケル頃日當兼蔵大工ガ子息ノ安否ヲ気遺ツテ探シ廻ツテ立チ寄ツタノデ自分ガ負傷シテ歩行ニ耐エヌ旨ヲ傳エタラ貰ツテ来タ後ニ運バレ実家ニ行ツタラ最早■ツコトガ出来ナカツタ負傷シテモ職務ノコトガ心配ニナリ人ヲ種市局ニ依頼シテ態夫ヲ立テ、事務員派遣ヲ申請シ電信デ仙台逓信局ヘモ知ラシテ貰ツタ又津浪ガ襲来クルトノ心配カラ高所ニアル土居長城氏宅ニ運バレ九日間ヲ暮シ入戸病院ニ其ノ後四寸日入院シテ快方ニ向カツタガ未ダ腰部ガ痛ムノニハ困ル愛児ニ人ハ救ヒ兼ネ自分モ妻モ病状ニ臥シタガ全ク社会各方面ノ同情ニ依ツテ更生ノ途ヲ辿ツテヰル
三陸津浪動向調査票ノ一
ー、各項トモ出来ル丈詳細ニ記入アリタシ
二、字ハ明瞭ニ書クコト
三、遭難ガ船上ナラザルトキハ四、五及ビ六ノ項ハ記入ノ要ナシ
一 調査項目
海岸ニ於ける津浪襲来直前ノ状況
調査資料提出者(氏名及ビ年齢記入)
岩手県下閉伊郡小本村小本 大町亀太郎(二十四才)
三 遭難場所
岩手県下閉伊郡小本川口
四 遭難船名又ハ漁具名
ー
五 右ノ所有主又ハ経営者
ー
六 乗組員又ハ従業員氏名
ー
三陸津浪動向調査票ノ二
一、字ハ明瞭ニ書クコト
二、一枚ニ記入シ終ラザルトキハ何枚使用スルモ可、ソノ折ハ紙毎ニ番号ヲ記入スルコト
七 遭難目撃状況ノ詳細ナル調書(説明上必要ト認ムルトキハ地図ヲ添付セラレタシ)(第 号)
津浪襲来ハ井戸河川ノ水ノ引クル事ニ依ツテ予知スル事ガ出来ルト聞傳ヘ居レバ地震直後河口ノ水ヲ見ルニ何ラ普通時ト変ル事ナク一旦帰宅シタルニ人心ノ動揺タダナラズ
依ツテ約二十分間位ヲ置イテ復川口ニ行ツテ見ルニ今度ハ前回ト異ナリドンドン増水ヲナシ来レバ津浪ノ襲来スル前兆ナラント感知シ逃走セルニスグ大音響ト共ニ波ノ襲来ヲ見タリ
三陸津浪動向調査票ノ一
ー、各項トモ出来ル丈詳細ニ記入アリタシ
二、字ハ明瞭ニ書クコト
三、遭難ガ船上ナラザルトキハ四、五及ビ六ノ項ハ記入ノ要ナシ
一 調査項目
地震後津浪襲来直前ニ於ケル状況
調査資料提出者(氏名及ビ年齢記入)
岩手県下閉伊郡船越村
佐々木勝三郎(二十五才)
三 遭難場所
岩手県下閉伊郡船越村地先大釜崎三四哩
四 遭難船名又ハ漁具名
第一神恵丸 目抜延縄
五 右ノ所有主又ハ経営者
右ノ所有主ハ本村字田ノ浜 経営者 佐々木源兵衛
六 乗組員又ハ従業員氏名
佐々木勘一 佐々木福松 佐々木勘六 佐々木長右エ門 佐々木禎三 前川甚助 佐々木仁太郎 佐々木良一 佐々木重次郎 佐々木國雄 佐々木由太郎 佐々木勝三郎
三陸津浪動向調査票ノ二
一、字ハ明瞭ニ書クコト
二、一枚ニ記入シ終ラザルトキハ何枚使用スルモ可、ソノ折ハ紙毎ニ番号ヲ記入スルコト
七 遭難目撃状況ノ詳細ナル調書(説明上必要ト認ムルトキハ地図ヲ添付セラレタシ)(第 号)
本船ハ三月三日午前弐時拾分船越村字田ノ浜前ヲ出帆拾五六哩ノ地区ニ於テ目抜延縄操業ノ目的ヲ以テ石油発動機拾五馬力一時間五哩位ノ速度ニテ進行シ出帆後拾分位ニシテ大地震起リタル由ナルモ船員等ハ機関ノ音響ニテ誰一人モ地震ヲ感ジタル者ナク其ノ後午前三時陸岸ヲ襲ヘタル津浪ノ時刻ニハ本村地区内大釜崎ノ東稍稍北三四哩ノ地点ヲ進行中ニシテ陸岸ヘ押寄セタル程ノ大浪モナク只前晩迄テハ何等浪ノアル天候ニモアラザルニ不思議ニ東南ヨリダバダバト三角浪相当アリ船頭及機関士等ト昨夜アンナ上凪ナリシニ今朝ハ三角浪ダ之レハ夜中ニ沖風ノ吹キタル為カ又ハ天候ノ変ル為メ潮流ノ押廻カト語リ合ヒ別段意ニモ止メズ南東ヨリ押シ寄セルダバダバ浪ヲ超ヘ五時目的地ニテ延縄業ヲ終ヘタリ操業中前日ニ比シ潮ノ変化モ見ズ目抜モ四百尾ノ相當漁獲ヲ為シテ午後三時帰港シテ驚キタル仕末ナリ同村字田ノ浜中村辰右エ門氏経営ノ陽喜丸モ我等ノ拾分前ニ出港セルニ付キ其ノ状況ヲ互ニ語リ合ヒタルニ同津浪ハ遥カ沖合ヨリ大浪トナリテ打寄セタルモノニアラズ前記三角浪様ノ変潮カ渦巻キテ其レガ津浪トナリテ押寄セタルモノト思料ス其ノ動向ニ對シテハ我々ノ感知スルト能ハザルモアノ時刻風ナキニ三角浪ニテバタバタ打寄セタル事実ヨリ察スルニ我々ハ大釜崎三四哩ノ地点ニテ津浪ニ遭偶セル処ヲ察スルニ釜石沖方面ヨリ動向セルモノト思料ス
他ニ何等感ズル所ナシ
以上
三陸津浪動向調査票ノ一
ー、各項トモ出来ル丈詳細ニ記入アリタシ
二、字ハ明瞭ニ書クコト
三、遭難ガ船上ナラザルトキハ四、五及ビ六ノ項ハ記入ノ要ナシ
一 調査項目
津浪地震前日ノ海况異変
調査資料提出者(氏名及ビ年齢記入)
岩手県上閉伊郡鵜住居村大字片岸字室浜
山崎熊太郎(四十七才)
三 遭難場所
岩手県上閉伊郡大槌湾口
四 遭難船名又ハ漁具名
富吉丸(木造約六噸)目抜延縄
五 右ノ所有主又ハ経営者
岩手県上閉伊郡大槌町大槌 佐々木舟五郎
六 乗組員又ハ従業員氏名
乗組員 山崎熊太郎外十二人
三陸津浪動向調査票ノ二
一、字ハ明瞭ニ書クコト
二、一枚ニ記入シ終ラザルトキハ何枚使用スルモ可、ソノ折ハ紙毎ニ番号ヲ記入スルコト
七 遭難目撃状況ノ詳細ナル調書(説明上必要ト認ムルトキハ地図ヲ添付セラレタシ)(第 号)
三月二日午前二時頃釜石沖東十海里の地点に於て目抜延縄漁業に従事し午後一時頃引き上げ終りたるが其の時の潮流は常時と全然異り逆に南東より北西への入汐なりき
三月三日午前二時半頃地震ありたるときは自宅にありて将に出漁せんとする時なりき昔の人の話には此の様な時は津浪が来るものだとの事を考出し家内にも其の事を話したるがまさが津浪が来るべしとも思はねば二時四十分頃出船大槌湾口御箱崎に差かかるや南沖より北内に入り来る汐猛烈なる速度にて湾内に押寄せ来れり其の時これは津浪なることを認め早速引返さんと思ひしが釜石町方面に火事あると見たれば釜石に入港せんと同港に針路をとりたるに折しも三貫嶋沖より釜石の漁船来りたるに逢ひ釜石方面の火事の様子を尋ねたるに火事に非ず鉱山の火の手なりとの話に入港を思い止り漁に従事することとし午前五時頃縄を下し午後一時頃縄の引上を終りたるがその間潮流殆んどなかりき津浪前は潮の速度は例年と全く異り概ね緩にして順潮少く逆流多かりき
三陸津浪動向調査票ノ一
ー、各項トモ出来ル丈詳細ニ記入アリタシ
二、字ハ明瞭ニ書クコト
三、遭難ガ船上ナラザルトキハ四、五及ビ六ノ項ハ記入ノ要ナシ
一 調査項目
津浪當時沖合ニ於ケル漁船ノ状況
調査資料提出者(氏名及ビ年齢記入)
岩手県水産試験場技手 聴取者 上田正■
三 遭難場所
ー
四 遭難船名又ハ漁具名
ー
五 右ノ所有主又ハ経営者
宮城県気仙沼町 船主 畠山清一 船長 伊藤哲美
六 乗組員又ハ従業員氏名
ー
三陸津浪動向調査票ノ二
一、字ハ明瞭ニ書クコト
二、一枚ニ記入シ終ラザルトキハ何枚使用スルモ可、ソノ折ハ紙毎ニ番号ヲ記入スルコト
七 遭難目撃状況ノ詳細ナル調書(説明上必要ト認ムルトキハ地図ヲ添付セラレタシ)(第 号)
三月三日午前二時半盛運丸(五拾噸)は釜石東微北百浬の位置にて鼠鮫延縄の作業中なりき當時の海上は平穏にして盛運丸は機関をかけ居たるも「ストップ」にして居りたり
二時半頃(正確なる時間は不明)船の沖測に於て北より南に向ひ獨楽の「うなり」の如き音響と其に何ものか通過するを感じついで微動を感じう■りより三秒にして「ドーン」といふ大音響を船より北方で聞き尚三秒にして上下の大激動を船に感じ船体は二つに折れるかと思はれた 而して附近海面も猛烈に上下動を■■居たり この激動は約五分間継続して次第に小激動と■り止れり
激動当時附近に発光現象は認められず海水の混濁する等の現象もなかりき
三陸津浪動向調査票ノ一
ー、各項トモ出来ル丈詳細ニ記入アリタシ
二、字ハ明瞭ニ書クコト
三、遭難ガ船上ナラザルトキハ四、五及ビ六ノ項ハ記入ノ要ナシ
一 調査項目
湾内ニ於ケル遭難ノ状況
調査資料提出者(氏名及ビ年齢記入)
岩手県上閉伊郡釜石町東前 川畑松治(三八歳)
三 遭難場所
岩手県上閉伊郡釜石湾内
四 遭難船名又ハ漁具名
発動機漁船
機船底曵網漁船(船名 稲荷丸)拾壹噸
五 右ノ所有主又ハ経営者
岩手県上閉伊郡釜石町東前
所有主 川畑松治
六 乗組員又ハ従業員氏名
乗組従事員 船長川畑松治 高橋萬吉 千葉常吉 小松惣平 藤原久太郎 澤口徳市 外弐名
三陸津浪動向調査票ノ二
一、字ハ明瞭ニ書クコト
二、一枚ニ記入シ終ラザルトキハ何枚使用スルモ可、ソノ折ハ紙毎ニ番号ヲ記入スルコト
七 遭難目撃状況ノ詳細ナル調書(説明上必要ト認ムルトキハ地図ヲ添付セラレタシ)(第 号)
稲荷丸は機船底曵網漁業操業の為三月二日午前弐時即ち津浪襲来の前日出港漁業に従事予定より二時間程遅れて午後七時頃帰港せるも其の間何等注意せざりし為か変調を認めざりき
其の翌日午前二時半平常通り出漁せんと乗組員七名と共に桟橋に繋留中の前記漁船に便乗し準備最中激震を感ぜしもさしたる気にも懸けず機械運転の仕度をなし航海燈に燈を点ぜんと舷側に居りたる際潮の激しく干るを見たり.乗組員一同と私語の中瞬時にして錨綱は絶切られ引潮と共に約百伍拾間も流されて干潮の泥土の上に船体を置かれたり.一同此の激変に初めて津浪々々と連呼したるも始めて遭遇せる私は夢我茫然たりき.乗組員中には直ちに上陸せんと竿を立て、計りたるに四尺程も泥の中に没する為築岸迄約参拾間何時遅い来る渦浪に不安を感んじ歩行困難を知りて今は一同と船より離れじと覚悟を■■各身仕度をなせり(街は避難の為異様に騒然たり)
襲ひ来る水魔を思ひても此の後如何に■ることやら何等のとるべき方法とて無し この間位なりしが其の中に一度目の押浪に海水と共に船体諸共宙に上るが如く急速度に海岸の氏家の二階に突進船体幾分破損したり二階を覗けばこの災害を知らず就寝中の者居りたる為大声に津浪だと叫べば安眠妨害と怒鳴る今になつてみれば「ナンセンス」な物語です
此の浪に電燈も消えて暗闇の中に総ての破壊する名状すべからざる物音を聞くのみ間もなく次の大浪前方に渦巻きをなし白沫をたてて襲来今度こそはと一ヶ所に集り死しても姿を崩さじと互に激励船は何処彼処と浪に奔弄されて漂流家屋に突当り自失の中にコンクリート建築に船体を横着け漸く安定したる形と■りしも、この引浪に今度は湾内突出の鉱山桟橋に流され浮遊してるだけ船体は全く破損し水船と■り急角に傾斜し船載漁綱網殆んど持去られ施す術も■く啻死を待つのみ其の後数回餘波ありて只猛威のなすが儘に弄流されしも幸夜の白むと共に流れ小舟により一同辛くも命拾いを得た.この海嘯中町内より出火あり全く惨鼻の極に達し到底私の筆舌を以て表すことの出来ざる惨状にして今考へるも夢の如くでした。
以上
三陸津浪動向調査票ノ一
ー、各項トモ出来ル丈詳細ニ記入アリタシ
二、字ハ明瞭ニ書クコト
三、遭難ガ船上ナラザルトキハ四、五及ビ六ノ項ハ記入ノ要ナシ
一 調査項目
海岸ニ於ケル津浪遭難ノ状況
調査資料提出者(氏名及ビ年齢記入)
上閉伊郡大槌町大字吉里々々第四地割六拾八番地ノ九
湊川冨次郎
三 遭難場所
上閉伊郡大槌町大字吉里々々湾内
四 遭難船名又ハ漁具名
稲荷丸(発動機船目抜延縄中)三噸九分九厘
五 右ノ所有主又ハ経営者
上閉伊郡大槌町大字吉里々々 行川嶋太郎
六 乗組員又ハ従業員氏名
本籍上閉伊郡大槌町大字吉里々々
死 行川嶋太郎 死 行川誠吉 死 越田 松五郎 死 志賀石太郎 死 志賀若松 死 志賀賢次郎 死 堀合重次郎 死 竹本清蔵 存命 関谷亀蔵
昭和八年三月三日午前三時以上の乗組員は目抜漁之のため出漁すべく海岸より約三百米位の海上に碇泊中遭遇したるものにして船は激浪に陸上に打揚げられために船体の破壊と共に溺死したるものなるが内一名は死を覚悟し深く船員室に残れるも外の八名は極力避難せんと甲板に狼狽し激波に浚はれたるも死を覚悟せる一名は幸ひ船員室の破壊に至らざりしため辛うじて死を免がれたるもの■り
三陸津浪動向調査票ノ二
一、字ハ明瞭ニ書クコト
二、一枚ニ記入シ終ラザルトキハ何枚使用スルモ可、ソノ折ハ紙毎ニ番号ヲ記入スルコト
七 遭難目撃状況ノ詳細ナル調書(説明上必要ト認ムルトキハ地図ヲ添付セラレタシ)(第 号)
昭和八年三月三日の午前三時頃以上の乗組員一行は目抜漁に出漁すべく渚より約参百米位の海上に碇泊準備中遭難したるものにして船は激浪に翻弄され陸上に打掲げられたるため船体の破壊と共に溺死したるものなるが内一名は(関谷亀蔵五拾八歳)は老体故死を覚悟し船底深く潜入し他の八名は極力避難せんと甲板に狼狽する内激浪に浚はれたるか死を覚悟せる一名は幸ひ船員室の破壊を免れたるため形骸と共に辛うじて一命を取止むるに至るものにして溺死者中死亡確定に至らず所在不明のものは志賀石太郎志賀賢次郎の両名なり
三陸津浪動向調査票ノ一
ー、各項トモ出来ル丈詳細ニ記入アリタシ
二、字ハ明瞭ニ書クコト
三、遭難ガ船上ナラザルトキハ四、五及ビ六ノ項ハ記入ノ要ナシ
一 調査項目
湾口二於ケル津波遭難ノ状況
調査資料提出者(氏名及ビ年齢記入)
岩手県上閉伊郡大槌町安渡 阿部徳次郎(五〇才)
三 遭難場所
大槌湾口
四 遭難船名又ハ漁具名
栄福丸
五 右ノ所有主又ハ経営者
濱田永太郎
六 乗組員又ハ従業員氏名
濱田福右門 阿部徳次郎 濱田重蔵 濱田良平 濱田住吉 濱田重助 三浦七太郎 濱田住吾 黒澤幸三 黒澤幸一
三陸津浪動向調査票ノ二
一、字ハ明瞭ニ書クコト
二、一枚ニ記入シ終ラザルトキハ何枚使用スルモ可、ソノ折ハ紙毎ニ番号ヲ記入スルコト
七 遭難目撃状況ノ詳細ナル調書(説明上必要ト認ムルトキハ地図ヲ添付セラレタシ)(第 号)
地震が終ると津浪が来さうも■い 目抜漁に出漁すべく発動機船で沖に向ふ御箱崎を経て間もなく船の動揺がはげしいので見ると大ねり波が間断なくやつて来る ローリングがひどい 新に三角波が五六尺高く真白く見える津浪なることを知り直に船を引き返す湾内に入ると木材タンス家具類等が流れて来る遙か釜石方面の上空が真赤であつた
三陸津浪動向調査票ノ一
ー、各項トモ出来ル丈詳細ニ記入アリタシ
二、字ハ明瞭ニ書クコト
三、遭難ガ船上ナラザルトキハ四、五及ビ六ノ項ハ記入ノ要ナシ
一 調査項目
海岸ニ於ケル津浪襲来直前ノ状況
調査資料提出者(氏名及ビ年齢記入)
岩手県上閉伊郡大槌安渡 坂本勝之丞 四四歳
三 遭難場所
ー
四 遭難船名又ハ漁具名
ー
五 右ノ所有主又ハ経営者
ー
六 乗組員又ハ従業員氏名
ー
三陸津浪動向調査票ノ二
一、字ハ明瞭ニ書クコト
二、一枚ニ記入シ終ラザルトキハ何枚使用スルモ可、ソノ折ハ紙毎ニ番号ヲ記入スルコト
七 遭難目撃状況ノ詳細ナル調書(説明上必要ト認ムルトキハ地図ヲ添付セラレタシ)(第 号)
地震と同時に起床時に午前二時半津浪が襲来する予感があつたので約三十分寒風に吹き晒され■がら海岸に立つて居た.突然海水がざわめいた.と同時に沖の方で地鳴りの爆音がした 見ると海水が激しい勢で沖に流れて行く
其の音は丁度松林を吹く風の音そつくり 普通一大二三尺の深の辺がすつかり水が無い
後から知つたがそれは三時であつた 見る間に前方(何米前方だか予測が出来ない)に真白い波が五六尺の高さに物凄い勢で直立した其の音が自動車のエンジンの音だ.その時彼方此方に「津浪だー」「津浪だー」の声 あとは無我夢中子供を二人抱へて上の山に立つて居る自分を知った
三陸津浪動向調査票ノ一
ー、各項トモ出来ル丈詳細ニ記入アリタシ
二、字ハ明瞭ニ書クコト
三、遭難ガ船上ナラザルトキハ四、五及ビ六ノ項ハ記入ノ要ナシ
一 調査項目
海岸ニ於ケル津浪襲来遭難ノ状況
調査資料提出者(氏名及ビ年齢記入)
岩手県上閉伊郡大槌町安渡 阿部山鉄太郎 二一才
三 遭難場所
大槌浦漁業組合
四 遭難船名又ハ漁具名
ー
五 右ノ所有主又ハ経営者
ー
六 乗組員又ハ従業員氏名
ー
三陸津浪動向調査票ノ二
一、字ハ明瞭ニ書クコト
二、一枚ニ記入シ終ラザルトキハ何枚使用スルモ可、ソノ折ハ紙毎ニ番号ヲ記入スルコト
七 遭難目撃状況ノ詳細ナル調書(説明上必要ト認ムルトキハ地図ヲ添付セラレタシ)(第 号)
はげしい勢で今にも家が潰れるかと思ふ位ひ地震が起つた海を隔てて小枕山の上一面に音光がボート浮きたつたと見る間にまた元の暗黒上、微かに津浪だの声が聞こえたので直前の海に注意すると並んで居た発動機船が一様に流れて■を変えた其の時は沖の方から地上より五六尺高の浪が勢よくよせて来る
逃げる間もなく共同販売所の前に発動機船が飛んで来る事務所に襲来した波で前面破潰せられ引き波に外に押出され止むなく浪に泳いで居ると二回目の襲来で又事務所に寄せられた幸ひ柱にすがつて事務所の階上に落ついた何が何だか只夢の様 二階から暗をすかして見る.三回目の襲来がさほどでもない 夜明迄に六回もやつて来たが段々波の高さがへつて平常に復した
一番ひどいのは二回目の襲来であつた 共同倉庫の中を見るとコンクリートたたきがめちやめちや底の方からブクブク海水が浮き上がつて居る
三陸津浪動向調査票ノ一
ー、各項トモ出来ル丈詳細ニ記入アリタシ
二、字ハ明瞭ニ書クコト
三、遭難ガ船上ナラザルトキハ四、五及ビ六ノ項ハ記入ノ要ナシ
一 調査項目
海岸に於ける津浪襲来遭難の状況
調査資料提出者(氏名及ビ年齢記入)
岩手県九戸郡長内村大字長内 勝田盛弘 三十一才
三 遭難場所
岩手県九戸郡久慈濱洲
四 遭難船名又ハ漁具名
ー
五 右ノ所有主又ハ経営者
ー
六 乗組員又ハ従業員氏名
ー
三陸津浪動向調査票ノ二
一、字ハ明瞭ニ書クコト
二、一枚ニ記入シ終ラザルトキハ何枚使用スルモ可、ソノ折ハ紙毎ニ番号ヲ記入スルコト
七 遭難目撃状況ノ詳細ナル調書(説明上必要ト認ムルトキハ地図ヲ添付セラレタシ)(第 号)
岩手県久慈湾工営所事務所は久慈浜洲(久慈川と汀との中央)に建築せられたるを以て三月二日夜当直を直として全事務所に宿泊せり 今夜は等輩四五名と雑談後午前一時頃寝に就けり幾程をも経ぬ中に強震に起され再び就寝したるに不思議や浪の音漸次弱まり.はては注意せざれば殆ど聞き得ざる迄になれるを以て何となく津浪の予感に襲はれつつ一人戸外に飛び出し沖方を眺めしに水は立掲りて雲を摩するが如く白浪滝の如くに見え初めたるを以て其のまま久慈川橋を目指して走り逃げたるも遂水に追い付かる然れども幸いに橋側の高所に辿り付きたるを以て辛じて逃げ一命を助かりたり.
因みに最初水は単に溢れたる如くに押し寄せこの際既に建物等をば破壊したるものらしくこの水の引きぎはに初めて大浪は打ちたる如く覚ゆ.
三陸津浪動向調査票ノ一
ー、各項トモ出来ル丈詳細ニ記入アリタシ
二、字ハ明瞭ニ書クコト
三、遭難ガ船上ナラザルトキハ四、五及ビ六ノ項ハ記入ノ要ナシ
一 調査項目
津浪地震前日の唐丹湾口ノ海况異変
調査資料提出者(氏名及ビ年齢記入)
岩手県気仙郡唐丹村十白濱 内海留三郎(五二歳)
三 遭難場所
岩手県気仙郡唐丹村唐丹湾(別紙異図参照)
四 遭難船名又ハ漁具名
無動力小漁船(船名ナシ) 礁底小延縄
五 右ノ所有主又ハ経営者
本調査資料提出者 内海留三郎
六 乗組員又ハ従業員氏名
乗組員二名
内海留三郎(五二才) 吉田国三郎(一四才)
三陸津浪動向調査票ノ二
一、字ハ明瞭ニ書クコト
二、一枚ニ記入シ終ラザルトキハ何枚使用スルモ可、ソノ折ハ紙毎ニ番号ヲ記入スルコト
七 遭難目撃状況ノ詳細ナル調書(説明上必要ト認ムルトキハ地図ヲ添付セラレタシ)(第 号)
(一)三月二日午後五時頃唐丹村小白浜港出港唐丹湾口■称大建ノ鼻地先にいたる(手漕ぎ)
(二)此の地点より延縄を入れ始め八鉢(此ノ延長八〇〇尋)を投縄し終りたるは午後六時二十分頃なり
(三)此の晩下げ潮極めて急にして揚縄■難なり平常縄待ちして八時より揚縄開始■れば九時半に終此り所要時間一時間半なるも今晩は二時間余を費して辛うじて揚縄せり
此の間八時より二鉢半程上げる時廿分程下げ潮が浣み次に急調の揚潮あり再び揚縄困難と■り此の間次の二鉢半を上げたり斯くて又暫時汐の淀みありて下げ潮上げ潮急なる事数次に及び海况全く平常と異れり
(四)帰宅せんとせる時は投縄地点より北を東の方に漂流し本船は対岸の俗称桐ヶ柵に近き住置にあり作業中北西方に見えたる花露辺部落の照明は全く見えざる程■り
(五)桐ヶ柵より小白浜まで本船にて平常四十分を要するに今晩は一寸の間に帰着.急なる上げ潮に乗りたるものと推量す(二交目の音響強烈に感ず)此の間白崎及中網の地店通過の際花露辺の方に異様の音響を聞く
(六)桟橋にて漁獲物を揚げんとする時三尺五寸余の汐の上下あり帰宅して就寝中次で地震津浪の襲来に遭ふ
(七)此の夜風は西の微風にて星空漁獲は好調子にて平常の三倍に近し
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三陸津浪動向調査票ノ一
ー、各項トモ出来ル丈詳細ニ記入アリタシ
二、字ハ明瞭ニ書クコト
三、遭難ガ船上ナラザルトキハ四、五及ビ六ノ項ハ記入ノ要ナシ
一 調査項目
地震津浪襲来直前ノ状況及湾口津波ノ状況
調査資料提出者(氏名及ビ年齢記入)
岩手県気仙郡唐丹村 内川耕三(五三才)
三 遭難場所
岩手県気仙郡唐丹湾口死骨崎付近
四 遭難船名又ハ漁具名
無動力小漁船(船名無し)礁底魚小延縄
五 右ノ所有主又ハ経営者
岩手県気仙郡唐丹村 下野四郎吉
六 乗組員又ハ従業員氏名
乗組員 三名
下野四郎吉 (五二才)
内川耕三 (五三才)
水上芳太郎 (三四才)
三陸津浪動向調査票ノ二
一、字ハ明瞭ニ書クコト
二、一枚ニ記入シ終ラザルトキハ何枚使用スルモ可、ソノ折ハ紙毎ニ番号ヲ記入スルコト
七 遭難目撃状況ノ詳細ナル調書(説明上必要ト認ムルトキハ地図ヲ添付セラレタシ)(第 号)
(一)三月三日午前二時頃唐丹村大石港出港延縄ノ目的ニテ手漕ギ死骨崎ニ向フ
(二)途中海上平穏(出港前迄ハ北偏セル西風・微風アリ海面多少波立テリ)大建地先ニテ強烈ナル地震ヲ感ズ(直チニ県道工事中ノ箇所ニ山崩レノ起ルベキ事ヲ予想セル程ノ地震)
(三)海上ニ於テ地震ヲ感ズルニ普通ハ縦(上下動)ニ感ズルモ此ノ地震ハ横(水平)ニ感ズ
古老ノ言ニ依レバ最モ警戒ヲ要スル類ノモノナリ
(四)死骨崎ノ陸ヨリ約拾五、六間ノ海上磯際ニ投縄開始セルニ汐ノ流レ早ク投ゲ縄中手ニ釣鈎ヲ刺ス事数次斯クスル内附近ノ大浅根小浅根一時ニ波折レタルヲ見タリ
出港時ノ海上ノ様■ニテハ斯クノ如キ浪ノ折レル筈ナクイブカシク思フ.普通此ノ根ノ一時ニ波立ツハ年ニ数回ノ大時化ノ場合ノミナリ.湾奥ノ丘ニ所々焚火ヲ見タルモ本船ハ津浪ナルコトヲ知ナズ縄持チシテ仮眠シ稍アリテ掲縄開始セル時吾々ヲ遭難セルモノトシテ部落ヨリ仕立テタル捜索船来リ始メテ大津波ノアリタル事ヲ知ル
(五)斯テ帰港ノ途ニツケバ木材其ノ他ノ漂流物ニテ航行容易ナラズ辛ウジテ帰着セリ
(六)海鳴ハ波ノ音ニサヘギラレタル為カ確知セズ
(七)尚同漁場ニ遅着セル同僚船(発動機付)ハ此ノ波ヲ大鯨ト感違ヒシ辛ジテ渦中ヲサケ無事ナル事ヲ得タリト云フ
三陸津浪動向調査票ノ一
ー、各項トモ出来ル丈詳細ニ記入アリタシ
二、字ハ明瞭ニ書クコト
三、遭難ガ船上ナラザルトキハ四、五及ビ六ノ項ハ記入ノ要ナシ
一 調査項目
地震後津浪襲来直前ノ状況
調査資料提出者(氏名及ビ年齢記入)
岩手県気仙郡米崎村字脇之沢四番地ノ一 金野宮五郎(五三)
三 遭難場所
岩手県気仙郡米崎村字脇之沢海岸
四 遭難船名又ハ漁具名
ー
五 右ノ所有主又ハ経営者
ー
六 乗組員又ハ従業員氏名
ー
三陸津浪動向調査票ノ二
一、字ハ明瞭ニ書クコト
二、一枚ニ記入シ終ラザルトキハ何枚使用スルモ可、ソノ折ハ紙毎ニ番号ヲ記入スルコト
七 遭難目撃状況ノ詳細ナル調書(説明上必要ト認ムルトキハ地図ヲ添付セラレタシ)(第 号)
一.地震直後津波ノ襲来ヲ予感シ屋外ニ出テ海上ニ注意セルニ約十分後南東ノ方向ニアタリ探照燈ノ光ニ似タル連続二回ノ光ヲ見同時ニ大音響アリ
二.之レヨリ約十分後海面忽チ引汐ニテ岸ヨリ約六十米許リノ地点マデ干上リタリ(此ノ地点ハ平時満潮ニテ水深約六米位)此ノ時津浪襲来ヲ確知シ後ノ鉄道線路上ニ避難ス
三.次イデ約二十分後津浪襲来セリ
三陸津浪動向調査票ノ一
ー、各項トモ出来ル丈詳細ニ記入アリタシ
二、字ハ明瞭ニ書クコト
三、遭難ガ船上ナラザルトキハ四、五及ビ六ノ項ハ記入ノ要ナシ
一 調査項目
地震津浪襲来直前ノ海况
調査資料提出者(氏名及ビ年齢記入)
岩手県気仙郡米崎村 菅原利久(二八)
三 遭難場所
岩手県気仙郡米崎村字沼田海岸(自宅)
四 遭難船名又ハ漁具名
ー
五 右ノ所有主又ハ経営者
ー
六 乗組員又ハ従業員氏名
ー
三陸津浪動向調査票ノ二
一、字ハ明瞭ニ書クコト
二、一枚ニ記入シ終ラザルトキハ何枚使用スルモ可、ソノ折ハ紙毎ニ番号ヲ記入スルコト
七 遭難目撃状況ノ詳細ナル調書(説明上必要ト認ムルトキハ地図ヲ添付セラレタシ)(第 号)
一.昭和八年三月三日拂暁前熟睡中激震ノ為ニ眼ヲサマシ家族ハ安全地帯ニ避難セシメタリ
(斯ル場合津浪ヲ予期セザルベカラザル事ヲ古老ニ聞キ居リシニヨル)
二.自分ハ貴重ナル家財ヲ裏二階ニ運ビタリ(二十九年ノ津浪ノ際一家避難シテ助カリタル場所ナリ)
三.軈テ海岸ニ出テ海上ヲ注意シタル時唐桑崎ト覚シキ方向ニゴウゴウタル響ヲ聞キ海上ヲ注視セルモ暗夜ニテ確認シ難キモ高サ二丈余リノ黒波自分ノ前方海上約四十米許リノ処ニ現レタルヲ以テ津浪々々ト絶叫シツツ家中ニ飛込ミタル刹那激浪ノ自家ニ襲来セルスサマジキ勢ヲ感ジツツ二階ニ上リ安全ナル事ヲ得タリ
四.地震後津浪襲来マデ四十分位ヲ経過セルモノノ如シ
三陸津浪動向調査票ノ一
ー、各項トモ出来ル丈詳細ニ記入アリタシ
二、字ハ明瞭ニ書クコト
三、遭難ガ船上ナラザルトキハ四、五及ビ六ノ項ハ記入ノ要ナシ
一 調査項目
地震後津浪襲来直前ノ状況並遭難ノ状況
調査資料提出者(氏名及ビ年齢記入)
岩手県気仙郡廣田村漁業組合共同販売所 鈴木博(十九才)
三 遭難場所
岩手県気仙郡廣田村字泊海岸
四 遭難船名又ハ漁具名
ー
五 右ノ所有主又ハ経営者
ー
六 乗組員又ハ従業員氏名
ー
三陸津浪動向調査票ノ二
一、字ハ明瞭ニ書クコト
二、一枚ニ記入シ終ラザルトキハ何枚使用スルモ可、ソノ折ハ紙毎ニ番号ヲ記入スルコト
七 遭難目撃状況ノ詳細ナル調書(説明上必要ト認ムルトキハ地図ヲ添付セラレタシ)(第 号)
一.昭和八年三月三日午前二時五十四分ヨリ激震アリ家屋倒壊セザルモ皆屋外ニ逃レタリ(震動四分位)
二.地震後約五分位ニシテ海濱ニ出テタルニ風ナク海上ハ油凪ヲ呈セリ
三.此ノ時鮫刺網ニ出漁準備中ノ漁船アリ(ラ曲村佐々木大三郎所有漁船第三新山丸拾九屯)
四.其の後約十二,三分(震后約二十分位)ニシテ東方ニ爆音ニ似タル大音響アリ恰モ大砲ノ爆裂スルガ如ク(時刻三時十六分頃カ)
五.之ヨリ約二分後再ビ海辺ニ出テ見ルニ海況異変ナシ而シテ約六分間経過セル頃異様ノ騒音(風ノ吹キ来リテ草木ノ枝ヲ競フガ如キザワメキ)ヲ感ジタルモ未ダ海上変化ナシ
其ノ後約四分位ニテ三度海辺ニ出ントシタル途中前記漁船ヨリ「津浪ダ」ト叫ケブヲ聞キタリ
六.其ノ後間モナク(四分位カ)防波堤状ノ黒線ニ線(間隔約百五十米)海上ニ現ハレ恐シキ勢ヲ以テ海岸ニ押寄セ来ル(爆発後約十三ー十五分位.震後約三十分位)之第一波時刻三時二十八分位
七.此ノ波ハ連続三回ノ波ノ内最モ小ニシテ家屋ノ倒壊■キ様子ナリシモ小船ノ破壊ス音ト沖ノ方ヨリ小石ノ崩ルルガ如キ物凄キ音アリ
八.第二波ハ之レヨリ約四分ヲ経テ(三時三十三分頃カ)襲来家屋ノ倒壊流失シ行クモノ夥シク人畜ノ叫喚亦凄惨ヲ極メタリ
九.第三波ハ次イデニ三分ヲ経テ襲来木材等ノ相衝突スル音最モ大ナリ
十.此ノ波引キタル直後三時三十八分ー四十分頃海辺ニ出デタルニ東天僅カニ白ミタルモ灯ニ依ラザレバ物ノアヤトモ分タズ寒気愈々身ニシミ倒家ノ下敷トナレル人ノウメキ苦シム声切ナリ(時刻ハ共同販売所ノ掛時計及自分ノ腕時計尋ヨリ推定)
十一.湾内ニアリテ「津浪襲来」ヲ報ジ全部落民ノ避難ニ多大ノ貢献ヲ為シタ前記第三新山丸船員ノ話ニ依レバ地震後俄カニ海水ノガウガウト云フ音響ト共ニ三十間以上ノ干潮ヲ呈セルニヨリ津浪ノ襲来ヲ感知シタリト波ノ高サ十二ー十五尺程度(泊湾ノ中央ニ於テ)
十二.第三新山丸ヨリ先ニ出港セント泊港ヲ出帆セル漁船二隻アリ其ノ船員ノ諮ニヨレバ爆音ノ数分後大ナル「ウネリ」ニ逢ヒ海面ハ白ク泡立チ泡ハ海底ヨリ盛リ上ルガ如ク感ジ潮流急激ニシテ一時操舵全ク困難ナルコトアリタリト
昭和八年三月三日 [三陸津浪動向調査]
(注、これは気仙出身の菊池武人氏が古本屋で昭和六十三年以前に発見したもので現在、大船渡市立図書館に保有されている。これは農林水産局で調査したものらしい。
又、同封に写真集も発見されている。
調査項目は七ツで以下の通り
一、調査項目
二、調査資料提出者(氏名及ビ年齢記入)
三、遭難場所
四、遭難船名又ハ漁具名
五、右ノ所有主又ハ経営者
六、乗組員又ハ従業員氏名
七、遭難目撃状況ノ詳細ナル調書(説明上必要ト認ムルトキハ地図ヲ添付セラレタシ)
編集に当り無記入の項目は削除し 項目番号でどの番号かわかるようにした)