通信
海嘯に對する海岸保安林論
後藤末吉
本論は本多林學士が去明治二十九年六月我國東北地方の海岸に起りし海嘯に付親しく調査せられたる結果にして獨文にて東京帝國大學農科大學學術報告に公にせられたる者なり爾來此論文は獨佛英米の諸國に於て其主なる二三の雜誌に轉載せられたるを聞く然りと雖も其本家たる我國に於ては未だ邦文を以て廣く照會せられしを聞かず予は恐る四面環海の我國の如きに於て如斯有要なる論文の終に廣く邦人に知られずして了らんことを是れ敢て予の不文を以て其全文を翻譯し貴重なる紙上を汚す所以なり
海岸地方に於て最も恐るべき者は海嘯の爲に襲來する洪水なり明治廿九年六月十五日吾國東北地方の海岸に起りし海嘯の襲撃は實に慘状を極めたり此日海上は甚だ平穩なりしも俄然膨浪を生じ飛箭の勢を以て海岸を襲ひ同地方凡そ百五十英里の延長は是れが爲に全く汎濫せり此間僅々十八秒時にして其被害は實に家屋九千三百八十一軒大小船の舶六千九百三十隻を破碎或は流失せしめ二萬一千九百人の溺死者及四千三百九十三人の重傷者を出すに至れり而して此海嘯の原因に就ては科學上所説紛々未だ定論なし且つ此地方に現存せし森林は此海嘯に對して果して保護の効力を有せしや否やの點に付ては未だ一人の是に留意せし者あるを聞かず吾國は多くの海岸線を有し從て此不幸なる海嘯に遭遇すること甚た煩雑なり今より百八十年前本邦東北地方海岸に起りし海嘯は實に一千二百人を溺死せしめ今より六十年前及四十一年前に於て亦同一地方に海嘯の襲來せしことあり故に此海嘯の陸地に及ぼす慘害を輕減する爲めに豫め防禦法を施し得るや否の問題を攻究するは我國の地勢上目下の急務たり而して古來我國各地方に起りし海嘯は今より前三百年間の統計に依れば平均凡五十年間に於て實に六回の多きに及べり(左表は男鹿島氏により公にせられたる者にして種々の舊記に據り編みたる者なり
最近三百年間に於て本邦に起りし海嘯の純計
紀元二千二百五十一年より二千三百年に至る五十年間 八回
同 二千三百〇一年より二千三百五十年 同 二回
同 二千三百五十一年より二千四百年 同 七回
同 二千四百一年より二千四百五十年 同 七回
同 二千四百五十一年より二千五百年 同 五回
同 二千五百一年より二千五百五十年 同 六回
計 三百年間三十六回
海嘯の原因として近時學者間に唱へらるゝはタスカロラ海床に於ける地辷海中の深層に於ける火山の働或は其他の地殻構造的の働の三者なり然りと雖も未だ全く定説なきを以て余は此處に其の原因に付て詳論するを用ひず專ら唯是等海嘯の陸上に及ぼす慘害を輕減するの豫防法に付攻究せんと欲す而して今此の海嘯の豫防法として世人に唱道せらるゝは海岸の住居を高地に移すこと及家屋建築術の改善なりと雖も前者は種々の事情よりして到底實行する能はざる空論に過ぎず後者に至りても唯其建築物をして大怪力なる海嘯の機械的破壞力に對し十分なる反抗力を有せしめ得る塲合に於てのみ稍や其効を奏し得可きものなり
言ふ迄もなく森林は防風林,飛砂杆止林,土砂杆止林,其他此に類する保護林として最も効力を有す故に昔時我國各地方に於ける國主は專ら各其の海岸に於ける耕地を保護するの目的を以て多くの海岸防風林を經營し是れが實施は苛酷なる法律により強制的に行はれたり而して是等の防風林は明治二十九年六月に於ける海嘯に對して果して其地方に多少の保護を與へしや否若し又保護の効力ありし者とすれば如何なる樹種が最も多くの抵抗力を有せしや且又如何なる林形を以て最も有効なりしやの各問題は當時余が胸中に歴亂たりし故に予は此問題を攻究せんが爲に二週日間を費して被害地方を旅行せり而して此旅行に於て觀察せし趣味ある多くの事實は次の數項に分ち逐次論述すべし
林務官橋口氏は予が此旅行に於て尠からざる輔助を與へられ調査上大に便利を得しを以て今茲に同氏に謝す
第一章 森林の海嘯に於ける保護作用
今茲に論ぜんとする森林の保護は無論機械的の作用にして此保護は實に海嘯の大怪力を滅殺するの力なからさるべからず而して密生せる森林は實に此保護作用を專有する者と云ふべし實に森林は海嘯の襲撃力を緩慢ならしめ其後方に住する人民に避難の時間を與へ且つ其速力を滅殺する爲めに家屋の流失を防ぎ得べし
明治廿九年六月東北地方に氾濫せし海水の深さは恐くは唯た二乃至三メートルに過ぎざりしなるべし然ども勿論又其土地の海面上の高度及其海岸に有する嶮岩の高低により各差異ありし當時或る新聞紙はこの洪水の深さを實に六十乃至百五十[フート]となし之が爲め樹木は全く流失せし事を報ぜり若し如斯くんば森林は洪水に對して何等の保護もなさヾりしなり然れども此報告は傾斜地に於ける海水汚染の高さを以て直に浪高と誤認せしに起因せるものにして全く不當の斷案たり然り而して此海嘯の速力の非常に大なる事を思へば例令其洪水の餘り大ならざる塲合に於ても此の洪水の狹隘なる溪谷に浸入せしとき其溪谷に於ける洪水の深さは平坦なる海岸地に於けるより甚た高きに達する事は容易に了解し得可し予は又實察に於て斯の如き狹隘なる溪谷に於て其各床より十五メートルの高さに至る迄の間に生ぜし植物の海水の爲め枯死せるを目撃せり而して如斯高度は他の地方に於ては全く目撃せざりし處にして實に平坦地に於ては唯三メートル以下に生ぜし植物のみ枯死せるを見しのみならず又樹幹の三メートル以上の部に於ては已に海に浸されし痕跡を認めざりし西暦千八百三十七年十月十一日より十二日に至る夜間に於てカルカッタに起りし海嘯は破壞及流失の家屋二百溺死者三十萬人を出すに至れり然れども其浪高は唯た單に四十呎に過ぎざりし又千八百三十七年の十一月十二日より十七日に於てアンダマネンよりコリンカ地方を襲ひし海嘯は七百人を海中に掠奪し去り六千人を陸上に於て殺せり然れども其浪高は唯八フートに過ぎざりし又千八百七十六年印度ベンガル灣に起りし者は溺死者二十一萬五千人を出し其浪高僅に四十五フートなりし船長フヒッロイ氏の千七百五十九年墨西哥海岸タルカフナノに於て目撃せし海嘯は二十フートなりし千七百五十九年リサボンに起りし海嘯は六萬人の溺死者を生じ其の浪高は四十フートなりし又千七百二十四年海嘯の爲めペルー國カルローの全く破壞せられしことありて其浪高は唯廿四メートルに過ぎざりし以上列記せしが如く種々の舊記により報告せらし海嘯の高さは最も高き者と雖も二十四メートル以上に及びしことなし由是觀之稍や密にして且つ樹高六十乃至百五十フートの樹木より成る森林は總て海嘯に對して甚た有効なる保護作用をなし得ることは充分信ずる事を得るなり
二予は當時此海嘯に於て大なる松樹の根返りの儘水田中に押し流されし事を聞けり故に予は其等の村落殊に唐桑石濱附近を巡視し實に是等大松樹の水田中に横はるを目撃せり然れとも是等附近には如斯大松樹より成れる森林の存在せしを發見せず唯た約五十メートルの延長及二メートルの高さを有せし堤上に唯一列の松並木の海嘯前に存在せしを見る蓋し此堤防は水田に對して海水の浸入を防禦せし者たり而して此堤防は甚た粗鬆なる土壤に依て築設せられ■激浪の襲撃に會ひ破損を受けたりと云ふ而して此堤防は此海嘯に依り又全く洗ひ去られ延ひて附近の水田も亦破壞せらるゝに至れり故に此大松樹の根倒は固より至當の事にして怪しむに足らざりし其他繊弱なる樹木と雖も又孤立の塲合にあつては根返りにせられて押し流されたるも已に密林を成す處に在つては决して如斯害を受けざりし事を目撃せり尚ほ家屋の周圍に存する大樹は■大なる効用を現はせり即ち海嘯の當時村民の樹上に登攀し其周圍に於ける家屋其他を支留して流失せしめず能く其損害を救ひ得たるを見聞せり以是見之孤立木にして已に海嘯保護の効力を有す况して是等樹木の多數によりて形成せらるゝ森林に於ては如何に大なる効用を呈するやは容易に了解し得可し實に予は多くの觀察により森林は海嘯に對し能く其後方に存在する村落を保護し得る事を斷言するに憚らず而して此海嘯に對する森林の保護作用はベンガレンに起りたる海嘯に於て已に世人に留意せられしを見る即ちブランフィルド氏は此ベンガレンの海嘯の爲め十萬の溺死者を生じたりと雖も此地方にては家屋は常に樹木の山て包圍せられしを以て溺死者の數是に止まりしも若し樹木家屋を圍繞する無りせば其被害は尚ほ一層多大なる者ありしならんと云へり予も又同氏と意見を同ふする者にして二十九年に於ける大海嘯に付聊か觀察せし處を以下逐項論すべし
高田町に於ける海岸保護林
高田町と今泉町の間に存する海岸保護林は今より約二百五十年以前藩主の建設せる處にして其の目的たる主に海風を防ぎ單に耕地を保護するにありしと雖も現今に至り其森林大に生長し啻に耕地に於ける海風防禦の効用著大なるのみならず又た是れが爲に其の森林附近に於ける魚族を大に繁殖せしむるに至れり故に此森林は實に特殊なる取扱を以て養育且つ保護せらるゝに至れり而して此地方は今より六十二年前又海嘯により氾濫せしことありて當時此等防風林の大部分は爲めに枯死するに至れりと雖も高田町及今泉町は此森林に由て大に保護せられ爲に其被害は僅少なりしと云ふ然り而して今現存せる防風林は其後藩主に由て再興せられたる者にして面積一〇,〇五ヘクタールを有し其主なる林木は殆んと六十年を經たる赤松にして是に■松,ケヤキ,少數の杉ネズ屬及樫屬を混合せり又た下木としては多くの異りたる濶葉樹を存せり内赤松は實に一萬千三百本を算し其胸高直徑二十乃至三十センチメートル樹高平均二十メートルなり全林の大さは幅約百メートル長さ約一千メートルを有し海岸に沿ふて一の帶■林を形成す而して此帶■林より高田及今泉町に至る間は一齊なる平地にして重に水田より成り又小なる沼地を存す從て是等の低地は殊に最も多く洪水の害を被らざるを得ざるの理なるも最近の海嘯によりては全く傷害を受けさりしを見る以是世人は一般に高田灣に襲來せし海嘯は或る角度をなして浸入し爲に海嘯の主力は第四圖に於て矢の示す如く多くの反射を起し終に高田沿岸に襲來せざりし如く誤解すと雖も是は學理上全く根據なきの説なり實に他の被害地方に於ては全く如斯き現象を起せしを見ざるのみならず之の森林の外部に存せし同地海岸に於ける三軒の家屋は根底より悉く流失せしを見れば此説の全く不當の斷案たるを證して餘りありと云ふべし次表は高田灣附近に於ける被害の統計にして此の表中鹽谷村田津村に被害なきは同地は山腹の高處に存せしを以てなり而して編末に附せる第四圖は高田町附近に於ける被害の状况を顯はせし者にし青線は海岸保護木を表はし赤色平行線は唯た洪水の爲め浸水せし部分を表はし赤色格子線は多くの人命及家屋の破壞せられし地方を表示す
而して此保護林の内部に於ける洪水の深さは其樹枝の枯死せる高さにより唯僅かに二メートルなる事を證し得たり此海嘯後凡そ一ヶ月半を經て若き赤松(高さ二メートル迄の者)は全然枯死し已に充分生長せし者と雖も其大部分は又針葉黄色を呈し其の幹全然枯死するに至れり反之■松及ネヅ屬は幼老共に尚ほ活■なる生活をなし杉及濶葉樹は全く枯死し濶葉樹の内唯其二三種のみ再び新葉を生ぜしを見る
宮古灣附近に於ける保護林
宮古灣に於ける宮古町は岩手縣の最も重要なる港市にして此宮古町附近殊に宮古灣沿岸に存する村落の大部分は海岸保護林を有し最近の海嘯に於ける結果は實に以下記載するが如し(第五圖を參照せよ)
(a)藤原町に於ける保護林
藤原町の保護林は面積一町三段七八幅約四十メートル長約三百三十メートルを有し海岸に直接して東北に擴張す而して海岸と藤原市との間に於て一の帶■林を形成す蓋し藤原市は此保護林と共に低き平原上に位す
此の森林は主に大なる赤松より成り之れに杉ケヤキ及サイカチを混生し其の赤松は本數約四百本にして年齡は殆んと二百年以上を經たり幹の胸高直徑は平均約四十センチメートル其平均高は約四十五センチメートルなり杉は本數大約二十本年齡十五年乃至三十年にして其の多くは森林の内側市街に接近して存在すケヤキ及サイカチは甚だ大樹なるも其本數は單に五乃至六本を算せり又下木としては多くの小なる樫類ケヤキ,グミ類バラ其他種々の灌木類及少數の竹を發見せり
此海嘯に於て其洪水の深さは林の内側に在て單に一,二メートルを測れり而して此洪水は水災後の觀察に係り一は直に海上より他は間接に宮古川より汎濫せしを知る而して此森林は約五時間洪水に浸され且つ其立地は砂地なるを以て林地の雜草に依て被はれさりし處は約三十センチメートルに達する地層を流失せしめたり然れども林木は是れが爲に一も根倒するに至らざりしを見る海嘯後一ヶ月を經て是等主林木は漸く葉部黄變し實に二ヶ月を經て同地の某より是等大なる松樹は全く枯死し其數全林に於ける松樹の約半數に及びし事を報道せらるゝに至れり而して杉及赤松の稚樹は三十日を經て全く枯死し濶葉樹及灌木(■瑰を除く)は其葉の大部分二日の後已に■變し漸次落下せりと雖も一ヶ月の後に於て其の多くは再び新芽を發生するに至れり
此市街の森林の後方に存せし部分は海嘯のため家屋及人命に傷害を及ぼさヾりしを見る之全く森林によりて襲撃力を緩慢ならしめたるに基因す唯た沿岸に接觸せる家屋は洪水によりて全く破壞せらるゝを見るのみ之に反して此の藤原町の對岸に存する鍬ヶ崎町は全市破壞せられ溺死者百人を出すに至れり以是見之此殆んと相接する藤原町及鍬ヶ崎町に於て如斯被害の度に大なる差を生ぜしは蓋し全く海岸保護林の存否に關係せしに他ならざるべし
(b)鷄村附近越田に於ける保護林
此の森林は面積二町九段四三幅約四十メートル長さ約七百メートルを有し林地は砂地より成り其附近は一齊に低き平原にして其の平原の東方は海に接し南方及北方は耕地に接すと雖も西部は一列の家屋を以て界せられ此の一群の家屋は即ツケイ村たり此の林の主林木は赤松にして赤松は(a)に於けると酷似し二百年を經過せし大樹約千本及四十年生にして高約十メートル胸高直徑約十乃至十二センチメートルの此二百本より成り其他杉は廿九年生高さ約十メートルの者十本種々の下木は亦(a)に於けると同樣に生ずるを見る
此の保護林は(a)保護林と約二百米突を相隔絶す然れとも洪水の高さ及被害の状况は全く(a)と相類似し濶葉樹の海水に於ける關係も亦(a)と全く同一たり而して洪水後其四十年生の赤松約七十パーセント及杉の全體は全く枯死せりと雖も是等の保護林によりて此地方に於ける人命及家屋は完全に保護せられ多くの耕地も亦破壞を免れたり而して此の森林は(a)林より樹木密生せしを以て此地方は前者より尚ほ完全に保護せられたるを見る
(c)鷄村附近に於ける飛鳥川の保護林
此保護林は面積九段七二幅三十メートル長三百メートルを有し一齊なる低き砂地より成る東は海に臨み南は草原に接し西方及北方は村落と界し居れり主林木及副林木は殆んど(b)林と同じく實に二百年を經過したる大松樹及五十年を經し松樹各凡そ百本宛を存せり海嘯の二年前下木として赤松苗一千七百本は植栽せられたりと雖も其等の若木は洪水の爲めに全く枯死し其老松樹の九十パーセントも亦枯死せり濶葉樹の海水に於ける關係は全く(a)林と同一なり然り而して實に此森林の後方に存せし部分のみは此洪水の爲め然く傷害を受けざりしと雖も其他の相隣接せる地方は實に其れが爲めに恐るべき大破壞を蒙れり
(d)津輕石村附近赤前の官林
此の森林は面積四町三段一二幅凡百メートル長約四百三十メートルにして肥土を多く有する低き砂地より成り北は海に東は砂原及耕地に南方は水田西方は幅約六十メートルを有する赤前河を以て相接す林木は赤松カシ屬ケヤキ及他の濶葉樹に由り成立し赤松は四十年生にして十五メートルの高さを有し濶葉樹は其の年齡及大さ種々にして一定せず
此の森林の内側に於ける洪水は海上及赤前河より襲來し其高さ約二メートルなりし而して此森林の後方に存せし水田の被害は其の附近の森林に由て保護せられざりし部分より甚だ僅少なり此保護林に於ける赤松は約九十パーセント枯死し濶葉樹の海水に對する關係は全く(a)と同一なり而して此地方は今より四十二年以前又海嘯に襲はれし事あり當時も亦現時と同じく老赤松林を存せしと雖も海水の爲めに枯死し其後又現今の林を再興せり是に由て見れば海嘯に對する防備として森林を設置するもの大なる價値ある事は已に其當時より認知し居られたるが如し
第七圖は即ち宮古灣附近に於ける被害の状况を示す
第二章 各種樹木の海水に於ける關係
以上列記せし説明によりて海岸林の海嘯に對し最も有力なる保證を與へ得る事を確證し得たり故に先つ此目的に對して何れの樹種を以て最も適當となすや否を講究するを要す而して是れが攻究に就ては實に最近に於ける海嘯の如き好機會に再び遭遇する事能はざるべし蓋し今日迄一同も如斯陸上深く森林中に海水の浸入せし塲合なかりしなり而して此の地方に於ける海嘯後の氣候は甚だ暑く且つ甚だ乾燥せしを以て予の五週間後該地方を旅行せし時に於て洪水により浸水せし樹木の多くは已に凋枯し遠處よりよく其の針葉及濶葉の■變せしを認知し得たり然れど又或る種の樹木は其葉の凋落後再び發芽し又或者は全く害を受けざりし者あり故に予は其海水に感んじ易き者と抵抗力の強き者とを容易に區別し得るの機會を得たり
一常緑濶葉樹は一般に落葉濶葉樹より洪水に對して多くの抵抗力を有す
二革質にして強健なる葉を有する濶葉樹は常に薄弱なる葉を有する者より尚多くの抵抗力を有す
三針葉樹は枯凋する事一般に濶葉樹より遅々たり然れども被害の度に至ては前者は後者に勝る是れ濶葉樹を多數は只た葉部及新芽のみ害を被り枝及幹部は健全にして再び發芽するの力を有すると雖も針葉樹に至りては一度凋落せしときは再び發芽する事なく必ず枯死するを以てなり
第一級
老幼樹共に海水に依て全被害を受けざりし樹種
一クロマツ 一ムロ 一ビシャクシン
一カキ 一ハマナス一(トベラ)
一(ハマビハ)一(タコノキ)一(リヨクサンゴ)
括弧中の樹種は本邦の南部熱帶乃至亞熱帶に生ずる樹種にして此海嘯に於ては實檢せざりし者なるも曩日予が臺灣及九州に旅行せしとき海水に對して抵抗力強き樹種として目撃せし處なり
第二級
海水に依て稍害を蒙る者即ち葉緑或は新芽は海水に遇て凋枯するも其樹冠は依然枯死せざる樹種
一エノキ 一ケヤキ 一コナラ
一カキ 一カシハ 一ヤナギ類
一ツバキ 一マンサク 一タケ類
一ムクゲンジ一マユミ 一マサキ
第三級
海水に依て稍多く害を蒙る者即ち海水に浸されし葉は全く凋枯するも再び新芽を出す樹種
一クリ 一ホヽノキ 一シナノキ
一ニガキ 一クマシデ 一ソロ
一ウシコロシ一アワブキ 一ウコギ
一シヤラ 一ネムノキ 一グミ類
一ヒメグルミ一オニグルミ一イポクノキ
一ニシキヾ 一ノイバラ 一ネズミモチ
一キフヂ 一ツヽヂ 一ナンテン
一フヂ
第四級
海水に依て多く害を蒙る者即ち其幹部は海水に遇ひ全く枯死するも其根株より再び萠芽する者
一クハ類 一ガマズミ 一ニガキ
一イヌガヤ 一ボタン
第五級
海水に依て最も多く害を蒙る者即ち海水に遇ひ全植物體の全く枯死する者
一アカマツ 一スギ 一サハラ
一クハ類(大樹)一サクラ 一カイダウ
一サハミヅキ 一クロムメモドキ一ヤマムラサキ
一ボウダラ
此芽級は予が種々の森林に於ける觀察の結果なり蓋し被害地に於ける森林は其之を形成する林分非常に多樣にして又全く原林に於けるが如く種々の樹種を混生せしを以て同一林中及同一條件の下に於て種々の樹種及灌木の海水に對する關係を相互に比較するために實に好機會を與へたり而して實に此の海嘯に於て天然下種に依て生ぜし若き赤松■松且つ少數のケヤキ及ネツミサシの混合林中只た赤松のみは全く枯死せしもケヤキは一度全葉を凋落して再び新芽を出し又た■松及ネツミサシに至りては其針葉に至るまで全く影况を受けざりし事は實に趣味ある事實たり而して前記の分類は少くとも一度は全く海水に浸されし塲合に於て現はれし結果によりなしたる者にして第五級に屬する樹種にて赤松杉及其他の樹木に於て梢迄浸水せし如き者は全く凋枯せりと雖も只た其下部のみ浸水せし大樹に至りては未た唯其下部のみ凋枯せしに過ぎず反之久しく海水に浸されし土地に於ては第五級に屬する樹種は已に成年に達し海水に依て只た其の幹の下部に於て十分の一位浸されしのみなるにも係はらず數日の後其上部の葉漸々蒸變し終に其の全幹も亦た漸次枯死するに至れり
第三章 海岸保護林の建設及其の取扱
予は是より海岸保護林の建設及び其取扱に付き説かんと欲す而して予の被害地觀察により最も是れに適當なる條件と思意するは實に次の數項なり
(a)目的
此の保護林は第一に其後方に存する地方を洪水及海風に對し充分に保護し是に適當したる林形を以て其保安を長く持續し得る事を要す然りと雖も尚忘るべからざるは是の目的の貫徹に妨害を與へざる以上はこの保護林といへども亦相當に利用して利益を収め得べき事をり
(b)樹種
海岸保護林の林木としては前記の内唯第一第二級に屬する樹種を撰擇すべし蓋此保護林の林木は地中に浸入せし海水及時々風に誘引せられて樹上に滴下する海水に堪へ得るものならざるべからず而して余は又同時に經濟上の關係よりして主林木には先づ■松ケヤキを推し副林木には恐らくはネズ,ビャクシン,ハイネズ及樫類を推さヾるを得ず蓋し■松は本邦各地の海岸地方に於て唯一の薪材及建築材にして加之其の生長甚速にして甚だしき陽樹なり且つ此樹の生長期は甚だ長く實に二百乃至三百年間保續し得其幹長は■々三十乃至四十八メートル胸高徑二乃至三四メートルに至る者ありケヤキも亦赤松に類似し生長速にして大木となり甚しき陽樹たり而して此木は本邦の各處に於て船艦建築材鐵道列車材及種々の器具材として最も價値を有する要材なり
(c)取扱法
海岸保護林は普通只だ擇伐材としてのみ取扱はる其法先づ其林の内部より海岸に向て最も愼重に最も老ひたる樹より漸々擇伐を行ひ已に存する處の小數の稚樹及將來天然下種に由て生ずる處の稚樹に光線及空氣を供給し以て漸次森林の更新を行ふにあり又た此種の森林は時々狭隘なる線状伐採の林として取扱ひ得べし蓋し此塲合に於ては其の線巾余り狭隘ならざるを要す其法例へば林を海岸に沿ふて三或は尚多くの狭隘なる線状形に分割し其の各線は交番に皆伐林或は保全林として更新せらるヽが如し而して云ふ迄もなく經濟的の林形を得んが爲めには若し林中に穴處を存すれば苗木或は種子に由て直に補はるゝを要す
(d)林面積
此保護林は云ふ迄もなく面積大なるに從ひ又保護の効力も著大なり然れども保護を要する海岸地方は常に如斯き大森林を建設するに適する大面積を有せず何となれば是等海岸地方に於ける村落は常に全く海岸に接近して建設せらるゝを以てなり而して予は此海嘯被害の状况により保護林は少くとも二十メートルの巾を有せざるべからざることを斷言す而して事情の寛す限りに於ては少くとも四十乃至六十メートルの巾となすことは最も必要の事たり且つ林面は海面に對して斷絶せざるを要し河口に於ては森林は海面に突出したる塲處を圍繞する如く亦た其の河岸に沿ふて森林を建設するを要す而して港市の如く海岸に直接する市街も亦た同樣なる方法により森林を建設するを可とす
(e)森林の仕付け
未だ森林の設けなき處に海岸保護林を建設せんと欲するときは先づ■松の苗木を植付るを可とす其苗木の年齡は二年乃至三年生にして其の植付距離は其地位の状况に依て出來得る限り狹きを要す然りと雖も普通一メートルの各邊を有する三角植樹を以て最も適當とす多くの肥土を含有し且つ常に滿潮に依て浸水せざる土地に於て新に林を仕立てんと欲するときは可成ケヤキを植付るを可とす何者ケヤキは■松より多くの價値を有するを以てなり而して此塲合には其の林の海岸に直接する最外側に於て少なくとも■松の十列を仕立て夫より内部にケヤキを仕立つるを可とす
(f)撫育
海嘯により凋枯せし林は可成速に再興するを要し此の目的は唯た植樹に由て遂げ得べし然れとも尚ほ多くの樹木を有し尚ほ保護の力を有する塲合には又た赤松或はケヤキの播種に由て其目的を遂げ得べし然り而して何れの塲合と雖も林中の點火及雜草の刈掛は嚴禁するを要す又現在の林は甚た大樹にして海岸林に於て常に目撃するが如く幹の枝下甚た長き者と雖も亦同樣に燃火及雜草の使用を嚴禁するを要す之に依て天然に生ぜし下木は保護せられ且つ其の生長を保續し能ふべし若し天然生の稚林木を多く得る能はさるときは下木は人口播種或は植樹により仕付けらるるを要す而して普通光線を要する■松及ケヤキの下木は老木の下に在ては其の必要なる光線及大氣を與ふる爲めに殊に意を注くの必要なし蓋し海岸林は巾甚た狹く普通二十乃至六十メートルの線■の喬林なるを以て其の兩側より來る光線及空氣は其の適量を下木に與へ得るを以てなり
(g)管理
海岸保護林は普通其の保護を要する地方の組合により建設せられ且つ管理せらるゝ者なり然れとも甚た必要なる保護林は國に由て建設せられ且つ管理せらるゝを要す此の塲合には其保護を要する地方組合は又之に關渉するを要せざるなり而して新に海嘯により害を被りし地方の被害甚た大にして地方組合の到底自ら恢復し能はさる塲合に於ては高級林區署に於て其保護林を建設するか或は少くとも其の組合を輔助するを要す今日は海嘯に遭遇せし地方に於て其の海岸線に沿ふて保護林を建設するために甚た好時期なり何んとなれば保護林の建設を要する此地方の各私有地は未だ耕されずして全く荒蕪に委せられつゝあるを以て甚だ低き價格を以て賣買せらるゝが故に國家或は地方組合は比較的僅少なる費用を以て此等の地方即ち宮城縣岩手縣及青森縣の海岸に沿ふて保護林を設けることを得以て未來の洪水に對し此等の地方をして全く安全なる事を得せしむるを以てなり
(完)