防潮林經營研究録序文
靑森營林局管下の岩手宮城兩縣下に跨る所謂三陸地方沿岸地帶は古來屡々津浪の慘害を被つており、靑森縣下の日本海及太平洋沿岸地帶も亦強烈な季節風により連年風衝被害が夥しい。この被害防除に就いては舊藩時代から各種の保安林施設か設けられ現在沿岸に點綴する黑松林帶は近年數次の災害に當り顯著な効果を示して來たところである。本局所管の海岸保安林はその面積七千三百余町歩に達し、忠實に管理保護せられて來たのであるが、科學の進歩と終戰後農地改革を中心とする土地利用の合理化の氣運が釀成せられ、これに對し速かに、科學的再檢討を加へ積極的な經營によつて最少の面積を以て最大の機能を發揮せしむることが急務となつた。茲に於て本局は昭和二十三年一月農林學界は勿論氣象學、地球物理學、流体力學界等の權威者を招聘し仙台市に防潮林經營協議會を開催しあらゆる角田からその理想的な林型と施業体系とを把握するの機會を造つた。かヽる企ては林業技術界空前のことでもあり、問題の性質上短期間に結論を得て實務的な鍵を握ることは極めて困難なことと豫想されたが造形深き諸先生の熱意によつて貴重なる指針を與へられ今後飛躍的に防潮林經營技術が進歩するの楔機となつたことは主催者として欣快に堪へぬところである。
本篇は同協議會に於て諸先生の發表せられた防潮林經營に對する所論を編輯したものであつて好個の資料として洽く
同學の士に頒布する次第である。
昭和二十三年三月
靑森營林局長 山内倭文夫
目次
一、防災林行政について………………………………………………………林野局治山課農林技官 河田五郎…(一)
二、三陸沿岸の地形及地質(並に參考資料)一九四六年ハワイ群島の津波……東北大學助敎授 岩井淳一…(五)
三、防潮林の構造及施業………………………………………………………林學博士 鏑木德二…(二一)
四、砂丘造林に關する二三の考察……………………………………………林業試驗塲農学學博士 河田杰…(二七)
五、防風林の模型實驗は出來るか?…………………………………………東北大學敎授工學博士 河田三治…(三三)
六、樹冠に對する風壓について………………………………………………林業試驗塲 玉手三棄壽…(三七)
七、防潮林の防浪効果について………………………………………………東北大學敎授理學博士三陸地震津浪對策協議會幹事 加藤愛雄…(四五)
八、防潮林の津浪並に潮風に對する効果について…………………………仙台管區氣象台長 森田稔…(五一)
九、東北地方の海岸林…………………………………………………………東北大學敎授理學博士 吉井義次…(五九)
十、農作物と潮風害……………………………………………………………東北大學敎授理學博士 山本健吾…(六七)
十一、昭和二一年南海地震に於ける和歌山縣防潮林効果調査……………林業試驗塲農林技官 川口武雄…(七一)
十二、研究座談會摘録…………………………………………………………………………………………………(七九)
十三、防潮林經營の計畫資料…………………………………………………富士産業顧問 小山悌…(九五)
防災林行政について 河田五郎
防災林行政について
林野局治山課 農林技官 河田五郎
森林は木材、薪炭等の供給源であると共に、林木の生立する事によつて人類に色々の福利を齎してゐる事は昔から云はれて居る。即ち洪水の害を緩和したり、灌漑用水の確保を計つたり、或は海濱の森林は飛砂や津波の害を防ぐものである。故に凡ての森林は災害の防止上に貢献してゐると云へよう。然し普通には特定の災害を防ぐために設ける森林を防災林と稱し、保安林として取扱はれてゐる。
海岸の津波の襲來する危險のある箇處、或は飛砂の害で耕作物の被害のある箇處等に森林を造成して、其害を防ぐ事は昔より行はれ、日本の各地にその防災林が存在してゐる。
防災林の造成事業が山林行政の一部として全國的に取上げられたのは、昭和七年から始められた海岸防砂林造成事業等で、五ヶ年間に亘る繼續事業で、總經費百余萬圓が支出された。次で昭和八年に發生した三陸地震の際、海岸防潮林の効果が認識された。其の災害復舊事業の一部として防潮林の造成が岩手、宮城、靑森各縣下に行はれた。昭和十二年度に至り綜合的な災害防止林の造成事業が開始され、防風林、防潮林、頽害防止林、海岸砂防林を重要な箇處爭の爲め充分な實行が出來なかつた。
本年度は暫定的に事業を行つてゐるが、明二十三年度よりは新たに計畫された治山事業の一部として防災林の造成事業が行はれる豫定である。
此計畫は昭和二十一年度に行つた全國的な防災調査の結果より定められたもので、戰後の森林の現况に基き國民生活の安定と産業並に諸施設の保護のため緊急必要な處に防災林を設定せんとするものである。
森林の行政の面から防災林を見ると保安林制度により防災(保安)林を定め、之の監督を行つてゐる。
森林法により保安林として飛砂防止林、水害防備林、頽雪防止林、潮害防備林、防風林が設定されてゐる。然し之等の保安林の配備状況と内容(規模、林相等)は必ずしも適正でなく、戰時中の伐採により甚だしく破壞されたものもある。
防災保安林を適正に配置し、必要な内容を具備せしめる事は緊急に必要な事であるので、明二十三年度より之の事業に着手する豫定で、目下準備中である。
以上防災林の新設と防災保安林の強化とにより森林の災害防止の機能を最高度に發揮せしめ、再建途上にある我國より災害の脅威を除去する事を期するものである。
參考
防災林造成計畫(昭和二三年—二七年度)
内陸防風林 一一、五六二町歩
海岸防風林 三、一四七
頽雪防止林 七、八三七
水害防備林 一、五八五
防潮林 一、五七〇
海岸砂防林 九、六〇六
以上
三陸沿岸の地形及地質(並、參考資料) 岩井淳一
三陸沿岸の地形及地質
東北大學助敎授 岩井淳一
本洲東北端尻屋崎より八戸に達し、南下して岩手縣久慈、宮古、釜石、宮城縣氣仙沼、雄勝を經て牡鹿半島に延び更に北上河口より松島灣を經て阿武隈河口に到る太平洋沿岸を廣義の三陸海岸とすれば、此の海岸は地形的に又地質的に大別して三區域に分たれる。即、尻屋崎より八戸に至る下北半島部、八戸附近より牡鹿半島に至る北上山地の東縁をなす部分及北上河口以南の三部分である。
今假りに之を北部、中部及南部海岸區とすれば之等の内北部及南部海岸は略直線的乃至多少の灣曲を示し、凹面を太平洋に向け、中部海岸は之と反對に凸面を太平洋に向け、唯僅に氣仙沼より牡鹿半島に至る海岸が凹面を太平洋に向けるに過ぎない。而も其の海岸線は著るしい對照をなし、北部海岸は尻屋崎以南の約七粁、老部より白糠を經て泊に至る約八粁の海岸を除いては南北約一〇〇粁に亘る長汀をなし平滑な海岸線を有し、之に沿ひ幅五〇〇米—一〇〇〇米の砂濱及所謂砂丘地帶發達し、背後に廣濶な海岸平地を伴ふ事多く、低位段丘の段丘崖に終り、吹越烏帽子(五〇四・八米)金津山(五二〇米)を主峯とする御宿山(四九六米)八郎烏帽子(四二一米)石川台(三三九米)及尻屋崎背後の桑畑山(四〇〇・六米)及其周縁の稍高い山地を除いては標高一〇〇米ー一五〇米内外の丘陵性山地をなし數段の段丘が顯著に發達する。
北上河口より阿武隈河口に至る南部海岸も亦一部には松島灣、塩釜灣の如く複雜な出入を示して其の單調を破る部分もあるが、之を除けば一般に平滑な海岸線を示し、定河河口の濱部落、野蒜海岸、洲崎濱、菖蒲田濱、長濱、荒濱(深沼)を經て阿武隈河口に至る間は地名にも示される如く幅五〇〇米内外の砂濱及砂丘地帶が貞山堀の外側に連り其の背後には多少の砂地を經て幅四ー八粁の廣濶肥沃な平野を有し、美事な段丘の發達する丘陵地に終る。
之等南、北兩海岸に比較し中部海岸は極めて特徴のある海岸線を有し複雜な鋸齒状の出入を示し宮古灣以南に特に著るしく平面的にV字、U字或は長U字型を示す大小無數の灣、入り江を抱き所謂リアス式海岸(Riaskiiste)をなす。之等の出入著るしい海岸線が陸地の沈降のため嘗て陸上侵蝕によつて生じた河谷に海水が侵入して生じた沈溺谷を示すもので、その灣或は入江の等深線の分布状況が之に續く現在陸上にある部分の等高線の分布に極めて類似する事に依つて推論せられ、灣或は入江の底は嘗て陸上にあつた河谷の底に當り、大きな灣、入江は大きな河谷の沈溺したものであり、小さな出入はその支流河谷或は小さな河谷の沈溺したものと云ふ事が出來る。
次に之等三海岸地區を地質的に觀察する時は地形的に觀た時と同樣に南、北海岸の相似性と中部海岸の著るしい特徴が見出される。即、北部海岸地域に於ては尻屋崎以南の一部及老部より泊に至る間が夫々古生層(粘板岩、石灰岩)及安山岩等の堅硬な岩石或は火成岩類より成る以外は主として第三紀に屬する比較的軟弱な凝灰岩、礫岩、砂岩、頁岩及洪積期の砂礫、粘土層に構成せられ、南部海岸地區の基盤及背後の山地も亦主として同質の第三紀層及安山岩類に構成せられる。之に反し中部海岸地區は硅岩、砂岩、粘板岩、石灰岩を主とする古生層及之を貫く花崗岩、石英斑岩其他の火成岩より成り、久慈宮古附近には白堊紀層、第三紀層、氣仙沼附近以南には砂岩、粘板岩、頁岩より成る三疊紀層、侏羅紀層及之を貫く花崗岩類の發達する處もあるが、全般的には南、北兩海岸地區に比較して概して堅硬な岩石に構成せられ、地形と地質との間に相關關係のあるを思はしめる。今茲に理解に便ならしめる爲に之迄記述した處を夫々の特徴により表示すれば次の如くである。
地形が地質に密接な關係を有する事は既に述べた如くであるが、上記の如き地形を發達せしめたのは大いに岩質によるのみならず地盤運動が主要な因子をなす事は言ふ迄もない。右表には簡單に南、北兩海岸を隆起とし中部海岸を沈降としたが之は海岸線の形から考へられる極めて一般的な場合であつて、廣濶な海岸平野を有するから現在に於ても隆起し、複雜な出入を示すから現在も沈降してゐるとは斷定出來ぬ場合があり、水準測量に依れば隆起を示す南、北兩海岸にも最近には明かに沈降してる部分があり又水準測量に依らなくとも沈降を證據だてる地形地質的な證左がある。沈降海岸型を示す中部海岸の場合も必ずしも沈降とは限らず、例へば現在は沈降してゐてもその隆起量が前の沈降量より少い間、又岩石が堅硬であつて海蝕作用に抵抗する樣な場合には前の沈降型式をそのまヽ殘してゐる事がある。地形には輪廻と云ふものがあつて地殻變動に依つて新らしい輪廻に入つた場合でも舊輪廻の地貌が殘されてゐる場合もあるので充分な吟味を必要とするのである。三陸沿岸の特徴ある地形を發達せしめた地殻變動に就ては多數の專門地形學者に依つて論ぜられてゐるのであるが、一應洪積期に生じた陸地面が洪積期末乃至沖積期初期に沈降し、構成岩石の概して軟弱な南、北海岸地區は海蝕作用が急速に進行して平滑な海岸線が出來、海蝕作用の結果生じた碎屑物が沈溺谷を埋めて淺い海を生じ之に反し堅硬な岩石より構成される中部海岸地區は海蝕作用に抵抗する爲平滑な海岸線を生ずるに至らず、海蝕作用に依つて生じた碎屑物も未だ完全に沈溺谷を埋没するに至らず沿岸には海崖が發達し、其後の隆起に依つて南、北兩海岸區には海岸平地を生じたのであるが中部海岸地區は引きつヾき沈降してゐるが(之は海底沈積物の厚さ、碎屑物の特徴等の研究によつて解明し得る)、靜止してゐるか、隆起してゐるが南、北兩海岸地區に比較してその量が少いか(久慈附近では北方に大で南方に少で傾動運動或は拗曲運動が認められてゐる)或は前の沈降量よりも少い爲現在尚前輪廻の沈降海岸形(即ちリアス式海岸)を殘存してゐるものと考へられる。尚茲に附言すべきは之等の地殻變動は洪積期末乃至沖積期初期の沈降及之に續く隆起であつて最近の水準點改測の結果に依れば既に述べた如く沈降してゐる部分のある事である。
以上は三陸沿岸の地形及地質の概觀であるが、津波の被害に對して地形が如何なる影響を與へたか昭和八年三月三日三陸津波に關する論文及報告書を參照して考察を進める事にする。若し多少とも防潮對策の參考に資し得るならば幸である。
昭和八年三月三日三陸沖の地震に伴つて生じた津波に關しては、夫れが近年稀にみる慘害を起したヾけに東大地震研究所、中央氣象台其他から多くの論文及報告書が發表せられ、其の對策につき世人の注意を喚起してゐる。
東北大學林喬博士は三陸沿岸に襲來した津波を其の襲來の特徴、慘害の程度により三つの型に分け之が略地形に關係する事を述べられた。既ち平滑な海岸線と砂濱を有し、水深の比較的淺い南北兩海岸及リアス式海岸線を有する場所でも氣仙沼附近の如く灣口水深一五—三〇米、灣奥水深二—七米の比較的淺き灣に襲來したものを「引き津波」(氣仙沼型)と名付け徐々に來襲し寧ろ退潮時に災害を及ぼし家屋の被害も浸水程度で器物小物を持去る事はあつても人命に害を及ぼす事は少いと述べてゐる。次は中部のリアス式海岸中、灣口(七〇—八〇米)灣奥(三〇—四〇米)共に水深著るしき大で而も灣口より進入する浪の方向に對し或る角度をなす斷崖の存在する場所に襲來し、之等斷崖に反射せられた波が次々に灣内を掃蕩し破壞の猛威を逞うしたもので之を「廻し津波」(本鄕型)と呼び、第三は大船渡灣より牡鹿半島に至る中部海岸區の南部に疎らに來襲し灣口に水深大で灣奥に向つて急に深さを減ずる狹長且兩岸全体に亘つて斷崖の屹立する淺き灣に見られたもので激浪が灣奥の部落に奔騰し民家を山上に打上げ之を破壞するが如き珍状を齎したもので「潮吹き津波」(綾里型)と呼んでゐるが之は狹長な灣をなす事、而も水深淺き事により前二者の中間型と考へられる。今茲に之等を地形の特徴と關連せしめて考察すれば次表の如くなる。
尚東大地震研究所彙報別冊第一號は三陸津浪に關する論文並びに報告二三編に達する膨大且詳細なもので之の中には過去に於ける津浪の歴史、浪高、浪速周期等に關する地震學的研究の外津浪に對する土木學的研究或は試驗の結果も報告せられてゐる。津浪の高さが地形と相關關係を有するであらう事は何人たりとも氣付く處であるが其の科學的究明が石本三四雄、萩原尊禮、山口生知、松尾春雄の諸氏に依つてなされてゐる
今茲に明治二九年六月十五日及昭和八年三月三日の津浪の高さを主なる地域に就き比較すれば別表の如くであつて共に中部海岸區の北部である野田氣仙沼間は、氣仙沼以南よりも大であり而も兩者の間に多少の差はあるが略相似た數値を示す事は注目に値する。山口生知氏の御研究の結論を擧げれば
(一)津浪の高さは灣の周期(三陸沿岸では七・五分前後及二二・五分前後のものが著しく多い)と津浪固有の周期とが相共鳴する事に依つて增加する。
(二)津浪の高さは一般には灣の水深大なる時に大となるがこの際も灣の周期が重要な因子をなし廣田灣、山田灣の如く水深大であつても灣の周期が大なるため津浪の高さが豫期に反して小さい場合もある。
(三)V字型灣(平面的?)に大であつたと云ふがAを灣の面積、bを灣口の幅としA−bとの關係を吟味した處關係は無かつた樣に述べてゐる。(然し筆者には之は平面形との關係でなくして夫等の灣の水深が一般に大であるために水深に關係して浪高を增したのではないかとも考へられる。)
(四)沿岸の海水深が大なる時に浪高は大で、淺海では摩擦の爲津浪の勢力が減殺せられて小となる。等であるが、茲に注意すべきは石本博士等の謂はれる如く津浪の場合は唯單に水位の上昇のみでなく陸上へ流れ込む際に低平な地域では大なる流速を生ずる事であつて、陸上へ突進する時この流速に依つて慘害を招く場合がある。
林喬博士の謂はれる「潮吹き津浪」(綾里型)は此例ではなからうか。之等の結論は内務省土木試驗所松尾春雄氏の土木工學的研究、模型試驗と共に將來の防潮林經營或は其の前面の防浪堤築造に際し多大の參考となるは勿論、測深により海底地形を闡明し各港灣の特徴を知悉するを必要とする。
以上は唯地震津浪についてのみ述べたのであつて、從來被害程度の小であつた平滑單調な海岸線を有する南、北兩海岸地區には格別の防潮對策を必要としないかの印象を與へるかもしれぬが決して然うでは無く、長い年周期を以て來襲する地震津浪の對策のみに着眼して暴風と高潮と複合した場合に起る暴風津浪の對策を等閑に附する事は出來ない。極端に云へば後者は毎年にでも起り得る可能性を有し、而も短周期を以て數時間に亘り連續的に侵蝕、破壞の猛威を振ふのであつて昭和九年九月西日本一帶特に近畿地方を襲つた風水害の如きは其の顯著な例と云はねばならない。防潮防風對策は地形の特質に依り多少の輕重は免れ得ないにしても其の重要性は同等である。
文献
1 二〇萬分一地質圖幅及説明書「尻屋崎」「七戸」「二戸」「盛岡」「一ノ關」「石巻」「仙台」地質調査所發行(明治三六—大正五年)(地質、地形に關する文献は甚だ多いが專門的に亘るので之を省略する)
2 東北大學海洋水産化學試驗所理學博士林喬三陸津浪襲來の動向(豫報)(昭八・四)
3 中村左衛門太郎 津浪災害輕減私案「地震」第五巻第四號(昭八・四)
4 那須信治 高橋龍太郎昭和八年三陸地震津浪雜報(其ノ一)同上
5 今村明恒 地震漫談(其一)役小角と津浪除け同上
6 那須信治 三陸地震津浪雜報(其ノ二)「地震」第五巻第六號(昭八・六)
7 武者金吉 三陸地震の跡を探ねて同上
8 大塚彌之助 昭和八年三陸津浪雜報(其三)「地震」第五巻第八號(昭八・八)
9 今村明恒 地震漫談(其五)四度三陸沿岸を巡りて同上
10 岸上冬彦 昭和八年三陸津浪に關して「地震」第五巻第一二號(昭八・一二)
11 昭和八年三月三日三陸地方津浪に關する論文及報告(第一編論文一六、第二篇報告七)
東大地震研究所彙報別冊第一號(昭九・三)
12 昭和八年三月三日三陸沖強震及津浪概報中央氣象台
13 昭和八年三月三日三陸沖強震及津浪報告中央氣象台
14 昭和九年九月二十一日颱風による風害及風津浪に關する論文及報告(論文九篇)
東大地震研究所彙報別冊第二號(昭一〇・五) (以上)
參考資料 東北大學助敎授 岩井淳一抄録
一九四六年四月一日ハワイ群島の津波(圖九、表二、寫眞一二、)
G・A・マクドナルド、F・p・シェパード、D・c・コックス
(JheTswunamig April1.1946 im ihe Hauaiian Islannds.
Pacific science.vol1.no.1.Januar.1947)
一九四六年(昭和二一年四月一日ハワイ群島沿岸を襲つた津波はハワイ群屬有史以來最も激甚なもので而も最も甚大な被害を齎し、當時恰も數日に亘つて暴風雨が當地域に荒れてゐた爲、一層拍車をかけられた樣である。被害は死者一一五名、行衛不明四四名、入院を要する負傷者一六三名、破壞家屋四八八戸、損傷家屋九三六戸(共に公共建築物を含まず)損害二五〇〇萬弗に達した。三陸津波の慘害には比すべくもないが津波の災害に多大の關心を寄せ、詳細なる調査に依り將來の災害を輕減する爲種々の對策が講ぜられてゐる。本編は北米合衆國地質調査所G・A・マクドナルド、スクリツプス海洋研究所F・P・シエパード、ハワイ甘藷栽培者組合試驗場D・C・コツクス三氏の共著であつて後日發表豫定の「一九四六年四月一日の津波」(JheTswnami f April 1. 1946)の豫報である。
内容を一瞥すると津波の定義、ハワイ群島の津浪史、一九四六年四月一日津浪の一般的特徴(浪源と性質、ハワイ沿岸に於ける浪高、浪高波壓に影響する因子)津浪の被害、將來の津浪災害の輕減策、結論の項目に分けて記述し、要するに津波對策に特別の考慮を拂ふべきを強調してゐる。茲に其の概略を抄録し大方の參考に資したい。
題目に示す如く日本語「ツナミ」を其儘用ひてゐるのは注目すべきであつて英語では普通Jibal wave(潮浪海嘯)なる言葉を用ひてゐるが此の言葉は地殻變動に依つて惹起される高潮に對する名稱としては不適當であつて日本語の「ツナミ」を用ふるを妥當とし、津浪は潮浪に比し其の周期、波長、速度共に遙に大なるものとしてゐる。
ハワイに襲來する津浪は平均年一回以上あるが大抵のものは小規模で檢潮儀に記録せられる以外は一般には感知せられぬものが多い。一八一九年(文政二年)以降ハワイを襲つた津浪は次表の如く四・七年に一回の割合であるが、之の期間を通じて大規模のものは五回、二五・六年につき一回の割合である。外に新聞紙上で潮浪(海嘯)として報導せられたものがあるが之等は暴風津浪と稱すべきもので一八九五年一月二八日マリコマウイ島に來襲したもの、一九二四年五月三〇日ラナイ、カウマラパウ及カワイ島ウイリウイリに來襲したもの等がその例である。
上表に見る如く前後二七回の内現地で生じたものは一八六八年四月二〇日、一八七二年八月二三日の二回だけで、ハワイ群島には度々火山地震が起るが之のために津浪の起る事はなく之の火山地震を除けばハワイ群島は中度地震帶であつて、當地に來襲する津浪の大部分は環太平洋地震帶に發源するものである。上表二七回中現地發生の二回及不明の三回を除けばその發源地はカムチヤツカ五回、南米六回(中一回は疑問)アラスカ、アリウシヤン三回、日本四回(中一回は疑問)カリフオルニヤ一回中米一回、ソロモン群島一回、蘭領東印度一回、又被害の大きい五回の津浪は南米に三回アリウシヤンに一回、現地に一回發源し、又中程度のもの二回の中一回はカムチヤツカに他の一回は現地に起つたものであつてハワイ群島に關する限り今迄の處頻度及規模から云つて南米發源のものが著るしく北部太平洋及現地が之に次ぐ。
一九四六年四月一日の津浪はウニマク島の南アリウシヤン海淵の北斜面海底の地殻變動によつて起されこの地殻變動は世界各地の地震計に記録される程の激烈な地震をも惹起した。ハワイに於てはホノルヽ、ハワイ大學構内、北米合衆國海岸測地調査所、ハワイ、キラウエア山ハワイ火山觀測所の地震計に記録せられ、震央は北緯五三度五分、西經一六三度、時刻は午前一時五九分(グリニツチ時一二時二九分)で津波は地震と同時刻同一地點に生じたものと推察せられる。從つて津浪發源地はホノルヽより北八・五度西二二四一哩、ヒロの北一二度西二三七五哩である。
ハワイ群島各地、北米及南米沿岸數ヶ所の檢潮儀記録により波長一二二哩、周期一五分、速度四八九哩時と推察せられる。ハワイ群島各地に來襲した津浪の高さは各島各地一樣でない事は勿論であつて主要な島について干潮面よりの浪髙が詳細に圖示されてゐるが長くなるので之の紹介は省略する。津浪來襲の高さ及強さの因子として(一)浪源に對する海岸線の方向(二)島の形状(三)暴風波に對する方向(四)海底地形(五)珊瑚礁の存否(六)海岸線の形状(七)方向を異にし型式を異にする波の相殺、共鳴等を擧げ、浪源に面する北岸に極めて大で南岸特に南西岸に小である事、圓形、多角形の島は南北の差が比較的小であるがモロカイ島の如く東西に長い島の南岸浪髙は北岸のそれに比し遙に小である事を擧げてゐる。津波來襲當時數日に亘つて北乃至北東の暴風が荒れ津浪と相加はつて一層浪髙を大にした樣である。又津浪傳播の經路にあたる太平洋海底の地形に多少影響せらるヽ事もあるが海底の影響は淺海に入つてその効果を大とし、其の速度を減じ浪髙を增し、前面傾斜を急にすると謂ひ磯波に見るが如き觀察を下し、モロカイ島の例を擧げ深海に突出してゐる半島突端では七呎に過ぎず之に隣接する淺瀬の多い海岸では三〇—四五呎に達したと述べてゐる。海底地形の影響として沿海の海底谷、及海底稜線の頭部特に浪源に向ふ箇所に著るしい事を擧げ、カワイ北岸に於ては二つの海底稜線のあるため一箇所では四五呎他の一箇所では三五—三八呎に達し、同じ例はオアフ島にも見られ、之は稜線の上位の津浪が兩側に比べ速度が減殺せられ浪面が海岸に向つて凹状となり稜線頭部の海岸が其の焦點に位置する樣になるため浪高を增すと説明してゐる。海底谷の存在に依り浪高が減じた例としてオアフ島カハナ湾を擧げ同湾の北或は南の海岸では一一—一七呎の高さで津浪が來襲したが灣内では四ー七呎に過ぎず、之は海底谷上位では兩側の淺海より速度が大となるため稜線の場合と反對に海岸に向つて浪面が凸状をなし從つて海岸をうつ浪の力が分散せしめられる爲であると述べてゐる。
珊瑚礁の存在に從つて浪高浪速が減殺せられた例としてオアフ島北岸がモロカイ、ハワイ島北岸よりも遙に小である事を擧げてゐるが同島では海底稜線の頭部に當る北西岸カエナ岬の三五呎を除いては最大二七呎一般に二〇呎以下を示し、モロカイ北岸の最大五四呎一般に三〇呎内外、ハワイ島北東岸の最大五五呎普通三〇呎以上よりも浪高は遙かに低い。
又灣形に就いて見るにV字型灣入を示す場所が必ずしも浪高が大であるとは限らぬ樣であるが傾斜の急な谷の發達する小灣では著るしい浪高を示す實例もあつてカワイ島の東岸ハナマウル灣では灣側で二五呎の高さに過ぎぬがその灣奥では小さな河谷に奔騰して浪高四〇呎に達したと述べてゐる。
最後に浪高に影響する因子として相異る方向から傳播せられ、大きさ強さの異る波の間の相殺及共鳴を擧げ後者に依つて浪高を增したと考へられる二三の例に就いて述べてゐる。
この津浪に依る被害を家屋、道路、橋梁、棧橋防波堤、養魚堤壁等の建築物及船舶の破壞、波浪の氾濫及侵蝕、堆積作用に依る農耕地の喪失に就きて述べ、人命に及ぼした被害としては次表を掲げ三陸岸津浪には比ぶべくもないがハワイ島有史以來の慘害だとしてゐる。
次に防浪對策に就てヾあるがハワイ群島諸海岸では津浪の被害を免れた所は無く、一八一九年以來の記録に徴しても大津浪は北太平洋及南米にその浪源を有するらしく、一九四六年四月一日の津浪のため蒙つた地域は將來北太平洋に發する津浪の來襲を蒙り。中南米に發するものは東岸及南岸に今日以上の被害を與へる可能性があり、又西岸では日本近海に頻發する地震津浪特に南西暴風の生じた場合は著るしい被害を齎らし、又現地の火山地震に伴ふ津浪も等閑に付し得ず、ハワイ群島も津浪を避け難き宿命を擔つてゐる事を強調しその對策に就いて述べてゐる。其一は將來の建築或は農園經營は極力海岸を避け、住居の移動困難な場合に於てもヒロ沿岸の如く最も危險な而も現在既に人口稠密な所では新らしい建築を防止或は制限し効果的な防浪堤を各所に設け、而も防浪堤背後には之を越へる海水のエネルギーを減ぜしめる爲に開豁地を充分殘すべき事、海岸近き建築物は津浪に對し充分抵抗し得る樣強固にし背後にある脆弱な建築物の防禦とする事、又田園地域の構築物は成るべく海岸から離れた所に造り、土台を堅固にし床を高くし波の破壞と侵蝕を防止する爲適當な補強と結合を必要とすると説いてゐる。其二には津浪に依る建築物の被害は到底免れ得ないにしても人命に關する被害については現地の津浪以外は時間的に余裕ある故充分回避し得るとなし、其對策を述べてゐる。即ち太平洋沿岸及中部太平洋諸島の各地に觀測所を設置し機械的に又視覺的に津浪特有の長周期、大波長の波をとらへ之を直ちに中央觀測所に報告し、此處に於ては直ちに之に對比綜合して津浪の經路にあたる箇所に警報を發する機構を設置する事を望んでゐる。而かも警報の効果を大ならしめるためには警報の傳達と待避を迅速ならしめる樣平時に於ける訓練を要すると述べ未だ我々の記憶に新な戰時に於ける警戒、空襲警報發令時に於ける處置を想起せしめるものがある。同時に又最も危險な場所は豫知出來るのであつて之等が實施せられる前にハワイ沿岸各地の津浪特に太平洋東西兩岸からの津浪の特徴を知悉するを必要とし之が爲にハワイ海岸周邊のより完全な海底地形圖の作成が先決問題であることを強調してゐる。結論として既に紹介した事を總括し、一九四六年四月一日ハワイ群島沿岸に來襲した津浪はハワイ有史以來の慘害を齎し、之は北太平洋アリウシヤン海淵北斜面におこつた地殻變動によつて惹起され速度約四九〇哩時、平均波長一二二哩、太洋中の波高二呎であつた。ハワイ沿岸各地に於ける津浪の効果は著るしく異り一部では水位干潮線以上五〇呎にのぼり半哩も内陸に侵入した處もあるが、場所によつては潮位の上昇も少く極めて緩慢であつた。資産の被害は甚大で損害二五〇〇萬弗にのぼつたが人命の被害は中程度であつた。浪高及強さは浪源に對し表海岸或は裏海岸である事、海岸線の形状、沿海海底地形、珊瑚礁の存否、暴風波の方向等に支配される事を述べ、對策として危險地域における建築物の禁止制限或は補強、防浪堤の構築、警報機關の設置、公衆の訓練等を擧げてゐる。(以上)
防潮林の構造及施業 鏑木德二
防潮林の構造及施業
林學博士 鏑木德二
今般防潮林の經營法研究の爲に同學者の外、工學、理學、植物及氣象等關係多方面の學者及實際家を廣く網羅した會合を催されたことは恐く空前の劃期的なことであり、主催者に對し敬意を表し且深く感謝するもので有ります。實は此席上皆樣と共に色々檢討することと考へ斷片的に考へて參りましたような次第で講演をする準備は致して居りませんけれども、座談討議の時間も短いようでありますから、御指命に依り劈頭標題に就いて愚見の梗要を申し上げ御批判を願ふことヽ致します。
森林が防砂、防潮及び防風機能の優れたものであり、森林を造成して是等の諸害に對抗することが唯一の實行法であることは各國共既に定論であり茲に立入つて論議する必要はないと思ひます。防風關係は兎に角として森林を奈何に密植し簇生せしめたとて完全に水を堰留めることは事實不可能で有ます。隨つて防潮及防水と謂ひましても絶對的な意味のものではなく、其の被害程度を緩和し又は輕減することであります。私は多年河川の洪水征禦のため樹林の利用を研究致し、之に水防林と銘名して居りますが、實は水害防備林の略稱として使つて居るのであります。
(一)防備林の構造
本問題に入り防潮林はそれが林帶であり又は林團でありましても、共に一集團として防潮機能を充分發揮し得るよう構成す可きもので、此觀念に基いて林分の構造を整へなければならぬ。殊に海洋に面する側には不斷頑丈な林套を保持することが要件で、此の林縁の或幅は決して皆伐することなく、成べく大徑の樹木を不絶主林木として存置し下木を密生せしめる取扱法が理想で有ります。元來防潮林の主林木であるアカマツ、クロマツ等松類はスギ、ケヤキなどの樹種と違ひ餘り長命の樹ではなく、精々五百年位の壽命の樹であり、それが孤立木で無く林木として集團生育する場合は遙に短命となるものであります故、例令林縁木と雖も此の壽命の短いことを念頭に置いて更新其他の取扱法を規定し、林套の持續を圖ることに努めねばなりません。次に防潮林は津浪の際には林帶又は林團共に一團となつて津浪の衝撃に抵抗して爆破力を弱め流勢を減じ、取分け引潮を緩徐ならしめる作用が肝要であるから、可及的大徑で頑健な主林木で構成するため松類の外潮風に強い樹種を處々混淆する作業に依るべきものであり、全面下木に依る林叢を保持せしめねばなりません。津浪の衝撃力は意外に大きく時に平方米拾噸以上に達するから、防潮林が津浪を享けて挫折又は根倒せぬよう直徑三尺以上の主林木を要求する説を聞きますが、松類では前述せる海洋に面する林套部でも到底其の希望に應へることは出來ません。然し斯樣な大きい衝撃力を撃破し防潮の目的を達するためには、林團の幅竝構造等全體を補強する造林施業法を究めて對抗すれば良しいと考へます。尚海洋反對側の林背に數列の大徑木を存置することが必要で、茲所にはスギ、モミ其他立地に應じ大徑長命の樹種が選び易いと思ふので有ります。更に林套の前面、林背部及林内の要所に土堰堤其他の工事を施設して防潮林を補強し機能を高める必要のあることは言ふ迄もないことで、此ことは現地に就き實際問題として企畫すべき件で有ります。
(二)施業法の梗要
一部は既に(一)項に於て申述ましたのであるが、營林局から御示しの施業要項に附いて概要を申上げようと思ひます。伐期を百年と定め、現存林分は成べく幅の廣いことが防潮上理想でありますが、松の更新關係を顧慮し防潮林の幅員に應じて三帶又は五帶位に更新面を區分することが適當のように考へます。更新法は擇伐又は側方下種等天然更新に依ることが林の防潮力を強大ならしめるのでありますが、一面又人工補植も行はねばなりますまい。管内防潮林の最も幅の狹い所は二〇米だと云ひますが、斯る場所は津浪襲來の危險程度と環境に應じて出來得れば幅員を增し度い處もありませう。何れにしても幅狹い部分は恒續林作業の如く不斷林分を存置する作業法が望ましいのであります。
下木の植栽に就いては曩に述べた通りで、地被物の採取を嚴禁し地力の向上と林木の健全を圖り以つて害虫其他の危害に對する抵抗力を昂めることを勵行し度いのであります。尚林班界及道路等海岸に通ずる切開部は直線を避けて斜又は折曲りとし潮水及風が茲所から直接内陸に浸入せないようにせなければならぬ。
防潮林の幅員決定は却々六ヶ敷い問題で本研究會の中心議題であり、津浪襲來の危險地帶其他に依り一概に言ふ譯に行かず引續き檢討されることヽ思ひます。幅廣い方が安全度が增す譯でありますが、實際問題としては土地の利用關係から最少限度に狹めねばなりますまい。
(三)其他の事項
海岸防潮林整備と相並んで河川の河口兩岸に水防林を造成して防潮の完璧を期することが肝要であります。私は管内沿海の實況を視察して居りませんため具体的に申し兼ねますが、北上、阿武隈の二大河川の外名取其他幾多の中小河川があり、是等河川全体に亘り防風上は勿論、防潮上缺陥のないよう緩急に應じ兩岸に水防林を造成せなくてはなりません。河川水防林の造成法は實況に應じて計畫施設を要するものであります故茲では省略致します。
次に防潮林の保護、育生、補修のため國有地では監視人を置いて不絶巡視されて居ることヽ思ふが、此外に地元村民をして防潮林保護の水防協同組合を組織せしめ、更に管内聯合の水防團を組織し自發的に森林の愛護に當り防潮の實績を擧げるように仕向け度いものであります。地被物採取の嚴禁のため燃料及肥飼料に困ることでありましようが、之が補給には林縁其他休閑地に農用林産物の增殖施設を講ずれば容易に解決が附くのであります。
最後に希望を述べて置き度いことは、色々な事情で若しか防潮林の廣い部分で一部開墾のため開放するような場合には、開放地域を全部皆伐して耕地に變更することを廢め、石川縣の海岸砂丘で實行して居るように、周圍に數米幅の林帶を伐殘して一段歩以下の區劃毎に皆伐して耕作するようにすれば、伐開部が潮水に對する緩衝地帶の樣になり、防潮林開放の影響が少い譯であります。又開放地は食糧增産の目的を達し得れば良しいのであるから、強いて耕地に變換する必要なく、切替畑として防潮林のまヽ或年限耕作を許すことに取扱はれ度いと考へるものであります。(了)
砂丘造林に關する二三の考察 河田 杰
砂丘造林に關する二三の考察
林業試驗場 農學博士 河田 杰
緒文
著者は大正八年(一九一九)以降今日(昭和二三年、一九四八)迄約三〇年間茨城縣の海岸に於いて砂丘造林の研究に從事して來たものであるが其の間の實驗成績の大体は拙著海岸砂丘造林法(養賢堂)に記述してあるから之に就いて見て頂きたいと思ふ。而して私としては、尚未發表の材料も相當持つて居たが、それ等のものは戰災の爲めに亡失してしまつた樣な仕儀である。それで今日は一部はやけ殘りの材料より、一部は記憶をたどつて、何か今回の協議會の目的に添ふたことを申し上げたいと思ふ。
A 防風、防砂林の奥行き
之は嘗て茨城縣の砂丘で實驗し其の成果は昭和一五年か一六年頃の日本林學會誌に發表してある筈である。其の記憶による實驗の意味のみを茲に説明すると次ぎの樣である。
即ちFig1に示すが如く高さ一米の垣を海岸から(主風に直角に)凡五枚程立てて(但し垣と垣との距離は約二〇〇米)之に對し相當の風速を有して砂粒を吹き送るに足る位の風力の風が吹いたとき、何所迄其の影響があるかを見やうと云ふわけであつたが、最初の風の収まるをまつて直ちに其の集砂の状態を調べて見た處其の結果を模型的に示すと、それはFig1の樣になつたのである。即ち風上の垣程集砂量が多いのであるが、さりとて垣のみによつては、幾つ垣を重ねて立てても、之によつて砂の移動を絶對に防止することは出來ない。換言すれば、垣の如き表面のみあつて厚さのないものを何枚立てても、其の後方に於ける砂の移動を完全に止めることは出來ないと云ふことである。それで砂丘の表面に風に對する抵抗物を立てて、之によつて、砂の移動を止めるには、此の抵抗物が單に表面を有するのみならず、或奥行きを持たなければならないと云ふことになるのである。而して此の奥行きに相當する部分を形成するには植林が一番よい樣である。又同時に、植林を行ふことによつて、植林を行はざる場合の防砂設備の幅員を狹め得る利もあることと思ふ。そこで、私は茲に或る一つの防風設備の形式を御薦めしたいと思ふ。それは英國の「ノルフオーク」地方等の海岸でよく見るものであるが、最前線に立派な石垣等を立てて風力を削ぎ、其の後方に造林するのである。之を模型的に示すとFig2の樣である。
B 今日の主たる海岸林が、砂丘の發達に對する位置
大砂丘地方の砂丘面を見ると、砂丘の幼林とも見るべき極めて小さな砂丘が海岸植物等を骨子として、形成されて居るものを數多發見するのであるが、之を「ドイツ」の「ゲルハルト」氏に依ると、其の形から「ツンゲン、ヒユーゲル」(舌状丘)と呼んで居る。著者の研究によると、此の舌状丘には三種の形式があつて、而もそれは各砂丘形成の過程を物語つて居るものなのである。即ち第一形式が第二形式を通過して、第三形式となるに及んで、靜止するものである。是等を模型的に圖示するとそれはFig3に示すが如きものである。而して、實際の天然の大砂丘の地形の縱斷面を、主風に並行の方向に測定して見るとFig4に示す樣なことになつて居るものが非常に多いのである。即ち斯かる縱斷面を有して居る大砂丘は、之を形式の方から云ふと、大体に第一形式時代のものと見ることが出來るのである。されば、此の種の砂丘は今日の儘放置さえれば、やがて、それが後方の保安林を埋めて、第二形式をとり、遂には第三形式に進まんとして、其の風下に引く尾を遠く内地の農耕地に及ぼすべきであらう。此の状態は相當恐ろしいものと見なければならぬ。此の意味に於いて砂丘造林は寸刻を爭ふ要急事業であると思ふ。
C 海岸林の安定相
先き程鏑木博士から御提唱があつたが、防潮防砂林を長くクロマツを主とするものの樣に存置せしむるは面白くない。もつと年齡に於いて高く、風力に對する強度に於ても一層大なるが如き優位な樹種を混淆せしめて、林全体の防風効力を充實せしむる要があるのではないかと云はれたが、寔に卓見であると思ふ。就いては自分の目に映じて居る砂丘林の極盛相とも見るべき一例を擧げると、それは茨城縣の試驗林のそれである。此の森林の優勢種は、クロマツ、アカマツ、モミ、シヒであつて、亞喬木としてシラカシを中段とし、トベラ、ツバキ、アヲキ、ユヅリハ、ヒイラギ、ツルグミ等を下層の灌木とするものである。尚之に關連して、諸國に於ける海岸林のアカマツ、クロマツの混淆状態に關係せしめて、圖示して見るとそれはFig5の樣である。今の此の圖に就いて簡單に説明すると次ぎの樣である。
(1)はクロマツの純林であつて、主として天然林であつて、且常緑濶葉樹を伴なふもの
(2)は(1)に似て僅にアカマツを混ずるもの
(3)はクロマツ、アカマツの混淆林であつてクロマツの方稍多きもの
(4)は(3)に似てアカマツの方寧ろ多きもの
(5)はアカマツの純林
(6)は一見クロマツの純林であるが、其多くは人工植栽になるものである。但し天然のものも多少はある。而して此の種のものが(1)と異なる點は落葉濶葉樹を伴なふ點である
(7)はミヅナラ、カシハ、イタヤ、カヘデ等を主とし時にヤチダモ等を伴ふものであつて、各個樹は甚しく匍匐形を呈して居るものである。
此の中特に面白く思ふのは、能登半島、新潟縣岩船郡、宮城縣松島、岩手縣宮古港、及び靑森縣八戸港以北等に現はれて居るアカマツの純林である。即ち斯かる地方に特に潮風に抵抗力の強き地方的品種が存在して居るのか、アカマツ其のものは内地の普通のアカマツと同樣のものであつても、斯かる地方殊に北方の海岸地方の環境は、アカマツが直接潮風の中に立つことを許して居るのか大いに研究すべき問題であると思ふ。繰り返して云ふと、此の東北地方に多き、アカマツが直接潮風に面して立つて居る事實は遺傳學的の産物と見るべきか、生態學的の産物と見るべきかと云ふ問題である。
尚此の紙面を利用して、二三のことを附加したいと思ふ。和歌山縣の新宮附近に俗稱七里御濱と稱せらるる一帶の海岸林がある。此の海岸林の中には殆んど直接潮風の吹き込んで來ると覺しき地點に、クロマツ、アカマツと相混じて、スギ、モミ、ツガ等の天然生の大木が相當に數多く立つて居る、之と前掲の茨城縣の海岸林等を一括して考へると、モミノキと云ふものは、潮風に對して、相當抵抗力の強きものであることが、想像せらるるのである。
又之は最近發見したことであるが、茨城縣の砂丘地域の中に、點々昔の前砂丘の痕跡を止めて居る土饅頭形の獨立砂丘が散在して居るが、斯かるものの植生を調べて見ると、其の中には澤山のマユミとクハノキが自生して居るのである。此の中に、殊に此のクハノキは其の形容が非常に乾生的に變化して居て、一寸始めは、クハノキかどうかを疑つた位であつた。兎に角砂丘にクハノキを植へることが出來るとなれば大いに面白いこととなると思つて、目下、此のヒントに對して研究を進めて居るわけである。
D 海岸林の作業種
前述せるが如く、海岸林の樹種は兎に角クロマツ及びアカマツを主とするものが多い。而して海岸林は其の本質として、防風、防潮の効果を顯著ならしめる上に其の形は可成一齊のものを避け、不齊のものがよいのである。然るに一般には、アカマツやクロマツに對して、擇伐を成功的に施行することは困難のものとされて居る。然し茲に御參考迄に或る現實に行はれて居る作業を御紹介したいと思ふ。
それは彼の源平爭覇の遺蹟として有名なる四國の八島附近の民林に行はれて居るクロマツに對する一種の擇伐作業である。其の作業としての特徴を記すると、適宜の樹木を擇伐するのであるが此の度合は普通の擇伐に比して相當強いものである。而して其の跡地の更新を如何にするかと云ふと、天然下種に依るのではなくして、クロマツの苗木を植栽するのである。然し此の儘では陽光の不足を來たすから、上木たるクロマツに對して、種々の程度に枝打ちを施して、林内射入陽光の量を多からしめ、以て植へ付けたるクロマツ苗木の成長を促進するのであつて、此の方法を極めて周約なる取扱ひの下に巧に行ふことによつて、此地方には立派なクロマツの擇伐林を随所に見ることが出來るのである。尚此の八島地方のクロマツの擇伐林に就いては、故人となられた、林學士小寺農夫氏が十數年前詳しい調査報告を高知林友か、林學會誌に發表して居られた樣に記憶して居る。
結文
以上取り止めなきことを羅列したが、是等のものが海岸林造成の上に何等かの參考資料となるならば著者の欣幸とするところである。尚一言にして盡せば、之を防潮と云ひ、之を防砂と云ふも、それは要するに防風の二字に包含せらるると思ふ。而して海岸の防風林は其の地方の環境を異にする毎に形態の異なるものとして、形成されねばいけないと思ふ。されば著者の平生の持論を掲げたい。即ち人工林は天然林に基調を求むべきであつて、有名なる林業地方の奥地に天然林が保護されていない地方はないと云ふことである。(昭二三、二、七稿)
防風林の模型實驗は出來るか? 河田三治
防風林の模型實驗は出來るか?
東京大學敎授 工學博士 河田三治
(一)工學の流体現象の研究に於ては何分の一とかの程度の模型を作つて、試驗をして實物の性能を判定することが行はれてゐて、安價に正確に、短時日に、研究が進められるものである。例へば僅か五十年余りに、驚く可き發見を見た航空機は最もよい例である。
外形を定める爲には、先づこれはと思ふものを設計し、その何分の一かの縮長模型を作る。これを風洞にて人工的に得られる風の中におき力の釣合ひ等の綿密な測定が行はれる。次に模型は大きさが實物の何分の一である外に、實驗する風速も實際と合はぬのが普通なので、この爲に生ずる性能上の相違を修正して、實物の値が得られる。これを檢討して、改良が加えられるわけである。
此の場合、實物と模型とが、所謂、作用を受ける爲の條件は、R=ρVL/μ
と云ふ數が、兩方の場合に等しくなることである。此處にρは空氣の密度、Vは標準風速、Lは標準にとつた或長さ、μは空氣の粘性係數である。Rは無名數になつて、レイノルヅ數と云はれてゐる。ρμは氣壓温度で變るものではあるが、地上附近と、風洞の中ではあまり相違がない。今假に兩者等しいとみると、VXLが同じにならねばいけない。即ち風速と、大きさの相乘積が一定にならねばいけない。R數が兩方の場合余りにかけ違ふと、模型實驗の結果からは、實物のことがよくはわからない。此の爲に航空研究用の風洞は、段々大きく且つ早くなつて、今では一箇の風洞の使用馬力は五萬馬力位のもあるわけなのである。
防風林に對する風の作用、或は山林に於て山、谷等の地形による風の吹き方、等を模型で風洞實驗をすることを考へてみよう。
現在、研究に使用を許可されてゐる我國の風洞は、舊式、小形のものに限られ、大きさは最大三米、風速最大、色彩六十米位のものだけである(何れも理工學研究所)。この程度の風洞では、防風林の試驗でもする場合には、その高さは三〇糎位に限られる。實際のものを高さ二〇米とし、平均毎秒十五米の風が吹いてゐるものとすると、R數を合はす爲には、風速を、15×米としなければならないが、これは出來ないし、又音の速さ以上になつて、無意味になつてしまふ。山嶽の模型に就いては、尚更のことである。實際は大きな山の模型の樣な場合には、地球自轉、重力の影響が効いて來て、R數のみでは論ぜられなくなるし、又津波の防風林に對する作用を模型で驗べる爲には、他の相似律(フルードの相似律)を考へねばならぬことを付け加えておく。
(二)さてそれでは防風林の樣な大氣現象は、模型による風洞實驗は見込みがないのであらうか?。
大氣の風をよく驗べてみる。風が十五米で吹いてゐると云ふことは、風速計をおいた場所の(測候所では、大抵その建物の屋根など、地上から相當の高さに据え付けてある。)十分間の間の風速の平均値をさすのであつて、實は風速は時々刻々變化してゐる。一例をあげれば、筆者が昨年七月鵠沼海岸に行つた實驗では三十分間の平均値が六・五米毎秒で此の間五秒おきに速度を讀み取つてみると、此の平均値に相當する度數は約四二%となり、低いところでは四・三米から初まり五・四米の頻度が一〇%、高いところでは七・六米が一五%八・六米で頻度が零になつてゐる。
又風速計を置く場所が、五又は六米も違へば別な風速が記録されるものである。このことは大氣の風は風洞の中の人工氣流と異り相當の大きさの渦のかたまりが、無數にあるものと考へなければならない。人工流ではこれは何粍と云ふ樣な小さいもので且弱いものと考へられる。斯の樣に渦がある流れは亂流と云はれるもので、此の爲に空氣の粘性が見掛上大きくなつたものとしてよいものである。
即風洞の風の粘性係數は空氣分子の粘性係數であり、一方大氣の風の粘性係數は見掛けの粘性係數所謂渦粘性係數を考へ、分子粘性係數は遙かに小さいから考へなくてよいことになる。そうすると、模型のR數に使ふuの値と自然の風に使ふR數に使ふuとは違ふものを取ることになる。空氣の分子粘性係數は〇度で0.000168(C.G.S.單位)であつて、温度で僅か變化する。大氣の渦粘性係數は風速、地面からの高度、季節によつて大變ちがふが一〇〇—二〇〇米位迄は、高さと比例し、一〇米では海岸の樣なところでは凡そ二〇位のことと思はれる。密度Qは兩者同じと見てよい。即このことを考へると前の例の模型實驗の風速は
Vm=15×20/0.3×0.000163/20=0.08米
大變遅い風速でよいことヽなる。然し實際は防風林の實驗の樣な場合には、風洞の中央に地面に相當すべき板があるので、又は風洞の一方の壁を地面に對應させるから、風洞の場合にも、大氣の場合よりは遙かに小さいが一種の渦粘性係數を使用しなければならない。此の値は目下筆者の風洞で實測してみたいと思ふてゐるが、恐らく分子粘性係數の一〇—一〇〇倍位になると思ふ。然らば模型の風速は毎秒八〇糎乃至八米位となつて、實驗には誠に都合がよい。即結論として、防風林其他、山、谷間の風の研究が、模型による風洞實驗で信賴出來る値が求められることヽなつた。
尚模型で都合のよいのは時間の關係で、實際の時間のL/V倍になり、短時間に長い時間の現象が行はれる。前例では0.3/20×15/8=0.028(風速8米として)
即模型の一秒は實物の三七秒に相當する。
(三)模型實驗が出來ると云ふことがわかつた曉には、やつてみたいことが澤山ある。
防風林の有効範圍、厚さの問題、樹種による相違、下方の樹間は有効なりや否や、林縁に小さい木が必要か、防風林帶の距離と有効範圍、輪伐の方法、斜風を受けるときの効果の變化、防風林後方及前方の流れの状態等々いくらでも知りたいことがある。然も意志さへあれば、直ちに取りかヽれる問題なのである。(終り)
樹冠に對する風壓について 玉手三棄壽
樹冠に對する風壓について
林業試驗場 玉手三棄壽
私は防潮林に就ては研究したことがないので、適切な御話を申上げることは出來ないのでありますが、防潮林には直接關係はないかも知れませんが、樹冠に對する風壓に就て少しく申述べ御參考に供したいと存じます。
此處で申述べる樹冠の風壓に關する調査資料は、昭和九年九月四國、關西地方に暴威を振ひ、世界最低氣壓の記録を作つた室戸颱風は、四國特に高知縣下に於ては森林の風害實に激甚で、天然生の大美林も非常な慘害を受け、被害が廣區域に亘り而かも甚大であり、森林の風害を調査するには誠に好機會であつたのであります。風害發生後間もなく同地に於て風害に就て色々な調査を致しましたが、其の序に樹冠に對する風壓に就て少しく考察して見たのでありますが、其の概要を述べ度いと思ひます。(「森林保護上より見たる管内國有林の風水害調査報告」昭和一〇年三月、高知營林局叢書No.1)。從つて此の結果は風洞實驗等に依り得た實驗的の結果でなく、粗雜な野外調査の結果によるものなので、只概念的數字を示すものと御諒承願ひ度いのであります。
元來林木の風害には色々な被害状態があつて、被害の種類には根返、幹折、枝折、梢折、傾斜等があります。之は樹種、森林状態、土壤等により、此の林は割合に根返が多いとか、幹折が多いとかの差を示す樣であります。此等被害の出現比率を見ると概して根返が最も多く、被害全數の六割位を占め、次が幹折で二—三割、殘が梢折、枝折等となつてゐます。
本問題の樹冠の受ける風壓は幹が折れたものの多數の資料から幹折部の位置、同直徑、樹冠の大さ等を測り、其の幹折部に加へられた力を推算して、樹冠に加へられた風壓を算出したのであります。
樹木が風に當るときは大体下圖の如く、樹冠の風壓の中心に加へられたものと考へることが出來る。之を假に風心と稱し、其の地上高を風心高と名付けます。樹冠に加へられる風壓(W)のモーメント(M)は地上に於て
M=W.Z。×100kgであつて、若し根と土壤との結合が弱いときは根返を起すことになります。根部が強く樹幹が風壓に耐へないときは幹折を生ずることになります。所が樹冠は根元が最も太く對應力も強く、上になるに從つて直徑が細く對應力が弱くなりますが、風壓のモーメントと幹部の對應力のバランスの破れた所に於て折損することになるのであります。
今地上X米の所で折損したとすると、幹折部の風壓モーメントMは
M=W(Z。−X)×100kg/cm2
で示される。樹幹には風前面には引張、風背面には壓縮の内力を生ずる。之等内力は最外部に於て最大である。
此の内力をf=kg/cm2とすれば
数式:1
故に 数式:2 となり、本式に依つて風壓を計算することが出來ます。
スギ及ツガの幹折木の多數の資料につき、樹高、幹折高、幹折高率、幹折部直徑、胸高直徑、風心高、風心高率を調査した結果は次表の如くであります。
樹幹の最大内力Fは樹種、材質、含水分等に依つて異るが、今F=400kg/cmとし、樹冠に對する全風壓を前記の式より求めれば次の如くなるのであります。
本表に依つて見ると、スギ直徑10cmのものは0.08tonの風壓によつて幹折を生じ、直徑100cmのものは、14.16tonの風壓に依つて幹折を生ずる。ツガは之に對し夫々0.12ton及21.36tonで、スギより強靱なることが判ります。
次に此の風害調査を行つた地方に於ける(高知縣魚梁瀬國有林附近)スギ天然林の樹幹直徑と樹冠容積とを示すと次の如くであります。
此の表と全風壓の表から各直徑の幹折時に於ける樹冠容積は一立方米當り風壓を求めると次の如くであります。
前表に依つて見れば直徑10cmのものは樹冠一立方米當風壓9kgで幹折を生ずるが、直徑100cmのものは18kgで生じ、倍の耐應力を有することになるので、森林の風害は一般に細いものが多く被害にかかり、太いもの程少ない。それで防風林の樹は太い程強風に對應し得るものであることが判るのであります。
次に風速と樹冠の受くる風壓との關係に就て見るに、風に直面した平面(一立方米當り)が、Vm/sの風速の風に依つて受ける風壓(W)は、大体次の式に依つて與へられる。
W=0.12V^2kg
樹冠單位容積の受くる風壓に就て考へれば、之は樹種による樹冠の密度に依つて異なるものであるが、其の係數をmを以つて示すと、次の式を以て示すことが出來る。
W=m0.12V^2
此の式のmを求める爲に、直徑100cmのスギが、風速45m/sに依つて幹折したとすれば、Wは前表より18kgを取り計算すると、
18=m×0.12×45×45 即ちm=1/14となる。
此に依つて見るとスギ樹冠の受くる風壓は平面(板塀の如き間隙の無いもの)の受くる風壓の1—14といふことになる。換言すれば、風のエネルギーを之に直角に置いた平面に依つて消耗すると同量のエネルギーをスギ樹冠に依つて消耗するにはスギ樹冠の幅を14米の長さにすればよいといふことになる。尤も實際の森林は林木各個の間には間隙があるので、防風林に依つて風速を消耗する爲には各樹冠の間隙に應じて幅を廣くする必要のあることは勿論であります。
尚各樹種の被害状態から各樹種のmを推定すると次の如くなる。
之に依つて見るとモミは樹冠が最も密で風壓を受けることが大である。從つて風力を消耗することが大である。スギ、ヒノキは之に次ぎ、クロマツは樹冠粗で風力を消耗する作用小なることが判る。當緑濶葉樹は一般に風壓を受けることが大である。只カシはクロマツ程度で小なることを示してゐる。
(註、mの數値はスギ直徑100cmのものが45m/sの風速で幹折したと假定して求めたのであるが、林木の幹折は樹幹の振動風の息と呼應して生ずるもので、恐らく實際樹幹に加へらるる力は45/msより大なるものであつたと思はれる。そうすれば、mは上記の數値より小となる。要するにmの數値は實驗的に檢討する必要があるものであるが、各樹種の比較値としては大体差支ないと思はれる)
尚序に當時調査した結果に依ると、各林木の風に對する耐抗力を強、中、弱の三階級に分けて見ると次の序くであつたのであります。
強……ヒサカキ、カシ、ツバキ、落葉濶葉樹
中……常緑濶葉樹、マツ、サカキ、シキミ、ユヅリハ、ヒノキ
弱……スギ、ツガ、人工植栽ヒノキ、同スギ
天然生のヒノキ林は風害に對し中位の耐抗力を示してゐるのに、人工植栽のヒノキは最も弱い結果になつてゐる。
スギも天然生は弱級ではあるが弱級の最強のものとなつてゐるが、人工植栽のものは最も弱いのであります。事實同樹種でも天然生林と人工植栽林とは格段な違ひを有するもので、之は風害地を見る度毎に見られる現象であります。手入、間伐の行届がない一齊同齡の人工林は特に弱い樣であります。防風林も、防潮林も人工植栽に依る場合が多いのでありますが、造林に就ては樹種の混淆、造林後の手入を怠らず林木個樹を強くする樣經營することが肝要と思はれるのであります。(以上)
防潮林の防浪効果について 加藤愛雄
防潮林の防浪効果について
東北大學理學部敎授、理學博士 三陸地震津浪對策協議會幹事 加藤愛雄
最近國土開發並びに土地利用の問題に關聯し、防潮林の開放の要求が各地に起つてゐる樣である。然しながら此の問題は事極めて重大であつて輕々しく決定されるべきものでない。
此處には主として防潮林の津浪に對する効果について述べる。由來防潮林は三陸地方に於ては主として津浪に對する被害輕減の目的を以て育成されたものと考へられる。即ち岩手、宮城の海岸林の樹木の年輪を數へれば逆に津浪のあつた事を知る事が出來るとさへ言はれてゐる。
さて三陸沖は最近の重力の觀測により地殻構造上極めて不均衡、不安定な場所である事が明らかになり、且つ過去に於て三陸沖に發生せる大地震は全て此地帶に發生し大津浪を伴つてゐる。即ち三陸沖は地殻構造上宿命的に大地震の發生地であり且つ津浪の常襲地である。從つて將來必然的に三陸沖には大地震並に大津浪の發生は避け得られないのである。而も過去の經驗により金華山南方磐城沖にも発生してゐる。此事は宮城、福島兩縣下の防潮林の經營について特に考慮しなければならない。第一圖は過去の大津浪を伴つた震源の位置と重力の値の過小地帶を示したものである。第一表は之等の津浪を伴つた地震の表である。
さて防潮林の防浪効果としては次の三つの段階に分けて考へる事が出來る。
第一は防潮林が船や巨大な漂流物の阻止に役立つ事である。即ち家の周圍や海岸にだけに一叢の樹木があつた爲めに流失をまぬかれた例が澤山ある。昭和八年の三陸沖地震津浪の場合の大谷村或は東海地震津浪の場合の廣村の如き比例である。此場合には樹幹もそれ程太いものではなくとも、又厚さも數列あればよい。然しながら之は防潮林の津浪に對する効果の一部分であつて全部ではない。ある學者は此の第一の場合の効果を以て恰も防潮林の津浪に對する効果の全てであるが如き言をなすものがあるが誠に遺憾にたへない。即ち防潮林の第二の効果は次の場合である。
即ち津浪に對して防潮林が摩擦抵抗の役割をなし、其爲めに水勢を減ずる事である。此の効果を表す公式はないが、定常流が一列の杭列によつて水頭の減ずる式が利用出來る。
即ち、Head Lossh=1.73(S^2/B)(1V^2/2g)(但しVは水流の速度、Gは重力、Sは幹の直徑、Bは樹木の間隔)
所で津浪の場合の此のVを如何にとるかと云ふ事であるが、之は海岸の傾斜によつて異る。津浪が海岸にて陸上に押寄せて來る場合の水平速度はV=cotφdH/dTで表はされる。此處にφは傾斜、Hは浪の高さ、Tは時間、即ち津浪の高さが四米で十二分の周期であるとすると速度は秒速四米位である。此場合、Bが二米、Sが〇・三米とすれば水頭は約1/100に減ずる。即ち一列の樹木によつてさへ若干水頭が減ずる事になる。第二圖は津浪の高さが四米のものが傾斜地に來た場合の水平速度を圖示した(實線)。尚此場合の壓力を點線で示してある。即ち壓力としては約8tcm2となる。密生林の場合は更に此効果は大きい。又水平速度は防潮林のために距離によつて對數的に減少する。
此樣な効果は防潮林の津浪に對する最も重要な役目である。此のよい例は、岩手縣の高田松原である。即ち防潮林の後方にあつた寺院は倒壞を免れたが、すぐ傍で防潮林を切り開いた所は二軒とも倒壞して死者も出してゐる。而も此の場合高田松原は遊園地として用ひてゐたので下生が刈られてゐたが、若し下生が密生してゐた場合は此効果は更に著しかつた事と思ふ。此場合防潮林の厚さは地形によつて判斷すべきである。防潮林の津浪に對する効果は此の水勢を減ずる事が最も重要なものである。
防潮林の津浪に對する第三の効果は防風林として砂丘の移動を防ぎ海岸に一段と高い所が出來る。之が地形的に防浪効果をなしてゐる。福島縣には此種のものが多い。
以上防潮林は津浪の被害を輕減するには是非とも必要である。然も防潮林は本來津浪の被害を輕減するために育成されたのであるが、第二義的に防風林として、即ち潮風害を防ぐ爲めに非常に有効であると云ふ事である。即ち防潮林が防風林として後方の耕地に對して毎日の海陸風或は颱風のための被害を如何に防いでゐるかは云ふ迄もない事である。更に防砂林としても最も有効である事も云ふ迄もない。之を思ふ時防潮林はつとめて育成すべきもので徒らに開放すべきではない。世上津浪は數十年に一度位の割で起るに過ぎない。從つて津浪に對する防備を輕んずる樣な暴論をなす者もある。然るに一度の津浪により幾千の人命が奪はれ幾多の貴重な財が一朝にして失はれる。昭和十九年十二月の東南海の地震及津波、更に昭和二十一年十二月の南海地震及津波が如何に當時の國力を消耗せしめたかを思へば思ひ半ばに過ぎるものがある。
防潮林は一朝にして出來ない。目前の小利のために國家百年の大計を忘れてはならない。防潮林の開放は實に愼重を要すべきものであり、一般公式を以て幅員等を決定すべきでない。若し如何にしても開放すべき必要がある場合は場所場所により地形、樹種、林相等により決定すべきである。
原則として防潮林は開放されるべきではない。大方諸賢の深甚なる注意を喚起する次第である。
(昭和二三年一月二一日)
防潮林の津浪並に潮風に對する効果について 森田 稔
防潮林の津浪並に潮風に對する効果について
仙台管区氣象台長 森田 稔
1 緒言
我々氣象學者の立場から見るとき防潮林は次の三つの主な働きを兼ねていると見ることが出來る。即ち一、防浪林二、防風林三、防霧林がこれである。
第一の防浪林は津浪に對するものであることは言うまでもない。第二の防風林はその生育の場所を考へると當然潮風をさえぎり、潮害を防ぐ結果になるのではあるが、もともとは内陸の防風林と同樣、第一義的にには風速の減殺効果を覘つたものと考えられる。從つて風に因つて起る砂の飛散や砂丘の移動なども同時に防止する効果を生じ、防砂林ともなる譯であろう。第三の防霧林もこの樣な考え方からすれば、第二の効用の中に含ませてもよいかも知れない。たヾ防風林としての効用は主として風速の減殺を覘つているのに對し、防霧林としては風速は左程問題にならない様に考えられるものと、それに實際防潮林が東北地方の太平洋岸では季節的に相當の防霧効果を果しつヽある所が少くないと見做されるので別項として掲げたのである。
私がこヽに述べようと思うのは右の樣な諸種の性格を兼ね備えた防潮林につき、從來氣象關係で行われた調査研究に私自身の若干の見聞と考察とを加え、幾分か今回の主題と關係ありそうな事項を紹介しようと思う。しかし、何分余裕がなかつたので引照し得た文献も僅少であり、殊に防潮林を主体とし今回の檢討問題と直接關係ある樣な氣象學的研究を見出し得なかつたことを豫めおことわりしたい。又第三の効用である防霧林としては據るべき文献を見出さなかつたのでこヽには觸れないことにする。
2 津浪と防潮林
先ず、防浪林としての効用の實例について述べたい。三陸地方に就いてはさきに加藤敎授の報告があつたから、私は南海地震踏査の際見聞した和歌山、德島兩縣下の状況に就き述べる。(1)
和歌山縣下では有名な廣村の防浪堤の外側に防備林(まつ)があり、堤防の前衞の役目をしている。今回この堤防はよく正面の津浪を防ぎ有効であつたが、それにはこの松林の防浪効果もあつたことが認められた。那須信治外七氏の詳しい報告がある。(2)
德島縣日和佐は理想的な防浪態勢をとつている町で、今回もそのため殆ど被害を生じなかつた。町の東側と海岸との間に厚さ一〇〇mばかりの防潮林があり、防浪効果が認められた。しかし近頃疎開者、引揚者等のため間伐され始めたという。
(1)森田稔昭和二一年一二月二一日南海大地震調査概報。中央氣象台(昭二二、五)七六ー八三頁參照。
なお林相其他林學的のことは林業試驗場川口氏の詳細な報告に讓る。
(2)昭和二一年一二月二一日南海大地震調査報告(第一報)。東大地震研究所(昭和二二、四)一〇七頁參照。
同縣宍喰では防潮林の蔭は被害なく、林の無い所に被害があつた。同縣鞆奥にも防潮林あり、ために被害を免れた。
之に反して和歌山縣新庄、德島縣淺川、牟岐、木岐、由岐等被害の甚しかつた所は何れも防潮林其他防浪施設の無い町村である。
兎も角今度の南海津浪は浪高比較的低く、流速比較的小であつたためにも依るが、防潮林は何れも相當の効を奏していることが確認された。
次に津浪の際流速がどれ位になると防潮林の樹木が倒れるかという問題である。流体の密度を∂、流速をu、受壓体の流れに直角な斷面積をAとすれば、物体に働く壓力は大体∂Au^2に比例するものと考えられる。今浪高が樹高を超え、樹木が天頂まですつかり水につかる場合を考えると、それを倒す最小の流速は暴風の際に樹木を倒す風速から推定することが出來るであろう。颱風などの雨を含んだ風では平均風速 三〇m/sで樹木は倒れる。雨を含まない場合四〇m/s位で倒れるとすれば、それに相當する瞬間風速は40×1.5=60m/s位となる。空氣と海水の密度の比は大凡1.2×10^−3:1であるから、風速60m/sと等しい壓力を呈する津浪の流速は大体2m/sとなる。海岸に於ける津浪の流速は從來の例では大抵5m/s以上であるから、この公式に從えば樹木は倒れる筈である。但しこれには樹木が全部波を被るという假定がある。樹木に働く壓力のモーメントは枝葉の部分で殆どその全部を引受けているから、そこが水面上にあれば木にかヽる壓力は遙かに小さなものとなり、壓力のモーメントは更にそれ以上に小となる。それは樹型を與えれば容易に計算出來るであろう。
津浪ではないが參考のため松尾氏(3)が廣井式波壓計によつて北海道各地の海岸で碎波の波壓を測定した結果によると、最大75—120ton/m2位の値が得られている。波壓を求める。
(3)松尾春雄波の力と防波堤の災害。海洋の科學(昭一七)六八二—六八六。
最も簡單な公式にLiraのものがあるが、それは波壓としてp=1/5、u2ton/m2の形を與えて居り、之に從えば20ton/m2の壓力を生ずる流速は10m/s、80ton/m2に對しては20m/sという計算となる。津浪の際は最大流速10m/s位とされているから、壓力は20ton/m2位となる
3 潮風と防潮林
潮風の内陸への侵入距離が防潮林のデイメンシヨンによつて如何に變るかを直接調べた文献は一寸見當らなかつたが、稍參考となりそうな文献二、三につき紹介する。
(一)海岸距離と塩分
之については福井氏や故吉村氏(5)の調査がある。福井氏(6)は海岸に面し
(4)須田晥次海洋科學
(5)福井英一郎新潟縣柏崎附近に於ける積雪の含鹽量の分布其他に就いて。海と空。一五(昭和一〇)二三三—二三七。
(6)松平康雄潮風に就いて。海洋の科學。三(昭一八)三九五による。この報告は防潮林の關係に就ても多少ふれて居る。
て三方を山に圍まれほヾ盆地状を呈する地形を擇び、積雪中の塩分含有量を測定して第一圖の如く海岸距離と共にほヾ直線的に減少することを見た。こヽの海岸には防潮林はないが、海岸線と平行に走る砂丘列があり、最高部は70m位に達している。
吉村信吉博士は本邦の湖沼中に含まれる塩素量を調べ、第一表に示す如き結果を得た。即ち鹽素量は海岸距離と共にほヾ直線的に減少し、之を外挿すれば大体距離6kmで0となる。距岸7km位で0となる福井氏の場合と類似の値が得られるのは興味深い。
(二)風速と塩分一例として松平氏(7)が御前崎で得た値を第二表に示す。輕く蒸溜水に濕したガーゼを額縁に張り一定時間風向に直角に
(7)前出
露出して測つたものである。實驗式を求めると
CL=3.15V V:風速m/s
となる。
(三)風向風速と塩分
東北地方に於ける一例として平澤氏(8)が宮古に於て降雨中の鹽素量を觀測した結果を第二圖に示す。塩素量はmg/lである。この結果より、宮古では風向ESEで含鹽量最大を示し、風速に就てははつきりしないが、含鹽量最大の方向では風速の增大に伴つて塩素量增加の傾向が見える。
(四)防潮林の風速遮斷効果之に就ては短時日の間に文献を探
(8)平澤建造宮古に於ける降水分析結果に就いて。
氣象集誌。一九(昭十六)三九五ー四〇〇。
すことが出來なかつた。流体の運動方程式を解いて理論的に之を求めることは形式的には出來ても結局は渦動粘性係數Uの値のとり方と境界條件の與え方によつて結果はどうにでもなる。定性的に考えられることは、林の蔭に於ける風陰帶の幅は樹木の高さが高いほど廣くなるが、林の厚みには大して關係しないものと考えられる。しかし塩分に就ては林の厚みが厚く、又樹木の密度が大なるほど減殺効果は大きくなるであろう。これらの關係を定量的に定めるためには矢張りどうしても實際觀測を行つて見る必要がある。觀測は必ずしもあらゆる條件の下にやる必要はなく、要は森林の特性に關する色々な常數が知れる程度でよいと思う。その上は理論で解けるし、又風洞實驗によつて相似則から推算も出來るであろう。
次に防潮林の内部に於ける風速の減殺について空氣粒子の運動に注目して極めて粗つぽい考え方をしてみると、林に入る前の風速Vo、林の前端をX=O.空氣粒子がそこを通る時刻をt=Oとし、そこから入つた粒子はX軸に沿うて水平に運動するものとし、速さに比例した抵抗を受けるものとすると、次の運動方程式が成立つ。
dv/dt=−kv
之を解くと V=Voe−kt
兩邊をXに就て微分すると
dv/dx=−k
之より V=Vo−kx
即ち風速は時間に對しては指數凾數的に減少するが、距離に對しては直線的に減少する。その有樣をきめる常數kは樹の種類と密度によつてきまるものである。この結果からすれば、風速V0に考え得る最大風速を與え、森林によつてきまる常數kを與えて風速がOとなる厚さを求めれば、それ以上の厚さは不要という勘定になる。しかしこれは極めて粗い勘定で、而も單に林内の風速のみに關することであり、林の上端附近の垂直氣流のある所では適用出來ない。
4 結び
三陸沿岸に於ける防潮林の現状に照し、その厚さが問題となる部分は、防潮林が防浪林としてよりも防風林としての効用をつとめている所に多いと認められる。故に防風林としてどれ丈けの厚さが必要であるかを決めればよいのであるが、それには先ず實測によつて常數を知ることが先決條件である。實測をしてみなければ何物もきまらない性質の問題であり、又實測によつて大抵は簡單に解決のつく問題であろう。
餘裕がなかつたため十分調査出來なかつたことをお詫びします。(以上)
東北地方の海岸林 吉井義次
東北地方の海岸林
東北大學敎授 理學博士 吉井義次
先年來わが國の海岸林について少しく調査した所がある。特に東北地方海岸林に關しては、一應之の群落的構造や分布の状態を究める事が出來た。依て次に先づ之を海岸防風林の見地から簡單に述べる。
歐洲特に地中海沿岸にはマキー(Macchie)と呼ばれる海岸防風林が見られる。之は種々の常緑灌木から構成された叢林であつて、海岸の強風常に吹き荒む地に發達し、防風防砂の上に大きな役目を果してゐる。然るにわが國の海岸にも此のマキーに形態が類似した海岸叢林が諸所に見られる。即ちマキーと同じ樣に常緑の灌木が主体となり厚く密な叢林となつて、海風の強い海岸に沿うて發達してゐる。尤もわが海岸叢林は歐洲のマキーとは成因を異にし、又構成植物も別ではあるが、その形態と機能とは殆ど同じであるから、兩者を比較研究する事は應用上の面からも重要の問題である。併し今日は此の點を省略して、只わが東北地方の代表的海岸叢林を簡單に述べ、更に之が海岸防風或は防砂の上に如何に重要ね働きをなしつヽあるかを喚起し、終りに海岸防風林の育成について些か私見を述べたい。
扨て、海岸叢林は上述の樣に本來は常緑灌木を主体として構成されるものであるから、わが國に於ては西南地方の暖地海岸に發達してゐる。故に海岸叢林の典型的のものは、九州、四國等の外洋に面する海岸に見られる。之等はウメバヤシ・トベラ・ハマシリンバイ・マサキ・ヒサカキ等が主木となり、常緑の密叢をなして海岸の岩壁或は砂濱に發達してゐる。然るに關東地方以北になると斯樣な海岸叢林は次第に減じ、その構成植物も變つて來る。併しながら尚ほ諸所に之に類するものは在つて海岸叢林の特性を示し、海岸に防風林を育成せんとする場合に大切な指針を與へる。關東地方海岸叢林の代表として擧げ得るものは、九十九里濱の南端上總の大東岬に見られる。此地では海岸の白砂が稍小高くなつた線に沿うて、トベラ・ヤブツバキ・ヤツデ・ハマシヤリンバイ等の常緑灌木が密生し、其枝は互に固く組合ひ内壁に傾曲しつヽ帶状の一團となつて海岸叢林を造り、能く強い風力に抗して防風防砂の働きをしてゐる。
然るに此大東岬の海岸叢林にも劣らない典型的のものが、計らずも東北地方にある事を先年發見した。即ち松島灣頭の宮戸島の外洋に面する月濱と大濱との中間の海濱に於て立派な海岸叢林を見る事が出來た。遺憾の事には此の學術上並に應用上極めて貴重な叢林は、調査後當局に注意したにも拘らず、先年遂に伐採されて今日は僅かに跡を止むるに過ぎないとの事である。今後海岸防風林の重要性が認められ、其の育成が緊急を要するに至る時斯樣な貴重な參考林が一朝にして全く失はれた事は誠に遺憾に堪えない。
此宮戸島の海岸叢林は海岸黑松林の前衛として稍平坦の砂地に發達したものである。イブキ・マサキ・タブ・マルバシヤリンバイ・ヒロハマユミ・オホイボタ・モチノキ・アヲキ等の常緑灌木を混じて、幅員數米の厚さの密叢となつて之等の枝條は互に組合ひ、内部には殆ど潜入が出來ない状態であつた。此の叢林の緑邊にはハヒネヅが砂上に密生し、又海との間にはハマヒルガホ・ハマエンドウ・ハマニガナハマボウフウ・ハマハタザホ等の海濱砂地草本が生じて防砂に當り、此の叢林は防風林として理想的の自然林套であつた。
東北地方の他の海岸には宮古島叢林ほどの典型的マキーは見られないが、常緑灌木が他の常緑樹と共に黑松林の下層として密生し海岸防風林を構成してゐるものは各所に見られる。特に海岸に近い社祠を圍んで注意すべき常緑林は多數ある。東北地方の海岸には斯樣な海岸林は比較的よく保存されてゐる。即ち福島縣の高萩・磯原の海岸から勿来・小名濱・四ッ倉・富岡・浪江等を經て、更に宮城縣に入つては松島灣の一部特に金華山島に著しく、北上して志津川灣内の小島・椿島に於て最もよく保存された自然林が見られる。即ち全島殆どタブの大樹に被はれ、内にヤブツバキ・トベラ等が密生繁茂し、東北地方暖帶性林として唯一のものである。是非永久に此儘保存されん事を望む。此暖帶性の常緑樹を含む海岸林は、岩手縣に入つても氣仙沼の北方廣田灣にまで見る事が出來る。即ち灣内の靑松島に於ては、海岸岩壁上に黑松赤松に混生してタブを見る外に、トベラ・ヤブツバキ・ヒサカキ・マサキ等の常緑灌木を生じ、恐らく此種海岸林の北限をなしてゐる。
斯樣に暖帶性の常緑灌木が太平洋岸に於ては宮城縣志津川から廣田灣に及ぶ事は啻に植物地理分布の上から注意すべき點である許りでなく、今問題としてゐる海岸防風林を育成する上に極めて重要な參考資料を呈するものである。
次に日本海沿岸の海岸樹木は太平洋岸のものと可成其構成と分布状態とを別にしてゐるが、今日は唯次の事實を加へるに止める。日本海沿岸に於ても暖地性の或種のもの(例へばタブ・ヤブツバキなどの常緑性のものや、エノキ・カラスサンセウ・マルバグミ・テイカカヅラ等)は海岸林を構成して東北地方を遠く北上するが、之等に混じてケヤキ・トチノキ・シナノキ・イタヤカヘデ等の落葉樹木がある點が著しい。而して最も代表的の暖地性海岸林は山形縣の飛島に見られる。全島にタブの大樹多く、ヤツブバキ・モチノキ・ヒサカキ等の常緑樹も混生して、自然林の状態に保存されてゐる點は日本海岸の暖地性の海岸樹林として貴重なものである。
次に海岸砂地に關して述べる。陸が海洋に面する所は、斷崖でなければ砂濱である。而して防風林が問題となるのは主として後者である。尤も砂濱には河川の流入口に臨む泥砂地と、常に大洋の波濤に洗はれる白砂地とがあつて、海岸砂地としては性質を幾分異にしてゐるが、一般には海洋から常に吹き來る風によつて海濱一帶に大小の砂丘が生ずる。勿論その多くは砂丘型にまで發達しない低平の砂地として存在する。併し何れも早晩草本や樹木を生じて其處に海岸林が構成される運命にある。故に海岸防風林の發達と構成を攻究する上には先づ海岸砂地、特に砂丘と植物生育との密接な關係を省察せねばならない。別言すれば、防風林を施設育成せんが爲めには、先づ砂丘地帶の特性を究め、次に砂地に生ずる植物の性質を知り、然る後に兩者が調和して存立する海岸林を論議すべきである。
砂丘の典型的構造は、海風に面する前面は緩傾斜を以て上向し、其表面の細砂は盛に飛動する。從て僅かに特殊の砂地草本のみが此地に堪えて生じ得る。之等が繁生して砂地を被ひ固定せしむるに至れば、更に小灌木も生じ、或は時に黑松も侵入するが、其れは寧ろ特別の場合であつて、普通は砂丘の此部分には林は成立しない。砂丘の裏面は大抵急傾斜をなしてゐて積砂が動き此處に植物は生じ得ないのが通例である。然るにその後方、砂丘麓に當る所は凹地となつて、極端の場合は砂丘谷と呼ばれ水位高く常に濕潤で屡々溜水さへ見られる。北方寒地にあつては此處は泥炭濕原化してゐる事がある。養分に乏しい硝酸性の濕地であるから防風林として植樹する場合にもヤチハンノキ・ヤチダモ或はヤナギ類等の外は成育困難である。此凹地の後方に續く平坦地は普通には農耕地とされてゐる。勿論上に達べたものは最も簡單な單砂丘の典型的の一例であつて、自然界には更に複雜の二三列をなす砂丘が屡々見られる。又更に多くの海岸に於ては上述の砂丘型が平坦の廣地となつてゐる。併し注意すべきは斯樣な場合にも上例に示した低凹濕地が海岸砂地の後方には不顯著ながら常に存在する事である。海岸特異の地形は海岸樹林を育成せんとする場合、或は砂地利用を策する時に考慮の外に置く事は出來ない。
次に問題は海岸砂地に生ずる植物の特性である。從來植林の場合に、育地の氣候土壤に關しては充分注意が拂はれるに拘らず、其處に育成さるべき植物の特性を深く究めない憾がある。言ふ迄もなく植林の要諦は適種を適地に育成するに在る。海岸防風林の如く、特殊の地に適生する草本樹種を以て構成する事を要する場合に於ては、一層斯樣な地に生ずる植物の特性を研究しなければならない。從つて簡單に此點を述べる。
海岸砂地に於ては、常に強い海風が陸地に向つて吹く事と、其處が砂地である事とが此の特殊環境の主要な點である。從つて此地の植物は風による器械的重壓と水分發散による乾燥の危機に曝されてゐる。故に此地に生ずるものは強い風壓に堪え、且つ乾燥に抗し得ると云ふ特性を具備した植物であらねばならぬ。海岸防風林を構成する樹木や草本が斯樣な性質を持つてゐる事は、自然に存在する海岸の林套や曩に述べた海岸叢林を仔細に點檢すると肯定する事が出來る。
自然の植物群落の敎示する處と、海岸環境に順應する植物の生態的特性とに基いて、砂地海岸林構成及び育成は考察さるべきである。此の觀點から案ずると、先づ海岸林の主木とするものは強風に堪へ得る事が前提とされる。既に昨日來多くの專門的の方面から風の力學的作用について有益な講話がなされた。從つて更に立場を變へ、樹木は風の強力に如何に堪へるかと云ふ生物的見地から此の問題に論及して見る。
凡そ樹木が風に抗して能く生育し得るのは一に根の張方にかかる。山頂の孤木が強風に堪へ却つて風裏の斜面の樹木が暴風雨に抗し得ないのは主として根系の發達の良否による。防風林の主木たるものは根の張方が充分でなければならない。此論據から當然海岸林育成に關しての重要な處置が考へられる。即ち樹木の根の張方を強化させる爲めには、育地の土壤は濕潤であつてはならない。必要に應じては排水溝渠を設けて順次乾燥地に淳かせしめる要がある。又同時に樹木の密生を避けて疎林とし、充分に各樹木が日光に當る状態に仕立てられねばならない。
次に風の抵抗を少くする爲めに防風林の樹木は、徒らに亭立して樹冠が繁茂する樹形は望ましくない。更に樹木の性質としては葉からの發散の少い針葉型のものが有効と云ふ事になる。併し海岸防風林の實体としては斯樣な喬木が立並ぶ丈けでは決して強風に抗して防砂或は防風の目的に副ひ得るものでない。此の事實は自然の海岸林がよく示してゐる。少くとも此喬木を主体とする海岸林は、其前方風に面して防衞となる生垣を要する。即ち自然界に發達した既述のマキー樣の灌木叢林の密集した植物群の存在する事が必要である。尤も東北地方の北方寒冷地の如く常緑灌木の發育が許されない場合は、カシハ・ハマナス・ハヒネヅ或はヤマグハなどの樣な落葉樹木を以て之を構成する事が出來る。何れにせよ此の灌木叢林を海岸に仕立てる事は防風林として最も重要の事と思はれる。斯くして強風は先づ此の灌木樹叢に衝き當り、上向して後方の喬木林に働くが故に、兩者が共同して強風を防ぎ得る事になつて始めて海岸防風林の機能を全くする事が出來る。斯樣に二段林套を育成する場合には二列の間隔並に兩林套の厚さは各地の地形・風力等を勘考して決定すべきである。從て場合によつては三列林套に育成する必要も起る。若し夫れ如何なる樹種を撰定すべきかは實に各地の自然の海岸叢林に學ばなければならない。勿論外來種と雖も適種は宜しく取入れて海岸林構成の一要素とすべきである。斯くて各地に自生する樹種を基とし、それ等の特性を究め、之を適當に組合せて海岸に防風用の林套を育成する事は、將來の災害を豫防する手段として必要なあけでなく、現に年々不知の間に海風(敢て潮風と言はない)によつて直接間接に蒙りつヽある内陸耕地の生産を增大する上に緊要の事である。
然しなから斯樣な海岸防風林の育成は一朝にして成るものでない。宜しく現存する海岸樹林を愛撫育成して、其の恩惠に浴すると共に、自然の林套があれ等に數ふる幾多の理を究め、之が應用を講じて生産に寄與する處がなければならない。
附。海岸砂地の開拓について。
今日のわが國状として、廣く未耕地を開拓し、食糧の增産を計る事の緊要なるは言を俟たない。之が爲めに國土は寸土も不生産的に放棄すべきでない。從つて全國に亘つて廣汎な面積を占める海岸地帶の開墾と開放とに、世の識者が着眼力説するも當然である。併し乍ら茲にわれ等の一考を要すべき點は、海岸の謂はゆる不要地帶が果して此の可耕地として早時に開放して然るべきかの問題である。此重大な問題の解答は實に次の二點に要約出來る。一は海岸林套が現に果してゐる役目を顧る事と、他は此地帶の耕地としての利用價値を冷靜に勘考する事でる。
今日各地の海岸に海岸林叢の存在する所以は、之が防砂・防潮・防風等に與つて、内陸の農耕地を保護し、或は更に魚附林或は景勝地として舊幕時代から部落民の生活と切離す事の出來ない必要の存在として保護愛撫されて今日に至つたのである。殊に三陸地方に於ては屡々襲來する津波に對して、斯樣な海岸林が果した恩惠は深く地方民の腦裡に殘つてゐる。此重要な海岸林を俄に伐採して、其の果してゐる重要な役割を除去する事は、他日恨を千歳に殘す樣な結果とならないか、今に於て深慮を要すべき問題であるまいか。昨年の關東地方の河川氾濫による災害は如何、殷鑑遠からずと言へる。
次は海岸砂地が果して耕地として利用に値するかの問題である。之は海岸砂地が所によつて著しく面積に廣狹があるのみでなく、その位置・地味・氣候など、甚だしい差異があるから一概に論斷は出來ない。併し今問題を東北地方に限定して考察すると、耕地となり得べき地で現在放棄されてゐる部分は大抵曩に述べた砂丘裏地に當る所であつて、土壤は濕潤で貧養酸性の砂土地である。從つて農耕地とするには一般に先づ排水を要する)而も之が地形的に困難の場所である)上に充分有機肥料を施すに非れば農耕地として價値あるものでない。單に地圖面上から見て可耕地と推斷すべきでない。恐らく重要な林木を伐採し、結局徒勞に歸するに非れば幸である。斯かる地は海岸林套として他に現在以上の利用の方法はあるものと信ずる。
要するに、海岸防風林として極めて重要な海岸砂地の利用は、充分各地について研究檢討する事を要する。これなくして一樣に開放農耕地とする事は、結局其の目的に副はず、徒らに自然を破壞し他日臍をかむの結果に終らざるか、局に當る者は再思すべきである。(終)
農作物と潮風害 山本健吾
農作物と潮風害
東北大學敎授 理學博士 山本健吾
海岸の空氣中には塩分を含んでゐるのが常態であるが特に岩礁の多い岸で、又波浪が高い際に微細な潮水粒子が風と一緒に内陸に多量に吹き上げられるものであります。
新潟縣下では海岸から七粁の地域迄積雪中に顯著な塩分が見られ、颱風の際には四・五粁の内陸迄多くの塩分が認められて居ります。
東北地方は屡々夏期の水稻冷害に襲はれ、甚しい農作不安を感じてゐる事は周知の事であるが、昭和十年の冷害の樣に夏期の氣象が一般に冷凉であつた上、丁度水稻の開花授精期に颱風の襲來が重つて、主として東北沿岸地帶の稻作が大被害を受けた例が少くないのであり、これは潮風塩害によるものとして注目されてゐる事柄であります。塩分による直接被害としてはそれ程考へられないのであるが、強風によつて稻の蒸散が盛になり、さらでだに冷凉な氣温下の稻の莖葉温は一層低下するのであるが、塩分を多量に含んだ潮風では寒劑を用ひて冷却するのであるから、幼穂の分化期から授精期迄の非常に鋭敏な反應を示す時期にこの樣な潮風を受ければ、水稻の生活機能が損ぜられ、大減収を結果するわけであります。昭和十年には靑森縣平舘村の防潮林の効果試驗が靑森營林局から發表され、大に世論を喚起したのであり、又、岩手縣磯鶏濱の防潮林、宮城縣沿岸の防潮林の効果等も顯著な成績を示し、冷害、潮害に對して東海岸の防潮林が如何に大切であるかと言ふことは識者も農家もよく認識したのであつたのであります。
又海岸からの常風が特に水稲の苗代期に、氣温を低下し、又同化作用を妨害し、育苗困難の主要な原因となつてゐる事も明になつてゐる事であり、防風檣の外に永久的な防風林の造成が必要缺くべからざるものである事は海岸地方の農家がよく痛感してゐる處であります。
然し乍ら近年防潮林及防風檣の効果への認識や、淡水、製塩、開拓等の目前の利益の爲に一層拍車を加へて、農作物殊に主作たる水稻作に恒久的利益を與ふべきこれ等施設を伐採開放せんとする氣運が濃厚な事は誠に憂ふべき事柄と嘆ぜざるを得ないのである。關係方面の自省を望む處切なるものがある處であります。
福島縣原の町附近の開拓地では樹林の伐採を無計畫に行つた爲に海岸風の爲に飛砂多く、開墾地の麥作及び甘藷作に大きな支障を感じ、今更植林の必要に迫られてゐる事實があり、開拓方面の指導に際しても防風林の殘置を考慮して開墾する事がその後の營農上必須條件となる事を銘記すべきであり、東北海岸地方の防潮風林の造成とその保護は農作物生産の上からも強く支持さるべきであると考へられます。(終)
(成績、調査資料等は省略)
昭和二一年南海地震に於ける和歌山縣防潮林効果調査 川口武雄
昭和二一年南海地震に於ける和歌山縣防潮林効果調査
林業試驗場 農林技官 川口武雄
一、緒言
林業試驗場に於いても數年前保安林の必要最小幅員を見出す事を目的として福島縣、栃木縣下の内陸防風林及び鳥取縣下の飛砂防止林につき現地測定を行つたが、不幸林業試驗場の戰災により當時の記録を燒失し詳細を述べる事が出來ない。唯記憶により結論的に云へば同一樹種でも林齡、下木の有無、疎密度等林相の違ひが非常に影響し、又耕地防風林では保護される作物の違ひで條件も異り、必要最小幅員は一般的に數量的に簡單に示す事は困難で、其の地其の地の地形、林相等の條件と睨み合はせて考へねばならぬ。
今回は南海震災後現地調査を行つた和歌山縣下の防潮林効果の概要につき述べることヽする。本調査は林業試驗場防災部技官四手井綱英、技官渡邊隆司と講演者の三人が昭和二二年二月二〇日より三月二日迄被害跡地を調査したもので、詳細なる調査結果は何れ林業試驗彙報に發表の豫定ですから、本日は時間の關係上よりも極く概略を報告することヽする。
二、地震及び津浪の状況
地震及び津浪の詳細は東京帝國大學地震研究所研究速報第五號(昭和二二年四月一五日發行)に讓り概況を述べれば、本地震は昭和二一年一二月二一日午前四時一九分六秒に潮岬南方よりやヽ西寄りを震央として起り、初期微動繼續時間二秒二、初動方向北、上下動最大振幅五糎、性質やヽ強、震動時間約一時間で、震源地で烈震、和歌山、奈良で強度、震度五となつてゐる。
地震より津浪來襲迄の状况は夜間の爲判然とせぬが、大体地震後引潮の現象が起り地震後一五分ー二五分で第一回の津浪が來襲した樣である。今回の津浪は寳永、安政の時に比べ極めて早く來襲したのは浪源が陸地周邊で起つたからであらう。津浪の高さは調査した範圍では最大六米余で、十數回の來襲中第二回又は第三回が最大であつたらしい。數回來襲せし事は浸水地の板壁、土壁に殘つた痕跡より明かである。
津浪の性質は夜間の事とて判然とせぬが、海面が盛上つて移動する丈で激浪ではないらしく、音もごう々々と汽車の走る樣な音が聞えたと云ふ者もあり、音も無く急に浸水したとも云ひ、震研の研究速報にも今回の津浪は動力學的作用が少いと述べてゐる。要するに津浪自体の破壞力は大したものでなく、船・木材等津浪漂流物による二次的破壞力で家屋等が破壞されたと想像される。其の他引潮が上潮より速く強い、V字型・U字型の灣に波高が高い等の現象は從來述べられてゐるのと同樣である。
尚本地震の大きさは關東地震と三陸地震の略中間で、寳永四年の南海地震より小さいが、安政元年の南海地震とは伯仲すると云はれる。
三、調査箇所
調査期間の關係より被害の大きな和歌山市より串本町に至る紀伊半島西岸を、防潮施設を有する箇所は南廣村外五箇所、防潮施設を有せぬ箇所由良村外七箇所と、計一四箇所を調査したが、時間の關係上其の代表的なもの二、三につき述べることヽする。
1、有田郡廣村
本村は波高四・九米と云はれるが、古來より有名な濱口梧陵による護岸堤、防潮林、防潮土堤の三段に配置された防潮施設を有し、爲に部落を浸水より救つた。又耐久中學前の數列の松林で一五〇トン程度の大型漁船の上陸が阻止され、樹林の津浪漂流物に對する防禦効果を示してゐる。
2、西牟婁郡新庄村
本村は深く灣入した田邊灣に面し、海岸に全然防潮施設を有せず汀線迄造船所、製材所等に極度に利用され、一村全滅的被害を蒙つた。今回の災害後以前の場所に製材所等が最初に復興し考慮を要する状況を再現してゐる。最非海岸は防潮施設に使用し、製材工場等は津浪來襲時に漂流物を生ぜぬ安全な場所に設置すべきものと考へられる。
3、西牟婁郡富田村
本村は樹高一五—二〇米、直徑二〇糎、樹齡八〇—一三〇年、幅員一四〇米のクロマツ防潮林の前方に幅二〇米の幼齡林があり部落には浸水しなかつたが、戰時中少數の大徑木を造船材として伐採したところ、潮風の害で後方の水田収穫が減じたと云ひ、防潮林の幅員決定、取扱に一つのヒントを與へてゐる。
4、西牟婁郡串本町二色
本村は縣營の防潮林及び防潮工事により被害を受けなかつたが、唯河口よりの浸水で河口附近の低地帶に災害を起したのみである。
四、防潮林について
1、防潮林の被害
汀線に近い砂地に護岸工作物無しに、或ひは弱い工作物のみの松林はクロマツが根返り、根倒れし、又護岸が破壞され海蝕を生じた處にも根返りを生じてゐた。
倒れた方向は一定せず主根を欠き側根のみであつた。即ち今回の如き規模の津浪では、(一)老・壯齡木の根倒れ、幼齡木の傾斜以外に幹折れは生じない。(二)根倒れは地震が海蝕により洗はれた場合のみに起り、換言すれば地盤さへ安定してゐれば防潮林はよく此の程度の津浪に抵抗し得る。(三)轉倒の方向は海蝕の仕方と根の張工合により、上潮でも引潮でも起る。
2、防潮林の潮害
冬季の爲草本及び落葉濶葉樹については不明であつた。クスは樹高が可成り高くても根部浸水で葉が全部赤く枯れ、スギは二、三葉の赤くなつたのがあつたが潮害に因るかは不明で、クロマツは大部分被害無く一米以下の稚樹で完全に海水に浸水したものが枯れてゐた。ウバメガシ、アオキ、ヤマモヽ、トベラ等葉質の硬いものはいくら海水に浸つても潮害を受けてゐない。
3、防潮林の効果
從來防潮林の効果の第一として樹木の彈力性により津浪の勢力を減じ破壞力を減少する點が擧げられてゐるが、今回の調査地では防潮林は二ー三列の老松が多く、又縣營の造成したものも未だ幼齡であるので、此の効果は明かでなかつた。
唯建築物等が津浪により押流されるか倒されるかの限界點にある時は、例へ一本の樹木でも津浪に抵抗して其のエネルギーを減じ建築物を流失、破壞から免れしめるのである。又颱風津浪の如く怒濤となつて押寄せる場合には、流水中の杭の如く防潮林は其の下流で水深を減じ渦流を生じ破壞力を減少するものである。
今回の調査で特に氣付いた點は、津浪による陸上工作物の被害の大部分は船、丸太、岩石等の津浪漂流物の激突により生ずる點で、新庄村の全滅的被害も製材所の丸太と造船所の船舶によるもので、廣村耐久中學前の松林に船舶が阻止された如く防潮林は例へ數列でもよく此の漂流物を阻止する機能を有するものである。
即ち防潮林の効果は、(一)津浪の浸水高を減じ破壞力を減ずる効果、(二)津浪により二次的に生ずる漂流物の上陸による破壞力防止及び流失物の海上への流亡防止効果の二種に分類され、今回は其の後者の効果が歴然と示されてゐる。
尚防潮林により拝外を免れた場所は、單なる防潮林のみでなく石堤、土堤等の工作物を有し、是等工作物の津浪阻止の作用が大であつて、防潮林は何等かの基礎工事があつて初めて津浪に抵抗し得るもので、換言すれば防潮林と防潮工事は一体不離のもので、防潮林とは防潮工事等の基礎工事と其の上に立つ樹林とを併せたものと解釋すべきである。
4、防潮林の生育
海面より高度一〇米以上の一〇〇年生のクロマツ防潮林が海面より高度一—二米の四〇年生のものより生長惡い例があり、之は砂地で地下水面より著しく隔離され水分、養分の補給が不圓滑の爲であらう。又地面の低い所のものは主根を欠き、飛砂地では梢端の枯死したり埋まるものがあるが、之は飛砂地は海岸砂防式地拵をして植栽すべきものである。
五、防潮工事其の他工作物について
1、防潮工事の被害
海中の防波堤は空積石堤が多く、津浪の引潮による破壞力で海中に突出した先端の一部が破壞する。陸上の土堤、石塊は萼積、空積、コンクリートがあり、構造上津浪に抵抗し得ず破塊したもの及び基礎地盤軟弱の爲轉倒したものがある。
空積で法の急なもの、混合積のものは大部分破壞し、空積でも法の緩なものは被害か少い。コンクリートのものは、裏面の工事不完全で海水が裏面にまわり崩れたもの、基礎の砂が洗ひ出され轉倒したもの、繼目不完全で引潮で上部轉倒したもの、道路端の護岸で天端が路面上より高く引潮で路面上の部分が轉倒したものがあり、萼積でも今回の津浪には充分抵抗して後方の家屋を襲つたが龜裂が入り今後の津浪には耐へぬもの等がある。
2、防潮工事の効果
防潮工事單獨で津浪を阻止し後方への浸水を完全に防止したものもあるが、工作物には龜裂を生じ更に大きな津浪が來れば危險で是のみに賴ることは出來ぬ。防潮林と防潮工事を併用した所でも防潮工事は破壞、轉倒、傾斜したもの多く、若し後方に防潮林が無ければ今回の如き數回繰返す地震津浪では慘害は更に大であつたであらう。即ち防潮工事も防潮林と一体になつて初めて有効で一体不離のものである。
河口附近の低地帶の被害が大であるのは、防潮施設を海岸にのみ設置し、津浪が河口より河川を溯る事を忘れ河口より上流の施設を没却した爲で、此の點河口附近の低地帶には河川工事と防潮工事の綜合性が望ましい。
3、家屋其の他の被害
今回の如き津浪では家屋の土壁を落し家内の内容物を流出せしめる程度で、それ以上の破壞は構造物の強度が非常に弱かつたが、地震により破壞したが、船、丸太等の漂流物の激突による。家屋の構造上土台との間をボールトで接着したものは被害を免れ、土台と分離したものは意外の遠方へ移動してゐる。橋梁も同樣で橋脚との接着不充分のものは上部が地震で移動し引潮により轉倒してゐる。
即ち陸上諸施設の被害は津浪の漂流物の激突で生じ、此の點防潮林の漂流物阻止の効果は大である。
六、結論
(一)今回の津浪は速力の大な浸水で動力學的作用は少く、陸上施設の被害は船、丸太等の津浪漂流物の激突による。
(二)防潮林の効果は津浪の浸水高を減じ破壞力を減ずるより、津浪漂流物の阻止と他の防潮設備の防護が大である。
(三)防潮工事は津浪阻止に甚だ有効であるが、是のみに賴るのは危險である。
(四)防潮工事は防潮林と共存すべきもので、防潮林とは樹林と其の基礎工事を併せたものと解釋すべきである。防潮工事と同樣防潮樹林の補修を忘れてはならぬ。
(五)防潮施設は津浪の高くなる灣全体、河口附近の低地帶を考へて實施し、防潮工事と河川工事の綜合性を持たせる。
(六)V字型、U字型の灣は津浪が高くなり、防潮施設を作る余地少く反面造船所、製材所等に利用されるのが多いが、防潮上利用の面を多少犠牲にしても一列の防潮並木の造成でも望ましい。
(七)防潮林は防波堤、護岸工事、樹林、防潮土(石)堤の四段構えが望ましい。
研究座談會摘録
研究座談會摘録
山内局長 昨日から防潮林に關する種々の研究を御聞きましたが、尚管理經營者の立場から防潮林施業の實際を御伺ひしたい。まづ國有林關係として仙台營林署長から管内防潮林の概況とその開墾問題の實情を御聞きしたい。
馬塲仙台營林署長 宮城縣下には國有の防潮保安林は白石、仙台、石巻各營林署管下合計約一〇〇〇町歩ありますが大体三署の分共、事情が類似してゐると思はれますので、こヽでは仙台營林署管下の防潮林に就いて申述べたいと思ひます。
當署管内防潮保安林は太平洋岸に沿ひ北は宮城郡多賀城村より南は名取郡玉浦村阿武隈川口に至る南北凡そ三〇粁に至る細長い帶状林地であります。其の間には名取川、七北田川其他多くの小さい流れが之を横斷し、民有山林原野及數多くの部落が介在しまして防潮林は各所で中斷されて居ります。更に名取川以北にありましては貞山堀によつて防潮林は縱に二分ぜられ略々二團地となつて併列して居ります。本防潮林は一般に汀線より二〇〇米—五〇〇米離れ、林地の幅員は狹きは二〇米廣きは四五〇米に達しますが、平均一五〇米内外の箇所が多いのであります。面積は元、五九六町歩でありましたが開墾地として貸付したもの及試驗地等を除き現在約四七〇町歩となつて居ります。作業種は元、禁伐林として一切の施業を制限せられて居りましたが、昭和六年帶状前更喬林作業を採り、昭和十八年以來帶状皆伐保殘木作業を採り現在に至つて居ります。
本防潮林は昭和九年には全林地を各關係部落の委託林として部落民にその保護を委託し、一方部落に對しては防潮林より生産せられる薪材落葉等を供給することによつて部落と密接な關係を維持し防潮林の管理、經營に萬全を期して居るのであります。其後我々の諸先輩の指導よろしきを得た結果、防潮林に對する部落民の認識をよく深めまして、從來はもとより現在も部落民は非常な愛着心を以て積極的にその保護、監視に任じてゐますので盗伐其他人爲に依る被害は極めて稀な状況であります。
飜つて、現在迄に於て防潮林を開墾地として貸付した面積は約八六町歩ありまして、その中六八町歩は、昭和十三、四年頃と思ひますが、玉浦飛行場開設の爲、その換地として防潮林が開放されたのであります。他は戰時中、並に近年の食糧事情に鑑み開放を餘儀なくされたものであります。何れも防潮林の内、最も幅員の廣い部分を一部開放したもので殘つた林の幅は約一五〇米—二〇〇米位になつて居ります。
之が開放の爲既存耕地に對して生じた影響に就ては、科學的な調査もなく甚だ殘念でありますが未だ各方面より非難の聲を聞いて居ないのであります。之は相當程度の厚さの防潮林が尚殘つてゐる爲に顯著な變化を生じてゐない爲と思はれます。
防潮林内の開墾地の状況を見ますと、防潮林の林地は石英砂を多量に含んだ砂地であり、しかも腐植質の含有が少く、非常にやせてゐます。從つて相當の肥料を施し手入も一般耕地以上に行ふに拘らず畑作に於ては、大体、一般耕地の三分の一の収穫量程度であり、水田に於ても畑より更に惡く収穫は三分の一にも達しない樣であります。之が改良策としては客土が最も大切と思はれますが、内陸より來る北西風による飛砂を防ぐ爲更に内陸寄に防風林を設ける必要があると思はれます。
次に防潮林の解放問題に對する地元部落の動向について申しますと、極度に逼迫した食糧事情に加へて戰災者、引揚者等に依る部落の急激な人口增加を見、非農家戸數は總戸數の約三割になつてゐる現状でありますので之等の人口には是非耕地が必要になつて來るのであります。又更に從來耕地を持つてゐても、それが非常に少い人々は當然增反を欲するのでありまして、之等の人々により防潮林の開放が叫ばれてゐるのであります。反面耕地を充分持つてゐる者は、必らずしも防潮林の開放を望まず、防潮林の保安効果を充分に保つ爲と、それより供給せらるヽ薪材の供給量の多きを望む爲成可く防潮林を多く存置したいと言ふ傾向にあります。從つて防潮林の解放問題も部落全部の意向が完全に一致してゐることは少いのであります。現在も一、二の箇所に於て部落民の增反を目的とする開放問題が起きてゐますが同樣の事情にある樣であります。開放の請願が出た場合私共現地の者が常に困惑するのは現在防潮林の最少限度必要な幅員が科學的に分つてゐないことであります。よく部落の人から「隣の部落では、防潮林の幅が之れ位のところがあるのだから自分等の部落でもこヽ迄は開放してもらつてもいヽのではないか」、などヽ言はれたり、又時には、「御役所の人は、科學的に必要な限度を除いては開放すると言はれるが一体そう言ふ限界が分つてゐるのか」等と逆に反問される場合がありまして私共まことに閉口することがあるのであります。
以上の樣な次第で私共は此際是非防潮林の最少限度必要な幅員を知り度いのであります。勿論場所に依り色々環境因子が異るので一律に幅員を決定することは當を得ないし、又出來ないことかも知れませんが概略的な幅員でも決定し得れば私共としまして非常に好都合と存じます。此度の防潮林經營研究會に依つて權威ある專問の方々の科學的な理論に立つ御意見を拜聽しましてその結論に基いて防潮林の合理的な經營と差當りの問題として防潮林の必要な幅員が決定しますれば、私共現地にある者としまして非常に幸であると存ずるのであります。
山内局長 只今仙台營林署長から實状を聞きますと、防潮林に對する最近の問題は開墾及び製塩に伴ふ燃料の問題でこの爲に防潮林が壓縮される惧があるのでありますが、この點各縣の方々から承りたいと思ひます。
靑森縣(一條技官) 靑森縣の防潮林に對しては用地は買収して居ないが用地の使用を約束して承諾書を取り保安林に入れて造林してゐます。落葉落枝はなるべく採取させません。開墾は未だ希望がないが終戰後食糧增産の立場から無願開墾が二三ありますが之は地元町村から注意を與へて居ます。地元町村としても保安林に對しては巡視を置いて町村豫算を以てやつて居り萬全を期して居ます。尚防風林については西津輕郡に屏風山保安林四千町歩がありますが之は集團開墾の對象としたい方針で縣開拓課に申し入れその樣に取扱ふ樣にして居ます。開墾と保安林については今の處大した問題はありません。
縣では防潮林の幅員をどの位に持つて行くかについては科學的限界が平素から不明のため概念的に取扱つてゐますが大体二百米とし、狹い處は三十米位の處もあり、廣い處は三百米の處もありますが平均して百乃至百五十米位であります。これとて技術的見地に立つものではありません。又最近薪炭の不足してゐる町村に保安林施設をしてゐる處がありますが、保安林に手をつけさせない爲に國有林から特別の拂下方をお願ひします。
局長 下北郡横濱地方には御料地を拂下げした民有地が砂漠状態になつて居る樣ですが縣として何か計畫して居ますか。
靑森縣 今の處砂地に對する施設だけして居り、他は別に考へて居ません。
局長 將來どうするかが大きな問題であると思ひますが國で買上げて國有林と協力してやることが必と思はれます。
次に岩手縣では製塩事業が盛んで保安林ばかりか附近の山迄荒れてゐる樣ですが如何ですか。
岩手縣(石井技官) 防潮林は昭和八年の津浪後始められたので若い林が多く、民有林を買上げて縣有林として大体百十五陌位になつて居り、そのうち一部民有林として組合林が混入して居ます。
製塩については戰時中開放が叫ばれて三年位の期限づきで一時貸付けた處が若干(一陌)あり、他は防潮林として直接製塩に使用してゐる處はありません。
開墾の方面では地形の關係で防潮林を畠地にするところはないが川を中心とした平地では狹い範圍に耕地としての適地があるから開放が希望されてゐます。こうした處はごく少面積の部分が多いので極力抑制して防潮林存續に努力してゐます。但し戰時中やヽ幅の廣い場所の植栽林は疎林として馬齡薯等を耕作した例があります。現存の製塩は防潮林以外の場所であり保安林内では絶対にやらせない方針であります。
宮城縣(吉田林務課長) 次に宮城縣の状况を申し上げますと縣の海岸林の現況は牡鹿半島の南と北とで異つてゐます。南部は砂地造林で、北部は植栽する地域が少なく、必要はあるが止むを得ません。
南部は海岸防風林と砂防造林地を兼ねた方法をやつて居り北部は純然たる防潮林であります。但し本吉郡にごく少部分の砂防造林地が混つてゐます。南部には國有保安林が一八〇〇町歩民有保安林は一四〇〇町歩あります。昭和七年に海岸砂防奨勵規則が出て造林を提唱したのは千町歩ありました。昭和八年三月三日に大津浪があり、農林省では各縣につき調査し、その調査書を取纏めました。又十七萬四千圓の補助があり、面積一六九町を實行しました。その後昭和十二年五月農林省令によつて災害防止林計畫が立てられ、先の海岸砂防林を補強しました。現在では民有の防潮林は五百町歩に達して居り地上權を設定して縣で實行してゐます。現在保護上困つてゐるのは製塩事業が南北ともに非常に多いことであります。南部は新濱附近では防潮林の一部でやつて居り、他の地方は砂防造林地の外側でやつて居ります。北部では防潮林の中民有保安林内で、もと自分の土地であつたからと云ふので勝手に入つてやつてゐるものもあるから、その一部を取り止めさせた樣な状況であります。なほ申し上げたいのは防潮林造成法に關し、大体うすい部分を補強して行くやり方を取つてゐます。例へば名取川の北川では民有保安林につヾいて長さ二粁幅二十米を買上げ防風防潮林を造つてゐます。この防潮林を造つた動機は六鄕の村人達がやつて來て、もと名取川の北側に立派な黑松林があつたものを現在荒らさて何も無くなつたからもとに歸す樣にしてくれと、出願され實施に努力したのであります。現在十年位の林ですが黑松・アカシヤ・イタチハギを混植してゐて、このうちアカシヤの生長が良好で却つて黑松の伸長を阻害するため先年切り倒して部落の薪伐として與へました。又之にミツマタを混植せしめて居つたが相當の収入を得ました。
昭和九年の冷害の時防潮林實施當時であつた爲め防潮林の内陸側に農作物の収穫に非常な凸凹がありました。即六鄕部落附近及防潮林の直ぐ後は収穫があつたが川口から風の通る樣な名取川口附近は殆ど皆無作でありました。それで防風林の必要に迫られ地元民を大いに覺醒させました。此の方は地形の關係から幅員を考へられず南の方は幅員の狹いところを補強するやうに考へながら豫算の關係で實行出來なかつた状態であります。
宮城縣 製塩開墾の關係を補足すれば、野蒜海岸で割當て製塩により保安林の開放を強要されたが、縣では種々判斷してこの程度ならと云ふ處で止め、一ヶ年を期限として貸付してゐるので防潮林の機能を失つて居ない積りであります。なほ開墾については本吉方面で問題になつてゐるが、同方面では防潮林は野蒜先き迄植栽せられ、終戰後復員者から開放を迫られたが極めて面積の小さいものであるから之位ならと云ふ處で(三~五畝)貸付してゐます。石巻渡波間の防潮林では町營住宅敷地として開放出願があつたが相當研究の結果開放が出來ないことヽ決定しました。唯一部無願で建てヽ仕舞つた處があるがその前方に防潮林を造成する豫定で豫算化してゐます。
局長 宮城縣に關聯して國有林の立場を石巻營林署長から説明されたい。
村上石巻營林署長 石巻には三三〇陌の防潮林があり中、北上川口と追波川口の防潮林は年々潮水の入る關係で枯損木が多いため現在の林況は非常に荒廢し、保安林としての機能が無いと云へませう。
又渡波や桃生郡下の保安林は地形の關係上幅狹く立派な林はありません。砂丘が低いので潮水が入つて立木を枯らすのでこれを復舊させる必要があります。それで非常な經費を投ずるのでなければ保安林として役立たないと考へます。斯樣な處には昭和七年頃から施設を始めたがその後これも破壞されてしまひました。現在の防潮林を見ると明治時代の堤防が林の外にあつたから良かつたと思ひます。我々としては現在の保安林を最も立派にするために施業をしてゐるのでありますが最近耕地への開放問題が屡々起りあらゆる方面から考察して開放しても差支ない場合は内側を狹い帶状に開放してゐます。又一例をあげれば渡波町の新築中學校設立の爲に敷地を要する問題で、こヽは適地の選定が難かしく保安林をつぶすか水田をつぶすかどちらかを選ばねばならなかつたのですが局署でよく調査の結果結局保安林を開放することになりました。
こうした關係から保安林の幅が問題となります。地形林相等から一概にきめられないと思ひますが、現地毎に最後の線を決定すべきであり國有海岸林の現況はどうしても再檢討する必要があると思ひます。幅員が決定すれば狹い處は買収し廣い處は開放する樣にし、尚燃料が少ない爲に黑松の落葉は地元民の唯一の燃料であるからこの點を充分に考へて防潮林の施業をしなければならぬと考へます。又地元民は防潮林の開放を嫌ひ外來者が開放を叫んでゐる實情であります。
石垣縣議 昨日來の御發表を伺ひ今迄疑問に思つてゐた點が解決出來た樣な氣がします。私は水産關係の者で、防潮林即魚付林と思つて居り、海岸林と魚業林の關係が極めて密接であることを知つてゐます。只今石巻營林署長さんの云はれた矢本町附近に防潮林がありそれから鳴瀬川の邊迄は防潮林がありその反對側一里許の間は海岸に防潮林がありません。この區間に魚業權が三區ありまして一つは五郎兵衞と云ふ場所を基點としたもの、もう一つは一本松と云ふ場所附近のもの、殘りは川口のもの等で、それらが年々建網を建てゝゐますが、林は五郎兵衞附近は海岸近く迄あるに反し他の二ヶ所はそれがありません。魚獲高は五郎兵衞を一とすれば他の二者は三分の一しかとれないので、昔から柳の下に「どせう」と云ふ諺があるが、鰯魚業はプランクトンや海流の關係等よりも魚付林との關係が密接であり、それが五郎兵衞で毎年澤山とれる原因であります。尚宮戸島の魚場も優秀であり、そこには矢張り林があります。それ故林と魚業とは甚だ關係があり、防潮林即ち魚付林と解してよいと思ひます故に海に近い處に防波堤を作り後に防潮林を作ると云ふことを考へその林が相當以上廣ければその内側を開放してもよいと思ひますが、この例は澤山ありませう。が、どうか海岸に近い處に理想的な防潮林を仕立てる樣願ひます。野蒜其他の太平洋岸は年々砂丘が海に伸びてゐるので砂原が廣くなり林も之に平行して海の方に進めていたヾき、内面の耕地を良く利用していたヾきたいと思ひます。
數年來海岸に於ける神社佛閣等の木が戰時法令により澤山伐採されたので目標となる樹木を失つて魚場の位置をきめるに困つてゐるが、今後は目標木の伐採は禁止されたい。海岸線が前方に伸びて行くので砂丘造林も是非前方に進め、内陸は出來得れば困つてゐる人に開放する樣に御願ひするものであります。
局長 石垣さんの御話で防潮林の効用については從來云はれてゐる外に新しい使命が強調され、大變面白く思はれると同時に我々の責任の增加を感じます。昔から鹿追ひ山を見ずと云はれてゐるが、魚業も山を見なければならないと云ふことは愉快であります。次に福島縣の状況を願ひます。
福島縣(林務課長) 本研究會に御招待をいたヾき感謝に堪えません。現在福島縣の防潮林は大体六〇九陌、防風林は一四五陌あります。濱近い處は燃料不足の關係から下草や落葉枝を採取するため遺憾乍ら立派な林になつてゐません。昨年相馬海岸で潮風の爲稻作が惡いと云はれ縣會で問題になり、潮風の影響で作柄が下落したから割當量を減少されたいと云ふ話があつたので山林課として之が對策を考へてゐるが、今の處防潮防風林を急速に作る必要があると考へます。現在防潮保安林に對しては製塩開墾等に關し開放問題が起つてゐないけれども、水源涵養其他の保安林に對しては開放申請が多く困つてゐます。之等は國土保安の見地から必要ある場合は山林課からの直接調査を必要とすることゝして使命を達成してゐるつもりであります。又幅員をどの程度にすれば保安効果を現はすか科學的裏付けがなく非常に困つてゐます。
局長 大体各方面の防潮林に關する實情を承りましたので、防潮林經營に關する根本問題に移りたいと思ひます。昨日からの御話の他に農作物と潮風の關係は東北大學の山本先生が來られないため伺ふことが出來ませんが、一般の植物の生理と潮風の關係を吉井先生から伺ひたいと思ひます。
吉井博士 海岸に實際生育してゐる一般植物に對する風の影響はさして問題になりませんが、作物には影響があります。但しそれも潮風中の塩分と云ふより風そのものが影響してゐます。秋田や酒田の海岸砂地は水位が比較的高いけれども、甘藷の樣な風の影響の少ないものは好成績であります。
福島縣 潮風が入る地域と入らぬ所では稻作に反當り一俵位の差がありますが。
吉井博士 それは潮風中の塩分といふよりは風そのものゝ影響であります。
佐藤正氣氏 果樹を調べて見ると地形とか風に關係してゐることが經驗上明かでありますが、其の實例は宮城縣の亘理白石方面が果物の産地でありますが、之は四ー六月の東南風が阿武隈山系の陰に當る之等の地帶に山を越えて入るために風力が弱まり、この盆地は果物がよいのであるます。仙台方面は海に面する方に障害物がないから果物の出來がよくありません。利府では第三紀の山地が海に近く横るために風が直接入らず果物がよいのであります。又山形縣上の山は伊水の方面から風が來ない樣に山にかこまれてゐるので温度が上り果物がよくとれますが、之に反し莊内は駄目であります。靑森縣の馬淵川に沿ふ地帶の三戸諏訪平方面と、奥入瀬川の三本木方面、津輕の大釋迦峠以南の津輕平野と以北の靑森方面についても同じことが云へます。又下北半島について見ると有戸野邊地間は低地で風が強いので著しい處は砂漠状をなし何もありませんが、横濱以北は吹越山の保護で比較的よく出來ます。田名部あたりが市街をなしてゐるのも之亦風の關係であります。尻屋部落はどの方向からも風が吹き且強いのでイタヤの垣根を作つて耕地を保護して居ます。地形的に惠れない處は防風林を作つて保護して作物を作つてゐます。平舘等も防風林の爲にヤマセが防がれ、附近が皆無作でもよく平年作に近く取つてゐるから、明に防風林や地形と關係が深いことが解ります。尚防風林の幅員は廣ければ廣い程よろしいのであります。地盤を見ると松島から南は隆起してゐるが一部沈降もあり、濱吉田から亘理迄は沈降してゐるらしい。
かゝる沈降してゐる處に防風林を作ることは困難で、この樣な場合はまず水に耐へるヤナギ・ハンノキ・ヤチダモ等を植えて、地下水を下げてから黑松を植栽するか、始めから地下水の低い處では黑松を植栽してもよいのであります。かゝる場所は幅員は普通より廣くすべきであり且前方には灌木林を仕立て後方に喬木林を仕立てる樣にして保護すべきであります。
吉井博士 塩の影響はないが風の影響は大きく佐藤さんの云はれる通りであります。風は直接機械的に作用する許りでなく間接の作用も大きいのでありますから防風林の幅は廣くしたいものであります。
加藤博士 阿武隈地方は沈降してゐまして、その延長の關係は佐藤氏の云はれる通りであります。海岸の沈降は年々二十萬分の一程度で之の爲めに防潮林の經營を云々することは一寸云へないのであるまいかと思ひます。
福島縣の方の云はれた通り阿武隈地方は津浪の影響は少なかつたが、それは海岸に直接に急斜地が狹まつてゐるからであります。同地方の防潮林の幅員は余りに狹すぎる樣であります。
局長 昨日の加藤、吉井兩先生のお話を綜合して考へると三陸海岸の問題は津浪の周期と震源地の豫知である樣に思ひますが。
加藤博士 津浪の周期は不明であります。地震の起る場所については小山氏の云はれる程悲觀的ではないので局長の云はれる金華山以南で地震が起るかどうかの問題も今ははつきりしませんが、起る可能性はあります。然し周期はわかりません。阿武隈沖で地震が起れば石巻松島海岸が危險であります。渡波では昭和八年の津浪では一、二米の高さがあつたが被害はなかつたのでありますが、あの位の幅は絶對に必要があります。松島以南の防潮林では貞山堀の内側は大した事はないが海に面する側は出來る丈全面的に防潮林を造成する必要があります。
石垣氏 野蒜の築港は昨年の水害でこはれてしまひ失敗でした。その附近の所謂松島岩の岩盤は隆起して、附近の不老山海岸淺くなつた樣ですがいかヾですか。
加藤博士 野蒜矢本方面の海岸は現在は實際は沈降してゐることになつてゐるから現場を見ないと何とも云へません。
局長 防潮林の施業について種々承つたけれども、更に樹種品種の問題がありますが仙台營林署管内防潮林に於ける黑松産地試驗の結果が出てゐますから、局の村井技官からその説明を聞くことゝ致します。
村井技官 私の調査した黑松産地試驗は仙台營林署管内、宮城縣名取郡玉浦村字須賀林國有林九二い林小班にあります。同地には昭和十一年播種、翌十二年植栽した黑松が存在しますので、十一年生黑松の生育状態比較を試みることとなります。同地には全國から十七ヶ所の産地のものが蒐集されて居り、それ等を各計測項目毎に配列しました結果、數字的に近接したもの、地域的に近接したものを夫々纏めて全國を「北日本區」「西南日本區」「四國—北九州區」「南九州區」の四地區に分け、比較することとしました。(第一圖)
樹高生長を比較した結果、總生長量は第二圖の如くであり、連年生長量は第三圖の如くであります。總生長からみれば四年生頃迄は地元から南方に距ることが大なる程、生育緩慢でありますがそれ以後生育は全く反對となり、南なればなる程大なる伸長をなすに至りました。又連年生長は二ー三年生迄は南方なればなる程生育緩慢であつたものが、三ー四年生に於て急激に反轉して逆となり、南九州産のものは七ー八年に於て最大數値を現はして居ります。
二十一年度に於ける胸高以上本數は「西南日本區」最小八〇%、「北日本區」はそれに次ぎ八七%、「四國—北九州區」九二%を經て「南九州區」が最大値九八%をなして居ります。
二十一年度の平均胸高直徑は「北日本區」最小二・七糎、「四國—北九州區」三・〇糎と「西南日本區」三・一糎は殆ど同じで之に次ぎ、「南九州區」は最大値四・一糎をなして居ります。
活着率は逆に枯死率を算出しましたが、其の結果は「北日本區」最小一二%、「西南日本區」一三%「四國—北九州區」二〇%が之に次ぎ、「南九州區」は最大値三一%をなして居ります。即ち産地が南なればなる程、枯死率が大となつて現はれて居ります。
二十一年度の着果本數は「北日本區」最大六七%、「四國—北九州區」三三%で之に次ぎ、「西南日本區」一七%を經て「南九州區」最小値二%をなして居ります。
植物分類學上重要な毬果形態に就いてみれば、形状比は南なればなる程、大なる數値を現はし、北日本のものに比して南日本のものは毬果の縱經であることを知りました。
黑松の遺傳學的習性に關しては赤松との雜種問題即ち黑松、合黑松、赤松三者の關係が極めて復雜でありますが、本試驗地に赤松形態のものを混入するかどうかを調べた結果、
(9)高島産のものは黑松八五本、赤松三二本、(8)波根東産のものは黑八七本、赤三本、(14)鳥原産のものは黑一〇九本、赤一本の割合で混入して居り、此等三者の母樹は明かな雜種であることを知りました。此の他、(15)水俣
産のものは茂道松と稱せられて著明なものであり、それは黑松に赤松性質の若干を混ずるものとして知られて居り、他にも雜種が存在するかも解らないけれども、それ等は解剖學的研究を必要とすること云ふ迄もありません。
以上の通り各地區産のものは形態並に生育状態を異にして居りますから此の差異を數字的に表示する爲め、MORANTの平均關係偏差R(M)を算出した結果、「北日本區」を基準とすれば「西南日本區」は一六五、「四國—北九州區」は一六一、「南九州區」は四八五等の數値を有することとなり、「南九州區」は他に比し顯著な差異あることを明かにした積りであります。此等の關係により本邦産黑松を通覧すれば赤松、合黑松、黑松三者の關係に於て、特に黑松に對する赤松要素の混入割合を明かにする必要があるけれども概略的に黑松形態のみに就いて取纏めてみれば、南九州産のものは他のものに比し顯著な差異があり、殊に分類據點として重要な毬果形状比にも差があるから地方的品種と見做して隱當な樣感ぜられます。
最後に此等を實用化する方面に就いて申述べますと、靑森營林局管内殊に宮城縣に於ては一〇年乃至二〇年の短期間に可成的大形な黑松を仕立てんとすれば南九州産の黑松種子を使用すべきであります。但しそれは今後の生育状態を調査繼續しなければ不明でありますけれども、少くとも南九州産黑松は北日本に於ては短伐期作業に適することは云ひ得る樣であります。
局長 今の説明から見ると南九州のものを植えてよい樣に思はれますが、河田先生どうでせうか。
河田杰博士 樹種産地試驗は杉が中心となつてゐて吉野杉が非常に問題になつてゐます。同じ植物でも、南方のものを北方に移植して失敗した例は澤山あり太平洋岸の吉野杉を日本海方面に移植して失敗した例は多いが、日本海方面の秋田杉を太平洋岸に移植して失敗した例はないのであります。この立場から見ると黑松は杉と異なり南のものを北に移植して十乃至二十年では成功したと云へませう。こゝに前提を置いて、スギとマツは性質が違ふのであるから南のものを北の方へ持つて行つて危險とは云へないのであります。
もう一つは種子の産出は同一植物と云ふ前提で、それが何に根據をもつものか、判然としないが、ニコルスの云ふ、環境が遺傳質に直接影響を持つことはみとめられます。環境が榮養細胞に影響を持ち榮養細胞が遺傳質に影響を持つと云ふ事は云へます。從つて地方的に品種が出るわけで、茂道松等はその一例であります。クロマツは温度に對して強いものであれば北の方に持つて來て強いかも知れないと云ふことは云へ得ませう。
私が水戸海岸で試驗した結果から見ると、北米三葉松(リギタ松)は直接潮風のあたる處は梢頭が痛められて這つた樣になるが一寸風を防ぐとすぐに芯をおこして、地元の松に劣らない生長を示します。即ちこの松は第二線なら立ち得るので脂の多い木であるから、松脂採取には適しますが燃料には脂が多すぎて不適であり、又毬果にはトゲがあつて危いから人爲の被害の防止にもなると考へます。歐州赤松は全然いけない樣です。モンタナ松は一時良かつたが、この四、五年來具合が惡く全滅の惧れがあります。佛國海岸松、アメリカ松等も不良であります。
九州から福島にわたつて相の子松が方々にありますが、九州では博多の海岸のものを森川氏が研究して、アイグロ松と云ひ、茨木地方ではスガマツ、浪江から富岡の海岸ではニタリマツと云つてゐます。之等は水戸では、七、八年生迄は非常に生長がよいのですがその後、木の形質が段々惡くなり、よい成績を示して居りません。
海岸林と云へども風の當らない處は矢張り生長、形質が良く鳥取から山口の山陰のクロマツ林の中、鳥取縣の西半分が材質がよいのは、島根半島の陰で西北風を防ぎ得る處のためと思はれます。
局長 最後に防潮林の幅員の問題でありますが、決定的なことは仲々むづかしく、廣ければ廣いほどよいことは明かであるが、各種の状况から見て、せまくても効果を表すことが望ましいのでありますが、兩立しがたい點もあります。この點から御話願ひたいと思ひます。
吉井博士 前提の方へ防潮林防風林が出來れば問題がないと思ひますが、防風林を開放して農地にしても、砂丘の内側の方の潟跡の酸性の強い所が開墾の價値があるか、否か疑問であります。折角開拓しても失敗せて放棄する樣になりはしないかと思ひます。
石垣氏 海岸の方に林を進めて、今の處を間伐又は整理して、開放し人爲的に進んで肥料を入れゝばよくなると考へます。
河田杰博士 海岸林の中に農耕地を作るとすると、作物の種類や方法等を考へなければなりません。耕地の大さが問題になりますが井桁状にやつてゐる例が能登半島にあります。樹帶は三、四間として畑の面積は一反歩以下とし、果樹、蔬菜等を栽培してゐます。
嶺博士 昨日來防災林の効果其他技術的面について色々伺ひましたが、この樣に有効な働きをしてゐる防災林が地方民に必らずしも全面的に歡迎されてゐないのでありますが、之は土地がせまい爲に、一定の土地に對して澤山の希望があるので、結局之から受ける効果のプラス、マイナスの問題になると思ひます。
防災林の問題にしても學者は完全なものたるべしと主張し、實地にはこの反對の要求に常に惱まされてゐると思ひます。この相互の調整に苦心してゐるのであるが、開拓關係について見ると現在、内地三二〇萬町歩、北海道八〇萬町歩の開拓適地があると云つてゐますが、林野關係の立場から見れば、之ほどはないと思ひます。出來る丈開拓しなければならないとは思ふが、食料其他之から得られる産物と、立木の保安的作用のプラス・マイナスの面の比較をしなければならないのでありますが科學的根據に立つ比較は困難な問題であります。
豫定面積が各縣に割當られて、順々に開墾する樣になつてゐる樣であるが、プラスの効果とマイナスの面を比較し、關係方面で立證してほしいと思ひます。森林は一度失はれたものを再び造成することは非常膓難しいからこの點特に愼重を要します。狹い防潮林で最大の効果を得られる樣に技術的に向上を圖り、下草、落葉等の採取にしても、防災林の効果を甚しく損じない範圍で認めるべきだと思ひます。この樣な問題を計算式を以て數値を出しても、いくつかの假定を置いて一つの目安を設けるにすぎないのでありますから、各方面で最も妥當な假定を作り、之を纏め上げて合理的な經營案を作ることが必要と思ひます。
又海岸の防潮林の中の適當な部分に記録のはつきりしたものが殘る樣な施設を設けて、永い目で見て行くことも必要であると考へます。
鏑木博士 今日各方面の人を網羅して、科學的に研究を進められたことは快心に存じます。おそらくこの問題を早急にきめることは困難であると思ひますが國家の要望上、幅の廣い處を一部開放しなければならない場合は、切替畠式に一時耕作をすることにして、その間各方面から檢討することヽし、殊に出來れば、保安林としても、更新の途上一時耕作を交へることが有利でないかと考へます。
岩山横濱營林局長 國有林の開墾問題について申し上げますが、單に地圖上で海抜高と傾斜のみで決めたために非常に不合理な點が多く、殊に當署管内の如きはこの好例であると思ひます。
吾々はあらゆる機會に開放を極力最少限度に止める樣意見を述べるのでありますが、國有林の立場にのみ立つものとして非難される場合が多いのでありますから各先生の權威を以て世論を喚起し、援護していたヾきたいと思ひます。
局長 長時間に亘り色々有益な御意見を承り當局の施業上得る處が多く、感謝にたへません。厚く御禮を申し上げて閉會の辭と致します。(以上)
防潮林經營の計畫資料 小山 悌
防潮林經營の計畫資料
富士産業顧問 小山悌
1、目的
防潮林經營上の諸種の計畫資料の中特に力學的な面に於ける資料を得んとする。
2、成果
力學的に取扱ふ場合に三方法が考へられる。其の何れが津波と防潮林との間で眞實に近いかは今後の研究實驗に待たなければ明にはならぬことゝ思はれる。
1)Bernoulli,Continuityなどの考へ方よりするもの。
2)Long wave motionとして取扱ふ考へ方よりするもの。
3)兩者の中間的な考へ方よりするもの。
此等三方法の中差當り手近な方法として(1)によつて考へて見た場合に就ての資料である。
計畫資料其一立木と水抵抗(流速)V
a)水位一定の場合
b)水位up curveの場合
c)水位down curveの場合(未完)
計畫資料 其二 水抵抗と立木強度(流速と水位)V.H.
a)折損
b)根返り
c)洗堀根返り
本資料は立木が水抵抗を受けた場合に容易に切損、根返りをしたのでは防潮林として一顧の價値なきものであるから基本的な資料として實驗を以て資料を整へて確認して置くことが絶對に必要である。
計畫資料 其三 津波勢力の吸収(V.H.T)
防潮林は津波勢力を緩衝する役目を果すものであると云ふ一般常識は、何の程度まで緩衝吸収し得るのか其の限度を知つて置くことが必要である。又此問題が防潮林の深さ及び高さ、並びに一單位防潮林を可とするか又は小單位のものと緩衝地帶とを組合せた配置のものを可とするか等の計畫に關聯する。
3、所見
1)防潮林計畫の根本問題
防潮林問題を解決するには次の方法によつて計畫すべきものと考へ其の線に沿ふて豫想して見た。計畫荷重として一番問題になるのは地震津浪と高潮の二原因によるものと考へられるが、其の何れもが災害と云はれるもので規模の大さ、發生位置及び時刻を知り得るのに困難なことで、計畫するに必要な諸元が不明確な事である。先づ此の樣な問題を解く事は當分不可能であるならば、時刻を除いても。然し災害は容赦なくやつて來る。對策の實現に時間を要する性質の方法なだけに立案だけでも急を要し傍觀を許さぬものがある。
古人の知識によれば此樣な問題を處理するには危險區域に對して恐らく水神樣龍神樣を祭つて世人の注意を喚起し、又一方境内其の内に戒律を設けて其の目的を達したことであらう。
所が現代の吾々が此の種の問題を處理するには、規定といふものを作つて、自他共に其の規定に従ひ、年々歳々の貴重な災害經驗によるは勿論、科學技術の進歩に連れて時々刻々に其の規定の改良進歩を計り、以て人類の幸福と社會秩序を保つて行くこと以外には考へられぬ。是が科學技術の示す最終の對策である。科學技術が直接明快な確定を與へて呉れぬものは無視して勝手たるべしなどの意見を聞く事があるが、それは丁度病人が治療効果が計算的に自己に好都合に行かぬからと云つて不養生をする樣なもので結局は自殺的行爲に終るものが多い樣なものである。
2)規定を作るための科學技術的根據の探求。
防潮林は津波、防風、飛砂防止對策、其他對策の一方法手段であるので是に代るべき有効適切な手段があれば之を採用するも可である。又逆に全部の責任を防潮林に負はせる事も出來ぬ。ましてや現状の防潮林は種々の不備な點があるので此の際補修追加など再檢討する事も宜しい事である。防潮林には立木群であると云ふ事から其の特性を質的に量的に研究して以て防潮林規定の裏付をする必要がある。以下其の特性を計畫資料として(學術研究ではなく)研究して見ようと思ふ。勿論未完ではあるが。
3)計畫の最大荷重の想定
諸種の計畫を進めるに當つては技術上最大荷重を定める。或は定める事が出來なければ想定する必要がある。津浪に就て一案として考へられる事を述べて見る。先づProbableな海底地震地帶をA.B.C.D……と定める。例へば釧路沖をA.室蘭沖をB.三陸沖をC.鹿島沖をD……。其區域の中で兩端が離れてるものに對しては中央地點等によりA—1,A—2,A—3……と考へて先づ地點を想定する。そしてA—1、A—2、A—3などにつきProbable scaleの地震を想定し其の地點に津浪中心を發生せしめる。その中心に發生させた津浪を計算により傳達して各港灣海岸入口にまで達せさせ、その沿岸附近でのV.H.T及びθを與へる。港灣沿岸では海底、地形、及び人工施設等を考慮に入れて汀線に押寄せる津浪を計算する。
{其の爲めには靜振などを考に入れた簡單な計畫式とか設計式とかが必要である。その式を使つて各場合(A—1、……B—1、…C—1、…D—1)につき各地區(八戸とか宮古とか閖上濱とか)に於ける津浪諸元VHTθを計算比較するのであるから20%位の誤差があつても簡單な式たる事を望むDimmensional Yequation式のもの}斯くする事によつて各港灣沿岸等の汀線に於けるV.H.T.θを想定できたので、此を各港灣別に一表にすると何處の地震が自分の處には最も大なる被害を與へるかが大体數値的に明瞭になる。其中の最大のもの二乃至三場合につき凡ての臨海施設を計畫的に最大荷重と定めて實施する事が出來る。
例へば八戸港はA—3.C—1.B—1.と云ふ事になつたとすると釧路沖の兩端の地震が最大であり、次は三陸沖北端、室蘭沖のものは距離や方向は最も恐ろしいが規模が小さいので第三位となる等と云へると思ふ。
斯くして想定した最大荷重が詳細な各地區の汀線に於て經驗によつて多少修正して最大荷重を決定する事は最も望ましい事である。
追伸。筆者は地上の災害に關しては無智と云つても宜しい位に經驗の淺い者であるし、勿論專問的學術研究などの蓄積もない者である。從つて無謀な意見もあるし計算に至つては幼稚な亂暴な取扱をしてゐる事が多い、又考を纏める時間も二三週間しかなかつた次第である。只友人現古川署長當時の大槌署長の福森氏から津浪と防潮林の話を聞き種々調査書を借用して讀んでゐたので書いてみる氣になつた次第で同氏に深く御禮申上げたいと思つてゐる。此度は靑森局から意見を求めらるゝまゝに日頃の御厚情に甘へて厚顔にも申述べた次第で諸賢の御敎示と御叱正をお願ひする次第で御座います。
其一(a)立木と水抵抗
a)水位一定
一連の計算式
b)水位がup-curveの場合
一連の計算式
其二 立木と強度(折損及根返り)
折損強度
一連の計算式
根返し強度
下木としての灌木林は全樹高水中にありて抵抗を受けるものとする。其際撓んで折損なきは勿論、根返しなきを以て理想とす。從て樹種としては濶葉樹で深根性のものたるを要する。
a)水中に於ける下木のCx.
一連の計算式
b)實驗法
1)砂地、一般土壤地及岩石地の三地區の立木につき實驗するを要する。
2)實驗裝置として必要なもの下記の如し。
螺旋釘 1
鋼索(長サ50m.徑1〃/2) 2本
セミ或はプーレー 4個
カスガヒ 10個
麻綱 3—5本
手捲ウインチ 2台
Spring Balance 1個
寫眞機 1個
附近に大きな立木で利用し得べきものない地帶に於ては丸太三脚及土木用地釘を用ふるも可。
3)測定 date
F……kg(Calibrate した Spring balanceの讀み)
H……m樹高(實測)
aH……m風壓中心と思はれる點に取付ける。
d……胸高直徑
θ……角度は寫眞より讀む
備考(イ)ウインチ一台の時は索を長くし索を水平に保つ
(ロ)三脚使用の際は反對側に控索を要する。
c)立木根本が洗はれた場合の根返り、
Vortexなどによる土砂の流出量が大なるものありと想像される。
簡單に潮速と流出量並に時間と穴の大さ等の關係を明にするのは他日に讓るとして、實驗的に穴の大さによる根返りの強度低下を求めて置く、尚本實驗には水分含有量など相當影響があらう。
實驗に際しては穴の深さhはDの凾數として2Dとか3Dとかして實驗を進めて見ること。
1)是等は立木に關して根張りが有るだけ強度低下は割合少きものあらん。
2)橋脚等に關しては土砂流出量による穴hの深さにより直接的に強度低下をなすもので橋脚の流失、沈下は此原因によるものである。
3)Vortexによる土砂の流出量は算定する以外に流体力學的に之を防禦する形情如何、尚積極的に土砂が橋脚、立木の周圍に戴積せしむる方法如何にあり。防潮林にあつては地表植物により洗堀を沈止する事可能であらう。
其三津波勢力の吸収
1)目的
數値計算例によつてエネルギーが吸収され得るものかどうかを大略見當付けて見る。即ち
HoVo=H.V
Y=ko/2 log(Vo/V)を使用して立木の受ける水抵抗力及吸収エネルギーを算定する。與へられる條件としては
B=10m H=10m V=10m/sec
a=50m D=0.5m Cx=1.0
2)成果
1)防潮林は前緑部が有効であつて、然も30ー50m位の所までである。それ以降は遊んでゐるものである。
2)胸高直徑は相當大なるを要し、又樹高の大なる事も大切な要素である。
3)林間緩衝地帶を30ー50mもとれば其處で相當潮勢力を回復して第二列に突入するらしい。
4)次の樣な防潮林も考へられる樣である。一例として計算を進めて見た。(實情には合はぬかも知れぬ)
以上320m—400mもあればH=10mV=10m/secの津波としては相當大なるものであつても其勢力はV=2.0m/sec程度迄は下げられるものらしい。即ち何とか吸収するだけは可能かも知れぬ。絶望ではないらしい。
5)Bernoulli と Continuityだけでは不具合な事が起つて來る。
數値計算例
1.水抵抗力
一連の計算式
2.立木の消耗するエネルギー算定
一連の計算式
所見
一連の計算式
計算後の吟味
此の考へ方の缺點は二つある樣に思ふ。
第一、Bernoulliから出發した考へ方であるからTotal head constであらねばならない。即ち立木直前の水は
h+v^2/2g=H
今例題の數値を入れて見ると
h=10m v=10m/sec
H=10+100/2×9.8=10+5.1=15.1m
即ち水位は如何なる事があつても15.1mより上に盛上る事はない筈である。處が計算例では無理に無茶な盛上り方をさせてゐる。尤もPotential Energyは緩衝地帶で再び吐出すので−・+でOであり、その方が計算の手間も省略し得るとした。此事は宜しいが然らば何處を通つて緩衝地帶に入るかと云へば、左右は同樣な水であり上方は15.1mで限定されれば水の通り場がない事明かである。即ち灣内の潮高が高まるか或はBernoulli以外の考へ方で水位をH=15.1m以上に上るかせねばならない。
第二、Continuityの考へ方を入れる事が正しいか何うかと云ふ事である。第一の無理の原因も此處にある樣に思はれる。水は成るべく來ない方が宜しいのに無理にContinuityを入れて多量の水を導入して行き場がないと云ふ事になつてゐる次第である。
第三、Continuityは入れないで、港灣状况によつて本來の長波がheadを增減するであらうが其の增減したheadによつて漏水潮量が加減出來れば宜しいと思ふ。其headは被害報告などにある潮高ではなくて其潮高を防潮林によつて止めた場合の新たな潮高と云ふ事になると思ふ。
今般靑森營林局長山内倭文夫氏が本年二月御鄕里愛知縣新城農蠶學校に於て八樂地方林業關係者に對し「スギ挿木の理論と實際」と題して御講演なされましたこれが内容は我が國造林事業に益する所尠くないので今回當支部に於て印刷の上廣く斯道者に頒布方の御承諾を得ましたのであります代金は送料共一部金參拾五圓に當りますから御希望の方は前金を以て御申込下さい
六月 日
靑森市大字沖舘字小濱一
林友會靑森支部
振替口座仙臺三五八一八番
内容
一、挿木の沿革と挿木造林の行はれてゐる地方
二、挿木の出來る樹種
三、スギの品種と挿木造林の難易
四、スギ挿木法の分類とその方法
五、スギ挿木造林と實生造林との優劣
六、スギ挿木苗形成に關する理論
七、結び
八、參考文献
以上
昭和二十三年七月一日印刷
昭和二十三年七月十日發行
代謄寫
青森市大字沖館(青森営林局内)
編集兼 發行者 林友會靑森支部
右代表者 羽岡愛之助
印刷者 工藤萬次郎
盛岡市六日町一二三
印刷所 富士屋印刷所
電話一三八番