第1編 論文
日本海中部地震における津波災害の特性
岩崎敏夫***・中村武弘**・伊藤■*
1.はじめに
まづ表一1に日本海中部地震諸元を示す。
表一1.
(東北大・平沢朋郎教授による)
図一1に東北大学理学部地震予知観測センター・弘前大学にて観測の余震々央分布を示す。図一1(a)は5月26日〜31日,(b)は5月26日〜7月31日である。これにはさらに等深線がえがかれており,余震域は2000rnより3000mの部分に逆くの字型に分布している。従って,断層線はほぼ3,000m等深線に沿いその東側で隆起した低角逆断層ではないかといわれている。これにさらに各地の津波到達時刻より求めた逆伝播図を重ねると,200m等深線では沈下し,余震域で隆起している。
このような地表運動の結果津波が発生したのであるが,今回は史上始めて,各地でビデオ記録がとられたことは画期的なことであった。綜合的に云えることは男鹿半島より能代,峰浜,八ツ森に至る海岸ではソリトン分散波群を先導波とする第1波が襲来しており,その南側の船川,秋田海岸および,津軽半島西岸,北海道渡島半島西岸においては,そのような現象は生じなかったということである。
東北大学津波防災実験所では調査班を組織し,昭和58年5月28日より6月3日迄第1回,6月9日より11日まで第2回,6月22日より25日迄第3回,7月3日より7日迄第4回と被害の実態や痕跡,ビデオや写真の資料蒐集をおこなったが,その後数次にわたって調査をおこなった結果,今次津波と,災害の特性を明らかにすることができた。本論文はその特異性を考察して,津波防災の方策に資せんとするものである。
2.波源域の大きさと地盤変位
波源域の推定式としてWilson,飯田,岩崎らの提案をまとめたつぎの関係がある。1)
式(1)
式(2)
式(3)
式(4)
式(5)
式(6)
ここにm,Mは津波と地震のマグニチュード,epsilon ,l,a,b,Sは波源楕円の離心率,焦点問距離(km),長径(km),短径(km),面積(cm2)。Etは津波のエネルギーでton-mである、.今次の地震マグニチュードM=7.7を用い,(1)〜(6)によって波源域諸元を求めるとつぎのようになる。
m=1.657,l=76.13km,epsilon =0.7243,a=52,55km,b=36.24km,S=5983km^2Et=2.529×10^11ton-m平均上昇高 xi 0(m)は式(7)
図一1中にここにえられた波源域の範囲を実線で示したが,これと余震域とを比較すると,今回は南北に伸びた形状であることが目立っており,この点でも三陸沖と異なった特性をもっている。
3.能代海岸におけるソリトン分散波
前述したように男鹿半島より北,能代,峰浜,八ツ森附近までの海岸にはソリトン分散波が来襲した。これは今回はじめて記録された為に判明した極めて特徴のある特性である。
しかし,理論的には孤立波が急な崖をかけ上って大陸棚上をある程度走ると,ソリトン分散が生じることはかねてより指摘されている。
いま孤立波の波長L1をbに等しくとり,上の計算より,L1=36kmと仮定する。Mason,Keuleganの実験では次式が提案されている。
式(8)
ここにd2は大陸棚上の水深で,ここでは100mとする。(8)よりa1>(2d2)^2/L1=(2x100)^2/36000=1.1mすなわち海洋中での振巾1.1m以上ではソリトン波に分解する。さきに式(7)でζo=9.1mとなったが,余震域を勘案して,長軸長が2倍とすれば,S=11966km^2となり,(7)よりxi 0=6.437mいづれにしても海洋中での振巾は過大でソリトン分散をしたことが裏づけられる。
4.津波災害の特性
a)加茂青砂における学童の遭難
b)十三湖における釣人の遭難
c)男鹿水族館における津波の来襲と避難
d)峰浜村六脚ブロックの散乱
e)能代港ケーソン流失と災害
a)加茂育砂における学童の遭難
図一2は合川南小の学童13人が遭難した加茂青砂海岸の見取図で写真一1にその情景を示す。道路Aは海岸より約10mの高さで,写真一1はその位置よりとられたものである。
地震時一行はマイクロバスに乗ってBの坂道を下りつつあった。バス内にあった為に地震動をさほど感じなかったこと,津波の経験がなかったことの為にCの岩場で弁当を使い出した。実は一行の予定は後述の男鹿水族館にて昼食をとる予定であったのが,附添の父兄が加茂育砂が美しい,というので予定を変更し,わざわざ,まるで運命の手に導びかれるようにこの海岸へ来たのであった。後から考えると,マイクロバスの運転を父兄が引受けていた為に,容易に予定変更ができたことも,運命のシワザであったように感じられる。
ところで一行は児童45人,先生2人,運転を引き受けた父兄2人の計49人であった。
地元の人友真悦氏(47)の談によれば,地震があって15分位で,まづ30cm位引いた後に,いきなりウワッと足元から水が上ってきて,浜で子供が全部一度に浮いたと思ったら,今度はサーッと一気に沖へ持ってかれたという。さらに佐々木喜一郎氏(65)によれば,「水面がふくらんで7mぐらいの高さになった。防波堤の高さは4mだけれど,波は
防波堤を越して,ドドッと寄せてきた。湾の中はゴーゴーと渦を巻いた」そしてほとんどが沖に見える小島の附近で浮いており,ここで49人中36人が救助されている。(写真一2)
以上の事実によって,今回の遭難に関しつぎの諸点が指摘できる。
(1)加茂青砂における津波は,ソリトン波のように前面がきり立ったものでなく,小さなひき波の後に急速に水面が上昇したものである。
(2)この為退避が間に合わず,津波で浮上すると同時にひき波で沖へさらわれた。
(3)小漁港D内ではひき波の際に渦を巻いた。
(4)沖合300m附近まで流されたけれども,その附近では流速が緩慢で漂流できている。そしてここで約3/4の人数が救助された,という事実から,もし,学童らが救命具をつけていたならば,ほとんど全員が助かったのでないかと考えられる。
従来,津波にさらわれたらもはや命がないという考えが強かったと思われるが,津波にさらわれても,流速の早い区域は汀線附近に限られており,無限に海中へ漂い出すということはないので,流速の遅い沖合にまで流された後に助かる可能性は極めて高いと考えられるのである。
b)十三湖における釣人の遭難
写真一3〜8は,育森県市浦村役場奈良典昭氏撮影の津波襲来時の状況である。氏は津波警報をうけた後,見廻りに出かけて,0:35頃,十三湖内で写真一3〜4の津波を発見している。0:45頃,岩木川河目に襲来する津波を,トーる橋上より発見し,一連の津波を撮影した。この間,写真説明の通り,6人が波にのまれ,内3人が水死した。われわれは写真一5〜6をもとに,写真一5に写っている後尾の人物が写真一6の位置で波に呑まれる瞬間迄に走った距離を測定し,88mを得た。さらに写真一7の津波のフロントが右側から走っていることに着目し,写真一5でのフロントの位置を推定して,このフロントの走った距離を測定し,99mを得た。人物が漁具などを両手にプラドげている状況より判断して,逃げる速度を推定したところ,この間37秒を要しており,人間は2.38m/sec,波のフロントは2.67rn/secという意外な低速となる。フロントにおいて,フルード数が2という条件を仮定すれば,水脈の厚さは18cmということとなる。従って,最初の水脈は薄いけれども,写真で見る通り,じきにその厚さが増して腰から下を没し去り,流されてしまっている。
後に判明したところでは,流された人のうち救助された人は,十三橋を越して,十三湖内の流速の減少した水域でただよっていて助かっており,もしを三湖の水域がない通常の河川であったならば,引き潮で海へひき込まれたものと考えられる。
この一連の事象よりつぎのことが指摘できる。
(1)写真一5に見える河口附近の展望台は屋根に通じるハシゴが備えてあった。もし,釣り人が高所に避難していたら,全員助かっていたはずで,津波の際,高いところに上ることが大切であることが,ここで示されてい
る。
(2)津波のフロントが水脈が浅くて,釣り人は案外危険が迫っていることを感じなかった様チである。写真一5の最後の人はバイクを押しており,写真一6の人は津波に呑まれる瞬間もなお,クーラーを放していない。もし全速力で走っていれば,完全に逃げおおせたかも知れない。
(3)津波は河口から追いかけて来たのでなく,右手の砂丘を越して横から捕えている。
高いところを乗り越えて来た津波の方が早く走っていることに注意を払わねばならない。
c)男鹿水族館における津波の来襲と避難
写真一9〜14は,鈴木建設KK.勤務の佐藤繁信氏撮影の連続写真である。当時男鹿水族館勤務の細井歳春氏はかつて新潟地震に際会して津波を経験していたので,沖の方を注視して警戒中,津波に気付き,直ちに館内放送で約100名の入場者を退避させた。ついで,館外に出て写真一9の撮影位置よりハンドマイクにて退避方を呼びかけた。これが地震後13分前後のようであり,写真一9はその直後の模様である。写真一9〜13を見ると,ここでも津波は急激な水位上昇を行なっており,ソリトン分裂のような現象は見られない。さらに筆者らの測定によると,写真一
10の向い側斜路を大人が馳け登るのに30秒前後を要しているから,写真一10と写真一11の時間々隔は15〜20秒位かと考えられる。
もし,各フィルムの撮影間隔がほぼ30秒であったとすると,津波による水位上昇がいかに迅速であったかがわかるし,さらに写真一12と写真一13より見て,津波の最大遡上の瞬間にはすでに引き潮が始まっていて,いったん浮遊した場合には,直ちにさらわれてしまう。
しかし,細井氏の避難誘導が効を奏し,ここではスイス人女性マグダレナさん以外の,駐車場附近にいた約100名の観光客が助かっている。
この事例よりさらにつぎのことが教訓として浮び上ってくる。
(1)高台で見張っていて,避難誘導を行なうことは極めて有効である。この際,ハンドマイク(充電を怠たらない。)は強力な武器である。従来,警報サイレンなどの大規模な警報施設が要望されていたが,ハンドマイクのような手軽な警報装置を多数設置することの方が有効である。
(2)前述,加茂青砂の事例と比較した場合,海辺に住む人々の,観光客など,土地の事情に通じない人々に対する配慮の有無が,明暗を分けたと考えられる。それでもなお,スイス人を救えなかった,ということは,大きな教訓として残された問題である。
d)峰浜村六脚ブロックの散乱
写真一15に見られるのは峰浜村における三連ブロックの津波による散乱である。同ブロックは砂浜の洗掘防止のために秋田県河川課で設けられた4トン型で図一3のような断面であり,図一4の平面図に示すように延長960mにわたって完成していた。表一2に被災諸元を示す。図一4にまた,散乱範囲概要を示す。すなわち70〜135mにわたって散乱した。
津波がこのような被害をもたらしたことに対し,岩崎ほかは水理模型実験によってその原因を検討した 4)。この結果によって,峰浜村ブロックの被災状況を推察すると,この海浜には,3列ソリトンが来襲したのではないかと考えられる。すなわち第1列ソリトンの砕波は遥か沖合であり,その砕波の残した水塊による水位L昇の為に第2列ソリトンの砕波点は岸に近づき,さらに第2列砕波の残した水塊による水位上昇の為に,第3列ソリトンは丁度汀線直前で砕波した。このような状況では砕波前後の流速は著増し,汀線附近に設置のブロックが飛散したものと考えられる。
実験によると汀線波高と遡上高さとは線型の関係にあるから,峰浜村で観測された最大遡上高さR=15mとすれば,汀線での最大波高はHs,max=0.5R=7.5mとなる。
八ツ森海岸で巨大なソリトンのフロントがビデオで撮影された。(撮影者・平河真,信太弘毅両氏)しかし,そのわりには汀線直後の家屋や工事用機材は被害を受けていない。両氏に直接会って聞いたところによると,このフロントは第2波であったということであり,砕波は,撮影直後に生じたことが推定できる。
その位置は,汀線沖合500m程度と考えられるので,第2波ソリトンは砕波後急激に波高を減少して行ったものであろう。また,この海岸でのソリトンは第3波以降は非常に小さいものであったに違いない。
このことからもソリトン分裂波群の作用は,1波1波に着目するのでなく,ソリトンに分裂する以前の孤凱性段波全体に着目することが必要であると考えられる。
e)能代港ケーソン流失と災害
能代港では当時東北電力能代石炭火力発電所の用地造成,北防波堤築造工事が行なわれていた。写真一16に能代港全体図を示す。火力用地護岸工は図一5に示すような870m x1,900mの長方形区割の締切りで施工途上であった。A護岸,D護岸におけるケーソン被災状況は五洋工区22函中8函(水没6函,傾斜1函,移動1函),西松工区26函中11
函被災(水没6函,傾斜1函,移動4函),東亜工区20函中19函被災(傾斜5函,移動14函)であり図一5中に示した。
当時の作業人員306名中34名(船1二9名,護岸上25名)の死者を出し,稼働船67隻中40隻,陸上機械6台中6台全部が被災した。
まづ人員の遭難の特徴を見ると,船上では被災人数226名中9名4.0%で,船舶被害率(40÷60)x100=66.7%に比して著じるしく低い。操船については船長の半分以下の波高であれば舳を波の来る方向に向けて乗り切ることができる。しかし,これ以上の波高では,船は波の来襲によって宙返えりをするという話を聞くことができた。また遭難
者の大半が潜水中であったということで,この場合の避難の困難さを物語っている。これは将来充分検討すべき課題である。なお,死者を出した船の諸元を表一3に示す。
また表一4に船舶及び陸上機械被災内訳を示す。潜水士船のほかに起重機船,杭打船,台船,揚錨船など自走能力が無いか,小さいもの,通船など小型船舶に被災が集中しており,グラブ付自航運搬船は大部分津波を乗切っている。写真一17,18,19にその状況を示す。
ケーソン被災の状況は写真一20〜23に示す。写真一20はA護岸中央のケーソン水没箇所,写真一21はD護岸のケーソン傾倒及び移動箇所である。また,写真一22,23は水中写真である。
図一6は,ケーソン移動状況の一例である。
ケーソン被災状況は大別すると4種類にわけられる。
標準断面を5洋16号函で例示すると図一6のようで,図中太い実線のようにケーソンは巾11m,高さ8.5m,長さ20mであって,前面に30トンの6脚,三柱またはテトラブロックが積まれ,裏側には5〜15cmの裏込栗石が1:1.2の法勾配で積まれることになっている。ケーソンの下面には200〜500kg/個の基礎捨石,また消波ブロック下面には1個1tの石,根固としてフーチング前面に,2xO.8×4m,1コ15tonの方塊が据えられている。
ところで,若築建設工区および五洋建設工区中北より14号函まで,さらに西松建設工区中南より4〜13号函では,昭和57年度施工で前面消波ブロック及び後面裏込栗石が完工し,かつケーソンには上蓋コンクリートが施こしてあり,何等損傷をうけなかった。しかるに東亜工区1〜16号函と,西松工区1〜3号函は,昭和57年度施工であるにもかかわらず,前面消波ブロックのみで裏込栗石を欠いており,この構造物では移動,傾斜を生じて,写真一22の状況を呈した。さらに五洋工区15号函より22号函までと,西松工区14号函より21号函までは昭和58年度施工で前面消波ブロックも裏込栗石も未施工であったが,この区間が写真一20に示すように水没した。ケーソンの最大移動量は66mに達し,完全に上下逆になった。ことに中央2函は当日午前に中詰土砂の均しをおわったところで,写真一
23に見るように,鉄筋が露出した上,飴のように曲げられた。用地内海上台船上で作業中の大都工業KK.,伊藤,森田,稲葉三氏の証言によると,ケーソン天端+4.Omに対し第1波は越流深0.7mで,ケーソン上の人は落ちなかったが,第2波は,4.Omの越流でケーソン上の人は全部落ちたという。写真一24は北防波堤を越流する津波を示す。この
天端高はT.P.6.1mなので少なくとも,TP.6.2m程度の波が来ている。防波堤内側は,基礎天端一12.5mなので,明確にはいえないが,落差は10m程度ついていると考えられる。
このようにケーソンの構造の差違によって明瞭に被害に差が出たことは,あたかも実物実験を行なったようなものである。そこで,津波の流体力をこの構造設計の差違を利用して計算することが試みられている。)
5.結論
本研究の結果,つぎのようなことが判明した。
1)日本海中部地震による津波は,能代沖陸棚斜面における低角逆断層による海底変位により発生した。
2)能代沖の水深100m以浅の陸棚の存在によって,能代沖ではソリトン分散波群を生じ,それ以外では第1波は急激な水位L昇であった。
3)ソリトン分散波群を生じたところでは,砕波と,それに伴う流速増大とが動力学的効果を生じており,この作用が汀線附近で最大となった場所がある。
峰浜村の消波ブロックの飛散がその例である。能代港火力基地造成工事でのブロックの移動は,4m以上の越波による。
4)警報の早期伝達,周知努力の有無が被害に大きい差違をもたらした。
5)海辺における救命具の装着は,津波対策上極めて重要である。たとえ,津波に呑まれても救かる可能性が著しく増加する。
6)陸上を走る津波は,大人が物を携帯せずに逃げれば,逃げることのできる程度の早さである。しかし,いったん津波につかまると,津波は急激に水深を増すから,必らず流される。そして,直ちに引潮で海中へもって行かれる。従って,津波が来たら,持ち物を全部捨てて一生懸命走ること,もし何がしか高いところがあれば,そちらへ逃げることが大切である。
今次津波の波源域は陸岸に極めて近く,それだけに予報はあてにできなかった。この点は三陸津波と極めて異なった特性であるが,これらの特性を具えた津波は,わが国で能代沖以外にも発生する箇所があるかもしれず,そのような地域の有無を今後検討しておくことが大切であろう。
おわりに本調査を進めるにあたり,秋田県,運輸省,建設省,被災地各地のrl∫町村役場,東北電力能代火力建設所,報道機関の各位に多大の御協力を得た。ここに記して感謝の意を表する。
参考文献
1)文部省昭和58年度自然災害特別研究(突発災害)「日本海中部地震調査報告」(代表者,秋田大学・乗富一雄教授」2,1,本震前後の地震活動,高木章雄ほか
2)岩崎敏夫「設計津波の波源域」土木学会第20回海岸工学講演会論文集」(1973),pp,163〜166.
3)Street, R.L., Chan, R. K. C. and Fromm, J, E. The Numerical Simulation of Long Water Waves: Progress onTwo Fronts. Tsunam is in the PacificOcean, Ch.30, WM. Adams. ed. Hawaii
1970, pp.453〜473.
4)岩崎敏夫・真野明・永富政司・苫米地鋭「日本海中部地震における津波の流体力について」東北大学津波防災研究所報告第一号
5)島田真行・田中寛好「日本海中部地震による津波規模および被災状況の調査報告」1983-9,電力中央研究所上木研究所環境部構造水理研究所(速報)
***東北大学教授,工学部
**長崎大学助手,工学部
*秋田高専助教授
秋田県北部海岸における日本海中部地震津波
首藤伸夫*
*東北大学教授,工学部
1.はしがき
1983年5月26日正午秋田県西方沖合で発生したM7.7の地震は,日本海側としては近年稀にみる大きさの津波をともなった。津波の影響は,北海道から朝鮮半島までに及んだ。
近海津波の例にもれず,検潮記録紙上の津波は10分程度のものが多く,比較的短周期であった。
最大のうちあげ高は,調査の結果,能代の北,山本郡峰浜村の砂丘上でみいだされ,TP.14m以上であった。この地点は,男鹿半島の北側付根より北へ約55kmにも及ぶ長さの平滑な砂浜海岸内に位置している。過去の津波時の最大うちあげ高は湾奥で生じた例が多く,この点で今回の津波は大きく異なったということができよう。
津波発生当時,秋田県沿岸は晴天で完全にナギの状態であったから,数多くの人が津波を目撃した。写真,ビデオの類も多く撮影され,検潮器では検出しえない現象の証拠が集まった。
その結果,秋田県北部海岸では,有限振幅効果,分散効果がきわめて大きかった事が判明した。ある場合には完全な砕波状段波やエッジ・ボアとして来襲し,場所によっては先端部付近に周期10秒前後のソリトン波列を有し,そのいくつかはうちあげ直前に砕波したのである。
目撃者のほとんどが初めて津波を経験した人々であり,その証言が食い違うことも多い。
その原因は,ごく小さい波が先行したのを見落すこと,10秒前後の短周期成分が発達した場合,どの波を第何波と呼ぶかは場所と人により異なること,浜近くの低い位置での目撃では波来襲方向を誤認しやすいこと,襲来時間については確実な記憶がないこと,などによる。特に,第何波であるかということと来襲方向に関しては混乱が多かった。海岸線と津波波峯線が平行でない場合,浅い場所に到達した部分の波峯が砕けるとこれが顕著にみえるため,岸に沿って進んできたという目撃談になり勝ちであり,判断の際に注意を要する。
以下に,これらの目撃談をとりまとめ,秋田県北部海岸での津波の特徴をあきらかにする。
2.証言集
目撃談,写真,ビデオによる記録のうち,後の議論に使用するものを次にしめす。証言番号,場所と内容,出所の順にしめす。出所を記載していないものは,筆者の聞書あるいは文書による確認,および放映記録などにもとつく筆者の判断であることをしめす。
〔H-1〕八森町チゴキ崎潮がうずまいて海面が下がっていくように感じた。津波だと予感して岩場に登ったらその直後,すぐ下を波が通過した。あとで県つり連合会でその波の高さを計ったら,海面から約6メートルあった。……能代市向能代の無職Aさん(58)談。北羽新報6月11日。
〔H-4〕八森漁港直前弥栄丸でアマダイ漁から帰港中,漁港直前まで来て津波を発見した。北西方向,岩館のチゴキ灯台下の岩礁が襲われていた。あわてて津波に向って引き返した。津波はこの一波だけだったという。……後藤忠男氏談。北羽新報6月2日。
八森漁港沖約1km,水深25〜30mの所に居た。北の方から白い波が磯伝いに走った。電柱1本位の高さで,三日月のようにまくれてきた。まくれてしまうと半分位になった。
それでも5m位か。勾配は2割位。上の方は白い帯のようになっていた。……後藤忠男氏談。
〔H-5〕八森町真瀬川河口小川さんの声にびっくりして顔をあげた桜井さんはア然とした。4,5メートルもある波の壁が眼前にせまり,…ひと呼吸する間もなく,…海中に引きずり込まれた。…津波の返し波が桜井さんを強引に,しかもアリ地獄へでも引きずり込むように沖へ。ワラをつかむ思いで手を伸したとき,…小船に当たっだ。
手は水で滑るが,「これを離したら死ぬ」と船のヘサキをギッチリと握った。ほっとする間もなく次の波が桜井さんをのみ込んだ。…津波,返し波が行ったり来たり……。……桜井利助氏談。北羽新報6月11日。
〔H-6〕八森町茂浦,中浜第一波は職員室で見た。盛り上った水平線が真青になり,ついで白い一線になって海が2段にふくれあがった。雄島のフモトが見えた。引きが先行した。
第二波がきてまた引き潮が強くなり,漁船がひっぱりだされた。西からきた波が南の端から折り返すようにきた。第二波は…面にきて,ついで南西からきた。第二波のシブキは高くないが,水位が高かった。……能上光男氏(観海小学校教員)談。
〔H-7〕八森町茂浦,中浜,浜田第一波は北からきた。沖の方ではみとめられなかった。沖合が青くなったことがあるが,波はたっていなかった。防波堤(八森漁港)のシブキでわかった。12時15分頃であろうか。
第二波は南の方から先にみえた。北の方へのびてきた。第一波からは5分以上経っていたが10分まではかかっていない。第二波がひいてゆくと次の波と衝突する様にみえた。この小さいのも波でないかと思われる。第三,四波は浜田の方では白波をたてて,海岸線に45度位の角度で,南の方からきた。工藤英美氏(観海小学校教員)談。
〔H-8〕八森町茂浦,中浜,雄島および真瀬川内。
12時25分頃,八森町羽黒山バイパスより,南東位の方向を向いて撮影した。…加賀谷敬一氏(八森町役場職員)談。四枚組の写真があり,その一枚が写真一1である。風波程度と考えてよい短周期の波が存在している。
〔H-12〕八森町八森,椿台。12時15分頃,津波警報をテレビでみた。第二波は最大で12時25分頃と思う。三回目は南から来た。大きくない。どこかにぶっつかって帰ってきたようだった。第二回目と三回目とは,3分〜5分の間隔だった。
椿台には13時10分頃行き,ここに10分位居た。……山内清美氏談。
写真一2は山内氏撮影の椿台より南をのぞむ写真の一枚であり,南方から砕波段波の襲来する模様が記録されている。
〔H-13〕八森町椿台。テレビに警報が入った。12時15分頃か。お客が「津波ではないか」といった。水平線でなく,帯のようだった。
第一波は,北から来て南へ行った。第一波のとき,帯の先は能代の所でシブキを吹きあげた。第二の波はまず大きな引きがあった。
この方向は良くはわからない。…菊池リノ氏(鹿ノ浦食堂)談。
〔H-14〕八森町椿台。第一波は北から来た。これは会社(泊川河口左岸に存在する工場)の上をこえた。テレビで津波警報がでていた。海をみると真白な線がみえた。波でなく壁だった。…氏名不詳(鹿ノ浦食堂)談。
〔H-15〕八森町椿台。12時20分頃からビデオの撮影をした。この場所に来て津波のくるのを待っていた。第一波は家を乗り越えて行った。第二波は12時30分ごろだろうか。キレイというか絵にかいたようで全体的に白い。波の山ひとつのみ。非常に大きかったが第一波よりは陸へあがらなかった。波シブキをたてて,キレイにくる。
水平線が津波の蔭でみえなくなった。全体をおおうようにしてきたので,方向はわからない。……信太弘毅・平川真氏談。両氏は津波を予想し,高台となっている椿台で待ちうけていた。第二波はあまりにも大きかったので,撮影を中途で止めて避難したという。しかし第一波の引きと出会ったためか陸上へのうちあげは第一波より小さかった。
戻ってきて撮影再開したビデオには,短周期波が2列になって砕波している状況が認められる。
〔H-17〕八森町浜田。第一波は12時12分。沖が黒かったのに,パッと白くなった。北西から来たような感じ。第二波は真正面から来た。数分程度間をおいて来た。……諸沢実氏談。
第一波は12時16分〜17分頃か。白波が突然あらわれた。……諸沢耕悦氏談。諸沢実氏は海から離れた工場より砂丘の間を通して津波を警戒しながら眺めていた。諸沢耕悦氏は自宅西側の小砂丘の上で写真を撮影している。
〔H-18〕八森町浜田〜八森。12時15分頃4枚の写真撮影。八森町本館から南西の方向を望んで撮ったものである。…井川定雄氏私信。写真一3がその一枚であり,第一波である。〔H-20〕八森町八森。第一波は12時07分か8分頃,西の方から。青い色で線をひいたようにみえた。浜に行っ
たのは私が最初で,一人だけだった。潮浜温泉の脇の砂丘の上である。第二波は西より少し北の方から来た。一番大きかった。山からみた人は壁になってきたとみた。
第四波か第五波目だったか,岩館から来たのと沢目から来たのと沖から来たのと3つがぶっつかって大きくなった。……佐々木宣幸氏談。
同氏は三波目頃から写真を35枚撮影している。写真一4は,第五ないし第六波目を北の方を向いて撮ったもので,写真一5は同じ波を沖の方(西方)をみて撮影したものである。
写真一4は一段の砕波であるが,写真一5には2段の砕波が明瞭にみとめられる。
〔H-21〕八森町八森。12時20分頃,道路上で最初のショットをうつした。すでに田に水がきていた。これが一番大きい第二波だろう。田の中の船は第二波でうちあげられた。ビデオを持ち出したのは警報が入った直後であった。
浜に行ったのは2回目の本当に大きい波のずっとあとであり,ついた時には水は北から南へと流れていた。12時35分頃の波は真西から来た。……鈴木実氏談。
鈴木氏のビデオに撮影された12時42分頃の津波は南方より襲来している。岸近くの離岸堤に衝突する状態から判断すると,前面に3ケの短周期成分があり,第1,第2波は15秒間隔であって両者とも白く砕け,高さは離岸堤を丁度かくす程度である。第2,3波の間隔は21秒程で,第三波は砕けていない。
〔H-22〕八森町八森。地震から12,3分後,300m離れた浜へ出た。第一波の前の引きはなかった。第一波は環をなすようにして,左と右側は電柱位の高さで砕け,真中は砕けてなかった。ここを逃げた船がある。環がちぢまってぶっつかった所が潮浜温泉である。
2回目は沖から一直線になってやってきた。ここでは一番大きかった。3回目は弱かった。……菊地健三郎氏談。
〔H-23〕八森町八森潮浜温泉の沖合1.6〜2.0km,水深15〜16メートルの地点。午後零時18秒,地震が発生した時,滝ノ間の武田友雄さんはテリ漁から帰港,自宅に居た。揺れが収まって間もなく,テレビが津波警報を報じた。「警報が出たのは零時14分だった」とはっきり覚えている。八森漁港に係船してある持ち船芳丸まで必死に走り,同僚船に無線連絡。…出漁中の天祐丸に全船に連絡するよう頼んだ。「…連絡したのは零時20分ごろだったろう。漁協の無線より早かった。」
土屋さんは,この無線で津波の発生を知った。沖を見ると真西の方向から轟音とともに巨大な津波が襲ってくる。…全速力で津波に向って進む。走行時間は「約3分ぐらいだったろう。」
「波が空にあった」津波に向った時の「恐怖の瞬間」−音はジェット機が飛び立つ時以上だった。
土屋さんも波の壁に突進した際,船もろとも上空高く打ち上げられた。幸いなことに船は転覆せず,土屋さんもたたきつけられた所が船の上だった。
すぐ第二波が襲ってきた。すぐ船の態勢を立て直してこれに備えた。一波ほど強烈でなかった。
津波はこれで終りだった。がすぐ返し波だ。海全体が泡だった。……北羽新報6月2日。
〔H-24〕八森町八森の潮浜温泉の沖合約3km。それは第二波からわずか2,3分後だった。轟音とともに沖合から横一線に真っ白いまくれ波が襲ってきた。まさに波の山だった。一波,二波とは比較にならない大きさだった。
一波,二波と同じように波に船首を向けて乗り切ろうとした。だが三波は強烈だった。
波とぶっつかった瞬間,水平だった船は空に向って直角に持ちあげられた。…………同僚漁船と「地震だ」「津波だ」と無線連絡をしており,この交信が絶えたのだから遭難したと思って救助に来るはず……。
第四の津波はこなかった。…日沼幸蔵氏談。北羽新報6月19日。
〔H-25〕峰浜村萩の台スキー場より西南西を遠望。12時40分頃の写真三葉。防潮林を通って背後の水田に浸入した津波の沖に2段に砕波した短周期波が写っている。……松森尚文氏撮影。
〔Y-1〕米代川能代大橋下流。第一波の写真は津波警報が入ってから5〜10分の間に右岸で撮った。12時半よりは前である。……佐藤潔氏談。
ラジオかテレビで警報を知った人から聞いた。家から佐藤さんの居た場所にくるのに3分,それから5分とたたないうちに来た。一波目と二波目の間には時間があったが,10分とはなかった。
一,二,三波とも,蛇の鎌首のように立ってきて,お尻の方も高くなったままだった。…八木氏談。
写真一6が第一波で,完全な砕波状段波である。
〔Y-2〕米代川能代大橋上流。千田信之助氏が左岸から12時30分頃撮影したビデオには,高さ2m程の砕波段波の進行の模様がみられる。
〔Y-5〕米代川能代大橋・鉄道橋の間。写真一7はアジア航測株式会社が撮影した航空写真である。川の中州の南側は砕波段波であるが北側は波状段波に分裂している。水深の効果があるためか,波状段波の峯線は放射状をしている。
〔Y-6〕米代川河口沖合3kmの地点。1.5トンの小舟で操業中の本間昭也さんの体験談が次のように報じられている。零時25分,最初の大津波にもまれた。…それから2時間半の間に7回も津波に襲われた。…河北新報5月27日。
突然縦の激しい揺れ。…沖を見たら白い波が迫ってきた。「電柱3本分ぐらいの高い波が計7回も襲ってきた」。……一北羽新報5月27日。
「電柱2本分ぐらいの高さの高波が押し寄せてきた」。……毎日新聞5月27日。
〔N-23能代港。津波は目視されただけで8度も同港を襲い……。……河北新報5月27日。〔N-3〕能代港。大津波は……西北西から高さ6メートル,人によっては8メートルのビョウブのような灰色の水の壁となって直撃した。…東奥日報5月27日。
〔N-4〕能代港。津波らしいというので確認に隣の工区に行ったら船を出す手配をしていたので,あわてて走って戻ろうとした。何メートル走ったろうか,津波に巻き込まれた。…ディジタル時計は0:27で止まっていた。……田村雅義氏談。秋田さきがけ新報5月31日。
〔N-5〕能代港。その直後,沖の海に白くアワ立ったような津波の壁が立ち上がった。……津波は七波まで容赦なく押し寄せた。…毎日新聞5月27日。
[N-6〕能代港。零時15分,津波警報が出たと放送があった。大窪所長は2階へ駆けあがった。窓から見た港の沖の日本海は青いはずの海が白くなっていた。……朝日新聞5月27日。〔N-8〕能代港。
恐怖の高波は地震のあと25分後にきた。高さ6メートルを超す水の壁。…読売新聞5月27日。
〔N-9〕能代港。県能代港建設事務所職員によると「最初に目についた津波は北防波堤にぶっつかり波しぶきが散るぐらいだった。」……一回目の津波は地震発生約20分後で,その約5分後「今度は北防波堤をはるかに越える怒とうのような津波がきた。護岸にぶつかる直前にはゆう
に水深3メートルはある護岸の基礎がそっくりみえたほどものすごいウネリだった」。…秋田さきがけ新報5月28日。
〔N-12〕能代港。地震から25分後に,海中に沈設されているーソン(水上5メートル)を約2メートル超える津波……。地震があったのは午後零時1分。津波が襲ったのは,それから15分後だった。……潜水士船小林忠一さん…ラジオから津波警報が流れ,避難しようとケーソンに
結びつけているロープをはずそうとしたところ津波がきた。山のような高波だった。……「返し波」もひどく……。…北羽新報5月27日。
〔N-13〕能代港。昼……と間もなく,台船に積んである型枠が「ダンダン,ダンダン」と上下にバウンドした。船が横揺れし,べたなぎだった海に50〜60センチの白波が立っていた。…「津波がくるぞ一」……クレーンの運転席の上にあがり,ガントリーとよばれる鉄の棒につかまっ
た。高さは水面から5メートル。…「あっ」一気がついたら目の前に水があった。何十秒たったろうか。水の中から光がみえた。……水面はみえるのにその上に顔を出せない。…2度3度と押し寄せた大波…。……大高康伸氏談。北羽新報6月8日。
〔N-16〕能代港。ケーソンの上でトラッククレーン車を運転……。いつものように運転席で1人ラジオを聞きながら弁当を食べ,ラジオの時報が正午を告げる前に食べ終えた。激しい揺れ。……ラジオで…「津波注意報発令」と放送。ボリュームをいっぱいにした。まもなく「津波
警報」に切り変わった。……すでに沖に白い帯が迫っていた。目の前の青い海が盛り上り,白い波シブキを上げてきた。波の高さは海面から5メートルもあるケーソンと同じくらい。…クレーンにしがみついた。次の瞬間,海水で「ガクッ」と首があおられた。……
第一波はさった。…沖の方に目をやるとすでに第二波が約百メートルのところまで迫っていた。……白鳥信夫氏談。北羽新・報6月25日。
〔N-17〕能代港。写真一8は,県能代港建設事務所2階より望遠レンズをつけて撮影している。12時半すぎで,うつっているのは三波目以降であろうという。短周期成分のあることが確認される。
〔K-1〕男鹿市北磯。生徒が見つけた時は,まだ白くなかった。西の方角にみた。ビデオをとりはじめたのは12時12分から14分までの間である。画面にうつっている舟は無人で,津波が引きで始まったために流されたものだと後で知った。二波,三波は目立たなかった。……船木信一氏(北磯中学教員)談。
同氏撮影のビデオには,波長150m,波高3〜4m,の砕波した4ケの波状段波およびそれに続く未砕波の2〜3波の波状段波がうつっている。波の寸法は船木氏が画面上の船の大きさを漁師に聞いて推定したものである。ビデオ上で計測した周期は9〜11秒であった。
ビデオの映写速度は,器械により必ずしも一定しないようである。なお,この第一波はビデオ上で北磯通過約2分16秒後に申川に到達して大きく白くなったことが認められた。
〔K-2〕男鹿半島先端附近の北側。写真一9は関寅三氏が男鹿半島入道埼近くで撮影した第一波である。船木氏の北磯中学より約3km西方の地点であるらしい。時間は良くは判らない。6枚組の写真があり,波状段波の発達過程がとらえられている。
〔O-1〕若美町沿岸。写真一10は大場直利氏が男鹿半島の高台から若美町方面を撮影したものである。12時10分から15分位までのものという。第一波が右方から波状段波として戻っており,砕波段波として襲来する第二波と出会った瞬間である。同氏は同じ場所で同じ方向の写真を12時25分から30分の間にも4枚撮影している。砕波段波が海岸に押寄せる模様がみられる。……大場直利氏私信。
〔0-2〕能代より八郎潟へかけての海岸。秋田テレビが男鹿半島寒風山上空の飛行機上から北を撮影したビデオがある。高度400mであった。ビデオ中の時間は塔乗前にあわせたので正確であるという。12時43分頃,浅内沼前面あたりで入射波反射波が複雑な平面形状をしていることが読みとれる。(図一4参照)
以上が秋田県北部海岸での証言であるが,あとで参照する青森県岩崎での体験談を追加しておく。
〔I-1〕青森県岩崎村岩崎沖合。五トンの漁船で岩崎沖約2キロの地点。…突然,下から突き上げられるような「ガタ,ガタ,ガタ」という激しい揺れ。……そして無線に「津波警報」が飛び込んできた。……
30才すぎの若い船頭は,判断に迷い5分間ほど考え込んでいたが陸へと向った。……そこに岸からの大きな返し波がやってきた。沖からの津:波を恐れていたのに,大波は岸から襲ってきたのだ。船が波の頂に持ち上げられ,谷底に一気に落ちる。恐怖に包まれた。
波間に船がすっぽりと入り込む。視界は波だけとなる。立ったままで,振り落されないように船にぎっちりしがみついた。足が中に浮き,ガタッと甲板に落ちる。……10回ほどの大波を乗り越えたろうか。やっと波が収りかけた。……関戸広司氏談,北羽新報6月5日。
3.波形,到達時刻,来襲方向
以上の目撃談によって各地の津波を推定すると次のようになる。3-1.男鹿半島入道埼から若美町にかけての海岸。
第一波は入道埼から東の方向へ進行し,次第に波状段波が発生発達した。写真一9のとられた地点は北磯より約3km西方の地点である。この2地点間で短周期波は7個程度にふえ,前端の4つは砕波した。この4つの波は波高3〜4m,波長約150m,周期10秒前後である。北磯を12時12分〜14分頃通過,12時14分〜16分頃,若美町申川附近に到達した。
第一波が反射する状況は,12時10分〜15分の間に撮影された。写真一10に7枚のうちのひとつを示す。10波以上の短周期波が発達した波状段波が第二波と出会うところである。
この反射波と同じ状況は,県境に近い青森県岩崎沖でも体験された(I-1)。襲来する津波の先端に短周期波が存在せずとも,海岸附近に水の堆積が生じ,ついで沖側の水位が下って堆積した水との間に段差に近い水位差が出来たあと沖へ向って進行する波では,この種の波状段波が発生しやすい。
北磯では第二波,第三波は顕著でなかったといわれるが,写真一10には砕波した段波としての第二波が見られる。また,大場氏が12時25分から30分頃に撮影した4枚の写真にも同種の波がうつっている。
この食い違いの原因は,海底地形が北浦附近で変化すること,および海岸線の方向と津波来襲方向の関係,などにあるのではないかと考えられる。今後の解明が待たれる問題である。
3-2.八森町の海岸。
どの波を各目撃者が共通して見たのかが不確かであり,時刻の記憶が明瞭でないため,判断が難かしい。岸近くで眺めていた人の多くは第二波が最大であったといっている。ところが,八森漁港の沖合では船で感じられる波はひとつしかなかったという。小さな波が先行しても,水深25m程度の所では気がつかなかったのであろう。ただし,浅い所にくれば次第に波高が増し,目につくようになる筈である。水面が青くなった,あるいは黒くなったという表現がこれにあたる。広い範囲にわたって太陽光線の反射方向が変るからである。進行距離が長い程,また浅くなる程,波
高は高く,波前面の傾きは急になり,顕著な波として認められるようになる。
こうした事を考えに入れて八森町海岸の津波の特性をまとめたのが表一1である。同じ場所を見ていても矛盾がある。時間に関しては訂正のしようもなく,数多い証言から平均的なものをえらんで採用せざるをえない。
波形に関する矛盾は,遠望か近望かによることが多い。中浜附近で遠望している場合は波はひとつ,ただし,小さい波があったかも知れぬと判断するが(H-7),近くでみると短周期波は確かに存在した(H-8)。これは僅かの距離の間で急速に発達したことを物語るものであろう。
最大の矛盾は潮浜温泉沖合でみられる。僅か1km離れて操業していた二人の言があまりにも異なる。岸よりの人は大きな第一波,小さな第二波,そしてその後は返し波だというのに対し,さらに1km沖の人は,第一波,第二波は小さかったが,第三波が強烈でその後はこなかった,と述べている。この第三波は激しい砕波をともなっているから,その後急激に波高がへり,海岸からの反射波と区別が出来ない程度になったのかも知れない。また,H-24によると,この第三の波のあとはあまり大きな津波を経験していないようであるから,エッジボア,エッジ波となった津波が大きな波高をもつ限界がこの辺りであることがうかがわれる。
海岸に捕捉された津波を物語るものは,鈴木氏のビデオ,山内氏の写真一2の他に,水の流れの方向の変化に関する証言がいくつも存在する。
波峯線の形状について,菊地氏の目撃談は具体的である。さきに浅い所へ到達した両端が砕け,中央の部分はまだ砕けていなかったというのは,円弧状をしていたことを裏付けるものであろう。このような形をとりうることは,八竜町海岸のビデオからもうかがわれる。浅内沼前面にふたつの円弧がみとめられ外側のものは非砕波,内側のものは真中が非砕波,外側が砕波となっており,菊地氏の見た状況と酷似している(O-2)。
3-3.米代川内の津波。
米代川河口より約2kmの場所に能代大橋があり,この直下流での第一波は12時19分から24分頃の間であった。第一波来襲前と後とでは川水の色が全く違うので,これが第一波であることは確実な模様である。第二波は12時半頃であったらしい。第一,二,三波とも,砕波段波であった。
能代大橋より約500m程上流に五能線の鉄橋がある。この中間でとられた第二波は,高さ約2mの砕波段波であった。16時すぎには,左岸沿いで砕波段波,本川筋では波状段波である(写真一7)。
3-4.能代港。
能代港工事現場では多数の人が津波にのまれ,水面上5mといわれるケーソンを越える大波が存在したことはあきらかであるのにかかわらず,港内の検潮記録は2m内外のものしかしめしていない。これは,検潮器によっては10秒程度の高周波数成分は記録されえないことを考えると十分説明のできる事柄である。
また,防波堤先端部と検潮所位置までは約2,3kmほどの直線距離があるから平均水深10mとして,時間差が3.8分となる。少なくとも3分程度は考えなくてはならない。図一1は能代港の検潮記録である。丁度12時の所に地震動と考えられるものが入っているから,この記録紙の時間軸は正確とみなしてよい。
最初のピークは12時32分であるから,時間の調整をすると防波堤位置で12時29分より以前に大きな津波が来たと解釈されよう。
所が,すぐ隣りの米代川では河口内約2kmの所に第一波がきたのが12時19分から24分の間である。能代港防波堤先端附近とこの地点は,先端附近と検潮所問の距離より遠く,水深は浅い。したがって,防波堤先端で12時29分頃に第一波というのはかなりあやしくなってしまう。
12時20分頃防波堤にシブキがあがった,というのが第一波であれば(N-9),米代川での津波との矛盾は解消する。
その約5分後,ケーソンをこえる大きな波が数波やってきている。この波長は100m位という(N-16)。この辺の記述は,男鹿半島や八森での波状段波ときわめて類似している。これが検潮記録にある最初のピークに相当するものであるならば,時間の矛盾はかなり小さくなる。周期が比較的長く(T=10分位)波高が2m程度のものに,周期10秒,波長100m,波高6〜8mの短周期波がのっており,前者は検潮器で記録され,後者が現場で被害をもたらしたのであろう。
短周期の波は,第三波かと思われる12時半頃の写真一8にも存在している。また,米代川河口約3km沖での体験の7つの大波(Y-6)に,これら短周期成分が対応すると考えると説明しやすい。
3-5.結論
以上の証言,写真,ビデオに対する考察から,各地での波形,来襲方向などをとりまとめたのが図一2,3,4である。図中,矢印は来襲方向,曲線は波峯線形状で滑らかな部分は非砕波,ギザギザ部分は砕波をしめす。
tは来襲時刻,Ts,Hs,Lsは短周期成分の周期,波高,波長である。詳細図中,右肩の番号は証言番号である。
4.おわりに
秋田県北部海岸での日本梅中部地震津波の実態を推定した。
信頼しうる津波波形記録がなく,検潮記録もその周波数特性の面で問題があるため,定性的にはともかく,定量的には確定しがたい部分が数多く残されてはいる。
しかしながら,浅い部分では10秒程度の短周期成分が存在したことは確実に実証された。
従来はその影響が小さいとして無視され勝ちであった分散項を精度よく取りこまない限り,このような現象は説明できない。今回の津波でも水深25m位の地点で分散効果のきいた波形ができあがっていた場合もあるので,おそらく水深50m以浅程度にこの効果を入れなくてはなるまい。
また,広く開けた平滑な遠浅海岸の両端がその海岸線に直に近い形で突き出た岩石海岸で境界されている場合に特有な現象と考えられる,エッジ波ないしエッジボアが見られた。
反射屈折の関係により,この海岸に捕捉された津波が折り返し折り返し襲来する海岸地帯と,その僅か沖合でこの効果が小さくまた水深の深いためとで顕著な津波の数がそれ程多くない地帯とに分けられた模様である。エッジボアは,背後からのエネルギー供給もまた波峯沿いのエネルギー供給も大きいため,通常のエッジ波や波状段波とことなった挙動をしめす。写真一7はこの比較をおこなうに最適の材料を提供した。
能代港はこの海岸のほぼ中央に位置し,防波堤が海岸線から突き出している。この防波堤は波を完全に反射するため,エッジボアの挙動に大きな影響をあたえたものと想像される。この地点の人工構造物によって,この海岸が2分された可能性がある。
いずれにせよ,エッジボアは従来は殆んど研究されて居らず,これからの重要な問題のひとつとなった。
津波来襲の最終過程は陸上へのうちあげであり,陸上近くでの構造物への効果である。
短周期成分の存在,波峯線の平面形状,を考えに入れなくては今回の津波のうちあげを説明することは完全には行われえない。あきらかに第二波の方が大きかったにもかかわらず第一波より小さなうちあげしか生じなかった場所があるのは,第一波後の引きによる流れを正しく表現する必要のあることを示唆している。第一波の前面が切り立ち,砕波し,あるいは短周期成分をふくんでいる場合,この戻り流れの評価は現在の知識では不十分にしか実施されないであろう。
短周期成分は構造物の近辺で,重複波,巻き波砕波,崩れ波砕波のような,種々の形状をとりうる。どの形の,どの段階のものであるかによって,構造物に働く波力は大きくことなる。このような微細な波形を推算する道を開くことも,今後の重要な課題である。
日本海中部地震における津波の流体力について
岩崎敏夫****・真野明***・永富政司**・苫米地鋭*
****東北大学教授,工学部
***東北大学講師,工学部
**東北大学大学院学生
*東北大学学生
1.はじめに
1983年5月26日におこった日本海中部地震での津波の特徴は,男鹿半島からのビデオに見られたような周期十数秒という短く切りたった波(孤立波)が重なった形態で沿岸部に進入してきたことである。また,津波による被害では能代港で4,000トンのケーソンが移動,転倒し,また峰浜村で,4トンの消波ブロックが流されて,70〜135mの範囲に散乱した。これらの津波時の観測は今までにまったく指摘されなかった事実であり,その現象が示す津波の動特性を明らかにすることは防災対策上極めて重要である。本研究は,その第一歩として東北大学に既設の孤立性分散波実験水路により現象の再現を行ない,水理特性を求めようとしたものである。
2.実験装置と実験方法
図一1に示すように全長100m,幅1m,高さ0.5mのモルタル製の屋外2次元水路に峰浜村を参考として海底及び浜勾配を設定した。駆動部つき造波板をある設定した速度で一定距離移動させ孤立性段波を発生させた。
実験は,造波板の速度を5段階に,移動距離を何種類かに変えておこなった。波高の測定には主に抵抗線式波高計を,汀線付近から陸上部にかけては容量式波高計を使用した。また測定は水路端から12mの低水路部と45度の斜面を上がった高水路部(X=23m)と1/75の斜面のり先部(X=34m)から汀線(X=49m)にかけて1m間隔でおこなった。流速測定には,径10mmのプロペラ式流速計を使用した。
図一1に記号の説明を,表一1に実験諸元を示す。H0,L0はそれぞれ低水路部での静水位上の最大高さ,および同地点での波長である。造波条件を設定して造波した後,再び水面が静止してから1ケースあたり同じ実験条件で8回実験を繰り返した。この場合1回ごとの波の再現性は,のり先部での波形,及び砕波点の一致で確認しているが非常に良好であった。なお表一1中の砕波波高Hbは分散第1波目のものだけを載せた。初期波形によっては分散第2波,第3波でも砕波する場合があるがここでは省略した。
3.斜面上での伝播
水平床上を伝播する段波は波頂曲率と非線形性の効果により分裂し,最終的にいくつかの安定した孤立波の連なりになることがわかっている 1),2)。
図一2に時間波形の各点での変化を示す。孤立性段波は45。の斜面を通り過ぎた後,13.5mの長さの水平部を伝播し,その間に各分散波の波高が増幅してゆく。本実験では,ほとんどの初期波形について岩崎・鈴木らが示したソリトン分裂が完了する水平スケールであるえり分け距離3)よりも水平床部の長さが短かく,分散第3波目までしか波峰がはっきり表われない。
図一3に斜面のり先での波形と孤立波の理論波形を比較した。すなわち前面側は良く一致している。
図一3.斜面のり先での波形と孤立波々形の比較
図一4には分散第1波の砕波するまでの波高変化を,示している。孤立波の波形に近いため,砕波波高水深比Hb/hbはStreetand Camfieldの実験式でS=1/75としたときの1.08にほぼ等しい。砕波形式はいずれもSpilling型であるが,波頂部に弱い巻き込みが見られる。
流速についてはCASE D-4だけについて砕波直前の水深14.7cmより汀線に至るまで間隔1mごとに,また深さ方向に3〜9点で計測を行った。分散第3波までの波峰直下での水平水粒子速度の鉛直分布を図一5,6,7に示す。静水位より上の波頂付近はプロペラ式流速計の応答が悪く,測定が困難であるため測点数が少なくなっている。分散第1波目については,砕波による流れへの移行が静水面より上が顕著であり,静水面以下にはそれほど影響がないようである。そして,砕波による急激なエネルギー逸散のため汀線前において流速が小さくなっている。一方,分散第2波については,第1波の砕波による乱れが残っているためと思われるが波高増加は第1波ほど急激ではなく,また見掛け上,砕波後の第1波の残した体積分だけ第2波砕波前の水深が大きくなっていて,そのために波高水深比の同じ点が第1波より岸に近づいてくる。第1波の挙動と異なる点は,速度分布も水底から波頂付近までそれほど変化がなく,第1波に較べて砕波後の波高減衰は著じるしくなく,したがってエネルギー逸散力が少ない。その結果,汀線では流速が著しく大きい。第3波についても同様な傾向であって,砕波点はさらに岸に近づきほとんど汀線附近にくる。このことは防災上極めて重要な事実である。
図一8にのり先部から汀線に至るまでの波峰の軌跡を時空平面に表わした。第1波目では砕波して最初は波速はまだ落ちないが,連行気泡が放出され乱れが消散すると,波速は急激に減少する。これに対して,第2波,第3波ではのり先での波速を保ったまま汀線まで進行し,第1波に追いつく。(以下,この追いつく位置を合体点と呼ぶ)
図一9に斜面のり先より汀線前までの波形と流速の経時変化を示す。便宜上先端の通過した時間をT=0にあわせてある。第2波が第1波に追いついた合体点(X=48.5m)の直後の位置(X=48.8m)で流速が急激に増加するのがわかる。
4.分散波列の遡上
図一10は図一9の続きで,汀線前後より遡上までの経時変化を示す。分散波相互での千渉によって先端部で流速が急増し,瞬間的に波形勾配も大きくなる。また,第3波は先行する流れを波形を維持したまま追い上がり,結局第2波の先端に追いつく。最大遡上点はおおむね分散第3波目に生じている。このような形態での遡上高さを表現するためには,少なくとも第3波目までを含めた沖波のパラメータを選ぶ必要がある。ここでは一つの試みとして図一11にKaplanと同様なやり方で実験データをプロットした。H0/L0に適用限界があるが,実験値はKaplanの実験曲線のように右下がりの直線上に群がっており,勾配もKaplanのそれに近い。また,図一12に第3波目以降を含めた汀線での最大波高Hs,maxと遡上高さRの関係を示すとほぼR=2 Hs,maxとなり,上記のようなパラメータによるまとめ方の妥当性を裏づけているうに思われる。
5.テトラポッドの分散波群による移動状況
1/100の模型縮尺を想定して重さ16gと32gのテトラ(現地換算16ton,32ton)を使用して汀線付近での移動状況を調べた。
表一2.
表一2に実験に使用したテトラの諸元を示す。
最初はテトラを組まずに実験条件をケースD-4に統一して,設置位置を変えその移動範囲と分散第3波目までのそれぞれの波峰直下の波高と流速の変化の関係を図一13に示した。
図中にテトラの飛散範囲を矢印で示す。移動の状況は第1波の通過する流速では,やや滑動する程度で,顕著な移動は第2波が通過する時に起こる。さらに第3波が通過する際には水位もテトラの高さより大きくなっており,完全に浮遊した状態で流されていくのが観察された。これは分散第3波目までが発達している場合の状況であり,ソリトン分裂の成長の度合いによって大きく移動状況が変化する。図一14に汀線における最大速度水頭と最大波高との積とテトラーつ一つの移動距離を示した。
次にテトラを組み合わした護岸堤(下層4列,上層乱積みの2層積み,総数300個)を汀線に設置し,造波条件を変えて行った実験結果を図一15〜図一18にまとめた。被害率Yの定義は(移動個数÷総数)である。
式(1)
式(2)
ここにD平均移動距離cm,sigma 標準偏差cm,なお護岸堤の上層と下層によるテトラの被害率,平均移動距離の違いはあまりなかった。
また図一17〜18からUs,max(汀線最大流速)とHs,maxとの積や(Us,max)^2 /2gとHs,maxとの積ともかなり相関があることがわかる。しかし,設置位置が合体点の前か後かで散乱する状況が異なっており,合体点での水理特性を明らかにする必要がある。
6.ケーソンの移動
実験条件をケースD-4とし,寸法11×20×11cmのコンクリートブロック(比重2.3付近)を水路幅1mに5個並べ,また天端高さを一定(hc=5cm)に保つように砕石でマウンドを作り,分散波列によるブロックの移動状況を観察した。第1波の砕波直後の波高が天端高の2倍以上ある場合,第1波目で滑動あるいは転倒する。ブロックを岸側に設置するにつれ,第1波のみによる滑動量は減少し,第2波,第3波によって大きく移動する傾向がある。図一19に実線でブロック前面,一点鎖線で堤体がない場合,破線で堤体の背面での水位変動を示している。この実験ではブロックの滑動は静圧差によるところが大きいようだが,さらに天端高さをかえたり,後続波の波高をかえての実験が必要である。
7.結び
分散波列の斜面上の伝播と遡上の特性は第1波と第2波以降の挙動の違いにより変化し,流体力や遡上高さを把握する場合の特性量に第3波を含むようなものを考える必要があることを実験より明らかにした。今後はソリトンの分裂度や海底勾配の違いにより上記の特性がどのようにかわるかを調べるのが課題といえる。
最後に本研究を進あるにあたり東北大学工学部技官佐藤弘,佐藤栄司の二氏および内地留学生中村武弘氏(長崎大助手)に調査,実験の全般について援助をうけた。また,本研究は文部省特別経費「日本海中部地震による津波の特性に関する模擬実験」によって行なったものである。ここに記して厚く感謝の意を表する。
参考文献
1)岩崎敏夫・真野明・小杉達郎:「孤立性段波のソリトン分裂に関する研究」土木学会第22回海岸工学講演会論文集(1975)pp.47〜51.
2)岩崎敏夫・鈴木義和:「孤立性段波よりのソリトンの変形と砕波に関する研究」土木学会第24回海岸工学講演会論文集(1977) pp.45〜49.
3)岩崎敏夫・首藤伸夫・鈴木義和・栗田悟:「孤立性段波のえりわけ距離に関する研究」土木学会第25回海岸工学講演会論文集(1978) pp.132〜136.
陸棚における津波のソリトン分裂
土屋義人****・安田孝志***
山下隆男**・芝野真次*
****京都大学教授,防災研究所
***岐阜大学助教授,工学部
**京都大学助手,防災研究所
*京都大学大学院学生
1.緒言
日本海中部地震による津波によって,わが国では,死者・行方不明者100名に及ぶ犠牲と港湾構造物など大きな被害を受けた。このとき,能代沖に来襲した津波が浅海において数個の短周期波に分裂したことが多くの人びとによって目撃され,また撮影された。1) また能代海岸においては,来襲した津波が反射し,それが進行波と干渉したり,屈折して,さらに数多くの短周期波に分裂したらしいことも観察されたようである。これらの現象は,いずれも遠浅な陸棚における津波の非線形挙動として理解すると,きわめて興味深いものであるし,またこのことは浅海における津波の特性を知るうえにおいても重要なことと思われる。
本研究では,このような遠浅な陸棚における津波の挙動を究明する第一歩として,津波の先導波がなぜ陸棚で短周期波に分裂するかを非線形波動の変形特性として考察する。すなわち,現象を一次元的に取扱い,傾斜海浜上におけるKdV方程式を用いて,既知の条件を与えて,その空間発展形の方程式の数値解を求め,能代沖のような遠浅な陸棚において果して津波がソリトン群に分裂するかどうかを検討する。
2.基礎方程式
陸棚上における津波の1次元変形を理論的に取扱うために,ここでは傾斜海浜上におけるKdV方程式を用いることにする。その空間発展形の方程式を示し,その計算法について述べる。
1)空間発展形のKdV方程式
傾斜海浜上におけるKdV方程式は,すでに角谷2)によって導かれ,また著者ら3)によってその高次項の導入が行なわれている。図一1によって記号を定義すれば,著者らにより逓減摂動法によって導かれた基礎方程式は,次式で表わされる。
式(1)
ここに式(A)である。いま,図一1に示すように,座標原点における波高をH1,陸棚の勾配をtan thetaとし,かつeta dash = z dash /H1として表わせば,式(1)は次のように変形される。
式(2)
ここに,Ur=H1L1^2/h1^2で定義されるUrsell数である。式(1)あるいは式(2)は,いずれも時間発展形の方程式であるので,周期Tが保存されるとしてxi dash = c* xiを用い,空間発展形の方程式に変換すれば,次のように表わされる。
式(3)
したがって,沖波としての津波波形を与えて陸棚の先端における諸条件をshoalingとして計算し,これを式(3)の境界条件として与えれば,陸棚上における津波の非線形挙動,すなわち任意地点における時間波形を計算することができる。
2)数値計算法
式(3)の数値計算に当っては,周期条件のもとに陰解法を用いて,次のように差分表示することにした。ただし,式(3)におけるeta dash およびxi dash はeta およびxi と表わす。
式(4)
すなわち,未知数eta j^n+1(j=1,2……4)の連立1次方程式として,n,n+1,n+2,……と遂次数値計算によって求めることができる。
3.津波のソリトン分裂
前述した基礎方程式を用い,浅海における津波の非線形挙動として,能代沖で目撃されたように,発生した津波が果して短周期波に分裂するかどうかを数値計算によって考察する。
1)対象海域
この数値計算において対象とした海域は,図一2に示すように,能代海岸からその陸棚の海域である。図中には,推定された津波の波源の東端部を点線で示してある。この海域において,能代港より波源に直角な方向および東西方向の2測線(それぞれA-lineおよびB-line)における海底地形の断面を示すと,図一3のようになる。これらからわかるように,この海域は非常に遠浅で,離岸距離約30kmまでは平均勾配約1/400程度で,陸棚の先端の水深は100m程度であり,それより急深している。また,より浅海部では,海底勾配は1/50程度となっている。したがって,本数値計算では,陸棚の先端における水深を100mとし,水深20mまで勾配1/425とし,それ以浅では勾配1/50とする。
2)数値計算の条件
発生した津波の特性として既知なものは,次のようである。まず,津波の入力波形は,先導波を対象として,簡単のために正弦波とする。その周期は,津波スペクトルの一例を図一4に示すように,7minから8min程度であるが,波高または振幅については不明であるから,ここでは能代港における津波の最大偏差および最高潮位を比較の対象とする。
しかし,能代港では検潮記録の一部が欠測していたが,港湾技術研究所4)によれば,第1波の最大偏差は1.94mで最高潮位は2.08mと見積られている。したがって,本数値計算においては,周期を7minおよび8minとし,入射波の沖波波高を適当に変えて,能代港付近において,前述した最大偏差および最高潮位の値になるような場合に,果して津波が短周期波に分裂するかどうか,また分裂した場合の個数などを確かめることにする。
3)数値計算の結果
前述した条件によって数値計算した結果の数例を図一5および6に示す。図一5は周期7minで,沖波の入射波高を1mおよび2mとした場合であり,また図一6は周期8minの場合である。ただし,これらの図における初期波形は陸棚の先端におけるものであり,そこから50ステップごとに逐次x bar =x/h1(h1=100m)の距離における波形を示している。
これらの結果によると,いずれの場合にも,津波は伝播し,非線形が卓越するに従って,波高が増大し,波の峰部の曲率が大きくなっていくが,あるところで見掛上短周期波と思われるようにソリトン群に分裂することがわかる。そして,分裂したソリトン群は3個または4個程度で,見掛上の周期は5secから12sec程度である。これらのうち,周期7minおよび8minで波高1mの場合には,陸棚の先端におけるshoaling factorはそれぞれ約3.3および3.4となっているので,ソリトンに分裂したときの平均水位に相当する偏差はそれぞれ2.2mおよび2.3m程度と推定される。したがって,このまま能代港に進入したとすれば,これらの値は前述した能代港における津波偏差と一応対比できるものであることがわかる。また,これから推定される最高潮位も,日本海沿岸における潮位偏差が小さいことを考慮すれば,能代港における前述した実測値と対比できるものと思われる。
これらのことを総合すれば,能代沖の陸棚においては,今回の地震津波がその非線形挙動として3個程度のソリトン群に分裂したことをある程度裏付することができるであろう。
一方,今回の津波の非線挙動に関して,港湾技術では,縮尺1/200の水理模型実験を実施して,短周期波への分裂のみならず,反射波との干渉によってさらに数多くの短周期波に分裂することを確かめている。ただし,海底勾配は1/200であって,前述した数値
計算の条件とはかなり異なるが,発生したソリトン群の大きさについて比較してみることは興味がある。すなわち,初期波形と海底勾配が異なるので,直接の比較はできないが,発生したソリトンの特性はかなり実験結果と対比できるものとなっている。
4.結語
以上,陸棚における津波の非線形挙動を傾斜海浜上におけるKdV方程式によるソリトン分裂として取扱い,能代沖のような遠浅な陸棚に今回のような周期の短かい津波が来襲すると,その先導波はソリトン群に分裂する可能性のあることを示した。2次元的な非線形挙動のみならず,海底摩擦の導入など,根本的に検討すべきことが多いけれども,津波のソリトン分裂の現状の一端を理解することができたと思っている。
津波の非線形挙動に関するこの小文が,東北大学工学部津波防災実験所の発展に,いささかでも寄与することができれば幸いである。
参考文献
1)土木学会東北支部日本海中部地震調査委員会:日本海中部地震報告,土木学会誌,1983年8月号,1983,pp.67-78.
2)角谷典彦:分散性媒質中の非線形波動一Korteweg-de Vries方程式を中心として一,Nagare, Vol.3, No.2, 1971, pp.5-26,
3)土屋義人・安田孝志:浅海における波の変形一特にsolitonの発生について一,第20回海岸工学講演会論文集, 1973, pp.397一401.
4)谷本勝利・高山知司・村上和男・村上繁・鶴谷広一・高橋重雄・森川雅行・吉本靖俊・中野晋・平石哲也:1983年日本海中部地震津波の実態と二・三の考察,港湾技研資料, No.470, 1983, 299p.
孤立波の陸上遡上について 一砕波と海底摩擦効果の検討一
梶浦欣二郎*
*東京大学教授,地震研究所
〔要旨〕
津波の陸上遡上の数値シミュレーション手法の信頼性向上のため,砕波を含む孤立波の遡上を数値的に計算し,これを既応の実験結果と対比し,摩擦係数として,f=0.01が適当であることを示した。
1.はじめに
津波陸上遡上の数値シミュレーション手法については,最近かなり多数の論文が発表されており(相田,1977;首藤・後藤,1977;岩崎・真野,1979;Pedersen andGjevik,1983等),それぞれに成果をあげている。多くの方法は波が非砕波領域にあるときには,格子間隔その他のパラメータを適当にえらぶかぎり,ほぼ同様な精度で計算結果が得られるようであり(後藤・首藤,1980),水理実験結果との比較もなされているし(岩崎他,1981),また,過去の津波浸水高分布との比較もなされている(例えば,相田他,1983)。しかしながら,もし波が海岸近くで砕波する場合も含めると,まだ計算手法に問題がのこっている。
波が砕波する場合の陸上遡上の機構に関しては,有限振幅浅海波の方程式の特性曲線法による解法を基礎として多くの試みがなされている(例えば,LeMehaute et al.,1968;Meyer & Taylor,1972; 椹木,1973参照)。
そこでは,底面摩擦を導入することも試みられているが実測値との比較ではそれほど満足すべきものではないようである。遡上する波の先端の波形,即ちフロントの境界条件に関しては,摩擦力の存在と関連してダム破壊後の流れに関するWhitham(1955)の研究以来いろいろの議論(岩崎・富樫,1969;Shimada,1981; 松富,1981; LeMehaute,1979)があるが,まだ遡上する波のなかのエネルギー逸散に関してその機構がよくわかっていないのであまり詳しいことはいえない。
一方で,一様段波を対象とした遡上の理論や,その数値計算(Hibberd & Peregrine,1979)の結果を,Miller(1968)による実験値と比較すると大きなくいちがいがあり,海底勾配が小さくなるほどその差が大きくなることがわかっている。その原因が摩擦にあるとの想定のもとで,Pachharn & Peregrine(1980)は速度の2乗に比例する形の海底摩擦を導入して数値計算を行ない,かなり大きな摩擦係数をつかうと実験結果を説明出来るとのべている。
津波の遡上に関連していえば,一様段波よりは孤立波的な波の遡上をしらべる方がより利用し易いと思われるので,ここでは孤立波が一様斜面上を進行し陸上に遡上するとき,遡上高が入射孤立波のパラメータにどう依存するかを数値計算し,それを既存の多数の実験結果と比較して,最も適当と思われる海底摩擦係数を推定することを試みる。このとき,広いパラメータ範囲を考えるので,孤立波は非砕波のときのみならず,汀線近傍で砕波する(段波タイプ)場合も含んでいる。一般にアーセル数の大きな波の浅水変形では,段波のほか,波の先端部のソリトン分裂をも説明出来る方程式系を基礎とすべきであろうが,さしあたっては分散性の波は考えないことにする。
数値計算との比較を統一的に行なうため,既応の多数の研究者による孤立的な波の遡上に関する実験結果を検討しなおす。
2.浅海波方程式系
波形曲率の効果(波数分散性)を無視すれば,非線形の一次元浅海波方程式系は,
式(1)
式(2)
とかける。ここで,xは水平座標であり,原点を斜面の初まりの点にとり,岸向きに正とする。tは時間,gは重力加速度,uは水平流速,nyu は平水面からの水位上昇,dは平常時の水深でありfは海底摩擦tauをtau=rho f lul u(rho:水の密度)とおいたときの摩擦係数である。摩擦力の表現にはこのような単純なものばかりでなく,マンニングの粗度係数nを使うものなどがあるが,ここでは立入らず,水深にかかわらずfは一定とする。
上述の(1),(2)に含まれる量を,一様勾配sの斜面起点の水深d。,斜面起点から汀線までの長さ4及び重力加速度gをつかって無次元化する。いま無次元量に*をつけると,
式(3)
であり,(1),(2)は
式(4)
式(5)
とかける。
無次元化された方程式系(4),(5)をみれば明らかなように,摩擦項を除いて,みかけ上,運動は海底勾配sに無関係となっている。これは長波に関するフルードの相似則にあたる。
間接的には時間の無次元化の関係式をみてもわかる通り,代表的な時間スケールTについての相似条件は,パラメータT sqrt (g/d0)・sの等しいことである。波の波長lambda (=T sqrt(gd0))をつかうと,パラメータはlambda/4ともかける.
いま,角周波数omega(=2pi/T)を無次元化してsigmaとかくと
式(6)
であるから,相似条件はsigma /sの等しいことである。したがって,同じフルード数(代表的な流速をU,波高をHとすると,U/sqrt(gd0)又はH/d0の等しいとき),及びsigma/sに対し,摩擦効果を無視すれば現象は相似となる。例えば,波のはい上り高さRと入射波の波高Hとの関係は式(7)
とかける。もし摩擦の効果が大きければ
式(8)
のタイプと予想される。実際の現象がこのタイプの実験式で記述出来ないときには,方程式系(1),(2)が不十分であって,例えば波数分散性を導入するとか,エネルギーの消耗についての表現式を考えなおすとかをする必要があるであろう。
3.周期波の遡上高
まず,周期波の遡上高Rに関し,後の議論に関連することを復習する。今までの多くの研究では,風浪やうねりのような短周期波を対象とすることが多かったので,実験波のパラメータを沖波のものに換算するのが普通であるが,津波のような長周期波を対象とするときは浅海波のパラメータの方が便利である。
傾斜sの斜面が無限遠方まで続くとき,非砕波(線形)で摩擦効果を無視したときの周期波の遡上高Rは,深海波の波高H無限との間に
式(9)
の関係がある。
一方で,周期的な深海波が浅海に進んできて,水深dで完全に長波となったときの波高Hdは,浅水変形の式から
式(10)
であり,長波の条件からsigma <= 0.3が要求される。ここでsigmaは(6)で定義された無次元角周波数であり,水深dでの長波の波数をkとするとsigma =kdともかける。ついでにのべれば,波形勾配は
式(11)
である。
ここで,(9)と(10)とを組合せると
式(12)
となる。よく知られているように,一様水深d0の水路から,一様傾斜sの斜面上に入射する周期波の遡上高は(Keller and Keller,1964),
式(13)
とかかれ,J0(xi),J1(zi)はべッセル関数である。この式のうち斜面上での固有振動の部分を除くと(12と等しくなる。後述するように,過渡的な正弦波の入射を考えると,第一波は(12)の形の遡上となり,第二波以降は(13)の形に近づくことが判っている。
さて,周期波の砕波限界の条件として,Miche(1951)は深海波の限界波形勾配を海底勾配の関数として与えたが,海底勾配sの小さいとき,その形は長波についてのCarrier & Greenspan(1966)のものと同形であり,次式であらわされる。
式(14)
ここで係数 beta は
式(A)である。
周期波の場合,beta =1の方が理論上は正確であると思われるが,Van Dorn(1978)は砕波限界としてbeta =2が実験と合うとしている。また,主として孤立波タイプの波について富樫・中村(1975)は首藤(1972)の方式で砕波限界をしらべ,beta =~2を得ているが,一方で引波を含む津波の実験で岩崎その他(1982)はbeta =~1とのべている。
ここで(12)と(14)とを組合せると,砕波限界波高として
式(15)
が得られる。いまかりに(beta / alpha)=~1として,実験波の波高が0.5 => H/d => 0.01のときを考えると,砕波限界は1.3 <= alpha /s <= 6.3の範囲ということになり,sigma /sの割合せまい範囲になる。
完全に砕波する周期波の遡上高については,Huntの実験式(Hunt,1959)が有名であるが,Van Dorn(1966)はこれを変形して,
式(16)
とかきあらためた。この式は海底勾配がs >= 1/10の程度,沖波波形勾配がそれほど小さくない範囲の実験からきめられたものであり,海底勾配及び波形勾配がともにきわめて小さいときに適用出来るかどうかには問題がある。ここで,沖波波高H infinity を(10)をつかって浅海での波高Hdにかきなおすと
式(17)
となる。浅海での波高Hdをつかった式には(2 sigma)^(1/4)の項が加わっていることに注意されたい。Togashi and Fuhrboter(1981)の実験結果をみるとこの項の効果があらわれているようである。また,引波初動の砕波タイプの波の遡上を実験的に調べた岩崎その他(1982)の場合,(2 sigma)^(1/4)が平均0.72でその変動幅がせまいので(17)によると(2 pi)^(1/2)(2 sigma)^(1/4)という係数は1.80となり,実験的に与えられた1.76とよく合っている。このことからみると,Huntの式は海底勾配がかなり小さいところでも,それに応じて波形勾配が小さければ使えるようである。
砕波の遡上高をあつかうHuntの式に関しては,いろいろの議論があり,R/H infinity 〜S^(2/3)という実験(高田,1970)もある。ここで,もし(17)が(8)のタイプの実験式になると考えれば,一つの可能性は
式(18)
であり,摩擦係数fに対する遡上高Rの依存性がf^(1/4)であるのがもっともらしい。
このほか,周期波の遡上高Rのなかには,放射圧力(Radiation Stress)による定常的な水位上昇(SetUp)が含まれており,海底勾配が小さくなると(sigma /sが大きい),水ぎわでの周期的な前後運動による遡上はほとんどなくなり,大部分が定常的な水位上昇になるということも判っている(例えば三井,1973;Van Dorn,1976をみよ)。逆に波が水ぎわ近くで砕波し,周期的な前後運動の大きいときには,周期波に特有な遡上のもどり流れと次の砕波との相互作用が遡上高を決定するのに大きな役割を占めると思われるので,これを理論的あるいは数値実験的に再現するには砕波によるエネルギー逸散の定式化とも関連してかなりむつかしい問題があると思われる。
以上のような砕波する周期波の遡上に関する知識を参考としながら,次節以下では孤立的な波(遡上にあたってそのまえの波によるもどり流れの影響がない)の遡上を議論する。
4.斜面上の孤立的な波
まず初めに,一様水深の水路を,押し波を初動とする過渡的な正弦長波が進行し,一様勾配の斜面上に入射するとき,非砕波第1波の遡上高が後続の波の遡上高とどう違うかを調べる。
このような問題は,線形の範囲内で摩擦を無視すると解析解が求められる(非線形性をとり入れても,適当な変換をほどこせば線形化できる)。しかし,実際上,一般的な入射波形に対しては,フーリェ逆変換を数値的に行う必要がある。ここでは,(x,t)の座標系のかわりに((l-x)^(1/2),t)を座標系とした階差法で線形の方程式系を数値計算し,R/Hを入射波のパラメータsima /sに対して示したものが第1図である。いま,一様水深d0の水路からの入射波eta iを
式(19)
とおくと,(13)中の波高Hd0はHd0=2Aであり,sigma は(6)で定義される。図中(13)の関係は実線で示してある。これに対し,第1波に関しては,これを孤立的な波とみなし,Aを波高,半周期T/2をその時間スケールと考えてH及びsigmaを定義したときの関係が白丸で示してある。また,x=0の点,即ち斜面の初まる点での第1波の最大水位(入射波と反射波の合成)を波高Hと考えたときの関係が黒丸で示したものである。
第1図 線形計算による正弦波の相対遡上高
第一波入射波基準,白丸, 斜面の端での第一波最高水位基準,黒丸,
周期波の波高基準,実線。
この図をみて明らかなように,sigma /s <= 3では,基準の高さをx=0の点での最大水位にとるか(黒丸),入射波の高さAにとるか(白丸)で大きな違いが出るが, sigma /s >= 3ではその差がほとんどない。これはx=0における入射第1波の高さに波の反射の効果が含まれているかどうかによるものであり, sigma /sの小さいとき,白丸であらわしたR/Hは2に近づき,黒丸であらわしたR/Hは1に近づく。一方で sigma /s >= 3では
式(20)
と近似され,(12)と比較すると係数 alpha は約1.24倍である。
また,(19)で与えられるような入射波の場合,非砕波領域では第1波の遡上高R1は第2波以下の遡上高R2よりも小さい。これは砕波する波の場合に第1波の方が後続の波よりも遡上高が大きいという経験的事実と対比して興味のあることである。
ここで,後述する孤立波の遡上実験とも関連して,一様水深d0の水路からの入射波が,理論的な孤立波である場合のパラメータ sigma について検討する。
孤立波の水位 eta は,最大値をHとすると,
式(21)
とかける。ここでXは波の波速をcとして,X=x-ctであり,X=0は波峯の位置にとってある。簡単な近似として,見かけの半波長 lambda /2を,波高比 eta /H=0.1の点までの距離Xで定義すると
式(22)
となり,アーセル数Ur=(H/d)( lambda /d)^2=~4.2である。孤立波の代表的長さ lambda については,種々の定義ができ,例えばMunk(1948)のものは(22)とやや異なる。
孤立波の波長(22)をつかうと,平均阻度(Steepness)は,
式(23)
最大傾斜角は,
式(24)
である。比較のために正弦波の第一波の正の部分の体積と今定義した孤立波の一波長分の体積,及び波高をそれぞれ等しいとおくと,波長の間の関係は
式(25)
ときめられる。ここで lambda sは正弦波の半波長である。一方で,波速cは
式(26)
とおけるから,無次元化した代表的時問スケ一ルT*は
式(27)
であり,無次元角周波数 sigma は
式(28)
とかける。
5.孤立波遡上に関する実験結果の検討
後述する遡上数値実験結果と比較するため,既応の水理実験結果を再検討する。孤立波の一様傾斜面はい上り高さRと,一様水深部での波高Hとの関係を調べる水理実験は過去においていろいろと試みられ,それぞれに適当なパラメータ範囲で実験式が得られている。
このとき,砕波の有無はエネルギーの逸散とからんで遡上高に大きな影響を与えるので,孤立波の砕波,非砕波に関する特性を知っておくことが大切である。
Street and Camfield(1966)は,やや定性的であるが,第2図に示すように,相対波高H/h0及び底面傾斜sをパラメータとして孤立波の岸近くでの特性を分類した。これによると,ほぼ傾斜角8度〜10度(s:0.14〜0.17)を境として,それより急な傾斜面では孤立波は砕けないで遡上する。これに反し,ゆるい傾斜面では必ず波が砕けるが,sの減少又はH/h0の増加にともなって,巻き波(plunging)領域からくづれ波(spilling)領域に移行する。例えばs〜0.04のとき,H/d0 <= 0.3で巻き波領域であるが,s〜0.01のときはほぼすべての波がくづれ波となる。定性的には似た結果が花安その他(1970)にものべられており,sがやや大きく,H/h0が小さいときには孤立波の波形の前傾が大きくなって先端附近が巻き波的となる。このことは,砕波高HBと砕波水深hBの比HB/hBがsとともに増加し1以上になることからもうかがえる。
第2図ではH/h0がきわめて小さいとき,すなわち波長の長い孤立波の場合にどうなるかはっきりしたことは判らないが,浅海波方程式系の相似パラメータ sigma /sがある値以下で非砕波になると考えると,孤立波の場合は sigma /s〜(H/d0)^(1/2)s^(-1)であるから,(H/d0)《1ではsのかなり小さいところまで非砕波領域がのびることが期待される。
さて,途中の浅水変形や砕波形態の相異には目をつぶって,孤立波タイプの波の遡上高Rと,入射孤立波の波高Hとに関係についでの実験式を次にあげる。
HallandWatts(1953)は,
式(29)
の式で整理し,Ks及びmをいろいろのsについてきめた。論文では斜面先端での波高をHとするとのべているが,実際の測定は斜面の影響のない点で行なわれているらしく,Hは入射波波高とみなせるようである。また,sの小さいとき,係数が変化するのは摩擦がきいているからではないかとのべているが,第2図からもわかるように,この実験は大部分が非砕波領域で行なわれており,sの小さいところでやっと砕波領域に入るので,係数に変化があるのは砕波の有無と関連づけられよう。
Kaplan(1955)は,厳密には孤立波ではないが,過渡的な波の第1波を使って,ほぼ,10^(-3) <= H/ lambda <= 10^(-1),s=1/30,1/60の範囲の実験値を
式(30)
の式で整理し,それぞれのsについてKe,nをきめた。
Kishi and Saeki(1966)及び花安その他(1970)は,それぞれ1/10 >= s = 1/30,及び1/50 >= S >= 1/150の傾斜,また,3×10^(-3) <= H/d0 <= 8×10^(-1),及び10^(-2) <= H/d0 <= 7×10^(-1)の波高範囲で実験を行ない,これを
式(31)
の実験式として整理した。Kishi and Saekiの実験では底面が粗な斜面を使っている。この北海道大学グループの実験では,水路端の空気室内に初期水面上昇を与え,これが水路中を伝播して孤立波を形成する方式をとっているので,初期アーセル数の制限から,きれいな孤立波が与えられた水路長のなかでつくれるH/d0にはある限界があると思われる。
空気室の水平スケールを lambda 0,水位上昇量をH0,水深をd0とすると,初期アーセル数Ur0は
式(32)
であり,Prins(1958)の実験結果などから類推すると,きれいな孤立波のできるのは式(33)の範囲である。このことから考えると,北海道大学グループの実験のうちH/d0の小さいものでは,分散性の波になり理論的な孤立波に近い波ができていないと思われる。したがって,以後は,H/d0<0.04のデータは使用しない。実際,Kishi and Saeki(1966)の論文でも,H/d0<0.04のデータは使われているようにみえない。
さて,(29,(30),(31)の実験式は,花安その他(1970)で示されているように,孤立波についての(H/d0)と(lambda /d0)との関係式をつかって換算が可能とすると,すべて(31)と同形となる。彼等は,こうして全実験式を(31)のかたちとしたときの係数Kh及びaの値を傾斜sに対して図示した。これによると,KhもaもSに対してきわめて規則的に変化し,異なった実験から得た結果が相補的であることがうかがえる。
このことをもう少し詳細に検討し,また,周期波の遡上高との関連も見易くするため,相対遡上高R/Hを sigma /sの関数として表示したのが第3図である。ここで sigma は(28)で定義されたものである。図中,SAEKI-I,SAEKI-II,はそれぞれKishi and Saeki(1966)及び花安その他(1970)のデータのうちH/d0>0.04のものであり,H&WはHall and Watts(1953)のデータである。Kaplan(1955)のものは,個々のデータが不明のため,実験式を書きなおし,S-1/30,1/60の両方の平均をとって,
式(34)
とした直線が記入してある。上式とKaplanの与えた個々の実験式との差は数パーセント以内である。また直線の範囲は,図をみやすくするため,実際の実験範囲10 <~ sigma /s <~ 10^2よりやや広くとってある。
第3図 水理実験による孤立波相対遡上高(実線はKaplanの平均的実験式による)。
第3図によると,期待されるように異なった実験結果が第一近似としては一本の曲線上にのっているようにみえる。また,孤立波が砕波するか否かの区別は,ほぼ sigma /s〜5のあたりできまるようであり,R/Hの最大値は3.5の程度と思われる。周期波の場合の砕波限界の関係式(15)からみても,この sigma /s〜5という値はそれほど不自然ではない。
非砕波領域では,近似的に
式(35)
砕波領域では,近似的に
式(36)
である。特に図からもわかるようにs<1/50では値がかなりばらついており,これは砕波が主としてくつれ波(spilling wave)になること,摩擦効果が大きくきくことなど,種々の要因に関係しているようである。純粋の孤立波実験に対し,首藤(1966)や富樫・中村(1975)の津波遡上実験では,波のアーセル数が100以上と大きく,時間がたつとソリトン分裂形に移行する波をつかっている。したがって,実験範囲でH/dと時間スケールTとは独立である(この点が孤立波実験と異なる)。首藤(1966)の実験は主として非砕波領域のもので,結果は理論的予測に近いとのべている。富樫・中村(1975)はR/Hをl/ lambda の関数とする実験式を提出している。ここで,Hは水平の長さlの斜面直下での波高であり,入射波高ではない。また,2 pi l/ lambda = sigma/sの関係がある。
首藤(1966)及び富樫(1976)の実験データを,第3図と同様にR/Hと sigma /sの関係として表示したのが第4図である。但しHは斜面直下での最大水位である。この図は富樫(1976)の図3・66と本質的に同じものであり,底面傾斜の範囲は1/20〜1/60
第4図 水理実験による孤立的な波(アーセル数T)の相対遡上高
:記号は入射波高A/h0について次のとおり
三角形 <= 0.05 < 四角形 <= 0.10 < 円 <= 0.20 < X O である。違うところは,最近岩崎その他(1982)の発表している実験結果のうち,押し波初動の第一波のデータ(s=1/30)をつけ加えてある。すべてのデータは第4節の孤立的な波の波高H,時間スケールTの定義にしたがっている。
図中,異なった記号は,それぞれ相対的入射波高A/h0について,
式(A)
ととってある。富樫(1976)のデータのうち, sigma /s〈2.0のものについてはH/h0からA/h0を推定し, sigma /s>=2.0ではH/h0をA/h0と等しいとおいた。
また,図中の直線及び波線は第1図に示した正弦波の第一波に関するものであり,ここで用いた実験波形の方は,
式(37)
と仮定し,正弦第一波の sigma sを,これと体積を等しくする実験波の sigma に換算( sigma =( pi /4) sigma s)したもので記入してある。
第4図を第3図と比較すると,Hの定義に違いがあるため sigma /s〈1.0では異なっているが, sigma /sが1から2のあたりでは割合によく合っている。第4図では sigma /s<~2のあたりが砕波・非砕波の限界にあたるので,それより大きな sigma /sでのR/Hは,入射波高A/h0の大小によりやや異なった傾向を示し,第3図の孤立波のものと異なる。同じ sigma /sに対し,A/h0の大きなデータほど早く砕波するので,R/Hが小さく出ているのはもっともらしい。特に岩崎その他(1982)のデータはA/h0〜0.02, sigma /s>~5の範囲に入るので,まだくだけ寄せ波(surging)の領域にあり,R/Hが4以上にも達している。
これからみると, sigma /s >~ 10で,A/h0 <~ 0.01程度の孤立性の波による遡上実験を行なうと,摩擦の効果がそれほど大きくなければR/Hは5以上にもなり得るであろう。
6.孤立波遡上の数値シミュレーション
孤立波が一様斜面上を変形しながら岸向きに進行し,陸上に遡上する有様を数値的にシミュレーションするには,ブシネスク方程式(波形曲率項を含む)系をつかうのがよいであろうが,ここでは sigma /sの範囲がほぼ10^2以下,すなわちl/ lambda <~ 16で,斜面上では波形の前傾が大きいところを中心と考えるため,オイラーの方程式系(4),(5)を使用する。
砕波する孤立波に対し,波形曲率を考慮しない方程式系が適当かどうかやや疑問の余地があるが,ここでは砕波はすべて段波発生でおきかえられるものと仮定する。
オイラー方程式(4),(5)の数値計算には,二段階Lax-Wendroffの方法をつかう(Richtmyer and Morton,1957)。陸上に遡上する波の先端条件は,運動する水粒子の先端の水深が0となることで与え,また,先端の進行速度は先端水粒子の速度を内側からの線形外挿値できめる。したがって,波先端の位置は各時間ステップ毎に決定しており,あらかじめ与える空間の格子点とは一致していない。
水底傾斜面の沖側境界では,理論的な孤立波の波形をもった浅海波を入射波とし,その斜面上の変形を追う方法をとった。沖側境界に内側から進む反射波については,簡単のために,一様水深の場合の線形波自由透過条件を傾斜水底の端でそのまま使ったが,ごく僅かだけ反射がおこっている。
孤立波から段波が発生するところでのギプス振動を除くため,人為的な拡散項が入れてあるが,段波面近く以外ではその影響は無視出来る。
このようにして計算した遡上高Rと入射波高Hとの関係が第5図に示してある。摩擦係数f(図にはFRと表示)を0,0.002,0.01,0.04とし,それぞれいくつかのsに対し,H/d0を変化させてて計算を行ない,R/Hを sigma /sに対して示したものである。したがって,同じ sigma /sでも,フルード数にあたるH/d0は異なったものを含んでおり,計算結果でみるかぎりフルード数の影響も多少あるようである(図において同じ摩擦係数の場合に,R/Hの sigma /sへの依存性が直線的になっておらず,やや点がバラついているのはこのせいである)。しかし,大局的にみると,R/Hの sigma /sへの依存性は,フルード数の変化よりも摩擦係数の変化によって大きく変り,特に sigma /sの大きな砕波領域では,摩擦係数の大きさではっきりR/Hが変化する。
第5図 数値実験による孤立波相対遡上高の摩擦係数FRの違いによる変化
図中の実線は(34)で与えられるKaplan(1955)の結果に対応するものであり,第3図ともあわせ考えると,摩擦係数f =~ 0.01のあたりが最もよく実験値を再現しているようにみえる。
非砕波領域では,砕波領域ほど摩擦効果は顕著ではなく,摩擦を省略した計算値もかなり実験結果に近い。しかし砕波領域で摩擦を省略すると今までの水理実験で得られた相対遡上高R/Hの約2.5倍大きな遡上高が得られ,この違いは特に sigma /sが増大するほど大きくなるようである。
7.おわりに
いままでのべてきたのは,実験室内での孤立波遡上高と数値実験結果の比較であり,現実の海浜における津波遡上を考えるときに,f =~ 0.01の程度の摩擦係数が適当なものかどうかには問題も残る。
また,現実の津波の場合には,第一波を理論的な孤立波で近似するのは適当でないことが多い。例えば昭和58年日本海中部地震津波の場合,能代沖の陸棚端近く,水深100mのところで,第一波の峯高Hが1m程度,時間スケールTが4分程度と考えると,陸棚の傾斜sが1/200の程度であるからsigma /s =~16.7,Ur〜56.5であり,孤立波に関する第3図よりも,Urの大きいときの孤立的な波にあてはまる第4図を参考にすべきである。しかし,H/h0 =~0.01の程度であるから実験値の範囲をこえており,きわめてあらく見積ると,波は多少砕けてsurgingの領域にあるとしてR/Hが5〜6の程度となろう。
現実の津波遡上について考えるべきもう一つの要素は,水ぎわ近くで海底勾配が急に大きくなるときである。これは,海に面して砂丘の急斜面が存在する場合などにもあてはまるが,このときは,勾配の変化のないときにくらべて遡上高が大きくなることが期待される。
Kaplan(1955)の実験でも,水ぎわ近くに堤防があって急傾斜になっているとき,堤防のないときにくらべて他は同じ条件でもR/Hが約2倍になっている。短周期の波について水ぎわ近くに堤防の存在するときは,ないときにくらべて砕波の遡上高をたかめ,最大遡上高R/Hは,堤脚水深のあたりで波が砕けるときにあらわれることが知られているが,これらのことを考え合せると能代北方の砂丘地帯で特に遡上高の大きかったことを明できるかも知れない。
最後に,第2,3図に用いた孤立的な波の遡上に関する実験データを提供していただいた佐伯・富樫両博士に御礼申します。また,数値計算,作図を手伝ってもらった加藤氏にも感謝いたします。
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島周辺における津波の挙動
酒井哲郎*
*京都大学助教授,工学部
1.まえがき
日本海中部地震津波による被害調査によって,震源から遠く離れた西日本の日本海沿岸においてもかなりの被害があり,特に隠岐ノ島においては,人命の犠牲はなかったものの,総額9億円の被害を受けたことがわかった。
日本海中部地震津波の被害を受けた島は,隠岐以外に北から奥尻島,佐渡ケ島,舶倉島がある。ここでは,隠岐の他に奥尻島の被害調査をも加え,島による長波のトラップ現象に関する従来の理論的研究と,島周辺における津波の変形の数値計算によって,島周辺における津波被害の特徴を明らかにする。
2.隠岐地方の津波被害調査
隠岐地方の津波被害調査は,津波が発生した1983年5月26日から約1カ月たった6月30日から7月2日にわたって行なわれた。新聞報道で被害の大きかった場所を選んで,現地調査を行なった。その結果の詳細は,自然災害資料センターに保存するために東北大学工学部に提出した日本海中部地震津波調査資料に示した。ここでは以下に簡単にその概要を述べる。
図一1は,聞き込み調査による遡上高を示したものである(実線)。破線は,島根県漁
図一1.隠岐における津波遡上高の分布(基準:平均海面)
港課による調査結果である。値は,平均海面を基準としている。この図から明らかなように,遡上高の大きいところは,島後の加茂,中村,久見,代,重栖,西ノ島の船越,中ノ島の菱浦,保々見である。なお唯一の検潮所のある西郷湾では,その最大偏差は0.5mにすぎない。
3.局所的地形の効果
上述した遡上高の大きかった地点の中には,いわゆる水路幅の減少による波高増加,および湾水振動による波高増加が生じた可能性がある。そこで特に島後の各地点について,その局所的な地形の効果を検討する。
図一2.隠岐島後において高い遡上高を示した地点の地形
(1)加茂,中村
(2)久見,代,重栖
図一2は,順に加茂,中村,久見,代,重栖の付近の5万分の一の地形図である。図から明らかなように,いわゆる水路幅の減少による波高増大の生じる可能性のある地点は重栖のみである。一方,湾水振動の生じる可能性のある地点は,加茂,中村,重栖が考えられる。
まず加茂であるが,湾水振動の可能性を調べるために,一様水深の長方形湾としてその固有周期を計算すると,水深10〜15m,湾長1.7kmとして9〜11min.となる。図一3は,西郷の検潮記録の一部である。この図からは6〜7min.程度の周期の振動が卓越している。聞き込み調査および東海大学の調査結果1)では,津波の周期は4〜5min.となっている。このことから考えて,加茂では湾水振動が発達したとは言いがたい。
つぎに中村は,水深10m,湾長1kmとして同様に計算すると約7min.となり,もし西郷の検潮記録に見られる卓越周期が中村に来襲した外海の津波の周期とすると,湾水振動の可能性がある。しかし中村での聞き込み調査および東海大学の調査では,津波の周期は4〜5min.,最大の波は第1波目から20min.後(すなわち,4〜5波目)ということである。湾水振動が発達するには,やや時間が短いと思われる。
最後に重栖であるが,その地形は複雑で簡単な解析ではわからない。
図一3.西郷の検潮記録の一部
4.津波の屈折
つぎに,隠岐の島後の島周辺における津波の幾何光学的な屈折の現象を調べてみる。
最初に一辺が男鹿半島を通り,もう一辺が新潟海岸にほぼ平行で,大和堆の一部と島根半島および隠岐を含む,350km×800kmの長方形領域を考えた(図一4)。この領域を10kmメッシュに分割し,格子点で水深を与えた。水深は海図から読みとった。波の周期を5min.とし,男鹿半島を通る一辺からそれに直角に波向を与え,時間ステップを周期と同じ5min.として計算した。
図一4.屈折計算の領域
図一5.屈折計算結果(1)(波源〜隠岐)
図一5にはいくつかの波向線を示している。
図から明らかなように,隠岐に到達する波向線は限られており,隠岐の約150km北東に存在する隠岐堆によって分岐する波向線の一部が隠岐に到達している。
もう少し詳細に隠岐の近辺での津波の屈折の様子を見るために,図一5のy-軸の600kmのところから,図一5の同じ場所での波向で,時間ステップを周期の半分の150secとして計算をした。
図一6はその結果を示している。やはり隠岐堆の影響で波向線が交差しているが,島状の地形による波向線の集中の傾向がある程度見られる。
つぎに,さらに詳細に見るために,y=650km地点から,波向をy-軸方向にとり,水深データを5km間隔で入力し,時間ステップを80secとして計算した。図一7がその結果であり,やはり波向線の集中が見られる。
5.島の周りでの波のトラップ図一6の計算で,y=650km地点では,波長が約16kmで,隠岐の島後の直径約20kmとあまり変らない。本来幾何光学的屈折の考えでは,波のスケール内では水深が大きく変化しないことを仮定しており,その意味で上述の計算の結果は定性的な傾向を示すものとして解釈する必要がある。
1967年に,Longuet-Higgins 2)は,島の周りでの波のエネルギーのトラップに関する論文を発表した。この研究は,ニュージーランドのMacquarie島での検潮記録に現われた,2日間にわたる周期6分の顕著な振動を説明することがきっかけになっている。
この島の長さは約33kmで,まわりを数百mの水深の陸棚に囲まれ,その全体が水深約4,000mの海洋底の上に存在している。隠岐の島後は,島の直径が約20kmで,まわりを水深約200mの陸棚に囲まれてはいるが,その外側は,水深2,000m以上の部分もあるものの,南側は約10kmで島根半島であり,東北東には隠岐堆があって,海底形状は複雑である。
しかし,そのスケールはほぼ同じであり,Longuet-Higginsの示した島による波のエネルギーのトラップの可能性も考えられるので,ここではその面からの検討を加える。
彼の考えは,いわゆる陸棚波あるいはエッジ波の考えを同心円状の等深線を有する海底形状に対して拡張したものである。この場合には,2種類の一様水深部が接続された形の陸棚の場合と異なって,完全な波のトラップは不可能であることを示した。その物理的理由として,同心円の内側から外側に向から波が内側に反射するためには,水深が動径方向に動径の自乗以上のはやさで増加する必要があることを挙げた。
しかし,完全な波のトラップはありえないものの,実質的にはトラップとみなされる場合があることを示し,平らな円筒で表現され
図一8.動径方向の水深増加の割合(隠岐島後)
る高まりを有する形状の場合には,その共振周期も計算している。その結果から,Macqu-arie島の場合には,島の周りを一周するのに約6分,すなわち検潮記録に見られた卓越周期と同程度の時間を要するような波が共振モードとして存在しうることを示した。
以上のように,Longuet-Higginsの論文は,もっぱらきわめて単純な形状の島の場合の共振周期の議論に終始し,島の周りの波高の分布に関しては議論していない。
上述した波のエネルギーのトラップが生じるための必要条件である水深の動径方向の増加の割合について,隠岐の島後の場合について調べたのが,図一8である。この図は,図一1中の細線で示した線に沿う水深の変化を示したもので,少なくともこの部分では条件を満たしている。しかしながら他の部分では動径の自乗よりゆるやかな水深増加の部分がかなり見られる。
既に図一3で示した西郷湾にある検潮所の記録には6〜7minの卓越周期が見られる。図一9は,西郷湾の5万分の一の地形図である。西郷湾の固有周期を,Neumannの方法 3)で簡単に計算した結果,約13〜14min.となった。したがって,6〜7min.の卓越周期は,西郷湾の固有周期ではなく,来襲した外海の津波の周期か,または上述のLonguet-Higginsのいう機構によって島の周りにトラップされた波の周期であるかもしれない。
図一9.西郷湾
6.島の周りでの津波の変形に関する数値計算
以上のように,調査結果からLonguet-Higginsのいう島による波のトラップの現象を確認することはむずかしい。Longuet-Higgins自身も,共振モードのうち振幅が大きいモードの波が島のまわりを一廟するのに要する時間が,検潮記録に見られる6分の卓越周期に近いことを述べているにすぎない。
ここでは,隠岐の島後の島の海岸に沿う特徴的な遡上高の分布が,長波の数値計算によって説明できないかどうかを検討してみる。
数値計算は差分法を用いており,基本的なところはいわゆる数値波動解析法4)に基づいている。すなわち,未知量として線流量と水位をとり,沖側境界条件として反射波が自由に沖側に通過する条件を,側方および島の反対側の境界の条件としては無反射の条件を用いた。
ただし,水位が海底面のレベルより低くなった場合は水位を海底面のレベルにし,また移流項を含めた。陸地の境界条件は完全反射としており,その意味で,計算結果に定量的な精度は期待できない。
計算領域は,図一10に示すように,隠岐の4つの島を含む80km×40kmの長方形である。
長い辺の方向は屈折計算における長い辺の方向(y方向)に一致している。この領域を1kmメッシュの格子網で分割し,格子点で水深を与えた。水深は,20万分の一の地勢図と海図を参考にして決定した。ただし,入射側の境界よりさらに入射側に,いわゆる沖側境界条件を与える,入射方向に3メッシュ分の領域を付け加え,そこでの水深は300mの一様水深として,その付近の水深は300mに滑らかに変化するように修正して与えた。
図一10.隠岐周辺の津波変形の数値計算の領域
計算の時間ステップは12secとし,波の周期は,5min.から10min.まで1min.おきに6種類の値を与えた。入射波の振幅は1mとした。
図一11は,計算結果を示している。島の周辺の海岸の1kmメッシュの格子で表現される各地点において,5波目までの波の峰高の最大値を示している。ただし,周期5分から8分までは6m以上のもののみ,9分と10分のものは10m以上のもののみを示した。既に述べたように,値そのものはあまり意味はない。なお,5波目までに限ったのは,島後の2m以上の遡上高を示した地点のうち,最大の遡上高を生じた時間が聞き込み調査でわかっているところは,いずれも最初の数波までの間であったからである。
図一1の遡上高が2m以上の場所とその高さを,図一11と比較してみる。図一1では,高い遡上高を示した地点は,島のほぼ北,北西,南である。周期5分の計算結果の傾向は,北西を除いて異なり,北および南の高い遡上高が説明できない。6分についても北および南の高い遡上高が説明できず,実際の遡上高と異なって,北東から南東(すなわち計算において,入射波に対する側)が大きくなっている。7分になると,実際とは異なる北東から東側でやはり大きいものの,実際の場合と同様,北,北西,南にも大きいところがある。
8分は,7分とほぼ同様である。9分の結果では,7分および8分の結果と比較して,北東および南東がなくなる一方,南に高い波高がない。10分でも,南に高い波高がない。
以上のように定性的に比較してみると,計算では入射波に対向する方向の東側で,実際とは異って波高が大きくなる点を除けば,周期が7分と8分の計算結果が実際の調査結果に近い。
既に述べたように,西郷の記録に見られる卓越周期は6〜7分,また運輸省の港研資料 5)では,スペクトル解析の結果で7分がピークになっている。このように,差分法による島周辺での長波の変形計算結果による波高の大きな地点の分布と実際の調査結果による分布の定性的な類似性から判定した周期は,西郷の検潮記録に見られる卓越周期と一致する。
したがって,島の周辺の遡上高の分布が周期約7分の津波の変形結果として説明しうるのかもしれない。
しかし,すでに述べたように,7分という時間は,Longuet-Higgins 2)のいう島による長波のトラップによる共振周期という可能性も否定できない。とすれば,島による長波のトラップによる共振周期を入射波の周期とした計算結果が,実際の遡上高の分布と一致しても,それは数値計算の妥当性を意味しない。
図一11.隠岐周辺の数値計算結果(1)周期5分(2)周期6分(3)周期7分(4)周期8分(5)周期9分(6)周期10分
7.考察
もう一度今回の津波の特徴を考えてみる。まず周期であるが,西郷の検潮記録に見られる6〜7min.の卓越周期は,波源のスケールが70〜80km,日本海の中央部の水深が3,000mとすると,波速が線型長波として約170m/secとなり,70kmが波長とすると,この距離を通過するのに要する時間は,70km/170m/s=7min.となって一致する。したがって,隠岐に来襲した津波自体が約7min.の周期を有していたと考えても無理ではない。
一方,図一3からわかるように,津波は16時半頃一旦小さくなってから,再び大きくなっている。このことは,日本海という閉じた水域を伝播した津波が陸岸で反射され,直接来襲した津波が通過した後で隠岐に到達したことが考えられる。
さらに隠岐諸島の近辺の海底形状をあらためて見ると,島根半島の前面の陸棚の上に隠岐諸島が存在していると考えられる。したがって,5.で述べたLonguet-Higginsの扱った,孤立した同心円状の海底形状ではなく,中国地方の日本海沿岸(山陰沿岸)の陸棚の上に島が存在するというさらに複雑な状況と考えられる。
この場合には,いわゆる陸棚波も発達し,その他に島状の地形による波のトラップも考えられることになる。西郷の検潮記録で,津波が長時間にわたって継続しているのは,日本海全体としての振動によるものかもしれないし,また山陰沖の陸棚によってトラップされた波によるものかもしれない。
そう考えると,6.で示した解析ではこのような現象を説明出来ない。すなわち,数値計算では,隠岐諸島を囲む80km×40kmの領域に津波が入射し通過すると仮定しており,山陰沖の陸棚でトラップされる波や山陰沿岸で反射された波は考慮できない。できる可能性のあるのは,島状地形による波のトラップのみである。
表一1.:最大偏差と最大遡上高の発生時刻
6.で述べたように,島後の調査で最大の偏差又は遡上高が生じた時間がわかっている地点は,遡上高が2m以上の地点では加茂,中村,久見の3箇所であり,2m以下の地点も含めて,今回の調査および東海大学の調査で最大偏差あるいは最大の遡上高が生じた時間のわかっている地点とその時間は表一1のとおりである。ただし,西郷は図一3から求めた。また最大偏差か最大遡上高かの区別のつかない地点が多く,その場合は両欄の中間に記入している。
偏差か遡上高かがわからない地点を含めると,津波の第1波が1時半頃に来たとして,それから約半時間つまり2時までに最大になった地点は,加茂,中村,久見,菱浦で,一方,西郷,布施,船越では,約1時間半後の3時以降である。
したがって,これだけの資料からは,山陰沖の陸棚によるトラップが顕著であったかどうかはわからない。また図一3からわかるように,津波の第1波が来襲した午後1時半頃は天文潮位の最高位の頃で,以後減少しているため,かりに山陰沖でのトラップによってかなり長い時間にわたって振動が持続し,その振幅の最大の波がかなり後で発生したとしても,天文潮位との和としての最大遡上高は大きくならなかったのかもしれない。
今後,山陰沿岸およびその沖の陸棚を含めた広範囲の数値計算を行なう必要がある。
8.奥尻島での津波に関する
調査 1),5),6)奥尻島に関して,日本海中部地震津波の資料として最初に入手したのは,昭和58年度の日本海洋学会秋季大会で発表された防災センタ_の木下らの現地調査の報告6)である。図一12は,その中で示された奥尻島での水位分布の図である。
その後,奥尻島に関しては,東海大学の調査報告 1)でも記述があり,さらに運輸省港湾技術研究所資料5)でも報告されている。図一12には,この2つの報告による水位も記入している。
若干の差はあるが,水位分布の傾向は,奥尻島の南端の青苗岬より外海側(西側)のとくに南側で水位が高く,それ以外には東北に位置する奥尻港でやや高くなっている。2つの資料 1),5)によると,津波は最初の2,3波が大きく,その周期は10分程度であった。
図一12.奥尻島における津波遡上高の分布(基準:東京湾中等潮位 )1),5),6)9.奥尻島周辺での津波の変形の特徴奥尻島の周辺は,隠岐と異なり陸棚は発達しておらず,北海道の渡島半島に沿って約50kmの幅の陸棚の外側は水深3,000mになっている。さらに奥尻島の海岸は隠岐と異なり,地形が単調で局所的な波高の増大を起こすような海岸線の出入がない。また,最高の水位が生じたのが2,3波目であることから,6.で隠岐について行なった計算は,奥尻島については,実際に生じたと思われる現象により近いのではないかと想像される。
図一13.動径方向の水深増加の割合
(奥尻島)
すなわち,陸棚が発達していないことから,陸棚での津波のトラップによる長時間にわたる振動の持続の可能性が少ないことが考えられる。事実最高水位は2,3波目で生じている。したがって,この最高水位を説明するには,奥尻島を囲む狭い領域の一方から入射し通過することを仮定している数値計算でも可能であることが考えられる。ただし,渡島半島での津波の反射はこの計算では説明できない。
なお,隠岐の場合と同様に,Longuet-Higgins 2)の島による長波のトラップの必要条件としての動径方向の水深の増加の条件を調べたのが,図一13である。この場合は隠岐と異なり,北西,南西,南東,北東のいずれの方向でも,水深は動径の自乗以上のはやさで増加しており,島による津波のトラップの可能性は隠岐よりも大きいと思われる。
ただし,隠岐と同様,上述の資料だけではそれを検討することはできない。参考のために,木下らの報告6)に示されている奥尻港での水位記録を図一14に示しておく。この図からは,既に述べた調査結果による周期10分と同程度の周期が見られる。
10.奥尻島周辺での津波の変形の数値計算
計算手法は,6.の隠岐での場合と同様である。計算領域の大きさも,80km×40kmで同じであるが,その長手方向は南北方向に一致させた。津波の侵入方向は詳しくわからないが,調査結果 1)では,「奥尻島南端の青苗岬を南南東と南南西から包み込むようにやってきた」とある。格子間隔は,隠岐と比べて水深が深いため,2kmとした。時間ステップは6secとし,波の周期は隠岐と同様に,5min.から10min.まで1min.おきに6種類の値を与えた。
図一15は,計算結果を示している。隠岐の場合と同様,値そのものには意味がないため,あるレベル以上の波高を示したところだけを線分の長さで相対的に示している。周期6min.の場合はそのレベルに達する地点がなかったので,示していない。図から明らかなように,周期8〜10min.の計算結果が図一12の遡上高の分布に近い。これは,周期が10min.程度であったという調査結果とほぼ一致する。
11.あとがき
昨年の5月26日に起きた日本海中部地震と津波に対する文部省の科学研究費の自然災害特別研究による突発災害調査が決まった時点で,西日本の関係のうち隠岐における被害が目に付いた。
頭の片隅にあった島による長波のトラップ現象と関係があるのではないかと思い,隠岐の,特に島後の島周辺における遡上高の分布を,Longuet-Higginsの島による長波のトラップの論文で説明出来ないかと試みたが,Longuet-Higginsの論文は単にきわめて簡単な海底形状の場合の共振周波数を与えるのみで,遡上高の分布は彼の論文では説明できないことがわかった。
そこで,差分法を用いて計算された結果と調査結果を比べ,両者が定性的に一致する計算上での入射波の周期が,調査による津波の周期と一致することを確かめることにした。
その目的はほぼ達成されたと思い,この論文の原稿の前半を作った時点で,上述の数値計算では,山陰沖に広がる陸棚による波のトラップは説明できないことに気がついた。
ただし,たまたま津波が来襲したのが天文潮位の最高潮位の頃であったので,西郷での検潮記録でも明らかにわかるように,津波による振動は一度減少したのち,再度大きくなり,むしろ最大偏差はこの後半の津波によるにもかかわらず,最高の遡上高は第4波ぐらいまでに生じた。その結果,上述の数値計算でも定性的には島の周りの遡上高の分布を説明できたのかもしれない。奥尻島については,山陰沖ほど陸棚が発達していないのでここで行なった計算でもよいのかもしれない。
隠岐に関しては,今後山陰沖の広い陸棚を含めた領域で計算をやりなおす必要がある。
もちろん,これでも日本海全体での振動は考慮できない。
12.謝辞
最後にこの研究を行なうに当りお世話になった多くの方々に御礼を言いたい。
隠岐の調査に関しては,運輸省第3港湾建設局境港工事事務所の橋間元徳所長,島根県西郷土木建築事務所の服部豊主幹はじめ多くの方にお世話になった。
また京都大学工学部の岩垣雄一教授,東京大学地震研究所の梶浦欣二郎教授,京都大学防災研究所の土屋義人教授,東北大学工学部の首藤伸夫教授には種々の有益な御助言をいただいた。
さらにこの研究の全過程において阿南工専の島田富美男講師(当時京都大学内地研究員)および京都大学工学部学生石突寿啓君にお手伝いをお願いした。またこの研究の一部は昭和58年度文部省科学研究費自然災害特別研究によったことは言うまでもない。ここに謝意を表する。
13.参考文献
1)東海大学海洋学部海洋土木工学科:昭和58年日本海中部地:震の津波痕跡記録把握調査報告書,1983.
2)M. S. Longuet-Higgins: On thetrap Ping of wave energy roundislands, Jour. of Fluid Mech., Vol. 29,pp.781-821, 1967.
3)土木学会編: 水理公式集, 昭和46年改訂版, pp.564-565, 1971.
4)谷本勝利・小舟浩治・小松和彦: 数値波動解析法による港内波高分布の計算, 港湾技術研究所報告, 第14巻, 第3号, pp.35-58, 1975.
5)谷本勝利・高山知司・村上和男・村田繁・鶴谷広一・高橋重雄・森川雅行・吉本靖俊・中野晋・平石哲也: 1983年日本海中部地震津波の実態と二・三の考察, 港湾技研資料, No.470, 1983.
6)木下武雄・つじよしのぶ・小西達男・沼野夏生・阿部修:昭和58年日本海中部地震の津: 波の現地調査,1983年度日本海洋学会秋季大会プログラム概要集, pp.331-332, 1983.

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1983年日本海中部地震津波の波源数値モデル
相田勇*
*東京大学助教授,地震研究所
1.はじめに
1983年5月26日12時00分,秋田県西方沖約100kmの,40度21.4分N,139度04.6分E,深さ14kmに,M7.7の地震(気象庁による)が発生した。これに伴った津波は,日本海沿岸各地を襲い,特に秋田県,青森県および北海道西南部を中心に,死者100名をはじめとする,多くの被害を及ぼした。この津波の特徴として,周期がかなり短かく,場所によっては10分以下数分程度のところもあった。更に波源に近い能代を中心とする海岸は,平均海底勾配が1/250にもなる非常に遠浅の海岸であり,津波の進行につれ浅海での非線型変形を生じて,海岸砂丘へ急激な遡上をみせた。遡上高は局部的には15mに達した(秋田大学鉱山学部土木工学科,1983など)。このような性質から波源近くの深浦,男鹿(戸賀)の両検潮所の津波記録は,検潮井戸導水管の周期特性によると思われる著しい減衰を受けて,付近の浸水高にくらべて非常に振幅が小さい。また能代港内の検潮記録は,最大約2mで,港内の津波は港外周辺の砂丘の7m程度の遡上高にぐらべて著しく減衰していることがわかる。したがって波源モデルを仮定し,数値実験を行う際の検証津波記録として,これら近傍の記録をそのまま使用することが出来ない。ここではやや遠方の津波記録を満足するような波源モデルを求め,近傍記録は補助的に使用することにした。
図一1.計算領域
点線で囲まれた範囲は,外海の計算格子間隔(5km)の1/2〜1/16に順次に格子を細かくして計算した。
2.数値実験の方法
数値実験は浅海波方程式を差分leap-frog法によって解く従来の方法で行った(AIDA,1978bなど)。計算領域は図一1に示すように,北海道小樽から,石川県輪島までを覆う900*420km2の範囲で,5km間隔の格子点181*85個の水深データを海図から読み取った。また小樽,奥尻,江差,函館,深浦,
能代,男鹿(戸賀),船川,酒田,新潟東港,両津,寺泊,直江津,富山,輪島については,付近浅海域を1/2づつ4段階に格子間隔を細かくとってある。計算時間間隔は0.05minである。
また波源としては断層モデルを仮定し,そのパラメータからMANSINHA and SMYLIE(1971)の方法によって海底の鉛直変位を計算し,それを水位の初期条件として与えた。
図一2.試行した波源断層モデル
+は本震の震央,影線をつけて囲んだ領域は,東北大学地震予知観測センターによる余震域。長方形で断層面の水平面への投影を示す。付した数字はモデル番号。
3.試行モデル
この地震はSHIMAZAKI and MORI(1983)および,MORI and SHIMAZAKI(1983)によると,二つの主要な断層破壊(厳密には三つ)によって生じたとされている。この発震機構解の暫定結果(私信)をモデルの出発点として,図一2および表一1に示す12個のモデルについて数値実験を行った。
図一2で影をつけたへちま形の範囲は,東北大学地震予知観測センター・他(1983)の資料による5月31日までの余震分布を示し,+は本震震央の位置である。波源としての断層モデルは,南北二つの部分より成るものとし,図中の長方形は,地表面への投影をあらわす。長方形につけた数字は,モデルの番号を示している。
Model-2から10の中,Model-3および4を除くと,断層面の大きさはすべて同一で,また傾斜角も同じにとってある。異なる点は,断層面の位置である。Model-9および10は断層のずれ変位量を変えてある。またModel-11から13は断層面の大きさをやや大きく,ずれの量も大きくとり,北側断層による地震モーメントを大きくなるように試みた。それに伴い,断層面の傾斜角は小さくしてある。
4.モデルの評価
まず各モデルによる数値実験において,小樽,江差,函館,酒田,新潟東港,両津,寺泊,直江津,富山,輪島の10個所の津波波形を計算した。これらの地点では,それぞれ検潮器による津波記録が得られているので,この実測記録,計算波形それぞれの第1の波峯の振幅を読み取り,Xi,Yiとする。iは地点の順序番号を示すものとする。そこでKi=Xi/Yiを計算して,横軸に地点をとって図示すると図一3のようになる。この図には代表的なモデルとしてModel-3とModel-10を示した。
図一3.10個所の検潮所におけるKiの変動,Kiは最初の波峯の振幅の,観測値とシミュレーション値の比。
KはKiの幾何平均値,log kappa はKiの対数標準偏差。
図一4.試行シミュレーションの結果の比較
(上)10個所の検潮所における最初の波峯の振幅の観測値とシミュレーション値の対数標準偏差,(中)深浦および男鹿(戸賀)の最高水位のシミュレーション値と浸水痕跡,(下)深浦,男鹿,能代の第1波の峯の高さと最初の下げ波振幅の比。
Model-3は右側部分にくらべ,左側部分で1よりかなり大きくなっていることがわかる。いま10地点のKiの幾何平均をKとすると,図中に記したようにModel-3に対して1.25,Model-10に対して0.99となる。さらにKiがKを中心としてどの程度変動しているかをみるたあ,Kiの対数の標準偏差log kappa から kappa を求める。これはモデルが各地の津波振幅を近似する程度を示すと考えられる。図一4の上部に,モデル番号を横軸にとって,このKの値をプロットして示した。Model-5以降はかなり小さくなっているが,Model-11から再び大きくなっていて, kappa の最低は1.25程度になった。
一方,数値実験で計算:された深浦および男鹿(戸賀)の最高水位をみると,図一4の中段に示すようになっている。深浦,男鹿の実際の津波の高さの調査値は,秋田大学鉱山学部土木工学科(1983)の速報や,自然災害科学研究調査班の暫定的な報告(私信)などによると,ほぼ3.1mおよび3.3mといった値が得られている。この高さを図中に水平の点線で示した。この振幅の面からみると,Model-6から10が実状に近似していて,Model-11以降は,深浦の高さが男鹿にくらべて非常に大きく計算されている。
つぎに深浦,能代,男鹿(戸賀)の検潮記録によると,いずれもはじめに下げ波があり,ついで上げ波に転じている。そこでこの最初の下げ波に対するつぎの上げ波の振幅の割合を見ることにする。この場合深浦,男鹿の記録は,検潮所近傍の実際の津波の高さより著しく低い値を記録していて,これは検潮井戸の周期特性によるものと考えられる。したがって上げ波,下げ波の振幅比も正確には表現されていない。そこで簡単な特性補正を行った上で,この比をみることにする。
いま検潮井戸の直径をA0,導水管の直径を、AT,井戸外水位をa1,井戸内水位をa2とすれば,
式(A)
の関係がある(CROSS,1968;NOYE,1974)。ここにCは導水管の損失係数である。筆者は伊豆大島近海地震津波の伊東検潮所の記録について,この式にもとついた補正を試みた(相田,1978a)。今回はこの方式の補正によって,検潮記録振幅が,井戸外の浸水高あるいは数値実験計算値に相当する程度になるように,C* =(AT/・A0)Cを適宜変更して計算を行った。
図一5の点線で示した波形は,深浦,男鹿の検潮記録をディジタル化し,時間間隔0.25minの差分によって上式から求めた井戸外の水位である。この場合のC* は深浦について
図一5.検潮井戸導水管の特性を仮定して補正した深浦と男鹿の検潮記録(点線)とModel-10のシミュレーション値(実線)。
0.000434,男鹿について0.000637となっている。この補正の妥当性は,井戸外の水位の正確な測定値が得られていないので,検証することが出来ない。ここではこの波形が,より実際に近いものであると考え,実線で示した数値実験値による波形と比較し,最初の下げ波に対するつぎの上げ波の振幅比だけに着目する。
図一4の下段には,数値実験波形による上げ波,下げ波の比がモデルについて示してあり,Obs.と示した水平の点線により,上述した補正検潮記録による上げ波と下げ波の比を示した。なお能代については,港内の水位測量値が検潮記録とほぼ一致しており,また数値実験値もほゴ近似した値が得られることから,補正などの手段をとらず,そのままの値で示してある。
これをみるとModel-3を除いて大差はないが,Model-7が最も妥当であるようにみえる。またModel-11〜13は,北側断層の傾斜角が小さいため,沈降域の沈下量が大きくなって,深浦の上げ波下げ波比が小さく観測値との一致がよくなっている。特徴として,男鹿,能代は最初の下げ波は比較的小さいが,深浦はそれがかなり大きいことである。
図一4の全体からModel-6から10までが妥当と思われる。Model-7は深浦,男鹿の振幅の面,最初の下げ波の大きさの割合などで最も成績がよいが,kappa が■々大きいので採用しないこととした。またModel-11から13は,最初の下げ波の割合については妥当な値となっているが,深浦の津波の高さが大きくなり過ぎ,またkappa がやや大きいので採用し難い。Model-6から10については,大きな差がないが,図一2に示すように,余震域の形と位置に断層面が合致している点で,Model-10を採ることが自然であろうと思われる。
図一6.Model-10による海底の鉛直変位場。
実線は隆起,点線は沈降の等値線
5.Model-10による津波
Mode1-10の断層パラメータから,海底変位の分布を示すと,図一6のようになっている。すなわち,北側断層の傾斜角が25度と低角であるので,沈降量が比較的大きく,沈降の主要部は変動域の北東側にある。これはそれに近い深浦の始めの下げ波を大きくしている。また南側断層は,ずれの量が北側にくらべ2倍以上であるので,海底変位の大きい部分は変動域の南側に集中しており,今回の津波が能代付近を中心として,男鹿と深浦の間で高かった様子をあらわしている。
この波源から計算された各地の津波波形を図一7に実線で示した。点線で示したものは,検潮記録をディジタル変換した上で,潮汐を除くため120分の高域通過フィルターを通した結果である。全体に計算値は波形としてもかなりよく実測値に近似しているが,短周期波形はやや一致が悪い。また位相の一致しない地点があるが,これは波源位置の調整では補い得ない程度であるので,観測点近くの浅海域の水深データの欠点や,検潮記録の刻時の精度に起因するかもしれない。
つぎに津軽半島先端付近から象潟付近までの海岸に沿った200m等深線上に,約15km間隔にとった13個の点(図一8に黒丸で示す)で,計算された津波波形から,始めの波(男鹿沖,秋田沖の2点を除きこれが最高波)の全振幅をとりH0として図一8にプロットした。またその点に対向する海岸(鎖線で区分した範囲)での津波の高さ(遡上高測量値)を平均したものをR0として2重丸で示した。
2重丸に付した数字はデータ個数であり,縦の棒は標準偏差,三角はデータ中の最高値を示している。なおこのデータは秋田大学鉱山学部土木工学科(1983)の速報および災害科学研究調査班の暫定資料から使わせて頂いた。R0の最大は能代,八森付近の約7mであり,H0は約3.7mである。
R0とH0の比をとると,図の一番下のカーブのように約2〜3程度であり,この傾向は三陸海岸での1968年十勝沖津波や,1933年三陸津波の結果(相田,1977)とほぼー致している。すなわち,波源近傍では,局部的には砂浜海岸での遡上高に15mに達したものがあるものの,区間平均の津波の高さは,遠方の検潮器の津波記録を満足するモデルで矛盾なく説明できるように思われる。一方,今回の津波が非常に短周期であったので,波形のゆがみなどを考慮すると,格子間隔を十分小さくとる必要がある。この点を検討するため,最大遡上高が測定された能代市北方の峰浜村付近を対象に,細かい格子で計算を行った。格子間隔は外海域で2.5km,200m以浅では1,250m,625m,312.5m,156.25m,78.125mと5段階に細かく,さらに10m以浅では15.625mにとった。この最終段では海岸付近の詳細な水深は不明であるので,10m以浅の海底勾配は1/130,水深1mから陸上へかけては1/10として,陸岸は移動境界とした。ただし格子細分化域の幅は,1,250m格子の場合で22.5kmであり,格子間隔がせまくなるにつれて,幅も順次にせまくなっているので,横方向からの波に対しては,精度は十分でない。
海岸付近での計算波形を図一9に示した。20m水深の位置で振幅2.8m程度であるが,水深が浅くなるにつれ振幅を増し,平常時の汀線から100m程度の地点(水深1.7m,但し一様傾斜を仮定)で振幅6.25mになり,最大遡上高は6.8m程度と計算された。すなわちこの波源モデルで,浅海波として取扱った場合でも,図一8の区間平均値の7m程度の遡上高が説明できることになる。したがって,さらに波面前面で波状段波を形成するような条件がある場合,局地的には更に高い遡上高を示すこともあり得ると思われる。水深20mの波形からもわかるように,能代方面へ向う津波の周期は7.5分程度とかなり短かい。このことが海底勾配のゆるい海岸の特徴と相まって,能代付近での異常に高い遡上高を現わしたものと思われる。
図一9.能代市北方,峰浜の海岸付近の計算津波波形
Dは水深を示す。このシミュレーションで用いた計算格子間隔は,外海、2.5km;
200m以浅,1250〜78.125m;10m以浅,15.625mである。
6.むすび
今回の日本海中部地震は,日本海側としては最大級の地震であり,津波の高さも局部的ではあるが,15mに達した。波源に近い秋田県能代を中心とする海岸の浅海域では,段波となって来襲する津波が,多くのビデオテープや写真におさめられ,われわれもその状況を知ることができた。しかし比較的遠方では当然振幅も小さくなり,非線型の効果も減少するので,津波の数値実験も従来の浅海波方程式によるもので行い得ると考えられる。
今回小樽から輪島に至る10個所の検潮所の津波記録の第1の波峯振幅を妥当に説明する波源の断層モデルが求められた。これは余震域にほぼ相当する範囲に南北二つの断層面を持ち,南側は走向N22度E,長さ40km,幅30km,東下がりの傾斜角40度の逆断層で,ずれの量は7.6mであり,北側は走向:N5度W,長さ60km,幅30km,東下がりの傾斜角25度の逆断層で,縦ずれ成分3.Om,左横ずれ成分0.54mである。この地震モーメントを求めてみると,剛性率を4*10^11 dyne/cm2として5.8*10^27 dyne・cmとなり,モーメントマグニチュードMwは7.8に相当する。
また,この波源モデルで能代北部海岸での遡上高を計算してみると,6.8m程度になる。これは異常に高い遡上高を示した局部的な値を除けば,能代海岸での平均的な遡上高であって,今回求められたモデルが,長波として発生した津波エネルギーは,ほぼ妥当な大きさであることが,波源近傍の値としても認められたと考えられる。
一方,津波のエネルギーは,海底変動量をxi ,変動面積をSとすれば,式(A)で求められる。ここに rho は海水密度,gは重力加速度である。そこで今回求められた波源の断層モデルから得られる海底変動パターンを用いて,この津波のエネルギーを求めてみると,0.395*10^21 エルグと計算された。地震のモーメントマグニチュードMwとEtの関係は,KAJIURA(1981)によってまとめられているが,この値は従来筆者によって同様の方法で求められた10個あまりの津波におけるMwとEtの関係とほぼ調和している。この場合前述のように今回のMw=7.8としてあるが,Etは同一Mwとすればほぼ上限の値になっている。このことは今回の津波が,どちらかといえば効率のよい発生であったといえる。
謝辞
この報告をまとめるにあたって,有益な御助言を与えられた地震研究所梶浦欣二郎教授,および研究途上の断層パラメーターの暫定的数値を御教示頂いた島崎邦彦助教授に感謝の意を表します.またこの計算は東京大学大型計算機センターを利用して行われたことを記しして謝意を表します。
参考文献
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第2編 調査資料
1983年日本海中部地震津波の痕跡高 *)
文部省科学研究費補助金「1983年日本海中部地震による災害の総合的調査研究」(代表者:秋田大学乗富一雄)による津波痕跡調査の結果を図および表として以下にしめす。
調査要領はチリ津波時にまとめられた踏査速報にのべられているものに準拠した。これは,東京大学地震研究所大地震対策委員会の「大地震現地調査の手引き」とほぼ同一の内容であるから参照されたい。
津波痕跡資料の信頼度はA,B,Cの3段階にわけられている。すなわち,A:信頼度大。痕跡が明瞭で,測定誤差が最も小さなもの。図中,黒丸印。B:信頼度中。痕跡は不明だが,聞込みや周囲の状況から信頼ある水位を知ることができ,測定誤差が小さいもの。図中,黒丸印。C:信頼度小。砂浜などで異常に波がはい上ったと思われるもの,海辺より離れていて測量誤差が大きいもの,など。図中,白丸印。である。
調査は,北海道,東北,関東,西部の各地区に分けて行なった。実際の調査者氏名は痕跡表の右肩にそれぞれ記入してある。
各調査者の報告による痕跡高とその分布図を20万分の1の図面上に再作図したものを以下の図一4〜図一73にしめす。図一1から図一3までは,各図がどの位置にあるかをしめすものであり,北より順次番号を付しておいた。この番号が図一4以降の図面中に原則として左肩に[ ]としてあたえたものと対応している。
痕跡調査表備考欄の番号は次の事を意味している。
1 M.W.L., D.L., T.P.の関係
2 最大打ち上げ高発生時刻
3 同上時天文潮位
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なお,作図には東北大学職員: 卯花政孝君を煩らわした。
*)文責・首藤伸夫(東北大学教授,工学部)
津波痕跡調査表
痕跡図
昭和59年3月15日印刷
昭和59年3月30日発行
編集兼 東北大学工学部津波防災実験所
発行者 〒980 仙台市荒巻字青葉
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印刷所 明倫社
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