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1.はじめに

 防潮林は,津波が来襲するたびに,効果があったとも無力であったとも云われ、その判断に苦しむことが多い。ひとつには,防潮堤などとはことなり,海水の侵入を完全には阻止しえないものであるから,効果の現われ方が明確でないからである。これにくわえて,来襲津波の特性,防潮林付近の地形,防潮林の林相などの組合せが無限にあり,同一条件下での効果比較が出来難いという事情がある。さらに,津波来襲時の水理的諸量,たとえば水位や流速の時間的空間的な変動の測定が不可能であるため,定量的な議論のための資料がまったく入手不可能であるという悪条件がつけくわわっている。
 しかし,古くから云われている通り
(i) 船など漂流物を押しとどめ,背後の家屋を保護する。
(ii) 流れに対する抵抗として働き,流速や浸水位を軽減する。
(iii) 津波にさらわれた人のすがりつく対象物となる。
などのほか,飛砂の多い場所にあっては,
(iv) 砂丘を育成し,その高い地形が津波に対する自然の障壁となる。
といった効果を,防潮林が有していることは定性的には明白な事実である。
 他方,有力な反論として,巨大津波に対しては防潮林は全く無力であり,それどころか切断された樹木が漂流して破壊力に変化するという意見がある。
 こうした多様な意見に定量的な根拠をあたえる第一歩として,過去の事例を集め解析する事とした。ただし,樹木の被害については,切損,倒木など物理的な被害のみを対象とした。

2.過去の事例

(1) 明治29年三陸大津波。岩手県東閉伊郡田老村。

 「……本郡中破害の最も多き処は田老村にして激浪の高きこと十余丈に達し潮流の勢最も強大にして沿岸にありたる2抱以上ある松樹凡そ百本余僅かに樹根を存するのみ」1)
 ここでの津波高は,48呎2)であった。

(2) 昭和8年三陸大津波。岩手県下閉伊郡小本村。

 「……今回の浪高は海岸にて5米(明治29年12米)に達し……。海岸に近く大正4年春大正天皇御即位記念の為巾20米内外に赤松を新植せるものありしが,津波の為根元を洗掘せられて何れも倒れたるを見る」3)

(3) 昭和8年三陸大津波。宮城県本吉郡小泉村中島国有林。

 「小泉川河口の左岸に始まり海岸に沿へる帯状の松林にして北部は民有保安林に接続し,合計面積約7町歩あり,35〜70年生の赤松,黒松の混淆林にして略々2段喬林をなし幅員狭き部分は20米,広き部分は150米延長800米に及び,松,ハヒビャクシンの下木密生す。……今回の津浪は本林内に浸入し来りたるも林木の為浪勢を減殺せられ,大体林中にて勢力を消失して内方の水田は僅少の浸水を見たるのみ。唯林相疎開し且幅員狭き部分は浸水程度大なりしを見ても,浪災防止上森林の効果大なるを実証せり。(森林の効果写真《15》参照。)」4)
 「ここは小松や磯なれの孫生曽孫生が密生していて一寸原生林の趣あり。松原の中は多くは歩かれない。」5)
 津浪痕跡は,防潮林前縁と想定される付近で,T.P. 4.6m,5.lm,5.8mとなっている。6)
 また,防潮林の地盤高は,後述する(31)により,平均海面上約2.5mである。文献3の写真16より推定するに,壮令樹の間隔は3本/10m程度であろう。

(4) 昭和8年三陸大津波。岩手県気仙郡高田,気仙町地内の海岸林(通称高田松原)。

 「本林は,……幅員50米乃至120米内外,延長凡そ3粁に達す。……現在は赤松,黒松の胸高径10乃至50cm,樹高10乃至25米内外(前面に幅員約20米,20年生内外の林分を含む)の混淆林なり。本林の前線に於ける今回の津波高は約3米とす。……今回の津波に対してもよく内方耕宅地の被害を防止せしが,最も顕著に森林の効果を示現せるは次の実例とす。即,数年前林内に浩養館なる旅館を建設し,眺望の為前面の松林を約20米幅に伐採したるものと,約百米を距てゝ同様林内に建設せられたる県是製糸株式会社の慰安所の前面に松林を有するものとに於て,前者は流失し死者3名を出せるに後者は一部に僅少の害をこうむりしに過ぎざりしなり。」7)

(5) 昭和8年三陸大津波。岩手県気仙郡赤崎村。

 「村内永浜,宿部落に於ては汀線を距る30〜100米内外に於て杉20〜30年生の列状屋敷林を有する家屋のみ倒壊,流失を免れたる実例ありて能く屋敷林の効果を示せり。」8)
 永浜では汀線近くでT.P. 3.2mの津波高,宿では3.3mとなっている。9)ただし,文献3の写真6,7,8にある残存家屋はいずれも一階家で屋根等の痛んだ形跡が認められないから,浸水深は2m弱であろうと推定される。

(6) 昭和8年三陸大津波。岩手県上閉伊郡釜石町字白浜。

 「本林は汀線より10米の距離にある壮令杉林なり。本林の側方に於ける家屋は何れも流失せるに,本林の後方に在りし神社のみは流失を免がれたり。」10)
 津波は3.5m位だといわれるが,あまり確かではない。11)

(7) 昭和8年三陸大津波。岩手県九戸郡長内村字長内。

 「本村は汀線より300米内外の距離にあり。幅員20米内外,延長約400米に達する胸高径15cm内外の黒松密林なり。本林の後方に在る耕地は前面に森林を有せざる接読耕地に比し,土砂の堆積量甚しく僅少にして其の被害著しく軽微なりき。」12)
 津波高はT.P. 3.3m〜4.Omで,13)地盤上3m程度であろう。

(8) 昭和8年三陸大津波。岩手県九戸郡長内村字二子。

 「二子部落に於ける船付場付近の家屋は唯一戸を残して他はことごとく流失せり。此の残存家屋は汀線より約70米の距離に在りて,其の周囲に樹令22〜23年生,胸高直径20cm内外の赤松十数本並列せる屋敷林を有せしものなり。本林によりて浪勢を緩和したるは勿論,突入すべかりし船舶,木材片等を能く防止して家屋の倒壊,流失を免れたるものとす。」14)
 この地点の津波高は判然としない。文献5の48頁には二子にも被害があったと述べるのみで,痕跡地図にも記載がないが,その周辺の値からみて,TP. 3、3m前後であろう。

(9) 昭和8年三陸大津波。岩手県九戸郡野田村宇野田。

 「本林は汀線より約200米の地点にある黒松の列状林にして,胸高径15cm内外,樹高6〜7米とす。今回の津波に当りては本林の前方にありし家屋の倒壊破片等,林木に依り内方に浸入するを防止せられたるもの少からず。又本林の側方に在りては家屋の破壊は800米の内部に及びしも本林の後方にては600米以上に及ぼざりき。」15)
 津波高はT.P. 5.5m,16)また地盤高については,「海岸には3米内外の砂丘横わり,汀線に平行していて,その陸地側には小松林があった」とされている。17)

(10) 昭和8年三陸大津波。青森県三戸郡百石町横道。

 「本海岸林は汀線より約300米の距離に在り。幅員50米内外延長約1kmに達する胸高径20cm内外,樹高10m内外の赤松八割,黒松二割の割合を以て植栽せられたる密林なり。今回の津波は本林前方の納屋全部を破壊せしも其等の破片は林木によりて防止せられ,浪勢は森林通過に依り大いに減退して後方の部落は僅かの浸水を見たる外殆んど被害なきを得たり。然るに本部落と相並べる川口部落は前面に森林其他の防浪施設を欠きし為,汀線よりは遠距離なるにも拘らず流失倒壊せる人家多数に上れり。」18)
 「波の高さは明かでないが3米位。」19)

(11) 昭和8年三陸大津波。青森県三戸郡下長苗代村字八太郎。

 「本海岸林は汀線より約200米の距離に在り。幅員100米内外延長約4kmに達する胸高径10cm内外の赤松林なり。今回の津波に当りては大いに其の浪勢を減殺して後方の住家は僅かに浸水を見たるに過ぎず。」20)
 「(八太郎)に於ては,家屋半壊,非住家4,浸水床下非住家6」21)とある。また,後述(23)のチリ津波時の浸水位横断面図からみると,八太郎地点で幅員330mもある場合でも,前縁で2.1mの浸水深であったものが後縁で1.5mにしか減衰していない。チリ津波にくらべ昭和8年津波が短周期であったにせよ,それ程大きな浸水位減少は見られないに違いない。森林背後で床下浸水つまり30〜50cmの水位であったとして、林帯内では,高々1m内外の浸水位であったであろう。

(12) 昭和8年三陸大津波。宮城県本吉郡大島村字長崎。

 「本林は幅員30〜80米,延長1,000米に達する壮令林にして,下層には樹高5〜6米の幼樹密生す。今回の津波は本林の幅員の3分の1乃至5分の1迄浸入したりしたが林内に建設せられたる海水浴場附属建物3棟は何等の被害なかりしに,林地より約1町を距てたる地点にありし鰹節製造所は汀線よりの距離,其の他の状況相似たるにも拘らず流失したるを見るも森林の効果大なるを知るべし」22)
 津波高は汀線において,T.P. 5.9〜6.3mである。23)
 「(14)字長崎 大島東側沿岸である為に波勢が強い,波高4.0 海岸の小松林は津波を覆って全部枯死していた。」24)

(13) 昭和8年三陸大津波。岩手県気仙郡越喜来村浦浜。

 「海岸に沿うて高さ約1m,巾約3.5mの道路築堤があり,その外側の巾約4mの防潮林の松は20年位の令を経たものであったが写真の如く根本から全部洗われた。津浪高最大6.3m。」25)
 「(44)浦浜 波高,小学校付近で3.2m,県道の橋の付近(川添では)7.Om」26)という報告もある。この調査者は地盤上の値を記録したもののようである。
 津波最大高6.3mという値は,津波最大到達点の値であって,海岸付近のものではない。27)
 文献5の第181図には浦浜西端の崖上で9.9mという数字があるが,浜中央付近の値とは異った性質のものと判断される。28)

(14) 昭和8年三陸大津波。岩手県上閉伊郡鵜住居村水海。

 「鵜住居村水海〔両石湾)等に於ては根本の太さ2D〜30cmの樹木が多数に根本から折れている。」29)「左岸突出部裏にあった径20〜30cmの樹木が殆ど全部折られている。」30)
 津波高は左岸において,文献25では11m,31)文献5では10m32)となっている。

(15) 昭和8年三陸大津波。岩手県気仙郡綾里村白浜。

 「綾里村白浜。沢の右岸傾斜面にある径約30cmの樹木が上流側に折れている。」33)
 「海岸の傾斜地の松の木が多数に根本から打ち切られている其の太きものは径0.4mもある。」34).
 「波高19乃至23m浸水域の最高度27m。」35)右岸での値は文献25によると23.3m36)である。
 いずれにせよ,地上10m以上の浸水深であったものとおもわれる。

(16) 昭和8年三陸大津波。宮城県本吉郡唐桑村高石浜。

 「波高7.Om,……径0.42の杉の木が根本から打ち切られたもの2本があった。」37)
 「(高石浜)波高は9〜10米である。」38)文献5の地図では海岸で9.5mの痕跡39)である。地上約7mとしてよかろう。

(17) 昭和21年南海地震津波。和歌山県日高郡切目村。

 「……津波高は3.6米……。切目川の山側の岸には「クロマツ」の林があり,………。「クロマツ」は老令林と幼令林とあり,老令林は樹高30〜35米,直径60〜80cm,枝下高10〜15m,樹冠半径5m,ウッ閉度密で生育良好である。幼令林は昭和13年に植栽したもので,樹高5〜10米,直径3〜5cm,枝下高1.5米,樹冠半径0.5米,ウッ閉度密で1米間隔で5,000本植栽したもので,川岸より幅40米あり,林には地面よりも0.5米浸水したのであるが,被害なく,……。」報告中の第6図にスケッチがあり,津波高は3.7mは平均海面上の痕跡高と推定される。

(18) 昭和21年南海地震津波。和歌山県有田郡広村。

 「……津波高は……4.9米と云はれる……海岸より護岸堤,海岸林,土堤と三段構に配置され,以て部落を浸水から救った。
 海岸林の主林木はクロマツで,…150年生と80年生とあり,前者は樹高25米,ウッ閉度密で,10〜15米間隔で5列に植栽した一斉林で30年生のものを移植したとのこと。後者は樹高20米,直径30〜35cm,枝下高5〜10米,ウッ閉度中,10〜15米聞隔,10列の一斉林で生育良好である。……地床植物は芝。土壌は砂で礫が多い。
 林木の被害は,耐久中学校前のクロマツの根倒れが三本あり,何れも樹高15米,直径45cm,樹冠発達は中で,支根が発達し,主根を欠いていた。…浸食によって砂が流され根が露出して,樹体を支え得ず,転倒したものである。……
 大型漁船の上陸は,二個所に見受けられ,一は耐久中学校前の松林にて止りその為に後方の校舎に衝突して之を破壊するのを防ぎ得た。」41)
 附図第三,第四図よりみれば,倒れたクロマツは,西南端にある松林の前縁にあったものである。松林は幅員40m,浸水位は図より約3mと推定される。

(19) 昭和21年南海地震津波。和歌山県西牟郡新庄村。

 「右の家屋は破壊,左の家屋は松及び石碑の背後の為,破壊を免れる。」42)
 同じ文献PP.114〜ll5の記述より,津波高45米,地盤高1〜2米とあるので,浸水深3.5〜2.5米と推定される。

(20) 昭和21年南海地震津波。和歌山県有田郡南広村西広。

 「防潮林は,主林木としてクロマツが植栽してあり,海岸に面して10年生のクロマツが,1米間隔で10〜20列,その後方に林令100〜15G年生と思われる老令のクロマツが10米間隔で2〜3列植栽してある。幼令林は,樹高5米,直径2〜4cm,樹冠半径1〜1.5米,老令林は,樹高20米,直径20〜60cm,平均枝下高8〜10米,樹冠半麗5〜10米で,……一斉林型で生育良好である。林中にはアキグミ,マサキ,トベラ等の灌木類が生育し,之等は,樹高5米,樹冠の発達良好であった。地床植物としては草類,スゲ類,ハマエンドウが密におおって居り,土壌は礫を含んだ砂であった。防潮林の後方には蜜柑畑があり,之等林木の津狼による被害はなかった。……津浪の高さは,…約6米と思われ,…後方の90戸の家屋には破害はなかった。」43)
 附図第2図のスケッチから地盤高は2m前後,松林での津波高は4mと思われるので,浸水深は2m程度と推定する。

(21) 昭和21年南海地震津波。和歌山県田辺市文里。

 「……クロマツを植栽してあるが,防潮林として密集して備えてあるわけでなく,風景の為といった感のするものであった。樹高20〜25米,直径35〜40cm,平均枝下高10米,樹冠半径5米,ウッ閉度疎,1O米間隔或はそれ以上に疎開。林令50〜60,一斉林で主根を欠いていたが,側根の発達良好で,10〜15米に及んでいるものもあり,地床植物,灌木共になく,土壌は微細砂のみで礫を含まない。
 松の生育良好で,側根が十分発達しているにもかかわらず,根返りしたものが多く,被害割合は50%に及ぶ程と思われた。これは海食の為砂が流失して,根が露出して倒れたものと思われ,倒れた方向も一定していなかった。」44)
 文献45のp.116によると,文里湾口で津波高は約3.8mである。45)

(22) 昭和21年南海地震津波。和歌山県西牟郡東富田村。

 「……浪高5米に及び……。海岸林のクロマツは40年生で樹高25〜30米,直径25〜30cm,立木度密であり,下木としては,高さ1米のササが密生している。生長は極めて良好である。川の沿岸の直接津浪を受けたものが一部根倒れ,根返りしたものがある。高瀬川岸には同じくクロマツ10年生のものがあり,高さ5米,ha当り1万本で生育良好。副林木にハンノキが植栽してある。これも津浪の為上流方向に45度以上傾斜したものがあった。……土壌は微砂で,所々にスゲ類が生えている。
 本村の袋谷は……潮高も6〜7米に達したらしかった。……道路下の電柱とクロマツ2本(150〜200年生,直径60cm,樹高15米)は倒れずに残っていた。」46)
 文献40の第12図によると,20mの海浜背後に2m高の道路,その直後に3m高の鉄道築堤があり,津浪は重複波的となったものと想定される。

(23) 昭和35年チリ津波。青森県八戸市八太郎。

 「……八太郎より五戸川に至る海岸は添附図の様に防潮林が分布している。樹令は一般に34年の黒松で海岸より陸側迄約330mであったが,津波後の痕跡を調査した結果,海側と陸側の潮位差は約1.066mであり…。」47)
 同上文献の添附図によると,林帯前後の地盤に高低差があるが,海よりでT.P. 470m(地盤上2.1m),山側でT.R. 3.634m(地盤上1.50m)の痕跡値となっている。

(24) 昭和35年チリ津波。岩手県宮古市津軽石字赤前。

 「国有林は樹令70〜80年のアカマツを主とし,一部に昭和10年ごろ植栽のクロマツが混生する。アカマツは樹高20〜25m,胸高直径40〜50cm,枝下高約13m,立木密度600/ha,クロマツは樹高10〜13m,枝下高5〜7m,胸高直径5〜7cm,立木密度1,500本/haと推定された。林内の低木層はよく発達し,……地盤は背後耕地と同高で肥土をかなり含む砂地で,生育よく……。林帯幅は前方林帯(約1.8ha)で30〜70m,後方林帯(約1.6ha)で50〜90m,延長はおのおの270,180mくらいである。前後2林帯の聞は幅約40mの水田となっている。……
 国有林の前方林帯と5mの間隔をおいて(農道を中心として)漁業組合有林が並ぶ。この林は約25年生のクロマツ林で,樹高10〜15m,枝下高約7m,胸高直径10〜15cm,立木密度5,500本/haである。延長は約250mで,平均幅は25mで一部に15m以下の所がある。広葉樹下木ははとんど見られない。…
 赤前海岸における最大波高は4.5〜5.Omで,林木の痕跡による最大浸水高は地上4.5mであった。……林帯後方約120haの耕地に浸入した海水を津軽石川をさかのぼり氾濫したもの,林帯東側の無防備海岸から浸入したもの,林帯を通過したものに分けて考えると,前2者が優勢であったようである。……林帯を通過した海水流も林帯の切れ目や幅狭く疎開した部分に水勢が激しかったことが察せられる。……耕地の被害はおもに津軽石川沿い,林帯東端,林帯切れ目後方にあらわれている。
 国有林帯ではほとんど倒木なく……。漁業組合有林では林帯内にカキ養殖いかだの杭多数と,漁船6隻が浸入衝突したため,多数の倒折木を出した。……国有林と組合有林の境は約5m幅疎開していたため,津波の勢力が強くなった(と考えられる)ため,境を中心として幅約30mの林地が深くえぐりとられ,倒木を生じた。……漁業組合林では幅の狭い部分が破壊され,林地は深さ約1m洗掘された。国有林帯にはこのような破害は全く見られない。
 以上から察せられるように,防潮林の効果はまず漂流物の阻止があげられる。写真16,17で見られるようにカキ・ノリ養殖資材が大量に林で阻止された(カキいかだは長さ10m,末口直径1Ocmのスギ丸太で組み,これを浮きだるで海面に浮かせる。ノリ杭は元口直径5cm,長さ約4mの材である)。……組合有林の前面移量の材が阻止された。……10ton前後の漁船6隻がこの林帯に食い込んで阻止された。漂船は林帯幅の8分どおりまで倒折木を出して侵入し,後方数列の樹帯で止められている。……幅のある国有林帯後方で第3図A付近での耕地の荒らされ方はその周囲と比較して格段に少ない。写真13で色の濃いところが見られ,この部分は川をまわってきた海水あるいは林帯を通過した海水によって浸水されているが,水勢によって耕地表面や畦畔が削られ,あるいは流入土砂で埋没されることはなかった。これに反し第3図B・C・Dの地区は写真13のごとく林帯の切れ目や狭幅部で,かつ疎開した部分の後方にあたり激しい波によって洗掘埋没をうけている。当然川沿耕地も畦畔の消えた部分が多い。……
 林帯切れ目では土砂の洗掘流送がおこるほどの水勢であるのに,林内ことに国有林内では表土の動いた形跡はなく,後方では腐食層の移動さえ見られない。」48)

(25) 昭和35年チリ津波。岩手県上閉伊郡大槌町。

 「……林帯は大槌川河口の砂州の上にある。……防潮林には蟇川原国有林(大槌営林署)と元国有林の払い下げによる町有林とがある。国有林は昭和9年から3箇年にわたり,一部湿地を含む砂浜に造成されたクロマツ林で,面積6.34ha,延長約460m,幅平均120mである。……クロマツは樹高約9m,胸高直径約15cm,枝下高約5mで,立木密度は植栽当時6,000本/haのものが現在5,000本/haと推定された。……林帯前面に少数のニセアカシアが植えられている。……ニセアカシヤは樹高約10m,胸高直径約20cmであった。林地は地下水面高く,深さ30cmで湧水する。砂地のクロマツやニセアカシヤの根は浅く30〜40cmであった。……砂地(表層5cmは砂壌土,その下層は砂土)では天然下種による樹高2〜3mのニセアカシヤ低木層をもつ所(クロマツ上層被度70%)が一部にあるが,大部分は低木層を欠く。草本層は被度100%を示す。
 最大波高は……林帯前縁木の波高痕跡(傷)によれば約4mであった。……
 林帯の被害は……林縁で直接水面に接する部分で土壌洗掘により倒木したものがわずかに見られたにすぎない。また,林内に多数の舟・流材が流れ込み,それによる折損木,倒木もわずかに見られた。
 林帯の効果はやはり漂流物の阻止で,動力船6隻,小漁舟多数が林内に流れこみ,引き波の際もそのまま林内にとどまり,流失や転覆などの被害が少なかった。これとともに多量のカキ・ノリ資材が林帯で阻止された……。
 (ここでも林床上壌の移動は大部分の所で見られず,一部林縁で見られたのみである)。……一方林帯不良で,かつ十分のひろがりをもたない安渡地区では安渡橋奥の水田まで流材がはいり,家屋,水田被害は甚大であった。」49)
 同上文献によると,300mの沖合で水深約5mとなる遠浅であり,林帯前面の砂浜は幅40mであるから,地下水位が高いことを考えに入れると地盤高は0.5mから1m程度であろう。

(26) 昭和35年チリ津波。岩手県釜石市鵜住居字箱崎。

 「……防潮林は昭和11年に元宅地・畑地に造成された県有クロマツ林で,延長約340m,幅約10〜15mである。クロマツは樹高約9m,胸高直径12〜14cm,枝下高2.5m,立木密度約5,000本/haと推定され,生育はあまり良好ではない。しかも低木・草本層はなく,……。
 津波の主勢力(最大波高3.2m)は海岸中央の小川をさかのぼったが,全体に2.5mほどの浸水位で林帯も通過……。しかし,カキいかだ,舟は林帯で阻止されたため,……。
 林帯の被害はほとんど皆無であった。」50)

(27) 昭和35年チリ津波。岩手県釜石市唐丹町小白浜,片岸。

 「……津波(最大波高3.0〜3.8m)は全林帯を通過し……。
 防潮林は昭和8年災後造成した県有クロマツ林で,林帯は平均幅約90m,延長200mである。林分は樹高約8m,胸高直径約10cm,枝下高2〜2.5m,立木密度約3,000本/haである。この前面に昭和30年植栽の樹高1〜2mの幼木帯があり,その大部分は汀線に達している。……主林分の低木層は疎で,草本層は被度100%を示している。幼木帯の低木層・草本層には海浜植物が生じている。
 ……今回,林帯には高さ2〜2.5m浸水し,壮令林にはぼゞ被害はなく,幼令林前面の木が流失・倒伏し……。」51)

(28) 昭和35年チリ津波。岩手県気仙郡三陸村越喜来字浦浜。

 「……汀線に高さ2m,天端幅4mの道路を兼ねた防潮堤があり,砂浜はほとんどない。……その背後に防潮林…がある。
 防潮林は昭和12年に元水田に造成された県有クロマツ林で,平均幅約20m,延長約600mである。……左岸林帯では樹高約8m,胸高直径約8cm,枝下高約5m,立木密度約6,000本/haである。低木層は全くなく,草本層は被度80%を示し,ササが優占している。……
 最大波高は3.8mといわれ,防潮堤を1m越えたという。……林帯は浸水したが被害はほとんどなく……。林帯に向った船は阻止され,調査時にも林帯前縁に0.5tonないし1tonくらいの漁船数隻が阻止されていた。また,ノリ・カキ養殖資材の漂流物も多数阻止されていたという。」52)

(29) 昭和35年チリ津波。岩手県陸前高田市高田松原。

 「……林帯前には一部を除き工作物なく,幅50m前後の緩傾斜の砂浜がある。……
 …津波の……最大波高は……松原海岸では4〜5m(林帯前縁で5mの浸水高)……。
 松原は市有林で,敷地面積約28ha,延長2km,幅100〜150mである。……
 (A団地)砂浜は幅約15m……。A1区は樹令18年のクロマツ幼令林で林分幅5〜10m,樹高約6m,胸高直径約6cm,枝下高約2.5m,立木密度約5,000本/ha,上層被度80%,低木層や草本層は発達せず,砂地が露出している。A2区はアカマツ壮令林で,クロマツが約15%混生する。A3区はクロマツ壮令林でアカマツを約10%混じている。A2・A3両区とも樹高約11m,胸高直径約12cm,枝下高約3m,立木密度2,800本/haで,低木層や草本層は発達していない。A4・A5・A6区はアカマツ老令林でクロマツを10%くらい混じている。A4・A5区林分は樹高約20m,胸高直径約35cm,枝下高約15m,立木密度900本/haで,低木層がよく発達し,上層被度80%の所でも樹高1.5〜3.Omのニセアカシヤが破度50〜70%を示していた。草本層は平均披度5%で,主としてニセアカシヤにおおわれていない部分を占めている。A5区はA5区よりさらに老令木(約200年生,直径約70cm,樹高約25m)の占める割合が多い。……
 (B団地)……B1区は林分幅5〜8mのクロマッ壮令林で,樹高約9m,胸高直径約9cm,枝下高約6m,立木密度5,000本/haである。上層木の被度は75%で,低木層は全く発達せず,表層土は津波で移動した跡がある。草本層被度は5〜30%で海浜植物が多い。B2区は樹令約90年のアカマツ老令林で,樹高12〜17m,胸高直径約18cm,枝下高約7m,立木密度2,OOO本/haである。……上層の被度は平均70%で,低木層なく,観光客の出入の影響をうけている所は草本植物も乏しい。この区も浸水時に表土が移動している。B3区はアカマツ老令木が点在し,その下にクロマツの新植がなされている。B4区は樹令約200年のアカマツが群状に生じ,樹高約25m,胸高直径70〜80cmの木からなる。
 (C団地)林帯幅狭く,敷地内に川や無立木地(舟置場)があったため,被害が多かった団地である。……C1区はクロマツ壮令林で,樹高約12m,胸高直径約14cm,枝下高約5m,立木密度3,500本/ha,上層被度80%の林分で,低木層なく,草本層も被度5%にすぎず,表土は浸水時移動している。C2区はクロマツのやゝ老令な林分で,樹高約15m,胸高直径約17cm,枝下高約10m,立木密度約3,000本/ha,上層被度70%で,低木層なく,草本層は80%の被度を示している。
 ……A・B団地の優良林分前線一帯にかなりの漁船と流材が阻止された……。……A・B団地内の家屋は小破壊にとどまったが,極端な疎開林分であったx・y団地の背後の家屋は全壊や流失の被害をうけた。……林帯幅狭く,かつ疎開林分であるか(古川沼前面はこの好例),川などで切れ目をもつ地区に侵入海水の主勢力が集中し,土地を洗掘し,耕地や家屋を破壊したことが明らかに認められる。C団地の土塁も林帯の切れ目ごとに欠壊されている。……侵入海水の流向の下流側にある屋敷林でも,家屋流失や破壊の軽減に効果があることが見られた。
 立木の根元は下流側が深さ20〜30cm洗掘されているが,この洗掘は優良林分(低木も多い)のA団地よりB団地の疎開林分(低木層もない)にはるかに多く見られ,各個の洗掘量も一見してA団地よりB団地に大きい。…
 ……B団地付近では林床上4〜5mの高さに浸水したようであるが,他の林分でもほゞ同様であったと推定される。……」53)付図よりA団地の最狭部幅100mと見なして推定すると,C1団地の幅約30m未満,C2団地の幅約40m未満と思われる。

(30) 昭和35年チリ津波。宮城県気仙沼市波路上。

 「……林帯前面に道路が通じ,その海側は高さlmの石積護岸で,砂浜は幅5mである。……最大波高は満潮面上約2mといわれ,林帯では約lmの浸水高……。
 防潮林は県が昭和14年に,…造成したクロマツ林である。……A,B両地区の境界付近は多数の倒木を出した。A地区は最大林帯幅でも約10m(敷地幅は約20m)で,樹高約6m,胸高直径約8cm,枝下高約3m,立木密度約4,500本/ha,上層被度70%の林分で,成長はあまり良くない。林内低木層は発達せず,林帯後方およびA地区前面にイタチハギがかなりよく生育しているが,林内のものは生育不良である。草本層は.一年生草本が主体をなす。……A地区では漂流物多数を阻止し,後方農地の復旧を早めた。……」54)

(31)昭和35年テリ津波。宮城県本占郡本吉町中島。

 「……海岸に幅30〜40mの砂浜があり,ここれより1〜2m高く中島国有林(A)と小泉川県砂地造林予定地(B)がある。……A地区の前面には護岸がある。……現在平均海水面上約2.5m,天端幅35cmであった。……一林床はその天端と同高である。…
 最大波高約2.5mといわれるが,調査では明らかにできなかった。A地区の全面に浸水し,とくに護岸の低い南半に浸水が多かった。しかし林床地磐も少し高く(平均海水面上2.5m),密な植生の効果もあって,侵入海水の勢力が減殺されたためか,海水は林帯背後の農用排水路でとまり,排水路から小泉川にぬけたため,水田にはほとんど浸水しなかったようである。……A地区…林内では表土の移動は見られなかった。……国有防潮林は天然クロマツが二段林をなしている。…林帯幅は20〜1OOmで,小泉川に近いほど広い。…延長約700mである。上層のクロマツは約90年生,胸高直径20〜35cm,樹高15m前後,立木密度約1,000本/ha,下層のクロマツは胸高直径4〜14cm,樹高8m前後,枝下高4〜5m,立木密度約4,500本/haである。下層木の樹令は一定ではない。低木層は20〜85%の被度で,箇所により変動が著しい。低木層を形作るのはオオバイボタが顕著な樹種である。草本層の破度は低木層の被度が少ない所に大であり,藤本や多年生草木からなる。」55)

(32)昭和35年チリ津波。宮城県本吉郡志津川町松原。

 「……汀線に高さ2m,天端幅2mの空積防潮堤をもつ老令のクロマツ林帯がある。……樹高約18m,胸高直径40〜50cmのマツが疎林をなす。林帯敷地幅は20〜35mあるが,林分が成立している幅は約10m……。
 最大波高は志津川港で3.8〜4.2m……。林帯前の防潮堤は昭和8年以前の施工で今回一部を残し欠壊流失した。」56)
 「……今回の津波は波高6mに達し……。
 この防潮林は同町の松原公園内にあるクロマツで,本数約160本,林帯は南北に走り延長約30Om,林帯の巾20〜30m,樹高15〜20m,樹令200年に達し,平均直径約60cmである。」57)
 「……松原公園にある簡易裁判所内の浸水痕跡と港湾正面にある丸米水産志津川食品工場内の浸水痕跡を測ったのが,3.9〜4.0米である。」58)
 「……林帯の前縁が急傾斜面で汀線に続く所では,この急斜面が侵食され,クロマツの根が露出されたり,根返りされた。」59)

(33)昭和35年チリ津波。宮城県本吉郡志津川町折立。

 「……礫浜の幅20〜30m、この後方に林帯があり……。……林帯前に高さ約2mの石積堤(護岸)があり……。
 防潮林の大半は昭和13〜14年に県が……造成したクロマツ林で,平均敷地幅約30mである。林帯は林況により7地区に分かれる。
A地区は樹高約10mのニセアカシヤ林である。
B地区は樹高9〜10m,胸高直径10〜14cm,枝下高約4m,立木密度約3,500本/haのクロマツ林で,低木層なく,草本層は被度80〜90%で1年生草本が多い。町有地のC地区は老令クロマツ林で,樹高15〜20m,胸高直径40〜50m,立木密度200本/haであり,低木草はB地区と同様である。この老木の根の深さは約lmで,それより深くにはいっていない。D地区は部分的にニセアカシヤを混ずるクロマツ林で,台風5922号,5915号で枯死本を出したため津波前にかなり疎開した部分があった。低木層は一部にニセアカシヤが見られ,草本層は被度70〜90%で1年生草本が多い。この地区とE地区の前縁には胸高直径約40cmのクロマツが点在している。
E地区は前記台風で集団的に枯死し,津波前すでに立木がほとんどなかった。F地区はクロマツ林で,樹高10〜13皿,胸高直径9〜11cm,立木密度3,000本/haである。G地区はF地区と同程度の樹高・直径を示すクロマツ疎林分(約2,0OO本/ha)である。
 最大波高は4.5mといわれ,……とくにC地区とC地区に接するD地区の一部は……林分が疎開し,石積堤も弱体であったため,…石積堤は欠壊し,立木も流出して林帯は切断され,流失水田約0.5haを生じた。E地区前面は地盤も多少低く,堤が欠壊したが,F地区背後の家屋は小学校やその付近家屋より軽い被害ですんだ。これは学校やその付近家屋の前面にあたるC・D(一部)地区林帯よりもD・F・G林帯の方が林相よく(Eの無立木地は狭く,斜めに入り込んでいる),多数の漁業資材や漁船を阻止し,津波の流勢を減じたためと考えられている。B林帯(幅狭く疎林)直後にある倉庫は高さ約2mまで壁がぬれながら倒壊はまぬがれた。折立川左岸の集落中心地は地上2.5m前後の浸水をうけ,前面護岸は欠壊し,多数の倒壊流失家屋を生じた。」50)

(34)昭和35年チリ津波。宮城県桃生郡北上村十三浜宇長塩谷。

 「……延長300mの海岸で,幅30〜50mの砂地に続き林帯があり,……。林帯北端の前面に延長約100mの護岸(高さ2〜3m)がある。
 …今回の最大波高は……約3m(護岸を50cm越した)であったといわれる。……
 防潮林は昭和11年に造成した県有クロマツ林で,樹高10〜15m,胸高直径9〜15cm,枝下高約5m,立木密度5,500本/haである。林帯幅は15〜20m(敷地幅20〜40m)で……。低木層はニセアカシヤ(樹高0.5〜2.Om,クロマツと同時に植栽したもので,一度伐採し萌芽したもの〉が被度40%を占め,草本層は破度5%で藤本や一年生草本が散在する。……
 津彼時,前縁のクロマツ約200本が倒木により枯死した。」61)

(35)昭和35年チリ津波。宮城県桃生郡鳴瀬町洲崎浜。

 「……汀線から約100mで人工砂丘(高さ1m)に達し,その背後に100〜125m幅の砂地造林地がある。……林帯は林況により5地区に分けうる。A地区は昭和28年度のニセアカシヤを混植したクロマツ植栽地で,一部には昭和34年補植したものがある。B地区は昭和11〜13年に植栽したクロマツ林で,樹高8〜9m,胸高直径8〜13cm,立木密度4,500本/haである。低木層にニセアカシヤをもち,草本層には多年生草本が少し生ずる。C地区は樹高約7mのクロマツ林で,この北方に樹高約10m,胸高直径4〜30cmの林木からなる国有クロマツ疎林があり,林下には下木草乏しく,砂地が露出している。D地区は下層にヨシの優占する低湿地の林分で,東側一部に昭和13年植栽の良い林分もあるが,全体に疎林である。E地区は砂地で,前面にヨシの密生する沼と砂浜がある。
 津波は比較的おだやかに来襲し,A地区の県道で約1m,E地区の県道で1.5〜2.0mの浸水であったという。……D・B林帯の一部にはノリ養殖資材を多数阻止し……。D地区の林帯欠除部背後の製塩用枝条架は全部流失したが,D地区の一部優良林分の背後にあった枝条架は流失しなかった……。しかし,図上の×地点では海水の勢力が強かったらしく,深さ約1.5m洗堀され,背後の水出も放置されていた。これは林帯を汀線に直角方向に幅5mの道路が切っていたためと推定された。A・B(大部分)・C各地区の背後では小面積の浸水耕地を出すにとどまった。
 ……A地区で補植したクロマツ幼木の枯死が目だった。すなわち人工砂丘の欠壊部に直面した所では根元に砂をかぶり幹が傾斜して枯れているものが多く……。D地区では疎開部分が洗掘され,その周辺の立木が一部倒伏した。」62)

(36)昭和35年チリ津彼。青森県三戸郡百石町。

 「百石町では防潮林(樹令30〜60年,林帯幅10〜30m,樹高10〜15m)の背後の人家,畑などに被害は見られなかったが,隣接川口で林帯がない所で護岸が破壊し,流失家屋を出した。」63)
 津波高は百石町二川目で1.Om,一川目で1.2m,川口と考えてよい明神で3.2mである。64)また,川口部落では,「海岸線から200mぐらい離れた海岸沿いに防潮林が続いており,この防潮林で50cm程度であった。」65)

(37)昭和35年チリ津波。岩手県野田村前浜。

 「前浜では流材はほとんど全部林帯前縁で阻止され,背後の浸水田にもちこまれたのは林内の落葉枝だけであった。」66)
 砂浜での津波痕跡高はT.P.5.Omであった。67)

(38)昭和35年チリ津波。岩手県下閉伊郡山田町船越字浦ノ浜。

 「林帯前面には幅約25mの砂浜があり…。林帯後方に道路兼用の石積防潮堤があり…。防潮林は昭和12年に民地を買い上げ造成した県有クロマツ林である。樹高8〜9m,胸高直径約10cm,枝下高約5mで,県北部海岸の防潮林中では成長のよくない方に属する。
 ……立木密度は6,000本/haと推定された。林帯幅は中央部で70〜80m,両翼で20〜40mで,一部に約10mの所もある。延長は約400m……。クロマツ上層木の破度80〜の所では低木層を欠き,草木層は被度20〜90%で一様でない。……
 ……西側で延長100mくらいの林帯は成長悪く,幅も約4mにすぎない。林帯の東半分の海側林縁には高さ0.5m,天端幅0.5mの土塁があるがその他工作物はなく,幅約25mの砂浜で……。平均海面から林床までの高さは約1mと推定された。
 ここでは……第3回目が最大で,波高約4m強と推定された。……主勢力は林帯のない束翼低地と排水路に押しよせて,内陸に侵入し,約20haに浸水害を与えた。林帯全面にわたり海水が通りぬけたが,前記主勢力に比しおだやかであったという。……林帯の被害は少なく,主勢力の侵入した疎開林分で林床洗掘による約10本の倒木……。前縁林縁に近い部分を除き,林内では表層土の移動もなく,所により古い落葉・毬果が新しい落葉の下に残っているところさえあった。…東半分は地盤低く,林帯がないかあるいは幅狭く,疎開していたため,侵入海水の主勢力を生で被害を惹起した。しかし,この部分でも写真21のごとく舟などの漂流物を阻止した。」68)

(39)昭和35年チリ津波。宮城県石巻市大字湊字長浜。

 「……国有防潮林(クロマツ,天然壮令林一部幼令林,樹高15m,幅200m,立木密度中位)では波高3mで来襲したが,約200mの幅の林帯を通過する間に侵入海水の流速はいちじるしく弱められ,高さ3mの波も1m以下に減じたという報告(昭和35年6月8日付日本木材新聞記事)もある。」69)

(40)昭和35年チリ津波。青森県八戸市市川町橋向。

 「……飛砂防止保安林(クロマツ,樹令10〜20年,林帯幅50m,樹高5〜10m)では,林帯前縁で約2,1mの浸水位であったが,後縁では約1,2mであったということが写真を掲げて報告されている。」70)
 「……橋向では飛砂防止保安林の背後では浸水被害のみであったが,五戸川の切れ目背後では家屋が流失したという報告がある。」71)橋向での浸水位は平常潮位上1.5mである。72)

(41)昭和58年日本海中部地震津波。秋田県山本郡峰浜村大沼。

 「汀線から20m後方の高さ1,2mの防潮堤の波返しの打継ぎ部分(天端から下方1.2m)が,2ケ所で長さ20mと60mにわたって破壊された。……津波は防潮堤後方の高さ7〜8mの急斜面をのり越えて150m侵入し,樹高2m,根元径4cmの黒松幼令林を襲った。そのため,マツは引波の際に海側に倒され,起してもなかなか起きない状態になっていた。」73)
 この地点の津波浸水位は不明であるが,次例の近傍であるので,地上4m以上と推定される。

(42)昭和58年日本海中部地震津波。秋田県山本郡峰浜村中ノ台。

 汀線から高さ4mまでの砂浜は直線に近い平行等高線をなす一様傾斜の海浜で,その背後はV字状の小谷となる。この小谷部分で,2〜3mの浸水深となるが,一部で倒木が見られた。流れの方向の複雑さがうかがわれる倒れ方で,陸方向海方向への倒木が入りまじっていた。黒松の幼令林で,平均樹高6.Om,胸高直径8.Ocm,立木密度4,600本/haである。74)

(43)昭和58年日本海中部地震津波。秋田県能代市大開国有林。

 「……前砂丘と主砂丘はともに堆砂垣によって自然造成したものである。……
 前砂丘の背後のクロマツ幼令林(昭和46年植栽)は,埋砂,浸塩水によって全滅に近い。……この地区の平均埋砂深は30〜40cmであるが,作業道周辺は逆に根系の露出するまで侵食された。……
 後背部のクロマツ成林地には,漂流物による物理的傷害が目立った。とくに林帯の前縁部には漂流物が集中的に堆積した。……
 これらの漂流物は樹幹を直撃し,あるいは樹体にかぶさり,幹折,倒伏,根返り,樹皮剥脱等の被害をあたえた。……能代市大開地区で主砂丘背俊の林縁部から内陸部に向けて幅2mの帯状調査を行った。この結果約100mの区間で22年生のクロマツ林(平均胸高直径8cm,平均樹高5m)は全本数の75%が枯損し,50%が倒伏,10%が幹折,20%が剥皮傷害を受けていることがわかった。
 被害程度は全般的にみて汀線に近いほど,水みちとなった道路や河道に接近するほど著しかった。林帯前面部には流入土砂が堆積したが,前線の新植地ほどではなかった。後背部の逆勾配斜面では流水による侵食がみられ,樹幹基部に乱流が発生し斜面下方が円孔状に洗掘された。また,林内道路面には溝状の侵食が発生した。……水深5mを仮定すると……。」75)
 文献75の図-2より推定すると,前砂丘と主砂丘の間にあるクロマツ幼令林(昭和46年植栽)は幅約40m,立木密度(昭和36年植栽)10,0OO本/ha,主砂丘背後のクロマツ成林地の幅は約70m,立木密度4,500本/ha〜7,000本/ha,で第三砂丘の頂点近くまで続く。ついで防火線をおいて第三砂丘の陸側に,幅20〜70m,立木密度4,300〜4,400本/haのクロマツ成林地(昭和34年植栽)がある。
 「……第一砂丘と第二砂丘の間にクロマツ幼令林があり,樹高0.7〜lm,根元径2〜3cmに生長している。……クロマツは枝葉がかなり引きちぎられ,樹幹は15cm程度砂に埋って海側に傾斜しているものが多かった。…
 津波が海岸に通ずる道路沿いに侵入したため,第三砂丘のクロマツ林の道路から数m以内の立木は,前縁から約50mの所まで内陸に向って著しく傾斜していた。樹皮に傷がついたものも多い。第三砂丘の高さは海面3〜5m程度しかないので,津波は道路や林の中を通過して,林の直後にあるレジャー施設のグランドに砂を堆積させ……。……ひっかかったゴミの高さから,林の直後水深は70cmと推定された。クロマツ林は後縁付近で樹高11m,直径13cm,6,000本/haの立派な林であるが,林内に抵抗になる下木や下草がないため,津波は容易に幅150m以上の林内を通過したのである。」76)
 地上浸水高の詳細は不明であるが,現場を踏査した筆者の記憶および写真から,幼令林は完全に水没した事,第二砂丘と第三砂丘の間の成林地は2〜3m程度の浸水位,第三砂丘背後のクロマツ林は0.7〜1.Om程度の浸水位であったと推定する。

3.解析および解析結果

3-1.樹高,樹令と胸高直径

 津波による流れへの抵抗を評価するにせよ,津波や漂流物によって切断される限界条件をもとめるにせよ,樹木の直径はなくてはならないひとつの特性量である。
 しかし,過去の事例のなかには,直径についてふれていないものもいくつかある。判明しているものについて,樹種,樹令,樹高,および平均胸高直径をまとめると,付表-1の通りであった。ただし,括弧のついた数値は根元径である。
 これにもとづき,樹令と直径の関係を図-1に,樹高と直径の関係を図-2にしめす。地方や土壌などの生育条件,樹樹によってバラツキが大きいのは当然であるが,とりあえず両図中にしめした平均的な曲線によって表わしうると考え,直径について記述のない場合を補足することとする。

3-2.事例の集約

 付表-2に,防潮林の効果や被害についての記事を簡略に表現して取りまとめた。これと共に,後で必要となる防潮林の特性や津波高をも記戟してある。
 防潮林の特性として,防潮林の幅l(m),樹木の平均胸高直径d(cm),立木密度ρ(本/ha)をとりあげた。直径の項で括弧を付してある数字は3-1節の結果から推定されたものである。立木密度の項での括弧付きの数字は,記述にもとづき計算したもの,あるいは類似例から推定したものである。
 津波特性としては,防潮林前縁あるいは防潮林内部での,地盤上の痕跡高をとりあげた。括弧付きの数字は地盤高が不明のため,海面上の痕跡高からlmを引いて防潮林での浸水高とみなしたものである。
 低木層や草被度についての事項は,記事のなかにしめしてある。

3-3.樹木の屈伏限界

 津波の勢いが強くなると樹木は耐えきれず,切断され,あるいは倒伏させられることになる。
 樹木に働く津波のカは,津波の形態によって大きくことなる。前面が切りたって来た津波では,短時間に衝撃的な大きな波力が作用する。前面が切りたっていない津波では,加速度項と流速項の両方が同程度に働くことが予想されるが,津波のピーク時には,進行波的であれば流速項の方が大きいであろう。過去の事例では,明らかに重複波的であったと推定されるのは(22)の例だけであった。同じ浸水位をしめす津波であったとしても,その形態によって,作用する力には大きな差異が生ずる。えられている浸水位は最高のもののみであって,防潮林が破害をうけなかった場合には,ほゞこれで十分であろうが,被害をうけた場合には不十分な資料である。防潮林の被害,たとえば樹木の切断が,最高水位に対応するより小さな条件によって生じた可能性もあるからである。
 もし,多量の土砂が津波とともに動いていたとすると,このような可能性はきわめて強いのであるが,流体の実際の密度は大きくなり,水のみの場合にくらべ作用力は大きくなる。しかるに,土砂の含有量は推定する方法もない。
 さらに,漂流物の存在の可能性は,問題を一段と複雑にする。流水力で切断されたのか,漂流物による集中荷重的な力が卓越したのかは,僅かな例を除いては知ることができない。
 当面の目的は,流体力学的な論議を詳細にすることではなく過去の事例を通じて一応の判断資料をうることである。したがって,外力の代表値として防潮林での最大浸水深をとり,樹木直径との関連を見ることとする。付表-3に結果をとりまとめる。浸水深や直軽に幅のある場合,次のように考える。被害が生じた場合には,小さな浸水深と大きな直径とを組合せる。被害が生じない場合には,大きな浸水深と小さな直径を組み合せる。また,事例(24)のように,浸水深が4〜5m位だろうという程度の記述の場合には,4.5mとした。こうして得られたのが図-3である。
 曲線I-1は樹木切断の条件をあたえる。この曲線より右側では,樹木は津波に対し全く無効果となってしまう。
 曲線1-2は悪条件でない限り,樹木が切断も倒伏もされずに安全である限界をしめす。これより左側の領域では,林縁部や疎開部で津波が集中し土壌が激しい洗掘をうけた場合にのみ,樹木の倒伏が発生する。両曲線にはさまれた領域では,林内でも洗掘に起因する倒伏が見られる。
 力学的に樹木の安全限界を見出そうとの試みは過去にも存在した。小山は広汎な議論をおこなってはいるが.77)条件が複雑すぎて必ずしも使用可能な結果とはなっていない。ただし,20%の土砂をふくむ水流が樹木に当っている場合,曲げ剪断によって折損する限界を式(1)として与えたものがある。ここで,dは立木直径,Vは津波による流速,Hは水深である。いま,V=√(gH)が成立するものと仮定して書きあらためると,式(2)で,図-3中の点線となり,経験的にもとめた切断条件に近い値をあたえる。
 経験曲線を数式であらわすと,曲線I-2すなわち,特殊な場所以外は無被害である限界は,dをcm,Hをm単位であたえて式(3)となる。曲線I-1,すなわち切損が始まるのは式(4)であたえられる。
 ここで式(4)のように,径の小さな樹木で切損した例が見られなかった事は,■みやすいことや,根が浅く倒伏しやすいことなどの事情を反映しているのであろう。
 式(4)であたえられる限界は,津波の流勢を軽減できるか否かを云う事はできないけれども,漂流物の作用をもふくめた津波力に耐えうる条件をあたえていると見なしうるので,少なくとも漂流物阻止を期待しうる樹木直径を与える式であると考えることが出来よう。

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式(1)
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式(2)
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式(3)
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式(4)

3-4.防潮林の物理的被害と効果

 前節では防潮林の主横成因子の切損,倒伏の条件はもとめられたが,林帯内土壌の洗掘などについては何等議論されてはいない。過去の事例の中味を詳細に見ると、林帯内で表土も動いていないとか,樹木のまわりの土壌が20〜30cm洗掘されたといった表現がある.単に主樹木の切損倒伏のみでなく,こうした林帯内洗掘をも取入れることを考えよう。
 このためには,防潮林が流水に対して発揮する抵抗の大きさを見積ることが必要となってくる。防潮林としての抵抗力は,(i)一本あたりの形状抵抗を,(ii)流れ方向の樹木本数分だけ,集めることによって表現できる。
 一本あたりの抵抗力は,射影面積dHと流速の自乗v^2∝gH,との積であらわしうる。ただし,dは直径,Hは浸水深である。もちろん,下生えが密集している場合には,主樹木の形状抵抗より大きな抵抗をあたえることが予想されるから,この点を明白にしておかねばならない。流れ方向の平均本数は,立木密度から推定できる。幅lの防潮林の,汀線に沿って単位長をとった面積内に存在する立木の数nは,式(5)から定めうる。ここで,lはm単位,ρは本/haの単位を有する。
 結局,防潮林内でのエネルギー損失は,式(6)によって表現でき,防潮林の特性dlρ(またはdn)と津波の特性Hとに関係する。ここでdnを防潮林の厚みと呼ぶこととする。
 したがって,付表-4にdnとH,および林帯被害に関する記事をとりまとめた。屋敷林のような幅のうすい林が無被害であった場合,漂流物阻止の効果をもちえたものと考えてよい。これを白丸であらわす。おなじく屋敷林が切損した場合,効果は全く期侍できない。これは黒四角印でしめす。黒丸印は倒木被害をうけているが,全くの無効果でもなく漂流物を阻止しうる事をしめす。
 林帯内に表土洗掘などの被害がない場合を白三角とする。林帯内で無被害ということは,流速がかなり緩和されたという事のひとつの表われであろから,背後地への流勢緩和や浸水軽減といった効果があったものと判断して良い。流勢を軽減できた,あるいは防潮林内の道路や疎開林分の背後にくらべて防潮林背後での被害が軽かった,という記述のある場合で,しかも林帯内の被害についてのべられていない場合を縦線の入った三角印でしめす。背後地の被害軽減度合は,団地の洗掘や堆積の比較や浸水域の拡がりの比較から述べられていることが多い。
 ついで,同じように背後地への効果が認められ,同時に林帯内での表土洗掘などの影響がみられる場合を黒三角印とする。
 下生えのある場合には各印に下線を付し,被害等の現象が林縁部など条件の悪い一部の場所でのみ生じた場合には括弧を付した。
 ηやHの値に幅のある場合には,3-3節で採用した考え方にもとついて組合せをきめた。
 結果を図示したのが図-4である。dnの単位は本・cm,Hの単位はmである。
 A,B,C,Dの四領域に大別される。
 A領域は,式(7)である場所で,主樹木には被害がなく,漂流物阻止の効果が期待される。ただし,流勢緩和や浸水深軽減の効果はない。
 B領域は,式(8)でかぎられる範囲で,樹木が切損等の被害をうけ,津波および漂流物に対して全く効力を発揮しえない条件下にある。
 C領域は,A,B領域の上位にあり,上方の境界は,式(9)であたえられる。ここでは,下生が密生しているならば流勢軽減の効果をも期待できる。
 さらに,式(10)の条件をも満たすC-1領域にあっては,林帯内での倒木や土壌洗掘も生じないと考えて良い。式(11)であるC-2領域では,林帯内に何等かの被害が生ずることがありうる。ただし,その被害は防潮林を完全に破壊しさることはない。
 境界線,式(9)の上が,D領域である。ここでは,下生えが疎であっても,流勢緩和効果を期待できる。この領域は式(12)によって,副領域D-1,D-2に分割される。
 境界線の左側のD-1領域では,余程の事がない限り,林帯内の破害は発生しない。その被害は,樹木が流体力に耐えかねて発生する訳でもなく,樹木周辺に生ずる洗掘孔が大きくなるからでもない。樹木のあるなしにかかわらず,地形,地盤、そのものが悪条件下にあるために洗掘浸食が生じ,樹木がその巻き添えになるという形式であろう。
 D-2領域では,林帯内表土洗掘のような被害が生ずる。それにもかかわらず,背後地では流勢や浸水深が緩和され,防潮林のない場所にくらべ,軽い被害で済むことになる。

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式(5)
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式(6)
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式(7)
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式(8)
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式(9)
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式(10)
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式(11)
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式(12)
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式(13)

3-5.防潮林の必要幅

 前節で防潮林幅,樹木直径,津波浸水高とにより,防潮林の効果を表現した訳であるから,たとえばH=3mの津波に対して流勢を軽減しうる防潮林を30年かけて育成しようとするならば,その時の平均直径が図-1により17m程度であるから,式(9)により,式(13)
 すなわち,汀線方向にはかった単位長さ1m当りにつき,6本の樹木を必要とする。今,樹間々隔を2mとすると,汀線にはかった単位長さあたりには11〜12本を要する訳であるから,防潮林の幅としては22〜24m,すなわち20m以上ない限り,流勢軽減効果は望めない事になる。
 上記のように,前節の結果を使って判断しても良いが,過去の事例から,もう少し直接的に表現する事を考える。防潮林帯幅l,津波浸水深を付表-5のようにとりまとめ,図-5をえがく事ができる。ただしこの時,屋敷林,列状林などについては,l=1mとして取扱った。
 a,b,cの三領域に分割出来る。
 a領域は樹木の切損などの被害はなく,漂流物阻止の効果があるものである。
 b領域では,効果は全く期待できない。
 c領域では,漂流物阻止以外に,背後地の洗掘緩和,浸水軽滅などの効果を期待できる。
 この図からも,防潮林幅20mがひとつの条件として浮びあがってくる。これは,取扱った資料の多くが,樹木直径10〜20cmのものであった事から考えて当然の一致である。

4.結論

 明治29年三陸大津波,昭和8年三陸大津波,昭和21年南海地震津波,昭和35年チリ津波,昭和58年日本海中部地震津波の際にえられた事例から,防潮林の効果を判断する図を作成した。
 もっとも,「流勢を緩和できる」ためには防潮林幅がどの位なければならないかを概算することは可能となったが,はたして流速がいくらに落ちるか,浸水深がいくらに減少するかという答えを与える訳ではないので,まだ定性的な判断条件にとどまっているとしなくてはなるまい。
 定量的な議論の基となる数字は,個々の津波に対して,それぞれの地点で,流体力学的な抵抗法則を組み込んだ津波数値シミュレーションを行ったのち初めてえられるものであり,現段階ではまだ入手不可能である。このためには,樹木のみならず、密生する下生えによるエネルギー損失についての水理実験を実施し,その結果を数値シミュレーションに反映させなくてはならないが,こうした研究を系統的に広範囲にわたっておこなっているという話をきかない。過去にいくつかの実験があるけれども,78)散発的で,実用にたる結果にはまとめられていない。近い将来の研究に待つ所である。

謝辞

 資料収集については東北大学工学部土木工学科卯花政孝技官の協力をえた。ここに記して謝意を表する。なお,この研究は文部省科学研究費自然災害特別研究(研究代表者京都大学石原蜜雄教授)によっておこなわれた。

参考文献

1)伊木常誠:三陸地方津波実況取調報告,震災予防調査会報告第11号,p.46,明治29年10月
2)文献1,p.16.
3)農林省山林局:三陸地方防潮林造成調査報告書,p.32,昭和9年3月
4)文献3,pp.11〜12.
5)地震研究所:津波被害及状況調査報告,P.l15,地震研究所彙報別冊第1号,昭和9年3月
6)文献5,第192図Map.No.II,50.
7)文献3,p.11.
8)文献3,pp.10〜11.
9)文献5,第184図Map.No.II,42.
10)文献3,p.1O.
11)文献5,p.73.
12)文献3,p.10.
13)文献5,第159図Map.No.II,14.
14)文献3,p.10.
15)文献3,p.9.
16)文献5,第161図Map.No.II,17.
17)文献5,p.49.
18)文献3,p.9.
19)文献5,p.42.
20)文献3,p.9.
21)文献5,p.43.
22)文献3,p.12.
23)文献5,第188図Map.No.II,46.
24)石川高見:昭和8年3月3日三陛沖強震及津浪踏査報告,昭和8年3月3日三陸沖強震及津浪報告,験震時報第7巻第2報別刷,中央気象台,p.152,昭和8年8月
25)松尾春雄:三陸津浪調査報告,土木試験所報仕,写真47.
26)文献24,p.158.
27)文献25,附図第三,25.
28)文献5,第181図Map.No.II,39.
29)文献25,p.25.
30)文献25,写真第35.
31)文献25,附図第三の20.
32)文献5,第176図
33)文献25,写真第51.
34)文献24,p.158.
35)文献24,p.158.
36)文献25,附図第三の26.
37)文献24,p.154.
38)文献5,p.102.
39)文献5,第188図Map.NoII,46.
40)四手井綱英,渡辺隆司:昭和21年南海地震に於ける和歌山県防潮林効果調査,林業試験集報,57,pp.ll3〜114,1948.
41)文献40,pp.108〜110.
42)文献40,写真14の説明
43)文献40,pp.106〜108.
44)文献40,pp.116〜117.
45)須那信治ほか:昭和21年12月21日南海大地震津浪調査概報(和歌山県の部),地震研究所研究速報,第5号,p.116,昭和22年4月
46)文献40,pp.121〜122.
47)武田進平:防潮林の効果に関する考察,東北の研究第10巻第39号,チリ地震津波特集号,東北開発研究会,1960
48)中野秀章ほか:岩手・宮城両県下防潮林のチリ地震津波時における実態・効果と今後のあり方,林業試験報告第104号,農林水産省林業試験場東北支場,昭和37年6月,pp.15〜18.
49)文献48,pp.19〜21.
50)文献48,pp.21-22.
51)又献48,pp.22〜23.
52)文献48,pp.24〜25.
53)文献48,pp.25〜28.
54)文献48,p.29.
55)文献48,pp.29〜30.
56)文献48,p.31.
57)和泉健ほか:チリ地震津波における防潮林の効果に関する効察,宮城県立農業試験場臨時報告第5号,昭和36年5月,PP.29〜30.
58)チリ津浪合同調査班:1960年5月24日チリ地震津浪踏査速報,昭和35年7月,P.543.
59)文献48,p.54.
60)文献48,pp.31〜32.
61)文献48,p.33.
62)文献48,pp.33〜34.
63)文献48,p.48.
64)気象庁:昭和35年5月24日チリ地震津波調査程告,第8号,昭和36年3月,P.ll7.
65)文献64,p122.
66)文献48,p.49.
67)文献58,p.262.
68)文献48,pp.18〜19,
69)文献48,PP.51〜52.
70)文献48,p.51.
71)文献48,p.48.
72)文献64,p.117.
73)石川政孝ほか:日本中部地震時の海岸防災林の効果と被害,治山,28(4).1983,p.93.
74)宇多高明,首藤伸夫:防潮林の効果と被害,日本海中部地震震害調査報告書,土木学会(印刷中)
75)村井宏;地震・津波と海岸防災林-日本海中部地震津波の被災事例-,林業技術,Vol,501,pp.l5〜18,1983.
76)文献73,pp.94〜95.
77)小山悌:防潮林経営の計画資料,防潮林経営研究録,林友会青森支部,pp.96〜143,昭和23年1月
78)たとえば,中野秀章ほか:防潮林の効果と幅に関する一実験,林業試験場研究報告第194号,pp.156〜166,1966.

図表

図-3.主樹木の被害。○:無被害,▲:倒木,■=折損。下線_は下生えが密生したこと,()は林縁部など悪条件の所に発生したことをしめす。また(1)は重複波的な津波であった例である。
図-4.防潮林の厚みの効果。○:主樹木は健在で漂流物を阻止,■:主樹木折損のため全く無効果,●:倒木被害はあるものの漂流物阻止も可能,△:流勢を緩和し,林帯無被害,▲:流勢を緩和しうるものの,林帯にも表土洗掘などの被害,△|:流勢を緩和したものの,林帯破害については無記述。下線は下生え密生,括弧は林縁部等,横棒は津波高がもっと大きかったこと,斜線は強力な漂流物力が集中したこと,などをしめす。
図-5.防潮林幅の効果。○:漂流物阻止■:切損による完全なる無効果,●:倒木するものの漂流物阻止も可能,△;流勢緩和,▲:流勢緩和不可能。下線等は図-4と同じ意味を有する。

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図-1.樹令と直径の関係
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図-2.樹高と直径の関係
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図-3.
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図-4.
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図-5.
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付表-1.樹令・樹高と平均胸高直径
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付表-2.事例集約表
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付表-3.浸水深と樹木被害
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付表-4.防潮林の厚みと被害程度
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付表-5.防潮林幅の効果