チリ地震津波による災害と今後の問題点
建設省河川局海岸課 田原隆
1.まえがき
昭和35年5月24日未明,北海道,三陸沖を中心として太平洋沿岸全域に津波が襲来し,甚大な被害をもたらしたが,この津波は,南米チリのチロエ島沖,すなわち,南緯36度,東経74〜75度附近を震源地とする大地震によるものである。(図—1)
<図が入る>
この地震はM8.75という極めて大きいものである。(Mは,Magnitude,地震の大きさの単位)この地震がいかに大ぎかつたかということは,関東大震災がM8.2であつたということを考えてもよくわかる。
また昭和8年の三陸沖大地震も大きかつた。この時はM8.5であつて三陸沿岸に大津波をもたらし,大被害を与えた。チリ地震は,このように関東大地震や,三陸沖地震よりも大きいのであるから,大津波を発生させるであろうことはよくわかるが,それが18,000kmの大洋を渡つて日本沿岸に襲来し,少しも勢力が衰えず各地に大被害をもたらしたことは,注目に値する。
日本とチリは太平洋という広い池のそれぞれ真向い側にある。従つて震源地から広がつた津波は,直接日本にやつて来たものであり,同時に各地に衝突反射して更に集まり大ぎくなつてやつて来たものもあると考えられる。収れんし,重複したので,日本の方が他のチリに近い地点の波より大きくなつたと考えられる。唯これは後から分つたことで,チリに地震があり,ハワイ鰹で津波が記録されても,まだ日本では,このような大津波がやつて来るとは,何人も考え及んでいなかつたようである。
いずれにせよこのような大津波が太平洋岸を襲い,人的被害1,000人以上,建物被害46,000戸,農地被害7,000ヘクタール,罹災世帯32,000戸,罹災人口16万人という大きな被害を与えたのであるから,当然,これら被害の復旧,津波被害防止施設の復旧並ぴに将来の対策が問題となる。
元来,今回のチリ地震津波は別として,わが国は地震国であるため,国内及び周辺海域に地震が多く従つて津波による災害も案外多い.特に三陸沿岸は津波常襲地帯といい得る。すなわち古くは,西歴869年(貞観11年)より近くは昭和27年(1952)の約1,100年の間に著名なものだけでも20数回起つている。また記録の最も正確と思われる明治以降の100年間に約10回発生しており,われわれは案外その頻度の高いのに驚く.わが国はまた台風の常襲国であるので台風に対する対策は比較的よく立てられているが,それでも同一場所に大被害を与える台風は,先の伊勢湾災害は別として,10年に1回もやつて来るものではないこのことを考え合わせると,津波対策は,相当真けんにとり上げられなければならないことがわかる。以下主としてチリ地震津波を対象として,被害状況についてのべ,あわせて,津波対策につき簡単にのべてみたいと思う。
2.チリ地震津波による被害の状況
被害の概況については,先にも述べたが,詳細は表—1,表—2に示すとおりである.表一1は一般的被害であるがこれによれば,岩手,宮城を中心にして最もはげしく,次いで青森,北海道となつているが,南の方では,三重がはげしく,次いで,和歌山,高知,徳島が大きい被害を受けている.次に公共土木施設被害の報告額をみると,表一2に示すとおりで,建設雀所管では,岩手,宮城を中心にして一般被害と同様全国に及んでいる.通常,わが国の津波災害は,近海地震によるものであるので,被害は一般に狭い地域に限られるのであるが,今回のように,遠方の地震によるものは,全国的に被忠を及ぼすものと見られる。
わが国の著名な津波常襲地帯は,三陸であるが,この三陸地方を襲つた津波の中でも,明治29年の津波と昭和8年の津波は有名である。〔表—3)この両者の被害状況を示すと表—4,表—5,表—6のごとくである。これによれば,今回のチリ地震による津波災害は,近海産のこれら薯名の2津波災害に比して優るとも,劣るものでないことがよくわかる。
最後にチリ地震津波による被害状況を農林,水産,商工,家屋等の種目別に分けると,表一7のごとくである。
これによれば,土木被害が他に比して非常に少ないことがわかるが,これを裏からみれば,公共土木被害に比して,他の被害が著るしく大きいことにもなる。
これは,この地方には,津波防禦の施設が少ないことを物語るものではなかろうか,事実今回各地を調査してみると東北地方には,極小数のものを除いて津波防禦施設としての堤防等はみるべぎものがない。これは重要な問題である。
次に参考のために三陸地方の津波の歴史についてのべる。
表—8は,三陸地方を主とする津波の歴史であるが,これによると,古くは,紀元西歴869年から以降23回の著名津波が記録されている。この記録のうち明治以降のものは,最も正確と思われる。徳川期の記録はこれにつぎ,それより古いものは,次第に信頼性は減ると考えられるが,この表に記録されている限りにおいては精度は高いと思われる.むしろ,記録もれがあるかもしれないという点で正確さが疑える。本表は,1959年3月岩手県土木部河港課出版の普代海岸堤防計画書よりとつたものであるが,該計画書に記する所によれば,次の文献によつたものである。
1. 地震研究所報
2. 「三陸律波による被害町村の復興
計画報告書」内務大臣官房都市計
画課
3. 「三陸沖津波報告」中央気象台
4. 「震浪災害土木誌」岩手県土木課
更に表—8の各津波のうち第1級のものは貞観11年,慶長16年,明治29年第2級のものは元利2年,延宝5年元禄2年,安永3年,昭和8年と記されている。
3. 津波の性質
津波も海洋波の一種であるが,通常われわれが海岸に立つて見る波,すなわち波らしい波とは幾分違つた性質をもつている。波を週期の長短によつて分類すると図—2及び表—9のごとく分類できる。
われわれが通常とり扱う台風等の影響によつて起る波は,週期が6,7秒程度であるので,普通重力波ということになり,津波は20分〜40分位の週期が多いので長週期波ということになる。
普通重力波は,目で見て波とわかる波,すなわち最も波らしい波といえる.これに反し,普通潮波と呼ばれる区分に入るもの,すなわち月及び太陽によつて起る潮汐のごときものは,目で見たのでは,一見して波ということは分らない。むしろ流れという感じがする。
事実水理的には,流れという方が正しいと思われる。
津波は,この両者の中間の領域にあるのであるが,性質もまたある程度両者の中間にあるといえる節がある 一見して波というよりは,流れに近い感じを受けるが,伝播速度の速いことや,遡上能力の高いこと等から判断すると波の性質が強い。これらのことは,津波による被害状況をみればよく分る。津波による災害は,一種異様なものが感じられる。河川災害や一般災害と比べて独得な感じがするのは,このためであろう。
(1)伝播状況
津波の伝播速度は一般に極めて速い。チリ地震津波の例によれば,約24時間で18,000kmの距離を伝播しているから,時速750kmということになる。またこれは秒速200mであるから,ジエツト機並みのスビードである。普通の流水,すなわち水の実質がそのまま移動する河川流等では,幾ら速くても10m/秒以下である。また発電所のペンストツクの中を流れる流速でも数10m/秒の程度である。このことから津波は,まぎれもなく波であることがよくわかる。このように波が衝突するのであるから被害も大きい。木造建物等の下部が突ぎ飛ばされて,上部が原形を保つたまま下へ落ちている例などある。また,或る海岸は工事中であり,一部竣功していたためその背後の家は浸水のみで助かつている。これは,越流はしたが,激しい津波の圧力は堤防により殺されたためてあろう。(写真—1,2,3参照)
<写真が入る>
写真—1宮古市高浜姉区宮古市高浜地区某所の家屋倒壌状況であるが,屋根が原形をとどめ,下部は破壊されている。
このような例は非常に数が多い。高浜地区の小生手持の写真75枚のうちこのような例を示すものが17枚ある。
<写真が入る>
写真—2宮古市赤前地区
宮古市赤前地区も被害激甚地である。写真に見る堤防は建設省所管の継続工事中の堤防である。背後の森の側に家がある。(写真—3の家、これは浸水はしたが被雲軽微であつた。
<写真が入る>
写真—3宮古市赤前地区
手前にみえる道路は,堤防に行く道路で,写真—2の道路につづくものである。
津波の伝播速度は,一応次式で算定される.
<式が入る>
ここにωは波の伝播速度
hoは波高
Hは水深
これを計算して表にすると次の如くたる。
この計算ではho=6m=constとして計算したものである。
<表が入る>
先にのべたように平均伝播速度は200m/sccであるので逆に云えば,太平洋は非常に深いということにもなる。また,岸に近くなると一般に水深が浅くなる。
従つて伝播速度が小さくなるが,いよいよ上陸する時には,次第に流れに変化して来る。5m/s以上の流速を持つ場合もしばしば生ずる。このため前記のような被害状況となると考えられる。これは河川災害の場合の欠潰口附近の民家等の被災状況と似ている。
(2)津波の週期
津波の週期は,一般に数分ないし数10分である。
わが国は,リヤス式海岸が多いことは,世界でも有名であるが,これらの湾は,固有振動というものを持つているが,その週期もまた数分〜数10分のものが多い。津波の週期と,湾の固有震動週期が一致すると,共鳴現象が起り振,幅すなわち波高は著るしく大となる。
表—10は八戸,宮古,小名浜等に襲来した津波の第1波,最大波の状況であるが,いずれも週期は相当に長い。宮古湾のセイシユの振動は,九大松肥博士の昭和8年三陸津波報告(土木試騎所報告)に上れば20分となつている。(寺田博士測定による。)今回の津波の週期は30分であるからほぽ近いものである。
従つて宮古市の被害が大きいのもうなずける。この他主要破害地の湾の固有振動は30〜45分程度であつた。昭和8年の津波の場合は,周期が今回津波より短かく12〜15分程度であつた.津波の週期は,通常震源に近い程短かく,これから遠ざかるにつれて長くなる傾向がある。
(3)津波の高さ
津波の高さに影響すると考えられる要素のうち主なものは震源よりの距離,湾の方向,海底勾配,湾形,水深変化等であると考えられる.以下各要素別に概説する。
イ.震源よりの距離による影響
津波の高さは,勢力を衷わすものであるが,これは震源よりの距離により異なる。一般に距離の平方根に比例すると考えられる。しかし,震源が遠方にある場合け,距離による影響は無視できるものと考える。
ロ.湾の方向による影響
湾の方向は,津波の勢力に大ぎく影響すると考えられる。これは当然の事であるが,理論的にその関係を表わすことは仲々困難である。普通の波の場合,広井公式があるが,これは,津波のような長大な波に利用できるかどうか分らないが,定性的な価直をよあると思うので参考のためにあげる。
<式が入る>・・・広井公式
ここに hは方向転換後の波高
hoは方向転換前の波高
θは震源と湾方向のなす角
図—3参照
ハ.海底勾配による影響
海岸附近の海底勾配は,津波々高に著るしい影響を与える。海底勾配が急で,従つて水深の大きい所では津波の波高も大きい。山口氏は三陸津波をしらべ次の式を提案している、
h=(0.3〜0.4)(100/D}^1.1〜1.3
ここに hは,海準での波高(m)
Dは,水深100mに達するまでの距離(km)
また松尾教授も昭和8年の三陸津波及び明治29年の三陸津波をしらべ,それぞれに対し次の2式を得ている。
Ho=1.0+2,500+s^1.35………昭和8年
Ho=1.0+3,500+s^1.35………昭和29年
ここにHoは波高(m)
sは平均勾配(湾口水深/湾長)
二.湾形及び水深による変化
V字形の湾の奥の波高は一般にU字形,すなわち奥の広い湾の波高よりも高い。これは,湾の形状が津波に影鱒を及ぽすためである。水深の変化もまた,津波の波高に影響を及ぽす。これらの関係を示すものとして次の式がよく用いられる。
<式が入る>
ここにh1,h2は,それぞれ,湾幅b1,水深H,及び湾幅b2,水深H2の波高である。
この式は,水深H1の所から水深H2の所へ津波が進行するとき途中でエネルギー損失がないとして導かれたものである。従つて非常に遠浅な海では過大な値を与えるおそれがある。
(4)津波の遡上高
津波の遡上に関してはKaplanの式がある。この式は,不透性で平滑な斜面を孤立波が遡上する場合の実験式である。
浜勾配1/30の場合 R/H=0.381(H/L)^-0.316
〃 1/60〃 R/H=0.206(H/L)^-0.315
ここに Rは水面からの遡上高
Hは波高
Lは波長
津波の遡上高は,陸上の地形,津波の波形等に大いに左右されるものであるから上式は,単なる概算のために使用すべぎと考えられる。
(5)チリ地震津波の特徴
津波のもつ一般的性質はこれまで記述して来たとおりであるが,チリ地震津波について,これらの性質の中で目立つた点を二,三拾つてみることにする。
イ.伝播速度
震源地は,日本より約18,000kmはなれた超遠地点であるにもかかわらず,200m/kmという恐ろしく速い速度て伝播して来た。このような遠隔地からこのように速い速度で襲来したため,住民は,地震を身体で感じて予め退避等の準備することが困難であつた。
ロ.週期と波高
震源地からの距離が遠いため,週期が近海産の津波に比して長い。昭和8年の場合を例にとると,12〜15分であつたものが今回は,40〜60分となつている。
このため,固有振動週期の長い湾,すなわち,大きい湾が被害が大ぎい。例えば,綾里湾では昭和8年のときは20mまで遡上しているが今回は7.Om程度にとどまつている.また宮古湾では,港附近では昭和8年より今回の方が低いが,関伊川奥では今回の方が高い。また大船渡市では,今回の方が高い.(図—4〜図—6参照)
図中,点線は今回,太線は昭和8年,鎖線は明治29年の浸水を示す。
ハ.湾の方向と波高
今回の津波は近海産の津波と異なつて非常に遠方より襲来したため,影響範囲が広かつたが,来襲方向が図—1に示すように東南方であつたため,東南方または南方に向つた湾の被害が,他の方向のものより大きかつた.昭痢8年のような近海産の場合は,震央が三陸沿岸に対して東方向であつためた,東方向の湾の災害が大きかつた。
4. 津波対策
以上簡単に,チリ地震津波による被害状況,津波の性質等について述べたが,このような津波現象による被害から人命等を護るにはどうすればよいか,すなわち,津波対策はどのようにあるべきか,特にチリ地震津波についてはその対策はどうなつているか等について略述する。
(1)津波対策の特徴
在来の海岸堤防等の保全施設は,台風を対象として計画しているものが多い。(東北地方においては,津波を対象として,はじど)から計画されたものがある.これについては後述する。)
従つて,天ば高の決定の仕方等も大抵の場合台風現象を対象としている。海岸保全施設築造基準においてもこの立場を取つているぎらいがある。すなわち,海岸保全施設築造基準第2章設訓基礎条件において,「設計に使用する潮位は,潮汐,高潮,セイシユ,津波等を考慮して決定するものとする。」と規定しているが,設計高潮位は,「原則として,既往最高潮位とするか,または朔望平均満潮位に既往の最大鵡位偏差を加えた高さとするものとする。」と規定しており,一方堤防天ば高は,「設計高潮位に波が衝突する場合においては,波高の1.O〜1.3倍の高さ,波が遡上する場合においては,波高の1.0〜2.5倍の高さを加えさらに余裕高を加えたものとする。」と規定されている。これは,明らかに津波を考えていない規定である。津波がこのように考慮されなかつた理由は,台風は,必ず海年数回わが国を襲い,相当の被害を与えて行くのに反し,津波は,数が少く数年または十数年に一回襲来する程度であるからであろう。所が,本稿のはじめにおいて述べたようにこれは誤まりである。三陸沿岸等においては,近年の主な津波でも10年に一回位の割で来ている。そしてその度に大きな被害を受けているのである。同一場所がこのように頻繁に被害を受けるのは台風災害といえどもあまりない。しかしながらここに問題となるのは,天ば高をどのようにして決めるかということである。一応理論的には,台風と同時に襲来することは無いものと仮定すれば,朔望平均満潮位に津波の衝突波高または遡上波高を加えきらに余裕高を加えればよいことになるが,この衝突高や,遡上高がそう簡単に決まるものでもないし,既往最高のものを取るとなると,海面上30mという馬鹿でかい値を取るものもあり,財政的にも,海岸利用の面からも実現不可能と考えられる。従つて天ば高は,次の原則によつて定める必要があると考える。
(a) 海岸線附近に設ける場合は海水の流入を完全に遮断することは,不可能と考え,或る程度の越波流入はあるものとし,流速の高い水が直接流入し,家屋等に衝突しないようにする。すなわち,浸水は許すが,流速は殺す。そして引き水による被害も同時に軽減する。
(b) 津波常襲地帯は,津波ごとに海岸に近い所は災害を受けているので,人家等はなるべく内陸に作り,その前面を堤防で防護する。このようにすれば,或る程度遡上してエネルギーの弱まつた海水が対象となるので,堤防も作りやすく,完全に人家等を浸水から防護することも可能となる場合が多い。
堤防高設計の原則を(a〉(b〉のようにした場合,具体的に高さをどのようにするかは学間的にも困難であるが,堤防利用の点と,台風を対象として設計した堤防背後地の津波被害の実側等から判断して,三陸等の台風の来襲の少ない地方でも,台風を仮定して設計すれば,その高さが,津波に対しても相当満足を与えるものではないかと考えられる。少くとも一応の目安にはなるものと考えられるようである。勿論長期対策としては,今後実態をよく調査し,津波対策の設計高の算定方法の確立をはからねばならない。
次に構造であるが,高潮すなわち台風を対象とする場台も,伊勢湾対策の例等にかんがみ,今後天ば,表のり,裏のりの三面をコンクリートで被覆するのを原則としている.この場合には,暴風時,或る程慶の越波があつたり,波のしぶきで天ば及ぴ裏のりが叩かれることを予想しているからである。しかし,高潮の浸入は絶対許さないのが原則である。すなわち天ば高は,設計高潮位よりは高いのである。津波の場合は,津波が週期が非常に長いため,流れの性格をもつているので。或る程度の侵入を許すとすれば,完全に三面コンクリート巻きとしなければならない。週期の短い台風波と違うので,温流現象に近くなるから裏のり尻には水叩等も考慮する必要がおころう。また波返し等は,不要と考えられるが,台風の場合を考えれば,効果はある。
(2)津波対策の歴臭
わが国の海岸改良事業の歴史は浅く昭和25年からであるが,改良事業の種類は,堤防修築事業,浸食対策事業及ぴ局部改良事業と分れている。堤防修築事業は,通常台風対策であるが,東北地方では,津波対策をこの中に入れて行つているものがある。すなわち、田老,普代,赤前,磯鶏,片浜海岸等がそれである。
このうち田老海岸は昭和32年に竣功した。その他は、現在工事中である。
田老海岸は,今回津波で一躍有名となり,週刊誌にも掲載されたが,ごの海岸は,明治29年の三陸津波で壊滅酌被災を受け,さらに昭和8年の三陸津波で再度被災したので,県当局は,県費で対策に着手した。
これが昭和9年で,堤防延長1,350m天ば高T.P.+10mという本格的なものであつた。しかるに日支事変,大東亜戦争のため工事は遅延したその後昭和29年より建設省の補助事業となり昭和32年に至りやつと完成した。
今回は宰にも波があまり大ぎくなく堤防の真の威力は発揮できなかつたが,田老町は,町長以下不時の災害に対し準備怠りなしの体制をしいている。すなわち,津波と防災というパソフレツトを出し,それには,津波の心得をはじあとして必要な事を記し,町民の啓蒙につとめている。(図—7,写真—4参照)
(3)チリ地震津波対策
今回のチリ地震津波による被害は,一般被害が多く,公共土木施設の被害は,割に少なかつた。これは理由は色々あろうが,東北地方が公共土木の投資が少なく特に海岸線において少なく,そのため,公共土木施設の災害は少なかつたのではなかろうか。施設は,一般被害を防護するためにあるのであるから,当然今回のように一般被害の多い場合には,新設または改良を含めた対策が立てられなければならない。特に三陸沿岸等は,津波の常襲地帯ともいうべく,過去においても数回の大きい被害を受けている。これらのことからこの災害に対して特別措置法が制定せられた。そして,国の財政の許す限り事業の促進を計ることとなつた。
以下特別摺置法について概説する.この法律の目的は,今までのべたように,昭和35年5月のチリ地震津波(以下「チリ地震津波」という。)によつて災害を受けた地域における対策事業の計画的な実施を計り,国土の保全と民政の安定を計ることであるが、事業の対象区域は、政令で定めることとなつている。この区域内の海岸及び河川でチリ地震津波による著るしい災害を受けたもの,及びこれらに接続して,かつ,これらと同様の効用を有する海岸または河川について政令で定める事業(海岸堤防,河川堤防,防潮堤,導流堤,離岸是,突燵,護岸,胸壁,水門及び閘門)を行うのである。
そして主務大臣(建設大臣,農林大臣,運輸大臣)は関係地方公共団体の意見を闇いて事業計画を立て,閣議決定を求めることとなつている。この事業計画は,チリ地震津波対策審議会の議を経ることとなつている。この審議会は,総理府において,対策事業に関する重要事項を審議するのであるが,その組織等の内容は政令で定めることとなつている。
この法律では,負担率の引上げ等について規定していないが,これは,今後よく調査を行つて必要があれば,別途な措置を講じようと考えるためである。
また昭和35年度は,原則として緊要な災害復旧にとどめ,改良または新設は,調査事業を待つて行う筈である。
5.むすび
以上簡単にチリ地震津波による災害と今後の問題点についてのべたが,現在調査の段階であるので,今後とも,本稿にのべた数字等は,変動する可能性があるりで,その点了承されたい。また,津波に関する文献ば極めて少ないのであるが,下記文献を参照させて戴いたのでお断わりする次第である。
a.海岸工学(1)土木学会 丸善
b.海岸保全施設築造基準解講党 全国海岸協会等
c.水理公式集 土木学会
d.震浪災害土木誌 岩手県土木課
e.三陸沖強震及び津波報告 中央気象台
f.普代海岸海岸堤防計画書 岩手県土木部
g.津軽石海岸海岸堤防計画書 岩手県土木部
h.三陸津波調査報告 松尾春雄
クイズ
道路ブームの盛り上がつてきた機会に,お尋ねしますが,東山道,南海道,などの"道"はどこにありますか。
(答えは43ページ)