I.津波および一般被害の概要
A.津波の概要
防潮林などの津波対策を考える上に重要と見られる面を主として,津波の概要を述べる。
この津波は昭和35年5月23日4時11分(日本時間),南米チリ海岸コンセプション南西沖に起こつた大地震(地震規模8.75)19)によつて発生したもので,17,000〜18,000kmをへだてた日本列島太平洋岸の全城に来襲した。このような遠地地震のうち南米太平洋岸で起こつた地震による津波で,わが困に来襲した例は10回記録に残つている37)。しかし,これら10回のうち5回は津波階級0で,他の5回は1と記録されている。したがつて最大波高はたかだか1〜2mで被害はほとんどないかあるいはきわめて軽微であつた。今回のチリ地震は,近年わが国付近に起きた最大の地震である昭和8年3月3日の三陸沖地震(地震規模8.5)と同程度かあるいはそれ以上の地震であり,これが海底で起こつたのであれば当然津波が起こり,これは太平洋を横切つて約22〜23時間後,すなわち24日2時半〜3時に日本太平洋岸に到達するであろうことは容易に推定できたといわれるが,しかし前述のように南米地震による津波で大被害をうけた例が過去になかつたこと,ハワイ地磁気観測所からの情報もあつたが,やはり過去においてハワイに相当の津波があつても日本には大した影響がなかつたことから気象庁も津波警報発令に踏み切れず発令はかなり遅れたようである19)。当初気象庁では最大波高60cmくらいと推定していたともいわれる48)。また現地の地元民も従来ほとんど地震という予告のある津波の経験のみで,予告のない遠地地震による津波災害の経験がなかつたため,単なる「しけ」の高波程度に感じたものが多く,危険予測が十分にできなかつた。
わが国太平洋岸に到達した第1波は,地震発生後22時間27分たつて24日2時37分に宮城県女川町江の島で観測された(伊豆大島,北海道東岸もほぼ同時刻)。約17,000kmの海上を約22時間半で到達したから伝播速度は750km/h強(200m/s強)であつたことになる。その周期は昭和8年の三陸津波が10〜20分,昭和21年の南海地震津波が15〜30分であつたのに比べればかなり長く,40〜60分あるいはそれ以上で,波長は700km前後の長波であつた。そして少ない地方で20回くらい,北海道・三陸沿岸で多いところは26日18時ごろまでに40回以上大小の波が来襲し,各地とも大体はじめの3〜7回目くらいまでの波が高かつたようである。すなわち,これらの大波は24日4時半ごろから7時半ごろにかけてきた。継続時間がきわめて長かつたのも今回の特徴といわれる。
太平洋岸全域で重接外洋に面した岬や小湾入地点での最大波高(平常潮位上)は,大体において北海道から紀伊半島に至る沿岸で2〜3m,四国・九州沿岸で1〜2mといえるようで,その起時も南に至るほど多少おくれているようである。東日本よりも西日本の沿岸で波高が低かつたのは伊豆諸島とその周辺の浅海の影響であるという意見もある23)。結局,この津波の階級は2に相当するとされている。
次に調査地域における最大波高分布を見ると第1表のとおりである。
この種の資料は大部分侵入海水位の痕跡測量または目撃者からの聞き取りにより調査するから,調査ごとに各種の結果が出て多少の差異を生ずるが,本報告では被災後最も早い機会に調査され,信頼性の高い仙台管区気象台の資料37)によることとした。もちろん,われわれもできるかぎり調査したが,被災後かなり時日が経過しており実際に痕跡測量でぎたものは少なく,大部分は現地の人からの聞き取りとなつた。
それらの多くは仙台管区気象台のものとほとんど一致するものであつた。第1表の数値はクリノメーターおよび巻尺により痕跡測星されたかあるいは目撃者から聞き取られたもので,測定値は測定時における平常潮位からの高さを示す。ただし東京湾中等潮位(T.P.)のわかつている地点はこれからの高さを示す。
そしてこの測定値から津波波高が最大になつた時刻の平常潮位からの高さとT.P.からの高さが換算されている。換算には付近にある検潮記録や推算潮位(潮位表)が用いられており,厳密にいえぽ正確な補正を行なつたとはいえず,測定誤差を含めて平均10%くらいの誤差はまぬがれないという。なお,平常潮位からの高さであるならば波高という語が波動論の定義から適当であるが,T.P.のような固定点からの高さはむしろ浸水高とよぶ方が適当であろう。
以上の記載,第1表の値およびわれわれの調査結果から,最大波高分布について次のことがいえるようである。
湾外(外洋に面した海岸)の最大波高は北から南へ大体2〜3mどまりである。ただし岩手県種市町中野海岸以北では3〜4mのところがあるが,これはハワイ群島の存在による収束効果のためであろうといわれる37)。湾奥では一般に高くなつているが,野田湾・宮古湾・山田湾・大槌湾・綾里湾・大船渡湾・広田湾・志津川湾・雄勝湾・女川湾・荻の浜湾などでは4m以上となり,このうち野田湾・広田湾の湾頭では6mを越す。ただし,野田湾の玉川は8.1mとなつており、おそらくこの津波における最大値であろうが,1地点のみの値であり,この地域を代表しているかどうか疑問がある。
以上を昭和8年三陸津波(津波階級3)と比較すると,次のことが一般的にいえるようである(明治29年三陸津波は階級4でさらに大津波であつたが,波高分布などの詳細はわかつていない。しかし傾向は昭和8年のそれとよく似ていたようである)。すなわち,湾外における波高分布が全く異なつている。昭和8年の場合は岩手県沿岸および宮城県北部一帯は5〜10mであつたが,青森県・宮城県南部および福島県沿岸では約2mであつた。しかるに今回は太平洋岸め全地域でこれほどの大差はなかつた。これは津波発生源の遠近の極端な差のためであることは容易に理解できる。しかし,湾内のそれを含めて波高分布を見ると、やはり従来からいわれているように波高は湾形・海岸地形などによつて影響を受けている。従来V字形湾の湾奥ではU字形湾のそれより波高が高くなること、さらにこれらは湾口が狭く,湾内が拡大した湾の場合よりも高くなる。ことにV字形・U字形湾で急激に海深が浅くなる場合は波高の高まりが激しいことが知られている(綾里湾・吉浜湾・両石湾・越喜来湾・姉吉湾などはこの例)が,今回もこのことはいえるようである。しかし奥行の浅い湾の場合,このような湾形の影響は既往わが国で津波研究のほとんどの対象となつている近地地震津波の場合に比べれば小さかつたように見られる。しかし宮古湾・大船渡湾・気仙沼湾・志津川湾・広田湾などのように湾口幅の割に奥行の深い,概して大きい湾では明治29年・昭和8年ともに波高は湾口よりも湾奥の方がかなり低かつた。このような湾では湾口の海深が浅いとか,湾が屈曲しているとかあるいは多くの小内湾をもつているとかの条件が重なつている場合が多く、湾口・湾内での
津波勢力の消耗が激しいためとされている。ところが今回はこれらの大きい湾で全く逆な現象が見られた。
注)この報告では特に注意しないかぎり最大波高は平常潮位上のものを示す。
大きな湾ではその副振動の基本周期が津波の周期に近いか,あるいはそれより大きいときは外部からの努力はたちまち湾水に伝えられ、その固有振動が発達して優勢な副振動と外海から続いて侵入してくる波浪との合成波が卓越して現われることが多い。今回は周期が長かつたからこの面が強調されたものと考えられている。このことが今回の最も著しい特徴であろう。以上から三陸沿岸では、今後いかなる湾の奥も非常に高い波高の津波に襲われる可能性があるものと認めざるを得ないこととなつた。これは三陸海岸の津波対策を考える上に重要なことである。たとえば大船渡市は従来津波被害が少なかつたため比較的安全な土地と考えられ、これが1つの理由となつて岩手県では重要工業基地として開発が推進されてきている。
しかし,今回の津波によりやはり津波対策強化の必要を認めざるを得ないこととなつた。
津波は水の振動が海底にまで及ぶものであるから海底に凹凸の多いすなわち波の進行に対し障害物の多い場合はそうでない場合よりも湾奥の波高は低くなることが知られている。同様に湾の側岸の凹凸いかんの影響も推測できる。この遠地地震津波の場合もこれらのことはほぼいえるようである。また同一湾内でも海深分布の差異により波の進行状態に相違を生ずる。すなわち,波の主勢力は最小抵抗部である最深部をつたつて侵入してくるもののようである。伊勢湾台風による高潮被害の発生後、海上保安庁水路部で伊勢湾一帯の海底調査をした結果,千拓堤防の欠壊など被害の激しかつた海岸局部は「みお(澪)筋」に当たつているという事実が発見された。みおとは海底の他の部分より1〜5mくろい深くなつた水路で幅数百米に及ぶことがあり,海にそそぐ川の流れがその成因であるという。名古屋市外海岸の鍋田干拓地の東側堤防中央部は最大の欠壊簡所であつたが,ここは鍋田地区のみおの集まるところであり、また堤防の外側にはかなり深い部分がある。しかもこの深部は東方のみおと結合して沖に向かつている。他の欠壊箇所も堤防の外側に深部があるか、みお筋の延長にあたるかとにかく地形的に谷状または狭路をなしている。
この現象は伊勢湾台風による高潮披害のあつた全地域に共通して認められたという。伊勢湾の最深部を結ぶ線をひくと2回屈折しており、外洋から進入する最深線の延長に津市,屈折した次の最深線の延長に四日市や鍋田干拓地,さらに屈折した次の最深線の延長に名古屋港地区があり,いずれも激害地となつた。
水路部の結論は堤防欠壊の最大原因は海底地形とくに谷状地形の影響であるという。津波や潮流が狭路にはいると急に流速・水位を増すことは知られていたが,この現象は水面下の海底の狭路でも発揮されることがわかつたわけである。潮の集中現象がみお筋に起こつて,その部分の堤防を高潮が打ち,みお筋の地盤はとかく軟弱であることが多いのと合わせて,他より強い流勢が堤防を打ち,堤防欠壊が多く起こつたものと推定されている。以上のことは堤防その他防潮施設の危険地点を明確に指摘しうる方法として注目されている。今回も気仙沼湾の内湾にある屈曲部の沿岸がちようど海谷の延長にあたつて波高が高くなつているようだし,大船渡湾頭の赤峰地域なども湾の主谷に連続するみおの延長に当たつて,特に家屋の破壊が著しかつたようである。これらの流速を増したと考えられる湾内の狭隘部にあたる水深10醒内外の谷底は、水路部の水深調査によつて3〜5mいずれも深く掘り下げられたことが認められている。
また湾が直接外洋に閉口している場合は,そうでない場合よりも湾奥における波高が高くなること,湾の方向が津波源に向いている場合はそうでない場合よりも波高が高くなることなども,従来近地地震津波の場合は認められているが,今回は津波源が遠かつたためこのようなことはほとんど認められなかつた。
湾内で波高が高かつたのに比べ,単純な直線海岸では波高が低いことは近地地震津波の場合と同様で,調査地域でも岩手県北部・宮城県南部のこの種の海岸では,リアス式の岩手県南部・宮城県北部の海岸の湾内波高よりも一般に低かつた。前述のように著しい長波であつたから,従来日本列島外側地震帯に起こつた地震による津波の経験が比較的少ないところ,たとえば半島や島のかげにあたる地域で,津波対策も相対的に手簿なところにも高い波高で襲来した。たとえば牡鹿半島の東側と西側にある女川町の漁港と石巻市荻の浜宇小積で,それぞ荘4.3m,4.5mの最大波高が認められた。
近地地震津波で波高の高いときは海岸近くでは波の各部分の伝播速度が変わるから波形が変わり,しだいに波の前線は垂直となり崩れてくる。したがつて,水壁となつて海岸におしよせてくるはずである。しかし長波でかつ遠地地震津波のため,もともと波高も低かつたから,大部分の地域で波の前面傾斜がゆるやかで,近地地震津波に比べてはるかに徐々に海面が盛り上がつてくる形で海岸に到達しているようである。特に波高の高い数波では,ところによつて前面が崩れて低い水壁が押しよせたところもあるようである。もちろん,汀線近くかあるいは川をさかのほる際は先端が低い水壁となつて進んた。地理5巻11号巻頭に陸前高田市気仙用をさかのほる津波先端(水壁)の写真が載つている。この点も今隅の持徴で,要するに風浪をともなわない高潮に近い形のものであつたようである。
さて海岸に到達し,崩れた波の水分子は崩れる時の速度と同程度かあるいは幾分遅い速度をもつた水流となつて,陸上に侵入する。波が崩れてからは波の性質はほとんど失なわれてしまう。波高が低い時の水分子の水平速度は、長波の特徴として同一垂直線上では水面から水底で皆同じで√(gh)η/h波高が高い時は√(gh)η/h(1+η/(4h))となる。ここでgは重力の加速度,hは海の深さ,ηは波のある部分の平均海面からの高さである。今波高10mら海深10mのところで崩れたとすると海水流の最大流速は7〜8m/sとなり,このような水流に衝突されるのは約30mの高さの滝に打たれるのと同じで,その圧力は約5ton/m^2という値となる41)。しかし今回は,一般に海面がジワジワと盛り上がりこれが進行してきた形のものであつたから,明治29年や昭和8年のように海上から奔流となつて押し寄せてはいないようである。
川尻川(種市町),北上川その他の川をさかのぼつた津波の速さは,大体中学生が走つて逃げられる程度であつたという。前田21)によれば,気仙川(陸前高田市)をさかのぼつたものは200mを数秒問で流過したと述べており,この方が信頼性が高いようである。
津波が汀線に到達すると海水は陸上にあふれ込む。このときの流星したがつて流速と深さが,被害の多寡を決める有力因子となる。ことに流速が問題であるが,流速は陸上の地形・地表の障害物などによって支配され当然勾配の緩かなほど流速は大となり,背後に広大な平坦地があるところでは一般に侵水速度は大となる。今回どのくらいであたつか適確な実測値がないので,これを推定して見よう。静かに上げ潮のように海面が上昇してきたものとして,大船渡市の浸水の実偶からその津波の押し上がつてきた速さを計算すると,次のようになる。海岸から2.5km離れた陸地でその高度が平均潮位上3.7mのところまで浸水したが,この時の海面が最低から最高になるまでの時間は田老町や宮古市での検潮結果によれば約30〜60分であつた。潮のひいた最低の時は海底が現われたというから,仮りに平均潮位上からの上昇高と同じ3.7mだけ下がつたものとする。そうすると3.7m上昇するのに15〜30分を要したことになる。距離でいえば2.5kmを15分(速い場合)かかつたことになる。すなわち陸上での津波の侵入速度Vは平均2.8m/sとなる。志津川で被災者から,男子中学生は追いかけてくる海水から逃げられたが,子供を連れた婦入は逃げきれなかつたという話を聞いた。前述の川尻川の場合もきわめて小さな川であり,海水は川を中心として両側の陸地をある幅をもつて侵入したようであるから,単に川をさかのぼつた津波とはいえないようで,やはり志津川の例と同様の事例であろう。前田21)は陸上(主として農耕地)を侵入する海水流の速さは200mを1分程度かかつたと述べている。女川町の街路(汀線に直角方向)ではまず薄層流がはいつてきて,その後急激に水位をまして流入してきたようで,田辺44)は「速足」で逃げられる程度であつたと述べている。これらの例や伝播速度を考え合わせると,今回陸上に侵入した海水流の速さは一般に3m/s前後で,ごく局地的に7〜8m/sに達したものと想像できる。
なお,この津波でも押しより,引きの方が激しかつたことが一特長であるとする意見もあるが,明らかでない。前田は引き波は相当の速さで,多くの被害は押し寄せる波よりも引き波によるものだつたと述べている。
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B.一般被害の概要
日本は太平洋を挟んでチリと向かい合い,まともに津波を受ける関係位置にある。また津波源からの距離は北海道から九州まで大差はないから,津波は一様に日本に来襲したはずであるが,実漂には海岸線での波高分布したがつて被害の地域分布には明らかな差が認められる。このことは津波対策を考える際,わが国全体としてこの面での重要地域あるいは重要順位を判断する1つの参考資料となるので,まず全国的に被害の分布を見よう。
被害は北海道根室から鹿児島県奄美大島に至る太平洋岸の1都1道17府県に及んでいる。昭和35年6月6日17時までに警察庁がまとめた被害は第2表のとおりである。また5月25日10時までに災害救助法が適用された市町村は次のようである19)。北海道:浜中村,青森県:八戸市,岩手県:大船渡市・陸前高田市・釜石市・宮古市・大槌町・山田町,宮城県:気仙沼市・石巻市・塩釜市・志津川町・雄勝町・牡鹿町・女川町・唐桑町・七ケ浜町,三重県:尾鷲市・南島町・海山町・紀勢町・長島町・南勢町,和歌山県:田辺市・和歌山市・海南市・白浜町,徳島県:阿南市,高知県:須崎市,宮崎県:南郷町,鹿児島県:名瀬市・笠利市。
以上によつて日本全体としての激害地区分布が大体知られよう。宮城・岩手・青森3県のいわゆる三陸沿岸地方の被害がなかでも激しかつたことがうかがえる。ついでは北海道・三重・和歌山・高知の各県であり,徳島・宮崎・鹿児島の各県にも被害を生じている。これらの地域は太平洋岸近地地震による津波でも既往被害の多かつたところである。
なおここで,過去におけるわが国の大津波による被害の大要を表示して今回の被害のそれと対照し,被害から見た今次津波の規模を判断する資料とする。気象庁調べ19)によると第3表のようである。
(注 1.地震による被害をふくむ。ただし、○印の地震による被害は津波だけのものである。2.1872年(明治5年)以降。)
次に,調査した岩手・宮城両県下における激害地分布(市町村別)を被害種類別に見ると,次のようである。あわせて被害種類別の特徴を要約して述べる。
人的被害は大船渡市が死者・行方不明者53,負傷者302で,死者最も多く,ついで志津川町が死者38,負傷者318で,合計数は最も多い。なお青森県八戸市は被災世帯数・被害漁船数など多大であつたにもかかわらず,人的被害が非常に少なかつた。岩手県三陸村以北では家屋などの被害を出しているが人命はほとんど失なわれておらず,人命損失は大船渡市以南の地域に限られている。
被災世帯は石巻市の2,957,気仙沼市の2,096が最も多く,女川町・志津川町・山田町・大船渡市・釜石市・大槌町・塩釜市などがこれらに続いている。
住家の全壊流失数は志津川町の455が最多で,大船渡市の383がこれに次ぎ,女川町・陸前高田市・山田町がいずれも100を越してこれらに続いている。半壊の最多は女川町で542,大船渡市532,志津川町223がこれらにつぎ,大槌町・陸前高田市・石巻市がいずれも100を越している。床上浸水の最多は気仙沼市の1,459,ついで山田町の1,007で,女川町・石巻市・塩釜市・釜石市・雄勝町・大槌町がいずれも500以上であつた。床下浸水の最多は石巻市の1,739で,気仙沼市・釜石市がいずれも500以上,大槌町・宮古市がいずれも300以上であつた。住家被害を総合すれば,岩手県南部から宮城県北部沿岸にかけて被害数が非常に多かつた。なお,八戸市もきわめて多かつた。これら地区は住家の分布密度が高いのと,沿岸の屈曲多く湾として海岸線の出入のはげしい所である。
農地被害中,水田被害面積は志津川町の180haが最大で,陸前高田市・大船渡市・山田町・気仙沼市・鳴瀬町がいずれも100ha以上でこれに続いている。畑地被害面積は大船渡市の151haが最大で,陸前高田市・宮古市・女川町がいずれも50ha以上である。両県下の場合農地被害のほとんどは浸塩水によるもので流失・埋没はきわめて少なかつた。しかも本地方では稲作はもちろん多くの畑作でも農作開始時期であつたため,浸塩水農地は直後に除塩作業が行なわれ,水田ではほとんど田植のやり直しが行なわれてほぼ平年の農作にはいることができ,畑作でもなんらかの作付がでぎたようで,この点収穫期直前の災害に比べれば不幸中の幸であつた。しかし流失・埋没の害を受けた場合は復旧は容易でなく,高田松原・折立・洲崎浜などでは林帯切れ目背後でこのような被害をうけ,1年間農作を放棄した所がある。農地の場合は流失・埋没をなくするのみでもかなり経済的にたすかることを示す例といえよう。防潮林の立場を考えるとき必要な資料である。
以上についても顕著な地域差が認められるが,その理由は人的被害の場合と同様でこのような奥行の深い,比較的大きい湾の湾頭では波高が高かつたこと,しかもこのような湾頭の内陸には三陸沿岸としては広い平地が比較的大きな川を中心としてひらけ,三陸沿岸のおもな市街地・耕地はこの上にある。したがつて津波はこのような地域で広い面積にわたり侵入した。とくに川をさかのぼつた海水はかなり奥地(気仙川では約5km)まで侵入し,沿岸の低平地に浸水した。さらにこれら大湾の湾頭海岸では昭和8年・明治29年には被害は比較的少なかつたため津波対策も不十分であつた。これらの事情がかさなつて上述のような顕著な地域差を生じ,津波規模の割に大災害となつたといえよう。結局昭和8年・明治29年に波高が低く,したがつて被害の少なかつた地域で,今回は波高が高く被害大であつた。このことが被害から見て今次津波の大ぎな特徴であろう。この特徴はさらに詳細に部落別に被害を見れば一層はつきり認められる。
福井4)が各部落ごとに今回の最大波高を縦軸に,昭和8年の最大波高(部落に近い地点のもので代用)を横軸にとつてプロットし,しかも各集落の被害程度を大(家屋の流失・全壊を出したもの),中(半壊・床上浸水程度),小(床下浸水以下)に区別してプロットしたが,この図によると明らかに被害の大きかつたのは昭和8年の波商が低く,今回の波高が高かつた地域に集中していることが認められる。昭和8年災の被害は湾口や奥行の浅い湾の湾頭に位置する小集落に大きかつた。これらの地域では災害後田老や吉浜のように木格的な防潮堤が造成されたり,多数地点で防潮林が仕立てられた。また集落の高地移転が進められ、平素避難訓練や知識の普及が行なわれてきた。その上に今回は波高も低かつたため被害は僅少にとどまつた。ただ両石・白浜・鮫浦などのように,昭和8年に波高が高くて今回の波高はそれほどでもなかつたのに,大きな被害を受けた例外地域がある。これは昭和8年災後一度高地に集落を移したが,その後ふたたびなんらの対策もせずに海岸に一部住家がもどつたものや,昭和8年災を経験しなかつた新開集落であるという。
なお,家屋・土木工作物・農地被害で気づいた細部事項を次に述べる。
既往の近地地震津波に比べて勢力が弱く,かつ地震による予備的破壊もなかつたから,この津波では家屋流失は土台と基礎との結合が十分であつたかどうかで,きわめて明りような差が現われたようである。
すなわち古い家屋で玉石に載せただけのもの,すぢかいもないものなどは破壊流失被害がきわめて多かつた。山田町・大船渡市・志津川町・女川町などの家屋密集被災地域においてしばしば間引かれたように破壊流失家屋が見られたが,これらが上記の典型的な例であつたようである。このことは従来からもよくいわれている18)41)ことであるが,今後ますます津波対策の1つとして考慮すぺきことであろう。そうすれば防潮林の規模についても考え方が楽になると思われる。
また漂流物の流入激突により家屋の破壊流失が倍加されたと見られる例が多い。また漂流物が市街地道路に充満し,復旧の労費を増大した例も多く見られた。海上からの漂流物は船・流材であるが,当地方はわが国有数の漁業中心地で常時多数の漁船が海岸線に置かれており,また岩手県南部・宮城県北部はカキ・ノリ養殖が盛んで大量のカキいかだ・浮きだるあるいはノリひび資材が湾内ことに汀線近くに置かれており,漂流物源の主要部分をなしている。このように将来とも漂流物源が大量にあるのがこの地方の特徴で,今後ともこれに対する対策は重要である。その他家屋の破壊あるいは各地の港地区にある貯材などによる流材に関しても,他の地方と同様に考えられる。
防潮堤・護岸など海岸工作物の被害は各地で見られた。石積工ことに低い空積堤防あるいは護岸はほとんどの海岸でなんらかの被害を受けている。被害形態で最も多かつたのは越水によつて背面をえぐられ危険状態に追い込まれたもので,大槌・越喜来浦浜・岩井崎などに見られた。また背面がえぐられ,結局全断面が欠壊流失したと見られる例も多かつた。引き波によつて海側に倒されたと見られるものも多かつたが,これも多くは押し波による越水で背面をとられた後に被災したもののようである。伊勢湾台風の高潮被害の場合13)27)35)も背面の洗掘から欠壊に至つた例が最も多かつたようである。
今回のように勢力の比較的弱い津波では,コンクリート護岸は概して倒壌していない。ことに大谷・中島の林帯護岸のように階段状で鉄筋入りのものでは全く被害を受けなかつた。しかし,やはり背面の土壌が洗掘された例は多い。田老・吉浜の大防潮堤は今回津波が到達しなかつたかあるいは越水しなかつたため被害もなかつたが,背面の構造は弱く,従来越水による背面の破壊があまり考えられていなかつたことを示している。これら大堤防の高さといえども将来おこるすべての津波を完全に阻止できるとは限らないから,必ず越水による被害も考えて施工すべきであろう。
海岸線の工作物は基盤が軟弱な場合が多い。その上通常の波浪と異なり津波は引き波の際海底を露出してしまい,そこへ侵入海水が流れもどるため護岸では根入れ・根固めが十分でないと基部を洗掘され破壊に至ることがあるようである。女川などでこの例が見られた。また山田町飯岡の防潮堤は道路で切られており,門扉などはないからここから津波は自由に通過できる。これでもかなりの締切効果を示したようであるが、しかしこの切れ目から奔流のように出入する流水によつて,道路面・防潮堤端はもちろん内側市街地にも局部的に被害を生ずる。前須賀でも堤端の破壊が見られた。
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II 主要地域の調査結果概要と対策
調査の主目標は防潮林の効果と防潮林自体の被害(防潮林の抵抗力)とを林況・津波来襲状況・地況などとの関連において検討し,その結果からこんごの防潮林の在り方を考える基礎資料をうることである。
防潮施設の効果を調査するには,できれば,他の条件が類似する2箇所以上の海岸で,海岸全体として施設をもつ場合ともたない場合とを比較することが望ましい方法であろう。しかし,三陸沿岸地方では津波来襲の危険性の高い海岸のほとんどは過去の災害後,とくに昭和8年以降に,なんらかの防潮施設が施され,上述のごとき比較調査はほとんど不可能である。よつて,本調査では施設があり,しかも津波の侵入を受けた海岸で,局部的に施設のある部分とない部分との比較,あるいは施設前(たとえば,昭和8年津波)の被害状況と施設後(今回)の被害状況の比較により行なうこととした。もちろん,ある種の効果については比較なしでも,効果の有無は認められる。この方法には欠陥もあるが,一応,効果の領向は推定できよう。
今回は大した被害を受けなかつた地域もできるだけ多く防潮林の実態を調査し,前記結果と考えあわせて今後の防潮林のあり方を考える資料としたが,本項では紙面の制約上すべて省略し,被害地でも特に必要な箇所のみを記することとした。
以下,箇所ごとに地況・保護対象・津波来襲状況・被害状況・防潮林その他工作物の実態と効果,およびそれらの被害・各担当当局における復旧対策・以上から考えられる対策・考え方などを述ぺる。
A.岩手県関係
下閉伊郡田老町田老
調査地は第1図のごとくゆるやかな弧状の砂浜海岸(延長約2km)で,U字型の田老湾奥に位置する。
田老川と汀線との間の砂地は幅100〜130mの低い砂丘地で,その一部は田老川の洪水時に消長し,不安定である。田老川左岸はコンクリート張護岸工(高さ1.5〜3.0m)で固められている。防潮堤は防潮林の後方約100mのところにあり,堤敷幅25m,堤冠幅3m,地上高7.7m,平均海水面上の高さ10m,延長1.35kmで,L字形に市街地(600戸,3,500人)を囲み,保護している。防潮林の背後は10haの耕地である。
防潮林は昭和8年災後,宅地や畑の被災跡地を県が買収して,昭和11〜15年の間に造成したクロマツ林で、その後も昭和18〜24年の問に一部補強され,結局,当初計画の約1/3が造成されたようである。図の×地域も造成予定地であつたといわれるが実現していない。植栽年度で多少の差はあるが,大体樹高6〜10m,胸高直径約10cm,立木密度約6,000本/haである*。田老川右岸の一部林分は台風時など田老川出水ごとに一部が流失するなどの被害を受ける。平常は枯損木の除去程度の手入れが行なわれている。田老川左岸の主林分の幅は8)〜150mで,道路・河川などによる切れ目はない。林内低木層の被度は約10%,*樹高・胸高直径・枝下高・立木密度および林内各階層の植物被度は現存林分内において標準地(100m^2あるいは25mの方形区)を数個とり,その平均値あるいは範囲で示す。
草木層は被度約80%である。
川岸のコンクリート護岸は写真5のように根が洗掘され補修を要する状態にある。
田老漁港岸壁における目測により,今次津波の波高を示すと第2図のようである。前述の小砂丘状の砂浜をわずかに越したが,主勢力は海深の深い漁港側に押し寄せ,しゆんせつ中の港内で調節され,調節された波が田老川と長内川を約600mさかのほつたが,その水位は田老川護岸を越えていない。最高水位は林帯前護岸で天端より30m低かつたという。津波の押し寄せ方は河川洪水のようであつたといわれ,当地方ではこのような海面がふくれ上がつてくる形のものをユダと称し,大規模の近地地震津波のそれとは区別してよんでいた。
津波が以上のようであつたから,被害は作業小屋1棟を流失したのみである。ここは明治29年・昭和8年とも大被害を受けている。明治29年には6月15日午後7時33分に北海道・東北・関東地方に激震があり8時19分には津波がきた。町役場の調べによると,当時の最大波高は平水面より48尺も高く,田老町田老乙部両部落335戸が5分間を要せずして流失し,死者1,859名を出したといわれる。また昭和8年3月3日未明の津波は地震後30分で急激な引潮が始まり、高音をたてて海底砂礫が流去し、その直後第1波が押し寄せ,後は約10分間隔で第2、第3波があり、夜明けまでに大小6〜7回の襲来があり、第2・第3波が大きかつた。津波と同時に猛烈なあおり風があつて家屋を倒壊し,屋根を飛散させた。最大の波高は平水面上20尺におよんだという。この惨状は写真6,7の被災前後の状態を対比すればわかる。このため町当局は昭和9〜15年,昭和29〜33年の2期に分け,国費・県費・村費により防潮堤を作り,瑳在その内側に800戸の住家を収容している。また市街に続く高台に避難施設となる役場や学校をおぎ,これに向かって碁盤目状の避難路を多く作つた。堤外の水田の前面には護岸をもつ防潮林が造られ,砂州は緩衝地帯とされている。以上は現今考えられる対策としては万全のものであろう(写真8)。
今回は防潮林が効果を発揮する機会がなかつたが,林帯が防潮堤の前面にある場合の効果を概念的に考えて見よう。防潮林の効果が水勢を減殺し,その破壊力を軽減すること,侵入水位を低下することおよび2次的に生ずる舟,流木などを阻止してその激突による破壊力を減殺することにあるとすれば,これらの効果によつて防潮堤を保護し,その機能をより高くするといえよう。すなわち立派な防潮堤の前面にも防潮林存在の意義は大きい。田老町の津波対策は現時点における埋想にかなり近いが,なお第1図(A)の地点に耕地関係当局により防潮堤築設が計画されている。前述の意味からもこれら堤の前面に防潮林を整備しておく必要があり、図の×地域(町有地・県有地)は整地して林帯造成を要しよう。また田老町は長内川北部の乙部・青砂里地区に発展の余地が残され,町当局では図(B)の位置に防潮堤築設の考えがあるようである。この場合も前面の砂丘に林帯を作るべきである。現防潮林前縁護岸は洗掘された根を補強し,1mくらいかさ上げする計画があるようだが実現が望ましい。田老川右岸の林地は洪水ごとに一部が流失するから,強固な護岸を作り保護することも考えられるが,むしろその経費を左岸林帯の補強に振り向ける方が得策であろう。なお専門外のことではあるが,防潮堤の水裏面が空積となつており,将来いかなる大津波がくるか予想できないとき,この堤を越水する場合を考えると背面の保護がぜひ必要となる。伊勢湾台風時における防潮堤の破壊は背面の浸食破壊にもとづくものが多かつた例がある。また,素朴な考えだが防潮堤の門扉(海岸への出口)の前に小堤を設けると,とぴらの安全性が高まるのではなかろうか。
しかしとびらにはやはり危険性があり,急激な来襲に閉扉が間に合うかどうか,間に合つても強大な波力に耐えるかどうか,そこで海岸への通路は堤をまたがせ,門扉を廃止してはどうであろう。
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宮古市津軽石字赤前
V字型宮古湾の湾頭部にあたる遠浅砂浜海岸で,海水浴場として利用され,湾内はカキ・ノリの養殖場となつている。防潮林前面の砂浜の大部分と林地は同高で,平均海水面上約1mである。林帯後方(南方)は約120haの耕地となり,林帯西方は津軽石川の川口で,国道および国鉄山田線まで約300mの間はなんらの防潮施設もない。林帯東方は農地で,約150mにして高度1mを増し赤前部落となる。部落前面には高さ5mのコンクリート防潮堤が150mだけ竣工していた。国有防潮林前面の砂浜は以前は50〜70mの幅をもっていたが,近時年々減少し,ことに昭和35年台風15号により幅がかなり減少したようで調査時は3〜20mを示していた。しかし漁業組合有林の前方はむしろ前進しているといわれ,作業場,水産用資材置場として利用され,調査時は幅約30mを示していた。防潮林は宮古営林署管轄の下谷地国有林(約3.4ha)と津軽石漁業組合有林(約0.21ha)とから成る。本多5)によれば,明治29年災当時,国有林は面積4.3ha幅約100m,長さ約430mで,北は海た,東は砂原と耕地に,南は水田,西は幅約60mの赤前川と接していたようで,林木はアカマツ・ナラ類・ケヤキ・その他広葉樹で,アカマツは40年生,樹高約15mであつたという。明治29年災では侵入海水水位は約1mで,林帯背後の水田はよく保護されたがアカマツは約90%枯死し,広葉樹はその葉の大部分が2日後黒変し漸次落葉したが,1箇月後その多くは新芽を出したと述ぺている。また,安政3年(1856年)にも大津波があり,このときも老齢アカマツ林で,やはり枯死したが,再興されて明治29年災に遇つたわけである。今次災害時にあつた森林は明治29年災の残存木とそれ以後補植あるいは天然更新したものが主体であつたようである。漁業組合有林は元国有地の払下げをうけ,水産作業に使用していた地域の一部に,昭和10年に造林したものである。
国有林は樹齢70〜80年のアカマツを主とし,一部に昭和10年ごろ植栽のクロマツが混生する。アカマツは樹高20〜25m,胸高直径40〜50cm,枝下高約13m,立木密度600本/ha,クロマツは樹高10〜13m,枝下高5〜7m,胸高直径5〜7cm,立木密度1,500本/haと推定された。林内の低木層はよく発達し,落葉落枝の堆積も多い。林地は旧河川敷と思われ,地盤は背後耕地と同高で肥土をかなり含む砂地で,生育よく,蓄積はアカマツ970m^3,クロマツ70m^3,広葉樹35m^3である。林帯幅は前方林帯(約1.8ha)で30〜70m,後方林帯(約1.6ha)で50〜90m,延長はおのおの270,180mくらいである。前後2林帯の間は幅約40mの水田となつている。津軽石川畔には延長約350mのコンクリート護岸(昭和10年竣工)がある。
国有林の前方林帯と5mの間隔をおいて(農道を中心として)漁業組合有林が並ぷ。この林は約25年生のクロマツ林で,樹高10〜15m,枝下高約7m,胸高直径10〜15cm,立木密度5,500本/haである。延長は約250mで,平均幅は25mで一部に15m以下の所がある。広葉樹下木はほとんど見られない。
以上いずれの林帯内にもごく狭い歩道以外には道路はなかつた。なお,国有林帯前方の林縁にクロマツの根倒木があり,その根の深さは40〜70cmで,一般に浅く,細恨は最下部で層をなしていた。林帯の維持管理は国有林でツルぎりをときどき行なう程度のようで,組合有林は全く放置されている。
宮古港における津波の来襲状況は第1波が25日2時47分の押し波で,最大波は3時44分,全振幅は176cmである。赤前海岸における最大波高は4.5〜5.0mで,林木の痕跡による最大浸水高は地上4.5mであつた。このように湾奥で波高が高くなつたのは,津波の周期が長く,奥行の深い,大ぎな湾では副振動が励起されたためである。林帯後方約120haの耕地に浸入した海水を津軽石川をさかのぼり氾濫したもの,林帯東側の無防備海岸から侵入したもの,林帯を通過したものに分けて考えると,前2者が優勢であつたようである。林帯東側海岸に勢力が強かつたのは海深分布とも関係があるかもしれない。林帯を通過した海水流も林帯の切れ目や幅狭く疎開した部分に水勢が激しかつたことが察せられる。すなわち,国有林後方林帯を中心として侵入海水が大きく円を描き,廻わつていたというから,林帯をぬける水勢が川を逆流したものよりかなり弱かつたと推定できる。また漂流物がこのような部分に集中していることからもうかがわれる。津軽石・赤前地区の被害は罹災農家250戸,耕地は流失2ha,埋没40ha,浸水78haであり,耕地の被害はおもに津軽石川沿い,林帯東端,林帯切れ目後方にあらわれている。
国有林帯ではほとんど倒木なく,7月初旬の調査まではクロマツ・アカマツともに高さ2〜3mまでの下枝葉のみ赤変した、のみで全体が枯死するようには見られなかつた。広葉樹下木では大半の葉が赤変し,全体も枯死したものがかなりあるように見られた。ただヤマウルシ・ツタウルシは7月にすでに新芽を出していた。漁業組合有林では林帯内にカキ養殖いかだの杭多数と,漁船6隻が侵入衝突したため多数の倒折木を出した。またクロマツは高さ2〜3mまでの下枝葉が赤変したが,樹体全体が枯死するようには見られなかつた。しかし9月初旬の調査時にはアカマツ全体数の60〜70%が全樹体の葉を赤変し,枯死したように見られ,大木よりも小木に,また林内木より林縁木に被害が著しかつた。クロマツは枯れていないが,林帯前の砂浜に植えてあつた5〜6年生(樹高1〜2m)の木は枯死した。林内にわずか見られたスギは枯死していた。広葉樹ではケヤキ・クヌギ・ナラ類・ササなどが新葉を出していた。護岸工には被害はなかつた。国有林と組合有林の境は約5m幅疎開していたため,津波の勢力が強くなつた(と考えられる)ため,境を中心として幅約30mの林地が深くえぐりとられ,倒木を生じた(写真18)。主として第5〜6波目の引き波でえぐられたという。しかし木の倒れ方,倒木の移動位置,土砂の流入から考えて押し波でやられたと見るのが妥当のようである。漁業組合有林では幅の狭い部分が破壊され,林地は深さ約1m洗掘された(写真19)。国有林帯にはこのような被害は全く見られない。
以上から察せられるように,防潮林の効果はまず漂流物の阻止があげられる。写真16・17で見られるようにカキ・ノリ養殖資材が大量に林で阻止された(カキいかだは長さ10m,末口直径10cmのスギ丸太で組み,これを浮ぎだるで海面に浮かせる。ノリ杭は元口直径5cm,長さ約4mの材である)。三陸地方ではこれら養殖が盛んで,津波時は大きな漂流物源となる。前述のごとく,組合有林の前面に多量の材が阻止された。津波主勢力の押した方向が明りようでないから一概にいえないが,林帯幅のうすい,したがつて水勢の強くなりがちなこの方面に,湾内に散在していたいかだが集中してきたものと思われる。7月初旬調査当時,後方農地の跡片付けはすんでいたからよくわからないが,流材は耕地にも多数はいつたと思
われる。しかし全流材のかなりの部分は林帯で阻止されたといわれている。同様の理由からと思われるが10ton前後の漁船6隻がこの林帯に喰い込んで阻止された(写真13・16)。漂船は林帯幅の8分どおりまで倒折木を出して侵入し,後方数列の樹帯で止められている。国有林帯後方にも写真15のごとく漂船があつたが,これらは川をさかのぼつてきたものであることが目撃されている。また宮古湾口館ケ崎に水面貯木されていたラワン材1万石が湾内各地に運ばれ,この付近でもその一部が川をさかのぼつて,かなりの奥地に侵入したという。林帯によつて侵入海水の水勢がそがれることは上記の漂流物の集中状態からも多少察せられるが,幅のある国有林帯後方で第3図A付近での耕地の荒らされ方はその周囲と比較して格段に少ない。写真13で色の濃いところが見られ,この部分は川をまわつてきた海水あるいは林帯を通過した海水によつて浸水されているが,水勢によつて耕地表面や畦畔が削られ,あるいは流入土砂で埋没されることはなかつた。これに反し第3図B・C・Dの地区は写真13のごとく林帯の切れ目や狭幅部で,かつ疎開した部分の後方にあたり激しい波によつて洗掘埋没をうけている。当然川沿耕地も畦畔の消えた部分が多い。いずれにしてもこのような被害の差は復旧に格段の差を生ずる。流失埋没しなければ水田なども淡水の掛け流しや石灰散布などをし割合少経費で田植を行ない,ほぼ平年作に近い作柄になつたようである。
林帯切れ目では土砂の洗掘流送がおこるほどの水勢であるのに,林内ことに国有林内では衰土の動いた形跡はなく,後方では腐植層の移動さえ見られない。林内で水勢が低下する一証左であろう。
今次災害から林帯前面の汀線には建設省関係当局により赤前部落前面海岸に既設の防潮堤を1mかさ上げし,延長築設する計画があり,国有林当局でも林帯保護のため前面に延長350m,高さ3mのコンクリート護岸築設の計画があり,いずれかが実現されよう。建設省当局ではさらに河口付近の流路整理と,上記防潮堤を延長し,津軽石部落付近まで河川堤防を建設する計画(総延長3km)のようで,これらの実現が望まれている。
このような防潮堤の計画があるとしても,その高さには限度がある。その強度もかならずしも万全を期しがたいであろう。ここでの計画も平均干潮面上6mのようである。したがつて,前述のような顕著な効果を示す林帯を同時に整備する必要がある。すなわち,現林帯の東端,現在の切れ目および川の右岸にかなり上流まで林帯を造成することが望ましい。市当局にも上述防潮堤完成後に堤内地に民地を買い上げても林帯を造成したい意向があるようで実現が望まれる。組合有林はこの程度の津波で林帯が小漁船を阻止するには限度の幅であることが推定できるから,その幅は本多5)の述ぺているように最少限40mくらいまで広げる必要がある。この林帯で幅15mの部分で立木密度の小さいところは破られていることから見ても10〜15mの幅で,少し疎開した林分ではこの程度の津波に対しても不十分なことが推察される。いずれにしても林帯は第3図の海岸線の全線にわたつて広げ,両翼を高台に接着させ,全帯の立木密度・幅を一様にすることが必要である。そうでないと林帯の弱体部分や切れ目に海水流が集中して,林帯の効果を全体として非常に低下せしめるおそれがある。国有林帯と組合有林帯との境をなす道路はつけかえて斜めかS字形にする必要がある。
なお,枯死したアカマツは早急に伐採し,クロマツを補植すべきであり,また下木の効果は水勢減殺や漂流物阻止にも大きいと認められるので,ともに補植することが必要である。
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下閉伊郡山田町船越字浦ノ浜
山田湾と船越湾の湾頭が接近した幅1.2kmの低地の山田湾岸である。林帯前面には幅約25mの砂浜があり,その東端は沼から出る川をへだてて陸繋島の高地につづく(写真21)。林帯後方に道路兼用の石積防潮堤があり,その後方は船越湾岸まで約20haの水田である。昭和8年まであつた人家は高台に移転している。防潮林は昭和12年に民地を買い上げ造成した県有クロマツ林である。樹高8〜9m,胸高直径10cm,枝下高約5mで,県北部海岸の防潮林中では成長のよくない方に属する。原因はやや低湿地であるためと考えられる。林内にヨシの生ずる所があるが,そこでは特に成長が劣る。立木密度は6000本/haと推定された。林帯幅は中央部で70〜80m,両翼で20〜40mで,一部に約10mの所もある。延長は約400m,面積3.36haである。クロマツ上層木の被度80%の所では低木層を欠ぎ,草木層は被度20〜90%で一様でない。
林帯は沼からの排水路できられ(写真21),この水路から東側,道路との間の狭い地域には,ほとんどクロマツが消えている。西側で延長100mくらいの林帯は成長悪く,幅も約4mにすぎない。林帯の東半分の海側林縁には高さ0.5m,天端幅0.5mの土塁があるがその他工作物はなく,幅約25mの砂浜で,そのうち林に近い15mほどは海浜植物の草生地となつている。なお,砂浜は年々幅を減少するといわれる。平均海面から林床までの高さは約1mと推定された。
ここでは大波は約4回きたようで,第3回目が最大で,波高約4m強と推定された。聞きとりによれば林帯東翼に高かつたといわれ,西翼より土地低く,主勢力は林帯のない東翼低地と排水路に押しよせて,内陸に侵入し,約20haに浸水害を与えた。林帯全面にわたり海水が通りぬけたが,前記主勢力に比しおだやかであつたという。写真21の中央に防潮堤が約15m欠壊しているが,このため後方で約1haの水田が流失や埋没をうけた。浸水田はただちに除塩策が行なわれ,平年作を保持できたようである。林帯の被害は少なく,主勢力の侵入した疎開林分で林床洗掘による約10本の倒木と,ごく少数の天然下種によるクロマツ幼木の枯死が見られたのみである。前面林縁に近い部分を除き,林内では表層土の移動もなく,所により古い落葉・毬果が新しい落葉の下に残つているところさえあつた。これにより林内の海水流がおだやかであつたことがわかる。これはこの地域が東半分よりわずかながら地盤が高いこと,正面の海が東半分の正面海深より浅いらしいこと,林帯背後の高さ約1m(林床上)の防潮堤の効果があつたことなどが考えられるが、本海岸の侵入海水位が4m以上もの高さと推定されるとき、やはり林帯の効果もあつたと考えてよかろう。東半分は地盤低く、林帯がないかあるいは幅が狭く、疎開していたため、侵入海水の主勢力を生じ被害を惹起した。しかし,この部分でも写真21のごとく舟などの漂流物を阻止した。
防潮堤切れ目前方の1haの土地は古く林帯造成予定地であつたが、成林していない。このため県林務当局では造林計画をたてている。またその端に高さ1,6mの護岸工を行なう計画もあるようである。しかし護岸工で区切る前に排水路の切れ目も整理し,周囲の土地を公共有とし,林帯を造成する必要がある。これらは低湿地であるから埋立を要し,経費も要するが,前述のごとく,一部分の弱点により林帯全体の効果が不当に低減されていることを考えれば一考を要する。一応このように考えられるが,次のことは今後検討する必要がある。前記赤前の場合のように優良林帯でさえぎられた海水の勢力が,林帯を欠くかあるいは弱体で抵抗の少ない部分での勢力の強まりに転換したかもしれないということである。それゆえ、もし全面的に海岸を林帯でふさいだ時には林帯を通過する海水流の勢力は,今回優良林帯で推定したような弱いものでないかもしれない。そうであれば防潮林のあり方に多少の違いが生じょう。よつて今後実験的研究などにより確かめる必要がある。
前面砂地にハマニンニクなどの草を増殖し,また現在一部にある土塁を全面的に施工し,できればコンクリート護岸にすることが望ましい。一方現防潮堤は耕地関係当局により2mのかさ上げと強化が計画されており,林帯整備とともにいちだんと津波対策は向上する方向にある。ここでも防潮林は防潮堤の前面にあるが,こうすれば林帯はどのような高さの津波に対しても防潮堤の保護に当たりうるし,堤高を越す津波の場合も樹高が堤より高いことから被害の軽減に役立つであろう。防潮策は堤と林の二者択一でなくロ両者の合理的共存にある。なお,できれば局地的な湿地性の疎開林分を客土と補植で除き,また全体として低湿気味であるための成長不良を改善するため排水工を十分に施工する必要がある。
上閉伊郡大槌町
第4図のごとく林帯は大槌川河口の砂州の上にある。背後の防潮堤は高さ満潮面上2.5m、天端幅3mで、岩石屑を積み上げ、天端と前面にコンクリートを張ったものである(昭和8年災後施行)。防潮堤と小鎚川左岸堤防に囲まれて大槌町中心街と一部農地がある。湾内は遠浅で,300mの沖合で水深約5mであり,カキ・ノリ養殖が盛んである。
防潮林には蟇川原国有林(大槌営林署)と元国有林の払い下げによる町有林とがある。国有林は昭和9年から3箇年にわたり,一部湿地を含む砂浜に造成されたクロマツ林で,面積6.34ha,延長約460m,幅平均120mである。林帯前面に少数のニセアカシヤが植えられている。クロマツは樹高約9m,胸高直径約15cm,枝下高約5mで,立木密度は植栽当時6,000本/haのものが現在5,000本/haと推定された。なおニセアカシヤは樹高約10m,胸高直径約20cmであつた。林地は地下水面高く,深さ30cmで湧水する。
砂地のクロマツやニセアカシヤの根は浅く30〜40mであつた。しかし砂地上での生育は普通で,とくにヨシを混生する低湿地では生育不良で樹高5〜7mを示し,一部にほ枯死木を生じた所もある。砂地(表層5cmは砂壌土,その下層は砂土)では天然下種による樹高2〜3mのニセアカシヤ低木層をもつ所(クロマツ上層被度70%)が一部にあるが,大部分は低木層を欠く。草本層は被度100%を示す。林帯には護岸などの付属工作物はなく,前面の砂浜は約40mの幅をもち,ワカメ干場となつている。林帯維持のための作業は行なわれていないようで,マツカレハ駆除のため薬剤散布をしたζとがある程度である。町有林も実態は同様であるが,やや成長が劣つている。
最大波高は第4図のごとくで,前述の防潮堤を約1m越している。林帯前縁木の波高痕跡(傷)によれば約4mであつた。浸水域を明治29年,昭和8年両災のそれらと比較すると,小鎚川地域では明治29年,昭和8年,今回の順に多少浸水域が狭くなつているが大差はない。しかるに大槌川地域では,前2回のそれは大差ないのに今回のものははるかに狭い。明治29年災の最大波高は大槌4.2m,昭和8年のそれは大槌3.9m,安渡4.2mで今回とよく似ている。
市街地では住家の倒壊流失30戸,半壊33戸,浸水586戸,非住家の被害50棟,浸水耕地30ha,安渡地区ではそれぞれ49戸,145戸,348戸,75棟,2haであつた。ちなみに曜和8年災の木槌における主要被害は流失197戸,倒壊121戸,安渡ではそれぞれ95戸,81戸であつた。耕地の除塩は20日間くらいかかり,3回ほど田植をやり直した所もあるが,結局平年作近くまでこぎつけたようである。昭和8年災で柏木町付近が被害激甚であつたが,今回は安渡方面の被害が激しく,市街地はおだやかな深さ30〜60cmの浸水で被害は安渡よりも少ない。
防潮堤は越水のため背面が洗掘された。林帯の被害は偶然混植されていた数本のアカマツどニセアカシヤの一部が枯死し,林縁で直接水面に接する部分で土壌洗掘により倒木したものがわずかに見られたにすぎない。また,林内に多数の舟・流材が流れ込み,それによる折損木,倒木もわずかに見られた。
林帯の効果はやはり漂流物の阻止で,動力船6隻,小漁舟多数が林内に流れこみ,引き波の際もそのまま林内にとどまり流失や■覆などの被害が少なかつた。これとともに多量のカキ・ノリ資材が林帯で阻上され,その激突を避けえたことが,林帯後方家屋の破壊程度が,安渡地区など林帯の線より前方の湾岸のそれより軽度であつた一原因と認められている。もちろん,背後の防潮堤の効果も大ぎかつた。鉄道線路の被害が敷砂利の一部流失にとどまり,盛土した路体の欠壊を防ぎえたのも防潮堤と相まつて林帯の効果が働いたためと見られる(ここでも林床土壌の移動は大部分の所で見られず,一部林縁で見られたのみである)。いずれにしても,前2回の大津波とほぼ同規模の津波であつたにもかかわらず,被害の少なかつたのは,防潮対策の効果であるといつてよかろう。もちろん波高が同じでも,細かく見れば来襲の仕方が達うであろうから効果のみによる被害差とはいえまいが。一方林帯不良で,かつ十分のひろがりをもたない安渡地区では安渡橋奥の水田まで流材がはいり,家屋,水田被害は甚大であつた。過去2回の浸水域に比し今回は狭くなつているのは昭和8年災後にできた防潮林・防潮堤・家屋などの障害物の出現と関係があるものと一応考えられる(福井4)も同意見を述べている)が,津波による海水侵入状況の違いがわからないので断定はできない。
大槌町の都市計画によると図のごとく埋め立てを行ない,約20万m^2漁港施設をつくるという。この結果林帯は伐採され,大槌川と小鎚川は河口で合流することになる。大局的には町発展のため望ましい計画であろうが、現防潮林後で安渡橋付近の川沿いには住宅地があり、しかもそれが拡大されようから、これら保護のため防潮対策をたてる要がある。このため埋め立て地にできる漁港施設を個々に堅固なものとし,有事の時に防潮堤に準ずる働きを期待できるよう全施設に連けいを保たせると同晦にそれら施設からの二次的漂流物を阻止するため林帯を維持・造成すべきであろう。市街地の保護は現防潮堤をかさ上げし,かつ各河川のかなり上流まで延長することにより達せられるとする考えもあろうが,港に経済活動の中心をおこそうとする町として交通の利便の点で,防潮堤の高さにはおのずから限度があり,延長の長さから
経費の点でも限度があろう。よつて1種の施設で万全を期そうとするよりも,数種の施設の組み合わせで対策をたてるのが得策であろう。以上の都市計画は将来のことてあるが,さしあたり,土木関係当局により安渡部落前面に防潮堤の築設,安渡橋から小鎚橋を経て古潮橋に至る現防潮堤や堤防の強化など延長4kmの土木工事が計画されているようである。上記長期計画との間にむじゆんのない実現が望まれる。
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釜石市鵜住居字箱崎
第5図のごとき海岸で,林帯前は幅約60mの広場で,漁業用の作業場・資材および舟置場であり,十数棟の作業小屋がある(写真25)。海岸線の中央の大部分はコンクリート岸壁となつて砂浜はない。防潮林は昭和11年に元宅地・畑地に造成された県有クロマツ林で,延長約340m,幅約10〜15mである。クロマツは樹高約9m,胸高直径12〜14cm,枝下高2.5m,'立木密度約5,000本/haと推定され,生育はあまり良好ではない。しかも低木・草本層はなく,林内は至るところ,わら・木材・竹材の置場,堆肥積場となり,あるいはカキがら捨て場となつて管理状態はきわめて悪い。また小川と道路により3箇所で切れ目ができている。林帯背後には約31haの農地と箱崎部落(約120戸)がある。津波の主勢力(最大波高3.2m)は海岸中央の小川をさかのぼつたが,全体に2.5mほどの浸水位で林帯も通過しており,約5haに浸水した。しかしカキいかだ,舟は林帯で阻止されたため,林帯直後方の人家と道路に大きな被害なく,流失2戸,全壊3戸,半壊4戸にとどまり,他家量は浸水のみである。なお林帯前の作業小屋6棟が倒壊した。林帯の被害はほとんど皆無であつた。比較的おだやかな侵入で,かつ林帯の効果もあり被害は軽かつたが,将来のため防潮施設を整備する必要性が地元民に痛感されている。ここでは小規模漁業が重要産業の1つであり,海岸線を防潮堤で閉塞できない。結局,現林帯前の広場に林帯を拡張するほかなく,関係者にこの考えがあるようである。
また、現林帯は下木を導入して整備する必要がある。
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釜石市唐丹町小白浜,片岸
第6図のごとく,片岸川河口の三角州に防潮林がある。林帯前面の海岸はきわめて浅い。林帯前面の一部に長さ100m,地上高1mのコンクリート護岸が施工されている。林帯背後は片岸部落(約40戸)と水田(約10ha)であるが,今次津波(最大波高3.0〜3.8m)は全林帯を通過し,国道を乗り越えて川を上流へ500mほど侵入し,国道沿い人家3戸を流失し,水田約3haに浸水害を与えた。部落は昭和8年災後,大半の民家が高所に移転しており,このため大被害を避けえた。
防潮林は昭和8年災後造成した県有クロマツ林で,林帯は平均幅約90m,延長200mである。林分は樹高約8m,胸高直径約10cm,枝下高2〜2.5m,立木密度約3,000本/haである。この前面に昭和30年植栽の樹高1〜2mの幼木帯があり,その大部分は汀線に達している。幼木帯の前縁は枯死木が多い。林帯後部のヨシ低湿地ではマツが消えていた。主林分の低木層は疎で,草本層は被度100%を示している。幼木帯の低木層・草本層には海浜植物が生じている。
林帯の効果は漂流物阻止とそれにともなう破壊力の減殺による流失家屋の減少にあつたといわれるが,詳細は明らかにできなかつた。林床と海面との高低差は干潮時約1m,満潮時は僅少である。今回,林帯には高さ2〜2.5m浸水し,壮齢林にはほぼ被害はなく,幼齢林前面の木が流失・倒伏し,残部の幼木もその半ばは赤変枯死したものと認められた(写真29)。
図の小舟着場のための防波堤を林帯前方と連絡し防潮堤を作り,内部に林帯を増強する考えがあるが実現が望ましい。小舟着場は堆砂激しく今後の利用はむずかしい。なお,現存護岸をかさ上げ補強し,図の×地点に右岸の既設堤防を延長し背後水田を閉鎖する。そしてこの堤防は林縁護岸より高くすれば,出水時の余水を林帯内にみちびき通過せしめうる。
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釜石市唐丹町荒川
第7図のごとく,両端を断崖海岸にはさまれた谷地形の出口にあり,谷幅約250m,林帯前に20〜40m幅の砂地がある。林帯北端は断崖に接し,南端は川に接する。熊野川右岸は耕地(40〜50m幅)である。
林帯南縁に高さ1mの練積護岸,川の右岸に高さ1.5mの空積護岸がある。林帯後方約800mの距離をへだて下荒川部落と国道がある。明治29年災には現在の下荒川部落付近まで,昭和8年災にはその少し手前(汀線より約600m)のまで侵入された。今回は右岸地域,川および林帯北端に近い道路から侵入され,汀線より約300m奥まで浸水したようである。
明治29年災前,下荒川部落は現林帯前にあつたが,被災後600m後方の現在水田の位置に移り,ふたたび昭和8年災に遇い,現位置に移つたため今次災害を免れた。林帯前に高さ0.5m,天端幅0.6mの土塁があり,海水はこれを越さなかつた。林帯には被害はほとんどなかつた。熊野川右岸河口の護岸が一部欠壊した。
防潮林は昭和15年植栽の県有クロマツ林で,幅約90mの林分と約50mの林分に2分される。樹高約12m胸高直径約13cm,枝下高約7m,立木密度3,000本/haの林分である。低木層は被度約10%,草本層は100%を示している。なお,土塁前方に部落民が植えたクロマツ林があり,その前縁はしばしば高波で洗われ,成林しないようである。砂浜は年々後退しており,県林務当局で林帯保護のため汀線に防潮堤築設計画があり,北端の断崔と右岸の護岸と連絡すればより対策は改善されよう。この地も熊野川の護岸を上流まで整備しなければ,林帯などの効果は半減するおそれがある。また,林帯を切る道路のつけかえが必要である。
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気仙郡三陸村吉浜字本郷
第8図のごとく,砂浜に防潮林と防潮堤が相接して施設され,その背後に約60haの水田・国道・部落が連なる。
明治29年災と昭和8年災で大被害をうけたため,部落は現在の高地に移転し,防潮林や防潮堤が作られた。防潮堤は昭和8年に作られ,地上高6m,延長520mである。防潮林は昭和10年に水田跡地に造られた県有クロマツ林である。林帯南半分は埋立てが不十分な低湿地で,群状(A)に立木が識るのみとなり,他は消減してヤナギ類が生じている。残存木も樹高約6m,胸高直径約8cm,枝下高2〜3mを示すのみである。図の排水路に沿いヨシ密生地がある。B林分は砂の移動が激しいため,マツの枯損率高く,生育も不良でハマニンニクなどの海浜植物が優占する草地となつている。これらの林分の前面に昭和35年度よしず立てでクロマツが植えられたが,約80%の枯損率を示していた。C林分は一応全区域に立木が見られ(立木密度約5,500本),上層の被度は約70%であるが,生育状態はA林分と同様である。この林分の低木層は約60%の被度を示し,草本層は海浜性植物が主体をなしていた。図で防潮堤のつぎるところから地盤は高くなり,砂地がなくなりクロマツの成長も良い。A地区でのクロマツの根の深さは,胸高直径11cmのもので深さ20cmにすぎず,地下水位が高いためと思われる。
最大波高は3.3〜3.5m多であつたが,防潮林と堤によつて背後水田にほとんど浸水しなかつた。防潮堤で地上1.2mの高さまで浸水したようである。ただ防潮堤に高さ1.2m,幅0.75mの排水孔があり,これが破壊されて海水が水田に吹き出し,小面積の水田流失と浸水害を出した。また川を逆流した海水が後方で低い護岸の所から水田に侵入したが微害にとどまつた。ここでの重要な問題は防潮堤の維持で,写真30・33のごとき構造をもつが,将来の大津波が越流した場合,背面から破壊されるおそれが大きい。天端と背面をコンクリート張りにする必要がある。また河岸堤防は上流まで防潮堤と同じ高さに築設しなければ防潮堤の価値は半減しよう。また河口の右側地域の津波対策が貧弱で,同時に整備する必要がある。本海岸では昭和8年には最大波高9mを示したといわれ,防潮堤のみでは安心できないし,防潮堤もすでに築設後26年を経て,その強度もしだいに低下しよう。よつて,林帯を整備強化する要がある。林帯整備の第1点は無林木状態となつた低湿地の対策で,この部分は地盤高が平均海水面や水田のそれに比してあまり高くないから排水より客土がよいと思われる。また,同時に耐水・耐塩水性の樹種たとえばラクウシヨウの植栽を考えて見る必要がある。さらに現林帯前の砂浜は幅広く林帯拡張の余地がある。前進海岸のようであり,人工砂丘を作り,その背後で現林帯を拡張することも考えられる。
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気仙郡三陸村越喜来字浦浜
第9図のごとく,汀線に高さ21m,天端幅4mの道路を兼ねた防潮堤があり,砂浜はほとんどない。防潮堤は浦浜川の両岸をさかのぼつてかなり上流まで河川堤防となつている。その背後に防潮林と約12haの水田や約250戸の住家がある。湾内ではカキ・ノリ養殖が行なわれている。
防潮林は昭和12年に元水田に造成された県有クロマツ林で,平均幅約20m,延長約600mである。浦浜川に沿つて左岸林帯は約50m,右岸林帯は100mくらいそれぞれ上流に延びている。調査した左岸林帯では樹高約8mち胸高直径約8cm,枝下高約5m,立木密度約6,000本/haである。低木層は全くなく,草本層は被度80%を示し,ササが優占している。水田からの排水のため林帯内に排水路が多数あるが,その周辺はヨシ群生地となつている。林帯内では森林組合の共同栽培によるシイタケほた木10万本が伏せてある(写真34)。
最大波高は3.8mといわれ,防潮堤を1m越えたという。このため水田約7haと林帯末端付近の人家数戸が浸水被害をうけ,河口の橋が流失した。赫内のほた木多数が浸水域に分散流入した。林帯は浸水したが被害はほとんどなく,防潮堤ではその背面が欠壊流失している部分がかなりあつた。昭和8年災では汀線から400m奥まで浸水したが,今回は約200までのようで,このあたりまで0.5tonくらいの漁船が漂着していた。
漂船は川をのぼつたもので,林帯に向かつた船は阻止され,調査時にも林帯前縁に0.5tonないし1tonくらいの漁船数隻が阻止されていた。また,ノリ・カキ養殖資材の漂流物も多数阻止されていたという。
今後の問題として林帯幅の拡張が望ましいが,その用地獲得が困難なときは下木導入で立木密度を増す方策がとられねばならない。この点から林内のシイタケ栽培は一考を要する。栽培自体は平時の林帯活用であり,こんごの防災林のあり方として一面望ましいことではあるが,ここでは林帯幅も狭いし,将采の立木密度の減少を考えるとき,検討を要するところである。それにほた木自体が漂流物源にもなる。なお防潮堤背面の保護を十分堅固にし,かつ浦浜川の現堤防のかさ上げと林帯延長が望ましい。
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陸前高田市高田松原
高田町の海岸は延長約2.5kmの砂浜海岸で、その大部分がいわゆる高田松原である。その背後に水田と市街地がつづく(第10図)。林帯前には一部を除き工作物なく,幅50m前後の緩傾斜の砂浜がある。津波前は前進海岸であつたようである。古川沼には内陸側に地上高約1mの土堤防があつた。本海岸は海水浴場であり,老松の松原(昭和15年史蹟名勝天然記念物に指定)が市の観光資源であるため,林内とくに古川沼東沿い付近の林帯後縁に食堂その他施設が多数設けられていた。
津波の第1波は午前4時40分に来襲した。広田湾沿岸での最大波高は湾口2m,泊2.9m,脇の沢6.3mなどで,湾の固有周期と一致したため湾奥で高くなつている。松原海岸では4〜5m(林帯前緑で5mの浸水高)で,背後の浸水面積は190haに達した。昭和8年災ではこれより少なく,鉄道線路までの浸水であつた。そして浸水位は林内法華寺で床上2尺の浸水であつたという。当時は大波が1回きたのみであり、海上から壁のように押し寄せたのに反し,今回のは何回も来襲し、海上では海面が盛り上がつた形で比較的おだやかに押し寄せ,汀線付近ではじめて壁のようになり,古川沼前面の疎林帯や気仙川などでは先端が水壁となり,洪水流のごとく速く侵入したようである。気仙川を逆流した津波は河口がら5km上流の矢作川合流点(高度8m)にまで達した。
松原は市有林で,敷地面積約28ha,延長2km,幅100〜150mである。約310年前に防風・飛砂防止・防潮の目的で菅野杢之助が植林したのがもととなり,大正時代に保安林に指定され,よく保護されてきた。
本多5)によると,天保6年(1835年〉の陸前沖地震津波でこの林の大部分は枯死したというが、当時の高田部落はこの林で保護され被害を軽減し得たという。明治29年災当時成立していた林帯は天保6年災後藩主により再造成されたもので面積10ha強,主林木はアカマツ(当時約60年生)で,クロマツ・ケヤキ・ネズ属・カシ属の植物・少数のスギなどを混じ、また下木として多数の広葉樹があった。アカマツは11,300本あり、胸高直径20〜30cm、樹高平均20mであり、林帯は幅約100m、延長1kmであった。当時の浸水位は2mといわれ,アカマツの大部分は枯死したと述べている。今回の津波時に存在していた林分は、当時の生き残り木とその後の補植および拡張植栽されたものによるといえよう。主林木は老齢・壮齢のアカマツを主体とし,これに壮齢・幼齢のクロマツを混じている。林帯は第10図のごとく3団地に大区分でき,さらに林齢・林相などにより細分される。
(A団地)砂浜は幅約15mで,ケカモノハシやハマニンニクの群落を生ずる。A1区は樹齢18年のクロマツ幼齢林で林分幅5〜10m,樹高約6m,胸高直径約66cm,枝下高約2.5m,立木密度約5,000本/ha,上層被度80%,低木層や草本層は発達せず,砂地が露出している。A2区はアカマツ壮齢林で,クロマツが約15%混生する。A3区はクロマツ壮齢林でアカマツを約10%混じている。A2・A3両区とも樹高約11m胸高直径約12cm,枝下高約3m,立木密度2,800本/haで,低木層や草本層は発達していない。A4・A5・A6区はアカマツ老齢林でクロマツを10%くらい混じている。A4・A5区林分は樹高約20m,胸高直径約35cm,枝下高約15m,立木密度900本/haで,低木層がよく発達し,上層被度80%の所でも樹高1.5〜3.0mのニセアカシヤが被度50〜70%を示していた。草本層は平均被度5%で,主としてニセアカシヤにおおわれていない部分を占めている。A6区はA5区よりさらに老齢木(約200年生,直径約70cm,樹高約25m)の占める割合が高い。また,湿性地でヨシやママコノシリヌグイなどの湿生草木が多く,一部にスギ壮鈴木がある。
(B団地)本団地の最前線は林帯を約8m削られ,上部を破壊された護岸は満潮時海面下に没する。この削られた砂は古川沼前面で、今回津波でいつたん流出した後、堆積した砂に相当すると考えられる。B1区は林分幅5〜8mのクロマツ壮齢林で,樹高約9m,胸高直径約9cm,枝下高約6m,立木密度約5,000本/haである。上層木の被度は75%で,低木層は全く発達せず,表層土は津波で移動した跡がある。草本層被度は5〜30%で海浜植物が多い。B2区は樹齢約90年のアカマツ老齢林で,樹高12〜17mら胸高直径約18cm,枝下高約7m,立木密度2,000本/haである。なお,部分的にクロマツを多く混じた所もある。
上層の被度は平均70%で,低木層なく,観光客の出入の影響をうけている所は草本植物も乏しい。この区も浸水時に衷土が移動している。B3区はアカマツ老齢木が点在し,その下にクロマツの新植がなされている。B4区は樹齢約200年のアカマツが群状に生じ,樹高約25m,胸高直径70〜80cmの木からなる。
(C団地)林帯幅狭く,敷地内に川や無立木地(舟置場)があつたため,被害が多かつた団地である。
林帯前面はA・B団地と同様に,以前は幼齢林と壮齢林があつたが,現在は一部の壮齢林を残すのみである。C1区はクロマツ壮齢林で,樹高約12m,胸高直径約14cm,枝下高約5m,立木密度3,500本/ha,上層被度80%の林分で,低木層なく,草本層も被度5%にすぎず,表土は浸水時移動している。C2区はクロマツのやや老齢な林分で,樹高約15m,胸高直径約17cm,枝下高約10m,立木密度約3,000本/ha,上層被度70%で,低木層なく,草本層は80%の被度を示している。
林帯の効果で顕著なのは漂流物の阻止で,A・B団地の優良林分前線一帯にかなりの漁船と流材が阻止されたようであり,背後の耕地などの復旧事業も軽減されたと考えられる。次に図のA・B団地内の家屋は小破壊にとどまつたが,極端な疎開林分であつたx・y団地の背後の家屋は全壊や流失り被害をうけた。
これにより優良林帯が侵入海水の破壊力を低下する効果もうかがえよう。またC団地で林帯と土塁の効果により後方家屋が流失をまぬがれた例があつた。さらにこれらの点は写真38,39,40のごとく,林帯幅狭く,かつ疎開林分であるか(古川沼前面はこの好例),川などで切れ目をもつ地区に侵入海水の主勢力が集中し,土地を洗掘し,耕地や家屋を破壊したことが明らかに認められる。C団地の土塁も林帯の切れ目ごとに欠壊されている。これらは逆に林帯の効果を物語つているものといえよう。もつともx・y地区は湾の中心線上にあり,もと沼と続いて水面であつたものが埋まつてできた所で,両側林地に比し地盤が低かつたことも侵入海水がここで主勢力を生じた一原因であろう。侵入海水の流向の下流側にある屋敷林でも,家屋流失や破壊の軽減に効果があることが見られた(写真39)。
立木の根元は下流側が深さ20〜30cm先掘されているが(写真46),この洗掘は優良林分(低木も多い)のA団地よりB団地の疎開林分(低木層もない)にはるかに多く見られ,各個の洗掘量も一見してA団地よりB団地に大きい。以上の例から優良林分は侵入海水の勢力滅殺に効果があるといえる。
林帯自体の被害,すなわち鑑抗力を見ると次のごとくである。B団地付近では林床上4〜5mの高さに浸水したようであるが,他の林分でもほぼ同様であつたと推定される。x地区は以前古川沼の続きで,y地玉は写真33のごとく約20年生のクロマツが疎に群状に生じ,地形は両側林地に比しやや低い。多少湿地であつたため成林が不十分であつたと考えられる。このため本林分に対する侵入海水の勢力は他より強くなリ,疎林は流失し,写真40のごとく沼と通じてしまつた。w地区も小川に沿い地盤低く,クロマツ幼齢疎林帯であつたため,同様に幼齢林は流失,林地も洗掘された。v地区も無立木地(舟置場)であつた所があり,その後方林帯は考齢疎林で,切れ目があり,その後方の昭和8年災後築かれた高さ1.5m,天端幅1.5mの土塁も林帯切れ目ごとに欠壊されている。欠壊しない所も土塁背面はえぐられた箇所が多い(写真44)。海水流により林地の洗掘された(林帯前縁の幼齢林が大半)所では倒木が見られた(写真42,43,45)。また,成木の下流側土壌が洗掘され根元が露出した木が多い。
本海岸の津波対策について気付いた点を次に述ぺる。本海岸には防潮堤は一部低いものがあるのみであるが,積極的対策としては林帯と併立せしめるぺきである。土木関係当局により,気仙川の今泉橋より下流の堤防のかさ上げ改修とこれと連絡して林帯前面に気仙川河口から脇の沢地区まで防潮堤の築造(延長約5.2km)が計画されているようである。しかし本格的な大防潮堤築設については,前述の田老や吉浜のごとく林帯背後に造り,林帯前肛は林帯保護のための入工砂丘か,低い護岸工にとどめるのも一案と考えられる。これにより防潮堤は林帯で保護され,観光地としての松原,砂浜を損じないですむだろう。現在古川沼内陸側に堤防があるが,これを強化して土木関係当局案のそれに代えれば,多少地盤も高くなり,強固となり,堤高や強度の節約も考えうると思われる。われわれの専門外のことであるが,この方面の専門家にもこの案に賛成の意見もある。
次に防潮林の整備強但が必要で,前記流失林帯の再興が早急に実現されねばならない。これら地域は以前湿性地であつたため林分成立が不完全であつた点から,十分な客土(砂寄せでも良い)により地盤高を両側林地と同一とした上で造林する必要がある。幸い津波後の潮流変化によりx,y地区に大量の砂が流送され、ほぼこの目的が達せられているとも見られた(写真42)ので,実現は困難でないと考える。また,松原前面には林帯保護のため護岸が必要である。次に立木の根元で洗掴された穴は市当局が学生を動員し土壌を充■したが,その時期が多少遅れた所もあつたようで,樹勢の劣る立木もあつた。今後洗掘により根が露出したときは直ちに埋め返す要があり,これによつて,放置したり,時期を失することにより長年かけて仕立てた有効な林木が枯れ、ふたたび植栽から始めることによる経済的損失や有効な林分に仕立てるまでの危険な時期をさけうる。また虫害発生の危険を考え,調査時すでに2,000本の枯損木が伐採処分されていたが,なお葉が黄色を帯び,落葉著しく将来枯死のおそれのあるものも多い。これら衰弱木が多く見られる際,早急に補植と更新を考える必要がある。次代樹種としてはク『マツを主体とすべきで,一部林帯後部の湿性地には塩水に耐える湿地性の高木(たとえばラクウシヨウ)を導入試験することも試みられてよい。林内下木は一部ニセアカシヤ植栽地を除き乏しい。海水浴場,キャンプ場など観光面から見て下木導入は簡単な問題ではないであろうが,防潮林の理想からすれば,最前線にハマナス・オオバイボタ・ハイネズ・イブキ・ヤマグワなどの叢林を仕立て,林内には多少日陰に耐えるマサキ・アオキ・オオバイボタ・ハイネズ・ニセアカシヤなどを挿木や植栽によつて造成すれば効果は格段に向上し,表土の洗掴は防止できよう。もし観光上,林帯の前縁側に密な下木の導入が困難であれば,幸い朴帯幅も広いから後方半分でも密な低木導入をはかればよい。
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B.宮城県関係
気仙沼市階上字波路上
第11図のように林帯前面に道路が通じ,その海側は高さ1mの石積護岸で,砂浜は幅約5mである。林帯背後には水田を主とする耕地約25haと8戸の人家がある。林帯東端は高台に接せず約30mの平地をはさむ。前面海岸はノリ養殖が盛んである。
最大波高は満潮面上約27mといわれ,林帯では約1mの浸水高で,耕地浸水約10ha,浸水家屋4戸を出した。図のごとく林帯東端付近の護岸が2箇所欠壊した(写真48)。
防潮林は県が昭和14年に元耕地に地上権を設定し,造成したクロマツ林である。図のB地区のクロマツ林は長さ約50mにわたり,この津波前すでに疎林化していた。これは護岸が低いためで,しばしば満潮時の高波が林帯に侵入し枯死木を生じたものと思われる。これが今次津波でさらに枯死し,B地区の林分は消えた。A,B両地区の境界付近は多数の倒木を出した。A地区は最大林帯幅でも約10m(敷地幅は約20m)で,樹高約6m,胸高直径約8cm,枝下高約3m,立木密度約4,500本/ha,上層被度70%の林分で,成長はあまり良くない。林内低木層は発達せず,林帯後方およびA地区前面にイタチハギがかなりよく生育している(写真47)が,林内のものは生育不良である。草本層は1年主草本が主体をなす。
林内はノリひび用竹材・カキいかだ材・浮だるなどの置場となり,かえつてこれらのため支障となる立木が伐られ,またB地区のクロマツ消滅跡の一部は畑となるなど,管理は悪い。しかしA地区では漂流物多数を阻止し,後方農地の復旧を早めた。B地区は林帯敷地幅も狭い上に,疎林であつたためか侵入海水の勢力強く,林帯自体も流失するとともに後方耕地はA地区よりも激害を受けたと推定された。
県林務当局により,B地区林帯の補強が考えられているのは至当である。でぎればこれを延長して東方1高台に接続し,かつ全林帯嘔を拡張することが望ましい。また護岸をかさ上げし,林帯を保護する必要がある。「下木の導入を一層はかる必要もある。
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本吉郡本吉町中島・小泉字小泉川・下宿
外海に面した海岸で,第12図のごとく海岸に幅30〜40mの砂浜があり,これより1〜2m高く,中島国有林(A)と小泉川県砂地造林予定地(B)がある。また小泉川右岸に150〜200m幅のヨシ密生地をへだて下宿県有林がある。A地区の前面には護岸がある。本護岸は昭和10年に簡単な直立型に施工されたものがその後の高波で部分的に破壊され,昭和28〜30年と昭和31年に復旧工事が行なわれたものである。現在平均海水面上約2.5m,天端幅35cmである。ただし,A地区北半分の前面護岸はさらに50cm高く,かつ階段型に改修された。林床はその天端と同高である。林帯後方には約55haの耕地と小泉・中島の両部落がある。
最大波高約2,5mといわれるが,調査では明らかにでぎなかつた。A地区の全面に浸水し,とくに護岸の低い南半に浸水が多かつた。
しかし林床地盤も少し高く(平均海水面上2.5m),密な植生の効果もあつて,侵入海水の勢力が減殺されたためか,海水は林帯背後の農用排水路でとまり,排水路から小泉川にぬけたため,水田にはほとんど浸水しなかつたようである。津波来襲中も本地区水田では田植が行なわれたという。しかるにB地区背後の水田では小泉部落南側の道路(水田より0.5〜1.0m高い)まで侵入し,田植中の農民は作業を中止し,道路や橋上から津波を見ていたという。これはB地区(A地区より低い)をこえ,あるいは小泉川を逆流した海水が並木程度の下宿県有林をこえて侵入したためである。以上から津波がおだやかであつたことと,護岸を含む林帯の効果が明らかに認められる。
A地区内で小泉川堤防からはいる林内歩道上の杭の根元はかなり洗掘されていて,林帯切れ目では海水の流速が早かつたことが推定された。また護岸背後ではかなり洗掘された所が見られた。一方,林内では表土の移動は見られなかつた。国有防潮林は天然生クロマツが2段林をなしている。昔は密林であつたといわれ,明治29年災で林分が疎開し,その結果疎開部分に逐次天然下種更新が行なわれ,現在の林分に推移したという。朴帯幅は20〜100mで,小泉川に近いほど広い。その北端は高地に,南端はB地区に接し,延長約700mである。上層のクロマツは約90年生,胸高直径20〜35cm,樹高157m前後,立木密度約1,000本/ha,下層のクロマツは胸高直径4〜14cm,樹高8m前後,枝下高4〜5m,立木密度約4,500本/haである。下層木の樹齢は一定ではない。低木層は20〜85%の被度で,箇所により変動が著しい。低木層を形作るのは林帯前方(海側)にイブキ,林帯中ほどから後方にかけハナイカダがそれぞれ多く,全林に分布するのはオナバイボタが顕著な樹種である。草本層の被度は低木層の被度が少ない所に大であり,藤本や多年生草本からなる。B地区はハマニンニク群落で占められている。下宿県有林は調査しなかつたが,クロマツ壮齢林が2列ほど土堤防上にあるだけのようである。
県林務当局ではB地区にクロマツを植え,その前面にA地区と同様な護岸をつくる計画のようである。
本海岸は昭和28年ごろから最近までに汀線が約10m後退しているといわれ,早急な施工が要望される。敷地福は約50mあるが,万全を期して前面にイブキなどの低木帯の造成を同時に考えてはどうであろう。下宿林帯は水田か前面の湿地帯に客土しないかぎり林帯幅の拡張はできないが,県では現敷地に補植するとともに小泉川右岸の堤防に接続する護岸を施工したい考えのようで,少なくともこの程度の強化は強く望まれる。なお,国有林帯北部でも,できる限り幅の拡張が望ましい。また,全面的に護岸のかさ上げと林帯との間の保護,たとえば捨石工や低木帯の造成が望まれる。
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本吉郡志津川町松原
第13図のごとく水尻川と八幡川に挟まれた海岸で,後方に市街地がある。前面海面でノリ・カキ養殖が行なわれている。汀線に高さ2m,天端幅2mの空積防潮堤をもつ老齢のクロマツ林帯がある。往時伊達藩時代に造成されたものの一部と思われる。現在樹高約18m,胸高直径40〜50cmのマツが疎林をなす。林帯敷地幅は20〜35mあるが,林分が成立している幅は約10mで,防潮・防風林として十分な幅と立木密度をもつていない。
最大波高は志津川港で3.8〜4.2mで,被害は明
治29年・昭和8年の両災害より大きかつた(海岸より300m奥の八幡川左岸の家屋で,明治29年災に1,3尺,今回は4,3mの浸水位を示した)。この付近では海岸より約900mの奥地水田まで浸水している。
林帯直後方の旅館「松濤亭」の館主の観察によると,初めチヨロチヨロと海水が庭先にはいり,間もなく急激に水位を増し,かなりの流れとなつて階下は柱を残して流失したという,海水の侵入状況がある程度推定できよう。この家は2階が完全に残つたが,それは造作がかなりしつかりしていたことや,根太が布コンクリート基礎に十分ボルトどめされていたことなどにあろうが,一部の理由には林帯背後にあつてかつ低いながらも土囲とその上のマサキの生垣で周囲がめぐらされていたことにもあつたと思われる(写真57)。林帯西端から水尻川河口に至る問の汀線近くにあつた裁判所・保健所などの比較的堅固な建物も一応家の外まわりだけは流失をまぬがれた。しかし,これらの周囲の一般家屋は大部分流失した。淋帯前の防潮堤は昭和8年以前の施工で今回一部を残し欠壊流失した。
町当局は図のごとく埋立地を作る計画のようで,これが実現すれば,その前面に護岸か防潮堤が施工されよう。しかし,その高さには平常の経済活動の面から限度があろう。県林務当局としては埋立地ができ、松原が存置されるとなれば,図のA・B・C各地区全体を林帯とし,その内容を整備したい考えのようで望ましいことである。このような市街地の津波に対しては多面的な対策を樹立する必要がある。
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本吉郡志津川町折立
第14図のごとき海岸で,礫浜の幅20〜30m,この後方に林帯があり,背後に約10戸の民家と小学校・農■事務所・倉庫などを散在する約30haの耕地がある。林帯醐こ高さ約27mの石積堤(護岸)があり,前方側面ではノリ・カキ養殖が行なわれている。
防潮林の大半は昭和13〜14年に県が民有耕地に地上権を設定し造成したクロマツ林で,平均敷地幅約30mである。林帯は林況により7地区に分かれる。A地区は樹高約10mのニセアカシヤ林である。B地区は■高9〜10m,胸高直径10〜14cm,枝下高約4m,立木密度約3,500本/haのクロマツ林で,低木層なく少■本層は被度80〜90%で1年生草本が多い。町有地のC地区は老齢クロマツ疎林で(写真59),樹高15〜20m,胸高直径40〜50cm,立木密度200本/haであり,低木草はB地区と同様である。この老木の根の深さは約1mで、それより深くにはいつていない。D地区は部分的にニセアカシヤを混ずるクロマツ林で,台風5922号,5915号で枯死木を出したため津波前にかなり疎開した部分があつた。低木層は一部にニセアカシヤが見られ,草本層は被度冗購で1年生草本が多い。この地区とE地区の前縁には胸高直径約40cmのクロマツが点在している。E地区は前記台属で集団的に枯死し,津波前すでに立木がほとんどなかった。F地区はクロマツ林で,樹高10〜13m,胸高直径9〜11cm,立木密度3,000本/haである。G地区はF地区と同程度の樹高・直径を示すクロマツ疎林分(約2,000本/ha)である。
最大波高は4.5mといわれ,図のごとく浸水したが,とくにC地区とC地区に接するD地区の一部はこの湾の最深線正面にあたり,その上林分が疎開し,石積堤も弱体であつたため,侵入海水の流勢が周囲より格段に激しくなり,図のごとく石積堤は欠壊し,立木も流出して林帯は切断され,流失水田約0.5haを生じた。E地区前面は地盤も多少低く,堤が欠壊したが,F地区背後の家屋は小学校やその付近家屋より軽い被害ですんだ。これは学校やその付近家屋の前面にあたるC・D(一部)地区林帯よりもD・F・G林帯の方が林相よく(Eの無立木地は狭く,斜めに入り込んでいる),多数の漁業資材や漁船を阻止し,津波の流勢を減じたためと考えられている。B林帯(幅狭く疎林)直後にある倉庫は高さ約2mまで壁がぬかれながら倒壊はまぬがれた。折立川左岸の集落中心地は地上2.5m前後の浸水をうけ,前面護岸は欠壊し,多数の倒壌流失家屋を生じた。
建設関係当局は折立川左岸の護岸かさ上げ強化を,漁港・林務関係当局は右岸林帯苗面の堤防の復旧強化および林帯整備を考えているようで,これらの実現が望まれる。だだ各当局の緊密な連絡により,計画の不均衡を生じないようにすることが肝要である。林帯幅については堤防復旧の際考慮すれば,前面砂浜への拡張は不可能ではない。折立川左岸地区も林帯が造成できればよりよい防潮策となろう。河川には上流まで堤防を築き,朴帯を付設することが望ましい。B林帯直後の建物は後方に移転させ朴帯輻を増すのがよいとする意見が多い。
理想的にいえば,最前線に低堤防か護岸を築き,その背後に幅広い林帯を造成し,市街地は高地に移転させ,その前面に防潮堤を設けるのがよい。このためには,たとえば折立川左岸の護岸に近い市街地は高地へ移転させ,跡地に林帯を作り,防潮堤は集落の前面に,たとえば現県道路床と兼用させてもよい。これによつて地盤も高く,かつ良好となり,林帯の保護効果も期待しうるから,汀線で同規模のものをつくるより経済的であろう。
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桃生郡北上村十三浜字長塩谷
第15図のごとぎ延長約300mの海岸で,幅30〜50mの砂地に続き林帯があり,その背後に県道・24戸の住家・約1haの耕地があり,さらに山地に続く。林借北端の前面に延長約100mの護岸(高さ2〜3m)がある。
当地で過去の最大の津波は昭和8年にあつたが,今回の最大波高はこれより約50cm高く,約3m(護岸を50cm越した)であつたといわれる。昭和8年災の主要被害は家屋流失2戸,床上浸水10戸,床下浸水12戸,耕地浸水1ha,県道破壊400mであつたが,今回はほぼ同様な集落・県道の条件下で,住家床上浸水1戸,床下浸水9戸の被害にすぎなかつた。この理由は,一応昭和8年災後造成された林帯と護岸の効果によるとされている。
防潮林は昭和11年に造成した県有クロマツ林で,樹高10〜15m,胸高直径9〜15cm,枝下高約5m,立木密度5,500本/haである。林帯幅は15〜20m(敷地幅20〜40m)で,北端ほど狭く,北端の護岸背後の一部は群状に林分が疎開している。床下浸水した家はこの背後にある。低木1曽はニセアカシャ(樹高0.5〜2.0m,クロマツと同時に植栽したもので,一度伐採し崩芽したもの)が弦度40%を占め,草本層は被度5%で藤本や1年生草本が散生する。一部林内に畑が侵入し,林帯後縁と県道の問には畑・草地作業小屋敷地などが幅約5mの帯状に存在する。
津波時、前縁のクロマツ約200本が倒木により枯死した。
林床面は平均海水面上約1.5mにすぎず,平常しばしば波浪を受け林帯前縁は後退していて,植栽当時に比し今次被災前で幅約10m減少していたという。したがつて,まず既設護岸を延長し林帯を保護する必要がある。土木関係当局で,護岸(防潮堤)築設計画があり,実現が望まれる。北端の疎開林分の補植,下木の導入などにより全体の立木密度をます必要もある。
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桃生郡鳴瀬町洲崎浜
16図のごとき延長約3.5kmの海岸で,砂浜の幅広く,前進海岸といわれる。汀線から約100mで人工砂丘(高さ1m)に逮し,その背後に100〜125m幅の砂地造林地がある(不老山以東の砂浜・林帯は幅が狭い)。ただし,旧塩田前方は約50m幅の林帯造成予定地である。これら林地の背後は一葭高くなつて県道が通じ,その後方は国有林帯・農地・集落・塩田跡地となつている。鰯山と旧塩田の間は幅約15mの林帯とその背後に天然生のクロマツ・アカマツ林が幅約100mの台地に成立している。
田塩田と県道の間には幅15〜20mの林帯があつたが、伐採・人の出入・塩害などでかなり消滅している。前面の海面で■ノり養殖が盛んである。林帯は林況により5地区に分けうる。A地区は昭和28年度のニセアカシヤを混植したクロマツ植栽地で,一部には昭和34年補植したものがある。B地区は昭和11〜13年に植栽したクロマツ林で,樹高8〜9m,胸高直径8〜13cm,立木密度4,500本/haである。低木層にニセアカシヤをもち,草本層には多年生草本が少し生ずる。C地区は樹高
約7mのクロマツ林で,この北方に樹高約10mら胸高直径4〜30cmの林木からなる国有クロマツ疎林があり,林下には下木草乏しく,砂地が露出している。D地区は下層にヨシの優占する低湿地の林分で,東側一部には昭和13年植栽の良い林分もあるが,全体に疎林である。E地区は砂地で,前面にヨシの密生する沼と妙浜がある。
津波は比較的おだやかに来襲し,A地区の県道で約1m,E地区の県道で1.5〜2.0mの浸水位であつたという。激しい海水浸入はD地区の砂丘や林帯を欠く地域に起こり,旧塩田・背後の耕地・十数戸の洲崎部落を襲い,床上浸水家屋を多数出した。しかしD・B林帯の一部にはノリ養殖資材を多数阻止し,被害の増大を防いだ。D地区の林帯欠除部背後の製塩用枝条架は全部流失したが,D地区内の一部優良林分の背後にあつた枝条架は流失しなかつた(写真66),林帯効果の一例であろう。しかし,図上のx地点では海水の勢力が強かつたらしく,深さ約1.5m洗掘され,背後の水田も放置されていた。これは林帯を汀線に直角方向に幅5mの道路が切つていたためと推定された。A・B(大部分〉・C各地区の背後では小面積の浸水耕地を出すにとどまつた。
林帯自体の被害は,A地区で補櫃したクロマツ幼木の枯死が目だつた。すなわち人工砂丘の欠壊部に直面した所では根元に砂をかぶり幹が傾斜して枯れているもの多く,また低凹地でも群状に枯死木が見られこれは滞水時間が長かつたためと考えられる。D地区では疎開部分が洗掘され,その周辺の立木が一部倒伏した。
砂丘はところどころで流失したため,県林務当局では林帯前縁に護岸を新設する計画のようで,万全の策といえよう。しかし,もしその実現が困難であれば,砂丘を強化拡大することでもよい。A地区内の低湿地のクロマツは消滅しやすいので排水路を整備する必要がある。また,E地区の造成にあたつてもこの配慮が必要である。また,鰯山前面で林帯を直角に切る道路は津波の主勢力を生じやすいので,道路を斜めかS字形にするのがよい。E地区の予定林帯とA林帯の境はこの海岸の中心部に当たるから,とくに切れ目を生じないようにすぺぎである。また,成立過程のE林帯がA林帯より弱体な間は,A林帯で抵抗をうけた津波勢力がこの方面に転換されるおそれがある。このためD林帯の補強かE地区前面の沼地に客士して幅広く造成し,A地区と平衡を保たせることが望ましい。
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III 防潮林の実態
三陸沿岸の防潮林の効果と林帯自体の被害を検討し,馳その結果から今後における新造成,ことに既成林の改善を考えるについては,まず全般的に既成林の実態を知る必要がある。すなわち三陸沿岸のどこに,どの程度配置されているか,林帯として個々の海岸のどこに,どのくらいの規模でどのように林帯として整えて配置されているか,主林木,下木,下草の実態,林帯保護のための付属工作物,管理の実状などを知る必要がある。次に,調査した52林帯(今回海水が浸入した29林帯は全部ふくむ)のそれらについて述べる。
A.沿革と分布
三陸沿岸地方は古来きわめて地震が多く,しばしばこれに大津波をともなつて大災害を受けている。まな冷害による凶作の多い地方で,いわゆるやませの被害になやまされている。さらに大部分のリアス式海岸地域ではその海岸地形の関係から年々の潮風害も看過でぎず,一部の砂浜海岸では飛砂の害も無視できない。したがつて,古来これら災害防止の一法として森林の活用が考えられてきた。また三陸地方は国立公園陸中海岸や松島湾に代表されるように景勝地が多く,観光資源確保上からも海岸林の存在が必要であつた。これらのため古来三陸地方では海岸林が造成され,あるいは天然海岸林が保存されてきた。たとえば赤前の国有天然林,高田松原市有林,大谷・中島の国有林,稲淵・志津川町松原の海岸林,石巻市・宮城県南の砂浜海岸の国有林などのことぎである。これらはいずれも防潮林・防風林(防冷林)・飛砂防止林・風致林などとして総合的な機能も期待され,また果してきた。
しかし三陸地方の海岸林が画期的に増加したのは昭和8年以後で,昭和8年三陸津波がその動機ヒなった。すなわち,この災害後防潮堤などの防潮策とともに防潮林造成案が採りあげられ,青森県から宮城県に至る海岸線で大規模な造成計画がたてられた。計画はその後数年にわたつて実施に移され,ほぼその60%が実現した。すなわち,岩手県下で約50箇所計画され,うち約30箇所が実現,宮城県下では約70箇所計画され,うち約4Q箇所が実現したようである。このほか,上述の計画外で昭和8年以降造成されたものが岩手県下で約15箇所,宮城県下で約10箇所ある。面積的には前述の国有林がはるかに多いが,両県下の現存防潮林(海岸防災林)の箇所数の大部分はこれらのものが占めている。
,さて全国の潮害防備保安林は昭和36年現在9,161ha(国有林5,732ha,民有林3,429/ha)あるが,その約90%は太平洋岸にある。そのなかで岩手・宮城両県下の潮害防備林はそれぞれ121ha(国有林5ha,艮有林116ha)、1,199ha(国有林1,000ha,民有林199ha)を占めており,北海道・福島・茨城・千葉・静岡・愛知・和歌山・徳島・高知・宮崎・鹿児島の各県とともに多い。そして岩手県では,全県下海岸線の津波危険度の高い大小の湾の湾頭では大部分見られ,宮城県でも同様湾頭と県南地区の砂地海岸に分布している。
岩手県下の民有防潮林はほとんど県有林で,昭和8年災後県が被災した耕地・宅地などを買い上げて遺成したものである。他は市有林・漁業組合有林などきわめて小面積である。宮城県では同様被災跡地に県が地上権を設定して,造成したものである。国有林は宮古市藤原の藤原,磯鶏の沖,赤前の下谷地,大槌の■川原,大谷の野々下・三島,本吉の中島の各国有林および石巻海岸,宮城県南海岸の国有林である。
さて上述の現存潮害:防備林は岩手県で約45箇所,宮城県で約50箇所となる(ただし石巻海岸,宮城県醇海岸の国有林は各1箇所と考える)が,これらのうち岩手県では30箇所,宮城県では22箇所を調査した。
したがつて,調査はそれぞれ約70%,30%について行なつたこととなる。
B.林帯
林帯が個々の海岸のどこに位置しているかはその効果の面から重要なことである。まず汀線から内陸に向かってどの辺に林帯が位置するかを調査した箇所について見ると,当然のことながら,10〜200mくらいの砂浜につづいてわずかに高くなつたところにあるものがほとんどである。砂浜は20〜30m前後の幅のものが最も多い。女遊戸のように砂浜に草地が加わり,前面の緩衝地帯がかなり広い場合もまれにある。
このほか林縁護岸が汀線にあり,砂浜のない所が10箇所あつた。箱崎・浦浜(越喜来)・泊・岩井崎・松原・水戸辺などがその例である。特異なものとしてはかなり汀線より奥地に位置する場合で、大湊・湊・音部などがその例である。とくに音部は特徴があり,音部部落の前面で音部川の河岸にあり汀線に直角方向に延びている。
林帯保護のための護岸あるいは,たまたま林帯前縁にそつている道路の護岸などを除き,いわるる防潮堤と呼ばれるものが林帯の前面にあるか,あるいは背後にあるかは総合的な津波対策を考えるとき重要な事がらであると考えられるが,調査地区では次の例が見られた。大湊・淡・赤前(一部)・前須賀・浦浜(越喜来)・二十一浜ではすぐ前方に,浦浜(船越)・大槌・吉浜本郷ではすぐ後方に接しており,前浜・田老ではかなり後方で主要集落の前面にある。防潮堤に準ずるものとして砂丘が考えられるが,これは当然林帯前方にあり,その例は小本・音部その他砂地造林の行なわれている石巻・洲崎浜・深沼海岸で見られた。
津波対策が問題となる海岸は断崖海岸でなく,当然平地海岸である。平地海岸の汀線延長の長短はきわめて雑多で,数十メートルから数百メートルのものが大部分であるが,石巻海岸・宮城県爾の海岸のように数十キロにわたるものまである。いずれにしてもその両端は高地に接している。とくにリアス式海岸地域では幅数十メートルから数百メートルにわたる谷地形の出口の海岸であることがほとんどである。津波対策はこれら両高地ではさまれた海岸の奥にひろがる平地を,その前面で守ることである。したがつて,防潮施設がこの出口を全体にふさいでいるかどうかが問題となる。52箇所についてこれを見ると,両翼高地に林帯両端が接して一応谷地形の出口をふさいでいると見られたものは14箇所であつた。宮城県南の大砂浜海岸の林帯も全体としては両翼を高地に接している。片翼だけ接しているものは16箇所あり,残り22箇所は海岸の中央部に位置するとか,かなり両翼高地に接近しているものの,川が流れているため結局は接続していないものなどである。以上から大体半数くらいは谷の出口をふさいでいないといえる。
次に両翼の状況は別として,1つの林帯で切れ目をもつているかどうかも重要な問題である。52林帯中36林帯は道路または川で切られている。この地方はことに漁業地帯であるため後方部落から汀線に出る道路が林帯を切る機会はきわめて多い。また前述のように,リアス式海岸地域では各海岸ごとにほとんど川が流出している。その川口は海岸の翼端にあることもあるが,多くは海岸の中央したがつて概して林帯の中央にあることが多い。いずれにしても川が林帯に切れ目をつくる場合はきわめて多く,調査地では川尻・八木・前浜・.女遊戸・浦浜(船越)・浪板・大槌・箱崎・荒川・吉浜本郷・浦浜(越喜来)・高田松原・沖ノ田・杉ノ下・二十一浜・長須賀・波伝谷・折立・水戸辺・相川・石巻・十八成などがその例としてあげられる。
その他船揚場として伐採されたため,耕地が侵入したため,あるいは一部の低湿地で林木が枯死したためにできた切れ目をもつ林帯も多い(15箇所)。
結局これらの切れ目のなかつた林帯はわずかに5箇所にすぎなかつた。
なお川による切れ目のある場合,川岸を上流に向かつて堤防あるいは林帯が延長されているかどうかも問題であるが,調査地では護岸あるいは河川堤防の施証されたものは音部・吉浜本郷・浦浜(越喜来)・水戸辺などわずかの地区で見られたが,これらとてもきわめて低いもので,上流への延長も浦浜を除けばきわめて短かい。林帯にいたつては浦浜(越喜来)の1例だけである。ここでは瀧川にそつて上流へ延びている堤防の内陸側に、幅20mの林帯が川口から約100mだけ延長されている。
次に保護対象の状況を見ると、52箇所中38箇所は林帯背後に耕地が開け、その後方に集落あるいは人家の点在地域がある。耕地は前浜・赤前・高田松原・大湊・湊・州河場などのようにきわめて広い場合もあるが,大部分は数ヘクタールの広さである。林帯背後にただちに集落または点在する人家があり,その後方に耕地が開けている場合もある(6箇所)。また,一応保護対象は耕地だけと見られるものもある(7箇所)。昭和8年災後集落が高地に移転し,ほぼ保護対象からぬけた地区,すなわち八木・佐須・吉浜本郷・荒川・岩井崎などのような例もある。これらの集落は当然のことながらも小集落が多い。集落の高地移転では田老もその好例であろう。市街地だけを対象としている場合は志津川松原に見られた。
林帯幅を大ざつぱな平均幅で見ると,20m似下のもの15,20〜50mのもの20,残りのものが50m以上となつている。各林帯は一様な形状をしているわけではないから,平均幅も決定的な意味をもたないが,これから六体分布の実態がうかがわれよう。広いものは数百メートルにも及ぶがこれは幅め広い砂浜海岸の場合で,石巻海岸,洲崎浜・宮城県県南の海岸がその例である。これら以外では小本・田老・赤前・浦浜・大槌・荒川・高田松原・中島などが100m前後で,広いものに属する。このうち注目に値するのは赤前・高田松原・中島の各林帯で広い幅とともに延長も長い。とくに赤前の下谷地国有林は前後に幅広い2帯が並列している6幅のせまい林帯はリアス式海岸地区に多い。また効果の面から見ると平均幅とは別に,部分的に幅のせまい箇所を有していることは、好ましくないと考えられるが,このような林帯はかなり多い。その著しいものどして約15m以下の狭幅部をわずかでも有する防潮林を挙げると,箱崎・浪板・太田・泊里・高田松原の東側部分・崎野・岩井崎・下宿・二十一浜・波路上北部・志津川松原・大久保・波伝谷・長清水・立神・相川・月浜などである。これらには幅を広くすることが全く不可能とは思えないようなものも多い。また,大部分の地区では当初設定された林地全部に立木が一応立つているが,一部に林縁部で立木が消え,林分幅が敷地幅よりかなりせまくなつているもの,あるいは護岸がなく林帯前後を侵食されて敷地幅そのものがかなり減少しているものも見られることは注意する必要がある。
C.林況
昭和8年災後造成された林帯の場合,主林木はほとんど全部クロマツで,ごく一部(志津川町大久保・折立の一部など)にニセアカシヤ林があつただけである。それらも本来はクロマツに混植されたものが,なんらかの理由でクロマツだけ消滅した結果と考えられる。しかし古い人工林や天然林の場合は,アカマツが混交してい観赤前は混交天然林の例である。このほか,岩手県下各地でナニグルミの混生が見られた。女遊戸ではクロマツ防潮林の前面の河川沖積土上にオニグルミーヨモギ群落が成立しているし,前須賀防潮林の一部にも混生が見られた。
クロマツ人工林はほとんど一斉林で昭和8年災後昭和10〜13年に植栽されたものがほとんどを占め,ごく一部に昭和14・15・18・19年もしくは最近に植栽されたものがある。昭和10〜13年に植栽されたものでは大体樹高10m前後,胸高直径10cm前後,枝下高3〜5m,立木密度5,000〜6,000本/ha(植栽本数は当初6,000本/ha以上,ところによつては10,000本/haくらいで,三角形植栽と見られた)と推定された。
一部に土地が低湿地気味で成長が悪く,樹高67mくらい,胸高直径6〜7cmで,立木密度も低いものがある。磯鶏・赤前・中島の各国有林・高田松原では老齢木が主林木をなし、一応複層林でその構成はきわめて複雑である。
後に述べるように、防潮林整備の今後の問題点のひとつは立木密度の向上・維持であろう。すなわち、主林木の立木密度はもちろんであるが,下層木の導入・保持が最も重要であろう。この意味で次に下層植生の実態につき詳細に述べることとする。調査した林帯で林内に下層木(低木)の豊冨に見られた箇所や前面林縁に低木帯をもつ箇所はきわめて少ない。わずかに注意されたのは女遊戸林帯でイタヤカエデ・ガマズミ・ケヤキ・オニグルミ・サンシヨウなどによる亜高木層・低木層が他林帯に.比べれば格段によく発達していたこと、赤前の国有林では主林木アカマツが老齢で疎開したため,自然にヤマグワ,ムラサキシキブ・コナラ・ミズナラ・ケヤキ・ハシバミ・カマツカ・ノリウツギなどが亜高木層・低木層を形成していたこと,大槌・吉浜本郷・高田松寡・杉ノ下・折立・波伝斧・長塩谷・洲崎浜などの林帯に造成当初ニセアカシャあるいはイタチハギが導入され,一部にこれが成立しているのを見た程度である。
しかし,全林帯に低木・下草が皆無というわけではないので,今後の防潮林整備の参考資料として次に調査林分を林床植生型から分類して見ると,以下の諸型となる。
無植被型は砂浜の発達する海岸でその一部にある防潮林に一般的な型であり,宮城県下に多く吉岡53)のクロマツ—裸地群型に相当するものと考えられる。この型は高田松原・洲崎浜のごとく上層のクロマツ以外には低木層も,草本層も発達せず,林床は裸地の場合が多い。この型のうち今次津波で浸水した地域ではトウコギ・シロアカザ・ナナモミなどの1年生草本が多数侵入している。たとえば長清水ではクロマツ林の林床にオナモミの群落が見られた。なお,森林の成立していないところ(海浜は除く)でも浸水した所では裸地であればこれら1年生草本のみがいつせいに生じて,浸水地の一般的な特徴をなしている(大船渡市赤崎)。普通森林が成立している所では,林床に各種の低木や多年生草本を生じているのが通常の型であり,無植被あるいは1年生草本が多いという林床植生型は,その立地がきわめて特殊な環境をもつことを意味する。このような例は河岸林(砂洲)にも見られ,ドロノキやヤナギ林下が無植被であつたり,タデ類,メヒシバなどの1年生草本を生ずることがある。この原因はいずれも林床の立地が洪水や高潮による表土の洗掘あるいは風による砂の移動のはなはだしい所で,しかもやせ地に多く,植物にとつていまだ不安定な立地であることを示すものであろう。さらにこのような自然の働き以外に,林床の落葉落枝の採取や,林床を漁具置場・シイタケ栽培に利用することなどの理由で,植物の侵入が阻害されている場合も多い。
ニセアカシヤ型は無植被型の立地に類似し,人為的に導入したニセアカシヤが低木層を優占する型である。この例は多少あり,高田松原・大槌・沖ノ田・石巻海岸の渡波などで顕著なものが見られる。なお浸水したところでは,1年生草本をともなうことは前型と同様である。陽樹であるニセアカシヤがクロマツ林下に,優勢な低木層を形成しうることはきわめて興味深い現象で,一般に林帯の幅のせまいクロマツ林下は比較的陽光の射入が多いとする考え5)を裏書きするもののようであり,防潮林の更新および下木導入上注意すべぎ点である。
ドクウツギ型は深沼・渡波の国有林に見られ,立地はニセアカシャ型とほぼ同様であり,低木層にドクウツギが優占する。
ササ型は局部的に見られるにすぎないが,林床の土地が安定した所における1つの型であり,ササは付近の林地から侵入しだものであろう。月浜・泊などにその例が見られる。
ハイネズ・イブキ型は吉岡53)のクロマツ—ハイネズ群型に相当するものと考えられ,低木層にハイネズやイブキが優占する。立地は砂浜のやや乾燥した所における安定地である。この例は中島・大谷の国有林・波路上などに見られる。
ハナイカダ'ツタウルシ型は,海岸砂浜上の林における一般的な安定林床型か否かはわからないが,中島国有林のうちハイネズやイブキの優占する汀線に近いやや小高い地形の土地に成立する林分に対し,後方のやや低くなつている土地に成立するもので,ハナィカダやツタウルシが優占する。本型はハイネズ・イブキ型とは立地的にちがつた分布を示し,混生植物の種類数も多く,土壌は腐植を多く含有する。
.その他、ヨモギ型は沖積土上のクロマツ林下に発達し、一般に陽光が多く入射する疎林に見られる。前記した無植被・ニセアカンヤ・ドクウツギの3型よりも土壌的には良い立地に成立する。この例としては本郷・泊の一部をあげうる。クロマツ林以外にはオニグルミ林下に見られることがあり,女遊戸でにその典型的な林をみることができる。ケチヂミザサ型はヨモギ型の立地に類以するが,上層はクロマツによってうつぺいされたところに多く,混生植物の種類数が多い。この例としては田老・女遊戸のクロマッ林があげられる。シロツメクサ型は特殊なもので,林内に牛や羊などを放牧しているところに見られ,浪板・二十一浜などに部分的に成立している。天然のクロマツ林下にヨシ群落をともなうことは少なく,ヨシ群落の中にクロマツを無理に植栽したという型が見られる。一般に河川が流入し,砂浜が発達するところではその後方に低凹地が存在し,立地は湿潤で地下水位が高いと同時に粘土質に富む土壌である。このような土地にはヨシの純群落が通常発達する。このヨシ群落にクロマツを植栽したところではクロマツつ多くは枯損するか,残存しても生育はきわめて不良となつてふたたびヨシ群落にもどる場台が多い。このような例は数多く見られ,たとえば水戸辺・浦浜(船越)・大槌・吉浜などで,このうち水戸辺では昭和14年植栽のクロマツがほとんど消えて林分をなしていない。この原因は透水性・通気性の不良な立地で,土壌中の酸素量の不足することがクロマツの成林を制限する大きい要因と考えられる。これに類似したこととして,沼田33)は千葉県富津の海岸砂地造林地で,自然植生でチガヤを優占種とする立地はクロマツ造林に成功し,ヤマアワ・タチコウガイゼキシヨウ・ヤマイなど低湿地性の植物をもつところでは失敗していたと述ぺている。
以上の各林床型を見ることによつて,立地の判定,適木の選択・施肥の要否,更新方法などが判断しうる。
防潮林の前面に砂浜が発達している所ではハマニガナ・ハマボウフウ・ハマヒルガナ・オニシバなどの集落、ハマニンニク群落(高田松原),ケカモノハシ群落(高田松原)およぴハマナス群落が見られる。
このうちハマナス群落は本地方では小面積のものが多いが,顕著なものとしては女遊戸に見られ,汀線に平行して帯状に密叢をなしている。その他片岸にも比較的顕著なものがある。以上のほか砂浜の群落としては部分的にハイネズの集落(白浜)やササ類の生育する所(白浜)があるが,後者は土壌の良い立地に生じている。
本調査を通じて防潮林および海浜に比較的広く分布すると見られた植物は第4表,第5表のとおりである。
なお,以上から参考までに,三陸地方海岸の植物地理学上の位置についてふれて見よう。
わが国の主要な海岸砂地森林群落は大きく2群に分けられる。すなわち本州関東以南に一般的なクロマツを主とし,タブ・シロダモ・ヤブツバキ・ピサカキ・トベラ・ヤツデ・アオキ・マルバシヤリンバイ・イブキ・ハイネズ・ハマゴウ・チガヤなど暖帯の植物からなる植生と,青森県北部から北海道に一般的なカシワを主とし,ミズナラ・エゾイタヤ・イヌエンジユ・ヤマグワ・ハマナス・ハマニンニク,ウンランなどからなる植生がこれである。
東北地方の海岸砂地森林群落はこれら2群の推移地帯にあたり,その構成植物相も複雑で,上記2群を構成する各植物の北限や海岸地帯での南限が本地方で見られることが多い。現在東北地方海岸林にはクロマツ林がよく発達しているが,東北地方の北半におけるクロマツ林には古く植栽された林あるいはそれらから種子によつて天然更新して半自然植生となつたものが多いといわれる。10)17)しかし東北地方海岸の森林植生はただ単なる推移地帯ではなく,アカマツ林あるいはアカマツを混ずる林が海岸近くに成林することが一特徴となつている17)。このアカマツ林は三陸地方のみでなく,日本海側では能登半島,新潟県岩船郡などにも見られるものである。太平洋岸の顕著なアカマツ林としては宮城県松島以北に見られ,青森県におよぶ。これらは宮戸島,宮古市浄土ケ浜のごとく海岸にのぞむ丘陵性の山地や断崖上,あるいは島の山腹や尾根の急傾斜地に成立しているが,海岸の砂地にはアカマツ天然林はないようで,多くはクロマツと混交する。
従来アカマツは内陸性気候に適生し,クロマツは海洋性気候に適生する53)と一般にいわれ,三陸地方海岸のアカマツ林の成立については,水分条件ゆや品種問題などからの検討の必要なことが述べられているが17),気候的にクロマツは九州においてはアカマツと同様内陸の山地にまで分布し,北方にゆくほど海岸からの分布域の幅を減少する10)のである。垂直分布から見るとクロマツは暖帯(カシ帯)に,アカマツはクリ帯にそれぞれ分布の中心をおく樹種である。したがつて,暖帯の北限に近づくにしたがいクロマツは全く海岸の温暖な地域に限られ,林の分布も飛地的になり,それに代わつてアカマツが海岸に見られるものと考えられる。三陸地方のアカマツ海岸林の存在はそのあらわれのひとつであると思われる。
なお三陸地方にに天然分布の北限からはなれているが,ユズ・ビワ・イチジク・ザクロ・チヤ・ヤツデ・シイノキ・シラカシ・アラカシなど暖地性の植物が植栽木として存在する。このことは防潮林造成の■に暖地性植物もある程度使用しうる気候条件を備えていることを物語るものであろう。
以上防潮林および海浜の植生について述べたが,その他注意を要する生態的な点を補足したい。
主林木のクロマツは地下水位の高い立地では直根の深さが浅く,その土壌断面を見ると滞水層表面で明りように根の分布が止まり,その部分では萎縮した根が盤状をなす。たとえば,志津川大久保のクロマツ(胸高直径45cm)は,深さ90cmで直根が萎縮していた。また,吉浜(湿地)で昭和10年ごろ植栽の直径11cmのクロマツで根の深さ20cm,波伝谷のクロマツ林は今回の津波で林帯前面で倒伏したものがあつたがその根の深さは30cmであつた。これらはいずれも地下水位が高いために生じたものと考えられる。なお直根はなくとも,側根から垂下する根を多数出す場合がある。
次に林分の保護管理の面で気付いた点を述べる。林内に家畜をつなぎあるいは放牧している所が川尻・前浜・浪板・本郷・二十一浜・相川・大浜など多数地区で見られ,これが原因で防潮林が疎開しており,また今後疎林化する危険性が考えられる。防潮林としての十分な効果を期待するならば,主林木はもちろん下木も密生する林分型が保持されねばならない。
林内に耕地・一般住宅・農漁業用倉庫などが不当に侵入し,林内が漁舟・漁具その他の漁業用資材置場として乱暴に利用されている例も多い。シイタケ栽培に利用されている所もある。これらの存在は林帯の幅をせまくし,立木密度を減少せしめ,下木の生育を妨げ,防潮林の効果を減少せしめるのみならず,■材の供給源にもなりかねない場合がある。宮城県では民有地に地上権を設定して造成した林帯が多い関係からか,林内に畑が侵入した例はかなりある。佐須・泊・沖ノ田・岩井崎・二十一浜・長塩谷・立神などがその例である。林内に建築物が侵入した例は志津川松原・二十一浜(環具小屋・瓦工場)・折立(農協倉庫)・泊(製材所作業小屋)・太田(住家)・月浜(住家など)・泊(住家)・長塩谷(農具小屋)・高田松原などに見られた。舟置場をもつ林帯は泊里・杉ノ下・高田松原・箱埼などで見られた。浦浜・泊では林内でシイタケ栽培が行なわれ,前者ではほた木本数10万本に達するといわれる。林内が漁業用資材とくにカキ・ノり養殖用のいかだ材,浮きだる,ひび材などの置場となつているところは土地がらきわめて多い。泊・太田・崎野・唯出・波路上・長清水・月浜などがそのはなはだしい例で,一部にはこのような利用に便するため不当伐採が行なわれている例も見られた。
以上のほか墓地となつて疎林をなしたり(十八成),林帯に切れ目を生じている場合(岩井崎),公園化して疎林をなす場合(志津川松原),近年の台風によつて枯損木を生じ疎林をなす場合(長清水・折立),その他の理由で疎林や空地を林内に有する場合(波伝谷・二十一浜・大久保・沖ノ田・杉ノ下・太田など)がある。
以上保護管理上の諸欠点を有する防潮林は人口密度の高い,平地の少ないリアス式海岸地方,すなわち岩手県南部・宮城県北部に多く,これら所在地はまたカキ・ノリ養殖が盛んであり,漁港となつていることが多いし,宮城県の揚合前述のように民地に地上権を設定して造成した林帯が多いなどの関係から,このような実状となつたものと考えられる。これに反し,岩手県北部では比較的不適当な利用は少なく,その結果比較的良好な林帯が全般的に多い。この地域は昭和8年津波で激害を受けており,住民の防潮林に対する関心が相対的に強いこと,土地所有権が県にあるものが多いこと,カキ・ノリの養殖がほとんど行なわれていないことなどが,林木生育のための立地条件が概してよいこととともに大きな理由と考えられる。
民有林と異なり国有林は所有権も明確であり,管理も良好で不当利用はきわめて少なく,民有林に比べれば格段林帯維持は良好であるといえよう。
次に林帯保護のための付属工作物の施設状況をみる。前述のように調査林帯のほとんどは前面になんらかの砂浜をもつており,しかも砂浜と林床との高低差はあまりないものが多い。したがつて,平常の高波により林帯が破壊侵食される危険は多く,当然ながら護岸・土塁などの付属工作物を前面に施設し,これを防止している例は多い。すなわち,直接林帯保護のため設けられた護岸,または海岸堤防のあるものは15箇所,土塁のあるもの5箇所,人工砂丘または自然砂丘のあるもの4箇所,たまたま前縁に道路が通じ,これに護岸があり,あるいは鉄道線路床があつて林帯保護の役目を果たしているもの9箇所,本格的な防潮堤が林帯前面に施設されているもの2箇所であつた。他の17箇所はなんらの施設もなく,平常の高波によりほとんど失敗に終わつている林帯があり,少なくともその前縁が後退している林帯はかなりある。
このほか付属工作物で重要なのは排水工である。前述のように防潮林は低地にあるのが常であり,しかも調査地域では過去の津波の被災水田跡や湿原などに造成されたものが多い。このようなところでは排水が悪く,林木の成長はよくない。水戸辺・浦浜(船越)・吉浜本郷などの一部林帯のように完全に消滅している例もある。しかし排水施設を十分にしている例はほとんどない。一応施設しているのは浦浜(越喜■)・洲崎浜・深沼など一部にすぎない。いずれも幅1m,深さ0.5m前後の溝である。
林帯の保育の現状を見ると,両県下とも積極的にはほとんど行なわれていないといつてよい。前述のように一部地区には最近の台風被害で枯損木を生じているものが見られたが,これらも放置されている。ただ赤前・大槌の国有林で蔓切りとか,虫害が発生したとき薬剤散布を行なつたことがあるとか,またごく一部地区で地元民が疎開林分に補植したものがあつた程度である。ただここで注目されたのは,宮城県下の砂地造林施行地の場合地元部落民によつて海岸林愛護組合なる申合せ組合(県下に42組合あるという)が結成され(昭和22年)ており,砂地造林事業において作業員の調達,平時の林帯維持に関して県担当者への連絡,軽被害に対する一時的な対策などで寄与できる体制があることである。また同県下海岸国有林の場合はやはり申合せ組合である共用林組合なるものがあり,平素の林帯管理に協力するとともに林産物の払い下げを受けるなどの活動をしている。これらの組合が愛林思想の啓蒙に非常に役立だつている点は■接的な目的を果たしている点以上に注意する必要がある。宮城県の場合でも防潮林についてはこのような組織はきわめて少ない。
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IV防潮林の効果
津波による災害を,その起こる場所と内容で分けると次のようになる。
1. 海上で起こる災害
2. 陸上で起こる災害
a.海水で浸水されることにより起こる災害
b.侵入海水の掃流作用すなわち,津波前面の氷塊,これにつづく水流の流勢が直接物に当たってそれを破壊し掃き流すことで起こる災害
c.二次的に生じた漂流物の衝突により起こる災害
防潮林の被官防止あるいは軽減効果の期待できるのは2の災害で,そのうちでもb,cの災害であり,aの災害の防止軽減には防潮林の効果は期待できない。津波の陸上への侵入を完全に阻止できれば,陸上でのいっさいの津波被害はなくなる。このことは防潮堤などの工作物に観念的な可能性があるが,林帯には全く期待できない。もっとも津波の完全阻止は防潮堤にも実現性はなかろう。このことは後にのべる。もちろん林帯にはその保護のため前縁護岸のような付属工作物がともなうとき,しかも津波波高がこれ以下の場合,いいかえれば小規模津波のとぎは防潮堤同様の観念的効果は期待できる。
さて本多5)は明治29年6月15日の三陸津波被宮地の調査報告の中で,この地方に現存せし森林はこの海嘯に対して果して保護の効果を有せしや否やの点についてはいまだ一人のこれに留意せし昔あるを聞かずと述べているが,明治29年・昭和8年の各津波など代表的な大津波,あるいは高潮災害時における調査研究によってその効果が認められてきた。ことにcの災害の防止あるいは軽減には,防潮林に著効があると詔められてきた2)5)15)18)24)25)31)36)38)。bの災害に対する効果については従来c同様に認める学者が多いが,一部にはこの方がcよりも重要であるとする意見もあった15)。とにかく津波災害ではaよりもb,aが重要であり,これに対してとくに効果を有するとされる防潮林の重要性は高い。今回の調査でもこれらの事実は一応認められたが,詳細に見れば問題もあるようである。
防潮林の効果の内容はともかく,ばくぜんとながら林帯の有無による比較,多少の比較,あるいは今回と防潮林のなかった過去の経験との比較などによって効果を判定するならば,川尻・前浜・赤前・浦浜(船越)・大槌・片岸・浦浜(越喜来)・高田松原・波路上・崎野・中島・志津川松原・折立・長塩谷・石巻洲崎浜などの各地で林帯の効果はあったものと認められた。
青森県上北郡百石町では防潮林(樹齢30〜60年,林帯幅10〜30年m,樹高10〜15m)の背後の人家・畑などに被害は見られなかったが,隣接川口で林帯がないところでは護岸が破壊し,流失倒壊家屋を出した。またハ戸京市川町橋向では飛砂防止保安林(樹齢10〜20年,林帯福50m,樹高5〜10m)の背後では浸水被害のみであったが,五戸川の切れ目背後では家屋が流失したという報告26)もある。しふしこれらの判定では,他の多数の条件を十分分派して森林の有無による被害差を正しく比較することは困難であるから,結果が全く正確かどうかには多少疑問がある。
屋敷林については今回調査できなかったが,その効果はかなり認められたと聞いている。参考までに昭和8年の例50)をあげる。岩手県気仙郡広田村長洞のユ民家は,前方および側方にスギ・アカマツの屋敷林があったため倒壊流失をまぬがれたが,この種の立木のなかった隣家は流失した。同じく赤崎村永浜字十浦ではスギ30年生くらいの水立の屋敷林があつたため家の直火をまぬがれただけでなく、家族が避難する
場合にも役だち,一家全員無事であつた。また宮城県社鹿郡内原村谷川部落はほとんど全滅したが.ただ1棟だけは周囲にスギ・エノキ・シノクケなどのわずかの屋敷林であつたが,これに3方をかこまれていたため破壊流失をまぬがれたという。これらの例から屋敷林がかなり有用であることを想像できる。今回もこれらに似た例を陸前高田市など各地で聞かれた。
次に上述b・cの災害に対する防潮林の効果について,さらに詳細に考えてみよう。なお海岸林帯には防風・防潮風・飛砂防止・風致・魚つきなどの効果が期待できることは,従来から認められているところであるが,これらについても調査地域に特色のある事実について若干ふれることとする。
A. 漂流物阻止による効果
津波災害では津波により押し流されてきた流材・漁船などが陸地に流れ込み,これらが陸上の家屋・土木施設などの構造物に激突し,破壊する害は大きい。侵入海水の流速が小さくても漂流物の質量が大きく運動量は大きいため破壊力はきわめて大きい。この種の被害をともなうために,津波災害がばくだいとなつたと認められることがしばしばある。伊勢湾台風による高潮で,名古屋港にあつたばくだいな貯水が付近市街地に流れこみ大災害をひきおこしたことは有名である。南海地震津波の場合でも津波自体の破壊力は大したものではなかつたが,二次的に生じた漂流物の激突による構造物などの技害が大きかつたという15)38)。
さてこのような災害には漂流物源が問題となる。防潮林ははとんどの場合汀線に存在する(前述)から,海上の漂流物源がまず問題である。岩手県宮古市から宮城県北部に至るリアス式海岸地帯の各湾内では,カキ・ノリの養殖が盛んであることは前述した。これには,いかだにしてもひびにしても,大量の木材・浮きだる・竹材などを遠浅海岸に浮かべ,あるいは定置する。今回も調査した多くの地区でこれらの材料が大量に陸地へ流入し,漂流物の主要部分を占めたようである。また両県はいわゆる三陸沖の漁場をひかえて漁業が盛んであり,おびただしい漁船が常に海岸にある。漁船が流入した場合その激突による破壊力はもちろんであるが,侵入し内陸に置き去られるだけで災害縁の復旧事業の大きな対象となる。昭和8年における調査では,浸水高が2mもあれば数十トンの船も陸上に流され,高潮の場合は千トン以上の船さえ運ばれることがあるという41)。
波来襲頻度の高いこの地方では,た重なる災害のために汀線近くの建造物ことに住家はできる限り内陸高地に移転されており少なくとも林帯前方に住家があることはきわめて少なくなつているが,調査地■では水産業が重要産業であり,このための建築物などは当然林帯前に施設されることが多いから,これらが破壊されて生じた流材・家財などが内陸に押し流されることも多い。以上から三陸地方ではcの災害能性が多いことがわかる。現にこれら浮流物の発生と,それによる災害は多数地区で認められた。
さてこれらの漂流物を林帯が阻止した例は今回も多数認められた。前浜では流材はほとんど全部林帯前■で阻止され,背後の浸水田にもちこまれたのは林内の落葉枝だけであつた。赤前では前面湾内のカキ・ノリ養殖資材と宮古湾内海面に一時貯水されていたラワン材の大量が押し流されたが,その多くが林帯で阻止された。しかし林帯のない津軽石川や林帯の切れ目にまわつたものは,背後水田に流れこんだ。赤前 海岸の林帯は2帯の国有林と幅のせまい1帯の漁業組合有林とがら成るが,後者の林帯で10トン前後の漁船6隻の阻止が認められた。漂流漁船は林帯幅の大体8分どおりまで倒折本を出して侵入し,最後数列の■■で阻止された。阻止された部分の林帯福は約25m,樹高10〜15m,枝下高約7m,胸高直径10〜15cm,立木密度5,500本/haと推定され,下木はほとんどない。ここでの侵入海水の流速は5〜6 m/s以下と考えられた。結局このような条件下で小漁船を阻止するのには,林帯幅は20m以上必要であつたということになる。この1例で必要林帯幅を一般的に考えるのはもちろんナンセンスであろうが,このような事実を観察できる機会はきわめて少ないから,その意味で得がたい参考資料ではあろう。このように漁船のような重量物は立木をある程度倒し,あるいは折つて林内に侵入してから阻止されたが,カキいかだ(末口径10cm前後,長さ10mのスギ丸太材からなる)を見るとほとんど林縁でからまつて阻止され,林内深くへは侵入していない。したがつて,漂流物源としてカキ養殖いかだ材のような軽量物では林帯幅はあまり要らないのかもしれないが,この1事例だけで確かなことはいえない。漁船でも半トンないし1トン程度の場合はやはり林帯前縁でほとんど阻止された例が浦浜(越喜来)で見られた。
大槌の国有林帯でも動力漁船6隻と小漁船多数が林内に侵入して阻止され,またカキ・ノリ養殖資材が多量に阻止され,後方市街地への流入を防いだ。このことは林帯背後の市街地における住家被害が,林帯前方の一部部落のそれに比べて格段に少なかつたことの一因であるとしてよかろう。ここで注意されたのは林帯にはいつて阻止された漁船が,引き波のときもそのまま林内にとどまり外洋に流失したり,転覆したりするなどの被害が少なかつたといわれていることである。このように漂流物が外海へ流失するのを防ぐ効果も林帯がもつことは南海地震津波のときにも認められている18)。
以上のほかカキ・ノリ養殖資材や漁船の流入阻止の事例は箱崎・片岸・浦浜(越喜来)・高田松原・波路上・崎野・折立・石巻海岸などで認められた。
以上に反して林帯のない海岸や林帯があつてもその切れ目の背後地ではカキ・ノリ養殖資材や漁船が大量に侵入し,住家などの破壊被害を激甚にし,これらの大量堆積は復旧事業を倍加した例が多い。大槌町安渡地区・大船渡市沿岸市街地・志津川町沿岸市街地・気仙沼市沿岸市街地・女川町沿岸市街地などがそれである。
いずれにしても、このように林帯が漂流物を阻止することにより内陸の建造物・農地などを極端な破壊から守るこ・とはできるし,また防潮堤が林帯背後にある場合は,その破壊危険性を軽減することもできよう。さらに農地や市街地に漂流物が堆積することも少なく,その復旧は安価かつ迅速にできよう。しかもこの効果に関する限り単に単木程度のものでもそれなりの効果が認められよう。この林帯の効果は全く異諭のないところであろう。
B. 津波勢力減殺による効果
本多5)によれば,防潮林は津波の襲撃力を緩慢ならしめ、その後方に住む人々に避難の時間を与え,かつその速力を減殺するために家屋の流失を防ぎうる。過去において最高の津波波高は約24mであつたという。したがつてやや密に,かつ樹高60〜15ftの樹木から成る林帯は十分に効果を示しうると考えられる。農林省山林局の報告書31)によれば,防潮林はその林木弾性に富み幹枝は円形なるを以て甚だ有利なる条件を以て津波に対抗し,その水平速度を減殺し,その幅員にして十分なる場合には後方部は単に浸水の形となつて被害はいうに足らざる程度となるかまたは林中にて全く波力を失して後方に侵入せずして退去するに至ると述べられている。高橋41)によれば津波の勢力を海岸にて消費せしめてしまうために,海岸にマツその他の林を作ることもところにより有効である。ことに下生の多い林が幾段もある場合は津波を減衰せしめるにはすこぶる理想的であると思われる。川口18)によれば樹木の弾力性により津波の努力を減じ,破壊力を減少する点があげられているが,南海地震津波では防潮林は2〜3列の老松が多く,県営砂地造林地も幼齢であるためこの効果は明りようでなかつた。ただ建築物などが津波により押し流されるか倒されるかの限界点にあるときは,たとえ1本の樹木でも津波に抵抗してそのエネルギーを減じ建築物を流失・破壊からまぬがれしめるのである。また台風津波のごとく怒濤となつて押し寄せる場合には流水中の杭のごとく,防潮林はその下流で水深を減じ,渦流を生じ破壊力を減少するものである。結局防潮林は津波の浸水高を減じ,破壊力を減ずる効果を有するとしている。加藤15)によれば,防潮林のこの種の効果を表わす公式はないが,定常流が1列の杭列によつて水頭の減ずる次式が利用できる。
h=1.73(S^2/B)V^2/2g
とする。ここでh……head loss,S ・‥・・・樹幹直径,B……樹木の間隔,V……流速、=cotψdH/dT,
■……海岸の傾斜,H……波高,T……周期である。この式によると,1列の樹木によつてさえ若干の水■が減少することとなる。だから密生林の場合はさらにこの効果は大きく,流速は防潮林のために距離によつて対数的に減少する。この効果が防高林の役目では最も重要なものであるとしている。西29)は自然海岸で通常の潮汐あるいは波による海水の流れの中に模型をおいて実験し,無障害のときの基準流速よりも樹幹枝梢をたてならべたものが5〜10%流速を低下する結果を得,防潮林は波の一部を遮断し,一部を通過するが摩擦および渦流を生ずることによりその有する破壊力を減少せしめると要約している。
科学技術庁の報告13)によれば波が森林内を通過して向陵におしよせるとき,林木の樹幹や下水,下草などにさまたげられて水流の水頭損失が起こり水位が低下する。津波が森林をでて開けた土地にくると流路断面が増すので,水位・流速が落ちて津波の政壊力はいつそう弱まるので,森林の後方の地域の被害を軽減することが期待できるのであり,引き波のときもほほ同様に考えられるという。
以上によるとあるものはばくぜんと勢力すなわち破壊力を減ずるといい,またあるものは流速をおとすといい,侵入海水位を低下させるといつているが,いずれも抽象的で,効果の現象的説明は十分でない。しかし,強いて要約すれば防潮林は摩擦抵抗の役割を果たし,津波による侵入海水の水勢を減じ,前述bの災害を軽減することができるということが認められてきたこととなる。
しかし津波による海水侵入の実態はきわめて複雑で,十分明らかにされていない。しかも森林という複雑な形のものにこれが遭遇した場合の水流の変化に至つてはきわめて複雑で理論的に究めることは至難であろう。このため上述の諸意見も災害地調査による経験と開水路における杭,橋脚,ごみ溜格子などの理■から類推されたものであり,水勢を減ずるとはどういうことなのか明りようでない。結局一部の文献に■表現されているように,林帯後縁以後で侵入海水の水位・流速を,林帯がなかつた場合その位置で有す■はずの水位・流速以下に低下させるはずであると考えてきたということであろう。このような観点から■次調査の結果を吟味してみよう。
■帯前縁と後縁で浸水位痕跡を比較調査したが,災害後長時日を経過していたため痕跡はあまり明りよ■に認られなかつた。わずかに前浜・赤前・津浜・高田松原などで前縁に痕跡がうかがえた。しかし後■のそれについてはほとんど不明りようであつた。ただ前浜ではわずかに前縁より後縁の方が低いらしい■たがうかがえた。
青森県八戸市市川町橋向の飛砂防止保安林(クロマツ,樹齢10〜20年,林帯幅59m , 樹高5〜10m)で■■林帯前縁で約2.1mの浸水位であつたが,後縁では約1.2mであつたということが写真を掲げて報告されている23)。また,宮城県石巻市大字湊字長浜の国有防潮林(クロマツ,天然壮齢林一部幼齢林,樹高■m,幅200m, 立木密度中位)では波高3mで来襲したが,約200mの幅の林帯を通過する間に侵入海水の流速はいちじるしく弱められ,高さ3mの波も1m以下に減じたという報告(昭和35年6月8曰付日本林材新聞記事)もある。
各現地の地況条件はきわめて複雑であるから一概にはいえないが,林帯前縁よりも後縁で浸入海水位は減ずるということはいえよう。しかし問題がある。林帯前縁の水位は常に津波による侵入海水の水位と一致するとは考えられないからである。すなわち林帯に津波がぶつかつた場合,前面では流速がかなり低下し,同じ流量ならば水位が上昇するはずである。林木につけられた水位痕跡はこの上昇水位を示すことも考えられるからである。すなわち林帯の効果として浸水位低下をいうときは,林帯がない場合の侵入海水位に対して低くなることをいわなければならないが,前後林縁の水位痕跡は津波本来の水位をいつているのかどうかわからないからである。既往の文献でこの点を明らかにしているものはない。上述石巻の例で波高3mというのが林縁木痕跡以外の方法できめられたたしかなものであれば,明らかに林帯によつて侵入海水位を低下させるといつてよいであろう。
さてもし水位低下の効果があるとした場合は林帯の幅,立木密度など林帯のあり方との関係が問題となる。しかし,基本的な問題が以上述べたように明りように指摘できない現状であるから,これらの関係は全く明らかになしえない。
次に侵入海水の流速をそいだかどうかという点についても明確なものは得られなかつたが,次のような例がみられた。川尻では林帯の切れ目で流出家屋をだすほどの水勢があつたとみられるのに,優良林帯内ではほとんど表土の移動もみられず,耕地の流失もなかつた。前浜でも落葉枝の十分な堆積がみられたのに反し,道路による切れ目では当時かなりの流れが目撃でき,道路表面の土壌流亡があつたといい,このことから林内での流勢が弱かつたことが推定できる。赤前では津軽石川沿いの耕地,および国有林帯と漁業組合有林帯との境の切れ目,あるいは組合有林帯の東端の切れ目とその背後の水田に,かなり深い(ところにより1.0〜1.5m)土壌(砂壌土)洗掘が起こり,一部立木の流失も生じているにもかかわらず,国有林帯背後などでは耕地表土の流亡もなく,各林内表土はもちろん地床物の流失もあまりみられなかつた。同様にして浦浜(船越)でも林帯のない海岸東翼では林縁部と背後の防潮堤を欠壊流失し,その後方で水田の流失埋没を生じていたが,優良林帯背後ではこれらのことがないばかりか林内表層土の移動はほとんどみられなかつた。高田松原では林分が疎開し,かつ幅の狭い部分で林地は洗掘され散生する立木は流失した。海岸北翼の林帯のない部分でも多数の家屋流失があつたにもかかわらず,付近優良林分内の家屋や背後の家屋は破壊も軽度で流失をまぬがれた。林帯の切れ目ごとに背後の土塁が欠壊している事実もみられた。また各立木の根元をみると,疎開林分では下流側が深く洗掘されかなりの流速があつたことが推定されたが優良林分ことに低木層の厚いところでは,このような根元洗掘が少ないかあるいは全く認められなかつた。波路上でも疎開林分では林分自体にも立木流失被害をこうむり,背後に耕地流失などのはなはだしい被害をこうむつたのに反して優良林分ではこれらのことが比較的軽度であつた。中島では林内歩道上の杭の根元は下流側で洗掘されてかなりの流速があつたことを示すが隣接林内ではほとんど地床の移動は認められなかつた。志津川松原では林帯背後地域に流失家屋が比較的少なかつたが,林帯のない両翼地域では全滅的被害をこうむつた。折立では林帯疎開部背後ごとに水田の流失埋没などが起こつたにもかかわらず,林分優良の場合はこのようなことがなかつた。林帯のない一部海岸では被害は激甚であつた。洲崎浜ではもと塩田地域に製塩用の枝条架かあつたが前面に林帯のないところでは全部流失し,優良林帯背後では流失しなかつた。また林帯切れ目では深く地表が洗掘され,後方水田もついに田植のやり直しができないほど荒らされた。
以上の諸例から一応優良林帯が侵入海水の流速を低減するのではないかといえそうである。ここに上記諸例での優良林帯とは林帯幅20〜150m、主林木の立木密度5,000〜6,000本/ha,胸高直径10cm前後のもの,あるいは宝林木蜜度は2,000本/haあるいはそれ以下でも低木が全林にわたり密生している場合である。
次に一応流速低減効果があるとするとやはり林帯幅、立木蜜度など林況との関係を知る必要がある。しかしこれも水位低減効果と回禄明確な結果はえられず,単に林帯幅,立木蜜度などに大きいほどよく,また密生する下木の存在はきわめて効果的であるようだと推定できるにすきなかつた。しいていえぱ上述のようにこの津波の場合林地の洗掘や背後耕地の洗掘,流失をなくするには25年生クロマツ単層林では立木密度5,000本/ha以上,林帯幅20m以上は少なくとも必要であつたということになろう。とにかくこのような現地調査で,これらの関係を求めることはきわめて困難であろう。
さて以上を要約すれば,林帯疎開部,切れ目では地表法掘が起こつたり,荷役で耕地・家屋の流失が起り,優良林帯の背後ではこのようなことがないかあるいは軽度であり,また林分内では林床物の移動さえあまりないところがあつたことは事実で,このことから優良林帯の内部および背後で侵入潜水の動きはおだやかで,反対に切れ目や疎開部では激しかつたといつて間違いなかろう。
優良林借部は地盤が多少高いとか湾内海深の最深部の正面にあたつていないなど,地況条件が比較的よい所に多いのではないか,したがつて海水の侵入条件が両者で異なつでいるのではないかという疑いがある。また上記諸例のほとんどに共通のことは,林床物移動さえみられなかつた優良林借の汀線方向の長さはわずかであること,したがつて優良林分で一応さえきられた海水の勢力は,隣接する弱点に容易に転換されるということが考えられる。このため,優良林帯内およびその背後では流勢はおとろえるが,その分だけ逆に弱点での勢力のつよまりとなり,相当の洪水流となる。もしこのような切れ目がなく,両翼を高地に接して海岸線全線を林帯がふさいでいる場合には,多少事情が変化するのではないかと考えられる。■者の問題点については注意して調査したが,一応このような考慮を入れても問題ないと考えられるけれども、後者については説明がつかない。
以上の諸点を明らかにすることは,現地調査だけでは到底無理である。その一番の理由は地況条件が現地ごとに非常に違い,あまりにも複報で簡単に林帯の効果のみをぬきだすことができないことである。今後なんらかの模型実験あるいは理論による研究がともなう必要かある。
C.その他の効果
初夏にオホーツク海気団が北日本および日本海方面に張り出すときは,北日本一帯とくに東北地方には冷湿な北東ないし南東の風,いわゆる「やませ」が吹き込む。風カはあまり大きくないが陰曇な天候も手伝つて意外な低湿をもたらし,かなり持続性もあつていわゆる東北の凶冷の直接原因となつていることはよく知られている。山地があればやませの伝わり方はずつとおとろえるから,直接影響を受けるのは三陸沿岸一帯の農作物とくに水稲である。
また海岸の空気中には塩分を含んでいるのが常態であるが,とくに三陸沿岸のようにリアス式海岸のあるところでは海岸断崖や岩礁が多く,波浪のはげしいときは,跳波などのために大量に生産された微細な 海水粒子が,風とともに内陸に多量に吹き込まれる。これによつて農作物,ときには森林などに潮風害を ひきおこす。ことにやませに海水粒子が含まれるときは被害はいよいよ激しくなろう。これら災害が三陸沿岸の農業にとつて大きな問題の一つであることはよく知られている。
一方これら災害の軽減に対して、林帯が効果的であることは既往多数の調査研究があり,認められている。すなわち,やませによる気温低下したがつて冷害を軽減するためには,林帯を設けるほかなく,また海水泣子をできるかぎり林帯で捕捉するほかには有効で経験的な防潮風策はなく,工作物にはほとんど期待できない。やませなど海岸の風は,平地や海岸に向かつて開いている谷などに沿つて内陸に吹き込むのであるから,湾頭でこのような平地や谷の出口に津波対策としてつくられる防潮林の大部分は,同時に防風林(防冷林)としても効果を示すことになる。音部では防潮林は音部川に沿つて河岸林の形で部落前面にあるから,一部耕地はやませに対し林帯の保護を受けていない。地元民の中には現在砂丘のある海岸砂浜と一部耕地に防潮林・防冷林としての林帯の造成を望む声があつた。
三陸沿岸には青青燈八戸市以北の海岸,宮城県南部の海岸,石巻市海岸をはじめとして大小多数の砂浜海岸があり,東北地方日本海側ほど風は強くないから,比較的少ないとはいえ飛砂の害がある。この防止あるいは軽減にも林帯が効果的であることは周知のことである。防潮林は飛印防止林としても有効である。 さらに三陸沿岸は陸中国立公園など景勝地が多く,一般に樹林の風致的価値は高く,防潮林の存在も風致上きわめて効果的であろう。ことに女遊戸・磯鶏・赤前・根浜・高田松原・大谷・十八成など海水浴場として利用されている海岸では,樹林の存在はきわめて必要である。高田松原のごときは林帯が有力な観光資源となつている。
また所によつては魚つき効果も期待できるかもしれない。
以上津波以外の災害とくに風害に対する積極的対策としては,現状では林帯の設定はきわめて有力な手段であろう。
三陸地方には風致・保建のための林帯を必要とする海岸がきわめて多いが,その多くが防潮林の必要な海岸でもあり,したがつて防潮林のこの面での効果も大きい。
V防潮林の被害
A. 林地・林分・付属工作物の被害
林地林木の物理的な被害すなわち林内地表の洗掘,林木の折損・根倒れなどは一般に少ない。昭和8年三陸津波の際でも,立木の挫折・根倒れなどは林縁に若干あつただけで,全般的に少なかつたようである43)。伊勢湾台風における高潮の場合も,傾向は同様であつた27)36)。
林内ではただ浸水しただけで林床の落葉枝などさえ移勤し兄いなかつた例も見られた。これは概して河川・道路などによる切れ目や凹林地・疎開林分などの弱点をもつ林帯のうちの優良部分に多い。そして切れ目では侵入海水の流勢がはげしくなり,林地表土が法掘され立木の流失が見られた。疎開林分内でも回様流勢は強く,根元の下流側が洗掘され根系を露出された例(高田松原)や,根倒れがみられ,あるいは林帯の前縁が急傾斜面で汀線に続く所ではこの急斜面が侵食され,クロマツの根が露出されたり,根返りされた例が,荒川・志津川松原・大久保などで見られた。これと似て林帯前面の練積護岸(堤防)が破壊され、ひいては林地が侵蝕されて根倒れ木を生じた例も高田松原・折立・波伝谷などで見られた。コンクリート護岸は被害がきわめて少なく,ことに大谷・中島などの階段状に強固に施工されたものでは被害は全く見られなかつた。前述したように混防り直岸とも海水が越流した場合背面直後方の土壌が法掘され,これが進行して結局工作物が欠壊した場合,あるいは欠壊の危険に頻した場合は多い。しかしここに低木が密生している場合あるいは大小の石礫疎が捨石してある場合には,洗掘がおこらないかあるいはきわめて少なかつたようである。
カキいかだ材や漁船が幼齢林に衝突し,前面の木が傾斜あるいは根返りした例(赤前)が見られた。また既成林帯の前面に植栽されて林帯幅を増したものが見られたが,これらの中には植栽苗が表土とともに流失したり,あるいは傾斜して苗の基部が砂で埋まつている場合があるが,これらは十分な護岸もなく,あまりにも汀線の近くまでタロマツを植栽した場合である(片岸・長須賀)。
要するに重量の大きい漂流物の侵入激突を受けた場合,林帯前様の地況条件が悪い上に,工作物などによるその保護が十分でない場合、あるいは侵入海水の水勢が極端に激しくなるような切れ目や弱点をもつ場合のほかは,林木の倒伏・折損被害はきわめて少なく,いいかえれぱ,現状でも可能な範囲での林帯保護をともなえば,抵抗カはきわめて大きいものと考えられる。今回のごとき高潮のような津波はもちろん,記録によれば昭和8年のそれのような激しい津波でも同様にいえるようである。
B. 植物の浸塩水害
野外における植物の浸塩水に対する反応は浸水時間・浸水深・土壌の物理性(粘土質で排水不良の所では土中のclの量が排水後も多く,砂貧土の所では排水良好のときはこれが少ない20)),河川沿いでは塩分濃度,浸塩水の時期(すなわち植物の休眠期,伸長期,開花期,結実期や木本であれぱ椎苗,幼樹,成木生育段階などの,別)などによつて異なるものと考えられる。また浸塩水没の反応の速度も種類によつて遅速の差があるようである。たとえば赤前を7月初旬調査したときは,広葉樹低木はすべて枯れていたが、アカマツはほとんど枯れたものはなく,こんごも枯れるものはなく無被害になるかとさえ思われるほどであつたが,9月上旬の調査時には主林木のアカマツの樹冠の赤変が非常に目立ち,枯死木と判断されるに至つた。もつともアカマツでも幼木は7月上旬すでに赤変枯死していた。
以上の点から精密に浸塩水による植物の反応を野外で観察する場合には,以上の諸条件を知る必要がある。しかし浸水時間・浸水深・塩分濃度は,現実に植物の生じている立地についての測定値をうることは■■である。よつて本報告では観点をかえて,概括的ではあるが,多数の浸塩水地における植物の反応の■■の頻度から,浸塩水に対する抵抗性の有無や順位を知ることに重点をおいた。すなわち浸塩水地で,■■する個体のすべてが枯死している種類は最も弱いもの,浸塩水地の中で枯死したもものと枯死しないも■があればその種類は浸塩水に対しやや弱い種類,浸塩水地でも全く反応のないものは抵抗池の強い種類■いえよう。ただ所生箇所数あるいは所生本数の少ない植物についての最終的な判断は下し得ないから,■■として表に示すにとどめた。
■植物の外観的な反応は次の3段階に分けた。
× 枯死するもの。
△ 浸塩水後落葉するがその後ふたたび新築を出す。また葉の周辺が変色するが健全な冬芽をもつもの。
○ 浸塩水しても反応がなく健全と思われるもの。
■■の調査は浸塩水後約4ヵ月経過した時期の状態であるから,○の中にはいつたん落葉して新葉が出■■がはやく,本来の○と区別できなかつた種類がふくまれている可能性があり,また△の中にはこんご■ていくものがふくまれているかもしれないので,他の報告との比較の場合はこの時期的な違いに注意■■必要がある。
a. 防潮林構成種
第4表に浸塩水した防潮林29箇所をとりあげ,植物の反応の有無を示した。このうち,木本植物のみをとり出すと次のようである。
×:クロマツ椎幼樹・スギ・ポブラ・カマツカ・ソメイヨシノ・ニワトコ
×△・×○:アカマツ・イヌコリヤナギ・ドクウツギ・ネコヤナギ
△:ニセアカシヤ稚幼樹・カワヤナギ・キハギ
△○:ケヤキ・オニグルミ・ナツグミ
○:クロマツ(樹高1 m以上)・ニセアカシヤ成木・コナラ・ヤマウルシ・ミズナラ・ネムノキ・コバノトネリコ・ヤマグワ・クマイザサ・イクチハギ・ハマナス・マサキ・オオバイポタ・ノイバラ・ムラサキシキブ・ヤダケ・イブキ・ハイネズ・ヤマハギ・サンショウ・ガマズミ・クコ・ハナイカダ・ハマゴウ・アズマネザサ・ノブドウ・センニンソウ・フジ・ツタウルシ・スイカズラ・サルトリイバラ・ナワシロイチゴ・ヤマブドウ
次に,浸塩水による植物組成の変化を概略ではあるがみるため,浸塩水地区と無浸塩水地区の所生植物(第4表・第5表)の生活型別種類数百分率を比較すると,第6表のようである(ただし浸塩水区では,枯れた種類すなわちスギ・ポブラ・カマツカ,・アズキナシ・ソメイヨシノ・ニワトコに除いてある)。すなわち,浸塩水区で1年生草本の占める割合が大きくなっているほかは,他の生活型では両地区ともいちじるしい違いはない。
今回の調査では量的(被度・密度)な調査をする余裕がなかったが,観察によっても無浸塩水区はカズザキヨモギ・ケチヂミザサ・シロツメクサなどの多年生草本が量的に多く,1年生草本が多いのは放牧地という特殊環境下の場合であった。これに対し浸塩水区では,1年生草本のメヒシパ・シロアカザ・ツユクサ・オナモミ・キンエノコロ・イヌビユ・トウコギ・イヌビエ(ヒエを含む)などの被度の大きい箇所が多かった。これに類似する現象を倉内20)が潮水の浸水の有無による路傍雑草植生の比較をなし,浸水区は1年生草本によってまず優占されることを述べている。なお,個々のおもな種類について見ると,多年生草本でもヨシや海浜に生ずるケカモノハシ・コウポウムギ・ハマヒルガオ・ハマニンニクなどは耐塩性が強い。
b. 市街地における木本植物
市街地における木本植物の浸塩水に対する反応は第7表に示した。
c. 従来の調査報告との比較
浸塩水のみによる木本植物の生理的な被害報告としては,本多の明治29年6月の三陸津波報告5),川口18),四手井・渡辺38)の昭和21年12月の南海地震による津波報告がある。このほか台風にともなう高潮の害としては,谷口の1953年9月の台風13号による三重県下の報告46)があるが,この場合は強風と降雨の影響も加わつていて純粋な浸塩水による被害とは条件を異にするが,今回と類似した結果も少なくない。
第8表に,上記各報告と今回の調査とに共通な木本植物をとり出して,浸塩水による反応の比較をなした。このうち谷口の報告は調査時期の記載がない。また被害の判定は,葉の変色および枯葉の割合に重点をおいたものである。第8表によるとクロマツは椎幼樹が枯れ,樹高1m以上になると健全であること,およびスギはすべて枯死することは各報告で一致している。その他サワラ・ソメイヨシノ(サクラ類)の枯死,アカマツは枯死するものと枯死しないものとがあること,カキはやや反応を示すこと,ヤダケ・クコ・カラタチ・ナワシロイチゴは健全であることなどは,本報告と他のいずれかの報告と一致した結果を示す。
本調査と異なつた結果を示すのはネズミサシで,本調査では枯死し,三陸津波では健全となつている。また,ヤマグワ(クワ)は三陸津波では大樹が枯れ,中小木は落葉して後新葉が出ているが,本調査および谷口の報告では健全となつている。
その他のヤナギ類・ケヤキ・オェグルミ・グミ類・コナラ・ネムノキ・タケ・マサキ・ノイパラ・ガマズミ・ハマゴウ・ナンテン・フジ・サルトリイバラ・ツタ・イブキ・ハイネズのごとく,本調査が健全の部類に入れ,他の報告のいずれかが葉の部分的変色や落葉後新葉を開く部類に入れているものについては調査時期,浸塩水の時期,浸水程度の差を考慮した場合,この程度のちがいは起こりうるものと考えられる。
なお本多の明治29年の報告によると,高田松原におけるアカマツ老木の大部分は黄葉し,幹は枯死したとあり,また昭和8年にも高田松原は浸水しているからアカマツの老木はかなり減少していなければならない。しかし今回の調査時には林帯後方において,なおかなりのアカマツ老木があつた。このことにアカマツは葉が黄変してもある程度翌年所願を出して回復するものもありうることを示すものと考えられる。
中島国有林ではアカマツは明治29年以前にはたくさんあつたが津波で枯れ,昭和8年にはほとんどクロマだけ残つていた42)ともいうが,昭和8年災直後の調査では,アカマツを主体とした帯伏鉢で2段林をなしていたともいう50)。今回の調査では前述のように,クロマツがほとんどである。とにかく,アカマツに生き残るものがありうるということがいえよう。
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VI防潮林の今後のあり方
以上の調査結果にもとづいて三陸沿岸地方におけるこんごの一般的津波対策の基本的な考え方,その中における防潮林の査場,さらに今後の防潮林造成・既存防潮林の改善・維持に関する問題点など,これに対する意見を述べる。
A. 三陸地方における津波対策
a. 対策の重要性
三陸地方における津波対策の重要性については,いまさら多言を要しないかもしれない。しかし,一応今後の津波対策の考え方に関巡して簡単にふれることとする。
まず今後どの程度の頻度で津波におそわれる可能性があるかが,対策樹立の根本問題のひとつであろう。これについては将来地震発生の長期予測ができるようになれば,これにともなつて津波の長期予測も可能となり,これによつて津波対策の重要性もおのずから定まり,必要かつ妥当な対策もたてられるようになろう。しかし現在では,このことは不可能であゐ。よつて過去の津波頻度を見て将来の予測の目安としたい。
三陸沿岸地方は関東南部沿岸・紀伊・四国沿岸地方とともに往古から地震津波来襲頻度が高く,しかも これら地方のうちでも被害が最も激しいことで有名である。三陸沿岸の津波は日本近海の地震によるものとアリューシャン群島・南米など遠地地震によるものとある。仙台管区気象台の調べ37)によれば,東北・北海道沖の地震による津波は貞観11年(869年)以後,昭和35年(1960年)までに41回あつた。このうち日本海側でおこつた地震によるものは10回,房総沖のものは3回であるから結局28回が三証沖および北海道の太洋側沖合いでおこつており,41回中津波階級2〜4のものは三陸沖で8回,北海道太平洋側沖合で2回おきており,日本海側では2回である。次にエトロフ島沖からアラスカ方面までの地域で発生した地震による津波は,安永9年のもの1回が詳細不明ながらわかつている以外は大正7年以後で9回であり,階級2以上のものはなかつた。
さらに南米方面の地震でおこつたものは,享保4年のもの以後今回のものをふくめて11回が記録に残つており,2以上の階級の津波は今回がはじめてであつた。
災害の面から見ると階級2以上のそれが重要であるが,仙台管区気象台の調べにより階級2以上のものの頻度を見る(大昔の記録は不十分と考えられるので除いて,天保年間以後を見る)と,大約30〜50年に1回の割で来襲していることとなる。なお同様にして階級1以上のもので見ると,平均7年に1回の割合で発生しているようである。階扱1でも波高2m以外のものでは多少の被害が考えられるのであるから,以上を今後の来襲頻度の目安と考えればおのずから津波対策の必要性は察知できよう。ことに海岸綜における社会の発展のすすむにつれて,同じ波高でも被害は格段に増加するおそれがあるとき津波対策の重要性を再認識する必要がある。
次に今回の経験で,三陸沿岸の中でもとくに津波対策の重要な地区が拡大されたということ,すなわち従来の近地地震大津波で比較的被害の軽度であつた地域に,今回は波高したがつて被害が大きかつたという事実は注意する必要がある。明治29年と昭和8年の大津波は,近時における最大の津波で,実態記録もしつかりしている。両者の発原地は少しちがつていたにもかかわらず来襲に際しての浸水の規模,浸水区域などは非常によく似ていたことから,津波の習性はほぼ土地によつて一定しているといわれてきた。すなわち波高・周期・浸水の聖などは,海岸および海底の地形・湾形・湾内の海原などによつてきまるとされてきた。これによると太平洋に直面したV字型湾の湾奥で波高が高く,したがつて被害も概して多いといわれ,これに反し幅せまく奥行の深い,三陸地方としては比較的大きい湾ことに湾ロがせまい場合では湾奥ほど波高が低く,したがつて被害も概して少ないといわれてきた。また太平洋に直面しない半島や島のかげでも同様であるといわれてきた。しかし今回は遠地地震津波で,以上の近地地震津波と異なり,前述のように日本近海に達した波の高さがもともと低いから,外海に面する奥行の浅いV字型湾で湾奥ほど高くなつたものの,絶対的には大した高さでなかつたが,明渡29年・昭和8年の際波高の低かつた,奥行の深い比較的大きい湾の湾奥では副振動の発達がきわめて顕著で,非常に波高が高くなつた。しかもこのような湾奥は,例外なく東北地方では最も経済的発展が著しく,人口調密な市街地のあるところである。さらに既往津波対策が必らずしも十分でなかつたところでもある。その例は宮古・大船渡・広田・気仙沼・女川などの各湾である。半島や島のかげでもほぼ同様のことがいえる。
以上からこのような地点の津波対策は,従来危険度の高いとされてきた地域のそれに付加して考えられねばならないこととなり,三陸地方としては経済文化の面で重要な地域で津波対策の重要対象地が増加したこと,敲密にいえば,従来よりも一層危険度を高く見なければならない地域が増加したことは重要である。なお今回の津波は,わが国としては地震という予告のないものであつたことも、今後総合的な津波対策を考える場合に重要なことである。
b. 一般的津波対策の考え方と防潮林の立場
将来とも津波を起こらないようにすることは不可能であろうから,その災害をなくすること,少なくとも軽減することを考えねばならない。
海上における災害は,現状では迅速に津波を予知してできるだけ速ぐ「逃げる」以外に方法はなかろう。しかし津波災害の主要部分たる陸上災害の防止あるいは軽減には,一応積極的な方法が考えられる。陸上災害をなくするには津波の侵入を汀線で完全に阻止することである。このためには,まず将来おこりうる最大の津波高を完全に予測し,これ以下の海岸低地をなくするよう盛土するか,あるいはこのような低地海岸を津波高以上の高さをもつ防潮工作物で閉鎖することである。
将来起こる可能性のある津波高を完全に予測することは現状では不可能であり、将来もきわめて困難と思われる。そこで,既往起こつた津波は今後も起こりうると考えれば,記録に残る最大の津波であつた明治29年,昭和8年津波の際の波高が将来おこりうる津波の目安となる。さてこれは前述したように,ところによつては30m近くにも達しうるし,10m前後のものは多数地区で見られた実状である。そこでこれらを越す高さで盛土し,あるいは防潮工作物を築造することが可能かどうかということになる。盛土はきわめて局地的なもの以外は現実問題として一考の余地もなかろう。そこで防潮堤について考えて見よう。
今回の調査はもちろん,既往の調査結果18)27)36)38)でも防潮堤の安全性についてけなお不安が感じられ■。しかし,この点は,将来土木技術の進歩によつて解決するかもしれこい。いま将来解決できるとしよ■。次の問題は所要経費である。今日でも防潮堤の破壊は,十分な投資によつてまぬがれうるのかもしれ■い。しかしごく単純に考えてもこの大工事に要する経費はばくだいとなり,わが国力の絶対量からも,■の重要事とのバランスの点からも,まず完全を期することは不可能といつて過言でなかろう。もちろん■■的にはあえてぱくだいな投資をする必要があり,またその可能性があるかもしれないが,一般的には■■対象の価値と事業経費とのかねあいから不可能といつてさしつかえなかろう。ここでも一歩ゆずつて■■このような投資も可能であるとして見ようこなお問題は残つている。それは汀線における平常の経済■■の問題である。大防潮堤で海岸を閉鎖すれば津波対策は万全であろう。しかしこのため,海岸線にお■■経済活動が重大な制約を受けることは想像に難くない。漁港・商港地域では,ほとんどその活動は停■■近い状態に追い込まれる。長年月に数回というような頻度で考えられる津波に対して完壁であつても■■の経済活動の受ける損失はばくだいである。小漁港などではほとんど致命的な降害となるとさえ考え■■る。
■以上3点から,一般に津波による陸上災害を完全に防止するため盛土あるいは防潮堤築造を完全に■■することは不可能ということになる。陸上災害を完全に防止する方法がないとすれば、冒頭に述べ■■うこ少しでも軽減することが津波対策の目標のすべてということになり,所要経費・海岸線における■■の経済活動の2点から理論的には優位にある防潮工作物も現実にはかなり妥協した規模のものとなら■■得ない。しかし少しでも軽減効果を高めるためには,前述2点から防潮工作物の欠陥を補完する他■■がえられねばならないことになり,ここに防潮林造成あるいは合理的避難策など各種の消極的方■■があわせて考えられる必要が生じる。
■■でわが国と同様,しばしば津波災害を受けるハワイにおける津波対策について紹介されたもの9)を■■。次のようこ総合的に考えられている。1)建築物の被害はまぬがれないとしても人命の保護につ■■回避する方法はあるとし,その方法は観測所を十分に設け,津波来談を迅速にはあくし,警報を出すこと,2)危険地域は大体既往調査で分るからその地域では平常住民の避難訓練を十分に行なうこと,3)将来の建築あるいは農園経営は極力海岸をさけること,現在すでに人口稠密で移転困難な場合は少なくとも新築をやめあるいは制限すること,4)田園地域の構造物はなるべく海岸から離してつくること,しかも土台を堅固にし,床を高くすること,5)防潮堤を完備すること,6)防潮堤背後にはこれをこえる海氷のエネルギーを減ぜしめるために開開地を十分残すこと,7)海岸近くの建築物は十分に抵抗しうるよう強固にし,背後の弱い建築物の防ぎよとすること,などが主要なものとなつている。防潮林は採り上げられていないようであるが,ともかく1種類の方法で津波災害を防止することはもちろん,十分軽減することもできないからそれぞれ特徴をもつ諸種の方法を,地域特性に応じて組み合わせるほかないことを意味している。
以上述べたところは全く当然のことで,いまさら説明を要しないことかもしれないが,最近土木技術の進歩を過大に評価し,簡単に「津波対策は防潮堤で」という言葉が巷間に聞かれる際,認識を新たにする必要があることと思われる。ここに諸種の方法とは,昔からすすめられているもの以外に新奇なものはないようで,迅速な予測と警報(大地域あるいは局地的),避難訓練の徹底をふくむ合理的な避難策,避難道路網の整備,被害の主要部を占める住家・財物の高地移転,危険海岸における住家などの進出のできる限りの制限.家屋などの構造物の強化,とくに海岸前線における樹造物の強化などいねば消極的対策とともに,防潮堤・防潮林・防波堤・緩衝地帯の保持など防潮施設の整備による積極的対策が考えられる。先に述べたように,津波対策はこれら各種の方法をその特徴と地域の特性に応じて。総合的に案配する必要があり,各個の方法はいずれもそのなかの一部の手段にすぎないと考えるべきである。個々の方法をそれぞれ改善することは今後の重要課題であるが,いかに改善しても個々の対策のみでは万全を期し得ず,これらの案配の仕方もこんごの重要課題のひとつであろう。防潮林の立場もこのような総合的対策の中の一手段としてある。
この調査の目的と多少の関係はあるので,調査に際し上記消極的方法について気付いた点を筒単に述べる。津波の予測とこれにもとづく警報の発令,したがつて迅速な避難は,消極的対策では重要なものである。近地地震津波の場合,地震発生後の津波予測と警報については,かなり体制ができているようであるが,今回のような遠地地震についてはほとんどわかつていないようであり,こんご研究を促進し,これにもとづく予測体制の確立が必要であろう。今回のように地震発生後ほほ1日間くらいの時間的余裕がある津波では,予報ができれば被害軽減は格段に期待し得よう。さらに現地によつては津波が湾口に達してから湾奥に至るまでに,近地地震津波でも十数分以上の余裕がある場合があるから,このようなところでは湾口に見張所を設けることも考えられる。いずれにしてもできるかぎり遠く津波を予測し,あるいは発見して周知せしめる体制の確立に,いよいよ努力することが切に望まれる。
避難を合理化するには避難道路の整備もきわめて重要である。田老町では昭和8年津波の際主要道路が海岸徐に平行で,海岸と直角方向の高地への最短道路がなく,避難に手間取つたため,多数の人命を失つた。このため同町ではその後碁盤目状に多数の避難道路を整備し,きわめて短時間に背後高地へ避難できるようになつている。三陰地方の海岸都市では,こんご部市計画にこの考えを取り入れ,機会あるごとに実施する必要がある。
ハワイの例を見るまでもなく,海岸の建造物はできる限り堅固にする必要がある。この調査でも川尻・大船渡・志津川・女川などで流失家屋は土台が弱く,かつ土台に堅く固定されていないものにとくに多かつたことが知られた。今回のように比較的勢力の弱い津波では,この改善だけでもかなり被官を軽減できたのではないかと思われる。海岸都市の場合,先に述べたように海岸線に巨大な防潮堤を築造することは不可能である。したがつて,かなり妥協した規模のものを造るかあるいはせいぜい護岸の築造にとどまり堤防は造れないことも多かろう。そこで汀線における建造物,少なくとも「みを筋」の正面にあたる建築■を強化し,防潮堤に代えることが考えられ唱導されている。もちろんこれにも問題は多い。たとえば,このような強固な建造物群帯には当然汀線に出る道路などの切れ目が生ずるはずで,このときは切れ目に■力が集中して流れ込み,後方に集中して激しい被害を生ずることも考えられるからである。今回も大船■・釜石などで強固な建物の両側に勢力が強まり被害が大きくなつた例が見られた。個々の建造物を強化することはよいとしても、上記のような建築物群帯のあり方は防潮林帯の場合(後述)同禄こんごの研究■題であろう。
危険な漂流物源をなくするか,あるいは少なくすることも消極的対策の一法であろう。三陸沿岸地方で■先にに述べてきたように,カキ・ノリ養殖資材がこれであるがこれらを無くすることは不可能であろう。■かし宮古・女川などで,海岸付近の製材工場の貯材が流出して役害原となつた例はある。伊勢湾台風に■ける高潮の際名古屋港で,大量の貯木が流れ込み大災害をもたらした例は有名である。このような漂流■■を,規制することは不可能ではなかろう。
本田5)によれば,明治29年以前は津波災害防止には住家の移転と,家屋建築術の改善のほかないといわ■ていた。三陸沿岸地方においては,既往の津波災害の激しさからかなり実行されてきており,先に述べ■ように,農漁村地区では部落が汀線よりかなり奥で山脚部にある場合が多い。これらの部落のかなりの■■は,既往津波の被害後に高地へ移転して復興したものである。しかし先に述べたように,なお他の津■■策に期待できない地況条件の地域で,汀線に人家が在る場合も多い。もつとも注意すべきは両石の例■■とく最近津波が少なかつたため一度移転した住家が,ふたたび海岸におりてこんどまた被災した例で■■。海岸都市ではともかく,農漁村では替地が全然考えられないということでもないから,平常の経済■■や生活の不便さのため困難は多いが,多年の蓄財を一挙に失うおそれのあることを思い,機会あるご■■この方策を実施する必要があろう。少なくとも危険海岸では,人家のこんごの進出は厳に避けるべき■■ろう。いずれにしても集落の高地移転が促進されれば,農漁村の場合全体としての災害軽減が格段に■■■と同時に,汀線における防潮施設についても考え方は容易となろう。
■■の津波では奥行の深い比較的大きい湾で波高が高く,被害が大きかつたことは先に述べた。このよ■■■で湾口がせまい場合には湾口を横切つて防波堤をつくれば,ここで津波は一部反射されるため勢力■■■、湾内とくに湾奥での波高増大をふせぎ,被害の軽減もできよう。湾奥での堤や護岸を低くするこ■■■能となる。たまたま三陸沿岸のこの種の湾の湾奥には,大船渡・陸前高田・気仙沼・志津川・女川■■■市街地が発展している場合が多い。これらの地区では先述のように,汀線に高い堤防を築くことは■■■、もつぱら消極的対策に重点をおかざるを得ないとき,古くから概念的にはいわれている41)このこ■■■対して見てはどうであろう。これができれば汀線の経済活動も阻害せず,くい違い堤にすれば船の■■■も支障はなかろう。問題は技術と経費であろう。ことに湾ロがせまく,かつ比較的水深の浅い湾で■■■の価値があろう。気仙沼湾・女川湾について検討がはじめられているとも聞く。もちろん防波堤は■■■に限らず,陸地によせて設置することも考えられる。防波堤は津波波高の低下や津波の衝突・引き■■■力をそぐ目的でも考えられるが,津波の主勢力を重要保護地域から,あまり重要でない地域にそらせる目的でも考えられる。今回宮古港・泊港でこの効果らしきものがうかがわれた。
c. 防潮林と防潮堤
最近沿岸地帯の経済価値は格段に増大しており,それに相当する投資によつて防災施設を設置する可能性も増大している。一方,今ロの進歩した土木技術に対する信頼も増大している。したがつて,まずできる限り高くかつ強固な防潮堤によつて,津波に対抗しようと考えるのは当然であろう。しかし先に述べたように,その規模はかなり小さいものとなりがちであり,またいかに綿密に設計された工作物も絶対に破壊しないとはいえず,結局防潮堤のみによつて完全な津波対策とすることは不可能であろうから,他のあらゆる方法が併用されることとなるが,総合的対策の中心としての位匯を防潮堤に負わしめる考えは否定できない。
防潮林には海水吸入を阻止する機能は全くない。また海岸線で非常に得難い現実にもかかわらず要する敷地はきわめて大きいし,最大限の効果を示すまでに非常な長年月を要するなどの欠点はあるが,先述のような津波被害軽減の効果をもつと同時に土木工作物には全く期待できない防風・防潮風・飛砂防止・風致・魚つき・林産物供給などの効果をあわせもち,造成経費はきわめて安い上にいつたん成立し保護よろしきを得れば,林帯の津波による破壊はかなり少ないなどの特徴を存し,防潮堤で不十分なところを補完し,所によつては対等の立場で考えられる手段であろう。結局防潮堤を中心として考えるとしても,これに防潮林を地域特性に応じて合理的に組み合わせることが現状で最良の積極的津波対策と考えられ,一般的にはこの両者は一体として考えられるべきものであろう。積極的津波対策を防潮堤のみに依存する考え方は危険であろう。
三陸沿岸他方では従来所要経費の安い防潮林が主として採用され,防潮堤は大湊・湊・前浜・田老・浦浜(船越)・前須賀・大槌・吉浜本郷・浦浜(越喜来)・二十一浜・相川などに施設されているが全危険海岸箇所数からすればなおきわめて少ない。しかし先にも述べたように,近来ますます保護対象の経済価値が高くなり,また土木技術に対する信頼性が増したことから今回の復旧にも防潮堤の施設が各地で計画されている状況である。たとえば調査旭区でも,川尻・前浜(一部)・女遊戸・高浜・金浜・赤前・音部・唐竹本郷・大船渡(生形)・高田松原・折立などがある。このほか林帯前面の護岸のかさ上げにより堤防状にする計画のものは,多数地区にわたつている。既存防潮林の整備とともにこれらが実現すれば,先述のように積極的対策として現在考えられるこれら2法がたがいに補完しあつて共存することにより,津波対策を一歩前進させることとなろう。もちろんこれら地区の一部には既存林帯もなく,この際林帯を造成する計画のないところもある。また一部地区では防潮堤築設にあたり,既設林帯を犠牲にする計画もあるようである。こんごの津波対策は防潮堤が中心的役割を演ずることはたしかであろうが,過大評価して唯一の対策と考えることははなはだ危険である。できるかぎり,林帯と堤防を併存させることを考えるべきであろう。ここで注意されることは防潮林と防潮堤の位置の前後関係である。調査地域では防潮堤が防潮林の前方にある場合と,後方にある場合の両方が見られた。後者の例は前浜・田老・浦浜(船越)・大槌・吉浜本郷などである。また計画では前浜(一部)がこの例である。また同じ林帯背後でも直ぐ後方にある場合と前浜・田老のようにかなりの面積の耕地をへだてて後方で直接主要保護対象である部落の前面にある場合とがある。前者の場合,防潮林は防潮堤と相まつて津波災害の軽減に効果を示すが,とくに直接には防潮堤の保護に役だつという意義が大きい。後者の場合は,防潮堤は保護の必要性が比較的高い部落を直接守る形となり,防潮林は前面の耕地における被害軽減が主たる目標となり,あわせて堤防の保護ひいては部落の保護を受持つ形となる。すなわちこの場合の防潮堤は,比較的地盤が高くかつ強固になつた所で,できるかぎり安くなるよう低いものとし、かつ技術的にも容易な基礎のところに配置し,重要な保護対象たる住宅地の被害を阻止しようとする意味をもつ.もちろん高地に配するため延長が伸びて経費節約にはかならずしもならない場合もあろう。和歌山県広村では護岸・防潮林・防潮堤の順に配置され,昭和21年南海地震津波の際集落の保護に有効であつたこと,林帯が堤防の前衛の役目を果たしたことなどが報告されている18)24)38)。
防潮堤が林帯前面にある場合は,堤防類似の護岸の場合もふくめれぱ,背後にある場合よりも多い。計画されている防潮堤も用地の関係などから林帯前面の場合が多い。この場合林帯は,津波が堤防を超えた場合,あるいは堤防が破壊された場合の第2の防潮手段としての意義をもつ。いずれがいいかは一概にはきめられない。各現地の特性によつてきまる。
以上各種の方法を,地域特性に応じて総合して各地区の津波対策を考えねばならない点と,調査結果にもとづいて各種方法について気付いた点とを述べた。
さて地域特性は,主として保護対象が商住地・エ業地であるか,農耕地であるか,あるいはそれらの規模・価値の軽重などの人文条件(経済条件)と地形など,現地の自然条件できまる。今日の防災行政の考え方からすれば,あらゆる対策はまず前者で考えて,総合的に前記各種方策の採否あるいは重点化が考えられ,次に後者によつて各種方法の型・規模などがきめられるはずである。
三陸沿岸地方は大別して,2種類の地域に分けられる。まずハ戸・宮吉・山田・大槌・釜石・大船渡・陸前高田・気仙沼・志津川・雄勝・女川・石巻・塩釜などの各市町(中心市街地)のように,汀線まで相■の商住地・工場地帯が進出しており,汀線におけるその経済活動はきわめて高度で,保護対象の経済価値が格段に高い地域がある。これらのほとんどは今回の遠地地震津波で,従来よりいつそうその津波対策の重要性が認識された地域である。また海水侵入を阻止する必要のとくに強い地域でもあるが,一方海岸■を閉鎖するような方式を全く許さない地域でもある。したがつて,前述の消極的対策が津波対策の中心とならざるを得ない。そのうちでも市街地の高地移転などはほとんど不可能に近く,結局津波予報体制の■■・平素の訓練などによる避難方法の改善によるほかなかろう。ただ,都市計画の改善が考えられる際に、避難道路の意味を十分加味して道路網を整備すること・沿岸建物を強化すること、海岸線に風致など■かねて並木程度でもよいから樹帯をできるかぎり設けること(新しい埋立地などに可能性がないわけで■なかろう),貯木場など漂流物源の配置を再考することなどがあわせて考えられるだけである。たまた■これらの各市町中心市街地は奥行が深く,湾口が比較的せまい大湾の湾奥に位置することから,湾口に■波堤を設けることが考えられる。この点は先に述べたとおりである。いずれにしてもこのような海岸都■では,防潮林は一般的に考慮の余地はきわめて少ないようである。
前述のように三陸沿岸地方では湾奥に農地が開け,その中あるいは後方に人家がある場合が多い。本調■から推定しても海岸線の砂浜につづいて農地が開け,その後方に人家のある場合がとくに多い。しかし■■の前方に人家があり,あるいは農地だけで家屋は津波災害の対象とならない海岸平地もある。いずれにしても以上のような農漁村地区が危険湾奥海岸の大部分を占めているようである。
これらの地区は自然条件からすれば海岸都市と異なり,前記各種方法のすぺてが一応考えうる。ことに■■的対策は海岸都市にくらべ実行しやすい。すなわち,前面には緩両地帯としての砂浜をできるかぎり■存するか,できれば拡大し,その後方に防潮林・防潮堤を施設することができよう。また屋敷林の造成も可能性が大きい。同時に消極的対策の方にしても,たとえば人家の高地移転なども海岸都市のように絶対不可能でもなかろう。その他の消極的対策はもちろん海岸都市と同様に考慮できよう。
しかし農漁村といえども,海岸線における経済活動はそれなりに活発であり,これを制限することは好ましくない。また海岸都市にくらべれば保護対象の経済価値は低く,わが国力の現状からすればここに大きな防災投資はむずかしいとされる場合が多く,結局以上諸対策の規模にはおのずから限度があるのはやむを得ない。結局防潮林を考慮できるのはこのような農漁村における場合である。現実にも防潮林は農漁村に限つて存在し,かつ必要と思われる箇所には大体造成されているようである。そして津波対策は前述のように地域特性に応じて採られるから一概にはいえないが,田老で現在施設されている方法などが基本形とでもい丸よう。すなわち緩衝地帯としての砂浜を十分に温存もしくは拡大保持し,できればこれに人工砂丘をつくり,モの後方に林帯を設ける。林帯前面には必要に応じてできる限り強固な工作物を付設する。林帯後方に耕地を配し,集落はできるかぎり高地に移し,集落の前面を防潮堤でとりまく。集落内には避難道路を高地に向けて十分に整備し,公共施設を高地におき,各種警報発令伝達体制を確立する。できれば湾口に防波堤を設ける。このような総合的方策により災害軽減はかなり期待でき,所要経費面でも合理化されよう。しかし各現地の地域特性は千差万別であるから一概にはいえないが,一応このような形で総合的な津波対策を考えうる地域も多いと思われる。
きわめて高い波高が予想される地区では,この基本型の配置が最も望ましい。防潮堤はかなり地盤が高く,かつ強固な所に配置されることとなり,経費的にも技術的にも合理的であり,しかも防潮林と砂浜・農地などの緩衝地域で保護される形となり,最も重要な保護対象たる集落への津波侵入を阻止できる可能性も高くなる。一方,農地は造成費の安い防潮林と,その付属工作物によつてかなり被害が軽減できる。しかも汀線における経済活動への障害は格段に少なくなるとともに,林帯の諸効果が期待できる。波高が低い場合たとえば直綿的な単純砂浜海岸では,この基本型から防潮堤をとり,林帯とその前面の付属工作物の規模をできるかぎり大きくすること,あるいは比較的低い防潮堤を林帯に接近してつくることで一応よかろう。
以上のことが考えられるものの,現実に三陸沿岸では危険海岸のほとんどに防潮林は一応造成されており,こんご造成が考えられる地区は少ない。しかし防潮堤はこんごも築設されるものがかなりある。この基本型の是非は別としても,また用地などの関係でかなりの困難がともなおうが,できるかぎりこの面の考慮が払われることが望まれる。
もちろん先述のように防潮林が防潮堤の背後にある場合も両者併存の意義が失なわれるものではない。
B. 防潮林の改良・造成
先に述べたように津波対策は各種方法を総合して行なわれるべきものであるが,そのなかで防潮林はやはり重要な位置を占めるといえる。危険海岸ではあまねく防潮林を造成することが望ましい。しかしその性格とくに広い用地を必要とする点から,結局土地に余裕のあるところで,海岸線における生産活動に障害とならないところに造成が可能となる。三陸沿岸の場合現実にもこのようなところ,すなわち農漁村に限つて存在し,現状必要と思われるところにはほほ一応の造成がすんでいる。このためこんご新たな造成の問題は少ないと判断される。
しかし,既存防潮林は維持管理方法のいかんによつて非常に立派に存置されているものと不良なもの,極端には痕跡すら残さないほどに消滅してしまつているものまである。このため今回も十分に,あるいはほとんど効果を発揮できなかつたことにより,防潮林の存含意義をさえ疑問視するような意見の出る原因となつたものも多い。現状のままでは単にに名ばかりの存在で,いたずらに海岸線の貴重な土壌を空費するだけである。この際,ぜひ整備改善して名実ともに防潮林として利用すべきである。したがつて,三陸沿岸地方における防潮林の問題は主として既存林借の改善と維持,とくに不良林帯の改善が中心であろう。よつて林帯の改善問題を中心として次に述べる。
a. 林帯の配置と切れ目
先に述べたように,危険海岸の海岸線の長さは雑多であるがいずれの場合もその両翼は高地に接している。とくにリアス式海岸地域では,幅のせまい谷地形の出口の海岸であることがほとんどである。津波対策はこれらの両翼を高地ではさまれた海岸,すなわちその奥にひろがる谷地形の平地をその出ロで守ることである。したがつて防潮林がこの出口を全体にふさいでいることが望ましい。前述のように,調査地区の70%強の地区で両翼もしくは片翼が高地に接せず開いている。赤前・浦浜(船越)などその典型的な例である。こうなつた理由は造成当初土地が入手できなかつたこと,湿地や道路であつたことあるいは河川が流出していることなどである。河川や道路の場合は,次項で述べるような配慮で対処するほかなかろうが,所有関係や湿地のため造成できないでいる場合は,この機会にできるだけ林地として利用できるよう努力する必要があろう。さもなければ,前述のように既存林分をいかに改善しようともその効果はかなり低減されてしまうおそれがある。ことに湿地の場合は,技術と経費の問題にしぼられるものと考えられるから努力する必要がある。
両翼を高地に接していても林帯内部に切れ目をもつ場合は多い。このような谷地形出口の海岸の場合かならず河川が流出しており,また漁業地帯もしくは海水浴場であつて見れば,当然内陸から汀線に出る道■が林帯を切る。これらは概して汀線に直角に,したがつて林帯を直角かつ直線的に切つていることが多い。先述のようにこれら切れ目に激しい海水流を生ぜしめないためには,道路あるいは小さい水路では汀■に斜めにあるいはS字型につけかえ、できるかぎり幅をせまくすることが望ましい。道路の場合できれ■林帯を切るものを廃し,両翼の高地から直接林帯前面に出る道路につけかえることも考えられる。道路による切れ目については古くから指摘されている5)ところであるが,なお多数地区でこの事実が見られた。■善の実現は容易でなかろうが,しかしこのことが林帯全休としての効果を大きく低下させることを考え■ば,強くその実現が望まれるわけである。
また河川の場合,津波がこれをさかのぼり林悟背後で河川から海水が横溢し,林帯の効果を極度に低下■せることがあることは前に述べた。これを防ぐためには,やはり実現に多大の困難がともなうとしても■きるだけ上流にも林帯(河岸防備林)と護岸(堤防)を十分な現役で延長造成する必要がある。かくす■ば、川から侵入する海水をできるだけ阻止し,あるいはその勢力をそいで単なる浸海水害だけにとどめ■こともできると同時に,遂に川を1つの緩衝物として利用することにもなろう。延長すべき距離は予想■■・地形などによつてきまる。このことも古くからいわれているが5)11)18)38),筆者らもこんごの防潮林■の重要点として強調したい。
■■に起伏があり,汀線に直角方向に凹地がある場合,あるいは砂丘が点在してその間に凹部がある場合には,これら凹部に侵入海水の勢力が増すことが知られた。このような起伏は造成前にでぎるかぎりな■する必要がある。既存林帯でもできるかぎり盛土して,改攻する必要がある。
■■。林帯幅
防潮林の林帯帽は漂流物阻止・津波勢力の減殺の効果や,その他の副効果から一応広ければ広いほどよいと5)25)31)32)36)38)考えられている。しかし一方土地利用の面からすると,海岸の土地ことに山地が汀線までせまつている三陸沿岸の平地は貴重であり,一般に林帯に要する土地をできるかぎり少なくしたい要求かある。この間を調整するためには,保護対象の側から必要最少限度の幅が決定できれば都合がよい。しかし現状では全くわかつていない。こんごにおける防潮林研究の重点問題の1つである。
この決定は次のように考えるべきであろう。林帯は海水侵入を阻止することはできない。できるかぎり静かな単なる浸水にとどめて,被害を冠水による最少限度の被害にとどめることが林帯に望まれる。したがつて,林帯の効果の限界は建築物ならば倒壊流出,農地であれば流失(洗掘)できればそのとき生育している稲など農作物の流失をおこさない,単なる浸水にとどめるよう危険浮流物を阻止し,侵入海水流の勢力(水位・流速)を低下させることにある。そしてこの限界効果を果たすに必要なだけの最少限度の幅を,林帯にもたせねばならないこととなる。
さてこの幅を知るためにはまず保護対象から見た,上述被害の限界の流速・水位と今後考えられる最大津波による侵入海水流の流速・水位を知る必要がある。これらについてはなお十分わかつていない。ただ前者について大ざつぱには次のようなことがいわれている。木造家屋は約2m深さに浸水すれば破壊するといわれているが49),今回の例でも家屋の流失・倒壊を生じたのは大体地上2m程度以上の浅海水深のところであるといわれる。今回の津波による陸地上の海水流の流速は,ところによつて大きくちがうが大体1.5〜3.0m/sくらいと考えられ,これは木造家屋でも,耐震構造であれば耐えられる程度であるという意見もある。もちろん水位があまり深くなく,少なくとも2m以下の場合である。将来の津波のそれについてはもちろん,既往大汗波についても正確にはわかつていない。ただ伝播速度から考えて,前述のように5〜10m/s前後のものではないかと想像されたにすぎない。いずれにしてもこのような事実が,一方で十分に明らかになれば,後者を前者まで低減させるに必要な林帯福の最少必要限度が考えられよう。もちろんこの幅は林分の構造すなわち林型・立木密度によつても大きく左右され,また地形や他の防潮施設の有無・種類などによつてもかなりちがうはずであるから,各現地ごとにこれらを総合的に考慮して決定される必要があり,本来一般的に決定できるものではなかろう。
さらに林帯は壮老齢となればしだいに主林木の立木密度は低下し,枝下高は高くなるなど観念的にも好ましくない林況となるはずで,当然更新されねばならない。一方,津波来襲は不定時であるから,最少必要幅は更新時にも保持される必要があり,したがつて効果の面から決定された必要最少幅に,更新のための幅が付加されねばならない。
とにかく以上述べたようにして決定されてはじめて合理的な林帯福といえるが,現状では全くねかつていない。
しかし既存林帯の幅は,既往の経験から広ければ広いほどよいと考えられ,実際には用地の獲得が容易ではないため土地を得られただけ造成され,あるいは,天然林の場合維持されてきたもののようである。ただ既存林帯数の大部分を占める,昭和8年災後の造成林帯についても同様のようではあるが,しかし必,要最少幅については,本多博士の意見が目途になつていた1)ものと見られる。その結果たる既存林帯の実態は前項に述べたとおりで,調査林帯数の約70%は平均幅50m以下であり,大部分は用地取得の難易に支配されて土地の形は不整である。既往の文献でも具体的に最少必要幅にふれたのは本多のもの5)31)だけで,明治29年災後の報告では,海岸では十分な土地がないことが多い。したがつて調査結果から少なくとも幅20mを要し,事情の許すかぎり40〜60mの幅員とする必要があると述べているが,昭和8年災後の報告では余地あるときは十分に広く造るべしとし,最少限55〜90mを必要とすると述べている。他の文献は広ければ広いほどよいと述べているものがあるだけである。本多の最少限幅もその根拠についてはふれていないが,おそらく災害後の調査結果から大たんに推定したものと考えられる。
さて今回の調査結果から大たんにいうと,幅30m以上で,主林木たるクロマツの立木密度が5,000本/ha以上(下木はほとんどない)の林帯では侵入海水流の内容は不明りようであるが,事実として背後耕地などに土壌洗掘が起こつていないようである。もちろん幅100m以上で,下木も相当に生育している赤前・高田松原などの一部優良林分背後では,耕地・道路その他の表層土壌の洗掘は全く起こつておらず,浦浜(越喜来)のように前面に低いながらも堤防があり,これを越した侵入海水流の場合は,幅20mくらいで■背後水田に流失被害は見られなかつた。これらに反して上記以下の林帯幅や立木密度のところ,ことに■分のないところ(切れ目)では,そこ自体はもちろん背後の耕地,家屋に流失被害を出している。また■査した各地で,カキ・ノリ養殖資材がほとんど林縁で阻止されたのが見られ,赤前では林帯幅25m・立■密度5,500本/haの林分で,20mくらい倒折木を出して漂流漁船が食い込んでから阻止された。
以上から,きわめて大たんに判断すると,今回の高潮様で,比較的勢力の弱かつた津波では,5,000〜■■0本/haの主林木密度で30mくらいの幅があれば耕地流失や,小漁船流入の政客を阻止できるかもしれ■いということとなる。さらにこれに更新のための余裕幅を加えると,53〜60mは必要ということになる。しかしこれはあくまでも今回のような津波の場合で,近地地震による大津波のように勢力の強い場合■なんともいえない。また前項で述べたように,切れ目に津波主勢力を転換したかもしれないと考えられ■場合の,優良林分の効果を根拠としての話であり,簡単には結論づけられない。近地地震による大津波■場合を考えると最少限70m前後は必要と感ぜられ,本多博士の判断が現状ではあたつているように思わ■る。
■上はあくまでも,林帯の効果と,更新面から見た必要最少限度幅決定の考え方であつて,現実には用■の獲得・保護対象・地形・他の施設などの諸条件,ことに用地が得られるかどうかできまつてしまうこ■が多い。三陸沿岸の実態は前述のとおりで大半は50m以下のせまいものである。したがつて,このよう■■帯幅を考える意義はうすいとする意見もある。しかし防潮林をつくる以上は十分意義あるものとしな■■ば,貴重な土地を空費することになりかねないし,また災害防止をはかる以上できるかぎり万全の策■■づけるべきで,こんご研究さるべき重要問題の1つであろう。宮城県や青森県の広大な海岸砂地の場■■どをはじめとして,一部地区では林地の開放問題もおきており,このためにも最少必要幅を決定する■■があろう。
■だやはり広ければ広いほどよいであろうし,土地を得られるかぎり広く造成し,あるいは既存林分を■■るかぎり継続する必要があろう。また一方2〜3列の樹列でもそれな引こ効果はあるから,土地を得■■る範囲で,このような樹帯も都市計画その他の計画の中で,造成をはかるべきであろう。
しかし現状でも前述の林帯の切れ目と同様,幅・立木密度に関する弱点については早急に処置する必要■ある。すなわち,林帯の一郎に幅のせまいところ,あるいは立木密度の低い部分があれば,前述切れ目■同様に好ましくない。このことは昭和8年災でもいわれている42)。したがつて,既存林帯についてはま■このような弱点の補強を強力にすすめ,一応現在の最大林帯福と立木密度を基準としてでも,できるか■■一様化に努める必要がある。
がある場合には,これ・ら凹部も前述の切れ目や林帯狭幅部,疎開部同様の理由で好ましくない。このような低地部をできるかぎりなくする必要があり,既存林帯で林地を変更できないときはとくに立木蜜度を増すか,あるいは幅を厚くすることが望ましい。
さらにみお筋の正面部でも,低地部対策と同様に対処すべきである。立木密度の増加については,単に主林木のそれを考えることもできようが当然限度がある。したがつて,現実には亜高木・低木を導入して多段林を考えるとか,低木帯をつくるとかのことが考えられる。このことは後に詳述する。
また調査地域の一部には,林緑で立木が枯死し,あるいは耕地に侵入されて保有されている敷地幅よりも,現実の林分幅がせまいものがある。この補値は当然のことであろう。
c. 付属工作物
林地が洗掘されないかぎり,津波勢力で倒木を生じた例は今回の調査結果でも,既往資料5)18)27)36)によつてもきわめて少ない。しかし洗掘が起きると容易に倒木する。調査によると林帯前緑部の砂浜が,津波あるいは平常の“しげにおける高波により侵食され,林帯幅がせばめられた例は多い。当然のことながら,林帯前緑はできる限り十分な護岸または土塁などの工作物を付設し,林帯を保護すべきである。調査地域では箇所数で約30%に前面保護工作物がなく,砂浜につづいて林帯があつて侵食の危険にさらされており,年々林帯幅を減じているものもある。このようなところでは,今後工作物を付設して林帯を整備すべきであろう。人工砂丘の造成・固定で代えられるところもあろう。海深の深い部分ことにみお筋の正面にあたる部分では護岸を設け,その設計も厳重にする必要があろう。このような場合,調査結果ではやはりコンクリート工作物とする必要があるようで,その設計は中島・大谷国有林のように階段状にするのが最も望ましい。
調査地域では低湿林地で排水が悪く,林木の成長が悪いところがかなりある。中には完全に主林木が消滅しているところもある。しかも排水工を十分に施設しているところは少ない。こんご排水工を整備してゆく必要がある。
4. 林分構造
林帯の最少必要幅については明確になつていないことを前項で述べた。現状では広ければ広いほどよいというほかない。一方青森県・宮城県の大砂浜海岸以外の地域,とくにリアス式海岸地域では敷地獲得が容易でない。そこで林分構造すなわち立木密度や,林型の改善でできるかぎり最少必要幅をせまくできないかという要求が生じる。林分構造の改善によつて幅が節約できるかどうかは十分明確にはなつていないが,しかし前述のように,今回の調査結果で疎開林分に効果が認められなかつたか,あるいは十分でなかつたことから逆に推定しても、また西の実験29)から類推しても定性的には認めてよかろう。
さて以上に関する問題点は,いかにして立木密度を増加し、主林木の枝下高以下の空間を埋めるかであろう。この観点から次のような林分構造を,基本型として考えて見てはどうであろう。
防潮林は前面に低木叢帯,中間に萌芽によつて仕立てる矮林帯,後方に高林帯といつた構成とし,かつ高林帯中にはできるかぎり下木を導入する。すなわち林帯の前方に十分な砂地があり,津波による林地の洗掘がおこることの少ない所では,不安定な砂地は一般の海岸砂地造林に準じて人工砂丘の造成と,砂草類による固定を行ない,その後方にハマナス・ハマゴウ・ハイネズなどの低木叢を仕立て,さらにそめ後方にニセアカシヤ林などの萌芽によつて更新をはかる矮林帯を,最後方にクロマツの高林帯を造成する型がよいと思われる。
この場合人工砂丘は海岸線に平行に,しかも津波や高潮の主勢力の侵入口となるような凹凸のないことが必要である。海岸に直接して防潮林を設けなければならない場合,あるいは林緑砂地の洗掘危険が考えられる場合には,前述のように護岸を整備する必要があり,その後方に低木叢・矮林・高林の包帯を配列する型が基本的な型となろう。以下これらの低木叢帯・矮林帯・高林帯について述べる。
低木叢帯:この帯および次の矮林帯は直接高林帯に津波の作用が働くのをさけ,一種の緩衝作用をもたせ,矮林帯・高林帯の枝下高以下の隙間をできるかぎり埋め,かつ護岸など工作物の背高および背後の土地の保護のために仕立てられるものである。後述するように高林帯には下木導入をはかり,枝下高以下の空間をうめる方策が必要であるが,高林帯内の下木導入にはおのずから限度があり,決して十分には成立し得まい。したがつて,低木叢帯にこれを前面で補なう効果を期待するのである。通常河川の中洲や河岸の樹林でも直接洪水が高林にぶつかつた場合は,それらの林の内部まで根のまわりが洗掘され,根倒れ,■木さえ生ずるに至る。しかし,これが低木の密生した帯によつて林套が作られている所では,流水による淋内地表の洗掘や漂流物による柿木の被害は少なく,低木叢は過当な弾力性をもつた緩衝物とたつていることが多い。すなわち低木叢帯および矮林帯は,まず護岸背面の保護・林地の保護・高木の保護,なか■ずく高林帯の枝下高以下の空間をうめることによる林帯の防潮効果の改善を目的としている。このよう■意味で防潮林の前部には,常に低木の密生した帯があることが望まれる。
低木叢帯は後方の高林のようにとくに更新を考慮しなくても、常に低木叢の形が維持できる生活型をも■種類によつて構成される必要がある。東北他方における天然の低木叢については,古井博士51)こよると■つて松島湾宮戸島の月浜と大浜の中間の海浜に見られ,海岸クロマツ林の前衛としてやや平坦な砂地に■■し,イブキ・マサキ・タブ・マルバシヤリンバイ・ヒロハマユミ・オオバイボタ・モチノキ・アオキ■どの常緑性低木を混じた幅該メートルの密叢で,これらの枝条はたがいに組み合わさつて内部に潜入で■■いほどであつたといわれ,また叢林の縁辺にはハイネズが密生し,これらは防風林としても理想的な■■林套であつたという。これらの種類は,岩手県の広田湾付近まで見られるという。三陸地方の北部で■これら常緑性低木に代わつてカシワ・ハマナス・ヤマグワが低木叢を形づくり,女遊戸に見られるハマ■■群落はその典型的なものである。吉井は海岸防風林の前面に,これらマキー様の低木叢林の存在が必■■あることを強調されているが,防潮林においてはとくに必要と考えられる。
■林帯:低木叢帯と高林帯の間には樹高・枝下高や立木密度などの面から大きい飛躍かおり,なお高林■■面に津波や漂流物の強い力が勁く,この中間を埋め,津波の勢力を漸次弱めるために設けるのが矮林■■ある。この林帯も皆伐によつて一時的に防潮効果を失なうことのないような林分構造を作るため,萌■■のある樹種を用いて,たとえ津波あるいは漂流物で折損しても枯死することなく,自然に萌芽して旧■■するように意図するものである。したがつて,それを放置して高林にしてしまつては意味が少なくな■■で、植栽木を萌芽叢生する形に仕立て,ある程度以上の高さ(低木叢帯および高林帯の高さにより変■■■)になつたらこれらの幾本かを伐採して萌芽をうながし,常にそこに密な矮林が存在する形態にす■■これはまた住民に燃材を供給することにもなる。
■■林帯前面に低木叢や矮林帯を造成しうる余地がある(比較的敷地を獲得しやすいと思われる)既存■■■は次のようである。すなわち赤前・田老・女遣戸・浦浜(船越)・前須賀・浪板・大槌・箱崎・根浜■■■・佐須・古浜・片岸・大田・唯出・高田松原・冲ノ田・杉ノ下・崎野・岩井崎・中島・大谷・長須賀・波路上・六久に・水戸辺・折立・長塩谷・東中浜・白浜・十八成・月浜・洲崎浜・深沼などである。 高林帯:高林言ぱ防潮林の主体をなすものであり,低湿地を除くと主林木としてはタロマツが最も適当な樹掻である。高林帯の林分構造は単層林であるよりは複層林あるいは択伐林型であることが望ましく,複層林や択伐林型に導くことができれば林帯の幅も帯状皆伐に比してせまくすることができるかもしれない。しかしクロマツは陽樹でありこのような択伐林型に導くことの可能性について疑問をもたれている。この点については後述の更新のところでふれることとし,ここでは高林帯の下木について述べる。
高林帯内の下木の必要性については鏑木11)・加藤15)によりすでに指摘されているところであり,防潮林の効果がさらに著しくなることは異諭のないところであろう。しかるに人工植栽による防潮林に,下木を当初から計画的に導入せしめている例は少ない。
天然の防岡林では中島国有林のごとくイブキ・ハイネズ・ハナイカダなどの低木が林床を優占し,理想的な林床を形づくるが,これらはきわめて長年月の間に種子の散布や無性繁殖によつて形成されてきたものである。人工植栽による防潮林は,これらの種類の母体を付近に有すること少なく,繁殖を天然に期待するのでは幾百年を要しよう。このため下木を欠くクロマツ林下には砂地などの悪環境にも耐え,浸塩水しても枯れず,かつ上層木の被圧にも耐える下木を人為的に導入せしめる必要がある。またこれらの種類はクロマツの更新時に支障となる揚合も考えられるが,下刈りしても萌芽性のある種類を選定し,クロマツ苗も可及的に大苗を使用し,かつ施肥するならば下木による被圧のおそれは少なくなるであろう。
なおこんご新しく防潮林を造成する場合には施肥についての十分な配慮が望ましい。ことにクロマツは植栽当初は浸塩水に弱いから施肥によつて初期の成長をうながし,危険期を短くすることが必要である。元来畑地であつたところ,あるいは埋立地に植栽する場合はきわめてまれで,多くは貧養の砂地であることが多いので施肥は海岸砂地造林に準じて行なう。
以上述べた林分構造や,取扱いを異にした3帯はそれぞれ独立したものではなく,これらが連続してひとつとなつて防潮効果を発輝するように造成することが必要である。今回の津波で破壊された林地,あるいは枯損した林分はすみやかに補植する必要があるが,さいわい災害をまぬがれたところでも防潮林の配置・林分構造に欠点をもつ場合が多いので,上記の形に近づけるよう考慮し,よりよい防潮林の造成改良にすすむべきである。
e. 植栽植物
防潮林構成植物の有すべき性質としては,その環境の特殊性と植物の性質から次の各条件に適するものであることが必要である。1)三陸地方の気候に適すること、2)津波努力に耐えうる強じんな性質のもので、浸塩水にも耐えること,3)砂地という貧養地にも適応してよい成長をなすこと,4)強風にともなう埋砂に耐えうる生活型をもつこと(とくに低木叢帯の植物について),5)低湿地に適応すること,6)強風・砂地という乾燥要因に耐えうること(ところによつて5)と6)の両方のものが必要となる),7)高林帯の下木は上層木の被陰に耐えられること,8)低木帯・矮林帯および高林帯の低木・下木構成種は萌芽性を有すること,9)構成樹とくに高林・矮林帯の林木はできるかぎり利用価値の高いものであること。
調査結果によると岩手・宮城阪県下防潮林の主林木はほとんどクロマツで,ごく一部の古い人工林もしくは天然林にアカマツがあり,また新しい人工林にニセアカシヤ林があつた程度である。わが国の本州以南の海岸地方ではほとんどクロマツである。前述のような必要条件をそなえた高木樹種は前各項で述べた■ころからクロマツ以外には現在考えられない。一応こんごとも本州以南の防潮林(海岸防災林)の高林■上木(主林木)の樹種はクロマツ以外になかろう。ただ混交樹種としてはケヤキ・オニグルミなども先に述べたように実例があり,一応考えられるが成長速度・立本密度の点で問題がある。一部地区に見られ■アカマツは,こんごクロマツに切り換えてゆくべきであろう。現実に三陸で見られるアカマツ防潮林は■べて老齢木で,更新すべき時期にきており,また今回かなり被災柿損したからこの機会にクロマツヘの■り換えを実行する必要かおる。この地方では,常時潮風にあたる所でも天然アカマツが進出している。■た岩手県沿岸地方では春雪が多く,クロマツ防潮林に枝折れの雪害がよく見られるが、アカマツぱクロ■■より枝幹が柔軟で雪害が少ない。これらの理由から防潮林にはアカマツもよいとする意見も地元で間■■たが,やはり浸塩水に対しては格段にクロマツより弱いことは先に述べたとおりである。
■■木11)は防潮林に適当な樹種としてクロマツ・アカマツ・スギ・モミをあげているが,アカマツ・スギ■■塩水の披害がいちじるしく,適当とはいえない。モミは高田松原で大径木1本を観察しただけで断言■■ないが,一部の葉が変色し,落葉していたのでクロマツほど耐塩性の強い樹種とはいえないようであ■■■に砂地海岸では,砂浜の後方に地下水位の高い凹地が存在する。北海道の天塩・豊富海岸などには■■した典型的なものが見られるが,三陸地方でもそれらの変形した小規模の凹地を見ることかでか,人■■加わつていることが多いが,立地はヨシ群落によつて示されるように湿潤な土壌を有することが多い。■■ような低湿地では防潮林の主要樹種であるクロマツも生育不良で,柿損するものが多い。また生き残■■■も根の浅い不安定なものが多い。クロマツに代わつて,潮水の流入することもある低湿地に適生す■■■は三陸地方ではまだ見いだされていない。これが対策としては仙台営林署管内で,排水溝の設置が■■■れているだけである。排水溝によつてこれらの低湿地のすべてを乾燥せしめることはむずかしい。■■■■によることも考えられるが,経費面で限界があろう。したがつて低湿地に適応する樹種を選ぶこ■■■きれば,最も経済的な近道であろう。
■■■■暖地の海岸の半かん水地に生育する,ヒルギのごとき生活型をもつ樹種が三陸地方にもあれば,■■■つてこの低湿地を森林化することもでぎるが,本地方には適当な樹種がない。外来樹種で検討す■■■あるのはラタウショウ(Taxodium distichum RICH)で,木種7)は湿地によく適応し,水湿■■■根とともに特徴のあるKneeと称する根型を示し,また根を広く深く水中にまで張つて風害に■■■いわれる。本種の最も成長のよい立地は表層が湿つた,深い,細分質ロームであるが,沼沢地で■■■典型的なラクウショウの純林をつくる。本種はこのように水湿地,沼沢地、水中にまで成林が可■■■、かつ成長はやや劣つてくるが潮水の混じる海岸地帯の沼沢地にも生ずるという。わが国では宮■■■東北地方まで各地に植栽され,東北地方では盛岡付近まで植林されているという*。したがつて,■■■でも気候的には適応しうるものと見てよい。また本種は発芽率は40〜60%で比較的よく,また挿■■■であるから大いに試植して見る価値がある。またギョリウ(Tamarix chinensis LOUR)も塩■■■地に生育し,大木にはならないが試みてよい樹種である。
■■■の下水としては,当初導入しておけばふたたび植栽の手数を要しない種類がよい。このためには■■■■下でも生育できないような極端な陽樹は不過当であり,また上木の更新時下刈りによつても消■■■萌芽するものがよい。そのような下木として道当と考えられるものはマサキ・オオバイボタ・ヤブツバキ・ヤダケ・イブキ・ハイネズである。このうち前3者は比較的挿木の容易な樹種である。その他ハナイカダも一応あげられよう。またナツグミ・アキグミ・ヤシヤブシ・ネムノキなどは上本の被陰に対してどれほど適応性があるか検討の余地がある。外国樹種としてはニセアカシヤがあげられ,本種は積極的に導入せしめてよい樹種である。イタチハギは林外ではよい生育を示すが,林内では落葉もはやく,生育は劣つているのであまり適当とはいえないようである。
矮林の樹種としてはニセアカシヤが現在では最も適当のようで,三陸地方の北部ではこのほかカシワも考慮されてよい。その他アキグミ・ナツグミ・ヤマグワがあげられ,また天然分布の北限からさらに北になるが,オオバヤシヤブシが耐塩水性があれば検討して見る価値がある。外来樹種としてはネグンドカエデ・ギンドロなどが一応耐塩水性の点で検討しなければならないが,気候的には当地方でも植栽可能でありいずれも北海道では防風垣・街路樹として植栽されていて成長もはやく,枝を広く張り、挿木で養苗しうる樹種である。
低水叢の樹種としてはハマナス・イタチハギ・アキグミなどは北部に,ハイネズ・イブキ・ハマゴウ・オオバイボタ・クコなどは南部で適する樹種であろう。低水叢の木は砂浜の場合最も不利な環境条件下におかれるが,とくに砂をかぶつても不定根を生じ,むしろ地表面における個体密度を増すごとき生活型の植物がよい。
なお海岸市街地の並木の樹種としてはクロマツ・ニセアカシヤ・イチヨウなどが考えられ,危険海岸市街地の生垣には,従来浸塩水害にかかりやすいサワラ・シノブヒバ・イチイなどが多いが,これをマサキ・ヤブツバキ・オオバイボタ・イヌツゲ・イブキ・カラタチなどに改植すればよい。屋敷林・庭園樹としてもヒノキ・スギ・サワラ・シノブヒバ・ヒヨクヒバ・イチイ・アカマツ・ソメイヨシノ・プラタナス・ヒマラヤシーダー・モチツツジ・ヤマツツジなどが多いが,これらは浸塩水害にかかりやすいから,これらをクロマツ・ニセアカシヤ・ケヤキ・オニグルミ・カキ・イチジク・ザクロ・イチヨウ・ナンテン・ヤツデ・バラ順・フジ・マダケなどの浸塩水害に強いと思われるものに代えてゆくことが望ましい。
■■■試験場草下正夫氏のご教示による。
C.防潮林の維持
三陸沿岸地方の場合防潮林を新たに造成できる地区は少ないことを先に述べた。したがつて当地方の防潮林に関するかぎり,既存林帯の改善と維持が重要な問題である。この意味で防潮林の管理・保育・更新については十分検討されねばならないが,このような短時日の調査ではその検討についてはおのずから限界がある。そこでこれらに関し気行いた点を概略次に述べる。
a. 管 理
防潮林は不測の津波来襲にそなえて常に整備されている必要がある。しかしともすれば長年月の平穏な時日を経過するとその効用は忘れられ,目先にとらわれがちとなり,林帯の保護・管理に対する地元民の関心はうすれ,機能低下をまねくような取扱いをなされていることが多い。調査地域では農漁薬用資材置場や家畜けい留・農耕に使用され,あるいは家屋が侵入するなど不当に利用されていることが多い。その具体例は先に詳しく述べた。たとえ局部的な利用であつても,これによつて切れ目を生じた場合は,先に述べたように林帯全体の効果に影響するところが大きいから,林帯の取扱いは常に全体を考慮において,その有機的な働きを破るがごとき取扱いはさけねばならない。このためには常時の管理を十分にし,林帯愛護に地元民の協力を求めるほかない。
潮害防備保安林では原則として落葉・下草・土石の採取を禁止されているが,現実には落葉落技は付近住民に燃料として利用されることがある。しかしながら,これがクロマツ林の更新や下木の侵入生育をさまたげることは明白であり,林地がいつまでも砂地で貧養性の土壌にとどまる原因でもある。山が海岸近くに存在する岩手県の場合は,防潮林の燃料飼料供給原としての存在意義は少なく,防潮林の面積も小さい場合が多いので,これをすべて禁止することは比較的容易であるが,宮城県とくに県南地方のごとく防■林が重要な燃料供給源である場合は,従来の慣習もあつて全面的な禁止は困難な場合もあると考えられ■。この対策としては防潮林の前面および背後に,萌芽性のあるニセアカシヤ・ギンドロ・ネグソドカエ■などの成長のはやい樹種によつて矮林をつくり,あるいは高林帯の下水にもニセアカシヤを入れ(この場合は中林に近い型となる),これらをいくつかの区域に分けて順次十分に成長したものから伐採せしめ,■林木のうち保育間伐木や更新を要する老木の枝とあわせて利用に供する施業形態をとれば,現在のクロ■ツ高林だけの林分よりははるかに燃料の供給量を増すことができよう。とにかく従来のように保安林は■■らかといえば,林産物採取など経済的利用を考えないとする立場でなく,保安効果を損じないかぎり■■るだけ利用するという立場にたつべぎであろう。
こうすれば不合理な落葉落枝の採取・盗伐を防ぐ効果が期待でき,ひいては愛林思想の普及したがつて■■な林地使用などを防ぐことにも役だつことと思われる。
■■のような対策をすすめる一方,直接地元民の協力を求める必要がある。このためには先に述べたよう■■宮城県下の海岸砂地造林の場合,地元に海岸林愛護組合なる申し合わせ組合が組織されており,造成■■作業員供給や平常の簡単な管理業務などに協力を得られている事実があり,一方国有海岸林に対して■■話して円滑に燃料などの払い下げを受けるために,やはり共用林組合なる申し合わせ組合が組織され■■に平時のある程度の管理に協力を得,愛林思想の徹底にも役だつている。砂地造林に限らずすべて■■林に対し,このような組織を普及せしめることをはかつてはいかがであろう。岩手県では大部分が■■に,宮城県では地上権設定地に林帯が成立し,それぞれ県林務当局が所管しているが,広い地域に■■るなどのため管理はかならずしも徹底できないおそれがあり,やはり平常管理の主体は恩恵を直接■■地元民の誠意にまたねばなるまい。北海道における海岸林の実態調査報告によると,防災林は原則■■植栽完了後は市町村が管理費を全額負担することになつているが,管理のよい国有林では本工事費■■■140%を管理費に支出しているのに反して,民有林ではわずかに0.5〜31.0%であり,北海道の海岸■■■■の原因もここにあると痛感されるという。また人工林はある高さに達するまで毎年手入れを加え■■■■は不可能に近く,風衝地帯の造林にはとくに十分な保護管理を加えねばならない。この点から年■■■する管理費を町村だけに依存するときは管理面が不十分となり,不成績他の増加要因となるものと■■■■という。このような事態を改善するには,本州府県で一般化している愛護組合などを育成し,管■■■■をはかるよう指導する必要があると述べられている。また本多5)は次のようにのべている。明治■■■■時は海岸保護林は,普通その保護を要する地方の組合により建設せられ,かつ管理せられたもの■■■■しかしはなはだ必要な保談林は国によつて建設せられ,かつ管理せられる必要がある。この場合■■■■保護を要する地方組合はまたこれに関渉する必要はない。しかして,新たに津波に,より被害をこ■■■■地方の被害額ははなはだ大にして,地方組合のとうていみずから回復できない場合は高級林区署■■■■その保護林を建設する、あるいは少なくともその組合を補助するを要す。
■■■■はこんごの防潮林管理に大いに参考になろう。
■■■ 育
防潮林の主体をなす高林帯は海岸砂地造林の場合と同様,当初の植栽本数は10,000本/ha程度が望ましいが,植栽後放置したのでは根のひろがりが少なく,今次津波では少なかつたが,やはり根倒れの危険も考えられ、また下枝の高く枯れ上がつた形の木から成る林分となる。このような林分は津波に対してのみならず,海岸地帯に共通な強風に対しても危険であり,ことに砂地や地下水位の高いところでは注意を要する。同時に効果の面からも好ましくないことはもちろんである。防潮林の立木密度は効果だけの面からは大きければ大きいほどよいとはいえ,やはり自体の安全の面からは限度があろう。すなわち使用する樹種によつて,その根張りの程度と関連して最適密度に阻界が考えられ,この限界がどれほどであるかは立地条件によつて種々に変化し一定ではない。過密と判断される林分には過度の除間伐を行ない,各個樹の力学的抵抗力を高め,かつ極端に枝下高をあげないことが必要であろう。もちろん陽性下木・下草の導入のために過度に伐開する必要はあるまい。なぜならば一般森林とちがい,防潮林は広いといつても大した広さはないから,林帯の両側からくる光線と通気はかなりよいからである。
両者のかねあいが問題ではあるが,全く放置することが防災林愛護と考えず,こんごの研究により積極的に林帯を維持あるいは帯に改善することに努める必要があろう。
なお補足したいことは,津波後根元が洗掘された木あるいは傾斜した木については,直ちに復旧策が講じられねばならないということである。一般に災害時は市街地の復旧が優占されるが,林木は枯死すればふたたび元どおりにするには長年月を要するのである。また津波時の移勤した砂で埋まつたクロマツ稚苗は枯死率が高いが,掘り出してやれば助かることもある。わずかの費用でこれが救われるのであるから,津波後の被害調査と同時に予算措置・実行といつたすみやかな対策がとられることが望ましい。また林帯造成後あるいは更衛後の枯撒木に対するすみやかな補植も一般林地よりいつそう厳守する必要がある。
c. 更 新
防潮林が一斉林型のときは幼齢期に防潮機能を期待し得ないし,老齢期に入れば,疎林となつてまた効果は低下する。調査範囲内においても高田松原・志津川松原の一部などに老齢一斉林かおり,その下に中層木や低木をともなわない部分では,とくに防潮機能の点で価値の低い林分もないではない。老齢林を若返らせ,でされば2段林あるいは択伐林型に保つよう更新することが必要である。
更新は林帯の幅員に応じて,汀線に平行に数帯に区分して伐採し(この例は石巻市海岸の国有防潮林で見られた),人工植栽によつて行なうこともできるが,幅員を広く設定し得ないところでは択伐林型に仕立てることが望ましい。しかしクロマツ林を択伐林型に導くことには問題点が残されているようである。本多5)は,防潮林は幅がせまい場合が多く,両側から林内に十分に陽光がはいるから,陽樹であるクロマツでもその林下に更新は可能であるとし,河田16)17)は四国の屋島における択伐作業を紹介し,その方法は普通の択伐に比し相当強度のもので,更新は天然下種によらず苗木植栽による,そして陽光をさらに入射せしめるために上木のクロマツの枝打を行なう方法で,この結果は成功しているという。また原6)は長期傘伐更新法によつて海岸砂丘林の更新を行なうことを提唱されている。
通常海岸砂地のクロマツ林下には天然下種による稚樹がほとんどみられない。しかしまれにクロマツが2段林をなしたり,各階層に稚樹幼樹をもつ場合がある。中島国有林は2段林をなす例であり,また金華山の海岸クロマツ林は林内の第2,第3,第4の階層にクロマツの幼木を生じ,安定した林をつくるという52)。こうした林がまれにせよ存在することは,陽光が不足のために更新樹を生じがたいとする考えを否定するものであろう。
田崎47)は海岸砂丘上のクロマツ林で,林内に落下した種子の発芽および第1年目の生育を困難にする原因を追究した結果,晩秋地上に落下した稲子の大部分はまず鳥類にたべられ,次に翌春の発芽期と夏期に水分欠乏で乾燥死し,結局天然生苗の生存を困難にするのは主として大気および土壌の水分条件であるとし、土壌中のクロールや,各種塩類の不足および光条件の不足などは一般に天然生苗に致命的とならないと述べている。前述した中島国有林の2限棒をなすクロマツ林の林床は,やや湿つた立地に普通なハナイカダが多かつたが,田崎の説を裏書きするものかもしれない。いずれにしてもこの問題は天然更新の良好なところの成立過程の調査や,不良な所における水分条件の緩和による試験などによつて今後さらに,研究されねばならない問題である。下層こ更新樹をもたない原因が水分条件にあるならば,種子の覆土や地表面よりの蒸散を防止する補足的な作業をおこなつて天然更新も行ないうるであろうし,また乾燥しないような注意をはらつて、直接苗木植栽を行なつて択祝杯型に近づけてゆくことも不可能ではないかもしな■い。
要 約
1) 昭和35年5月24日早朝,わが国に来談したチリ地震津波は,太平洋学のほとんど全域にわたつてなんらかの災害をもたらした。とくに三陸沿岸では昭和8年の三陸津波以来の大被害を受けた。このような■■地震にもとづく津波による大災害は全くまれなことで,あらゆる専門分野で,津波・災害の実態およ■防災施設の実態・効果が同左され,こんごの津波対饌に検討が加えられたい津波対策の一部としての防■■に関しても,同じように調査研究が必要と考えられた。よつて調査地域として,元来代表的な津波常■地帯であり,既成防潮林が多く,かつ今回も被害のとくに激しかつた三陸沿岸他方をえらび,防潮林の■■。その効果と被害の実態などを調査し,その結果から総合的な津波対策の一部としての防潮林のあり■。既成林帯の改善策などを検討した。調査地は,岩手県下で潮害防備林のある海岸約45箇所中30箇所,■■ように宮城県の約50箇所中22箇所,その他防潮柿のない危険海岸あるいは被害の激甚であつた海岸数■■である。調査日時は,岩手県で田老町以北の地域は昭和35年6月30日から7月5日まで,田老町から■■市海岸に至る地域は9月5日から16日までである。
津波は昭和35年5月23日4時11分(日本時間),南米チリ海岸冲に発生した大地震によりおこり,■■時間30分を経てわが国太平洋岸全域に来襲した。したがつて伝播速度は750km/hであつた。 周期は■■8年三陸津波の10〜20分,昭和22年南海地震津波の15〜30分に対し,40〜60分ではるかに大きく,波■■約700kmという長波であつた。所によつて大小の波が20〜40回くらい反復来襲し,その継続時間はと■■により2日半の長きに達した。湾外の波高分布を見ると,太平洋岸全域にわたつて1〜3mで,地域■■大差はなかつた。湾内の波高分布を見ると,近地地震津波同様,波高は湾形,湾岸や湾内海底の地形■■の影響を受けて地域差が顕著であつた。調査地域では湾外の波高は2〜3m湾内では高くなり,宮■■田・大槌・綾里・大船渡・広田・気仙沼・志津川・雄勝・女川・萩ノ浜などの各湾では4m以上と■■一部では6mを越した。結局津波階級は2と判定されている。
■■■の近地地震津波と異なリ次のような特徴が見られた。a) 津波来襲範囲がきわめて広大であつた。■■■行の浅い小湾ではV字型であつても湾口と湾奥との波高差が少なかつた。c) 前記の各湾のように■■■の割合に奥行が深い大湾では,湾頭における波高が著しく高かつた。これはきわめて長周期の津波■■■たため,副振動が著しくれい起されたことによると考えられている。d) 湾の方向の差異による波高差はほとんど見られなかつた。e) はなはだしい長波であつたから半島や島かげなどにもかなり高い波が襲来した。f) 一般に波の前縁は水壁とならず,海面の盛り上がりが前進してくる高潮ようのものであつた。
津波により陸上に没入した海水流の流速は1.5〜3.0m/sぐらい,局部的に5〜6m/sぐらいと推定された。浮上における伝播速度は200m/s,川をさかのぽる海水流は20〜40m/sと推定された。陸上でははじめ薄層流が侵入し,ついで急激に水位を増して河川の洪水流のように流入してくるもののようである。
なお南米太平洋岸で起こつた地震による津波でわが国に来襲した例は,今回をふくめて11回記録に残つているようであるが,今回以外のそれはすべて津波階級0〜1で,最大波高は1〜2mであり,被害はほとんどなかつたようである。
3) 全国的に一般被害を見ると第2表のようである。前述のように湾内波高分有では地域差が顕著であり,したがつて被害分布にも地域差が明らかに生じた。まず全国的な被害分布を見ると,三陸地方が最も激甚で,ついで北海道・三重・和歌山・高知の各道県,その他徳島・宮崎,鹿児島の各県にもかなりの被害があつた。津波規模の割合に被害額の大きかつた原因は来襲地城が広範であつたこと,来襲継続時間が長かつたこと,大被害を受けやすいような特定地域(とくに三陸沿岸)に波高が高くなつたことなどが考えられるが,一般に海岸線における社会的,経済的発展がいちじるしく,被災対象が増加したためであることは見逃がせない。しかし人的被害は死者・行方不明者あわせて全国で185人で,過去の大津波における数十分の一であつたことは,その理由はともかくとしても顕著な事実として注目される。
調査地域の被害で最も著しい特徴は,既往の近地地震による大津波時に波高が低く,したがつて被害も少なかつた特定の湾頭すなわち2)項で挙げた各湾頭で被害が激しかつたことである。これらの湾頭では波高が高かつた上に,元来三陸地方としては有数の都市や農地が展開しているため被災対象が大きかつたこと,また既往の津波災害が軽度であつたために比較的対策が不十分であつたことなどによると考えられる。なお調査地域の被害に関連して次のようなことが注意された。a) 過去に大被害を受け高地に移転した集落が,その扱日常の経済活動の不便さから海岸に再移動して激害を受けた例がある。b) 建物の流失被害は土台と基礎との結合が十分であつたか否かできわめて明りような差異があつた。c) 当地方は有数の漁業基地であり,カキ・ノリの養殖が盛んで,漁船・水産資材など漂流物源が非常に多く,水産被害が甚大であつたと同時に漂直物による陸上被害が大きかつた。d) 海岸堤防などの土木工作物の被害で顕著なことは,越水により背面がえぐられ,これから破壊流失するに至つたと見られるものがきわめて多かつたことである。e) 浸海水による被災水田では,簡単な除塩沢が行なわれて田拡がやりなおされ,ほほ平年作を得ているが,流失水田では復旧が容易でなく,ほほ1年間農作を放棄している。
4) 三陸沿岸地方は津波だけでなく,冷害・潮風害などになやまされることが多く,その防止策の一法として,また観光資源として多くの海岸林が造成され,維持されてきており,これらが現在の防潮林はじめ各種防災林・風致林などの一部をなしている。しかし当地方防潮林の大部分(箇所数で)は昭和8年の三陸津波被災後に造成されたクロマツ林である。
岩手県下には125ha(民有林120ha,国有林5ha),約45箇所,宮城県下には1,130ha(民有林931ha,国有林199ha)約50箇所の防潮林がある。岩手県の民有防潮林のほとんどは昭和8年の津波後県が被災耕地・宅地を買い上げて造成した県有休であり,宮城県のそれは同様にして被災跡地に地上権を設定して造成した県有林である。
さて調査した52林帯について見ると,大部分の林借は幅10〜20m(20〜30mが最も多い)の砂浜につづいて位置し,汀線に直接位置するもの10箇所,逆にかなり内陸に位置するもの数箇所であつた。いわゆる防潮堤といわれる本格的な工作物が林帯のすぐ前方にある場合,すぐ後方にある場合あるいはかなり後■にある場合,それぞれ数例が見られた。
■津波により被災する危険のある海岸は,海岸線の長さはいろいろであるが,その両翼を高地に接し,概■的には谷の出口にあたる場合がほとんどである。したがつて,防潮施設はこの出口をふさぐのが理想で■ろう。そこで林帯が両翼高地に接しているかどうかが問題であるが,両翼とも一応接しているもの14節■。片翼だけ接するもの16箇所,残り22箇所は海岸線の中央部に位置していた。次に両翼は別として林帯■■れ目の有無が問題であるが,36林帯は道路あるいは川で切られていた。また低湿地・侵入した耕地な■のために切れ目をもつものも多く見られた。結局52林帯中切れ目のない林帯は5箇所にすぎなかつた。■で切られている場合,川に沿つて上流へ林帯あるいは工作物が延長されているものはわずかに数例見ら■た。次に保護対象を見ると,38箇所は背後に耕地が開けその後方に集落あるいは人家の点在地がある。■の他背後にただちに集落があり,その後方に耕地がひらけているもの6所箇,耕地だけのもの7箇所,■■ゆる市街地だけのものは1箇所であつた。
■■幅帯を大ざつぱに平均幅だけで見ると,20m以下のもの15箇所,20〜50mのもの20箇所,他は50m以■■もの17箇所であつた。しかし一郎に極端な狭福部をもつことが問題であるが,幅15m以下の弱点をわ■■でももつ詞は約20箇所見られた。なお一部で耕作・不法建築が行なわれ敷地幅よりも林分幅のせまい■■が見られた。
■■木はほとんどクロマツで,一部の老齢人工林もしくは天然林と称される老齢林でクロマツとアカマ■■■交林が見られた。クロマツ人工林の大部分は昭和10〜13年に植栽されたもので,大体樹高10m,胸■■■10cm,枝下高3〜5m、立木密度5,000〜6,000本/ha,三角形植栽と推定される一脊林であり,復■■■ごく一部の老齢林に見られたにすぎず,下本の豊富な林帯はきわめて少数であつた。防潮林に関し■■■ごの点問題の一つは既成林の整備・改答で,その中心は低木の導入と考えられる。そこで樹仙遊■■■として防潮林内に多く見られた木本植物をあげると,ニセアカシヤ・コナラ・オニグルミ,ヤマウ■■■ヤマグワ・イタチハギ・ハマナス・,マサキ・オオバイボタ・ノイバラ・ナツグミ・アキグミ・ムラ■■■キワ・ドクウツギ・ヤダケ・タマイザサ・イブキ・ハイネズなどであつだ。
■■保護のため直接ほどこされた護岸,’堤防があるもの15箇所,土塁のあるもの5箇所,砂丘のあるも■■■、防潮堤,路床の高い鉄道線路や道路などが林帯の前面にあるもの11箇所で,他の17箇所は林帯■■■んらの施設もなく,平常の高波にさらされ,林地前緑が侵食されあるいは生育不良の目だつ林帯が■■また低湿林地の場合排水施設,客土(盛土)が不十分で,やはり生育不良のものが見られた。■■■防災林はとかく等閑視されがちで,このため放牧・耕作・不法建築・農漁業用資材集積などが林内,■■■れ。かなり荒らされている林帯が多い。ことに過去において津波災害が比較的軽度で今回被官の■■■た岩手県県南,宮城県県北地域にこの例が概して多い。林帯の積極的な保育が行なわれている例■■■ど見られなかつた。ただ宮城県下の砂地造林地では,地元民によつてつくられた海岸林保護組合■■■し合わせ組合があり,作業員の調達,平時の簡易な管理作業などを実施する一方,防災林思想の普■■■しているのが注目された。
■■潮林の効果の現象的内容は別として,林借のない地区や林借切れ目の背後地に比べ,優良林帯の後方では家屋・耕地の破壊流失などの諸被害が少ないこと,あるいは防潮林造成前の津波時における被害よりも,諸条件の泰異を考慮しても,成林した今回のそれが比較的軽度であったなどの事実が多数地区で大体認められた。
効果を現象的内容で見ると,やはり従来から認められているように津波により2次的に生じた漂流物を阻止し,これらの激突による破壊力から家屋や土木施設などを防護する効果が最も顕著で,多数の例が見られた。両県下ではカキ・ノリ養殖がきわめて盛んで,いかだ・ひびの丸木,浮だる,竹材が大量に遠浅海岸におかれており,また有数の漁業基地であるためおぴただしい大小漁船が海岸にある。これらが津波時には有力な漂流物源となる。今回もこれら漂流物の発生とその被害は多数地区で起こつた。
林帯幅約25m,樹高10〜15m , 胸高直径10〜15cm,立木密度5,000本/ha,侵入海水流の流速3〜4m/sぐらいなどの条件下で,10ton程度の動力船が約20mの幅だけ倒折木を出して林内で阻止された例が見られた。カキ・ノリ養殖資材などはほとんど林縁で阻止された。
次に従来から、防潮林はその摩擦低抗から津波による侵人海水流の水位と流速を減じ,破壊力を減殺する効果があるとされてきた。今回このような事実の適確な実例には遭遇しなかつたが,流速低下についてはほぼ説明できそうな例が多数見られた。水位低下については適確な例を見られなかつた。流速低下については,林帯福30〜150m,主林木密度5,000〜6,000本/ha,胸高直径10〜30cmの林帯あるいは主林木密度2,000本/haぐらいでも低木が全林帯にわたり密生している場合には林内地表の洗掘あるいは背後の耕地の流失はほとんど見られず,製塩枝条架が流失しなかつた,家屋の破壊流失被害が少なかつたなどの事実がみとめられたのに反し,林帯の切れ目,疎開郎などではこれと反対の事実多数がみとめられた。これらのことから一応林帯が侵入海水流の流遠を低下せしめるのではないかということが認められる。しかしこの効果についてはなおこんご検討すべき点が多い。
その他三陸沿岸地方では,防潮林は同時に防風林(防冷林)。飛砂防止林,魚つき林,風致林としての効果ももたらす事実はよく認められている。
6) 防潮林自序の被害のうち撲滅的な被害すなわち林内地表の洗掘,林木の折損,根倒れなどは林帯の切れ目付近,極端な疎開あるいは狭幅林分に多少見られ,また漁船を阻止した場合にも見られたが,全般的には非常に少なかつた。とくに林木の折損はほとんど見られず,・また林地が洗掘されないかぎり根倒れや流失は起こらないようである。林緑が護岸などで堅固に保護されている場合はこれらの被害は皆無に近い。浸塩水による植物の生理的な被害は,浸水時間・浸水深・土壌の物理性・浸水時期などによつて異なる。したがつて,短時日の現地詞たでこれらの諸条件を知つて植物別に抵抗性を分別することは困難である。ここでは外観的な反応を次の3段階に分けて,浸塩水した防潮林29箇所と浸水市街地で示した反応の頻度から木本植物の抵抗性を分類すると次のようであつた。
a. 枯死したもの:クロマツ椎幼樹・スギ・ポプラ・カマツカ・ソメイヨシノなど,この他市街地ではサワラ・.ヒノキ・ヒヨクヒパ・イチイ・ネズミサシ・プラタナス・ヤマツツジなど。
b. 浸塩水後落葉するがその後ふたたび新葉を出す。または葉の周辺が変色するが健全な冬芽をもつもの:ニセアカシヤ稚幼樹・カワヤナギなど。この他市街地ではヤマモミジ。
c. 浸塩水しても反応がなく健全と思われるもの:クロマツ(樹高1m以上)・ニセアカシヤ成木,コナラ・ミズナラ・ネムノキ.・コパノトネリコ・ヤマグワ・イタチハギ・ハマナス・マサキ・オオバイポタ・ムラサキシキブ・ヤマハギ・ハナイカダ・ハマゴウ・アズ7ネザサ・クマイザサ・ヤダケ・イブキ・ハイネズなど。この他市街地ではキリ・クワ・ヤツデ・ボケ・バラ・カラタチ・イチヨウ・マダケなど.
d. a.とb.,a.とc.を含むもの;アカマツ・ドクウツギ・イヌコリヤナギ・ネコヤナギなど。この他市街地ではヒマラヤシーダーなど。
e. b.とc.を含むもの:ケヤキ・オニグルミ・ナツグミなど。この他市街地ではカキなど。
以上で,既往の津波や高潮襲来時の調査報告と異なる反応を示したものも一部あるが浸水後の経過時間・浸水季節などの差異によるものであろう。たとえばネズミサシは既往文献ではc.に入れられており,ヤ■グワはa.もしくはb.に入れられている。またヤナギ類・ケヤキ・オニグルミ・コナラ・ネムノキ・マサ■・タケなどはb.に入れられていることが多い。
7) 天保年間以降の記録を見ると,三陸沿岸地方では30〜50年に1回の割で階級2以上の津波が,また■■1以上のものは7年に1回の割で来襲しており,頻度はかなり高い。一方,三陸沿岸地万の経済的発■は近時著しく,被害対象の増大が考えられる。さらに今回の経験により当地方では近地地震津波だけで■く遠地地震津波によつても大災害を受けること,しかもそれぞれ被災危険性のある海岸が別で,全体と■て津波危険地域が拡大されたなどのことがわかり,当地方における津波対策の重要住はますます増大す■と考えられる。
津波対策を考える際の基準となる津波規模は,近地地震津波については明治29年あるいは昭和8年の,■■地震津波については今回のそれを基準とし,各現地についてはそのいずれか大きい方をとる必要があ■う。
■■土木技術の発達につれて積極的津波対策としては本来海水侵入を絶対に阻止しようとする主旨の防■■だけを行なおうとする考えが一部にある。しかし今次津波までの経験によれば最高波高にしても5〜■■から10mに達する海岸は多数あり,ところによつては30mにも達しており,これを工作物で完全に阻■■ることは技術的にも経費の面からも不可能に近かろう。かりにこれが克服できたとしても海岸線にお■■巨大な工作物は日常の経済活動に重大な損失を与えよう。したがつて,防潮工作物はかなり妥協した■■のものとならざるを得ず,この点を補完する他の策が併行して考えられる必要がある。その積極策と■■は防潮林であり,消極策としては集落の移転・予報・警報・避難の適正と迅速化・建築物の強化など■■の避難方策である。結局津波対策は各種方法の総合によつてたてられるべきものである。積極策とし■■■ご特定の湾については湾口に防波堤を設けることが研究されようが,一般的には防潮堤と防潮林以■■■く、両者を地域特性に応じて合理的に組み合わせ配置することが賢明である。防潮林には,海水侵■■■止する機能は全くないこと,非常に得難い海岸の土地をかなり広く必要とすること,また最大限の■■■示すまでには非常に長年月を要することなどの欠点があるが,土地さえ得られれば造成費はきわめ■■■こと,いつたん成立すれば樹高は非常に高く,長年月にわたり効果を示しうることなどの利点があ■■■■の欠陥を補完するものであると同時にその前方に位置させれば堤体を保護する役割をも果たす。■■■つて積極的津波対策の基本型は次のようであることが望ましいと考えられる。すなわち緩衝地帯と■■■■浜を十分に保存し,できれぱこれに人工砂丘を造成し,その後方に防潮林を配置する。林帯前面■■■きるかぎり強固な保護工作物を施設する。林帯後方に農地を配し、集落はできるかぎり高地に移■■■の前面を防潮堤でとりまく。集落内には避難道路を高地に向けて十分に整備し,公共施設は避難施■■■ても有効ならしめるようすべて高地に配置するものである。農漁村地帯はともかくとしても海岸都■■■このような計画を実施できる土地の余裕はたい。しかし防潮林が並木程度になり,防潮堤が護岸と沿岸建築物の強化程のこならざるを得ない場合が多いであろうが,できるかぎりこのような基本型に近づける対策がたてられることが望ましい。
三陸他方の大部分の危険海岸では一応防潮林が造成されており,こんご新造成が問題になることは少なかろう。しかし4)項で述べたように既成林帯についてはいろいろの欠陥が認められ,これを改善して名実ともに防災林として有効ならしめることが三陸沿岸地方における防潮林のこんごの重要問題であろう。治山10箇年計画で,岩手県では160ha,宮城県では1,511haの海岸防災林造成が予定されているが,この内容は防潮林に限らないし,また防潮林では既存林帯の補強が主たるもののようである。
既存林帯改善の要点は次のことと考えられる。防潮施設は危険海岸(谷の出口)を完全にふさぐ形に配置されることが理想である。しかし4)項で述べたように,現実には海岸両翼の高地に接していない林帯,道路や川のため,当初土地入手ができなかつたため,船場場・耕地・宅地が侵入したため,あるいは低湿地で枯損したためなどによる切れ目をもつ林帯が大部分である。これらの弱点(切れ目)はたとえ林帯の他の部分が理想的であつても,防潮林全休としての効果を著しく低下せしめるからできる限り除去しなければならない。低湿林地の改善は客土・排水工を実施することにより,技術的にも経費的にも不可能ではなかろう。用地の確保は被災直後に努力する必要があろう。川による切れ目に対する対策は,やはり林帯・堤防を上流へでぎるかぎり延長することによるほかなかろう。汀線に直角方向に林帯を切る道路はS字型ある
いは斜につけかえるか,林帯を切らず両翼高地から直接林帯前面に出るようつけかえるなどの必要がある。 防潮林の幅は広いほどよい。しかしこんごは広大な土地を確保しあるいは維持することは困難である。したがつて保護対象の側から,必要最小限度幅を決定する研究が行なわれねばならない。現在では全くわかつていない。今回の調査では5)項で述べたような諸条件下で,幅は30mくらいあれば相当の効果が期待できるように考えられる。これに更新のための必要幅を加えて50〜60mが必要と考えられる。近他地震による大津波の勢力は今次津波のそれよりも大きいと見てやはり一般的には最少限70mは必要と考える。もちろん現実には用地の取得いかんできまるから,土地を得られるかぎり広く造成し,あるいは維持する必要がある。もちろん並木程度でもそれなりの効果は十分期待できるから,こりようなものとても造成・維持ははかるべきである。しかし現状で最も重要なことは前述の切れ目回禄に,局部的な狭幅部や疎開部をぜひ補強して可能なかぎり金林帯を一様な幅,一掃な強度の帯にすることである。また林地の起伏も弱点をつくるからできるかぎり無くし,あるいは林地の凹部やみお筋の正面ではとくに付属工作物を強固にするなり,ここに限つて林帯幅を厚くするなどの配慮が必要である。
付属工作物が不十分で,平常高波による海水侵入の危険にさらされ,津波時にも被害を受けた林帯が多い。こんご十分な護岸・堤防・土塁を施工する必要がある。ところによつては人工砂丘もよかろう。 現在の防潮林はほとんどクロマツだけから成る一斉林で,林床も砂地が露出する林分が多いが,こんご前面に低木叢,中間に矮林帯,後方に高林帯(主林分)を配置した林型とし,高林帯中にも低木をできるかぎり導入する林帯構造を基本型として考えたい。
防潮林構成樹種は,現地の海岸気候に適生すること,津波勢力にも耐えられる強じんな性質をもつこと浸塩水に強いこと,砂質の■地によく育ち,風・飛砂にも耐えることなどの性質を要する。両県下防潮林の主林木としてはクロマツ以外になかろう。ただ低湿地の場合は土地改良してクロマツを用いるのもよいが・ラクウシヨウの採用を研究して見てはどうであろう。高林帯内下水として適当と考えられる樹種はニセアカシヤ・マサキ・オオバイボタ・ヤブツバキ・イブキ・ハイネズ・ヤダケなどである。矮林帯の樹種としてはニセアカシヤ・カシワが過当で,その他アキグミ・ナツグミ・ヤマグワ・オオバヤシヤブシ.ネグンドカエデ・ギンドロなども検討して見る価値はあろう。低水叢の樹種としてはハマナス・イタチハギ・アキグミ・ハマゴウ・オオバイボタ・ハイネズ・イブキなどが適当である。
両県下防潮林に関する今後の重要問題の1つは既成林の維持である。このため管理・保育・更新については積極的に改善する必要がある。ことに管理については,不当利用による林帯悪化の例が多く,十分とはいえない.不当利用を停止する一方,こんご一層管理体制をととのえ愛護思想を普及する必要がある。■のためには管理責任の所在などを法制的に明確にし,予算的な基礎を確立することがぜひ必要である。一方保安林の維持は地元民の愛護にまつことが多いが,これには宮城県で見られる愛護組合組織がきわめ■示唆に富んでいる。また熱帯愛護思想の普及には,こんご防災林もその目的を阻害しない方法で積極的■経済的利用をはかるよう考えるべきである。
保安林は従来全く放置するのが原則のようになつているが,こんごは積極的に保育を行ない,ことに林■の疎林化を防ぎ常に目的にそうような林帯を維持するよう施策する必要がある。調査地域でも一部に老■■があるが,これらの防災機能はきわめて低下しており,これらの更新もこんごの重要問題の1つであ■。大部分の熱帯についてもやがては更新が問題になるはずで,合理的な保育・更新方法がこんご積極的■■討されねばなるまい。
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21)前田良次:チリ地震津波の波の動き——陸前高田市気仙川にて,地理,5,11,(1960)p.1327〜1328
22)三宅 博:津波対策としての防潮林,水利科学,4,3,(1960)p,171〜181
23)三好 寿:チリ地震津波の実態,自然,15,8,(1960)p.11〜19
24) 森田 稔:防潮林の津波並に潮風に対する効果について,防潮林経営研究録,林友会責森支部, (1948)p.52〜58
25)武藤博恵:津浪災害予防林(防潮林)造成に関する技術的考察,日本林学会誌,17,9,(1935) p.24〜35
26)中島貫二:大槌の防潮林,責森林友,12,2,(1959)p.14〜17
27)中町秀章:伊勢湾台風と防潮林,山林,915,(1960)p.17〜22
28)日本治山治水協会:海岸林とその効果,日本治山治水協会,(1960)pp.19
29)西 力造・木村大造:南九州における防潮林の研究,鹿児島大学農学部学術報告,3,(1954) p.61〜79
30)延原 肇:台風による海浜植物の被害,植物学雑誌,63,(1950)pp.749
31)農林省山林局:三陸地方防潮林造成報告書,農林省山林局,(1934)pp.140
32)農林省山林局:津浪災害予防林(防潮林)造成に関する技術的考察,農林省山林局,(1935) pp.22
33)沼田 真一:植物生態学1,古今書院,(1959)pp.588
34)沼田 真・永島久義:海岸植物群落の立地,科学,18,(1948)p.520〜521
35)沼田 真・島田辰夫・永島久義:海岸植物の含気塩分に対する抵抗性(予報),植物学雑誌,61, (1948)p.721〜726
36)仰木重蔵・坂口勝美・中野秀章・樫山徳治・岩川幹夫・藍野祐久・口塔正俊:伊勢湾台風下における 三重・愛知両県下の海岸防災林の効果と森林の潮風害に関する調査報告,林業試験場研究報告,127, (1961)p.1〜60
37)仙台管区気象台編:昭和35年5月24日チリ地震津波調査報告,気象協会東北本部,(1961)pp,91
38)四手井綱英・渡辺隆司:昭和21年南海地震における和歌山県防潮林効果調査,林業試験集報,57,林 業の部,(1948)p.97〜133
39)鈴木雅次:波浪,防災科学・水災と雪災,岩波書店,(1935)p.69〜108
40)田原 隆:チリ地震津波による災害と今後の問題点,土木技術,15,11,(1961)p.8〜16
41)高橋竜太郎:津波,防災科学・水災と雪災,岩波書店,(1935)p.1〜67
1. 高橋 武:海嘯と潮害保安林,青森林友,217,(1933)p.55〜59
2. 竹内義三郎:三陸海嘯と管内被害状況,青森林友,217,(1933)p.59〜71
3. 田辺健一:チリ地震津波による三陸諸港の災害の特色,地理,5,11,(1960)p.1244〜1251
4. 田辺健一:気仙沼湾のチリ地震津波第1波,地理,5,11,(1960)p.1328
5. 谷日森俊:台風13号及び異常高潮による植物の被害調査報告,植物生態学会報,3,(1954)p.282〜289
7. 田崎忠良:海岸砂丘地帯におけるクロマツ当年生苗の生育について,植物学雑誌,63,(1959)p,749
8. 東条貞義:責任は気象庁の怠慢か,自然,15,8,(1930))p.20〜24
9. 鶴田子里:津波に如何にそなえるか,防災対策のいろいろ,地理,5,11,(1930)p.1261〜1265
10. 内田 映:津浪災害から守る海岸保安林,青森林友,148,(1961)p.5〜9
11. 吉井義次:東北地方の海岸林,防潮林経営研究録,林友会青森文部,(1948)p.60〜66
12. 吉井義次・古岡邦二:金華山島の植物群落,生態学研究,12,(1949)p.84〜105
13. 吉岡 邦二:日本松林の群落型と発達とについて,生態学研究,11,(1948)p.204〜216
The Actual State and Effect of Tidal Wave Control Forests in Miyagi and Iwate Prefectures following the Tsunami of the Chilean Earthquake and the Desirable Forest Stand in Future.(Resume)
■■May 24,1960,the Pacific coast of Japan was struck by the tsunami(seismic sea wave)■■Chilean earthquake and suffered some damage in all parts. Especially affected were ■■and Iwate prefectures, which suffered serious disasters.
■■tsunami reached the coast of the country in about 23 hours after the earthquake. ■■period was 40〜60 minutes and the wave-length about 700km. Some places were ■■y waves of various heights over a 2,5 days period. The maximun height of waves at ■■re facing the open sea were 2〜3m in the northern part and 1〜2m in the ■■part. But those at the heads of bays were 2〜4m and 5〜6m in some places in ■■tures mentioned above. Waves were especiaHy high at the head of great bays with ■■outh by reason of the secondary wave-motion which grew remarkably. As main towns ■■ lands along the coast of both prefectures exist in those seaside districts, severe ■■occurred in those areas. It was roughly estimated that the velocity of flood sea water ■■3.0m/s.
At the time of the disaster, the effect of tidal wave control forests became an issue,so we therefore made an on-the-spot survey in both prefeetures to investigate the actual state,effect,and damage itself of the forests, and to study ways and means that should be applied to tidal wave control forests in future. The number of investigated stands amounted to 30 places in Iwate and to 22 places in Miyagi respectively. By the survey,the following points were made clear.
1. The tidal wave control forests which cover 125ha in Iwate and 1,130ha in Miyagi, are almost all prefectural forests which were mostly planted from 1935 to 1938 after the Sanriku tsunami of March, 1933.
The greater parts of 52 stands investigated were the single storied forests of Japanese black pine (Pinus Thunbergii). In some places there were same other species,such as Juglans Sieboldiana, Robinia pseudo-acacia and others mixed in those black pine forests. The forests were located at the rear of sandy beaches with 20〜30m widths. Most trees had heights of about 10m, breast-height diameters of about 10cm,clear lengths of 3 〜5m and tree densities of 5,000〜6,000 pieces per ha. In regard to the mean width of forest belt,the number of stands with widths of under 20m were 20 places and those with over 50m were 17 places. Some stands were in desirable condition as a prevention forest, but the rest had some weak points,such as a break in tree-belt on account of road, river,extreme sparse stands(found at the damp land)and others, farm field intruding into the forest land,and so on,At the time of the tsunami, the flow of tide water was so swift through those weak points that disasters in the rear of forests with the soft spots was severe, and moreover, there were few countermeasures to strengthen the weakness. It was considered that the planting of underwoods is desirable to diminish disaster caused by tsunami and to hasten the growth of superior stands,but at present low woods exist in few stands.
2. The comparison of seashore having forest with seashore having no forest showed remarkable differences of damage in the rear land,The effects of tidal wave control forest were as follows:
a)To diminish the destructive force of tsunami through dropping water level and velocity of flood sea water by frictional resistance.
b)To diminish the destructive force of tsunami through obstructing the driftage boats, drifting timbers and others-secondarily produced by sea waves,
Broadly describing the results of survey : in the rear land of stands of Japanese black pine which had possessed a good condition-widths of over 30m,stand densities of 5,000 pieces per ha,breast-height diameters of over 10cm-a few houses and farm lands were washed away.
0n the other hand the damage to stands, such as tumbling and breaking,were rare. The physiological damage of trees by salt water was found to vary among the tree species as under:
Resistible species : Japanese blaek pine,Robinia pseudo-acacia, Quercus serrata, Phyllostachys bambusoides, Euonymus japonicus, Rosa rugosa, Ligustrum ovalifolium, Juniperus chinensis and J. conferta, etc..
Half-dead species : Japanese red pine (P.densiflora),Cedrus deodara, Salix integra, Coriaria japonica, etc..
Dead species : Cryptomeria japonica, Chamaecyparis obtusa, C. pisifera, Taxus cuspidata, Platanus orientalis, etc..
3. Recently,there has existed the erroneous idea that the sea dike only adequate countermeasure against damage by the tsunami. During the last or past tsunami, the actua1 maximum height of tidal waves mounted to 5〜10m or to about 30m in some places. Consequently it is technicany or financially impossible to completely check the tsunami with such wave heights by the sea dike; and to close off the seashore by the sea dike brings tremendous economic loss to various industries in the coastal districts. For such reasons there is a limit in the scale of dikes. Finally,it is necessary to synthetically establish countermeasures with the ■ctive or passive measures, such as the tidal wave control forest, breakwater at the mouth of ■y, and refuge resorts of various kinds. First among the active counterrneasures is to rationally ■mbine the sea dike with the tidal wave control forests according to the character of the ■shore. This involves successively arranging sandy beach as buffer zone, shore protection ■rks,forest,rice field and farm, sea dike, and road for refuge in the community fitting ■ the basic pattern of constructive eounterplans,Some examples were found in the farm■ fishing areas. In the case of establishing a dike in the seashore with forests,it is to be ■red that the basic pattern be generally adopted. In many seaside towns it is nearly ■ossible to adopt these measures, but it is desirable to approach this pattem as mueh as ■mible.
On the most dangerous seashore in the Sanriku coast district, there were established tidal ■■ control forests。Accordingly,the main problem on the forests in the Sanriku coast district ■■ be the improvement and maintenance of the established forests. For the present,the ■■asis of improvement is on the following :
■■) It is necessary to improve the forests with many weak points into forests with uniform ■■ and strength by planting in sparse stands and intruding farm field above mentioned,
■■ring damaged stands and reinforcing the extreme narrow parts of stands.
■■) The forests and dikes must be extended along the river up stream.
■■) The roads through the forest belt should be askew or s-type against the beach line. ■■cticable, it is desirable to disuse such roads and to replace them by opening alternative ■■ that will not create weak points.
■■ To prevent tumbling of trees due to the soil scouring at the front of stand bv the tide-water,coast protection works must be enforced.
The following will be important as the subjecls of study in future.
1)As the seaside flat is limited, the minimum widths of forest belts must be rationally decided depending on the necessity of the protected objects. General observatians are as a result of the survey, that the tidal wave control forests in the prime of life: require the minimum widths of over 70m including the surplus widths for regeneration.
2)It is necessary to choose the reasonable forest type in order to save the width of forest belt. We suggest the type being composed of three belts-shrubbery belt, coppice belt, and high tree belt-for the sake of improving on the effects and conditionsof the forests。 and many kinds of underwood must be mix-planted together with high trees to make the sound compound storied forests as much as possible.
The tree species of high tree belts could be nothing except Japanese black pine,but,at the damp land bald cypress(Taxodium distichum)will be worth deliberatiang upon. The tree species for the underwoods in the high tree belt, coppice belt, and shrubbery belt, must be choosen from among such salt-resistant (and if possible soil-improving)tree species as follows :
Underwood :Robinia pseudo-acacia, Euonymus japonicus, Ligustrum ovalifolium, Camellia japonica var. japonica, Juniperus chinesis, J. conferta, etc..
Coppice belt : Robinia peseudo-acacia, Quercus dentana, a sort of Elaegnus, Populusalba,etc‥
Shrubbery belt : Rosa rugosa, Amorpha fruticosa, Vitex rotundifolia, Juniperus chinensis, J. conferta, Ligustrum ovalifelium, a sort of Elaegnus, etc..
About the maintenance and management of the established forests, attention should be paid,to the following in future.
1)The methods of regeneration nlust be made clear.
2) The tending of forests should be constructively undertaken.
3)In order to keep away such activities in forests as farming and cattle grazing unfair gathering of timber, litter, soil,and so on, the management system should be strengthen.
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