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(巻頭写真)

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浸水区域を示す鳥瞰写真(附昭和35年5月24日の記)
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写真 津波警報塔
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写真 銅板の文
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写真 津波犠牲者供養塔

襲来の状況

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写真 一体の海と化した工場用地、向う側は小野田セメント工場
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写真 破壊の限りを尽くして引いて行く黒い滝ハ(その一)
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写真 破壊の限りを尽くして引いて行く黒い滝ハ(その二)
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写真 掃き払われたさつな中赤崎地区
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写真 狼籍のあと、大船渡町中学校通
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写真 大船渡中学校通
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写真 暴力の極大船渡町野々田
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写真 破壊の限りをつくして小休止する海の暴力
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写真 国道立体交叉点まで押し上げられた一〇〇屯船
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写真 かってなき経験、赤崎佐野部落
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写真 差引を繰返して不安動揺の地之森地区
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写真 滝となって引いて行く万屯岩壁
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写真 無気味に盛り上る海面
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写真 急流となって通過したあとの大船渡町市街
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写真 急流となって通過したあとの大船渡町市街
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写真 急流となって通過したあとの大船渡町市街
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写真 急流となって通過したあとの大船渡町市街
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写真 急流となって通過したあとの大船渡町市街
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写真 電報電話局の二階には多数の交換嬢が孤島の人となった
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写真 盛高校前から駅方面まで一時は見渡す限りの海だった
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写真 赤崎町佐野に集積した家屋材及び家具の山
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写真 水の安定化と共に数を増す救援者
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写真 赤崎町田中小路の惨状
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写真 大船渡町永井沢から見たその日の海
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写真 地之森地区の惨状、ここに多数の死体があった
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写真 翌日の新聞報道
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写真 末崎町細浦の被害
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写真 赤崎地区から見た第1回引潮

被害の状況

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写真 死体捜索(大船渡赤沢)
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写真 大船渡町駅前交叉点
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写真 暴力!250屯の運送船をほうり上げる
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写真 大船渡茶屋前踏切
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写真 大船渡駅前通り
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写真 数次の水に押寄せられた家屋の破片
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写真 大船渡駅前から南方を見る
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写真 大船渡町須崎橋から北方を見る
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写真 一週間後の大船翻前
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写真 大船渡須崎町
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写真 大船渡町裏通りに集積した流失物
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写真 家財と死体を求めて
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写真 自力だけでは手のほどこしようのない大船渡
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写真 廃嘘と化し去った中赤崎地区
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写真 カトワック教会下に集積した家屋の残骸
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写真 再び海にもどす方法のない(田茂山)
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写真 橋桁だけになった川口橋
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写真 あわれ!収容所で独り留守居
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写真 中赤崎田中小路は沼になって水が引かない
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写真 大船渡町地之森地区の被害
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写真 中赤崎の被害
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写真 中赤崎地区

救援の状況

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写真 完全に非常体制にはいつた市役所(A)
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写真 完全に非常体制にはいつた市役所(B)
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写真 応急処置として発足した市復興事務局
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写真 犠性者家庭をまわって慰霊する鈴木市長
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写真 中央かちの視察楢橋.王田氏等来市(A)
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写真 中央かちの視察楢橋.王田氏等来市(B)
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写真 中央かちの視察楢橋.王田氏等来市(C)
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写真 中央かちの視察楢橋.王田氏等来市(D)
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写真 救援物資義損金品の山(A)
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写真 救援物資義損金品の山(B)
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写真 救援物資義損金品の山(C)
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写真 救援物資義損金品の山(D)
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写真 救援物資義損金品の山(E)
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写真 救援物資義損金品の山(F)
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写真 救援物資義損金品の山(G)
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写真 市婦人会の手で整理される救援物資(その2)
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写真 市婦人会の手で整理される救援物資(その2)-1
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写真 市婦人会の手で整理される救援物資(その2)-2
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写真 被災民収容所の告示板
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写真 大船渡中学校講堂に収容された被災民
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写真 収容所で労わり合う被災者た
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写真 被災者のために、取敢えす建てられた住宅
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写真 一先づ建てられた犠性者慰霊塔
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写真 同級生を、姉を、弟を、父を、子をこの一本の白木に求めて
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写真 やっと通れるだけには片付いたもの
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写真 救援作業に奉仕する市民(A)
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写真 救援作業に奉仕する市民(B)
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写真 救援作業に奉仕する市民(C)
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写真 所有者不明のものも洗濯されて
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写真 自衛隊の出動(市民はその偉力に驚き、且つ感謝した)(A)
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写真 自衛隊の出動(市民はその偉力に驚き、且つ感謝した)(B)
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写真 自衛隊の出動(市民はその偉力に驚き、且つ感謝した)(C)
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写真 自衛隊の出動(市民はその偉力に驚き、且つ感謝した)(D)
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写真 自衛隊の出動(市民はその偉力に驚き、且つ感謝した)(E)
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写真 自衛隊の出動(市民はその偉力に驚き、且つ感謝した)(F)
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写真 自衛隊の出動(市民はその偉力に驚き、且つ感謝した)(G)
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写真 自衛隊川口橋架橋作業(A)
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写真 自衛隊川口橋架橋作業(B)
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写真 復旧なった鉄道(地之森)
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写真 発着を繰返して物資運搬に当るヘリコプター
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写真 市民に安堵感を与え、しかも復旧を早からしめた自衛隊トラック隊
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写真 一斉に盛川堤防上に翼を休めるヘリコプター
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写真 ハワイ、ライオンズクラブから贈られた救援物資
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写真 フランス児童救済会から保護世帯子供への贈物
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写真 偉大な功績をた、えて感謝状を贈る鈴木市長
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写真 市民に名残を惜しみつ、盛中学宿舎を出る自衛隊
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写真 市民に名残を惜しみつ、盛中学宿舎を出る自衛隊
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写真 市民に名残を惜しみつ、盛中学宿舎を出る自衛隊
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写真 市民に名残を惜しみつ、盛中学宿舎を出る自衛隊
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写真 昭和光六年三月、一周年を間近につくづく復興状況に見入る鈴木市長

一周年の状況

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写真 近代的に立直った大船渡町目抜通
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写真 近代的に立直った大船渡町目抜通
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写真 近代的に立直った大船渡町目抜通
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写真 近代的に立直った大船渡町目抜通
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写真 近代的に立直った大船渡町目抜通
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写真 記念日までに落成を急ぐ工事者諸氏
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写真 供養塔工事者に感謝状を贈る市長
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写真 昭和六年五月四日
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写真 遺族代表供養塔前焼香
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写真 除幕直後の供養塔
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写真 津波犠性者供養塔除幕直前
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写真 除幕式式辞を捧げる鈴木市長
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写真 供養塔除濠式に参列の遺族
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写真 慰霊の言葉を読上げる鈴木市長
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写真 供養塔の前にありし目の学友をしのぶ
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写真 遺族す,りなきのうちに同級生の吊詞(その1)
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写真 遺族す,りなきのうちに同級生の吊詞(その2)
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写真 犠性者よ安らかに…慰霊祭場に安置されたおもかげ
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写真 慰霊祭場の遺族席
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写真 慰霊祭の行われる西光寺の庭
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写真 記念日に完成した津波警報塔
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写真 記念日に完成した津波警報塔
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写真 各地に設けられた避難誘導標
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写真 各地に設けられた避難誘導標
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写真 大根を干す冬がやって来た。しかし土盛工事の完成までは建築を差控える人の多い中赤崎地区
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写真 大船渡町にもこうして冬を迎える人もあった
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写真 大船渡町にもこうして冬を迎える人もあった
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写真 一周年を迎える中赤崎の姿(埋立工事進行中)
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写真 埋立地に推積された残骸、焼却に60万円を要した

一周年記念行事の状況

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写真 津波訓練炊出本部
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写真 津波避難訓練本部
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写真 津波避難1訓糸東統監部
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写真 一周年記念日早朝召集された津波対策緊急市議会
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写真 一周年記念日早朝召集された津波対策緊急市議会
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写真 一周年記念日早朝召集された津波対策緊急市議会
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写真 一周年記念日早朝召集された津波対策緊急市議会
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写真 一周年記念日早朝召集された津波対策緊急市議会
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写真 避難命令発令…思い出も新たに高台へ高台へ
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写真 避難命令発令…思い出も新たに高台へ高台へ
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写真 避難命令発令…思い出も新たに高台へ高台へ
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写真 避難命令発令…思い出も新たに高台へ高台へ
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写真 避難命令発令…思い出も新たに高台へ高台へ
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写真 避難訓練…高台に上って万感交々の市民
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写真 避難訓練…高台に上って万感交々の市民
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写真 壁難訓練終了自衛隊音楽隊を先頭に消防団の大行進
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写真 壁難訓練終了自衛隊音楽隊を先頭に消防団の大行進
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写真 壁難訓練終了自衛隊音楽隊を先頭に消防団の大行進
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写真 壁難訓練終了自衛隊音楽隊を先頭に消防団の大行進
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写真 壁難訓練終了自衛隊音楽隊を先頭に消防団の大行進
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写真 壁難訓練終了自衛隊音楽隊を先頭に消防団の大行進

大船渡市では,去る昭和35年5月のチリ地震津波来襲により,甚大な災害をうけ,その復興に力をつくされていたが,今回,関係記録をあつめ,出版の運びとなった。まことに喜びにたえぬことである。
チリ地震は,遥か大平洋の対岸に起きたものであり,その震波は,日本列島を脅かし,三陸沿岸に高周波をおくり本県にも甚大なる被害をあたえた。大船渡湾内の被害は,その最も大なるものの一つである。このような,遇然にして,全く予期しない津波は,その災害を一層大きくしたが,今にして思えば,従来の史料にも,その幾つかは同じような津波が指摘されるという。それだけ今日の学術は進展しており,チリ地震の影響が予測できる段階に来ているといえよう。三陸の沿岸線は,屈折の多いことで知られており,高襲波を抱えこんだ際,被害を大きくする条件を備えている。
大船渡津波誌は,500頁の書冊として,公刊され,ひろく一般にも読まれることになった。その盛られた内容を一見すると,前編において復旧復興の事項をとりあげ,被害の発生状況から,防災都市建設計画という,市の対策と行政措置に至る経過をあつかい,中編には,各種の論説等をとりあげ,それぞれの分野から指摘されたことをあつめ,津波に対処する心構を示している。災害対策はこのような総合研究の所産から,多くの示唆を得なければならないと思う。
後編には,三陸沿岸に発生した津波の歴史をとりあげている。三陸津浪史は,本県災害史の一部であるが,従来,本県沿岸に災害を与えた津波襲来は,決して少ないものでなかった。その中には,チリ方面地震に伴って発生した津波も一再でなかったという。
以上,3編42章・57節にわたる記述は,現状に対する施策と,論説と,津波史から構成されており,いずれも適切然も貴重なものであると信ずる。その意味において,本書の刊行は,あたら多くの犠牲者と罹災者を生じた大船渡市地区の人々の記念すべき記録であるとともに,このような罹災を排除し,または軽減するための刊行物であらねばならぬ。したがって,沿岸の人々は勿論のこと,多くの人が本書を読んで,将来の災害軽減につくされんことを願うものである。
昭和37年5月
岩手県知事阿部千一

昭和35年5月24日末明三陸沿岸各地では,人身に感ずる地震もないのに突如大津波に襲われ,昭和8年の大津波以来の大きな被害を受けた。このチリ地震津波の特色は昭和8年までのたびたびの三陸沖地震津波の際に比較的被害のなかった大船渡などの各港湾都市に最大級の被害を起したことである。昭和8年のものと比較すると,外湾の波高分布も異なり,湾の奥においても,昭和8年に高い波高を示した湾では今回は低かったり,又逆の現象も現われ,今回の津波は前者と全く対照的な分布となっていることが明らかにされている。従って湾形で被害がきまると言う三陸沖地震津波の常識が通用しなくなり,防災対策に新しい問題を提起するに至った。
東北地方に何らかの影響を与えたチリ地震津波は享保4年(1687年)以来10回記録に残されているが,そのうち多少なりとも被害を与えたものは,享保15年・宝暦元年・天保8年・明治元年・明治10年の5回と考えられる。併しこれらの津波は海浜の家屋を損傷したり,あるいは舟艇をさらう程度のものであったようである。チリ地震によって起された津波で本邦に影響するものは地震の規模(M)8以上のものである。例えば近年では明治39年2月(M=8.6),同8月(M=8.4),大正11年11月(M=8.3),昭和18年4月(M=7.9)のものが影響したが検潮器で験出される程度で被害は起っていない。今回の膿噺灘畦8X(1/4)--8X(1/2)教られ前3者と同程ものであるが、津波は比較にならない程大きなものとして現れ,吾々の意表をついた。
日本における津波予報業務や津波対策は三陸沖地震を対象として考えられて来たのであるが,かって経験したことのない極めて遠地の地震津波であったために津波警報の発令の時期を失するなど色々の欠陥を生じた。これらに対しては津波予報業務の改善や施設の整備が急がれ,夫々実施に移されている。三陸沿岸は沖合に大地震の頻発地帯をひかえ,古来たびたび大津波に襲われているが,地理的な宿命的条件によるものであって,今後もこの恐威から解放されることはあり得ない。加うるに南米方面の地震津波もこの地に大災害を起し得ることが事実によって明らかとなった。
地震津波災害は海岸の人口が多くなり,海岸施設が増える程増大する筈で,海岸地帯の開発が強力に進められている現在津波対策は益々重視さるべきものと考えられる。このときに当り大船渡市よりチリ津波災害誌が発行される運びとなったことは真に喜ばしく,将来の津波対策のための基礎資料として活用されることを念願する次第である。
昭和37年5月
盛岡地方気象台長梅田三郎

恐愕と,そして焦慮に終始したチ地震津波から早くも二周年の才月が流れ,予想外の復興ぶりは,災害の痕跡を止めないまでの進展を見たのでありますが,これは,あくまでも皮相の面でありまして,復興資金の償還のために,罹災市民が今,血みどろの苦斗を続けており,本当の意味の復興は,これ等償還が完了したときをもって言い得ると信じます。
当時は,市全てを挙げての,救援に,復旧に,そして復興と今後の防災対策に終始してきたのでありますが,これ等の業務を省りみますと,数々のいたらなかったことがらが反省せられ甚だ申訳なく存じております。
此の度,チリ地震津波災害におけるこれ等行政面の対策業務を,卒直に記録し,各界の御検討と御批判を重ねていただき,向後における災害対策の万全を期すとともに,諸般の御参考に資していただくことが大船渡市の義務であることを信じ本書を発行するものであります。よろしく関係各位の御高見をお願いするものであります。
なお,本書発行にあたり寄稿を快諾せられた各位に,心から感謝の意を表するものであります。
昭和37年5月
大船渡市長鈴木房之助

昭和35年5月24日は,大船渡市民にとって全く寝耳に水の大惨事の日であった。千数百年来津波常襲地として名を知られ,大小30回にも及ぶ津波経験地の大船渡も,今回こそははっきりと,無警告津波というものの恐しさを思い知らされたのであった。53名の犠牲者と,80億3千万円の財的損失と,ぬぐいきれぬ精神的惨害とは,青天の露麗という言葉そのままに降って湧いた様な大惨禍であり,時あだかも開発の槌音高かかった大船渡市は,一朝にして十年の後退を余儀なくされ,破壊と残骸と泥檸の巷と化し去ってしまったのであった。
しかしながら市当局はいち早く,復興事務局を新設し鈴木市長の"復興即開発"という魅力的勢力的なスローガンのもとに,莫大な事務量を処理し,驚くべき復興即開発の成果を挙げた。その記録がこの記念誌の大部分をしめている。
私はさにき,大船渡市,陸前高田市,三陸村の各教育委員会と教員組合気仙支部共同の"チリ地震津波記念誌"を編集した。それは津波襲来の様相を詳述し,尚津波の科学的研究に資するためのものであったが。
今回の大船渡市独自の記念誌は,前述の通り,行政面から見て,如何にこの大災害に対処し,如何にこれを復興即開発のスローガソの実を挙げたかが主たる内容になっている。
津波の科学的な原理から云って,こまたも必ずやって来るこことはその確率は百パーセントと云ってよい。色々の津波対策が科学陣を動員して計画され実施に移りつつあることはまことに結構であるが,津波の大きさ激しさについてはその程度の予想は全く困難いや不可能な現状にある。
この意味でも,今回のこの記念誌は将来に多くの指針を与えていると思うのである。
記述は三編に分け,第一編を復旧復興編とし,来襲直後から一周年を迎えるまでの間復興事務局が処理した行政事務の一伍一什を記し,第二編は論説編として,各調査班の踏査報告及学者研究家の論文の内当地方に関係あるものを採録し,特に岩大小川博士の御協力による東北開発研究協議会の綜合的な論説を載せてある。第三編は三陸津波史編として,三陸津波年表,本邦地震年表(海底の部),海底地震分布図を総括的に掲載し,尚気仙旧記,閉伊郡旧記による津波記についてはその写真と共に詳述に力を入れたつもりである。
これを要するに本誌は,三編十三章五十六節から成り,写真二百六葉を配置した。
チリ地震津波があって二周年目の五月,愈々書籍となって世に出ることになったが,将来永く市民各位へのよぎ贈物となるよう念願してやまない次第である。
昭和37年5月吉日
編者金野菊三郎

復旧復興編

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地図 津波災害復興計画事業位置図

第1章被害発生の状況

第1節津波襲来の状況

5月24日早朝太平洋沿岸を襲った津波は,5月21日から南米チリで相ついで発生した地震によるものといわれているが,中でも22日15時10分頃歴史上最大の規模(M8.75)を記録した,バルディアビア附近を震央とする第3回目の烈震が,18000Kも離れているわが国太平洋岸にまで被害をおよぼすに至った大津波の原因となったものと推定されている(7月2日読売新聞掲載の東大助教授佐藤久氏の現地調査報告による)。
この津波を当市で感知したのは24日午前3時10分頃である。この時は単に強い高潮程度に感じたのであるが,同13分頃不β一ながかにはじまり,最低3.80Mまで水位が下るに至り,不意な津波の来襲を知ったのである。それから第二灘来るまで約90分間,4時40分頃又静かな上げ潮がはじまった。これは予想だにしなかった意外な大津波となり,海岸より,2000M奥地の水田まで浸水して,その猛威をほしいままにした。その後再び引潮がはじまり,5時25分あげ潮となり,68分で第三波が来襲した。これも第二波と同様10分間にわたり湾内を荒れくるった。その後は約8分おいて第四波が来襲,第五波以後は周期が急速に延び工09分,234分,228分,を記録している。
明治29年及び昭和8年の津波は湾口附近に大きな被害を与えたが,今回の津波は奥地ほどその被害は大きく,湾口では単に床上浸水程度で終り,大船渡町赤沢地区,赤崎町中赤崎地区では波高も高く,被害は悲惨を極めた。したがって浸水区域も奥地ほどひろがりをまし,植えつけ前の52ヘクタールの水田に冠水,最後に海岸より2,500メートル北方の盛駅より分岐する臨港鉄道を境に泥海と化するに至った。
浸水区地図は次のとおりである。

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時刻と波高
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市内各地の最大波高と引潮の最低水位は次のとおりである

第2節チリ地震津波の性格

三陸,北海道を中心とした太平洋岸一帯に来襲した,チリ地襲津波は各地に大被害をもたらした。これは前述の如く昭和35年5月23日南米チリに発生した大地襲によるもので,/8,000キロ離れたわが国に到達するまで23時間半程かかっている。この津波の規模は総体的に見て昭和8年三陸大津波と昭和27年の十勝沖地襲の中間位と云われているが,当市の場合は,明治29年における三陸沖地襲津波程度の浸水を見ている。このチリ地襲津波の特徴は次のとおりと考えられる。
1)襲源地が非常に遠方であるにもかかわらず津波の規模が大きかったこと。
2)津波は理想的な平面波として日本の太平洋に襲来したこと。
3)津波の被害が広く日本の太平洋岸全体に及んでいること。
4)津波の波長即ち周期が非常に大きかったこと。
5)三陸沖地襲津波の場合は海上より海水が陸起して大きな波形となって襲来したのであるが,今回の津波は海水が静かに水量を増して来た程度であったが,いったん陸上に浸入すると急激に勢を増して破壊力が増大したこと。
6)被害は湾口に少く,湾奥部に入るにしたがって大きかったこと。
7)V字型の湾は被害が少くU字型のしかも深く屈曲した湾ほど被害が大きかったこと。
2.被害の概況
明治29年及び昭和8年の津波は湾口に近い箇所程,大きな被害をもたられたのであるが,今次チリ地襲津波は安全と目されていた湾奥部において被害が激甚を極め湾口附近は殆んど被害がなかったのである。
したがって,家屋等陸上施設は大船渡町浜町以北の中心街と,赤崎町中赤崎地区が潰滅的被害を受けたのである。
反面海上施設においては,かぎ養殖筏,のり網,大謀網等は完全に流失沈没の被害を受けた。

第3節被害の状況

1総括
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総括表
2人的及び家屋の被害総括
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人的及び家屋の被害総括表
3人的被害の内訳
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大船渡町
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赤崎町
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末崎町
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赤崎町
4住家被害の内訳
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大船渡町
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末崎町
5農林,水産,商工関係被害

農業関係
農家では今年も秋の豊穣を夢見て,水田の耕起作業の大半を終って旬日に迫る植付け準備に多忙をきわめていた。この矢先不意の津波は一瞬にして,この沃野を泥海と化し,海底の土砂はもとより,倒壊した家屋の残骸を押しあげ,ついに7,732アールにのぼる広大なる水田の耕作を不能に至らしめた。
水産関係
養殖関係
養殖事業の被害はかき2,434台で83,911,600円,海苔45,470間で12,459,060円,わかめ190張で1,658,500円種かき51,513連で4,697,320円,のり採苗47コで9,900円この総額は102,736,380円となっている。以上は施設の被害であるが,このほかにこれに伴う生産被害の見込額はかき72,136タルで186,817,000円,わかめ800貫で960,000円で187,777,000円施設の被害とあわせると実に290,513,380円の多額にのぼっている。
かき養殖事業は例年なれば早春生産出荷をしていたところであるが,本年は身入が悪く,その50%は秋の収護にまわしていたため被害を大ならしめた。

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農業関係
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農業関係−2
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漁船及び漁具関係
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施設及び漁協関係
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商工関係
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各町別被害面積及び戸数内訳
6公共事業の被害
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大船渡市公共事業
7児童生徒及び教職員の被害の状況
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児童生徒及び教職員の被害の状況
8市役所職員被害状況
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市役所職員被害状況
9岩手県におけるチリ地震津浪被害に伴う被害額調書
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被害総額表
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市町村別被害額総括表
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一般被害(1)人の被害
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一般被害(2)建物の被害
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土木関係の被害
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耕地関係等被害額
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4農作物関係被害
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5林業関係被害
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6畜産関係被害
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水産関係等被害-1
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8.商工鉱関係被害
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9.教育関係被害
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10公用及び公共施設被害
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11公営企業等関係施設被害

第4節被害の原因

53名の尊い人命と80億円にのぼる大損害をもたらすに至つた根本的な原因は,偉大な自然力という不可抗力によるとはいえ,人為的に幾分でも被害を末然に防止する最善の措置があつたとはいえない。これらの人災的原因を分析すると次のことがあげられる。
1)津波警報の発令が遅れたこと。
三陸津波は地震発生後15〜30分で来ると体験もし,教えこまれていた市民は,ただならぬ海面の異状を見ても
「津波」だと叫ぶに迷うほどその来襲を考えなかつたのである。結局地震もなく,何等警告がなかつたからである。
しかし無警告津波といえばいえるが,必ずしも無警告ではなかつたのである。すでに22,3時間前にチリ地震を長野県の松代地震観測所ではつかまえていたのである。またホノルルの沿岸測地局からの情報では半日前の23日10時20分に「チリ地震で被害を伴う津波があるかも知れない」と届いていたというのである。さらに検潮儀も宮古測候所では当日の2時47分確実に35cmの押波を記録したし,石巻測候所の清崎の検潮係は3時37分,340cmの上げ潮から4時5分の引潮と明瞭に記録していた。これから見ても決して無警告であつたとはいえないのである。これらの時刻に津波警報が発令されていれば,充分な警戒退避する時間があつたわけであり,したがつて被害も最少限度にくいとめることがでぎたであろう。
2)防災施設の不備
三陸沿岸は地理的に津波の災害は免れない宿命にあり,被害を最少限にくいとどめるためには沿岸全部落を高台に移転する以外に絶対的な対策はないわけである。しかし海に生活の資源を求める水産業者を高台に移転させるということは現実的に不可能といわざるを得ないし,さらにまた商店街も匠様こ,稀に見る天然の良港を背景として開発発展を希求している商店街を岸壁より遠距離の高台に新」に商店街を建設することは,これらを育てる諸条件において現状をもつてしては困難問題といわざるを得ない。
このような状態の中で,必然的な津波被害を最少限度にとどめる唯一の手段は防潮施設及び警報施設等の予防対策を,しかも可及的速かに講ずることにあるわけである。かつての津波災害においても,これらの施設の完備が計画され,道路網の新設,集団敷地の造成等一部実現を見たが,財政的閥題もともなつて充分とはいえなかつたわけである。
しかしこれらの計画が実現し,さらに必ずやつてくる津波にそなえて,常に物心両面の防災対策が完備しておれば,津波規模が前回を上まわるといえ,今日の大被害も僅少にとどめることができたであろうと考えられる。即ち
A 防潮施設に見るべきものがなかつたこと
B 津波警報器の設置がないので警報が火災と間違われたこと
C 都市計画がなされておりながら,津波を予想した避難道路に欠けるところがあつたこと
以上3つの防災施設の不備が今回の被害を大きくした原因とも考えられる。この際われわれは忘れた頃にやつてくる,天災への備えを新にして,これらの防災施設の完備を急ぐ必要がある。
3)津波に対する認識の不足
前述のように天災は忘れたころにやつて来るといわれるように,津波は2,30年の長い時日を経てやつてきている。これだけの時日の経過があると恐らく津波体験者も全人口の幾割かに過ぎなくなつているので警戒も怠りがちといえるが,海岸に住む市民は最近の連続的におこる地震に一層警戒心を高めていたのである。
しかし,不幸にも今回の津波は,当地には地震の予告をともわなかった。地震があって津波が来るという体験をうらぎつたのである。ここに,津波の来襲に認識不足があったことが指摘されるわけである。
津波年表も見ても宝暦元年(1751)5.月2日(陽暦5月26日)の大槌地方来震(午後2時)の津波は東京天文台編の理科年表に出ている(l751年5月25日,チリ国コソセブシヨソ市,サソチアゴ市大地震津波あり,このためコソセブシヨソ市移転)と符合するといわれている。この書は著しい被害はなかったようであるが,溢水の状態まで今回と似ており,地震がなくとも遠方の津波は過去の歴史において,今回と匠様に日本列島を襲っていることが考えられるのである。

第2章緊急対策

第1節災害対策本部の設置

市では24日午前4時40分,市役所内に災害対策本部を設置,職員の非常呼集をおこなったが,市内全域電話が途絶したほか,末崎,赤崎,盛間の交通網がしや断されたため,大船渡,赤崎,末崎地区の職員の出勤が望まれず,結局日頃市,猪川,立根,盛地区の職員をして,とりあえず,災害救助隊を編成し,市役所に本部をおぎ,午前4時50分大船渡地区へ4名,赤崎地区へ3名,末崎地区へ1名の先発隊を派遺して,被害の状況を調査せしめる一方対策本部の連絡所を大船渡小学校及び赤崎漁業協同組合中赤崎支所の2カ所に置き,地元住民及び地元消防団の協力を得て,救助活動に入った。
一方市議会においては,24日午前10時緊急臨時市議会協議会を大船渡小学校に招集し,各常任委員会委員は夫々市の救助隊と合流し一体となって各般の対策事業を推進することに決した。次後当分の間毎日午前8時30分より協議会を招集し,各部門毎に活動を開始した。
救助活動の重点は,人命の救助と犠牲者の収容及び防疫におき,次で食糧品,衣料品等の確保供給においで之を押し進めた。
まず大船渡連絡所には先発除とともに気仙病院医務班も到着,校内の一室に臨時診療所を開設,町内の開業医の協力を得で負傷者の救護をおこなった。また民間の自動車lO数台を借上げ,広報活動を始めるほか負傷者の輸送や炊出しの運搬をおこない,小中学校の講堂を罹災者収容所にあてて避難者の収容につとめた。
また孤立状態の中赤崎地区では同時刻高台の畑や神社等に避難している被害者に朝食の炊出しをくばるほか,人命の調査につとめたが被災地域が比較的まとまっていたため,早期に死亡者.負傷者の確認ができたので,これ等は早速中赤崎診療所に収容した。
午前4時45分,電話が途絶しているので東北電力株式会社保安電話をもって災害状況の第一報を県知事に報告,災害救助法の動発を要請した。午前6時被害状況が次第に判明して来るにともない職員を佳田町に派し第二報を佳田町役場より,電話で県に報告,救助物資及び自衛除の派遣を要請した。
午前8時30分には市内各地域の被害の概況がまとまったので,職員2名を岩手県庁に緊急派遣して,被害状況の詳細を報告せしめるとともに,救援の協力を要請したほか,日赤共同募金会に災害救助の協力を要請し,午後12時10分災害救助法の適用をうけ,これに基く救助を推進した。
災害対策本部の機構は次のとおりであった。

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災害対策組織と実施業務

第2節復與事務局の設置

悪夢のような5月24日も過ぎて,応急救援の措置も着々推進されるにともなって,市で強力に災害復興対策を推進すると共に再びこの災禍を繰返すまいと,完全防災都市建設に乗り出すことになり,災害復興計画の具体的検討を進めることになった。
そこで6月3日付次のような機構の災害復興事務局を設置職員6名を配置した。
大船渡市災害復興事務局設置規程
(目的)
第1条この規程は,昭和35年5月24日のチリ地震津波による災害復興について復興事務を適正かつ能率的に遂行するため必要な事項を定めることを目的1る。
(事務局設置)
第2条前条の目的を達成するため,災害復興事彩
(以下「事務局」という)をおく。
(係の設置)
第3条事務局に次の係をおく。
庶務係復興係
(分掌事務)
第4条各係の分掌事務は次のとおりとする。
庶務係
1.一般庶務に関すること。
1.予算差引に関すること。
1.資料の収集及び災害調査に関すること。
1.周知徹底に関すること。(広報)
1.災害記録の収録に関すること。
1.他の機関との連絡調整に関すること。
1.各課との連絡調整に関すること。
1.災害復興委員会に関すること。
1.陳情,請願,要望に関すること。
1.応援者の連絡,宿泊,配車に関すること。
1.標流物の取扱いに関すること。
1.罹災者の相談室開設に関すること。
1.収容者,罹災者援護に関すること。
1.援護物資の受払いに関すること。
1.義損金の受払いに関すること。
1.その他の雑事に関すること。
復興係
1.総合復興対策の計画立案に関すること。
1.市街整理に関すること。
1.救済事業に関すること。
1.復興資材対策に関すること。
1.住宅対策に関すること。
1.その他の復興に関すること。
(事務局)
第4条事務局に局長及び局員をおき市の職員の中から市長が任命する。
2局長は市長の命をうけ事務局の事務を統轄する
3局長に事故あるときは,上席の局員がその職務を代理する。
4局員は上司の命をうけ事務に従事する。
(市職員の協力)
第5条第1条の目的を達成するため市職員を事務局に協力させることができる。

第3節復與対策委員会の設置

復興事務局を設置するとともに,災害復興計画の具体的な策定を進めるにあたり広く各般の意見を聴して計画の万全を期するため,市長の諮問機関として,委員100名を委嘱し之を都市建設,商工,農林水産,教育民生の4分科会を組織し,復興計画の策定を推進することにした。

大船渡市チリ津波災害復興対策委員会設置規則
(目的)
第1条この規則は,チリ津波復興対策委員会の設置,組織及び運営に関する事項を定めることを目的とする。
(設置)
第2条市長の諮問に応じ,チリ津波の災害復興対策の調整,その他,その実施に関し必要な調査及び審議を行わせるため,大船渡市チリ津:波災害復興対策委員会(以下「委員会」という)を置く。
(組織)
第3条委員会は,委員100人以内をもって組織し,委員は次の各号に掲げる者のうちから市長が委嘱する。
1.国,県の地方行政機関
2.市出身の県議会議員
3.市の議会議員
4.教育委員会,農業委員会の委員
5.公共的団体の役職員
6.会社,事業所の役職員
7.学識経験者
(委員長及び副委員長)
第4条委員会に委員の互還による委員長及び副委員長
1人を置く。
2委員長は,会務を総理し,会議の議長となり,委員会を代表する。
3副委員長は委員長を補佐し委員長に事故あるときはその職務を代理する。
4必要に応じ委員会に小委員会及び分科会を置くことができる。(委員の任期)
第5条委員の任期は1力年とする。ただし,欠員が生じた場合における補欠委員の任期は前任者の残任期間とする。
(会議)
第6条委員会は市長が招集する。
(委員会の事務)
第7条委員会の事務は災害復興事務局が処理する。
(補則)
第8条この規則に定めるもののほか姿員会の運営その
他に関し必要な事項は市長が定める。
附則
この規則は,昭和35年6月ll日から施行する。
対策委員名簿
職名氏名
大船渡建設所長中山前三
大船渡農林事務所長内藤忠男
大船渡港務所長小針光雄
大船渡農業改良普及所長鈴木箴
大船渡保健所長及川進
大船渡営林所長須藤作造
気仙福祉事務所長新沼栄吾
大船渡警察署長伊藤正
県議会議員鈴木八五平
県議会議員白木沢純三
市教育委員長滝田厳
市農業委員会長石橋喜代助
開発協幹事長三条訣
大船渡農業協同組合長山崎栄之進
末崎渡農業協同組合長熊上養治郎
赤崎渡農業協同組合長三浦市三郎
猪川渡農業協同組合長千葉由太郎
立根渡農業協同組合長上野繁雄i
日頃市渡農業協同組合長伊藤喜一
盛渡農業協同組合長出羽清一
大船渡漁業協同組合長佐藤平之進
赤崎渡漁業協同組合長金野辨治
岩手県建設業協会気仙支部長高橋助治郎
末崎漁業協同組合長大和田養之進
大船渡木材業協同組合長鈴木宰平
商工会議所会頭橋爪由也
気仙郡医師会長滝田巌
市消防団長佐々木佐五郎
市青連会長村上鳩彦
市婦人会長佐々木きよみ
大船渡電報電話局菊地雄三
小野田セメソト大船渡工場長河合清六
岩手開発鉄道専務及川軍治
東北電力大船渡営業所長村上俊夫
県南バス大般渡営業所長江口重太郎
日通大船渡支店長千葉正四郎
気仙病院長阿部辰夫
盛高校々長加藤栄三
東北汽船港運専務細川岩雄
市議会議長山崎栄之進
市議会副議長佐々木亀三郎
東海新報社長鈴木正雄
大船渡市農業共済組合長石僑喜代助
気仙建設業協同組合長下田源五郎
大船渡郵便局長大内忠治
国鉄盛駅長上田一郎
岩手食糧事務所気仙支部長加藤次信
岩手県南米雑穀協同組合専務理事志田武之助

第4節応急対策予算

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応急対策予算-1

第5節市議会の活動

市議会は,24日午前10時,大船渡小学校に緊急臨時市
議会協議会を招集しこれに大船渡市内各関係機関よりの
出席を求め,市当局より災害状況の概略と,応急対策業
務の活動状況等の報告を得て,各般にわたる対策の方策
乙ついて協議し,当分の聞,毎日午前8時30分より市役
所会議室において緊急協議会を開催することに決定11時
50分散会した。

(丸)緊急協議会の状況(5月25日以降)
25日,午前8時30分,開会
○会議内容
1.市当局より現在まで判明せる被害の状況について報告
2.協議
イ,被害者に対する資金,食糧,防疫,住宅の問題など当面の対策について協議
ロ,津波被害地の実地調査
各部門の所管事項を決定,市とタイアップしてこれに協力することにする。
26日,午前8時30分,開会
○会議内容
1.前日の実地調査の結果について各委員長より報告
2.金融,保健,給水,食糧の問題等について当局からその後の状況報告
3.議員活動として関係行政庁に陳情の必要がないか,又緊急対策もさることながら,そろそろ復旧対策もやるべきという意見も出た。
28日,午前9時,開会
○会議内容
1.鈴木県議より県関係の折衝過程について報告
2.協議主として融資関係,道路通信問題について当局と話し合いする。
以上が今回の津波災害による緊急協議会の概況であるが災害対策も軌道に乗って来たので,一先ず緊急協議会は打ち切り以後は必要に応じ招集することとする。なお,災害期間中,中央要路から数多くの視察団が来市したが,議会としては,その都市度全議員を招集して陳情した。
5月24日より26日までの協議会会議録は次の通り。

緊急臨時市議会協議会記録

緊急臨時市議会協議会記録
昭和35年5月24日午前10時緊急臨時市議会協議会を大
船渡小学校に招集出席議員は次のとおりである。
1番佐々木亀三郎君2番今野政治君
3番佐々木幸助君4番平平勘之助君
6番大和田平一君9番小山勝雄君
ll番菊池丑太郎君12番吉野栄三郎君
13番金野剛君15番佐野誠一君
16番水野重郎君17番山口信一君
19番武田貢君20番佐藤勇之助君
24番石橋喜代助君25番熊谷長治郎君
27番富沢恵能君29番新沼勇太郎君
欠席議員は次のとおりである。
5番平山幸一君7番藤原武雄君
8番滝田喜蔵君21番佐藤菊之助君
10番平野義方君14番伊藤喜一君
18番森政男君26番熊谷栄一君番
28番鈴木養吉君30番山崎栄之進君
22番西山六松君23番大和田吾東治君
当局よりの出席者は次の通りである。
市長鈴木房之助君助役藤原滝三郎君
総務課長臼井勝三君産業課長広沢登米夫君
税務課長千葉芳吉君教委教育課長大和田隆裕君
市内関係機関よりの出席者は次の通りである。
大船渡警察所長殿,県南バス大船渡営業所長殿,東北
電力大船渡営業所長殿,大船渡郵便局長殿,大船渡電
報電話局長殿医師三条訣殿,県会議員鈴木八五
平殿,県南米穀協同組合殿
事務局職員の出席は次の通りである。
今野信雄君
開会午前10時
副議長 只今から緊急招集を受けました大船渡市議会臨時協議会を開会致します。議長.上京中でありますので,私が代って司会致します。本日の出席は18名で御座います。定足数に達して居りますので直ちに会議を開きます。申上げる迄もなく今回の津波は明治29年に匹敵するような大災害で御座います。即刻対策を講じなければならないと思いますが,先ず当局から被害の状況について報告がありますから其の後にいろいろ御意見を御伺いします。
助役各方面に写真班を派遣致しまして調査させて居ります。県に情報を入れる必要があると思いまして,佐藤評価員を住田町に出張させました。最初私の処に電話がありました時は高潮位に考えて大した事はないと思っていましたが,消防本部に来て消防がかけつけ津波ということで驚いたわけであります。現地に来てみると大変な災害であります。住田町から連絡して県に要請したのは自衛[塚の出動であります。道路に建物其の他障害物がありますから,早くこれを除去する必要があると思いまして県に要請して居ります。それから消毒班を県から派遣して貰うことも要請して居ります。佐藤評価員が帰って来たら県との連絡が解ると思いますが,不取敢厚生部長か誰か来るかと思います。被害状況を最も速やかに報告するのがよいのですが不取敢の報告をして居りますことは,家屋の流失1,000戸,浸水2,000戸,死者行方不明100人,負傷者300人,是は後で違ってくると思いますが,一応県庁に報告しておぎました。津波の高さは10米位ということでありましたが一... ...
富沢10米より多いと思う。
平山(勘)5米位ではないか。
助役新聞社との連絡がつかなくて,県庁に第1報を入れる必要があると思って教育委員会の金君と後1人県庁にやりました。県庁でどういう手配をとるか連絡してくれということで。
その他はカキ棚2,000全滅,水道も使用不能であります。盛綾里線,高田線は不通です。救護班は気仙病院長さん以下5班を組織してやって居ります。赤崎側はセメソトの所でストップになって居りますから向うにいけないと思うが。立根,猪川,日頃市にはイカくによい人は出てくれということでいうてあります。役は落ち付かないうちは出来ないと思いますが,炊出しは立根,猪川,日頃市,盛からどんどん来て居ります。
今後必要なことは災害の情報を確実に早く知る必要があります。災害状況は写真にとって県庁のろう下にも貼らなければならないし中央に持っていって写真を貼って陳情する事が必要だと思って居ります。
熊谷災害の実体を調査しなければならないが,災害法の適用はどうか。
助役適用になります。毛布5,000枚,シャツ等5,000枚,不取敢要請して居ります。米の方は幸いに倉庫が大丈夫でありますから,いくらでも手配がつきます。罹災者の収容はここの小,中学校,職業安定所,太洋学院等に,赤崎は小学校を考えて居ります。親類縁者に身を寄せている人はそれでよいし。
大和田(平)漁業関係ですが,カキ棚はまだ全部外洋に出ていないから漁業組合単位にやって貰い,その分に対して1組合lOO万円なり,50万円なりの対策費用を出さなければならないと思いますが。
助役それは出しましよう。
副議長流れているものは大部佐野橋の引込線に全部来ているものがありますが。
大和田(平)或程度の補助を出すということでやらなければならないと思う。
市長そのようなものも考えなければなりません。
助役やるべき仕事は不取敢やらなければなりません。金は後でやることにして。
鈴木県議責任圭体をきめておく必要があります。
助役死体の収容と傷病者の看護でありますが,是を急速にしなければならないと思っています。
消防団長消防団は日頃市は下船渡・平,猪川は永井沢・笹崎,立根は笹崎より駅前まで,盛は駅前から電話局までというように分担しています。現在死体8を発 見,西光寺に運んでいますが,尚各所に発見されています。米協前に本部をおいて怪我人を運んでいます。道路の片付けには手が廻りません。世田米から100人位応援に消防団が来て居ります。
市長盗難対策も是非お願いします。
助役赤崎は漁協に本部をおいて収入役がいって居ります。
税務課長水道は被害地でない所は全部出ているそうですが,只本管からもれている所があるんではないかと思います。今からタソクにいって検討しなければなりませんが,この事を罹災者に連絡したいと思います。本管の関係で出ないんではないかと思います。
市長電力,電話局等からも集って戴いて居りますから
これはこういうふうにした方がよいという事があれば
皆さんからお願いします。
富沢不取敢電気をつける事が第一だと思いますが。
石橋電話の方は県下の関係機関と相談して貰って早く通ずるようにして貰いたいと思います。
総務課長人員の派遣について中赤崎地区の道路整備に出来得るなら50人位やりたいものですが。
消防団長死体収容と怪我人で手が届かないようです。
水野小野田セメソトから赤崎の方が通行止めです。
佐野津波記念碑から向うが通れません。
大和田(平)道路,電気,水が一番大切です。
消防団長世田米からの100人をやりますか。
市長それがよいですね。
富沢道路通信網が大事です。自衛除にやらせる事を要請したらどうですか。それから食事のことですが,腹もへって来た頃だが精神的に不安を覚えるんだが,米を用意している事を一般に知らせて安心させたらよいと思うが。
市長米協から要請があるんですが,電力がなければ米をつけないということで。
大和田(平)広報車の活動が大切。
石橋米協がストックしていないか。
富沢対策の本部は中心から片寄っているんで中心地にいく必要はないか。
平山(勘)ここの対策本部は今日位のものではないか。
富沢物資の配給は個所をきめておかなければならない。
平山(勘)80人や100人で片付くものではないと思います。早く道路だけでも通さなければならないが,大船渡は50人や100人ではどうにもならない。
鈴木県議細浦高田の連絡がつかないという事ですが。
大和田(平)勝木田,三日市が問題です。
富沢勝木田三日市はどうですか。
武田細浦にも水が上りません。
助役最も急ぐべきものは他にありませんか。
水野食糧ですね。
金野収容所も急がなければ。
佐野着物もそうでしよう。
平山(勘)生徒の教科書等も考えなければ。
市長衣類のないものの調査を早くしなければならない。
佐野衣類関係は婦人会を頼んだらどうですか。
今野(政)立根からも出動しているようですが,全然指揮者がないようですから。
鈴木県議一般の人は消防団の指揮下に入って貰ってやつたらどうですか。
市長それは消防団にお願いしたいと思います。その他こういうものが困っているとか学用品がないとかそういう事について何か御座いませんか。
佐野調査員をきめなければならないではないかと思うが各地区毎に調査して貰うことが必要だと思う。
大和田教育課長教科書は教育委員会でやります。
富沢市長さんを陣頭に立てて,婦人会はどこ,消防はどこという風に命令系統をたてておかなければならないではないか。
助役今応急対策でありますから,恒久対策について組織替をしなければならないと思っています。
佐野本部は市役所の方でやっていたが,炊出し等もやっていますが,本部をここに移します。
助役今日はここに本部を移してやりますが,明日あたりは市役所にしたいと思っています。
三条先生衣料に困っていると思うから。
助役市内丈けでも義捐金としての衣類を集めましよう。後は段々他から来ますけれ共。
今野(政)山手から炊出しが来ますが,これはどういうふうにしていますか。
助役向うの方でくばることになって居ります。
熊谷連絡員を招集して調査等もやる必要がある。
助役それもやらなければならないと思います。
鈴木県議各地区毎に調査させた方がよいと思う。
助役市内からの義掲は衣類だけでなく勝手道具等何でもよいから集めたいと思う。
水野一応云うてやる必要がある。
鈴木県議消防に対する指揮,一般人に対する伝達の為広報車でやった方がよい。
富沢広報は不安になってくるから早くやった方がよい。
武田衣食佳を早くやらなければ。
熊谷広報車は走りながらよく聞えないから止まってやった方がよい。
助役婦人会,青年団に義捐金品を御願いしたい。落付先の調査もしなければならないし。
石橋燃料も必要だから日頃市,佳田から運ぶ必要がある。
今野(政)明日からの出動計画ですが,消防団の指揮下にやるものは何々か,婦人会が何をどうするか,正確にしておく必要がある。
消防団長消防団員は明日から当分出動して貰わなければならないと思っています。
今野(政)消防団と一般の部署をきめておかなければ。
武田全部消防団の指揮下にやらなければならないと思う。
布長消防団で赤崎は赤崎,大船渡ぱ大船渡でやって貰うように。
助役他の消防団ぱどうしますか。
鈴木県議矢張り消防団に御願いしなければならない。
大和田(平)どこから来ても消防団の指揮下に入れる事にした方がよい。
三条先生医療系統の組織を作っているか。
助役今日は病院長が中心となってやって貰う事になって居ります。県の防疫班を頼みましたが,保健所長に相談して貰う方がよいと思います。
三条先生市の保健課長に計画をたてさせてやった方がよいと思う。
大船渡警察署長当然災害救助法が適用されると思いますが,災害救助除の編成が出来ていると思います。市長が部隊長になっている筈であります。我々も構成員になっている筈ですから。
市長不取敢現在の態勢でやることになります。
平山(勘)あのごみをどうしますか。
市長山にもっていきたいものですが。
大和田(平)埋立にもっていった方がよいでしよう。
佐々木(幸)どこの車も全部出してやるようでしよう。
新沼電気会社に連絡していますか。電報や通信の範囲はどういう状況ですか。
電力会社盛は送っているD早く大船渡の町に出すようにしたい。電気ば明日の午前中にぎめたいと思う。
電話局より盛岡の指示を受けていますが.遠野盛岡よりお昼頃来ることになっています。盛高校に仮設して官庁聞の連絡ばかりもつけたい。無線機ももってくる。
米協より玄米8,000,精米になっているものは3,000k入300俵在庫。
県南バスより今調査中だが,切符から車掌の服もやられ今日だけ盛大船渡間無料運行,道路が出ても地下タソクもすっかりやられたので運行出来る状態ではない。
助役死体は検死して焼くなら焼く,火葬にしてもよい。箱は手配している。
副議長それでは是を以て緊急議会協議会を閉じます。
尚明目から当分午前8時半から市役所会議室で協議会を開きますから御参集願います。是から自由に今後の事について御話合を戴ぎたいと思います。
閉会午前11時50分

大船渡市議会協議会記録

昭和35年5月25日午前8時30分より市役所会議室に大船度市議会協議会を開会。
出席議員は次の通りである。
佐々木亀三郎君  今野政治君  佐々木幸助君 
平山勘之助君 平山幸一君 大和田平一君 
藤原武雄君 小山勝雄君 菊池丑太郎君 
吉野栄三郎君 金野剛君 佐野誠一一君 
水野重郎君 森政男君 武田貢君 
佐藤勇之助君 佐藤菊之助君 山口信一君 
西山六松君 石橋喜代助君 熊谷長治郎君 
熊谷栄一君 富沢恵能君 鈴木養吉君 
大和田吾東治君 新沼勇太郎君 山崎栄之進君 
平野義方君 滝田喜蔵君 
欠席議員は次の通りである。
伊藤喜一君 
当局よりの出席は次の通りである。
市長鈴木房之助君 助役藤原滝三郎君 
収入役千葉栄太郎君  固定資産評価員佐藤清一郎君 
総務課長臼井勝三君 保健課長佐藤宇三郎君 
商工課長千葉英三君 水道課長千葉徹男君 
税務課長千葉芳吉君 建設課長新沼尭範君 
産業課長広沢登米夫君 農委局長新沼栄夫君 
教育長大和田 肇君 教委教育課長石橋高君 
選管局長菅生忠君 総務係長石橋高君 
総務係長佐々木吾郎君 消防団長佐々木五郎君 
事務局職員の出席
今野信雄君 船野艮悦君 
開会午前8時30分
議長是より昨日に引続いて協議会を再会致します。皆さん御苦労さんです。私は全国市議会に出席の為上京中でありましたが,ラジオで情報を聞いて驚いて昨夜ll時に帰って参りました。予想以上の被害に驚いたわけであります。只今から其の後の状況について当局から御報告があると思いますから,それからいろいろ御意見を承って今度の大災害を1日も早く復興の為当局と議会と市民三者一体となって真剣に進めたいと思います。どうぞ宜敷く御願いします。
助役昨日午後5時現在被害状況は御覧のように死者51名,負傷者61名,行方不明ll名,流失364名,全壊225名,半壊190,床上浸水493,床下浸水402,非住家流出204,全壊106,半壊56,床上浸水244,床下浸水246被害人員6,800人となっています。昨日の対策につきましては専ら死体の捜索収容に全力を挙げたのでありまして,未だ死者等が発見されると思います。不取敢死体は引取明瞭者は家族に引渡して居ります,が殆ど西光寺でこれをやっています。それから盛,大船渡の
火葬場で焼いて居ります。今朝迄に未だ8体残っています。これから赤痢等が発生致しますので,防疫は保健所,県の関係部課から来ているし,市の保健課,地元の保健婦が中心になて既に薬品が到着しましたのでやることになっています。次に水道でありますが,是は災害で水ののった所にはいって居りません。水は困難な問題だと思います。幸いに本管はこわれた所はありません。問題ば川口橋の流失に依って赤崎方面に給水が出来ないことです。食糧は幸いに米協の倉庫に被害がないし,周辺から手配がつぎ,食糧は問題がないようです。昨日は日頃市,立根,猪川盛地区等より出して貰っています。自衛隊は昨夜午後3時頃ば整備の為8時間を要したとのことですが,昨夜到着,盛岡から214名,仙台から80名到着,今日大船渡の周辺を4班に分れて目下作業中であります。消防団は大体市内で動員できるのは500人位,是に佳田,三陸から300名,往田200名,三陸100名,住田は高EDにもやる必要があるということでありますから,今日は何人来ているか,是に日頃市,立根,猪川等から仂ける人が出て貰って是等の被害がどういう風であるかわかりませんが,その町々の分団長の指揮下に入って仂いてもらいたいといふことにして居ります。尚罹災者の,身寄りのないものは大船渡は小学校に収容していますが,差当って是には寝具と思いまして,住田町に町内の毛布を願ったんですが,夜中になって寒かったんではないかと心配しています。小中学校の収容者は永く学校におく事が出来ないと思いますから,従って是に対しては世帯主の意見も聞いて適当な地点に仮小屋を建設しなければならないと思います。是は今日罹災者の意見を聞いてやりたいと思います。この諸材料の調達については,営林署長さんにお願いして出来得る限りの事をやって貰うことにして居ります。それから電話ですが,今日の昼頃迄に緊急用の官庁用ということになりますが,復旧することになっています。盛岡等から建設班が来てやって居ります。電気は上手にはっいている筈であります。これから一生懸命やることになって居ります。いつ迄出来るということははっきりしませんが,各方面全力を挙げてやって居ります。青年団,婦人会は義捐金品を募集して屠りますから,今日あたり流すことが出来るように入ると思います。赤十字は救護班を送って来たんですが,それよりも前に救護班を5班に分けて赤崎町あたりはセメソトから向うは交通出来ない為にマゴマゴしていると思うがやっていると思います。尚怪我人ば気仙病院に収容されたものは37,8人と思います。思い付きのままで恐縮ですが,宜敷く御願い申し上げます。
議長皆さんからの御意見を承りたいと思います。
水野死欝の実体が解らなかったが,更に行方不明者等が発見されると更に増えると思いますが,大変な犠牲を出したんですが,葬儀の方法は合同葬儀とか市葬とか,市においてお世話した遣族に対して御迷惑をかけないようにやるべきでないか。
助役少し落着きを見たときやるようではないかと考えています。時期等については後1週間位落着いたらよいではないか,或はもう少し延ばしたらよいか考えて居ります。それからもう一つ罹災者に対して市として御見舞金を出さなければならないと思うが,金額は何れにしても出さなければならないと思いますので,この点についても御意見を承りたいと思います。水野遣族の方に急速にこういう意志を市の方からお伝えして,勝手に早まったりしないよう留意して下さい。
市長一番の問題は資金の問題であろうと思います6只今市の信用組合の橋爪氏が参りまして,県の次長さんもいらっしやって,資金の融通について市の信用組合を通じて融通するという意向を伝えて来たそうであります。市としても御願いして資金面でいろいろ緩和を図っていきたいと思って居ります。今後皆さんと御相談して是にウエイトをおきたいと考えて居ります。
西山今度の災害は最も多く交通磯関もとまって円滑にいかないわけですが,昨日から昨夜迄私の方に何も食わないでいたからというて来た人が10人もあります。隣の部落迄は来たが永井沢には全然来ないということであります。なるべくそういう事のないように配給の円滑を期していただきたいと思います。
市長交通機関の事でなく,是は配給の方の何かの手違いだと思います。相当物資も炊出しも参って居りますから
西山 笹崎まではいったがそれからはいかない。
石橋 昨日はいろいろ地元の炊出し等で凌いだようですが,今朝あたりは話を聞くにもう少し警察の警備を増員してほしいという意見もきいたわけです。警察と当局と御相談してやるべきではないか。消防の方からも相当な御協力を戴いて居りますが,消防のはんてんと警察の服では市民の感じは大分違うという事であります。炊出しもよいが5日分なり1週間分なり米ミソを不取敢交付すべきではないかとも考えられますが。
市長警察の点につぎましてば県の警察庁とも話して居ります。又昨日の市会におぎましても是の点はお願いしたんですが,万全を期す警備をするという事であります。米の配給につぎましても考えて居ります。
商工課長昨日から広報車によりまして広報しましたし,今朝程も広報致しまして行政連絡員を通じて1人「当り2K差当って配給を実施して居ります。在庫がありますからもっと沢山も配給してもよいが,一応1人当り2Kで考えて居ります。基準量は1週間分でありますが,実質は3日分位であります。其の後の対策については早急に計画を立ててやりたいと思っています。
佐野今回の災害については,緊急法律に基く対策を立つべきではないか。其の点についてどの程度やっていますか。
布長災害救助法については適用になって居ります。災害救助法は国,県がやる事でありますが,ただ法律によりますと私共は下部組織を作りまして,救助法を適用されれば,其の費用は最終的には国でありますが県が主体となってやります。下部組織現在のように考えて充分目的を達すると思います。下部組織は結局県の機関という形になるようであります。従って組織を作ることは今の組織で県の機関という事で認めて戴けばよいと思います。
佐野下部組織はどういうようになっていますか。
総務課長本日最も急ぐのは罹災台帳の調製で福祉事務所を中心として評価員室農業委員会,税務課等でやります。会計は金銭の出納炊出等,商工課は広報宣伝,資料の提供,食糧配給,産業課は災害個所の調査,復旧作業の指導,建設課は災害個所の調査復旧作業の指導,水道課は給水の万全を期す,保健課は衛生防疫,議会教委は学校の児童生徒の状況調査議会選管は総務課の総合調整,救援物資の受払に協力ということになって居ります。災害救助法に基き遅くとも本日中に取まとめるよう準備しているわけであります。この会議が終れば,直ちに課長会議もやりますがこの考えで活動を開始して居ります。更にこの内容について変更するものがあれば直ちに変更したいと思います。
吉野罹災者に精神的物質的に幾分なりとも満足を与えたいと思います。時間の関係もありますが罹災者の会合を開いて大船渡2カ所位赤崎1カ所位に会合して罹災者の意見を聴取して罹災者の希望をまとめる事もよいと思いますが。
福祉事務所長今日当りから大部落付いたんではないかと思っています。罹災者の状態が全く莫然とした状態であります。仲々一堂に集めることは六ケしいんではないかと考えて居ります。救助法に基く組織のことは総務課長から説明がありましたが御質問の内容にふれて調査していきたいと思います。
水野昨日の協議会においていろいろ話合いましたが其の中最も重要なものは防疫対策があった筈であります。現地視察の結果汚物の浮游流出の度合いが明らかになって居ります。水道ばかり使用している家庭ばかりでもないから防疫対策を急いでやってもらいたいと思いますが,其の後の状況は
保健課長防疫班は新沼係長以下3人,高校生80名御願して居ります。立根,猪川から撒粉器を借りて20台,高田農協からも借りて片付いた所から薬剤を撒布して居ります。飲料水は替えなければサラシ粉を入れても無駄ではないかということで今日片付いた所をやって居ります。糞尿は塩水と交っているのでどういう風にしたらよいか結論を得ていませんが保健所と相談してやりたいと思っています。
水野何せ季節は危険なときでありますから伝染病発生も予想されますから100%の効果を上げるようお願いします。
佐藤(菊)是度の津波は是迄の状況とは違って居ります。津波の場合は大きな地震があり是に依って避難ということでありますが.この度はそうでありません。我々は報道磯関も閉されている関係か人の関係かわかりませんが目の前の状況丈にげんわくされているようであります。一応御解りですなら市の附近県下の状況又は全国的な状況について御解りでしたら承りたいと思います。当面の事では其の日其の日の事に追われてこの対策に御苦心のようでありますが,尚海上には舟その他なくしたものもあり是は漁協組合等で夫々対策を講じているようですが是についてもそれぞれの御配慮を然るべきものと思います。復興問題についてどういう風に敷地等を其他確保にあたるとか,当局としても差当り何を公約するかという事もあると思いますが,関係官庁との連絡もあると思います。
助役全国的な状況につぎましてもラジオで放送になったんですが,私共昨日はラジオを聞くいとまがなかっ たんですが,結局北は北海道から南は四国に及んで居ります。中でも三陸,その中でも大船渡,宮城県の志津川がひどいようです。全国の死亡者85人中大船渡は53人,全国の大半以上の死者を出して全国的に災害の多い所は大船渡であると思います。県内を見ても釜石,宮古,久慈いずれも死んだものがないようですが大船渡丈死者が多いようであります。考えて見るに湾があまり入り込んでいる所は湾から一上る程被害が多いんではないかと思います。今後の対策につきましては災害救助法が適用になります。今朝のラジオによりますと全国的であります。災害救助法の以外に特別立法という考えが政府にあるようであります。県は部長会議,臨時議会を開会するんではないかと思います。昨日は知事代理というので佃屋次長が来て居ります。災害の復旧につきましては現在でも災害復旧にやっていますが,特別立法が出来ればそれに依ってやります。住宅につきましては市単独でも災害救助法の範囲内でやるべきではないかと思っています。特別立法が出来れば従来にまさるものが出来ると思っていますが県なり国に訴えてやる必要があります。写真が出て居りますから県庁の廊下にもはるが中央にも国会等の廊下にもばりたいと思っています。
佐藤(菊)県でも調査していると思いますが,国としても特別の手配が講ぜられるとは思いますがこの状況に依っては議会なりの決議によって特別立法を速やかに講ぜられるよう請願をしたらと思いますが。石橋各課長さん方は夫々任務につく為にモタモタしていると思いますから各課長さんに早く任務について貰った方がよいと思います。
議長それでは課長さん達に任務について戴きます。
市長災害復旧については,知事が上京致して居りますので詳さに陳情する事になって居ります。名古屋地帯の災害では未だかってない国の支出をやっていますから,それに劣らないようにして貰わなければならないと思って居ります。
森浜の方は流れもので一杯であります。潮で沖に出られる事は困ると思います。どこのものでも全部あげる事にして後にわかると思いますが,大船渡では全然出ていないから市の方にお願いして末崎あたりからダソベをもって来て貰って上げて貰いたいと思います。今日からということも出来ないから,今当面のものはカキ棚を一応イカリでとめているにしても万全ではない。これを上げるには舟の力でなければならないから隣りのものでも応援でも受けて沖に出ないようにしなければならないと思います。
助役漁協の担当ですが主として湾内の業者は概ね罹災者ですから。
佐藤(菊)湾内の業者は概ね罹災者ですから手がつかない。住宅や身の廻りで精一杯であります。以上の仕事は日頃市,立根では出来ないから末崎,綾里三陸の方の応援をお願いしてやって貰いたい。
議長議会も調査団月と一緒になって実体を把握することにしては。
富沢一応被害地を全議員で実地調査した方がよいではないか。
平山(幸)四部門を生かしてやった方がよいと思います。
水野委員会の中に罹災者もありますから,人員が片寄らないように多少の異動をやっても委員会毎がよい。
小山救助の方で手が廻りかねているが,審議すべきものは整理して出して貰いたい。
議長部門毎の所管事項については議長に一任願いたいと思いますが(異議なしとよぶ者あり)
議長御異議なしと認めます。議長において決定致します。暫時休憩致します。
休憩午前
再開
議長再開致します。部門毎の所管を事務局から申上げます。
事務局長
総務は総務課,税務課,会計課,評価員室,選管の分嘗事務
教民は保健課,福祉事務所,農委,教委,消防本部の分嘗事務
建設は建設課,水道課
経済は商工統計課,産業課と以上の通りで御座います。
議長以上のようにお願い致します。調査については課長以下職員が当って居ります。議員は是にタッチする事は来出ませんから,各部門毎に実状を把握するということでお願いします。そうして調査の完壁を期して将来の県なり中央に申請する基礎を早く作るということでありますからよく連絡をとって貰いたいと思います。
佐野本部は。
議長正副議長が当ります。電話連絡も出来ませんから明日も午前8時半迄に御参集願います。
平山(勘)本部に台ケ丘を利用しているんですか。
富沢配給支所です。
平山(勘)今日当りも慰問が来ているんですが,新聞には大船渡小学校に本部をおくという事で向うにいくと誰もいません。尚台ケ丘は車も入らないし慰問品の取扱も六ケしいと思います。却って大船渡中学校の方がよいという話もあります。
富沢昨日は小学校に本部をおき,消防は米協に本部をおいていたが中心から遠いという事で台ケ丘に移したと思います。
石橋消防の本部は敷地があるなら板張りでよいから小
屋を拵えて電話も引くことにしては。
助役大船渡の支所は不便であれば考えます。配給は市長宛に盛駅に来ます是を分類して配給区分を立ててやる事になっていますから。
大和田(平)昨日当りは向うの方に重点をおいたら,笹崎方面が不活溌であります。防疫も急がなければならないし,笹崎以南も忘れないように充分な対策をお願いしたいと思います。
熊谷漁協の車庫が室いているからここも利用出来る。
助役いろいろ御意見も出て居ります。昨日住田町に毛布の申込をやって居りますから是等の配給は支所でやって貰うことになると思います。
今野(政)消防の本部は昨日高橋さんの所に移りました。
金野非常に昨夜当りは市内で物品が値上りしているようです。食糧等の値上りも心配されます。物価の値上りをしないようにお願いします。警察署でも物価の値上りしないようにして居りますが,当局からも要請する必要があると思います。
議長是をもちまして協議会を終了致します。明日は8時半迄御参集願います。尚実地調査に基く報告御意見を御願いします。

大船渡市議会協議会記録

昭和35年5月26日午前8時30分議会協議会を市役所会
議室に招集。
出席議員は次の通りである。
佐々木亀三郎君  今野政治君  佐々木幸助君  
平山勘之助君  平山幸一君  大和田平一君  
藤原武雄君  滝田喜蔵君  小山勝雄君  
平野義方君  菊池丑太郎君  吉野栄三郎君  
金野剛君  佐野誠一君  水野重郎君  
山口信一君 武田貢君 佐藤菊之助君 
西山六松君 大和田吾東治君 石橋喜代治君 
熊谷長治郎君 熊谷栄一君 富沢恵能君 
山崎栄之進君 
欠席議員は次の通り。
伊藤喜一君 森政男君 佐藤勇之助君 
鈴木養吉君 新沼勇太郎君 
当局の出席者
市長鈴木房之助君 収入役千葉栄太郎君 
教育長大和田肇君 固定資産評価員佐藤清一郎君 
総務課長臼井勝三君 建設課長新沼範君 
産業課長広沢登米夫君 保健課長佐藤宇三郎君 
商工課長千葉英三君 水道課長千葉徹夫君 
消防団長佐々木佐五郎君 総務係長石橋高君 
記録書記
書記佐々木直行君 同船野良悦君
会議の状況
開会午前8時30分
議長開会宣言。始めに夫々の部門毎に現地を御覧になりましたので是に対する対策とか現地の要望もありましようし,或は当局に特に要望しなければならないものもあると思います。委員長より総括的に報告をして戴いて尚委員の方に補足して戴くことに致したいと思います。部門毎の報告が済んでから当局からも報告をお願いしたいと思います。始めに総務の方から
佐野委員長に変って2,3報告致します。一番最初に配給関係であります。米のことではなくいろいろ各地から集っている援護物資の配給は浄願寺でやっていますが,受付配給の係は不足であるという感じがしました。猪川婦人会5名許り来ているが足りないようです。赤崎にいって見ましたがここでは昨日10時迄に米の配給を御願いしたそうですが今日の午後2時迄に未だ来ていないそうです。食糧が一番大切なことですから万全を期して戴ぎたい。赤崎の支所に対して,市当局から係長1名配置して貰って居りますが赤崎漁協,公民館が主体になってやって居ります。山口議員も来て居りましたがまま子扱いされているような気がしますから課長クラスを配置して戴きたいと思います。いろいろ相談に預る必要ですから,赤崎地区は被害は軽微でありますが行って見ますとそれでも予想以上の被害であります。薬品消毒関係は行っているが雀の涙程でありますから非難の声もあるようです。浸水の家もありますから軽微だからと云ってないがしろにしてはよくないと思います。薬品の配給にも万全を期して戴きたいと思います。
佐々木(幸)教民関係について報告致します。昨日は11時頃から6時頃迄全員調査に当りました。他の部門と混同したものもあると思いますが,始に赤崎にいってそれから大船渡,末崎迄いって来ました。第1に赤崎小学校に給水出来るようにし,尚防疫対策も考えて貰いたいということであります。即ち赤崎小学校附近は飲料水に困っていますから後の入方面からでもビニール管で引水給水したらどうかと思います。学校の中には泥のとれない所があります,是の為の応援も必要と思います。第2は小学校児童の教科書を教育委員会に早急に手配を願います。それから保育園の早期開設でありますが,こういう場合になると殊更必要だと思います。それから明和の保育園はあのようになりましたので教育委員会の方で明和と台ケ丘の両者を斡旋して速やかに開設して戴くようにお願いします。第3に物資の配給でありますが,是は市の職員が総力を挙げてやって居りますが,被災地区の人達にも積極的な応援を得て物資の配給に当らせることがよいと思います。第4は清水橋早急に応急工事をやって戴きたいと思います。第5は被災現場に避難先を表示するようにしたらよいと思います。遠方から見舞に来たものが探すのに困難しているようです。第6は炊出しについてでありますが広報社に依って啓蒙宣伝しているようですが民生委員とも或は連絡員の協力を得て打切は相当の日をおいてやって貰いたい。非罹災地猪川,立根,日頃市に避難しているものもありますから広報車で宣伝徹底して貰いたい。配給米の代金の支払についてでありますが,配給券で配給をやっているようでありますが,金を出して買っているものもあれば出さないで買っているものもあるようです。これでは後で集めるのに困難を来しはしないかと思われます。物資配給の台帳によってやっているようですが,罹災カードを交付して代理人でも買う事が出来るようにしてはどうかと思います。それから物資の配給は婦人会,青年団を動員してやったらどうかと思います。第7に生活保護家庭の救済でありますが,空白をおくと精神的に打撃を受ける事になるからそういうことのないように対策を講ずる必要があると思います。第8に末崎から永井沢に来ましたが,永井沢は流失こそないが殆んど同じ被害であります。
大和田(吾)午前中は末崎に行って来ましたが被害の多い所は小細浦であります。産業道路と橋が落ちましたので船舶の出入に困っています。大船渡は我々の手に負えないから関係委員にお願いして午後は赤崎に行って来ました。綾里線を通っている橋を早くやって貰いたい。漂流物の処理について藤原議員が三陸村に船舶の要請,私は末崎に行って要請致しました。末崎は本日やる事になっていますが,三陸村のことについては藤原議員からお願いします。
藤原三陸村の越喜来漁協に懇請した様子を報告致します。只今大和田議員から報告がありました通り,道路橋梁等の災害を受けた場所を調査する為に末崎から大船渡を通って赤崎を廻って見たのであります。その際海上に流れていたものが非常に多いのであります。陸上のものは陸の方から応援を得てやりますから日が延びても何とか出来ます。所が海にあるものは一晩の中でも沖に流れていってしまいますから是は一刻も猶予がならないということで是は舟がなければ出来ませんから実は議長さんと相談して綾里,越喜来にいって参りました。三陸では村長さん,助役さんがいて消防団長は消防は3日間出動することにしていたが舟の方は気がつかなかった。如何にも海の上に流れているものは舟でやらなければならないから従って海の人でなければならないということでよくわかって戴いて,大型は出来ないが小型で出来る丈応援するということでありました。何隻舟をやるか,人員をどうするか,これは昨夜人を集めて相談をしてはっきりすることになっていますからはっきりした事ば解りませんが出来る丈要望に応ずるということでありました。綾里の漁協もその事をよくわかって戴いて私達よりも海岸の人達でありますから,只昨夜相談したんだから舟の隻数等はわかりません。昨夜遅くなりましたから,こちらに報告しても向うからくる人の受入態勢が出来ないと思って赤崎漁協にお願いして責任を以て向うから来た人に一緒になってこの作業に当る事になって居ります。本部からは他の村の人達に.特に応援して戴いているんであるから責任のある方がお出でになってもらって御挨拶をして貰う事に思って居ります。昨夜市長さんにも申上げましたが,議長さんなり副議長さんに行って貰いたいと思います。
副議長只今三陸村からの流失物蒐集の為舶舶要請のことについて藤原君から話がありました。その点について藤原議員から報告を受けたので今朝敬意を表しかたがた御願いするつもりでありましたが,佐藤議員の話では地元の鈴木議員,森議員を派遣して手配しているということでありましたから只今躊躇して居ります。
佐藤(菊)昨日この席で森議員から発言がありまして,是に私も附け加えてお願いしたんですが地元では非常に困惑して居りますから三陸,末崎方面からお願いして沖に出る筏のことをお願いしたんですが,只今建設,副委員長さんの藤原さんから報告があった通りであります。三陸村の議長さんである平田さんにお目にかかりましてこの事についてお願いしたんですが,如何ようにも取計ろうということであります。いろいろ御取計戴いて恐れ入りますが,鈴木議員を副議長さんは忙しいと思いまして挨拶の為現地に居りますから御諒承願います。
武田経済委員会の部門に関する事を報告致します。田の浸水地については出来る丈今年作付出来るように応急作業をしなければならないと思います。従って是に伴なって苗の確保に万全を期して戴きたい。畑地については何等の結論も出して居りません。カキの養殖の事について只今迄報告がありましたような状況でありますが,是についても万全の措置をお願いしておきます。一番考えなければならないことは,被害は予想以上に大きいので時間と資金が必要であります。漁民水産関係の被害ば莫大でありまして,後2・3カ月にして来る盛漁期を如何にして迎えるかということは問題であります。ここに被害が出ていますが,是が復興は時間的に早めなければなりません。例えば冷凍工場の被害は予想以上に多いのであります。建物,機械の破損中にある冷凍品,商品にならないもの,是等の調査には機械,建物,商品,工場等商店につぎましても営業用の建物,機械装置こういう風に分類して調査しなければなりません。融資の場合の交渉にも支障を来たすことになりますから,分類されて調査して速やかに出して戴ぎたいと思います。この資金の融資につきましても,是等のデーターが揃わなければならないから容易でないと思います。私の考えた調査方法については,鉛筆書でありますがこのようにやって戴きたいと思います。被害調査につぎましては,資材の調査は現在行なわれていないようであります。ノリの資材,若布の被害それらも是非のせて戴きたい。漁船も動力,無動力にわかれて居りますが,直ちに復旧しなければならないので融資の斡旋もやって貰いたい。先程流失物の件でお話がありましたが,末崎で聞いて来たんですが市当局からも話して戴いて貰いたい。それからこれも2・3の人からいわれた事でありますが,今後如何なる方法かで気仙の大工さんでも刈集りめて供給して戴くような態勢をとって戴けないものかという事でありました。簡単に報告を終ります。
市長いろいろ御伺いしたんですが,尚いろいろあると思いますからこの議場丈でなく私の方にも直接でよいからこういう風にしたらよいではないかということで議会の皆さんの御気付きの点をお話して戴くことを特にお願いします。
議長委員の方から補足する事でもありますなら。
平山(幸)第一,商店のいき方でありますが,非常に混乱致しまして昨日当り開店しているものがありますが,やってよいのか会議所当りと連絡をとりまして衣料品当りが困っているようですが,販売出来るように悠ようしたらどうかと思います。第二糞尿の処理に因っているようですが当局はどういう風こ考えているか。罹災老丈では始末に因るようであります。どういう風に考えているか御伺い致します。
山ロいろいろ聞くことが沢山ありますが,課長さん方の対策の報告を簡単に伺ってから善処して戴く方がよいではないか。
(賛成とよぶ老あり)
議長後で皆さんの補足的な報告も御伺いすることにして,差し当り調査表が出来ましたから当局から御説明と同時に被害状況其の他の対策状況について御伺い致します。
総務課長災害対策について25日鈴木県議が県に参ったのであります。県の関係機関に交渉中であります。不取敢県は2千万を商工中金に予託する事を約束すること,そうして直ちに信用組合から借入する事が出来るようにする。住宅金融公庫の資金は26日関係機関に接衝致します。大船渡信用組合の専務は今日上京して資金の調達に当ることになって居ります。大体3千万を獲得したいということで上京致して居ります。是は2・3日中にわかると思います。岩手銀行は現在の所ば本人であれば預金通帳がなくても直ちに払戻が出来ることになって居ります。今日からでも出来ることになって居ります。収入役の手持は1千万程度もって居ります。直ちに支出しなければならないものばいつでも支払出来ることになって居ります。福祉事務所の方は生業資金として無利子2力年1万円,復興資金,運転資金につぎましては県の方にお願いする事になって居ります。鈴木県議はこの事についても接衝中であります。調査まとまり次第夫々関係当局に接衝することになって居りますが,今の所資金は以上のようであります。
議長只今の報告について御質問は御座いませんか。
平山(勘)今の生業資金は1万ということでありますが,私の調べでは12万という風に最高額を聞いていますが。
福祉事務所長災害救助法が既に適用されて居りそれに依っていろいろ罹災者に対する配給物資がは入って居ります。資金の問題ですが全壊流失家屋を主として金額は1万2千円を限度として無利息2力年,住宅の全壊流失に対して総体の3割を国庫の負担に依って佳宅を建設する。是はバラック建の間に合せのもので,災害救助法の適用を受けて20日以内に着工しなければならない。坪数は5坪,坪当り1万6千以内と規定されて居ります。修理は半壊が対象になります。半壊戸数の2割5分の範囲,坪当り4千円で5坪迄認めます。
次に物資の配給でありますが,段階がありまして違いがあります。住家の全壊流失は1人世帯3,170円,2人世帯3,850,3人世帯5,540,4人世帯6,270,5人世帯8,070,5人以上1人増毎に1,090が増加される。この範囲内で寝具,食器,其の他生活必需品を家庭の生活内容を勘案して配給される様であります。この基礎は罹災台帳の作成.でありまして,昨日報告したように総員約30名の職員が各戸に亘って調査し今朝午前3時に出来上りました。この台帳が配給物資の基礎をなすものであります。相当綿密な調査をしました。今朝県にも報告された筈であります。
富沢生業資金は急がなければならないが,いつから借りる事が出来るか。
福祉事務所長台帳が出来ましたから申込をとりまして,生活内容を勘案して早速その事務を取扱たいと思って居ります。
水野住宅は3割国庫補助とすれば坪数5坪では単価1万6千円として8万円だがいくら補助になるか。
福祉事務所長自己負担出来る方には御遠慮願うことになります。
水野坪当り1万6千円として5坪とすれば8万だが,全額国庫負担になうか。
福祉事務所長全額国庫負担になります。罹災戸数の3割分について。
菊池私は本日希望することの一つに議会として罹災者二慰めの言葉が必要だと思って居ります。それから,課長さん方から一しや千里の説明を戴いても頭に入れる事が出来ないから是を印刷して配布して戴きたいと思います。
消防団長現在の作業行程は赤崎は第1班,大船渡は赤沢から駅前迄,駅前から須崎僑,須崎橋から小学校前小学校前のガードから下船度間で分担してやって居ります。陸上自衛隊と緊密な連絡をとりまして国道と市道沿いの整理に当って居ります。将来は毎日毎日作業工程が進捗しているものでありますから,毎日の作業工程を自衛隊と打合せてやって居ります。昨夜も6時から打合せをして消防団と自衛隊と人を組合せて消防団の分団長と自衛塚の中隊長を頭にして連絡をとりながら整理に当って居ります。晩.こも明日の作業工程を打合せて仕事の進捗状況とにらみ合せて当分の間やって参りたいと思って居ります。自衛隊は10日間,私の方は何日ともきめて居りません。作業工程とにらみ合せてやって参りたいと思います。私等に御要望が御座いますならこの際に御伺いしたいと思います。
富沢メソストリートを片付けて横の小路にもは入って居ります。農協の避難者から頼まれたんですが,次の建設に使えるように材料が使えるように取り扱うことが出来ないかということでありますが。
消防団長そういう点については,最善の注意をして部落連絡員さんと連絡してど二に取片付けたらよいか連絡しながらやって居ります。今日から大型トラックをフルに使うという事で車輌等も統制をとって作業の進捗を図りたいと思って居ります。今日は死体捜索班を作りまして重点的にやるつもりであります。
水野昨日常任委員で視察したんですが,その結果は委員長より報告の通りでありますが,特に私共が歩いて気がついたことは交通頻繁な所に警察の方々が協力している事は感謝に堪えません。大船渡,盛全部に亘ってやっているようであります。市の職員の活躍も目覚しいものがあります。市の職員の中には親族を失ったものもあり罹災したもので出ているものもあるという事であります。そういう方に対して当然の事であるかもしれないが誠に気の毒なものであると共に健気なものであるという事を感じて参りました。凡有ものの取片付けは是は誰のものだという事をはっきりしているものがあるらしい,是には手を付ける事が出来ませんから自衛隊等で整浬する時一緒にしてしまうが是はどういう風にしますか。
消防団長その点につきましては,皆んなで再確認してから区間区間には自衛隊の区隊長と分団長がありますから,部落連絡員家主さん等と確認しながら整理して居ります。
水野魚カスを何画俵か流したものがあると思うが是のようなものはわかり易いものだが様々のものが混合しているから一.寸困るものがあるらしい。
消防団長現場で作業をやって居りますとスクラップに廻すものが段々出て来ますがそういうものは決して遣憾のないようにやって居ります。
大和田(平)昨日迄永井沢迄車が通れなかったが,今日当り車が通りますから今日当りから永井沢にもやって下さい。
消防団長赤崎の道路の復旧個所と小細浦の産業道路の復旧はどの程度ですか。
山ロ橋は流失しました。
消防団長自衛隊が行って居ります。
石橋是非お願いします。米の浦さえ復旧すれば自衛隊で出来ると思いますから。
消防団長3間位という事でしたが。
富沢そうです。
佐々木(幸)橋脚は両方ありますから自衛隊なら2時間で出来ると思う。
大和田(吾)小細浦の産業道路は,精々2米位地元の皆さんの協力でやってくれと話して来ました。
建設課長災害住宅ですが是は県の割当が本省から366戸頂戴したそうです。大船渡市としては150戸県に要請して居ります。事業主体は県でやる事になります。市は敷地を提供することになります。非常に小さいもので1戸1O万程度,5坪で柱は2寸5分,外部下見張り内部ベニヤ,屋根フェルト,大小便兼用便所ということになって居ります。大船渡は150戸要請していますが県の割当がいかにきまるか昨日職員を県庁にやって県の意向を早くわかって市の方で協力したい。建てる場所につきましては家族なり倒壊の状況なり眺めまして大船渡何戸,赤崎何戸にするかきめることになります。土地の取得については困難でありますから地元の議員さんの御協力を得たいと思います。割当の戸数は明日職員が帰って参りますと判明します。地元にも設計師が居りますから,無償で奉仕します。公営住宅ですが普通の住宅はもう他に親威等にいっていると思いますが今年も市営佳宅は20戸ですが,5戸乃至10戸割当をお願いして居ります。大船渡の小学校の上に分譲住宅を早速建設したいと思います。30人申込がありますから20人程度にしたいと思います。災害の場合の往宅は一種は出来ないので二種8坪以下,これぱ主として貰える地域の500戸以上一市1割以上倒壊した市が割当を受ける。3分の2の補助ですがこういう災害の場合は是を上廻る補助率で貰える事になって居ります。是も今日県と接渉には入って居ります。もう一つは28日の日に金融公庫の県の関係課長等明日,明後日大船渡に来る事になっています。県と打合せの結果,まとめてお伺いして住宅対策を立てたいと考えて居ります。
富沢市営佳宅20戸分譲佳宅の報告がありました。分譲住宅についてはこの機会に応急対策を講じて土地の買入れを速やかに広い地域に亘って買い入れて住宅の拡充を図っていくべきであると思います。もう少し大きな計画を立ててほしいと思います。20戸の割当は少いと思います。
金野2日間歩いて見て感じたことは食物,住む所であります。いつ頃着工出来ますか。
建設課長災害住宅ですが,昨日連絡した所によりますと殆んと組立式のもので割当が今日当り正式にきまると思います。市の方で敷地を取得してやれば始まると思います。耐用年数が3年位のことです。住宅金融公庫からの借入れとか,福祉事務所長からも話がありましたが抽籤なしで融資でありますからいつからという事は申上げかねます。
平山(勘)150戸を赤崎,大船渡に別けるが敷地は市が借りますが建物は誰のものになりますか。
建設課長国のものを県が管理し5年後に払下げる事になっているようであります。
副議長敷地をどういう風に確保するか。
建設課長今の所市が提供しなければならないから,従って民有地を上げてやる事は出来ないから市が賃貸料を支払っていくことになります。
佐野大きな構想をする事もよいがどの程度金がかかりますか。
建設課長是は1銭もかかりません。第二種住宅は市が立てて貸していくことになります。
金野市の財政上の関係で市で住宅を建てる事が出来ませんが1戸でも多く建てることが出来るようにやって貰いたいと思います。
熊谷学校にいる人は何人位か。
教育長小学校40人,中学校20人。
議長それでは防疫対策について
保健課長薬剤は最初市内の薬店から集めましたが,機械がなかったので24日の午後に高田に借りにやりました。県の方から防疫班が来ましたので今日は笹崎からこちらの以北の方をやる予定であります。人員は県,保健所,学校生徒約100人であります。広域な面積はやる事が出来ませんでしたが,幸い自衛隊が青森から大型,小型20台をもって応援に来る事になって居ります。県は10コ班に編成午後から本格的に防疫には入る事になります。糞尿処理は県の衛生課長が来ることになって居りますから,盛岡のあいている分について全部動員して来る事になって居ります。医療関係は台ケ丘服装学院に医療班が到着につぎ是を当らせる。赤崎地帯は発熱患者が出ているが気仙病院長さんが医療に当って居ります。学校に避難しているものには2時間おきに開業医の巡視をやって居ります。昨日は気仙病院からお願いして居ります。昨夜10名位具合の悪いものがありました。広報活動,ポスター等で伝染病予防をやって居ります。死体処理ぱ今朝迄持越しは2体ですが,大体今頃は火葬が終っているだろうと思います。
山ロ赤崎に医療班がいきましたか。
保健課長いきました。
西山災害の後には伝染病がつぎものです。昨日当り学校に収容されているものに患者が多くなったということです。風を引いたもの熱の出るものが沢山あったというのでありますから万全を期して貰いたいと思います。
滝田昨日,被害住宅を教民で廻ったんですが車から降りた途端にどうなったのかと云われた。今課長さんの話でありますが保護班がいっていないようですが。保健課長細浦は消防団がやるというので薬品を届けたそうであります。
滝田足りないということだろうと思います。
保健課長農協全部集めたんですが足りなければ尚後からやります。
水野県から来たから間に合うと思うが。
保健課長自衛除も来ますからよいと思います。
副議長特に最近こういう事が聞えているようであります。鬼畜に等しいものが横行しているという事であるから電気を早く回復して貰いたい。
市長大船渡は今日の昼迄に全部つくことになっています。
平山(勘)災害救助対策については総務関係で罹災者の意見も聴いたんだが無論数の中にはもっとやらなければなならないものもあると思いますがただ消毒の問題ですが薬が足りないとか何んとかはわからないが,2回も3回もやるように計画を立てているかどうか。
保健課長私は素人でありますが,県の衛生課長が来て居りますから技術者の意見を聞いて2回必要なら2回3回必要なら3回やります。
山ロ今の説明に対する質問ではなく,医療班の方は既に到着しているそうだからよいと思うが,市の責任ある人を本部につけておいて貰いたい。こちらに丈首脳部がいて赤崎は係長丈である。継子扱であります。向うで即決したいことがあっても電話はセメント丈で後は無線電話でやっている丈向うには殆んど車もない。誰か責任のある人を向うにやって貰いたい。後は米の浦の橋の復興をやって貰って,小学校迄折返し運転をやって貰う。電気もそうだが水道の復旧にも力を入れて貰いたい。それから電話を1本丈でも復旧して貰いたいし。糞尿汲取車を小学校其他相当流れているからやって貰いたい。
水道課長大船渡は現在消防栓5カ所,メンパイプ2カ所故障,メンパイプは復旧を終り消火栓2カ所工事で夕方迄は一応復旧して時間断水は己むを得ないが,給水出来ます。末崎は下船渡の電灯が直れば一緒に送水が出来ると思います。赤崎は川口橋,振興橋が流れた為復旧の見込は立たない。中赤崎には自衛隊が濾過セットをつけまして給水する事にしています。昨日午後に始めましたのでもう出来る筈であります。
山口小野田さんにお願いして本管とつなぐ事が出来ないか。
水道課長小野田から逆送しているそうです。
山ロ中赤崎に給水は出来ないと思う。
水道課長橋の所が80米許り欠潰している為,この復旧が出来れば山口方面に給水出来ると思います。大洞線の復旧で自衛隊が出て居ります。県を通じて資材を交渉中でありますが自衛除のトラックを借りて仙台から運搬して川口橋を復旧したいと思います。建設については委員長さんの御協力をお願いします。大船渡地区ですが,酒造会社のタンク車2台をお借りして朝5時から夕方迄廻して居ります。水桶がないので時間をきってやって居ります。
山口いくら貧困な市でも是丈の災害を蒙って居ります。大船渡市でも仮予算をおいて市単独で早急に復旧を要する見込のもので報告段階ではなく実施段階のものもある筈でありますからやった方がよい。
大彩田(平)時間給水は当分続くだろうと思います。
よく解らない人が多いから給水時間を各部毎に周知して欲しい。
副議長当分復旧の見込が立たないという事であるが,あれに施設したパイプが切れた為であるがパイプをつなぐ事が出来ないか。
水道課長出来ます。パイプを交渉して居ります。あの工事は自衛除がやります。
西山送水も大事でありますが,送水しても個人々々の利用する給水装羅が痛んで居りますから使われません。すぐに個人のそれを修理して貰わなければ。
水道課長今10入を動員してやって居ります。
市長災害対策は重大なんだからどうしてもやらなければならない事は議会の協賛を経なくても直ちにやらなければならないものは是非やって貰うように職員にも云うて居りますから御諒承をお願いします。
石橋市長さんも助役さんも忙しいようでありますから各常任委員長さん方に市長さんの相談役として常勤して戴いたらと思いますがどうですか。
市長大変よいと思います。
富沢昨日汚水が逆流したという事でありましたが,水が消毒した丈で飲料水に間に合う水なんですか。壊われた所は復旧が出きたものか。
水道課長発見した分は直すべきものは直して居ります。又10カ所に分れて水質検査を実施中であります。今野(政)消火栓の復旧しないものは後何個位あるか。飲料水が第一でありますが,消火栓は火防上も必要であります。あのような乱雑な状態に於ては非常に消火栓に頼る事が多いと思いますが,いつ頃完備しますか。
水道課長後8カ月位と思います。復旧はして居りますが,ただ水がないので消火栓は当てにならないと思います。
副議長水がないというのは山にないのか,或は漏水ですか。
水道課長漏水だと思います。8時間で340屯減りましたから。
議長次は食糧対策について
商工課長大船渡町は小売店も罹災しましたので,県南米協では直営で配給したわけであります。罹災者については連絡員を動員して市が切符を発行して後で精算出来るようにしました。不取敢1人当り宛2K配給しました。基準から云えば1週間分ですが実質は3日分位と思います。そこで今後の対策としては精米6千俵用意してありますから米の需要には事欠きまぜん。大部分の店舖が通常配給が出来るようになりましたから一般通常配給をしてどうしても購入資金がないものがあると思いますから今後再度購入通帳を発行してやりたいと思います。福祉事務所と協議しなければなりませんが,本日午前中にやりたいと思って居ります。闇米が出廻ったので物価が騰貴の心配もありますから,県の食糧課長さんが参りまして協議したんですが,保有米は心配する事ばありません,闇米等で物価騰貴する場合は県と協議の上遺漏のないようにやりたい。野菜の関係は生果市場は今日から,魚市場は明日からやるようになって居ります。
平山(幸)普段でさえも半分位しかありません。一般の人は輸送が出来ないで困っているから混乱する恐れがあるが
商工課長現在80%位しか消化して居りません。大体保有米は間に合う事になって居りますから割当数量以上に買う事は差支ありまぜん。
金野大人の入達の食糧は間に合うと思いますが,乳幼児の食糧はどうですか。
商工課長家校に収容されているものはミルクをやって居ります。其の他は解りませんが
金野学校に収容されているもの丈ならどうですか。尚物価の値上りの心配がありますから其の点宜敷く御願いします。
水野食糧其の他の配給物資に対して昔から乏しからざるを憂えず,斉しからざるを憂うという事があります。市役所が如何に努力しても中聞の鰻関に依って甘くいかない事があります。そういうことのないように立派な配給状態を講じて貰いたいと思います。
山口罹災した方には申訳はありませんが,全般的に罹災した人は一番ゆるくないが日がたつに従って罹災しない人がどん底に陥入る心配がある。罹災者には援護物資がどんどん来るが,中赤崎には40世帯に60世帯もは入ってくる。罹災しない家庭もなかなかゆるくない。
水野緊急対策後の保護家庭の対策についてという事で申上げている筈でありますから,是についても当局に御願い申上げます。
金野食糧の配給と併せて燃料も困ると思いますが,是はどうですか。
商工課長燃料については解りませんが。
富沢昨日米の配給について御金を貰うようにという通達があったという事でありますが是の2Kの配給については無料配給と心得ていたが金はとるのですか。市長不取敢配給する事がよいと考えて配給する事にした。金の事は後のことも考えた,金のある人から金をとらない事もないと思うから,是は後の事にしたいと思います。
滝田物価の値上りは鉄道の開通にも関係があり,電話の不通にも関係があるが全通の見透しはどうですか。市長鉄道は3カ月はかかるだろうと思いますし,電話は大体数日中には何とかなるだろうと思います。
滝田2カ月も汽車が動かないか。
市長それがその位かかると思います。
小山資金の対策ですが担当は総務課でしようが,住宅金融公庫がありましたが国民金融公庫についてはないようですが。
市長是は鈴木県議に頼んで接衝して居ります。
小山銀行につぎましてはお話がありましたが,建築資材,国有林の払下げはやって思りますか。
市長やって居ります。
小山国,県の対策がないようでありますが。
市長県は充分やって居ります。
小山昔より手薄なような気がしますから。
市長充分やって居ります。
議長次は罹災児童等について。
教委教育課長昨日校長会議を開きましたが,ここの資料はその結果であります。尚大船渡の小中学校,赤崎の中学校の収容所の関係ですが,是等の開校につきましては生活の安定,民心の安定を考えて速やかに開校したいと考えて居ります。未だそういう事情にはなって居りません。学校の職員は夫々各戸を訪問致しまして確認した生徒児重数であります。又傷病者等につきましては調査をして本日中に届ける事になって居ります。職員の罹災者につきましては夫々応援に参りまして住宅の片付方に手伝って居ります。今後の対策につきましては,日宿直職員を代理したり事務処理等の応援をして居ります。
山ロ同僚議員さん達に対する御見舞はやって居りませんか。
議長相談して居りませんから後で御相談申上げたいと思います。
水道課長給水状況は1時間毎の給水にするよう御協力を願います。
金野担当課艮さんが居りませんが,議長か収入役に御聞きになって戴いて電話局以上の田がやられたが佐野,地の森の方からやられたが当局の方でよろしくお願いします。
熊谷この報告を見ると29億とありますが,是は誰が行ったか実は余り少いようだが。
議長昨夜の何時頃迄かかつて纒めたかわかりませんが明日の午前9時迄に是非もって来いということであったようです。県下の災害をまとめて中央に持っていくということでありました。
収入役県知事が上京して居りますからこの資料をやることになって居ります。
水野3日間緊急会議を開いたんですが,県なり中央なりに班編成をして陳情する必要があると思います。誰々は盛岡にいけ誰々はどこと,是は単独にも出来ないから市長さんと御協議して戴いて早急に御願いします。それから広報活動を徹底させて貰いたいという事であります,文書活動が出来ないから人心安定火災予防等の為にも警察とも連絡を密にしてやって貰いたいと思います。私の視察した結果では充分であると思いますが,更に充分にやって貰いたいと思います。
議長いく場合にはよく相談してやりたいと思って居ります。
滝田今後復興の為に積極的に仂きかけなければならないと思うから積極的に仂きかけるようにお願いします。
菊池この会議は終ったらどういう風にしますか。
議長先程石橋さんからの御意見もありましたが。
石橋緊急対策は今迄皆さんが出てやっていますが,復旧対策については当局と同様に例えば一時資金をどういう風にするか,商店なら商店の方で金をどれ丈必要か,材料をどれ丈必要か,仙台に電話をかけてわかったという事でありますが,本来ならハイヤーをとばして復興に当るべきではないかと思います。将来報告書の調整もあります。こういう事を当局と夫々担当して戴けばよいのではないか。このままではどれ丈日数がかかるか懸念されます。住宅150戸建てるんだそうですが是について敷地の斡旋,例えばそういう事を当局に協力すべきであり,このような態勢を整えるべきではないかと思います。資材にしろ釘にしようが詳細な数字をもっていかなければ六ケしいと思いますから,側面的に協力していく態勢を整えたらどうかということであります。是に依って活動しようという意味であります。
菊池全く只今の御意見は同感であります。議会は四部門になって居りますがそういうことに関係する事はよくない事だからということで集団行動をとったんですが,昨日とった行動は正しいと思います。私も10時に帰りました。常勤という事でありますが是はどういうような事になりますか。
水野石橋さんの御説は御尤であります。昨日迄3日間緊急の協議をしたんですが,是は大切なんですが是迄3日やったんだから明日は休んで明後日又協議会を開いて1日おいて本会議になります。委員長さんを市長の顧問として常勤させることは結構ですが,必要な時には我々もいつでも招集に応ずる用意をして居ります。
佐藤(菊)昨日早速陳情書を提出したということであるが共の後の情況はどうなっていますか。尚山口議員からもお話があったんですが,本日で3日間になりますが電話が1本も催災地に連絡がつかないという現状は誠に思いやられる現状でありますから是が早急復旧をはかる必要があります。
熊谷今日で3日間緊急対策の為協議会を開いたわけですが,もう緊急対策は一応すんだのですから復興の対策を当局に中上げてもよいと思います。当局も仲々手が廻らないと思います,尚常任委員長さんと指定するから問題があると思います。議長さん,副議長さんが中心となってこの次の議会に其の原案を示して貰うようにしたらどうか。例えば津波資金が既に出ているそうでありますが,宮城県では既に出ているようであります。ここは未だです,こういう始末では駄目だからそういう案を練って議会に提案して戴きたいと思います。
平山(勘)各部門1人宛では三地区の被害でありますから,こちらが解ってもそちらが解らないということもあると思いますから全員でやるようにして貰いたいと思います。市長さんの袴に足を入るこれともどうかと思います。
佐野昨日決めたことを各常任委員会で何をやるべきかという事で夫々活動したと思いますから夫に引続いてやるべきではないかと思います。総務は総務で持分がありますからそれに依ってやって貰いたい。
熊谷議長,副議長において適切な処置をとって貰いたいということであります。
菊池既に処置がとられていると思いますが,学校に収容されているものとか,死亡者とか負傷者は病院と思いますが,議会を代表して御見舞をやるべきではないかと思います。一昨日見舞金品の話が出ていましたがどうなっていますか。合同葬儀の方は。
議長合同葬儀の方は時期を見てお話し致します。死んだ所えの顔出しはして居りません。いつか時期を見て市長さんと参りたいと思います。物資の御見舞については後で皆さんと相談して参りたいと思います。
議長それでは是を以て閉会致します。明日は休んで明後日協議会を再開致します。是を以て散会致します。
散会

全員協議会記録

昭和35年5月28日午前9時より全員協議会を市役所会議室に開会。
出席議員は次の通りである。
佐々木亀三郎君今野政治君佐々木幸助君
平山勘之助君平山幸一君藤原武雄君
滝田喜蔵君小山勝雄君菊池丑太郎君
吉野栄三郎君金野剛君佐野誠一君
水野重郎君山口信一君森政男君
武田貢君佐藤勇之助君大和田吾東治君
石橋喜代治君熊谷長治郎君熊谷栄一君
富沢恵能君鈴木養吉君新沼勇太郎君
山崎栄之進君
欠席議員は次の通りである。
大和田平一君平野義方君伊藤喜一君
当局よりの出席者
市長鈴木房之助君助役藤原滝三郎君
総務課長臼井勝三君
事務局職員の出席者
今野信雄君佐々木直行君船野良悦君
会議の状況
開会午前9時
議長これより全員協議会を開会致します。本日は農林大臣が来市の予定でありますので,到着と同時にこの場所で陳情があると思います。それから現地視察の後釜石に向うことになって居りますから予め御諒承を願います。当局からの災害対策の報告については課長さん方も現地活動の為忙しいので報告の要旨をプリントして是を配付する事にしたいという事でありますから是亦御諒承を願います。尚本日は全員協議会終了後議会運営委員会を開きますから委員の方は御残りを願います。私から御諮り致しますが,一昨日議員活動について正副議長にお任せ戴いたので副議長と協議して当局とも協議したのでありますが,中央に要請するには正確な資料と一応の計画がなければならないと思います。目下当局に於いては全力を挙げてこのの仕事を進めて居ります。是等の完成を俟って当局と共に強力に運動を展開した方がよいではないかという事でありました。従って先般きめました所管について各部門に於いて計画をおたてになりまして当面の救済は勿論のこと,復興につきましても側面から当局に協力するという事にしたらと思いますが如何で御座いますか。
(異議なしとよぶ者あり)
議長御異議ないようですから是からの議会の仕事は各部門毎に各課長とも連絡をとりまして,当局の復興計画と統一のとれた計画を樹立して県なり中央なりに呼びかけることに斯様.こしたいと存じますから,各部門毎に御願い致します。尚この報告にあります事やそれ以外の事につぎましては後で皆さんの御意:見を拝聴致したいと思います。尚鈴木県議さんに鈴木県議さんには県関係の接渉に当って居られましたのでその状況について御願い致したいと思います。
鈴木県議一昨日県に参りまして当面の措置を打合せて参りましたから其の経過を申上げます。県におきましても対策本部を作りまして当面の措置をして居ります。来たる30日には臨時議会を開きまして政府国会に対する要望を取まとめましてそれを意見書に致しまして県が代表して副知事以下各部長が上京して陳情することになって居ります。その前に当面している問題について措置をすることを打合せました。いろいろ応急対策があります。住居の関係,主食の関係,更に商工業者に対しては仮店舖を設けて商売を始めさせる,工場関係でも諸施設を復旧する事業を始めるとか家をもたないものは災害応急法に基いて5坪を建てる事になります。割当が来て居りますから直ちに着工して貰うことになると思います。其の他商工業者に対するもの,其の他の事業者に対する措置としては仮店舗を作ってやるという事であります。資金措置としては国民金融公庫を利用するものには国民金融公庫から来て貰って県当局と連絡したんですが,御手元に配布している要領でやって戴き手続きが面倒ですがこの手続も簡素にする。保証力のないものについても是にこだわらないで保証人1人付けた丈でよろしいという事でありました。それから一般の運転資金とか事業資金とかいろいろ明らかにしてあるわけでありますが,これは問題にしないで店舗を作ろうとも,事業資金にしようとも自由でよろしいという事に致しました。それで今日から商工会議所の中に復興資金融資の申込を受ける所を作る事になって居ります。当局にも申上げて本日から会議所に看板を掛ける事に致しました。申込書をもって来たなら本日から受付けて実施したいと思っています。融資額は20万から30万の範囲の額につきましては50万程度に再交渉したいと思って居ります。それは今迄は20万から30万迄は期間は1年据員4力年償還:利子は9分3厘となっています。今迄借りていたものは延納.こする。今迄借りていた者も二愈こ借りる事が出来る事になっています。金融公軍は約半月会議所に駐在することになっていますから是も御諒承戴きまして一般に徹底して戴ぎたいと思います。
次に商工中金でありますが,支店長に来て貰って商工部長と共に打合せをして来ました。これは商工協同組合を経て借入れるもので是に加入しているものでなければ借入れが出来ないのでありますが,当市は県下稀に見る組織でありますから,この組合を通じて全面的に資金を融資してくれる事になります。問題は担保力でありますが,今度の場合は担保なしで融資して貰うことにしています。其の結果県の保証協会で保証する事にすればよろしいという事で県の保証協会に3千万の預託金を出して是に依って融資する事になりました。そこで施設に対する資金,運転資金を必要とする商店は組合を通じて申込めは融資することになりますから,急速に之を進めて戴ぎたいと思います。各組合の代表者を集めて融資の取まとめをする事になっています。国民金融公庫,商工中央金庫の資金に依て概ね商工業者は不取敢緊急の態勢がとられると考えて居ります。更に不取敢5万,3万必要だというものには信用組合で商工会議所から一札出して戴けば出して貰えることになっています。商工中金から2千万融資を受け県信連から1千万信組の担保で1千万計4千万を信用組合のつなぎ融資の金に当てる事になっています。尚更に融資を受ける事になっています。それから住宅金融公康も関係があります。是は恒久的な住宅,店舗のような建築をどうするかということになりますが,是は県の建築課長とも打合せて更に住宅公庫の仙台支店長中央からも参りまして6月頃説明会を開いて今後の復興をどうするか等について其話合があると思います。住宅公庫の措置に依って適切な措置がとられると思います。何れにしても速やかに復興しなければならないが,再び災害も予想されますので,恆久的な建築を考えていかなければならないと思うから本腰を入れて検討する必要があると思います。この他問題になります事は一般の商工業者の事であります。国民金融公庫,商工:中金を利用出来ないもの,或はサラリーマン,日雇もありましよう,是が大事な点であります。
是の点につきましても県に要請致しましたが,一昨日迄結論を得ないで来ました。一般金融として市が保証致しますれば1万円以内信用組合が融資出来ると考えて屠ります。是は市議会でも御検討を賜わりまして宜敷く御願い致します。商工中金から信用組合も2千万の預託を受ける事になりますが是に対して市の保証を御願いするという事もありましたから,当局からお話があると思いますが是も善処方をお願いしたいと思います。其の他漁業資金ににつきましては不取敢20億の概算をして居りますから緊急対策として1億8千万程度の緊急資金がなければならんという事で県の漁信連に1億8千万の預託をして資金措置をしようという事になって居ります。伊藤会長は上京中でありますから本日中に結論が出ると思います。最後に何としても本災害は一般災害なみの取扱では救済が出来ないから罹災地毎に政府国会に灯して特別立法を御願いする以外には方途がないということであります。特別立法について主力をおくという事に県議会も考えて居ります。
市.議会でも是について御努力をお願いしたいと感じている次第であります。それは農林大臣にもお願いしたいと思います。
助役今国民金融公庫,商工中金の融資について県との話合のお話がありましたが,この資金問題について二番目の商工中金の関係でありますが,市が保証しろという事が御座いますので2千万程度の保証という事に致したいと思います。この正式議案は30日の議会にお願いしたいと思います。それから終から二番目の一般庶民金融の1万円是は商工会議所の会員或は信用組合の会員ば一応今迄の融資を受ける事になりますがそれから洩れる人があるわけであります。洩れる人に対しては,今日から会議所に相談所を設ける時にそういう人もいくんではないかと思いますので会員でない人にも1万円程度貸出しをするよう致したいと思いますが,是も市の保証でなければなりませんから市としは300万程度を保証する事に考えて居ります。是も30日の議会に正式に決議をお願いしたいと思います。漁協農協につきましても同じ問題が出ると思いまして,漁協農協の幹部の人の御集りを戴いて是も商工組合と同じように応急的な貸出しにつきましては保証力のないものもあると思いますから是に対しても市が保証したいと考えて居ります。助合金融につきましては,民生委員の証明に依って1人2千円の無利子の貸出しを行って居ります。所がこの資金は現在10万程度しかありませんから,オーバーした場合は別途考えて貸出ししたいと思って居ります。
議長只今,報告について或は其の事以外でもよろしいが御意見がありますなら御願いします。
熊谷災害の結果大部怪俄をしたり内臓方面に怪俄したりした人があります医者は罹災者から金をとっていないようでありますが罹災者の分は市で負担するのですか。医者の方でも迷っていると思いますが。
助役入院しているものからですか。
熊谷外来の人であります。実は私の家の孫がいっているんですが,金をとられないというんですが。
助役無料診療の事については気がつかないでいます。
熊谷何日もやるという事は医者の方でも困ると思います。国保関係から通知して然るべき方途を講じて居った方がよいと思います。
助役こちらでは入院した人には見舞金をするようではないかと考えていたが,外来については解らないでいました。
熊谷気仙病院の広田先生の処にいっているんですが,ここは普通よりも忙しいようです。
平山(勘)災害救助法に依ると矢張り生活保護家庭,無財産の人は無料で出来ることになっているが是を調べて貰いたい。それから金融問題に対して一番今後頼らなければならない事は住宅金融公庫の金だと思います。是は各被害者が優先的に特別の枠を与えられるわけですが,是が興えられれば大変助かると思いますから是を強くやって下さることを願います。今迄焼けても流れても優先的にやって貰って居ります。
助役是は恐らく要望に近い融資が出来る筈であります。5坪の住宅は大体180戸ですが120何人になるんではないかと思います。それは今日からでも立てたいと思います。計画がはっきりすれば市でたてて後で県で立てた事にしたいと思います。
平山(勘)市街地に佳む人は15坪なら15坪の割当が得られれば住宅公庫は是に打込むと思います。是非やって貰いたいと思います。
助役それは進めて居ります。
小山市の保証による貸付はやりますか。
助役それはやります。
小山300万という金額の根拠は。
助役別に基礎的な資料はありません。2千500万という事でありましたが300万位でよいではないかという事でありました。
小山市中銀行に対しても災害に対する貸付についても,又市の保証についてももっと貸付出来るようにして貰いたいと思います。
助役やります。
小山貸付の条件緩和につきましてももっと緩和して貰いたいと思います。
助役それもやります。
新沼住宅金融公庫の関係ですが,今迄の佳宅金融公庫の取引から見て条件が面倒なんです。2回説明会が開かれたようでありますが,是は部落毎に償還組合を作るとか市が保証するとかそういう事も頭において,説明会に臨まなければならないと思います。それから市の中小企業融資についてももっと枠をおいて償還期間等についても条例を改正して条件を緩和するようにしなければならないと思います。
熊谷ここで一番恩恵を受けているものは,商工組合の加入老です。施設の資金も運転の資金も商工組合に加入していなければ借りられません。我々も鉄工業の組合があればよいわけだが是は組合がないから,商工中金は水産団体が主な関係ですから。
助役水産関係ばかりでなく建築業,専門店会,酒販店会漁協等いろいろ種類がありますが熊谷さんのおっしやる通り何にもは入っていない人があると思います。
熊谷是は市が保証すれば借入が出来ますが,そうでないものはそれ以外の所から借入れがなければなりません。その為に中小企業金融公庫がありますから是も考えて貰いたいと思います。
助役はい。
山口国民金融公庫や商工中金を全然利用されないものと同時に農協漁協の金融問題を併行して考えなければおかしいと思います。どこからも借りられないという事はおかしい。今食う金がないのでありますが,毎日毎日他の手伝を受け乍らやっているんだから,是は国民金融公車や商工中金に追い付くものがなければ赤崎当りはどこにも借りにいく所がない。
佐藤(菊)先程助役の説明にあった福祉関係の取扱に依って1人2千円程度の貸出しをやっているという事であります。これは一番困っている人と思います。どの程度の資金を必要とするか,差し当り10万程度ということでありますが,2千円というのは1人2千円ですか,1世帯2千円ということですか。これは該当者が多くなった場合市の財源確保はどういうことになりますか。
助役今の関係は貸出しを開始してその状況に依って資金を用意するという事にして居ります。一応世帯当りにして居ります。今1千円か.2千円を借りたいという声を聞いて居ります。
水野是はどうしても個人に接渉出来る問題ではないから後で関係者の会合があると思いますから,是を聞いて善処して貰いたいと思います。
佐藤(菊)農協漁協の分を纒めているという事であります。私の申上げたのは本当に零細な困っている人達があると思いますが,是等についても協議されるわけですか。
助役不取敢農協漁協丈であります。農協漁協ではやって居りませんか。
山口資金に限度がありますからやりたくても資金の獲得が出来ないから。
助役貯金の支払丈で一杯ではないかと思いますが。
山ロその通帳もないから。
議長只今農林大臣が来る事になっていますから,暫時休憩致します。陳情が終ってから更に会議を再開致します。
休憩午前10時55分
再開午後1時
議長休憩前に引続きまして可開致します。
熊谷鉄道が開通する迄高田,大船渡間をバスで運転して貰ってはどうですか。
市長今日からやって居ります。
滝田人は運搬しているようでありますが,貨物も運搬して貰いたいと思います。
市長是も今日からやっているようで御座います。
熊谷農道は重大な役割を果していますがもう一本道路を作る必要があります。
市長各課長にも話をしたんですが,再出発をするという事が必要ではないかと思います。道路網その他については未だ結論は得ていないが,こういう状態が出来たんだから全部今迄の考え方を投げ捨てて新しい施設をする必要がある事を考えて居ります。
副議長岩罐から下船渡迄都市災害という事にして改良工事という事でやっていった方がよいという事であります。建設省の検査官の話であります。
武田そういう構想について,下船渡迄の間に被災している人が多いから今の間は家を引きつけるにしても簡単であります。こういう構想でいくんだという事であればよいと思います。
副議長バイパス道路とか万一の場合は間に合せるように構想を建てるらしいという事でありますから,それを運動してやっていけば3分の2位の補助率でやっていくによいという事であります。
熊谷新しい道路を作るという事でありますが。
副議長そうです。道路も都市災害で拡幅していった方がよいと思う。佐野橋はバイパス道路としてすぐやらせるという事であった。原型復旧でなく。
議長私からこの際申上げておきます。先程農林大臣から非常に力強いお話を承わりましたから是に則って尚今後復旧の為に努力しなければならないと思いますから今後共宜敷く御願いしたいと斯様に存じます。尚午前中の協議会でいろいろ皆さんからの御意見もありますから今後の長い構想復旧については各部門毎に各課長と密な連絡に依って,大臣は津波予防の都市計画をやるべきだという事でありましたから,そういう事も勘案し乍ら当局と一緒に統制のとれた結論を得て進めたいとかように存じます。それから別に協議事項ではありませんが不取敢市長さんに御相談に預りまして死者は3千円,負傷者は1千円議会からは佐々木幸助議員,収入役さんと御見舞して居ります。それから災害者に対する御見舞については未だ御相談をやって居りませんから今後の問題と考えます。それから明日の予定ですが運輸大臣ほか何人かがお出でになります。14時着30分間ここに居られるようで御座います。それから全国災害対策東北班は釜石より飛行機でlO時30分到着,小沢代議士は14時より16時迄視察という日程になって居ります。是について今日と同じように陳情したいと考えますから,この時刻迄に明日は或は災害を蒙って居られるものも御座いますから御都合のよい方は御参集願いたいと存じます。この態勢で陳情したいと思います。全国災害対策東北班は10時30分に来ますから10時迄に御参集を願います。
水野来た時は人がいた方がよいと思いますから来る事にしましよう。
議長大体私から申上げるのはこんなものであります。
水野只今市から死亡者並に負傷者に対して弔慰金並に見舞金を出すという事でありますが,議会の方は教民から誰か出した方がよいと思います。
副議長教民委員長でよいと思います。
今野(政)いろいろの報道に依って皆様卸承知の通りでありますが,自衛隊の御協力に対して議会の立場から感謝の言葉があって然るべきものと存じますが。
議長市長さんと自衛隊や警察方面にいって来ます。
佐藤(菊)現在一番困るのは電話,次は鉄道であります。日本国に全然資材がなくなったかどうかわかりませんが,本部と赤崎の支所との連絡が電話で出来ないという事は誠に遺憾であります。尚赤崎につきましては支部の事務所を契約会館に移す事にきめました。これにやるという事でありましたが,これから来月の半頃でなければ出来ないという事では遺憾であります。何とかこの点を速めて貰いたいと思います。鉄道の関係は,一般交通については自衛隊が道路を片付けて居りますから速やかにパス運行をやるように要請すべきものと思います。鉄道は我々は御客さんでありますから何等の挨拶もないという事は奇怪に考えます。
市長1日か2日に出来るという事であったが電灯と電話の間違であると思います。電話は電報電話局が云われたんで今無線であります。赤崎支所に通ずるとか本部に通ずるというのは無線であります。そこで私共は再三申上げて居りますが,電話局では相当な人を総動員してやっている事には間違いありませんが是は最善を尽している事は認めて居りますが仲々その運びに至っていないようです。原因はあそこをすっかりやられてしまった為ではないかと思います。鉄道の問題は自衛除に要請にしたらどうかという事でありますがそういう意見があれば参って交渉したいと思います。鉄道の問題につぎましては当局は何回も何回も御願い申上げて居るわけであります。高田迄の連絡はバスでやるということですから問題は相当の長時日を要するという事ではないかと思います。明日でも線を通して貰うことは同感でありますが仲々そうはいかないようであります。
佐藤(菊)鉄道の当局にお任せした丈では困難だと思いますから,自衛隊の協力をお願い出来るなら要請して貰いたいと思います。
市長そういう風にします。
佐藤(菊)現在電話はどうですか。
市長現在電話は特別の所丈通じています。
武田赤崎方面は一本も出来ないか。
市長普通のやり方ではなく無線でやって居ります。武田後2・3日で来るという事であれば別だが,相当かかるんだったら自衛隊の協力を得れば簡易に出来る方法はあると思うが。
市長その事を御願いしたが,その技術丈は御断りするという事でありました。
山ロ無線を延ばす事が出来ないかといった処が動かされないという事でありました。誠に不便なものだと思った。
武田今細浦と市外通話が出来ます。
市長特別の処小野田は出来るだろうと思います。
山口小野田は出来ません。期待していたが出来ませんでした。開発の事務所は1本復活したが,赤崎には1本もは入って居りません。警察電話は本署から赤崎の駐在署にいくものば1本あるが,これが出来れば警察電話でも余程助かると思う。
市長当局ばかりでなく議会からも陳情して貰いたいと思う。
石橋直接実現方を明日なり明後日なり鉄道管理局や尚電話の方も盛剛こ行って交渉したらどうですか。
市長昨日局長が参りまして話をしたんですが,みんな県下の人達が来てやって居ります。
山ロ岩手県が全面的に被害を蒙ったんでないから電話がつかないという事はおかしいと思います。
平山(勘)水田の被害は7G町歩とありますが100町歩もあると思う。大船渡地区は工場予定地になって居ります。今迄は冠水があっても時期がくれば作付していたが,今度は臨海工業都市建設の為あれ程の埋立をしたものが土堤が壊われてしまった。その為に道路が各々田に埋ってしまったので今耕作してもものにならないと思う。県が2・3年たっても買収しないものであれば耕作しなければ.ならないが,2・3年のうちに買収するんであれば早く買収して貰った方がよいではないかと思う。一昨日夕方見たんですが5寸位土が全部埋っています。海の土が埋って盛り上っています。是をどうせ県が買収するんであればこの序に地主も投げ捨てているから買収して貰う事をお願いしたいと思います。市長さんが共の交渉に当って戴いたらと思います。
議長早速を要する問題と徐々にやる問題とあるようですからそれらを含めて密な連絡の下に進める事にして今日は是をもちまして。
金野全国災害の例を見ると市が補助出来るものは1カ月位で其後は手をつけられないで放り出されてしまう。現在救済されている人に救済の方針について計画を立てるべぎではないか。全国の例から見て生活保護を受けている人を見ていますとお金をやる場合にその分迄ひかれてしまうという例があります。1人3千円の見舞金を出せば是は引かれてしまうことになりますか是はどうなって居りますか。
市長1カ月で放り出されてしまうという事はありません。規則1.こもなければ明日から放り出していけないという法律はないと思います。本来は最初の形に復旧される事が大切であって,いつ迄も非常状態を続ける事はどちらの為でもないし従ってそれに対してはなるべく自立せしめる方針で一日も早くやって参りたいと思います。只今の問題に対しては生活保護の問題については絶体そういう事のないように何等かの手を打つ必要があるということで福祉事務所に話して居ります。
これは別に考えなければなりません。3千円をとられる事のないようにしたいと思います。
新沼今日は緊急復旧対策について,事業資金,復興資金等についていろいろ見透しがわかりました。是を罹災民が行う事は非常に六ケしいわけであります。是を一般的に徹底される事は,広報車も歩いて居りますがよく解らなかったら課長なりを乗せて1時間留っていまして相談所のようなものをやって徹底させなければならないと思います。
市長あちらの方から来て大体の該当者を来月の2日頃だという事でありますがそれでは遅いという事でありましたが,来月2日頃商工会議所にも協力して貰って集ってやりたいと思います。駐在員も被害者になっているものがありますから仲々連絡が思うようにつきません。
石橋今迄は災害対策を根本としていますが,緊急対策と復興対策をわけて復興対策は復興弓でやるという風に事務的に切り離してやった方がよいではないかと思います。いつ迄も緊急対策ばかりでなく復興局を設けて切り放してやった方がよいではないかと思います。
市長そういう風にしようと思って居ります。
議長是をもちまして本日の協議会を終ります。直ちに議会運営委員会を開きますから委員の方は議員控室に御参集下さい。明日は午前10時からでありますから念の為申上げます。是を以て散会致します。
閉会

第6節県における緊急対策

1災害情報受信状況

1災害情報受信状況
(1)24日前4時50分,宮古消防署より電話
現在第4波津波来襲,目下消防署前まで海水浸水,
被害不明
(2)直ちに総務部長,同次長,土木部長,同次長,同総務課長,道路都市課長,河港課長,厚生部長,同次長,福祉課長,消防課長等へ電話連絡
(3)久慈消防署より
4時30分現在,海水約1皿50減,津波の恐れあり
(4)5時10分県警宿直員より
大槌町長より電話連絡あり,大槌町の4時50分現在の被害
(イ)佳家流失10,(ロ)非住家30,(ハ)床上浸水
1,000,(二)床下浸水1,300
(5)5時15分久慈水産事務所より漁政課長あて
4時30分津波警報発令,小舟流失16
(6)5時20分,盛岡気象台(斎藤より)
4区津波警報発令
この津波は,23日4時15分のチリーの地震によるもので,今日一ぱい続き高いところで3〜4mになる見込み
(7)5時40分下閉伊福祉事務所(千田)より福祉課長あて
下閉伊管内では,山田地区電話不通のため不明,以外人家に被害なし
(8)5時40分,釜石水産事務所(浦川)より
津波あり現在増水中,海岸では2階まで増水,船舶その他流失大なり,各漁業組合との連絡つかず
(9)6時5分東北電力(星合)より
大船渡市役所より電話,市内被害浸水3〜4m,昭和8年以来の被害なり,電力の保安電話以外は不通
(10)6時10分宮古水産事務所(木村)より漁政課長あて
相当被害あり,養殖施設だめ宮古港山田港全滅,船舶に相当の被宮あり現在大型5トン以上沈没15隻位
(ll)6時10分NHK(平野)及び大槌町長より知事あて電話
(罹災戸数2,360,同世帯2,360,同人員13,010)
(全壊戸数世帯10,同人員60)(流失戸数世帯50,人員300)(半壊戸数世帯100,人員550)(床上戸数世帯1,000,人員5,000)(床下戸数世帯1,300,人員7,000)(非住家200)
(12)6時25分野田村役場より
家屋全壊15〜16戸,家屋半壊15〜16戸,船舶流失動力船3隻,無動力船70隻,田畑の被害15町歩,自動車流失1台
(13)6時30分上閉伊福祉事務所より電話
大槌町電話不通,流失家屋2戸,浸水家屋500戸,所長8時の汽車で大槌町へ行く
(14)6時35分大船渡市評価委員(佐藤)より
4時半頃津波あり,昭和8年頃の津波のようです。各所との連絡不通。大船渡,赤崎,末崎の海岸には避難の時間がなく被害大の模様,船舶は高校前まで押し寄せその他の被害不明,自衛除の出動要請
(15)6時45分気象台(斎藤)より
津波状報第1号(6.39発令)
「昨日午前4時15分頃チリーに地震があって,このため太平洋洛岸に津波が起きています。この津波は今日一ぱい続ぎ,大きいところでは4〜5mに達する見込みですから厳重に警戒して下さい」

2.救援組織

自衛除災害派遣状況
5月24日被災各地の情報に基き白衛除の出動を要請することに決定,ただちに知事より陸上自衛除岩手地方連絡部長経由岩手駐とん地司令に対し各被災地に自衛隊派遣方を要請した。
以後の分を含めた出勤状況は次のとおりである。
(イ)大船渡市派遣延人員5,493人応急復旧並に
防疫作業岩手駐とん部隊(予防衛生除を含む)
(ロ)陸前高田市派遣延人員1,625人応急復旧並に
防疫作業岩手駐とん部隊(予防衛生隊を含む)
陸前高田市派遣延人員19,570人防潮堤復旧作
業青森第9混成団
(ハ)大槌町派遣延人員937人応急復旧並に
防疫作業岩手駐とん部隊(予防衛生除を含む)
(二)山田町派遣延人員2,036人応急復旧並に
防疫作業岩手駐とん部隊(予防衛生除を含む)
(ホ)宮古市派遣延人員345人応急復旧並に
防疫作業岩手駐とん部隊(予防衛生隊を含む)
(へ)釜石市派遣延人員250人応急復旧並に
防疫作業岩手駐とす部隊(予防衛生隊を含む)
計30,356人
以上のほか,被災地用支援苗輸送,児童用教科書輸送等のためにも要請した。
陸上公安部部長(県警本部長)
別添「災害警備活動の概況」参照のこと。
陸上運輸部部長(岩手県陸運事務所長)
今回は,分担業務の活動は行わなかった。

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総務厚生部
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消防部
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衛生部
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食糧部
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労務物資部
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土木建築部
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協力部
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海上公安部
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電力部
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鉄道運輸部
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通信部
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海上運輸部
3.災害救助隊の活動状況

1.災害発生時の状況ならびに措置
5月24日午前3時に大槌町に於て消防団員が潮流の激変により津波を予想したのが一番早く,その連絡により昭和8年の津波の経験からして同町に於ては午前3時40分,町長が津波警報を発令している。その他の被害地に於ては大槌町に於て警報を発令した時刻頃に潮流の異常を発見し,午前4時頃に警報を発令している。この時刻は津波第1波が来襲した同時刻で,発見者は消防団員や出漁準備又は帰港の漁船員等である。被害を受けた津波は第2波で,各地とも午前4時20〜30分頃であった模様である。各地とも地震を伴わない津波のため,半信半疑の住民が多かったらしく,又前例経験,予想を超えた津波形態であったため住民の混乱は特に甚だしかったようである。多数の人的被害を受けた大船渡市では,経験等より安全地帯として都市計画により急速に発展した市街地が被害を受けたので移住者等が多く,又津波訓練等にも安全地帯であるとの安易な考えから比較的消極的であり,従って警報も確認出来なかったための結果と見られる。
一般的に今回の津波は湾口より湾奥が被害が大きかった。波高は各地とも第1波が午前4時頃1m〜2m位で大潮程度のものであったらしく,その後直ちに(午前4時ユ0分頃)引潮が5〜6m位あって湾内の海底が露出され続いて第2波が午前4時20分頃5〜6皿位襲来し,引続き第3波が午前4時30分頃4〜5m位となり,順次波高が低くなったから高潮は日間位続いたようである。各地とも潮流の異常ならび第1波による高潮あるいはその後の引潮により,市町村長が警報を出しているが,佳民は前例のない形態の津波を予想出来ず混乱したらしい。その後直ちに各地とも災害救助態勢こ入りはしたが,通信網の途絶のため県本部との連絡に苦慮している。警察電話の利用(陸前高田市)東北電力専用電話(大船渡市)等の協力のもとに連絡に成功しているところもあるが,協力を得られなかった支除(気仙福祉)もあったようである。
これら連絡をとる一方に於ては災害状況の調査に力を注いであることは各地とも同様であるが,被害状況調査は,各部夫々区々に行ったので(釜石市)各部の集計が合わなかったり,被害者が何処へ行ったか判らなくて何辺も出向いたり(大船渡市)して苦労している。
又早くも同日中に臨時議会又は全員協議会を招集し臨時災害費の支出並復旧復興対策の協議を行った町村もあった。
県福祉事務所においては直ちに現地に赴き,現地指揮をなし,各部の活動を円滑ならしめている。
2.災害救助隊各部の活動状況
各部の活動状況はその分担業務を遂行しているところが多いが,電力,陸上,海上,鉄道,運輸,通信部等が名目上の部で,何等災害救助除活動として行動として行動していないところ(下閉伊,福祉)もあるようである。協力を要請しても意の如くならなかったのは通信部(陸前高田市)技術部,経済部(上閉伊福祉)等があったようである。
3.向後における活動上の参考事項
(1)組織機構について
ア.県福祉事務所と市福祉事務所との関係は単なる協力か又は指導的立場で全面協力か。(気仙福祉,上閉伊福祉)また,支除編成上は全然別個のものであるが災害救助法は知事の権限で行うという事を充分市の関係者に認識せしめ県福祉事務所の指示指導に従うようにして欲しい(上閉伊福祉)
イ.活用計画上は各部に分かれているが,衛生部,土木建築部以外は,福祉事務所職員が当ることとなり,電力,陸上,海上,鉄道,運輸,通信部は夫々関係機関が当っており単に名目上の部にすぎない(下閉伊福祉)
ウ.災害発生と同時に通信網が混乱し又は杜絶するので,その確保について事前に検討の上,あらかじめ計画準備をしておく必要がある。(気仙福祉上閉伊福祉,陸前高田市)特に警察無線を有効に利用できるよう措置できないか。(気仙福祉)又機動力を災害発生と同時に配置して欲しい。(上閉伊福祉)
エ.救援物資の調弁は災害実態を把握のうえ県か現地かの何れか一方に於て調弁することが物資配分計画上望ましい(下閉伊福祉)又救助費予算は直接支除に支出委任することにより事務処理に迅速を期することが出来るのではないか(気仙福祉)
オ.重要事項の指示,伝達等の連絡伝達責任者の氏名を明確にし報告すると共に,その者は出来うる限り席をはなれないような組織とすること。(陸前高田市)
カ.罹災者の調査については各部が夫々の立場で調査を行ったが,これが一本化が必要である。(釜石市)
2)その他
ア.系統機関からの警報がなく,住民の混乱を招いたが,やはり警報は系統的機関から速やかに出してもらいたい(釜石市大槌町)
イ.警報伝達方法について再検討を要すると共に,住民への周知徹底を図ることが必要である(大船渡市)
ウ.法の内容を知らしめ,或は再確認の意味で年1回は必ず災害救助事務担当者を招集して事務打合をして欲しい(陸前高田市)

4.災害応急救助実施状況
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救助の実施に要した経費算出内訳
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1.収容施設の供与(1)避難所
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1.収容施設の供与(2)応急仮設住宅
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2.炊出しその他による食品の給与及び飲料水の供給(1)炊出しその他による食品の給与
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3.被服寝具その他生活必需品の給与
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4.医療及び助産(1)医療
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5.住宅の応急修理
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6.生業資金の貸与
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7.学用品の給与(1)学用品
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7.学用品の給与(2)教科書
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8.死体の捜索(1)捜索用機械器具借上
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8.死体の捜索(2)捜索用機械器具燃料費
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9.埋葬
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10.輸送費
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11.人夫賃
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義損金品受付並びに配分状況
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義損金品受付並びに配分状況
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義損金品受付並びに配分状況
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義損金品受付並びに配分状況
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被服寝具受入配分状況
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教科書学用品等配入状況
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自衛隊災害派遺状況
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自衛隊派遣一覧表
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対策本部業務日誌抜萃(大船渡市関係)
5.災害応急対策進捗概況(その1)
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災害応急対策進捗概況の(一)-1
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災害応急対策進捗概況の(一)-2
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災害応急対策進捗概況の(一)-3
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災害応急対策進捗概況の(一)-4
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災害応急対策進捗概況の(一)-5
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災害応急対策進捗概況の(一)-6
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災害応急対策進捗概況の(一)-7
6.災害応急対策進捗概況(その二)
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6.災害応急対策進捗概況-1
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6.災害応急対策進捗概況-2
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6.災害応急対策進捗概況-3
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6.災害応急対策進捗概況-4
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6.災害応急対策進捗概況-5
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6.災害応急対策進捗概況-6
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6.災害応急対策進捗概況-7
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6.災害応急対策進捗概況-8
7.県議会議事録(第1号)

昭和35年5月30日(月曜日)
議事日程第1号
昭和35年5月31日月曜日午後1時開議
第1会議録署名議員決定の件
第2会期決定の件
第3議案第1号財政再建計画の変更に関し議決を求めることについて
第4議案第2号昭和85年度岩手県歳入歳出追加予算
第5議案第3号県立水産高等学校共同実習船兼指導
船岩手丸の売却及び建造工事の請負
契約の締結に関し承認を求めることについて
第6請願陳情
第7委員会の閉会中の継続審査等の件
第8発議案第1号津波による災害復旧対策について
本日の会議に付した事件
1日程第1会議録署名議員決定の件
2日程第2会期決定の件
3日程第3議案第1号から日程第6講願陳情まで
4日程第7委員会の閉会中の継続審査等の件
5日程第8発議案第1号
出席議員(50名)
1番菅原久七郎君8番清水善五郎君
4番福田嘉一郎君5番小野寺十治君
6番山崎権三君7番小野田太作君
8番藤村久喜君9番新里善治君
10番菊池隆一君11番畠益三君
13番米谷貫二君14番白木沢純三君
15番鈴木八五平君16番下林孫市君
17番佐藤亦助君18番八重樫圭助君
19番千葉一君20番小泉一郎君
21番遠藤保雄君22番長尾仁平君
23番梅津松夫君24番五枚橋忠一君
25番山本徳太郎君26番高橋久次郎君
27番香川嘉太郎君28番栗沢勇治君
29番佐藤菊蔵君30番大島常次郎君
31番佐川広君32番石川勘吉君
33番帷子康三君34番佐々木一郎君
35番岩持静麻君36番加藤勝夫君
37番千葉胤次君38番藤島弥助君
39番佐藤秀一君40番小保内岩吉君
41番太田五郎助君42番金子太右衛門君
43番後藤力君44番千葉良治君
45番横沢栄四郎君46番佐々木一夫君
47番岩城惣一郎君48番小原正巳君
49番斎藤光市君50番横田チヱ君
51番伊藤久雄君52番菊池伝助君
欠席議員(2名)
2番佐々木又次郎君12番高橋清孝君
説明のため出席した者
知事阿部千一君副知事小川秀五郎君
出納長高橋熊五郎君総務部長吉岡誠君
厚生長玉村孝三君商工水産労働部長柏木宏二君
農林部長石田晋君土木部長柿菊市君
総合開発局長佐々木軍四郎君総務部次長中村直君
庶務課長杉山春男君教育長赤堀正雄君
警察本部長後藤信義君
職務のため議場に出席した事務局職員
事務局長堀合吉郎
書記(議事課長)駒ケ嶺四郎
書記(議事課長補佐兼議事係長)田中重喜
書記(総務委員会担当)川村弘
書記(教育厚生委員会担当)工藤新一
書記(商工水産労働委員会担当)高橋忠
書記(農林委員会担当)豊川直
書記(記録係長)佐々木信一
書記(技師)隅田ヨシ
(主事補)三浦清巳
午後1時19分開会・開議
(丸)議長(山崎権三君)これより第7回県議会臨時会を開会いたします。本日の会議を開きます。
被災地に議会代表を派遣したことについて報告
(丸)議長(山崎権三君)今回の津波の被害はまことに甚大であり被災者に対しては心から御見舞申し上げます。
これが復旧対策については挙県一致で当たり復旧の1日も早いように努力しなければならないと存じます。去る24日災害発生と同時に各派協議の趣旨をもって議会運営委員と市内在佳の議員等に急遽御連絡申し上げ,午前10時に御参集を願って対策を協議の結果,とりあえず災害実態調査と慰問激励のため現地におもむくことを決定し,大船渡,釜石,宮古,久慈の各方面へ4班編成して当職10外人が直ちに出動してなまなましい被災地の実態調査と要望を聴取して参ったのでありますが,現地に参りました諸君からは委員会の際に報告がありますので,御了承願います。
(丸)議長(山崎権三君)この際今次災害の痛ましい犠牲者に対し黙祷をささげたいと存じますので,御起立を願います。黙祷。
〔各員起立黙祷〕
(丸)議長(山崎権三君)御着席を願います。
知事あいさつ
(丸)議長(山崎権三君)知事から発言を求められておりますので発言を許します。阿部知事。
〔知事阿部千一君登壇〕
(丸)知事(阿部千一君)去る24日早朝突如として太平洋岸に津波の来襲がありました。本県三陸沿岸におきましても一瞬にして交通,通信ともに途絶し,人畜を初め佳宅,水産施設,店舖,水田,道路,港湾,鉄道,電話等各般にわたりまして甚大な被害をこうむるに至りましたことはまことに遺憾に存ずるところでございます。これは本県津波史上忘れることのできない昭和8年3月の三陸大津波を上回るとも劣らないを大災害沿岸地方特に宮古以南地域にもたらしたものでございます。しかもこの被害につきましては,その筋の発表によりますれば,その原因が遠く南米チリ沖に発生した大地震によるものであったのでございます。従って当地方においてはもちろん地震もなく,従来の常識からすれば津波の来襲など全く夢想だもできない状況のもとに発生した災害でありますので,また昭和8年3月の大津波に際しまして被害激甚をきわめた地域におぎましては今回は被害は比較的軽微であり,その反面前回ほとんど被害を見なかった地区において目をおうような惨害をこうむるに至った次第でございまして,その理由の中には過去における被災地におきましては平素津波に対する態勢ができておること,また海岸保全施設等におきましてもある程度の整備がなされていたことなどももちろんあるのでありましようが,何より大きな原因は波の性質がその周期といい,また圧力といい従来のものとはなはだしく違っていたと言われておるのでありまして,そういう点が前例によって判断できない被害の様相を呈するに至らしめた最も大きな原因ではないかとさように考えられる節もあるのでございます。
以上のような概況でありましたが,その後判明したところによりますと,この被害総金額はついに98億3百万に達し,全壊,流失,半壊等住居の被害が甚大でありましたこと,また道路におきましてはその流失,欠壊等に加えまして倒壊家屋の破損材,丸太等の浮流物が道路上に無数に堆積しておりまして,そのためにははなはだしい交通の障害となったこと,また田植え直前の苗しろが全滅状態になったこと,植付準備中の水田には塩水が流入または冠水しまして除塩作業に今後莫大な労費を要すること,また田畑ともその作付には時期的に一刻も猶予ができないときでもありますこと,また目下カキ養殖施設の仕込み中であり,種ガキめ確保難にあわせて当面の施策に万全を期さなければならないということが累積しております。また商工関係におきましても店舖,在庫の商品,あるいは製造加工品などの被害が莫大な額に上り,その他林業,畜産:教育,電話,鉄道等の諸施設,設備の甚大なる被害を見るに至りましたことはまことに遺憾しごくに存ずるのでございます。さらに痛恨にたえないことは死者55名を数えるに至りましたことでございまして,この痛ましくも水魔の犠姓になられました方々に対しましては深く弔意を表し御冥福を祈るものでございます。
県は被害激甚な大船渡市,陸前高田市,宮古市,釜石市,大槌町,山田町の4市2二町に対しまして直ちに災害救助法の適用を決定告示いたしまして,物資の調達,輸送に全力をあげた特第でございます。また緊急庁議の決定に基づきまして,被害状況の把握と出先機関及び市町村に対する指導協力の万全を期するために県内四方面に対して直ちに総合指導班を派遣した次第でございます。さらに自衛隊の緊急出動を要請いたしました結果岩手駐屯部除,仙台の船岡建設大隊,青森の衛生中除等から総数947名に及ぶ隊員の派遣を得まして,道路の清掃作業や応急復旧工事または防疫活動等にそれぞれ目ざましい御活動を続けていただいたのでございます。なおまた日本赤十字社,CAC,自衛隊等からの協力によりまして食糧,衣料等の救援物質を時期を失せず刻々現地に輸送することができましたことは不幸中の幸いであったと,それぞれの各方面のあたたかい御協力に対しましてただただ感激いたしておる次第でございます。以上のようにただいままでのところは市町村その他の関係機関の適切なる御措置と罹災地方の方々の涙ぐましい御努力とによりまして日1日と交通の状態も回復し安定と希望を取り戻しつつありますが,何分にもこの被害は甚大でありかつまた広範でもありますので,県や財政力その他いろいろと制約の多い関係市町村だけの力ではとうてい施策の万全徹底を期しがたいことは明らかなところでございますので,政府に対して強力な救援施策を要請する必要に迫まられ,またその内容の大部分は補助融資等について特別の立法措置に待たなければならないものでありまするので,ここに挙県一致応急,恒久両面にわたる対策に遺憾なきを期するために急遽,臨時県議会の開会をお願いいたした次第でございます。従って議案の内容も災害救助法に基づく救助費を中心とし,それに農林,水産,商工各分野にわたりまして各団体の積極的活動を助長しもって生産の再開と罹災民の生活の安定等に資せしめることに努めまして,つなぎ資金として関係機関に県の歳計金1億4千万円を預託することなど,当面緊急のものを計上いたした次第でございます。何とぞ慎重御審議を賜わりましてこの臨時県議会に寄せられる被災地の方々は申すに及ばず,広く一般県民の方々の御期待に浩い得るよう特にお願い申し上げまして,ごあいさつといたしたいと存じます。
なお被害の状況につきましては副知事以下から後刻詳細に報告いたさせますので,それに基づき御審議をお願いいたしたいと存ずる次第でございます。御了承のほどお願いいたします。(拍手)
災害報告
○議長(山崎権三君)次に津波による災害状況並びにこれに対する現在までとって来た復旧対策等について県当局より発言を求められておりますので,発言を許します。小川災害対策本部長。
〔災害対策本部長小川秀五郎君登壇〕
○災害対策本部長(小川秀五郎君)今度の津波の被害状況につきまして,私から御報告を申し上げます。
まず概況でございますが,今回の津波は南米チリ沖に発生した大地震に基づくものとされておりまして,チリ沖で地震がありましてから24時間足らずで本邦東海岸に到着し,三陸港岸にものすごい被害を与えるに至りましたとはこ従来の例になかつたことでございます。従って本県におきましては,洛岸内陸部を問わず,津波の襲来を前にした,ちようど昭和8年3月の大津波のときのような地震は全然感じなかったのであり,また津波警報も第1波襲来後に発せられている状況であります。ただ襲来時刻が朝時半前後でありましてすでに夜が明けておりましたこと,その際潮位の異常に気がついて自主的に混乱なしに待避行動ができた地区が多かったようでございます。また今度の津波はその様相が従前のものと著しく違っておったことにつきましては,すでに知事が申し述べた通りでございます。
その津波の結果,総罹災世帯数におきまして6,832世帯,罹災者の総数は35,279人,死者55人,行方不明6人,負傷者307人を出すに至りました。また物的被害の総金額は98億余円に達したのでございます。この内訳は全壊,流失,半壊等の住家,非住家の建物等の被害が27億2,900余万円,河川,海岸,道路,橋梁,港湾等の土木被害が9億1千余万円,農地,農業用施設,その他農:林畜産関係が9億2千余万円,漁港,養殖施設,漁船,漁具,生産物その他の水産裁害が21億余万円,商工鉱業等の被害は28億4千余万円,そのほか教育施設関係,公用及び公共施設関係,公営企業等施設関係等合わせまして総額98億余万円と相なったわけでございまして,この内訳の洋細はお手元に御配布いたしております資料に記載されてありますので省略さしていただきます。以上の被害は今までに判明いたしましたものでございます。
ただいま申し上げましたような各般にわたりまして甚大な被害をこうむりましたので,被災者の方々にはもとより,被災地市町村及び同議会,消防団初め各種団体等の方々の御心労,御労苦に対しましては衷心から御同情申し上げる衣第でございます。
県は災害発生の通報に接し事態の容易ならざるを察知しまして,当日午前6時に災害救助法に基づく災害救助除本部を厚生部長室に設けまして,小職本部長として対策に当った次第であります。また先刻知事からもあいさつがありましたように,緊急部長会議の決定に基づきまして沿岸四方面に対し総合指導班の編成派遣を決定し,9時半前後にジープに分乗させ出発せしめた次第でございます。
さらに被害状況の把握に努めた結果被害激甚な大船渡市,陸前高田市,釜石市,宮古市及び大槌町,山田町の4市2町に対し,午前ll時30分災害救助法の適用を決定告示いたしました。災害市町村におきましては,それぞれ避難所を設置し罹災者の収容こ努め,たき出し及び各種物資の配給,防疫,衛生等に万全の努力をいたしておる次第でございます。特に伝染病対策につきましては,県は衛生課長外係員を現地に滞在させて遺憾なきを期しておる次第でございます。
一方被害地区よりの要望もあり,知事より自衛隊の災害出動を要請いたしましたところ,先刻知事から申し上げましたような迅速な御協力を得られ,被害地の通信,交通の確保,応急復旧工事等に絶大なる威力を発揮していただいておるところであります。
また救援物資等の調達,輸送,配分等につきましても,万遺憾なきを期しておる次第でございますが,目下応急仮設住宅の建設について極力取り進めておる最中であります。
また医療救護につぎましては,災害発生と同時に救護の派遣について県医療局,日赤県支部及び国立盛岡療養所に対し要請の結果,14班,人員70名の医療救護班を被災各地に派遣することができた次第でございます。
なお県は自衛隊のヘリコプター2台を借り入れ,25日午前中,小職,衛生課長,農蚕課長補佐外写真班1名の一行が宮古市,以南陵前高田市に至る一帯を視察し,総務部長,世話課長,農蚕課長補佐,写真班1名の一行が宮古市,山田町を含む以北の沿岸一帯を空から視察したのでありますが,各種手段を通じて状況の把握に努め,県下の被害状況を相当詳細に把握することができましたので,直ちにこれを印刷し26日付をもちまして知事,議長連名の陳情書を作成し,とりあえず中央関係省庁及び公庫,公団等に配布,第1回の陳情を行ない,事態の容易ならざることを強調し,善処を要請して参った次第でございますが,さらにその後判明いたして参ります被害状況を加えまして内容を補正し,陳情事項も応急,恒久対策全般にわたり,伊勢湾台風に際してとられた国庫負担等の特例に準じた特別立法を要請するもの,右以外でもこの際立法措置を要するもの,予算措置または政府の方針決定により可能なもの等に分類整備し,被害の写真と被害地略図を入れて再度印刷いたしましたものをお手元に御配布申し上げておりますが,今後の陳情等につきましては,この被害状況の陳情書等をもちまして県議会の皆様のお力をもお借りいたしまして,あるいは協力して陳情事項の早期実現がはかられますよう配慮して参りたいと存じておる次第でございます。
以上被害状況とあわせてこれに対処して参りました緊急措置の概要につきまして御報告を申し上げた次第でございますが,何分よろしくお願いを申し上げます。
諸般の報告
○議長(山崎権三君)日程に入るに先だち諸般の報告をいたします。知事から議案等の送付がありますので,職員をして朗読いたさせます。
〔職員朗読〕
35庶第231号
昭和35年5月29日
岩手県知事阿部千一
岩手県議会議長山崎権三殿.
議案の送付について
5月30日招集の岩手県議会臨時会に提案する次の議案のほか予算説明書を別冊のとおり送付する。
議案第1号財政最建計画の変更に関し議決を求めることについて
議案第2号昭和35年度岩手県歳入歳出追加予算
議案第3号県立水産高等学校共同実習船兼指導船岩手丸の売却及び建造工事の請負契約の締結に
関し承認を求めることについて
〔別冊議案は会議録末尾に登載〕
〔別冊予算説明書は登載省略〕
○議長(山崎権三君)ただいま朗読いたしました議案等はそれぞれお手元に配布してありますので,御了承を願います。
次に発議案一件提出になっておりますので,職員をして則読いたさせます。
〔職員朗読〕
発議案第1号
津波による被害復旧対策について
右の意見(請願)書案を別紙のとおり会議規則第条の規定により提出します。
昭和和35年5月30日
提出者議員米谷貫二
賛成者議員小野寺十治
外10人
岩手県議会議長山崎権三殿
〔参照〕
津波による災害復旧対策について速急に万全の措置を講ぜられたい。
理由
南米チリの大地震に起因する今次24日早朝,太平洋を襲った津波被害の激甚を極めた本県は,平素の津波避難訓練にかかわらず,死亡・行方不明61人の犠姓者を出し,建物の被災6,700戸,罹災世帯6,800世帯,罹災者数35,300人を算し,船舶,漁具,定置網,かき等の水産養殖施設,更に港湾,道路橋梁,鉄道,通信等の公共施設,耕地等の流失欠壊等による被害総額98億円を超える大惨害を蒙り,人心ば極度に動揺し,被災住民の救護と復旧事業の実施は,民生安定上刻下の急務である。もとより被災地関係市町村はいうまでもなく,県は挙げて関係機関の協力をも得て,災害救助法を発動し,応急の措置に最善の努力を傾注しているのであるが,被害が広範にして甚大なるに鑑み,県のみの力をもってしては到底,これが対策の万全は期せられないので,政府並びに国会におかれては,各種施設復旧等に対する国庫負担,地方債,被災者等に対する資金融通と利子補給等についての特例措置について,特別措置法を制定するほか,特別措置法の制定をまたず,直ちに実施されたいこととして
1災害査定の緊急施行,施行年度率の引き上げ,関連事業の拡大,通信交通施設の早期回復等公共施設の復
旧整備を図り
2住宅復旧資金を初めとする各種資金の枠の拡大と手続きの簡素化,租税の減免と徴収猶予,国有林の払下げ等被災農林水産業者及び中小企業者,組合等への救済措置を図り,更に,
3公共事業資地方負担分及び単独事業資に対する全額起債充当,特別交付税の増額,交付つなぎ融資等地方財源措置を図る。
等の応急措置と,将来再び災害を繰り返すことのないような恒久対策について,速急にこれが方途を講ぜられるよう臨時県議会の決議により強く要望する。
右地方自治法第条第項の規定により意見書を提出する。
昭和35年5月31日
盛岡市内丸1番地
岩手県議会議長山崎権三
内閣総理大臣
農林大臣
通商産業大臣
建設大臣
厚生大臣
文部大臣殿
運輸大臣
大蔵大臣
自治庁長官
衆議院議長
参議院議長
○議長(山崎権三君)ただいま朗読いたしました発議案はお手元に配布してありますので御了承願います。
次に津波による災害復旧対策に関する請願,陳情9件を受理いたしましたので,請願,陳情,文書表をお手元に配布してあります。なお今後受理する同趣旨のものにつぎましては文書表をもって御通知いたしますので御了承願います。
〔請願陳情文書表は付録の議決目録参照〕
日程第1会議録署名議員決定の件
○議長(山崎権三君)これより本日の議事日程に入ります。
日程第1,会議録署名議員決定の件を議題といたします。
おはかりいたします。会議録署名議員は,先例により当職から指名いたしたいと思います。これに御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(山崎権三君)御異議なしと認め,畠益三君,米谷貫二君,小原正巳君,菊池伝助君を指名いたします。以上指名の通り決定することに御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(山崎権三君)御異議なしと認めます。よって署名議員はさよう決定いたしました。
日程第2会期決定の件
○議長(山崎権三君)次に日程第2,会期決定の件を議題といたします。
おはかりいたします。今期臨時会の会期は,本日1日間といたしたいと思います。これに御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(山崎権三君)御異議なしと認めます。よって会期は1日間と決定いたしました。
日程第3議案第1号財政再建計画の変更に関し議決を求めることについてから日程第6請願,陳情まで
○議長(山崎権三君)この際日程第3,議案第1号から日程第6請願,陳情までを一括議題といたします。
提出者の説明を求めます。吉岡総務部長。
〔総務部長吉岡誠君登壇〕
○総務部長(吉岡誠君〉提案いたしました各案件について御説明申し上げます。
議案の第1号は,過般の津波に際しての災害救助,伝染病予防及び諸般の応急対策の緊急施行に伴いまして昭和35年度分の財政再建計画額を変更するものでありまして,既計画に対しまして総額において2億4千300万円を増額しようとするものでございます。
議案の第2号は,昭和35年度一般会計の追加予算でありますが,これは議案第1号で申し上げました内容を持つ予算の追加でありまして災害救助,伝染病予防,道路橋梁等の応急工事,耕地の応急工事,農作物の種苗確保,農漁家及び商工業者のための緊急金融対策を主といたしまして,総額で2億4千2百53万2千2百円の増額であります。計上したおもなものを申し上げます。災害救助費5千5百80万円,河川等災害復旧事業費千6百万円,県単災害復旧事業費4百50万円,道路橋梁等災害応急対策費70万円,産業教育施設復旧費2百万円,伝染病予防対策費60万円,農作物種苗対策費補助2百万円,農地及び農業用施設復旧費補助千百10万円,災害応急農業金融準備積立金2千万円,災害応急中小企業金融準備積立金4千万円,災害応急漁業協同組合金融準備積立金8千万円等であります。一般財源の所要額は5千2百13万5千9百円でありまして,これには予算繰越に.伴う未収特定財源である支国庫出金及び起債の収入を充てるものであります。
議案の第3号は,先般の臨時県議会で議決をいただきました予算及び予算外義務負担の変更に基づきまして水産高等学校共同実習船兼指導船岩手丸の代船建造に緊急着手する必要があり,売却及び建造工事の請負契約を締結いたしましたので,議会の承認をお願いするものであります。
何とぞ御審議をいただきまして御賛成をいただきたいと思います。
○議長(山崎権三君)これより質疑に入るのでありますが,ただいまのところ通告はありません。質疑はありませんか。
〔「なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(山崎権三君)質疑なしと認め,質疑を終結いた
します。
ただいま議題となっております案件中,議案第3号は商工水産労働委員会に付託いたします。
次におはかりいたします。議案第1号及び議案第2号並びに災害復旧対策に関する請願,陳情については,51人の委員をもって構成する災害対策特別委員会を設置し,これに付託の上審査することにいたしたいと思います。これに御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(山崎権三君)御異議なしと認めます。よって議案第1号及び議案第2号並びに災害復旧対策に関する請願,陳情については,51人の委員をもって構成する災害対策特別委員会を設置し、これに付託の上審査することに決定いたしました。
おはかりいたします。ただいま設置されました災害対策特別委員会の委員の選任については,委員会条例第5条第1項の規定により議長を除く全議員を指名いたしたいと思います。これに御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(山崎権三君)御異議なしと認めます。よってただいま指名いたしました通り災害対策特別委員に選任することに決定いたしました。
災害対策特別委員会は,正副委員長互選のため本日直ちに当議場にこれを招集いたします。あらためて招集状を差し上げませんので御了承願います。
○議長(山崎権三君)本日の会議時間は議事の都合によりあらかじめこれを延長いたします。
○議長(山崎権三君)委員会審査のため暫時休憩いたします。
午後1時53分休憩
出席議員(47名)
1番菅原久七郎君3番清水善五郎君
4番福田嘉一郎君5番小野田十治君
6番山崎権三君8番藤村久喜君
9番新里善治君10番菊池隆一君
ll番畠益三君12番高橋清孝君
13番米谷貫二君14番白木沢純三君
15番鈴木八五平君16番下林孫市君
18番八重樫圭助君19番千葉一君
20番小泉一郎君21番遠藤保雄君
22番長尾仁平君23番梅津松夫君
24番五枚橋忠一君25番山本徴太郎君
26番高橋久次郎君27番香川嘉太郎君
28番栗沢勇治君番29番佐藤菊蔵君
30番大島常衣郎君31番佐川広君
32番石川勘吉君33番帷子康三君
35番岩持静麻君37番千葉胤次君
38番藤島弥助君39番佐藤秀一君
40番小保内岩吉君41番太田五郎助君
42番金子太右衛門君43番後藤力君
44番千葉良治君45番横沢栄四郎君
46番佐々木一夫君47番岩城惣一郎君
48番小原正巳君49番斎藤光市君
50番横田チヱ君51番伊藤久雄君
52番菊池伝助君
欠席議員(5名)
2番佐々木又次郎君7番小野田太作君
17番佐藤亦助君34番佐々木一郎君
36番加藤勝夫君
説明のため出席した者
休憩前に同じ
職務のため議場に出席した事務局職員
事務局長堀合吉郎
書記(議事課長)駒ケ嶺四郎
書記(議事課長補佐兼議事係長)田中重喜
書記(総務委員会担当)川村弘
書記(教育厚生委員会担当)工藤新一
書記(商工水産労働委員会担当)高橋忠
書記(農林委員会担当)豊川直
書記(土木委員会担当)長田光男
書記(技師)隅田ヨシ
(主事補)三浦清巳
午後4時11分再開
○議長(山崎権三君)休憩前に引き続き会議を開きます。
諸般の報告
○議長(山崎権三君)先ほどの本会議において設置いたしました災害対策特別委員長から委員長に白木沢純三君,副委員長に岩城惣一郎君がそれぞれ選任された旨報告がありました。
ただいま各委員長からそれぞれ審査報告書並びに災害対策特別委員長から継続審査等の申出書が提出になっておりますが,後刻詳細に報告を求めますので朗読を省略いたします。
〔審査報告書は付録の議決目録参照〕
○議長(山崎権三君)この際先ほど議題となっております各案件に関し委員長の報告を求めます。山本商工水産労働委員長。
〔商工水産労働委員長山本徳太郎君登壇〕(拍手)。
○商工水産労働委員長(山本徳太郎君)本日の本会議において当商工水産労働委員会に付託になりました議案第3号県水産高等学校共同実習船兼指導船岩手丸の売却及び建造工事の請負契約の締結に関し承認を求めることについてを慎重審査いたしました結果を御報告申し上げます。
本案は去る5月工9日の臨時議会において議決されました岩手丸の代船建造に要する財源及び経費の変更に伴いまして,今回同船の売却及び建造工事の請負契約を山西造船鉄工所と契約いたしたものでありまして,異議なく原案を承認することに決定いたしました。
以上はなはだ簡単でありますが,御報告を終わります。(拍手)
○議長(山崎権三君)次に白木沢災害対策特別姿員長。
〔災害対策特別姿員長白木沢純三君登壇〕(拍手)
○災害対策特別委員長(白木沢純三君)本日の本会議において今次津波災害に関係ある議案並びに請願陳情を審査するため設置された災害対策特別委員会は,本会議休憩とともに直ちに本議場で委員会を開き,正,副委員長の互選を行なった結果,委員長には不肖白木沢が,副委員長には岩城惣一郎君が互選されましたので,私から委員会における審査の経過及び結果について御報告申し上げたいと存じます。
まず議会から24日罹災地の見舞と状況調査のため急遽派遣された班の代表の方々からなまなましい現地の実態と切々たる罹災地の要望等の報告を聞いたのでありますが,罹災地の方々には衷心より御同情申し上げる次第でございます。
次いで直ちに付託案件の審査を行なったのであります。議案第1号財政再建計画の変更に関し議決を求めることについて,議案第2号昭和35年度岩手県歳入歳出追加予算について県当局から詳細なる説明を求めたのであります。今次津波による災害は世帯数において昭和8年のそれを上回る規模であり,従いましてこれが災害復旧のための応急措置及び恒久対策はその多くを国の措置に待たなければならないのでありますが,このたびの予算措置は国の措置方針がいまだ明示されない現段階においても県として当面緊急措置を要するべき漁業老,商工業者等に融資のため系統金融機関に対する預託金,その他警察,土木,教育,衛生,耕地等関係の応急対策費及び災害救助法に基づく救助費等について可能なる範囲において所要の予算措置を講じたもので,一般財源については予算繰り越しに伴う未収の国庫支出金及び起債をもって充当しております。
すなわち議案第1号はこれら予算措置に伴い財政再建計画を変更しようとするものであり,議案第2号はこれが追加予算であります。この審査に当たっては委員各位から1日も早く罹災災地の復興を祈念するとともに今後の予防対策等に関する活発なる発言があったのでありますが,その内容の詳細につきましては全議員各位が本委員会の委員でありますので省略さしていただきたいと思いますが,議案第1号及び議案第2号については,いずれも全員異議なく原案を可とすることに決定いたした次第であります。
次に請願,陳情について申し上げます。受理番号1,5月24日来襲のチリ津波による被害対策方について陳情,受理番号2,昭和35年5月24日津波災害復旧方について陳情,受理番号3,5,月24日の大津波による災害被害漁業者に繋資金の融資方について請願,受理番号4,津波による被害をうけた大船渡市に対し強力なる救助復興対策方について陳情,受理番号5,チリ地震津波による災害復旧援助方について請願,受理番号6,チリ沖地震津波の救援と復旧方について陳情,受理番一号7,チリ地震津波による災害対策について陳情,受理番号8,チリ地震津波による災害対策について陳情,受理番号9,チリ地震津波災害について陳情,以上9件の請願,陳情はいずれもすみやかに災害の復旧をはかるに必要なる措置を要望しているものでありまして,いずれも県当局に善処方を要望することとして採択いたしました。
なお今次災害による被害の規模と緊急復旧措置を要する実態にもかんがみまして,今後復旧対策に関する調査等並びに請願,陳情の審査等があると思われますので,このことにつきましては閉会中もなお継続することを議長に申し出ております。
以上をもって報告を終わります。(拍手)
○議長(山崎権三君)これよりただいまの委員長報告に対する質疑に入るのでありますが,ただいまのところ通告はありません。質疑ありませんか。
○24番(五枚橋忠一君)商水労委員長の報告に関連して総務部長でもよろしいし,商水労部長でもよろしいんですが,わからないのでお伺いいたします。
議決された予算が1億余万円,今度契約額が5千5百万円,それで契約書を見ると船が完成して正式に引き渡す,そのときが1億のうちの5千万円でございますから,あとの5千万円はおそらく船体以外だろう。
船体以外のものに対しましては発注はいろいろなことでしようが,そういう場合ですね,たとえば前の岩手丸の損傷の原因は電しよくであろうということでございます。そうすると電波を発する,送電するということが相変わらず行なわれるということでございまして,そういう施設,船体に対する責任はどこが持って契約されたのか。船体は船体,電気施設は電気施設だ,あるいはエソジンはエソジンだということで,総合して損傷は船体と電気設備とが一緒になって事故を起こしたという経過がございますので,その責任は総合的にどこで負うのか,どういう形で契約されたか。
〔総務部長吉岡誠君登壇〕
○総務部長(吉岡誠君)この契約の仕方はたとえば機関の部分については新潟鉄工で作ってもらう。あとの部分については他のところで作ることを請け負ってもらっておるのでありますが,このでき艤ました機関とか機敏を据え付ける総体的な,いわゆる礒装をやりましたことについては山西造船に責任を持ってもらうことになります。それから旧岩手丸を作りました場合には,そこまで非常に配慮されておらなかったようでありますが,今度の場合には船底に電しよくを避ける装置をすることになっております。
それから御質問の総括的にどこが責任を負うのかということになりますと,作りました機械そのものについては請け負いをしたそれぞれのメーカーが責任を持つのでありますが,装置をして船として完成してくるということについては山西造船が責任を持つことになります。
○24番(五枚橋忠一君)建造に使います資材ですね。鋼板と言いますか鉄板と言いますか,前の岩手丸の場合どっか局部に猛烈に品質の異なった部分があったと推定されるような形において事故が起きているということなそうでございます,専門家から聞くと。それ以外にそういう事故が起こり得ないということだそうであります。そういたしますと,今度使います資材についても相当厳重に船板を検査と申しますか,科学的な検査と申しますか,そういう必要が猛烈にあるのだろうと思うんですが,その点についてはどういう形で話し合いされたのか。
〔商工水産労働部長柏木宏二君登壇〕
○商工水産労働部長(柏木宏二君)新岩手丸の電しよく防止1.こついてどういうふうなことを考えているのかという御質問でありますが,ただいま総務部長からお答えいたしましたように,従来の船舶では電しよく防止のために亜鉛鉄板を十分に張りめぐらすということだけでやっておったのでございます。しかし最近の船におきましては先般の議会でも申し上げましたように,電気の使用量が非常に多いというような関係で電しよくを防止するために全部水セメントを船底に充填するという要領になっておりますので,今度新たに作ります岩手丸につきましても,その面は水セメントを充愼するということにいたしております。
なお使用いたします鋼材等の材質につきましては規格があるようでございますけれども,KS型とかいう最高の鋼材を使用するというふうな話し合いをして参っておるところでございます。
○議長(山崎権三君)これをもって委員長報告に対する質疑を終結いたします。
これより討論に入るのでありますが,ただいまのところ通告がありません。討論ありませんか。
〔「なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(山崎権三君)討論なしと認め,討論を終結いたします。
これより採決いたします。議案第1号から議案第3号まで並びに請願,陳情は,委員長の報告の通り決することに賛成の諸君の起立を求めます。
〔賛成者起立〕
○議長(山崎権三君)全員であります。よって各案件は委員長の報告通り決定いたしました。
日程第7委員会の閉会中の継続審査等の件
○議長(山崎権三君)次に日程第7,委員会の閉会中の継続審査等の件を議題といたします。
お諮りいたします。委員会の閉会中の継続審査等の件につきましては,先ほど災害対策特別委員長報告の中にありました通り申し出がありましたが,委員長報告の通り閉会中継続することに御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(山崎権三君)御異議なしと認めます。よって本件は委員長から申し出の通り閉会中継続することに決定いたしました。
日程第8発議案第1号津波による災害復旧対策について
○議長(山崎権三君)次に日程8,第発議案第1号津波による災害復旧対策についてを議題といたします。お諮りいたします。ただいま議題となっております発議案は各派共同提案でありますので,会議規則第34条第3項の規定及び先例により議事の順序を省略し直ちに採決いたしたいと思います。これに御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(山崎権三君)御異議なしと認めます。よってこれより採決いたします。
発議案第1号は原案の通り決することに賛成の諸君の起立を求めます。
〔賛成者起立〕
○議長(山崎権三君)起立全員であります。よって発議案第1号は原案の通り可決されました。
○議長(山崎権三君)鈴木八五平君から発言を求められておりますので,この際これを許します。鈴木八五平君。
〔番鈴木八五平君登壇〕(拍手)
○l5番(鈴木八五平君)はなはだ僣越ではございますが,罹災地関係議員を代表いたしまして一言謝辞を申し述べたいと思うわけでございます。
今次の災害に当たりましては,まず県当局こおきましては災害当日早朝急遽副知事以下関係部課長が到着されまして,直ちに適宜な御措置をとっていただいた次第でございます。すなわち先ほど御報告がありましたように,総合指導調査班を編成いたされまして,直ちに現地に派遣をいたし,それぞれ被害の実態の把握と調査並びに緊急な措置につぎまして万全の御努力をいただいた次第でございまして,この措置に対して罹災民は深く感謝をいたしておるのでございます。さらにまた一部通信の不可能な地域がありましたが,非常に実態の調査いわゆる災害の調査が困難であったにもかかわらず,県当局は日夜を分かたず努力をいたされまして,26日にこれらの調査がほぼ完了し,直ちに災害本部長小川副知事が上京をいたされまして,一応の措置をいたした経過がございますし,また本日急遽臨時県議会を招集いたされまして当面の措置について県議会におはかりをいただきました等々,私はこの県当局のとられましたこのたびの措置に対しまして深甚なる敬意を表してやまない次第でございます。
さらにまた県議会におきましても当日直ちに議会運営委員会を御招集いただきまして,これまた早速現地に調査慰問班を御派遣下されましてなまなましい実情を御調査賜わりましたことは,これひとえに皆様の適宜なるいわゆる御措置であると存じまして,深くお礼を申し上げる次第でございます。
なお本日の臨時県議会におきまする当面の県の措置に対する各案件に対しましては,特別委員会を構成せられまして満場一致をもって議決を賜わり,直ちにこれが執行に移されることにつきましても重ね重ね御礼を申し上げる次第でございます。
なおこの機会にこの壇上を通じまして県民の各位に厚く御礼を申し上げたいのでありますが,特に警官除等におきましては敏速なる活動をいたされ,また自衛隊等につきましても県の要請に基づきましてこれまた罹災民に深く感謝をもって迎えられておるのであります。また日赤あるいは電々公社,東北電力,各種の機関があげてこの災害の復興に御援助を賜わっておりますのみならず,非罹災民の方々は手持ち弁当で毎日御努力願っておりまして,ようやく取り片づけができたような状態にあるようでございまして,これまた厚く御礼を申し上げる次第でございます。なおまた罹災地に対しましては24日からすでに皆様のあたたかい御同情による救援物資,金品等が寄せられまして,罹災民もこれまた感謝をいたしておる衣第でございます。
罹災当日は自失荘然たる状態でございましたけれども,ここ両日の間皆様の深い御同情によりまして失望と落胆の中にも士気を鼓舞してこの廃墟の中から立ち上がろうといたしておる次第でございます。私も友人知己を失いまして,まのあたりその死体の捜索にあたりその死体を取り上げて参りましたが,私はこれらの尊い犠牲者の霊を慰めるにはすみやかにこの復興を急ぎ,さらにまた将来に向かって四たびこの惨禍を最小限度に終わらせるような措置こそがこの霊に報いるものであると思っておる衣第でございます。
何とぞ多難なる将来の復興に向かいまして県当局初め議員各位関係各位皆様の今後さらに絶大なる御協力を賜わらなければ相ならぬと存じますので,ひとえによろしくお願いを申し上げまして謝辞にかえる次第でございます。(拍手)
閉会
○議長(山崎権三君)以上をもって本日の日程を全部終了いたしました。
これをもって本日の会議を閉じ,第7回県議会臨時会を閉会いたします。(拍手)
午後4時36分閉会

8.災害警備活動

1.津波の知得状況
(1)県本部のとった措置
ア5月24日4時8分県本部超短波無線電話統制室に対し釜石警察署から「管内沿岸各地は3m前後の異常な引き潮となっているが,津波警報の発令あるいは津波情報の発表はないか」との照会があったので盛岡地方気象台に問い合わしたところ「異常はなく津波警報は出していない」との回答に接したのでその旨直ちに釜石警察署に連絡したがそのときは既に釜石警察署を初めとして沿岸各警察署のパトロールカーは相次いで出動し,引潮状況の確認避難警報発令の事実を確認した。
イ更に同4時35分前後沿岸各署から次々と津波襲来の報告を受信した。
ウそこで4時40分県本部警ら課員全員及び警備課員の一部を非常召集した。
(2)大船渡警察署のとった措置
ア5月24日3時55分頃管下高田警部派出所に対し部民から電話で「甚しく潮が引いており津波のおそれがある」との知らせをうけたが,同派出所から海岸までは約1,000m位距離があるので確認するいとまもなく本署に急報した。
イ同時刻頃前記のとおり隣接釜石警察署唐丹巡査駐在所からも同様の連絡をうけたので所轄大船渡警察署長は2つの情報からして津波のおそれが十分あるものと判断し
ウ同日4時5分パトロールカー大船渡移動を市内大船渡町港警部補派出所に急派し,避難警告広報を実施させるとともに各沿岸受持に対し状況調査の上避難警告するよう指示した。
工同日4時15分から25分までの10分間パトロールカー大船渡移動は大船度町危険地域住民に対し避難警告を行っていたが同30分頃津波襲来を本署に報告後通話が杜絶し更に同時刻頃管内の公電,警電も不通となったため所轄署長ば大災害と認め,同日4時30分頃全署員の非常召集を発令するとともに本署に災害警備本部を設置した。
2.災害発生前後における初動活動
(1)県本部の活動
前記のとおり5月24日4時40分警ら課員全員及び警備課員の一部を非常召集したが,
ア同日4時55分警ら課次席をして東北管区警察局(当直)に対し,本県沿岸に津波が襲来被害し発生しつつある旨の第1報を電話報告し,
イ同日5時県本部警ら課内に県災害警備対策本部を設置した。
一方沿岸各署からは続々と被害状況の報告を接受したので,大規模な津波災害が発生しているものと判断されるに至った。
ウ同日5時25分「弱い津波の警報」が盛岡地方気象台から発令されたが,前記のとおり各地において大被害が発生した後であったが,一応沿岸各署に対し警報伝達を行い,
工同日5時30分厚生部長に概況を報告した。
オ同時刻県幾動隊員及び県下各警察署に対し非常応援体制準備方を指示し,更に県本部員に対し7時30分までに登庁を命じた。
(2)大船渡警察署の状況
前記のとおり5月24日4時5分パトロールカー大船渡移動を市内大船渡町港警部補派出所に急派するとともに浩岸各受持に避難警告措置をとるよう指示したのであるが管内の避難誘導活動の状況は次のとおりである。
ア市内大船渡町に急行したパトロー々カー大船渡移動は同日4時15分から同25分までパトロールカーの拡声器及びサイレンを吹鳴し,危険地域に対し大船渡警察署長名をもって避難警告を実施したが同日4時30分前後津波接近を認め退避しようとしたが避難民のため意の如くならず辛じて比較的高い大船渡駅に退避したが,海水がボンネット部位(約lm位)に達したため同4時30分通信機能が障害となり通話不能となった。
イ同日4時15分頃から市内港警部補派出所佐藤巡査部長以下2名は所轄警察署長名をもって避難警告を発し,大船渡町須崎,茶屋前地区住民約450人を猪頭方面の高台に誘導したが,その際避難に遅れた茶屋前地区住民約100人位を港派出所2階及び附近家民の屋根に誘導,
ウ 同時刻頃港派出所第4区受持菅原巡は査所轄警察署長名で避難命令を発し同町砂子前住民約200人を鉄道線路及ば高台に誘導,
工同時刻頃市内末崎町受持小岩巡査は末崎消防団と連絡して避難命令を出し同団員と協力し細浦地区佳民約300人を山手方面に誘導,
オ同時刻頃市内赤崎町受持佐々木巡査は同町消防団と協力し,同町生形,山口地区住民約300人位を館の高台に誘導,
力 同時刻頃高田警部派出所長,矢崎警部以下3名は,最も危険な陸前高田市高田町松原地区雪話架設者3名に津波警戒方を連絡し,引続き備付ジープのサイレンを吹鳴して避難命令を発し,長砂地区住民約800人位を八坂神社裏の高台に誘導したが,津波によって自動車の運行ができなかったので,その高台にジープを乗り捨てその後徒歩で危険地区佳民を高田高校の裏山に誘導,
a 長砂地区は警察官の避難命令による
b 松原地区は消防団と警察官の打合せにより避難命令を出した
キ 同時刻頃,同市気仙町受持,山崎巡査は同町消防団と協力し,地区住民約350人を元役場後方高台に誘導,
ク 同時刻頃同市米崎町受持土岐巡査は同町脇の沢地区住民に避難命令を出しさ350人を米崎駅裏高台に誘導
ケ 同時刻頃同市広田町受持金野巡査は同町消防団と協力し泊地区住民約300人を田端神社の高台に導誘,
コ 同時刻頃同市小友町受持鈴木巡査は同町消防団と協力し三日市地区住民約200人を鉄道路線に誘導,サ 気仙郡三陸村綾里受持門馬巡査は地元消防団と協力し,港下地区住民約300人を綾里中学校に誘導,する等各地において津波襲来直前まで警察官独自の判断により,あるいは消防機関と協力の上家族を省みるいとまもなく身を挺して住民に対する避難警告措置を積極的に講じたのであるが,これら献身的努力にもかかわらず特に大船渡市大船渡町地区において51名という尊い犠牲者を出すの止むなきに至ったことは前述のとおり地震の伴わない無警告津波の奇襲などいろいろ原因があげられるのであるが,戦後急速に同町に移住した住民が多く従って昭和8年の三陸津波の惨状を体験した者が少かったため津波に対し楽観的な住民が多く,そのため避難警告にもかかわらず避難の時機を失したこと及び同市の都市計画に避難道路の着意なく,且つ市消防機関等の権限機関の操作するサイレンの設備もなく,従って避難信号の末端徹底を欠いたなどの諸要因が相重なった結果ではないかと認められている。
3.災害発生後における警備活動
沿岸各署は24日4時より4時30分の間に逐次警備本部を設置するとともに署員の非常召集を行い避難警告,誘導等人命救助活動を重点とした初動活動を積極的に展開したのであるが,被害発生後におげる現場活動は第一段階として人命救助,行方不明者の捜索,漂流物横領事犯の防止,被災地交通取締等の外,交通案内をはじめ,行方不明者,死者の氏名の掲示等の広報,パトμ一ルの強化等の措置をとり,全力をあげて治安を維持し,民心の安定,生命身体財産の保護活動に従事した。
その後,津波被害の調査を開始し,その結果を関係各方面に連絡するとともに,復興資材救援物資,復旧応援者の輸送の確保のため貨物自動車定員外乗車,超過積載許可方針の特例の設定,災害救助隊の優先通行の確保等の措置を講ずるとともに,火災,盗難の防止,漂流物の横領,暴利取締夜間警らの強化等によって治安維持活動を継続実施した。
26日に至り,災害警備初動活動段階が一段落をつけたので同日午後から第二段階活動として,自衛除,消防団,奉仕除の活動にかかわらず,跡片付けのおくれている老人寡婦家庭,死傷者を出している家庭無縁故者家庭等の生活資財産の保全のために警察本来の活動と併行して,警備警察官を1組2〜3名に編成し,昼間活動の重点として活動させた外,復興活動の動脈である道路啓開作業能率増進のための交通制限措置,道路に搬出する汚物類の整理による交通の円滑化等を積極的に実施した。6月2・3日頃に至り,被災地全般的には一応第二段階活動を終ぞくしてよいものと判断される状況になったので6月4日から第三段階活動として本格的な復旧作業に伴う資材の緊急輸送の円滑化等を図ることを狙いとし,交通取締の強化を重点に活動を続行中である。なお被災地において活動した最盛時の警察職員1日の動員数は,
所轄署員244名
応援警察職員280名
計524名
に達し,県警察官定員の約半数が第一線において活動したが,警察官等出動状況は次表のとおりである。

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警察官出勤状況
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警備部隊の応援派遺状況(大船渡警察管内)

第7節現況と問題点

1.災害救助法発動の現況と問題点

当市に災害救助法が発動されたのは,24日午前ll時30分であった。
このときには,既に対策本部を設け,市職員が実際的救援活動に入っていたのであるが,予想以上の大災害のため適切且つ,迅速的業務処理が軌道に乗るまでには相当の時日を必要とした。
災害対策の基本は,適確的被害状況の調査把握に在り,市職員が調査地区を分担して調査にあたったのであるが,準備された調査用紙が催かに200部に過ぎなく,緊急を要するため,調査内容を充分に理解しないまま調査にあたり,且つ,罹災者の避難先が不則のため,予期した調査の成果を得られぬまま,取敢ず県に対し第一報を入れ,急拠,簡易な調査用紙ユ,500枚を印刷して,25日に再調査の上,徹夜で調査を継続し,26日午前6時に至り,被害報告の第2報を入れることができたのである。
然し,第2報の内容においても,調査の脱漏等,不備の点が多く,遂次これを補正してゆく方針のもとに,引続き調査を実施し,正度の高度化につとめ,第3報を27日,第4報を31日に夫々県対策第本部に報告したのであるが,この間における最終的誤差は,1割程であった。これ等報告に基く予算の内示額は次のとおりであった。
避難所設置費20,196円
炊出し食品給与額961,600円
被服,寝具,日用品費2,304,162円
学用品給与費845,640円
埋葬費106,000円
輸送費30,000円
人夫賃10,000円
計4,267,598円
然し31日の報告でさらに罹災者が増加したので,再び予算が配分され,被服寝具日用品費に3,017,598円が追加されて合計において7,245,196円となったのである。したがってこの範囲内で,更に購入計画が樹てられ,配分計画が樹てられたのであるが,何分にも現行の災害救助法に定める配分基準額が僅少のため,罹災者には到底満足な救助はできるわけはなかった。
参考までにその基準を示すと次のとおりである。
全壊,流失者1人〜円3,170
半壊者
2人〜3,850円
3人〜5,540円
1人〜1,050円
2人〜1,230円
3人〜1,390円
以上のように人員の割合で増加はされているが,全く催少といわざるを得ない額であったのである。この配分計画の作成ば,予算内示とともにはじめられたが,被害調査の不備が大きな支障となって思うように進捗しなかったのである。さらに事務の繁雑もさることながら,従事職員の絶対的不足は,作業員の交替を余儀なくせしめ,計画どおり作業の捗を望み得なかったのであるが,幸い隣接市町村職員の応援を得て比較的早期に作業を軌道にのせることができたのである。
その他,これらの災害初期における救助活動の立遅れを安全に挽回してくれたものは,市民の全面的な協力はもとより,他都市及び社会団体等広範囲にわたる救援によって食糧,衣料その他生活必需品が早期に確保できたことによるもので,この際特筆すべきことである。
以上の現況から,次のような問題点が指摘されよう。
1)災害救助法発動の基本となる罹災調査に必要な調査カードは,予め大災害を想定して,何時でも使用できる体勢に準備保管することが必要である。
2)救助の迅速を期する罹災調査が速やかに且つ正確におこなわれる組織体勢と訓練が必要である。
3)平素から業界と協議して非常時における集荷対策並びに,物価安定と必需物資の確保を図ることが必要である。
4)現行災害救助法は,事務が非常に繁雑であるため,今回のような大災害にあたっては,法に基く救助を実施する迄に,は長期の時日を必要とする。したがって事務の合理化によって救助の迅速且つ適正が期されるような措置が望ましい。
5)現在災害救助法による給付対象の拡大と,さらに給付限額の引上げが特に要望される。
6)罹災証明はすべての面にわたり基礎となり,罹災証明事務の適正且つ迅速な処理にについて検討する必要がある。したがってこの場合地区民組織の協力を得られる体勢必要です。
7)災害時には自発的に炊出しをする好ましい習慣があるが,更に有機的な炊出しの体勢が望ましい。諸物資の配給について市民の全面的な協力が必要であるので協力体勢の確立が必要である。
8)災害時における隣接市町村との援助協定を締結し,一体的な救助態勢の確立が必要である。

2.避難の現況と問題点

三陸地方は地理的条件から過去幾多の津波に多大の人的物的被害を受けているが,明治29年と昭和8年の大津波によって大きな被害を受けたところは今次のチリ地震津波では被害が少く,迎に過去の津波で被害のなかった所謂安全地帯と目されていたところが大被害を蒙っている。
東向き湾口800m,南北6k,東西1kの深い入江の大船渡湾では,津波がジクザクのコースをたどり,湾口附近で最高を示す波高も,奥に進むにしたがって低くなり力も衰え,湾奥部では殆ど被害がなかったのであるが,今次の津波は湾奥部の,即ち従前から津波の安全地帯とされていた市の中心商業市街地においても最も高い水位を示している。
これを昭和8年の津波と比較すると,今回最も被害の大きかった大船渡町では,昭和8年には,わずかに2.4皿の波高であったが,今回は実に5.2mを示している。又,大船渡町同様の波高を記録し,被害も大kiかった中赤崎地区でも,昭和8年には2.8mに過ぎない。これに反し昭和8年に4m乃至51mの波高があり,大被害を受けた地域は,今回は2m程度の水高であり,被害も殆どなかったのである。
死亡者においても,昭和8年における141名の犠姓者の殆どが湾口に近い地域に発生しているのに対し,今回の53名は全部,最も安全と見られていた地域において死亡している。
このことは,今次チリ地震津波は,過去における津波とは,その来襲形態を全く異にしたものであることを示す事例であろう。
避難の問題については,災害の最も激甚であった大船渡町及び中赤崎地区についても,その避難の様相が異っているので,以下これを両地区に分けて「何が被害を大きくしたか」について簡記することにより,自ら問題点等も抽出可能と思考される.
(A)大船渡地区
(イ)前例,経験,予想を越えた津波であった。
(ロ)本地区は,昭和16年の大火後都市区画整理がなされ,以来,急速に発展した街であり,従って転入者が多く,津波の経験の無いものが多かった。
(ハ)気象関係庁からの事前警報が全くなく,住民は判断に因惑し,且つ避難時期を逸した。
(二)一応安全地帯と見られていた地区であり,毎年行われる津波避難訓練は,極めて消極的であったが,この地帯こそ最大の波高をみた。
(ホ)市役所及び市消防本部は災害地の海岸より3kの遠隔地である盛町にあり,当直員が津波来襲の危険を察知することができず,為に避難命令及びこれに関連する措置は,地元消防団の判断により個々に発令する結果となった。
(へ)本地区は,(二)の項で述べた如く,いわば新開地的な商業地域であり,したがって夜間営業が多く,平常朝の起床が遅い。
(ト)津波来襲警報として,先ず魚市場のサイレンが吹鳴され,続いて小野田セメントのサイレンと各地区の消防分団のサイレンが吹鳴されたが,火災と誤認し,又は第一吹鳴の魚市場サイレンを,魚類水揚のサイレンと誤認し避難をしなかった。
(チ)サイレンの吹鳴は,近火信号と津波避難信号とが同一の,3秒吹鳴し2秒中断の連続吹鳴であり,又,火災出動と,応援出動及び津波警報の信号が同一(5秒吹鳴,6秒中断の連続)であり,その判断がむつかしく,住民が困惑した。
又サイレンに「余いん防止装置」がなく,完全に区切って吹鳴することが困難である。
(リ)消防車その他に拡声装置がなく,津波来襲の情報を報知でぎなかった。
(ヌ〉台町以北は,街の背後が鉄道であり,高台に通ずる避難道路がなく,又赤沢地区では,避難のためには,一たん鉄道に登り,更に又低い田畑に下り,次に高台に避難するというコースをたどるため,避難がむつかしく,多くの犠牲者を出している。
(B)中赤崎地区
(イ)家屋その他の被害の割合に犠姓者が少く,人的被害を最少限度に止めている。
(ロ)本地区は,比較的原往者が多く,昭和8年及び明治29年の三陸津波の経験者が多数にあった。
(ハ)かき養殖業を主体としている関係上,午前3時半頃には海岸に出ていた人々により津波の来襲が予知され周知された。
(二)消防車(第2部)に拡声装置があったため,地区内を数回にわたり巡廻しながら波波の来襲を周知徹底せしめた。
(ホ)以上の好条件に恵まれた反面,昭和8年の経験のみに依存した結果,緩慢な引潮と来襲を甘く判断し,少くとも県道以東では,必需品等の搬出が時間的に可能であったにもかかわらず,これらがなされなかった。
以上を総体的検討すると次のとおりである。
(a)自動津波警報機が必要である。
(b)消防車には拡声装置が必要である。
(c)要所には電池による拡声機の装置を要する。
(d)避難道路,避難場所の整備と,これに関連する訓練の必要がある。
(e)火災と,津波と,その他災害の警報は,一般に判明し易く改正区分すると共に,サイレンは余いん防止装置が必要である。

3.救護の現況と問題点

災害救助法にもとつく,県知事を除長とする単位の災害救助除の下部組織として,市は市長を隊長とする支隊を組織し,災害救助除長の指揮のもとに,非常災害時における救援及び緊急措置を講ずることになっているが,遺憾ながら,大船渡市においては,その組織が確立されてないままに今次災害をこうむったのである。
(1)災害対策本部の設置について
市では災害発生と同時に,24日午前4時40分市役所に災害対策本部を設置し,職員の非常呼集を行ったが,通信が杜絶し,且つ被害が予想される大船渡,赤崎,末崎地区の職員の出動が期待できず,結局日頃市,立根,猪川,盛地区の職員をしてとりさえず救助隊を編成したが,男子職員のうち24名が消防団員となっている関係上,これ等職員が消防に出動したこと等により,当初60名程度の職員により編成したのである。
午前4時50分大船渡地区へ4名,赤崎地区へ3名,末崎地区へ1名の先発隊を派遣して,被害の状況を調査せしむるとともに,市役所の位置は,災害現地と遠く,状況の把握と,適切な対策業務の遂行には極めて不便であり,主要連絡所を大船渡小学校に設置し,市長がこれに駐留し,赤崎地区は漁業協同組合支所を連絡所とし,水道課長を派遣し,夫々救援活動に入った。
然しながら,大船渡連絡所に市長が駐留することが,全ての連絡が市役所に来る関係から,業務の統制上不利不便が多く,且つ従事職員の数を2分する不合理点が多いので,大船渡連絡所を農協に移し,市長を本部位置に招請し,救護体勢の一体化を図った。
その後,消防防部の了解を得て,市役所職員の消防団員を対策本部に吸収し,罹災職員の招集を発令して,本部体勢の強化を図り,業務の進捗との調整を図り,その都度重点的に人員配置をなし,6月3日,災害復興事務局の誕生まで救援業務の遂行に当った。一方,連絡所は前述の如く,大船渡町に1ケ所,中赤崎に1ケ所を設置したのであるが,大船渡連絡所の場合は,評価員外数名の市職員を常駐せしめて,主として罹災者の相談に応じ,諸連絡の業務を担当したのである。
又,中赤崎連絡所は,市職員を2〜3名常駐せしめ,契約会,消防団,各行政連絡員等が自主的に参集し,終始中赤崎地区における救援活動を主宰したのであり,この地区は最も理想的な救援組織をもって円滑な業務遂行を全うし得たのである。
(問題点)
(A)救助除組織が確立していなかった。
冒頭述べたとおり,災害救助法にもとずく災害救助隊の組織が確立されていなく,したがってこれに基く訓練が積まれていなかった。
(B)市職員が消防職員を兼任しているものが多く,これに出動する関係上今次の如き大災害時において人員が不足し,市の対策業務の遂行上支障が多い。
(C)救助隊の編成に当っては,罹災職員等の出動が望まれないので,この点を計数に入れて編成すべきである。
(D)大船渡町の場合は,連絡所の組織が弱体であった。
これは,中赤崎の場合とは反対に,地域の下部組織の協力が不充分であったことと,駐在職員が他町出身の職員が大多分のため,地域の実情に精通していなかったことによる。
(E)対策本部の要員不足のため,一般業務に忙殺され,正確な記録をとることができず,その後の整理に支障を来した。
(F)通信が杜絶しているため,連絡は,自転車,自動車を使用したが,車輌不足のため長時間を要した。軽車輌の備え付けと,職員の使用訓練の必要がある。
又無線機の備付が望まれる。
(G)当初大船渡連絡所に市長が駐留したため,指揮連絡に一時的ではあるが混乱を生じた。
(H)本部における首脳部が現地の実状が把握不十分のため,指揮命令が時宜を得ず,現地の救援活動に混乱を生じた場面があった。
(1)広報活動が不十分であった。広報施設の整備と組織の確立が望まれる。
(J)災害発生時における県よりの発現地派遣隊は強力な組織が必要であり,県の各出先機関を総宰し得ることが望ましい。

4.県との連絡について

午前4時45分,電話が不通のため,東北電力株式会社専用電話をもって災害状況の第1報を県知事に報告し,災害助法の発動を要請した。
午前6時被害状況が判明して来るにともない,職員を佳田町に派遣して佳田町役場より第2報を入れ,被害状況として,家屋流失!,000戸,浸水2,000戸,死者行方不明100人,負傷者300人を報告するとともに,自衛隊の出動と,防疫班の派遣を要請し,且つ,職員2名を県庁に派遣して,災害救助法の発動と,自衛除の派遣,防疫の対策等について詳細連絡せしめた。
(問題点)
1.災害発生時における県に対する通報連絡方法並びに体形について予め協議確立しておくべぎである

5食料対策について

災害発生により食糧事情の混乱は必至の状態であり,対策本部に食料係を設置し,これを県南米雑穀協同組合.に設けた「食糧対策本部」に駐在せしめてその処理にあたった。
5月24日における食糧の在庫は,下表のとおりであ.る。
以上の数字は普通消費量なれば,大船渡市及び三陸村の約2ケ月分の消費量であり充分な数量である。
これ等玄米を収納してある倉庫が,津波の浸水区域内にあったのであるが,幸いにも,倉庫の構造が完全なため,日通倉庫の玄米164俵が被害を受けたにすぎず,愁眉を開いたのである。
米穀の配給にあたっては,
1.炊出米用,2.避難民用,3.一般消費用,の優先順位を決め,市は之に対する支払保証をするとともに配給切符を作成し配給を開始した。
米協では,その所有玄米466俵を精米するためには,電力が必要であり,その復旧には,東北電力大船渡営業所が全力を揚げてこれに従事した結果,24日夕刻には復旧が成り,作業員を倍増し徹夜で,操業を続け,又,25日には陸前高田市,高田町で精米した60k入86俵を世田米経由で廻送し配給した。26日には米協の手持玄米は搗精完了し,且つ,配給をも終了したので,以後の分については政府米を払下げて充当したのである。
これ等の食糧を配給するルートは,被災地の小売店(配給所)は殆んと機能を失っており,且つ,通信,交通とも杜絶しており,又,小売店手持の商品は浸水で用をなさなく,資金面も潤沢ではなかったので次の方法により配給措置を執った。
1)炊出用,一般罹災者用は市において支払保証し,炊出用は必要量を,一般罹災者用は罹災者1人につき2kgの特配切符をもって行政連絡員を通じ交付,配給した。
2)小売店(配給所)の経理は,米協直営とした。
3)小売店の復旧促進のため米協では,助成措置をとり
且つ,借入金等の便宜を与え,小売店の主的機能の育成の手段を講じた。
以上の手段方法により,25日,26日は最も繁雑を極めたが,約1週間にして,これ等の機能が軌道に乗り,その後1カ月にして米協直営の配給を小売店に移し本来の配給ルートに復旧したのである。
炊出しについては,罹災をまぬがれた日頃市,立根,猪川,盛地区の婦人会,行政連絡員がこれにあたることとし,これに要する米,費用等については後日調整することとして直ちに実質業務に入った。がその他の地域からも自主的な炊出しが続けられ,大船渡町に対しては車輌でこれを運搬したが,赤崎地区への輸送については,交通杜絶のため,人背によりこれを運搬し,各罹災者に配分した。
これに要した米穀は,ll,141kgである。
なお,副食の需給については,野菜は盛岡青果市場に,漁類太洋産業KKの手持分を割安に供給する等の手配をし物価の高騰を防止した。
以上の応急対策において反省されることは,
1)米協首脳部以下,全従業員が連日連夜,一丸となって奮斗を続け,適切な配給態勢を確立し,食糧需給については罹災者に何等の不安を与えなかった。
2)政府所有米が豊富で,且つ,これを収納して在った倉庫が完全のため浸水をまぬがれた。
3)政府所有米の払下げにあたって,食糧事務当局は特別扱いとして敏速に払下げを実施した。
4)小売店の罹災により,切符及び台帳等が流失した結果,罹災者への切符の再交付に時日を要し,然も,避難先が不明のため,処理が繁雑を極めた。

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食糧の在庫
6.飲料水対策について

飲料水については,水道が全線にわたり断水し,地域の井戸が取水不可能となったため,差し当りこれ等の井戸水の使用を厳禁するとともに,大船渡地区の場合は農協より清水,番茶等を輸送した。また,気仙酒造株式会社より給水車2台と新沼信平商店より1台,計3台の協力を得て時聞を制定し,給水を行うとともに,水道復旧により要所に共用栓を設置して給水につとめた。
又,赤崎地区においては,罹災地最寄の井戸3コを指定して給水を行うとともに,他の井戸水の使用は全面的に禁止し,大船渡地区同様,給水車をフルに使用し.時間給水を継続したのである。
その後,25日自衛隊衛生除の到着により,浄水セット2基を生形地区に1基を大船渡地区に設置し,午後3時頃よりこれによる給水が開始され,6月2日,水道復旧成るまで時間給水したのである。
(問題点)
(A)浄水セットの常備が必要であり,県において大型1基と,各保健所単位に小型1基の常設を考慮すべきである。
小型の場合は,交通杜絶時においても搬入可能のものが望ましい。
(B)予め要所の井戸水を検査し,災害時における給水井戸の指定をしておく必要がある。
防疫対策について
防疫については,対策本部衛生係と大船渡保健所がこれを主宰して業務の遂行をなした。
特に薬剤撤布にあたっては,盛高校生の応援を得てその徹底を期すことができたのである。

7.防疫対策

赤崎小学校を除き各避難所は市の上水道水を供給,赤崎は給水車により6月2日まで供給,以後水道を利用した。便所応急仮設なし。
内訳大船渡町7名
疑似症4名
真症3名
赤崎町6名
保菌者2名
疑似症3名
真症1名
計13名
注入手方法
石灰は市の農協より入手その他の薬品類は薬店より購入,不足分については盛岡及び気仙沼の薬局より速やかに入手輸送した。
撒布器については市内の農協より24台応援,新購入6台,自衛隊三兼機2台,半自動肩掛15台をもってこれにあてたのである。
※愛市の能力と動員態制
市の機構は保健課に衛生が属し,専任の衛生係は3名で保健課員の応援15名出動,その他盛高校生,消防団員1日平均50名の応援を得た。後自衛除青森第九衛生中除野毛三等陸尉以下30名及び東京三宿鮮とん部除第301予防衛生中除安保一等陸尉以下20名応援,大船渡保健所員10名がこれに合流した。
☆昆虫駆除の地域指定と代執行
災害後直ちに法16条の2による浸水地域の昆虫駆除の指定を受け5月31日から6月3日まで実施した。
☆防疫計画
(1)検病調査班5月25日6月4日3ケ班
(2)消毒班5,月25日6月27日10ケ班
5月28日30日3ケ班
第九衛生中隊5,月26日31日4ケ班
第301予防衛生中隊6月3日3ケ班
(3)昆虫駆除
第九衛生中除3ケ班
第301予防衛生中除6,月4日3ケ班
(4)日別実施計画は次のとおり。
一方,気仙郡医師会では,5月25日,次のチラシを配
布し,また,保健所,市は国様のポスター等を掲示して防疫の徹底を期したのである。
この結果,伝染病の発生が例年同時期の平均を下廻る,真性4名,疑似症7名,保菌者2名のみに止まり,防疫業務の成果を遺憾なく発揮したのである。
(問題点)
(A)機動力が不足し,連絡が不充分であった。
(B)検病戸々調査をするための人員が少なかった。
(C)薬剤撒布にあたり,自衛隊と応援者である高校生の出動時間に差があり,時間的に不経済の面があった。
(D)防疫班と,救護班の連絡がとりにくかった。

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災害防疫状況
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集団避難所
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伝染病発生状況5月24日〜6月6日
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薬剤器材の使用状況
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市役所手持量(薬剤)
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市役所手椿器材
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日別実施計画表
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掲示していた内容
8.遺体収容・医療・集団避難所

(A)遺体処置
救助関係業務の遂行の主眼を,遺体収容と負傷者,発病者の応急治療の二点にしぼり,遺体収容には引潮後,消防団及び遺族の手に委ね,気仙病院,大船渡警察署及び市対策本部衛生係は主としてその処置にあたった。
遺体収容場所は,大船渡町西光寺とし,引取明瞭者は遺族に引渡し,盛,大船渡の両火葬場で茶眦に附した。
斯くして,行方不明1名を残して一応その捜索を打切つたが,6月下旬に至り,市消防団,大船渡分団員動を得て2日間の捜索を行ったのであるが,終に発見するに至らなかつた。
(B)医療措置
傷病者の医療については,県立気仙病院長が中心となり業務の遂行を行うこととし,医師会がこれに協力,その体勢を確立した。病院長は災害発生するや,直ちに被災地を視察の上,医療班5ケ班を編成し業務に入った。
その後,日本赤十字,自衛除,NHK,日本共産党等の医療班が到着,医療を開始し,軽い疾患はその場で治療し,重い傷病者は気仙病院に収容入院せしめたのである。
(問題点)
(A)医療救護班の統制機関について
医療救護については,一応気仙病院長が中心となってこれにあたったのであるが,その権限分野が明確でなかったため,他機関の医療班の合理的な配置等ができず,大船渡町のみに偏重した配置となった。
(B)医療救護班設置について
大船渡町台ケ丘保育園に開設した医療班は,災害地より離れ,高台のため,罹災者の利用に不便であった。
(C)カルテの引継ぎ等について
一つの医療班が引き揚げ,他の医療班と交替する場合,カルテの記入が不備のため,後任医療班がその措置に困惑した。
(D)薬剤について
破傷風の薬剤及び酸素が欠亡した。
(C)集団避難所
災害対策本部は、羅災者のうち,さしあたり住居のないものを収容するため,大船渡町に4カ所,赤崎町に1カ所の集団避難所を設置,被災世帯を収容した。
これ等収容世帯については,毛布,布団等を備え,これを貸与し,赤崎地区を除き,市の上水道より水を供給し,赤崎地区は,給水車により6月2日まで供給を続けるとともに,衛生,防疫に留意した。
また,斯かる災害時においては,とかく他に依存し勝ちな被災者の気風をいましめ,自立復興の気がまえを醸生するため,特に世帯数及び人員その避難数の多い,大船渡小学校及び赤崎小学校の2避難所は,自治運営とし,発生する諸問題の解決は,全てこれによって解決せしむるとともに,共同炊事により災害時には特に顕著になりがちな生活の格差をなくすことに努めた。
対策本部においては,大船渡小学校避難所に職員2名を常駐せしめ,これらの助言,育成と,全ての相談に当らしめた。
このようにして日時が経過するにしたがい逐次住所が確定,夫々避難所より徹去して行き,7月3日相前後して各避難所を閉鎖したのである。
(問題点)
(A)遺難所には小中学校の場合は屋内体育館をこれに充当したのであるが,災害生後約1カ月半,学校教育に支障を来した。
(B)自治組織をもって運営したのであるが,避難所の出入が繁く,リーダーが変るため運営の円滑を欠いた。
(C)盗難に類するトラブルが多かった。
(D)対策本部の指揮系統が判然としないため,諸連の絡円滑を欠いた。
(E)救援物資の配給状況が世帯相互で比較されやすく,これによるトラブルが若干あった。
(F)学校給食施設が利用できたため,共同炊事の運営が成功した。
(G)共同炊事の結果,物資の重点的配給がなされた。

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遺体処置の状況
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1.県立気仙病院収護班(開業医を含む)
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2.日赤救護班
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3.自衛隊救護班
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4.日本共産党医療班
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5.NHK医療班
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6.総活表
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集団避難所の収容状況
9.じんあい汚物処理対策について

じんあい及び汚物処理は,消防団,自衛除が主体となり,これに他市町村の応援消防団,一般作業隊が加わり,これにあたった。
消防本部では4時37分天神山サイレンをもって団員の非常招集を行い,現場に行したのであるが,盛高校前まで襲来して来た津波の様相に,盛町が危険視され,一旦状況を判断の上災害状況現場に急行し,本部を大船渡町県南米協前に設置,赤崎地区は赤崎分団第ご部が主体となり,赤崎漁協支所に設置し救援業務に入った。
消防活動の重点を人命救助に指向し,当初の目標負傷者の救出,死体収容におぎその後は宮衛除及び他市町村消防団,一般作業除とともに交通網杜絶の原因となっている路面に散積されている廃材,塵芥の運搬処理にあたった。
以下消防本部の記録に基き順を追って記述する。
以上により,第一次応急作業を一時打切ったのであるが,約一週間おいて6月7日より6月9日迄更に自衛除の来市応援により第二次作業を,又6月l0日よりll日迄,第三次作業を実施し,6月1日をもって組織的救援作業を終止したのであろ。
(結果の反省)
人名救助,死体収容はじめ,塵芥,汚物の処理は,市消防団が自衛隊,一般応援隊,他市町村よりの応援消防団等とともに終始これにあたったのであるが,総体的にみて,これ等の業務が極めて順調に取り運ばれたのである。
これは,業務遂行の主体となった自衛隊と,市消防団の連絡がと非常に密接に行われ,相協調して,その措置が万全に取り行われたことに基因している。
又,他市町村並に市内一般の応援隊が,田植の時期にもかかわらず連日応援出動し,又被災者のうちでも,床上浸水の者も,25日から出動応援した結果等によるところが直接の原因であり,このような一体的な協調態勢が確立された間接的な原因は,自衛除の誠意あふるる積極的な活動と,隊員一人一人の態度が極めて紳士的で,市民に感銘の念をいだかせたことであり,自衛隊各位に対し深甚なる謝意を表したい。

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消防本部の記録-1
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消防本部の記録-2
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消防本部の記録-3
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消防本部の記録-4
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消防本部の記録-5
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消防本部の記録-6
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消防本部の記録-7
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救援作業概況総括表
10.救援物資附義捐金対策こついて

(救援物資)
災害発生すろや,市内の罹災を免れた地域に対してとりあえず衣類の供出を勧奨し,これを避難所に運搬配分した。5月25日からは,全国各地より続々と救援物資が搬入されたのである。
これ等の搬入は,国鉄大船渡線,高田一大船渡間が不通のため,高田駅より国鉄トラックにより,又,鉄道復旧後は直接盛駅まで鉄道輸送された。
救援物資受配の態勢は,盛町浄願寺を集債地とし,対策本部の救援物資係20名と婦人会30名が連日これの処理にあたった。
各被災地における罹災者への配給は,当該地区の行政連絡員があたり,大船渡町の場合は,これに市職員1名つつを配置したが,その後配給業務が軌道に乗るにしたがい,逐次市職員を引揚げたのである。
赤崎町の場合は,一時連絡所に集積の上,各行政区毎に分類配給し,直接被災者への配給は行政連絡員があたった。
両地区ともこうして配給機構が軌道に乗るにしたがい,行政連絡員を中心とした罹災者の合議制をとり,配給の適正を期した。
一旦集積された救援物資は,市婦人団体連合協議会の方々の応援を求め,これを種類別,程度別に分類し,罹災程度による係数を基準として,大船渡町に対しては,各行政区単位に,赤崎,末崎町に対しては連絡所に一括送致したのである。
これ等全国各地から寄せられた救援物資の一つ一つには,暖かい同情と激励のまこころがこもったものであり,罹災者は終始,感謝,感激をもっておしいただいたのである。
特に,昨年の伊勢港台風の被災地からおくられた物資には,その苦しかった経験が泌み出ており,衣類の中に収めてあった児童,生徒等の激励の手紙には,従事係員もしばし感涙にむせぶことが多々あったのである。
このような物資が日を経るにしたがって,その量を増し,6月中旬を最高とし,9月上旬まで続けられた。
この間市婦連の方々が連日物資の区分のため奉仕されたこと,集積所を提供し,各般にわたり快よい便宜協力を惜しまなかった浄願寺の行為は特筆に価するものがある。
(問題点)
(A)被災者に対する直接配給は,当該地区行政連絡員があたったのであるが,行政連絡員が被災した場合が多く,災害対策本部職員がある期間これにあたらざるを得なく,本部の人員不足になやんだ。
(B)当初各個人の被災実態調査が適確でないため実情に合致せず,各物資の配給に支障を来たした。
(C)今回の経験からして,若し当市から他に救援物資等を送る場合は次の点を考慮すべきである。
(イ)梱包はなるべく小さくし,最大炭俵程度とし,重量は15kg位に止めること。(容積の大きなもの,重量の大なるもの等は取扱に不便である。)
(ロ)梱包には内容を明示した札をつけること。
(ハ)衣料品は洗濯し,糊付け,アイロン等をほどこし,破損カ所は修復すること。
(二)梱包の内容物は一旦消毒し,ナイロソ等で包み,湿気を防ぐ包装が必要である。
(義損金)
津波罹災者に対する義掲金は,救援物資同様全国各地よりおくられ,その総額は29,463,677円に達しこれ以外に小中学校生徒を対象に指定して来た見舞金或はその他弔慰金は1,162,545円がある。
これら義揖金は一旦,市会計課において出納し配分委員会の議を経て,全壊,流失,半壊,床上浸水,床下浸水の被害程度により次の基準により3回にわたって配分した。
以上の基準により第一回は3,135,800円,第二回4,151,910円,第三回9,216,200円,計16,503,910円を配分している。
義掲金の総額は前述のとおり29,463,677円で,第三回までの計を差引いた残12,959,767円は第四回の配分金として目下計算中である。(10月15日現在)第四回の配分は最終会となるため,第一回より三回に至る間の不合理な点を検討し,総体的に均衡をとる意図のもとに,慎重な作業が進められている。

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救援物資受配集計表(救助法によるものを除く)
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食料品関係
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義掲金の配分基準
11.失業対策について

チリ地震津波の災害発生により,失業者の増加の現象は殆んど見受けられなかった。これは復旧事業の繁雑の中にかくれ顕著に表面化しなかったことにも原因があると考えられる。
むしろ失業対策としては,養殖施設等の流失被災により.現金収入が杜絶した漁民の救済事業を起す必要性が切迫して来た。そこで赤崎町後の入に失業対策事業として,林道開設工事を計画した。これは延長625m,巾員3.6mで,災害復興資材を伐採搬出する目的をも加味されたものである。この事業は,6月23日に着工,一日平均30人が出役し,9月末日現在で延2,074人延長350mが完成され,目下事業継続中である。
今後共,今次災害のため,失業者が増加する要素が全くなく,これについてとり立てて対策を講ずる必要がないものと考えられる。

12.治安対策について

県機動隊第1次応援派遣警察官の服装を水害時の経験等から,すべて出動服としたが,津波と水害現場の様泪が異っており,出動服でなくとも警ら活動上は支障なく,この服装は,夜間活動においては,警察官たることが認識されがたく,被害当目である5月24日夜は,不眠不休のパトロ一ルを実施したにもかかわらず,パトロール効果は相当減殺され適切と認められなかったので,パトロール警察官全員白地に「警察」と黒書した腕章と同様票示した提灯を携行させてパトロール効果を高め民心の安定を図った。
イ 交通規制取締活動
a 5月24日より同31日までの間,大船渡市内2ケ所の2級国道(仙台〜八戸線)の障害物撤去作業を推進するため迂廻路を設定し44名の警察官を配置して交通の円滑を期した。
b 5月24日より同26日までの間陸前高田市内1ケ所の2級国道(仙台〜八戸線)の障害物撤去作業を推進するため迂廻路を設定し毎日8名の警察官を配置して交通の円滑を図った。
c 5月24日より同31日までの間,大船渡市内十字路等18ケ所に毎日1ケ所2名づつ警察官を配置し,交通規制及び指導取締を実施したが,以後道路の復旧等に従い配置箇所人員を漸減しつつある。
d 5月24日より6月1日までの間陸前高田市内9ケ所に毎日1ケ所2名づつ警察官を配置し,交通規制及び指導取締を実施したが,以後復旧作業の進捗に伴ない配置箇所人員を漸減しつつある。
e この外,白パイ3台により大船渡市大船渡町〜盛町間の取締を実施した。
f 5月24日から,6月8日までの間に被災地で発生した交通事故は僅か2件に止っている。
ウ 行方不明者の捜索活動
行方不明者の救助捜索は地もと消防団及び警備船さんりくと協力して連日活動を続けたが,5月24日は管内行方不明53人中救助されたものは1人もなく42遺体を発見収容
5月25日4遺体を発見収容
6月1日1遺体を発見収容
6月4日1遺体を発見収容
6月5日1遺体を発見収容
した結果,管内の行方不明者は4名を残すのみとなった。
エ 広報活動
被災直後の混乱に加え,被災翌日の25日夜から26日にかけて2度3度と報道されるチリ地震余波に伴う津波情報や流言蜚語のため,被災者は不安におののき警察に情報の真偽を間合せる者が多く,あるいは,行方不明の捜索状況をたずねる等,警察の情報に期待する部民の要望に応えるため,パトロールカーによる広報ビラ掲示等被災直後から積極的に広報活動を実施したが,その状況は次のとおりである。
オ 捜査,鑑識活動
津波被災特有の標流物横領事件の捜査を中心に内偵捜査を続けたが,この種犯罪の届出は1件もなく,5月24日から6月8日までの間に被災地において発生した犯罪は,自転車盗2件,倉庫荒し1件,傷害罪1件の計4件で,うち傷害罪は検挙している。
鑑識活動は,被災状況写真の撮影が活溌に行われた。
なお,死亡者はすべて地域住民であったため,身許不明者として取扱いの対象となった死体はなかった。
力 防犯活動
防犯活動は一般犯罪の防止,特に被災地における暴利取締りに重点を指向して活動が行われたが,野菜類が一時4・5割日用品が5分程度値上りしたのみで,暴騰の傾向は現在までのところ認められず,また特別法犯の発生もなかった。
キ 困りごとの相談所の設置
被災住民の民心安定と便宜を図るため臨時に「困りごと相談所」を5月31日から6月2日まで被災地5ケ所に設置し,1ケ所毎に2〜3名の警察官を配置して相談に応じ,好評を得たが,取扱った主な内容は次のとおりである。
○避難者の問い合せ40件
○漂流物の発見届8件
○遺失物届5件
○被災状況について14件
○交通関係について20件
○自動車運転免許試験について7件
ク 被災者の財産保全活動(お手伝い活動)
第二段階警備活動の重点とした老人,寡婦家庭等に対するお手伝い活動は5月27日から5月31日までの間警察官延86名を動員し,激甚地,大船渡市大船渡町,
茶屋前地区,新沼由吉外14世帯
同町台町地区,翁祖利外12世帯
を対象に実施したが,この縁の下の力持的警察活動は被災者から広く好評を得た。この結果,交通事故及び見るべき事件の発生もなく,治安対策は成功を収めたと言えよう。

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広報活動を実施した状況

第3章復旧対策の状況と問題点

第1節土木関係

公共土木関係の被害が,他の被害と比較し少なかったことは今回の災害の特異性でる。これは大船渡における公共施設が他の地方と比して少なかったことと,施設は近代技術により合理的に施行されており,且つ津波の勢が急激に襲来したものではなく,除々に水量を増して来たことに基因するものと考えられる。
然しながら,公共施設の被害総額76,684千円(市関係)は市の財政規模から見て決して少いものでなく,これが復興には今後相当の苦難が予想される。

1.道路

国道及び県道の被害が少く赤崎町地内に県道の欠潰カ所3カ所被害額,3,820千円である。市道については大船渡町及び末崎町内は被害がなく,赤崎町内に6カ所,延長1,398mが目立つ程度である。
末崎町の場合は,総体的に被審が僅少で比較の対象にならないが,大船渡町の街路は大多分舖装されていたため被害をまぬかれたものである。
赤崎町の場合は,舖装されていなく,且つ,全般的に一般地盤より2〜3m程度高くなっていた関係上波の抵抗が強かったための被害である。その反面,これ等道路により,波の勢を或る程度喰い止め,住家等の被害を減少せしめた効能は特筆の価値があり,将来の道路の改修に当っては充分考慮すべき問題の一つであろう。これ等の被害カ所は取敢ず応急復旧工作を行い交通路の確保をなしこれによる支障は極めて少いものであった。また今回の津波災害によりバイパス線の有無は応急対策及び復興対策業務の遂行の上に明暗二面の範例を残している。
即ち,大船渡町の被害激甚地である浜町以北の国道,八戸一仙台線は平常圭要幹線道路として交通の動脈的存在であったが,流失倒潰家屋,流木等が一面に山積し,これの復旧には相当の時日を要したのであるが,幸いにも,大船渡小学校前より盛町茂山にぬける都市街路,笹崎一田茂山線が開通して在ったため,これを全面的に利用することにより,全ての救護活動が円滑順調に遂行できたのである。
反面,赤崎町の場合は,大船渡町より赤崎を結ぶ盛川川口線の振興橋30mと川口橋158mが流失し,盛町より綾里を結ぶ県道,盛一綾里線が唯一の連絡線であるが,これまた赤崎町字佐野以南が不通となったため,救護隊の輸送,食糧,救援物資の運搬並に復興対策業務に著しく支障を来す結果を招来した。
これ等の事例は,前期の道路の津波等に対する防災上の使命を兼ね備えることと共にバイパス線の必要性を如実に証明している。
次に区画街路の問題であるが,大船渡町は区画整理が完了して居たため別段の支障は見受けられなかったが,鉄道が町の中心を南北に縦断しているため街路計画が理想的に樹立出来なかった関係上概して街路の巾員が狭駐のため応急作業に支障を来した。一方中赤崎地区は,住宅が密集し,これに反し,区画整理がなされず,道路が少く且つ狭隘のため避難を困難ならしめると共に,その応急対策事業の推進に著しい支障を来す原因となった。したがって,幹線道路の新設,改修に当っては,巾員を可久的広くするとともに,区画整理の施行と,区画街路の設計については防災上の考察を充分に加えて実施す
べきである。

2.橋梁

橋梁の流失は,川口橋158m(木橋),振興橋30m(コソクリート橋脚)下八坂僑20m(木橋)と大立橋の4橋で,うち,川口橋,振興橋は,大船渡一赤崎を結ぶ主要幹線道路盛川川口線に架設されている重要な橋梁である。
これ等の橋梁が流失したことにより,当然に盛川上流の佐野橋,中井橋の利用が重要性を増大して来たのであるが,佐野橋においては昭和17年に建設した木造の老朽橋にして,今回の津波により橋脚が洗われ傾倒したため車馬の交通止めの措置をとったものである。また佐野橋の上流に架設してある中井橋は盛町市役所通りより赤崎町中井を結ぶ市道上に在り,昭和33年度に新市建設事業として永久橋に架設したものであるが,前後の取付道路が不備のため,車馬の交通が制約され,その性能を満度に発揮されていない。したがって大船渡町と赤崎町及び三陸村綾里方面を結ぶ路線は,盛町権現堂橋を経て,猪川町を経由する約6k余を迂回することによって連絡を保っている。
一方,川口橋の復旧については,盛川川口線の路線変更と共に,永久橋に架設する計画のもとに,取敢ず木造の仮橋をもって交通の確保を企図したが,橋の性格上,早急に架設開通が必要とされたにもかかわらず被災後3カ月にしてようやくその完成を見たことは,各般にわたる応急対策業務が比較的頓調に遂行きれた中で反省を要する一つである。その要因は架設に必要な木材を国有林よりの払下げに依存した関係上,その手続き等の関係で予想外の時日を要したためであり斯かる緊急を要する場合の資材供給を国有林に依存することは,今後十分考慮を要すべき事項であると共に,国有林野は災害に対応する備蓄林分を保存育成し,災害時は地元営林署長に絶対的権限を与え弾力ある国有林行政を推進するよう改革の必要がある。また橋梁は,災害時においては被害を受けやすい架設物であり,交通の動脈的要素をもっている関係上,単に川口橋の流失に対する仮橋架設のみにとらわれることなく,大船渡,赤崎を分断する盛川に架設してある橋梁全般についての交通確保の対策を考慮すべきであったことが反省せられるものであり,水道工作に於て川口橋に併設して在った給水管が流失したため自営隊によって応急的に布設したのであるが,この際仮橋をもこれに附随して施行すべきであった。また,木造の橋梁は,単にその橋の流失による被害に止まらず,流失した橋梁用材が家屋に突き当り被害を増大させた事例を考慮するとき,永久橋に架替することが急務の一つである。

第2節港湾関係

1.港湾

昭和34年6月ll日,大船渡湾が重要港湾に指定を受け,これに併行し,臨海工業都市の港湾としての立地整備を実施中であり,総合的な港湾整備が未完のうちに今回の災害を受け,完成部分については,その被害は催少であり,部分的に工事未済の部位に被害を受けている。その被害カ所は25カ所,被害額33,759千円である。このことは,近代技術による港湾整篇事業が,総合的に完成した場合は,これに対する災害破害を最少限度に喰い止め得ることを証明している。
然しながら,港湾整備事業に於ける諸施設は,海底浚渫の土砂を埋立したカ所に設置する場合が多いため,海水の浸入により,これ等土砂の流失により建設物の倒壊が見受けられる。特に護岸施設については,これに接続する背後の舖装等が,埋立土砂上になされるため,土砂流失に伴い,背後の舗装が陥没し,更に護岸施設そのものが倒壊し,被害を受けた例が多い。したがって護岸背後の関連工事は充分に調査研究の上施設すべきである。このように被害を受けた一つは,現在大船渡魚市場で使用中の県営岸壁で約40mの矢板倒伏のため漁船の接岸不可能となり,盛漁期を控え,市民経済に及ぼす影響が大なるものがあり,仮桟橋の架設を計画し,大船渡営林署より資材の払下げを受け,7月下旬,その竣功を見ている。
この場合の資材の払下げについては,国有林野の経営計画の関係上,大船渡営林署長の権限内で払下げがでぎ,申講してから僅か一週間以内の短時日で引渡を得たことは橋梁用材その他の払下げの状況と比較して対照的であり,極めて順調に進捗した応急対策業務の一つである。

2.漁港

大船渡市の漁港は,第三種大船渡漁港と,第一種,蛸浦漁港,長崎漁港,泊里漁港,門の浜漁港の四漁港がある。
第三種大船渡漁港は,昭和30年度より,漁港修策事業を継続施行中のところであるが,今回のチリ地震津波においてはほとんど被害がなかった。
第一種,長崎漁港は施設そのものの被害はなかったが,流失土砂により海底が埋積されたため,1,538m^3の浚渫について農林省の査定を受け工事費1,533千円をもって復旧事業を施行することになっている。
蛸浦漁港については,護岸の欠潰21.3mの被害を受け,これも長崎漁港同様,査定を了て,総工事費978千円で復旧する計画になっている。
泊里漁港及び門の浜漁港については,昭和8年の三陸洛岸の大津波には決定的被害を受けたのであるが,今回の津波災害においては,ほとんど被害を受けなかった。
然しながら,現在の漁港修築事業は部分的な施行であり,漁港区域の一部に護岸施設をすることにより,他の面の被害を増大する場合が多分にあり総合的な漁港修築事業を実施する必要がある。
漁港護岸は,コソクリート護岸はほとんど被害が見られず,練積石垣,空積石垣,においてはその被害は大であった。特に埋立地における室積石垣護岸における被害はまことに大なるものがあり,今後この種護岸の築造は原則的にコンクリート護岸とし,被害を予想されないカ所において練積石垣を行う場合においても,裏込工は充分留意し,盛土流失による倒潰を防止する様施行すべきである。

3.海岸保全

今回の津波災害の特徴は湾の最奥部に特に甚大なる(重点的に〉被害をもたらしたもので,海岸保全施設の防災上の効果を判定する資料はないが,施設すべき場所と,用地が解決さえすれば,船舶,流木等を防止し,波勢を弱める意味から,防汐林等の施設の有効なことは言をまたないところである。然しながら,臨海工業都市としての性格は,湾口より奥に入るにしたがって,これ等の施設整備を許さない現況にある。
現在市内における海岸保全施設は,赤崎町合足,末崎町門の浜の2カ所に県営の防汐林が在り,今回の津波の被害が殆んとない地域であるが日常生活においては勿論,今同の津波の防災上にも,大いなる成果を収めている。これ等の海岸保全施設は,単に防災上の対象とすることなく,日常市民生活と,魚付その他経済効果を多角形的に考察の上,計画的な施策を樹立,推進すべきである。
また,海岸護岸施設については,概して見るべき施設がなく,背後地の被害を増大したが,襲来する津波を直接受け止め,そのエネルギーを弱少化するこれ等海岸施設は総合的な都市開発の構想のもとに築造計画を樹立しこれが実現を急ぐべきである。

第3節農地関係

1.耕地

耕地の被害は,水田52.h72,畑15.h02,合計67.h74であり,被害戸数,509戸である。水田については,田植直前であり,精神的にも大きな打撃を受けたのである。市としては,出来る限り田植の実施を期すべく,近隣各市町村に種苗の応援を求め,三陸村4,900把,江刺市6,150把,陸前高田市5,500把及び市内日頃市町5,900,立根町550,猪川町350,その他,1,020把の苗を取得,これを大船渡町400,末崎町9,090,赤崎町8,830盛町7,050把を配分,極力水田植付の実現を期した結果,約5hの植付が完了したのである。
今回災害を受けた水田中,盛川右岸,II14号線以南約7hは,昭和34年にその隣接地7.4hを買収し,浚攫土砂をもって埋立し,工場敷地の造成中のところ,今回の災害により,その土砂が流入し,域はガラス,釘,板片等多数が埋浸してあるため,これの復旧は極めて容易でなく,此の地域は工場用地として計画されてあるので,此の際県に於て買収し,工場用地の造成を図ることが双方得策であるとの観点から,県に強く要望して在るところである。
これと合せ,盛川左岸の小野田セメソトKKにおいて用地買収した残約2hも,同様県に要請してあるが,何れも県当局において検討を約している。然しながら,従来の用地買収においては,買収価格等が問題になり,円滑な進行を欠くが如き例があり,今回の場合は災害という特別事態でもあり県及び地空共々大局的見地に立って決定すべきである。
また,これ等被災作物に対する農業共済については,被災後作付し収穫皆無のものに対しての共済金は100%交付され,植付不能のものに対しては50%が交付されることになっているが,収穫皆無が予想される被災耕地であっても,植栽するよう指導した町村もあると聞いているが市としては,植付しても収穫が期待できない水田に対して,単に共済金の受給のみを対象として植栽するが如きことは,不経済極まりないことであり,これについては敢えて植栽を推奨しなかったわけである。
共済金の交付については,植栽不能のものに対し,仮払として70%(反当見込7,300円×0,5×0,7=2,555円)を給付して在り,現地評価は9月下旬実施の予定になっている。(35年7月現在)
然しながら,農林省のこれに対する助成等の関係により実際の交付は,明年2〜3月になる見込である。
斯かる災害害に対する農業共済に関する問題点として次の事項が揚げられる。
A 農業共済は,農作物に対する保険制度であり,農地は対象となっていない。これは作物と土地の関連性を無視したものであり,これを関連せしめて,災害融資と,共済制度を同一制度の中で取扱うべきである。
B 今回の災害により作付不能となった水田等に対しても,共済金を100%交付すべきである。これは,農業の基盤は,耕地である点からして,零細農民のおかれている経済状況を充分に斟酌して,共済金を対象とした収穫を期待し得ない作付を敢えて実施するような愚をさけべきである。

2.農道

農道については,今同の津波災害においては直接の被害がないが,ただ災害時におげる救援活動において,大船渡農道及び佐野農道の果した役割は非常に大きい。これ等の農道は,避難時における家財家具の運搬とバイパス線の性格を発揮し,業務遂行に余すところなく利用されたのである。今後における農道の新設改修にあたっては唯単に農地との関連性のみにとらわれることなく,将来の都市構想上の土地利用計画との関連を考察の上総合的視野のもとに計画推進すべきである。
また,暴風雨による農林道の被害の大半は暗渠,測講等の排水施設が不備のため生ずる被害である実情であり,此の点技術的にも充分検討の上施工すべきである。

3.水路

津波災害における水路の被害は,盛川両岸の水田地帯にあるものと,中赤崎地区がその大多分であり,盛川右岸は,盛町より都市水路事業として改修中のものがあり,これは海面との標高差が僅少であることに加え津波による流失土砂等により埋浸し,排水を停滞せしめた。

また,盛川左岸地区の水路については,岩手開発鉄道の小野田セメント引込線構築により耕地が両断され,要所は,暗渠等により排水の連絡を保って在ったところであるが,これ等の施設が泥土等により閉鎖され長期間の滞水を余儀なくされた。
中赤崎地区の水路についても,これと類似した現象を呈し,特に県道を横断する暗渠は口径が小さく,日常の出水に於てもその呑吐能力が不足していたところ,今次災害により,土砂,木片等により閉鎖され,耕地は勿論住宅地が水滞し,その復旧に著しい支障を来した。
一般水路については,埋浸した土砂等を除去することにより,容易に排水能力を復活せしむることが可能であるが,道路,鉄道等の曙渠の場合は復旧が難かしく,これ等は早急に口径の大なるものに改修する必要がある。

第4節水産関係

1.養殖事業

市の養殖事業の主たる,かき養殖2,450台中,2,434台が被害を蒙り,のり養殖1,970張のうち,2,273張が被災している。
かき養殖事業は,潰滅的打撃を受けたのであるが,のり養殖事業は45%程度の被害に止り,これは,盛漁期は既に終了し,施設の徹収中であったため被害を半数に止めたものである。
かき養殖事業については,津波襲来時は例年なれば80%程度の収穫が終了し,残の20%位は,罐詰用の鮮かきとして出荷中である時期であったが,本年は1万屯岸壁の築造に伴う海底浚渫のため,その汚水が湾内に流失したため,かきの生育が非常に悪く,その60%は今秋の収穫に繰り廻さざるを得ない状況に在ったため,養殖事業者としては,最も期待をかけていた重要な時期に被災し,被害を増大ならしめたのである。
これ等養殖事業施設については,この種の災害に対応する決定的防災対策はなく,問題は,その復旧の如何に在ると考えられる。今回の場合は,養殖筏,及ぴ浮樽等の資材を確保すべく直ちに大船渡営林署に対し国有林材の払下げを申請し,浮樽材520石(2,097個分)長木21,375本を確保すべく,関係漁業協同組合と共に運動を押し進めたところであるが,川口橋の仮橋材同様,青森営林局の払下げ方針の確定に時日を要したため7月下旬において,第一次払下分として長木,浮樽材、8,365本,2,855石の払下が決定した。これ等資材のうち,5,539本は市長名で払下げ契約をしたため,代金の支払については6カ月間の延納が認られている。
また,政府は,水産業施設の災害復旧の特別措置法をもって,水産動植物の養殖施設に対する助成措置を講じ,復旧事業費が3万円以上のものの事業費のうち10分の9の範囲内で助成することになっている。
然しながら,これら施設の災害査定は,災害後3カ月の8月下旬に実施され,果して実情に即した査定が可能であったが否かに疑問がもたれるとともに,実質的助成が遅延する原因ともなり,一考を要する問題である。
8月下旬における復旧状況は,赤崎漁協は65%,大船渡,末崎両漁協は45〜50%程度である。
かき種,縄,コールタール等の資材については,各漁業協同組合において夫々手配斡旋し,復旧の満全を期した。又流失筏その他の回収については地元船舶,及び,三陸村等の動力船の応援を求めると共に,赤崎漁協などでは組合員を動貝し,共同作業を10日間も続け施設の復旧に努め,そのテンポを早からしめた。このことは,共同作業の成果を如実に示したものであり,今後の災害復旧に対し良い示唆を与えたものと考えられる。
また,市の工業都市の立地整備事業の進展にともない,湾内養殖事業の転廃業の問題も台頭して来ている今日,これについて真剣に検討を加え,計面的に推進する方策を樹立すべきである。

2.漁船,漁具

当時,市内の漁船保有総数は1,324隻であり,内無動力船は1,ll5隻であった。津波により災害を受けた漁船は,無動力船で250隻,動力船43隻であり,うち,滅失,大破,中破は,無動力船で250隻,動力船は43隻である。これ等の被害は,零細漁民が,そのほとんどを占める当市の漁業に大きな打撃を与えられたのである。これは日常の漁業は勿論,年間の生計費に大きな影響のある若布の解禁を目前に控え,且つ,漁船の築造に用する船材は製材の上,徹底的な乾燥を必要とする関係上ll月から解禁される飽採取の出漁をも危ぶまれている。
これに対し,市においては,各漁業協同組合と共に,大船渡営林署に船舶用材の払下げを中請し,陸前高田市矢作町枡内国有林より121本536石の払下げを得て伐採搬出中であり,なお第二次分として,同国有林からの69本の追加払下げが決定してある。市においては,漁業振興の一還として,無動船の動力化を推奨して来ているが,漁船の復旧建造にあたっては,漁業協同組合は此の機会に動力船の建造を推進すべきである。(35年10月現在)政府は,小型漁船の建造に関する特別措置法により,無動力船及び5屯以下の動力船に対し,漁業協1司組合が建造する場含は,3分の2を下らない率によって補助があることになっており,7月に査定が終っている。
漁具被害の主なものは,定置18力統,その他19件で融額47,518千円に及んでおり,定置の場合は盗漁期を控えその打撃は大きかったが,反面その復旧を早め全てが操業している。これ等に対し天災の融資暫定措置法の一部改正法により,漁具の購入資金の場合は1,000万円,かき養殖施設は50万円,その他の漁業経営に必要な資金の場合は20万円を限度とする措置をとっている。

3.水産施設

水産施設については新農事業により一応整備が備ったところであったが今回の津波により水産用建物の被害は赤崎,大船渡両町会合せて217陳,共同利用施設は赤崎15棟,大船渡39棟で末崎町に於ける被害が皆無であったことは,チリ地震津波の特質を物語っている。これ等の水産施設は,何れも海岸に建設されて在るため被害の増大を見たのであるが,特に護岸工事が施行されず簡単な杭などにより埋立地を保護して在ったカ所とか或は貝殼等によって埋立たカ所等,識岸と地盤の弱体なカ所に建設した施設は,何れも決定的な被害を蒙った。
これ等の復旧作業は,住宅とか,或は養殖施設の復旧がその緊泡度からして,第一義的に取上げられた関係と吏に,水産業施設の災害復旧の特別措置法による,農林水産業施設災害復旧事業費国庫負補功の暫定措置に関する法律の特例の適用により,共同利用施設の復旧事業がその対象となる関係上,被災の現況により査定を受けることになっているが,未だに査定がなされず,かき処理の盛期を目前こして,その復1日に着手できない状況におかれている。(9月10日現在)
このような政府関係機関の災害現地の実情を無視した取扱については,如何に法的に規定された助成事業であっても,現地に適応した実施手段を講ぜざる限り画餅に等しいものであり,災害時に連日の如く来市した政府機関の現地調査も,何れだけ適確に実情の把握をしたのか厳に反省検討の必要がある。

第5節住宅関係

仕宅関係の被害は,大船渡町及び赤崎町に限られ,末崎町の場合は,床上浸水90,床下浸水48である。
大船渡町の場合は永井沢以南は末崎町同様床上浸水及び床下浸水程度で,それ以上の被害がなく,浜町より赤沢に至る所謂,繁華街が潰滅的被害を受け,全壊212,流失189,半壊568,浸水94である。この地域の被害が非常に大きかった理由を考察すると,凡そ次の項目に分れるものと考えられる。
A,チリ地震津波の特徴は,波長が非常に長く,湾口より奥に至るにしたがって,波高が高くなり,その勢が増大した。
B,これ等の地域は,区画整理事業により家屋の移転がなされ,基礎が完全でなく,且つ基礎と家屋の土台がアンカーボールトにより締結されていなかった。
C,区画整理により土盛された敷地が多く,津波の波長が長かったため滞水時間が長く,したがって,敷地の危弱化が増進された。
D,木造家屋が多く,然も老朽化した建物が多数を占めていた。
E,漂流船舶及び流木の衝突による被害が多い。
F,1万屯岸壁及び,その背後の公共用地周辺の護岸が図らずも導水堤的な役割を呈し,台町,赤状地区の被害を増大せしめた。
G,家屋が密集していたため1戸の倒壊流失は連鎖的に他の家屋に被害を与えてた。
以上が被害を増大せしめた要因として見受けられるが,家屋の建築形態の面から検討を加えて見ると
A,木造モルタル建築は被害が少い。
B,ブロック,鉄筋コンクリート建は浸水程度に止まり家屋の被害が殆んとなかった。
C,基礎が堅固で,アンカーボールトを使用している家屋の被害は僅少に止まっている。
D,コンクリート製の電柱等が近くにあった家屋は大きな被害を受けていない。但し木製の場合は,倒伏・折損により流失し,かえって被害を増大せしめている。
E,二階建の家屋は,二階が浸水しなかったため,災害後の居住が容易であり,復旧を早めている。
F,正四辺形の建物は被害が少く,凹凸のある複雑な家屋だけ被害が大きい。
G,直接壁が露出している部分は非常に弱体である。
H,床板が柱その他に固く締結されてある家堅は,その浮力により建物の流失,倒壊を助長せしめている。
1.敷地が盛土の場合は被害が大きい。
赤崎町の場合は,被害は中赤崎地区が最も激甚で,永浜以南は浸水程度に止まり,佐野地区に若干の浸水家屋を見ている。中赤崎地区の被害を大ならしめた原因については,大船渡地区の場合と大同小異であるが,特に相異する部面は次のとおりである。
A,小野田セメント東側突端と,赤崎農業協同組合背後の台地の中間が平担地となって東に深く湾入し,この地域に住宅が密集していたため,津波がこの地域に集中して来た。
B,昭和8年の三陸津波直後,県道,盛一綾里線は当時の津波の波高を対象として新設したのであるが,今回の津波の場合はこれを越えて背後の低い住宅地帯に浸入滞水し,被害を大きくした。
C,家屋は一般に老朽化したものが多く,然も基礎は簡単な天然石を使用したものが大多分であった。
以上は住宅関係の被害の現況であり開題点でもあるが,冒頭において述べた住家の被害の外に,非住家の被害は,大船渡町495戸,赤崎町291戸,末崎町90戸があり,これ等建物の被害は総額1,392,679千円に及んでいる。
これ等被災者に対しては,大船渡小学校,大船渡中学校,赤崎小学校,台が丘保育園等に夫々緊急避難所を設け,収容したのであるが,このことについては「避難及び救護の現況と問題点」の項に於て述べることにする。

1.応急仮設住宅について

災害救助法による応急仮設住宅115戸の割当を受け,大船渡町赤沢地区に55戸,大船渡町明神前地区30戸,赤崎町山口地区に30戸を建設し,7月上旬それぞれ罹災者を収容した。
応急仮設住宅についての問題点については特段のこともないが,設計上については,1戸当りの建坪が5坪であり,その中に各戸毎に0.25坪の便所が取り付けられ,衛生上非常に悪影響を及ぼしている。これは数戸或は10数戸毎に共同便所を別棟に設け,現在の便所は,押入等に別用するよう設計することが望ましい。

2.住宅金融公庫災害復興住宅資金について

住宅金融公庫災害復興住宅資金の貸付は,建設30万円,補修15万円になっており,これに対し,市は債務保証をすると共に受付審査事務を開始した。その結果8月末までに取扱件数は次のとおりである。
認定書交付件数355件
適外件数89件
認定件数267件
内訳 建設162件 補修105件
認定件数267件のうち,昭和35年度において施行するものは220件(214人)であり36年分は14件,その後辞退したものは33件となっている。
これ等の申講手続ぎについては臨時職員3名を増員し,処理したのであるが,内容審査に於て,税金の滞納があったり,整地に抵当潅が設定されてあったり,或は,又,償還額に対する収入面の不足があったりして,審査には相当の難色があったが,これ等の点にっいては意見書をつけて住宅公庫と折衝し,貸付承認されることができたのである。この事務手続きについては,非常に複雑で且つ,添付書類等の関係上一部市民が多分に戸惑いを来し,事務当局に対する非難の声が大きかったが,これは住宅金融公庫の融資基準等が厳しかったのと受付当初において当事者の不馴れによるものと考えられるこれについては,申請手続きの内容を簡易化する必要が認められると共に,市が債務保証することの前提に立ち,受付審査事務の簡略化,並びに融資基準を緩和する関係法規等の改正が望ましい。

3.災害公営住宅について

災害公営住宅については総計170戸の割当を受け,昭和35年度において,102戸,昭和36年度は68戸を建設の予定であり,昭和35年度建設の内訳は表のとおりである。
災害公営住宅の入居は,罹災者が原則であるが,将来罹災者以外の者が入居する場合においても,その入居料は罹災者同様,普通の公営往宅より安い料金で入居することになっており,この場合一公営住宅の入居者との均衡がとれず,これの取扱が今后の問題点の一つである。

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災害公営住宅
4.住宅の応急措置について

災害救助法に基き,災害により半壊した住家を対象とし,居住のため必要な最少限度の部分を応急的に補修し,居住の安定をを図るため,県知事が現物給付をもって実施するのであるが,今回の災害においては159件の枠をもって1件20,0000円の範囲内で実施したのである。
これの対象となるのは
A,住家であること。
B,住家が半壊したものであること。
C,災害に起因するものであること。
D,当面の日常生活が営み得ない状態にあること。
E,自らの資力をもってしては,応急的修理ができないものであること。
等であるが,第5項の限界が明確を欠く点があるので,今回の場合は,最大限の枠を確保し,できるだけ広範の罹災者に対し実施したのである。
結果においては,いろいろと異義の申立てがあったが,これは,被害状況調査の不徹底と前述の如く,資力の限界が明確を欠いている関係上,止むを得なかったものと考えられる。
唯,罹災した市職員に対しては全面的にこれの対象として除外した取扱については,市職員としての特殊な立場を考えての措置であったが,この様な考え方それ事態が変則的であり,強く反省せられる点である。

5.中高層建築について

今次のチリ地震津波の住宅に及ぼした被害は,鉄筋コンクリート建のものについては殆んと被害を見なかった関係から,火災予防をも兼ね,且つ商店街の近代化を併せ中高層建築の奨励を取り上げ,大船渡町岩手罐詰工場以北雷報電割局の間の鉄道より東側約29.2haを準防火地域に,又その中の要所延長1,860mを防火建築帯に指定を受けるよう関係各省に申講中である。
この防火建築帯のうち15件,延建坪2,354坪を中高層融資の申講中である。
この建築に当ってはの問題点としては
A,建築費が厖大であり,0.75の融資金の償還が極めて容易でなく現在の市民経済から見て大衆的でない。
B,中高層建築費に対する地方公共団体の補助額が多額にのぼり,地方財政に及ぼす影響が大である。
C,標準建築費が低く実情に合致しない。
以上住宅関係における総体的に検討を加えて見ると次のとおりである。
即ち,この表で見ると,自力で建築を要する戸数はわずかに25戸であるが,実際には更に多く,120戸位と推定される。その差は結極災害公営住宅に影響し,将来仮設住宅に入居している罹災者を,逐次これに収容して行くと共に,或る程度,罹災者以外の入居も止むを得ない事態となることが予想される。

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被害家屋
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希望数量を取りまとめた結果
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申込及供給数量(9月15日現在)
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価格表
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各種復興資材斡旋数調べ(9月15日現在)
6.住宅復興資材について

住宅復興資材については,特に木材に重点をおき,円滑に資材を供給することと,更に災害による需要の増大に伴う価格の高謄を防止する両面の目的をもって,積極的にこれ等業務にあたったのである。
以下各項によりその大綱を記述する。
A木材について
住宅復興用木材については,質,量の問題があり,国有林からの払下に依存する方針のもとに災害後直ちにその概数をもって払下げ申請したのである。
払下中請数量
住宅用材163,720石
浮樽用材3,000石
船材5,000石
長木材30,000本
その後,罹災者より希望数量を取りまとめた結果約
B,900石(素材,9月7日現在)の申込を受理したのである。然しながら,国有林当局の払下方針は,流失60石,全壊40石,半壊20石(素材石数)の基準によるため申込数量を満すことが期待できず,県有林より払下げを申請し確保に努めた。
以上の不定数量2,880石にっいては,矢作県有林を昭和35年度事業として約5,000石を伐採造材中であるので,これを充当すべく目下折衝中である払下げ確定のものについては,一応営林署払下基準石数により,供給中であるが,その方法は
(1)払下げ契約は市長名により締結するが,現物の受領及び代金の支払は製材業者組含において代行する。
(2)製材業者は払下素材を製材し,災害直前の価格
(営林署よりの払下げ価洛は災害直前の市場価格による)で被災者に供給する。
(3)市は前述の基準により,申込者に購入券を交付する。
(4)被災者この購入券により,指定された製材工場に行き現金にて購入する。
以上復興資材の需給については,関係製材業者の良心的協力により,予期工上の成果を収め,特に,供給数量の多少は何れにせよ,木材価格の高騰を或る程度防止し得たことは特華する価値があると考えられる。
B畳について
一度浸水した畳は,洗濯,乾燥しても,使用にたえない関係上,これに対する対策は木材同様重要な課題であった。県商工課より,これに対する斡旋の連絡があったが,これは同一の規恪のものに限られており,佳宅の間取に適合しない面が多分に在るを考えられて検討を加えていたところ,市内製畳業者より献身的な協力を得て,市価の15%引きの価格で需給が可能となり,購入努によりその洪給を図ったのである。
供給数量及び価格は下表のとおりである。
Cその他の資材について
一方釘,ガラス,トタン,セメントについては,県商工課よりの斡旋により,盛岡市森政吉商店一大船渡市橋爪商事KKを通じて約O.1引きにて賊入券を発行し,供給に努めた。
又,フトン類については,盛町千葉長フトン店より0.1引にて斡旋している。これ等各業者の協力については,衷心より感謝の意を表すものである。
こら等復興資材対策のうち,木材の需給確保についてぱ,殆んとが国有林より払下げに依存したのであるが,現行の国有林野における施業計画の範囲内で木材供給の操作を実施する基本方針を堅持した関係上,青森営林局の具体的払下げ手続の方針決定までに時を要し,特に地元営林署管内以外の,他の営林署よりの供給する場合は,その瞥内の製材業者の手により製材の上,按災地に供給するため,実情に則せず,且つ,配分,代金回収等が繁雑を極める結果を招来した。
幸い大船渡製材業協同組合の協力により,これの供給には一応の見通しがついているが,これは,斯かる大災害峙に於ても,なおその施業計画の範囲内で操作せんとするために生ずる不合理な面であり,いたづらに時日を要し,且つ被災地の業務を繁雑化せしめる基因をなしている。すべからく大災害時における復興木材供給は国有林に依存せざるを得ない現状でありこの場合の需給調整を敏活,適切に措置するためには,国有林野内に災害に対応する備蓄林を保有し,被災地を管内とする営林署長に,相当高度の権限を付与し,実情に即した措置を推進することを望みたい。
D 罹災都市借地借家臨時処理法の適用について
罹災地域のうち,大鉛渡町は,市開発の中心地であり,市制施行以来,人口の転入が多く,これにしたがい借地,借屋により住居及び営業を営む数が非常に多く,今次の災害により当然にこれに関連する利害問題が提起された。
市はこれの対策として,「罹災都市借地借家臨時処理法」第25条の2の災害及び同条の適用する地区としての指定を受くべく関係機関に彷ぎかけ昭和35年6月20日,政令の制定を見,宮城域県志律川町とともに法の適用地区となったのである。これの運用については,早速借地借家に関する相談所を設け大船渡簡易裁判所長,浅野弁護士,その他関係者の全面的な協力によりこれ等問題の処理にあたったのである。
然しながら,古くからの地主,家主対,借地借家人としての因襲は,法の適用を得たとはいっても,簡単にこれを打破することができず,問題解決には関係者の努力にもかかわらず難波を来したのである。

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申込及供給数量(9月15日現在)
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価格表
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各種復興資材斡旋数調べ(9月15日現在)

第6節商工金融関係

商工関係の被害は,被災事業所数514,被害額3,058.700千円に及んでいる。内訳は,大船渡町414事業所,2,703.990千円,赤崎町43事業所323,720千円,末崎町57事業所30,990千円となっており,大船渡町は,商工関係の事業所が集中的に存在していたため,その被害件数,被害金額共断然多く,赤崎町は件数は少い割合に被害額が多くなっていることは,小野田セメント工場の被害額が多いことと,被害激甚のため,施設及ど建物の被害が大きかったことに基因するものと思考される。末崎町の場合は,一般住家の被害同様,単なる浸水程度の被災に止まった関係上,その被害も比較的僅少にとまっている。
農林,水産業等に対しては,その被害の程度により,或る程度の助成等がなされているが,商工関係に対しては,この種の助成措置がなされず,国民金融公庫よりの事業資金の貸出し,或は商工中金による協同加入者を対象とする貸付,及び市中銀行よりの一般融資等の資金融資による以外に復興の方途がなかった。
然しながら,資金融資が潤沢になされ,中小企業における従前の小口借入等をこれに切替えた関係上,その資産内容は,災害前より向上した企業もあるが,反面零細者の借入れが充分でなく12〜13件が審査の結果除外されている。又,商業業における,問屋と小売店の特殊の関係は,個々の関連において大なり小なり商店の復興に寄与していることを見逃がすことができない。特に大船渡町における商店街の驚異的な復興は,資金の融資が予期以上に潤沢で,且つスムースに取り運ばれたことに基因する。
これ等の資金融資については,商工会議所が挙げてこれにあたり,借入れの接捗から,融資相談室の設置,借入事務手続等,災害発生直後から連日不眠不休で活躍を続けた結果によるものである。
以上の如く,大船渡市における資金融資額は,574,199千円であり,借入後6カ月後より発する償還は,月平均10,000千円であるが,大船渡,盛の商業関係における売上高は年間約1,500,000千円であり,収益,O.1と見て1カ月あたり12,500千円となり,償還についてはさほどの心配の必要がないと見ている。
農林漁業関係の復興金の融資状況は次のとおりである。
これ等各般にわたる復興資金の融資状況は極めて潤沢であり,復興は予期以上の早さで進められており,災害復興のための資金融資の総括は次表のとおりである。

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災害復興関係資金の融資状況
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農林漁業関係復興資金調べ(9月20日現在)
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復興資金融資状況総括表

第7節上水道関係

上水道施設の被害の大なるものは,川口橋に併設さたてあった赤崎町への給水管約150hと,振興橋併設の給水管約30mの流失であった。その他については,消火栓破損10カ所,各戸給水栓破損約300カ所であった。
大船渡町については災害当初は,流失,倒壊家屋の下敷となっているため実態の把握には非常に困難を極めたが,水道工事指定店から応援を求め,調査即修理の方針で,消火栓及び各戸給水等の漏水カ所の止水に全力を注ぐとともに,消毒塩素は平常の2〜2.5倍を注入して給水した。
然しながら漏水カ所多量のため給水のロスが多く,午前から午后にかけて1日4回,30分づつの時間給水を実施し,夜間は断水したのであるが,5月26日にいたり,修理状況の進捗とともに,時間給水を緩和して1時間おきの給水措置をとった。
また,盛岡市水道部より技術者の応援る得て,26日から向後1週間にわたる全面的な協力は,その復興を早め,29日において,各戸の給破損300カ所のうち270カ所の応急修理を完了し,30日動員態製を解いたのである。
赤崎地区の給水については,前述の如く,振興橋,川口橋に併設して在った給水管約180mが流失したため,後の入川を水源とする小野田セメント大船渡工場の専用水道を赤崎線に切替え措置をとり,28日から陸上自衛除の応援のもとに,川取橋及び振興橋の水道管布設工事を進め,31日から給水の運びになったのである。
末崎町に対する給水については,大船渡地区の応急修理の進捗と共に5月30日に至り給水可能となった。
以上は上水道関係にあける応急工作の現況であるが,これ等の工作を進める上に問題点として指摘される事項は次のとおりである。
A 水源地及び浄水場が1カ所であり,幹線給水管の被害により,全面的に給水が不可能となった。
B 上水道事業においては,直営工事がなされていなかった関係上,工員がなく全面的に他の応援を求めた。
C 応急資材入手が困難で,応急復旧は時間を要した。
D 前記B項において指摘した如く,技術職員が少く,水道破損カ所等の発見修理に手間どった。

第4章公共施設の応急工作の現況と問題点

第1節電力関係

大船渡市における電力の主宰は,東北電力KK大船渡営業所に於いて行っているが,チリ地震津波により,大船渡変電所より,大船渡町の商店街を通り末崎町碁石に至る所謂,南線のうち,大船渡町赤沢より同町笹崎間が,電柱の倒伏流失により決定的な被害を受け,又,大船渡変電所より赤沢を経て小野田セメントに至る配電線が全面的に流失し,大船渡,赤崎,末崎への送電が完全に杜絶したのである。
東北電力大船渡営業所では,災害が発生すると共に津波の第二波,第三波の襲来がなお継続されている中を,直ちに被害調査を実施すると共に,会社傘下の各営業所並に関係業者に対し,緊急応援態勢を要請し,花巻,一関,水沢,盛岡各営業所は24日夕刻現地に到着し,既に作業に従事していた関係業者と合流,直ちに作業に着手し,向得,6月9日迄,復旧作業に従事した人員は,営業所関係延241人,関係業者延182人の動員により,復旧作業の急速な進捗を見たのである。
一方,釜石営業所の配電課長がヘリコプターで飛来し,災害状況を調査の上無電をもって復興賃材の手配にあたった。
応急復旧の方針は,食糧確保上精米所への送電と罹災者の避難先として予想される,学校,公民館,寺院,及び山手の佳宅地帯への送電を重点とし,直接被災地域の復旧を第二次として取り上げている。
以上の方針に基き,先づ,大船渡変電所より碁石に至る南線を,大船渡町赤沢より,同町笹崎安定所の地点までを,都市街路,笹崎一田茂山線に側うて応急的に切替え,24日夕刻には早くも送電を開始し,災害発生当日の午後8時から大船渡町の被災地域を除いた山手の住宅地帯と,末崎町全域に対する点灯が再現したのである。一方赤崎地区に対する送電線は,大船渡赤沢より工場用地を得て盛川を横断し小野田セメソトに至る間が完全に流失した関係上,取り敢えず,変電所より小野困セメント工場に至る6万ボルトの送電線を利用送電し,小野田セメント工場において変圧の上,26日午前9時より赤崎地区への送電が再開された。一応これ等,応急施設が終了すると共に大船渡地区,南線の復旧を押し進めるとともに各被害家屋に対する引込線の復旧が成り,5月30日夕刻から罹災地域に対する点灯がなされたのである。
また,赤崎地区への送電線は,変電所より佐野を経由する経路を新設する作業を進め6月中旬にその完成を見,6万ボルト送電線の利用はこれに切替えられたのである。これ等復旧事業に要した資材の主なものは,コンクリート柱12本,木柱ll7本,配電線4.2屯,引込線15,700mに及んでおり,盛岡より輸送して充当したのである。災害時における無灯の状態は,被災者に与える精神的影響が極めて大なるものがあり,東北電力KKが,今回の災害において執った敏速且つ適切な応急復旧措置は,驚異的であり,民生の安定に寄与した点はまことに大なるものがある。
また,これ等復旧作業において,陸上自衛隊のグレンカーの協力が復旧作業の推進に果した成果が特筆の必要があろう。

第2節通信関係

大船渡電報電話局は,今回のチリ地震津波により,局舎の一部が流失した外,倉庫,車庫,自転車置場等が流失し,局舎の二階建部分は辛うじて流失をまぬかれた。これは後日復旧作業を促進する上に非前に好条件となった。

A被害の状況

(1)市内線路関係
市内路線関係の被害は,津波による直接被害と,流木等による間接被害により電柱及び架室ケーブルに多大の被害を受けた。
大船渡町地区,赤崎町地区は電柱,架室ケーブル共被害を受け,盛地区方面,下船渡地区は,架室ケーブルの被害が主である。又,大船渡町地区の地下路ケーブルが浸水罹障したことは致命的被害であり,この浸水は架室立上りケーブルの切断カ所より浸水したものである。
電柱の流失,損壊120本,傾斜80本,架空ケーブルの流失533m等がある。
(2)市外線路関係
市外線路の被害は市内路線の被害程大きくなく,局前より盛方面に向け電柱の流失15本,傾斜6本と,赤崎地区で綾里方面の電柱1本流失,2本傾斜のみであった,一方高田局区内では,松原地区で6本流失,16本傾斜となっている。然し線条の流失並に弛粁数は48粁に及んでいる。ケーブル損害は大船渡局引込のもので盛方面第8号配線柱までのものである。
(3)宅内関係
加入者回線路障害によるものと,宅内障害によるものと,両者の障害が契合するものとあった。
宅内障害とは,引込線,保安器,屋内線,および電話機電池であるが,そのうち電話機障害の被害額が一番多い。これは冠水電話機でも塩水を冠ったものは乾燥させただけでは再用できないからである。
今次津波による大船渡局区内の不通加入者数は全加入者に相当する1,179加入であり,電話機の流失,冠水の加入者数は605加入で約50パーセントであり,全加入者数の半数以上が電話機取付場所よりも高位の所まで浸水被害を受けたことを裏付けている。
(4)PBX関係
PBXの被害は大船渡局区内の大船渡水産市場,太洋産業,錦屋旅館,堺屋旅館の4カ所で交換機は何れも冠水し,構内電話機は流失8,冠水35となっている。
(5)手動関係
手動関係は500A,H苛性ソーダ室気電池15コと局内ケーブル24mの被害だけである。
(6)電信機械関係
電信関係は局舎流失に伴い一切の機器が流失,又は冠水被害を受けた。

B災害応急復旧の概況

局舎被災のため5月24日より5月30日まで7日間臨時電報電話局を盛高等学校に仮設したが,その間の各般に亘る応急装置状況は次の通りである。
(1)被災当日の一般概況
セ4.40局含の一部流失の外,階下全室も2.2mの浸水
セ4.41電信電話共一切の通信杜絶
セ6.05緊急打合線盛岡大船渡間開通(市外線51号柱)
セ7.20局舎無人と化す(職員退避)
セ8.40非常対策本部設置(大船渡町茶屋前52の1平山宅)
セ10.30盛高等学校の借用方申入れ(仮局設置のため)
セ11.15遠野電報電話局より応援隊到着
セ11.40仮局設置場所確定(承諾通知あり)
コ0.05大船渡対策本部に盛岡緊急打合線開通(市外線35号柱より延長)
コ1.30盛岡,大船渡間警察専用線開通
コ2.30一関電報電話局より応援隊到着
コ3.00水沢電報電話局より応援除到着
コ3.00盛岡移動無線除到着(電信機械到着)
コ3.30臨時電報電話局開設(盛高等学校寄宿舎)
コ4.00臨時電報電話局に緊急打合線開通(既設併用)
コ4.30大船渡,釜石警察専用線開通
コ5.14電報受付業務開始(仮局,対策本部の2カ所)
コ6.00機械応援除盛岡より到着(交換機2台到着)
コ6.14盛岡,大船渡電信回線開通(方式音単)
コ6.20線路応援除盛岡より到着(線材到着)
コ6.20被災救援物資(毛布,医薬品,食糧)盛岡より到着
コ7.00大船渡,高田警察専用線開通
かくして応復旧体制並に設営救護体制が整ったので,徹夜で作業を開始した。
(2)局舎関係
(A)被災残存局舎
復旧工事は残存局舎を便用して実施することになったので,5月29日を目途に残存局舎を使用司能の状態にするため次の通り実施した。
L流木,備品類,泥土ゑ除去(消防団)
2.一般清掃(婦人会,青年団)
3.吸出,消毒,防疫,(市役所,保健所)
4.折損した柱2本の補強健替(清水健設)
5.夜警(警察署)
6.流失物の回収(職員,消防団)
7.局内マンホールの除水(消防団)
8.臨時灯の引込工事(電力会社)
9.上水道の復旧(市役所)
0.施設清掃,庁内電話の復旧,階上の一般清掃
(職員)
上記の各作業を関係の向きと連絡実施し,施設の復旧作業と相まって30日午後11時50分,被災後1週間目に原局で業務を開始することができた。
(B)流失局舎並に附帯設備の復旧
局舎の修理工事は清水建設(KK)の請負工事とし,原形復旧の原則で次の予定線表で実施された。
(3)施設関係
(A)災害応急工事の概況
1.仮局設置に伴う工事(5月24日—5月25日)
北方面の市外線を仮局に引込むため,市外32号柱までRDワイヤ及びゴム線を架捗する。(200m)
南方面の被害線を仮局に引込むため旧局まで16PRD1条を架捗する。(1.3km〉
盛方面の重要加入者を開通させるため16PRD2条を架捗する。(32回線分)
上記に伴う回線切替を行う。(端子函配線函で二重接続とする)
特100交換機2台及び分線盤の装置工事を行う。
ジャンパーを掛けて回線を収容する。
電信音単装置を印刷電信装置に方式変更するための工事を行う。
無電話地域に無線車を配置し災害対策本部関係加入者の通話を確保する。
2.旧局復帰に伴う工事(5月26日〜6月3日)
旧局舎より北15号柱までの建柱を行う。
16号柱より32号柱までの裸線修理を行う。
旧局舎より16号柱まで16PRD1条を架捗し市外線を接続する。
旧局舎より16号柱まで200P市内ケーブル2条,100P市内ケーブル1条を架捗する。
架捗後は上記ケーブルに接続鉛工する。
架捗後は上記ケーブルを16号柱にて400Pケーブル1条,100Pケーブルに接続鉛工する。
旧局舎より赤崎方面小野田前まで仮建柱を行う。
旧局舎より赤崎方面小野田前まで(川越230mを含む)16PRD2条を架捗する。(延4.2km)
赤崎町地区,大船渡町地区重要加入者の開通工事を行う(引込線路工事宅内工事)
RD収容のための仮分線盤を装置し,ジャンパー掛けを行う。
電信機械移装のたあの一切の工事を行う。仮局の施設を一切撤去する。
旧局より仮局までのRD1条の撤去を行う。(1.3km)
盛局重要加入者開通のRDを撤去し,端子函配線函の整理を行う。
専用回線全部の開通工事を実施する。
3.委託局関係工事(5月26日〜6月3日)
高田局区内は長部地区22加入,脇沢地区37加入,松原地区7加入,又只出局区内は三日市地区5加入の不通加入者であったが,災害対策本部支所関係の加入者を優先開通せしむることとし,他は月末まで開通を目途に仮工事を実施した。
(B)第一次応復旧工事と関連工事の概況
1.改式先行災害復旧工事(内線)
管路ケーブル障害復旧のためのケーブル接続は通信部工事,布設替は請負工事として実施したが,接続工事は6月ll日着工,6月24日完了し,その間の稼仂延人員271名である。
2.第二次応急復旧工事(請負の分)
上記区間の管路ケーブルの布設替と大船渡町地区,赤崎町地区市内線路の建柱,ケーブル架捗,端子函取付等の工事は請負工事として江渡工業が実施したもので6月1日着工,6月末までに主要工程を完了した。
3.第一次応復旧工事(直営の分)
直営の第一次応復旧工事は津波発生以来6週間で加入者仮開通に必要な一切の仮工事を終了して7月4日一応打切った。4-5Aの応急工事に引続く市内外線路の復旧工程と上記Bの1.2の工事進捗に相挨つ大船渡局区内の加入者の早期仮開通を図るための宅内工事の実施が主要工程で外線100%,内線96%の進捗を図り未開通加入者大船渡39,高田9を残して終了した。
内線の残工程は未開通加入者の引込線工事であり,未復旧加入者は総て加入者側の体制が整わないためのものである。
又PBX関係の復旧は第二次応復旧工事とし7月中旬工事を施行し4加入のうち3加入を復旧した。PBXの仮開通が出来なかったのは賃材調達期間の関係であり,現在1加入の未復旧は加入者側の都合によるものである。
以上は,通信関係における被害の概要と応急復旧の状況であるが,斯かる災害時における仮局設置の司否が,復旧工作に及ぼす影響が極めて大である。
仮設局設置する場合の条件は
1.市内外線より最短距離の位置であること。
2.昼夜共業務を遂行する関係上,そのことによって他に支障を及ぼさない施設であること。
3.賃材の集積するため可能面積を確保できる場所であること。
4.多数車両の出入が容易であること。
5.空中線の建設が可能であること。
等であるが,今次災害の場合,盛高等学校の寄宿舎に仮局を設置したのであるが,以上の条件が完全に満たされる理想的な位置であったため,応急復旧作業の遂行が極めて円滑に遂行されたのである。応急復旧工作遂行上の問題点としては,局舎自体が決定的な被害を受けていることと,復旧工作における応援隊が,連日100名以上に及んでおりこれの宿舎の確保が容易でなく,日頃市町及び世田米町に分宿したため,作業員の疲労が多かったことである。
前者については,鉄筋コンクリート三階建の局舎を新築中であり,一応解決されるが,応援除の宿舎については今後充分検討の必要がある問題点である。

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建築復旧予定線表

第3節鉄道関係(附交通関係)

陸の孤島といわれるだけに,当市にとっては鉄道輸送は陸上の動脈ともいえる。
これが突如として襲ったチリ地震津波のため陸前高田,小友間,下船渡,盛間に大被害を受け25日間にわたり不通となったことは救援物資その他復旧賃材の輸送に大きな支障をきたし,復興のテンポにも少からず影響を及ぼしたのである。
しかし災害当日から鉄道関係当局の不眠不休の突貫作業により翌月17日には臨港線を除き全線開通を見たことは,その労を多としなければならない。
この被害を大きくした原因は津波規模が予想外に大きかったこともさることながら,鉄道ルートが低地をしかも,海岸線に洛って走っていることに起因するところが大きい。
当市におけるルートを見ても細浦以北は殆んと海岸線に沿って走っているといえる。しかし高低に多少の差があるので,場所によっては防潮堤となって津波を防止したところもあるが,その殆んとが海岸線に近く且つ底いため軌枢その他線工に被害をまねいたのである。
この状態から津波災害を最少限に防止する手段として衣のことがあげられるであろう。
1.津波被害の心配がない高地にルートを変更すること。
2.現状のルートでも津波被害のうけやすい低地を高架線にすること。
3.今回の津波でも押波で軌枢,道床が旅失していることから,路線の海岸側にコソタリートで防潮壁をつくること。
今回の被害の状況は次のとおりである。
(交通関係)
鉄道を除いた市内唯一の交通機関である県南パス大船渡営業所では,赤崎町長崎に宿泊していた運転手が,異状な引潮により津波来襲を察知し,これを電話でもって大船渡営業所に通報し,車庫に収納してあったバス20数台を田中地区に避難せしめその被害を最少限度に止め得た。
このことは,災害直後における交通確保に大きな効果を発揮した原因となっている。営業所事務所も浸水被災し,書類等を流失したのであるが,臨業営業所を田中に移し(約2週間)各営業所より応援を求め24日の災害当日から盛一大船渡間の無料運行を実施し,又市外線は綾里線,高田線を除き,平常運行を続けた。
以後道路の復旧が進むにしたがい逐次ダイヤの回復をはかり,6月17日に至り正規運行に復旧したのである。

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被害の状況
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応急工事費(単位千円)
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復旧工事費(単位千円)
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被害額(単位千円)
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被害の内訳

第4節郵政関係

大船渡郵便局は,局舎の階下天井まで浸水し,最高水位は路面より3.5mに及んでいる。このため建物附属建物が半壊し,備品類は冠水破損したのであるが局内普通郵便物は若干の冠水だけに止まっている。ポストの冠水は市内7,市外4で,郵便切手売さばき所は流失1,半壊5,床上浸水3となっている。
区内の無集配局の被害は赤崎郵便局の局舎浸水で路面より最高2.2mの水位を示し,局舎半壊,備品及び附属建物備品等は流失冠水により使用不能にいたった。窓口業務は5月27日より開始し,貯金の非常払1件,非常取扱による諸請求16件であり,非常勤にて使用した者102人である。
細浦局は床上浸水程度であった。
業務運行状況は概要次のとおりである。
業務運行状況
5月24日午前10時から局舎内外の片付けおよび清掃を行ない,25日午前10時郵為替貯金および保険年金の窓口事務を開始。
(1)郵便
陸前高田〜盛間の鉄道不通となったので5月26日から6月17日まで日逓の自動車により,また5月26日から5月29日までヘリコプターにより仙台〜大船渡間の運送を行う。
大船渡〜綾里間の自動車不通となったため5月25日から6月6日まで船便により運送を行う。
5月24日,5月25日集配停止
5月26日速達郵便のみ配達開始
5月27日から市内,市外1号便のみ復旧したが居住者の移動がはなはだしく配達は困難をきわめた。
市外第2区の合足部落は7月10日まで綾里局に配達を依頼した。
7月ll日から2号便復活
市外第1区第2区への橋梁流失のため盛局区内を通っていまなお迂回配達を行なっている。
(2)為替貯金
5月25日から6月30日まで非常取扱期間設定
非常払34件26万8千余円
非常取扱諸請求56件
5月24日から6月7日まで積立貯金集金事務停止
(3)保険年金
5月25日から6月15日まで非常取扱期間設定
非常払14件87万円(保険金倍額支払13件78万円)
非常貸付80件78万円
保険料払込猶予1,721件
5月24日から6月2日まで保険料集金事務停止
保険契約原簿の再調製6,330件
(4)放送委託事務
ラジオ,テレビ受信料払込免除995件(5月〜7月3カ月間免除)
(有)電気通信委託事務
通信回線故障のため5月24日から6月15日まで取扱停止
(6)共通
5月24日から6月5日まで非常勤職員延127人任用,
外地局からの事務応援ll4人
5月24日から6月3日までll日間非常炊出実施,延
508人分
局含内外の消毒およびDDT等の撒布
冠水した諸帳簿類の洗浄消毒
職員にビタミン剤等の供与
局舎内壁の塗り替および床板の張替
大破建具および木柵等の修理
自転車は全部更改,リヤカーは修理のうえ使用

第5節官公衙関係

今次災害により,官公衙の罹災したものは税関出張所,海運局,労仂基準局,食糧事務所,統計事務所,大船渡郵便局,赤崎郵便局,港派出所,水産事務所,港務所等であり,これに準ずる公的機関として,農業協同組合,信用組合,漁業協同組合等がある。これ等は,何れも床上浸水,半壊等であり流失,全壌をまぬかれたのであるが建物そのものよりも書類の流失等による機能の停滞は決定的である。
このうちの大多分は民間の家屋を借り受け利用し各所に分散していたもので自己の庁舎のものは郵便局,港務所のみである。
これ等公的機関の罹災は,災害時における他の一般に与える影響が極めて甚大である現況にかんがみ,将来合同庁舎等を建設し,災害防止と,平時の利便をもたらすよう計画する必要がある。

第5章中央政府の対策

1.経過

5月24口払暁のチリ地震津波による被宵県は北は北海道から東北の三陸海岸,関東,東海,近畿,四国,九州の太平洋海の1道,15県に及んだ。
わが更北は,青森,一岩手,宮城,福島の四県が被害をうけ,これがため災害救助法の適用をうけた市町村は東北では下記の18市町村である。
青森県 八戸市
岩手県宮古市,山田町,大槌町,釜石市,大船渡市,陸前高田市
宮城県唐桑町,気仙沼市,志津川町,歌津町,雄
勝町,女川町,石巻市,牡鹿町,鳴瀬町,
塩釜市,七ケ浜町
なお,福島県は磐城市(小名浜)が被害地であったが,災害救助法は旅行されていない。
6月14日現在,全国知事会事務局で簾めた資料によれぼ,これら1道15県の津波被害総額(鉄道,電気,通信などを除く)は約439億円で,束北4県の被害は359億4千万円で全国の被警総額の半数以Eを占めている。
その内沢は青森県4,903,453千円
岩千県9,538,357干円
宮城県11,393,621千円
福島県105,324千円
合計25,941,755千円

2.対策

津波被害の報伝わるや,政府,与党ヒともに,これが対簑を講ずることとなった。
1.5月26口,政府は総理府に「津波災害対策本部」を設置し,本部長に官房長官本部員に関係各省事務次官を配して,直ちに第l回会津を開催,これと同時に関係各省も,これが対策を溝ずるためそれぞれの被害地に担当官を派巡した。
一方,福田豊相,渡辺厚櫃,槍騰運輸相,村上建設相らの)現地視察,これと同時に、衆議院からも農林水産委員を現地に派遺した。なお被害県も,それぞれ「津波対策本部」を設置した。
2.自民党も政府の対策本部と紹呼応して,党内に「津波対策本部」を設け,本部長に副総裁,部員に政調会役員を配し,対策を協議するととに,現地に政調会役員を派遺した。
6月2日,党災害木部会議をひらき,本部長以下福田,櫓橋両相,関係省被害県議会代表ら参集して各省よりの服告,対策案をきき,最後に「各省より災害対策大網の提示を求めた上,周吏小委員艮を中心としてこれをまとめて,特別立法として衆議員に上程する」ことを決定した。
なおこれに先だち,5月30口の党7役会議においても,「伊勢湾台風に準ずる特別立法」を講ずることに決定した。
3.自民党東北開発特別委員会は5月31目対策協議会を開催,出席者は被害4県選出委員,関係各省担当官及び4県議会代表者参集し,各省より現状報告,対策方針を聴き,右に対して意見の開陳あり,結局において特別立法の必要を認めて,これが推進をすることにした。
4.6月6日災害の1道15県の緊急知事、議長合同会議開催「伊勢湾台風に準ずる特別立法」の措置を講ずるよう政府に要望す。
6月911各省事務次官会,義で特別立法8法案を内定す。
5.6月15日「チリ地震津波」に対する8法案を衆議院に上程。
6月17日,衆議院本会議においてこれが可決を見,同日参議院に送付する。
6月20日,参議院本会議において8法案は可決成立した。なお「被害市町村職員の共済見地金ぴ)特例」は未決定のままとなった。

第1節各省のチリ地震津波災害対策

1.自治庁
2.農林省
3.建設省
4.厚生省
5.中小企業庁
6.運輸省
7.文部省

チリ地震津波災害対簸について(35.6.3 自治庁)

1.現在まで採つた措置
地方交付税の繰上交付
6月2口著しい被害を受けた市町村で災害救助法の発動されたものに対し,地方交付税法に定める普通交付税の交付時期にかかわらず応急の資金措として9月以降において交付すべき地方交付税額の一部を繰り上げて交付した。

繰り上げ交付の対象団体数は31市町村で,交付総額は289,067千円である。

2.今後の措置として検討中のもの
地方債の特別措置
下記の場台においては,地方財政法の規定にかかわらず地方債の発行を認めるものとし,所要の立法措置を溝ずること。
(1)地方税,使用料,手数その他の徴収金の減免によって生ずる財政収人の不足を補う場合
(2)災害救助対策,伝染病予防対策その他これらに類する災害対策に通常要する費用の財源する場合。

チリ地震津波農林水産関係災害対策案(35.6.4 農林省)

第1特別措置を検討中の対策
1.共同利用小型漁船の建造に関する特別措置
被害激基地における漁業協同組合の共同利用小型漁船の建造費につき伊勢湾台風の場合の列に準じ次により補助を行う。
(1)小型漁船(無動力漁船及び5屯以下の動力漁船)の被害の著しい道具が,細合の共同利用小型漁船建造費について(4)の補助率を下らない比率で補助する場合,当該道県に対し,その補助に要する経費(道県が(4)の率をこえる率による補助をする場合は,そのこえる部分の経費を除く。)の全額を補助する。
(2)補助対象組合の基準
補助の対象となる組合は次の各号のいずれかに該当するものとする。
イその組合員の被害小型漁船の合計隻数が一定をこえること。
ロその組合員の小型漁船の総隻数に対する被害小型漁船の合計隻数の割が,一一定の割合をこえること。
(3)補助対象経費
前記(2)の組合が,被害組会員の用に供するため一コヒトン数の漁船(原則として無動力または3トン以下の動力船)を被害小型漁船3隻につき1隻の割合の範囲内で建造するのに必要な経費とする。
ただし,特別な場合においては被害小型漁船1隻につき1隻の割合の範囲内で建造するのに必要な経費とすることができる。
(4)補助率
前記(3)こ規定する経費の8割とする。
ただし,前記(3)のただし書の場合は3割とする。
2.農林水産業旅設災害復旧事業費国庫補助の暫定措置法の特例を設ける特別措置
被害激基地における農林水産業兵同利用施設及び中小企業者の真珠等の養殖施設の復旧について伊勢湾台風の場会の例に準じ暫定法の特例を設けるための立法措置をを講じ,次により補助を行なう。
(1)共同利用施設
被害激基地域内のものについては1カ所の災害復旧事業費3万円以上のものに対し,補助率9割,その他の被害地域のものについては1カ所の災害復旧事業費10万円以上のものに対し,補助率5割
(2)かき,真珠または真珠貝の養殖施設
被害激甚地域のかき,真珠または真珠貝の養殖施設の災害復旧事業で1経営体あたり事業費が3万円以上のものにつき,県が9割を下らない率による補助をする場合その補助に要する経費(県が9割こえる率による補助をする場合には,そのこえる部分の経費を除く)その全額を補助する。
3.天災融資法の改正
天災融資法を改正し,伊勢湾台風の場合の例に準じ,漁船の取得,真珠,かき等の養殖に必要な経営資金の貸付限度を引上げ,真珠,またはかきの養殖に必要な資金として貸し付けられる場合は50万円,その他の漁業経営に必要な資金として貸し付けられる場合は20万円とする。
第2助成措置
1.農林水産施設災害復旧事業
(1)農林水産施設災害復旧事業国庫補助の暫定措置法によるもの
(イ)農地及び農業用施設の災害復旧事業
(ロ)共同利用施設の災害復旧事業
(2)公共土木施設災害復旧事業費国庫負担法によるもの
(イ)漁港の災害復旧事業
(ロ)農地の海岸施設災害復旧事業
(ハ)治山施設(海岸砂防施設)の災害復旧事業
(3)除塩,農地の小規模災害復旧(農地上の雑物除去を含む)を内容とする耕地整備事業
2.その他
(1)種苗確保事業
(2)家畜伝染病予防のための防疲事業
3.災害復旧資金の融通
(イ)天災融資法を速かに発動し,被害農林漁業者の経営資金及び事業資金の融通を行なう。
(ロ)農林漁業金融公庫より災害復旧のための資金の融通を行ない,主務大臣指定復旧資金については,伊勢湾台風の場合の例に準じ,対象施設,種目追加,金利等についての特例措置を検討するとともに実情に応じ既往貸出金につき条件の緩和を行なう。
なお,水産加工施設等の関連企業融資については,中小企業金融公庫等の資金の活用を図る。
(ハ)被害の実情に応じ必要ある場合には,自作農維持創設資金の融資を行う。
4.その他の対策
(1)被害激堪地域の漁船保険加入漁船の被害額の現地査定を行ない早期に保険金を支払う。
剛被災地における種豚,種鶏の補充及び飼料供給の確保措置を講ずる。
剛応急住宅用,公共施設復旧用及びかき,真珠の筏用木材確保のため固有林材の売渡を行う。
5.検討中の事項
(1)公共土木施設災害復旧事業費国庫負担法の改正
漁港・海岸施設及び海岸砂防施設の災害復旧にいての国庫負担率の引上げ
(2)農林水産業施設災害復旧事業費国庫補助の暫定措置法の改正
農地及び農業用施設の災害復旧の補助率の引上げ
(3)特定の被害激甚地域について(防潮林を含む)等の津波災害防止施設の新設,改良等の津波対策事業に関する特別措置。
(4)小災害等に係る地方公共団体の起債の特別に関する措置
(5)漁場内障碍物排除事業に対する助成措置
(6)被害激甚部落の復興対策

チリ地震津波災害対策(35.6.4 建設省)
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チリ地震津波災害対策
チリ地震津波災害対策について 厚生

1 特別立法の検討を要するもの
(1)公衆衛生の保持に関する特別措置法
(イ)防疲業務に要する費用についての国の負担率の引上げ
市町村支弁のものについては現行市町村1/3,府県穂,国1/3の負担を市町村0,都道府県1/3,国2/3とする。
府県支弁のものについては現行は府県1/2,国1/2の負担を府県1/3,国3/4とする。
このために要する費用事業費……2県24,027000円
補助額14,074,000円(予備費)
(ロ)伝染病院,隔離病舎の復旧費の国の負担率の引上げ
現行は市町村1/3,府県1/3,国1/3の負担を,市町村1/6,府県1/6,国4/6とする。
このために要する費用……被害額2カ所570,000円
補助額380,000円(予備費)
(ハ)水道の復旧費の国の補助率の引上げ
現行は簡易水道の新設につき国髪σ)補助率復旧につき発にすると共に上水道の復旧につき国1/2の補助を新らたに認める。
このために要する費用……一被害費1O市町村18,455,000円
補助額9,227,000円(予備費)
(二)汚染処理等に関する国の補助
汚染の処理及び清掃施設の整備につき新らたに国2/3〜1/2の補助を行なう。
このために要する費用……被害汚物16市町村ll,075,00G円
施設4市町村3,102,000円
補助額8,686,0OO円(予備費)
(2)災害救助費に関する特別措置法!
府県の支出した費用が普通税収入見込額の2/1OOOを浮超える部分につき国が負担するものを1/1000を超えるナ部分について負担することとする。
このために要する費用……救助費5県164,217,000円
補助額100,611,000円(既定予算)
(備考)今回の災害について特別立法措置を行なう場合は今後の災害についても同様の措置をすべきであるので恒久立法の必要を考慮すべきである。
2.行政措置等によるもの
(1)世帯更生資金の貸付についての補助率の引上げ現行は府県1/3,国2/3を,府県1/4,国3/4に補助率を引き上げる。
このために要する費用……一貸付枠34,780,00O円
補助額26,085,000円(既定予算)1
(2)母子福祉資金の貸付金の枠の増大
羅災母子世帯に対する貸付金の枠を追加交付する。
このために要する費用……貸付枠2,600,000円
補助額1,730,000円(既定予算)
(3)引揚者国債遺族国債の買上償還及び担保貸付
このために要する費用…20,000,000円(既定予算)
(4)私的医療機関の復旧のための融資
被害的医療機関に対する長期低利の融資を中心企業金融公庫に依頼して行なう。
融資所要見込額150,000,000円(既定予算)
(5)国民健康保険の保険者に対する財政補助
災害地保険者に対し保険料及び一部負担金の減免額の8/10を補助する。
このため要する費用…
減免額6市町村9,642,000円
補助額7.713,000円(既定予算)
(6)国民健康保険施設の復旧
このために要する費用……被害額4カ所19,500,000円
補助額6,500,000円(予備費)
(7)精神病院施設の復旧
このために要する費用……一被害額1カ所7,000,000円
補助額3,500,000円(予備費)
3.特別措置法行政措置等による所要経費見込
所要経費 {    
被害額等   414,968,000円
特別立法関係 既定予算     100,611,000円
       予備費      32,367,000円
行政措置関係 既定予算(補助)  55,528,0OO円
       既定予算(融資)  150,00O,O0O円
       予備費      10,000,000円
        計       348,506,000円 }
4.その他
1・2の他,大臣の現地視察係官の現地派遣指導,C
A・C物資等の援護物資の急送,国立病院,日赤等による医療班の派遣,罹災保険医療機関に対する診療費の推計支払,船舶所有者に対する延滞金の減免等の措置を採った。

チリ地震津波災害による被害中小企業者に対ずる金融措置の概要 (企庁金一35-7号 昭和35年6月3日 中小企業庁)

(一)災害融資についての特別の適用措置
(1)中小企業金融公庫,国民金融公庫および商工組合中央金庫の災害融資についての次の要件により年6分5厘の特別率の適用を行なう。
(イ)適用対象災害救助法の発動地域に事業場を有する中小企業者であって,全壊,一半壊,流失,床上浸水,その他これに準ずる甚大な被害を受けた中小企業者
(口)適用対象額上記の対象に対して事業の再建に必要な資金として昭和36年3月末までば貸し出された三機関の融資額のうち100万円までの額(組合の協同施設については300万円)
(ハ)適用期間貸付の口から3力年間に限るものとする。
(2)中小企業金融公庫および国民金融公庫の行なう特利適用措置は閣議決定により,両公庫の負担において実施するものとする。
(3)商工組合中央金庫の行なう特利適用措置については,政府において通常貸付利率との差額に相当する額を利子補給するものとし,これがため,所要の立法措置および,予算措置を行なうものとする。
(注)同金庫の行なう災害融資総額ならびにこのうち利子補給の適用融資額および利子補給に必要な経費の必要予算額はそれぞれ次のとおりである。
(イ)災害融資見込総額877百円(5月31日現在の中間集計による見込額)
(口)特利適用対象融資の合計額6億円
(ハ)利子補給に必要な経費予算の必要額
40百万円(3年間所要合計額)
(二)災害地信用保証協会に対する貸付金の増額措置
災害地信用.保証協会の災害融資に対する保証引受の増加に必要な原資としてこれらの協会に対する中小企業信用保険公庫の貸付金の特別貸付を行なう。(行政措置)

チリ地震津波対策 (運輸省 昭35.6.4

(一)立法措置
港湾関係公共土木施設災害の早期復旧ならびに再度災害の防止については次の立法措置を行なう。
(イ)昭和35年チリ地震津波により災害を受けた公共土木施設の災害復旧に関する特別措置法
(要旨)昭和34年7月,8月及び9月の災害についてとった国の負担率の引上げに関する特別措置と同様の措置をとるべく公共土木施設災害復旧事業費国庫負担法の特例を定めること。〔別紙要綱参照)
全体事業費383,500千円
内国庫負担分307,000千円
(口)昭和35年チリ地震津波により災害を受けた地域における津波対策事業に関する特別措置法
(要旨)チリ地震津波により著しい災害を受けた海岸,河川及びこれらに接続する海岸河川について異常な津波災害を防止するため必要な施設の新設または改良に関する事業について国は3分2(特定の地域においては10分の8)の負担をするものとすること。(別紙要綱参照)
全体事業費3,588,000千円
内国庫負担分2,412,000千円
(二)行政措置(予算措置を要するもの)
今回の遠距離津波現象の経験にかんがみ,気象業務組織の整備強化と津波研究の強化をはかる。
(1)津波予報組織の強化
津波警報の有劾かつ迅速な発令体制、を整備するため,遠地及び中距離地震による津波警報組織る強化する。このため本庁に警報センターを設置し,札幌仙台,大阪,福岡,各管区に情報連絡組織中枢をおくとともに,さらに近海地震による津波警報組織の警報中枢を整備強化する。(人員12名増)
(2)観測施設の整備
(イ)地震観測施設の整備
既設の松代,長崎に感震器を増設,鳥島,根室の遠地地震観測施設を新設する。また釧路外9カ所に中枢距離地震用観測施設の整備をはかり併せて全国27カ所に近地地震用観測施設の整備を行う。
(ロ)津波観測施設の整備
釧路,函館,八戸,室戸,石巻,八丈島.富崎,汐岬,油津,清水の10地点にロボット検潮儀の整備を行ない,最寄の気象台または測候所と無電連絡を行なうようにする。
以上(イ)及び(ロ)に要する予算
予算費46,500千円
本予算64,500千円
(3)国際連絡組織の整備強化
地震津波に関する国際的情報連絡の強化のため,米国担当機関及びハワイ津波情報センターに担当官を派遣し関係機関との間に相互通報制度の確立について折衝を行なわしめる。(予算費800千円)
(4)津波研究の推進
津波研究体制強化のため気象研究所に津波研究部門を設置し,次の研究を行なう。
(イ)津波発生の有無,強度を即刻に知る装置の研究
(の津波エネノレギーの研究
(ハ)地震と津波発生の研究
(本予算20,000千円)
(5)チリ地震津波調査
チリ地震津波を現地で調査し今後の地震津波対策に資するため担当官を派遣する。
(予算費3,000千円)
(三)金融措置
伊勢湾台風の例にならい,中小企業者に対する資金の融通等に関する特別措置法の制度を要望するほか,北海道東北開発公庫,中小企業金融公庫の融資枠の設定,特別金利の採用,償還期限の延長等の行政措置を希望する。
現在まで判明した運輸省関係業種の被害額並びに融資希望推定額は下記のとおりである。

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運輸省関係業種の被害額並びに融資希望推定額
チリ地震津波文教関係被害状況及び対策について (文部省 36.6.3)

1被害概況
1.人的被害
2.物的被害
(1)国立学校
学校  被害額
北海道大学450千円
東北大学7,392
東京商船大学1,060
計  8,902
備考
理学部厚岸臨海実験所施設
農学部女川水産研究実験所施設及び設備,理学部女川磁気観測施設及設備
清水分校施設
(2)公共教育施設
2災害対策綱

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人的被害
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公共教育施設
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災害対策綱

第2節チリ地震津波災害復旧特例法

地方公共団体起債の特例法

(起債の特例)
第1条昭和35年5月のチリ地震津波による災害を受けた地方公共団体のうち政令で定めるものは,次の各号に換げる場合においては,昭和35年度に限り,地方財政法(昭和23年法律第109号)第5条の規定にかかわらず,地方債をもってその財源とすることができる。
1地方税,使用料,手数料,その他の徴収金で命令で定めるものの当該災害のための減免であって,その程度及び範囲が被害の状況に照らし相当と認められるものによって生ずる財政収入の不足を補う場合2当該災害に係る災害救助村策,伝染病予防対策その他これらに類する命令で定める災害対策に通常要する費用で当該地方公共団体の負担に属するものの財源とする場合
(地方債の引き受け)
第2条前条の地方債は,国が資金運用部資金または簡易生命保険及び郵便年金特別会、汁の積立金をもってその全額を引き受けるものとする。
2前項の場合における利息の定率及び償還の方法は,政令で定める。
(起債許可についての協議)
第3条自治大臣は,第1条の規定により地方債について地方自治法(昭和22年法律第67号)第250条の規定による許可をしようとするときは,あらかじめ大蔵大臣と協議しなければならない。この場合において,当該地方債が簡易生命保険及び郵便年金特別会計の積立金をもって引き受けるものであるときは,あわせて郵政大臣と協議しなければならない。
付則
1この法律は,公布の日から施行する。
2自治庁設置法の一部を改正する法律が施行されるまでの間は,第三条中「自治大臣」とあるのは,「自治庁長官」と続み替えるものとする。

津波対策事業の特別措置法

(目的)
第1条この法律は,昭和35年5月のチリ地震津波(以下「チリ地震津波」という)による災害を受けた地域における津波対策事業の計画的な実施を図り,もって国土の保全と民生の安定に資することを目的とする。
(津波対策事業)
第2条この法律で「津波対策事業」とはチリ地震津波による災害を受けた政令で定める地域において,海岸またはこれと同用の効用を有する河川でチリ地震津波により著しい災害を受けたもの及びこれに接続し,かつ,これらと同様の効用を有する海岸または河川について施行する津波による災害を防止するために必要な政令で定める施設の新設または改良に関する事業(それらの施設について合わせて施行するチリ地震津波に係る災害復旧に関する事業を含む)をいう。
(津波対策事業計画)
第3条津波対策事業に関する主務大臣は,当該津波対策事業につき,関係地方公共団体の意見をきき,かつチリ地震津波対策審議会の審議を経て,その事業計画(以下「津波対策事業計画」という)の案を作成し,閣議の決定を求めなければならない。
2津波対策事業計画には,津波対策事業の実施の目標及び事業量を定めなければならない。
3主務大臣は,第一項の規定による閣議の決定があったときは,遅滞なく,津波対策事業計画を関係地方公共団体に通知しなければならない。
4第1項及び前項の規定は,津波対策事業計画の変更について準用する。
(チリ地震津波対策審議会)
第4条総理府に,チリ地震津波対策審議会(以下「審議会」という)を置く。
2審議会は,津波対策事業計画に関する事項その他津波対策事業に関する重要事項を審議する。
3この法律に定めるもののほか,審議会に関し必要な事項は,政令で定める。
(津波対策事業計画の実施)
第5条政府は,津波対策事業計画を実施するために必要な措置を構じ,かつ,国の財政の許す範囲内においてその実施を促進することに努めるものとする。
付則(施行期日)
この法律は,公布の日から施行する。
(総理府設置法の一部改正)
2総理府設置法(昭和24年法律第127号)の一部を次のように改正する。第15条第1項の表中台風常襲地帯対策審議会の項の次に次のように加える。
チリ地震津波対策審議会
昭和35年5月のチリ地震津波による災害を受けた地域における津波対策事業に関する特別措置法の規定によりその権限に属せしめられた事項を行なうこと。

公営住宅法の特例に関する法律

1昭和35年5月のチリ地震津波による災害であって政令で定める地域に発生したものに関し,事業主体が,当該災害により滅失した住宅に当該災害の当時居住していた者に賃貸するため第2種公営住宅を建設するときは,公営住宅法(昭和26年法律第193号)第8条第1項の規定にかかわらず,国は,予算の範囲内において,その費用の3/4を補助することができる。ただし1当該災害により滅失した住宅の戸数の5割に相当する戸数をこえる分については,この限りではない。
2前項の規定による公営住宅の建設に要する費用についての国の補助金の算定については,公営住宅法第7条第3項の規定を準用する。
付則
この法律は,公布の日から施行する。
昭和35年5月のチリ地震津波による災害に伴う公営住宅法の特例に関する法律施行令
(昭和35年6月27日政令第178号)
内閣は,昭和35年5月のチリ地震津波による災害に伴う公営住宅法の特例に関する法律(昭和35年法律第106号)第1項に基,この政令を制定する。
1昭和35年5月のチリ地震津波による災害に伴う公営住宅法の特例に関する法律第1項に規定する政令で定める地域は,昭和35年5月のチリ地震津波による災害により滅失した住宅の戸数が,その区域内で1200戸以上で,かつ,その区域内の住宅の戸数の1割以上である市町村の区域とする。
2前項の区域は,建設大臣が告示する。
附則
この政令は,公布の日から施行する。

水産業施設の災害復旧の特別措置法

(農林水産業施設災害復旧事業費国庫補助の暫定措置に関する法律の特例)
第1条昭和35年5月のチリ地震津波による災害(以下「チリ地震津波災害」という)を受けた地域についての農林水産業施設災害復旧事業費国庫補助の暫定搭置に関する法律(昭和25年法律第169号。以下「暫定措置法」という)規定の適用については,チリ地震津波災害を受けた共同利用施設(水産業協同組合の所有するものに限る)のうち,政令で定める地域内のものについては,暫定措置法第2条第6項及び第7項中「10万円」とあるのは「3万円」と,暫定措置法第3条第2項第5旨中「2/10」とあるのは「9/10」とし,その他のものについては,同号中「2/10」とあるのは「5/10」とする。
(水産動植物の養殖施設に対する助成措置)
第2条都道府県が,水産動植物の養殖施設で政令で定めるもの(暫定措置法第2条第4項に規定する共同利用施設に該当するものを除く)で,政令で定める地域に発生したチリ地震津波災害を受けたものの災害復旧事業であって,その工事の費用が3万円以上のものの事業費につき9/10範囲内で政令に定める率を下らない率による補助をする場合には,国は,予算の範囲内で当該都道府県に対し,その補助に要する経費(都道府県が当該政令で定める率をこえる率による補助をする場合には,そのこえる部分の補助に要する経費を除いた経費)の全部を補助することができる。
附期
この法律は、公布の日から施行する。

小型漁船の建造に関する特別措置法

1昭和35年5月のチリ地震津波による災轡(以下「チリ地震津波災害」という)に係る小型漁船の被害が著しい都道府県で政令で定めるものが,漁業協同組合の必要とする共同利用小型漁船建造費につき,当該漁業協同組合に対し2/3を下らない率による補助をする場合には,国は予算の範囲内において当該都道府県に対し,その補助に要する経費(都道府県の2/3をこえる率による補助をする場合にはそのこえる部分の補助に要する経費を除いた経費)の1/2を補助することができる。
2前項の共同利用小型漁船建造費とは,政令で定める要件に該当する漁業協同組合が,政令で定める小型漁船でチリ地震津波災害を受けたもの(沈没,滅失その他政令で定める著しい被害を受けたものに限る)をチリ地震津波災害の発生の際に所有し,かつ,その営む漁業の用に供していた組合員の共同利用に供するため政令で定めるところにより小型の漁船を建造するために要する経費をいうものとする。
附則
この法律は,公布の日から施行する。
昭和35年5月のチリ地震津波による災害を受けた漁業者の共同利用者に供する小型漁船の建造に関する特別措置法施行令
(昭和35年6月27日政令第17号)
内閣は昭和35年5月のチリ地震津波による災害を受けた漁業者の共同利用者に供する小型漁船の建造に関する特別措置法(昭和35年法律第llO号)の規定に基き,この政令を制定する。
(都道府県の指定)
第1条 昭和35年5月のチリ地震津波による災害を受けた漁業者の共同利用者に供する小型の漁船の建造関する特別措置法(以下「法」という。)第1項に規定する政令で定める都道府県は,次の各旨の要件のべてをみたすものとして農林大臣が指定する都道府県とする。
(1)昭和35年5月のチリ地震津波による災害(以下「チリ地震津波災害」という。)を受けた第3条に規定する小型漁船(沈没し若しくは滅失し又は第4条に規定する著しい被害を受けたものに限る。以下「被害小型漁船」という。)で,チリ地震津波災害を受けた際に,その都道府県の区域内に住をする漁業者が所有し,かつその営む漁業利用に供していたものの隻数が100隻をこえること。
(2)その都道府県の区域の一部をその地区とする漁業協同組合の総数に対するその都道府県の区域の一部をその地区とする被害漁業協同組合(その組含員が所有,かつ,その営む漁業利用に供していた第3条に規定する小型漁船の全部叉は一部につきチリ地震津波災害に係る被害があった漁業協同組合をいう。)の数の割合が,10/100をこえること。
(漁業協同組合の要件)
第2条法第2項の政令で定める要件に該当する漁業協同組合は,その組合員がチリ地震津波災害を受けた際に所有し,かつ,その営む漁業の用を供していた被害小型漁船(以下「組合員所有被害小型漁船」という)の隻数が10隻をこえる漁業協同組合又はその組合員がチリ地震津波災害の発生の際に所有し,かつ,そ営む漁業の用に供していた次条に規定する小型漁船の総隻数に対する細合員所有被害小型漁船の隻数の割合が20/100をこえる漁業協同組合とする。
(小型漁船の範囲)
第3条法第2項の政令で定める小型漁船は,無動力漁船及び総トン数5トン以下の動力漁船とする。
(被害の範囲)
第4条法第2項の政令で定める著しい被害は,修繕することができないか,又著しく困難な程度の損壊とする。
(小型の漁船の建造に要件)
第5条法第2項の小型の漁船を建造するために要する経費は,同項に規定する漁業協同組合が組合員所有被害小型漁船の隻数及び合計総トン数の範囲内におけ隻数及び合計計画総トン数の小型の漁船を建造するために要する経費に限るものとする。
附則
この政令は,公布の日から施行する。

天災の融資暫定措置法の一部改正法

天災による被害農林漁業者等に対する資金の融通に関する暫定措置法(昭和30年法律第136号)の一部を次のように改正する。
付則に次の一項を加える。
2昭和35年5月のチリ地震津波が第2条第1項の規定により,政令で同項の天災として指定された場合における政令で定める都道府県の区域に係る当該天災についてこの法律の規定の適用については,同条第4項第1号中「漁具の購入資金として貸し付けられる場合は1千万円」とあるのは「漁具の購入資金として貸付けられる場合は1干万円,真珠またはカキの養殖に必要な資金として貸し付けられる場合は50万円,その他の漁業経営に必要な資金として貸し付けられる場合は20万円」とする。
付則この法律は,公布の日から施行する。

昭和35年5月のチリ地震津波についての天災による被害農林漁業者等に対する資金の融通に関する暫定措置法の適用に関する政令

(天災の指定)
第1条天災による被害農林漁業者等に対する資金の融通に関する暫定措置法(以下「法」という。)第2条第1項及び第2項の規定により,昭和35年5月のチリ地震津波(以下「チリ地震津波」という。)を同条第1項及び第3項の天災として指定する。
(農機具,漁貝及び漁船の範囲)
第2条チリ地震津波についての法第2条第4項の政令で定める農機具は,原動機により運転される農機具以外の農機具とする。
2チリ地震津波についての法第2条第4項の政令で定める漁具は漁網綱とする。
3チリ地震津波についての法第2条第4項の政令で定める漁船は,総トン数2トン未満の漁船とする。
(経営資金及び事業資金の貸付期闇)
第3条チリ地震津波についての法第2条第4項及び第7項の政令で定める期間は,この政令の施行の日から昭和36年1月31日までとする。
(経営資金の貸付限度額)
第4条チリ地震津波についての法第2条第4項第1号の政令で定めるところにより算出される額は,同条第1項の市町村長が認定する損失額に,同項の被害農業者又は被害林業者に貸し付けられる場合は30/10O(次の各号の1に掲げる資金の貸付けを受けている同の被害農業者又は第3号,若しくはハに掲げる天災に係る同号の資金の貸付けを受けている同項の被害林業者に貸付けられる場合は,60/100)を,同項の被害漁業者に貸し付けられる場合は50/100(漁船の建造又は取得に必要な資金として貸し付けられる場合,漁具の購入資金として貸し付けられる場合及び第3号に掲げる資金の貸付けを受けている岡項の被害漁業者に貸し付けられる場合は,80/100)をそれぞれ乗じて得た額とする。
(1)昭和29年の台風及び冷害の被害農林業者に対する資金の融通に関する特別措置法(昭和29年法律第221号)第2条第2項の経営資金
(2)天災による被害農業者等に対する資金の融通に関する暫定搭置法の一部を改正する法律(昭和32年法律第66号)附則第1項ただし書の規定によりその例によるものとされた同法による改正前の法第2条第3項の経営資金で次に掲げる天災に係るもの
イ 昭和31年6月から9月までの天災についての天災による被害農林漁業者等に対する資金の融通に関する暫定措置法の適用に関する政令(昭和31年政令第294号)第1条に規定する6月から9月までの天災
ロ 昭和31年夏の低温等についての天災による被害農林漁業者等に対する資金の融通に関する暫定措置法の適用に関する政令(昭和31年政令第344号)第1条に規定する低温等
(3)法第2条第4項の経営資金で次に掲げる天災に係るもの
イ 昭和32年2月から9月までの天災についての天災による被害農林漁業者等に対する資金の融通に関する暫定措置法の適用に関する政令(昭和32年政令第287号)第1条第1項に規定する2月から9月までの天災
ロ 昭和33年5月から9月までの天災による被害農林漁業者等に対する資金の融通に関する暫定措置法の適用に関する政令(昭和33年政令第262号)第1条第1項に規定する5月から9月までの天災
ハ 昭和34年7月から9月までの天災についての天災による被害農林漁業者等に対する資金の融通に関する暫定措置法の適用に関する政令(昭和34年政令第300号)第1条第1項に規定する7月から9月までの天災
2次項に規定する被害漁業者以外の法第2条第4項の被害農林漁業者に係るチリ地震津波についての同項第1号の政令で定める額は,次のとおりとする。
3第10条に規定する都道府県の区域内に住所を有する法第2条第1項の被害漁業者に係るチリ地震津波についての同条第4項第1号の政令で定める額は次のとおりとする。
(経営資金の償還期限)
第5条チリ地震津波についての法第2条第4項第2号の政令で定める期限は,開拓者に貸し付けられる場合,水産動植物の養殖に必要な資金として貸し付けられる場合,漁船の建造又は取得に必要な資金として貸し付けられる場合及び漁具の購入資金として貸し付けられる場合は3年(前条第1項各号の一に掲げる資金の貸し付けを受けている者に貸し付けられるときに限り4年),その他の場合は2年(前条第1項各号の1に掲げる資金の貸付けを受けている者に貸し付けられるときに限り3年)とする。ただし,チリ地震津波に係る法第2条第5項第1号の特別被害地域内において農業を営む同条第2項の特別被害農業者又はチリ地震津波に係る同条第5項第3号の特別被害地域内に住所を有する同条第2項の特別被害漁業者に貸し付けられる場含は,5年とする。
(特別被害地域の指定をすることができる都道府県)
第5条の2チリ地震津波についての法第2条第5項第1号の政令で定める都道府県は,岩手県,宮城県,三重県及び徳島県とする。
2チリ地震津波についての法第2条第5項第3号の政令で定める都道府県は,北海道,青森県,岩手県,宮城県,静岡県,三重県,和歌山県,徳島県,愛媛県及び高知県とする。
(政令で定める組合)
第6条チリ地震津波についての法第3条第1項第5号の政令で定める組合は,農業協同組合,森林組合及び漁業協同組合であって,繰越損失金があるもの並びに農業協同組合連合会,森林組合連合会又は派業協同組合連合会(以下この条において「連合会」という。)及び農林中央金庫その他の金融機関からのその組合の借入金の総額(チリ地震津波につき法第2条第4項の経営資金の貸付けに充てるための資金を連合会又は農林中央金庫その他の金融機関から借り入れようとする場合におけるその借入金の額を含む。)が連合会及び農林中央金庫その他の金融機関へのその組合の預金の総額をこえるものとする。
(損失としない期間)
第7条チリ地震津波についての法第3条第3項の政令で定める期間は3月とする。
(遅延利子)
第8条チリ地震津波についての法第3条第3項の政令で定める遅延利子は,同項の期限内における融資残高につき,当該融資の条件として定められた利率(その利率が日歩2銭7厘5毛をこえる場合は,日歩2銭7厘5毛)により計算した額のものとする。
(経営資金及び事業資金の総額)
第9条チリ地震津波についての法第4条第1項の政令で定める額は,30億円とする。
第10条法附則第3項の政令で定める都道府県は北海道,青森県,岩手県,宮城県,静岡県,究重県,和歌山県,徳島県,愛媛県及び高知県とする。
附則
この政令は,公布の日から施行する。

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次項に規定する被害漁業者以外の法第2条第4項の被害農林漁業者に係るチリ地震津波についての同項第1号の政令で定める額
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第10条に規定する都道府県の区域内に住所を有する法第2条第1項の被害漁業者に係るチリ地震津波についての同条第4項第1号の政令で定める額
特定漁業施設の特別措置法

1都道府県が,昭和35年5月のチリ地震津波による災害に係る漁民の漁業施設,住宅等の被害の大きい部落で政令で定めるもの(以下「特別被害漁村」という)の全部またはその一部をその地内に含む漁業協同組合の必要とする特定漁業施設設置費につき,当該漁業組合に対し1/2を下らない率による補助をする場合には図は,予算の範囲内において,当該都道府県に対し,その補助に要する経費(都道府県が1/2をこえる率による補助をする場合には,そのこえる部分の補助に要する経費を除いた経費)の全部を補助することができる。
2前項の特定漁業施設設置費とは,同項の漁業協同組合が特別被害漁村の区域内に住所を有する組合員の共同利用に供するための漁業施設(網漁具を含む)で,政令で定めるものを設置するために要する経費をいうものとする。
附則この法律は公布の日から施行する。

中小企業者への融資特別措置法

(目的)
第1条この法律は,昭和35年5月のチリ地震津波による災害を受けた中小企業者について,その事業の再建に必要な資金(以下「再建資金」という)の融通を円滑するため,商工組合中央金庫の貸し付け利率の引き下げのための措置を定めることにより,その事業の再建を促進し,経営の安定を図ることを目的とする。
(定義)
第2条この法律において,「指定被害中小企業者」とは,次に掲げる者で政令で定める者をいう。
(1)政令に定める地域内に事務所を有し,かつ,前条の災害を受けた中小企業者及び中小企業等協同組合その他の主として中小規模の事業者を直接または間接の構成員とする団体(以下「中小企業者団体」という)。
(2)中小企業団体であって,その直接または間接の構成員のうちに前号に掲げる者を含むもの。
(商工組合中央金庫に対する利子補給)
第3条 政府は,商工組合中央金庫が指定被害中小企業者に対して再建資金の貸し付けを行うときは,政令で定めるところにより,当該貸し付けにつき貸し付け後3年間を限り利子補給金を支給する旨契約を商工組合中央金庫と結ぶことができる,
(利子補給の対象となる貸し付け)
第4条前条の契約による利子補給金の支給の対象となる貸し付けは,商工組合中央金庫が指定被害中小企業者に対して昭和35年10月31日(再建資金の融通に関しとくに必要がある場合において,政令で同日後の日を指定したときは,その日)までに行なう再建資金の貸し付けであって,その全部または一部の利率が年6分5厘であるものとし,その利子補給金の支給の対象となる金額は,指定被害中小企業者ごとに,その利率によって貸し付けた額(その額が次の各号に規定する貸し付けの区分に応じ当該各号に掲げる金額をこえるときは,当該金額以内の額とする。
(1)指定被害中小企業者(中小企業者団体を除く)に対する貸し付けについては50万円(その指定被害者中小企業の直接または間接に所属する中小企業者団体が当該指定被害中小企業者に対する転貸再建資金の貸し付けを受けている場合において,その転貸する額のうちに利子補給の支給の対象となる額を控除した金額。)
(2)中小企業者団体に対する貸し付け(次号の貸し付けを除く)については,150万円。
(3)中小企業者団体に対する再建資金であって,その直接または間接の構成員たる指定被害中小企業者(以下この条において「被害構成員」という)に転貸されるもの(以下次項において「転貸資金」という)の貸し付けについては,それぞれの被害構成員に転貸する金額のうち50万円(その被害構成員が再建資金の貸し付けている場合において,そのうちに利子補給金の支給の対象となる額があるとき,またはその直接もしくは問接に所属する他の中小企業者団体が当該被害構成員に対し転貸する再建資金の貸し付けを受けている場合において,その転貸する額のうちに利子補給金の支給の対象となる額があるときは,その対象となる額を控除した金額)までの額に相当する金額の合計額。
2転貸資金の貸し付けを受ける中小企業者団体がその転貸資金を被害構成員に転貸する場合において,その利率が年6分5厘をこえるときはそのこえる率により転貸した金額は,前項の利子補給金の支給の対象となる金額には含まれないものとする。
3政府が前条の契約により利子補給金の支給の対象とすることができる金額の総額は,2億5千万円を限度とする。
(利子補給金の支給額)
第5条第3条の契約により政府が支給する利子補給金の額は,商工組合中央金庫が貸し付けた再建資金の額のうち利子補給金の支給の対象となる金額につき前条第1項に規定する利率により計算した利子の額と,当該利子補給金の支給の対象となる金額につき商工組合巾央金庫がその貸し付けと同種類の貸し付けを行なう場合における通常の利率により計算した利子の額との差額に相当する金額とする。
附則
この法律は,公布の日から施行する。
昭和35年チリ地震津波災害復旧特例法・伊勢湾特例法・現行法比較一覧表

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(自治庁関係)
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(建設省,運輸省及び農林省)
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(建設省関係)
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(農林省関係)
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(文部省関係)
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(厚生省関係)
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(通商産業関係)
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(労働省関係)

第3節チリ地震津波災害復旧特例法の適用に関する政令集(附告示)

政令第146号(昭和35年6月8日)

昭和35年5月チリ地震津波についての天災による被害農林漁業者等に対する資金の融通に関する暫定措置法の適用に関する政令

内閣は,天災による被害農林漁業者等に対する資金の融通に関する暫定措置法(昭和30年法律第136号)第2条第1項,第3項,第4項及び第7項,第3条第1項及び第3項並びに第4条第1項の規定に基づき,この政令を制定する。
(天災の指定)
第1条天災による被害農林漁業者等に対する資金の融通に関する暫定措置法(以下「法」という。)第2条第1項及び第3項の規定によリ,昭和35年5月のチリ地震津波(以下「チリ地震津波」という。)を同条第項及び第3項の天災として指定する。
(農機具.漁具及び漁船の範囲)
第2条チリ地震津波についての法第2条第4項の政令で定める農機具は,原動機により運転される農機具以外の農機具とする。
2チリ地震津波についての法第2条第4項の政令で定める漁具は,漁網綱とする。
3チリ地震津波についての法第2条第4項の政令で定める漁船は,総トン数2トン米満の漁船とする。
(経営資金及び事業資金の貸付期間)
第3条チリ地震津波についての法第2条第4項及び第、7項の政令で定める期間は,この所令の施行の口から昭和36年1月31までとする。
(経営資金の貸付限度額)
第4条チリ地震津波についての法第2条第4項第1号の政令で定めるところにより算出される額は,同条第1項の市町村長が認定する損失額に,同項の被害農業者又は被害林業者に貸し付けられる場合は30/100(次の各号に掲げる資金の貸付けを受けている同項の被害農業者又は第3号ロもしくはハに掲げる天災に係る同号の資金σ)貸付けを受けている同項の被害林業者に貸し付けられる場合は,60/100)を,「司1頁の被害漁業者に貸し付けられる場合は50/100(漁船の建造又は取得に必要な資金として貸し付けられる場合,漁具の購入資金として貸し付けられる場合及び第3号に掲げる資金の貸し付けを受けている同項の被害漁業者に貸し付けられる場合は,80/100)をそれぞれ乗じて得た額とする。
1昭和29年の台風及び冷害の被害農林業者に対する資金の融通に関する特別措置法(昭和29年法律第221号)第2条第2条第2項の経営資金
2天災による被害農林漁業者等に対する資金の融通に関する暫定措置法の一部を改正する法律(昭和32年法律第66号)附則第1項ただし書の規定によりその例によるものとされた同法による改正前の法第2条第3項の経営資金で次に掲げる天災に係るもの
イ 昭和31年6月から9月までの天災についての天災による被害農林漁業者等に対する資金の融通に関する暫定措置法の適用に関する法令(昭和31年所令第294号)第1条に規定する6月から9月までの天災
ロ 昭和31年夏の低温等についての天災による被害農林漁業者等に対する資金の融通に関する暫定付置法の適用に関する政令(昭和31年所令第344号)第1条に規定する低温等
3法第2条第4項の経営資金で次に掲げる天災に係るもの
イ 昭和32年2月から9月までの天災による被害農林漁業者等に対する資金の融通に関する暫定措置法の適用に関する所令(昭和32年所令第278号)第1条第1項に規定する2月から9月までの天災
ロ 昭和33年5月から9月までの天災に1ついてめ天災による被害農林漁業者等に対する資金の融通に関する暫定措置法の適用に関する政令(昭和33年政令第262号)第1条第1』項に規定する5月から9月までの天災
ハ 昭和34年7月から9月までの天災についての天災による被害農林漁業者等に対する資金の融通にする暫定措置法の適用に関する政令(昭和34年政令第300号)第1条第1項に規定する7月から9月までの天災
2チリ地震津波についての法第2条第4項第1号の政令で定める額は,次のとおりとする。
(経営資金の償還期限)
第5条チリ地震津波についての法第2条第4項第2号の政令で定める期限は,開拓者に貸付けられる場合,水産動植物の養殖に必要な資金として貸付けられる場合,漁船の建造又は取得に必要な資金として貸付けられる場合及び漁具の購入資金として貸付けられる場合は3年(前条第1項各号の1に掲げる資金の貸付けを受けている者に貸し付けられるときに限り4年)その他の場合は2年(前条第1号各号の1に掲げる資金の貸付けを受けている者に貸付けられるときに限り3年)とする。
(政令で定める組合)
第6条チリ地震津波についての法第3条第1項第5号の政令で定める組合は,農業協同組合,森林組合及び漁業協同組合であって,繰越損失金があるもの並びに農業協同組合連合会,森林組合連合会又は漁業協同組合連合会(以下この条において「連合会」という。)及び農林中央金庫その他の金融機関からのその組合の借入金の総額(チリ地震津波につき法第2条第4項の経営資金の貸付けに充てるため資金を連合会又は農林中央金庫その他の金融機関から借り入れようとする場合における邸の借入金の額を含む。)が連合会及び農林中央金庫その他の金融機関へのその組合の預金の総額をこえるものとする。
(損失としない期間)
第7条チリ地震津波についての法第3条第3項の政令で定める期間は,3月とする。
第8条チリ地震津波についての法第3第3項の政令で定める遅延利子は,同項の期間内における融資残高にっき,当該融資の条件として定められた利率(その利率が日歩2銭7厘5毛をこえる場合は,日歩2銭7厘5毛)により計算した金額のものとする。
(経営資金及び事業資金の総額)
第9条チリ地震津波についての法第4条第1項の政令で定める額は,23億円とする。
附則
この政令は,公布の口から施行する。
大蔵大臣佐藤栄作
農林大臣福田赳夫
内閣総理大臣岸信介

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チリ地震津波についての法第2条第4項第1号の政令で定める額
政令第168号(昭和35年6月23日)昭和35年5月のチリ地震津波についての天災による被害農林漁業者等に対する資金の融通に関する暫定措置法の適用に関する政令の一部を改正する政令

内閣は,天災による被害農林漁業者等に対する資金の融通に関する暫定措置法(昭和30年法律第136号)第2条第4項及び第5項,第4条第1項並びに附則第3項の規定に基づき,この政令を制定する。
昭和35年5月のチリ地震津波についての天災による被害農林漁業者等に対する資金の融通に関する暫定措置法の適用に関する政令(昭和35年政令第146号)の一部を次のように改正する。
第4条第2項中「チリ地震津波についての法第2条第4項第1号の政令」を次項に規定する被害漁業者以外の法第2条第4項の被害農林漁業者に係るチリ地震津波についての同項第1号の政令」に,「1千万円」を「250万円」に改め,同条に次の1項を加える。
3第10条に規定する都道府県の区域内に住所を有する法第2第1項の被害漁業者に係るチリ地震津波についての同条第4項第1号の政令で定める額は,次のとおりとする。
第5条に次のただし書を加える。
ただし,チリ地震に係る法第2条第5項第1号の特別被害地域内において農業を営む同条第3項の特別被害農業者又はチリ地震津波に係る同条第5項第3号の特別被害地域内に住所を有する同条第2項の特別被害漁業者に貸付けられる場合は,5年とする。
第5条の次に次の1条を加える。
(特別被害地域の指定することができる都道府県)
第5条の2チリ地震津波についての法第2条第5項第3号の政令で定める都道府県は,岩手県,宮城県,三重県及び徳島県とする。
2チリ地震津波についての法第2条第5項第3号の政令で定める都道府県は,北海道,青森県,岩手県,宮城県,静岡県,三重県,和歌山県,徳島県,愛媛県及`び高知県とする。
第9条中「23億円」を「30億円」に改め,同条の次に次の1条を加える。
第10条法附則第3項の政令で定める都道府県は,北海道,青森県,岩手県,宮城県,静岡県,三重県,和歌山県,徳島県,愛媛県及び高知県とする。
附則
この政令は,公布の日から施行する。
大蔵大臣佐藤栄作
農林大臣福田超夫
内閣総理大臣岸信介

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第10条に規定する都道府県の区域内に住所を有する法第2第1項の被害漁業者に係るチリ地震津波についての同条第4項第1号の政令で定める額
政令第177号(昭和35年6月27日) 昭和35年5月のチリ地震津波による災害に伴なう公住宅法の特例に関する法律施行令

内閣は,昭和35年5月のチリ地震津波による災害に伴なう公営住宅法の特例に関する法律(昭和35年法律第106号)第1項の規定に基づき,この政令を制定する。1昭和35岳5月チリ地震津波による災害に伴う公営住宅法の特例に題する法律第1項に規定する政令で定める地域は,昭和35年5月のチリ地震津波による災害により滅失した住宅の戸数が,その区域内で,200戸以上で,かつ,その区域内の住宅の戸数の!割以上である市町村の区域とする。
2前項の区域は,建設大臣が品示する。
附則
この政令は,公布の口から施行する。
大蔵大臣佐藤栄作
建設大臣村上赳夫
内閣総理大臣岸信介

政令第179号(昭和35年6月27日)昭和35年5月のチリ地震津波による災害を受けた漁業者の共同利用に供する小型の漁船の建造に関する特別措置法施行令

内閣は,昭和35年5月のチリ地震津波による災害を受けた漁業者の共同利用に供する小型の漁船の建造に関する特別措置法(昭和35年法律第IOO号)の規定に基づき,この政令を制定する。
(都道府県の指定)
第1条昭和35年5月のチリ地震津波による災害を受けた漁業者の共同利用に供する小型の漁船の建造に関する特別措置法(以下「法」という。)第1項に規定める都道府県は,次の各号の要件のすべてをみたすものとして農林大臣が指定する都道府県とする。
1昭和35年5月のチリ地震津波による災害(以下チリ地震津波災害」という。)を受けた第3条に規定する小型漁船(沈没し若しくは滅失し又は第4条に規定する著しい被害を受けたものに限る。以下「被害小型漁船」という。)でチリ地震津波災害を受けた際に,その都道府県の区域内に住所を有する漁業者が所有し,かつ,その営む漁業の用に供していたものの隻数が100隻をこえること。
2その都道府県の区域の一部をその地区とする漁業協同組合の総数に対するその都道府県の区域の一部をその地区とする被害漁業協同組合(その組合員が所有し,かつ,その営む漁業の川に供していた第3条に規定する小型船の全部又は一部につきチリ地震津波災害に係る被害があった漁業協同組合をいう)の数の割合が,1O/100をこえること。
(漁業協同組合の要件)
第2条無第2項の政令で定める要件に該当する漁業協同組合は,その組合員がチリ地震津波災漁を受けた際に所有し,かつ,その営む漁業の用に供していた被害小型漁船(以下「組合員所有被害小型漁船」という)の隻数が10隻をこえる漁業協業同組合又はその組合員がチリ地震津波災害の発生の際に所有し,かつその営む漁業の用に供していた次条に規定する小型漁船の総隻数に対する組合員所有被害小型漁船の隻数の割合が20/100をこえる漁業協同組合とする。
(小型漁船の範囲)
第3条法第2項の政令で定める小型漁船は,無動力漁船及び総トン数5トン以下の動力漁船とする。
(被害の範囲)
第4条法第2項の政令で定める著しい被害は,修繕することができないか,又は著しく困難な程度の損壊とする。
(小型の漁船の建造の要件)
第5条法第2項の小型の漁船を建造するために要する経費は,同項に規定する漁業協同組合が組合員所有被害小型漁船の隻数及び合計総トン数の範囲内における隻数及び合計計画総トン数の小型の漁船を建造するために要する経費に限るものとする。
附則
この政令は,公布の日から施行する。
大蔵大臣佐藤栄作
農林大臣福田赳夫
内閣総理大臣岸信介

政令第194号(昭和35年7月4日)昭和35年5月のチリ地震津波による災害を受けた水産業施設の災害復旧事業に関する特別措置法施行令

内閣は,昭和35年5月のチリ地震津波による災室を受けた水産業施設の災室復旧事業に関する特別措置法(昭和35年法律第108憂})第1条及び第2条の規定に基づき,この政令を制定する。
(地域指定)
第1条昭和35年5月のチリ地震津波による災害を受けた水産業施設の災害復旧事業に関する特別措置法(以下「法」という。)第1条の政令で定める地域は,その市町村の区域内に住所を有する漁業者のうち昭和35年5月のチリ地震津波(以ド「チリ地震津波」という。)に係る天災による被害農林漁業昔等に対する資金の融通に関する暫定措置法(昭和30年法律第136号)第2条第2項の特別被害漁業者の数が,その市町村の区域内に住所を有する漁業者のうちチリ地震津波に係る同条第1項の被害漁業者の数の30/l00をこえ,かつ当該特別被害漁業者の数が農林大臣の定める数をこえる市町材の区域とする。
2前項の市町村の区域については,新市町村建設促進法(昭和31年法律第164量)第2条第1項に規定する新市町村にあっては,同条第4項に規定する従前の市町村の区域によることができる。
3第1項の区域は,農林大臣が告示する。
(水産動植物の養殖施設の範囲)
第2条法第2条の政令で定める水産動植物の養殖施設は,かき,真珠又は真珠貝の養殖いかだとする。
(地域指定)
第3条第2条の政令で定める地域は,かきの養殖いかだに係るものにあっては第1号,真珠又は真珠貝の養殖いかだに係るものにあっては第2号に揚げる区域とする。
1その市町村の地先水面でかきの用に供されていた養殖いかだでチリ地震津波による災害を受けたものの数が当該災害の発生の際その市町村の地先水面でかきの養殖の用に供されていた養殖いかだの数の20/100をこえる市町村の地先水面の地区
2その市町村の地先水面で真珠又は真珠員の養殖の用に供されていた養殖いかだでチリ地震津波による災害を受けたものの数の合計が,当該災害の発生の際その市村村の地先水面で真珠又は真珠貝の養殖の用に供されていた養殖いかだの数の合計の20/100をこえる市町村の地先水面の区域
2第1条第2項の規定は,前項の場合に準用する。
3第1項の区域は,農林大臣が告示する。
(補助率)
第4条かきの養殖いかだに係る法第2条の政令で定める率は,次のとおりとする。
16台以下の台数の養殖いかだの災害復旧事業費(以下「災害復旧事業費」という。)については,
9/10
2昭和34年9月α)風水害によりその使用していた養殖いかだにつき著しい被害を受けた漁業者に係る7台から1O台までの台数の養殖いかだα)災害復旧事業費については,5/10
2真珠又は1真珠貝の養殖直いかだに係る法第2条の政令で定める率は次のとおりとする。
1チリ地震津波による災害の発生の際使用していた養殖いかだの台数が100台以下の漁業者に係る10以下の台数の養殖いかだの災害復旧事業費については
9/10
2前項に規定する漁業者で昭和34年9月の風水害によりその使用していた養殖いかだにつき著しい被害を受けたものに係る11台から30台までの台数の養殖いかだの災害復旧事業費については,5/10
附則
この政令は,公布の日から施行する。
大蔵大臣佐藤栄作
農林大臣福田赳夫
内閣総理大臣岸信介

政令第195号(昭和35年7月4日)昭和35年5月チリ地震津波による災害を受けた漁村における漁民の共同利用に供する特定の漁業施設の設置に関する特別措置法施行令

内閣は,昭和35年5月のチリ地震津波による災害を受けた漁村における漁民の共同利用に供する特定の漁業施設の設置に関する特別借置法(昭和35年法律第1O9号)の規定に基づき,この政令を制定する。
(特別被害漁村)
第1条昭和35年5月のチリ地震津波による災害を受けた漁村における漁民の共同利用に供する特定の漁業施設の設置に関する特別措置法(以下「法」という。)第1項に規定する政令で定める部落は,次の各号の要件のすべてをみたす部落(これに準ずるものと農林大臣が認める部落を含む。)とする。
1その区域内に住所を有する漁民又は組織する団体が昭和35年5月のチリ地震津波による災害(以下「チリ地震津波災害」という、)の発生の際使用し又はその発生の直前の漁期において使用していたのりひび又は次条に規定する網漁具の数が,農林大臣の定める数をこえること。
2その区域内にあった漁民の住宅でチリ地震津波災害を受けたもの(滅失し,又は倒壊したものに限る。)の数がチリ地震津波災害の発生の際その区域内にあった漁民の住宅の数の50/100をこえること。
3第l号に規定するのりひび又は網漁具でチリ地震津波災害を受けたもの(滅失し,又は修繕することができないか,若しくは著しく困難なものに限る)の数が,同号に規定するのりひび又は網漁具の数の50/100をこるこえと。
2前項の部落落は,農林大巨が告示する。
(漁業施設の範囲)
第2条法第2項に規定する政令で定める漁業施設は,水産物干場,水産物加工施設,水産物(その加工品を含む。)の倉庫,漁具倉庫及びこれらに類似する施設(農林大臣が指定するものに限る。),のりひび・わかめの養殖施設並びに網漁具(これを移動しないように施設して営む漁業(漁業法(昭和24年法律第267号)第6条第3項に規定する定置漁業を除く。)の用に供されるものに限る。)とする。
附則
この政令は,公布の口から施行する。
大蔵大臣佐藤栄作
農林大臣福田赳夫
内閣総理大臣岸信介

政令第216号(昭和35年7月27日)昭和35年5のチリ地震津波による災害を受けた地方公共団体の起債の特例に関する法律施行令

内閣は,昭和35年5月チリ地震津波による災害を受けた地方公共団体の起債の特例に関する法律(昭和35年法禅第114号)第1条及び第2条第2項の規定基づき,この政令を制定する。
(歳入欠陥債等を起こすことができる地方公共団体の指定)
第1条昭和35年5月のチリ地震津波による災害を受けた地方公共団体の起債の特例に関する法律(以下「法」という。)第1条に規定する政令で定める地方公共団体は,同条に規定する災害に際し災害救助法(昭和22年法律第1l8号)が適用された市町村のうち,同法第23条の規定による救助に要した費用で,都道府県が支弁したものが当該市町村の標準税収人額の1/100に相当する額をこえるものであって、法第1条第1号の徴収金の減免の額と同条第2号の災害対策に通常要する費用の額との合計額が,地方自治法(昭和22年法律第67号)第252条の19第1項の市にあっては1千万円,同項の市以外の市で人口(官報に公示された最近の国勢調査又はこれに準ずる人口調査の結果によるものとし,当該公示の人口調査期口以後において市町村の廃置分合又は境界変更があった場合における当該市の人口は,地方自治法施行令〔昭和22年政令第16号)第177条の規により都道府県知事の告示した人口による。以下同じ。)30万人以上の市にあっては150万円,その他の市及び町村にあっては80万円をこえるものとする。
2前項の標準税収人額は,地方交付税法(昭和25年法律第211号)第10条第3項本文の規定により自治大臣が決定した昭和35年度分の善通交付税の額の算定に用いられた基準財政収入額(特別とん譲与税に相当する額)道路法(昭和27年法律第180号)第7条第3項の市については,地方税法(昭和25年第226号)第700条の49第1項の規定により交付するものとされる軽油引取税に係る交付金の70/100,地方道路譲与税及び特別とん譲与税に相当する額。)を除く。)の70/100に相当する額とする。
3第1項の市町村は,自治大臣が告示する。
(歳人欠陥債等の利息の定率及び償還方法)
第2条法第1条の規定による地方債の利息の定率は,年6分3厘とする。
2法第1条の規定による地方債の償還方法は,昭和36年度以降4年以内の半年賦(うち1年以内の据置期間を含む。)によるものとする。
附則
この政令は,公布の日から施行する。
大蔵大臣水田三喜男
自治大臣山崎厳
内閣総理大臣池田勇人

政令第238号(昭和35年815日)昭和35年5月のチリ地震津波による災害を受けた中小企業者に対する資金の融通に関する特別措置法施行令

内閣は,昭和35年5月のチリ地震津波による災害を受けた中小企業業者に対する資金の融通に関する特別措置法(昭和35年法律第ll9号)第2条及び第3条の規定に基づき,この政令を制定する。
(指定被害中小企業者)
第1条昭和35年5月のチリ地震津波による災害を受けた中小企業者に対する資金の融通に関する特別措置法(以下「法」という。)第2条の指定被害中小企業者は,同条第1号に掲げる者のうち,法第1条の災害により次条に規定する地域内の事業所又は主要な事業用の資産につき,全壊,流失,半壊,床上浸水その他これらに準ずる損害を受けた者であって,その旨の証明を市町村長その他相当な機関から受けたものとする。
2法第4条第1項第3旨の規定の適用については,前項に規定する者のほか,法第2条第2号に掲げる者のうち,同項に規定する者を直接又は問接の構成員のうちに含む者を同条の指定被害中小企業者とする。
(地域の指定)
第2条第1号の政令で定める地域は,法第1条の災害救助法(昭和22年法律第118号)が適用された地域とする。
(商工組合中央金庫に対する利子補給金の支払)
第3条法第3条の契約により政府が支給する利子補給金は,毎年度,4月l日から9月30日まで及び10月1日から翌年3月31日までの期間に分け,それぞれの期間に応ずるものを商工組合中央金庫に対して支払うものとする。
附則
この政令は,公布の日から施行する。
大蔵大臣水田三喜男
通商産業大臣臨時代理
国務大臣迫水久常
内閣総理大臣池田勇人

政令第240号(昭和35年8月玉8日)昭和35年5月のチリ地震津波による災害を受けたる地域における津波対策事業に関する特別措置法施行令

内閣は,昭和35年5月のチリ地震津波による災害を受けた地域における津波対策事業に関する特別措置法(昭和35年法律第107号)第2条及び第4条第3項の規定に基づき,この政令を制定する。
(津波対策事業に関する特別措置に係る被害地域)
第1条昭和35年5月のチリ地震津波による災害を受けた地域における津波対策事業に関する特別措置法(以下「法」という。)第2条に規定する政令で定める地域は,北海道厚岸郡浜中村,青森県八戸市,岩手県の海に面する市町村,宮城県の海に面する市町村,福島県双葉郡富岡町,和歌山県田辺市,徳島県阿南市及び高知県須崎市の区域とする。
(津波対策事業に関する特別措置に係る施設)
第2条法第2条に規定する政令で定める施設は,海岸堤防,河川堤防,防波堤,防潮堤,導流堤,離岸堤,突堤,胸壁,護岸,防潮林,水門及び問門とする。
(チリ地震津波対策審議会の組織)
第3条チリ地震津波対策審議会(以下「審議会」という。)は委員20人以内で組織する。
(委員)
第4条委員は,学識経験のある者及び関係機関の職員のうちから,内閣総理大臣が任命する。
2学識経験のある者のうちから任命される委員の任期は,2年とする。ただし,補欠の委員の任期は,前任者の残任期間とする。
3前項の委員は,再任されることができる。
4委員は,非常勤とする。
(会長)
第5条審議会に会長を置き,委員の互選によってこれを定める。
2会長は,会務を総理する。
3会長に事故があるときは,あらかじめ会長の指名する委員が,その職務を代理する。
(議事)
第6条審議会の会議は,委員の1/3以上が出席しなければ開くことができない。
2審議会の議事は,出席委員の過半数で決し,可否同数のときは,会長の決するところによる。
(幹事)
第7条審議会に幹事20人以内を置く。
2幹事は,関係行政機関の職員のうちから,内閣総理大臣が任命する。
3幹事は,審議会の所掌事務について,委員を補佐する。
4幹事は,非常勤とする。
(資料の提出等の要求)
第8条審議会は,その所掌事務を遂行するため必要があると認めるときは,関係行政機関の長に対し,資料の提出意見の開陳,説明その他必要な協力を求めることができる。
(庶務)
第9条審議会の庶務は,建設省河川局において,農林省農地局,林野庁指導部,水産庁漁港部及び運輸省港湾局の協力を得て処理する。
(雑則)
第10条この政令に定めるもののほか,議事の手続その他審議会の運営に関し必要な事項は,会長が審議会にはかって定める。
附則
(施行期日)
1この政令は,公布の日から施行する。
(建設省組織令の一部改正)
2建設省組織令(昭和27年政令第394号)の一部を次のように改正する。
第24条の次の3号を加える。
4昭和35年5月のチリ地震津波による災害を受けた地域における津波対策事業に関する特別措置法(昭和35年法律第107号)に規定する津波対策事業(以下この条において「津波対策事業」という。)の計画の立案に関すること。
5津波対策事業(災害復旧事業を除く。)の指導,監督及び助成に関すること。
6チリ地震津波対策審議会に関すること。
内閣総理大臣池田 勇人
大蔵大臣水田 三喜男
農林大臣南条 徳男
運輸大臣南 好雄
建設大臣橋本登美三郎
自治大臣山崎 厳

附告示

◎大蔵省告示第117号
チリ地震津波の罹災者に対する遺族国庫債券及び引揚者国庫債券の買上償還に関する要領を次のように定める。
昭和35年6月4日
大蔵大臣佐藤 栄作
チリ地震津波の罹災者に対する遺族国庫債券の買上償還に関する要領
1買上げを請求することができる遺族国庫債券は,遺族国庫債券の発行交付等に関する省令(昭和27年大蔵省令第71号)第1条に規定する遺族国庫債券及び引揚者国庫債券の発行交付等に関する省令(昭和32年大蔵省令第49号)第1条に規定する引揚者国庫債券であって,7に掲げる地域に居住する当該債券の記名者がチリ地震津波により,住家が半壊程度以上の被害を受け,かつ著しく生活が困窮しており,福祉事務所長《社会福祉事業法(昭和26年法律第45号)第14条の規定により置かれた福祉に関する事務所の長(同法附則第7項の規定により置かれた組織の長を含む。)をいう。》が当該債券の買上償還を必要とする旨を証明したものに限る。
2買上げは,遺族国債券の発行交付等に関する省令第11条第1項及び引揚者国庫債券の発行交付等に関する省令第9条第1項の規定により当該債券の元利金支払場所として届出た日木銀行の本店,支店,代理店若しくは国債代理店又は郵便局において取り扱う。
3買上価格は,額面金額(年賦金の支払期日の到来後は元金残高)とする。
4買上げを実施する期日は,昭和35年6月4日から昭和36年3月31日までとする。
5買上請求者は,買上げを請求する場合には,日本銀行所定の遺族国庫債券又は引揚者国庫債券の買上請求書に遺族国債券又は引揚者国庫債券並びに1に規定する証明書を添えて,買上げを取り扱う日本銀行の本店,支店,代理店若しくは国債代理店又は郵便局に提出しなければならない。
6支払期日の到来していない賦券が欠けている債券(以下「けん欠債券」という。)は,買上償還を行なわないものとする。ただし,けん欠債券の記名者が,日本銀行の本店,支店又は代理店にその旨を届け出で,国債に関する法律(明治39年法律第34号)に規定する手続を経て再交付を受けたときは,この限りでない。
7 1に規定する地域は,北海道,青森県,岩手県,宮城県,三重県,和歌山県及び高知県とする。
◎建設省告示第1347号
昭和35年5月のチリ地震津波による災害に伴なう公営住宅法の特例に関する法律施行令(昭和35年政令第178号)第1項の区域は次の市町村の区域であるので,同令第2項の規定により告示する。
昭和35年7月15日
建設大臣村上 勇
道県別郡別市町村名
北海道厚岸郡浜中村
岩手県大船渡市
宮城県本吉郡志津川町
◎農林省告示第764号
昭和35年5月のチリ地震津波による災害を受けた水産業施設の災害復旧事業に関する特別措置法施行令(昭和35年政令第194号)第3条第3項の規定に基づき,同令同条第1項第1号及び第2号の区域を次のように告示する。
昭和35年8月19日
農林大臣協条 徳男
1第1号の区域は,次に掲げる市町村の地先水面の区域とする。
道県別 郡支庁別 市町村名
北海道 胆振支庁
有珠 伊達町
岩手 宮古市,大船渡市,陸前高
田市,釜石市
下閉伊 山田町
上閉伊 大槌町
気仙 三陸村
宮城 石巻市,塩釜市,気仙沼市
本吉 唐桑町,歌津町,志津川町
桃生 雄勝町,鳴瀬町
牡鹿 女川町,牡鹿町,稲井町
宮城 松島町,利府村,七ケ浜町
亘理 亘理町
静岡 清水市
三重 鳥羽市
志摩 磯部町,阿児町
北牟婁 海山町
徳島 阿南市
2第2号の区域は,次に掲げる市町村の地先水面の区域とする。
県別 郡別 市町村名
静岡 清水市
三重 尾鷲市,鳥羽市
北牟婁 海山町,長島町
度会 南勢町,南島町,紀勢町
志摩 大王町,志摩町,阿児町,
磯別町,浜島町
和歌山 川辺市
東牟婁 那智勝浦町,太地町
西牟婁 白浜町
徳島 阿南市
海部 田岐町,宍喰町
愛媛 南宇和 御荘町
北宇和 吉田町
高知 宿毛市,土佐清水市,須崎市
高岡 中土佐町
熊本 本渡市
天草 新和村
◎農林省告示第790号
昭和35年5月のチリ地震津波による災害を受けた漁村における漁民の共同利用に供する特定の漁業施設の設置に関する特別措置法施行令(昭和35年政令第165号)第1条第2項の規定に基づき,同条第1項の部落を次のように告示する。
昭和35年8月24日
農林大臣南条 徳男
道県別 支庁郡別 市町村別 部落名
北海道 釧路支庁
厚岸浜中村 霧多布1区,霧多布3
区,霧多布4区,水取
場,暮帰別,新川,浜
巾,榊町
十勝支庁
十勝 浦幌町 十勝太
広尾 広尾町 入舟町
青森 八戸市 鮫町浜通,三島下,浜
須賀
岩手 大船渡市 下船渡,中赤崎,清水、
蛸の浦
陸前高田市 長部,長砂,沼田,勝
木田,両替,塩谷,三
日市
釜石市 箱崎
宮古市 赤前,本町,下町,法
の脇,南金浜,北金浜
下高浜,上高浜
上閉伊 大槌町 大須賀,上安渡,二渡
前,釜鼻前
下閉伊 山田町 上村,森,跡浜,飯岡
釜谷洞,大沢
宮城 石巻市 萩浜,月浦,狐崎浜,
鹿立,竹浜、折浜,桃
浦,佐須浜
気仙沼市 港,大浦
桃生 鳴瀬町 室浜,大浜
雄勝町 分浜
牡鹿 牡鹿町 前網,谷川浜,小淵,
給分,小網倉,大原,
十八成浜
女川町 竹浦,桐ケ崎,横浦,
野々浜,飯子浜,塚浜
本吉 志津川町 志津川,折立,水戸辺
左郷,波伝谷,津の宮
備考 部落名の欄に掲げる部落の区域を示す図面を,田該部落のある市町村の事務所に備え置いて縦覧に供する。

第4節昭和35年5月のチリ地震津波による被害農林漁業者等に対する金融措置の添付書類

天災による被害農林漁業者等に対する資金の融通に関する暫定措置法の一部を改正する法律(昭和35年6月23日法律第101号)

天災による被害農林漁業者等に対する資金の融通に関する暫定暫置法(昭和30年法律第136号)の一部を次のように改正する。
附則に次の1項を加える。
3昭和35年5月のチリ地震津波が第2条第1項の規定により政令で同項の天災として指定された場合における政令で定める都道府県の区域に係る当該天災についてのこの法律の規定の適用については,同条第4項第1号中「漁具の購入資金として貸し付けられる場合は1干万円」とあるのは「漁具の購入資金として貸し付けられる場合は1干万円,真珠又はかきの養殖に必要な資金として貸し付られる場合は50万円,その他の漁業経営に必要な資金として貸し付けられる場合は20万円」とする。
附則
この法律は,公布の日から施行する。

昭和35年5月のチリ地震津波についての天災による被害農林漁業者等に対する資金の融通に関する暫定措置法の適用に関する政令(昭和35年6月8日政令第146号)(改正昭和35年6月23日政令第168号)

(天災の指定)
第1条天災による被害農林漁業者等に対する資金の融通に関する暫定措置法(以下「法」という。)第2条第1項及び第3項の規定により,昭和35年5月のチリ地震津波(以下「チリ地震津波」という。)を同条第1項及び第3項の天災として指定する。
(農機貝及び漁船の範囲)
第2条チリ地震津波についての法第2条第4項の政令で定める農機具は,原動機により運転される農機具以外の農機具とする。
2チリ地震津波についての法第2条節4項の政令定める漁具は,漁網綱とする。
3チリ地震沖波についての法第2条第4項の政令で定める漁船は総,トン数2トン未満の漁船とする。
(経営資金及び事業資金の貸付期聞)
第3条チリ地震津波についての法第2条第4項及び第7項り政令で定める期間は,この政令の施行の日から昭和36年1月31目までとする。
(経営資金の貸付限度額)
第4条チリ地震津波についての法第2条第4項第1号の政令で定めるところにより算出される額は,同条第1項の市町村長が認定する損失額に,同項の被害農業者又は被害林業者に貸し付けられる場合は100分の30(次の各号の1に掲げる資金の貸付けを受けている「同項の被害農業者又は第3号ロ若しくはハに掲げる天災に係る同号の資金の貸付けを受けている同項の被害林業者に貸し付けられる場合は、100分の60)を,同項の被害漁業者に貸し付けられる場合は100分の50(漁船の建造又は取得に必要な資金として貸し付けられる場合,漁具の購入資金として貸し付けられる場合及び第3号に掲げる資金の貸付けを受けている同項の被害漁業者に貸し付けられる場合は、100分の80)をそれぞれ乗じて得た額とする。
1.昭和29年の台風及び冷害の被害農林業者に対する資金の融通に関する特別措置法(昭和29年法律第221号)第2条第2項の経営資金
2.天災による被害農林漁業者等に対する資金の融通に関する暫定措置法の1部を改正する法律(昭和32年法律第66号)附則第1項ただし書の規定によりその例によるものとされた)同法による改正前の第2条第3項の経営資金で次に掲げる天災に係るもの
イ 昭和31年6月から9月までの天災についての天災による被害農林漁業者等に対する資金の融通に関する暫定措置法の適用に関する暫定措置法の適用に関する政令(昭和31年政令第294号)第1条
に規定する6月から9月までの天災)
ロ 昭和31年夏の低温等についての天災による被害農林漁業者等に対する資金の融通に関する暫定措置法の適用に関する政令(昭和31年政令第344号)第1条に規定する低温等
3.法第2条第4項の経営資金で次に掲げる天災に係るもの
イ 昭和32年2月から9月までの天災についての天災による被害農林漁業者等に対する資金の融通にする暫定措置法の適用に関する政令(昭和32年政令第287号)第1条第1項に規定する2月から9月までの天災
ロ 昭和33年5から9月までの天災についての天災による被害農林漁業者等に対する資金の融通に関する暫定措置法の適川に関する政令(昭和33年政令第262号)第1条第1項に規定する5月から九月までの天災
ハ 昭和34年7月から9月までの天災についての天災による被害農林漁業者等に対する資金の融通に関する暫定措置法の適用に関する政令(昭和34年政令第300号)第1条第1項に規定する7月から
9月までの天災
2次項に規定する被害漁業者以外の法第2条第4項の被害農林漁業者に係るチリ地震津波についての同項第1号の政令で定める額は次のとおりとする。
3第10条に規定する都道府県の区域内に住所を有する法第2条第1項の被害漁業者に係るチリ地震津波についての同条第4項第1号の政令で定める額は、次のとおりとする。
(経営資金の償還期限)
第5条チリ地震津波についての法第2条第4項第2号の政令で定める期限は,開拓者に貸し付けられる場合,水産動植物の養殖に必要な資金として貸し付けられる場合,漁船の建造又は取得に必要な資金として貸し付けられる場合及び漁具の購入資金として貸し付けられる場合は3年(前条第1項各号の1に掲げる資金の貸付けを受けている者に貸し付けられるときに限り4年)その他の場合は2年(前条第1項各号の1に掲げる資金の貸付けを受けている者に貸し付けられるときに限り3年)とする。ただし、チリ地震津波に係る法第2条第5項第1号の特別被害地域内において農業を営む同条第2項の特別被害農業者又はチリ地震津波に係る同条第5項第3号の特別被害地内に住所を有する同条第2項の特別被害漁業者に貸し付けられる場合は,5年とする。
(特別被害地域の指定をすることができる都道府県)第5条の2チリ地震津波についての法第2条第5項第1号の政令で定める都道府県は,岩手県、宮城県、三重県及び徳島県とする。
2チリ地震津波についての法第2条第5項第3号の政令で定める都道府県は,北海道、青森県、岩手県、宮城県、静岡県、三重県、和歌山県、徳島県、愛媛県及び高知県とする。
(政令で定める組合)
第6条チリ地震津波についての法第3条第1項第5号の政令で定める組合は、農業協同組合、森林組合及び漁業協同組合であって、繰越損失金があるもの並びに農業協同組合連合会、森林組合連合会又は漁業協同組合連合会(以下この条において「連合会」という。)及び農林中央金庫その他の金融機関からのその組合の借入金の総額(チリ地震津波につき法第2条第4項の経営資金の貸付けに充てるための資金を連合会又は農林中央金庫その他の金融機関から借り入れようとする場合におけるその借入金の額を含む。)が連合会及び農林中央金庫その他の金融機関へのその組合の預金の総額をこえるものとする。
(損失としない期間)
第7条チリ地震津波についての法第3条第3項の政令で定める期問は,3月とする。
(遅延利子)
第8条チリ地震津波についての法第3条第3項の政令で定める遅延利子は、同項の期間における融資の条件として定められた利率(その利率が日歩2銭7厘5毛をこえる場合は,日歩2銭7厘5毛)により計算した金額のものとする。
(経営資金及び事業資金の総願)第9条チリ地震津波についての法第1条第1項の政令で定める額は,30億円とする。
第10条法附則第3項の政令で定める都道府県は,北海道、青森県、岩手県、宮城県、静岡県、三重県、和歌山県、徳島県、愛媛県及び高知県とする。
附則
この政令は、公布の日から施行する。

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次項に規定する被害漁業者以外の法第2条第4項の被害農林漁業者に係るチリ地震津波についての同項第1号の政令で定める額
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第10条に規定する都道府県の区域内に住所を有する法第2条第1項の被害漁業者に係るチリ地震津波についての同条第4項第1号の政令で定める額
天災による被害農林漁業者等に対する経営資金等の利子補給費及び損失補償費補助金交付要綱

(目的)
第1天災による被害農林漁業者等の経営に必要な資金の融通を円滑にしてその経営の安定に資するため、天災による被害農林漁業者等に対する資金の融通に関する暫定措置法(昭和30年法律第136号。以下「法」という。)に基づき市町村が行なう利子補給及び損失補償に要する経費に対し、予算の範囲内で、岩手県補助金交付規則(昭和32年岩手県規則第71号。以下「規則」という。)及びこの要綱により補助金を交付する。
(補助金交付の対象及び補助率)
第2 第1に規定する経費は、市町村が、その区域内の農業協同組合、漁業協同組合森林組合又はその他の金融機関(以下「組合等」という。)との契約により、当該組合等に対して行なう利子補給及び損失補償に相当する次の上欄に掲げる額とし、その補助率は次の下欄に掲げる率とする。
(書類の経由)
第3規則及びこの要綱により知事に提出する書類は、農林業関係については所轄農林事務所長を、漁業者については所轄水産業事務所長を経由しなければならない。
(提出書類及び提出期日)
第4規則により定める書類及びこれに添付する書類は別表第1のとおりとし、提出期日は、別表第2のとおりとする。

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当該組合等に対して行なう利子補給及び損失補償
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別表第1
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別表第2
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様式第1号
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様式第2号
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様式第3号
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様式第4号
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様式第5号
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様式第6号
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様式第7号
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様式第8号
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様式第9号
議案第27号昭和35年5月のチリ地震津波についての天災による被害農林漁業者等に対する経営資金及び事業資金の融通に伴う利子補給費補助並びに損失補償費補助に関する予算外の義務を負担するための議決を求めることについて

天災に被害農林漁業者等に対する資金の融通に関する暫定措置法に基づき、昭和35年5月のチリ地震津波についての天災による被漁農林漁業者等に対して行なう資金の融通に伴なう利子補給費補助並びに損失補償及び損失補償費補助に関し、次のとおり予算外の義務を負担するため、地方自治法第96条第1項第8号の規定により、議会の議決を求める。
1.予外義務負損の目的
昭和35年5月のチリ地震津波についての天災による被害農林漁業者等に対する経営資金及び事業資金の融通を円滑にするため
2.予算外義務負損の相手方
イ 利子補給
農林中央金庫(以下「中金」という。)、岩手県信用農業協同組合速合会(以下「信速」という。)岩手県信用漁業協同組合速合会(以下「信漁連」という。)株式会社岩手銀行(以上「岩手銀行」という。)及び株式会社東北銀行(以下「東北銀行」という。)
ロ 利子補給費補助
市町村
ハ 損失補償
中金、信連、信漁連、岩手銀行、東北銀行
二 損失補償費補助
市町村
3.予算外義務負担の対象
イ 利子補給
中金、信連、信漁連、岩手銀行が貸し付けた経営資金及び事業資金につき、年6分5厘以内の割合で計算した額
ロ 利子補給費補助
市町村が、農業協同組合及び水産協同組合(以下「組合」という。)との契約により、当該組合が貸し付けた経営資金につき、年6分5厘以内の割合で計算した額を利子補給するために要する経費
ハ 損失、補償
中金、信漁連が、経営資金を貸し付けようとする組合に対し当該資金に充てるための資金を融通することによって受けた損失及び中金、信漁連、岩手銀行、東北銀行が経営資金を貸し付けたことによって受けた損失並びに中金、信漁連が、組合に対し中業資金を貸し付けたことによって受けた損失
二 損失補償費補助
市町村が組合との契約により,当該組合が経営資金を貸し付けたことによって受けた損失を,当該融資総額の50/100に相当する額以内で補償するために要する経費
4.予算外義務負担の限度
経営資金の融資総額5億3千万円を限度とし、償還期限5年以内(事業資金にあっては3年以内〉であって次に掲げる率以内とする。
イ 利子補給
中金、信連、信漁連、岩手銀行及び東北銀行が融資した場合の当該融資額につき、年6分5厘以内の割合で計算した額以内
ロ 利子補給費補助
市町村が利子補給を行なうのに要する経費の100分の82.5に相当する額以内
ハ 損失補償
当該融資総額の50/100に相当する額以内
二 損失補償費補助
市町村が損失補償を行なうのに要する経費の100分の75に相当する額以内
昭和35年6月30日提出
岩手県知事  阿部 千一
提案理由
昭和33年のチリ地震津波についての天災による被害農林漁業者等に対して、その経営を維持する必要な資金の融通を円滑にするため、利子補償及び利子補給費補助並びに損失補助費補助を行なうとするものである。

議案例(被害農林漁業者関係) 議案第  号 昭和35年5月のチリ地震津波についての天災による被害農林漁業者等に対する経営資金の融通に伴なう利子補給及び損失補償に関する予算外の義務を負担するための議案を求めることについて

「天災による被害農林漁業者等に対する資金の融通に関する暫定措置法」及び「昭和35年5月のチリ地震津波についての天災による被害農林漁業者等に対する資金の融通に関する暫定措置法の適用に関する政令に基づき,被害農林漁業者に対して行なう資金の融通についての利子補給及び損失補償について次のとおり予算外義務を負担するため地方自治法第91条第1号第9号の規定により議会の議決を求める。
1.予算外義務負担の目的
昭和35年5月のチリ地震津波についての天災による被害農林漁業者の経営に必要な資金の融通を円滑にするため
2.予算外義務負担の相手方
(1)利子補給及び損失補償
○○農業協同組合
○○漁業協嗣組合
(2)県が行なう利子補給及び損失補償ののうちの一部負担
岩手県
3.予算外義務負担の対象
(1)利子補給
市(町)(村)が農林協同組合、漁業協同組合(以下「組台」という。)との契約により当該組含が貸付けた経営資金につき年6分5厘以内の割合で計算した額
(2)損失補償
市(町)(村)が組合との契約により当該組合が経営資金を貸付けた場合当該融資総額の50/100に相当する額以内
(3)県が行なう利子補給のうち一部負担
県が株式会社岩手銀行(以下「岩手銀行」という。)及び株式会社東北銀行(以下「東北銀行」という。)に対し被害農林漁業者にこ貸し付けた経営資金について年6分5厘以内の割合で計算した補給額
(4)県が行なう損失補償のうちの一部負担
農林中央金庫(以下「中金」という。)及び岩手県信用漁業協同組合連合会(以下「信漁連」という。)が経営資金を貸し付けようとする組合(政令第6条に定める組合に限る)に対し当該融資に充てるための資金(転貸資金)を融通することによって受けた損失補償する額並びに岩手銀行及び東北銀行が被害農林漁業者に経営資金を貸付けたことによって受けた損失を県が損失補償する額
4予算外義務負担の限度
(1〉利子補給及び損失補償
市(町)(村)が組合に対して利子補給及び損失補償を行なう融資総額の限度は    円とする。
(2)県が行なう利子補給及び損失、補償のうち一部負担
市(町)(村)が県との契約により県に対して行なう一部負担額は県が岩手銀行に対して行なう利子補給額の25/100又は17.5/100並びに損失補償額の25/100に相当する額と県が申金及び信漁連に対して行なう損失補償額の25/100に相当する額
昭和    年  月  日
市(町)(村)長氏    名

昭和35年5月のチリ地震津波についての天災による被害漁業者等に対する経営資金の融通に伴なう利子補給費の一部負担並びに損失補償費の一部負担及び転貸資金の貸付に関する損失補償費の一部負担に関する契約書(案)

岩手県(以下「甲」という。)と(以下「乙」という。)とは、「天災による被害農林漁業者等に対する資金の融通に関する暫定措置法」(昭和30年法雑第136号。以下「法」という。)及び「昭和35年5月のチリ地震津波についての天災による被害農林漁業者等に対する資金の融通に関する暫定措置法の適用に関する政令」(昭和35年政令第146号。以下「政令」という。)に基き、甲と農林中央金庫(以下「融資機関」という。)甲と、岩手銀行及び甲と東北銀行(以下「金融機関」という。)が締結した別紙契約書により甲が金融機関に対して行なう利子補給費の一部及び損失袖償費の一部並びに融資機関に対して行なう損失補償費の一部を、乙が負担することについて、次のとおり契約する。
第1条乙は、甲が、金融機関との契約により当該金融機関が経営資金を被害漁業者に貸付した場合において行なう利子補給費の一部および損失補償費の一部並びに融資機関との契約により当該融資機関が漁業協同組合に対し経営資「金に充てるための資金を融資した場合に行なう損失補賃費の一部を負担するものとする。
2前項の利子補給費及び損失補償費の負損額は、次のとおりとする。
(1)利子補給費の負担額は金融機関が乙の区域内の被害漁業者に貸付した経営資金の貸付残高について年1分1厘3毛7糸5、又は8厘7毛5糸の割合で計算した金額とする。
(2)損失補償費の負担額は、乙の区域内に融資又は貸付されたものに係る経費について甲が金融機関又は融資機関に対して損失補償すべき額の25/100に相当する額とする。
第2条甲は乙に対して、前条第2項第1号の利子補給費の負担額については毎年1月1日から6月30日までの期間及び7月1日から12月31日までの期問ごとに、前条第2項第2号の損失補償費の負担額については損失補償を生じた都度通知するものとする。
2乙は、前項の通知を受理した日から10日以内に現金をもって甲に納入するものとする。
第3条乙は、前条の期間内に負担金を納入しない場合は、前条の期間満了の日の翌日から納入の日までの期問につき、日歩3銭2厘の割合で計算した金額をその負担金に加えて甲に支払うものとする。
第4条法、又はこれに基く政令の改廃により金融機関及び融資機関と甲との契約が変更された場合は必要に応じ、甲、乙の協議の上、この契約の内容を変更するものとする
第5条この契約に定めるもののほか、この契約の実施に関し必要な事項は、甲、乙協議して定める。
昭和35年  月  日
岩手県
右代表者 岩手県知事 阿部千一
市(町)(村)長    氏名

昭和35年5月のチリ地震津波についての天災による被害農業者に対する経営資金の融通に関する利子補給及び損失補償契約(例)

○○市町村(以下「甲」という。)と○○農業協同組合(以下「乙」という。)とは天災による被害農林漁業者等に対する資金の融通法に関する暫定措置法(昭和30年法律第136号以下「法」という。)及び昭和35年5月のチリ地震津波についての天災による被害農林漁業者等に対する資金の融通に関する暫定措置法の適用に関する政令(昭和35年政令第146号。以下「政令」という。)に基き乙が行なう融資について次のとおり契約する。
第1条乙は、法第2条第1項、第2項及び政令第1条に定める被害農業者に対し法第2条第4項及び政令第4条第2項に定める経営資金を昭和35年6月8日から昭和36年1月31日までの間において総額00円を限度として融資する。
2甲は前項の融資について乙に対し第4条に定めるところにより利子補給を行なう。
3甲は前項の融資について乙が受けた第2条第1項の損失に対し損失補償を行なう。
第2条前条第3項の損失とは、前条第1項の融資元本の最終償還期限到来後3月を経過してなお元本又は利子(政令第8条で定められた遅延利子を含む)の全部又は一部が回収されなかった場合におけるその回収されなかった金額とする。
2乙が債権保全のため甲の承認を得て繰上償還を命じたときは、その時をもって前項の最終償還期限とする。
第3条乙は、第1条第1項の融資を行なうにあたって甲の意見を徴し、融資を行なった後直ちに甲へ融資を行なった旨報告するものとする。
第4条第1条第2項の規程により甲が乙に対して行なう利子補給について、乙は毎年1月1日から6月30日までの期問及び7月1日から12月31までの期間ごとにその期間内における融資残高(延滞額を除く)に対し、法第2条第5項の特別被害地域において農業を営む同条第2項の特別被害農業者に貸し付けられる資金については年6分5厘、その他の法第2条第1項の被害農業者に貸し付けられる資金については年3分5厘の率で計算した金額を甲に請求し、甲はこれを現金失をで支払うものとする。
2乙は前項の講求にあたって利子補給の金額に関する計算書を作成し、甲に提出するものとする。
第5条第1条第3項の規定により甲が乙に対して行なう損失補償の金額の限度は、乙の行った融資総額の50/100に相当する金額とする。
第6条乙はその行った融資について第2条第1項の損失を生じたときは、甲にその損失に対する補償金を現金で支払う。
2前項の請求にあって乙は損失の金額に関する計算書を作成し、甲に提出する。
第7条乙は、第1条第1項の融資を行なうときは、5人以上の連帯債務又は保証人を2人以上たてさせるものとする。
2前項の規定により保証人をたてさせた場合において乙が通常の書面により保証債務の履行を請求する以前に旧に対し前条の損失補償の請求をしようとするときは、乙は甲の承認を受けるものとする。
第8条甲は乙から第4条の規定により利子補給の請求があった場合、当該請求書を受理した口から30日以内にこれを支払う。
2甲は乙から損失補償の請求があった場合、当該請求を受けた月からgo日以内にこれを支払う。ただし、調査のため特に口時を要するときはこの限りではない。
第9条乙はこの契約により損失補償を受けた後も善良なる管理者の注意をもって当該融資に係る債権の回収に努めるものとする。
2乙は、この契約により損失補償を受けた後に当該融資に係る債権の回収によって得た金額のうちから債権行使のため必要とした費用を控除し、残額があるときは、これを当該融資について損失補償を受けない損失の補償に充てなお残額があるときは当該融資につき甲から受けた損失補償の金額に達するまでの金額を甲に納付する。
3前項の債権行使のために必要とした費用の範囲は次のとおりとする。
(1)利子支払及び元本償還の請求に関する訴訟費用、裁判上の督促手続費用、強制執行に関する費用、その他債権保金のために必要な費用
図前号の手続のために要する書類の訂、調製費用
第10条乙は、その行なった融資につき経理を明らかにするものとする。
第11条甲がの融資に関し報告を求めた場合又は甲の職員をしてこの融資に関する帳簿書類類を調査させることを必要とした場合には、乙はこれに協力する。
第12条甲は乙が法令及びこの契約に違反したときは、利子補給若しくは損失補償の全部若しくは一部について補給若しくは補償をせず、又は既にした利子補給若しくは損失補償金の全部若しくは一部の返還を請求することがある。
第13条法、政令又はこれに基づく諸手続が改正又は廃止されたときは、これに応じて甲、一乙協議のうえ、この契約の内容を変更するものとする。
右の証として本契約書を2通作成し、甲乙各1通を所持するものとする。
昭和年月口
甲○○市郡○○町村
代表者○○市町村長氏名(丸)印
乙○○市郡○○町村○○○○○組合
代表者○○農業協同組合理事氏名(丸)印

昭和35年5月のチリ地震津波についての天災による被害漁業者等に対する経営資金の融通に関する利子補給並びに損失補償契約 (例)

(市)(町)(村)(以下「甲」という。)と、漁業協同組合(以下「乙」という。)とは「天災による被害農林漁業者等に対する資金の融通に関する暫定措置法」(昭和30年法律第136号。以下「法」という。)及び「昭和35年5月のチリ地震津波についての天災による被害農林漁業者等に対する資金の融通に関する暫定措置法の適用に関する政令」(昭和33年政令第146号。以下r政令」という。)に基き,乙が行なう融資について次のとおり契約する。
第1条乙は法第2条第1項及び第2項に定める被害漁業者に対し、法第2条第4項に定める経営資金を昭和35年6月8日から昭和36年1月31日までの問において総額円を限度として融資する。
2前項の融資総額の内、法第2条第2項に定める被害漁業者に対し貸付けられる、年3分5厘以内の経営資金は円を限度とする。
3甲は、前2項の融資について乙に対し第4条に定めるところにより利子補給を行なう。
4甲は、第1項の融資について乙が受けた第2条第1項の損失に対し損失補償を行なう。
第2条前項第4項の損失とは前条第1項の融資元本の最終償還期限到来後3月を経過してなお元本又は利子(政令第8条で定められた遅延利子を含む。)の全部又は一部が回収されなかった場合におけるその回収されなかった金額とする。
2乙が債権保全のため甲の承認を得て繰上償還を命じたときは乙が命じた繰上償還の期限をもって前項の最終償還期限とする。
第3条乙は第1条第!項の融資を行なうにあたって甲の意見を聞き融資を行なった後直ちに甲へ融資を行なった旨を報告する。
第4条第1条第3項の規定により、甲が乙に対して行なう利子補給について、乙は毎年1月1日から6月30日までの期間及び7月1口から12月31日までのその期問内における融資残高(延滞額を除く。)に対し法第2条第5項の特別被害地域において漁業を営む同条第2項の特別被害漁業者に貸し付けられる資金については年6分5厘、その他の法第2条第1項の被害漁業者に貸し付けられる資金については年3分5厘の率で計算した金額を甲に請求し、甲はこれを現金で支払うものとする。
2乙は前項の請求にあたって利子補給の金額に関する計算書を作成し甲に提出するものとする。
第5条第1条第4項の規定により甲が乙に対して行なう損失補償の金額の限度は乙の行なった融資総額の50/100に相当する金額とする。
第6条乙はその行なった融資について第2条第1項の損失を生じたときは甲にその損失の補償を請求し、旧はその損失に対する補償金を現金で支払う。
2前項の請求にあたって損失の金額に関する、計算書を作成し甲に提出する。
第7条乙は第1条第1項の融資を行なうときは、保証入を2人以上たてさせるものとする。
2前項の規定により保証人をたてさせた場合において乙が通常の書面により、保証債務の履行を請求する以前に甲に対し前条の損失補償の請求をしようとするときは、乙は甲の承認を受けるものとする。
第8条甲は乙から第4条の規定により利子補給の請求があった場合当該請求書を受理した日から30日以内にこれを支払う。
2甲は乙から第6条の規定により、損失補償の請求があった場合には当該請求書を受理した日から60日以内にこれを支払う。
3甲が第1項及び第2項の期間内に利子補給金及び損失補償金の支払をしないときは、第1項及 び第2項の期間満了の日の翌日から支払日まで、第4条第1項及び第6条第1項の請求金額に対し日歩3銭2厘の割合で計算した金額を加えて乙に支払うものとする。
第9条乙は、この契約により、損失補償を受けた後も善良な管理者の注意をもって当該融資に係る債権の回収に努めるものとする。
2乙は、この契約により、損失補償を受けた当該融資に係る債権の回収によって得た金額のうちから債権行使のために必要とした費用を控除し残額があるときはこれを当該融資について損失補償を受けない損失のてん補に充当し、なお、残額があるときは甲から受けた損失補償の金額に達するまでの金額を甲に納付する。
3前項の債権行使のために必要とした費用の範囲は次のとおりとする。
(1)利子支払及び元本償還の請求に関する訴訟費用、裁判上の督促手続費用、強制執行に関する費用その他債権保全のために必要な費用
(2)前号の手続のために要する書類の調整費用
第10条前条第1項に規定する乙の善管注意義務は、乙が損失補償金を受けた日から2年を経過したときは、甲、乙協議してこれを解除することができる。
第11条乙は、その行なった融資について経理を明らかにするものとする。
第12条甲が、この融資に関し報告を求めた場合又はその職員をしてこの融資に関する帳簿書類を調査させることを必要とした場合には、乙はこれに協力する。
第13条甲は、乙が法、政令又はこの契約に違反したときは、利子補給及び損失補償の全部若しくは一部について補給若しくは補償をせず又は既にした利子補給金又は損失補償金の全部若しくは一部の返還を請求することがある。
第14条将来政令等により法の定める範囲内で償還期隈又は損失補償金の延長等融資条件の変更が認められ乙がこの範囲内で融資条件の変更を行なったときもすべてこの契約を適用するものとする。
2前項の対象となる融資条件の変更は、甲の意見を聞き乙が条件変更を行ないその旨乙が甲に報告したものに限るものとする。
第15条法、政令又はこれに基く諸手続が改正又は廃止されたときは、これに応じて甲乙協議の上この契約の内容を変更するものとする。
第16条本契約に定めるもののほか必要な事項については甲、乙協議の上これを定める。
右の証として本書2通を作成し、甲、乙各1通を所持するものとする。
昭和35年月日
甲(市)(郡)(町)(村)
代表者(市)(町)(村)長氏名(丸)印
乙(市)(郡)(町)(村)
○○○漁業協同組合
代表者組合長理事氏名(丸)印

損失補償費補助金交付基準

次の各号の1に該当する場合は原則として、損失補償費補助金交付の対象としない。
1農業協同組合、森林組合、漁業協同組合又は金融機関(以下「組合等」という。)に対する損失補償について
(1)組合等が経営資金等の融通に関し故意又は過失により法令に違反している場合。
(2)組合等が経営資金等の融通に係る損失補償契約に違反している場合
(3)組合等が経営資金等の融通に関し善良な管理者の注意を怠っている場合
2農業協同組合連合会、森林組合連合会、漁業協同組合連合、農林中央金庫又は金融機関(以下「連合会等」と総称する。)に対する損失補償について
(1)連合会等が経営資金に充てるための資金の融通に関し故意又は過失により法令に遠反している場合
(2)連合会等が経営資金等に充てるための資金の融通に係る損失補償契約に違反している場合。
(3)連合会等が経営資金に充てるための資金の融通に関し善良な管理者の注意を怠っている場合
注事業資金の融通をした連合会等及び漁業を白営する漁業協同組合に経営資金の融通をした漁業協同組合連合会等については、1に準用する。
第1損失補償費補助金交付基準について
損失補償費補助金交付基準の適用については次の解釈によるものとする。
1基準1(1)について
(1)「故意又は過失により」とは、組合等がその貸付を行えば、法令に違反する事故が生ずるであろうということを認識しているか、又は善良な管理者の注意をもってすれば認識し得たであろうにもかかわらず認識していなかった状況をいう。即ち、法令違反の状態が作り出されることについて、組合等が知っているか又は当然知っていなければならないにもかかわらず知らない状況をいうものである。例えば、組合等が組合員が被害農林漁業者でないことを知っているか又は当然知り得たにもかかわらず経営資金を貸し付けた場合、組合員が法令に定める使途以外に使用することを知っているか又は当然知り得たにもかかわらず貸し付けた場合、法定の利率以上の資金を貸し付けた場合等がこれに当る。
(2)「法令に違反している」とは、損失補償費補助の根拠となっている各特別措置法、同施行令、天災融資法、同適用法令の規定に違反していることでありこれらの法令の適用範囲を定めている通達によって指示された法令の解釈を含むものである。
法令違反の態様はおおむね次のとおりである。
ア 被害農林漁業者以外の者に貸し付けた場合
イ 法令に定める使途等農林漁業経営に必要な資金以外の資金を貸し付けた場合
ウ 政令で定める貸付期間を経過した後に貸し付けた場合
工法令で定められた貸付限度額をこえる額を貸し付けた場合。
オ 償還期隈が政令で定められる期限より長期の資金を貸し付けた場合
力法定の貸付利率をこえる利率の資金を貸し付けた場合
以上の法令違反の場合であっても、手続等に瑕疵があり、その後補正されたもの等については利子補給費補助金の取扱に準じて措置するものとする。
2基準1(2)について
個々の損失補償契約の内容は、各特別措置法及び天災融資制定当時通達した契約例に規定された内容にほぼ等しい革)のと考えられるが、昭和28年12月7日付28農経第996号豊林事務次官通達「昭和28年6月及び7月の水害並びに9月の風水害による被害農林漁業者等に対する金融措置について」別紙様式(3)昭和28年6月及び7月の水害並びに「司年8月及び9月の風水害による被害農期漁業者等に対する融資に関する損失補償及び利子補給契約定款を例とすれば、損失補償契約違反は次の場合が考えられる。
(1)同約款第2条第1号に定める損失補償限度額をこえる補償請求を行なった場合
(8)同約款第3条に違反する場合
ア 保証人を2人以上立てさせていない場合
イ 保証入を立てさせた場合において保証債務の履行を請求する以前に損失補償の請求をすることについて都道府県知事(又は市町村長)の承認を受けていない場合
以上の設例以外に物的担保の設定等特別の定があるものについては、これに違反している場合をも含むものである。
3基準1(3)について
「善良な管理者の注意を怠っている」とは、融資機関である場合等がその経済的地位に応じ通常そなえている注意能力を怠っていることであるが、その具体的基準はその融資機関の一般貸付債権と同等の管理を行なったか否かによって判断される。即ち、融資機関である農協、開拓農協、森林組合、漁協その他の融資機関は、その経済的機能の充実の度合に応じてそれぞれ自己の一般貸付債権の管理について管理手続をとっているものであるが、少なくともそれと同等の管理手続をとることが必要である。管理手続の1例をあげれば次のとおりである。
(1)貸付にあっては、被害認定書、使途等を確認し、法令に定める融資を行なうこと。
(2)債権の回収順位は通常の例にならって合理的に行なうこと。
(3)各分割払込期日には、その期FI以前に通知(口頭丈書等)を行なうことo
(4〉延滞を生じた場合には、その事情を検討し、催告(口頭,文書等)を行なうとともに、必要がある場合には審査を行なうこと。
樹貸付後不適正使用等の事実が判明した場合には遅滞
(注)繰上償還について、都道府県は市町村の承認を要するものについては、都道府昼,実又は市町村が承認しない場合を除く。
(6)最終償還期限到来後なお延滞のある場合には、催告を行なうとともに、保証人に対し交書による保証債務の履行請求を行なうこと。
4基準2(1)について
(1)「経営資金等に充てるための資金の融通に関し」とは、連合会等が融通する資金は転貸機関である組合等が被害農林漁業者に対し経営資金等を融通するための原資であり、従って連合会等が直接管理することのできるのは、転貸期間たる組合等であることを意味している。
(2)「故意又は過失により」は工(1)と同様である。
(3)「法令に違反している」とは1(2)と同様の趣旨であるが、その態様は、おおむね次のとおりである。
ア 経営資金を貸し付けようとする組合等以外の経合等に貸し付けた場合
イ 経営資金に充てられる資金以外の資金を貸し付けた場合
ウ 政令で定める貸付期間を経過した後に貸し付けた場合
工償還期限が政令で定める期限より長期の資し付けた場合
5基準2(2)について
2と同様とする。
6基準2(3)こついて
3と同様の趣旨であるが、一般に連合会等は、組合等に比較してより高度の債権管理を行なっているものであるから、3に例示する管理手続は厳格に実行されていることが必要である。
(註)貸付の一部に上記に例示するような違反事実がある場合には、その違反する部分を損失補償の対象から除外する。

災害融資状況検査指摘事項の処理方針

(イ)組合等被害農林漁業者等に貸付けないで資金を留保し又は他に運用している場合
(ロ)組合等が被害農林漁業者以外の者に貸付けた場合
(ハ)借受けた被害農林漁業者等が次の各号に掲げる目的に使用した場合
(A)長期に亘り組合等に定期貯金(これに類するものを含む)し又は他に運用している場合
(B)農業生産に直接関係のない設備、家屋の新増改築若しくは購入又は土地の購入に充当した場合
(C)農業生産に直接関係のない共同施設費又は部落経費等に充当した場合
(2〉一定期間以後の利子補給補助金を返納させる場合
(イ)被害農林漁業者等が別段貯金等に振替えたまま1年以上使用しない場合=1年を経過した日以降の補助金を返納させる
(ロ)組合等が農林漁業者等の繰上償還金(期限前償還金を含む)を2月以上留保している場合耳特別の事由のない限り償還のあった口から2月を超える日数に応ずる補助金を返納させる。
(3〉今後の利子補給補助金の交付を停止する場合
何)組合等が次の各号に掲げる目的に使用し又は貸付けた場合
偽)被害農林漁業者等に対し1年以上の固定した債務の支払に充当させた場合
(B)被害農林漁業者等に対し、組合の出資金、賦課金に充当させた場合
(C)組合等の自己資金又は借入金により被害農林漁業者等に対し、災害資金と同様の劾果を与える措置を講じ、災害資金は目的外に使用した場合
(D)法令で定める限度を超えて貸付けた場合のその超える部分
(E)貸付期限を1月以上経過して貸付けた場合
(ロ)被害農林漁業者等が次の各号に掲げる目的に使用した場合
(A)土地改良費又は災害復旧費に充当した場合
(B)政令で定める以外の農機具若しくは漁具の購入に充当した場合
(C)災害復旧のための小修理以外の目的に使用される農業用資材の購入に充当した場合
(D)生活資金に充当した場合(ただし、(4)の(2)の場合を除く。)
(4)手続の不備を整備させ、今後適正な使用又は運用がなされるよう指導する場合
(イ)市町村長の被害認定の不適当な場合
(ロ)貸付期限を1月未満経過して貸付けた場合
(ハ)使途の確認できない場合
同緊急止むを得ない事由により生活資金に充当した場合(別段貯金に振り込んでいた場合の大災害発生の時の生活費充当)
剛法定利率を超え一般利率以内で貸付けた場合=超過して徴収した利息は借受者に返還させる。
(5)その他上記各項に掲げる場合の外、法令に違反し又は法令の趣旨からみて不適当と認められる場合には、それぞれの事情に応じ上記に準じて措置を行なう。

第5節チリ地震津波災害対策費及び復旧事業費

災害対策費及び復旧事業費に係る所要財源総括表
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I国庫補助金
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II地方債
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III系統金融資金
事業費目別総括表
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事業費目別総括表-1
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1.住宅等復旧費
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2.公共土木施設復旧事業-1
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3.単独土木施設復旧事業
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農地農業用施設復旧事業
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海岸係全施設復旧事業
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5.農業用共同利用施設農作物及び畜産関係対策費
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6.林業関係復旧費
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7.水産関係復旧費
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8.商工鉱関係復旧費
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9.文教関係復旧費
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10.公用及び公共施設復旧費
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11.災害救助費所要額
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12.社会福祉関係対策費及び復旧費
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13.公衆衛生の保持等に要する所要額
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14.地方税及び使用料手教料等の減収見込額

第6節復興状況

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1小型漁船復旧状況
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2かき養殖施設復旧状況
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3のり養殖施設復旧状況
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4共同利用施設復旧状況
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5天災融資借入状況
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6耐火建策進捗状況(捕助ワク決定分)
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7災害による自創資金借入状況
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8家屋復旧状況(固定資産評価資料による法人は除く)
チリ地震津波による財政措置状況
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1災害復旧費総額
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2昭和35年度災害復旧費
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3災害応急費
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4災害に伴う昭和35年度分減収見込額
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5災害に伴う増加負担額及び補てん要望額
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6財政状況(一般会計)

第6章防災対策

第1節人船渡市における災害対策組織

名称大船渡市災害対策本部
本部の位置災害発生と同時に大船渡市役所内に置く。但し事態の変化に応じ,その設置場所を変更することがある。

(1)本部の構機と任務
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本部の構機と任務
(2)構成

イ構成系統
部の構成は原則として下記のとおりとする。但し本部長は災害の規膜に応じて配置表に基づき部員の配置を変更する。
ロ構成員
部の構成員を次のように定める。但し職務の異動,その他任免等あつた場合においては,その都度部員の構成ならびに動員計画表を変更するものとする。
ハ,災害対策委員会
常時災害の発生を予想し,その対策に万全を期するため,下記規則を設定し,大船渡市災害対策委員会を置くものとする。
大船渡市災害対策委員会設置規則
(目的)
第1条この規則は,災害対策委員会の設置,組織及び運営に関する事項を定めることを目的とする。
(設置)
第2条市長の諮問に応じ災害対策の調整,その他その実施に関し必要な調査及び審議をおこなわせるため,大船渡市災害対策委員会(以下「委員会」という。)を置く。
(組織)
第3条委員会は,委員50人以内をもつて組織し,委員は次の各号に掲げる者のうちから市長が委嘱する。
1国県の行政機関
2市出身の県議会議員
3市の議会議員
4教育委員
5公共的団体の代表者
6会社,事務所の代表者
7学識経験者
8民間組織の代表者
(委員長及び副委員長)
第4条委員会に委員の亘選による委員長及び副委員長1人を置く。
2委員長は,会務総理し,会議の議長となり,委員会を代表する。
3副委員長は,委員長を補佐し,委員長に事故があるときは,その職務を代理する。
4必要に応じ委員会に小委員会及び分科会を置くことができる。
(委員の任期)
第5条委員の任期は2力年とする。ただし欠員が生じた場合における補欠委員の任期は前任者の残任期間とする。
(会議)
第6条委員会は市長が招集する。
(委員会の事務)
第7条委員会の事務を処理するため事務局を置く。
(補則)
第8条この規則に定めるもののほか委員会の運営その他に関し必要な事項は市長が定める。
附則
この規則は,昭和36年4月10日から施行する。

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構成系統
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構成員
(3)動員計画

洪水及び津波等の災害が予想され,又は発生した場合,本部員を速かに動員して被害を最少限度に止め且つ,救助活動を迅速におこなうため,動員計画をたてる。
イ,動員の種別
この計画を最も有効適切に運用するため,動員を下記の種別に分ける。
a.警戒動員
b.第一期動員
c,第二期動員
ただし,津波災害においては時間的余裕のないことを考慮して,警戒動員と同時に第一期動員をおこなうものとする。
口,警戒動員
この動員は災害が予想される場合,本部長が各地区通報員からの観測状況の連絡により,本部近在の職員,及び自動車運転手を市役所宿直員に命じ電話で動員する。
そして危険地域の堤防の欠壊,その他溢水状況を警戒するとともに,大災害を予想して車輌及び本部員の動員体制をととのえるものとする。
ハ,第一期動員
a.災害程度この動員は津波においては,津波警報の発令のあと海水の異状を認めた場合に,洪水においては警戒水位を突破し,なお増水の兆ある場合に,又火災及びその他の非常災害においては多数のものが,同一の災害にかかり,現に応急的な救助を必要とする場合におこなうものである。
b.動員の範囲各地域の状況を総合判断して,現に発生しつつある,又は発生が予想される災害に対して,安全な地域に居住する市職員を動員する。
c.方法市役所宿直員又は警戒動員出動者に命じ,各地区連絡責任者に電話又は直接・動員命令を伝達する。
各地区連絡責任者は動員命令を受けた場合は直ちに地区内市職員に,これを周知せしめ,最良の方法で出勤せしめるものとする。
二,第二期動員
a.災害程度市民の生命,財産に及ぼす被害が広範囲に発生し,緊急に罹災者の救助が必要と認められた場合。
b.動員の範囲罹災程度の軽易な職員も含む,市内居住の全職員を動員する。
c.方法出動命令は広報車又は地区連絡責任者をもつて,周知せしめ,適宜最良の方法で出動するものとする。
ホ,地区連絡責任者
この計画の実施に必要な各地区連絡責任者は次のとおりとする。
目頃市町佐々木五郎電話(呼)998の乙
立根町今野光雄電話791
猪川町村上敬二電話(呼)1003
盛町刈谷貞夫電話(呼)6
盛町船野良悦電話(呼)342
赤崎町千葉誠一電話(呼)437
赤崎町金野良平電話1136の甲
大船渡町北条基一電話(呼)577の乙
大船渡町佐藤勝電話(呼)937の乙
末崎町武田貞一電話(呼)細浦10の乙
末崎町紀室輝雄電話(呼)細浦51
へ,動員計画表
動員可能な最少限の人数で各部の救助活動を適切且つ迅速におこなうため,次のような動員計画表をつくり部員配置に適正を期するものとする。
ただし動員数がこの計画表に定められた数を超えた場合は,予備員として総務部総括班に所属させる。この計画表は時宜に応じ変普せられるものであるが,とりあえず別表のとおり定めておく。

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a.動員計画表-1
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b.計画表に基づいて動員を予定するもの-1
(4)救助実施計画

イ,本部班
渉外
(1)職務内容
災害発生時において本部長及び副本部長に直属して,各部長と密接な連絡を保ちながら,見舞客ならびに被害状況視察その他調査等の来市者に対する応接案内,連絡調整等渉外に関する一切の事を行う。
(2)他職務との関係における計画
イ本部長及び副本部長の日程計画
本部長ならびに副本部長の動静を明かにする目程表をつくり各部の救助活動に支障ないよう万全を期する。
ロ来市者名簿の作製
災害関係来市者の名簿をつくり,後目に備えるものとする。
ハ宿泊要否の確認
宿泊所の斡旋に万全を期するため,その要否を確認して速かに経理部宿泊班に連絡をとる。
伝令
職務の内容
本部長ならびに副本部長に直属して,諸情勢を考慮の上災害救助に協力を求める各種命令,ならびに各部に対して行う災害救助活動に関する各命令を速かに伝達する。
この命令伝達は文書によつて行うものとする。
情報
(1)職務の内容
本部長及び副本部長に直属して上部機関より発せられる災害情報ならびに警報等の収受を行うほか,地域内於ける災害情報を速かに把握してこれが処理にあたる。
(2)処理計画
(丸)イ災害に関する警報を受理した場合は直ちにこれを伝令に回付する。この場合受領者ならびに受領時間を別に定める受領簿に明記する。
(丸)ロ災害ならびに救助活動に関する情報を受けた場合はこれを確認し関係部長に協議し速かに処理方途を講ずる。
(丸)ハ害救助に関する各部閥の連絡調整を行い円滑な救助活動の実施を図る。
口,総務部
総括班
(1)人員置調整計画
災害発生が予想される場合又は現に災害が発生しつつある場合の本部員の動員は別に定める動員計画により行うものであるが,これが災害の状況ならびに経過により動員された人員の配置に適正を欠く場合においては速かに各部の入員配置について調整を行うものとする。
イ各部における動員人員の確認
各部に動員配置された人員が予め定められた動員計画表に基づいて動員されておるかどうか速かに確認する。
ロ予備員の把握
動員計画表に定められた以外の動員者を速かに把握して各部への応援態勢をととのえる。
ハ各部における必要入員の確認
災害の状況ならびに救助の経過に応じた各部従事者必要人員を確保する。
(2)応援者の要請計画
大災害においては市災害対策本部のみの能力ではその救助活動に適切を欠く場合が予想されるので,その際は次により応援者の要請を速かに行うものとする。
イ自衛隊の派遣要請
自衛隊の災害派遣要請は自衛隊法第83条第一項の規定により文書で派遣要請を知事に依頼するものであるが,事態が急迫している等文書による暇がないときは,とりあえず口頭,電話又は電信により次のことがらを明らかにして派遣を要請する。
a災害の状況及び派遣を要する事由
b派遣を必要とする期間
c派遣を希望する人員,船舶,航空機等の概数
d派遣を希望する区域及び活動内容
eその他参考となるべき事項
ロ隣接市町村への要請
隣接市町村への要請は前項と同じ方法により下記のことがらを明らかにして応援を要請する。
a被害の状況
b応援を要する救助の種類
c応援を要する職種別人員
d応援を要する期間
e応援場所
f応援を要する機械器具及び資材の品名ならびに
数量等
gその他応援に関して必要な事項
ハ市内における一般市民の応援要請
一般市民の場合の応援要請は事態の変化に応じ被災地域以外に応援を要請するものとする。この場合は行政連絡員を通じおこなう。
二人夫の手配
第一線救助活動において各部の従事者が不足す一る場合は臨時人夫を雇する。この場合速かな手配をおこなうため,各種市民団体ならびに学徒に呼びかけ協力動員を求める。
(3)応援要請にあたつて池職務との関係
イ応援要請に必要な被害状況は速かに把握すること。
ロ自衛隊ならびに隣接市町村の応援を求める場合は予め次のことがらに万全を期する。
a経理部宿泊班に連絡し宿泊所を選定する。
b連絡先ならびに連絡責任者を予め決めておくこと。
ハー般市民の動員には行政連絡員と連携の上実施する。
(4)陳情,請願書の作成計画
大小の被害に応じこれが速かな復旧を図るため,関係筋へ陳情及び請願書を提出する。このためには災害資料が速かにまとまるよう調査部と密接な連携をとり進めるものとする。
文案,タイプ,印刷,一切を行う。
このほか,陳情請,願書には広報班において準備する災害状況写真を添付するものとする。
(5)各部との連絡調整
災害に対し総合的な対策をたてるため各部における救助活動の内容を次の報告書によりとりまとめ,常時本部における活動状況を把握するものとする。
昭和年月日
災害救助活動日報
〇〇部
(6)対策予算の編成
災害対策予算は各調査資料が総合的にまとまつた後編成するが,災害が小範囲にとどまるときは,現計予算内で措置するが,現計予算以上の支出を必要とする場合は追加予算でこれを支出する。
災害当初の支出については,便宣上現計予算内で操作してこれにあてる。
連絡班
災害発生時において交通,通信途絶による連絡の困難性に鑑み,各部における連絡事項を総括し,本部班伝令と緊密な連携のもとに,各部機関,ならびに諸団体に連絡,その方法にそごを来たさぬよう万全を期する。
(1)各部における連絡事項の総括
各部における連絡事項を速かに且つ効率的に処理するため連絡班にこれを総括し処理するものとする。この場合における連絡事項は第一線における本部機関及びこれが活動に必要な事項。その他行政連絡員,各種団体等に対しおこなう連絡とする。
各部は必要に応じ下記の連絡書を連絡班に提出し連絡方を要請するものとする。
(2)通信途絶による場合の連絡方法
イ連絡すべき緊急事項はその緊急度を考慮して,連絡車により敏速にこれを処理する。
ロ広報班と密接な連絡のもとに広報車をフルに利用し連絡にあたらしめる。
ハ市災害対策本部と県災害対策本部ならびに第一線各部機関との連絡を確保するため,無線又は電話線を早急に設置するよう電話局に緊急修理,及び架設を要望する。
二無電話地域を確認し,無線車を配置するよう電話局に要請する。
ホこのほか,自衛隊に電話架設,又は無線機の設置を要請する。
(3)携帯用無線電話器の備付
大災害においては,交通,通信の途絶が予想されるので,携帯用無線電話器を逐次購入備付けるものとする。
広報班
災害時において正確なる情報を速かに周知徹底せしめることは,人心の安定ならびに災害救助への協力推進等に資することが大なるに鑑み常に本部班青報と連絡を密にし,これが広報につとめると共に各部における救助活動実施に必要な事項の広報宣伝に万全を期する。このほか災害発生,被害の状況,ならびに救助活動全期につい写真撮影をおこない,災害資料として記録するものとする
(1)災害情報の対外的周知対策
イ蒐集した正確な情報は速かに整理記録して,常時災害情況が把握し得るよう調整しておく。
ロ災害救助の協力を求めるため,各報導機関ならびに必要と認められる官公社に対し積極的に資料を提供する。
ハ災害の状況は速かに映画撮影し,資料として常に提供できる体勢におくものとする。
(2)情報ならびに救助実施計画の周知方法
イ緊急を要する事項の広報は原則として,広報車ならびにその他の放送施設によるものとする。
ロ 警報発令ならびに部員の動員には上記のほかNHK大船渡放送局を通じラジオ放送によりおこなう。
ハ 速報を要しない事項の広報には臨時広報板を設置し周知の方途を講ずる。
(3)広報資料の蒐集
総括班と緊密な連携の上に常時各部を巡回し,その救助活動を把握して資料の蒐集に万全を期するものとする。
このほか各部は必要に応じ積極的に広報資料を広報班に提供するものとする。
(4)広報車の運行計画
  緊急広報を必要とするもの以外は毎日定期的広に報車を運行するよう特に考慮するもとする。この軍行時間を決定した場合はその旨各部に連絡するものとする。
(5)写真撮影計画
写真及び映画は被災状況と救助実施状況の両面を経過を追つて詳細に撮影するものとする。
(6)広報に関する機材調達
イ 写真機及び映画撮影機の不足分については民間より借あげする。
ロ 放送施設備付広報車は民間より応援協力を求める。
ハ 16ミリ撮影機は別に購入を計画する。
交書班
(1)死亡者に対する事務処理
イ 検案書の作成
死体の検案は遺体処理班におこなわしめるものであるが,検案書は予め文書班において準備しておくものとする。
ロ 行方不明の本籍,住所調
本籍,住所の不明な死亡者者については,遺体処理班に連絡して遺品その他遺体の特徴等より身元を推定し,行政連絡員,その他関係市町村に照会するものとする。
ハ 埋火葬許可書の発行
死亡届,事務の混乱を未然に防止するため,死亡者の本籍,住所を速かに確認した上,この許可書を発行するものとする。
(2)罹災証明事務の処理計画
災害発生後の各種救護の基礎となる罹災証明書の発行が,迅速且つ厳正におこなわれることは以後の救助活動の能率的処理に欠くべからざる要件であるのに鑑み,その対策については特に次の措置によるものとする。
イ 罹災証明書は,整書班において調査認定した上発行する。この場台調査,認定に関し必要に応じ,地区本部なのに行政連絡員の協力を得るものとする。
ロ 罹災者の必要により,罹災証明の内容は一一様でないことが予想されるので,こび)場合は証明願により処理するものとする。
ハ 罹災証明書は一応下記のように様式を定めておく。
資材班
災害発生時において各種復旧資材ならびに資金の円滑な供給をおこない,もつて諸物価の安定を期するとともに,これが復旧の迅速を図るため,特に必要とされる木材及び鉄鋼類を速かにあつせん供給するものとする。
あつせんする品目は極ね次のとおりとする。
a木材
b鉄鋼,釘,トタン
cガラス
d畳
eセメント
f布団,布団わた
(1)所要数量の把握
上記の品目について各地区本部を通じ,希望数量の申込をとる。この場合,流失,全壊,半壊,床上浸水,床下浸水等被害別に希望数量をまとめるものとする。
(2)木材の供給あつせん及び方法
所要数量がまとまつた場合,木材については国有林,県有林を払下げるよう青森営林局長ならびに岩手県知事に申請するものとする。
イ ー般罹災者資材
払下げした木材の直接販売は製材業者協同組合にこれを代行せしめ,市においては,被害の程度に応じ一定の枠を定め購入券を発行整理するものとする。
この場合払下げ及びその販売方針に基づいて,市長と業者との間に条件を付した契約書を交換する。
ハ 公共施設用資材の払下げ
事務所,学校,病院,診療所,道路,橋,堤防等の応急復旧用に供する資材も,直接市が国・県に払下げ申請をおこう。
(3)鉄鋼類資材のあつせん供給
鉄鋼類,ガラス等の資材は,県商工課と速かに連絡をとり,低廉な資材のあつせん供給をおこなうよう配慮する。
この場合も木材と同様購入券により販売する。
(4)畳の供給あつせん
一応畳については地元畳工業協同組合と提携し,罹災者に対し低廉にこれをあつせん供給する。
(5)セメントの供給あつせん
地元業者を指定し,これがあつせん供給する。
(6)布団及び布団わたの供給あつせん
地元業者を指定し,他の品目と同様低廃に供給あつせんをおこなう。
ハ,調査部
知事が災害救助法を発動すぺきか否かを判断し,災害の事態に対応した救助計画をすみやかに樹立して救助態勢を整備することのできるのは一にかかつで市町村長から正確な被害情報に基づくのである。したがつて市において災害発生した場合は何をおいても,迅速かつ正確に管内の被害状況を収集把握することこそ極めて重要なことである。
よつて下記要領により被害状況の調査を行い,災害対策に万全を期するものとする。
(1)調査すべき場合及び調査の内容
災害救助法が発動され時は勿論のこと,災害が災害救助法の適用基準に達する見込のある程度のものについてすべて調査を行うものとする。このほか台風による災害等の場合には適用基準に達する見込のない程度のものであつても,比較的被害の大きいものについて調査する。
調査の内容は次のとおりとする。
イ 人的被害(死者,行方不明,負傷)
ロ 住家の被害(流失,全壊,半壊,浸水の区別)
ハ 非住家の被害
調査書は別に定める様式1号による
(2)調査の分担区域を次のように定める。
イ 大船渡町第1班地の森,赤沢
第2班台町
第3班茶屋前,明土
第4班南町
第5班須崎
第6班浜町,川原
第7班上笹崎
第8班永沢
第9班平
第10班宮ノ前,下船渡
ロ 盛町全域
ハ 赤崎町第1班佐野,跡浜
第2班宿,生形の一部
第3班生形
第4班山口,永浜,大立
第5班清水,上蛸ノ浦
第6班下蛸ノ浦,長崎,外口,合足
エ 末崎町第1班船河原,峰岸
第2班内田,細浦の一部
第3班細浦の一部,神坂,小細浦
第4班門ノ浜,西館
第5班泊里,碁石
ホ 猪川町全域
へ 立根町〃
ト 目頃市町〃
(3)調査の方法
イ 予め指名されてある調査員は,それぞれの分担地区に災害発生と同時に出向き,速かに被害状況を調査し,総括班に報告するものとする。
ロ ただし災害初期(第一期動員)において短時間に正確な被害状況を把握することが困難な場合も予想されるので,この場合においては被災地区行政連絡員を通じ当該地域内の概況を聴取し,判明次第総括班に報告するものとする。
ハ 時間の経過とともに被害状況の確定をまつて別に定める様式1号の調査票により調査開始する。
二 この調査の完了は災害の目より予め3目以内を目標として進める。
ホ この調査書は毎年午後5時までに本部へ送付する。
(4)調査の集計
調査書の集計は別に定める様式2号の罹災状況集計表により行うものとする。
集計の順序は同様式により次のように行う。
1部落別
2町別
3市の総括
この集計事務は厚生部,庶務班と緊密な連携のもとに調査部総括班が行うものとする。
(5)被害程度の判定基準
被害程度の認定は災害救助法適用の判断の基礎資料となるのみならず救助の実施にあたり,その種類・程度及び期間の決定にも重大な影響を及ぽすものであるから適正に行わなければならない。
イ 住家とは,現実にその建物を居住のために使用しているものをいい必ずしも一棟の建物に限らない。例えば炊事場,浴場又は便所が別棟であったり,離座敷が別棟であるような場合にはこれら生活に必要な部分の棟数は合して一戸とする。
なお社会通念上住家と称せられる程度のものであることを要しない。例えば一般に非住家として取扱われる土蔵,小屋等であつても現実に住家として人が居住しているときは住家に入れるべきである。
ロ 世帯とは生活を一つにしている実際の生活単位をいう。従つて同一家家屋内の親子夫婦であつても,生活の実態が別々であれば当然ニ世帯となるわけである。
又主として学生等を宿泊させている寄宿舎,下宿その他これらに類する施設に宿泊するもので共同生活を営んでいるものについては,原則としてその寄宿舎等を一世帯とし取扱う。
ハ 全壊(焼),流失とは,住家の損壊(焼失)若しくは流失した部分の床面積がその住家の延面積の七割以上に達した場合又は損壊(焼失)もしくは流失の程度が七割には達しないがその住家の残存部分に補修を加えても少再び住家として使用することができない程度のものをいう。
二 半壊(焼)とは,住家の損壊又は焼失した部分の床面積がその住家の延面積の二割以上七割に達しない場合であつて,その残存部分に補修を加えることによつて再び住家として使用することができる程度のものをいう。
なお,破壊消防による全,半壊は,それぞれ前記の全壊,半壊とみなして取扱うものである。
ホ 床上浸水とは,その住家の床上以上に浸水したものをいう。ただし同一の家屋で被害の程度が半壊以上に達している場合は半壊又は全壊として取扱う。
へ 床下浸水とは,建物の床上以上に達しない浸水程度のものをいう。ただし同一の家屋で被害の程度が床上浸水以上に達している場合は床上浸水,半壊又は全壊として取扱う。
ト 死者とは死体を確認したもの,又は死体を確認することができないが死亡したことが確実であると推定されるものをいう。
チ 行方不明とは,所在が不明であり,かつ生死が不明の状態にある者(死亡したことが確実であると見なされる者を除く)をいう。
リ 車傷とは,入院又は担送を要するものをいう。
ス 軽傷とは,症状が重傷程度に達しないものをいう。
(6)様式1号(13−14頁参照)
(7)津波災害においては,盛,猪川,立根,日頃市の各地区調査班員は,それぞれの地区本部にあつて,地区本部長の指示によるほか食糧部及び総務部と連携し,炊出し,及び副食品の供給,その他応援隊の動員等について連絡調整にあたるものとする。
二,厚生部
庶務班
(1)災害救助法に基づく各用紙の確保
イ 災害救助法に基づく災害調査票外111種類の諸台帳用紙を常に確保しておくこと。(同上様式は災害救助法実務参照)
(2)災害概況報告
イ 調査部よりの災害状況,概況報告に基づき災害発生後ただちに.県対策本部に電話,もしくは警察より無電をもつて報告すること。なお概況報告後は調査部よりの調査資料集計結果により逐次第二第三の災害状況報告をすみやかに行う。
(3)各班期別実施計画
災害状況に応じ厚生部各班に対し具体的な救助対策を協議指示する。
(4)災害救助法に基づく諸台帳の整備
庶務係は災害救助法に規定する次σ)諸台帳を整備する。
イ 罹災状況調
ロ 世帯構成員別被害状況調
ハ 同上地区別集計表
エ その他物資購入計画表外108種日の諸台帳の整備作成(災害救助法実務参照)
(5)災害救助法適用にともない県対策本部に対する諸折衝及び諸資料の提供,災害救助法予算の折衝
イ 被服,寝具,口用品の購入並に配分計画表の作成
ロ 炊き出し,その他食品給与枠の確保
ハ 生業資金貸付資金の確保
エ 学用品購入資金の確保
ホ 災害罹災住宅建設枠の確保
(6)災害救助法に基づく救助実施業務の統轄
厚生部以外に属する各部の業務で災害救助法に基づく業務については担当部と協議の上救助業務を実施する。(所定の様式を指示し資料の提出を求む)
(7)災害救助法,救助実施精算事務
災害救助に要した経費の精算事務を行う。実務頁参照)
救助班
(1)災害救助法に基づく物資4)調達計画
イ 現物給付分
災害救助法による県よりの現物給付分にく)いて災害の実状に即応した口用寝具の種目の選定必要数量等を検討し県に折衝し緊急に現物確保に努める。
ロ 現地調達分
災害規模により庶務班より内示された予算に基づき緊急必要度の高い日用品の現地調達を行う。調達にあたつては緊急を要するので市内業者もしは隣接市町村の業者に対し市商工会議所関係機関を介し発生入手する。
(2)法による救援物資の配分輸送計画
イ 法救援物資の検収
庶務班と連絡を密にし確実に検収する。
ロ 法救援物資の配分
法救援物資の配分は庶務班作成の行政区分表ならびに配給伝票に基づき救援物資班に対し物資の配分を依頼する。
ハ 法救援物資受払簿並に受領簿の作成
法救援物資の配分に際しては物資受払簿(実務161頁様式第2号)を作成し受払の明確を期すと共に物資受領簿(実務162頁様式第3号)用紙を作成し救援物資班に対し罹災者よりの受領印を徴するよう1衣頼すること。
エ 法救援物資の輸送配分
物資の輸送配分については物資の性質上一般救援物資と明確に区分するよう留意すること。
(3)住宅応急修理の実施
災害調査表の実施災害調査表に基づき住宅の応急修理を要するものを把握し(実態調査の上身緊急に該当名簿を県対策本部に提出する(実務212頁参照)
補修実施にあたっては市建設事務所と連絡を密にすること。
(4)応急仮設住宅の建設
イ 応急仮設住宅の建設については建設部と協議の上住宅建設位置,敷地を決定し緊急に建設するよう手配する。
同上建設資材の調達についても建設部並びに関係機関(営林署等)と協議折衝する。
丸ロ仮設住宅入居者の決定
応急仮設住宅竣工前に入居希望者の中から地区民生委員等の意見を聞き入居者を決定し知事宛入居申請をする(実務108頁参照)
丸5生業資金の貸与
丸イ災害調査表に基づき生業資金の貸付を必要とするものを把握し実態調査の上貸付申請事業計画等を作成し速かに県知事宛進達する。
丸ロ台帳整備
生業資金借入受付台帳,同貸付台帳等の整備を行う。
丸6学用品の配分
丸イ罹災学童に対する学用品の給与については罹災地区学校長,市教育委員会と協議の上,学用品購入計画表ならびに学用品交付簿を作成し市教育委員会を通じて配分する。(実務239頁)
収容班
丸1避難所の開設
丸イ災害のため被害を受け,またうけるおそれのあるもので避難しなければならないものを一時的に学校に収容する。
丸ロ開設場所
丸1大船渡地区
大船渡小学校,大船渡中学校,太洋学園
丸2赤崎町地区
赤崎小学校,赤崎中学校,蛸ノ浦小学校
丸3盛地区
猪川小学校,猪川保育園,平和記念館
上記避難所には市職員各1名を配置り事務にあたらせる。
丸ハ必要物資の確保
避難所開設に要する物資(ローンク,マッチ,薪炭,ムシロ,毛布,食器,炊具等)を確保する確保数量は収容入員に応じて適宜手配する。食器,炊具については学校給食用具を借用する。
丸二その他避難開設と運営については実務86頁参照
丸2避難所の自治組織計画について
自治的運営を期するため入所者が班を編成,班長を選出し,食糧物資の配分,炊具,食器等の利用,広報伝達の合理化をはかる。
丸3共同炊事栄養管理計画
避難所の既設の炊事施設を活用し,地元婦人会に協力を受け保健所等関係期間の栄養指導のもとに共同炊事を行う。
丸4避難所職員の事務
丸イ避難所に配置された市職員は物資受払簿,入所者名簿,入所者台帳を作成記入し(台帳様式は庶務班より受領)入所者の世帯人員を常に把握し収容班長と連絡を密にして円滑なる運営を計る。
丸ロ入所者に対する救援物資,食糧の配分を行う。
丸ハ職員は毎日1回収容班長に対し収容状況を報告すること。
救援物資班
丸1救援物資収受及び配分基地の設置
丸イ救援物資受付場所
盛町浄願寺
ただし災害の実状にょって適宜変更
丸ロ配分基地の決定並びに物資の配給
罹災地区政区の適宜の場所に当該地区の救援物資配分基地を設け市職員各1名を派遣し行政連絡員,婦人会,青年団,その他の協力を得,物資の収受配分にあたる。
丸ハ物資配給墓準の策定
丸1法による救援物資については,庶務班作成の配給伝票により配分し,受領簿(救助班より受領)に受領印を徴する。
丸2一般救援物資については災害調査票の災害区分(全かい,流失,半かい,床上,床下)にしたがい配分基準を策定する。
丸2応援隊の要請計画
婦人会,青年会等(罹災地を除く)に対し協力を要請する。
なお災害規模によつて必要と認めた場合は隣接市町村の応援を要請する。(三陸村,住田町,一ノ関市,陸前高田市)
丸3所要諸台帳の整備
丸イ救援物資受払簿(庶務班より受領)物賀受払簿はは法によるものと一般救援物資と区分して作成する。
ホ,衛生部
庶務班
丸1医療班の応援要請
丸イ応援を求める医療機関を次のとおり定める。
気仙郡医師会盛町出羽方電話番
医療班3班編成を予定する
県立気仙病院 医療班3班584・585番
丸ロ連絡をとるべき直営診療所
日頃市診療所1090番
中赤崎診療所409番
蛸浦診療所419の乙番
立根診療所(盛町佐々木医院)3番
泊里診療所細浦15番
大船渡保健所64番
県保健課盛岡3の0224番
国保連合会盛岡3765番
日赤病院盛岡3155番
市内の開業医については一切気仙郡医師会を通ずるものとする。日赤病院,自衛隊,NHK等に要請する場合は総務部総括班を経由する。
(2)医療班に必要な医薬品の入手確保
医薬品は病院及び最寄り直営診療所在庫品を使用するものとする。但し不足分については時宜に応じ購入を計画する。
(3)消毒薬品の確保
常時最少限下記のものを確保するものとする。
(4)撒粉機の備付調(46,11現在)
医療班
災害の範囲程度に即応して医師看護婦を分班して被災地に派遺する。
(1)重患者は病院へ収容するものとする。軽患者については臨時診療所を開設応急手当をおこなう。
(2)臨時診療所の開設場所を次のように予定する。
大船渡町台ケ丘,服装学院,下船渡駅
赤崎町中赤崎診療所,蛸ノ浦診療所
末崎町滝田医院,泊里診療所
(3)臨時診療所より遠隔の地にある患者のため,移動医療班を編成してこれにあてる。
(4)医療を実施した場合には次の記録を整備保存するものとする。
イ診療記録
診療記録医療班
医師氏名
ロ薬品衛生材料使用記録.
薬品衛生材料使用簿
医師氏名
ハ救護班の編成及び活動記録
給水班
災害のため井戸水が使用できない地区又は上水道の断水された地区には汚水による伝染病の発生が予想されるので,速かに飲料水を供給するものとする。
(1)応援を求める給水車
気仙酒造株式会所
_のタンク車
新沼信平商店
(2)取水場所
大船渡町加茂の湯の附近
気仙酒造株式会社工場後の入地区
(3)保健所に要請して被災地井戸水の検査
(4)自衛隊に要請して各被災地に貯水槽の設置
遺体処理班
(1)遺体収容所を下記のとおり定める。
大船渡地区西光寺
赤崎地区中赤崎診療所,蛸浦診療所
末崎地区細浦長源寺,,泊里麟祥寺
盛地区浄願寺
(2)警察,消防,青年団等と緊密な連携をはかり,遺体の検死,遺族,親族等による確認をおこなう、。
(3)埋火葬届出手続の指導,火葬場使用計画をたてる。
(4)埋火葬に必要な仏具一切の購入斡旋をおこなう。棺の発生は下記におこなうものとする。
盛町 丸庄家左盛木工所
(5)死体を処理した場合における記録
防疫班
被災地の担当地区を定め,消毒実計画をたてるととに,その実施に万全を期する,又防疫に対する指導ならびに食品衛生検査の指導にあたる。
(1)防疫分担区域は概ね次のとおりとする。
大船渡町第一班赤沢,台町,茶屋前,南町
第二班須崎,浜町,川原,笹崎
第三班永沢以南全域
赤崎町第一一班中赤崎地区全域
第二班大立以南全域
末崎町第一班船河原,内田,峰岸,神坂,中野,小細浦
第二班門の浜を含む泊里地域
(2)人夫、機械器具,消毒薬品の必要数を確認し庶務班に報告調達を要請する。
清掃班
被災地域を清掃して,災害復1日の迅速を期するため,予め塵あい,ふんにょう,汚物等の処理集積場を決定しておき,災害時には速かにこれを搬出処理する
(1)ふんによう処理場
大船渡地区盛川河畔の塵あい処理場(砂土場)
赤崎地区猪川町内貯溜槽及び長崎海岸突端
末崎地区船河原海岸
(2)塵処理場
大船渡地区盛川河畔塵あい処理場
赤崎地区漁協埋立地に一時集積して焼却する
末崎地区船河原海岸
(3)各地区担当者(大船度地区,赤崎地区,和崎地区)は被災地の公共的な重要度を考慮して,塵あい,汚物の処理作業の優先順位を決定するものとする,(現場作業計画は消防団があたるものとする)
イ国道
ロ県道
ハ市道ならびに災害復旧に著しく支障をきたすと思われる道路
(4)応援協力を求める近隣都市衛生車を次のとおりとする。
関市1台
水沢市2台
遠野市2台
盛岡市3台
花巻市2台
へ食糧部
庶務班
被災者に対1.可及的速かに具つ平等に炊出し,ならびに各種食糧の配給がおこなわれるよう,関係機関と緊密な連携を図り,部内各班の活動を推進する。
(1)応援協力を求める関係機関
県農政,課岩手食糧事務所(TEL6125)
食糧事務所気仙支所(TEL779)
県南米協(TEL488)
経済連大船渡支所(TEL875)
各米穀類小売販売業者
市婦連
青果市場
大船渡魚市場
市内各農協
市内各漁協
(2)食糧の確保計画で主食について
罹災状況を勘案して県南米誰穀協同組合及び県経済連に対し,概ね精米3001長の確保を要請する,そのほか,応急米として県農政課に対し,慨ね20トンの特配を要請するものとする。
ロ炊出したについて
行政連絡員ならびに市婦婦連の組織を動員し,被災地に比較的近い安全地域に,1カ所50人分の炊出量を目途に協力を要請する。又この炊出しには,なるべく保存性のある副食物を添える。
ハ副食物について
魚類,野菜,調味料についてそれぞれの関係機関を通じ,確保を要請するものとする。
(3)配給に関する広報宣伝事項
イ炊出しの要請,ならびに配分について
ロ主食臨時配給所の設置場所について
ハ配給券の交付について
二副食物の配給について
ホその他食糧配給に必要な事項
(4)部内各班における内部事務の総括
イ 必要に応じ,炊出券ならびに主食配給券の作成
ロ 配給台帳の整備
ハ食糧運搬車輌の調指
二現場配置へ員の調整
ホ罹災地外の配給所員の応援要請
へ 計量器ならび配給器具のあつせん
トその他各班における内部事務
炊出班
(1)炊出の手配計画
災害発生と同時に直に被災者へ給食がおこなわれるよう次のように炊出しの手配計画をたてる。
で被災地に比較的近い安全地域にある市婦連組織及び行政連絡員を通じて協力を要談する。
ロできるだけ多数の給食可能設備を有する公,私立の施設,会社,工場,飲食業11千等の施没を利用するよう考慮する。
ハ炊出に必要な米穀の供給は様式1号による炊出用米穀配袷券を交付し,指定配給所より受領せしめる。
二炊出しに要した恥穀の代金については,後で配給所より券を回収し台帳と照合して決済するものとする。
ホ炊出用米穀配給券交付台帳は様式2号による。
へ炊出しについは平素より組織を通じ協力を要請しておく。
(2)炊出しの配給詩画
配給にあたつてはいささかも不公平な受配がなされないよう次の措置をとる。
イ消防団ならびに地区行政連絡員と緊密な連絡のもとに炊出配給所及び時刻を指定し,この周知に万全を期する。
ロ炊出し直接の配分については,地元消防団ならびに行政連絡員の協力を求めるものとする。
ハ本部手配の炊出しが交通途絶のため輸送できない地域に対しては予め地区本部において手配計画をたてさせ,事務所要母の米穀を配給するものとする。
二このほか副食斑と協議して移動炊飯設備も考慮する。
ホ炊出しの容器返還は厳重に取扱うものとする。
主食班
主食の配給計画
小売店が罹災したため主食の配給ができない場合においては,小売店が平常に復する迄,一時県南米協及び県経営連直営の臨時配給所を設置して,罹災者に市が保障のもとに発行する緊急米穀配給券を交付して指定の鼠を無料で受配せしめるものとする。(この計画は県南米協と協議決定のこと)
イ緊急米穀配給券の交付
配給券の交付にあたつては交付所を適当な地区に設置する,但し被災地の小範囲な地区には行政連絡員又は配鉛所に依頼この職務を代行させるものとする。
配給券は様式1号による
米穀配給券交付台帳は様式2弓による。
ロ臨時配給所の設置1汁画
配給所が直ちに営業できない状態にある場合においては,臨時配給所を設置して,主食の供給に支障を来さないようにする。
又必要に応じ罹災地外の配給所員の応援協力を求めるものとする。
ハ代金の回収については経理部とも協議し,平常に復し次第適切な措置をおこなうものとする。
二地区別の小売販売業者は次のとおりである。
副食班
集団収容所又は仮設住宅等を重点的に副食物の供給あつせんをおこなうものとする。
(1)応援協力を求める関係機関
市内各農協,漁協
大船渡魚市場
大船渡青果市場
(2)主食班の移動炊飯設備とも連けいし,手配に万全を期する。
(3)配給計画については主食班に準じおこなうものとする。
(4)乳幼児に対する措置として罐入粉乳,補乳ビン等を確保供給する。
ト,経理部
経理班
(1)予算及びその経理計画
各部よりめ支払予定計画に基づき,総務部と協議の上資金計画をたて,各金融機関に対し,資金融資の交渉をおこなう。
支払は資金計画に基づき,緊急物品購入伝票の提示により,その都度債権者に支払うものとする。同伝票は用度班において各部の請求により交付する。
(2)義捐金の配分計画
義捐金の配分方法については。配分委員会の協議により,その都度算定し,速かに罹災者に配分する。
イ配分委員会の委員は次のとおりとする。
副本部長助役,本部付収入役,総務部長,厚生
部長,同庶務班長,経理部長,同経理班長
ロ配分方法は罹災者を各地区毎に集合せしめ,部員が直接手渡すものとする。
(3)庫輌及び船舶の使用料の協定
車輌部ならびに産業部と合議の上,所有者及び関係者と協議し,車輌ならびに船舶の使用料を協定する。
用度班
(1)各部必要物品の確保
毎年12月に予め災害発生を予測して,各部より災害用物品の必要量調査をおこない,有時に際して直ちにその調査に基づき,物品の確保をなし得るよう体勢にするものとする。
災害用物品必要量調査
イ調査書
災害用物品必要量調
ロこの調査書には災害において必要な消粍品及び備品を記載する。(復旧資材については,それぞれ担当部)
ハこの調査は毎年12月20日迄におこなう。
二市役所災害対策所管課はこの調査に基づき次年度の災害対策予算を要求するものとする。
(2)物品の請求及び支給計画
災害時において物品を請求する場合は(災)緊急消粍品請求伝票によりおこなう。在庫品外については緊急物品購入伝票を請求者に交付し直接商店より購入せしめる
イ(災)緊急消粍品請求伝票
宿泊班
本部班,ならびに総務部と緊密な連携を保ちながら来訪者,及び応援者の宿泊に万全を期する。
宿泊所の割合には組織別に分宿させるよう配慮するものする。
大災害の場合においては旅館の外寺院,学校,その他公共建物にも分宿させるよう計画する。
イ市内における旅館及び収容可能状況
ロ市内寺院収容人員
チ,車輌部
動員班
各部において必要な最少限の車輌数を確保して,スムースに救助活動が進められるよう動員に万全を期する。
動員方法は別項動員計画に基づき,次の2種に分けておこなう。
(1)災害救急動員
この動員は災害初期における助助活動の迅速を期するための動員で災害発生と同時に災害安全地域の車輌を対象に,予め地区毎に指定してある速絡先に電話又は直接応援協力を求めるものである。
上記の指定を受けた連絡責任者は,管内の車輌現有状況を常時把握して動員に支障なきよう配慮しておくこと。
ハ動員予定の車輌数
(2)災害復旧動員
災害現場における塵あい処理,流失物のとりかたづけ,救援物資の配給などに機動力をもつて速かに災害復旧を図るための動員である。
したがつて,初期において応援協力を求めた車輌で引続き動員可能の車輌のほかは,作業状況を勘案して新に営業用車輌を対象として動員を求める。
配車班
各部における救助活動を容易ならしめるめ,配車班は動員班と緊密な連携を保ちながら常に動員車輌の把握につとめ,配車に万全を期する。
(1)各部所要車輌数
(2)標識の設定
一搬車輌と災害従事用車輌との識別を明らかにするため,「本部災害用」と赤で表示した布製の小旗を車頭部に付し活動を容易ならしめる。
(3)配車計画
各部及び車輌動員連絡指定者と緊密な連絡のもとに配車の適正を期するため下記様式の配車内訳簿を作成して活動状況を明確にする。
(4)燃料給油計画
災害場所により地理的条件等を考慮して適切な給油所を選定するも概ね下記給油所を指定して円滑な給油を実施する。
(イ)盛町堀江,水野,:丸金給油所
(ロ)大船渡町八木又,川原(大協),新沼給油所
(ハ)末崎町漁協給油所
(5)給油券の発行
各車輌から要求により配車班において下記様式による給油券を交付する。
(6)使用料の調定
使用料については,経理部経理斑と合議の上指定及び所有者と協議し決定する。
(7)車輌借上簿り,建設班
総括班
(1)被害調査の総括
調査工作班より報告される被害状況は次の総括表により処理する。
この表はイ,路線ロ,河川ハ,橋梁二,建築物のによ別り整理する。
(2)被害状況報告
被害状況は総務部を通じ県道路都市課,河港課,建築課にそれぞれ報告されるものであること。(別紙様式による)
主なる被害地域及び河川の名称
被害原因
日雨量ミリメートル
連続雨量ミリメートル
風速メートル
潮位メートル
波高メートル
台風の中心示度ミリバール
(3)資材の確保
被害現場における応急工作の必要の程度を早急に確認して応急工作資材の確保を図るものとする。
イ資材の調達は要請により消防団がおこなうものであるが但し作業用機械等においては総括班が直接消防団又は建設業者に応援を要請する。
ロ各種復旧作業に要する必要最少限の資材は次のとおりとする。
上記資材は必要な時期において直ちに供給できるよう予め消防団において手配してあるもの。
ハ作業用機材
(4)応急工作資材の集荷対策ならびに資材価格及び機材借上料の協定非常災害に際し応急工作の円滑化,ならびに諸物価の安定を期する機関として,市及び関係業界代表をもつて,必要資材対策会議を組織し関係方面との連携を図るものとする。
調査工作班
(1)被害調査分担区域
A地区盛町全域,赤崎町中井〜佐野
B地区大船渡町地の森〜笹崎
C地区大船渡町永井沢以南,末崎町船河原
D地区末崎町船原除き全員
E地区日頃市町全域
F地区立根,猪川町全域
G地区赤崎町跡浜〜合足
(2)調査分担域の調整
災害の発生時期及び規模,種類等によつて,分担地区の編成及び人員配置について適切な調整をおこない,、調整の迅速を期する。
(3)調査方法
イ調査対象は道路,橋梁,河川,その他公共施設についておこなうものとする。
ロ調査内容は,総括班備付の総括表と同様のものとする。
ハ調査事項の速報は指定された時間毎に電話又は職員をして総括班に報告する。
二被害内容の調査と同時に現場の写真撮影をおこなう。
写真機は建設課備付の2台のほか不足分については逐次購入を計画するものとする。
(4)応急工作における人員の増強
イ応急工作において多数の人員の必要とする場に合おいては災害発生地区の周辺は勿論,広範囲な消防団ならびに一般市民の動員計画をたてるものとする。なお必要に応じ建設業者等をして工事をおこなわしめる。
ロ自衛隊に応援を求める場合においては,総務部総括班を通じおこなう。
(5)応急工作の直営
応急工作は原則として市の直営でおこなうよう考慮する。
(6)応急仮設住宅の施設
技術的な面については建設部においておこなうも,敷地の選定その他については厚生部と密接な連携のもとにおこなう。
(7)応急工作資材及び機材
必要に応じ総括班に連絡してその手配を要請する。
ヌ,産業部
総括班
総活班の中に調査集計係及び調査係を置く。
調査集詩係は,調査係より逐次報告される被害状況を取まとめ,総務部を通じ関係機関に速報する。
調査係は農事及び水産の別にそれぞれ地区分担,農協及び漁協と相提携して被害の調査三をおこなうものとする。
(1)被害状況の報告を要する関係機関
県庁農政課農林事務所
農産課建設事務所
耕地課水産事務所
林業課海上保安庁
林務.課漁政課
漁港課
(2)被害状況調査は次の様式により町別ににまとめる。
イ農業関係
ロ水産関係
(3)調査地区の分担
水産被害第一班赤崎地区
第二班大船渡,末崎地区
農業被害各町別に班を編成調査責任者を定めるものとする。
(4)調査員の報告
調査員は次に定める時間にそれぞれ調査集計係に被害状況を報告するものとする。
報告時間6時,8時,10時,12時,2時,4時
需給班
被害状況の把握に基さ,種苗ならびに肥料,薬剤その他復旧資材の速かな調達確保を図るため,需給班の中に農林資材及び水産資材係を置き,災害復旧に万全を期する。
(1)農林資材係
イ種苗の調達計画
大船渡農業改良普及所,ならびに農業共済組合,市内各農協その他市当局をもつて組織する農業普及協議会を速かに招集して,災害状況に応じた種苗の需給について協議する。それに基き,種苗調達計画をたて,農林事務所を通じて県農産課に要請する。
ロ薬剤調達計画
被害状況に応じて,大船渡農業改良普及所ならびに病虫害防除所と協議して速かに対策をたてる。その結果に基き,市内各農協及び共済組合における薬剤の在庫を確認,不足分については経済連大船渡支所を通じ購入するものとする。
撒布については農協ならびに共済組合に実施を委任する。
ハ肥料調達計画
薬剤調達計画に準じおこなうものとする。
(2)水産資材係
イ調達を要する資材及び方法
大量に資材を必要とするものについては市において調達をおこなうも,それ以外については直接漁協が調達にあたるよう協力を求める。
調達資材
船舶用資材
かき養殖資材(かき棚材,縄,種かき,浮樽
コールタ一ル)
ノリ養殖資材(ノリ竹,網)
定置網資材(漁網,浮竹)
ロ漂流物及び沈没品引揚等の配給
この配給については,水難救済会に要請して,配給一切について協力を求めるものとする。
この場合に要した油代,その他借上料については水難救済会と協議して決める。
施設工作班
施設工作班の中に漁港施設係と農業施設係を置き,漁港ならびに農道林道,水路等の公共施設被害について調査及び応急工作をおこなう。
(1)被害調査ならびに応急工作の分担
漁港施設係大船渡,赤崎,末崎町の各漁港及びその施設についておこなう。
農業施設係市内全域における農道,林道,水路等の施設についておこなう。
(2)調達の方法
イ被害発生と同時に現地に出向き,別に定める調査書により被害状況を把握すると共に必要資材を調査する。
ロ調査事項は予め指定されてある時間毎(6時,8時,10目寺,12時,2日寺,4時)に総括班に電話又は職員をして報告する。
ハ調査と同時に被害現場の写真撮影をおこなう。
写真機は産業課備付のもものほか,不足分については逐次購入を計画するものとする。
(3)応急工作における応援要請
イ応急工作において多数の労力を必要とする場合においては,災害発生地区の関係者は勿論,広範囲な消防団ならびに一般市民の動員計画をたてるものとする。なお必要に応じ建設業者に工事をおこなわしめる。
ロ自衛隊の応援を必要とする場合においては総務音1乙,総括班を通じておこなう。
ハ応急工作に要すろ資材については調査結果に基き消防団に手配を要請する。
(4)調査書
ル,水道部
非常災害の発生は水道,井戸等の給水施設を破壊し,あるいは飲料水を汚染させることが多い。したがつてこれによつておこる飲料水のこ渇を最少限度にとどめるためには破損せる水道の早期復1日を図り,速かに給水の方途を講じなければならない。
総括班
(1)被害状況の把握
災害発生と同時に現地に調査員を派遣し,災害カ所の発見に努めると共に応急修理に要する資材を確認せしめる。
この結果により応援協力者の要請計画ならびに応急資材の確保計画を次のようにたてる。
(2)応援協力要請
被災地区が広範囲にわたり,その復旧に長期間を要すると認められる場合においては,他都市に直ち応援協力を求めるものとする。このほか市指定の工事店については災害発生と同時に協力を要請し速カゴに工作班に所属せしめ応旧復旧工作にあたらしめる。
イ応援を要する他都市
県衛生課水道係
盛岡市水道課
一関市水道課
ロ市指定工事店
小山商店水道部佐藤水道工業所
盛水道工業所峰岸冷蔵株式会社
昭和水道工務店
(3)復旧資材の確保計画
復旧用資材の備蓄がない場合においてはとりあえず,指定工事店の備蓄品を借用して,これにあてるものとする。但し被害が大きく,これだけでは充分でない場合においては他都市の関係部局を通じそれぞれの指定主事店の応援協力を求める手配をとる。
予めこの事態を予想して近隣都市相互間においては,常に資材供給ができるよう備蓄品の目録等交換しておくものとする。
復旧作業に要する必要最少限の資材は次のとおりとする。
G P. 150m/m200m(ソケット含む)
ACP150m/m100m(ギボルト含む)
ACP100m/m100m(ギボルト含む)
ACP75m/m100m(ギボルト含む)
ACP50m/m100m(ギボルト含む)
ACP125m/m100m(ギボルト含む)
調査工作班
上水道の破損カ所は災害初期においては流失,倒壊等の家屋の下敷となつているため発見修理には非常な困難が予想されるが,できるだけ広範囲の被害状況を把握することに努め,合理的な期別復旧計画をたて,速かに給水可能ならしめるものとする。
(1)破損力所の調査
イ災害初期においては部分的な破損カ所の発見は困難であるので,とりあえず被災地全体の被害状況を把握して合理的な復旧計画をたてるものとする。
ロ調査員は工作員に先だつて復旧計画に基き調査地区を分担し,災害カ所の発見につとめる。調査は別に定める様式1号によりおこない,逐次工作員ならびに総括班に報告するものとする。
(2)復旧計画
復旧計画は浄水池より近い順に期別にたて,応援協力者ならびに復旧資材の調達状況とにらみ合わせ,早期給水がおこなわれるよう万全を期する。計画の内容は概ね次のとおりとする。
イ作業方針
ロ被害地を区分し,作業順位を定める。
ハ応旧工作員の配置(応援協力者も含む)
二復旧資材の調達状況
ホ給水予定
(3)給水計画
被害カ所の復旧次第給水することは勿論であるが,漏水多量なることが予想されるので,時間給水も考慮するものとする。
その場合においては給水計画をたて,それに基いて,総務部広報班を通じ広報宣伝の徹底を期する。
(4)水質検査
給水可能となつた場合においては,汚水による伝染病の発生も予想されるので水質検査には万全を期するものとする。
この場合においては地区を定め,定期的に残留塩素の測定を実施する。
(5)様式1号
上水道被害カ所調
オ,学校対策部
就学上欠くことのできない学用品を,喪失又は毀損し,しかも物品販売機構等の一時混乱により資力の有無にかかわらず,これらの学用品を直ちに入手することができない状態にある。小学校児童,及中学校生徒に対し可及的速かに必要最少限の学用品を給与し,それらの者の就学の便を図らなければならない。
これと併せて,学校,その他教育施設の被害を速かに復旧せしめ,災害による教育の渋滞防止に万全を期さなければならない。
総括班
(1)罹災児童及び生徒の把握
調査部において行う調査とは別に学校長を通じ罹災児童及び生徒の実態調査を速かにおこなうものとする。この調査は番区調査班がおこなう調査に更に正確を期するためにおこなうものであって,調査の内容は別定める様式第1号による。
(2)学用品の調適及び給与の方法
イ学用品は上記の調査結果に基き,実際に必要なものに限り支給する。
ロ学用品の確保については,学校長と緊密な連絡のもとに学年別学科目別,発行所別に調査し,別に定める様式2号による購入計画表をつくり調達する。
この手配先は次のとおりとする。
A県教委
B岩手県教科図書販売株式会社
C株式会社福屋
ハ.教科書及び教材の支給に要する費用は実費とする。
文房具及び通学用品について被害別,小,中学生別にその限度額が設けられているので,給与にあたつて配分計画表(購入計画表兼ねる)によりおこなうこと。
二学用品の給与にあたつて,実際に支給する事務は学校長に委任するものとする。
ホその他学用品の調達及び給与にあたつては厚生部と緊密な連携を図り万全を期するものとする。
(3)給与の対象とする学用品の品目
イ教科書教科書の発行に関する臨時措置法第二条に規定する教科書で,文部省検定済教科書及び文部省著作教科書である。
ロ教材
当該小,中学校において,有効適切なものとして使用されている教科書以外の教材で例えば,教科書のない教科について使用されているテキスト等である。そのほかワークブック等に使用されているもの。
ハ文房具
ノート,鉛筆,消ゴム,クレヨン,絵具,画筆
画用紙,下敷,定規等の類
二通学用品
運動靴,番傘,カバン,風呂敷,ゴム靴等の類
(4)様式1号 生徒,児童被害調
調査工作班
(1)被害調査の実施
イ児童,生徒の被害状況については学校長に要請して速かに調査を完了せしめ,総括班に報告するものとする。
ロ教育施設については現地に直1妾調査員を派遣,被害カ所の写真撮影をおこなうとともに下記の被害状況を調査する。
校舎,校地,公民館,その池の教育施設
(2)応急工作
被害調査の結果に基き総務部資材班と協議して速かに所要資材の確保を図り応急工作に着手する。
工事は大工組合に応援を求め直営でおこなうよう考慮する。
(3)学用品の輸送及び配分
総括班の計画に基き調達された学用品は,学校単位に輸送配分し,生徒,児童への直接の配分については,学校長に委任するものとする。
ワ,地区本部
(1)設置計画
市民防災協力組織設置要項に基き,災害発生時において,地域の救助活動が適切且つ迅速に処理できるよう地域の協力能勢を確立する。
この設置事務は次の要領により各地区本部付がおこなうものとする。
イ地区本部長及び本部委員の委嘱
予め設置要項に示されてある次の者を委員に委嘱する。
地区内行政連絡員,公民館長,民生委員,防犯委員,青年団長,婦人会長,契約会長,消防団分団長,部長
この中から本部長1名を委嘱する。
ロ設置場所
災害の状況によつて定められるものであるが,津波災害を想定して概ね次のとおり定めておく。
大船渡町大船渡小学校
赤崎町赤崎漁協中赤崎支所
末崎町末崎農協中央支所
必要に応じ支部を置くことを考慮する。
ハ会議
災害救助の協力態勢確立のため,可急的速かに委員会を招集して次の事項を協議する。
A地区本部の職務分担について
B救助活動の実施について
(2)活動計画
地区本部長は市災害対策本部と密接な連絡を図り,災害程度及び救助活動の推移を考慮し,委員会の協議を経て各種救助活動を推進する。
なお救助活動要領は概ね次のとおりとし,本部委員の協議により夫々分担し,責任者を互選して任務の遂行にあたる。

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救助活動の内容報告書
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様式
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罹災証明書
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(6)様式1号 罹災者調査カード
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様式2号 罹災状況集計表
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常時最少限下記のものを確保するもの
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撒粉機の備付調(46,11現在)
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診療記録
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薬品衛生材料使用簿
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救護班の編成及び活動記録
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死体処理台帳
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様式1号炊出用米穀配給券
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様式2号炊出用米穀配給券交付台帳
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様式1号米穀配給券
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様式2号米穀配給券交付台帳
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地区別の小売販売業者
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別表1 昭和35年5月24日チリ地震津波災害における応急対策関係予算
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別表2 見舞金配分基準表
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災害用部品必要量調
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緊急消耗請求伝票
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ロ緊急物品購入伝票
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イ市内における旅館及び収容可能状況
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ロ市内寺院収容人員
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イ市内における車輌の分布状況
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ロ指定の車輌動員連絡先
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動員予定の車輌数
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営業用車輌
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配車内訳簿
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給油券
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車輌借上簿
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総括表
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別紙様式
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公共土木施設以外の主な被害
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各種復旧作業に要する必要最少限の資材
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作業用機材
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田地作付のもの
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畑地作付のもの
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水産関係被害額
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調査書
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上水道被害カ所調
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様式1号 生徒,児童被害調
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様式2号 学用品購入(配分)計画表
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様式3号
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災害対策救助地区本部活動要領

第2節災害通報組織

洪水及び津波等の災害発生を予知して,被害を未然に防止するため,地域に観測通報員を置く。
観測通報員は津波通報員と洪水通報員の2種に分け,下記の者を市長が委嘱する。
(1)津波通報員
イ末崎町船河原
細浦高橋富喜電話(呼)9番
小細浦
門の浜
泊里
梅神
ロ大船渡町上平浜田平太郎電話171番
下船渡川原喜一郎電話852番
赤沢笠井文男電話539番
浜町
永井沢清水晴雄電話(呼)
310の乙番
視崎松野憲ニ
ハ赤崎町宿
山口
永浜志田敬二電話(呼)404番
清水
上蛸浦
長崎平子幸之進電話(呼)
411の甲番
合足
(2)洪水通報員
猪川町下権現堂稲沢勝
立根町田谷千葉祐助
口頃市町関谷新沼慶蔵
降雨観測所をもつ学校
末崎中学校
赤崎中学校
盛高等学校
(3)通報員の任務
イ津波通報員
地震後においてあるいは又地震がともなわなくとも最寄りの海岸において,海水の異状を認められた場合,直ちに当該地域内の消防団員にこれを知らしめ,地域民に周知を図ると共に,消防署(101番)に通報する。但し末崎町における通報員は消防署に通報するほか大船渡警察署末崎駐在所(電話44番)に通報するものとする。
この場合の通報は電話においては緊急通話による。
ロ洪水通報員
台風その他蒙雨等により,洪水及び河川の氾濫が予想される場合猪川町においては,下権現堂地内盛川量水標により又,立根町においては田谷地 内立根川において,目頃市町においては関谷地内盛川の夫々の増水状況を,通報水位を超えた場合に消防署に電話で通報するものとする。
又雨量観測施設をもつ学校においては雨量100ミリを超えた場合消防署に通報する。
(4)観測施設計画
量水標の設置について
日頃市町関谷地内盛川及び立根町田谷地内立根川に量水標を設置する。
このほか盛川権現堂橋々脚に一般市民が直接観測できるよう警戒水位の標示をおこなう。

第3節避難計画

(1)避難警報

災害が発生した場合又は発生が予想される場合に,住民に対しその危険を周知させ,避難に便ならしめるため避難警報を発令する。
イ警報の種類避難警報には事前避難警報と緊急避難警報の2種類とする。
A事前避難警報
測候所等が発する警報に基いて災害の発生のおそれのあるとき,事前に避難の必要と認められる地域に発する警告をいう。
B緊急避難警報災
害の発生が必至と見られるとき又は現に災害が発生しつつあるとき,緊急に避難が必要と認あられる地域に対して発する警告をいう。
口避難警報の発令及び伝達要領
A.警報の発令
市長が気象台長及び測候所長からの通報を受けた場合又は災害の防止上危険であると認めるとき,直ちに消防長をして避難警報を発令せしめる。但し消防長ならびに観測通報員が海岸線及び河川の状況により,緊急避難の必要を認め,市長に警報の発令を要請するいとまのないときは,地域内消防団をして緊急避難警報を発令せしめることができる。その場合は速かにその旨を市長に報告するものとする。
B警報伝達
警報が発令された場合,これを速かに地域民に徹底するため,概ね次の方法により伝達をおこなう。
◎動員する警報網
消防用半鐘,手,電サイレン
消防署広報車(指揮車)
消防団自動ポンプの放送施設
大船渡市役所電動サイレン
大船渡水産市場電動サイレン
小野田セメント電動サイレン
大船渡警察署広報車
状況周知のため町内ラジオ店等の店頭スピーカーの協力を求める。
小中学校の放送施設
ハ信号方法
避難警報に半鐘と手動,電動のサイレンを混用するものとする。
沿岸地区(大船渡,末崎,赤崎町)に設置されてある半鐘は津波,洪水においてのみ使用し,火災には使用しない。
信号方法は次の表による。
二警報施設の整備計画
警報の徹底については現有施設では充分でないので,次のように施設を整備し警報伝達に万全を期する。
A警報器及び設置場所
警報器は停電時においても吹鳴できるよう発電施設又は蓄電施設を整備した余いん防止付サイレンとする。設置場所は風向及び現有位置を考慮して概ね次のように予定する。
大船渡町台町高台
末崎町細浦高台
赤崎町蛸浦小学校附近
Bその他の警報施設
現有施設の配置を考慮して,半鐘,鉄板,鉄骨片を危険地域に設置する。
C放送施設の整備
直接口頭をもつて住民に周知するため下記の地域に放送塔を設置する。
大船渡町台町,平地内
赤崎町生形,蛸浦地内
末崎町細浦,泊里地内

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伝達の経路
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信号方法
(2)避難所及び避難方法

災害が発生した場合又は,そのおそれのあるときに,危険地域の住民を災害に対し安全な地域に速かに且つ整然と避難せしめるため,次のように計画する。
イ避難場所
とりあえず津波を予想して,住家の密集地帯の避難場所を次のように定める。
大船渡町地の森教会高台
赤沢高台(平山長七,鳥井譲右工門
宅附近)
台ケ丘
大船渡中学校
加茂神社高台
大船渡小学校
鉄道路線上高台(永井沢,上平,下平,
砂子前,宮の前)
赤碕町小野田セメント跡浜住宅(旧赤崎小学校)
八坂神社境内
中赤崎公園(山口謙吾宅附近)
末崎町熊野神社(神坂,小細浦)
長源寺
麟祥寺
ロ避難方法
有時に際し避難者による交通混雑を末然に防止するため車による避難と徒歩による避難との2つに分け,次のように経路を定める。
A車による避難の経路
大船渡地区
赤崎地区
末崎地区
B徒歩による避難経
路大船渡地区
赤崎地区
末崎地区
C避難の準備
避難の準備にあたつては事前に特に次の諸点について留意する。
1)火気の取扱には平素注意し,避難に際し,始末を完全にする。
2)服装はできるだけ軽装とし,素足を避け,防雨防寒衣を携行する。
3)貴重品以外の荷物は持ち出さない。
4)照明具,救急薬品等は非常用を標示した袋に入れ,容易に持ち出せるような体製におくこと。
5)学校及び病院等においては平素綿密な避難計画を樹立しこれに基く避難訓練等を実施する。
6)避難者の誘導には消防団があたる。
D避難後における措置
1)逃げおくれた者がないかどうか,避難の確認は速かに消防団がおこなう。
2)避難者は長期にわたり他の地域に避難する場合は,必ず避難先を立退地に標示するものとする。
3)避難がおなわれた後の治安,警備については特に厳重におこなわれるよう警察,ならびに消防と密接な連携をはかる。
E避難に関する施設計画
1)避難所には,その位置を明確にナるため電灯(緑灯)及び標識を設置する。
2)避難場所に至る経路を地域民に認識せしめるため,その経路を示す標識を設置する。
3)避難及び放急用に舟艇を消防署に備付けるものとする、
4)避難の誘導その池の救助活動に使用するため,雨天においても使用可能な提燈を消防署ならびに消防団に設置する。

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A車による避難の経路
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赤崎地区
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末崎地区
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B徒歩による避難経,路大船渡地区
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B徒歩による避難経,赤崎地区
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B徒歩による避難経,末崎地区

第4節市民防災協力組織

(1)設置要項
イ災害発生時における地域の救助活動を適切且つ迅速に処理するため,一般市民による防災協力体制を確立する。
ロこの組織は民主的にしかも,自主的に運営できるよう留意し強制あるいは不公平のない組織とする。
ハこの組織は市の災害対策本部と密接な連携をもつて,一体的活動がおこなられる運営に努める。.
二この組織は警報の発令又は災害の発生と同時に市長がこの要項に基き設置する。
ホ設置単位は町別単位とし,地域の実情及び必要に応じ補助組織をおくことができる。
へ被災地外の町に,下記の組織おく場合においては,概ね次の組織編成によるが,本部長が最も効果的に被災地の救援活動がおこなわれるよう,組織の編成を考慮するものとする。
(2)組織は次のとおりとする
イ名称
「災害救助○○地区本部」とする。
ロ設置場所
地区の中心におくよう地区本部長が決める。
ハ構成
行政連絡員,民生委員,防犯委員,公民館長,青年団長,婦人会長,契約会長,消防団分団長,部長をもつて地区本部委員を構成する。
本部派遣の地区本部付及び地区調査班はこれに協力参加する。
二地区本部長
地区本部長は地区本部委員の中から市が委嘱する。
地区本部長は市災対策本部と緊密な連絡のもとに,地区における災害救助補助又は救助受入等,地区本部を統括する。
ホ地区本部委員
地区本部委員は市長が委嘱する。
へ地区本部事務局長
地区本部における事務を総括し,地区調査班を指揮する。
但し被災地外の地域においては,地区調査班員がこの掌にあたる。
地区本部の事務
地区本部の事務は概ね次のとおりとする。
A災害時における広報広聴活,動に協力する。
B被害の調査に協力する。
D市の救援活動に協力する。(応援の要請,炊出し,副食物の確保等)
D救援物資の受領配分に協力する。

第5節都市間の救援組織の確立

わが国は災害国であるだけに,いつどこで災害が発生しないとも限らない。これが小都市において発生を見ると被害都市単独の能力をもつてしては,救助ならびに応急工作の面で充分な活動ができないのが現状である。
この能力以上に要求される救助活動に万全を期するためには,救助能力のある隣接都市間においては友愛の精神に基く,相互援助の組織体勢にあることが望ましく,且つこの体勢確立が喫緊の問題といわなければならない。
ついては下記のとおり,災害援助を約する覚書を交換することについて,参加の勧奨をおこなうものとする。
勤奨をおこなう都市
陸前高田市,釜石市,遠野市,水沢市,一関市,花巻市,北上市,盛岡市,江刺市,住田町,三陸村覚書の内容は概ね次のとおりとする。
イ必要な情報を相互に交換できる連絡担当課を予め定めておくこと。
ロ役務の提供,救援物資の調達等,応援要請の範囲及び手続き。
ハ応援経費の負担
二その他応援に必要な事項

第7章防災都市建設計画

第1節基本計画

1.基本構想

大船渡市をあらゆる災害から防備し,都市防災の目的を達成するためには既に策定を了してある新市建設計画を再検討し,その地域の問題点を把握するとともに,将来開発発展する様相を適確に想定し,大船渡市及びその経済圏におけるその地域の立地環境を検討し,これに対応する諸施設の整備と防災施設とを関連的に調整して、チリ地震津波災害の復興と防災都市建設が,即,総合開発であるとの根本理念をもって計画を樹立し,その実現を期せんとするものである。

(計画策定の方針)
1.大船渡市建設の至上目標である臨海工業都市建設の基本方針を堅持し,これに即応する防災施設を中心とし諸条件の整備を推進する。
2.計画事業は災害復旧並びに津波対策事業を主体としこれに関連した産業立地の諸条件の整備を企図せんとするものである。
3.臨海地域を中心とし,各地区(12ブロック)の特異性を勘案し,将来の開発発展の様相を想定し,これに対応する立地条件の整備を推進する。
(計画策定の重点)
1.人命の被害を絶無ならしむる。
2.財産の被害を最少限度に止める。
3.経済効果を高度化する。
4.総合開発を推進する。
5.災害時の救助活動を円滑ならしむる。

2.基本計画

大船渡市の臨海地域(大船渡町,赤崎町,末崎町)を12地区に区分し,各地区の現況と将来の開発発展の様相を勘案し,計画策定の方針と重点事項の推進を図る。
(地区区分)
1,合足地区
(現況と問題点。
(1)本地区は,大船渡市の東南端に位置し,三陸村綾里との境界に位置する世帯数18,人口151(35.12.1現在)の小部落である。
(2)交通網としては,県道盛一綾里線が唯一の連絡道路となっているが,都心より18、4kmも離れ,交通が極めて不便である。
(3)産業形態は農林業が主体で,漁業を従としているが,山林の畜積が多く経済的には比較的恵まれた地区である。
(4)海洋に面しているが漁港の整備がなされず漁業が低調である。
圏昭和8年の三陸沖地震津波においては人口104人のうち死亡13名,行方不明7名,重軽傷4名であり15世帯のうち流失8,床上浸水2世帯の被害を受けており,罹災者数50名を数えている。
剛昭和8年の三陸沖地震津波以後,住宅を高台に移築し,その前部に県道盛一綾里線が施工された結果あたかも防潮堤を兼ねた結果となっており,また海岸に延長約150m巾30mの防潮林の造成がなされたので,昭和8年の三陸沖地震津波程度では人家の被害は完全に防災できる。
(7)チリ地震津波においては殆んど被害がなかった。
(8)昭和8年の集中豪雨により,合足川の氾濫によりその両域に相当の被害を受けたのであるが,その復 旧工事がなされたと難も,降雨量100ミリ以上の場合は危険であるので対策の必要がある。
(将来構想)
市の開発発展に伴い,この地区におけ現在の業態が急速に変ることが考えられない。
したがって本地区においては現在の産業形態の改善育成を主軸とし,次の事業の推進を重点とする。
(1)バイパス線の開設(清水合足間)
(2)山林資源の開発育成
(3)都市近郊農業経営法の転換
(4)漁港整備
(5)河川改修
(事業計画)
いる。然しながら,臨海工業都市としての大船渡市の開発が或る程度進展を見た場合においてはじめてそのように移向するものと考察せられ,その場合約51,700坪,2,400人の住宅団地となるが,さし当り,次の事項を重点に推進すべきである。
(1)温暖の気候と南面緩斜面を利用した換金作物栽培への転換
(2)漁港整備と磯漁業資源の増殖制観光資源の開発
(事業計画)
2.長崎地区
(現況と問題点)
(1)本地区は赤崎町の大船渡湾口に位置し,世帯数94,人口635人である。
(2)地形は南面傾斜であり,県道盛一綾里線の両側に住宅が建設され,その上部の斜面は耕地となり,主として麦,大豆の栽培が農作物の主体となっているが,最近たまねぎ,そ菜等換金作物の栽培が台頭しつつある。
(3)産業構造は,完全な半農半漁の業態であるが,漁業は磯漁業が屯体で,漁閑期においては他地区の漁船に乗組み稼働している。
(4)耕地は南面緩斜の比軟的大きな団地をなしているが農道等の整備に見るべきものがない。
(5)河川がなく飲料水対策が必要である。
(6)徒来から住家が高台に建築されている関係から昭和8年の三陸沖地震津波の場合の被害は流失1,床下浸水1、重傷1,軽傷5、罹災人口llに止ており.チリ地震津波の被害は皆無である。
(7)集中豪雨の場合の被害も殆ど見られない。
(将来構想)
本地区は温暖であり,且つ大船渡湾口の外洋に面しているため風光明媚であり,将来人口の増加等により会社工場従業員の静養地及び観光地としての条件を貝備して
3.蛸浦地区
(現況と問題点、)
(1)本地区は上蛸浦,下蛸浦の二部よりなっており,半農半漁の産業形態を成し,世帯数ll9,人口870人である。
(2)農業は畑地農業であり,主として麦及び大豆を耕作している。
(3)漁業は湾内養殖業と磯漁業及び小型動力船による沿岸漁業が主体であり小規模の水産加工をも行っている。
(4)地形は丘陵が多く概して西斜面であり,海岸線に側うて県道盛一綾里線が北から南に走り,その東側に住家が建築されている。
駒豪雨により氾濫するおそれのある河川は下蛸浦に在る蛸浦川程度であるが,極めて小規模の河川である。
(5)昭和8年における三陸沖地震津波の被害は,流失,全壊19,半壊12,床上浸水,床下浸水5の世帯被害を出しており,死者32名,負傷者67であり,罹災人員264名であった。
(6)チリ地震津波においては半壊7,床上浸水20,床下浸水9となっており,人命の被害はなかった。
(将来構想)
本地区における現在の耕地は,将来市の開発進展に伴い,住宅大団地として約王00,450坪,4,740人の人口居住を集約することができる。
また第一種蛸浦漁港を整備し約4,500坪の準工業用地を造成し,水産加工共同利用施設等の用地に充当して行く。
(1)現在め耕地の大部分を住宅用地に転換,区画整理を実施し約10,450坪凡そ4,740人の住宅地を造成し,住宅大団地とする。
(2)現住民は市の開発に附随し,第二次第三次産業に転換して行くが,赤崎町における漁業基地として,漁港整備と,これに附随する施設の敷地造成を推進する。
(事業計画)
4.大立,清水地区
(現況と問題点)
(1)本地区は大立,永浜,小浦,清水の4部落より成り,世帯数133,人口887人の半農半漁の産業形態である。
(2)農業は西面丘陵の畑地農業が主体であるが,最:近果樹換金作物等の栽培に転換する意慾が梢々高まりつつある。
(3)漁業は湾内における「かき」「のり」の養殖が盛んで,現金収入の主体をなしており,近海磯漁業等の零細漁業がこれに次いでいる。
(4)地形は平担地が僅少であり,北から南に走る今出山山系の山麓の西面の緩丘陵が海岸線に達している。
(5)海岸線は屈曲が多く,概して水深が深い。
(6)河川の見るべきものが無いが,清水川,大立川の両小河川が主たるもので,清水川からは1,500m3の取水が可能である。
(7)前記両川は100mm以上の降雨の場合は氾濫のおそれあるが,大なる被害を及ぼすことは考えられない。
(8)今次チリ地震津波の場合は,本地区においては人家の被害は極めて僅少であるが明治29年,昭和9年の三陸沖地震津波の場合は大きな被害を受けている。
(9)昭和8年の三陸沖地震津波における被害は108戸のうち,全壊流出20戸,半壊18戸,床上浸水24戸,死亡者16人,行方不明10人,重傷者6名であった。
(10)過去における津波対策事業として殆ど見るべきものがなく,昭和10年,県道盛一綾里線の開設により海岸線に側うて道路のかさ上げがなされ,これに伴い若干の住家が高台に移築されたに過ぎない。
(将来構想)
本地区は海岸線の屈曲が多く,水深が深い関係上,若干の人工を加えると3〜4万屯クラスの大型船舶が容易に接岸できる埠頭の築造が可能である。また西面緩斜の丘陵は工業生産における流れ作業に最適の傾斜であり,標高50m迄を工業用地として計画し,海面は屈曲する海岸線を合理的に利用しながら,水深10mまでを埋立て,これ等を合わせ約526,000坪の工業用地を確保する。
本地区内の住宅については,蛸浦地区,或は中赤崎地区に移住せしめ,一部水産業者を除き,誘置工場の従業員として吸収して行く。
(1)御前島の東端と下り松の南端を結ぶ海面を埋立て専用岸壁と工業用地を造成する。
(2)琵琶島と小浦の間の海面を埋立て琵琶島を埠頭として利用する。
(3)永浜湾は弁天岬の南端より水深9m以内を埋立し,護岸を施し,工業用地と3,000屯クラス船舶の接岸岩壁を造成する。
(4)大立地区は弁天岬北端より水深10m内の海面を埋立て,工場用地を造成し,現在の赤崎中学校は工場設に利用し当該中学校は中赤崎地区に新築する。
(5)本地区の土地利用計画は,立地する企業が具体化するを待ち,その業種に即応する計画を樹立する。
(事業計画)
5.中赤崎地区
(現況と問題点)
(1)本地区は,跡浜,宿後の入,大洞,生形,山口の6地区からなり,世帯数453,人口2,510人である。
(2)従来,半農半漁の業態であったが,最近は湾内における「かき」の養殖がその主体となっており,更にこれ等第一次産業経営家庭より,会社事業所等に勤務するものが多い。
(3)最近においては,工場用地として水田の殆どが買収され,且つ港湾修築等により養殖漁場が縮少されつつあり,関係住民は転業について真剣に取り組み,傾斜地利用によるぶどう等の栽培に活路を見出そうとしている。
(4)昭和35年において,赤崎漁業協同組合が施行した,地先公有水面の埋立が完成し,約10,000坪(外に約4,000坪未完成)の臨海敷地の造成が成されたのであるが,赤崎漁業協同組合においては,これの具体的利用計画が確立されてなく,その利用如何が本地区の住民経済に及ぼす影響が極めて大きい。
(5)照和8年の三陸地震津波被害は流出,全壊55,半壊9となっておるが,これの対策事業としては集団住宅敷地12戸分を造成したに過ぎず,うち9戸は今次チリ地震津波により流失している。
(6)昭和8年における人的被害は,死亡3名,軽傷6名で他に比し非常に少い。
(7)昭和9年県道盛一綾.甲線の開設を見たがこれの高さは昭和8年の津波の波高より高く施行されたのであるが,チリ.地震津波の場合はこれより約1.6m高い波高を示している。
(将来構想)
本地区は,商港大船渡町の対岸にあり,工業予定地,大立清水地区と,小野田セメント大船渡工場及び,盛川南岸の工業用地との中闇にあり相当広範の住宅用地の造成が可能であるので,後の入川の両域並に上流地区に住宅大団地を造成する。
また,これ等住宅地を防護するため前面に防潮堤を築造するとともに,防潮堤と海岸の問は,現在の赤崎漁業協同組合において造成した埋立地を主体とし,更にその外部水面を埋立して工業用地または,倉庫用地とする。なお,本地区における産業の主体である「かき」の養殖事業は,将来、工場誘置による汚水の流入,船舶の出入港,或は港湾修築整備に伴い,その営業が不可能となる実情に在るため,山林傾斜地等利用による果樹園芸に転換せしむる。
(1)後の入川河口を中心とし,おおむね住宅用地と埋立地の境界線に側うて延良約500mの防潮堤を築造し,津波災害から1主宅地の防ぎょを図る。
(2)防潮堤前面の赤崎漁業.協同組合において造成した約14,000坪の埋立地の前面公有水面を更に埋立て,大立の埋立地と接続せしめ,本地区において約33,000坪の臨海用地を造成し,小野田セメント大船渡工場まで開設してある岩手開発鉄道を延長して,工業専用地又は倉庫用地等に充当する。
(3)防潮堤背後の住宅地約84,450坪の区画整理を進め,宅地の嵩上げを実施すると共に,人口の増加にともない逐次住宅地の整備を図り約10,600人の住宅団地とする。
(事業計画)
6.盛川左岸地区
(現況と問題点)
(1)本地区は,小野田セメント大船渡工場より赤崎町字中井に至る間であり,殆どは水田.畑である。住家は県道盛一綾里線の東側に側うて散在しており,その世帯数は248,人口1374人である。
(2)業態は一般勤労者が多く,畑地農業がその従である。
(3)本地区の水田は工業用地として約125,000坪を計画してあるが,うち約68,900坪は焼成燐肥工場敷地として買収済であり,既に敷地造成工場に着手している。
(4)昭和34年度より盛川河川改修の一環として左岸の堤防築造工事がなされ計画工場用地のうち約7,400坪が河川敷地として買収されている。
(5)本地区は,明治29年及び昭和8年の三陸沖地震津波においては人家の被害がなく,単に水田の埋ぼつ程度であった。
(6)チリ地震津波においては人的被害は見られなかったが,住家の半壊4,床上浸水15の被害を生じている。
(将来構想)
本地区の小野田セメント大船渡工場以北の県道,盛一綾里泉と盛川の間の水田は工場用地とし,前記県道以東の西面する畑地は住宅大団地として造成する。
(1)焼成りん肥工場用地として買収した水田と,岩手開発鉄道との問の水田約12,000坪を工場用地として買収を図る。
(2)県道以東の西面畑地約317,600坪を区画整理し,市営住宅の計画的な建設を進め約8,600人の住宅地を造成する。
(3)盛川の河川改修を進めるとともに河川堤防を嵩上げし河川の洪水と津波による逆流水の氾濫を防止する。
(4)都市街路,盛川川口線に側うて防潮堤を築造し津波被害を防止するとともに,.川口橋を永久橋に架替えする。
(5)盛川川口線を整備する。
(事業計画)
7.盛川右岸地区
(1)本地区は,国鉄大船渡線と盛川の間にあたる水田地帯であるが,その前面の大船渡湾に面した地帯は,昭和23年以降港湾修築事業を継続実施し1万屯岸壁180m(-9m)と3千屯岸壁217m(一6m,107m-7、3ml1Om)が完成している。
なお1万屯岸壁の東側に接続し,第二次計画として長さ100mと200mの1万屯バース2基を計画している。
(2)工業用地の造成については,本地区の予定地237,600坪のうち公共用地45,000坪,工場用地91,370坪は概ね造成済であり,残余のうち27,000坪は土地買収も終わり,昭和34年度より浚渫土砂をもって埋立中のところチリ地震津波により埋設土砂が流出して未買収の水田約7α000坪に被害を及ぼしたため,目下これの買収について接捗中である。
(3)本地区を横断して大船渡,赤崎間を結ぶII15号線(盛川川口線)及びII14号線(佐野橋線)があり,これ等の都市街路において盛川を横断する川口橋が津波により流失し,仮橋により徒歩連絡を保ち,佐野橋は老朽の上川口橋同様津波により一部傾倒したため目下架替工事を進めている。
(将来構想)
(1)本地区は臨海工業都市建設における主要工業用地として既定計画を推進するため立地条件の整備を図り,工業用地192,600坪と公共用地45,000坪を造成し,港湾施設の整備を図る。
(事業計画)
8.大船渡地区
(1)本地区は大船渡町地の森より笹崎間の,いわゆる大船渡市に於ける臨海商業の中心地であり,水産に関連した事業場が本地区に.集中されている。
(2)昭和26年第一期事業として,約139,700坪の区画整理に着手昭和35年に完了した。
(3)引続いて昭和34年度より第二期事業として本地区の台町以北,盛町を含め,337,000坪に区画整理事業を実施中である。
(4)国鉄大船渡線が本地区の中央部を南北に縦断し,ために海岸部と背後の住宅地との開発連携を著しく阻害している。
(5)鉄道以西の区画整理地区は住宅建設が着実に進み,大船渡市の名実共に中心市街地としての条件を具備している。
(2)港湾整備事業の一環として,茶屋前に荷揚場386m(一3mが)完成している。
(6)昭和35年12月1日現在における世帯数は1,938,人口8,763であるが,逐年増加の傾向にある。
(7)昭和8年における三陸沖地震津波においては人的被害が無く,全壊6,半壊14の被害であった。したがって従来津波対策事業は皆無であった。
(8)今次チリ地震津波においては,本地区の被害が最も激甚を極め,50名の犠牲者と住家の全壊流出394,半壊415の被害を出している。
(将来構想)
本地区は市の中心市街地として鉄道以東を商業地帯とし,商業港として必要な施設の整備を推進する。
また,鉄道以西は住宅地帯とし.両者を合わせ約24,000人の市街地とする。
(1)台町以北の区画整理約206,000坪を施行する。
(2)台町より笹崎に至る海岸線に側うて延長約1,592m高さ6.3mの防潮壁を築造し,その波畳を利用し巾6mの海岸道路を施行,津波災害の防御と併せ道路網の整備を図る。
(3)鉄道以東の商業地区の主要地域に防火建築帯を設置し,耐火建築を促進する。
(4)大船渡駅西口の低湿部を埋立し,敷地の造成を図るとともに,駅の乗降口を西口に併設する。
(5)台町地区の高台に通ずる避難道路を開設する。
(6)国鉄大船渡線を大船渡小学校前より盛駅間を高架鉄道とし,大船渡駅を客車専用駅とし,盛駅を貨物駅とする。
(7)山馬越川上水道水源地を整備し1,500m3の取水の増加を図る。
(8)須崎川河口に約100mの1万屯岸壁を築造するとともに,現市場前より造船鉄工場前までを直線に埋立護岸し,魚市場を現在修築中の三種漁港に,また,造船鉄工所を赤崎地区に移転し,純商業港としての機能を発揮するよう施設の充実を図る。
(事業計画)
9.下船渡地区
(現況と問題点)
(1)本地区は,永沢以南丸森に至る問の地区であり,昭和35年12月11」現在の世帯数457,人口2,628入である。
(2)業態は半農半漁であるが,水産加工業が比較的盛んである。
(3)国鉄大船渡線が海岸に側うて南北に走りこれの東側に平行して国道八戸仙台線が通じている。
(4)したがって,鉄道と海岸との間が極めて狭隘にして,この間に住家並びに冷蔵庫等が密集している。
(5)鉄道より上部即ち,西側は東面緩斜の比較的広範な.畑地となっており,その上部は急しゆんな山林となっている。
回従断する鉄道のためその上下の連絡に著しく支障を来たし,本地区の開発発展に極めて重大な支障を来たしている。
剛海岸線は対岸大立清水地区に比し起伏のなく単調であり,延長2,000mに達しているが,このうち,永井訳地区に第三種漁港修築事業の第一期工事として,岩壁延長460mを事業費総額3億2千万円で昭和30年に着手し,昭和37年に完了する。
(8)その他の海岸護岸は殆どが簡単な空積石垣である。
(9)本地区地先海面は水深が非常に深く,海面の埋立,護岸等海岸施設の施行には多額の経費を必要とする。
(10)昭和8年の津波においては死者2,全壊住家12,半壊15であったが,今次チリ地震津波においては,全壊
7,半壊153の被害を出している。
(将来構想)
本地区は,鉄道以西の東西緩斜の畑地約232,000坪を災害復興区画整理事業で宅地造成をなし,鉄道下部を非住家地帯とし,漁港関連施設をここに集約すると共に,現在の住家を全て区画整理地域に移転し,人口約7〜8,000人の住宅団地とする。
したがって本地区の業態は水産加工等の製造業を重点に転業して行く。
(1)現在施行中の大船渡漁修築事業第一期工事を昭和37年度に完成せしめ大船渡魚市場を此の地域に移転する。
(2)鉄道以西の東面緩斜の畑地約232,000坪を区画整理し,鉄道下部の住家をこの地域に移転する。
(3)国道八戸一仙台線を鉄道上部の,即ち,区画整理地域の概ね中央部を,南北に縦断する位置に付替する。.
(4)現在の八戸一仙台線は産業道路として土地の高度利用と路面整備を図ることを主眼にして改修する。
(5)鉄道より海岸までの間は非住家地帯とし,漁港関連施設,即ち冷蔵庫,水産加工場をこの地域に集約する。
(6)海岸護岸を築造するとともに,前項施設との関連し.た船たまり場を加味した防潮堤を造築する。
(事業計画)
10.細浦地区
(現況と問題点)
(1)本地区は,船河原,細浦,平林,平等の一円を総称し,世帯数590,人口3,163(35.12,1現在)である。
(2)箱根山の東麓の本地区は,東面の緩斜が多いが耕地として利用が少く,業態は商業,7k産加工業等が主体である細浦内田地区を除いて漁業を主体とした農業を兼業としている。
(3)漁業は「いか」の一本釣が多く零細にあり,漁閑則は農業及び日雇等である。
(4)細浦港は第三種大船渡漁港に包含されてあり,年間水揚金額約150,000千円の魚市場がある。
(5)農業については従来,麦,大豆等の栽培が主体であったが,.近年,果樹栽培と養豚等中小家畜を結合させた農業経営に転換する傾向が顕著になっている。
(6)昭和8年,三陸沖地震津波における本地区の被害は,流出77戸,金壊30戸,半壊15戸であり,死者20,行方不明8,重傷4名を記録している。
(7)うち,中野,細浦地区は人家の被害が最も多く流失,全壊63戸を数えているが人的被害は,9名であり,反面,船河原地区は,流失,全壊7戸であるが,死亡,行方不明18と重傷2名を出している。
(8)本地区における津波対策事業としては,他地区同様見るべきものがないが,細浦地区において,公有水面を埋立て,護岸工事を施行し,北側に簡易な防潮壁50mが設置された。
(9)船河原地区においては三陸津波後国鉄大船渡線の開設により,部落前面に築堤がなされたと同様の効果があり,一応津波の被害より解放されている。
ω今次チリ地震津波においては床上浸水90のみにて人的被害はなかった。
(将来構想)
本地区は,三種大船渡漁港の細浦漁港を中核とし,水産施設を敷備し漁港基地とする。また,船河原地区130,000坪,細浦,中野,神坂,山岸地区360,000坪は,将来住宅用地として造成し,郊外住宅地帯としての性格をもった住宅団地とする。
農業については,住宅地背後の緩斜山林原野等利用による果樹栽培と養豚を主体とした中家畜の導入を図り,逐次都市近郊農業へ転換する。
(1)将来,都心部の人口収容が限界に到達することが予想される関係上,その推移により船河原地区を郊外住宅団地として約3,500人の集約を図る。
(2)漁港に面した細浦地区は漁業基地とし,これに関連する商業地帯として人口約1,400人の集約地帯とし,防火建築帯を設置する。
(3)中野,神坂,山岸を一円とする地帯は,船河原地帯同様,将来郊外住宅地帯として約11,000人の住宅団地とする。
(4)小細浦地区は,細く湾入した公有水面を埋立て,細浦漁業基地と関連した漁船等の整備施設を設置するとともに,背後地の水田地帯を利用し,水産加工施設等を誘置する。
(5)豊業については由林の緩斜地を利用した果樹栽培と養豚を主体とした中小家畜家きんを導入した都市哲郊農業経営の形態に移向する。
(事業計画)
11.門の浜地区
(現況と問題点)
(1)本地区は小田,梅神,鶴巻,小河原,門の浜地帯を総称し,世帯数161,人口1,148人(35,12.!現在)である。
(2)産業の形態は,漁,農であるが漁業はのり養殖業といか等の一本釣が主体で零細であり,農業においても,細浦地区同様,漁閑期に農業に従事し,且つ大工等の出稼が盛んである。
(3)昭和33年東北製塩工場が本地区に設置されたのであるが,オートメーション化され,これの従業員は20名程度であり地元労働力の吸収は殆ど期待不可能である。
(4)第一種門の浜漁港をもっているが,漁港設備が殆どなく,漁船の接岸さえ不可能である。
(5)気候は海洋に面した南斜のため極めて温暖である。
(6)昭和8隼の一三陸津波には人的被害は皆無で,流失
9,全壊1の住家被害であった。
剛津波対策事業は,門の浜湾の護岸工事と防潮林の植栽を見,一応日常の暴風雨等に対する防備を成されているが,津波の対策事業としては万全とは云い得ない。
(8)今次チリ地震津波においては,その性格が然らしむる関係で床上浸水1戸を数える被害に止まっている。
(9)昭和34年8月の集中豪雨により門の浜地帯を北から南に流れる沢内川が氾濫し広範の被害をもたらしたが,災害復旧工事により一応河川改修を終了し200mm程度の降雨鼠までは氾濫のおそれがない。
(将来構想)
本地区は,細浦地区同様,気候的にも且つ地形的にも,郊外住宅団地としての適確牲を保持している。したがって,将来都心部の開発に伴い,郊外住宅地として約7,800入の住宅団地とする。
又,門の浜の現在製塩工場の南側水田地帯は,製塩工場の附帯工業用地とし,門の浜漁港はこれを整備し,一種漁港としての機能を充実する。
(1)門の浜漁港に防潮堤を築造し,桟橋,船揚場等を整備し,第一種漁港としての機能を充実する。
(2)市道を改修するとともに,バイパス線の開設を為し,交通網の整備を図る。
(3)交通網の整備新設に当っては,その地帯の開発の様相を想定し,これに対応し得る様推進を図る。
(事業計画)
12.泊里地区
(現況と問題点)
(1)本地区は,中井,西館,泊里,山根,より碁石岬を含む一体を総称し,世帯数225,人口1,667(35.12.1現在)で、漁業兼農業であや。
(2)一種泊厘漁港があるが,漁港施設がなくその機能が発揮不可能である。
漁業は一本釣,磯漁業が主体で零細であり,農業は,比較的農地が多いが,麦,大豆等の栽培による従来の経営方式である。
(3)然しながら,近年,中小家畜の導入が進められ,そ菜,果樹類等いわゆる,換金作物の栽培に移行しつつある。
(4)当地区は,碁石岬の車南端に位置し,耕地は緩斜の丘陵状をなし,風光に恵まれ温暖である。
(5)名勝天然記念物の指定ある料石岬があり観光地としーて知られているが,施設が整備されていない。
(6)現在末崎町内で所有する中型漁船は15隻程度であるが,当地区をはじめ末崎町の青壮年には漁船乗組員が多く,将来漁船を所有し,自営する要素を保持している。
(7)道路が狭隘であり,バス等の運行に不便が多く,細浦駅との距離が遠い等の関係から概して交通には恵まれていない。
(8)昭和8年の三陸沖地震津波においては,住家の流出
15,全壊4,半壊9死者行方不明9の被害を出しているが,津波対策事業は泊里漁港における護岸程度であり,これも昭和34年の集中豪雨の際は欠壊箇所を生じた。
(9)当地区内で最も住宅の集約されている泊里部落は一般に宅地が低く,然も海岸に接して建設されてある。
(10)今同のチリ地震津波においては殆どその被害がなかった。
(将来構想)
当地区は,名勝天然記念物,碁石海岸を有し,これを主体として周辺の観光資源の開発を図る。また泊里部落を中心とした約202,000坪を郊外住宅用地とし,計画人工6,30G人の住宅団地とする。
農業については,養豚を主体とした中小家畜を導入し,これに対する飼料作物の計画的栽培と,果樹,そ菜栽培に移向する。
(1)観光資源開発のため,碁石海岸とその周辺を整備し,必要な施設の充実を図る。
(2)泊里漁港に防潮堤を築造し,防波堤の改修と船揚場の整備湾内の浚喋第一連の漁港整備を推進し,機能の充実を図る。
(3)果樹の計画的植栽と団地栽培を推進する。
(事業計画)
13.その他
以上12地区についてそれぞれの計画の大綱を記述したところであるが、特定の地区に含まれない計画は次のとおりである。
(事業計画)

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地区区分表
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事業計画表
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事業計画表
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事業計画表
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事業計画表
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事業計画表
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事業計画表
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事業計画表
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事業計画表
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事業計画表
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事業計画表
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総括表

第2節実施計画

1.案施目標

(1)昭和45年を目途とし,計画事業の実施を三期に分際し,計画の実現を期する。
(2)市所管事項以外の事業は関係機関に必要な措置を要望する。

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計画事業の実施を三期に分際
2.実施計画
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(1)実施期別事業計画表
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(2)第一次事業実施計画表
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(3)津波対策事業(関連事業)並に災害復旧実施計画
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標準断面図-1
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標準断面図-2
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標準断面図-4
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防波壁,防浪堤

第8章津波対策のその後

前述せる津波対策事業は1昭和36年3月の時点における計画であり,この計画を市民の前に提示し,広く関係者の意見等を聴取して検討を重ねたのであるが,海岸に添うて大視模の防潮堤を築造することは,陸上諸施設と港湾を遮断し,港湾機能を阻害し,市の開発発展を著しく制約せしむるものであり,防潮堤の位置,構造等を再検討する必要があるとの結論を得,また,中央におけるチリ地震津波対策審議会においても,既定計画の再検討を重ね,科学的な研究実験の結果,湾口に防波堤を築造することが,防災上の効果を充分に発揮し,且つ,港湾の機能を「も増長せしむるとの結論が為されたのである。
その第一案(さんご島防波堤)
下船渡よりさんご島の問を防波堤により遮断し,さんご島東側より赤崎町蛸浦明神岬間を,航路200mを残して防波堤を築造する。
第二案(大船渡湾口防波堤)
赤崎町尾崎岬南側より,末崎町長磯間に,中央に航路200mを残して防波堤を築造する。
昭和36年8月16日岩手県土木部長より,上記二案のうち,何れを採用するかについて市長に諮問が為されたのである。
市としては,
1.防災上の機能
2.港湾機能に及ぼす影響
3.漁業に及ぼす影響
等の3点を主軸として検討を加え,特に漁業に及ぼす影響については,関係三漁協の意見を徴してその結論を急いだのである。

1.防災の機能について

チリ地震津波審議会における実験の結果の防災機能は次のとおりである。
さんご島防波堤ピークカット量
波の周期30〜40分(チリ地震津波)1.16m
同10〜15分(三陸津波)2.23m
湾口防波堤,ピークカット量
波の周期30〜40分(チリ地震津波)1.93m
同10〜15分(三陸津波)2.58m

2.港湾機能に及ぼす影響

さんご島防波堤における航路の前後が狭隘のため,航舶の出入港に支障が多く,且つ港内泊地面積が減少する。これに反し湾口防波堤は,航路前後が広く,船舶の出入港のための支障が少く,港内の利用面積が極めて増大すると共に,船河原,細浦,小細浦地区の利用価値が増大する。

3.漁業に及ぼす影響

湾内に廻遊する魚類を対象とする湾内建網漁業については,さんご島防波堤並びに,湾口防波堤とも相当の影響を受け,その操業価値が極度に減少する反面,養殖事業,(のり,かき)については,関係者の類似先進地の視察の結果,大きな影響のないことが確認され且つ湾口防波堤の場合は,防波堤そのものに,海藻,魚介類が繁殖附着することが期待でき,更に防波堤内部の航行に支障のない海面が,かき,若布,のり等の養殖面積が増大する等の利点がある。

4.その他

特に湾口防波堤は,大船渡湾,尾崎岬,長崎海岸,碁石螺等一連の観光価値を増大せしめる。
以上の観点から,湾口防波堤の築造に結論を得,回答したのであるが,昭和36年11月24日,第三回チリ地震津波対策審議会において,正式に湾口防波堤を築造することの決定を見たのである。
このことにより,当初港内海岸線に築造を計画された防潮堤が全面的に計画変更がなされたのである。これ等津波対策事業は次のとおりである。
以上の事業のうち,大立,永浜の防潮堤は昭和35年度より施行中であり,細浦の防潮堤は既に竣工を見,同地区の防波堤も,昭和35年度より着工中である。
湾口防波堤は,運輸省の値轄工事として,昭和36年度に調査設計を了し,37年度より本格的工事を推進する計画のもとに,目下準備中である。
以上の外,津波を予知し,避難の万全を期するため末崎町碁石岬の赤土倉並に長崎海岸に検潮儀を設置すると共に,大船渡町上山地区に測候所の新設が昭和37年度に決定され,各津波対策事業の施設と相まって,災害観測施設の整備により,昭和40年度までには市の津波災害対策が万全を期し得る見とおしに在る。
(昭和37年3月記)

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津波対策事業計画総括表

論説編

第1章調査報告

第1節チリ地震津波踏査速報

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地図 地図ー1
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地図 地図ー2
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地図 地図ー3
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地図 地図ー4
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地図 地図ー5
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地図 地図ー6
吉浜

吉浜は北に自木川,南に吉浜川で囲まれ3二中にあつて,この中問ほ防湖堤が砂浜に築かれていろ。防潮堤の内側けすぐ.たんぼになっているが,この付近は前2回の津波のため,高所移転のあとである。津波は最大波高時には防潮堤2mぐらいの高きのところまで到達しているので,吉浜ではたんぼ冠水の被害をこの防潤堤によってまぬかれた。ただし南端の1`〒浜川を逆上流した津波が,吉浜橋を越えて若干たんぼに浸入しているが,ごく局部的にとどまった。民家が海岸から遠く離れているため,津波襲来の状況を詳しく調査したり聴取したりすることは困難だった。

越喜来

越来禧の浦浜から南の泊に至る間は防潮護岸となっているが,柑1浜では中央を流れる浦浜川付近が若下決壊し,両側の防潮林の中にサッパ船,小機帆船が散在していた。浦浜川にかかっている河口付近の橋は流失し,この付近の水勢のものすごさを物語っているが,この付近で目撃している人はない。最大波高出現時は4時30分〜50分で第6波となっている。波高は岸壁北端で岸壁上約2m,押し波に比べて引き波は泊まで北端から海底の露出したところを徒歩で行けるほどだで,たとのことである。
泊は山が海岸すぐ近くに迫り,岸壁につづくがげ下に家が10数戸並んでいる。大部分が海の仕事に従事しているため津波の観察はかなり詳しい。最大波高時は4時30分,第3波で道路上約1m,最大退潮時には沖合約100mの海底平常潮位下7mのところが露出したとのことである。事実とすれば最大振幅はほぼ10mに達する(4時15分ころ)

砂子浜

バス時間の都合で寄ることができなかったので,バスに同乗していた砂子浜の先生に依頼し波高を測定した。
被害はない。
白浜
最大波高は4時ごろに出現している。堤を防越えたのはこの時(第5波)だけである。最大退潮は第5波の直前で海岸から70mぐらい沖合の平常潮位下約5mの海底が露出した。砂浜の中央部まで浸水しずこ程度で被害はほとんどない.ここは高所移転が完全に行なわれているため,津波に対しては漁只の流失防止につとめる程度で,今回の津波に際して特に避難や特別の措置はしなかったようである。

綾里

最大波高時は4時10分ころ,浸水域ば川の両測の山ぎわまで,大きな波は3回,最大退潮時は中の島付近の1濠底が露出した。以上は綾里の漁業協同で得たものである。中央を流れている綾里川河「1付近で津波は橋を越えて町の中に浸水した。また北側の田浜付近では路面上1.4m中の島付近では最大波高時に1よ堤防上2mを越えている。水勢がおそかったため建物の被害,流失物による被害はほとんどない。また退潮の状況も非常に緩慢で異常に退潮し,中の島付近まで徒歩で波に置き残された魚を取りに行ける程度だったとのことである。
綾里港南端の了1浜は船着場に}受入した程度で,波「全然ない。

大船渡市合足

合足も高所に民家があり,津波に対しては全く冷静で詳しく知る人はなかった。
中学生らしい入に状況を尋ねたところ県道のすぐ下まで津波が来たというので,早速レベルを取り出して、定にかかったが,途中の畠の作物の状況に全然変化が認められないし,また遣流物も全然見当らない。しかし紅に証人もないので実測したところ海面より10m以上もある。一応野張に記人したが不審なのでバスを待ちなか農夫に尋ねたところ,砂浜の中ほどまでしか津皮は来ていないというので大急ぎ測定しなおした。調査に当って聴取対象者を選ぶむずかしさをしみじみ感じた。貴重な時間を徒労に終らせたのは精神薄弱児とのことであった。
(1)津波の到達した時刻
i)大船渡電報電話局
置時計,掛時計がそれぞれ4時1O分,4時45分に止まっていた。置時計の高さは机上にあったが地上135cm,掛時計の高さは地上155cmである、.したがって4時lO分には135cmより高く155cmよう低い波が襲来し,4時45分には155cm高い波が襲来したことを示している。
ii)魚市場付近(細川氏店舗)
聞きこみによれば4時前後魚市場付近から津波だという声を聞き,子供たちを起こし,コーリ2個を荷造って避難した直後,地上を越えた第1波が来た。笛1波と第2波の時間間隔は30分ぐらいで水位は第2波力が1m程度低かったとのことである。前の電報電話局の時刻と大差はないが,水位は第1波と第2波で逆になっている。
iii)永沢の統計調査員大平氏よ})の聞きこみ,沖から3時すぎに帰ってきたところ,亀井きん橋の上部すれすれまで水位が高まったのを見て津波を直感,半鐘をならして急を告げ若干の家財と女子供を避難させ,男たちは船を沖に出した。4時ころ引きに変わり,亀井きん橋を目標にして水平距離30m,高さ7.5尋(ひろ)(11.3m)も引いて,今までみたことのない岩が露出した、4時30分に最大波襲来5時ころ再び大きく引いた。その後はゆるく変動を続けたとのことである。

陸前高田市

三日市における聞きこみによると4時ごろ海上約2mの波(第1波)4時20分〜30分ころ地上250〜260cm,海上5mの波(第2波)がやってもたといっている。高田市助役の話によると勝木田部落の漁師力が4時少し前にコウナゴの網をあげに浜に出て潮の異常に引いているのに気づき,すぐ半鐘を鳴らして周知を知させるとともに市役所に連絡した。連絡を受けた助役は直ちに警報発令を指示した。4時25〜30分初めの波がやって来たが小さく,4時30〜35分に引き波最大となり,その後押し最大波が襲来した。
また今泉の気仙橋付近の金谷氏(部落担当員)の談によると4時10分ごろ網をあげに行った漁師からlm内外の異常な潮の動き、1を聞き4時20分ごろ電話交換手に連絡した。4時30分すぎに大きく潮引いたので,電話交換手に「大津波が来る」と連絡した。
(2)その他
i)広田湾では湾内に入ってがらの津波の動きは,時計回りに移動したことが推定できる。大船渡湾においても市役所職員からの聞ききこみによると,..一万トン岸壁付近まで同じような動きをしたという。
ii)大船渡駅から岸壁に通ずる道路を境として被害は北部に大きく,倒壊率は70%を越すものと思われる。特に第5.5図の埋立岸壁Aの延長線上では一万トン岸壁Bの西側の幅3m程度の小河口Cを逆流した津波によって,この河口から北一北西に広がる赤沢および新田地区はほとんど全滅,大通りの東側でも電報電話局を残すのみとなった。西側でも電報電話局こ対し津波の浸入方向のかけにある4練の家は残った。この南北の被害形態の相違は(a)南部はモルタル建築のものが多いのに反し北部は木造が多くしかも古い家屋が多かったこと。(b)埋立岸壁Aと一万トン岸壁Bにはさまれた部分おろび前述の小河川Cの方向が津波の方向と一致したため,南部よりも流速が大であったこと。(c)背後が平地である1こめ,津波の波高はむしろ南部よりち低かったが,速度は、おとろえることなく進入したことなどがあげられる。
iii)背後に崖を背おっている大船渡永沢部落では浸水はむしろひどかったが,古い木造の家屋でも倒壊がきわめて少ない。この例は,陸前高田市にも見られ,平地にある三日市ではほどんと全壊,鉄道線路は1mにわたって30〜mも流されたが,その隣接の両替では浸水のみで倒壊家屋はほどんとなかった。
iv)高田松原で6m以下の松が倒され,また松原の切れ日から入った津波に洗われて鉄道線路の路盤は両側の水田と同じ高さになるまで完全にけずり取られた。線路は180゜〜270゜も回転して30Cmぐらい移動,枕木を津波の進入方向と反対劇にして地上に直立しているなど,浮力を考えてもかなりの流速であったことが推定きれる。

大野

幅広い長い砂浜地帯で2.5cmの高さの堤防は一部にあった。この堤防をのり越えてかなり浸水したため,田畑がほとんど黄色になっているのが目立った。しかし家屋のほとんどが高台にあるため,その被害はわずかである。

2.8mの高さの堤防すれすれに津皮が達したため,それより低地にあった漁業関係の建物は浸水したが,それ以外はほとんど浸水あるいは被害はない。おしよせた前後の津波の水が非常にきれいなものであったためか形跡は全くなく,漁夫の話では昭和8年に比べるとはるかに小さく,またゆっくりしたものであった。

三日市

この地域もかなり被害を受け,浸水地域1、海岸よりlkmも奥まで進んだ。国鉄大船渡線小友駅までの最大の浸水高は地図上の推定では8mと推定される。この地域では死者がおり,家の中で荷物の整理をしているうちに逃げ遅れて死亡したとのことである。しかし昭和8年にもかなりの被害を受けていたが,今回も2〜3mの防波堤は完全に破壊されてしまうといった同じような状態を繰り返しいることに考えさせられた。

脇の沢

海岸に沿って堤防は3.5mのかなり高いへのであったが,津波の最大波高は6m近くに達したため,土台や柱の弱いものは倒壊し、また丈夫なものでも外観を残したにすぎなかった。このあたりから三日市まで国鉄大船渡線は全く破壊され,路線は10m以上も流されるといった状態で,津波の猛威を遺憾なく発揮していた。新しい土蔵が流木で壁がくずれおちている形跡も見られ,流木などの流出物による一次的な被害も大きかつたものと推定される。

高田本宿

この地域の崖上浸水は海岸より数kmに達し被害も相当なものであった。一週間を経ても整理がはかどらず,田畑に舟の破片が散っており、被害の大きかったことを如実に物語っていた。この地域は昭和8年にはあまり被害はなかったもので,今回と全く対照的であった。高田市役所の対策本部で聞いたところによると,4時10分頃防団員(米崎地区)より津波らしいという情報を受けて警戒体制に入った。しかし警報その他の正式情報は受けなかったとのことである。

長部

漁港としての防波堤より2m近く津波は高くなり,低地の家屋はほとんど倒壊した。死者,行え不明者も出し,踏査時には死体収容作業に出合った。昭和8年より最大波高がかなり高いが,同じようにかなりの被害を受けていること,護岸堤防がせいぜい2〜3mといった程度のものであることなど将来の対策に考えさせられるものがあつた。

第2節各地域踏査記事及び測点点の記

吉浜湾

1.根白
此処も相当急な傾斜地に部落が発達している為,人家には被害は全くなかった。砂浜へ降る所に石畳の急な斜面があつて,この石畳の一番上まで浪が上って来たとのことである。他に処るべき痕跡もないので,これを最高の波高と考えて測定し,3.1mを得た。
2.吉浜本郷
此の部落は明冶29の津浪により甚大大な被害を蒙った所である。その地震津波の記念碑がたてられていて,この津浪の犠牲となった300名近くの入の名前が一面に書き連ねられている。その津波おあと人家は高台へ移すこととなり,相当徹底した津波対策がとられていていたので昭和8年三の津波に際して最高水位16,3mを観測したけれども,その割に被害は少く(住家非住家併せて,流失23,全壊14,半壊1,床上浸水4,床下浸水1で)死者も僅かに3名にすぎない。しかし,この大津波の為に高さ5m,長き100間に及び堤防は跡形もなく流1失し,田圃には海水が浸入して,この為の被害は甚大なものであった。この昭和8年津波の後,将来の津波に備えるため,大防波堤の建設が計画された。再建された防波堤は,頑丈な石積みで3段になっていて,1段目の高さは砂浜より1.8mで,2段目,3段1目1は各々2mで,高さ計5,8m,長さは約350mに及んでいる。
今回の津波はこの防波堤の第2段日より少し上まで来たという。堤防の南の端に吉浜川があり,又防波堤の中央部に排水溝があるので,海水はここから堤防の内側に浸水し,低地の田圃が約1町5段冠水したというのが唯一の被害であったとのことであった。ここでも波の上った痕跡はなく吉浜川にかかっている橋の1尺上まで水が上ったということに基いて波高を測定した所4.7mなる値を得た。この数字は我々の調査した所では最高の値であった。
ここでも,ワカメ採りに行った人が最初津波であることを知った。そして4時27分頃の津波が一番大きいとのことである。

越喜来一門之浜間

東大地震研究所桃井高雄
同黒木義弘
1.大船渡市門之浜西岸
海草,木片など打ち上げられた痕跡を測定
2.大船渡市門之浜水揚所
水揚場にいた若い男の証言にもとついて砂浜に残る痕跡測定
3.大船渡市泊里
砂浜痕跡測定,聞き込み,第1,2回あったらしいが,その時刻不明,第3回頃最大Tsunami時刻は4侍少しすぎた頃.音も光もなくなってきた。
4.大船渡市細浦
聞き込みにより,濡れた壁の痕跡を測定,家屋の床すれすれに浸水した。
5.大船渡市石浜聞き込み
A,M,4時20分頃最大Tsunamiこの頃をPeakとして,前後に小さいい,くつかのTsunami来襲,海面は,普通の波状態で静かに上って来た。
6.大船渡市下船渡
家屋の壁に痕跡,床下浸水,地表より高さ30Cm。
7.大船渡市永沢
家屋床下浸水,地表より、高さ40cm〜lmで人の証言余り信用度なし。
8.大船渡市船付場
聞き込み。第1回のTsunamiはAM.3時50分1m位の高さ,第2回日、4時30分で3m60cm,第3回目2m50cm(いずれも地表よりの高さ1全く音もなく,ふわふわと水が盛りあがってきた.汝の進行速度は馳け足程度、第2回目の大きなTsunami来る前に湾の水が非常に引いて底が見えた(深さ4m30cm位,300tの船が出入可能な所)
他の聞き込み
津波は30〜40分の周期で来る。
9.大船渡市駅附近
10.大船渡市内軒下浸入,地上より2m50cm。
ll.大船渡市内軒下浸水,地上より2m50cm。
12.大船渡市内壁痕跡,地上より1m。
13.大船渡市内壁痕跡,地上より1m50cm。
14.大船渡市赤崎
小野田セメント,[工場内,壁痕跡,測定.流木ができていた。
午前は時間がずれてきたが,2m位の上下があった。2日目,3日目は不規則な引き潮があった。
15.大船渡市赤崎
壁痕跡測定,聞き込み,津波はぐんぐん押し上げて来るようで一度,押し上げたものが,引ける時,盛用,後の入川,須崎川の湾中央合流点で大きな渦を巻いていたという。
16.大船渡市永浜
浸水痕跡,聞き込みにより測定。
17.大船渡市上清水
(広田一未崎)踏査の茅野氏御厚意による資料,、上清水の大船渡水産実験場主任、菊地要三郎氏談
a.m,3.50起きた時、2m近い水が来ていた[
a.m.4.05落潮始まり。
a,m,4.35増水開始
実測(標水標によるもの)によると4m
a.m.4.50落潮潮開始,15分〜20分周期で2m上下が続く。
a.m.7.00落潮開始
a.m.7.22水位.3m80cm
a.m.7.25落潮開始
その間の潮の動き不規則で湾内に急な
18.大船渡蛸之浦
聞き込みに依る草地の枯れた痕跡測定した。併し信頼度余りなし。
19.大船渡市長崎
漁夫達の証言
第1回,4時20分,それが最大で波は防波堤を僅かに越える程度.この防波堤の高さ測定した。
20.三陸村綾里港東岸
聞き込み
第3回目,最大,第5回目も大きな津波来る。1回5時15分前,2回目が5時20分,上り方は,ただずっと上って来た。押し寄せて来たのではない。
他の聞き込み,村長談
4時20分に引け,1同目は2m引けてから来た。2回目,4時30〜40分,3回目4時50分頃いずれも10〜20分置きに津波押し寄せて来た。4回目はうんと引けたが余り津波は上らなかった。
21.三陸村綾里港西岸
前図〔NO.20の所の)参照
小屋の板についている痕跡で測定。
22.三陸村野々前
痕跡殆んとなく,聞き込みにより,波高測定したが、信頼度落ちる.
23.三陸村白浜
聞き込み。旧道すれすれまで津波が来きたという、これを測定,4時30分頃が第2回目位、4時40分最大津波来襲。
24.三陸村小石浜
聞き込みにより,漂着物を堪準にして測る。信頼余りなし。
25.三陸村下甫令
製材所裏に,のこくずが置てあり,それが流れた跡があった。
26.三陸村小泊
痕跡と聞き込み合わせてlより異る。平均して測定
27.三陸村浦浜
製材所、管理者風の証言家により痕跡,確かめ,波高測定隣の漁業組合の当直の人に当口の模様聞く。
防波堤,Overの跡あり,防波堤の高さ2m50cm
第1回目の津波 4時30分
第2回目,第3回目,共にに時間不明。
第4回目,6時40分
この時,積木,木材流出。
津波,川に沿って上る。昭和8年の愚程度の規模津波
28.三陸村崎浜
崎浜消防団員の総合意見
平均海面より2〜3m上る。普通の波と同じように単に海面がもちあがって来た。
第1回4時頃始まり,4時15分に引き終る。
第2回4時30分に満潮となった。
4時35分に引き始め。
第3回目の満潮は4時50分。
第4回目一番ひどいもの,6時3分引き始め6時10分に最高となる。
29.大船渡市
復興事務局提供の資料で,測定値完全な痕跡に従って測定したものであるという。信頼度はAと考えてよい。

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地図 水揚場にいた若い男の証言にもとついて砂浜に残る痕跡測定
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地図 濡れた壁の痕跡を測定
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地図 大船渡市下船渡
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地図 大船渡市船付場
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地図 大船渡市駅附近
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地図 小野田セメント,工場内,壁痕跡測定
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地図 大船渡市赤崎壁痕跡測定
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地図 防波堤の高さ測定
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地図 三陸村綾里港東岸
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地図 三陸村白浜
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地図 三陸村下甫令
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地図 三陸村浦浜
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地図 三陸村崎浜
大野ー気仙沼間

内容
§1. 調査の概要
§2.各地域における被害状況(概要)及び聞き込き事項
2.1気仙沼市
気仙沼湾.西岸地区
大島地区
気仙沼湾東岸地区
2,2)唐桑町
唐桑半島沿岸地区
2.3)陸前高田市
広田湾西岸地区
広田湾、奥部地区
広田地区
小友地区
§1.調査の概要
チリ地震津波による被害状況を記録し,津波来襲状況に関する各種資料を蒐集する目的で踏査を行なった。われわれ2名の分担は,気仙沼湾口岩井附近から北上して大野湾口蛇崎に至る範囲であり,その中には気仙沼市大島も含まれている。5月26日夜東京を出発し,翌27口気仙沼市に到着した。以降6月2日帰京の途につく.までの調査口程は次の通りであった。
5月27口気仙沼市役所において状況聴取後,気仙沼湾.奥部の調査。
5月28口気仙沼湾西岸地区を調査。
5月29日気仙沼市大島地区を調査。
5月30気仙沼湾東岸を調査した後,唐桑町に渡り,[司地区の一部を調査。
5月31日唐桑町地区の残部を調査した後,広田湾西岸地区を調査。
6月1日睦前高田市の広田,小友両地区を調査。
6月2口陸前高田市の調査の補足,大船渡の被害状況を視察。
帰途につく。
この間,42地点において津波の最高水位の痕跡を捕えて波高実測を行なうとともに,そのうちの約20地点において津波来襲当時の状況を住民から聴取した,これら地点は附図に示す通り,気仙沼地区においては平均2km問隔その他の地区では3〜4Kmに1点の割合で分布している。地点の選定に当っては,なるべく三陸津波当時へ調査地点と合致するよう心がけた。調査行中、随所において被害状況を写真に記録したことはいうまでもない。
検潮儀の記録は,岩井崎にある官城県水産試験場所管のものを複写することができた。
大船渡湾,清水には岩手県水産試験場の器械が設置されているが,故障のため.津波当時以前から動いていなかった由である。
§2.各地区における被害状況(概要)及び聞き込み事項
2.1)気仙沼市
気仙沼市においては,市内,内ノ脇から,浜町に至る地区において多数の家屋が床上,床下浸水に見舞われ,更に魚1「1場附近から前浜に至る広大な地域の水田が冠水したほか,尾崎・片浜・台沢・川原・階上・浪板・浦島・大浦・小々汐等の各地区が浸水被害を受けた。しかし水勢がさほど強くなかった故か,倒壊流失した家屋は殆んとなか一,たようである。港湾関係では大川河口にある砂防堤防が破壊したほか,各所岩壁にも被害があった。
水産関係の被害は極めて大きく,漁船の流失・破損ばかりではではなく,かき養殖筏やのり栽培設備が徹底的な打撃を受けたといわれる。事実,湾内には筏の残骸が散乱し,沿岸には無数の空樽(筏の浮子に使用していた)が漂着しているのが見られた。これらの状況については紅計資料及び写真を参照されたい。
気仙沼湾西岸地区
地点NO.1(気仙沼市,柏崎)同地において鉄工場を経営する後藤氏によれば,当時の状況は次の通りである。
サイレン(午前4時20分)におくれること10〜15分で海水がどっと岩壁を昇り同鉄工場に侵入した。この時の水位が最高であり(調査員の実測によれば海水面上2.7m),その次に来襲した波はこれより0.5m低かった。
これら海水侵入に先立ち海水位が低下し海底の一部が針出したが,対岸に渡れるかと思われるほどであった。
地点NO.2(気仙沼,内ノ脇,三区)
阿部藤四郎氏(県庁漁港課勤務)の夫人によれば,当日.早朝,附近の漁師が海水位の大幅な低下を発見し,全 住民が避難を始めた。やがて波浪のように盛り上った海水が押し寄せたが,サイレンがなかったたのはその後(時間不詳,但し4時30分よりは前)のことであったという。
第2波以後の体験について避難中のことで,何も情報は得られなかった。
地点NO.3(気仙沼市,階上,岩井附近)
村上理髪店において聞いたところでは,最初海水が退くのを認め(養殖筏が露出),やがてサイレンが鳴り,その後(時間間隔不詳,1時間位ともいう)水が昇って来た。この回の水位は余り高くなかったが,その次の同に床上浸水(約15cm)した。各回とも水勢は余り強くなく,水面を平らに保ったまま上昇するように見えた。
その後,床上に昇る程高い波は来なかった。
地点NO.4(気仙沼市,階上,岩井崎)
水産試験所階上実験場において当月宿直していた辺見照男氏の体験は概略次の通りである。
4時10分頃,本所小野寺技師(地点NO.6の項参照)から電話による警報を受けた。その数分後窓越しに外洋を見たら,波(気がついた最初のもの)がやってきた。さざ波を伴なってはいたが,白く崩れてはいず,実験場の岩壁の上縁すれすれの所に達した。やがて(この間30分位)水が退き切った時,沖の戸倉磯,黒大丸の岩礁が一体につながって見えた。(ふだんは干潮のときでもそうは見えない)第2波(時刻不詳)は音響(ドンという)を伴なっていた。護岸を越え建物内部にも侵入した。構内にあるビニールハウス(鉄骨入り,約15坪)はこの時押しやられると同時に倒壊した。前回と同じ程度に潮が退き,やがて第3波がやって来たが,護岸をわずかに越える程度であった。
地点NO.5(気仙沼市階上字川原,森合部落)
小野寺則夫氏家人の話によれば,この部落ではサイレンの警報によって避難したが,その時津波は来ていなかった(註1)その後しばらくして深水が堤防を越えて流れ込み1帯が浸水した(註2)。
(註1)同家は眼前に堤防があるので,居ながらにして海を見ることができない。堤防の切れ目附近の住民はサイレンの前に海水位低下を目撃していたという。
(註2)同家にある浸水の痕跡は堤防.上面すれすれと考える方が妥当であろう。
地点NO.6(気仙沼市尾崎)小野寺弘氏(水産試験場技師)の話出漁中の漁師の急報により,裏手の面に避難した。
4時前後海水が退き,星島辺りまで海底が露出(一部深所を除き)していた。これは三陸津波の時よりも著るしい退き方であった。
来襲した波の高さは不詳であるけれども,三陸津波より高かったように思う。水が来襲する状況も,三陸津波覧とは異なり,海岸からの水流は護岸を少し越す程度であり,浸水を越した海水の大部分は,川を迂回するものであった。気仙沼湾内の水流を望見したところでは大島瀬戸を経由する流れが強かったようである。〔図参照)
試験場の採集船2隻は漁市場附近の岩壁に繋留中であったがロープ切断,沈没した。
これと略,同一地点(気仙沼市,松崎,片浜部落)松岩漁業組合職員,藤田勝市氏(当日宿直)及び斎藤繁男氏の話。
3時40分頃,別用で起きたら,既に潮が引いていた。その朝汐は最干時より2m以上も低かった。4時20分頃第1波が来襲した。グウーツと上って来て徐々に最高水位に達したが約20分後に来襲した第2波は,これよりも夏に高く床上浸水した。その後も波は来襲し同口中に約10回潮の上げ下げが観察された。
引き潮の時,のりしだの間を歩くと,ふだんは干潮時でも見えないコブの根が頭より高いとこまで着いていた。従って低下時の水面より2m以下であったことは確かである。気仙沼湾の海底も多く露出し,対岸の大島へ歩いて渡れそうに見えた。
大島地区
地点ノ協.7(気仙沼市大島浦ノ浜)
津波の時,この地点に繋留してあった「第2やしま丸」の船長村上正雄氏及び同船乗組員の談話を総合すると,当時の状況は,およそ次の通りである。
最初潮が引いた時(同日早朝,但し時刻不詳)は棧橋脚の基部まで露出した。その量は2m以上である。潮の上りもさることながら,引き方の著しいのに驚いた。船の底がつかえ(吃水0.6m程度)繋留に使っていたローブD4本のうち3本まで引き潮の際切断した。
海水は幾回も上げ下げしたがそ,の模様を同船甲板から写真に撮影した。
また村上船長の友人の1人は,津波当時,定置網曳き船(大谷漁業組合所有)を運転して蜂ケ崎附近を通過しようと試みたが,どうしても水流に逆うことができなかった。同船の能力から推定すると,この時の水流は12ノット以上あった。この水流により同地点の砂防堤は崩壊したが,その際組石が波にのって飛ぶのを望見した。崩壊後この隙路の水流は勢いが弱まったという。
(註)汽船発着所小屋の壁面にある水位痕跡を測量したが,後で同所従業員に聞くと,この小屋は津波当時,浮上,傾斜したおそれもある由,従ってこの地点における水位測定値は余り正確でない。
地点NO.9(気仙沼市大島要害)村上八郎他3氏の体験によれば,4時30分頃水が退いているのを認めた。この時の水位は最干潮時より2m以上も低い。最初の上げ潮は5時頃でジワジワとやってきた(但し1氏は、ドウーツとやってさたという)2回目は3時30分頃で,これが最大であり浜に置かれてあった漁船は崖際に押し上げられた。上げ潮と引き繋との境には段があり潮目のように見えた。来襲は延3〜4回認められた。今回の水量は三陸津波より多かったが,水勢は後者の方がはるかに急激であった。
地点NO.9(気仙潮市大島横沼)同地に住む村上明氏は,3時30分頃出漁したが,その時異常は認めなかった。龍舞附近(B地点)で操業していたら,最初うねりのようなものが来,これに続いて水が退き始めたので(後で浜の人に聞いたら,3時50分頃から潮が引いた由)、帰ろうとしたが水流が速く自力ではどうにもならなかった。附近のモーター船に曳いてもらい,要害鼻と岩井崎の間にかかるころ水がさし始めた。そのため横沼には帰れず,要害の入江に入った。これが5時頃であるが,陸上の入々は既に騒いでいた。モーター船の能力から推定すると,この水域における海水は8ノット程度の速度をもって気仙沼湾奥部に流れ込んだようである。潮の上げ下げの平均間隔は20〜30分程度であったが,三陸津波のように大きなうねりを伴なわず潮汐の満干現象にていた。
龍舞崎にあった漁網は,対岸の大谷付近に漂着した。
地点NO.10(気仙沼市大島,新王平)。同地在住の山崎氏の談。
3時10分頃,階上のサイレンが4回鳴り,ついて大島のサイレンがなった。第3〜4回目と思われる波の来たのが5時頃であった。
3回目(?)の上げ潮の頃には既にかき筏が漂着し,4回目の上げ潮は浜にあった漁船を押しあげた。津波に伴ないザァーツという音がきこえたが,これはシケの時にも屡々経験することである。津波というものの,一見シケの時の様子と大差はなかった。三陸津波より潮の引き方は著るしかった。引き潮から引き潮までの間隔は1時間位。同時に漂着したものの中には,田尻附近の筏や大船渡市の交通標識(立て看板)があった。
地点NO.ll(気仙沼”大島,小田浜,中山
村山繁文氏が起きたのは3時40分頃であったが,浜に異状はなかった。その後30分位のうちに潮はすっかり引いてしまった。およそ5時頃潮がさし始め,ジワジワと高くなってきた。それに続く引き潮は前回より小さかった。最高波は3同目のものであるが,大シケの時の水位(海岸にある石垣を越える)より約0,7m低かった。この附近の筏は全然流失しなかった。
気仙沼湾東岸地区
地点NO.14(気仙沼市鶴浦)聞き込事項なし。
地点NO.15(気仙沼市梶浦)同上。
地点NO.16(気仙沼市小々汐(1))同上。
地点NO.17(気仙沼市小々汐(2))同上
地点NO.18(気仙沼市 大浦公会堂前)同上。
地点NO.19(気仙沼市 浜 埋立地)同上。
2.2)本吉郡唐桑町
唐桑半島沿岸地区
極く小範囲の浸水(床下)を見た程度で,特筆に価する被害はなかった。唐桑半島の先端部では,三陸津波の時10m前後の波高を記録しているにもかかわらず,今回の水位はシケの時と同程度以下であった。
地点NO.20(本吉郡唐桑町舞根)畠山豊八の話によれば,来襲津波のうち3〜4回目のものが最高であったが(第1波それより0.8m位低い)それでも三陸津波より約45cm低かかった(当時の痕跡記憶)。引き潮は1,2,3回と後になるほど顕著であった。
地点NO.21(本吉郡唐桑町縮浦)。漁業組合主事梶原克志氏の話によれば,潮が引いたのは3時半,警報を出したのは4時10分,その後やって来た第1波は岩壁すれすれ(約1.8m)であった。最高のものは5時30分にやって来た第3であった。
地点NO.22(本吉郡唐桑町御崎)明瞭な痕跡もないので同住民(氏名不詳)の記憶する汀線(最高波当時の)を基にして波高概略値を求め同氏の話によれば,津波が河の流れの様に気仙沼湾に侵入するのが望見されたという。
地点NO.23(本吉郡唐桑町鮪立)聞き込み事項なし
地点NO.24(本吉郡唐桑町小鯖)同上。
地点NO.25(本吉郡唐桑町瀞浜)同上。
(津波痕跡不明確)
地点NO.26(本吉郡唐桑町砂子浜)6同地の消防団
班長(氏名失念)の話によれば,今回の津波は砂浜の途中までしか上らなかった。(ふだんでも波の大きい時は石垣を越えるという)。早朝潮が引いたので,驚いて舟を引き上げたが,津波来襲まで1時間半も間があった。
最高波が来たのは4時半の由(津波痕跡不明確)
地点NO.27(本吉郡唐桑町只越)。聞き込み事項なし
(津波痕跡不明確)
地点NO.28(本吉郡唐桑町大沢)この部落の南北両側は高さ約3mの堤防によって保護されているが,そのうち北側堤防の中央部を乗り越えて海水が侵入したという。事実その部分の堤防基部には落水によると思われる痕跡(土地が局部的にえぐられている)が観察された。これと共に海水は川に沿っても侵入したが,水量としてはこの方が多かったと思わる。
住民によると最高水位は堤防上約lmあったというがあまり確実でない。堤防越しの浸水がその中央部に限られている点から見ても最高水位は堤防上面すれすれと推定するのが妥当であろう。
浸水地域の家に残された痕跡は堤防上面よりかなり低い。(附表参照)
第二の特徴は湾口附近の潮位が格別に高くはなかったことである。特に広田町の外洋に面した地域では,三陸津波の時10m以上の波に見舞われたにもかかわらず,今回それに対応するような現象は認められなかった。
広田湾西岸地区
地点NO.29(陸前高田市気仙町長部)。我々の調査旅行において,最初の大規模な破壊的被害のあった地区であった。
2.3)陸前高田市
広田湾に面する陸前高田市においては,二つの事実が注目された。
第一に,湾の中心部から.奥にかけて潮位が次第に高くなっている傾向が著るしい。そのため湾の最奥部に位置する長野,脇ノ沢,小友等の地区において潮位は4〜5mに達し,陸上の被害は著るしいものがあった。
(被害統計参照)
人命の損失,家屋の崩壊,流失や鉄道,道路の破壊等気仙沼地区には見られななかった惨状がこれら地区一帯に分布していた。
街道をはさんで海側一一側及び山側の家のある部分は一段高くなっていて,この部分で家屋には相当な被害のあるものもあるが倒壊するには至っていない。
海岸の低い部分にあった家屋は2,3の例外を除いて完全に倒壊したと見られる。その例外とは,製氷工場(一部破損)倉庫らしきもの及び住宅だがごく親らしいものである。海岸近くでも南端,北端では家は倒壊していない。部落背後の水田にはずっと奥まで海水が入っているが,これは川から入ったものと思われる。川沿には流木が非常に多く水田の中にも各所に散在している。製氷工場内のオガクズが浮いてついた痕跡を測定したところ約5.5mとなった。
高田町附近は,高田松原背後の水田にかなり奥迄水が入っているが,例えば長砂附近では浸水という程度に止まる。しかし更に東に行くと,海岸附近の沼田では水は破壊的威力を発揮している。国鉄の線路の被害も著るしく,所によっては枕木のついたまま裏返しになっているものがある。
地点No.30(脇の沢駅附近)
かなりの被害はあるが,壊滅的ではない。もっとも,どうやらひっくりかえらないですんだというような家もも少くないが,それらは元々かなり老朽化していたと見える。
地点NO.31(陸前高田市小友長洞,只出)
護岸の所々に船を引き上げるためか少し低い部分があってそこには海側がゆるいスロープになっている。この部分から僅かに水が浸水した。
地点NO.32(陸前高田市前花貝)
ここは,赤味を帯びたさされ石状の広い砂浜になっている。砂浜との境に7.5cm高さの石垣があって,ここすれすれ迄水が上った。多くともこれを越えない。
地点NO.33(陸前高田市六力浦)
六力浦の西側平畑あたりは護岸が一部破壊している。これを越えまた一部にある松林(防潮林というほどのものではない)を越えて田畑に水が浸水した。
海岸道路の傍の測定を行なった家はlm程,浸水している。この家は元々大分老朽しており,津波以前から居住されていなかった様にも見えるが確証はない。とも角この家がまだ建っている所をみると水勢は激しくなかった。
地点ノ協.34(陸前高田市広田町岩倉)
高い堅固な石垣が築いてある。が水はその根元までも上らなかったらしい。
明瞭な痕跡がないので,海藻が打ち上げられている上縁で測ると約1.3m,カキイカダのタルの打ちあげられているものの一番低いものの下縁で測ると約1.6m,ただし後者は一応片づけた様子が見えるので,元の位置よりも高くとも低くはない。被害なし。家はかなり離れたところにあるので目撃者がない。堤防の背後は水田で全て高い所にある。
地点NO.35(陸前高田市広田町集)
三陸沖地震.(昭和8年)による津波で大きな被害を受けた結果であろう。堅固な石垣が築かれているが,その上更に,石垣のすぐ上にある建物は全て納家(元は住家)であって現在の住家は背後の高所にある。津波の時は下りていって見たというが,必ずしも近い所まで行ったわけではないらしいので,見聞談も確実なものとはいえないが,それを記すと,石垣すれすれ迄水が上り,石垣上にあったオガクズが少し残っていて一あとからおいたものではなさそう一せいぜい水がかかった程度ではないかと思われる。石垣の下の浜(ジャリ)に海藻が打ちあげられているのが上縁がほぼ水平に階段状になっているがここまでとすると余りにも違いすぎる。石垣の上縁3,3m海藻の上縁1,4m。附近観測点の値よりみると後者の方が真の値に近いと思う。5〜10回するする退いて,するすると上って来たという。
地点NO.36(陸前高田市広田町泊港)
岩手県水産試験場気仙分場
宿直中島輔氏らの話によると,4時15分に起きたときは水が退いていていた。退き切ったのは4時35分で,10分後4時45分には一番高くなった。これは2回目の波と思う。最高は3回目で堤防すれすれ迄上った。(約2.8m)上げ下げの同期は同じだが,最初のは艮かった。
防潮堤の南側の小さな開口より水が流れこみ北側の大きな開口より流出し(上げた時)港内には反流も生じていた。退くときは丁度その反対であった。泡を立てて渦をまいていた。
偶々,同水試大船渡実験場主任菊地要三郎氏が来あわせていて,同地の状況を聞いたが詳細は同地を担当する桃井氏に報告しておいたからそちらに譲る。
地点NO.37(陸前高田市大陽)
地点NO.38(鵜沢)
海岸の石垣(高さ2.8m)の上に,漁網を染める仕事場が建っていたが流されてしまった。脇の方に材木の破片が積んであったが,土台を見ると余り新しい破壊あとではないようである。隣接の倉庫には被害はなかった様である。仕事場は相当老朽化していたものと思われる。
住家は全て高い所にあって被害はなかった。
地点NO.39(陸前高田市矢の浦)
海岸の石垣の(高さ2.2m)すぐ上の家はいくらか浮上して土台がずれたそうで,1階内部はひどく荒れているが,骨組はそのまま使えるらしい。浸水は2階床上に達し,かなり年の経っている家と思われるから,水勢はさして強くなかったのであろう。
佐藤己之助氏の話によると,ひいていた時間も押して来た時間も長かった。3番波が最高であった。明治のは盛り上って来たが今度のは平に来た。昭和8年の話がないのは何故か聞いてみなかった。
地点NO.40(陸前高田市小友町塩谷)
小屋敷で,海岸沿いの道路脇に,土台石だけをのこしてすっかり流されている家のあとがあった。
部落は海岸沿いに細長く伸びているが,ほどんと完全に倒壊している。国鉄はやや奥の土手上を走っているが,この附近では流失はしていない。
小友の浦では水位は非常に高く,両側の塩谷,三日市(地点NO.41)で共に5.5mであり,最奥部ではこれより高くあっても低くはないと思われる。海岸の堤防,道路は寸断され弧塁を残すのみ。背後の水田には約1.5km奥まで浸水し,この中央を横切る国鉄大船渡線は数IO〜100以上も流されている。
地点NO.4(陸前高田市小友町三日市)
今回の津波の調査に当って感じたことは,明瞭な痕跡の得られたのは全て家屋のあるところで一一その大部分は泥壁の濡れたところ一一断崖,砂浜,堤防などのところでは痕跡とい.うべきものはほとんど全く存在せず,聞き込みによっても,確実で精度の高い値を得られない。前回の三陸津波で被害の大きかったところは大てい住居を後背地の高い所に移し,海岸には堅固な堤防を築き,その直後の低地は大部分水田となっている。従って家屋の浸水波のないばかりでなく,聞近かでの目撃者のないところも少くない。三陸津波が今回の測定値の精度を減らしたものといえよう。今後は各所に測定のため標識として上記の泥壁に代るものを何か設置しておくことが望ましいものと思う。
更に,防災対策が進んで被害というものが減ることはもちろん歓迎すべきことだが,それにひきかえ,正確精密なデータが得られなくなってしまったのでは,地球物理学上は困ったことになる。

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気仙沼湾内の水流
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浸水地域の家に残された痕跡
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被害統計参照
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陸前高田市気仙町長部
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陸前高田市

第3節チリ地震津波踏査報告

§1、津波の速さ

チリ地震の震央をψ37。S,λ73。Wとする。地心緯度36.8を求めて盛岡との震央距離を計算すれば,17085kmが得られる。
又Teffreys−Bullen(1948年)の走時表によりP1の走時を求めると20m5sとなり盛岡の発震時23th04h30”影
38.3sからOrigin timeを求めると23th4m10mとなる。なお霞源の深さを0とした。(以上朝倉技官計算)。
宮古への第一波到達時刻は24th2h47であるから,その所要時間は22h37mとなる。これから波津が直線的に進んだとしてその平均速度は210m/s
更にv=SQR(gh)から平均の海の深さhは4.5kmが求められる。

§2.津波の高さ

a.大船渡市(大船渡湾)
1.大船渡町
駅附近図1
盛鉄局保線課による構内線路の東京湾中等潮位
面上の高さ448cm,県河港課による岸壁の東京湾
中等潮位面上の高さ175cm,駅ホーム上28cmの痕跡
レールを挾んで駅と反対側の民家地上170cmの痕跡から
(1)駅構内地上の高さ28cm
海面の高さ551cm
東京湾中等潮位面上の高さ526cm
(2)レールを挾んで駅と反対側道路の民家
地上の高さ170cm
海面上の高さ446cm
東京湾中等潮位面上の高さ471cm
大船渡電報電話局(大船渡町新田)
この附近一帯は被害激甚地で電報電話局庁舎を除きほとんど流失
図2
痕跡及び県河港課による岸壁の東京湾中等潮位面上の高さから
地上の高さ213cm
海面上の高さ433cm
東京湾中等潮位面上の高さ448cm
大船渡小学校から海岸に通ずる道路のガード附近
(第三笹崎)
線路すれすれとの聞こみ,及び盛鉄局保線課による第三笹崎線路の東京湾中等潮位面.上の高さ513cmより、地上の高さ250cm
東京湾中等潮位面上の高さ513cm
魚市場附近細川氏店舗図3
県河港課による魚市場岸壁の東京湾中等潮位面上の高さ175cm及びオガクズの痕跡より
地上の高さ230cm
海面上の高さ420cm
東京湾中等潮位面上の高さ435cm
なおオガクズの痕跡は,はっきりしたものが地上l30cmと70cmにもある。
2.永沢部落痕跡により
亀井商店地上の高さ172cm
大平氏.(紐計調査員)高さ245cm
3.下船渡駅附近海側のみ浸水。高所で200cm,駅の近くでは国道筋に浸水なく海岸に面した部分のみ30cm程度の浸水。
4,細浦岸壁附近
地上の高さ30cm
海面上の高さ180cm
図4は以上をまとめたものである。赤線内は冠水地域
(図9の次の頁に示す)
b.高田市(広田湾)
1.三日市被害激甚地,民家ほとんど流失,残った民家の痕跡より
地上の高さ250〜260cm
聞こみにより
海面上の高さ500cm
2.両替写真(7)(8)図5
崖に残った痕跡及び岸壁の海面上の高さより
地上の高さ300cm
海面上の高さ505cm
3.砂浜は地上高100cm程度
4.脇の沢
郵便局附近痕跡及び岸壁の海面上の高さより
(図6)
地上の高さ190cm
海面上の高さ500cm
駅(図7)盛鉄局保線課による構内線路の東京湾中等潮位面上の高さ594cm及び柱の痕跡により地上の高さ200cm
東京湾中等潮位面上の高さ636cm
5.今泉
気仙橋橋のらんかんをぬらしたという聞こみにより実測
気仙用の平水位より460cm
気仙橋附近嗣旅館の痕跡により
地上の高さ68cm
6.高田松原図8
砂浜の傾斜は4回測定平均2o25’,汀線より平坦地までの距離54m47cm
sin2o25’=0.042166,これから海面より平坦地までの高さ230cm
痕跡による地上の高さ225cm
海面上の高さ455cm
なお元口5〜6cmの松は横倒しになっている。
7.本宿線路附近(図9)
この附近は線路が18o〜270o廻転して30m位移動,路盤は流失した。
盛鉄保線課による線路の東京湾中等潮位面上の高さ323cm及,び線路直近の土台に埋こんである。
鉄筋に残した痕跡により
地上の高さ374cm
線路上を流れた津波の高さ214cm
東京湾中等潮位面上の高さ537cm
8.長砂部落
国道の北側地上の高さ145cm
国道の南側、地上の高さ210cm
図10に以上の結果をまとめて示す。なお斜線は冠水地域(図9の次の頁に示す)

§3.津波の到達した時刻

a大船渡市
1.大船渡電報電話局
おき時計,かけ時計がそれぞれ41’10”乙,4”45cmにとまっている
おき時計は机上においてあったが,
この地上の高さ135cm
かけ時、汁は多.少高く
この地上の高さ155cm
これから第一波は41’10肌に到達し,その地上の高さ155cmより低く135cmより』高かったこととなる。
§2.a.1に示した最高波が4h45mに到達したことになる。
2.魚市場附近の細川氏店舗
聞こみによれば4時前後魚市場附近から津波の声を聞き子供達をおこしコーリ2個を荷造って避難した直後第一波が来た。第一一波と第二波の時間間隔は30分位で.水位は第二波の方が1m程度低かったと云う。
§2.a.1 に述べたようにオガクズの痕跡は最高230cm次高136cmとなっておりこの記憶は正しいようだ。これからおして第一波第二波の時間間隔も可なり信頼してもよくはないか。とすれば電報電話局の時刻とは,そう大きな開きはない。
しかし第一波と第二波の水位がこの面者で逆になる。
3. 永沢の統計調査員大平氏よりの聞こみ
沖から3時すぎに帰って来たところ亀井の棧橋の上部すれすれまで水位が高まったのを見て津波を直感,半鐘をならして急を告げ,若干の家財と女,子供を避難させ男達は船を沖に出した。4時頃引きに変り亀井棧橋を目測して水平距離30m,高さ7.5ひろ(1ひろ=5尺,7,5ひろで約11.3m)もひいて,今まで見たこともない岩が露出したという。4h30mに§2,a,2,に述べた最大波襲来,0.51’00頃再び大きく引いた。その後はゆるく変動を続けたという。
b.高田市
1,三口市聞こみによれば
4h20m〜4h07m頃,地上250cm〜260cm,海上500cmの第2波がやってきたという。
2.高田市助役談
勝木田部落の漁師が4h少々前にコウナゴの網あげに浜に出て潮が異常に引いているのに気付き,すぐに半鐘をならして周知させると共に市役所に連絡した。連絡を受けた助役はただちに警報発表を指示した。
4h25m〜30mが第一波があったが小さい。
4h30mし〜35mしに引きの最大。その後最大波襲来。
3.高田市今泉の気仙橋附近の金谷氏〔部落担当員談)
04h10m幌頃網あげに行った漁師から「lm内外の異常な潮の動き」を聞き04h20m頃に電話交換手に連絡した。
04h30mらすぎに大きく潮が引いたので学電話交換手に「大津波が来る」と連絡した。

§4.要約及び所見

a 今回の津波の最大波は海面一Lの高さで,大船渡湾で450cm以下,広田湾では450cmをこし特に広田湾の場合,湾内の西又は南西にひらく小湾にある三日市,両替,脇の沢では何れも500cmをこした。これから湾内に入ってからの津波の動きは時計廻りに移動した事が推定される。大船渡湾においても市職員からの聞こみによると一万トン岸壁附近では同じような動きをしたという。
b 最大波の襲来時刻は04h30mから04h45m頃と推定されること及び3時頃から既に潮の異常が認められた事が推定されるだけでその前後の模様はよくわからない。
c 大船渡駅から岸壁に通ずる道路を境として被害は北部に大きく倒壊率は70%をこすものと思われる。特に埋立岸壁Aの延長線上では一万トン岸壁(B)の西側の巾3m程度の小河川を逆流した津波によって,この河口から北〜北西にひろがる赤沢及び新田地区はほとんど全滅,大通りの東側では電報電話局を残すのみ,西側でも電報電話局を扇の要として津波の浸入方向のかげになる扇形の部分に当る4棟のみであった。(図ll)
この南北の被害態様の相違の原因は
1.南部は(写真18)モルタル建築のものが多いのに反し,北部は木造が多くしかも.古い家屋が多かった事。
2.埋立岸壁Aと一万トン岸壁Bにはさまれた部分及び前述の小河川cのむきが津波の進人方向と一致したため南部よりも流速が大であったこと。
3.背後が平垣地であったために津波の波高はむしろ南部よりも低かったが津波の速度がおとろえることなく進入したこと等があげられよう。
d 前項3は各地で見受けられた。
背後に崖を背負う大船渡市永沢部落では浸水はむしろひどかったが,古い木造の家屋であったにもかかわらず倒壊家屋が極めて少ない。この例は高田市にも見られ平坦地にある三日市ではほとんど全壊鉄道線路は1kmにわたって30〜40mも流されたが,その隣接の両替では浸水のみで倒壊家屋はほとんどなかったe高田松原で6cm以下の松が倒され,又松原の切れ目から入った津波に洗われて鉄道線路の路盤は両側の水田と同じ高さになるまで完全にけずりとられ線路は180。から270。も廻転して30m位移動,枕木を津波の進行方向と反対側にして地上に直立している点等,浮力を考えても可なりの流速であったことが推定される。
これと対照的に線路の移動,路盤の流失は認められるものの前者と比較した場合,高田松原の防潮林としての有効性を裏づけている。
附5月26日自5h10m至7h04mに気仙橋で津波を観測したので,その結果は附図に示す。

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図1大船渡駅
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図2大船新田大船渡電報電話局
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図3大船渡魚市場附近
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図5高田市両替
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図6脇の沢郵便局附近
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図7脇の沢駅
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図8高田松原
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図9高田市本宿鉄道線道
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図11
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図4の1
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図10の1、図10の2
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付図、観測値

第2章論説

第1節三陸津波の特色

1.チリ地震による三陸の津波

東北地方の三陸海岸地帯は過去に津波にょる大被害をしばしばうけて,いわゆる津波常習地というありがたくないことでもその名を知られている。しかし被害をうけるような大津波は史実に残るかぎり,三陸沖の日本海溝付近に発する地震によるものと思われ,知覚できる地震の前兆を伴なっている。これは三陸沿岸地帯を歩くと,小部落でもところどころに「地震があれば津波と思え」という記念碑がみられることからも知られる。
三陸沿岸に津波のうちよせた記録によると明治27・2930・34年,大正4・9,昭和8・13・14年と明治以降だけでも9回あり,また昭和27年の十勝地震のごとき北海道東南岸を中心としたものを合すると少なくも14回におよんでいる。もっとも検潮記録にとどめるような小津波はほどんと体感できる地震の度ごとにみられる。これらの中で三陸沿岸を中心に大被害をもたらしたものは明治29年および昭和8年の津波で,前者は2,193名の尊い人命の損失と,6,126戸の流失全壊家屋を出し,後者は浸水を含む被害家屋が9,884戸,死者および行方不明が3,644名に達する大被害をあたえた。これらはいずれも三陸沖に震源地をもつ地震によるが,南米チリーの大地震による津波も大正ll年12日に到達した記録がある。もっともこの時は被害は記録されていない。
今年の5月24日早朝日本列島の東南岸を襲った津波は,南米チリ沖でその前口に起った大地震によるもので,ほぼ一昼夜かかって到達している。なんら知覚される地震の前ぶれもなく突如として日本を襲った津波は,当日その被害が刻々と報道されるにつれて,やはり三陸海岸に被害が集中していることが判明してきた。そこで東北大学理学部の地球物理・地質・地理等の関係教室から調査班をさっそく派遺することになった。これらの成果の概要についてはすでに6月28日の理・工学部総合発表会で報告された。以下においてのべる三陸沿岸のチリ地震津波の概要は主として地理班の調査した成果にもとずくものである。
われわれの調査地域は北は田老町から南は塩釜市まての範囲でこれを4地域に分けて北から筆者・長谷川・渡辺・藤原の諸氏が分担し,他に大学院の小杉・中村・垢田の諸兄が協力した。調査期日は,津波のきた翌日の5月25日からほぼ5日間で,1部6月4・5日に補足調査した。調査が短時日であったのでまず最大波高の分布を求めることを主と眼し,おもな集落の被害状況をあわせ観察した。したがってここでは調査地域の全体的特徴を中心にのべることにしよう。
調査方法どデーター
津波被害の程度を左右する条件を考えてみると,まず直接的なものとして最大波高(周期や波長)・潮時・舞象等があり,またこれをうける側では湾の方向や形態,海底地形,海岸地形,防潮堤,防潮林,集落の位置と構造,産業の種類と規模さらには経験の有無や退避訓練等の多くの条件が関与している。これらの条件をすべて調査したわけではないが,以下において最大波高の分布,被害の性格の各項に分けてのべる。
最大波高の測定はハンドレベルによって海面から家屋や山腹等の変色した痕跡までの高さを測った。これをもよりの検潮儀の記録から東京湾中等潮位からの高さ(T.P.)に換算して用いた。しかし津波の余波が5日位残存しており,その影響による誤差を除くことができなかった。なお両石湾より広田湾までの測点では海面を基準とせず,岩壁でみられる黒褐色の変色帯の上限(ほぼ高潮面)から測定し,そのままの値を用いている。また女川市では,3000分1地形図上の水準とした。次にここで使用した検潮記録は宮古・鮎川(気象庁),釜石(海上保安庁)気仙沼・渡波・石巻・塩釜(宮城県),女川(東北大学)等である。参考のため昭和8年の波高記録を使用したが,これは東大地震研究所彙報別冊(1934)によった。
最大波高の到達時刻
調査地域の最大波高到達時刻の分布を検潮記録と現地で聴取した中での比較的正確と思われるものから求めたのが表1である
ここでいう最大波高は(T,P.)からの高さであって,振幅の幅をいうのではない。したがって最大振幅の場合は潮時との関係から当然異なった時刻を示すことになる。そこでもっとも早く最大波高の到達したのは宮古で4時30分頃,最も遅いのが気仙沼や女川での7時20分〜40分頃となっている。その間に3時間以上の差がある。もし最大波高につぐ二次的な波高を示したものをとれば宮古の3時52分かち気仙沼の12時50分まで実に9時間におよぶ差があった。その地域分布では宮古から釜石にかけて最も早く4時30分〜50分であるが,釜石では5時15〜30分とほどんと区別がつかず,気仙沼から女川にかけては最も遅く7時20分〜45分,鮎川から塩釜では6時15分〜40分となり,田老も7時10分と遅くなっている。これはたとえば宮古の4時30分の最大波高に柑当する波が他地域にもきてはいるが,早くきた津波に最大津高を示した地域と,遅くきた津波に最大波高を示した地域があったためで,その原因の詳細はまだ確めていない。しかしこの地域の潮時差がわずか25分位であるからこのためではないと思われる。
当日の満潮は宮古で2時,干潮が9時13分であるから,満潮時より宮古で2時30分,鮎川で4時40分それぞれ遅く,ほぼ干満の中間時に到達した事になる。もし当日の満潮時に到達すると宮古で20センチ,鮎川で75センチ,それ.それ波高を増し,:干潮時ではそれぞれ80センチおよび40センチ低下することになる。
また当日は移動性高気圧下にあって波の静穏なよい天気にめぐまれていた。このためその日の潮位が15〜10センチ低下していたことになる。
今回の津波の来襲状況を罹災.者達から聴取したところによると,昭和8年のごときくだけ波をともなった高い波が急速にうちよせたのとかなり趣を異にし,あたかも潮の満ちるごとくであったという。これは検潮記録にみられるごとく,昭和8年に比較しかなり波長の長いかつ長周期の津波であったことによると思われる。
最大波高の分布
波高分布をみるために測点と波高を図2に示した。なお昭和8年の波高は今同の測点に近い地点のみをえらんで比較してある。これによると今回の最大波高はほとんど2〜5メートルの範囲にあって,4〜5メートルでは高いほうに属し,最高は宮古湾頭の6.3メートルである。これを昭和8年の8〜20メートルにおよんだのに比較すると波高は一般に小さかったといえよう。しかしその分布をみると,かなり特異な現象がみられる。
田老から塩釜までの直接外洋に面した岬や小轡入の地点ではほとんど2メートル前後の一様な分布を示しており,これらの地点は常に荒波に洗われている所が多いので大きな被害もなかった。また近地地震による津波と異って湾の方向による波高の差異がほどんとみられなかった。たとえば北東に開けたコの字型の湾である宮古湾と南東に開けた同様の湾型をもつ広田湾を比較してもその差がみられず,さらに牡鹿半島の北東岸と南西岸を比較しても同様iなことがいえる。
※図2は略す
次に湾内の波高分布をみると,轡入のない湾では湾口と湾頭の波高差はかなり小さいが轡入が深いと湾口より湾頭に波高が著しく増大しているたとえば宮古湾は2.0〜6.31メートル,山田湾で2.7(湾央)〜4.8メートル,大船渡湾で1.9〜5.7メートル,女川湾で3.8〜5.4メートル等いずれも湾頭に2倍以上増大している。特に海岸線が単純で深いコの字型の轡人をもつ宮古・広田両湾のこときは三倍以上におよんでいる。このような湾内の波高分布の性格は昭和8年のそれとまったく趣を異にしており今回の津波の大きな特徴といえる。より正確にいうならば,昭和8年の場合は岬や湾口における波高が8メートル以上で非常に高く,かつ浅い轡入をもつV字型の湾(綾里湾等)ではその湾頭で20メートルにも増大したが,湾入の深い宮古湾や広田湾では急激に減少して,湾頭で2メートル前後にしかすぎなかった。これが今回の岬等で2メートル前後にすぎず,浅い湾でも波高の増大が目だっていない。しかし深い湾になると3倍以上にも増大するという結果を示した。このような波高分布の原因は,遠地地震による今回の津波の周期が昭和8年に比較して著しく長く,40〜60分におよんだため,深い湾では十分湾個有の副振動を惹起せしめえた結果であると考えられている。
また湾内で非対称的な波高分布を示す例として,大船渡湾,気仙沼湾,志津川湾等がある。特に屈曲の多い気仙沼湾では,一様に湾頭へ波高を増大する傾向が明瞭でない。また湾口より湾頭へ波高の減ずる例として追波湾北岸がある。
次に湾内の海底地形との関係をみてみよう。津波は湾内の谷やミオに沿って速度を増すのでその延長上に当る海岸では波高が特に高まり,破壊力も増大したと思われる例が各地にみられた。気仙沼湾の内湾にある屈曲部の海岸がちようど海谷の延長に当って波高が高くなっている。さらにその波が南に転じて湾内の谷に沿って設置されたコンクリートの導流堤を破壊し,南岸に波高を増している。また大船渡湾頭の大船渡市赤崎地域等も湾の主谷に連続するミオの延長に当って,特に家屋の破壊等の大きな被害をうけている。これら流速をましたと思われる湾内の狭隘にあたる水深10メートル内外の谷底は,水路部の水深調査によって3〜5メートルいずれも深く掘下げられたことが確認されている。(大船渡・気仙沼湾等)また石巻市の河口港も滲渫を要望されていた河の土砂が津波によって必要ないまで深まったといわれている。
被害の性格
口本列島東南岸地帯でもっとも被害をうけたのは岩手・宮城の両県で,中でも宮古から塩釜にかける調査地域が被害の中心をなしている。今両県の被害をみると死者および行方不明l15名,全壊流失家屋2423戸,半壊家屋2693戸,床上浸水家屋11051戸を数え,さらに堤防や道路の決壊,船舶の流失,田畑の冠水や耕地の埋設,かき棚の流失,その他の損害を合すると,総額184億7000万円に達するという調査地域の被害を示したのが表2である。
これは昭和8年以来の大被害で人命の損失こそ当時にくらべてかり少なかったが,その後の人口増加や産業の発達によって海岸や内湾の利用が一層進んでおり,人命以外の被害はむしろ増大しているとみられる。特に今回の被害の性格として顕著な地域的差異が認められることである。表2によってみると,人命は大船渡・志津川・陸前高田の三市に集中している。また流失・全壊家屋も志津川・大船渡・女川に卓越し,ついで山田・宮古・雄勝・大槌等にも集中している。これらの特性は部落別の被害をみると一層明らとなる。すなわち各部落ごとに今回の最大波高と部落に近い地点の昭和8年の波高から座 標上にプロットし,その各部落の被害程度の大(流失・全壊を出したもの),中(半壊・床上浸水程度のもの)小(床下浸水以下のもの)に区別して示して見たこれによってみると被害の大きいのは昭和8年の波高が小で,今回の波高の大なる地域に集中していることがわかる。しかし両石・白浜・鮫浦等のごとく昭和8年に波高が高くて,今回の波高がそれほど大でないにもかかわらず,大きな被害をうけている地域がある。これは後述するごとく,昭和8年の大被害によって一度背後の高地に集落を移動したものの,その後再びなんらの対策をもたずに海岸に再移動したものや,昭和8年の津波き経験しなかった新開集落である。
次に浸水:地域をみると深い湾の湾頭にある低平な海岸平野は例外なく大きな浸水地域を出している。これは前述したように湾頭に波高が大となったためで,特に流入する河川を逆流してかなり内陸まで浸水した。またみるべき防潮堤がなく,海岸に形成される砂浜堤も低くて自然の防潮堤としての効果はあまりなかった。湾口に近い小海岸平野では波高も低かったためもあるが,比較的高い砂浜堤によって浸水をまぬがれた例が多かった。
防潮林は各地に造成されていて,流木や漁船の漂流をくいとめる効果があったが,効果的な防潮堤を設置た事例はきわめて少ない。本格的防潮堤としては田老町の比高8メートルにおよぶものがあり,大きな効果を示したと一部に伝えられたが,今回の津波はその基部にも達せず実際の効果を示さなかった。比較的その効果を示したものとしては,大槌市の大槌川右岸と小槌川左岸を結んで市街地を守るための約3.0(T.P.)メートルの防潮堤の場である。これを約50cm位溢流し堤内の基部を一メートル位えぐり水門部を幅数メートル破壊しているが,市街地の家屋の被害は全壊流失20戸,半壊28戸にとどまっている。これに対し対岸の安渡では防潮林や防潮堤でさえぎられた波が直接突当って,全壊・流失47戸,半壊145戸を数え,大槌市における被害の中心をなした。
また海岸線で最も多くみられる護岸程度の岩壁や,小防潮堤ないし防波堤では溢流した海水によってその堤内基部がえぐられ,排水時にその部分から破壊されて,コンクリートや石垣の残片が海岸のほうに流されているものが多い。さらに河川の流出口や排水口は海水が集中的に逆流するのでしばしば破壊されている。山田町にある防潮壁は市街地内に海岸に平行して作られ,各主要道路の所で数メートルずつ間隔をおいているが,その間隙の内側も一メートル近く道路をえぐり,家屋にも被害をおよぼしていた。
次に集落の被害について若千ふれておきたい。昭和8年の津波被害は湾口や浅い湾の湾頭に位置する比較的小.集落に大きかった。したがって大被害をうけた田老や吉浜のごとく本格的な防潮堤を設置したり,集落を背後の高地に移動したり等なんらかの対策をとった。しかし被害の少なかった深い湾の湾頭の集落では防潮林こそかなり普及したものの,今回の波高をふせぐような対策もなく,また退避訓練もほどんと実施されていなかったことが人命をはじめ多くの被害を出した第一の原因とみられる,(大船渡・高田・志津川・女川等)。特に広い平野にある湾頭の集落は比較的大きな河川の河口にあるため,波がその河口を急速に逆流してかなり内陸まで浴岸の家屋に被害をおよぼしている(志津川・女川その他多数)そのよい事例として現在山田町に編入せられた織笠部落の場合をのべてみよう。織笠部落は山田町の南に隣接して,織笠川の河口の低い段丘上にあり,河谷の幅も数百メートル程度である。昭和8年には山田町が波高3メートルで大きな被害をうけなかった。しかし今回の波高はそれぞれ4.8メートルおよび3.2メートルで,いずれも昭和8年より1,8〜1.2メートル高いが,被害は山田町が流失・全壊戸数29戸,半壊27戸で昭和8年より少ないにもかかわらず,小部落の織笠は流失・全壊89戸,半壊132戸という壊滅的な打撃をうけた。このように波高とは逆の被害の差異を生ぜしめた原因を考えてみると,まず山田町が海岸に対して比較的急な傾斜をもち,かつ防潮壁もあったのに対し,織笠部落は狭い谷底の河道にそうて発達しているという条件の差がある。そして今回の津波は,昭和8年程波そのものの衝撃は強くなくても,長周期の津波であて,たため,河口の沖にある小島の効果も少なく,織笠では多量の海水が浸水した。したがって,その退水時の破壊力もくわわって,織笠により大きな被害をもたらしたと思われる。同様の現象として海岸に直交する道路が人工の河道となって多数の流木等をおしあげて,道路に沿う家屋に被害の集中する例が,女川・志津川その他に多くみられ。
なお,お宮古市街地はさいわい湾口近くにあって大被害をまぬがれたが湾頭にある高浜・金浜・津軽石・赤前等の小部落が全市のほどんとを占める被害家屋を出す結果となった。また気仙沼市街地は屈曲する湾の湾頭にあって,波高が2〜3メートル程度にとどまり,破壊家屋も32戸で比較的少ない。しかし数年前の大火により商店の多くが地下倉庫を作っていたため商品を持出しえずに多くの損失をこうむったといわれる。前述したほかに家屋の密集地域における被害の特徴としてしばしばまびかれたような形で破壊家屋が分布していることである。これは単に基礎石に柱をのせたような建物や考朽家屋が破壊されたもので,公共の堅固な建物等が浸水程度にとどまっている結果とみられる。さらにほどんとの港に木材集積場があるが,その直径1メートル以上もあるラワン材等が簡単に流されて,多数の小型漁船とともに多くの家屋を破壊している事例が多かったことである。
各種産業におよぼした被害もかなり大きな額にのぼっているが,特に大船渡湾,気仙沼湾等をはじめ湾入の多い三陸海岸で盛んなかき養殖業はほどんと全滅に近い被害をうけた。かき槻は海面の急激な昇降によって簡単に流され。ちようど種付直後であったため損害を一層大きくした。また田畑の冠水も両県で2000ヘクタールにおよんでいるが,水田はちようど田植期で,苗代や移植直後の苗が塩害をうけた。
その他海岸にそう鉄道や道路の決壊も多数あったが,特に災害地への緊急を要する援助物資の輸送に多くの支障をきたした。たとえば牡鹿半島の基部にある万石浦にかかる万石橋は,牡鹿半島沿岸に通ずる唯一の主要道路であるが,その橋脚が波に洗われて沈み,一時交通不能となって牡鹿半島の災害地.(石巻市の大半を占める)への輸送に数日間非常な不便をこうむった。
最後に人命の損失についてみると,三陸村以北では家屋等の被害を出しているが,人命は一名も失われていずその全部が大船渡以南の地域に限られる。しかも死者・行方不明を出したのは,昭和8年の津波被害の軽徴な湾頭の集落にかぎられている。このような地域差を生じたのも津波の経験がなく,退避訓練も徹底しておこなわれていなかったからで,釜石以北では,津波対策が一般住民にもかなり普及している。しかし過去に津波による大被害をうけながら,、危険な海岸に集落を再移動して被害をうけた事例を先に示したが,零細な漁民にとって海岸から遠い背後の高地に住居をおくことは生産的に多大の不便があるからにほかならない。
以上三陸海岸におけるチリ地震津波の諸特徴をのべたが,なかんずく被害の地域的差異が著しいことと,零細な一般住民が漁民に被害が集中していることに特色がみいだされる。
今後三陸海岸も産業の高度化に伴う交通施設の向上や人口差の増大によって,一層高度の土地利用へ集約化され,あるいは新たな陸地の造成がなされていくと思われる。したがって計画さるべき防潮対策も当然各市町村で計画立案中の都市の発展策との関係を十分に吟味される必要があろう。昭和8年のごとく当時の町や集落だけを対象とした対策では27年後の今日新たに発展した地域が大被害をこうむるという結果になる(大槌・雄勝等)。
津波景観ともみるべき三陸海岸の高所の部落も,農業集落ならまだしも,漁業集落では数十年に一度の津波をさけるためその主たる機能を長年にわたり著しく不利ならしめる。しかもその間には新たな集落が海岸へ立地することはむしろ必然であろう恒久対策であるならば当然その集落の発展や主機能をふくめて守る対策がほしい。したがってこの災害を機会に近地地震津波と遠地地震津波の両者に対する対策を立てて,危険地域を指定し建築制限や用途指定等を実施することよりも,防潮堤等の位置の決定にも前述の諸点を考慮すべきであろう。またかなり普及していた防潮林も潮風に強い黒松が多いが,地上2〜3メートルは樹間が空いてその効果が削減されているものが多かった。さらに河口や防潮堤の通路ないし排水口等が破壊されている事例が多いことなども考慮すべき点と思われる。いずれにしても万全の策が完全に実施されることはまず不可能か,かなり長期を要すると思われるために,避難方法や訓練の実施と避難道路や安全な避所の設置が早急に望まれる。
なお筆者の個人的事悟によって本稿が執筆が時間的に制約をうけ,内容がかなり不備となった点を編集部や読者にお詫びして筆をおきたい。(東北大学理学部地理学教室)

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表1最大波高の到達時刻
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表2チリ地震津波による三陸海岸地域の被害
2.チリ地震津波による三陸諸港の災害の特色

5月24日末明に太平洋一帯が津波に襲われ,中でも三陸海岸の大被害が報告された。明治29年6月15日,昭和8年3月3日の三陸沖地震による大津波の記念に,海岸各地に稲井スレートの記念碑が建てられている。その碑面には「大地震来るぞ大海嘯」と刻んである。しかるに今度の津波で三陸の人びとは地震を感じなかった。大地震がはるか太平洋の彼方にあるにはあったのであり碑面に誤りがあるわけではないが,なにかごまかされたようだといっている.。したがって津波警報はおくれ,まにあわなかった所も多かった。しかし漁船の出漁準備時間潟にあたっていたので,異常な退潮を見て,津波の来襲が予想されたため多くの所で十分退避することができたようであった。
津波発生直後,東北大学の理学部では地球物理,岩石地質,地理の四教室が共同で津波の機構,災害の範囲などについて調査し,工学部では都市計画の面から調査した。
筆者は教育学部の地理専攻の学生を動員して,やや観点を異にした調査をおこなった。すなわち,広い埋立地をもった湾奥の港と砂浜海岸の河口の港とでは,津波の影響に大きな差異があるので,その状態と,砂浜海岸の潟における津波の影響とを調査した。後者は砂浜海岸に堀込式の港として計画されている仙台港に対する津波の影響を考えるためのものである。なお貴重な写真を提供された気仙沼市土木課,女川第五小学校斎藤君および東北大学教育学部歴史科阿部君に感謝する。
災害の状況と特色
(1)気仙沼港気仙沼における津波は口絵に示したような状況で侵入してきたのであり,市街地への浸水範囲は図1に示すごとくである。市全域での被害は,行方不明2名,家屋流失5戸,全住壊51戸,床上浸水1459戸,床下浸水581戸,非住居全半壊170棟,非住居浸水1980棟である。これでみると全半壊は以外に少なく,市外地内部にはそれらは皆無であった。市街地への海水の侵入はかなり静かであり,床上浸水の地域でも表戸が破壊されることはほどんとなく,写真Aにみられるような静かな浸水であった。気仙沼の旧市街地はほどんと床下浸水でしかないが,新しい魚市場背後と鹿折地区の埋立地はまだ十分利用されていない。
南気仙沼地区も大川河口のデルタ前面を埋立てた所で東洋一と称されるりっぱな魚市場が建設されてから,魚問屋,水産加工工場,製箱工場,鉄工場などが急速に進出し発展した地区である。この埋立の際,大川の河口を南へつけかえ,さらに旧河口部周辺には,将来工場地帯に予定されている水田が広がっているが,それら全地区が津波の浸水を受けた。港口にある海中堤防は導流堤でなぐ,大川の土砂の堆積が港へはいるのを防ぐためのものであったが,津波によって半分程度破壊され,流した。大川河口のつけかえによって土砂の堆積方向が変ったので,現在ではこの堤防は不要であり,港の拡張計画にはむしろ邪魔物ですらあった。
(2)女川港,ほとんど全市街が津波により浸水したが流失,全壊はなかった。津波の侵入状況は写真Dと(1)に示されることく,かなりゆっくりしていて,早足が自転車で十分逃げることができる程度であった。写真EとFは同一地区を撮ったものであるが残留物は次々の津波でしだいに増えて,最後の津波が引いた後は足の踏み場もない程になる。倒壊家屋があると,さらに多くの板,柱*図と真写は本文では割愛してあるので御了承願いたいが路上に堆積し,その状態は洪水,火災,戦災震災等に類例をみないものである。津波の床上浸水は最後には階下の戸,障子その他を流し,逆に土砂および雑物をおびただしく堆積し,そのあとしまつははなはだめんどうである。津波後はただちに畳を洗い,布団の綿をこまかくちぎって洗い,縄にかけて干すなどしているが,階下はがらんどうになっている。
港における津波の状況は写真GとHに示すごときものであった。
(3)塩釜港,従来塩釜では津波の被害を聞かなかったのであるが,今度はかなり広い範囲に浸水をみた。この浸水区域の大部分は埋立地であり,年々若干の沈下をみている所である。新しい岸壁と埋立地は津波をかぶらなかった。浸水家屋では松島湾の泥土の堆積がひどく,かつ遊覧船付場付近では多くの船が陸上に上った。
うちにひろがった松島湾の奥に津波がきた理由として塩釜港への航路の海底を湾口より浚喋してある所が津波の通路となったと考えられる。松島湾内での津波被災地区は他にはない。
(4)石巻港,北上川を遡行した津波は,市街の東部におよび南部に侵入したが堤防のある部分ではなんらの被害を与えていない。
(5)渡波港,渡波の港口より,両岸に浸水したが,万石浦では沿岸の浸水はなかった。
(6)定川河口,河口から侵入した津波は潟にひろがって,万石浦の場合と同じに,周辺にはほどんと上っていない。河岸も2メートルの堤防を越していない。
大船渡港,以上の諸地域と異って岩手県の大船渡の被害は宮城県の志津川港とともに非常に大きかった。特に大船渡は北上川総合開発地域中部の工業基地として開発に力がそそがれている所だけに,その災害は注目に価する。
旧大船渡町の被害は次のとおりである。死者49名,行方不明1名,住居全壊212戸,流失189戸,半壊568戸,床上浸水5戸,床下浸水44戸1非住家破壊495棟,これらの被害地区は図5に示された範囲である。
市街地は大船渡港奥西側の須崎川の小さな扇状地デルタの末端に発達し,その北に盛川が流入して低平な細長い沖積平野が形成されている。その先端に,かって塩田のあった地区が広い埋立地となりその背後の水田も現在埋立てが進行中である。
大船渡地区は北上川総合開発の要として,早くから岩手県が工業地区建設に力を入れているが,古くからある小野田セメント工場以外いまだ一つの工業も誘致されていない。そのセメント工場も津波の浸水を受け3週間の本地区の工業港建設について,非公式に県当局にとい操業停止を余儀なくされ,かなり大きな損害である。
ただしたことがあるが,以前の津波ではたいした災害がなく,津波に対しては安全であるとの答えを受けていた。しかし今次の災害後調べてみると,明治29年に死者931名,流失77戸あり,昭和8年にも死者2名,流失および倒壊家屋70戸があった(赤崎,末崎両村を含まず)しかも当時は,現在の大船渡市街地はなく,茶屋前,笹崎,台等の小漁業部落が須崎川扇状地デルタの上に存在していたにすぎなかったのである。
大船渡の津波の勢は気仙沼,女川のごとく静かな浸水ではなく,大型漁船を岸壁上におしあげ,魚市場および倉庫付近の臨港線上の貨車を脱線させ,製材工場の貯木を押し流し,その流木により他の家屋を破壊し,電柱を傾斜させる等のもだった。
大船渡の災害防除に対し,海岸に高い堤防をめぐらすとか,釜石の場合をみて,海岸にはコンクリートの建物をならべるとか,の対策がいわれているが,はたしてこのようなことで津波の害を防げるであろうか。はなはだ疑問である。海岸に堤防をめぐらして海に背を向けた生活ができるだろうか。現地では30年に一度の津波のために毎日毎口の生活に不便であるとの反対の声も高い。高い二重の堤防でかこまれた岩手県の田老町が被害を受けなかったのは,堤防によって津波が防がれたのではなく,津波がそこでは小さかったので被害皆無だったのである。コンクリート建築物があったためその両側に津波の勢が強くなった例は大船渡にも釜石にもあり,そのような強固な建造物を並べても津波全部をそこでくいとめることは不可能で,逆に強い流れを建物の間から市街へ入れることにもなろう。
志津川では小漁港を築造したため,その防波堤によって津波が三方に分離され,その分流した先で倒壊流失家屋が多数にみられ,大船渡では埋立地の影響で津波の方向が一部変えられて市街地へ激流が向った例もあり,また志津川の新しい埋立地の住宅は全滅している。
一方,陸前高田や盛の街は海岸から離れているので,その前面の水田は冠水しても住宅の被害は皆無であり,埋立地が造成されてもそこに津波を妨げる強固な建造物がなく,しかも住宅や製材工場が作られてない場合には気仙沼,女川,塩釜のごとく,単に浸水家屋が出るだけの静かな津波で終る場合もあった。
溺谷の湾奥のデルタが水田の場合,そこにかなりの流れの津波が侵入しても,田の畦が壊されるのはごくわずかな部分でしかなかったことを考えると,流失,倒壊,家屋が生ずるのは,デルタ末端あるいはその先を埋立てたり,岸壁を築造し,かつそこに凹凸を作って津波の流動を.人工的にかき乱したためと考えられる。したがってリアスの湾奥に港を作りさらに埋立てて工業地帯を作るのははなはだ危険たといわざるをえない。
一方,砂浜海岸の津波はほどんと浜堤ないしは小さな堤防で内陸への侵入を防がれているが,砂浜海岸へ流入する河口の港でも,石巻では若干の浸水があった。しかし名取川の閖上や七北田川の蒲生ではまったく浸水をみていない。定川の河口の潟の周辺でも津波の影響禄非常に小さかった。
かく考えてくると仙台港に思をはしらさざるをえない。
仙台5万トン港計画は富田教授の立案されたものであるが,砂浜海岸への堀込み形式でちょうど,定川河口の潟や,阿武隈河口の鳥の海その他と同様な形になるものであり,津波の被害はまったくないと考えられる。工業地帯の造成も,海面の埋立てではなく浜堤背後水田の埋立てを予定するものであるから,津波に対してはまったく安全である。後背地との交通に不便なリアス湾奥の港築造より,仙台と塩釜との巾間の交通便利な,しかも津波や地震に対して安全なこの仙台港計画は,東北開発の大きな要であり,仙塩を中心とする基幹百万都市建設と第五工業地帯建設の最大の基礎条件であろう。
また,津波の発生を取除くことはまったくできないのであるし,積極的に津波の害を防ぐ決定的方策も容易に見出せない以上,津波の被害を受けない土地に諸施設をすることこそ最大の防津対策ではあるまいか。(東北大学教育学部理学研究室)

参考文献

中央気象台昭和8年三陸沖強震及び津波報告
験震時報7の2
岩手県土木課震波災害±木誌昭和ll年

第2節津波にいかにそなえるか

1.住宅災害について

津波に対する建築物の防災措置の必要
本年5月24日,わが国の太平洋岸の各地に被害をあたえたチリ地震津波は,その原因が18000キロもの遠距離のチリ沖の地震によってひきおこされた従来の経験では予測が困難なものであったといわれる。その被害も,特に著しかったのは,北海道および三陸三県の青森・岩手・宮城であったが,三重・和歌山・徳島・高知・宮崎などの各県にもおよびきわめて広汎な範囲の津波である。
被害の概況は,死者・行方不明139名,全壊・流失2984戸,半壊2029戸,床上浸水1983戸,床下浸水17332戸,その他耕地,船舶,道路,橋梁,堤防などの各般にわたって大きな損害をこうむった。特に宮城県志津川町のごときは,住宅総数2726戸の25%に当る694戸が滅失するという集中的な被害を受けている。
最近においても,昭和8年に三陸沖津波,昭和19年に東南海道地震津波,昭和21年に南海道地震津波,昭和27年に十勝沖地震津波などの津波災害を経験しているわが国の海岸地方は,台風とともに津波に対する災害防除の措置を備えていかなければならない。特に地形上,津波の頗度が多いと思われる三陸地方沿岸の津波対策は,今回の災害を期として,従来のごとく単に海岸および港湾に対する災害防除の措置だけでなく,都市計画や建築物についても,可能な限り防災の措置を徹底する必要がある。
津波による建築物の被害についての観察
チリ地震津波の直後に,住宅被害の複察および住宅復興対策の準備をするために,最も被害の著しかった宮城県と岩手県におもむいて,短時日であったが,宮城県は塩釜市・石巻市・女川町・雄勝町・志津川町・気仙沼市岩手県は陸前高田市・大般渡市・釜石市・大槌町などの被害状況をみたが,その結果,次のような観察を得た。
まず第一に,家屋の流失・倒壊を生じたのは,大体,地上二メートル程度以上の深さの波が襲ったところがあるが,この場合,建物の構造が木造であっても,コンクリート布基礎の設置,基礎と土台のボールトによる緊結軸組の要所における筋違の取付など,現在一般的におこなわれている耐震構法によった建物は,津波に対しても非常に強く,安全性が大きいということである。このことは公共団体が建設した港湾の事務所,公共病院,役場などが,周囲の一般家屋の流失や倒壊の中にあっても,建ち残っている事例が多かったのをみても判明する。
今回の被害が大きかったことの最大の原因は,古い建物が多かったことと,新しい建物についても,前述のごとき耐震構法の普及が遅れていたことにあると思われる。
第二に,海岸や岸壁に面している,つまり海に対して第一線となっている建物は,強力な波浪の前にさらされている危険性はもちろんであるが,さらに津波の場合にうちあげられた船舶や埠頭の貨物などが波浪とともに激突する危険が多いため,木構造では,相当堅固な構法にしても,安全を期することはとうてい困難なことである。
今回の被害も,海岸や岩壁に面した建物の流失や倒壊はきわめて多く,また波浪には耐えたにかかわらず,船舶に激突されて,倒壊あるいは半壊した建物も多い。ともかく,海に対して第一線にある建物は,津波の程度が小さい場合でも被害を受けやすく,津波の程度が大きいときには,滅失することを覚悟しなければならない。
第三は,海に近いほうの建物が堅固であったために建ち残ったり,半壊状態でも崩壊しなかったりして,波浪の力を弱めることに役立った場合には,その後方の建物の被害は比較的少なく,その反対に,前面の建物が崩壊した場合には,その流木もともなって,背後の建物を崩壊させ,こうして被害の波及が広まる傾向がみられることである。
この状況は,大船渡市のメインストリート辺りで顕著であった。この街路は海岸に近く,海岸に平行してはしっているものであるが,最近に拡幅事業がおこなわれたため,両側の新しい商店は木造ではあるが,大部分が耐震構造のものが並んでいた。したがって,海岸側の建物がならんで残った部分では,道路の反対側やその背後の建物の被害も少なかったが,船舶の激突などで,海岸側の建物が数軒続いて崩壊した部分では,道路の反対側のみならずその背後にまで広範囲に被害がおよんでいた。
第四には,今回のように平生は海面より高い陸地における津波被害は,津波さえひいてしまえば海辺低湿地や輪中地のごとく長期湛水による二次的被害を生ずることや泥土の堆積などに苦しむことはなく,比較的短期の災害といえることで,まず津波に対して耐えさえすればよいと考えられることである。
以上述べたようなことは,一応常識的にも推測できることであるが,今回の現地の事実の祖察によって,一層明確に観察し得たといいうる。
津波に対する住宅災害の防除の考え方
津波災害についてだけでなく,台風による高潮や豪雨による堤防の決潰,盗水による建物被害についてもいえることではあるが,災害防除の措置としては,第一には防波堤,海岸堤防,河川堤防あるいはダムなど公共土木施設を完備することによって,広範囲の地域を安全に護ることが最も効果的であることは,論をまたない。
しかしながら,水に対する防護は,完壁を期することがきわめて困難であって,たとえば一箇所の破堤によっても,相当の広範囲にわたって浸水することになる。特に港湾や漁港においては,高い堤防などをめぐらすことは,平生の作業の支障となることが多く,津波の波浪を海岸線で完全にくいとめることが不可能に近いことである。
したがって,台風や津波による建物の災害を防ぐためには公共土木施設の完備とともに市街地そのものを堅固なものにしておく必要がある。すなわち建物も個々にそれ自身として堅固なものでなければならなく,特に住宅については生命と家財を守るものであって,一層の留意をはらわねばならない。欧米の市街地のごとく,全部の建物が堅固な構造であったならば,同様の災害をこうむっても,.その被害は何十分の一にとどめられると思われる。しかしながら,わが国の現状としては,経済的理由によって,すべての建物を早急に堅固な不燃構造にすることはできない。したがって次善の策として,可能なかぎり堅固な建物を多く建設するとともに,堅固な建物の配置についても意を用い,市街地全体としても効果があがるようにしていくことが現在における最も実際的な方法である。
一般住宅の改善
民間の一般住宅を急速に不燃構造にしていくことはとうてい困難である,したがって,一般住宅については,まず第一に津波に対して安全な山手に建設させるようにしなければならない。そのためには公共団体が都市計画的に山手の土地を宅地に開発し,道路,上下水道,電気等の施設を整備して,住宅の誘致をおこなうことが必要である。またいろいろの固難は予期されるが,海岸近くの仕事場と山手の住宅とに生活を分離することを指導する.ことも重要である。
次には搬住宅建設している大工職に対して,木造の耐震構法を徹底的に普及させることが緊要である。コンクリート布.基礎,土台のアンカーボールト,筋違などは,現在一般の都市においては,大工職の常識にまでなっているが,三陸沿岸の町村においては,ほとんと従来習慣構法によっ建てられており,最近建てられたものでも耐震構法のものはむしろ少ない状況であった。
その構法は,基礎は玉石が多く,布石を敷いた場合でも土台堅結は十分でなく,また柱の文数は比較的多、にかかわらず,壁は土壁のみで,筋違はまったくとりつけてないというのが典型である。柱も多く,壁面積も多く堅固にみえるが,ひとたび館。洗われると,土壁がとけ落ちて脚元の固めがなくなって,横力に対してまたく脆弱構造になってしまって倒壊している。もし耐震構法が普及していたならば,おそらく被害は三分の一または四分の一位ではなかったかとさえ思われる。
今回の津波による水の流速は,場所によって違うが,大体1.5〜3.0メトール位で,木造でも耐震構造であれば耐えられる程度といわれている。
なお耐震構法の普及をはかるとともに,既存のものについても補強の改修を指導し実施することが,現状として,きわめて適切であり,重要かつ効果的なことである。
以上一般住宅改善について述べたが,一般住宅木造であるから。これによって絶対安全を期することはできなく,被害を減少させる措置であって,生命の安全のためには適当な避難場所となる不燃構造の二階建以上の学校・官公署などの勘があわせて適宜に配置されることが必要である。
公共住宅の建設
津波の危険のある地域において,公営住宅などの公共住宅を綴する場合には,できうるかぎり市街堅固になるように計画的に建設しなければならない。全部が不燃構造であることが望ましいが木造の公共住宅を建設する場合には,必ず安全な山手に建設しなければならない。また前述のごとく,一般住宅を計画的に山手に誘致する意図がある場合には公.共住宅が先駆的建設の役割をはたすことが効果的である。
不燃構造の二階建以上の公共住宅は,市街地内部に建設することが適当であり,なるべく数棟を並べて一帯的に市街地の一定部分を堅固にすることがよい。
今回のチリ地震津波被害に対する災害公営住宅の建設は,本年度688戸,来年度313戸,計1001戸の予定であって,内108戸は不燃構造二階建,285戸は不燃構造平屋建.の計画である。
上記の方針にしたがって,木造住宅は安全な山手に建設することにしているが,市街地の堅固化として特に力を注いでいるのは,志津川町における不燃構造二階建の建設計画である。
志津川町は,今回の災害を機として,区画整理をおこなうことにしているが,海岸のすこし内側に海岸に沿って新しい街路を設ける計画になっており,この道に沿って,両側に保留地を設けて,これを公営住宅の建設用地に当てることにしている。この用地に公営住宅の不燃構造二階建アパートを道の両側に,東西に10棟延長約300メートルにわたって,たてならべる計画である。同町の市街地の東西の延長は1キロあまりであるから,今後建設されるであろう他の堅固な建物とも連関して,この建設計画は,背後の市街地の防護について,相当の効果が期待される。
公共住宅の建設は,今後とも津波などの災害防除についても指導的な形で建設されることが肝要である。
なお,そのほか,いわゆる防火建築帯を単に火災に対する防災のみならず,津波などに対しての防災的観点から地区を指定して助成することも重要であり,また公共建物の不燃立体化も,市街地を堅固にするためきわめて重要である。
公営住宅における防災的設計の試み
津波や水害の危険地域においては,一階を作業場などにして,二階以上を住宅にした鉄筋アパートを建設したらよかろうという意見が以前からあった。しかし,こういう地域は農,漁業地域であって,生産形態,生活習慣からいって,その実現には相当な困難がともなう。
その意味において,近日着工の運びとなっている,岐阜県養老町における3棟15戸の鉄筋コンクリートの公営アパートは,画期的な試みである。
養老町の輪中地区は,伊勢湾台風をふくめて,昨年は二度も大水害にみまわれたが,その復興として罹災農家の一部を町営アパートに収容することにしたのである。
一階部分は,農林漁業金融公庫の融資をうけて,上にのる五家族の共同作業場として,二階と三階を国庫補助による二階建五戸連続の公営住宅としたアパートである。共同作業に適した五家族が三組選ばれて,三棟のアパートが建設される。
これは,農林省と建設省が協力して指導し,農業生産の共同化と住宅の防災的建設の二つの目的をもっており今後の一つの方法を示すものと考える。(建設省住宅建設課)

2.防災対築のいろいろ

津波の被害について
津波の被害は,津波の高さおよび周期と地形との関係によってややその趣きを異にするが,(1)津波の流勢によるもの(衝突および引き波){2)浸水によるもの,(3)洗掘によるものとに大別できる。
山の流勢によるものは,比較的短い周期の津波がV字型湾に来襲した場合に著しく,遡上する津波4)前面の水塊の衝撃これにつずく水流およびこれによって破壊浮遊した漂流物が,建造物,立木等に衝突してすさまじい破壊が生じ,引き波のときはごれらが一体となって流下してまた猛威をふるう事になる。
(2)の浸水によるものは前記の場合はもとより,流勢がそれほど著しくない場合にも,平屋建の木造家屋は天井板付近まで浸水すると基礎がよほどしっかりしている場合を除いては容易に流出してしまう。また奥行きの広い平坦な地形の場合には湛水は奥地に対して流入するから,そこに速い流速を生じて建造物の流失をみる。もしこの場合堅固な構造物が流れを阻止するように並列してあれば,このような流れが弱まるから,被害を僅少にとどめ得るわけである。
(3)の洗掘によるものは主として港湾地帯の施設に大きな被害をおよぼす事が多い。津波は波長がきわめて長いから普道の風波やウネリと異って陸地付近ではほとんど流れの状態で,しかも海底の土砂を動かす力が強く,このため構造物の根元を洗掘したり,またその洗掘した土砂を航路におきさってこれを埋没させたりする。また引き波のときは港内では海底が干上ってしまうので,矢板岸壁などでは設計外力条件よりはるかに危険な状態におかれ,しかもこれが根元の洗掘と重なるから,背面土圧にたえかねて崩壊するのである。この例は今回の津波においても大船渡港,釜石港,八戸漁港等で見られた。
津波の対策についで
津波に対していかにそなえるか,その対策について次のような方法が考えられ,すでに一部実行に移されている。すなわち
ω居住地区を高所に移す。(2)防潮堤でかこむ。(3)防波堤を設置する。圏建築物に対する洗掘防止。その他である。これらについて説明を加えると
居住地区を高所に移す。津波の来襲はあらかじめ予知できないし,またこれに対する防禦対策も一部を除いては不可能な場合が多い。したがって津波から生命財産を完全に守るには既往の津波のおよばない高地に居住地区を移す事が最善の策である。そして同時に国道県道等もこれらの新しく作られた町や村をむすぶように高所につけかえる必要がある。昭和8年に壊滅的な被害を受けた村々の内,綾里,綾里湾白浜,古浜湾本郷,唐丹湾小白浜,本郷,小本,太田名部等は前回の水位実績にもとずいて住居地区を高所に移転させているので,今回の津波はもとより,近海に発生する遡上の高いかなりの津波に対しても安全なようになっている。しかしこれらの地区の内でもたとえば綾里,小白浜等ではその後引揚者,次三男の分家などの世帯増や,のどもとすぎればなんとやらの,日常生活の利便のため再び低地に住家が増加しつつある。このような地区においては海岸線に直角に高所に通ずる避難道路を数条設けて,低地における生活者および昼間海岸ばたの低地において生業に従事している人たちの緊急避難が可能なようにすべきである。
防潮堤を設置する方法,山が切り立っていて居住地区を高所に移す事ができない場合とか,平地が奥まで広がって大きな市街を形成しているような場所では,むしろ海辺近くに防潮壁を築いて重要地区をかこむほうが容易な場合もある。前回の津波で1千人以上の人命を失い,壊滅的な被害を受けた田老の町では,約20年の歳月を費して最近に1400メートルの防潮壁を完成させたが,備えあれば憂なしか,今回の津波はその根元にまでも達しなかった。また宮古湾赤前地区では防潮堤が未完成であったため,その背面わずかな家屋が全壊をまぬがれたのみで宮古湾奥広範囲な地区に浸入し,それに宮古湾内貯留のラワン材の乱舞が加わったため惨憺たる被害が生じた。ただ同じく工事中ではあったが普代,久慈では今回の津波の水位が低かったため被害をまぬがれたものの,より短かい周期の津波が来襲したならば前回と同様の被害が生じたと思われる。工事の早急な完成が望まれるしだいである。また山田湾山田町飲岡地区の防潮堤は道路と堤との交叉点が多数ありいずれも門扉がなく,津波による流水は自由に通過できるようになっているが,それでも背後の市街地に対しては相当の締切効果を発揮した模様である。田老の堤防のように門扉が津波によって自然に開閉できるようになっていなくても,このように防禦効果は期待できるけれども,この間隙を通って奔流のように出入する流水によって道路面および防潮堤端が洗掘されこれが堤体欠潰の原因となるから,十分な舗装および根入れをおこなう必要がある。越喜来湾浦浜,吉浜湾本郷,大槌湾鵜住居,大槌,山田湾船越などの防潮堤は天端が低かったり,欠潰したり,あるいは河川からの遡上により背面に浸水して,完全な効果を発揮したとはいえない。防潮堤築造上の注意としてはその高さを既往の津波の高さより高くする事が必要ではあるが,津波の時は小さな風波は消えるようであるから,波に対する余裕高は加味しなくてもよいと考えられる。堤体は前面斜,天端面,裏斜面ともにコンクリート等で舗装して越水に備え,また堤体には30メートル程度ごとに隔壁をもうけて,1ケ所の破堤が隣接堤におよばないことが必要である。
防波堤を設置する方法,防波堤は効果の面でその設置について三通りの方法が考えられる。防波堤でかこんで堤内の水域の水位を津波の高さより低くするのがその第一の方法である。比較的大きな湾で,奥には相当広大な平地があり都市が形成され,しかも商港漁港の諸施設が整備されまたその都市が港と密接に結びついている場合について考えてみよう。これらの町全体を津波のおよばない高所に移す事は不可能であり,また水際線に堤防を設置しては港としての機能をまったく阻害するから,これも不可能である。また平坦な街内に大きな防潮壁を作って港頭地区と市街地区を分離することは,堤防用地の取得取付道路,鉄道等の関係からきわめて困難である。
このような場合,たとえば大船渡のごとく湾口がくびれていてその幅が比較的狭いとき,湾口にわずかな港口を残して,天端の高い防潮防波堤を設置して津波の水をそこでくいとめて,堤内の水位を津波の高さよりも低くしてやるのである。堤内水面積,防波堤開口部の広さおよび水深,津波の高さおよび周期等をいれて計算すれば,堤内で津波の高さをどの程度まで下げ得るかが決まるから,経済的効果を考慮して,この方法を採用するか否かを決めるべきである。
第二の場合は,防波堤を設置して津波の衝突波および引き波の流勢をそいでやる方法である。長周期の津波の場合には水位の上昇の仕方もやや緩慢であるから,防波堤によって水位の上昇をくいとめる事は不可能である。しかしながら三陸沖に発生するような比較的短周期の津波の場合には,遡上する津波の流勢およびその引き波による掃流力がきわめて大きいからそれらの流勢をそぐ障害物としての防波堤の効果は期待できる。この場合にも防波堤の天端はある程度の高さをもたないと効果が薄いし,また同一の高さの防波堤の場合にはなるべく陸地によせて設置したほうが効果が大きいようである今回の津波においても八戸,両石,田老等ではある程度の効果を発揮したといわれている。
第三の場合は防波堤によって轍の潮をそらせ方法である。轍も陸岸近くでは一つの流れであるから主要地帯の前面防波設置して,津波を滑らかに導流してその方向をあまり重要ならざる地帯に向けてしまうのある.宮古港および泊港で前回の津波以後に設置された防波堤によってこの効果が顕著に発揮されたという。
鎌物に対する措置前回の釜石市の例,回の大船渡市の例で顕著は前面また背面にコンクリートまたはブロツクの建造物のあった木造家屋は流出の害が少ない。この例から浸水をまぬかれない地区の建築対策としては,海に面した一線これコンクリ一トまたはブロツクの堅固な建物を並列させて流勢をそぐのが効果的と思われる。また今回め大船渡,織笠,脇之沢等において家屋をボルト等で基礎緊結している木造屋はしからざるものに比して流失の被害が少ないようであった。
また住居を高所に移転した漁港において港頭地区に残された生産施設,倉庫,漁業会等の建築物は必然的浸水の害を受けるから,この場合一階をコンクリート造りにしておけば被害を最少限度にとどめる事ができる。
構造物に対する洗掘防止,たとえば防波堤を設置して津波の流勢をそぐ場合,轍堤端においてはこれらの施設のない場合に比してはるかに大きな洗掘力受ける事となる.今回,八戸工業港では河口防波堤がはげしい洗掘を受けて既設八函のケーソンの内中央の二函を残して被災した。特に端部におけるケーソンは根元が約八メートルも深掘れして堤体自身がこの深みに落込んでまったく海底下に埋没したため,しばらくの間はケーソンがどこかに流されたものと考えられていた。また八戸漁港では漁港物揚場のマイナス3メートル重力式岸壁の前面がマイナス10メートル以上に洗掘されたため,岸壁は全延長にわたって崩壊し,最近完成したばかりの上屋にまでその災害がおよんだ。これらの対策としては岸壁基部を洗掘にたえ得るよう十分に根固めをほどこす必要がある。
また津波常襲地帯では岸壁に対する設計方針を変える必要がある。普通岸壁の土圧の計算の場合には海面は低潮位を採用しているが,津波の場合には海底面までひあがることが考えられるから,この点を考慮して設計条件を決めなければならない。また残留水位も岸壁天.端まで’とり,必要とあれば岸壁上の冠水をも荷重としなければならない。一方引き波の際岸壁天端からの落水にょる根元の洗掘も考えられるから,この点も十分注意しなければならない。
その他津波の流勢をそぐために海岸に植林をおこなったり,海岸線に平行な鉄道道路の築堤を高くしたりするのもきわめて効果的である。八木・織笠・鵜住居の鉄.道線路,吉里吉里・門之浜の道路・築堤等が今回の津波ではある程度の効果を発揮したもののようである。
このほか今回の津波のようにまえぶれもなく来襲するものでも,その前徴は検潮儀等にはっきり現われ,しかもこのような津波は周期が長いのが普通であるから,検潮儀を改造してこの前徴を見出し得るようにすれば,津波の最大波の来襲する前に緊急避難ができるから少なくとも人命の損失だけはまぬがれうる。
三陸のように山が海岸にせまり単地の少ない地区においては,このわずかな単地のみが}市街地であり港であり,工業地帯でありまた農耕地でもあって,生活のすべてが営なまれなければならない地区である。しかもこのような地区がいつなんどき来襲するかわからない津波の脅威に,常にさらされていることはまことに苛酷な運命といわなければならない。特に津波防護対策と商漁港の機能を両立させる事はきわめて困難な場合が多い。今回筆者は八戸の津波調査に際して考えさせられる話を耳にしたので蛇足ながらつけ加えさせていただく。
八戸は今回公共土木施設の災害が大きく,また市街地の浸水や,漁船の陸上のりあげによ破損力弐多かった:対策としては図のような防波堤設置のA案と,海岸全域にわたる防潮堤B案とがとりあげられた。この港はNEの方向の波に常に悩まされているので,A案の防波堤を設置すると通常の波浪にはきわめて有効である。一方津波に対してはその流勢をそぐ事はできるが,それのみでは臨港地区の浸水を防止する事は不可能であり,またB案による防潮堤を水際線に設置すると,この町の最も特色とする商港・漁港としての機能を著しく阻害する事となる。いずれともきめかねてわれわれは現地において臨港地区,および海辺のいく人かの人たちに,どちらの案を希望するかをといあわせてみると,いずれもA案の防波堤を希望している。さてこれらの人たちは直接津波にょる浸水や流失の被害が少なかったのではないかと思って,その内の1人70才位のじいさんに聞いてみると,今回の津波では約50万円程度のものを流出させたといっている。それならばなぜ直接津波を防止できるB案を希望しないかと重ねてたずねると,じいさんのいわく「われわれ海に生きる入間にとってはB案は不便でしかたがない。津波はわれわれの経験によると30年に1度だから,わしらの被害も1日に割ればわずか50円たらずだ。こんなわずかなお金をおしむばかりに毎日を不便な思いをして漁をする事にはとてもたえられない。防波堤ができればわれわれはどんな嵐にも時化にも毎口を安心して生業に励む事ができる。津波のような不可抗力の天災はわれわれ海に生るものの宿命ではないだろうか。もしみなさんがわれわれのために,よかれをねがうのであれば,その対策選定は自ずから明らかであろう」云々と,ちなみに八戸の防災計画はいまだいずれともきめられていない。(運輸技術研究所水工部)
※A案B案の図を略す

第3節綜合研究

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第1図 世界津波分布図
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第2図-1 世界地震分布図
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第2図-2世界活火山,造山帯及び海溝の分布図
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第3図津波危険度の分布
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第4図各地におけるT(P)の値
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第1表日本における津波地震表
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第5図海底陥落による海面の昇降
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第6図チリ海岸の地盤の変化
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第7図チリ地震津波の曲折図
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第2表チリ沿岸に津浪を件った地震及び津浪
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第3表Hawaiiを襲った津波
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第8図地源に最も近いfaleahuonoの検潮記録
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第4表チリ,ペルーの地震
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第9図検潮儀に表れたチリ地震津波の高さ(全振巾)と到達時間(グリニッチ時)
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第5表検潮記録
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第6表1960年5月22日の津浪検潮儀記録による
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第10図各地津波の最大波の全振幅到達時刻及び周期
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第7図日本各地の津波第1波及び最大波の観測値
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第11図岩手県内の検潮記録(a)
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第11図岩手県内の検潮記録(b)
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第11図岩手県内の検潮記録(c)
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第11図岩手県内の検潮記録(d)
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第8表検潮記録より見た津浪の初相
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第9表津浪周期分布表
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第10表チリ地震津浪の波高(岩手県洛岸)
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波高図ー1
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波高図ー2
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波高図ー3
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第11表三陸津浪の波高
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第12表港湾の固有振動週期
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第13図(a)海の深さ
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第13図(b)
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第13表過去の津浪の周期
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第14表チリ地震津浪による被害発生状況
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第14図(a)アヅツ島の検潮記録
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第14図(b)ホノルルの検潮記録
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第15図カムチャッカ津波を捕えたタルカファノの検潮記録
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第16図(a)津波最大波高と住宅被害
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第16図(b)津波最大波高
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第15表昭和35年及び明治29年,昭和8年被害比較
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第16表市町村別被害金額一覧
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第17表建築物被害状況表
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第18表面積50m2軒高3mの木造建物の浮上
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第19表耕地の被害
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第17図
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第18図(a)大槌防潮堤
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第19図(a)大船渡一2m港物揚境
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第19図(b)大船渡一4皿物揚場
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第20図鉄道橋禦前后築堤流失状況
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第20表土木関係の被害
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第21表鉄道線路築堤被害状況
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第22表水産被害一覧(単位千円)
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第23表漁船被害数比較
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第24表最近の津波警報伝達状況
1.過去における津波

1.1世界の津波と日本の津波
世界における過去の津波の分布を見ると第1図に示すように,その主なものは大平洋を還る海岸線即ちアリューシャンからカムチャッカ,日本列島,フィリッピン,ニュギニヤに到る線,及び北米カリフォルニヤから南米ペルー,チリー海岸である。これらはいずれも還太平洋地震地帯に属するものであって,地質学的には第3紀造山帯で,火山帯でもある。(第2図)火山帯と造山帯が重なっている事は,これらの地帯では地殻の運動が理在でも行なわれている事を示すものと考えてよい。この地帯の海底地震が直接隣接する海岸に津波を誘起するのみならず,太平洋を渡って遠く対岸にまで伝播する事がある。
1872年(明治5年)以来日本に襲来した津波は被害のない程度のものも含めて60回に達している。それを日時の順に,震央,規模,津波の階級及び襲来地区等を一覧表にすると第1表に示すようになる。この中界半数は東北海岸沖に震源があるか,東北海岸に影響を与えたものである。またこ東北地方の気候この津波編には,東北地方に関係ある津波と【して宝暦元年1751年以来58回の津波の記録を挙げている。これより見ても東北がいかに津波と関係が深いかがうかがえる。その中,主なもの16については,三陸沿岸における程度を附記したものが附属書2の23頁に示してある。東北大学加藤愛雄教授は震央の位置から,これを5種に分類する事が出来るとした。即ち(附属書工20頁)
(I)三陸沖震に伴なう津波
A百数十粁沖に震源をもつもの
B沿岸数十粁以内に震源をもつもの
(II)十勝沖並びに千島沖地震に伴なう津波
(III)カムチャッカ沖地震に伴なう津波
(IV)チリ西部海岸沖地震による津波
分類(エ)に属するものは数も多く,三陸海岸に大きな被害を及ぼす。特に(工)一Aは規模が大きく三陸全沿岸に及ぶが,震央の位置と湾の関口の方向によって程度1と差が生ずる。(エ)一一Bは地震は大きくても津波はそれ程でなく,震源に最も近い海岸で若干の被害を生ずる程度である。(II)(III)と震源との距離が遠くなるが,それにもかかわらずかなりの被害を及ぼす。分類(IV)は今回の大津波で代表されるもので,地震を体感することなく津波が来襲し,特に大きな湾の湾奥で著しい被害を生じた。それぞれの分類に属する主な津波を記すと次の通りである。
(I)A869年7月2日 三陸沖 大津波
1611年7月2日   三陸沖 大津波
1677年4月13日 (陸中南部沖)中津波
l793年2月7日   陸中沖 中津波
1896年6月15日  三陸沖M=7.6 大津波
1897年8月5日 三陸沖M=7.7 小津波
1933年3月3R 三陸沖M=7.6 大津波
(I)Bl616年9月9日 陸前沖 小津波
1861年10月21日 陸前陸中沖 小津波
1938年1工月5日 磐城沖MG=7.7 小津波
(II)1640年7月31日 北海道沖西部 小津波
1782年8月23日 エトロフ島沖 小津波
1843年4月25日 北海道沖東部 中津波
1856年18月23日 北海道沖西部 中津波
1893年6月4日 色丹島沖M=6.6 小津波
1894年3月22日 釧路沖M=7.6 小津波
1918年9月8日 ウルツブ島沖MG=8.25小津波
1818年ll月8日 エトロフ島沖MG二7.75小津波
1952年3月4日 十勝沖MGコ8.3 中津波
1958年11月7日 エトロフ島沖MG=8〜8.25 中津波
(III)1952年11月5日 カムチャッカ沖MG=8.25中津波
(IV)1868年8月13日 チリ海岸沖MG=8.25中津波
1877年5月9日 チリ海岸沖MG=8.25中津波
1906年8月17 チリ海岸沖MG=8.25中津波小津波
二宮宮古測候所長は津波資料から直接有感地震を伴ななわいもの16を拾い出して検討した結果,次の4回をとの群に属するものとした。(附属書II19頁参照)
1687年10月22日ペルー・リマ沖
1730年7月9日キャラオ沖
1751年5月26日ユンセプシオン沖
1837年11月8日ヴァルディビアン沖
氏は記録の不備で確認は困難であるが,更に2回を加える事が出来ると見ている。
なおこれについては仙台管区気象台渡辺偉夫氏が詳細な表を掲げている。(附属書工,7頁)
元東北大学教授中村左エ門太郎博士は,明治初年に工部大学の外人教師として招へいされたミルン博士の書物に,チリ沖地震による津波が太平洋を渡って来る事が述べられていた事を回顧した書翰を気象庁官に当てて書いている。津波の被害が過去の経験の教訓により軽減される事はしばしば言われるが,その完全な把握がいかにむずかしいかを示すものである。
チリ沖地震が日本に津波をもたらすものなら,三陸沖地震がチリ沿岸に津波を誘起した事はないか。またハワイは両地の中心にあって,両地域の地震による津波を受ける事にならないか。東京大学工学部堀川清司助教授の資料によると第2表の如くである。即ち近地地震によるものが圧倒的で,遠地地震によるもの僅か3回,それもアリューシャン,カムチャッに震源がある。1957年のものは日本にも小津波をもたらしているが,1946年のものは日本に影響しなかったようである。またハワイを襲った津波は第3表に示す通りで,南米沖地震によるもの10回,日本に震源のあるもの6回,カムチャッカ,アリューシャンより来るものが8回とならている。その中被害の甚大なものを見ると7回の中,チリ,ペルーによるもの4回,カムチャッカ,アリューシャンから来るもの3回と折半して,三陸沖地震によるものはない。なおチリ沿岸地震帯の活動状況は,日本への津波の予想に重大な関係があると思われるからその一覧表を気象庁の調査に基いて第4表に示す。
地震の頻度と津波の回数とについては,クラーゲによると15,000の地震中津波を伴なうのは124回といい,ペーリーは南米西岸または洋中の1098回の地震中津波は僅か19回であるといっている。チリ沖地震による大津波の経験を我々が持たなかったのも不思議ではない。
1.2津波危険度
以上から見て,三陸沿岸のうける津波の大きいものは三陸沖の地震によるものが主であることがわかる。
東京大学地震研究所長高橋龍太郎教授は過去の津波の波高・周期・震源からの距離,津波の速度等からその全エネルギーを算定した。(例えば1933年三陸津波の算定エネルギーは16×1022ergである。)これを過去の津波について推算して,逆に各浴岸に例えば100年間に襲った津波エネルギーを計算出来る。地震従ってそれに伴なう津波のような現象は,非常に長い時間尺度で計らるべきものであって,従って過去100年間とこれに続く100年間では統計的変動を除けば同様と考えるべきである。
従ってこれは来る100年間に予想される津波エネルギーと考えてよい。しかも過去の統計によると発生するエネルギーの約半分は,最大の津波1回で受持っていることが分るから,100年問に起り得べき最大の津波のエネルギー程度が分ることになる。高橋教授はこれは津波危険度と名づけて,その分布図を発表している。第3図にこれを示す。
同教授は更に,津波には一種の習性があって,同じ湾内で,波高の高い所はいつでも高く,低い場所ではいつでも低く,その比は凡そ一定である事を指摘した。沖合に到着したエネルギーは,その後は海底,海岸の地形だけに支配されて,いつも一定の割合に配分されるからである。そこで沖合到着エネルギーと,海岸各部落での波高の2乗との比T(P)は特定の津波の価を使って経験的に定められる。三陸沿岸について計算されたものを第4図に示す。
以上は統計的な推算であって,従って数少い遠地地震によるものの比重は極めて小さく,三陸沖地震による津波の性格に基くといってよい。今回のチリ地震津波によって津波危険度の分布は各地略一様に増大するだけで,署しくは変らないと考えられるが,港湾の習性比T(P)は新しく作られなければならない。
すなわち三陸沿岸は紀伊半島とともに津波に対して最も危険度の大きい地方であり,しかも三陸沿岸はリァス式海岸であるために習性比が大きく,どの港湾も高波に襲われる事を覚悟しなければならない。

2.チリ地震津波の性格

2.1地震と津波
海洋中のある限られた区域から起る水の異常な長い波を一般に津波という事が出来る。この中台風等低気圧によっておこるものを高潮として区別することにすると,津波の原因は,特殊の場合として海底火山の爆発による ものもあるが一例,1883年クラカトア火山一ほとんど海底地震によると考えられている。いいかえると,海底に地殻変動があると,それに伴なって地上に地震が,海面に津波が波及して行く。この考えにもとづき,佐野長谷川両民は海底の一部が急に陥没した場合の海水の運動を理論的に研究して,第5図に示すような振動をする事を明らかにした。即ち最初水位が僅かに下り,つづいて波の山が来るが,著しい低水位に続く2〜3番目の山が最高となって,漸次周期運動になる。これは多くの仮定を入れて簡素化したモデルであるが,今迄観測された多くの地震津波の記録と定性的に1は一致する。もちろん陥没ではなく隆起する場含もあり陥没と隆起とが同時に起ることもあろう。今回のチリ地震津波においても,花咲,釧路(最高水位は故障のため欠)函館を初め,大湊八戸,久慈,釜石,女川,渡波,鮎川更に尾鷲,串本から宇和島に到る多くの検潮儀記録を見ても同じ傾向が見られる。唯伝播途中の屈折散乱の影響も入り,検潮儀の位置と港湾の形に基く振動特性等によって,震源の振動が忠実に再現するとは限らない。湾口岬陰にある宮古検潮儀では,最高波の後で低水位が表われている。久慈湾の記録では最低潮位が不明,大船渡では険潮儀が水没しているが,目測記録(日産建設橋本氏による)によると先ず異常の引潮から始まっている。(第ll図)
今回の津波は地震を伴なわない無警告津波で,そのため被害を大きくしたといわれるが,例えば東北大学附属地震観測所の記録を調べると,5月23口午前4時15分の地震に続いて同日午前4時31分大規模遠地地震を記録している。気象庁の発表によると南米チリを震源とするこの一連の地震は次の通りである。
チリ大学の発表によれば,前震の最も顕著なものは,現地時間5月21口6時02分,震央37度0’〜37度3'S,74度45’〜75度00'Wに位置し,Concepcionより南Arauca半島西方海底にあり,M=4/3,Concepcion近辺は甚大な震災を受けた。引続き本震は南部のValdiviaの西方海底付近に震央をもち,5月22日15時40分に起り,M=8・4/3の超一流の地震で,これが各地に津波を惹起した。この地震に伴なって現地海岸では大規模な地盤変動が測定されている。即ち震央付近では500kmにわたり1〜2mの沈下,その南及び北では隆起を生じている。(第6図)
これに対応してチリ沿岸の津波は震央附近では引き波で始まり,隆起地点より北では押し波で始まっている。
この震央から東北沿岸迄の距離は1700km,地震が伝って来るに要した時問は20分である。従って平均の速さは14,2km/secとなり,近地地震の場台に比してはるかに速く,地球の核の部分を通って来た事が分る。
一方これに伴なって津波が起り,その波は海水を伝って口本の東南海岸に達した訳で22時40分を要した事となり,平均伝播速度206m/secとなる。津波のような長い重力波の速度は,重力の加速度9,水深をHとすると√9Hで与えられる。これよりhを出すと水深4300mとなり,実際と一致する。
今回のチリ地震の規模M=8 4/3はこれまでの最大のものであるが,地球上でほとんど対照点である日本ではその実動振巾は0,11m皿に過ぎなかった。それに反し津波は震源地に近いチリ沿岸の8〜10m(25mの報告もあるが疑問あり)に比して三陸沿岸でも6mに及んでいる。自由な水面で連続波が拡がる時,そのエネルギー流は距離に反比例して減少し,従って波高は距離の自乗に反比例して低くなる等である。然しそれは平面上の話であって,地球表面は球面をなす。仮りに地球表面が完全に海で覆われたとして,その一点から大円に沿ふて拡がって行く波.を考えると,これはその対照点で再び出会って波源と同じ振動をする筈である。今回の震央37度S,73度Wの対照点37。N,107度Eで中国の西安の西北,300km位に当り,日本の東沿岸より約2500kmの位置になる。むしろこの対照点の距離に波源があると考えた方がよい。しかし実際は太平洋は陸と島とで囲まれていて,海の深さも所によってちがい,波は大円に沿って進むとはいえない。東京大学吉田助教授の屈折図によると第7図に示すように三睦沿岸に到るものは120。W附近の浅海,及びチリ日本を結ぶ大円.上に点在する諸島によってそのまわりを通る波が早く進んで,光に対するレンズの作用と同様になって,対照点よりずっと近い点に収束する傾向を示す。津波が大きかったのみならず,波源の位置が丁度この条件の所にあったために三陸沿岸に高い波を見舞ったという事が出来る。この点については更に精度な追跡が必要であり,同じく南米西岸沖に震央があっても,その南北の位置変る時その差がどの様に表われるかを身ておく必要がある。
東京水産大学三好寿教授によると関東,南海,四国沿岸で波高の低かったのは伊豆諸島に続く浅瀬のためでこの影響のなくなる九州南部から波高は大きくなっている。
2.2検潮記録から見たチリ地震津波
現在津波を記録するために作られた津波計というものはほとんどないといって良いが,日々の潮汐を検べるための検潮儀は各地にあって,津波波高の小さい所は完全に波高の高い所は不完全ながら波の様相を記録している。故障のあった場合でも実測によってこれを補っているので,検潮所のない地点での聞き込みによるものに比し,極めて信頼度の高いものである。
aチリにおける検潮記録
第8図は震央に最も近いTalcahuanoの検潮記録である。これによると明らかに前震による小津波が記録され相当長い閲継続している。本震による第一波の後で検潮儀が破壊されて,あとは実測で補ってある。東京大学堀川助教授は他の5地点を加えて3口間の波の消長をその口の最大波によって次の第5表で示している。(周期は頻度の大きいものの大略の値)
これによる.と判然と第1日に最高波を見たのは震央に最も近いTa生cahuanoで,大部分は第2日目の方が波が高く,Valparaisoは第3日に最高となっている。これは津波現象の複雑性を示すもので,第3日目の最高波はプジア大陸糊からの反射波と考えられないであろうか。
bアメ力沿岸,アラスカ,太平洋諸島
アメリカ海岸測定地局は,アメリカ沿岸,アラスカ,太平洋諸島に観測網を設けているが,今回のチリ地震津波に対して62観測所の観測値の速報を出している。各地につき主なものを示すと第6表の通りである。これにより第1波の到達時刻と最大波の全振巾を経緯度に従って記入したものが第9図である。(波高の高い所はスチールナウトしたり,故障によって十分な高さを示してない)図には日本における最大波も加えてある。
最大波の全振巾については2mを越えるものは少なく,ペルー,メキシコに各1カ所,カリフォルニャに3カ所,アラスカの西端Adak,Attu,太平洋諸島中ではハワイ島ヒロ湾である。これは三陸沿岸の大部分で全振巾3m以上になっているのに比べて興味ある点である。
次に第1波と最高波との間の時間を見ると,ペルーでは1日後れになっている所2,エクアドル,サルバドルグワテマラも1日後れ,メキシコ1〜6時間のおくれ,13時間後もある。
アメリカ合衆国沿岸では多く7,8時間おくれである
が3時間のもの,10時間以上おくれるものがある。
アラスカ2時間,3時間,5時間のおくれ
ハワイ25分1時間1時間半
その他の諸島についても同様。
これらの第1波と最高波との時間のおくれの違いは
1.津波の経路の違い
2,港湾の形に基く振動状態の遠い
等に帰する事が出来よう。前者は震央の位置によって左右され,後者は波の周期に深い関係があると考えられる。例えばホノルルの津波グラフを見ると明らかに湾内の水が外からの波に励起れて振巾が増大し減少している事が見られる。(第14図)
次に第1波の押波の高さとそれに続く引きの深さを比較すると,引波の深いものが断然多く,押し波の高いものは55中僅かに8例にすぎない。また最高波が上昇振巾のもの30例に対して,下降振巾のものは22例である。
なお口本沿岸には100を越える検潮記録が得られているが,気象庁の速報に基くその観測値と,それに基く波高分布を第7表及び第10図に示す。
c三陸沿岸
東北地方沿岸には21カ所30に上る検潮器がある。その中で太平洋沿岸に15カ所,岩手県沿岸は海岸線が最も長いが,久慈,宮古,釜石の3カ所である。日本全国では116に上る検潮儀記録を得ているが(総合研究班速報)日本海沿岸と瀬戸内海沿岸との数カ所を除いては,一見して明らかな津波現象を示している。これらを精査する事がチリ地震津波の性格を明らかにし,それに対する施策の基本となると思われる。今三陸沿岸の記録(仙台管区気象台チリ地震津波調査報告)の判然としたものについて,その来襲初相の2,3を表にして見る。(第8表)このうち江の島は津波計として,潮汐の影響を差引くように出来ているが,他は日々の潮汐測定がその目的であるため,高波の来襲によってスケールアウトし,または故障を起した。宮古は久慈,釜石とともに最も早く第1波を記録している。(第ll図(b))最高波の振巾は故障のため1,5m程度を示しているが,第1波が36cmで明らかな異常を示しており,もしこの記録を直接眼前に見る事が出来たら最高波の来襲1時間前に津波を警告することが出来たと思われる。上の表より簡単に分ることは
1.宮古を除いて他のll記録で,最高波の来る前に著しい引潮が見られる。
2.第1波から最高波(または著しい高波)までの時間は,最短1時間の問がある。
3.第一波の振巾50Cm』以上のもの半数,2,3の場合を除けば,異常の波が来た事は記録紙を見れば即座に分る程度である。(現在は11回取りかえの後でようやく記録紙が見られる。後のまつり。)
4.最高波の全振巾は,その前の著しい引潮の振巾のほぼ2倍で,潮が引いただけ次に高まって来ると考えられる。
5.最高波の周期は40分から143分に及んでいる。最高波の前の著しい引潮については,三陸沿岸のみに限らず,lm以上の高い波が来た所では例外はない。ハワイのヒロ湾,アリューシャンのアッツでも同様であるが,最高波の小さい所では,カリフォルニヤの諸港,クリスマス,ジョンストン島いずれも第1波が押し波で著しい波になっている。ミッドウェイは殆んど下らないで第3波が最高波になっている。このことは昭和8年三陸津波のときも住民によって認められている。
それに反し,三陸津波の場合は地震から20分前後で津波の主要波がやって来て,今回の前ぶれの第1波から主要波まで1時間以上あるのと著しい対照を示している。このことは遠来津波の特性と考えられるが震央の南北の位置がこれにどの様な影響があるかは今後の問題であろう。
今回の津波は周期が長い事が言われているが,前掲のチリの値,三陸の上の値を見て40分以上と考えられる。アメリカ海岸測地局の観測値からは次の様にかなり短い周期のものが含まれている。これはその港湾の別振動が入り込んだとして理解する事が出来るであろうか。高波継続時間は略半周期と見てよかろう。そうすると30〜40分が多かった事になる。(第9表)
加藤教授は月浜の検潮記録を今回及び昭和8年三陸地震津波の両者について分析し,前回は10分から10分台の周期が多かったが,今回は30分前後が多く70分に及ぶものも相当な振巾になった事を示している。(附属書1頁参照)
今回の津波の今一つの特徴は,波浪の減衰が極めておそく,しかもその消長に変化がある事で,チリ沿岸については堀川助教授の指摘があるが仙台気、象台の渡辺偉夫技官は八戸港の検潮記録についてこれを指摘している。(附属書工,12頁)即ち三陸沖及び十勝沖地震津波では2日間で殆んど平常に帰っているのに今回は6日間に及んでいる。しかもその間5回に渡って波の増大を見ている事は,その問隔が30〜36時間になっている点より,太平洋沿岸のどこかで反射して来た波であると推定される。即ち波は一点から拡って消えて行ってしまうのではなく太平洋全体が波の場となって往復波を作っている事になる。
2.3岩手県沿岸のチリ地震津波
岩手県は南北170kmにわたる孤状の海岸線で大平洋に接し,東北の大平洋岸の半を占めているにもかかわらず,検潮所は僅か3カ所に過ぎない。しかも今回の津波に対しては途中で故障してその全貌を記録していない。なお海岸線は北は屈曲が少いが,南部は屈曲が著しく,津波の様相も各地夫々の特殊相を示している。これには事後出来るだけ速かに現地を調査し,遺された痕跡,聞込等によって資採を収集しなければならない。東北開発研究会は6月14日から17口まで6名から成る調査隊を派遺してチリ地震津波被災地復興計画のためにξを報告している。その後筆者は8月24日より27日にわたり宮古より陸前高田市までを調査した。しかしそれよりも早く翌5月25日には仙台管区気象台の踏査隊が現地に出張して貴重な資料を得て居る。また今回著しい事は日本全国の大学,研究所の研究者から成る総合研究班遠地津波による災害の研究が結成されて全国一せいの調査が行われた。岩手県内でも5月25日より6月8日にわたり,12班延べ37日間の調査が行われた。これはこチリ地震津波踏査速報として配布されている。
a最高波高
津波の災害を決める第一一要素は波の達した最高の高さである。これはまたのこされた痕跡等により事後に測定可能な量でもある。検潮記録によると,三陸沿岸では津波の第一波は満潮後1時間以上後に始まっているため最高波高をそれだけおさえる事が出来て幸であった。総合研究班の測定値に基いて,最高波高を海岸線沿いに並べて記入すると第12図のようになる(第10表)
a−1湾奥で津波は高い
最高波高は低い所で2m前後,高い所では5m,.最高6mに達している。これを昭和8年,および明治39年の三陸津波(第ll表)に比べると,高い所と低い所との差が著しく小さい事が分る。今回5m以上を記録したのは
北部で種市,久慈湾,野田湾
南部で宮古湾,大槌湾,大船渡湾,広田湾
である。北部海岸線は凹凸が比較的小さいが,南部では大きな湾が多くその中でも長大な湾の湾奥が波高が最も高くなっている。今この傾向を定量的に見るために湾口からの距離に対して波高を取って見ると第13図が得られ.る。
W字型に分れる釜石湾,大槌湾等では距離の取り方に問題があり,また大湾内にさらに小さい湾入のある場合には波高は巾広い分散を示すが,いずれも湾口においてL5〜2mからの始まり湾奥程高まっている事が見られる。
1Okm以上の湾では,やや先細りの宮古は急激に増大し中にくびれを持つ山田湾はゆるやかに増す。
7km級の湾でも,先のW字型の釜石,大槌が特異の相を示している。
昭和8年の場合について波高を同じ図上に書き込んで見ると著しい相異が分る。即ち吉浜,綾里,唐丹の典型的なV字湾においては,湾口よりも湾奥が高く,その差は今回より数倍する。
山田,宮古,大船渡,広田,大槌等のV字型ならぬ長大湾では,むしろ湾口が高く湾奥が低かった。
越喜来はその中間に属している。
宮古,山田,大槌湾は海岸線に対して著しく傾いていて,これが湾内の波高を小さくしたとして,波の進行方向に対して湾の方向がθ度の角をなす場合は波高hはそうでない場合のh0に対して
h=ho(1一θ。/240)
になる事が示されている。しかし今回の津波に対してはこの影響は無視する事が出来るようである。
a-2地形と波高との関係
巾Bの水路をトロコイド波が進行するときは,その場所の深さHに応じてその波高hは
h2/h1=(H1/H2)^(1/4)*(B1/B2)^(1/2)
に従って変化する。即ち巾がせまくなる程,深さが浅くなる程波は高くなる。この事は三陸津波において
1.外洋に面したV字湾で波が最も高く
2.外洋に面したU字湾がこれに続く。事とよく一致する。
三陸地方の海岸はリヤス式海岸と言われる。山地が海岸にせまっていてこの山を形成する岩石が極めて侵蝕に対する抵抗が強いため複雑な海岸線がそのまま今日まで眠存されているのである。その原因から類型に分けてその特徴を見よう。
(工)U字谷(大河川の形成した谷)
宮古湾,山田湾,大船渡湾,気仙沿湾など,細長いu字型をし,一般に遠浅で湾底の傾斜はゆるやかである。湾奥には細長い谷底平野が開け,海岸に小さいデルタがある所が多い。
(II)V字谷(小河川の形成した谷)
綾里湾,越喜来湾,唐丹湾,釜石湾,両石湾,古浜湾など,昔1本ないし2本の小河川の作った谿谷が沈んだもの。1本のときV字湾,2本のときは複合してW字湾となる。これらは一般に海底の勾配が急である。湾奥には段丘および山地の問に谷底平野がある。河の大きさ,侵蝕抵抗の大小により大きいものから小さいものまである。
(皿)外、湾
久慈湾,広田湾などかなりの大河川が外洋に注ぐ所は広い沖積平野が発達する。デルタの先端に,は砂堆があり,砂丘となって普通防潮林が作られている。
以上がリアス式海岸の特徴で,宮城県や北海道に見られるような平滑海岸や潮入湖は見られない。湾以外の海岸は岩盤上の高い台地で,むしろ津波を知らないで過した。(もっとも村落も発達しない。)
今回の津波で最も高い波を受けたのはu字湾と外湾である広田湾であった。三陸津波と著しく違った点は周期が極めて長い事である。各湾はその4と深さHとによって決る固有振動数を持っているから,外からの波がこの振動数に近いと共振をおこして振巾が大きくなる筈である。渡辺技官は八戸から宮城県荻の波に至る30カ所の湾についてその湾奥の波高と,湾の固有周期44l/SQR(gH)とをグラフに画いて,波高は周期に比例する事を見た。
更に湾口の波高h0に対する湾奥の波高hの比を用いると今1司の比例の関係のみならず,昭和8年三陸津波の場合は10〜20分の周期で極大が得られる事を明らかにした。(附属書工,11頁)即ち前回の津波の周期は15分ぐらいであったのに,今回は50分を越えている事,及び湾の固有周期が波高の第一要素である事を示している。各湾の固有周期を交献から求めて第12表に示した。
湾口の波高に対する湾奥の波高の比が共振曲線に乗るとして,湾口の波高を決めるのは何か。これは陸棚の傾斜と奥行き及びその巾による変化である。傾斜が急なときは波は反射されやすい。ゆるやかな傾斜では波はその波高を増していく。今200m等深線にほぼ直角な海底の断面を取って見よう。(第13図)
久慈一大田各部陸棚の深さ70m〜120m巾約15km
傾斜3/1000
羅賀一田老 陸棚の巾漸次少し,傾斜7/1000
姉吉-越喜来 陸棚ほとんどなく傾斜11/1000
大船渡ー高田 陸棚再び現れ 巾約10km傾斜4/1000
陸棚から海岸への傾斜は一般には急であるが,当然湾入があれば緩かになる。久慈湾,野田湾ともと極くなだらかに陸地に向い,大船渡,高田も湾の軸に沿うて測れば波の進行に支障はなかったと思われる。久慈湾,野田湾の場合はこれに加えて陸棚の奥行が変化する事で,波を集める作用をしたため,周期にかかわらず高い波を生じたと考えられる。
b津波の来襲と引き波
津波の来襲が非常にゆっくりしていた事は各地の住民からの聞き込みでよく知られる。久慈市侍浜,水面がジワジワふくれ上るよう。
玉の脇港小.中型船繋留内港から来た波は徐々におし引きしたが,大型船の繋留岸壁を越えた波は急だった。玉川ただ海面がジワジワ盛り上るようで,昭和8年の時のように海鳴りを伴なって波頭がくずれて来るようなことはなかった。
田老舟の進退が困難だったが,潮の流れの音はなかった。
山田波が街に入った時は,それを見ながらゆっくり後に下って行った。
浪板侵入速度も半分程度で,昭和8年にはどんな足の速い者でも波の速度に及ばなかったが,今回は波を見てからでも逃げる事が出来た。
これは津波の周期が長かった事を示すものである。周期が長く,波高が小さければ,来襲速度は湾の深さで決まるから前回とかわりなくとも,心理的にはゆるやかに感ずる。また,岸,堤防を越えて陸上に侵入する速度は,地面の傾斜をθ,周期T,波高hとすれば,
V=(dy/dt)cotθ=(4h/T)cotθ
で与えられる。即ち周期に反比例して侵入速度は小さくなる。
これはまた地勢により侵入速度がちがうことを示すもので,傾斜のゆるやかなほど速くなる。T=60分h=3mとすると傾斜の勾配に応じて侵入速度は次の様になる。
傾斜の勾配に応じて侵入速度表。
l/300の勾配の所で歩行速度,1/1000では馳足の程度になる訳であるが,そうなると地面との暦擦があるからずっとおそくなろう。なお防潮林その他の障害物があればその抵抗を受けて速度も落ち水面も少し低くなる。
無警告津波といわれながら波の異常,著しい退潮等で津波を気づき独自に判断して警報を出し,退避する事の出来たのは,このゆっくりした波のせいである。その例を見よう。
平井賀3時40分にかけて引き波が最大で,消防団長畠山氏がこれを認め,4時00分サイレンを吹鳴し全員を避難させた。
島の越4時頃.遠くまで海底が露出した。
昭和8年の引き波と同程度。
小本わかめ取りに出漁した人がサッパ船の位置の変っている事から第1波の来襲を認めている。(3時半)
田老第1波4時00分押し波2m
第2波5時23分押し波2m
第3波7時20分押し波3,02m最大
第4波9時50分押し波2m
第3波来襲前に引き波が大きいので役場に連絡サイレンを吹鳴し(7時)全員を退避させた。
当日3時頃わかめの解禁で20隻近くのサッパ船が出漁しており,うち1隻は4時頃引き波で転覆し,その他は津波を察知し沖に出て難を逃がれた。
千鶏出漁した漁師が,舟足を取られて意のままにならななくなり,潮の異状を感じとって陸に向って津波の来襲を知らせた。また海岸ではまだ見たこともない海底が現われ,くぼ地では素手で魚を捕えたぐらい引き潮が大きかった。
山田町大沢3時頃海浜に船出の準備におもむき,海水の異常に気づいた。3時30分頃には130cmぐらいまで海面が上昇した。
織笠漁師が2時50分頃上げ潮に気づき,一旦漁を止めて家に帰り,もう一度潮の様子を見に来て潮が岸に上るのを見て驚き,付近の人々に知らせ合いほとんど着のみ着のまま避難した。
大槌町赤浜オットセイ調査船が2時20分に入港,第1回目の押し波に気づいた。4時10分頃より引き波4時20分頃より押し波となり,漁業無線局に浸水した。局員は4時過ぎてまもなく半鐘を鳴らした。また3時頃漁師が潮の異常を消防常備員に通報,本部長は十勝沖地震程度と判断,4時10分サイレンを吹鳴して町民を退避させた。
釜石唐丹の漁師が駐在所に連絡,市には3時50分伝達され,4時32分サイレンを鳴らした。
平田早朝の散歩で3時半頃潮の異常を察知して漁業協同組合に連絡した。3時40分頃拡声機で急を告げた。
小田浜松田巡査が3時30分の巡回の時,潮の異常を察知し,漁業協同組合に通知したり,警察関係に連絡を取るなど適宜な処置を講じたため,避難は早く行われた。
越喜来引き波は泊まで北端から海底の露出した所を徒歩で行けるほどであった。
泊最大退潮時に沖合約100mの海底平常潮位下7mのところが露出した。(4時15分頃)
自浜最大退潮は第5波(最高波)の直前で海岸から70m位沖合平常潮位下約5mの海底が露出した。
綾里最大退潮時には中の島附近まで海底が露出した。
田浜最大波高時には堤防上2mを越えたが,水勢がおそかったため建物の被害,流出物の被害はほとんどない。退潮も非常に緩慢で,徒歩で波に置き去られた魚を取りに行ける程度であった。
大船渡市永沢3時すぎ沖かから帰ってさん橋すれすれの波に津波と直感,半鐘を鳴らして急を告げ,若干の家財と女子供を避難させ,男達は船を沖に出した。4時頃引きにかわり,亀井さん橋から30m高さ7.5尋(llm)も引いた。4時30分最大波来襲。
陸前高田市勝木田の漁師が4時少し前網を上げた浜に出て潮の異常に引いているのを知り,すぐ半鐘を鳴らして周知させるとともに,市役所に連絡した。4時30〜35分に引き波最大となり,その後押し最大波が襲来した。
今泉4時10分頃網あげに行った漁師から1m内外の異常な潮の動き.を聞き,4時20分ごろに電話交換手に連絡した。4時30分頃大きく潮が引いたので電話交換手にご大津波が来る.と連絡した。(金谷氏)
本宿4時10分米崎地区消防団員より津波らしいという情報を受けて警戒体制に入った。
引き波は一般に注意を喚起しやすく,これで気づいたものが多い。その深さについては後で測定すると困難で確実は期しがたい。例えば7尺(八木)3尋(大田名部)5尋(平井賀)4.5m(茂師)3尋(宮古白浜)7〜8尺(重茂)9尺(干難)等があり,また距離にしてIOO〜150m.(川尻)湾の半分(平井賀)湾全体(平田)というのもある。実測して確かめた値として
小白浜一2.8m(最高波十3.2m)
大槌町安渡岸壁一4.9〜5.9m(最高波+3.6m)
は信頼のおける例である。
津波の初動が押しから始まったか,引きから始まったか最高波が何番目かを聞込みで調べている。これはむしろ気のついたのは押し波か,気がついてから何蕃目が最大かと竪うことで,初動というのは異常が分かる程の波を指す事になろう。21カ所の巾,押しは姉古1カ所,押しかと思われるのが外に3カ所あるが大部分は引きである。また最高波は2番目,3番目というのが最も多く,それぞれ15カ所,16カ所,2〜3番目7カ所で,4番目が5カ所,1番目が平井賀の3時50分となっている。4番目は5時20分の単田を除いては6時以後になっているが,2番目,3番目というのもの4時頃が多い。
2.4チリ地震津波の性格要約
今回の津波についていえる事は
1.今までの三陸津波に比べて周期が長かった。渡辺氏のグラフから50分以上,加藤教授の分析では70分にも及ぶと思われる。
2. 主要波の前に前ぶれの波があった。最大波は第3波もしくは第4波が大部分であるが,第5波というのもあった。これは波高の高かった三陸沿岸の特徴で太平洋の諸島あるいは口本でも津波の余り大きくなかった所は第一波が一番高い場合がある。(小さい前ぶれの波が小さすぎて認められなかったが。)
3.最高波の前にそれと同等,あるいはそれ以上の著しい引き波が先行した。
4.波の高さは長い湾の湾奥で最も高かった。これは湾の固有周期が,津波の周期に近いほど強制振動の振巾が大きくなるためと考えられる。
5. 昭和8年の津波では湾の方向と,津波の進行方向(不明)との問の□□にするによって波高が抑えられたが,今回はほとんどその影響が見られない。周期が大きく波長が長いためと考えられる。
6. 周期が長いため,波の押し引きは緩慢であって,水勢もゆるく,砕波で白く泡立つなどは見られず,前の津波で聞かれた異常な音も伴なわなかった。
7.波高の減衰が非常におそく,平常になるのに数日を要したのみならず,4回に渡ってまた波が強くなる現象が見られた。
8. 津波の範囲が非常に広かった。
これらの事実が今日の知識で完全に理解され得るかといえば,むしろ未知の二部分が大きいといわざるを得ない。
a周期の長かったのは遠来津波のせいであるか
津波の周期は地盤変動の規模の大きさによると考えられる。事実チリ沿岸の地盤は数百kmに渡って昇降している。この規模が大きい事は地震の規模が大きい事につながり,従って遠くまで波及する結果となるであろう。
かつまた周期の短い波ほど減衰が大きい。これらを考え合せると遠来の大津波は周期が長いものが多い事が予想される。しかし過去の南米地震津波の周期は10〜30分となっている。(第13表)
b遠来津波は主要波の前に前ぶれの波が来るであろうか。
現地では,いきなり2m,ハワイのヒロ湾でもその後の方が高かったが第1波が5ftに及んでいる。ホノルルでも前ぶれなく共振が始っている。前ぶれ波の著しいのは三陸沿岸とアッツ島の記録である。周期の短い波であれば前ぶれの波が来ても十分にその効果を上げる事が出来ない。昭和8年の津波では最大波は第2波であったが,第3波第4波も多かった。しかも第1波から大きかった。
c引き波はいつでも最高波に先行するか。
この例は今回も前回も多かった。しかし例外のある事も認めなければならない。また引波が顕著に人の注意を引くのは海底が初めてその姿を現わす事と,その範囲が非常に広いことによる。特に海底の傾斜がゆるやかなほど広範囲にわたるので,実際の深さより強く印象を受ける。なお面白いことに1952年ll月5日,カムチッカ地震による津波がチリのタルカファノの検潮儀に記録されているが,数波に及ぶ前駆波を示している。
波の高さは地形によって左右されるが,それは海岸線の平面図のみならず,海底の深浅,殊に陸棚の傾斜や奥行きに左右される。三陸沖地震による津波は関東南海地方にはあまり影響を与えず,南海の地震は東北には津波を生じない。今回は遠来津波でR本全体に津波を生じたが,特に三陸沿岸に強かったのは,途中の島とその浅海とによって,丁度波が集中するようになったためであろう。波の減衰のおそいことと共に遠来津波の特性といえよう。

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南米チリを震源とするこの一連の地震
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勾配表
3.チリ地震津波による被害

3.1概観
今回の津波は口本の太平洋に面する全海岸を襲い,当時の警察庁の調べによると罹災者31,120世帯147,898人に上った。特に波の高かった東北,北海道に被害が集中し,中でも岩手県は宮城県とともに被害最大の県となった。青森岩手,宮城の三県を合計すると,罹災者の3分の2を占めるのみならず,その被害の程度は他よりも.重く,死傷者は全国の86%,住宅の流失倒壊は80雪90%を占め,船舶の被害もこれに準じたのみならず,鉄道の被害は4/3,通信施設もほとんど東北三県で占めている。
(第14表)
岩手県は死者53人で全国の半数を越えたのは遺憾であったが,流出家屋,道路破損,鉄道被害の件数が全国の半分を越え,通信施設のほとんどが県内に集中している事を考えると岩手県の被害の重さが分る。これは海岸線の長い事のみならず,屈曲のはげしいリヤス式海岸による津波常習地の特殊性によるものと考えられる。.従って本県は特に津波対策に強い関心をもち,平素からの研究と自立的な施策を樹立する事が必要不可欠である。
3.2人と住家
津波で第一に考えなければならぬのは,人命の安全である。これは波の高さとそれに伴う浸水地域の広さに関係するが,波の来襲の様相とそれに関連する警報,及び住民の自主的な判断等に左右される。今回の死亡昔数全国でIOO名,岩手県で55名であった事は,明治29年22,565名,昭和8年に2,654名に比し著しく小さかった。これは波高が全体として低かったためであるが,流失家屋数と比較して見ると流失家屋1戸当りの死亡数は5分の1つつに減っている事が分る。これは種々の条件で避難がますます効果を示して来た事を語るものであろう。
その条件としては
1危険地域では高地への移転が行われた。
2避難道路が作られた。
3津波に対する住民の認識が深められた。
4警報組織が出来た。
等が挙げられる。特に今同の津波については,
1波高が比較的低かった。
2波の寄せ方がゆるやかであった。
3地震による警告はなかったが,初期の波の異常で津波を予知し,半鐘等によって避難した。
4時刻が丁度夜明けに向っていた。
ことが好都合であった。
一方今回の津波が55人にも及ぶ死者を出した点を考察して見ると,そのほとんどが大船渡に集中している。
その理由として
1今まで重大な被害を受けなかった地域が被害を受けた。
2大きなU字湾の湾奥で,相当な平地があり,集団的市街が発達していた。
3この様な地域には津波に対する認識を持たないものも多い。(海と直接関係のない職業のもの)
4警報が撤底しなかった。
(1)について東北大学の総合調査地理班は,昭和8年及び今回の最大波高によって各地をプロットし,これを家屋流失又は全壊の大被害地,半壊又は床上浸水の中被害地及び床下浸水のみの小被害地に分けると,昭和8年に波高が小さくて今回の波高が大きい部落に被害を集中している事を示した。(第16図)これによって見ると,小白浜,両石,水海は過去の経験にもかかわらず再び低地に住宅を営んだという事が分る。小白浜は部落の大部分は高台に移転して居り,数からいえば被害小に加うべきであろう。両石も半数以上が高地に移転しているが,漁業に不便のため危険地域に十数戸が居を構えている。昭和8年級の津波があれば更に被害は大きくなるであろう。
昭和8年の場合は,波高も高く波速も早かったので,床上浸水に止ったものは少く,流失全壊が多かった。今回はそれと反対の所が多い。全壊流失が床上浸水以上の
50%以上の地域高浜,小友,両石
2596以上の地域金浜,田浜,織笠,平田,大船渡,
米崎,赤崎,気仙
10%以上の地域津波石,赤前,大槌,高田
となっている。なほ25%以上の地域は,田浜,気仙を除くと半壊以上の被害が70%以上を占めている。
建築物の破壊状況については,佐々木忍技官の調査によると第17表および第17図の如くであって
(1)木造は1.5〜2,0の水深が限度
(2)モルタル造りは2.Omまで無傷,3,0〜4,0mまでは全壊を免がれる可能性がある。
(3) コンクリート土台,ボルト締は効果があり
(4)鉄筋コンクリート造り又はコンクリートプロツクは最も強い。
ことを示した。
浪瀬信義教授等は個々の場合を検討して
(1)あげ潮よりもひき潮による被害が大きい。基礎地盤が洗堀され,あるいは土台から浮び上った例が多い。
(2)住家等の破壊力の原因は主として流木,船舶その他の浮遊物の衝突で,津波そのものの衝撃によるのは少い。
(3)ほんの僅かでも高台にあるものは損害が軽徴に止る。
(4)同じ標高でも,高台または堅牢な建物の陰になったものは被害が少い。
(5)コンクリート造建物は海水面下に没する程の位置にあっても全く倒壊していない。またモルタル造あるいは土造建物は木造建物より倒壊,流失の害を受ける事が少ない。
(6)木造住家が密集している所では,1〜2戸堅牢な建物が点在しても,他の流失住家の部材の衝突によって破壊されることがある。
ことを挙げている。(附属書2,26頁)
同じ水深でも後方が高台になっている所は平地になっている所より被害が少い。これは水の流れが生じないためで,このことは隣り会っている陸前高田市の両替と二日市とを比較すれば明らかである。
盛岡鉄道管理局は面積50m2,軒高3mの木造建物の水の浮力を試算して1.5m乃至2,0mで浮上が始まる事を示した。(第18表)2階建ならばもっと深い浸水に堪える訳である。
なほ大船渡,織笠,高田松原(以上盛岡鉄道管理部調べ)及び両石の家屋被害状況図を示す。(第18〜21図)
今後の海辺住宅として考える事は
(1) 出来るだけ高台に移すこと。それでも万一浸水の場合を考えると住家の背面は急傾斜になっている方がよい。
(2)コンクリート造りあるいはモルタル造りとすること。木造の場合でも基礎をコンクリートで造り,土台をボルトで締め付ける。柱その他の部材もホゾだけでなく,カスガイなどで締める。
浸水のおそれのある地点では,コンクリート造の集団住宅として一階を作業場二階以上を住居に当ることが理想的である。
(3)土るい,コンクリート塀,生垣,宅地林等を作る。これは浸水の場合に流木,舟等から家を守るためである。
これらが実現するためには,海辺生活者の経済的な圧迫が取り除かれなければならない。時間が経てば再び低地に下りて来る例が多数ある。漁業の共同化,山地の利用,工業の誘置等総合的地域計画が必要である。
3.3農業
住家の被害もそうであるが耕地の被害は直接浸水地域の広さに関係する。今回の津波はV字湾よりもU字湾で高かった事は,平地の多い湾奥に浸水し,従って大船渡釜石の様な市街地に大被害を及ぼすと同時に,宮古,高田の様な水田地域を広く被災地とした。然し最大波高もそうであったように,浸水地域も過去の津波と比較すると一般に明治29年が最も広く,昭和8年がこれに次ぎ,今回が最も小さい。例外として山田湾の関口地区,大槌町の周辺及び大船渡の一部と高田である。
流失,埋没,冠水等耕地の被害は,田,畑各々600haに及んでいるが,岩手県沿岸が山の迫った地勢で200ha以上の集団耕地がほとんどない状況に照して見ると,手傷い被害であった。昭和8年の被害は水田2528町,畑284,1町となっている。
地域別に見ると浸水面積の広い高田,大船渡を第一位として宮古,山田がこれに続いている。浪瀬教授等の調査があるが,(附属書1,45頁)被害程度を示すと第16表の如くである。これを見ると今回の被害は
1流勢がゆるやかであったため,流失は極く一部分に止った。
2埋没は大船渡で最もひどく,宮古で愚程度となっている。手薄な点で一部抜けはしたが宮古には防潮林があって波勢を弱めるとともに,流入物をここでせきとめる役目をした。これに反し防潮林のない大船渡では流木などが散乱し,大型船三隻まで水田に乗り上げた。高田,山田,鵜住居でも埋没したものは少い。
3冠水した耕地は.塩分の増加があるため直に塩抜きをしなければならない。県農林部では次の様に呼びかけた。
1)水稲は苗代,本田とも淡水をかけ流しにして塩分を除くように努める。
(イ)冠水のため見込のない苗代および本田の実態をつかみ,苗の必要数母の見通しをつける。
(ロ)長時間塩水をかぶった苗は使わない方がよい。短時間のものには淡水を流して洗うこと。
(ハ)田植えの終った田で,短時間塩水の浸水したものは淡水で継続カンガイをする。長時間塩水の停滞しているものは植えかえをする。
(二)まだ田植えをすましていない田は淡水で塩分を除いてから田植えをすること。
2)塩水をかぶった桑は稚蚕期の蚕に与えないこと
3)畑作物,野菜などは,努めて淡水で除塩する。菓菜類は特に塩分に弱いのでまき直しをするがよい。
1ケ月後には高田・気仙町の冠水田170haのうち90%までが田植えを終えたが,小友地方では除塩用水の不足で塩分が下らず,折角植えた苗を枯らした。津軽石・赤前両地では100haのうち6Ghaを植えつけた。苗代田の被害は傷手と思われたが,幸い県内外から救授苗がとどいて,2回も3回も植え直した所もある。浪瀬教授等の調査によると0.1%以上の塩分の残らている所では枯死している。淡水の不.足な所では井戸を堀る事が考えられたが手不足のため実現しなかった。水路が完備してないためカンガイ水の下流では塩抜の効果が上らなかった。除塩の為には欠壊ケ所を締め切る事が先ず必要であるが,自衛隊がこれに協力した。今回の津波が減衰のおそかった事はこれを困難にし,一度止めた所を又波が越えた。
低地では浸水深が大きく,揚水ポンプに頼る外ないがこれが不足で浸水期間が長くなって除塩等の処置も不可能な所も出来た。
埋没した所では,流入物を片づける手間も足りず,それを片づける場所もなかった。大船渡は工場予定地でもあり手をつけず放置された。
時期の問題もあるが流出埋没が伴わなければ,カンガイ水路の完備した水田の被害は軽くすむといえる。畑地被害の除塩は水田のようには簡単にはいかない。これ等に附随して農道3.37km,水路4.35km及び橋,海岸堤防の損害がある。大船渡,山田,高田,宮古の外住家の被害の少なかった三陸村,野田村,普代村にわたっている。
家畜の被害は高田で大家畜3頭の外は中家畜195頭で昭和8年の牛馬165頭,豚1021,難7290羽に比較すると極く軽徴であった。
3.4防潮林
各地海岸にある防潮林の被害は合計33ケ所に上っている。この事は林木の損害もさる事ながら,今回の津波に対する功罪如何が問題である。代表的なもの2・3を考えて見よう。
高田松原は2ケ所で大きく波の浸入をみた。!ケ所は古川沼に.通ずる旧河川敷で,林木もまばらで奥行も小さく元々弱点であったが,巾200mにわたり深さも6mに達したという。今1ケ所は沼川の河口で林の切れてた部分である。この抜けた2ケ所から.流入した波が鉄道線路を乗り越えてこれを破壊したと思われる。然し今回の波はゆるやかに押しよせ,突破口のため特に波勢を著しくしたと思われない。古川沼への通路が深く堀られたのはむしろ引潮で,松原を越えて浸入した海水が引きぎわは松原の裏の低地を通って旧河川敷から出ていったためである。その証拠には林中にある小寺が半分ぐらい水没しながら小破に止っている事でも分る。松の根本に穴が堀れているが,それが海側に堀れていることも引き潮の作用を語っている。
大槌は三角州が防潮林となりその後に町をまもる防潮堤がある。小鎚川寄りは防潮林がなく,防波堤が海に露出していて被害が大きい。これは堤と林とが協力して波を防いでいる側である。この河口は低地となっていて防潮林も水中にあるように見える位で,降雨毎に洪水の心配があり,大槌小鎚両川の沿岸に堤防がある。今この防潮林を中断して大槌の水を小鎚と合流させ,旧河口を埋立てて船つき場とする事が計画されている。大船渡の埋立地と同じ方式となるが津波に対して埋立地は勿論,その背後の河の西岸が一層強い波を受ける事を考えなければなるまい。.防潮林の役目は無理に止めようとするのではなく,そのエネルギーを分散軽減する点に妙味があるのである。
なお鵜住居はその大きい砂嘴が2ケ所で中断されて,波の浸入口となっている。ここに防潮林が生育していたらと思われる。
宮古湾奥津軽石の防潮林は河口寄りは奥行も厚く,而もこ重になっているが,赤前側に行く程厚みが減っていて,一重になっている。今回この境目で切れた。ここは背後に沼が廻っている地点で弱い所でもあり,且つ湾の深さが東岸に近寄っていて,波が正面から来た地点である。突破口のすぐ後方は埋没も見られるが,その範囲はさほど広くはない。
この地点がもっと厚い林でおおわれていたらそれもまぬがれたであろう。
今この防潮林の前に向って防波堤が計画されて一部出来て住家を保護している。堤が防潮林の前にあるがよいか後がよいか種々問題がある点であるが。波が堤を越えるとかえって後方に被害が大きくなることも考えられるので,この場合は二列の林の間に置く事を考えて見るべきであろう。なおこの堤のつけ根は重茂道路取りついているが,防潮林を前にした堤が出来ると全長を道路とし河口の堤防とつないで橋まで連ねる事も出来よう。
船越北側の防潮林は西側は十分に生長してよくその機能を発揮しているが,沼に通ずる間門のある側が湿地帯のため手薄になっている。沼への水路から入った波は後方り埋の弱点を破って水田に流入している。然しここでは林は完全に抜けている訳ではない。
津軽石でも,船越でも舟や流木が木によつて止められている。
以上考察した所で分るように
(1)防潮林は水勢を弱めて背後地の被害を軽くする。
(2)林の抜けた点は健全な所に比し水勢が強いが,防波堤の切れた時のように特に強くなるとは考えられない。
(3)建築物の破壊作用をし,水国を埋没させる流木や浮遊物を完全におさえる作用をする。
(4)防潮林は弱い点を持たないよう一様に生長し,一様な奥行を持たせる必要がある。
(5)生長し切った林木は更新する事が望ましいが,下枝が少くなった時は下草に適当なものを利用する事が出来る。(高田松原の西側裏)
武田進平教授によると,防潮林の奥行きは
流速5m/秒位のときl0Om
流速15m/秒位のとき200m
が望ましいとなっているが,最小隈40〜50mを要する。防潮林は直接波を防ぐ外にも。
個防風林として平素又は颱風時などに塩分が耕地に浸入ずるのを防ぐ。
効果がある。林木が水勢を弱める効果については,林木の直径をも間隔をbとすると,head低下hは
h=1.73((t/b)^2)((V^2)/2g)
で与えられる。例えばt=30cm,b=1mならば流速v=lm/秒の時h=0.008mとなる。奥行き50mで50列に並んでいるとき全体で僅かO.4mに過ぎず,今回は流木等を止めるのが重な役目であったろう。然しv=4m/秒とすればh=0.12mとなり,同じ厚さで6,4mを下げる事になる。幼樹の閥は密植し,生長するに従って間をすかしてよいが,上枝だけ茂るとt/bが少なくなる。
3.5土木構造物
被害件数と被害額を第20表に示す。件数でも金額でも大船渡は第1位であるが,それに続く宮古,陸前高田は金額が大きく,被害中占める割合も夫々28%,18%と重要な役をしている。久慈,種市は港湾施設の損害で他の被害が小さいため,大きな比率を占めている。河川の護岸及び堤防が26件で海岸施設をはるかに上まわっている。この事は津波が河川にその浸入路を見出すことを示すもので,海岸施設が完備する程河川の流入口の護岸もそれにならって完備すべき事を教えている。道路の被害が多いのは幹線が海岸線を走っていて宮古では被害延長が10kmにも及んでいるこの事は道路そのものが,護岸堤防の役目を果たしている事を示すものである。一方住家の被害分布,浸水区域等を見ても嵩上げされた鉄道線が防潮壁の作用をしている点は著しい。道路,鉄道ともに積極的にこの機能を生かした総合計画を考慮すべきものと思われる。
今回の被害の実態を著しい例を挙げて考察しよう。
a.護岸堤防
越喜来村浦浜には防潮林があって,浦浜川の河口の部分が護岸によって護られている.そこに掛けられた橋はコンクリートの橋脚が倒れておる。又防潮林の前に小掲が打ち上げられておる事から波はこれを越えて流入した。堤の前面のみコンクリートで上面も裏測もそのままであった為,越えた波が堤の裏を壊している。幸に冠水時間が短かかったためか切断に至ってない。(写真5)高田松原の前面に松原へて波の浸蝕を防ぐためのコンクリートの護岸がある。これが全部倒壊しているが,引潮時に流れ落ちる海水がコンクリート壁の前面を流堀したためと思われる。
b防潮堤
大槌の防潮堤は第18図の構造をもち上面もコンクリ一トになっている。これが点線で示すように洗堀されて裏からくつれている。東北大学岩崎敏夫教授によれば(附属書1,25頁)堤を起えて裏側の低地に流れる水は上面の裏側の角が最も強い力を受ける。この場合天端上T.P3.2mに対して波高T.P.3,7mで冠水高0.5mに過ぎず越流時間も短かかったと思われる。従って裏側にはあまり水がたまらず洗堀を生じたものである。このことはすぐ後の家が破壊を免れておる事からも裏付けられる。
c防波堤
昭和8年の津波のあと作られた大規模な防波堤は田老 と吉浜にある。田老では今回は僅かに堤脚まで波が達した程度であったが,吉浜は3段の堤の2段まで来た波を防いで効果を発揮した。(南端の吉浜川と中央の耕水口から浸水した)天端高7,6mの防潮堤を1,4mも越える大津波に対して如何なる効果を発揮するかは今後の問題である。
船越には南北両岸に防潮林と防潮堤があるが,今回も船越湾は山田湾に直通した。北岸は前面に.防潮林があって,その後方に石垣積の堤があって道路となっている。
更に後方に沼があるため堤には閘門をもうけている。
先ずこの間門を水が上下してその背後の水門の両脇を壊したと思われるが,堤はトラック等の上り下りに対する維持の不備な中央東寄りが大きく欠壊している。後方の水田はそのため埋没しているが西寄りの欠壊をまぬがれた部分も裏側の石垣がかなりの延長にわたってくつれている。これは水の引き際に後方にたまった水が堤に沿って欠壊口に向い,その根本を洗堀したためであろう。
船越南側は前面に防潮堤,ずっと後方に防潮林がある。ここも浜への通路があけられた部分が破壊されている。前面コンクリート,天端コンクリートブロツク張りで裏面が石垣となっているが,天端及び後面が所々損じていた。海水は主として一番低い道路を通って流入し,越流は僅かであったと考えられる。
宮古赤前の構築中の防潮堤は裏面もコンクリート枠張で保護されておる。天端高5.Om津波高5,4mで0,4mの越流があったと思われるが被害はなく,僅かに工事途中の先端部が洗堀されている。然しこの場合は未完の部分を廻って背後から浸水しウオータークッシヨンとなったのである事を考えなければならない。すなわちこれが完成後,今回程度の波が来て越流する場合後方の洗堀に対して十分な施工になっているかを検討しておく必要がある。
d岸壁および物揚場護岸
大船渡港1万トン岸壁は裏込めが流出した。天端高T,P.1.65m,高極水位T,P,3,85mで2,20mの深さに約20分間冠水した。その次の波は0,70m冠水しただけで以後は天端高より低かった。シートバイクは15mで,T.P.一14.35mの深さまで打込まれ,岸壁前面の深さT,P,一3.35mであって11mの根入があったと思われる。堀川助教授によると引潮のとき冠水が滝のように流れ落ち,このとき前面の水位はT.P.一2,35m以下で(日産土木橋本氏観測)水深1m以内であったため洗堀を受け,この為裏の土砂が抜け出したものであろう。この場合は幸にanchoring plateは露出せず,コンクリート矢板自身は倒れなかった。
富士製鉄釜石岩壁では長さllmの鋼矢板で根入は3m位しかなく,昭和12年の施工で老朽化していた。この様な悪条件が重って大きく前面に倒壊した。
同じく矢板構造をもつ大船渡港一2m物揚場はタイがターンバツクにより切断して前に倒れ,大船渡港一4m物揚場は矢板の根が前方にはらみ出した。これ等は佐々木氏によると引潮時の残留水圧の増加によって,前者はタイの不足,後者は根入抵抗の不足を生じたものと考えられる。(第19図)
方塊積による大船渡一3m物揚場は5段積みであるが2段日が前方にすべり出して約70mにわたって1〜3cmのすきまが場所打コンクリートとエプロンとの間にあいた。これは引潮時の残留水圧によるもので,前面には落下水のための洗堀がある。これは方塊を水平でなく後方を1:0.05〜0.10だけ.下げて積むべきである。
方塊積では宮古堀内防波堤の突端も洗堀のため前方に倒壊している。
e鉄道線路
鉄道軌条は枕木をつけると10m当りの重量1.1t,浮力0.9t,少しの波の圧力にも容易に動かされる。高田,小友間,磯難,津軽石間でこの移動が起ったのみでなく,道床及び築堤の欠壊が生じ,又軌条が反転した。冠水高と築堤の破損程度とを第2!表に示した。
線路が河川を横切る所で,止めてあるボールトを切って鉄橋の転落した個所がある。築堤のこの部分での流失は著しく,1ケ所を除いては山側の被害は大きい。これは越流の際と,引潮のとき橋脚を目がけて集る流れによる洗堀の作用と考えられる。コンクリート脚壁の破損したものとある。(第20図)
以上の例に見るように,構造物が冠水越流する場合には,後方が低地の場合には裏法が後方が単地又は高地の場合は前面に著しい洗堀が出来て倒壊の原因になる。この事は高い波の後はそれだけ低い引潮で海底が露出するためウオータークツシヨンの作用がなくなるダム工事の水叩きとまでいかなくとも前面には捨石や捨プロツクを裏法もコンクリートにして根本まで固める必要がある。又冠水から急な引潮になると大きな負圧がかかり裏込みの流出がおこり倒壊にまで導く。
破壊はいつまでも小さな弱点に突破口を見つけて拡大する事を考えると,弱点を残さない事が必要である。それには施工の欠かんは当然であるが,保守にも万全を期したい。設計上は河川の流入口,水門,堤防の通路等がまずくずれた事実をよく考えたい。二つの工事のつなぎ目も弱点になり易く,設計の不統一があれば尚更のことである。
3.6水産関係
海によって生活するものが津波によって被害を受ける事は第一に考えられることであるが,事実その被害額は住家,商工業と共に三つの柱となっている。然し漁村で死者が極めて少なかった事は,この程度の津波は避けようとすれば避け得られるものである事を語っている。水産関係被害の最も大きかったのは大船渡であるが,ここは都市をなしていたために家屋,商工業の被害が著しく水産関係は全被害額の12%に止っている。しかもその半分以上は水産加工施設の被害で,次はかき養殖である。全滅といわれるその内容を見ると2455台の中滅失したもの1,833で73%に当っている。遠く綾里村から広田町の沿岸まで漂流していったが,末崎町あたりに多かった。航空写真によると流材とからみ合い散乱している。なお漁船の被害は動力船163隻の中流失142隻,大破59隻でそれぞれ12%,15%となっている。これは大船渡町の住家の被害割合より小さいといえよう。
これに次いで水産被害の大きいのは山田町で,織笠地区の様に家屋の被害の大きかった所を含んでいるが,水産の被害は35%である定置漁業の被害が大きく,小規模な,協同水産施設の被害が著しい。かき養殖も施設が多いだけに被害が大きく,のり養殖施設の被害が少なかったのは収獲後柴や竹を回収していた為で管理によって被害を避けるよい例である。大船渡を別にして他よりも大きい被害額に上っている。
陸前高田,大槌がこれに次ぎ,被害額でそれぞれ約1/3を占める。
宮古も漁村が流失したが水産関係の被害は大きく27%で土木関係の被害匹数している。ここでも水産施設の被害が大きく,養殖がこれに次いでいる。のりの被害は全県第一である。
釜石は定置漁業が被害第一位で,水産施設がこれに次いでいる。同市の両石では家屋の損害が大きかった。
船の被害は宮古,大槌,山田の順であるが大槌は無動力船の被害が大きい。大船渡では大きい動力が2隻も水田に押し上げられていたが,各地で動力船の堤防等の上におし上げられた数は多い。流失したものは更に多く,これ等は船自体の損失の外に家屋橋梁等を破壊する役目をした。舟溜りに繋いだものも互いにぶつかり合って破損した。外洋に漕ぎ出す事で休船時でも断えず油の補給をし,いつでも出動出来るようにして沖に避難する事である。
昭和8年の船の被害と比較すると動力船は6割強に対して,無動力船は僅か2割足らずである。波高が低かったためであるが動力船が増したこともある。
水産施設の被害が大きいのは海岸線近く設けられ当然ではあるが,構造がそまつなものである事もその原囚である。
定置綱,かき筏等の損失が甚だしいが,これはある程度止むを得ないとして綱の張り方筏の浮たるの形,固定の仕方等に工夫の余地があるのではないか。
3.7商工業
近代産業の発達に比例して,その被害が増加するのは当然であるが,市街地を襲われた大船渡市では被害額は全被害額の半分を越えている。同じ条件ながら前回の津波の後地上げをした釜石は波高も低くて25%に止りそれ程発達してない大槌,山田両町は20%前後である。
大船渡市の例を取ると水産加工,食料品1製永冷凍が被害の首位を占めて60%に上っているのは当然であるが木材,金属工業,鉱業,運輸,建設業等も舟運の便のために海岸近くその位置を占めて被害に会っている。商品の被害が住家全被害の2,5倍,施設の被害が約2倍に上っている事は商工業地域の性格とはいえ津波に対して無策であった事を示すものである。
大槌でも水産加工場,冷蔵庫等の被害が主なもので,特殊なものとして東北化学の製品の損失がこれについでいる。倉庫等は浸水に堪えるものは海岸近く,浸水を嫌うものは高地へ,それが出来なければ階下と二階という配慮が必要であろう。
山田町では工業といっても水産加工業,製永冷凍が被害の90%を占めている。商業の被害は工業の2倍近いがその半分近くが衣料の小売で,自転車,雑貨等がこれに次いでいる。この意味では防潮壁は商業を守ってくれなかったといえよう。事実防潮壁より山側にある大通りは流木や小舟の通路になったといえよう。通行口の大きく開いた防潮壁は,水勢の激しい津波に対してそのすぐ背後の建物をある程度守る作用はするが,静かな津波に対して浸水を防ぐ効果は疑問である。
3.8公共施設その他
a.教育施設
学校は多く高地に移築されて避難場所となり,罹災者の一時収容場所となっているが高浜中学校は欄間まで浸水して使用不能になった。当然高地に新築されるべきである。
その他部分的の損害はあった。大船渡では公民館も住家同様に被害を受けた。
b.水道事業
大船渡では配水管290m,高田市で20m,山田町で水源地ポンプ等の災害を受けた。流失,漏水ケ所から海水が入った地域は送水を断ち,別途給水が行われた。食料の手配とともに飲料水の供給は第一緊急事である。伝染病の発生を防ぐために消毒を手配し,緊急修理が行われた。民家の井戸を使用している所では浸水しなかったところに遠くから集って来た。

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死亡昔数
4津波警報

が入った地域は送水を断ち,別途給水が行われた。食料の手配とともに飲料水の供給は第一緊急事である。伝染病の発生を防ぐために消毒を手配し,緊急修理が行われた。民家の井戸を使用している所では浸水しなかったところに遠くから集って来た。
4津波警報
4.1気象庁関係
今回の津波に対する気象庁の予報は津波が来てから発せられたといってよい。すなわち予報は
札幌管区気象台24日5時00分ツナミオソレ
仙台管区気象台5時15分ヨワイツナミ
となっていて,検潮記録による津波の第一報は
久慈到着24日2時51分振巾+78cm
宮古到着24日2時51分振巾十36cm
釜石到着24日2時49分振巾十65cm
であった。然しこれは記録紙を取り換えに行って初めて分った事である。
それより先23日朝,仙台気負台のウィーヘルト地震計が最大全振巾9,2mmの遠地地震を記録している事を知り,気象庁から10時ll分振源地がチリ中部である事が通知された。
宮古測候所では当直者が口本放送の深夜放送を聞いたところ,24口3時30分ごろチリ地震津波のためハワイで被害を受けたとのニユースがあった。まもなく3時40分に津軽石漁業協同組合から高潮があった旨の通報があったが;まだうす暗かったため確認出来なかった。4時20分に至り異常引き潮を確認したので,直ちに仙台気象台にも打電非常勤務制をしき,検潮器による津波の観測,通報その他の作業を開始した。
仙台気象台は4時18分釜石電話局からの釜石で2〜3mの引き潮,津波ではないか.との照会を受け,4時20分宮城県警察本部から気仙沼でも引き潮があったとの第二報が入電した。これより八戸測候所に問い合せを発し,それより早く4時22分宮古測候所から入電した。札幌からも入電があり,4時53分気象庁にその原因を照会して,4時55分こチリ中部の地震による津波があることの回答を得,それまで入手した資料により,最大3〜4m程度なのでこヨワイツナミの発令をしたのが4時58分であった。
最大波が来たのは岩手県の3つの検潮記録では5時前で,あとの聞込みについても,北の八木,大田名部,南の三陸村,浦浜,崎浜が6時以後と見られるだけであった。これでは予報としての役目を果していない。
その原因はどこにあるか,一言にして言えば遠地地震による津波は経験も少なく,その予報は気象庁の業務規定に含まれていなかった事にある。22時間前に起った地震で,7時間前には途中のハワイで大津波が起っている。若し情報交換の組織とそれによる予報の規定が作られていたら,この時点で予報が発せられていてよい筈である。
事実ハワイからの津波の第一報は23日午前の時発信のものが10時10分に気象庁に入っている。津波が発生しているとすれば,ハワイ島につくのはグリニッチ時10(.日本時問19時)と考えられるから,早速必要な注意報を発表する"というものであった。ハワイからの第二報はその夕刻入竃したが,何故か24口朝まで誰も見ていないという。その内容は一般市民及び軍機関に発せられた津波警報で強さは分らないが数時間続くであろうとしている。これに続いて第三報は正確な来襲は刻を予報している。
また23口10時過ぎハワイの第一報と前後して富崎測候所より"津波らしき異常潮汐あり10時10分現在まだ継続中,今までの最大振幅9時51分28cm,周期8〜9"分という入電が来ている。これはチリの前震による小津波の伝って来たものであったろうか。(第8図参照)
東条貞義氏によれば,ハワイおよび富崎からの入電にもかかわらず今回の津波が,予報出来なかったのは今回の津波は50cm程度のものだとする先入感があったためであるとしている。(23日午後,横須賀の米軍から来た問合せに50cm位と答えているという)。
予報は三陸の波が相当強くなったのを見て発せられたのであるから,これよりおそい女川,塩釜には間に合った事になる。それにしても発令までに時問がかかりすぎたのは遠来津波に対して不用意であったという外はない。幸にして情報交換組織については新しく主要な地点について話がまとまっているとの事であるから,同じ失敗のない事を期待する。
予報に続いて津波情報が26日午後3時までの間に10報まで出されている。災害時に種々のデマが罹災者及び一般住民をまどわす事はよく見られる点で,今回もある通信社がこチリに再び大地震発生1津波があるとすれば15時ごろ"と流したため電話照会が殺到する等のことがあった。このためには津波情報及びそれに続くこ津波に関するお知らせ"2回は必要なものであった。
近地地震による津波予報の場合は,予報発令から受領までの伝達時間は一刻を争うものである。電々公社系では最優先されるので,末端までに要する時間は非常に短い。岩手県内の各局では大部分は6時08分及至12分に到着し所要時間は10〜14分であるが,宇部,野田,両局は少しおくれ,津軽石,船越,山田は10時間以上,重茂は40時間もかかっている。又回線障害または局員退避のため送達不能であった局は,箱崎,船越,大船渡,綾里,越喜来,吉浜,陸前高田,広田の8局に上っている。このことは警報の発令がその後の情報の伝達,警報の解除等を合せ考えると,電話連絡以外の無線通信方式を考えなければならない。それも停電等の事故も考え,通信機のトランジスター化が必要であろう。
なお三陸沿岸はチリ地震津波に前後して3月21日および7月30日いずれも盛岡に於て震度4の三陸沖地震が発生し,津波警報が発令された。その時の各地への伝達時間は第24表の如く大部分5分以内である。ただ7月30日の場合大槌以南では7〜10分を要している。
これに対して地震より津波警報発令までに20分を要しており,昭和8年の経験によると地震後津波第一報到着まで20分〜30分であるから,最初から高い波が来ると避難までの時間は間に合うか合わないかの境目である。的確な予報は勿論重要であるが,それにも増して迅速な警報が望まれるのではないか。今後は津波の規模についてはふれない事になったというか,先づツナミオソレは一刻も早く出さなければならぬ,地方測候所,自治体でも出せるようすべきである。
4.2津波の前駆と自警活動
今回の津波は,地震による予告はなかったが,多くの地方で津波をその前ぶれによって予知して警告を発し,被害を軽減する市が出来た。(前章津波の来襲状況参照)
その前駆としては
1異常な引き潮に気づいたものが最も多く。
2押し波によるものもあった。
3舟の位置が変ったのに異常を感じとったものもあった。
この日が丁度わかめの解禁日に当っていた事は,その発見に極めて好都合であった。一般に海に生業を得て居るものはこれ等の前兆に鋭敏であるし,業務の性質上発見の機会は比較的多いと考えられるが,これはあくまでチャンスに左右される性質のものである事を忘れてはならない。
これらの予知にもとずいて
1近所に知らせた。
2半鐘を鳴らした。
3漁協,消防,自治体等に通知した。
4電話局に連絡した。
5測候所に連絡した。
等の処置を取っている。これ等は平素の教育訓練によって最も努果の大きい方法を,時機場所に応じて判断が出来る筈である。
釜石ではかって自動警報装置を検潮儀に取りつけたが事故による発警などもあって取り止めて居るというが,これは各地で再検討する必要がある。
大船渡は最も大きな被害を出したが,津波警報のサイレンが近火信号と同じでまよわせた点もあり,撤底しなかった中赤崎地区では消防車に拡声装置があったため,地区内を巡って周知せしめる事が出来た。

5津波対策

5.1実現性のある対策
災害の対策を考える時いつでも二つの立場がある。一つは人命の安全と生活権の保証であり,これに対して今一つはその施策の経済効果如何である。前者は絶対条件である筈であるが,後者が伴わないと実現し難い。高い立場から将来を見透して,出来るだけ矛盾の少い方法で実現させなければならない。
津波はこれをなくする訳には行かないとしても,津波による災害はこれを避ける又は防ぐことは出来ないが,これが津波対策の目標である。総ての津波を全ての所で完全に防ぐという訳には行ないが,対策を実現するには
どんな津波をどんな方法で
どんな地域はどんな方法で
ということで経済劾果の算定とつながることになる。
今迄考えられた事を大別けにすると
a,災害を避ける方法として
1高地への移転
2警報組織
3避難道路,避難場所を作る。
4津波教育
b,災害を防ぐ方法として
5防波堤,防潮堤
6防潮林
7家周囲に土塁,生垣を作る。
8舟溜を作る。
等が挙げられた。これ等はことごとく重要な施策である事は今でも変らない。唯にれを如何なる地域に,如何なる規模で行うかが問題である。それには津波の性格,地域の性格との関係を十分考慮しなければならない。
5.2津波の大きさと頻度
大きい津波は少く,小さい津波は多い。過去87年問79回の日本の津波について考えると。
今同のように波高5〜6mの津波は30年に1回程度,昭和8年のように高い所は10〜20mに達するものは50〜60年に1回,明治29年のように30mに及ぶところがあるような津波は先ず100年に2回と考えてよい。入命の点から言えば如何なる大津波にも生命の安全は第一であるが,海をもとにした産業では50年に2回の被害はこれを防こうとするよりも,その間に十分な経済劾果を上げる方途を講ずべきではなかろうか。勿論毎年のようにある2m程度の津波は完全に防ぐ必要があるし,IO年に1回の2m程度の波も風波や台風による高潮とも考え合せて防げる態勢を作りたい。30年に1回の4.5.6mの津波はこれを防ぐには相当の負担になる。積極的に防ぐか退いてこれを避けるか地域によりそれぞれ十分な考慮が必要である。
風波の平均波高に鯖崎で1.0m,宮古,釜石では0.2,0.3mであるが,宮古でもlmを越える事は年2〜3回に及ぶ。北の海は荒いというが,宮古沖900kmの北方定点(39。N,153。E)では平均波高2.7m,最も荒れる1月平均は4.2mであって,10mを越えるのも3年閥の観測で3回に上っている。これが,このまま海岸を襲う訳ではないが,台風による高潮とともに各地の資料を整備する必要がある。(附属書工,13頁)
5.3地域による津波の波高と対策
津波には遠地地震によるものと近地地震によるものとがあって,警報及び被害地域の大小に関係する。然し波高の分布は主としてその周期と各湾の形(平面形及び深さの分布)及び来襲方向によって左右される。同じ階級の津波であっても周期の短い波の場合は甲の湾が高く,周期の長い波では乙の湾が高い。今迄の少い経験で早急な結論を出す事は危険ではあるが,およそ次のように考える事が出来ようか。
a.外湾に向って開く,V字湾は三陸沖地震によって10mを越す波に襲われる事を覚悟しなければならない。
これ等の湾は一般に,湾奥平野は広くない。従って漁港として発達する。10mを越す波を防波堤で完全に防ぐこ.とは経済的に困難であるのみならず,一度これを越える波が来襲した場合は災害をかえって大きくするおそれもある。従って住家を高台に移し,必要ならば漁業及びその加工に必要な作業場を海浜に設ける。住家の位置が十分に高くなく,浜につながって居る時は防潮林をその前面に作り万一の場合の被害を軽減するようにする。
b.長大なU字湾は今回の津波で最高の波を受けた。
この湾奥にはかなりの平野があり,或は耕地となり,又はかなりの市街が発達する。ここは周期の長い波が来た時湾奥が数mの波高となる。背後が広い耕地である場合防波堤で防ぐ事は経済的に大きな負担になるが,波高は数mを越える事は先ずあるまいとすれば不可能ではない。然し耕地の冠水が一年閻だけの損害ですむならば,むしろ防潮林によって静かに海水を背後地に導く方法が被害を少くする方法と考えられる。この場合,防潮林は弱い点を生じない様に保守が肝要である。
湾頭に都市が発達した場合は防潮林を設ける余地はなく,又それは臨海都市としてこの機能を損する事になる。大きな,防波堤を築くことも同様である。住宅は背後の高地に,港湾施設と工場は海に臨んで,両者の間に商店街が造られるであろう。浸水のおそれある地域は二階建として下を店,上を住居に当てる。コンクリートの集団建築とすれば防潮壁の役目をする。港湾施設は勿論コンクリート造りで十分波にたえると同時に波を防がなければならない。低地は出来るだけ高上をし,防潮堤を設ける。幹線通路よおび鉄道線路は将来立体交叉となる事が考えられるが,これを適当に配置すると防潮堤の役目を果す事が出来る。
漁港農村の発達した大集落では海に面する建物をコンクリートニ階建とし,階下を作業場に当てる。共同建築とすれば,防潮壁と同様の劾果がある。その背後は木造建築でもよいがボルト締めにする。船は外洋に漕ぎ出して難を避けるのが良いが,小舟は陸地に引き上げる。その暇のない時は十分に繋留して相互にぶつかり合わない事が必要である。放れた船はその損失のみならず,流木等とともに破壊作用の弾丸の役目をするから、貯木場は流出しないように壁を設け,それがない時は十分に緊縛する事が必要である。
c.広いゆるやかな湾は三回の大津波で大差のない波を受けている。砂州や砂丘が発達しているから背後の農地は防潮林で守る。漁港として発達した集落は前項同様に考えられる。
d.総て河川の流入口が津波にねらわれる低地となって居るところに,水深が深い水路が波の進路となるからである。河川堤防は,十分に津波を考慮に入れて作らなければならない。これにかかる橋は舟や流木のために損害を受ける事が多い。
5.4防浪工作物
a. 防潮林は現在あるものは大切にして,弱点を補うことに努めたい。防波堤を作るにもその背後に作る事にすると波の勢力を減少し,小さい津波は完全に防ぐことが出来る。浸蝕を受ける海岸の場合は林の前に根を下ろした護岸を作るが,適当な位置に防砂堤を併置する。砂浜等余地のある所は出来るだけ植栽したい。
b.防波堤は全面の根固めを十分にするだけでなく,越流する場合の事を考えて,天端,裏法も補強し前後両側の流堀を防がなければならない。防波堤に出入口,関門等を設ける場合はここからくずれる場合が多い。又これを通過するため水勢が著しくなる事を考えその砲後の位置にあるもの,および引き潮時に堤の背面から出入口に向う流れが出来る事に注意しなければならぬ。出入口を開閉出来るようにすることは最も望ましい。
c.海に向って注く河川堤防は,海岸堤防によく調和させなければならない。
d.堤防に波返しをつける事は,高潮の浸入を防ぐのに劾果があるが,勢力をはね返す事によって自身は強い力を受けるから施工には十分の強度をもたせる必要がある。
5.5警報と避難
時間がない時は先ず身をもって高地に逃れる事で,そのためには避難道路が出来てなければならない。少し時間があれば波の高さを判断して重要な品物を二階に運んでから避難する事も出来よう。船は沖合に出るが良い。その為には燃料泊を絶やしておく訳には行かない。三陸沖地震ならば,地震から20〜30分,警報が出てからでは単身避難の他なかろう。遠地地震なら半口前には予報が出る筈であるから,浸水の恐れがあるところでは全家財めぼしいものは運びあげることが出来る。波が来なかったら感謝こそすれ気象庁を非難することはない。それは10年に1回とまで行かないであろうから,避難訓練としてむしろ必要だと考えよう。
それにも増して自警組織が必要である。地震があったらすぐラジオと警報網とにスイッチを入れよ。測候所はロボット検潮儀を備えて海面の動きを注視する。測候所のない所も自治体である程度やれる。潮汐以上何cmになったら警報で宿直員に知らせ,これが事故でない事を確かめ,測候所に問い合わせるなり海面を注視してこツナミォソレ程度の警告をする事は出来ないか。
警報の徹底の為には,サイレン,半鐘の信号を火事の場合と区別し,消防車拡声機を備えつける.事は他の場合にも役立つ。
5.6教育と研究
大津波の場合に何が起ったか,これを認識する事が先ず第一である。然しこれはそのままで大津波の場合に起が起らなければならないかとはならない。大波の前に起った全てを知っていて,その一つでも起ったら大波が来るかも知れないと覚悟すべきである。
津波から逃げるにはどうすべきか。
津波につかまったらどうすべきか。
それ等の教訓は全30年に2同あるかないかの大津波の経験によって得る以外にはない。それは教育と研究の組織を通して集められ,i整理され,体系化されなければならない。それにはいろいろな雑音とも言うべきものが交る場合もある。それをふるい分ける事から津波対策峠始まらなければならない。手近かな事から言えば棟潮儀の増設,ロボット化から,理想を言えば三陸沿岸に津波研究所を置く必要がある。官庁セクショナリズムにわざわいされないでじっくり津波に取り組む必要があるからである。

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過去87年問79回の日本の津波について
参考文献

1伏木常誠三陸地方津浪実況取調報告震災予防調査会報告11(明治30年)
2今村明恒三陸津浪取調震災予防調査会報告29(明治32年)
3松沢武雄地震(昭和8)
4本多弘吉地震学概要(昭18)
5験震時報7(昭8)
6地震5(1933)
7M.Oshimoto外 昭和8年3月3日三陸地方津浪に関する論文及報告震研彙報別刷1(昭9)
8本田,寺田外 Secondary Oanduration of Osceanic Tides;」.Coll Science Imp.Univ・Tokyo 24(1908)
9盛岡測候所三陸津浪調査報告(昭8.6).
10今村明恒 鯨のざれこと(昭.16.10)
ll高橋竜太郎 地震災害とその対策,土木学会(昭31.8)
12仙台管区気象台東北の気候(昭26.3)
13科学技術庁資源調査会伊勢湾台風災害調査報告付属資料I,II,III,
14愛知県昭和28年13号台風海岸複興誌(昭32.3)
15朝日新聞社研勢湾台風調査報告(昭35.2)
16永井荘七郎外伊勢湾台風時の愛知県および三重県の北部海岸における最大波浪の推定土木学会誌(45.5)
17永井外伊勢湾台風時の和歌山県下の諸港湾における最大波浪の推定土木学会誌45.6(昭 35)
18山内一郎伊勢湾台風による災害の概況土木学会誌44.12
19安藤皎一 伊勢湾台風と復旧計書の問題点土木学会誌44.12
20ジョンソン海岸工学I,II,
21佐々木忍 三陸沿岸の津浪対策について第6回海岸工学講演会講演集(1959)
22山口弥一郎津浪常習地三陸海岸における集落の移動東北研究10,2(1960)
23東北大学チリ地震浪綜合研究発表会講演要旨(昭35.6.28)
24チリ津浪合同調査班1960年5月24日チリ地震津浪踏査速報(昭35.7)
25岩崎敏夫外チリ地震津浪とこれによる三陸地方災害の概況土木学会誌45.8(昭35.8)
26 Owasuki T. Tsunami Causea by Chile Earth quake in May 1960 and Ourkine of K.Honiknwa Disater is Northeasltrn Cobsts of Japan; Coustal Eng. in Japan 3(Dec.1960)
27Symons J.M. The Tsunami of May 22,1960, as Recorded an Tide Stations, Preliminary Report; U.S. Dep. of Commerce, cobst of Geoesic Survey
28三好寿チリ地震津浪の実態自然8(1960)
29東条真義責任は気象庁の責任か自然8(1960)
30三浦武亜地震と防災東北研究10-6(1960)
31渡辺偉大昭和35年5月24日チリ地震津浪の特異性と問題点東北研究1O-6(1960)
32加藤愛雄チリ地震津浪について東北研究10-6(1960)
33岩崎敏夫チリ地震津:浪による土木災害東北研究1O-6(1960)
34字野木早苗東北近海に見られる海の波動東北研究1O-6(1960)
35武田進平防潮林の効果に関する考察東北研究1O-6(1960)
36吉田稔耕地の塩害について東北研究1O-6(1960)
37菅野一チリ地震津浪による八戸港港湾施設の被害とその対策東北研究10-6(1960)
38.浪瀬信義外チリ地震津浪災害に関する調査研究東北研究1O-6(1960)10-67(1960)
39伊藤喜一チリ地震津浪と宮古湾附近の波高東北研究10-7(1960)
40二宮三郎東北地方の史料から見たチリ地震津浪東北研究10-7(1960)
41福井芙夫外三陸浴岸中南部地域におけるチリ地震津浪について東北地理12-3(1960)
42三好寿岬と津浪自然1(1961)
43堀川清司チリ国その他における津浪調査の概要海岸28(1961)
44気象庁チリ地震津浪速報(昭35.5.30)
45画館海岸気象台チリ地震津浪調査報告(昭36.6.30)
46盛岡鉄道管理局チリ地震津浪調査報告(昭35.10)
67宮古市チリ地震津浪災害による被害調書
68山田市チリ地震津浪災被害調
69釜石市チリ地震津浪災被害状況調書
70大槌市大槌町津浪災害状況調書
71大船渡市チリ地震津浪による被害状況調書
72陸前高田市公共施設災害状況
73八戸市チリ地震津浪による被害調書
74青森県 チリ地震津浪による被害調書
75宮城県 チリ地震津浪による被害対策に関する処理書
76大船渡市チリ地震津浪の被害状況と応急対策(昭35,8)
77、チリ地震津浪災害に応急対策の状況と問題点
78建設省国土地理除チリ地震津浪と海岸地形
79仙台管区気象台チリ地震津浪調査報告(昭36.1.l5)資料
80アジア航空測量航室写真(久慈,宮古,山内,大槌,釜石,大船渡,高田)
81釜石市自記検潮記録(昭35.5.244〜25)
82釜石市災害写真
83三陸村津浪写真
84地理調査所1/50,000地図(気仙沼より八木まで岩手県澹岸15枚)
85野田村津浪浸水図1/25,000
86宮古市津浪浸水図
87山田町津浪浸水図1/50.000
88大槌市津浪浸水図1/10,000
89釜石市津浪浸水図1/30,000(都市計書図)
90釜石市津浪浸水図l/50,000(全図)
91釜石市漁港図1/50,000
92釜石市両石港浸水区域図1/2,000
93大船渡市都市計書街路調図1/10,000浸水区域記入
94陸前高田市浸水区域記入1/30,000
95海上保安庁水路部海図石巻港至宮古港1/200,000
96海上保安庁水路部海図宮古港至中山崎1/200,000
97海上保安庁水路部海図釜石港至山田港1/35,000
98海上保安庁水路部海図気仙浴湾至大船渡港1/35,000
99海上保安庁水路部海図 宮古巷1/10,000
100海上保安庁水路部海図 山田港1/15,000
101海上保安庁水路部海図 釜石港1/10,000
102海上保安庁水路部海図気仙沼港,大船渡港1/10,0OO

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第4節 専門書から

1.地震の規模(magnitude:M)

チリ地震津波調査報告…仙台管区気象古
普通にいう「地震の大きさ」という言葉は二通りの意味に使用されている。一つは地震そのものの大きさ,つまり地震が放出する全エネルギーに関係したもので,これを規模(magnitude:M)という。もう一つは地震が起ったある地点におけるゆれ方の激しさでこれを震度といっている。したがって一つの地震があれば多くの地点で計算した規模はだいたい一定しているが,震度は震源地に近いほど大きく,遠くなれば小さくなる。
震度階級は各国まちまちであるのに反し,規模の方け各国共通の尺度が使われている。これはアメリカの地震学者リヒター(C・E・Richter)が1935年「に提案し,ク.一テンベルグ(Gutenberg)およびリヒターが発展させたもので,その定義は次の通りである。
震央から100kmのところにある標準地震計(ウッド・アンダーソン地震計と呼ばれる基本倍率2800,固有周身0.8秒,減衰定数0,8のねじられ地震計)の記録上の最大振巾(ミクロン(μ)単位)の常用対数の値をその地震の規模とする。
たとえば100kmのところで標準地震計の最大記録振巾ーがlcmのときはlcm=10,000μであるから,この地震の規樹MはM=log10,000=4となる。実際には震央からちょうど100kmのところに地震計がおいてあると限らないので,任意の距離における最大記録振巾Aをあたえた時,ただちにMが求められるような換算方法が決められている。たとえば日本付近に起こった浅い地震については1954年提出された坪井の式M=109A+1,73109∠一0.83がよく用いられている。このかほ震度を使った河角の式がある。
規模MとエネルギーEとの関係は学者によってかなり異なった換算式が発表されているが,第2,3表の中のEは1956年にグーテンベルグが出したlogE=11,8十1,5Mを用いたものである。Mの値に対し若干解説を試みたのが第2,3表である。
最大級の地震=81/2のエネルギーは4×1024ergであるがこれは水爆4個分に相当する。しかしこの比較では両者のエネルギーをそのまま比較したわけであるが,実際にそれだけの火薬を地下に埋めて爆発させた時,そのエネルギーに相当する規模の地震が起るわけではない。火薬爆発の時地震波のエネルギーになるのは1/100以下といわれている。(あとは熱エネルギーなどになる)ので水爆では400個以上要することになる。

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第2,3表Mの値の解説
2. つなみ津波(地球天文事典より)

目常の言葉でつなみというのは,海岸で,ふだん波の打ちあげてくるところよりも,はるかに高いところまで打ちあげてくる波のことである。しかし学問のほうでつなみというのは,もっと広い意味のものである。すなわち検潮儀という海面の上り下りを機械でふだんとちがう周期の長い(数分以上の周期)波が記された時には,たとえその高さが数cm程度の低いものであっても,つなみがあったという。
つなみTunamiという言葉は,学問上では,ひろく外国でも用いられている,これは,日本でいちばんくわしく調べられているからであろう。
【地震つなみ】もっと恐ろしいつなみは,海底の大地震にともなっておこるものである。たとえば,明治29年(1896年)6月15日,昭和8年(1933年)3月3日の三.陸海岸の大つなみ,昭和19年(1944年)12月7日,昭和21年(1946年)12月21日の東海道,南海道の大つなみがそれである。これらの地方には,むかしから大つなみの.あった記録がたくさんある。
日本海岸にもつなみの記録はあるが,太平洋岸のようなものすごいものはない。
【つなみの打ちよせかた】たとえば,昭和8年の三陸つなみでは姉吉では,湾の奥で波の『高さ21mにもなり,部落全部がおし流され,人口92人中わずかに3人だけが負傷して生きのこった。
一般に外洋に直面して,V字型あるいはU字型に開いた湾の奥では,たいへん高い波になるものである。このようなところでは。海水の横の流れの速さもはげしくなるから,たいていのものがおし流される。
これに反して,入口のせまい,奥行のふかいか浅い湾では,つなみは大きくならない。たとえば気仙沼西湾などこの例であり,波高3n1に達したところはなく,波害もなかった。
このように,同じ時のつなみでも,湾の形深さなどで打ちよせかたはたいへんちがうものである。このばあいはるか外洋では,波高は3〜4m程度であったと思われる。それは沖にある小さい島でみればわかる。つなみの波長は100kmという長いものであるのにくらべて,波高はこのようにわずかなものであるから,きわめてたいらな波であり,外洋にいる船にはわからない。
つなみは一般に,おもな部分でも数回くりかえすものであり,小さい部分は数時間もくりかえす。
【つなみの破壊作用】同じ時のつなみでも湾の性質によって打ちよせかたがたいへんちがうことは前にのべたが,それにしたがって破壊作用も大いにちがう。高い波になって陸に打ちあげて,水の横の流れのはげしくなるところでは,被害はおもくなる。大きな船が陸に打ちあげられることもある。しずかに水面が昇降するようなところでは,波は少し高くても流されないですむことが多い。
南海の地震つなみでは,大阪に被害のあることが多いが,これはおもに川筋に波がおしあげる時,たくさんの船も一しょに動かされたがいに衝突したり,橋そめ他のものにぶつかったりするためである。
【つなみの伝わりかた】つなみは,一般にたいへん波長の長い波である。こんな波のつたわる速さは,重力加速度を縞水の深さをhとすると,√9hになる。
太平洋のような4000mぐらいの深さの海とすると,その速さは毎秒200m,1時間720kmぐらいになる。したがって三陸のつなみは,7,5時間ぐらいでハワイに達し,10時閥半ぐらいでアメリカ西海岸のサンフランシスコに達する。
このような長い波になると,なかなかおとろえないので,三陸やアリューシャンでおこったつなみが,ハワイ島に被害をおこすことがよくある。しかし,おもしろいことには,三陸つなみは東海道や南海道ではきわめて小さくなるし,東海,南海のつなみは,三陸沿岸ではきわめて小さくな.,て,被害をおこすことはない。これは富士火山列島の浅瀬をこえたり,房総半島をまわったりする時に小さくなるものと思われる。
【地震つなみの起りかた】震央が海底にある大地震では,たいてい海底のかなり広い区域が隆起したり,沈降したりするものと思われる。その変化は数十秒以内の短い時間におこるし,それで海水もともに持ちあげられるところや,さがるところができるが,やがて流動しはじめて,波となって四方八方に伝わるものと思われる。
大地震の時の降起,沈降の区域は,およそ100km四方にもおよぶ広いものなので,つなみの発生区域もその程度の広さのものとなり,波長も長いことになる。地盤の高さの変動が断層その他の経験から数mのものと推定されるので発生するつなみの高さも,そのぐらいのものと思われる。逆につなみの高さから,地盤の変動を計算することもできる。
【海震】海底地震でおこるもので,つなみとちがうものに海震がある。これは震央の真上あたりを航行する船がかくれ岩や浅瀬にのりあげた時のような,はげしい急な震動を感ずるものである。これは地震動が海水につた.わり,その振動が船をゆり動かすもので,つなみとは性質のちがうものである。閥東大地震や三陸地震の時にも,そのような例が報告されている。
ある時代には.このような海震がつなみになると考えられたこともあった。
【海嘯】つなみのことが新聞などでよく海嘯(かいしょう)と書かれることがあるが,これは元来つなみとは別なことである。これは中国の坑州湾の奥に銭塘江という川があって,その川口附近でおこるものである,すわち潮がみちてくる時,川のほうが潮の進みがのろいので後からおいつく水がかさなりあって,水の土堤のようになり,それがくずれながら笑うような音を立てて進む現象である,だからそこだけ見ていればつなみに似ている点もある。
【暴風のつなみ】はげしい低気圧や台風が海上からおそってくる時,地震つなみに似た現象があらわれることがある。これを暴風つなみ,風つなみ,あるいは高潮などともいう。

3.じしん地震(地球天文事典より)

【地震とは】地盤の震動は,すべて地震とよんでさしつかえはない。しかし普通は,もう少しせまい意味のものを指しているが,直接または間接に人間のいとなみが作用しておこるものは,人工地震として区別する。たとえば,大火薬庫などが事故によって爆発すると,地面に振動が起り,遠方までつたわり,遠方の地震計には,天然地震とあまり区別のつかないような振動があらわれる。あるいは列車や重いトラックなどが通ると,近いところでは人体にも感じる地動が起るし,遠方でも感度の高い地震計には記される。
ふつうに地震とよんでいるものは,天然の作用によって起る地盤の震動である。天然作用といっても,その正体のはっきりわかっているものと,わかっていないものとある。たとえば大隕石が地上に落ちると,その地面との衝突のときに,地盤に震動が起って地震になる。そめような地震と推定されるものがかってシベリヤにあったことがある。ふつう経験される地震の大部分は,.天然の作用でおこっていることはたしかであるとしても,その作用の正体ははっきりわからないものが多い。
天然の作用のうち,台風や大風などの作用によっておこると考えられる地動がある。これらのものは,脈動といわれるもので,振動のありさまは,ふつうの地震とはかなりちがって見える。それでふつうこれを地震とはいわないけれど,広い意味では地震であって,地震学でとりあつかわれるものである。
【地震波と地震動】地中のある場所で震動がおこるとこれは地震波となって四方八方へひろがっていく。これは,ちょうど池の面に石を投げこんだときにおこった水の動きが波となってしだいに遠方につたわるのとよく似ている。
地面の一点にいて地震動を経験すると,上下左右前後に動くこみいったものである。これが地震動である。このような状態が場所から場所へつたわっていくのが地震波である。いいかえると地震波の中の一点の動きが地震動である。
人体に感ずるものや,地震詩に記されるすのは地震動である。したがっていろいろな場所で記されたものを,しらべて見ることによって,波としての有様がわかる。
地震動をからだに感じ,あるいは地震計に記す場合,たいてい,はじめにやや急な小さい震動があり,すこしたってから,ややゆるやかな前のよりも強い震動がつづく。いろいろしらべて見てわかることであるが,これは性質のちがった波動がつたわってきているのである。地震学では,はじめの部分をP波,後の部分をS波という。震源からの距離がはなれてくると,後の部分はさらに2つの部分に分かれる。この後の部分は,S波よりさらに,周期が長く振巾の大きいのがふつうである。この部分』をL波という。
P波というのは,物理学でいう縦波の性質をもち,S波というのは横波の性質をもつ。L波というのは,地表にそってつたわってくる特別な波である。つたわる速さは,P波がいちばん速くてS波の1.7倍ぐらい。L波はS波の0,9倍がふつうである。それで,震源から同時に出たとしても,遠方になるにしたがって,到着時間がはなれてくる。P波のはじまりからS波のはじまりまでめ時間を初期微動継続時間,あるいはSP時間という。この時間の長いものほど遠方の地震であるわけである。P波S波などの速度は,地層によっていろいろちがうが,たいてい毎秒km程度の速いものである。
地震波は,ちがった地層のふれあったところ,すなわち不連続面につきあたるとそこで反射屈折などの現象をおこし,いろいろな波に割れてしだいに複雑になる。P波S波のどれが射入する場合にも,たいてい反射P波,反射S波,屈折P波,折屈S波の4通りに割れる。そのようにならない場合もあり得るが,まれである。
地震動は遠方に行くにしたがって,振巾は小さくなり周期は大ぎくなる。それは,だいたい球面をなしてひろがるので,波面の単位面積を通過するエネルギー量が小さくなることが一つ,他の一つは途中の媒質にエネルギーの一部が吸収されておとろえるものである。そのおとろえ方は,周期の短い振動,すなわち急な振動ほど大きいので,遠.方ではゆるやかな振動になるものと思われる。300km以上も遠方の大地震を感じる時には,たいてい目まいするような大きな震動を経験すをものである。
【走時曲線】地震波のつたわりかたをしらべるのに,たいへんたいせつなものは走時曲線である。天然地震はたいてい地下の深いところで起る。その振動の起りはじめる点を震源という。震源の真上の地表の点を震央という震央から観測点までの距離を震央距離という。ある波動が,その観測点に到達した日・手刻を,その波動のその点での発震時とする。P波の先頭に注目すれば,P波の発震時となる。
さて横軸に震央距離をとり,たて軸に発震時をとってグラフを作れば,一観測点に対して一点がきまるから観測点がたくさんあれば,それらの点を結んで曲線が出来る。これが走時曲線である。P波,S波,L波などに対して,それぞれ走時曲線を作ることができる。
実際の地震のばあいに,このようなグラフを作れば,地層によって波のつたわりかたにむらがあったり,観測の誤差があったりするので,ある程度点がばらつくのであるが,平均してみると,震央距離数百kmぐらいの範囲では,直線に近いものになる。
大地震の場合には,地球上に分布したたいていの観測所で記されてるから,地球全体に対する走時曲線ができる。この場合の震央距離は,震央と観測点を大円に沿った距離をとる。この長さのかわりに,両地点が地球の巾心で張る角度を用いることもある。地球を球とみれば,両者は比例しているから,単位をかえたと思えばよいわけである。
走時曲線の形は,地球内の活動の速度分布によってきまるものである。問題は逆に,走時曲線の形を知って,地球内部の速度分布を求めるにある。これはむずかしい問題であるが,ともかく解くことが出来る。このようにしてわかったところでは,地表から2900km程の深いところに,いちじるしい不連続面がある。これより内部は,剛性がないが,あっても,たいへん小さいものと思われる。
また地表下数+kmのところにもいちじるしい不連続耐のある二とがわかっているあその面は,発見者の名にちなんで,モホロビチッチMohorovicic(略してモホ)の不連続面という。これは近年人工地震を利用してくわしく調べたところでは,場所によって,かなりちがい,20〜50kmぐらいの間にある。これより上を,いわゆる地殼といっている。
との不連続面のすぐ上のP波の速度は6,0km/eScぐらい,そのすぐ下では8.Okm/escぐらいの値のところが多い。この値も場所によって多少のちがいがあるように見える。
【震源】地震動が最初におこったところを,その地震の震源というc前の走時曲線の説明では,震源の位置をわかっているものとして述べたが,天然地震の場合には,まずそれを求めなければならない。震央をとりかこんでたくさんの観測点がある場合には,発震時の等しい地点を結んで,.等発時線を引くことができる。これを時刻の早い方へしぼって行って,一点におさまれば,それが震央になる。震央がきまれば走時曲線が書ける。震源が地表にあれば問題はないが,たいてい数十kmまたはそれ以上の深さをもっている。深さをきめるには,速度分布を知らなければならない。これは走時曲線から求められる。震央近くの走時曲線のまがりかたは,震源の深さでちがうので,その形をよく調べれば震源の深さもわかることになる。
震源での発震時刻も,はじめはわかっていないので,これも求めなければならない。これも波の速さがわかり震央での発震時刻と深さが出れば,計算出来るはずである。
天然地震を使うかぎりでは,未知数がおたがいにからみあっれいるので,逐次近似を進めていくよりほかはないが,人工地震を使えば震源と発震時刻はあらかじめわかっているから,速度分布は,かなりよく出ることになる。
震源のもう一つの見方として,その地震のエネルギーの大部分が蓄えられていた区域を考えることも出来る。そうすると当然ある大きさを持つ区域になるわけで,大 われるかということは,地震学上の大切な問題である
【地震動の強さと地震の大きさ】地震動の人体に感じる強さは,大体震央に近いところが強く,遠くなるにしたがって弱くなるものである。この強さをあらわす尺度として,震度階がある。現在外国では,多くは12階のものが用いられているが震度階のおこりは,人体に対する強さの感じにしたがったものであるが,現在では,天然の物体や人工の物体:に対する作用にしたがってきめられることが多い。現在気象庁で用いられる8階のものを第2表に示す。
震度6,7はずいぶんはげしいもので,立っていることもできないし,歩くことなどはなおさらできない。地震動は上下前後左右にきわめて不規則に動くもので,からだで調子をとることはできないからである。しかし地震動の強さにも限度はある。すなわち地盤の破壊を限度とし,それ以上のものはあり得ない。
震度と地震の大きさ(規模)とは少しちがう。震度はある一地点での地震動の強さをあらわすものであるが,ある地震の大きさといえば,特殊の地点をはなれて,ある総合的概念のもめである。これに等級をつけて,数であらわそ.うとすれば,適当な約束が必要になる。地震の場合いろいろな地点の震度を調べ,その分布状態を見るとする。ある地震では,震央からずいぶん遠いところまで,大きな震度があり,他の地震では,急速に小さくなっているとする。かりにもし震央付近の震度がひとしいとしても,前者を後者よりも大きい地震とする事に異論はあるまい。このことから,同じ震央距離の震度をくらべれば,大きい地震ほど大きい震度があらわれる。それは約束によって,震央距離100kmの震度をあらわす数で地震の大きさをあらわす仕方がある。あるいは100kmのところの振巾による量であらす仕方もある。現在多く用いられている方法では,周期1秒,倍率2800倍の地震計で記された振巾のうち最大のものをミクロン(1万分のlcm)単位であらわしたものの10の対数をとって,その数であらわされる。このような注方であらわすと,今までおこった地震のうちでいちばん大きなものは8,6ぐらいになる。このような約束によってあらわされた大きさの数は,地震に番付して分類する役には立つが,そのままでは物理学上の量としての意味ははっきりしない。
それで地震のエネルギーと結びつけることが試みられる。このエネルギーというのは,波動として送り出されるエネルギーの総量のことである。くわしい関係式を求めることは六ケしかが,さきに説明した約束の地震の大きさの数と大体の対応をつけることは出来る。最大地震の波動エネルギー総量は1025エルグ程度である。
【異常震域】地震の強さすなわち震度は,だいたい覗虞央から遠くなるにつれて小さくなるものものであるが,同じ距離の他の場所よりも,特に震度の大きいところがあることがある。このようなところは,震央がかなりちがっても,いつも他のところよりも強くゆれるものである。たとえば,長野県の諏訪盆地は,大正12年の関東大地震の時にも,昭和21年の南海道大地震の時にも,途中を飛びこえて強くゆれて,多くの被害:があった。
このようにいつもよくゆれるところを異常震域という。このようなことをよく調べておくのは,大切な建物などを作るためには大事なことである。
異常震域のあらわれかたは,地震動の周期によっで,かならずしも同じでない。ふつう異常震域といえば,人体に感じやすいところをさすのであるが,人体はだいたいα3秒ぐらいの周期の振動に感じやすいものである。
このような異常震域がはっきりわかるのは,震源のきわめて深い地震の場合である。それは,震央距離が少しぐらいかわっても,震源距離はあまりかわらないから,敏感なところとそうでないところとのコントラストが,はっきりあらわれるためである。
【地震帯】今までにおこった地震の震央を,地図の上に書き入れてみると,地震のきわめて多い区域と,そうでないところの区別がはっきりあらわれる。地震の多い区域は,やや細長い帯状の区域になっていることが多いので,そのようなところを地震帯といっている。地球全体として大きく見ると,第1に目につくのは太平洋をとりまく区域である。特にアリューシャン列島,千島,口本,流球,台湾,フィリピン,セレベス,ニュギニア北岸地方,ソロモン群島,サンタ・クルス,ニューヘベライズ群島へかけての区域,それから憂にサモア辺からトンガ,ケルマデックのの海溝をへてニュージランドの北辺の区域,およびニュージランドから南西におよぶ区域はいちじるしい。また南北アメリカの太平洋岸にもいちじるしい地震帯がある。スマトラ島からビルマへかけてのインド洋面およびイラワジ川流域,雲南地方,揚子江,黄河の上流地方にもときどき大地震が起る。さらに西ヘヒマラヤの南麓からイラン,トルコ,ギリシア,イタリアにおよぶ地方にも大地震が起る。またロシア領トルキスタンからコーカスにかけても大地震がある。そのほか南アメリカ北部のべネズェラから西インド諸島におよぶ地方にも大地震があった。
そのほか太洋中では,太西洋の中部をぬう区域や,マダガスカル東方のインド洋中のもの,南アメリカ南端のはるか東方にある南ジョージャ,サンドイッチ諸島近辺にも,ときどきすばらしい大地震がある。そのほか帯状でなく散発的に大地震のおこるところもある。
以上は震源の深さだいたい数十Km以内の浅い大地震のおこるところである。その他地下600〜700kmというたいへん深い地震のおこるところもある。震源の深さ50〜60kmより浅いところのものを浅い地震,100〜200knl程度のものを,中ぐらいの深い地震,300〜700kmのものを深い地震といっている。それより深いものはまだ発見されていない。
深い地震の起るところは,だいたいやはり太平洋をとりまく地方に限られている。まず日本の近辺では中部地方をつらぬいて,マリアナ辺からウラジオ辺に及ぶ地帯,それから東北にのびてカムチャッカ辺に及ぶ地域である。ミンダナオからモルッカ諸島に及び,さらに西に転じパンダ海,フロレス海,ジャワ海に至る区域,トンガおよびケルマデック海溝西方フィジー群島との間の区域にも多い。南アメリカは赤道辺から南緯30。辺に及ぶアンデス「[.脈の東辺の地域に多い。イタリアおよびスペインでも,300km程度の深い地震が発見された。
地球全体の地震活動からみれば,口本の島弧のほどんと全部が活動区域とみなされるが,詳しくみれば,その中でも地震のよく起るところと,そうでないところがある。十勝沖,三陸沖,戻総沖,東海道沖,南東海道,日向沖などには,ときどき大地震があって,しばしば津波をともなう。日本海岸にそっても大地震のよくおこるところがある。内陸にはいっては,秋田県の東部,福島県の会津地.方,長野県北部の信濃川流域地方,伊勢湾から福井方面にかけて本州を横ぎる地方,琵琶湖近辺,紀伊大和地方,広島近辺などがある。
地震のしきりにおこる区域はかならずしも細長い地帯になるとは限らない。切れ切れの部分がつながって,全体としては帯のようにみえることもある。同じ地震帯でも,ある時代には地震活動が盛んで,他の時代には比較的しずかになるという現象もある。いずれにしても地震帯は,地震発生の場であるから,地震からくりの発生を考えるためには,たいへんたいせつなものである。また実生活の上からもたいせつなことはもちろんである。
【地震頻度】ある区域で,ある期間におこる地震の数が,すなわちその区域のその期闇の地震頻度である。したがってこれはその地震活動をはかるめやすとなるものである。その区域としては,地球全体に考えることもあれば,関東地方に目をつけることもあり,更にその中の小さい区域を問題とすることもあるわけで,問題のとりかたによっていろいろになる。期間についてもまたいろいろな場合が考えられる。更に地震の大きさについても問題がおこる。大きさについては,用いる地震計の感度によって,小さいほうの隈界が定まる,いずれにしても,これは統計的性質のものである。
さて試みに,地球全体におこる地震の大きさと数との関係を示せば次のようになる。
これからみると,小さい地震の数は急速に増している。これと同種のことがらを示すものに,石本・飯田の式といわれる統計的関係式がある。それはたとえば,関東地方におこる地震を数年商観測し,各地震の最大振巾の順にならべ,適当な単位に区切って,各区切りの間に落ちる数を数えるとする。振巾Aのところの数をNとするとNA^m=一定という関係がある。おもしろいことには,関東だけでなく,いろいろところでほぼ同様な関係があり,mという指数が,ほぼ2倍に近い値となる。
これからみると,やはり小さい地震ほど数が多いことになる。もちろん地震計の感度の限度をこえた小さいものについては,何ともいってはいないが,大地震から10万倍程度の地震までかなり広い範囲になりたつように見える。また地球全体としての大地震の1年の頻度の変化をみると,夏に多くて冬に少ないものである。
いろいろな地震区域の地震頻度の1年の変化は,場所によってさまざまな特色があって一様でない。たとえば琉球の名瀬附近では,ll月〜12月ごろに地震が多くなる。
大地震の余震頻度の変化は独特なものである。だいたいはしだいに減るが,多くのばあい時間の経過にほぼ双曲線形に滅る。しかしきわめて急速に途震のなくなる地震もある。
数km四方ぐらいのきわめて狭い範囲に数日ないしは数月ぐらいの短い間だけ,きわめてたくさんの小さい地震がむらがりおこってやがて静まってしまうような小地震め群のおこることもある。このような地震の群は,火山や温泉などのある地方におこることが多い。しばらく休んでいた火山が再び活動をはじめる直前に,小さい地震の群がおζることも多い。
【地震と他の現象との関連】1年の間に地震頻度の変化があるということは,地震の発生と季節との間に何1か関係があるということになる。
地震発生に関連して研究されたおもな事柄をあげてみると,天体との関係では,太陽の位置との関係,すなわち1年の周期,1日の周期などの研究,その他太陽の黒点などのような太陽の活動との関係を調べたものもある。また月のいろいろな位置との関係をしらべたものもあれば,潮汐との関係をしらべたものもある。気象との関係では,まず大気に関して気圧の高低との関係,低気圧の動きとの関係,その変化の速さとの関係,その傾度との関係などの研究がある。
地磁気との関係では,めぼしい火山活動や大地震と,地震の群のあった地方で,それらをはさんだ前後.の地磁気の伏角その他の地磁気要素を比べてみると,いちじるしい変化のあったことが認められている。
あるいは温泉や地下水などが,地震に前後してかなり変化をした例もいろいろある。
地震のときには音を聞くことが多い。これは地震が空気中にたつわって音となるものである。これに反して,音だけ聞えて地動を感じないこともある。
大地震が夜間にあると,それに伴なって発光現象が認められることがある。それがどのようなからくりでおこるか1ということはまだはっきりしない。
あるいは大地震と前後して,いろいろな動物が平常と異なるふるまいをするという報告もたくさんある。
【地震の予知】実生活の上にも,また学問.ヒからも重大関心事として地震の予知,特に大地震の予知という問題が残っている。
要するに地震の大きさ,そのおこる位置,その時がはっきりわからなければ,あまり意味はない。現在でも場所については地震帯の知識があり,時期については統計的の知識があるある。場所の大地震発生の時期についての統計的知識には,数十年の不正確さがあるから予知というにはまだ遠い。
大地震にさき立つ現象としてかなりは6きりしているのは,地盤の隆起沈降などの変化である。たとえば関東大地震の前には戻総半島の先端地方が沈降をつづけ,南海大地震の前には紀伊半島,室戸岬の先端地方などが沈降をつづけたが,大地震の発生とともに,にわかに隆起したが,これらは,たいせつな手がかりにはちがいないが,その正確な関係がまだよくわからない。
つまり地震がどのようにしておこってくるかということが,まだはっきりわかっていないので,たしかなことがいえないのである。地震の大部分は地下数十kmの深いところは起る。したがってそのあたりにおこる事柄をつきとめなければならないので,むずかしいことになる。
地震は地盤の中に急に振動が起るのであるから,おそらくは地盤の一部がわれる時におこるものと考えられる。そのためには,当然そのあたりに力が加えられることになる。その力が大きくなって,地盤の強さが特ちこたえきれなくなるとこわれるものと思われる。それまでの一つのあらわれが,地盤の昇降である。
このような力がどこから生じるかということについては,およそ2つの考えがある。1つは遠方の大陸または大洋から力をうけるというのであり,他の1つはそのすぐ下あたりに力の根源を求めるものである。遠方作用の説は,横すべり断層を説明するために考えられたように見えるが,その他のいろいろな現象を説明するには,不十分なようにみえる。その上に遠方での力の発生のからくりは不問にしている。下に力の根源を考えるものでは熱学的作用を考えるもので,たとえば固休がとけたり,それがかたまったりするくりかえしの際に起るカの増減を考えるのである。
このような変化があるとする,と地震波も地磁気や重力などにも変化がおこるものと思われる。
【脈動】鋭敏な地震計でみると,地面は常に微動している。その振動周期からみると,数十分の1秒程度のものから,10秒あるいはそれ以上に及ぶものまである。秒の端数程度の短周期のものは,おもに列車やトラックのような人為的の作用や,風や木をゆり動かすようなζとからおこるものである。
ふつう脈動というのは,周期数秒程度のゆるやかな振動である。現在では気象学的あるいは海洋学的の作用でおこってくるものと考えられている。日本の場合では,太平洋上に強い台風や低気圧や不連続線などがあらわれた時に大きくなる。その因果のっながりは,はっきりしないところもあるが,海洋上の波浪と密接なつながりがあるものと考えられている。それで海洋上の低気圧の位置をさがすのに利用されることもある。
波動の性質からいうと,だいたい表面波の性質のものである。たがいに数kmはなれた3点に地震計をおいて比較観測を行なうと,波の進行方向や速度などを定めることができる。速度は2〜3km/secのものが多いのでだいたい表面波の速度である。進行方向は台風中心と観測点とを結ぶ線上に近いことが多いので,その位置を知ることもできるわけである。
【地震学】近代地震学は口本ではじまったといってよい。1880年2月22日,おもに横浜に被害のあった地震がおこった。当時目本にきていた外国の青年学者たち,とくにジョンミルンMilne,John(1850〜1913),アルフレツド・ユーイングEwing,SirJamesAlfred(1855〜1935)などの入たちは地震現象にたいへん興味をもって,すぐに地震計を作って研究をはじめ,たちまち,たいせつな性質がわかってきたのであった。
数年のあいだに,外国学者たちはつぎつぎに本国へかえったが,1891年10月を8日の濃尾大地震,1923年9月1日の関東大地震等を機会に口本の地震学もしだいに.進んで,今日に及んでいる。
外国の近代地震学は,ミルンの帰国後1900年ごろから進んだものとみてよい。ドイツにはヴィーヘルトWiechert,E,ロシアにはガリチンGalitzinがあらわておもに波’動論的地震学が長足の進歩をした。
近年までの地震学のありさまを大観すれば,口本には大地震が多いので,日本ではいきおい地震現象そのものに主として力をそそいできた。外国ではあまり大地震がないので,地震波を利用して,地殻や地球の構造を調べるという面が中央アジア,コーカス方面の地震そのものの研究を熱心にはじめたので,目本の地震学と共通の問題が数多くとりありあげられている。
松沢武雄,地震.岩波全書

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第1図地震の記録
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第1表岩石中の地震波の速度
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第2図波群の走時曲線
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第3図等発振時線x印は震央
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第4図押しと引き
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第5図〈押し〉と〈引き〉の分布
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第2表 震度階
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第6図 長,数秒,短周期敏感区域
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第7図大地震・深発地震の分布
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第3表地震の大きさと頻度の関係

三陸津波史編

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写真 盛町洞工寺に安置される犠性者大位碑
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写真 同右、中巻の巻頭予告
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写真 東京東陽堂発行風俗画報表紙
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写真 明治廿九年六月十九日付六阪朝日新聞
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写真 当時の新聞
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三陸津波年表
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本邦大地震年表(上古)
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本邦大地震年表(近古)
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地図

明治廿九年六月十五日の津波

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末崎村救護事務所の図
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広田村の海中漁網を卸して五十余人の死体を揚ぐる図
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大船渡の民被害後仮屋に疲労を慰むるの図
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小友村の人漂着の死体を争うの図
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海嘯災後の夜景
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海嘯の惨毒家屋を破壊し人蓄を流亡するの図
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気仙郡沿岸死体漂着の図
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綾里村の惨状
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釜石町石応寺門前伏屍相累なるの図
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唐舟村の医師鈴木琢冶氏遭難者を救うの図
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広田村の老婆雨戸板に坐し海⊥に漂うを漁人に救い上けりるるの図
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越喜来の小学校教貝御真影を捧け出すの図
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小白浜に磯崎富右工門氏倉庫を開きて窮民を救うの図
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唐舟村惨況の図
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幼児少女に抱かれて田間の海藻中に眠り居るの図
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被害村長連名の官林無代価払下願書
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唐舟村の移住民補助規約(人口2,793中タヒ亡_2,135)

昭和八年三月三日の津波

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写真 三陸村綾里岩崎から港を望む
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写真 綾里村岩崎の惨害
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写真 綾里村港の惨状
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写真 高田市広田町泊
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写真 大船渡市細浦の惨害
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写真 大船渡市下船渡
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写真 大船渡市大船渡田(巡査駐在所付近)
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写真 大船渡市赤崎町下蛸浦の被害
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写真 大船渡市赤崎町中赤崎
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写真 三陸村越喜来浦浜の被害
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写真 三陸村越喜来崎浜の被害
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写真 大船渡市赤崎町上蛸浦
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写真 広田泊里部落の惨害
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写真 小友只出の惨害
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写真 気仙町長部の惨害
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写真 末崎町細浦の惨害

昭和八年三月五日から九日までの岩手日報から

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昭和八年三月五日から九日までの岩手日報

第1章津波旧記

第1節気仙郡旧記

一陸中気仙村
安政三年七,月二十三日大地震並津浪,:本日九ツ時ヨリ地震度々ゆり出し,九ツ時下刻大地震,家内ご人居ラス。さわきタル内八ツ時上刻ヨリ津浪ミ参リ,長部港居住低キ所壱丈,高キ屋敷五六尺潮押込ミ,馬屋及雪隠納屋等マデ数十軒斗押流,諸道具穀物ヲ失へ,誠二困却セリ。
●稲作ハ花最中ノ比ニテかのめノ田ト三つ□不明つ程水付に相成候。
●右外人馬船網共1円痛無御座候。
●古谷浜,双六,要害,福伏浜迄家損シ程ノ水揚不申候。
●今泉,高田仲通田畑惣体水揚リ相成候処,何レ塩水相入候田地は皆無様に相成候。
●小友村田畑百貫文以上の村方ハ半分余水入相候。
●何方モ昼津浪人馬に怪我無。
●大舟渡,赤崎両村大痛二相成候。
●右之通リ時節柄何方ニモ変事有之モノニ相見得へ,去年は江戸落中大地震ニテ居家震へ潰レ,人馬数万死(日本地震史料より)亡。
●上方辺ニモ有之,去年ハ伊豆下田ト申処居家千軒有之場所ハ大地震津浪ニテ居家大体押流レル事相見得申候。
●安政三年ヨリ六十二年前正月七日大地震ニテ,長部港大水揚ケ此度の様居家等相痛候,事相見得候其時の津浪ヨリ此度水五.寸程低キ事二相見得候。
●右六十二年以前地震ニモ跡先ニテ十日以上モ苺日地震アリト云。当年モ七月ご十三日ヨリ八月朔日迄地震毎日有之候。
2.陸中気仙郡高田町
●安政津浪ハ地震ニテ高田町水かめの水コホレタルノミト云。津浪ハ沼田ノ土蔵へ六尺逆浪打上タリト云。
3.陸中気仙郡綾里村
●安政三年七月二十三日地震並津浪海面より十尺打上,走浪百五十間。
4.陸中気仙郡吉浜村
●安政三年辰の七月こ二十三日津浪十尺斗リ打上多ク河川二押入。

第2節閉伊郡津波の旧記(南閉伊海噺己事より)

◎文久年間大槌町の故人菊地秀前(当時六拾八才俳名五大坊)かものせし梅荘見聞録六冊は今尚菊池家の蔵書たり過きつる海嘯の際之を泥砂の間に得中に左の記事あり余試みに七,八十の古老に就きて寛政の海嘯を質すに果して事実を此紀事と同ふし明鏡相照すか如し乃ち載せて以てありし昔の当時を知らしむ。

地震津波の事

一、往古元和二辰年十月二十八日大地震にて津波押来候処当所は市日故在々浜々より市遣ひの人々寄集候に付き男女大勢流死のよし当所より鵜住居迄の間に数百人と申程死人有之候由其後久しく地震津波のあと諸書にも見へ不申候其後安永三午年五月三日に大地震有之候得共夏中故殿津浪は無之候趣右は草水青葉の節には津浪無之事に古人も言残し置きぬ左候へ共地は割れて地中より泥を吹上候事有之候趣其節箱崎村にては端午市日に売りに致候磯もの貝類取り候に女子供崎々に出候処出崩岩崩速死の者有之候よしに言伝へ候なり其後の寛政五丑年正月七日巳の刻大地震二三度有之候所大津波珊瑚島のうへを越し押来り町内下側は裏通り垣根迄来り候由上側には変なし向川原板敷の上迄塩水上り須賀通りは大変の由両石村にては家十六,七軒流れ候に付流死の老も十二,三人も有之潰家も数軒有之其あとは川原の如くに相成候よし地震は苺日毎夜二度も三度も有之塩水も七日斗りの内へ押来り候故南北共海辺住居のものは山に引移り夜日七日斗りの間家へ不参居候よし地震は三四月頃迄は大小の地震毎日折々有之候趣是迄は古廟山主翁記録よう写之委細は本家別記有之候間茲に略し候也
一、安政三辰年七月ご十三日五ツ時西風上々四ツ過に地震両度有九ツ頃に大地震ご度有之最も一度は長く有之候所間もなく津波押来り候兼て承はり候へは青葉の節は津波無之ものに聞及候故油断致居候所へ津波一,ご,三,四度押来り右水の押入は須賀通りへ寛政五年正月七日の津波位に押しあかり候故大須賀通りの納屋は保ち居候処五度目に大汐押し来り高田屋茂兵衛居宅菊池屋長兵衛居宅小枕松の居宅中宿屋儀右衛門殿納屋残らす汐にとられ候八目町下側は板敷へ塩水あかり候所甲乙あり四日町下側と八日町北側は畳にあかり候所も有之候八日町岩間氏板敷へ四尺斗り上り候上須賀の甚兵衛殿宅へは二尺七,八寸斗り上り須賀の藤家借家並須賀小路へ八,九尺又は一丈程もあかり多助納屋の内へは八尺斗りあかり東梅社御宮前へは五尺四,五寸斗り石橋の角吉里屋良助宅板敷へ四,五寸程風呂小路へは二尺五,六寸程江岸寺門内へは二尺斗り門外往来へは三尺斗り二十三日昼頃より向川原は寺山墓所へ仮家持居八日町の衆は薬師堂並うしろ山へ仮宅拵居四日町の衆は大念寺並小鎚社等まて二十九日暮方迄山篭り日夜本宅へは不参朝夕の飯も山にて焚出し致候て七日七夜暮し居候二十九日暮雷大雨に付本宅へ下り宿致候ご十三日五度目の塩押し参り候処へ歩行合四日町大工の松之丞流死漸く二十六日に死骸見付致葬式候二十四日西風上天気日中に小地震五・六度夜中にも四・五度有之候同日船越村の様子承り候処前海より塩水押しあかり浦之浜の方へ押しぬけ候に付流家は二十七軒潰は百十二軒有之流死は男女にて二十一人有之右の内十一人死骸有之四人は見へ不申趣二十五日に致葬式候よし二十五日上天気日中に地震四・五度有之候へ共ぬれもの洗ひ干取片付致候夜中にも四・五度有之候二十六日上天気御役所より南北へ御見分御出立被成候五ツ頃に大地震有之まれまれに下宿致候衆も又々山へ上り仮小屋懸け日夜居候藤善之土蔵破れ候日中に地震度々有之夜中も四・五度有之候明七ツにも有之候二十七日上天気四ツ頃に中位の地震昼も三・四度有之何れも山より下り不申町内は中関へ厚板を敷き並へ家内には一人も居不申候小鎚社には御祈祷並湯立有之山伏神子集り有之よし夕方小地震あり夜はなし二十八日西風上々天気明七ツ大地震有之四ツ頃に小地震あり暮方にもあり夜中にも両度あり此日江岸寺と笹勇より白米二斗宛須賀通借家の者へ斗り手当有之候二十九日西風上々天気朝小地震二度昼なし暮方大雷大雨降り山々より本宅へ下宿致候夜中に一度有之候
一、八月朔日北風曇り四ツ頃に中地震一ツあり夜も一ツあり今日非番御代官神友衛様御城下より御出張御忌二日北風冷気小雨夜通し降り五ツ頃より変なし夜もなし雨不晴三日北風冷気小雨夜通し降り五ツ頃より雨晴曇り今日御官所より難渋の者へ斗り御米一人に付ご升五合当りに御貸付被成候神友衛様下役根守純平様北通りへ御見分に御出立被威候日中変なし夜四ツ頃に地震一ツあり四日北風小雨降り須賀通藤屋借家住居の者へ中宿屋儀左衛門殿より一軒へ玄米三升宛福島屋五兵衛殿ヨリ籾五升宛手当有之候九ツ頃に地震一ツ有之候夜は変なし御代官様下役北方より今日帰官五日西風天気御代官様下役南通りへ御見分に御出立被成候趣今日須賀通り水押しあかり難渋の老共へ両町より二人に付籾三升宛人数に寄り甲乙有之手当被成候趣七十七軒へ籾十石余のよし暮方より夜中変なし六日西風天気日夜変なし御代官様南通りより御帰官被成候よし七日曇天今日町内並惣村共に津波に付流家潰家流死等並難渋の者共への手当御官所へ参上書上申候よし日夜共に変なし九日西風天気昨夜南通りの松魚船当浦へ相廻り鰹一本百文位日夜変なし十日北風曇り今日御滞在の非番御代官様昼立にて御出府被成候よし九ツ頃に小地震あり夜四ツ頃にも一ツあり十一日辰巳風曇り日夜変なし十ご日辰巳風夜中より雨降り夜四ツ過小地震一ツあり十三日西風上天気昼より辰巳風曇り日夜変なし十四日辰巳風曇り五ツ頃に小地震一ツあり四ツ頃に西風上々天気昼八ツ頃に小地震一ツあり夜中変なし十五日南風朝曇り仲秋無月雷雨八幡社御祭事に付花角力有之暮より雨の月十六日南風明方より雨晴曇り夕方天気花角力有之候十七日南風朝より雨降五ツ過に雨晴東梅社の流並向川原三,四ケ所の井戸八日町三,四ケ所井戸共に地震此方今に塩気有之如何の訳柄やら相分り不申候寛政五年の地震とは大地に万事違ひ候事斗り有之候諸人日夜心配致候今日まても親類の近きものは塩水押入候居宅へ引移り木申居候潮の満干も定日定目も昼も夜も勝手次第大方は満潮斗とにて干潮は無之候尤も秋の初干とは乍申刻限の極りも無之候今日迄は三ケ日は日夜変なし十八日西風上々天気朝寒夕方地震一ツあり夜は変なし十九日朝寒上々天気今日御役屋稲荷社御祭事に付花角力有之変なし二十日辰巳風曇り九ツ頃に地震あり八ツ頃にも有之夕方花角力有之候二十一日辰巳風曇り日夜変なし二十ご日北風曇り日夜変なし二十三日曇り夜五ツ時に小地震一ツあり二十四日北風朝寒曇り夜五ツ前後小地震三ツあり夜九ツ頃中地震一ツあり明七ツ頃に又一ツありご十五日辰巳風明方より雨降り夜四ツ過より酢化雷大風雨変なしご十六日西風雨晴嵐に相成り今日安渡の御祭事相済申候八ツ過に中地震一ツありご十七日西風上々天気八ツ頃に小地震二度あり安渡に花角力有之候二十八日西北風上天気変なし二十九日西風朝寒上々天気変なし晦日南風朝寒上々天気変なし是より九月一ケ.月は日記略す不相替地震は一一ケ日置又はこケ日置又は毎日有之候事も有之候十月も十一月も右の通りに侯へ共差たる地震は無之候に付文略し候前文にも書入候通り古人の言伝へにて草木青葉有之候時は地震ありとも津波は不来事に申伝へ候へ共全く左様には無之候と相考候に青葉有之候節も夏の土用中迄は不宜と見へ候為立秋の頃なりとて已来無断塩押来るものに心得覚悟可致事後の人に申残し置ぬ
古寛政五年の津波は予か生れぬさきの事故古廟山圭翁の日記より写之安政三辰年の津波は予か60歳の事:故ありのままの事記之

地震津波の事

一寛政五丑年正月七日(大地震古廟山圭翁日記より写す)晴天四ツ半時地震致し其次に大地震長く山崩れ騒動夫れより地震数度致し然るに須賀より人叫ひ来り海の水珊瑚島まて引きたる由這は一大事と皆々諸道具等運ぶに間もなく珊瑚島の上を浪打越し推来る波恐ろしく須賀辺の家を打破り船は町裏或は洞辺推揚り須賀通り五,六尺の水安渡も右の如く諸道具打棄て命を助からんと皆々山へ登る向川原は海になり町は吉見楼殿家の内迄推込み昼のこと故人の怪我なく地震夜中も止まず然るに日中よりは少なし七日の夜薬師堂内金崎明神新社観音堂にて煮炊致し通夜言語同断なり船多くは破れ東海社の庵も既に取られんとすれど無恙良助家の畳の上ヘー尺余上る本家障りなし向川原の者本家へ残らす引取り本家中町の者は山の下庵へ移る山は地震も町とはユルク潮は少しも恐れなしアア難有土地なり皆本尊及中塔の尊霊の加護なり須賀通りの人は生きたる迄にて残らず破れ流して食物一粒もなく唯立ちの侭なり七日には他の沙汰を聞くことなし8日晴天地震折り折りなり扨又両石村大変前代未聞なり家五十八軒取られ皆川原の如くになり十ご人余流死馬二匹死す余は本家別記に委しければ略す
◎同大槌町の故人小川孫兵衛なる者の記録に係る大槌孫八郎記に延宝年間以降宝暦に至るまでの海嘯大略を挙けたり左に列記す
一元和二年ひのへ辰十月二十八日大津波同年より宝永元年甲申年迄八十九年なり十月二十八日は八日町市にて町立盛り候得共慾にはなれ候者助かり大慾の者は老若男女共に大半死す明神の下迄川に添へ波上り候由
一延宝五年三月夜子の刻より大地震隙もなく子の半時に大汐津波とも可申程の塩さし入浦々騒動浜端の家々余程損じ山々へ諸道具穀物取配り其月中騒動家々敷居まで水上り候
一元禄十七年十一月より江戸上方殊の外地震此地も十一月二十ご日の暁四ツ過大地震大騒き江戸より小田原箱根迄大津波にて人馬捨たり家々大部損じ大山不動江の嶋辮財天迄ゆり落候由
一宝暦元年五月ご日未の刻浦々大汐七度小汐五度差入浦々民家へは敷板迄上り田畑水の下に相成四日町八日町向川原裏通り海近くなり酉の刻汐引き人馬怪我無之御目附御勘定所へ訴え

第2章明治29年津波記録

第1節三陸海嘯ニ関スル板垣(明治二十九年海嘯誌)

板垣内相ハ海嘯実地巡視セラレタル後前兆予防其他ノ義二付キ或人二語リタル談語ハ左ノ如シ
海嘯ノ起ル数日前ヨリ鱧若リハ海蛇ノ類即チ平常ハ深ク海底二棲息セル魚族ノ海岸近ク漂着シ来リテ捕獲セラルルモノ多カリシト盖シ海底二陥落地震即チ地スベリ等ノ異状ヲ呈シタルが為メニアラサルカ又被害地バー般二数日前ヨリ井水二異状ヲ呈シ堀井戸ハ俄カニ三分一以上減水シモシ抜キノ井泉ハ米汁様ノ白色二変シ居タリ且ツ海囎ノ起ラソトセシ時潮水ノータヒ非常二退キシハー般二目撃セシ光景ナリト
被害海岸ヲ距ルコト九ソ十哩以外ノ洋面二在リシ漁船ハ孰レモ無事ナルヲ得タリ右ノー事ヲ以テ或ハ海嘯ノ原因ハ地スベリニ関セスト思フ者モアルヘケレト海嘯ノ大破浪ハ其幅極メテ大ニシテ之二駕スルモノハ却テ感セサルモ其海岸二襲ヒ来リ抗拒物二触レテ始メテ衝激力ヲ生スルハ猶ホ盤中ノ水ヲ動揺スルハ其緑端ニノミ波ヲ起スカ如シ故二洋面ノ舟ハ却テ安全ヲ得タルナリ
岩手県下二於ケル海嘯ノ衝激力ハ恰モ上手二撞キシ弄球ノ如ク非常ノ速力ヲ以テ沿岸ノ岬角等二衝突スル事再三二及ブモ其勢猶ホ衰ヘス而シテ之ガ余勢ヲ受ケシ青森県下北部ト宮城県ノ東部ハ下手ノ撞キシ弄球ノ如クー衝ニ衝漸次ニ其力ヲ放散シタリト云ヘリ
這回海嘯ノ原因ヲ海底二於ケル地震陥落ノ波動トスルハ普通一般ノ認定ノミナラス多少ハ前兆ノ徴アリキ却テ説ク茲二奇ナろレー説アリ潮流衝突ノ為メナリト云フ者是レナリ気仙郡広田村ノ村長二小松駒治郎ナル者アリ常二遠洋漁業ヲ試ミ.テ多年潮流ノ動静二注意スル人ナリ此人這回海嘯ノ原因トシテー説ヲ立テタリ日ク抑モ三陸ノ海面ハ恰モ北極ノ寒潮即チ親潮熱帯ノ暖潮即チ黒潮ノ相交流スル所ナリ而シテ近年北ヨリ来ル親潮ハ常二南ヨリ来ル黒潮ノ為メニ沿岸二圧迫セラルルノ傾向アリ然レバ這回ノ海嘯ハ其反動二生シタル者ナレバ斯クハ衝突ノ激甚ナリシナリト
海嘯ノ状二就イテハ生霊万死ノ際殆ソト十分二真相ヲ目撃スルニ暇ナカリシナリ独リ岩手県下東閉伊郡田老村ノ背後ナル山ノ上住スルー老翁ノ目撃談ハ取ルニ足レルモノナリ
当時翁ノ目撃セシ所二拠レハ沖合二恰モ南北二両派ノ潮流巻キ起リツツ高ク空ヲ蹴テ相撃ツヨト見ルマニ左右二開キテ陸地二向ヒテ襲ヒ来り瞬時二田老村ノ背後二衝突シ其退クヤ非常ノ速力ヲ以テ田老村ヲ蕩尽シ去レリト而シテ前項広田村長ノ言ト其地ノ数十里懸隔スルニ抱バラス相符セシヤ亦一奇ナラスヤ
海嘯ノ害ハ到底堤防等ノ予防シ得ヘキニアラスト難モ亦人事ヲ尽クシ之レカ災禍ヲ避クルノ計ヲ講究セサルヘカラス而シテ彼ノ救助上ノ善後処分ノ如キハ已二夫々其手続二及ヒタル次第ナルカ余ノ最モ注意シタルハ予防ノ点二在リ我土佐二於テ藩政時代二浜辺ニハ必ス松ヲ植ヱ風ヨケ又ハ魚寄セノ為ト云ヘド其実ハ非常二海囎ヲ禦クノ効力アルヲ信スルナリ而シテ這回ノ海嘯二就イテ之ヲ実地二徴スルニ現二宮古港ノ如キハ其入ロノ中央二斗出シタル松林ノ洲嗜アリ而シテ海囎ハ先ツ此洲嘴二全力ヲ以テ衝突シタル後二ニツニ分レテ打チ入リ港内ノ人家ハ非常ノ惨状ヲ呈セシニ拘バラス松林ヲ前ニシタル洲嘴ノ人家ハ左マテノ害ヲ蒙フラサリ・シヲ以テスルモ亦松林が海嘯ノ衝突力ヲ緩和スルノ妙用アルヲ知ルヘシ尚ホ其例ヲ挙クレハ宮城集沼監ノ雄勝浜出役所(即チ仮監獄)ノ如キ土壁或ハ板囲等ノ抗拒物アリシ場所ハ崩壊シテ地二委シタレド監房ノ如キハ前後共二格子造リニテ溢水ヲ容易二呑吐セシメタルニヨリ其害二罹ラサリシバ恰モ松林ノ津浪ノ衝突力ヲ緩和セシムルト同一理ナリト信スルナリ
今後被害地各所二建立スヘキ紀念碑ニハ単二当時ノ惨状ヲ叙スルニ止マラス尚ホ前二述べシ如ク其前兆ノ予知スヘキモノ等バー々之ヲ列挙シテ後世子孫ノ為メニ予防ノ道ヲ尽ササルヘカラス云々

第2節気仙郡盛町調(明治二十九年海嘯誌)

明治ご十九年六月十五日恰モ陰暦五月五日即チ端午ノ節句ニテ旧例二依リ農家ハ鐵鍬ヲ馳チ漁夫ハ漁業ヲ休ミ思ヒ々々ノ趣向ヲナシ或ハ親戚故旧相携へ或バー家団欒シテ孰レモ余念ナク酒宴ヲ催フシ最中雅興二入ラソトスルモアレバ宴酣ナルモアリ或ハ酔倒レツツアルモアレバ雑談二時ヲ移スモアリテ彼等二於テハ実二無上ノ快楽ナリシカ神ナラヌ人間足下二阿鼻叫喚有ラユル地獄ノ襲ヒ来ルトハ思ヒモ掛ケヌ間ノ歓楽二夢幻ノ有様ナリキ已二日モ西山二落チ人影朧ニナリヌ頃ハ午後八時頃数分間ノ長キ震動アルヤ否ヤ太平洋中俄然万雷ノ墮落シタルカ如キ音響ヲ発スルト同時二鉄道機関師力有ラソ限リノ速ヘテ列車ノ行進ヲ始メタルカ如ク急激猛烈ナル音二各自力ヲ与何事ナラソト読リシ隙モアラバコソ何ソ料ラソ忽然山嶽ヲ呑ムノ怒潮襲撃シ来リテ瞬ク間二無数ノ人畜ヲ殺傷シ家屋財産ヲ蕩尽シ船舶ヲ粉砕シ田畑作物ヲ流亡シ去ラソトハ此時二当リテヤ波間苦声ヲ発シテ救助ヲ請フモノ海浜二充満スルアリト錐モ陸ニーノ船舶ナク且ツ黒霧天ヲ蔽ヒ暗トシテ腿尺ヲ辮セス救ハソト欲シテ之ヲ救フニ術ナシ須臾ニシテ第一ノ大波ヨリ尚ホ甚シキ激浪襲ヒ来リー且退却シテ瞬ク間二又来ル己二三回ノ大波二逢フヤ絶テ人声ヲ聞カスト云フ今ヤ漸ク第三回ノ洪浪ハ退去シタリト難モ波涛尚ホ高ク而シテ各部各所二篶火ヲ焚キ焔々天ヲ焦スカ如キモ如何セソ雲霧深クシテ僅カニ其附近ヲ照スルミナレバ幸ニシテ免災者ノ来集スルアリト錐モ暗黒ニシテ且ツ危険ナレハ敢ヘテ自己ノ危険ヲ顧ミス之ヲ救ハソトスルモノナク唯狼狽ト騒擾スルアルノミ
右ノ如ク狼狽ト騒擾トヲ以テ其夜ハ明カサレタリ同夜ハ波涛筒ホ退却セス沼岸全部ノ状況モ分明ナラサリシカ翌十六日二至リ各地ノ状況ヲ見ルニ懐絶惨絶真二言語二絶ヘタル酸鼻ノ状況ニシテ夜分二於テハ何人モ如此ナラソトハ予想セサリキ今試二之力大体ヲ挙クレハ辛フシテ九死ノ中ニー命ヲ得タルモノハ実ニー衣一粒ノ米穀タモ求ムルニ由ナク負傷者ニハ医薬ヲ与フルニ術ナキノミナラス夜来海囎ノ来襲セシ其痕跡ヲ見渡セハ老木ヲ折リ大石ヲ砕キ或ハ拭フカ如ク洗フカ如クートシテ旧跡ヲ存スルモノナシ破壊家材ハ累々トシテ浜海二漂流シ或ハ屋根ヲ山上二打チ揚ケ船舶ノ如キハ大小ノ差別ナク之ヲ粉砕シ漁具或ハ漁網或ハ衣類或ハ海草等二到リテハ尤モ高キ樹上二搦ミ置キ今一歩ヲ進メテ人畜ノ死屍ヲ見レハ漂蕩木材ノ為メ将タ又岩石二触レタルカ為メ頭蓋骨破砕シテ脳漿為メニ逆レルアリ或ハ腕ヲ抜カレ或ハ又雙脚ヲ失ヘル者アリ或ハ児ヲ抱キ孫ヲ負荷セシ侭惨死ヲ遂ケタルモアリ殊二乳児ヲ遺シタル者二至リテハ……鳴呼今ヨリ誰レト共二副寝セシ誰レカ能ク之ヲ撫育セソ今ヤ悲鳴号泣子ハ親ヲ呼ヒ親ハ子ヲ喚フト雖モ誰レカ能ク之二応セソ……」
海嘯当時ノ時刻及天候寒暖
此日ハ北方ノ微風ナリシモー天朗.カニ晴レ渡リ寒暖計七十五度乃至八十度ノ間ヲ昇降シ毫モ平日二異ナル点ヲ見ス午後北西ノ方向二於テ黒雲ヲ認ムルト同時二温度頓二異状ヲ呈シ殆ソト五十五度内外二於テ昇降ヲ験スルニ至ル当盛町ヲ中心トシテ其以北即チ唐丹村附近二於テハ午後一時ヨリ降雨アリ五時二至リテ際雨尤モ甚シク宴二盆ヲ覆ヘスカ如ク従ツテ冷気常二倍セリト云フ又盛町及其以南ノ地方二於テハ午後三時過一回ノ驟雨アリタルノミニテ他ハ雲霧ヲ脹ラシタルノミ其冷気モ亦従ツテ甚シク綿入ヲ用ユルモ猶ホ且ツ堪へ難キノ感アリ而シテ午後四時頃ヨリ海上一帯濃霧ヲ以テ覆ハレタリキ
海中鳴動ノ種類方向及震動ノ回数
午後六時三十分頃ヨリ同七時迄ノ問二於テニ回ノ震動アリ同七時三十分頃二至リテ凡十ニニ,三分二渉ル長時間ノ弱震アリ間モナク太平洋中即チ盛町ヨリ之ヲ見ルトキハ正東ノ方向二於テ「ドーンンン」ト恰カモ大砲ヲ.発射シタルカ如キ音響アルヤ凡ソ十二,三分間モ隔ツカ隔タヌニ「ゴー々々ゴロ々々」ト宛ナガラ大雷鳴ノ如キ鳴動ト共二逆捲ク激浪襲撃シ来リ凡ソニ,三分時ニシテ猶ホ甚シキ洪浪来リヌニ,三分間ニシテ第一第ニョリハ稍々小ナル激浪アリ然リ而シテ其退潮ノ速カナルコト実二驚クニ堪ヘタリト云フ午後十一時頃二至リテ又々強震アリシモ海上別シテ異状ナク通過シ爾来海水漸次二逓減シテ十六日午前四時二到リテハ漸ク平水二復シタリキ
海嘯ノ方向潮勢及海水ノ濁否
海嘯ノ方向ハ.唐丹村二於テ之ヲ云フトキハ東南ノ方面ニシテ綾里村,及末崎村二於テ之見ルトキハ東北ノ方面ナリ而シテ越喜来村及盛町ヨリ之力方向ヲ取ルトキハ正東ノ方面ニシテ或ル学士ノ説二拠レハ其起点沼海ヲ距ル大約400海里ノ外太平洋中四千尋内外ノ深底ヲ有スル「タスカロラ」ト称スル海底ノ東辺ニアリテ其潮流ノ速力ナル事一時間大約千三百六十二海里ヲ走ル速度ヲ以テ襲撃シ来ル洪浪カー旦岩石二衝突シタル其反浪裏面二浦々ヲ刺撃シタリト云ヘハ其音響其鳴動実二知ルヘキノミ斯.ノ如ク急劇猛烈ナル洪浪力津々浦々ヲ洗ヒ去リテ其痕跡ヲ止メサル事ナレバ独リ海水ノミ争テカ清浄ナルヲ得ソヤ当時海面茶褐色ヲ皇シ泥水相半スルノミナラス筒ホ数種ノ他物ヲ混シタルモノノ如ク然リ而シテ其波及ノ高低二至リテハ甚シキ等差ヲ見ル今試ミニー,ニヲ挙示セソニ綾里村白浜ハ湊浜二達スル通路ニシテーノ峠トモ云フヘキモノナルニ互大ノ生木ヲ引キ抜キ其絶項二打揚ケタルカ如キ其高サ大約二十丈ノ上二出テタリ其他広田ノ根崎ノ如キ十四五丈ラ下ラス唐丹村荒川ハ是マデ丈内外ナリトス而シテ其低所ハ気仙村ノ長部僅カニ五,六尺ヲ出テス是等小距離二於テ斯ル差等ヲ見ル其原因ノ如何ナルヤハ薮二云フ能ハサルモ或ハ其港湾ノ海洋二対スル向背二因ルナラソ乎云々

第3節気仙郡長が,來郡せる侍従武官斎藤海軍少佐に陳述せる書面

気仙郡海嘯被害後の現状について
本郡ノ組織ハニ十ニケ町村ヨリ成立チ陸ニアル者ごケ町九ケ村海二洛フモノ11ケ村ニシテ其陸村ハ大築養蚕製絲ヲ以テ家計ヲ為ス者多ク其海村ハ漁撈採藻ヲ以テ生計ノ第一ト為セリ本年六月十五日ノ夜海嘯一怒洛海村落ヲ席捲シ去リ為メニ死スル者六千百二十余人負傷シテ僅カニ免ルルモノ六百十余人家宅ノ流失破壊セルモノ千五百余戸其船舶ノ破壊流失セルモノ大小千七百十余艘其鰻寡孤独最モ憐ムヘキモノヲ出セル実二八十一人其当時ノ惨状今省ホ戦慄言フニ忍ピサルナリ而シテ被害地ノ広キ地理峻嶮ノ多キ加之時恰モ養蚕盛時二際シ人馬欠乏日夜之ヲ救済シ之ヲ救療スルモ徒二不及アルヲ恐ル
今ヤ幸二孤児老羸二至ルマテーノ路頭二立チーノ飢渇二迫ルヲ見ス又現時ハ仮病院モ既二閉鎖シテーノ収容所中僅カニ十余ノ傷病者ヲ残スノ・ミ又全家死亡魚跡者モ梢ク相続者ヲ立ツルニ到リ民心漸ク安ク壊船ヲ繕ヒ或ハ断網ヲ継ギ鉤漁ノ業ヲ試ムル者アルニ至リ現二家屋ヨリハ寧ロ船舶ヲ造ルニ急ニシテー意生業二就クヲ欲スルニ他事ナキ者ノ如シ県授産世話掛ヲ立テ之ヲ監督シ各部落ハ組長或ハ総代ヲ立テテ食料二小屋掛料二救助金二被服家具料二人夫賃二荷クモ其入ル所ノモノヲ徒費セシメス以テ其資トナサシムル事二尽力シツツアルナリ其恩賜金ノ配当義損金ノ分配方法等ノ如キ県庁為メニ標準ヲ示シ尤モ公平ヲ得シメソトシテ現時取運中二係レリ弦二被害各町村別二状況ヲ陳レハ大概左ノ如シ而シテ陛下襲二恩賜ノ金ヲ辱フセラレ加之特二東園侍従ヲ派遣セラレ又軍艦和泉竜田ノ救護アリ今又閣下ヲ特派セラル何等ノ厚恩ゾ実二被害人民ノ感泣置ク能ハス其堵二安ソシ其業二就クヲ致ス所以ナリ今左二被害現時ノ状況ヲ陳スルニ際シ併セテ以テ申陳ス
唐丹村
本村ハ本郡二在リテ最モ被害ノ甚シキ処ニシテ其流失全潰半潰ノ家屋三百余戸内本郷ノ如キ流失一戸ヲ不止死亡ノ人員千六百九三十人生存者ハ僅力二千余名二過キス或ハ父母二別レ或ハ妻子ヲ亡シイ力哭悲歎スルノ情況能ク筆紙ノ尽ス所二非ラサリシモ爾来恩賜金ノ御下賜,国庫救済金ノ下渡,天下慈善者ノ義損其他本県備荒儲蓄金ノ配付等ノコトアルヲ聞知スルノミナラス既二順次金員ノ配当アルヲ以テー般二安堵ノ思ヲナセルモノノ如シ夫ノ救済金ノ内食料ノ給与ハ本月十四日ヲ限ラレタレハ以後如何ノ景況ヲ来スヘキカバ不肖ノ大二憂慮シタル所ナリシモ幸二柔魚ノ漁期二際シ或ハ破船ヲ繕ヒ或ハ他船二便乗シ些少ナカラモ漁獲スルヲ以テ僅カニ糊ロスル事ヲ得ルニ至レリ而シテ授産世話掛等熱心其力ヲ尽シ漁船十七艘ヲ新造スル事二協議ヲ了シタレハ出来ノ上ハ生計ヲ営ムニ於テ差シテ困難ヲ見サルヘシ
吉浜村
本村ハ従来ノ戸数百三十二戸ニシテ内被害ノモノ三十三戸一見被害甚タシカラサル者ノ如シト難モ字本郷ノ如キハ僅カニ五十一戸ヲ止ムルニ過キス目下罹災ノ状況大略唐丹ト大同小異ナレハ茲二之ヲ詳悉セス尤モ世話掛二於テ協議シ船数ハ五艘圭二官林払下木ヲ以テ之二充テソ
越喜来村
本村ノ被害ハ当郡二在リテハ甚シキモノノ内ナリ字崎浜ノ如キ従来ノ戸数九十七戸ノ内被害六十七戸其他浦浜ト云ヒ泊浜ト云ヒ何レモ悲惨ヲ極メタリ現時羅災者ノ意向ハ小屋掛ヲナサソヨリハ寧ロ船舶ヲ造ラソト云フニアリト雖モ之ヲ造ルニ大工木挽ノ如キ之ヲ雇入レソト欲スルモ其人ナキヲ憂慮:シツツアル際幸二枇話掛ノ来村二会シ大二利便ヲ得船舶三十二艘ヲ新造スル事ヲ即決シタリ爾来世話掛ハ無害町村ノ大工木挽ヲシテ該地二赴カシムルニ尽力シ既二該村二至リタル者少ナカス
綾里村
本村ハ唐丹二亜キ被害ノ甚シキモノニシテ字田浜湊ノ如キハ全ク流失シ白浜ハ怒涛尤甚シク復ター戸ヲ止メス其他石浜,岩崎,小石浜等7分通リ流失二属セリ目下罹災者ノ情況唐丹村二均シケレハ之ヲ略ス其船舶ヲ要スルニ十四艘
赤崎村
本村ノ内被害ノ甚シキモノハ合足蛸ノ浦清水等ナリ罹災者現時ノ有槌ハ概シテ生計二苦シムモノヲ見ス自今救済金義損金配付アラバ今後生計ヲ立ツルニ難カラサルヘシ漁船ヲ要スル十二艘トス
大船渡村
本村ハ被害ノ割合二船舶流失ノ数少ナケレハ差シ当リ生計ノ究スルモノヲ見ス善後ノ経営二付テハ村長等頗ル尽力シツツアレハ回復ノ事難カラサルヘシ漁船十艘ヲ要ス
末崎村
本村ノ内被害ノ甚シキモノハ細浦,門ノ浜,石浜等ナリ現時ノ情況大略越喜来村ノ如シ今ヤ大工木挽雇入二汲々タリ
小友村
本村ノ被害ハ両貝,三日市,只出等二過キス前掲記ノ諸村二比スレハ被害ノ度幾何力少シ故二罹災者今後ノ処分二至リテモ敢ヘテ困難ヲ見ルコトナキヲ信ス其漁船新造ヲ要スルモノ十五艘トズ
米崎村一
本村ハ沼田ノ如キ従来ノ戸数二+一戸ノ内ご+戸ノ被害ナレドモ全村ノ上二付キ対照シ来レハ被害少シ罹災者今後ノ処分是レ又難事ニアラサルヘシ其漁船ノ新造ヲ要スルモノハニ十六艘トス
広田村
本村ハ米崎小友等二比スレハ被害甚シ然レトモ羅災者今後ノ生計二至リテハ大二憂慮スルニ及ハサルヘシ嚢二世話掛ノ該村二出張ノ際協議シタル所ニヨレハ「カッコ」船七十二艘ヲ造出スレハ差当リ生計二苦ムコト無カルヘシトス其他高田町ノ如キー戸一人ノ流失死亡二過キス気仙村等ハ他二比シ被害少キモ字湊二至リテハ三十五戸ノ家屋ハ悉ク害ヲ蒙ブリ其僅カニ冤ルルモノー戸ノミ其人口二百六十三ノ中死亡セルモノ十五名ニシテ其船舶新造ヲ要スル十七艘トス(29年8月29日付)

第4節被害当時の状況(明治昔九年海嘯誌ヨリ)

1.被害当時の状況

気仙郡長(板垣政徳)の談話
当日不快ニシテ出勤ナク引篭リ居リ午後八時頃菅ナラヌ地震二奇怪ヲ感シ居リシカ間モナク郡衙ノ給使馳セ来リテ大船渡村海嘯ノ為メ蕩尽セラレタリ云々ノ報ヲ伝フ由リテ直チニ登衙シ吏員ヲ呼ヒ寄セタリシモ何分暗夜ノ事ニテアリ且ツ始ハ単二大船渡ノミナラソト想像シツツ宿屋辺ニテハ明朝ヲ待チテ見分スベシト云ヘル有様ナリキ兎二角焚出ノ手続二掛リシニ県会議員鈴木幸太郎洞雲寺ノ佳職等馳セ集マリ又鈴木喜三郎ナル酒屋ヲ呼ヒテ糧食ノ用意ヲ為サシメ吏員ヲ大船渡二派遣シタリ吏員中直チニ大船渡ヨリ引返シ其惨害ヲ報スルモノアリ更二前途ヲ見閲セソトテ進行スルモノアリシカ果シテ末崎赤崎ニモ同災アル事ヲ知レリ於此愈々焚出ノ準備二忙ハシク婦人人足マテ駆リ集メテ之ヲ運ハシメタリ然レモ尚ホ手不足ナル故二洞雲寺住職奔走シテ全町二令シ戸々有丈ケノ残飯ヲ以テ尽ク丸飯ヲ作ラシメ続々災害地二運ピタリ但当時養蚕中ニテ馬匹人足ノ不足ナルニハー時頗ル困難シタリ其夜郡長一人自身ニテ郡衙内ニイカキシニ赤崎ヨリ急使来リ吏員及米ヲ送リ呉レヨトノ報知ナリシカ吏員ハ皆外出奔走シテ衙内二居タルモノナク漸ク大船渡行ノ吏員帰ルヲ待チテ之ヲ遣ハシ又負傷者救療トシテ医士三名出張ノ事ヲ警察二依頼シ飛脚ヲ促カシテ遠野ヨリ県庁二打電セリー方ニハ野村書記ヲシテ出県陳情セシメ傭員マテ尽ク手分ヲナシ実況視察救護計画ノ為メ全郡二出張セシム翌日午前マテニ続々各地ヨリ変災ノ報来レリ而シテ唐丹村二至リテハ何ノ報知ナシ以謂ラク唐丹ハ全村皆流亡シタルナラソカト既ニシテ派遣ノ水野郡書記十六日ノ晩帰町シ漸ク唐丹ノ樺子判然シタリ爾カモ其惨害ノ非常ナル本郷ノ如キハ唯山腹ノ庵寺一箇残リシノミ然ルニ幸ニモ海岸二打上ケラレシ米積ノ船舶アリシカバ船長二談シテ救助米二充テソ事ヲ乞ヒシニ快ク承諾セシカバ是レニテ三日間位ノ食糧二差支ナキヲ得タリト
郡衙ノ吏員ヲ派遣シタルト同時二無害地ノ町村長ヲ召集シテ救済ノ手段二付キ協議ヲ凝シ各町村受持ヲ定メ矢作,世田米ハ米ヲ運フ事横田,竹駒ハ人足ヲ出ス事日頃市,猪川モ亦人足ヲ出シ又遠野ヨリ米噌ヲ贈ルヘキ手配ヲ定メタリ唯吏員不足ニシテ郡衙ニハ郡長ト外一吏員ノミニテ万般ノ事務到底間二合バサリシニ十七日県吏,警部応援トシテ来リシカバ大二力ヲ得タリ
死体取片付等二付テ他郷ヨリ人夫ヲ傭ハソトスルモ養蚕最中ニシテ墓々敷カラサル故二盛町ノ男女ヲ駆リテ之二従事セシメ学校教員マテモ死体運搬二着手シタリ此時本県警部長高田ヨリ来リ参事官モ釜石ヨリ来リ此二始メテ相談相手ヲ得タル心地シタリ負傷者救護二付テみ前キニ地方医ヲ四方二廻ハシ又日本赤十字社巌手支部ノ医員等モ来援セシモ尚ホ不足ナリシニ赤十字社医員第二師団ノ軍医及隣郡ノ医士等モ来リ会セシカバ之ヲ充用シテ病院ヲ諸被害地二立テシメ又事務所ヲ郡衙内二設ケ警部長県官等皆此ニテ相談協議シタリ而シテ更二出テ,沿海町村ヲ巡視督励スルノ準備モ始メテ出来タリ
日ヲ経テ福島赤十字社支部員東京有志看護婦会 大学医学部ノ医師等踵ヲ接シテ来リ応援セリ救護所ハ前二小友大船渡赤崎綾里越喜来唐丹ノ各処二設ケシニ漸次之レヲ縮小シテ後二盛町ト唐丹二収容シ更二盛町一ケ所二集メ高等小学校ト洞雲寺トヲ以テ病院二充テタリ郡長ハ始メヨリ気仙郡ノ被害ハ気仙郡ノカニテ負担スヘシ自カラ尽シテ足ラサルニ到リテ後始メテ国庫ノカヲ仰ク可キナリトノ趣意ヲ普ク全郡村長二告示シ且ツ商人二令シテ此場合物品ヲ買占メ物価ヲ高クシ私利ヲ計ラソカ為メニ災民ヲ苦シムル等ノ所為アラサラシメタリ又当時吏員其他二示シタル方針ニハ第一平生ノ規矩縄墨二依ルヲ得サルモ筍クモ救護上必要ナル事ハ事理ノ判断二従ツテ果決スヘシ第二救護二要スル金米ハ惜ム事ナカルヘシ第三総テノ責任ハ郡長之ヲ負フカ故二吏員充分其見込ノ侭ニイカクヘシ等ナリキ七月二至リ郡長ハ被害地全体ヲー巡シテ救護ノ状況ヲ視シニ手配大抵行届キ飢餓ノ人民.モ幸二之無カリシカバ大二安心シ十六日ニハ出県ヲ命セラレタリ此日医学士一行帰京シテ小学校ノ病院ヲ閉チ洞雲寺二合併シタリニ十一日ヨリ被害地整理ノ為メ吏員ヲ各地二派遣スルノ部署ヲ定ム
清潔法二付テハ板下ニマテモ石灰ヲ散布シ警察ト協議シテ衛生上ノ注意到ラサル所ナカラシメタリ内務省ノ柳下技師巡回シテ被害地二到ルヤ衛生ノ行届キタルヲ証言シ郡長モ始メテ安心シタリ云々

2.風俗画報臨時増刊の報ずる気仙郡の状況

A.巌手県気仙郡(風俗画報6月20日号所報)
気仙村及其附近村落
気仙沼・北に指して早馬山の険あり,馬背に依て之を越ゆれば巌手県の気仙村に入る気仙村は高瀬山の麓・広田湾の浜りにあり戸数五百四十二,人口三千六百五十一,漁村としては可なりの村落なり,されど被害は其一大字なる長部のみにて,流失戸数三十五,死亡十八を出ずに止まりしは不幸中の幸なり又高田は気仙村の北東に当り人口三千四百入十九,戸数五百六十四を有する小都会なるが被害は殆んど皆無にして流失一戸,溺死人を出せしに過ぎずされば高田町の人民は力の有らん限り被害地の為に尽さんとの心にて,赤十字社海嘯救憎事務所を設け人夫,馬匹等を無害地方より徴発招集し日々被害地に向けて派遣せり。
又米崎は戸数三百四十三の内十戸を流失し,人口ご千四百六十の内十二を溺死せしめしに過ぎず
末崎
末崎村は大船渡湾の尽くる処にあり半,外洋に面する漁七農三の部落にして戸数三百八十八,人ロニ千九百六『十五を有す而して其流失若くは破壊家屋は百七十八,死亡人口は六百五十九実に驚くべきの大数なり其負傷人員の如きは重傷者のみにて百六人と称せらる之れに軽傷者を加ふればこ二百人以上なるべしされば洛岸一帯一里半の長き,破壊家屋の屋根,梁,樋其他布団家財道具の流出せるが,潮の為めに再び此岸に打寄せられたるに填充せられ,馬匹の死体其の間だ間だに浮きつ沈みつ,隠見する様は一見酸鼻の外なし尚ほ屍体の発見せられざるが多ければ此の屋根の下,梁桷の底には幾多冤霊の群をなすことならん,想ひやるだに涙の種なり.又其残れる家々は罹災者の遺族にて充満せられ,子供等が泣く声,老婆が咽び声,実に目も当られぬ惨状なり,又負傷者は小友村に設置されたる救済所に送致し目下手当中なり
憐れなる巡査
気仙の末崎駐在所に務むる山口と云ふ巡査は自分は負傷しつつも助かりしが家族六人父母妻子を失ひ昨今は負傷の身なるにも拘はらず半狂乱にて巡査服を着せし侭頬冠して背には大なる風呂敷に握飯荷ひつつ日々海岸を巡視して一家の死体を見出す外余念なしと
藻の中より小供を発見す
米崎も亦難を被りて死傷多し海嘯後越にて三日人あり来りて田の中に堆積せる藻草を掻きのけしに一人の幼児十四,五の少女に抱かれて眠り居れり少女は既に死して魔爛し居りしも其の懐にありし幼児は微かに呼吸通じ居りしかば直ちに療養を加へしに全快せりと云ふ
広田村
大金の流失
広田村の刈谷丈右衛門氏は家屋流失のため古金銀一箱紙幣五万余円を失ひたりと
船山に登る
広田村字六ケ浜にては帆船山腹に打揚げられたるもあり又数丈も高き高地の上鰹船の押揚げられたるもあり土蔵の敷石が皆遠く洗ひ去られたる亦船の漂蘯して人家を貫きたる皆被害の激烈を証するに足れり子を産んで海嘯に襲はる
同村佐藤某の妻は男の子を産みて一家喜び合ひ・しは束の間,僅か三分経たざるに海嘯に浚はれしに如何にしてか岸に這ひ上り其後療養せし処今は健全の身となりしと一網五十余人
同村にては海中の死屍を捜索するが為め漁網を卸うして曳きしに網に罹りて来りし者五十余人余りに重くして曳き上ぐること能はず漸やく半分つつに分ちて陸に上げたりと
家を閉ぢて災を冤る
広田村に小松駒次郎と云へる人あり此人は同地の水産家にて既に本年の四月頃遠海漁業を企てたることあり今回め災変に就て此人の宅は海岸にありたる故危険言ふべくもあらざりしが住人は泰然として動かず,驚き迷ふ家人を制し逃げ迷へばとて逃得ざる運命なれば逃得べきにあらず運は只だ天にありとて家人の外出を禁じ固く窓戸を鎖し一同静まり返りて控へ居たるに好運にも波は其上を越え行きて些の侵水をも被らず一家団攣の侭平穏無事なるを得たりとそ
大船渡湾附近
大船渡湾は長さ三里巾十七,八丁許りあり湾の入口に近き大字石浜より対岸鮪の浦の方位に向ひ遠く望めば長さ五,六町の堤防を築きたるが如く近く眺むれば一条の白洲の如く見ゆるものは是れ流失家屋の木材相集れるものにして木材の間往々交ゆるに人馬の伏屍を以てし湾の周囲七,八里の間殆んど室処なぎ迄に波止場を築きたるが如くなり居れる物亦流失家屋の木材の寄れるものなるを見ても如何に海嘯の激烈にして如何に多くの家屋材を流したるかを知るを得べく原形の侭少しも破壊せざる屋根の湾中に浮びて幾個の浮島を作れるは頗る奇観なり大船渡の中被害の梢激しきは下船渡にして五十六戸中三十六戸を流失し残余ご十戸も村長某の家と他の二,三戸を除きては大破せざるものなし下船渡,平,長井沢,笹ケ崎の四字は半ば漁業に従ひ半ば農桑に力むる地なるに田地は全反別四十町歩尺寸も剰す所なく荒廃し漁具も毫末残す所なく洗ひ去られたれば存するものは多少の山畑のみにして生存せる人民と錐も業を執るを得ず字茶屋前,欠之下の両字は湾底に位せるを以て死傷及び流失は少きも製塩を以て一年の生計を営めるに塩田悉く失せて是亦職業を奪ひ去られたり湾底を距る十丁許りの処に盛町あり戸数三百余郡衙あり警察署あり料理店あり旅篭屋ありて小市街を為し居れど今回は更に其害を受ず只大船渡辺道路破壊し電柱折れ北洛岸亦大破せしを以て一時交通の便を失なひしのみ県庁より出張するもの赤十字救護員り来るもの等陸続として投宿を求めるも容易に得べからず各旅篭屋とも上を下への大混雑なり人夫の如ぎも払底にて数倍の賃銀を払ふも応ずるものなし
大船渡村は二百九十五戸の村落中七十四戸を流失し二千三百四人の人民中八十三名を失ふ赤崎村に至ては此よりも更に全戸数三百八十三戸中二百五十戸を流亡し人ロエ
ご千九百八十五人の中四百九十七人を溺れしめ大字中赤崎は八十戸の村落中僅かに一戸を残し人民も亦大半死滅せりと云ふに至ては天下の惨事之に過ぐるものあらんや
綾里村
午前十時に激響を聞く
海嘯当目綾里村の西北四里半許りの処にある五葉山(気仙郡第一の高山)に桧の林を伐採しつつありし樵夫鮪船松魚船等に乗り組み気仙沼沖に掛り居たる漁夫は午前+時頃に於て大平洋上に雷の如く砲の如ぎ激響の起るを聞き,又午後七時に於て激震に接触せり
波高き事十余丈
綾里村字白浜,野々前に激触せる海波は十余丈の高さに達せり
役場吏員皆死す
役場吏員は村長を除くの外皆溺死,死体すら未だ発見せず姓名は下の如し収入役松本一十郎,助役千田与太郎書記鈴木邦一,書記野々村善作
村会議員
村会議員村上巳之作,熊谷三太郎,千田兵太郎,豊沢忠平,館脇庄作,村上浦衣,野村栄吉,野々村藤蔵,佐々木亀吉の九名も亦皆溺死せり
役場
港に在り流失して一物だも残さず
越喜来村
心懸よき教師
越喜来村は今回の凶変に最も惨状を極めたるが同校教員に佐藤陣なる人あり今しも激浪怒涛の凄しぎ勢ひにて渦まぎ来るや氏は直ちに校内奉置の御真影を数町距りたる安全な場所に奉置し先づ安心と取返して見れば愛児某が水中にありて将に推し流されんとする処なるより奮躍して激浪中に飛び入り首尾よく之を救ひ出したりと云ふが天も亦此忠者に幸せしか
吉浜村
昔は碧海
吉浜村大字川原の一部分は大海嘯の為め陥りて海原と化しぬ或る老人之を聞て曰く吉浜昔は葦浜と書し海の旗まりて耕地となれる所今復た旧の如く葦浜となりたるは何等かの因縁なるべしと
小白浜村
寺僧の狼狽
小白浜の村梢尽の小高ぎ所に一の寺院あり寺僧は大なる音響の聞えしに打驚き何事ならんと村内を瞰下したるに一面に白咽の立騰り一方ならぬ大騒動となせる様子なるにぞ定めし出火ならんと察し無暗天鱈に梵鐘を撞き鳴らせり斯る所へ村民の誰彼ビシヨ濡れとなって命からがら逃れ来しより薙に始めて其火災にあらずして水災なるを知りたりと,亦た当時倉皇の状を想ひ見るに足る
軍人の溺死
予備海軍水兵山崎久蔵氏は日清戦争の当時吉野艦に乗組み砲姻弾雨を物ともせずして奮戦したるも身に微傷だも負はずして無事に帰家ぜしに今回計らずも海嘯の難に会ふて海底の藻屑となれり男児屍を馬革に裏まずして魚服に葬る其遺憾果して如何ぞや
唐丹村
唐丹村の惨状
唐丹村は家屋の流失及び人畜の死傷等之れを釜石に此すれば少数なるが故に知らざるものは見て以て其損害軽少なりとなさん,然れとも是れ本来の家屋人口の釜石よりも少数なるが為めにして其怒涛の急激に且つ劇甚なると寧ろ釜石の上に在りしか如し,現に釜石の溺死者は十中の八九迄は大抵衣服を纒ひ居るも唐丹は之れと正反対にて十中の八九までは赤条々となり居り其僅かに残れる犢鼻褌,湯巻の如きも大抵は擦り抜け居れり是皆烈しく怒涛に浚はれ且つ撲たれたる結果ならん,今当日の状況を聞くに午後八時十分頃(釜石より二,三十分早かりしが如し)轟然たる音響の聞ゆるや否や分秒の猶予もなく幾丈の濁浪滔々として一潟千里の勢ひを以て襲ひ来りアハヤと云ふ間もあらせず火山の破裂したらんが如く水烟濠々として立塞がり眼前腿尺の先きをも見透すこと能はず其の物凄きこと言はん方なし且つ其の勢ひの烈しき大木を折り家屋を破壊し所謂る将棋倒しよりは数層も烈しく其のバタバタと倒されたる家屋は微塵に砕けて一として原形を存するものなし以て其何如に急劇なりしやを察するに足らん
大字本郷は総戸数百五十四戸悉く流失し人口八百十名の其十二人を残して余の七百九十八人は魚腹に葬られたり爾かも此十二人さへ皆大小の傷痍を受け身命の全き者一人も之れあらず,之れに反して字大石は総戸数四十五戸の内唯だ一戸流亡し人口二百余名の内僅かに九人の死者を出たせしは仕合せなり,字小白浜は総戸数百十五戸にして其内九十七戸は流失し今残れるもの僅かに十七戸,人口は四百六人にして死者三百四人に及び生存者は百二人なれとも其七十ご人は傷痍を被り幸ひに無事なるを得たるものは唯三十人のみ此外馬匹四頭亦た流失す
荒川の惨状
唐丹村の内字荒川と云へる所は極端の海辺にありしが故に其被害も亦甚だしく総人ロニ十七人の内鈴木延命の妹(二十五才)葛川市太郎の妻(ご十九才)外一名を残せるのみにて其他は尽く海底の藻屑と化し去れり
溺死者の蘇生
去る十六日午後二時頃死体の捜索中倒屋根の葦茅の下より一個の死体を発見せしに身中尚ほ温かきより之を介抱せしに間もなく蘇生せり是れ大崎伊与松の子由次郎(十二才)なる者
郵便脚夫溺死者を救ふ
郵便脚夫曽根徳次郎なるものは漸くにして海嘯の難を免かれ且つ溺死者を三名まで救ひ上げたり其内松本つる(五十一才)なるものは鼻骨を打挫ぎ鮮血淋漓として気息殆んと絶えなんばかりなりしが我子の名を言ひてアレは助かりましたらうかと問ひたりと子を思ふの情推量られて哀れなり
海上に命を拾ふ
唐丹の漁夫四十二人漁船三隻に分乗し鰹猟の為め海上遠く出漁し居りが何か沖合に音響の聞えしやうなりしも別段浪も立たざりし由にて無事に其翌日帰村せり,是れ人の休める節句に稼きたるお蔭にやあらん
B,巌手県気仙郡(風俗画報7月25日号所報)
小友村
小友村唯出
全村略ぼ荒廃に帰す死する者二百余人実に全人口の半数を占む該地は広田半島の頚部に位する地にありて右に広田湾を控え左に太平洋と相対し地梢々低し是れを以て海嘯の際激浪内外より薄り来り中央に於て相激し其間にありし家屋は悉く蕩破されて僅かに若干の木片を残すのみ
潮水の上ること三十尋
小友村唯出は潮水の升騰せしこと最も激甚にして該地の高丘は海上二十五尋なりしに潮水之を越えて走ること猶ほ五尋前後算じ来れば優に三十尋以上なるべし
鮪八本を得て妻子家屋を失ふ
唯出(気仙郡)の漁夫某漁船に乗じて例の如く沖合に漕ぎ出し網を下ろして鮪漁を試み居りしに平日になく八本迄得たれば其夜は沖合に泊し翌日船を廻して喜ぶ妻子の顔を見ん者をと急ぎ帰れば無惨や昨日迄ありし我家は何くに行きけん一夜の中に消えて妻子の影だになかりき
広田村
老婆孫に助けらる
広田村の漁師山田某は六,七里の沖合に漕ぎ出して鮪漁をなし翌日未明帰途に就きしに遥か彼方にて助けろ助けうと叫ぶ者ありハテ不思議と耳を澄して聞くに愈ミ人の呼ぶ声に相違なければ声のする方に漕ぎ行きしに一人の老婆雨戸板の上に座して波に漂ひつつあり救ひ上げて見るに我が老婆なりぎと
広田村根崎
広田半島の南端にあり前には椿島松島の二島斜めに海「門に横はり顧みれば大森山兀として雲際にあり限りなぎ大海の水は洋々として此の岸を洗ひ茸々たる夏草は此の村を周りて栄ゆ若し夫春霞烟の如き夕秋月鏡の如き夜一葉の軽舟を薙に浮べて半宵の遊を試みなば五十の生命惜むに足らざるべし此桃源の地に居を占めて一張の網に生を維ぎし漁民海涛一昂殆ど三分の一に減ず死する者八十ご人家屋の流失破壊せられたる者十四海岸の低地一帯田となく家となく皆砂原となる里の背後に一高丘あり水面より凡そ十余丈桐堂其上に安置せられしが是れ又悉く消えて礎石を止むるのみ桐前桐後の老松皮を破り肉を露はすは海嘯当時の乱木の打撃を受けたる者ならんか而して創傷の殆ど木心に達するを見れば如何に潮水の猛烈なりしかを察するに足る
広田町大野
広田半島の東岸にありて南に一小襖を控ゆ未だ港湾と称するに足らざるも若干の小船を泊するに足らんか海嘯の前一目容量凡そ二百石積の一帆船を茲に投じて繋泊せしに海嘯の為め山韻巓に押し上げられ今尚ほ依然として其侭に存す此の地海岸の堤防十余間破壊せられ潮至れば河をなし潮退かば室濠となる破塁せられたる材木は森の中にタタキ込まれて狼籍たり家屋のありし所は海草木片のみ重畳して乱鵜其間に飛び四顧荘々又人影を見ず海水退くこと七,八町
広田村人の談に曰く海嘯の起る前六ツガ浦の潮退くこと七,八町平素洋中にある小島陸地続きになりたればアラ不思議やと思ふ間もなく押し回へし来りし大波に村は微塵となれりと
孰れをいづれ
広田村の教員熊谷大五郎氏は父母と一人の幼児を失ひしが翌日幼児の死体を見出し厚く之を埋葬したるに又た其翌日幼児の死体を見出し是こそ真の我子なりと再び之を葬りしに同日の午後又々幼児の死体を見認め此度こそ相違なき我児なりとて葬りたい一般の死体の変相甚しきは此話しをもて推諒らるべし
誰かと思へは祖母さん
広田村小西幸太郎なる者の直話によれば同人は海嘯の当日沖に在りて漁を為し居たるに陸地の方に当りて只ならぬ物音聞えしにぞ異変あらんとて急ぎ帰途に就きたるに向ふの方より床板の上に乗りて九十余の老婆波間に浮沈し来りたりさては海嘯かと之を熟視するに量に図らんや是ぞ己が祖母ならんとは早速引揚げて種々介抱し必死と為りて陸地に着せば妻子兄弟既に亡しといえり
末崎村
末崎字細浦
末崎字細浦は大船渡湾口にありて前に太平洋を控え海岸水深くして港を為し常に船舶の碇繋場なり人口凡そ六百八十余多くは漁業を以て生計を営む海嘯の日死する男女百九十二名家屋器具悉皆飛散したり
同村字泊
広田湾の東岸鼻尻岬の後へにあり湾内広からずと雖ど大和船を泊するに足るべし全村皆多くは富民にして大厘軒を比べ他の貧弱なる漁村に似ざるなり海嘯の来るや低地にありし家屋は大と小とを問はず悉く破壊し去りて五十二戸瞬間に滅す今や粗雑乱堆の跡に十余人の人ありて死屍を捜索すると数百の鳥群争ふて餌を求むるあるのみ稚児布団に包れたる儘助かる
末崎村の某方は其家の流失と共に家族皆死亡せしに独り二,三歳の稚児は布団に包まれし侭波浪に送られ来りて或る家の椽側に一命を全ふし居たる由
大舟渡村
大舟渡
大舟渡は石浜より盛町に至る二里ばかりなる海岸一帯に家続を為し居たるものの如くなるに悉く流失して影を止めざるもあれば残るも砕破して用ふべきものあらず二里余の間には遭難者中にも種々ありて裸身にて僅かに其身を全ふしたれば着類一枚持たず何に丸裸なりとも死したるには優なる可し衣裳も何も要たものではないと力身居るもあり戸板両三枚を並べて仮屋を築けるもあり畳一枚に日頃の疲れ慰め居るもあり中には逸早く柄に逢はぬ箪笥など流れ来るを引き上げて警官の取調べを受け居るもありと
流れ家の燈光
大船渡村字小舟渡の島森義邦と云ふは二三里を距る某学校の教員を勤め居り海嘯の当日は我家に居合はせざりし故幸ひに危難を免かれたるも其妻と伜夫婦及び孫三名と都合六名は端午の節句とて二階座敷にて酒酌交はし居る折柄俄然濁浪に押流されて溺死せしが暫時の間は二階の燈光消えもせでありしと,其際に於ける六名の心事如何なりしか思ひ遣るさへ腸の断るる心地す
越喜来村
越喜来村は越喜来湾の北部と湾底とにある崎浜・浦浜・泊・甫嶺の四字より成り家屋の流失せるもの百二十九戸にして死亡者四百三人を生ず就中最も猛烈なる勢を以て海嘯の襲来せしは崎浜にして七十五戸を洗去り残留せるものは高地にあるもの十数戸なり此地に刈屋譲右衛門(南部屋と号す)なる屈指の豪家あり竜神丸・勘正丸の二隻を有して沿海貿易に従事せしめ資産は百万を越え宛然当地方の王侯たり然るに今を距る三年前火災に罹りて南部屋始め全村を焼払ひ此頃に至りて漸く旧観に復せしに憐むべし十五日夜の海嘯は再び此地を鳥有たらしめ南部屋の如きは間口十五間奥行八間の家屋の外七棟の土蔵と五十人持弗箱一個及び三十人持弗箱一個とを流失し近村に貸付けありし漁船漁具も亦悉皆之を失ひ惟家の屋根のみ多く破壊せずして打揚られ居れるを見る崎浜全体にての死亡者は男八十八名,女百二十六名にして南部屋の家族も亦溺死せり他の三字は崎浜に比して被害甚だ軽し
浦浜
流失家屋二十八戸,死亡者百十二名(内男五十三女五十九)

流失家屋二十八戸,死亡者二十九名(内男十二女十七)
甫嶺
流失家屋十八戸,死亡者囚+九名(内男十八女三十一)にして外に重傷を負へるもの六十三名牛馬の難死百二十四頭船舶の流失百三十九あり此地方田園を有するもの甚だ少く重に漁業を営むもののみなれぼ今後の困難想ふべきなり
及川惣三郎と云へるは崎浜の南部屋に次いで村内第一の豪家なるが一人も残らず溺死し東京に遊学中の悴と盛町の支店に居たる弟のみ残りたれど後の始末を為すものなきに器物散乱して片附くるもなし又及川仁右衛門と云へる家族四人のものは残らず家と共に押流されてそのまま家の圧潰れしため出る所なきに困じ彼此する内思ひ付きたるに燗突にて屋上の正面に突出したる所を破り三名とも助かりたりとなり又同沖合に馬の屋上に乗り跨りたるまま三日間漂流し居るを認め舟にて漕ぎ附け見れば梁の間に人の死したる者あれども馬は尚ほ存命して首を棟上に押立てて波と共に浮沈するも少しも騒がず依て畳両三枚を足掛りとして遂に之を助けたる由数多き中には種々の奇談もありて此方の浜辺より一の沖合を越えて彼方の浜辺に吹流されたるも一命を拾ひたる婦人もありとなり
吉浜村
吉浜村は越喜来と唐丹の間なる吉浜湾に沼へる村落なり従来の戸数百三十七戸人口約千三百の中三十三戸を流失し百五十四人を殺せしに過ぎず尤も破壊家屋五十四戸と荒廃せる田畑三十一町二反あり漁船漁具の類も流失したれど本村は半ば農業を事とし田畑の如きも尚ほ存する処少からねば幸先づ福なる村落と云ふべし只特殊の被害として見るべきは河口の位置変動七たる為め船舶出入の便を失ひたる事是れなり
小白浜
鈴木トミは当年十九歳にて負傷者の一人なるが当時の情況を語るを聞くに轟然たる響を聞いたをどうかも能くは覚え居らぬ位にて何事かと思ひ庭先に駈け出す内に早や漫々たる波の上に在りハツと云ふ問に潮水を飲みたれば其侭体は簸弄翻揚され居たるも自分は何の覚えにもなく暫くにして蘇息したるに依り四辺を見廻せば身は遥か向ひの断崖下に在り寒さは寒く胸は悪るく生きたる心地はなかりしが其中助け船来りて潮水を吐かしむる等種々の介抱を受け今は万死の中に一生を全ふしたるも八人の家内一人も残らず生きたる甲斐もありませぬと物語れり
唐丹村
唐丹村は釜石湾の南方唐丹湾の周囲にある村落にして陸前国の最北部に位し大字本郷より一山を越ゆれば則ち陸中国南閉伊郡たり湾口甚だ潤くして正東に開くるを以て被害の大なる事綾里村と共に三県下第一に位す特に最も無惨なるは本郷にして本郷は海に瀕する村落なれば海嘯の起れりと思ふ間もなく総戸数百五十九戸は逆巻く波の裡に葬られ殆んど一人も剰さず溺死せり只だ統計上僅かに生存者を数ふを得るは当夜漁業のため沖合にありし漁夫り無難なりしと近村へ節句歩したる男女の少くありたるが為めのみ死者は男三百二十九人女三百九十五人にして生存せる者は男六十五名女十四名とぞ聞ゆ百五十九戸の中九十二戸は一家悉く死亡し無情の海嘯に恨を呑みて死せる亡霊も数百年来の祖先も之を祭るの嗣を絶するに至ては天下の惨事之に過ぐるものあらんや本郷にて悲酸なるは荒川及片岸にして此地方は水の上る事海面より二十余丁に及び荒川は総戸数二十七戸の中僅かに二戸を残して二十五戸を流失し死者は男四十五女六十四の多きに及び生存者は男二十五女二十(内他出者男十三女三)なり片岸は流失家屋二十六戸死亡者男五十女五十八にして男二十八女二十七(内他出者男二女一)生存せり是等の村落は石垣及樹木をも奇麗に持去りたれば若し海嘯ある事を知らずして通行せば只一の不潔なる海浜として看過し曽て村落ありし事を知らずして通過すべしされど此荘々たる一帯の海浜に家屋の櫛比せし事を想像せば当時の光景眼前に髪髭として六月の炎天尚ほ膚に粟を生ぜしむるものあり荒川片岸に次いて惨なるものは小白浜にして流失家屋百十五戸浅)り此地は唐丹全体の中央に位し戸数も梢多きを以て役場学校郵便局等は此地に設置しありしが悉く流失したれば帳簿の類は片紙も留めず村長書記訓導等は悉く死し残れるものは助役一名と重傷を負へる収入役一名のみなり故に現今は郡衙より役員出張して村役場吏員の職を執り居れり家屋の流失せるもの百十五戸にして死者は男二百十七人女ご百六十三人生存せるもの男百人女六十四人(内他出者男十二女八)なり花露辺は流失家屋三十六戸死者男八十九人女十五人生存者男四十六人女十七人(内他出者男九女五)あり唐丹村中被害少きは大石にして大石は一戸の流失と男五人女五人の死者を出せるのみ絶家せるもの本郷は九十二戸の外各字を合して五十戸あり生存者の過半は小児なるが斯く多くの小児の助かりしは身体の小なるが為め破壊せる木材などの中ること少かりし為にやあらん腰の屈れる老人のみを残し若くは独立する能はざる小児のみを存して他は悉く死亡せるものの類は絶家の類よりも頗る多し重傷を負へるものは四十七名ありて赤十字福島支部の医員二名来り治療に従事し居れり
山崎善蔵氏三十五,六の男にて唐丹の収入役を勤むる者なるが手足から背腹まで八方に幾箇所となく負傷したるを繃帯にて取捲きながら当時の模様を語るを聞くに同人は妻を迎えて一子を設け許多の親戚を内に置き凡て十一人と共に暮し居りしが氏の家は海岸に石を築きて埋立てたる地に建設したる者なれば真先に押流され家族ちりぢりばらばらとなりしを如何にしけん一枚の板子に縄り附ぎて波の上に浮びて見れば同じ板子に婦人の縋附けるあり誰ぞと問へば不思議や最愛の我妻タケなり貴郎は怪我を為さいましたか肩から血が流れますと其身が躍れる波の上に浮つ沈みつしながら暗黒なれども夜目にすかして気遣ふゆえ我は大丈夫なり其許はと云ふ間もあらばこそ何れにて打たれしか妻は血を吐くこと二回に及びしかば善蔵は声を励まし何でも助からねばならぬぞ此処は中網(大網を引く処)にて善蔵宅前を離るる五六町の処の崖下なれば泳いでも泳ぎ附くることが出来るから心を確にせよと呼べとも悲しや情なや心身既に疲れて一歩も泳ぐこと協はず左りとて一枚の板子到底夫妻両人を浮ぶ能はず妻は早くも良人の手疵重きを察して妾はまだどこも痛みは仕ませぬ貴郎はこの板子にてきっと助かって下さい妾は別の板子に移りますと云ふを夫れはならぬと押へんとせしも力なく板子を離れて分れ別れになりしが善蔵は板子諸共岸下の砂上に吹上げられたれど婦人は板子を得ざるものと見え波に浮びては頻りに良人の名を呼びて助けを求め果ては返事のなぎに貴郎は助から無かったのかと怨める言葉も耳底に存するのみにて其時には之れに応ずる声さへ出でず到頭家内残らず失って其身一人のみ斯くも一命を全ふせりと同人にして其当時を思ひ出してはさぞや見慣れし海上の白浪も怨めしかる可し小児木の股に懸りて救はる
唐丹の小学教員菊池某の幼児齢五歳父母と與に家にありしが潮来りて両親與に溺る独り幼児は隣家の庭前にある木の肌に介まりて波と與に引撰はれざりき翌朝救護に来りし者其木を仰いで幼児の介在するを発見し直ちに助け下したり該児今現に同郡今泉にありと
畳上の小児
唐丹村字本郷にて一枚の畳の上に八歳許りの一男児ションボリと坐り付た侭山なす激浪亘涛の上を漂流すること一夜半日翌午後に至りて之を発見したるものあり走りて之れを畳上より救ひ得たりと
落雷と間違へて戸を鎖す
本郷の雲南治三郎は海嘯の起らんとするとき大なる音響を聞きて落雷なりと思ひ誤り周章狼狽戸を鎖して家内に蟄伏せしに家屋は怒浪に拍たれて粉砕し一家無惨の最期を遂げたりと
C,巌手県気仙郡(風俗画報8月10日号所報)
小友村
屍骸を争ふ
小友村の某三才幼児の死骸を見出し全身の泥を洗ひ清めて葬らんとせし折其隣村の某も屍骸を探して此に来り此屍骸を見て是こそ我子に相違なけれぱ返されたしと述ぶるを小友の男は否正しく我子なり何条おん身に返すべきと争ひ果しなかりしとぞ焼野の雑子夜の鶴親の心の闇なるぞ欄れ
元冠の記念日
小友村の小学校訓導板垣政治氏は海嘯当日は午前中に二時間の授業を為せし後ち生徒に向ひて彼北条時宗が神風聴々の下に十万の元憲を筑紫の海角に残して国威を八荒に輝かせし偉績は実に今月今日なり左れば諸子は皆な此佳節を祝すべしと説示せしが焉んぞ知らん其夜折角祝杯を挙げんとなせし際津浪に捲去られて九死一生の災に遭はんとは氏頚部左眼下右中指其他数ケ処に負傷して療養中なり
小友村の訓導
上田貞政といへるは盛岡の人にて職務に勉励せるのみならず殖産の道に意を注ぎ大日本農会員となり農家一致協会の同盟員となり村民の信用厚かりしに今回の海嘯にて令閨令嬢諸共に激浪の為に無残な死を遂げられたり氏風雅の嗜ありて仙洞庵一水と号し近詠あり「悪き蚊のたかれはせず児の寝顔」の一旬思ひきや辞世となりぬ去二十七日盛なる葬儀を営まれたりと
洪浪の逆襲三回に及ぶ
小友村に黄川英次と云へるあり前年より同郡唐丹村字片岸に飲食店を開き傍ら一の関間を往復し専ら商業に勉強し居けるが海嘯当日は恰も帰村の途次予て懇意にする唐丹村字荒川の某方に立寄りしに刻は午後七時頃とて主人は旧端午の祝ひに酒打ち酷みてありけるが黄川の入り来れるを見,一杯飲まずやと献るをば黄川此清水峠一ツ越せば御方(妻と云ふこと)が待ってる。又御馳走になりませうとて仇口交りに某方を出で臆て清水峠に差掛りたるに遥かの那辺に当りおどろおどろと鳴り響く声の起りければ黄川は夕立にもやと気遣ひつ瓦峠を越え見れば一穗の青燈細く我家を認めたりハテ嬉しやといそぐ程に来る程にコハ抑も如何に轟然一発亘砲の声揚て加へて一面の大海原煤々たる白色光を顕出し雪山の一時に頽れ落ちたらん如き有様となるにぞ茲に始めて大海嘯襲来なるを知り大に驚き呆れしが斯くあるべきにあらねば気を落付海面を眺むれば今迄荒れに荒れたる大浪頽はパッと消えて跡方もなく妻が夜業の燈影すら如法闇夜となりにけり茲に黄川は半ば狂気の体にて吾知らず歩を進める中誰とも知らず陣く声の聞ゆ誰ぞと間へば長吉(黄川の隣人)と答ふ因て仔細を聞きて始めて大災害を知り気も折れ心も揣けアッと許りに倒れけり扱て翌日に至り家の所在地に来着けぱアナ無惨家も妻も悉皆何処の浪の花となりしか見る影もなし尚彼の目撃談とて後日人に語るを聞くに第一回の涛勢は慥に六丈余に達し第二回は第一回に比し凡そ一丈位は低く又第三回は第一回と甲乙なかしりとぞ
綾里村
綾里村は綾里湾の周囲及び綾里岬の南方に位する小湾の周囲にある十二字より成り四百十戸の人家と二千五百八十七の人口を有す内流失若くは破壊せる家屋実に三百十九戸溺死せるもの千三百二十六人の多きに達す其無事なるを得しものは小路打越野形清水等山手にある村落のみにして綾里村中最も多くの戸数と富者とを有したる湊町の如きは全町烏有に帰して一戸の存在するものなく総人口四百八十六の中辛くも命を拾ひたるもの僅かに六十一名のみ,其他田浜の如き亦殆んど全滅せりと云ふも可なるべく目も当てられぬ有様なり
十五日午前十時頃なりき綾里村を距る約千里の地にある五葉山に於て官林の払下の桧樹を切り居たる木挽は綾里村方向に当り砲声の如き響を発せると聞き午後七時頃再び山岳の鳴動ありしかは何事ならんと不審の念を起し居たるが当日は恰も陰暦端午の節句に当りし故村民は各々祝酒を傾け或は親戚の家に到りて団攣の楽を為て居たりしに八時半頃に至り波光の映ぜしにやあらん白煙の如きもの湾の一面を蔽しと見しが忽ち四丈乃至五丈の海嘯一時に寄せ来たり未だ三分ならずして山手を除く外は全村悉く水中に包まれたり従来の例に依れば海嘯は分又寸と順次水嵩を増し来り浪の引際に家屋を一回転せしめて山際に打寄せたり二,三分にして海嘯引去りたる後は家屋は皆無と為り宅地は忽ち石礫と変じ泥沼と化し或ひは谷間に打揚げられ或は湾丙に流されて救助を叫ぶ哀れなる声四方に聞えしかど生残りたる者も殆んど無中にて荘然為す所を知らず殊に船舶の如きは隻影を留めざれば遭難者を救助するの術もなく再び難に罹らん事を畏れて山中に逃避せしと云ふ
三教員の溺死
千田栄太郎・千葉直広(以上綾里小学)橋本宗左工門・小石浜分教場の三教員も亦溺死巡査夫妻の不幸
綾里巡査駐在所は字港に在り駐在巡査菅原熊六は海嘯当日前七日始めて就任したるものなるが今回の凶変にて妻子ともども溺死せり
赤児三日目に助けられる
罹災当日の後三日生存者及び人夫が死屍発見の為め且つ材木取片附の為め田浜川の上流二,三丁の処に至りし赤児の暗声あり驚て之を探れば材木の下に一児ありすなわち坂本万太郎の女とめなり熊谷教員の妻之に乳を与へたるに飽くまで之を飲めり人々奇異の思ひを為し其幸運に驚けり然れど父母兄弟とも溺死しければとめは親族に預けられたりと云ふ
遭難者の実話
綾里村字湊に住みし医師木下良斉は遭難者の一人なり当時の実情を語って曰く午後八時半頃なりき大津波よと云ふ小声を聞きしが席を起つに遑あらずして潮水は早や家屋を充満したれば目を閉ぢ口を塞がんとする間もなく身は家屋と共に山手の方向へ押寄せられしか二,三分を経たりと思ふ頃身体は両三回顛倒されしと覚ゆ今にして思へば此時こそ潮水の引際にて家屋の砕けしものならん此時に当って身は是れ生き居るや死し居れるやを知らず素より余と共に数分前迄団樂せし妻や子の安否は毫も念頭に浮はさるなり漸く心付き頭を抬け見れば四面闇黒にして咫尺を辨ぜす手を伸へて四辺を探れは材木と死屍は周囲に充ちて身は半は泥土の中に埋れるものの如けれど物音の更に聞ゆるなかりしかば試に指を耳に入れしに泥土は耳腔を噴め居るを以て之を掻出せしに忽ち処々に泣叫ひつ」助けを求るの声を聞き始めて其万死の中に一生を得たるを悟れりされど尚ほ妻子の事は心付かさるなり斯くて数分を経し後ち無数の燈光は山畑に点々し叫喚の声は益々聞へ身も亦た傷を負はざるを知りしかど海嘯の再ひ来らんことの恐ろしさに他を顧みるの遑なく丘上に這上れり翌朝検すれば可愛き妻可憐なる児は家と共に影も形も見えずなれりと尚同人の家族として残れるものは東京にありて独逸協会に入り居れる長男あるのみなりと幸か不幸か
盛村の少し離れたる綾里の一村に俗に舘脇家と云へるもの数軒あり何れも旧家にて可なりの財産家なる由なれども此度の海嘯に一家一人も残さす流亡したる中に天幸なるは其内の一戸主は東京へ所用の為め出がけ居りて海嘯を免れ一村にて只一人残りし次第なれど是れとても着のみ着のまま財産一つなき身となりたる事なれば此先の方法に困り居ると云えり
越喜来村
地中より古金銀発堀す
越喜来村崎浜に南部屋なる者あり財産殆と五十万円と称す昨年該村に大火あり南部屋の倉庫亦た将に災にかΣらんとす主人里人に伝へしめて曰く汝等協力して我が倉庫を全ふせは全村仮令ひ烏有に帰するも後悉く之を再築し与ふべしと里人即ち全力を注ぎて該倉庫を守る因て全きを得たり災止むの後類焼の家屋を悉く再築し与へ又己れの本宅を新築す工事数月を費し六月十四口初めて成を告く壮宏輪奐鄰閭第一たり翌日海嘯至り倉庫家屋悉く流失す倉庫内蔵する所二十一万円入金庫(古金銀)十万円入桐箱(大黒札七万円武内宿禰札三万円)其他古書画の最も高貴なる者等頗多し災害の翌日主人此構内に縄張を打ち里人を集め倉庫及古金銀の散乱せし者を捜索せしに南部屋の門前一溝あり幅三尺深さ四尺有余なりし者海嘯の為めに埋没す工夫鍬を以て該溝を発堀し居る中五匁三分,三匁三分,三匁の小判其他二未金一分銀等数個を発見せり是れ皆箪笥,箱等に蔵し置きし者なりといふ二十一万円入の金庫は今に発見せす主人は五十円の賞を懸けて捜索し居れりと
同村白浜
湊と山を距てて越喜来湾の南岸にあり此地潮水の激せし事尤も甚しく殆ど七,八丈の高さに及べり潮の走りし一帯線を劃して其以下は草木悉く枯稿し岸に聳つ岩石悉く土砂を洗ひ去りて研々たり小屋四戸高丘に残り他の二十九は悉く波底に没せり死する者百七十五人実に全人口の三分の二強に当る
吉浜村
吉浜にては激浪百尺以上に達し抱囲の巨木半ばより折れて海に向て倒れ丈余四方の亘厳崖下に落ちて路上に横はり砕破せる二,三の藁葺屋根は山中の高処まで吹き寄せられたけれども其他は悉く流失して激浪と共に海中に嘗め去られたるならん僅かに一,二の木片を存するのみ家屋らしき影も形も見えず潮流氾濫の痕跡は樹木の枯れたると藻屑の梢樹にかかり居るとて依て判別し得れとも海岸は三,四丈の高きに過ぎざるにも抱はらず両岸の入口より家屋ある処に闖入して次第に高処に達したる其勢は斜にしたる戸板に逆上る激浪の如く百尺以上百五,六十尺にも達したるべく思はるるもあり
吉浜村より越喜来に至らんとする途中に三軒家を為せる家屋あり酒屋へ三里の趣はあれども家内の勉励にて不自由なく暮し居たるに其中の一富豪たる橋本与右衛門なるものは家内十三人ありて其主人は四十五,六の人なるが轟然たる響きと共に海嘯の押寄せ来りたるに心附きて逸早く家人に逃げ出せと云ひつ」自分独り真先に裏口より飛出したるも家族は一人も未だ出で去る能はる内早や其家は押潰されたるのみか自らも多少の手疵を負ひたれども家族の潰家に在りて泣き叫ぶ声を聞き其儘に立ち去り難く藁屋根を押破りて暗黒の間を手探りに呼ばる玉声を知るべとして一生懸命材木を取片付け漸く一人を助けて見れぱ最愛の我妻なり夫より両人力を尽して又もや与右衛門の弟を助け出すその内に絶息したる五才の娘が蘇生したりと見え助けよと泣き叫ぶに心附き之をも助け得て都合六人助かりしも其他は悉く溺死したりとなり
唐丹村
鈴木琢治の義侠唐丹村大字川目に鈴木琢治なるものあり年歯正に三十四,五妻子を始め下男三人下女二人と間口六間奥行十二間許りの大厘に住居し家世々医を業とせり彼の大海嘯の夜琢治家に在り妻子と共に雑談時の移るを知らざりしが八時の頃洋燈のブリブリと震ふを見て地震ならんかと訝かりしも差したる震動なかしより引続き談話せるに三時半頃隣人息気せき来りて「先生つい其の辺迄海嘯が来ました」と急報せしも琢治は少しも怪まずされど隣人は顔色変へて「何でも先生ヨダに違ひ御座いません私は今海嘯を見て来ましたから」と語る様子の常ならぬより琢治も蒐に梢や疑ひの心起しつ急ぎ提灯を点させ下男三人を先に立てて我家の門を出て行く事凡半町許り提灯の光に透して地上を見れば海嘯襲来の痕跡最早や争はれず所々に魚鱗の溌刺とて地上に躍べるものあるより三人の下男は心を奪はれ「や旦那様明日はこりや好い肴で一杯飲めます」とて地上の魚を拾ひ集つめつ余念なし
琢治は心急くまま三人の下男を叱り飛しつつ海浜さして急ぐ事一町許り号泣悲鳴の声闇に徹して凄まじく逡巡する下男を励まし声を知るべに辿り行けば或は老媚の潮水にむせびて早や虫の息気なるあり或は若者の壊材に打ち敷かれて起きんとすれど深傷の痛みに力弱りて唯苦しげに捻るなり千態万状深浅軽重の差別はあれど皆一様に半死半生の体となって算木を乱し倒れ居るより琢治は恰も狂気の如く三人の下男を指揮して此負傷者を己が邸宅に運び入れさせ猶隣家の若者をも叩き起して手伝はせ其邸宅は玄関とも云はず大広間とも云はず書院も病室も全家挙りて病院に充て箪笥長櫃よりは夫婦の晴衣衿綿入単衣の別なく片端より取り出して夫婦の衣類悉皆を負傷者に着せ己れ幸ひ医師ならば一々傷所を療治して是に繃帯を施し夫婦徹夜少しも眠らず猶翌日も引継き負傷者を集めたれど救難の傷者殆んど八十余人さしもに広き邸宅も遂には傷者の置場に狭隘を感じ今は殆んど夫婦の衣類も皆負傷者に着せ果てて夫婦が今着せし衣類の外に一物なし琢治つくづく思ふよう猶此上に幾多の死傷者あるやを計らず是が運搬飲食にも今後幾何の人手を要し又幾何の米穀衣服を要するやを知る可らずされど今此村役場なく警察なく郡役所なく殆んど無政府同様の場合に当り尋常一様にては臨機の救難を為し遂げ難しよしよし我れ仮りに数条の規定を設け是に従はざるものは我命を賭して是を決行せしめんと救難憲法七章を作り此憲法に違反するものは銃殺す可しと決心す七章の救難憲法左の如し
一つ総て男子は各家に幾人あるを問はず悉人夫に出づ可き事
一つ順番に依り婦人五人宛負傷の看護に従事す可き事
一つ人夫の内より五人を撰宿直せしめ非常に備ふる事
一つ順番に毎日豆腐三十個を製し負傷者に供す可き事
但大豆不足ならば種子用大豆を用ひる事
一つ各戸より蒲団一枚宛出し負傷者に給する事
一つ畳も前項に同じ
一つ人夫総数を左に
内十二人は負傷病者の運搬に従事すべき事
内五人は炊事其の他雑役に従事す可き事
其他は悉く屍体捜索及其所置を為す事
右之命に違反する者は直ちに銃殺す可き事
琢治が遭難の負傷者を救ふに急なる真実以上の憲法に違反するものは之を銃殺するの考へなりしならん彼が愛せる猟銃に銃丸こめて床の間に飾り置き生存の家族を呼び集へて一々是に厳命を下すに予て名望ある数代の医師とて誰ありて其命に背くはなく皆琢治の義侠を見傚ひ快よく負傷者運搬看護に尽力せしかば琢治は大に力を得て唐丹一村は残る隅なく捜索させ負傷者は之を我邸宅に運び入れさせ屍体は之を一所に集め引取人あるものは引渡しなきものは厚く之を葬り兎角する間に琢治が貯蔵の薬品繃帯尽き果てたり此第一の困難に屈せず琢治は馬を飛ばせて薬品買入れの為め釜石に至る釜石の惨状亦激烈にして薬品どころにあらざれば早速鉄長組の鉱山に馳せ付け鉱山医に惨況を説て薬品繃帯の幾分を借り受け一ト先ず安堵して家に帰りしが第二の困難は間もなく来りて負傷者に給与す可き紙類悉皆尽きぬ障子襖も之を剥がして骨を顕はし今は早や詮方なければ命じて数代の蔵書を出させ四書五経を始めとして其他の珍書を引き破らせ之を負傷者に給与して漸く第二の困難を凌ぎぬ而して最後に来る一大困難は琢治が貯蔵の米麦雑穀悉皆尽きて今は一同餓死せん許りの難境に陥るに至れり噫琢治は如何にして此難境を切り抜け得たる乎如何にして此難境を凌ぎ得たる乎
一家八人の家族に八十余人の負傷者を控え各戸より徴発せし人夫にも夫れぞれ飲食せしめざる可らず是が為に貯蔵の米麦悉皆尽き今は如何ともする能はざれば八里の山路を越えて使者を気仙郡役所に送り危急を報じて米穀の補助を仰ぎしも郡役所は是に応ずる能はず屡々却けられたればとて負傷に供与すべき薬品の補給を請求したるも是れ又応ぜず宝丹にても給与せられたしと請ひ亦其希望を達する能はざりしより琢治は薮に進退谷まり如何にして此八十余名の負傷者を磯餓の内より救ひ得んかと熟考中一駄馬米三俵を付けて通過せりとの報知に接す琢治即ち床の間に飾りたる銃丸込めし猟銃執りて駄馬の跡を追い行けり
「コリヤコリヤ馬夫其米を此方へ寄越せ」「否如何致しまして是は遥々遠野から此唐丹村の大石に運ぶのでモウ買済みの品物です」「ナニ大石に行く大石は同じ唐丹にありても唯一戸の外流失せず又一人の負傷者さへなき所に何とて焦眉の急用あん我等の内には唐丹全村の負傷者八十余名を集め今や此負傷者が磯餓の境に瀕し居れば希くば此米を我等に譲りて八十余名の傷者を救へ馬夫は諄々として其送り先きの状況を説き容易に聴入する模様なきより琢治は赫と憤り「愚図愚図吐き出すな已の命に従はねば是たぞ」と猟銃執りて彼に擬すれば遺がの馬夫も周章てて琢治の命に従ひ馬上の米を琢治の家に運びける噫彼れ琢治は八十余名の負傷者を救護せんとの考に切して三俵の米を道路に要し銃器を用いて強奪し以て漸やく一時の急を救ひしなりき
強奪の三俵亦尽きなんとしたれば琢治は再び釜石の磯山に馳せ付け危急を告げて米十五俵を借り入れたれば薮に始めて梢や安堵の思ひを為せる所に郡役所より六俵の米を齎らし来る
是にて最早食物の心配なければ琢治は一向力を傷者の治療に尽すと難も治療の手を下すは唯一人のみ加ふるに[薬品欠乏の為め負傷者の肉腐り骨欄れ傷所に蛆を生じ悪臭券々且つ昼となく夜となく是等の負傷者が苦悶陣唸する声凄しく到底尋常人の能く忍ふ能はざるも琢治は少しも厭倦の色なく妻も亦夫を助けてねじり鉢巻禅がけ甲斐甲斐しく立仇くより徴発せられし人夫共も夫婦の義侠に感奮せられてまめまめしく立仂き為に幾多の負傷は薬品材料の不足勝なるにも係らず其経過頗る見る可きものありしと云へり
負傷者中或者は海嘯を避けて山間に逃げ込み絶食四B間にして出て来れるに両方の睾丸脱し去り一方の耳腐りて蛆を生じ居たるあり又或る男子は五人の家族を失ひ漸く一人の幼児を救はん為にいたく胸隔を撲ち為に肺掀衝を起しながらも尚其幼児を抱きて放さず余程の重患なるより琢治は厚く諭して病床に就かせ置けるに一朝此病者床を離れて起き上り琢治に向ひて其幼児の安否如何を問へるより琢治はわざと之を叱し「小児の事は心配なさるな大丈夫だがお前はトテも起きられる様な病気ぢやないから早く行つて寝て屠なさい」と試に彼れの脈を検せば手足冷え去り既に蕨1專なかりしが我児の無事てふ言葉を聴きて己が臥床に帰ると同時にパッタリ斃れたりと
琢治の邸宅は今其台所に迄床を張りて負傷者を容れ猶足らずして十二人の傷者を隣家に移して更に徴発の人夫に命じ去月二十二日の夕より工を起し二十三日に至りて一軒の仮小屋を落成し茲にも十数名の負傷者を容れ居れぜりと云ふ
我邦未曽有の大災変に会して邸宅を捨て衣服を捨て己が貯蔵の書籍米穀何くれとなく抛ちて能く一百の人命を救ひ臨機応変救難憲法を作り己れ強奪の汚名を負ふ迄も一意専心負傷者の為に計る琢治の如きは宴に稀代の義侠者にして又全村生存の住民が能く琢治の令に従ひ秋毫も違はず琢治をして能く全村の負傷者を蘇生せしめしは是れ唐丹全村の名誉として永く後代に伝ふるに足らむ
唐丹
山沢鶴松
唐丹の漁夫山沢鶴松は当夜崖の上の庵寺に遊びに行き庵主と雑談杯しける内此の海嘯にて一家は失ひたるも同身丈けは取留めたり而して鶴松は庵にありて翌朝波にて打ち上げられたる通貨を拾ひ上げ四十余円程を得ければ之を救血の費に充て且つ漁猟より帰り来て家族佳家の破滅に落胆せる漁夫等を督し死体其他の取片附に従事したりと感ずべき事にこそ
小白浜
感ずべき事
小白浜の豪商磯崎富右衛門氏は海嘯襲来の前日仙台より米百石其他の物品を買ひ入れ崖上の倉庫に積み置きけるが其翌夜海嘯の為め家屋家財家族等悉皆流蕩せられ今赤条々の身たるに拘はらず倉庫を発きて其物品を罹災者の救血に充てたりと奇特というべし

3.布哇諸島二関スル分(昭和廿九年海嘯誌より)

三陸海岸ノ海嘯力其余波豚々遠く太平洋ヲ振蕩シテ布畦及米洲桑港ニマテ波及シタルモノノ由当時「ホノル」府発行ノ新聞紙ニハ実二左ノ記事ヲ掲載セリ「ホノル」近海二起リタル津浪ハ六月十五日(我十六日)午前七時三十八分ニシテ当時ハ正二退潮シ始メタル時ナルニ俄然波高マリ七時四十五分ニハ波ノ高一呪ノ十分ノー二及ヒシカ八時ハ最モ低ク八時五分二至リ又々十分ノニノ高サトナリ八時三十三分二至ル迄多小ノ高低ハアリタレトモ其侭ニテ侍続シ八時四十八分低下シ九時二於テ十分三ノ高サトナリ遂二午後三時全ク平常二復シタリ此日海水ノ高マリタルモノ都合十四時間内二十四回ナリシト云フ
「カワイヘー」ニテハ十五日午前八時十五分津浪襲来シ「カイルア」ニテハ同八時三十分海水ノ干退スルヤ否ヤ洪浪押寄セ増水スルコト約八呪波止場ハ攣曲シテ弓形二変セリ此地及ビ「コーナ」地方沿岸ハ大惨状ヲ呈セシナラシト云フ
又種々ノ報ヲ要言スレハ布哇島ノ西岸ハ北ヨリ南スルニ従ヒ波浪ノ高サハ減少シ且ツ時刻モ漸次遅延シ而シテ東岸二回ハレハ益々此ノ如キ傾ナリ浪ノ高サハ八呎乃至三十二呎達セシト云フ
三陸地方海嘯力布哇二波及シタルコトハ前項署陳ノ如クナルカ当時在「ホノル」府嶋村領事ヨリ贈リシ同地新聞ノ抄訳ヲ見ルニ頗ル詳細ナリ左二掲ケテ参考二供スヘシ
六月十九日(金曜日)布哇島ヨリ「ホノル」へ入港セシ「ダブルユーホール」号ノ船長「シマルソン」氏ノ実話二依レハ
津浪ノ来襲セシハ日曜日即チ十五日(我邦ノ十六日二相当ス)ノ朝ニシテ「ホヌアポー」二碇泊セシ際ナリ余ハ其危険ナルヲ祭スルヤ汽笛ヲ鳴ラシ小舟二注意シ沖合二向テ出帆シ浪ノ静穏二帰スルヲ待チテ帰港セリ当時波浪ハ南西ノ方向ヨリ来リ最初二「カワイヘー」ヲ激襲シ後「コーナ」「カウ」両郡ノ洛岸ヲ回リテ「ヒロー」港ノ方二向ヘリ
「カワイヘー」午前八時十五分津波来襲シ多年ノ間波浪二堪へ堅牢ト認メラレタル波止場モー朝ニシテ全ク破壊セリ
「カイルア」午前八時三十分津浪来襲シ材木場ヲ破壊シ貨物庫ヲ浸入シ甚シキ損害ヲ与ヘタリ只海洋ニアリテ業二従事シツアリシ小舟ハ幸二難ヲ免レタリ「カイルァ」「ヂェーヶ一レマキユレー」氏ヨリノ書簡ヲ見ルニ
六月十五日日曜日津浪来襲致シ候其際別二何ノ兆候モ無之海水ハ俄然増水シ普通満潮ノ水準ヨリ八尺以上モ高マリ申候其結果波止場ハ変曲シテ弓形二変シ幾多ノ倉庫二浸入致シ私ノ「ヴェルナダ」床上二呎モ昇リ候斯々ル有様ナレハ皆々第ニノ来襲アラソコトヲ恐レ安全ノ場所二避ケントスルハ自然ノ勢ニテ当時小生ノ倉庫ノ後二住居セシ家族及土民ハ此目的ヲ遂ゲソカ為メニ各上衣迄浸入致シ候役所ノ証券記録ノ如キハ他二移スノ暇ナカリシ為メ役所二於ケル最高ノ架棚二投上候此際小生ハ全ク潮水二取囲マレ候ヘトモ書籍及政府ノ記録ノ如キ難二罹ラサリシハ何ヨリ仕合二御座候要スルニ当地及ヒ「コーナ」郡ノ浩岸ハ莫大ノ損害ヲ受ケシニ無相違候ヘトモ多忙ノ際今回ハ御通報致兼候又「カイルア」在ノ「パリス」女史ヨリ「ホノル」ノ友人ノ許へ送リタル書簡ヲ見ルニ
(畧)私力土人ト談話シツ戸外二出テシ際ハ月曜日(我十六日)午前九時頃ニテ其時恰モ土人ハ海面ヲ指示申候故一見致シ候処不思儀ニモ海岸一帯潮水干退シ平常見慣レヌ岩石砂洲露ハレ出テ居候斯シテ私ハrケーレマキユレー」氏ノ宅二罷越候折潮水氾濫シ参リ満潮水準ヨリ高ク昇り申候夫ヨリ私宅へ戻リシ際ハ潮水ハ恰モ洪水ノ岩石二激衝スルカ如キ勢ニテ退却致候(畧)第二回目ノ波ハ以前ヨリ高ク参り第三回目ニハ宅壁ヲ打越申候其後梢々平穏二相成候二付最早平時二復シタルモノト考へ宅二入込ミ候際又モヤ激浪襲来致シ候故取敢ヘスニ階二趨昇り居候処土人共速二戸外二出テrマウカ」二行クカ可然ト勧メ申候間家外二出テタル際外界ノ凄マシキ有様ハ今ニモ忘レ難ク候潮水ハ引続テ来襲致シ凡テノ物ヲ掠メ去リ私共ハ漸ク潮水退去ノ隙ヲ窺ヒ浅所ヲ渉渡リ外壁ノ上二達シ申シ候斯ク致スヤ否ヤ潮水ハ再ヒ激来シ家屋ノ下半二浸入致候凡ソー時間ヲ経テ立戻リ申候処壁ハ破壊シ砕片物ハ処々二散在シ非常ノ惨状ヲ塁シ居候日没前又一回波浪来襲致侯故そ其退却セル内二毛布及其他ノ物品ヲ取纏メ此夜ハ土人ノー小屋二臥眠致候
(カイルア)二於テハ午前八時半二津浪来襲シ凡ン三十沢増水シテ「パリ」ノ岩窟二侵入セリ全潰九戸ニテ内四戸ハ草舎五戸ハ板屋ナリ浪ノ退却スルヤ数多ノ魚類ハ陸上二取残サレ某竹籔ノ如キ宛モ魚ノ倉庫ノ如キ有様ナリキ被害地中最大惨状ヲ呈セシハ「ケアウハウ」ニシテ浪ノ高サハ三十眼二達セリ是レ該湾ノ狭小ナルニ基因スルモノナリ
「ナプーボー」午前九時津浪来襲シ其高サ三十呎三戸流失「スコット」氏ノ材木ハ「ケアラケアクア」湾二漂流セリ
「カウワロア」午前九時津浪来襲シ其高サ三十呎「モーセスバアーレット」氏ノ家宅ハ破壊セリ海水ハ貨物庫二侵入シ非常ノ損害ヲ与ヘタリ
「フーケナ」午前九時三十分津浪来襲シ其高サ八呎波止場ハ破壊シ尤モ大破損ヲ来セシ橋梁ナリ
「カアルアル」午前九時四十分津浪来襲シ其高サ十二眼波止場及四戸流失セリ
「ホヌアポー」午前九時四十分津浪来襲シ其高サ十こ吸
「プナルウ」「ホヌアポー」ト同時刻二津波来リ高サ亦同シ被害ナシ「プナルウ」及ヒ「ホヌアポー」海岸ノ人民ハ千八百六十八年二起リタル大津浪ノ景状(八十一人ノ死亡アリ)ヲ記憶スルヲ以テ今回モ高位ノ安全ナル所二難ヲ避ケ尋テ小舟等モ皆曳上ケ来襲ノ当夜ハ安穏二臥眠シ翌火曜日二各自家二帰レリト云フ
「ヒロ一」午前十時津浪来襲シ殆ント八呎二達シタルモ幸ニシテ被害ナシ凡テ「コーナ」地方ハ朝三回大激浪来襲シ其高サハ漸次減少シタレトモ火曜日二至ルモ其余波猶ホ止マス水曜日午前二至リ全ク平穏二復セリ数多ノ魚類ハ退潮ノ際陸上二取残サレ又巨岩砕片物等打上ゲラレシモノ彩シク幸ニシテ人畜ノ死傷ナカリシカ財産二大損害ヲ蒙リシ所アリ
地震津波rオアフー」島の計潮器ノ授示二依レハ十五日ノ津浪(火山浪ナリトモ云フ)布哇島ノ西岸二達セシ時刻ハ此島ヨリ稍々遅ク其来襲ノ方向ハ正シク西北ヨリセシコト疑フベカラス左レハ「オアフー」島ノ西北二方リテー小海中火山ノ破裂二基キシモノナラソト云フモノアリ然レトモ深ク之ヲ察スルニ布哇群島ノ西北二当リテハ未ター火山ヲ見シコトナシ而シテ其方向二於ケル日本ハ常二地震ノ多キ国ナレハ今回ノ津浪ハ日本海方面ヨリ来リシモノナラン去レハ浪ハ第一着二「アウアイ」島「ナパリ」地方二衝突シ其浪高及損害共二大ナリシナルヘシ「オアー」島二於テハ殆ント平常ノ潮水二異ナラサリシハ「カウイ」島其西北二位シテ津浪ノ進路ヲ遮キリタルニ依ルナルヘシ之ト同シク「マウイ」島モrモレカイ」及rラナイ」両島ノ蔭二当リシヲ以テ其影響ヲ減セシナリ次二布哇島ハ其西側大洋二全ク開面スルヲ以テ波浪ノ大影響ヲ蒙フルハ理ノ然ラシムル所ナリ左レハ全島到ル所津浪ノ来襲アラサルハナク殊二「カワイヘー」ハ激烈ナリシモ激浪全勢ヲ極メテ来襲セシハ「カレヲカマノー」二若クハナシ夫ヨリ海岸二洛フテ(「カイルア」迄)一南スレパ波浪ノ大サ次第二減ス是レ島ノ蔭二当レルヲ以テナリ「カイルア」ニテハ浪ノ高サ入呎尚ホ南スルニ従ヒ十五呎二十呎二達ス「ケアウハウ」ノ大害ヲ受ケシハ同所ハ「ポッケト」ヲナセル湾港ニアルヲ以テ浪ハ其海岸ヲ沿下シ地形上自然二港湾二増水シタルヲ以テナリ
精密ナル現象二就イテハ専門家ニアラサレハ知ルニ由ナキモ其浪ノ方向及上述ノ理論ハ地図ヲ開イテ接スルモノ容易二解スヘキ事タルヘシ
「カウアイ」島ノ津波,又「カウアイ」島ニモ津波起リ当日同島ノ「カバー」港二淀泊セシ米船「ジエームスマキー」号船長ノ実験談二依レハ
午前七時三十分海上甚タ穏カナラス能々注目セシニ津波ナルコトヲ知リ得タレハ扱ハー大事ナリト早速避難ノ用意二取り掛リタリ是ヨリ先キ端艇二艘ハ石炭ヲ積ミテ埠頭二行キシニ未タ荷物ヲ陸上スルニ及ハスシテ此地異起り二艘共砂上二押上ケラレ或ハ覆ラソトスルノ虞アリシカハ水夫等力ヲ尽シ之ヲ防ケリ然ルニ之ト同時二本船モ浅瀬二乗上ケシヲ以テ出来ル限リ早ク此災ヲ免レソト頻リニ端艇ヲ呼ヒ戻セシニ彼水夫等力死力ヲ出シテ漸ク漕キ付ケタリ兎二角スル内二海上ハ益々荒レ船体ノ動揺甚シク錨索ニツ切レシカハ若シ此侭二棄置カソカ忽チ他ノ索モ断チ切レ果ハ暗礁二触レテ船舶諸共二乗組員モ微塵トナリ室シク魚腹二葬ラルヘシト思ヒシ故一同死ヲ決シテー層深キ所二出テントシ九時二至り漸ク目的ヲ遂ケシ時ニハ流石二気荒キ水夫共モ互二顔ヲ見合セ詞ハナクシテ唯万死二一生ヲ得タル嬉シ涙二暮ルノミ但「マキー」号ノ碇舶セシ場所ノ水薄ハ十二呎同号ノ吃水ハ八十一呎ニシテ波ノ引キシ時船底ヲ窺ヒシニ砂上ニアルコト屡々ナリヌ其附近ノ模様二依リテ察スレハ海水ハ少クトモ其深サ三呎ヲ減シタルカ如シ尚ホ或港ハ海波退キシ後俄カニ四十呎ノ陸地ヲ増シタル由ニテ「カウアイ」島ノ古老二聞ケハ斯ル珍事二遭遇シタルコトナク迷信深キ人民ハ是ゾ世ノ乱ル前徴ナリト恐レ合ヘリ「ホノル」府ノ「コソマーシヤル」「アドヴァータイザー」新聞ハ此事二就イテ日ク当地方ニテハ前二何等ノ異状モナカリシニ俄然斯ノ如キ変事ノ起リシハ思フニ外国ノ何レカニ地震アリテ其影響ヲ及ホセシモノナラント
米国二関スル分
北米合衆国桑港ノ南方二当レル「サソタ・クルズ」ニテハ六月十五日朝大津波ノ余波ヲ受ケタリ同処ハ「サン・ロ一レンズ」川ノ海二注ク処こシテ河ロー島アリ造船所ヲ設ク前ニハ堤防ヲ築キテ海波ノ襲来二備フ同日朝俄然沖合ヨリ大浪押寄セ堤防二打付ケタリ其時浪ノ高サ五眼半許リニシテ幸二堤防強カリシカハ浪ハ忽チ崩ケテ白沫トナリ其侭去リタリ余波ハ遠ク河上ヲ遡リテ繋泊セル船舶ハ大動ヲ受ケタリト云フ
英領嵜脊比亜二関スル分
英領「コロンビヤ」州「アルパー」市二於ケル印度土人監督官長二宛テタル書翰二同シク海嘯ノ事ヲ記シアリト云フ
八月ご十六日付貴官御問合ノ件拝承右海嘯二就キ拙者ノ承知致候処ハ何レモ汽船「モウ」号船長「ロバーツ」並二「カヨユー」号船長「スプリング」ノ両氏ヨリ聞及タルモノニ有之「ロバーツ」氏ハ其当時「ユクルレット」湾(「パンクーバー」島ノ西岸ニテ大平洋二面シ北緯50度内外ニアリ)二在リシ時俄然海嘯襲来シ干潮ヨリ満潮二変シ数時間激烈ノ進退ヲナセシトノ事二候又同様ノ件「カヨユー」湾地方ニモ相起リ港内碇泊ノ船舶ヲ動揺セシメタル折柄干潮ノ時二付別二損害モ無之潮水ノ高サモ普通満潮ノ時二於ケル高度ヨリハ上ラサリシ趣二有之候以上ハ何レモ去ル六月中ノ出来事二候ヘトモ確タル日時ハ申述兼候「ロバーツ」氏ノ語ル所二拠レハ右海浪ノ起リシヲ認メタル後「ウビクトリヤ」市二着シ始メテ日本二於ケル海嘯ノ惨状ヲ新聞紙上二散見シタレレハ彼是日時相符合スルカ如シト申居候右御答迄申述度如斯二候云
以上ノ記事二依リテ見ルニ北海道ハ論ヲ待タス小笠原島,布哇群島,米国「サンタクルズ」等二於ケル津波ハ其時刻及方向ヨリ察スルモ其状況ヨリスルモ正シク我三陸沿岸ヲ蕩尽シタル大海嘯ノ余波タリシヤ明カナリ左レハ今回海嘯ノ波及区域ハ実二広大ナルモノニシテ其面積殆ント北部大平洋全部ヲ占ムト云フモ過言ニアラサルナリ而シテ余波ハ布哇二於テハ殊二激烈ニシテ其高サ三十呎二達セシト云ヘハ三陸地方ノ中位二比スヘキノ洪浪ナリ然レトモ該島,小笠原島「サンタクルズ」ノ報ハ地震二関シテ何等ノ伝フル所ナキヲ見レハ微震ダモ感セサリシモノ如シ是レ震源ヲ距ル遠キ故ナルヘシト信ス
今回津浪ノ起点ハ別項二詳説スルカ如ク北部大平洋中日本三陸地方二接近シテ存在シ其余波遠ク米国若クハ布哇島二達シナカラ何故二本邦二於テ相州三浦半島以西ニハ著シク其余波ヲ及ボサ・リシカ是レ日本地形ノ然ラシムル所ニシテ富士山脈以西ノ形即チ「ナウマン」氏ノ所謂日本南湾ノ表面ハー般正南二面スルヲ以テ津浪力圏円状ヲナシ三陸ノ洛海ヨリ伝播一シ来ヲハ其蔭二当り正シク影響ノ薄弱ナル理ナノレヘシ或ハ云ハン日本本島ヲ横断セル富士火山脈ハ伊豆半島ヨリ海中二没シ諸所二嶋興ヲ噴起シ連亘起伏シテ海底自ラ南北ノ山脈ヲナスヲ以テ東北方ヨリ来レル波浪ハ為メニ遮ラレシ者ナラシムント然レレモ相洲三崎験潮器ノ記スル所ヲ見ルニ海嘯ノ高サハ僅二三寸内外ニシテ「ウエベル」氏ノ説二依ルトキハ洛海ノ直下二影響スルハ波ノ高サノ凡ソ三百五十借ノ深サニ止マルヲ以テ伊豆諸島洛海ノ深サ(六百尺乃至六千尺)二照ストキハ津浪ハ此海中山脈二些少ノ関係ナクシテ進行シ得タルカ如シ

第5節救援

1.賑給(明治廿九年海嘯誌ヨリ)

備荒儲蓄金並其配賦
不意ノ大変二際シテ先ツ第一二災民救護ノ費二充テラレタルハ本県備荒儲蓄金ナリシカ海嘯被害ノ大ナル暫時ニシテ規定ノ支出額ヲ尽スニ至リ更二巾央儲蓄金ヨリ五万円ノ補助ヲ受ケ聊力危急ヲ周フコトヲ得タリ其分配ノ大略ハ
小屋掛料トシテ
気仙郡二金一万四千百七十円
南閉伊郡=金一万五千五百六十円
東北閉伊郡=金二万三千三百九十円
南北九戸郡=金三千三百九十円
農具料トシテ
気仙郡=金七百五十円
東北閉伊郡=金八首七十円
南北九戸郡=金百九十五円
焚出米代及雑費トシテ
気仙郡=金二千四百六十五円六十七銭
南閉伊郡=金三千百五十七円四十四銭
東北閉伊郡二金三千六百五十三円九十二銭九厘
南北九戸郡=金一千百五十一円十三銭
食料米代トシテ
気仙郡=二千七百二十八円十三銭一厘
南閉伊郡=金三千六百三十三円九十七銭八厘
東北閉伊郡=金四千四百九十九円六十九銭四厘
南北九戸郡二金一千百十二円
ナリキ猶ホ此給与方法二対シテ県庁ハ規程ヲ改正シ処辨ヲ捷ニスル等十分ノ便宜ヲ開イテ務メテ応急臨変ノ措置ヲ誤タサラシメタリ
恩賜金並其配賦
天皇陛下皇后陛下ハ三陸人民海嘯ノ罹災ヲ乾念シ本県ニハ特二左ノ恩命ヲ下シ賜フ巌手県
本月十五日其県下非常海嘯ノ為メ被害 カラサル趣憫然二被思召
聖上
皇下陛下ヨリ金一万円下賜候条目下救恤ノ補助二充ツヘシ
明治二十九年六月二十二日
宮内省
既ニシテ皇太后陛下又左ノ恩命アリ
ー金二千円
右今般海嘯被害之趣岩手県
皇太后陛下被聞食
思食ヲ以テ下賜候事
明治二十九年七月四日
皇太后宮職
本県知事服部一三誠惶感激恩賜ヲ拝シ直チニ之ヲ管内二告示シ又訓令ヲ発シテ被害地人民二諭スニ聖恩ノ洪大ナルヲ以テシタリ吏民相伝ヘテ殊恩ヲ感戴シ慨然トシテ善後ノ計ヲ思ヒ努力相励マシテ此恩眷ヲ鑛フセシト誓ハサルハナシ之二由リテ県庁ハ海瀟罹災恩賜金配付規定ヲ設ケ罹災ノ程度ヲ量リテ十三級トナシ恩賜金ヲ率分シテ軽重僥倖ノ遺憾アラサラシメタリ今其各郡配当額ヲ挙クレバ気仙郡ニハ三千百九十円二十八銭南閉伊郡ニハ三千九十九円五十五銭東北閉伊郡ニハ四千九百四十四円南北九戸郡ニハ七百四十七円七十三銭ナリ其配当二際シテハ郡吏ハ勿論地方ノ名望アルモノヲシテ災民ノ等級ヲ鑑別セシメ県吏ヲ立会ハシメテ金額ヲ下附シ兼ネテー般ヲ戒飾シテ決シテ浪費濫出ノ挙アラサラシメタリ
救済金並其配賦
海嘯被害救済国庫補助ノ義二付イテハ当局ハ勿論朝野ノ談政者ヲ始メ当時議者一般ノ同説ニシテ之ヲ往年濃尾震災ノ事宣二照シ救済ノ程度ヲ量り第二予備金及ヒ剰余金ノ支出二付イテ諸説紛々タリシカ結局政府ハ第二予備金支出ノ策ヲ決シ本県知事二対シテハ訓第四百二八十号(廿九年七月十一日)
今般海嘯災害二付其県二対シ救済金トシテ金三十七万五千六百八十円第二予備金支出相成実二付テハ左ノ各項ノ趣旨二依リ夫々救済方取計フヘシ(内務大臣板垣退介)訓第四百三〇号(廿九年七月十一日)巌手県
今般其県下海嘯被害ノ為メ救済費トシテ金三十七万五千六百八十円配付シ仕払命令ヲ委任候条本年度歳出臨時部海嘯被害ノ歎中難民救済費ノ項岩手県難民救済費ノ目ヲ以テ整理スヘシ
右訓令ス(同上)
以上ノ命令ヲ下シタリ面シテ其項目等二本県救済定奪ノー般方針ヲ挙クレハ
食料金四万八千円
被服家貝料金十万五千円
救済金十四万円
死体埋葬費二万二千円
潰家取片付費金三万八千七百円
負傷者救療費金二万九百八十円
一救済金ハ罹災ノ究民ニシテ自治ノ途ヲ失ヒタルモノヲ救助スルニ在ルヲ以テ多少ノ財産ヲ有シ自治ノ途二究セサル者ニハ給与セス
ー農具料種穀料ヲ給与シタル災民ニハ救助金ヲ給与セス
ー救助金ハ災民ノ老幼廃疾ニシテ親族ノ救助二頼リ難キモノニ限リー戸二付金三十円迄ヲ給与ス
ー被服家具料ハ家族ノ人員多数ナルモノハ特二一戸二付金二十円迄ヲ給与ス
ー救療費ハ専ラ医療二要スル費用二充ツヘキ趣旨ナルヲ以テ負傷者各個二分配セス
ー死体埋葬費潰家取片付料ハ之力為メニ要シタル人夫賃其他ノ雑費二充ツヘキ趣旨ナルヲ以テ遺族若クハ家屋所有者二分配セス大要以上ノ如シ
此出納二付イテハ本県ハ仕払手続給与割合給与方調査規程其他必要ノ諸件ヲ規定シ各被害部落中有望篤実ノ人物ヲシテ給与出願総代人トナリテ救済ノ歎渋ナカラシメ属官警官ヲシテ立会調査ヲナサシムル等注意ヲシテ下渡ヲ了シタリ詳細ハ後章本県令規ノ部二就イテ観ルヘシ左二救済金各項支出額ノ郡別ヲ挙ケソニ食料トシテ
気仙郡ニハ金五千五百三十六円八十銭
南閉伊郡ニハ金六千八百五十九円二十銭
東北閉伊郡ニハ金八干九百七十六円
南北九戸郡ニハ金一千六百十円四十銭
被食家具料トシテ
気仙郡ニハ金二万五千二百五十一円六十銭
南閉伊郡ニハ金二万八千三百二十円五十銭
東北閉伊郡ニハ金四万二千六百九十円二十銭
南北九戸郡ニハ金六千六十円二十円
救済金トシテ
気仙郡ニハ金二万八千七百二十一円
南閉伊郡ニハ金三万一千六百八十二円
東北閉伊郡ニハ金四万八千二百二十五円
南北九戸郡ニハ金六千六百八円
死体埋葬費トシテ
気仙郡ニハ金五千五百八十三円
南閉伊郡ニハ金三万八百八十四円六十九銭七厘
東北閉伊郡ニハ金四千五百九十三円四十三銭二厘
南北九戸郡ニハ金六千八百九十三円
全潰家取片付費トシテ
気仙郡ニハ金二万六十一円二十二銭九厘
南閉伊郡ニハ金一万七千四十円七十九銭五厘
東北閉伊郡ニハ金二万八千五百五十四円六銭二厘
南北九戸郡ニハ金一万一千三百七十三円十四銭
負傷者救済療費トシテ
気仙郡ニハ金三千七百二十一円九十二銭五厘
南閉伊郡ニハ金三千六百五十六円四十銭一厘
東北閉伊郡ニハ金四千四十九円三十銭八厘
東北九戸郡ニハ金一千六十一円十四銭七厘ナリ
義捐金品等其配賦
大海嘯ノ報一度四方二伝ヘラル・ヤ官民挙ツテ其不幸ヲ吊シ義捐金品ノ寄贈ヲ申込二来ル者引キモ切ラス本県下二在リテハ盛岡市役所ヲ始メ九郡役所内二受領所ヲ設ケテ義金ノ納集ヲナシ服部知事各郡長市長発起人総代トシテ義捐金募集ノ広告ヲナシ又一方二於テハ巌手公報社及本県教育会ハ別二義捐金募集ノ広告ヲナシテ大二四方有志仁人ノ同情ヲ求メタリ独リ本県ノミニ非ラス全国ノ各新聞社ハ各々特派員ヲ派シテ本県ハ勿論宮城青森ノ罹災ヲ実際二目撃視察シ之ヲ全国二報導シテ義捐金ヲ募集シタリ去レバ義損金ノ当県二集マリ来ルモノ四拾四万余円二達シ廿九年九月五日ヨリ翌年二亘リ前後三回二分チテ之ヲ罹災人民一般二配当セリ義捐金ノ配当歩合ハ凡ヘテ恩賜金ト同シク且ツ之ヲ下渡スニ方リテハ特二郡吏ヲ派シテ立会セシメ義捐者ノ本意ヲ室フセサルヲカメタリ因二記ス右金配当規程二依り最多額ノ配当ヲ受ケタルモノハ普通義捐金ノミニテー戸金九十六円二当レルモノアリ
義損金品ノ外国人ヨリ寄贈セルモノモ亦夥シク内国寄留外人ノ団体ヨリ或ハ在外商会ヨリ外字新聞社ヨリ艦隊将校ヨリ箇人ヨリ其総額ノ大体ヲ見積レハー万三百三十円余ナリ此内横浜居留外人ノ団体(エー,ユー,ペソネット扱)ヨリ寄贈二係ル四千五百六拾五円二拾三銭ハ特二漁船漁具等ヲ新造シテ十ケノ指定町村一千百二十九名ム下渡シタルカ如キ其多額ナルモノナリ又義捐物品ノ寄贈ハ総計十五万余点ニシテ其配当方ハ南閉伊郡三分東北閉伊郡三分五厘南北九戸郡一分気仙郡二分五厘ノ歩合ヲ以テ各郡二交付シ各郡亦更ニハ適当ノ方法ヲ以テ各町村二配当シタリ
以上義捐金品ハ県庁ノ手ニテ集メタル者ヲ郡役所二交付シタル分ナリシニ此外被害郡役所二於テ直接受納シタ/レ義捐金ハ九千二百八十一円二達シ義捐品ハ三万八有余点ニシテ尚ホ被害町村ニテ受納セシ金品モ亦少カラサルナリ
義捐品ノ多クハ衣食品ナリ中ニハ保存二耐へ難キ食品アリシモ去リトテ此品種ノミ特別二下渡ス訳ニモ行カス郡役所被害町村ハ之レカ為メユー時其処分二苦シミタリキ
尚ホ此金品出納ノ方法ハ配当規程出納手続出納規定等一々準拠ヲ定メ悉皆之二循由処理セシメタルモノハ其詳ナルコトハ後項会規ノ部二就イテ観ルヘシ
義捐金品ノ出納
義捐金ノ総額ハ金四拾四万二千百八拾八円拾九銭八厘ニシテ此内義捐者ヨリ特二救恤ノ目的ヲ指定シタル分金一万三千八百九拾五円四拾六銭三厘アリ救恤ノ目的ニハ行政区名個人名職業種名ヲ指定シタルモノト罹災患者鯉寡孤独教育事業等二係ルモノ「ト漁船漁具船具等物品購入配賦ノ指定ヲナシタルモノトアリ今義捐金ノ総額ヲ府県等地方別ニスレハ左ノ如シ(原本には漢字の数字を使用しあるも便宣算用数を以って書写す)
金9,716円71銭1厘北海道庁
金172,627円45銭4厘東京府
金18,334円80銭5厘京都府
金46,231円46銭4厘大坂府
金9,612円37銭8厘神奈川県
金8,346円78銭8厘兵庫県
金534円46銭長崎県
金5,440円23銭3厘新潟県
金3,488円65銭8厘埼玉県
金2,518円26銭5厘群馬県
金2・759円75銭4厘千葉県
金5,135円9銭5厘栃木県
金9,368円46銭5厘奈良県
金4,612円28銭3厘三重県
金18,887円20銭5厘愛知県
金3,625円73銭3厘静岡県
金1,889円23銭8厘山梨県
金3,445円50銭6厘滋賀県
金7,069円55銭7厘岐阜県
金3,554円46銭9厘長野県
金2,815円17銭5厘官城県
金5,969円70銭1厘福島県
金1,543円93銭1厘青森県
金5,708円33銭4厘山形県
金2,474円61銭9厘秋田県
金256円77銭8厘福井県
金2,474円69銭2厘石川県
金1,0刀円78銭7厘富山県
金752円62銭8厘鳥取県
金2,281円4G銭7厘島根県
金5,919円17銭1厘広島県
金2,662円34銭3厘岡山県
金3,706円14銭5厘山口県
金1,692円64銭和歌山県
金958円16銭8厘徳島県
金工,533円62銭7厘香川県
金2,875円15銭2厘愛媛県
金1,673円84銭6厘茨城県
金2,129円74銭8厘高知県
金5,792円89銭3厘福岡県
金1,213円37銭7厘大分県
金1,404円10銭4厘佐賀県
金2,589円53銭7厘熊本県
金516円84銭8厘宮崎県
金1,588円64銭3厘鹿児島県
金工52円6銭6厘沖縄県
金16円台湾
金112円65銭8厘在外国日本人
金10,338円63銭7厘外国人
金32,739円3銭2厘巌手県
義捐金ノ募集二就イテハ全国各新聞社斡旋ノ力巨多ナリシカ此等ハ皆新聞社所在ノ府県二従ヒテ算入シタリ又本県内被害地郡衙町村役場二於イテ直接取扱ヒタル分ハ此二算入セス今家二各新聞社取扱二係ル義捐金額ヲ記シ置カンニ而シテ此払出ハ現金ヲ以テ前後三回ニ被害地ニ配附シタルモノ
金ll3,891円53銭8厘 気仙郡
金109,905円38銭5厘 南閉伊郡
金172,984円25銭9厘 東北閉伊郡
金25,485円07銭1厘 南北九戸郡
金2,292円07銭2厘 他府県郡市町村
計金414,558円32銭5厘
物品ヲ購入シテ之ヲ配附シタルモノ(物品ハ衣服飲食物器具ニシテ皆日常必須ノモノニ係ル)ノ其価格
金294円48銭9厘 気仙郡
金222円42銭7厘 南閉伊郡
金3,022円55銭9厘 東北閉伊郡
金194円93銭5厘 南北九戸郡
計金3,734円41銭
又指定義損金ノ現金配附ハ
金3,627円67銭6厘 気仙郡
金2,552円68銭4厘 南閉伊郡
金2,771円26銭1厘 東北閉伊郡
金678円61銭2厘 南北九戸郡
計金9,630円23銭3厘
其物品購入配賦価格ハ
金1,704円65銭2厘,
漁船52艘船具223点漁具160点 気仙郡
金1,278円48銭9厘
漁船80艘船具347点 南閉伊郡
金工,278円48銭9厘
漁船33艘船甘376点 南北九戸郡
金3円60銭
漁船烙印壱顆及製図用筆耕 被害各町村共用
計金4,265円23銭
トス
次二物品ノ義椙ヲ挙クレハ
衣類及附属品 59,662点
木綿反物 5,365点
寝具類 4,539点
薬品及糊帯品 5,0エ3点
庖厨具類 5,953点
食品 3,688点
雑用品 73,828点
共二158,048点ニシテ此評価金30,253円44銭9厘二上レリ更二之ヲ醸出ノ地方別ニスレバ
物品83,951点 東京府
此評価金12,205円37銭3厘
物品2,010点 京都府
此評価金325円40銭
物品2,517点 大阪府
此評価金313円51銭
物品1,976点 愛知県
此評価金255円06銭
物品1,953点 宮城県
止評価金468円94銭
物品22点 秋田県
此評価金5円50銭
物品12,078点 福島県
此評価金1,258円64銭1厘
物品1,385点 埼玉県
此評価金80円66銭5厘
物品21,923点 神奈川県
此評価金4,006円45銭
物品114点 栃木県
此評価金11円55銭
物品3,645点 静岡県
此評価金1,082円27銭
物品5,050点 群馬県
此評価金187円50銭
物品672点 兵庫県
此評価金82円54銭
物品497点 新潟県
此評価金79円75銭
物品4点 長野県
此評価金13銭
物品50点 山形県
此評価金1円75銭
物品49点 茨城県
此評価金7円10銭
物品63点 福岡県
此評価金36円28銭
物品1,000点 青森県
此評価金50円
物品200点 岐阜県
此評価金8円
物品23点 石川県
此評価金5円26銭
物品4点 三重県
此評価金6円60銭
物品2,662点 巌手県
此評価金290円29銭
物品15,470点 外国人
此評価金9,495円89銭
而シテ此配賦ハ
物品41,967点 気仙郡
此評価金7,787円35銭3厘
物品44,723点 南閉伊郡
此評価金8,757円Ol銭9厘
物品49,882点 東北閉伊郡
此評価金9,683円96銭4厘
物品21,476点 南北九戸郡
此評価金4,025円1l銭3厘
ナリトス以上ハ海囎罹災者救恤二係ルー般義捐金品出納ノ全体ナリ
右ノ外南部伯爵邸扱二係ル旧南部藩内罹災民救恤義捐金数千円アリ出納未タ結了セサルヲ以テ此二算入スルヲ得ス又一般罹災町村二於イテ個人若シクハ団体等力金穀丁役其他ノ供給二依り難民救済公益企業等二義捐幇助ヲナシタルノ類甚タ多ク就中高義絢公ノ奇特者モ亦少カラス然レドモ其精査未タ纏マラス或ハ出納尚ホ結ハサルモノ多キニ依リ此ニハ姑ク列載ヲ見合ス

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新聞社坂扱義指金調
2.気仙郡授産(昭和廿九年海囎誌ヨリ)

廿九年八月十一日三輪県属気仙郡授産世話掛トシテ盛町二出張シタリ気仙ニハ既選七名ノ世話掛各町村長ト共二盛町二集会シ居レリ十二日授産世話ノ便誼上被害地受持区ヲニ区二分ケ第一区ハ唐丹村吉浜村越喜来村陵里村赤崎村大船渡村トシ第二区ハ末崎村小友村広田村米崎村高田町気仙村トシ第一区ノ担当者ハ千田仁兵衛鈴木幸太郎大西平太郎泉田健吉ノ四氏ニシテ第二区ハ菅原梅吉小松駒次郎吉田弘ニノ三氏トシ各受持区ノ事務ヲナシツッ毎月三十日事務打合ノ為メ盛各町事務所二集会スルコトセリ授産方法ノ項目ハ第一部落ノ状況二応シ漁船漁具其他ノ職業品ヲ購入並調製セシムルコト第二小屋掛ヲナサシムルコト,第三魚類食塩等ノ製進所ヲ設ケシムルコト,第四必要ノ衣服家具ヲ調製シムルコト,第五海底及河ロニ変動ヲ生シ漁場ノ荒廃二係ルモノハ之力再興ノ途ヲ講スルコト,第六部落ノ状況二依リ戸口移植ノ必要アル時ハ之力方法ヲ講シ県知事二具状スルコト等ナリ
斯ノ如ク方法已二定マリテ第一着二何ヲナスヘキカト云フニ至リ目下貧富相通シテ尤モ必要ナルハ?漁ナルヲ以テ先ツ鰻船ノ供給ヲ計ルヘキニ決シ被害各町村二割出シテ見積リシニ大略四百六十艘ヲ必要シ之力製造代価金一万二千九百円ヲ要セリ之ヲ気仙全郡二充ツヘキ救助金弐万五千四百十七円ヨリ差引クトキハ尚ホ金一万二千五百十七円ノ残余アリ然ルニ救助金ヲ造船費用二当ツルコトニ付テハー応被害者二談合シテ共賛同ヲ得タル後二非ラサレハ能ハストシ各々手ヲ分チテ巡回セシニ各村皆同意ナリシカハ即チ此議二決シ此二於テ大工人ヲ各村二割付シ之ヲ無被害地ノ町村ヨリ徴集セソコトヲ町村長二托セシニ実地二引纏ムルコト容易ナラス世田米ヨリ唐丹二行キシ大工ノ如キハ食料モ続カス小屋モナク修繕所モナキ有様ニテ作事快ナラス各村ノ故障往々此ノ如ニシテ世話掛ノ心配一方ナラサリキ造船二要スル材木ハ被害地ヨリ総代願人ヲ出シテ日頃市小友矢作立根唐丹諸村ノ官材払下ヲ出願スル手続ヲナシ造船ハ勿論小屋掛ニモ従事シタリ小屋掛二就イテモ人々各自倹侈意二任シテ救助ノ実ヲ室シクセソコトヲ虞レ世話掛ハ注意シテ時日ヲ失ハス質素二建築スヘキコトヲ普ク説諭シタリ
被服家具ヲ整ヘシムルニ付テハ可及丈節約ヲ専ラニセシメ同一ノ品ハ金同シテ購買スル方法ヲ立テ又現金ヲ直チニ人民二渡ストキハ自ラ無用二濫費スヘキコトヲ恐レ町村長之ヲ預リ購求品ハ其果シテ有用ナルト認メシモノニ限り買ハシムルコトトセリ又官林払下ノ代金ハ被服家具料ヨリ出サシメ不足ノ分ヲ救助金二補助スル見込トナシ以上ノ方針ヲ以テ着々実行シ尚ホ第二段ノ善後策二付テハ各被害町村従来ノ漁業ヲ観察シ例ヘハ甲村ハ鮪漁二適シ乙村ハ鰹暢漁二適スル等之二対スル船舶漁具ノ数ヲ調べ之二準シテ将来ノ生計ヲ立テシムヘキノ計ヲ講セリ気仙郡ニテハ海嘯ノ為メニ沿岸ノ漁民多ク死亡シ従ッテ将来漁業ノ振ハサラソコトヲ憂ヒ他地方ヨリ移住民募集ノ計画ヲナシ左ノ如キ規則ヲ制定シタリ
移住民補助規則
第一条海嘯被害地ニシテ移住民ヲ要スル時ハ事務所二申立募集ヲ依托スルコトヲ得
第二条移住民ハ遠洋漁業二長シタノヒモノ又ハ現在漁業二従事シアルモノニシテ移佳後同業二従事シ得ヘキモノニ限ル
但稼業者ノ家族ハ此限ニアラス
第三条移住者ハ出稼人アラスシテ永住ノ目的ヲ有スルモノタルヘシ
第四条移住者ハーケ月己内二於テ官署二対シ永住ノ手続ヲ然スヘシ
第五条移住者二就テハ其小地区二於テ佳所其他漁業上ノ便宣ヲ与ルルモノトス
第六条移住者ニシテ六ケ月ヲ経過シタル後二於テハ漁業上二付其区民同様ノ権利ヲ亨有スヘシト錐モ其以前二於テハ岩付物其他共同ノ利益ヲ分課セサルモノトス
第七条移住者ハ性質善良ニシテ身体ノ健康ナルモノヲ撰定スヘシ
第八条移住後三ケ月間毎月左ノ手当ヲ給与スヘシ
初月一戸二付金五円己内
翌月同金四円同
末月同金三円同
第九条移住者ノ旅費及必要ナル器具運搬費ハ実費ヲ以テ給与スヘシト難モー戸金三十円ヲ超過セス
第十条移住者ハ移住地ノ漁民二対シ漁具ノ製造及漁業上二付伝習ヲ許スノ義務アルモノトス
第十一条移住者二対スル費用ハ本所役員ノ旅費ヲ除クノ外一切其小地区二於テ負担スルモノトス
第十二条移佐者ニシテ止ムヲ得サル事故ノタメニケ年己内二他郡へ転セソトスルトキハ総ヘテノ費用ヲ償却セシムルモノトス
但シ族費補助金ノ給与ヲ得サルモノハ此限ニアラス
第十三条移住者ハ本規則二従ヒ正当ノ保証人ヲ付シタル盟約書ヲ差出スモノトス
第十四条移住者二対シテハーケ年間組合費ヲ賦課セス尚ホ爾後ノ実況ヲ参考スヘキカ為メニ左二授産世話係ノ報告ヲ摘録セソニニ十九年九月第二区受持係力第二回巡視ヲ遂ケタリシトキノ報告二云フ
十二日気仙村被害地ヲ巡視セシニ登時小屋掛及家屋建築二着手シ本月中二過半成功スヘキ見込ナシトモ其全ク整頓二至ル迄ハ今後凡ソニケ月ヲ要スヘシ
船材ハ授産掛二於テ村長ト協議ノ上民有林木ヲ買入レ職工二十名ヲ以テ日夜精励材取リニ従事セシメタルニ依リ日ナラスシテ六十艘ノ船材ヲ得ル見込ナリ但気候不順ノ為メ乾燥二不尠時日ヲ要スヘク今後五十日ヲ経ルニアラサレハ被害者一般二漁船ヲ交附スル運ヒニ達セサルヘシ
気仙村ニテハ漁船漁具其他ノ物品ヲ被害者二交附シ金負ラ直接二給附セサル方ヲ取り安部助役之力主任トナリ応急処分ヲナシ居レリ
十三日米崎村二移リ巡視スルニ同村ハ被害ノ寡少ナル地方ナルヲ以テ家屋ノ修繕建築ハ過半竣工セリ然レトモ漁船二至リテハ唯樹木ヲ購求シアルノミ未タ船材ヲ伐出セス払受ケ官材ノ樹木伐採ノ如キハ全ク被害者二放任セルモノノ如シ
更二転シテ小友村ヲ巡視スルニ家屋ハ已二三分一ハ建築ヲ了セリ又船材ノ如キハ自山若シクハ官林二仰キ乾燥ヲ待チテ造船二着手スル見込ナリ同村ハ村長其他ノ尽力二依リ諸般ノ準備硝々渚二就キタルモノト視認セリ
十四日広田村ヲ巡視スルニ同村ハ家屋建築材ハ悉ク官林二仰キ多数ノ職工ヲ雇入レ目下伐採二着手中ナリ又之ヲ監督スル為メニ部落毎二世話掛ヲ置キ隔番二山林二入リ職工ヲ督励シ居レリ然レトモ同村ハ被害ノ甚シキ地方ナルヲ以テ本年中ニハ三分一位建築ノ見込ナルモ来春二至ラサレハ全部ノ成功ヲ告ケサルモノト思考ス又船材ハ多クハ之ヲ民有山林二求メ当時乾燥中ナルヲ以テ不日造船二着手スヘシト難トモ職工二欠乏ヲ告ケ或ハ意外二日数ヲ要スルモ図リ難シ其既二落成スルモノハ十二艘ナリトス
十五日末崎村二入リ巡視スルニ字細浦門ノ浜辺ハ家屋ノ建築小崖掛ハ過半出来セリ元ト同村ハ被害ノ尤モ甚シキ地方ニシテ家屋ノ流失モ亦随ッテ多キカ故二小屋掛建築等二至リテハ尤モ難渋ナルヲ覚フ加フルニ其需用材ハ総ヘテ官林二求メ運搬ノ不便ナルト職工ノ欠乏トニ依り意ノ如ク運ヒ難シ其全ク家屋ノ建築ヲ見ルハ来春二至ルヘシ船材ハ多クハ民有山林ヨリ採リ目下十六艘ヲ造成セリ其他ハ材ノ乾燥ヲ待チテ漸次造船ノ見込ナリ
小友村末崎村ヨリ鉄類釘類,蒲団,糸網ノ類購求方依頼二応シ東京二注文セリ
官林払下ノ件ハ部落至ル処二多少ノ苦情ヲ見聞セリ初メ官林ノ払下二方リテハ多少価格ノ低廉ナルモノト思惟セシモ尺締ノ厳密ナルト不用木ノ多キトニ依リ却ッテ価格ノ不廉ナル憾アルカ為ナリ官林二依リー様ナラスト錐トモ払下木二対シ四分一若クハ三分一ハ不用木(細木ノタメ)二属シ此等モ均シク尺締ノ調査ヲナシ払下タルカ為メニ著シク減木ヲ生スヘク其結果如何ハ頗ル憂慮スル所ナリ之ヲ補ハソト欲セハ再ヒ官林払下ノ手続ヲナスノ外他二途ナキヲ信ス今回ノ巡視ハ気候追々寒冷二向ヒ家屋ノ建築ハー層急ヲ要スヘキ見込二付主トシテ家屋ノ建築ト漁船ノ製造トヲ督励セリ云々(九月十七日付)
又翌年三月二至リ第一区方面受持係ノ報告スル所二云フ
大船渡村
海嘯以来借家生活セルモノモ現今ハ宅地借入計画中ニシテ木材ハ準備セルモノアリ又既二着手セル者モアリ漁具漁網ノ整理ヲ見聞スルニ漁船ハ現在二必要ノ分ハ已二調度シ其他ノ漁期二使用スヘキ漁網漁具ハ準備中ナリ
被服家具ハ目下窮迫ヲ告ケサル丈調度セリ食料救助金其他諸下渡金二対スル受払ハ確実ノ整理ト見聞セリ被害者男女残存ノ数五百九十名ニシテ内漁業従事者大凡百五十名之二要スル漁船ノ数百五十艘其他柴海苔採取二使用セル船数及農業用ノ船数共百三十七艘ニシテ目下就業二差支ナシ
被害者中従来ノ宅地ヲ移転シタルモノハ被害地全般二対シ十中ノニト認ム
義掲金下渡ノ1割ハ積立方法ヲ定メ別二規約ヲ設ケ漁業資本金トスルコトニ協決セリ
本村内船隻ハ流亡残修繕五新造二十二新造中二十五合シテニ百八十七隻ニシテ家屋ハ新造十五修繕二十九仮小屋四十三未着手十計ルニ九十七戸ナリ
赤崎村被害前ノ漁船総数ハ四百六艘ノ所海驕当時残存セルモノ百九十九艘アリ而シテ現今二至リテ被壊船数五十八二対シテ三十五ノ修繕ヲ終へ二十三残艘ハ全ク修繕ヲナスモ収支相償ハサルト使用二堪ヘサル為メ放棄シ流失船数百四十九二対シテハ新造シタルモノ六十三ニシテ尚ホ八十六艘ノ不足ヲ見ルモ今後ハニ十艘余ノ新造アルヘシ
新建家屋ハ将来厩長屋二使用スヘキモノ過半ニシテ実際居宅トナルヘキモノ少ナシト難トモ現今ハ皆之二住居セリ
漁具漁網船ノ整理二至リテハ現在ノ必要二応シ得ヘキモノ義損金等ヲ以テ日常差支ナキ丈ケ之ヲ調度シタリ被服家具ハ専ラ之二充テ救助下賜セラレタル全員以テ目下窮迫ヲ告ケサル丈ケ調度シタリ被害者残存ノ数千二百人ノ男女中漁業二従事スルモノ大凡七百人ニシテ之二要スル漁船等ハ前項二記スルカ如クナルモ中ニハ被害地外ニシテ柴海苔採取二使用スルアリ又ハ農業其他ヲ兼ヌル(専ラ女子ナリ)モノアリテ詳細取調難シ
被害者中従来ノ宅地ヲ移転セソトスルモノ又ハ已二移転シタルモノハ被害地全般二対シ六分及至七分トス家屋ノ新造九十二修繕二十三仮小屋四十四未着手二十六都合百八十五戸綾里村
漁具ノ新造船ト同時二調製シ漁網ハ現今使用二差支ナキ張網ヲ調へ其他赤魚縄飽漁具等モ準備シ共同鮪建網モ漁期二至レハ新設セラルヘシ
被服家具ノ調度ハ毎部落被害者ヲ直接見聞セシニ日用物品ハ已二具備セリ
食料救助金及救済金第一回義椙金小屋掛料恩賜金被服家具料共受払ハ確実ノ整理ト認定セリ
義捐金ノー割ハ名称ヲ変更シ別二規約ヲ設ケ漁業組合小地区積立金トナス事二協議決定ス
救済金及義捐金トモ郵便貯金者五十二人金額二千三百三十二円ニシテ未丁年者及老年者外小屋掛セルモノ等ノ配得二係ル
被害者残存ノ数三百五十名ノ男女中専一漁業者百五十名,新造船,修繕船,元船トモ七十九艘ニシテ以後造船スヘキ数ハ七艘(鰹船ニシテ赤魚漁業ヲ兼ヌ)現今漁業者二対比スレハ船数足ラサルモ?鮑赤魚張網等ノ漁期二至レハ互二便船貸与ノ習慣二因リ船ヲ有セサル漁民モ不便ヲ感セサルヘシ
漁船ハ流亡残四十四造三十一修繕四計ルニ七十九隻家屋ハ新造七十五修繕三仮小屋八十三未着手五十都合二百十一戸
越喜来村
末丁年者ニシテ救済金義損金トモ銀行二預ケ置ノ分積立方法ヲ評定ス
漁具漁網ノ整理如何ヲ調査スルニ漁具ハ新造船ト共二調整シ漁網ハ海嘯以前ト難トモ鮪建網ヲ除ク外些々タルモノニシテ新二拵フヘキ主ナルモノヲ鮭網トシ目下新製中ナリ
被害家具ノ調度ハ各被害者又ハ部落惣代者二就キ直接調査ヲナシタルニ日用物品ハ設備ヲ了セリ
救済金義損金受払ノ整理ハ確実ナリ
被害者将来産業ノ方針ヲ調査スルニ漁業ヲ主トスルモノ百二十六戸中百十二戸許リ造船修繕船共七十九艘以後新造船見込十六艘余漁業者二対比スレハ船数不足ナルモ小漁ハ便船貸与ノ事情アルヲ以テ不便ノ憾ナカルヘシ義指金ノー割被害者各個二配当スル蓄積方法ハ曽テ委任ヲ受ケタル村長二於テ別二規約ヲ設ケ漁業組合規約中小地区積立金トナス
船隻ハ新造三十八修繕三十横浜居留外人寄贈十一計ルニ七十九隻家屋ハ新造四十九修繕二仮小屋五十四未着手十八共二百二十三戸
吉浜村
漁具ノ新造ハ漁船ト相伴ヒ鰐釣具 赤魚釣縄 飽漁具共総テ調度シ漁網ハ鮪建網ノ如キモノニシテ漁期二至リ新調ノ見込ナリ
被服家具ノ調度ハ毎部落被害者ノ居住ヲ直接見聞セシニ日用物品二欠ク事ナキヲ認メタリ食料救済金及第一圓義捕金小屋掛料恩賜金被服家具料共受払確実ナルモ帳簿ノ繁雑ハ目下整理中ナリ
義捐金ノー割ハ名称ヲ変更シ別二規約ヲ設ケ漁業組合小地区ノ基本金二積立ツルコトニ協議決定ス
未丁年者老年者外小屋掛ナキ者二配当ノ救済金及ヒ義損金ハ郵便貯金トセス本人共親類へ已二下渡セシヲ以テ向フー定ノ年間二居家建設マテ保官預置ノ規約証ヲ微スル事トシ月中証書取纏メタリ
被害者残存六十六名ノ男女中漁業専稼者三十名外兼業者九十名都合百二十名二対スル船数四十五艘ナルヲ以テ漁業上二於テハ更二不便ノ憾ナシ
船隻ハ流亡残新造十八修繕二十二計ルニ四十五隻家屋ハ新造修繕仮小屋一未着手二十四共二三十六戸
唐丹村
漁具漁網ノ整理ヲ見聞スルニ漁具ノ新造ハ漁船ト相伴ヒ暢釣具及赤魚釣縄鞄漁具等ハ総ヘテ調製シ漁網ハ三間以下ノ船二用ユル張網等ハ調度セルモ鰯地引網其他ノ共同鮪建網ノ如キハ漁期二至リ新調ノ情況ナリ
被害家具ノ調度ハ毎部落被害者ノヲ居住見聞セシニ日用物品等二欠ク事ナキヲ認メタリ
食料救済金及第一回義捐金小屋掛料恩賜金被服家具料共受払確実ナルモ帳簿繁雑ナルニヨリ目下整理中ナリ義捐金ノー歩ハ名称ヲ変更シ別二規約ヲ設ケ漁業組合小地区ノ基本金二積立ツルコトニ協議決定ス
被害者残存四百七十三名ノ男女中専ラ漁業二従事スルモノニ百六十名外兼業者百名共都合三百六十名ニシテ新造船並二修繕船元船共合セテ六十四艘目下造船着手ノ数ハ十艘ニシテ現今漁業者二対シ船数足ラサルモ暢釣ノ如キハー艘二五名乃至六名乗組漁業ナスヲ以テ不便ヲ見ス赤魚漁ハ五間以上ノ船一艘二十四名乃至十五名乗組目今六艘沖出中ナリ外残余漁業者ハ三間以上ノ船ニテ捕鞄及鱈釣等ヲ営ミ居ルヲ以テ漁民ノ不便ナキモノト認メタリ小屋掛セサル戸数二百六十九戸ノ多キヲ見ルモ本郷ノ如キ及ヒ小白浜ノ如キハ宅地ヲ変更スル見込ニテ其ノ計画中ナリ己二本村字大上野与惣治ハ本郷二所有セル畑地ヲ被害者二寄附シ該寄附畑地ハ被害者十中ノ八,九分一般ノ宅地二決定シ地普請及新築材等準備中ナリ小白浜ハ同所水沢佐太郎外二名ヨリ畑一丁歩余ヲ被害者二宅地トシテ譲与シ近々地普請二取掛ルヘク新築材等モ準備セリ
船隻ハ新造二十九修繕十流亡残十六外人寄贈九合シテ六十四隻家屋ハ新造二十六仮小屋二十九未着手二百六十九都合三百二十四戸
気仙郡授産ノ事ハ以上ノ如クニシテ逐次其歩ヲ進メ生業ヲ回復セリ終リニ明治三十一年二入リテ郡長力申報シタル全郡ノ状況ヲ察スルニ云フ
海嘯罹災地授産世話掛ヲ設ケ災民授産ノ途ヲ開キテ鼓二二年事務略々整頓セルヲ以テ世話掛ノ嘱托ヲ解カルルニ至レリ依リテ本郡内二於ケル授産成績ヲ左二記述ス
ー罹災民生活ノ状況ハ罹災後一昨年中ハ海岸一帯暢漁等数多アリシヲ以テ非常ノ好況ナリシモ昨年ハ至ッテ不漁ナリシノミナラス諸物価非常ノ騰貴二遭遇セルヲ以テ現今困難セルモノ少カラス然レトモ家屋ハ大抵建築済トナリタルヲ以テ雨露ヲ凌キ業務二従事スルニ足レリー旦好漁二際セハ其景況ヲー変スヘキハ勿論ナリ是レ蓋シ海岸地方トシテ免ルヘカラサル所ナリ
ー 災民ノ生業ハ大抵罹災前ノ生業二従事スルニ至レリ然レトモ漁業者家族ニシテ婦女子等ノミ残存セルモノノ如キ業体不適ノモノハ商業二従事セシムル等各々相当ノ職業二転セシモノアリ
ー 船舶漁具等ハ罹災前二比シ減少セリト雖トモ亦其使用者モ減少セルヲ以テ目今漁業上二甚シキ不便ヲ感セス
ー 町村行政ノ状況ハ現今稍々整頓二至リタルモ町村役場ノ流失セル向等ハ行政上不便ヲ感スル カラス前途尚督励ヲ要スヘク而シテ各村ノ資力ハ大二減殺セラレタルヲ以テ町村経済二尠カラサル影響ヲ及ホシ徴税ノ如キモ其納期ヲ失スルモノ頗ル多ク実二困難ノ状アリ概況右ノ如クニシテ罹災者ノ就業及家屋漁船漁具ノ供給
授産二関スル目的モ略ク貫徹シタリト謂フヘシ尚ホ各被害地二於ケル実蹟左表ノ如シ(4月23日付)

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被害地二於ケル実蹟
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1.備考被害前戸数及人ロノ、被害ノ部落於ケノレ戸数人ロノヲ調査セシモノナリ

第6節人的被害

2.明治29年津波死亡者数(盛町洞雲寺大位碑写)

広田村

戸羽順吉外2名 金野長三郎外3名 近藤サキ外1名
戸羽ルハ外3名 同助次外8名 金野貞次外4名
斎藤アツ外3名 黄川田シヤ外3名 村上ハツ外3名
黄川田民雄外7名 村上吉之亟外1名 村上サト外2名
同金三助 同秋之助 小松ハナ外3名
蒲生鶴吉外2名 及川ユキ 前川ユミ
同甚左衛門 同タマエ 及川清之助
前川芳松 戸羽源五郎 小松ナヲ
佐々木栄之助外6名 戸羽キリ外5名 小松勘次外5名
同慶吉外1名 小松米次外2名 同ヒデ
砂田ウマ外1名 砂田トミ外1名 熊谷キヨシ外1名
砂田サイ 砂田ヒメ外2名 戸羽クニ外2名
吉田カメヨ 砂田ハル 砂田音之助外3名
佐藤鶴三外3名 伊勢杣次 出羽大吉外3名
佐藤安治郎外3名 同コリヨ外1名 佐藤サヲ
同順蔵外5名 大磯富蔵 黄川田酉之亟外5名
同竹松外1名 熊谷惣五郎外2名 斎藤源太郎外4名
菅野惣兵衛外1名 吉田ワク外2名 大セツ
小松イフ外1名 鈴木ツタ外4名 佐々木フリ外5名
鈴木元次外2名 同サツサ同六蔵
長野福三郎外2名 伊藤平吉外路 伊藤忽吉外5名
木村熊蔵外4名 吉田文五郎外3名 伊藤音吉外8名
臼井善次郎外5名 同ヨシ外2名 伊藤トミ外3名
吉田酉蔵外6名 菅野徳之助同吉蔵
木村ロり外1名伊藤弥平外5名同真次外1名
同弥次郎外6名 同芳次郎外8名 同勇八外3名
伊藤長十郎外4名 伊藤竹蔵外8名伊藤与市外5名
同芳之介外3名 同幸右衛門外5名 村上長五郎外2名 
臼井夘三郎外1名 同米悟同末吉
同辰吉外1名 同菊太郎菅野福蔵
同庄太郎同新次郎木村庄吉
高松シモ同八左衛門同甚助
鈴木亀松同久悟同梅之助
菅野長蔵外1名 同助左衛門吉田トク
同ミヨ外8名 同音次郎同松治外5名 
同栄作外1名 同ミヨ外4名 同寅之助
田崎鉄蔵臼井富松吉田安吉外8名 
佐々木彦作外5者臼井ツヨ外6名 佐々木与左衛門外1名 
小西ヤシ外4名 佐々木善之助外2名 吉田タマツ
米谷米五郎外5名 村上タツ外2名 鈴木カメ
西条ヤサ外3名 及川吉次郎外4名 米谷ハツ
菅野半蔵外3名 吉田ナカ外2名 村上ナヲ
小松ノシ外2名 臼井サリ外1名 加沢政五郎
小松カツ村上久四郎外2名 千葉良三郎外2名 
佐々木忽之助外4名 大臣栄之助外3名 佐々木与三郎外4名 
石川キク小西スヘ村上馬吉外1名 
佐々木三平外2名 吉田トミ茂木ウメ
佐々木シモ外1名 吉田忠吉吉田庄吉
村上源五郎外3名 境井富次郎外5名 志田ヱヘ
小西三郎平外7名 佐々木志助外4名 熊谷サワ
熊谷繁蔵外4名 久保芳太郎熊谷アキ外3名 
及川庄五郎佐々木ハル外1名 吉田丈之助外5名 
大和田ツル外5名 吉田フヨ外1名 菅野タツ
菅野儀左衛門外2名 大和田スミ外2名 臼井カメヨ外2名 
伊勢サト外1名 菅野ナツ外2名 

赤崎村

今川吉三郎沢田広治郎佐々木トメ外1名 
只野セソ池田留三郎田代金右衛門外1名 
金野伝五郎同十三郎外1名 佐藤キクエ外1名 
三浦キノ外2名 千葉啓四郎外2名 千葉市右衛門外1名 
金野雄之助外1名 金野ツル金野巳之作外6名 
1今野清作外4名 千葉マツ外4名 
金野ナホ佐藤恒衣只野ハツ外1名 
佐藤サクヘ外2名 三浦金右衛門外2名 佐藤治平外2名 
三浦与平治外2名 千葉菊三郎外1名 同菊三郎外2名 
同堅太郎金野養太郎千葉ヨシ
舞良長五郎佐藤福太郎外1名 千葉清之進
三浦クラ外2名 金野ノヘ外2名 三浦ツル
山ロカネ外2名 三浦吉外1名 田代大之助外6名 
田端四和蔵外2名 金野林吉外2名 山ロカネ
同マツ外2名 金野トク外1名 只野ヨシ外2名 
只野ヨシ外1名 只野文吉金野トヨノ
同1トメ山ロトク外1名 同留蔵外3名 
同スヘ外4名 同サト外1名 志田マソ外2名 
石橋健治郎外4名 吉田治助外1名 山ロハッ
吉田ミョノ外1名 吉田吉左衛門外2名 吉田ハツヘ
山口金蔵山口鳥三郎吉田円吉外2名 
志田ハツヘ外9名 同リヨウ外6名 鈴木キツ外2名 
志田覚右衛門外4名 志田ミツノ同勘右衛門外2名 
同キクエ外2名 同清瀬郎小松コイセ
須賀太郎松外2名 志田マツ外2名 小松フヘ外4名 
鈴木養之進鈴木キヨノ小松タツ
小松島六外5名 小松リツ外1名 小松コナミ
志田トメ外4名 志田豊吉鈴木キソ外1名 
小松民六外2名 須賀喜左衛門志田イク外1名 
今野スヘ志田ジニソ外1名 志田ウメ
志田兵五郎外3名 田村ウシ外3名 志田タケ外4名 
志田弥喜外6名 志田巳代外4名 志田ハル外1名 
田村徳三郎外1名 志田ユキノ外3名 和田五三郎
石橋春治笠原与右衛門外2名 志田平太夫外2名 
志田マレ外3名 熊沢コヨ志田菊治外1名 
志田ヤス外1名 中山六之進外3名 志田喜右衛門外2名 
浦島ソテ鎌田康吉志田譲右衛門外1名 
志田カル外1名 沢田トモヘ外3名 志田トミ外1名 
同岩五郎鳥沢虎之助外2名 同ミハ外1名 
東雷蔵外4名 浦島初治郎森ミヨシ
千葉トワ森半蔵外3名 千葉ノリ外5名 
石橋ヤナ外1名 鎌田初五郎外1名 同スミ外1名 
東ナミヘ鎌田平右衛門外1名 石橋ハツヘ外2名 
崎山清十郎外2名 同巳ノ吉外1名 1司寿
志田マス浦島即三郎東八左夫
石橋権の助大畑幸作外1名 志田徳太郎
同印八外4名 同シキ外6名 磯谷トミヘ外2名 
田中イロ外1名 同ヨシ男外3名 同フノ外3名 
磯谷三之助志田卯左衛門外1名 同長三郎外5名 
同勇五郎外1名 磯谷権之助義沢源之亟
台勘十郎磯谷林太郎外1名 同ツル
大浜六之亟同ケラ外2名 西内弥右衛門外2名 
比田トリ外5名 同仁作外4名 上野愛蔵外4名 
比田源右衛門外4名 古内福治外8名 上野福之亟外5名 
古内覚左衛門外9名 上野栄蔵外12名 同スヘ外1名 
同力子外2名 同和五郎外7名 佐藤栄助外3名 
村上卯之吉外4名 渡辺夘三郎外1名 

大船渡村

川原由助外8名 中田エシ及川ナツ
小西イク外6名 中村サヨノ外2名 大和田ハツノ外2名 
新井新之助新沼辺蔵外3名 中村アキ
佐藤徳右衛門外2名 佐藤タヘ外2名 同馬吉
川原久五郎外2名 中田フク後藤亀五郎外3名 
同平作外1名 及川レン新沼ナツ外3名 
同チヤウ外2名 同テイ外2名 浦島藤吉外4名 
小畑トミ外3名 佐藤トク新沼セキ
佐藤慶五郎外1名 新沼儀三郎外2名 佐藤ヨズ外3名 
同ヨシ新沼ツルヨ新沼昇
平山芳次外1名 佐藤ラチウ外1名 佐藤ミケ
平山ハマ新沼芳松及川駒治
佐藤弥右衛門中村トシ外2名 小畑専七
新沼マツ佐東儀一郎1佐々木運太郎
浜田永治外1名 新沼ナラヘ外1名 佐藤由兵衛
平山三太郎同伊太郎山本重吉
木下谷蔵及川フク外1名 平山ユリ
矢作ノフ及川惣五郎佐藤半助外3名 
栗村福治浜田フツノ新沼シヘノ外2名 

綾里村

板本万太郎外6名 川原惣次郎外4名 川下十松外3名 
熊谷喜平次外4名 吉田安蔵外4名 館下吉右衛門外6名 
同民蔵外6名 熊谷円蔵外3名 鈴木永吉外7名 
今野亀吉外7名 田中駒吉外1名 竹沢弥五郎外6名 
,村上ハル小川由助右川値究外4名 
鈴木弥五右衛門外2名 野沢久治外2名 沢村丈作外7名 
山下トミ外6名 野々村善作外7名 同勇太郎外3名 
橋本庄吾外4名 野々村藤蔵外5名 村上関治外3名 
橋本兵悟外10名 村中吉助外3名 古沢市三外4名 
室熊治外4名 入沢ミヨ外1名 同キク
入沢新三外3名 館脇弥十郎外1娼同駒太郎外3名 
小坪豊三郎外6名 古沢長右衛門外4名 館脇寅治外4名 
橋本三五郎外6名 尾坪豊三郎外4名 館脇太三郎外8名 
同干治外8名 熊谷栄蔵外5名 同権三郎外5名 
木下豊松外1名 同惣次郎外3名 同弥之助外4名 
山岸鳥五郎外5名 熊谷助右衛門外2名 同夘三郎外1名 
木下弥八外12名 新谷利蔵外3名 村上福治外4名 
同円之助外3名 同甚作外6名 仮谷鳥松外5名 
仮谷鳥蔵外8名 鳥越ワカ外4名 室音次郎外1名 
村上佐蔵西風栄三外3名 同ツネ外3名 
同三太外6名 館脇五蔵外6名 木下安吉外4名 
中村庭蔵熊谷トメ外1名 岸釜トメ外2名 
同ナツ山下ウメ外5名 川上金兵衛外1名 
川向丈吉外10名 中島福蔵外8名 中島大三郎外4名 
千葉久左衛門外4名 新沼ナカ外1名 小西深作外5名 
泉利吉外3名 大西イツ外1略新沼治郎外5名 
同亀蔵外8名 泉カツコ外2名 佐東与助外1名 
中嶋治兵衛外2名 千田徳蔵外4名 新沼征蔵外8名 
新沼春次外2名 泉留次郎外4名 新沼万之助外5名 
泉述三郎外3名 泉留蔵外3名 同文左衛門外3名 
同三之助外4名 同政蔵外2名 中島シセ
葛西源七外5名 和田述次郎外1名 浦島熊治外g名 
千田市兵衛外3名 米沢銀作外7名 菅野スワ外8名 
村上浦治外7名 佐々木長四郎外4名 橋本クヨ外7名 
橋本熊五郎佐々木サシ外2名 及川テン外4名 
山崎トヨ外3名 山下ツヨ外5名 米沢与平次外略
村上スウ外4名 吉田与次右衛門外2名 砂金竹三郎外5名 
佐々木金吉外2名 千葉初吉外9名 千葉留次外6名 
鈴木国次外3名 清水ウメ村上与三郎外3名 
佐々木勘助砂金覚治外3名 村上三太外8名 
熊谷マツ橋本安治外5名 木下ナラ外3名 
村上市三郎外4名 同サヨ外2名 同深作外7名 
同広次外10名 千田鶴次外1名 柏丈治外2名 
館脇庄作外3名 和田庄七外2二名 館脇清五郎外2名 
佐藤市三郎外1名 米沢忠作外2名 
野々村与次右衛門外8名 東川勇吉外5名 
米沢民次外3名 熊谷大三郎外3名 米川幸吉外4名 
砂金善次外7名 千葉東吉外4名 村上マツヘ
千田与太郎外7名 佐藤夘三郎外5名 橋本栄吉外6名 
米沢忠兵衛外5名 里見松蔵外4名 佐藤長蔵外5名 
佐々木長吉外3名 柏木ヨシ外3名 鈴木菊裕外2名 
大森直松外5名 浦嶋勝之助外8名 和田駒松外4名 
村上吉蔵外9名 和田サン外2名 佐々木リキ外3名 
山本カン外5名 和田吉兵衛外3名 和田仁吉外4名 
植木利七外3名 米沢トキ熊谷裕之助外4名 
鈴木利蔵外4名 千葉豊吉外1名 大平ヨシ外5名 
館脇弥助外2名 西村泉一外5名 野々村東次郎外3名 
中嶋銀蔵外4名 藤田源四郎外2名 野々村健助外4名 
村上善兵衛外9名 新沼寅蔵外2名 小野トミ外2名 
中和野政右衛門外1名 菅野多利七外1名 
及川富右衛門外2名 松田長松名 1名 松本市十郎外1名 
菊地村吉根守専太郎外5名 遠藤純蔵外1名 
松田隆征千田米作外3名 鈴木惣太郎外3名 
千葉松助外3名 染長三助外3名 山崎甚七外5名 
柴田キヨ外5名 山崎作右衛門外7名 同豊吉外4名 
山岸マツ外2名 千葉養蔵外6名 柴田新八外6名 
東川勘助外3名 柴田大蔵外2名 千葉平五郎外3名 
同フカ同イツ外1名 同福三郎外3名 
佐々木三之助外4名 千葉民治外5名 同新三郎
千田寅蔵外1名 千田シモ同リキ外1名 
小坪鶴松千田儀助外3名 大坪ノツ
千田リキヨ外3名 同治四郎同ヒテ外4名 
大坪シモ外1名 畑中マツヨ佐々木深作外1名 
橋本茂太郎佐々木栄五郎外1名 坂本マジ外1名 
岩沢藤治外4名 尾形カル外3名 岩沢三之助外5名 
同幸作外7名 小槌巳吉佐々木松吉外9名 
板本カネ外1名 板本福松畑中勇七
森田栄蔵佐々木万治千葉キク
鈴木セナ外1名 佐藤キク外1名 同キノ名 1名 
同仁吉同甚蔵外2名 村上巳之作外12名 
前野豊吉外6名 久保トメ外3名 佐藤三八
熊谷利八川上カネ外1名 細谷マシ
田中又蔵外5名 熊谷忠三郎外3名 同熊治外3名 
小向養吉外3名 熊谷金蔵外2名 同長吉外12名 
向沢イヨ外5名 熊谷円次外4名 一同平左衛門外9名 
千田フヨ外7名 西野彦三郎外3名 熊谷熊造外6名 
同忠七外5名 同浅治外3名 沢与平次外2名 
川畑仁右衛門外6名 道下金五郎外5名 道畑源十郎外6名 
同鶴松外4名 熊谷金作外10名 新沼三二郎外2名 
小向カメ熊谷夘蔵外7名 同新蔵外7名 
同文吉外5名 西野甚作外3名 村上作右衛門外7名 
橋本山次郎外1名 大久保久左衛門外1名 村上栄作外3名 
山崎甚之助外7名 船渡門蔵山崎甚之助外7名 
富沢賀蔵外6名 小浜新岸外5名 向井留作
千田ツヨ森サワ千田ツキ
川原伝治外6名 下田善吉外7名 新沼富蔵外2名 専
同リヨ外2名 佐々木亀吉同忠吉外6名 
松川市七外2名 松川ヨシ佐々木寅吉外3名 
同治三郎外4名 川原巳之互外2名 富崎マソ外2名 
滝田長七外1名 佐藤作次外2名 同ナシ外2名 
細谷マン外5名 同喜十郎外1名 田中福松外6名 
板本ヨネ中嶋運蔵外4名 村上コサン外3名 

唐丹村

河東ハルヘ同準丈外3外清水マツノ外1名 
同夘之松外2名 岩沢タマ外1名 尾形善之亟外4名 
水戸喜蔵外3名 尾形留之助外3名 鈴木徳蔵外5名 
千葉辰之助外3名 鈴木岩光外3名 菊地熊吉外2名 
磯端ミカ留畑市三郎外8名 同ロシ外1名 
尾形栄之助外4名 岩畑夘之助外1名 千葉サン外4名 
尾形子之松葛西松四郎外3名 鈴木ヨシ
小沢伊之助外1名 三島歌蔵外7名 小沢コマツ外3名 
木村助太郎外4名 同勇助外1名 鈴木富助外4名 
留畑市之亟外6名 同喜代治外3名 松井忠助外4名 
中村伊七松外2名 同富次外1名 河戸伝五郎外5名 
磯野伊蔵外3名 同平助外3名 尾形平左衛門外2名 
岩沢文一郎外4名 尾形コマソ外1名 井上ヱン外2名 
磯崎マコ外1名 磯崎イセノ外2名 高橋庄兵衛外1名 
佐々木安兵衛外1名 河原丈吉外2名 千葉コセツ外4名 
河原丑松外6名 上野栄吉外1名 千葉安光外4名 
清水レソ山崎善之助外1名 上野万蔵外1名 
上野庄之助外8名 同平作外2名 三浦市治外8名 
上村伝治外8名 同留三郎外6名 三浦伝福外5名 
菊地久助外2名 山崎タケ井上コヤシ外3名 
板乗清吉外6名 尾形与七外3名 尾形源蔵外1名 
三浦弥兵衛外6名 同丑治外6名 井上ハツ
河原留五郎外3名 佐々木シゲ外2名 小野惣六外7名 
木村与之助外5名 木村市之助外9名 片山イツ
井上泰吾外1名 上野ダニ外3名 川村キヨ外5名 
井上清左衛門外4名 水沢イセ外3名 岩沢霜五郎外3名 
小林勘三外3名 村上善治外4名 木村徳治外1名 
木村勘之助外3名 俵伝四郎外7名 佐々木五郎外1名 
同栄助外3名 同七之助外2名 木村トラ外3名 
大沢蔵四郎外8名 奥寿五郎外4名 大沢伊左衛門外5名 
上野勉五右衛門外5名 木村万吉外4名 尾形桃蔵外4名 
木村サツ外3名 清水トヨズ外1名 鈴木忠吉
尾形駒吉外5名 千葉福蔵外6名 千葉金五郎外4名 
上野平吉外4名 松田コサシ外3名 高橋林兵衛外8名 
木村伝三外5名 小野キツ外6名 木村丑三郎外2名 
尾形兵三外5名 千葉源八外2名 小野重之助外3名 
千葉カン外3名 鈴木春三外3名 千葉イツ外1名 
同伝三外4名 板乗八十外1名 木村サワ外1名 
高橋留四郎外2名 木村与助外2名 木村与右衛門外5名 
三浦トミヘ外3名 鈴木伊蔵木村専之助
木村熊吉千葉1キノ鈴木栄三郎外1名 
木村竹三郎外2名 岩沢コヤシ上村トクノ
千葉鉄五郎外5名 上村コマサ外2名 木村ラク外3名 
上村惣五郎外5名 板乗夘三郎外1名 上村夘太郎外4名 
三浦助松外5名 吉野六三郎外2名 高橋林四郎外2名 
上野新吉外3名 山沢イチ名 4名 同芳蔵外1名 
同仁蔵外3名 同康吉外3名 葛西幸治郎外1名 
佐々木志吉外7名 同源四郎外7名 葛西庄七外5名 
佐々木善作外8名 同平作外4名 佐野久三郎外2名 
鈴木サツ外4名 栗沢安兵衛外8名 三浦熊五郎外6名 
村上デン外3名 栗村新左衛門外3名 葛西カメエ外3名 
佐々木善四郎外5名 葛西菊治外g名 曽根治三郎外4名 
佐々木伝蔵外9名 千葉弥右衛門外1名 村上イト外4名 
小浜サソ外2名 村上音松外3名 鈴木文吉外2名 
葛西伊七松外6名 佐々木ヨデコ外3名 千葉甚作外3外
村上音四郎外4名 佐野サノ外4名 曽根春松外3名 
小梨庄左衛門外4名 村上ユキ外7名 葛西平七外3名 
同庄八外4名 猪川庄次外1名 上野与蔵外3名 
砂野菊八外5名 三浦駒之助外3名 佐々木清松外3名 
千葉ツ子外2名 柏マツ外1名 葛西養助外5名 
水沢芳平外1名 鈴木市郎外2名 同繁治外2名 
千葉弥蔵外4名 葛西勘六外1名 三浦嘉門外6名 
枡谷留吉外2名 鈴木与六外銘村上直左衛門外2名 
三浦丑太郎外4名 枡賀嘉太郎外1名 佐々木伝五郎外6名 
中村庄助外6名 葛西源内外1名 葛西昇外2名 
同善松外3名 木下清三郎外3名 佐藤彦松外7名 
中田サツ外6名 千葉与右衛門外4名 佐久間惣五郎外4名 
越後亀松外2名 鈴木トク外1名 佐久間市右衛門外5名 
武山三右衛門外5名 千葉儀八郎外2名 細川長兵衛外5名 
佐々木サト外5名 同孫三郎外3名 千葉留之助外6名 
木下鶴松外3名 三浦久五郎外1名 笹山トヨ外1名 
伊勢利右衛門外8名 佐久間善次郎外1名 
佐々木三十郎外12名 小的清太郎外5名 大木長治外3名 
佐藤巳八外1名 三浦タノ外1名 千葉新作外1名 
中細嘉七外2名 小浜貞吉外4名 岩崎佐吉外5名 
三浦金蔵外4名 葛西利右衛門外4名 小的伝七外4名 
三浦サノ外4名 山崎竹七外3名 鈴木歌吉外7名 
小池サヨ外2名 鈴木夘太郎外5名 佐々木長蔵外1.名 
岩城ヨテコ外4名 平館伝作外4名 佐野慶蔵外2名 
佐藤富次外5名 元木テン外6名 葛西キヘ外3名 
三浦吉三郎外6名 同芳四郎外6名 菊地伝丙外4名 
上野兵次外6名 萎西ユリ外2名 川畑亀蔵外10名 
大木亀吉外8名 葛西フク外4名 同善十郎外9名 
小浜庄吉外2名 佐久間幸三郎外2名 鈴木ミワ外4名 
佐々木清五郎外9名 曽根与之助外6名 上野千太郎外5名 
千葉トラ外2名 上野キヨ外2名 三浦万蔵外5名 
岩城フツ外8名 千葉富助外4名 三浦助太郎外5名 
岩城キノ外2名 三浦ヤマン外5名 鈴木清之亟外3名 
三浦ツル外2名 同トキ外5名 同与四郎外6名 
三浦善吉外1名 佐々木常助外4名 葛西善吉外1名 
同万之亟外3名 鈴木ヨシ外6名 川畑大蔵外1名 
木村征助外2名 三浦与吉外7名 蘭賀宮松外5名 
三浦アサ外3名 佐久間善五郎外3名 川畑イト
小沢伊三助外3名 金野達蔵元木マツ外2名 
板桑夘太郎外4名 板桑ナツ外2名 曽根タメヨ外4名 
高木コナヨ外1名 岩本新蔵外5名 曽根ハル外1名 
佐々木吉之助外2名 小浜竹次外4名 三浦平兵衛外4名 
木下脇之助外5名 遠野ヒナ外2名 岩沢ヤツ外1名 、
阿部ハルヘ外1名 千葉亀之助外2名 山沢幸吉外1名 
佐々木喜多助外2名 三浦キクノ外3名 
佐々木勘次郎外3名 佐々木巳之吉外1名 
大滝久右衛門外4名 同銀蔵外7名 合沢ヨシ外3名 
同文蔵外6名 矢浦フミ外4名 佐々木マサ外5名 
同サノ外2名 同善太郎外1名 同文三郎外6名 
鳥居字八外6名 佐々木勘四郎夕悔名 佐々木伊七蔵外10名 
同長次外6名 佐々木長七外8名 鳥居キノ外2名 
佐々木コハル外3名 同フリ外2名 同仁八外3名 
鳥居留松外8名 同源右衛門外7名 川原ヨシ外7名 
匡六右衛門外5名 大滝安右衛門外6名 佐々木亀太外4名 
佐々木タマ外2名 同彦三郎外5名 合沢ナヨ外5名 
佐々木ハル外2名 大滝彦吉外7名 佐々木善右衛門外6名 
同与吉外4名 同夘右衛門外7名 鳥居マツヘ外7名 
佐々木千三郎名 4名 佐久間市之助外1名 原桃次外2名 
佐々木ミノ外1名 橋本安五郎外1名 同岩五郎外3名 
中村コフク外1名 同倉松外2名 木下勘次郎
熊沢アサノ外2名 松本甚三郎外5名 熊谷音吉外5名 
同夘吉外4名 熊谷亀吉外4名 川原伊惣太外5名 
鈴木菊松外5名 同長征外2名 雪西ミケ外6名 
湯浅源太郎外2名 中村久八外2名 雪西治三郎外3名 
角地ハル外6名 大川原ヨシ外3名 曽根仁右衛門外6名 
松本三之助外7名 小下甚之助外4名 沢田佐次郎外2名 
高橋庄次郎外3名 青山文四郎郷六甚蔵
村上ツヨノ外3名 大向ミン上野甚四郎
下野ツルヘ鈴木キク

気仙村

細田惣吉米谷ヨネ外1名 細田万喜
菅野多利七黒沢ハツ・中山清吉
鈴木サヨ河野ナカ同ミサホ
佐々木源太郎吉田喜平太外2名 同キク
同吉之助外1名 伊藤久吉藤原新吉外1名 
河野ノヘ伊藤フク外1名 大坂倉松
同フツヘ菊田モン松田紋之助
熊谷平作吉田旨外1名 熊谷夘吉外1名 
吉田マツ菅野アク外1名 佐々木ミハル
武蔵トメ村上マン菅野コウメ

米崎村

熊谷カネ外1名 佐々木芳兵衛外2名 吉田善喜
吉田タキ外1名 佐々木ウメヨ同マサヨ
吉田善吉大和田ナヲヘ金野トミ
新沼カシク外2名 佐藤鶴吉吉田ヲヘチ
熊谷ナク外1名 菅原セン吉田秀三郎
金野運三外2名 吉田善五郎

吉浜村

横石コン外1名 橋本与作外4名 横尾フテ名 1名 
柏崎金三郎外7名 同弥右衛門外6名 菊地幸助外9名 
新沼文吉外7名 三浦長右衛門外3名 同末吉外5名 
柏崎歳三郎外11名 荒川甚蔵外2名 柏崎儀三郎外9名 
同紋三郎外11名 相田ユワ外2名 柏崎安之助外4名 
同常蔵外2名 同久太郎外5名 同米蔵外3名 
同留作外7名 木川田丑蔵外2名 柏崎菊之助外3名 
同セキ外5名 木川田八百吉外5名 柿崎珍三
岡崎キタエ外3名 新沼ハツ外2名 磯崎シワ
岡崎ハル外4名 柏崎マツノ渡辺リキ外2名 
三浦キノ佐藤陳蔵外1名 松田ヒヤク外2名 
中井市吉横田鉄之助新沼長治郎外1名 
小松イサ小松仁右衛門柏崎熊次外1名 
岡崎嘉七新沼民蔵楳木沢甚七外1名 
岡崎亀太郎外1名 同ユタヨ小松与蔵
新沼サト館下キョ庄司ナヲ
菊地久蔵同ロク外1名 中根タヲ外1名 
中井清治郎東コハル菊地ヨモヘ
木川田トモヘ

越喜来村

及川市十郎外1名 見世マツ木下岩三名 3名 
東庄三郎外8名 同ヱン外4名 同ユキ
同シノ外2名 同ミネ外2名 及川マシ
富沢甚助外3名 見世久兵衛外1名 、中野治右衛門外2名 
東兵吉外1名 大上竹治富沢市次郎
川畑兵蔵外5名 橋本サワヘ外2名 及川夘三郎外4名 
西野富作外1名 下館ソノ外2名 新沼セン
遠野トメ外2名 新沼千蔵外2名 新沼亟三郎外5名 
遠野初蔵外2名 刈谷丈作外1名 新沼リノ外1名 
門田勝次郎外1名 及川甚作外3名 岩城兵左衛門外1名 
川畑トヨ山下庄之助外1名 滝沢ユリ外1名 
上野芳吉及川コン外1名 橋本音次外1名 
門田千蔵外6名 及川清衣郎外5名 川畑庄作外7名 
中嶋与七外4名 同リセ外0名 同五平外3名 
刈谷ツル外1名 同初助川畑与左衛門外3名 
同万才外5名 畑中和蔵外5名 横沢清右衛門外3名 
中嶋元助外6名 同フミ外2名 上野善左衛門
遠藤三右衛門外1名 中嶋キク及川甚之亟外2名 
川畑治右衛門中島ハヨ刈谷フサ外6名 
西村新七外7名 同善助江刺イク外4名 
樋口菊蔵及川イケ外1名 森清治
森辰治外4名 及川ヨシ山内シヲ外1名 
佐々木三次外8名 若林弥左衛門外2名 田中留蔵
同コノ外2名 若林権之助田村三六外2各
熊谷松治郎及川八重蔵同トミ外2名 
黄川サヨ熊谷久四郎外2名 村上ハリ
境谷ヤナ里見鶴太郎嘉志ツユ外1名 
里見平七外4名 平田留蔵外3名 今野長十郎
及川フヨ外2名 平田シナ外1名 平田キクノ
西村ヤナ外2名 清水留吉同朝治外1名 
今野トメ及川富右衛門外2名 沢田ッヨ外1名 
同カメヨ斎藤ハルノ及川イチ外1名 
橋本ムメ小沢養吉外2名 同トヨ外2名 
及川ヱイ同ムメ外2名 同ハツヱ外5名 
三浦キクノ川原国次外2名 同ヨシ外3名 
同留蔵外4名 及川富蔵外4名 同喜一郎外3名 
斎藤万三郎外3名 岡沢コン江刺太助
橋本吉之助外1名 角地トマ同治助外3名 
江刺ハナ外2名 西村千福外1名 新沼権蔵外3名 
掛川寛治柳本松五郎外1外金野伊作
及川マツ角地シモ鎌沢久六外1名 
及川四郎右衛門外4名 同菊蔵外5名 古水ヤナ
及川四郎作外2名 熊谷春治外3名 同弥之助外3名 
同仁右衛門同富治外4名 鈴木リン外3名 
及川常之助外3名 田中大福外2名 及川ミトリ外3名 
鈴木ユキ外2名 鎌沢仁蔵外4名 及川与吉外5名 
同重治外7名 鈴木久米蔵大津ヨシノ
水野熊太郎外1名 世浦トメ外1名 葉沢久米治郎
前田源七同留蔵古内ツマ
同イロ外3名 清水市五郎外2名 古内弥之助

末崎村

近藤富蔵外2名 同シノ外5名 新沼政治外!1名 
佐々木綱治外3名 同ワキ外1名 村上夘右衛門外5名 
新沼助十郎外2名 村上菊治近藤忠助外7名 
村上ツヘ滝田マキ外1名 佐々木昇外4名 
梅沢佐吉外3名 村上勘次外8名 高橋清五郎外3名 
同源治外1名 新沼エミ外1名 同庄兵衛外5名 
高橋儀之助外5名 同文衣郎村上初太郎外4名 
滝田忠蔵外2名 同留右衛門外2名 同カメヨ
同ヤシ村上フク外2名 新沼善七外6名 
滝田太之助外1名 村上良蔵外4名 同ツルノ外2名 
志田トク村上長作外4名 近藤アキ外3名 
村上辰次郎外3名 滝田庄吉外4名 近藤ミヲ外5名 
楳沢寅之助外2名 近藤清平外2名 滝田芳兵衛外5名 
岩脇庄三郎外3名 横沢キク外1名 同三之助
村上キク外2名 近藤ツル近藤トル外3名 
村上ヨシ外2名 近藤啓治村上マツ外2名 
梅沢竹蔵外4名 近藤モモ外2名 同夘左衛門
同清九郎外7名 志田富蔵外7名 近藤善次郎外2名 
熊谷長吉外9名 菊地長右衛門外1名 熊谷エソ外2名 
同幸助外5名 同与蔵近藤治四郎外3名 
岩脇太郎治外3名 近藤ヨシ外1名 岩脇佐太郎外5名 
村上トメ藤沢トリ熊谷ワキ外1名 
渡辺フク外1名 熊谷桐三郎外5名 松岡深松外3名 
渡辺トク外2名 渡部鶴蔵外3名 熊谷万作外2名 
松岡清太夫村上コナ外1名 佐竹キy
村上セツ外2名 館本ソノ外5名 管原ウルヘ
久米チヨノ外3名 紀室吉五郎志田ヲキ
後藤ナミ同与十郎小松シツ外1名 
武田シメ細川タケ外1名 同亀五郎
大友スモ同三吉同川次郎名 2名 
大友フミ外1名 同テン小松善三郎
同シケ外4名 木村寅之助外2名 尾形リノ外4名 
同リセ外2名 武田吉郎兵衛外3名 村上市之亟
同長三郎外2名 浜守ハル外2名 村上サノ外4名 
同キン外8名 同リヘ外2名 村上林作外6名 
浜守シモ外3名 大和田ヲリ外1名 同作右衛門外6名 
同多惣次外4名 同喜十郎外5名 同徳三郎外5名 
及川リン外1名 浜守シワ外2名 村上ナツ
大幾フテ外2名 熊谷熊右衛門外1名 大和田シノ外1名 
同完太郎外3名 浜守三十郎外8名 尾崎シノ外1名 
後藤吉郎次外7名 村上徳三郎外3名 管原ミツ外1名 
熊谷久治郎外3名 村上キイ外7名 同力右衛門外2名 
鎌田喜三郎外9名 熊谷吉五郎外6名 同福松外8名 
鎌田値兵衛外4名 村上与三郎外1名 熊谷ヨシ外3名 
佐々木十治郎外9名 熊谷辰十郎外2名 同甚兵衛外3名 
佐々木権作外3名 大幾タマ外5名 熊谷勝左郎外4名 
同音吉外4名 同松兵衛外7名 同喜伝松外6名 
同松蔵外9名 同辰次郎外4名 古座権兵衛外2名 
佐々木トミ志田宰蔵外2名 同ツト外1名 
佐々木徳四郎外2名 鎌田福三郎佐々木ナツ
同民治郎同アキ同勘五郎外1名 
鈴木トミヘ村上養作外2名 同サク外5名 
小松ヨネ外2名 村上キク外3名 小松福三郎外5名 
小松弥惣八外6名 同鶴松外5名 同真吉外3名 
田畑紋兵衛外5名 同ヨシ外4名 同栄三郎外8名 
村上平吉外1名 同イセ田山フク外3名 
小山アキ外4名 中島トメ外4名 同キノ外3名 
新沼サト菅原ヱサホ外1名 紀室チトリ
浅野鶴之進滝田ハルヨ村上実
新沼ヨシ菅原芳蔵外4名 浅野竹治外4名 
菅原善吉外3名 村上マツ菅原福松
同ヨシ外2名 同金兵衛外2名 上部ミヨノ
古沢八右衛門外7名 村上フク尾形ヨシイ
村上シモ大和田リン山本熊治
同チトリ熊谷ヲリ尾崎モモ
浜守トヨノ滝田エソ小松ウルヘ
鎌田コキク吉田吉七郎村上サク
後藤フミョ大和田吉太郎新沼菊蔵
近藤スワ

小友村

戸羽チョ同与治右衛門外3名 同カン外3名 
同庄太郎外2名 同千作外2名 同テフ外4名 
斎藤伊惣次外5名 同ツル外2名 同治惣平外4名 
同熊吉外3名 黄川田福蔵外8名 戸羽佐十郎外1名 
同芳之助外4名 同トメ外3名 1司安太郎外4名 
同サキ外2名 1司城治外2名 及川角治
同助三郎同トミ外4名 戸羽サト外3名 
同芳村外3名 同ミツ外1名 同利平外4名 
戸羽利三郎外6名 同彦四郎外8名 佐々木勝吉外5名 
同寅作外1名 同三蔵外6名 志田忠作外3名 
戸羽駒太郎同ヤリ外4名 戸羽イク外1名 
同乙衛右門同喜左衛門外3名 同善三郎外3名 
同イセ外3名 同重五郎外1名 同ヤス外2名 
同ヨシノ外1名 柴田トヨノ同ハツ
黄川田嘉右門外3名 新藤円蔵外6名 同治五平外1名 
金野キヨ外4名 石川ヒロ外1名 村上チリ外1名 
金藤門蔵外8名 金沢駒吉外2名 熊谷ツル
黄川田ハル同アキノ佐々木アキノ
鈴木甚吉内館桃吉岡田イワ外1名 
千葉辰之助外2名 内館サマ外1名 中井イサキ
千葉力子同トメ

高田町

佐々木トク佐々木ヤシ外3名 阿部芳兵衛外1名 
和田幸七

盛町

佐々木シモ

立根村

千葉清左衛門 同庄右衛門 岩城寅蔵
姓不詳ユミ 同七五郎 千葉福松

高田町

九郎兵衛

盛町

中村征治

日頃市村

新沼譲右衛門 三浦三太郎 佐々木大治

猪川村

千葉直広 佐々木イク 田村藤吉
姓不詳カナ 同竹治

有住村

姓不詳広吉 佐々木留松

日頃市村

上野儀之助

竹駒村

姓不詳太郎兵衛

盛岡小友ニテ溺死

上田貞政外2名 

稗貫郡人

小友村二寄留
山口喜代松外1名 

他県人小友二寄留

姫野専太郎
1越喜末村 死亡戸数150戸 死者合計248名 
1大船渡村 死亡戸数58戸 死者合計121名 
1唐丹村 死亡戸数375戸 死者合計1,744名 
1赤崎村 死亡戸数172戸 死者合計474名
1綾里村 死亡戸教296戸 死者合計1,344名
1広田村 死亡戸数164戸 死者合計507名
1気仙村 死亡戸数30戸 死者合計47名
1米崎村 死亡戸数7戸 死老合計57名
1末崎村 死亡戸数207戸 死者合計708名
1吉浜村 死亡戸数56戸 死者合計189名
1小友村 死亡戸数61戸 死者合計209名
総計1,576戸5,648名 
内大船渡市内
437戸1,303名

第3章昭和8年3月3日の津波記録

第1節襲来の状況,被害の状況

1.昭和8年の津波襲来時刻及び状況

盛岡測候所調査
発震時  午前2時31分39秒
初期微動継続時間  32秒
主要動継続時間  3分40秒
総震動時間  約1時間余
最大振幅  40粍
震度及性質  強震の緩
震央方向  東南東
同距離  盛岡より240粁
震央地  釜石真東約170粁
気仙郡海嘯誌(盛農学校編)

地震後約20分を経て(午前2時52分)大砲の轟くが如き大音響を聞き海上に閃光きらめき毒竜の荒狂うが如き大うねりと化し大津波三陸の海岸線を襲ひ忽ちにして幾万の建築物を流失倒潰せしめ2千数百余の生霊を害い又更に巨万の財宝を失ひ通信交通機関を壊滅に帰せしめたり蓋し当地にありては明治29年以来の天災如何なる文字を以てするも此の戦慄すべき棲愴たる光景を髪髭せしむる事能はず此の恐怖の極にある時に当り彩多の余震頻々として続発し沿岸の住民は再び津波を伴ふ強震来るあらざるやを怖れ人心極度に動揺せり3月3日に於ける地震回数地震計に感ぜしものは368回人体に感ぜしもの15回3月4日には地震計に感ぜしもの67回人体に感ぜしもの8回3,4両日にて地震計に感ぜしもの435回人体に感ぜしもの23回,3月22日迄の余震回数は800回余,以上の如く数多の余震続発すると錐も此は大震に伴ふ余震の順調なる発現と若干の群発性を有するものなる為にして次第に余震勢力弱衰の傾向を示せり,一般の余震の強さは本震に勝ることなく日数を経るに従ひ漸次減じ行くを以て余震は恐るべきものに非ず。本震は藁タスカロラ海溝黛付近に発現せる所謂深海性地震に属すべきものにして,今村恒博士の説の如く海底に於けに地塊運動なるべし今回の大津波に対しその原因を海底火山の噴出と思惟する向もあれど火山噴出の際は震地の感ずる範囲極めて狭きを普通とす,然るに今回の如きはイギリスにも感じたり故に海底の地震に帰すべきや論なし而して又海底地震はユラユラと腰弱く震動亦緩漫なり,これ又本地震の性質と一致する所なり。

2.気仙各地の被害状況

唐丹村
唐丹村は純然たる漁村にして食糧品欠乏,交通不便なるを以て配給の手届かず全く見るに堪えざるものなり,荒川部落の海底地にありし部落流失せり,津波襲来せんとするや「津波だ逃げろ」の声と共に大低避難せり。某女は金を持ち出さんともじもじし居れり之を見たる隣の爺さん来り「津波だ逃げろ」と木の棒を以て其の女を打ち後より押し追ひ立てて避難せしめ助かるを得たると。小白浜部落は海岸通りの家屋全部流失一物を止めず,只高所にある小学校,病院,郵便局通り僅かに残れるのみ,当夜は夜警,巡回中強震を感じ其の後常になき程の干潮となり海中に碇泊せる発動機船は引潮の為不安定となりゴロゴロし居るを認めこれは津波襲来の前兆なりと知り「津波だ逃げろ」と部落全部に急を告げたり部落民は急坂を攀じ或は竹薮に入りて逃げ行けりと,波は普通海面上50余尺の地点に及ぶ。
本郷部落は本郡被害区域の最も惨たる地点なり,海岸一帯を見渡すに破片木材散乱し90戸余の部落は今は見る影もなし,佐久間市蔵氏及地村三内氏は強震後海水の異常に引けるを認め津波襲来の兆と知り部落を馳巡り「津波だ逃げろ」と急を告げ渡り部落民を全部避難せしめて後自分等は逃げんとせり,然るに噫此の二人共逃げ後れ遂に幽明堺を異にせりとは謹んで2氏の霊を悼む「津波だ逃げろ」の声を聞き多くの人々は梢高所にある社(アンバ様)に通ずる巾2尺余の小路に避難せり,然るにその先に立てる某蹟き倒れたり,其の後に来る者続いて皆倒れ深夜の事とて皆あわてふためきたり,此の時にあたり大波来り此の混乱せる群集を一挙にして海中に運び去れりと。又部落の奥なる桐畑部分に避難せる大多数の人々は是又大波にきらわれたりと故に90戸許りの小部落なるに溺死者300有余名の多きに達せり,唐丹村大石は概して佳宅皆高所にあり被害最も少しただ汀の納屋にありし上野与次郷氏及上野オキミ氏は大波屋内に侵入し家の中を流され潮引ける後材木に押され居りしを18,9才の某青年入り来たりて満身の力を揮ひ平素なら3人もかかる程の材木をとりのけ2人を助くることを得たりと。
吉浜村
吉浜村は交通の非常に不便なる村なるが明治29年の大津波被害以来村当局の深甚なる注意に因り道路は高所に設け人家亦一般に高所に移転せしめたるを以つて被害は他町村に比して僅少なりき,被害地は村の中心上野部落にして然も此の部落は去る2月15日大火にて14戸焼失の痛手を被れり部落なり,間もなく今回の大津波に見舞れ可成の惨状を呈し全壊流出戸数こそ少なきも17名の死者を出せり,千歳より根白を通り村の中心に通ずる海面上3丈余の断崖の上を通ずる道路上には波の打上げたる痕跡を認むるのみ。
前述の如く該村は人畜家屋の被害は少なきも近時町当局は鋭意奨励の結果5万円の資を投じて漸く竣工したる耕地整理稲田(約20町歩)見る影もなき全く荒蕪の地と化したるは実に惜しむべき限りなり。
越喜来村
浦浜部落小学校附近の海岸に直面なる地の家屋は全部倒壊小学校附近に山積せり,これが為道路阻まれ,吉浜方向行の自動車不通となれり,小学校も浸水し舎内は砂を以て被はれ校庭には木材散乱せり,甫令崎浜海岸も亦多大の被害栽を受けたり,罹災家屋1l4戸の多きに及び尚近年栽植せる防潮林は全部流失せり。
綾里村
最も惨害を蒙りたるは港にして250余戸全滅殆んど形を止めずして流失倒壊す死者又多数ありて続々発掘中なり,漁船並に唯一の航行連絡船たりし綾里丸も跡型なく物資の供給並に死体整理等困難を極めつつあり,白浜部落は僅に戸数5戸を残したるのみにて流失,死者66名を出せり,其の他の部落は一般に高所にありし為被害少く綾里湾南方には流失せる木材家屋の破片の散乱して浮び航行船舶は注意を要する模様なり,綾里村に於ける死者並に行方不明者は157名,流失家屋319戸に及ぶ。
白浜海岸は松林の折れたる惨状亦目もあてられず,潮水の70余尺の高さに達せるを見る。明治29年の海嘯供養碑の如ぎは100間余の高所に飛ばされ居たり,又奇異なるは海底に見られる,4,5千貫もあると思しき大石の陸上に打ち上げられ居ること,是を以て之を見るも如何に狂瀾怒涛の猛威を逞しうせるかは察するに余りある。
赤崎村
海岸一帯に浸水水し倒潰大概のものは皆海中にさらわれたり,陸路による交通不便,救の手を求むること急なり,死者行方不明者合せて82名を出せり,赤崎村役場附近の家にて産婦二階に就寝中なりき,津波襲来に驚き押入に逃げ入りし処階下のみ波に持ち去られ産婦は赤坊を抱き無事押入より出て来たりしと。
大船渡町
大船渡町にては大津波に100戸も倒潰せしも僅かに死者2名負傷1者名に止めしは,これ消防組所属,木下清之亟氏,伊藤金三郎氏,木下信次郎氏,及川栄助氏必死の努力によるものなりき,丁度其の時夜警当直勤務中なりしが地震と共に番小屋を飛出し浜育ちの第六感より津波襲来と直感し延々1里に余る長き町を端より端まで鈴を振りつつ各戸をたたき避難するよう警告をなし回れるを以て全町村民小高き丘の上に無事避難することを得たりと。
末崎村
大船渡湾頭大平洋の波を真直に受けたる船川部落は地理的に不利なる点あり,海岸地帯の8戸は津波と共に流失,18名死亡せり,12才の男子只1人附近の桑樹に昇りて辛くも助かる者あり又12才位の女と血気盛りの男6人程一諸に逃げしが女は男達に向い金を持ったかと云いしに男達は一寸躊躇せる其の間に全部は激浪にさらわれたりと,細浦は死亡者3名,細浦部落は海岸通り全部倒潰流失家屋,家財の散乱する惨状目もあてられず,当夜大船渡町岩渕運転手は「トラック」を運転し来たりしが細浦にありし自分の子供及他の者に,3名を乗せ避難せりその中大波来り運転手と子供は辛じて助かり得たりと。
細浦有田組の3万円入の金庫流失せしが1週間許り捜索の結果遂に弁天島附近にて海底より引き上ぐるを得たり。
細浦郵便局も流失附近の家屋に電話1個仮設し応急の通信機関とせるも哀れなり。
小友村
1只出浜に於ける津波襲来の概況
3月3日午前2時31分強震ありて部落民は明治29年の大海嘯の話などを言い交しながら寝に就きたり,長寛丸水夫4.5人鮫網に出漁すべく海岸に下り潮の遠く引たるに驚き「それ津波だ」と叫びながら丘上に逃げのぴたり間一髪『轟々』がらがらと家の倒壊する音「助けろ津波だ」と叫喚と悲鳴は各所より起り警鐘は乱打され忽ち阿鼻叫喚の巷と化し子供を助ける為母は浪に呑まれ老人を助ける為波に喋はれる等さながら生地獄そのままなりき,同部落の有志近藤勘四郎氏は一度屋外に出たるも老母を案じ背に負へて馳け逃ぐる内に浪にのまれ行方不明となれり。家族の全滅するもの2戸なり。
2被害の最も大なる部落は只出にして殆んど絶滅し流失家屋30戸倒壊2戸浸水3戸死者8名行方不明10名発動機船3隻小船60隻甚大の被害を受けたり,此の外広田湾に面せる三日市部落は倒潰3戸浸水10戸にして死傷なく天の浦部落は倒壌1戸死傷なし。
3夜明けを待ち流れ残りたる家屋に集まり部落民は廃墟に等しく洗ひ流れたる宅地を見て果然たる有様なりき,村役場は3日只出に出張所を設けて死体捜索,衣類食糧慰問品等の配給を開始し消防,東西盤井青年団訓練生,在郷軍人分会員の応援を得て流失家屋の整理,破損船の取片付に当りたる結果12,3日まで略整理され目下住宅利用組合設立並に復興方法に就きて寄々協議中なり。
広田村
津波襲来の概況は3月3日午後1時頃同村砂田利八氏は袖野部落に行きしに井戸の水は澗潟して水を汲取ること能ざりきと,明治29年にもかかれる事ありしと或は何か変りがなければ良いがと話していたりしと,泊浜部落に於ては強震後鮫網に出帆すべき漁船3隻に漁夫乗り込み機関を運転して港を出るや急に異常の引潮となり津波襲来を予感し1隻最大速力にて沖へ走り2隻は碇を巻いて進行せんとせしにその時は「轟々」「ザワザワ」と海鳴を生じ忽ち白波高く寄せて来たり,乗組員は我が身の生死を忘れて「津波だ」と騒ぎ沖に出るも岸に上ることも不可能となり,此の時1隻の船は第1回の波に呑まれ岩上に打上げられ乗組員は波に飛び込み辛じて逃れ難を免れたり,船は第2回の波に呑まれて港に沈没し他の1隻の乗組員は魔の海に跳込み波浪にもまれながら抜手を切って岸に泳ぎつきたるその中2人の乗組員は死を覚悟し船体につかまり運を天に托し居る中に200米許りの地点に打ち上げられて無事なるを得たと。
同部落の流失戸数42戸死者7名船舶200隻白壁の土蔵残のし外,郵便局と漁業組合事務所のみ僅かに残れり,長洞部落の某氏は地震後津波襲来を予感し眠れず海岸の某宅を訪れ広田小学校調査の郷土資料により今まで三陸地方20回余りの津波のありし事等話し主人を起せり,主人は起き出で戸を開けば沖より白波の襲い来るを見「津波だ」と叫び某氏も附近の家を津波だ津波だと叫ぴ起し此の声に驚き老若男女先を争うて逃げ小高き所に達するや「ドウ」と波押寄せ来り家屋の倒潰する音聞え,死者4名流失家屋7戸船舶大小50隻あり。
根岬・集部落
部落は広田半島の尖端にあり,急坂なる高所水面上約30尺の地点にあり,此の部落は殆んど流失して木片を認めず全部洗い流されたり家族絶滅戸数2戸流失戸数23戸1部落で16名の死亡及行方不明者を出せり。
田谷・六ケ浦・大野・太陽方面
大野部落は地形低きも湾形広く津波の被害甚少なく,田谷,六ケ浦部落は死者17名,家屋は28戸を流失せり。3日早期広田村漁業組合では幸い倉庫壊れず本庫の米俵を出し半壊したる事務所にて被害者1人当り5升宛配給せり、役場にぐは罹災家屋1戸当り木炭1俵を配給,組合長にして且同村一の事業家なる佐々木大三郎氏は醤油2,600本を罹災者に配附せり,尚同氏は本県2番目大型漁船(250馬力)120トンをして罹災漁夫を集めて南洋方面へ鮪鰹の漁に出帆せり。
米崎村
脇の沢より高田町に通ずる県道西方一帯泥田と化し人家は流失倒潰没水し被害総戸数76戸死者8名負傷者10名に及ぶ,其の惨状目もあてられず。
高田町
高田松原中なる浩養館(塩湯)に於て家族3名死亡,津波襲来と共に3名は波にのまれ即時死せるらし,悲鳴も聞かざりしと,当時止宿人は須知鉄雄氏(盛農学校卒業生)鈴木米平氏の2氏なりき,須知氏当時を語る左の如し。
地震後高田巡査派出所より異常無きかとの電話あり,その時は何等異常無かりきその後今迄聞え居たりし波の音はスット聞えずなりぬ,此は不思議気味悪き晩と思う内黒屏風を立てたる如き「大波(上は白く光れり)押寄せ来たり,立って入口の戸を開ける時大波は階段を猛然たる勢を以て上り之が為に入口の戸ははずれ此の戸によりて壁際に押し付けられ家は傾き次第次第に押付けられ進退ここに谷まれり,その内に第2の波来り壁破れ外に逃げ屋根に飛び出ずるを得たり,かくする内に家は次第に後方に流されたり,ややありて屋根は松の木に近づきければ此は得たりと松の幹を上り樹上に居ること約40分位かくして助かるを得たりと。
県是製絲高田工場慰安所に宿泊中の夫妻も亦松の木に登り幸に助かれり,市街地は被害なし,日本百景の一なる高田松原により今回の災害より免かれ得たり,各罹災地より羨望の眼を以て見らるる所なり。
気仙町
市街地は被害なし,漁港をなせる長部部落は被害甚大なり。53戸の内只5戸だけを残して他は皆流失倒潰せり。行方不明者の姓名を記載しあるも哀れ深し,数人の集まれる所哀話に涙し途上に合う人人悄然として当時を物語る。
被害統計
東海岸の震嘯被害調査は県庁各課に於て夫夫調査を行へる結果全く統一を欠きどれが本当の物やら其の判断に苦しむと云う有様なりしが警察部にて36ケ町村の各部落につさ細密なる調査の結果死傷者,家屋の倒潰流失,焼失並に損害見積額等確実に判明せしるを以て此を不動の調査として内務省に報告することとなれり。
右によると
△死者総数1,408名
△重傷者107名
△軽傷者635名
△行方不明者1,262名
△流失住家2,799棟
△同非住家2,965棟
△全焼住家134棟
△非住家41棟
△全壊住家532棟
△同非住家601棟
△半壊住家849棟
△同非住家286棟
△床上浸水940棟
△同非住家391棟
△床下浸水住家5,814棟
△世帯数6,358世帯
△36,929家族
となり此等家屋流失焼失浸水等の損害見積り実に,7557,753円の多額に達している。
本郡分を表示すれば次の如し。

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家屋流失焼失浸水等の損害
3.死亡及び行方不明者調

(昭和8年三陸津波)(岩手県昭和震災誌)
気仙郡(現大船渡市内分抄記)

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末崎村
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大船渡町
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赤崎村
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岩手県管内津波戸口数一覧

第2節1義捐金品(昭和8年)三陸津波岩手県昭和震災誌

1.義捐金

一 金 1,400,639円91.0銭
〇道府県及各国別
北海道17,ll5円55.0銭
青森県2,545円83.0銭
一岩手県42,267円29.0銭
宮城県7,102円52.0銭
秋田県10,859円85.0銭
山形県18,586円37.0銭
福島県25,226円56.0銭
茨城県9,788円03.0銭
栃木県11,364円26.0銭
群馬県7,208円88.0銭
埼玉県8,286円47.0銭
千葉県30,085円63.0銭
東京府525,235円24.5銭
神奈川県48,941円91.0銭
新潟県24,125円60.0銭
富山県6,459円57.0銭
石川県9,112円56.0銭
福井県5,228円98.5銭
山梨県5,821円81.0銭
長野県25,313円00.0銭
岐阜県10,370円22.0銭
静岡県、18,519円36.0銭
愛知県37,044円34.0銭
三重県13,467円99.0銭
滋賀県8,526円82.0銭
京都府36,623円55.0銭
大阪府60,956円40.0銭
兵庫県28,867円69.O銭
奈良県18,430円52.0銭
和歌山県8,275円68.0銭
鳥取県2,093円48.O銭
島根県5,224円82.0銭
岡山県4.898円64.0銭
広島県14,844円59,0銭
山口県14,491円06.0銭
徳島県4,147円91.0銭
香川県21,997円31.0銭
愛媛県5,658円64.0銭
高知県3,277円13.0銭
福岡県15,863円30.0銭
佐賀県2,083円73.O銭
長崎県299円89.0銭
熊本県4,900円49.0銭
大分県3,800円61.O銭
宮崎県2,0エ5円25.0銭
鹿児島県4,492円64.0銭
沖縄県1,487円43.O銭
朝鮮25,908円55.O銭
台湾12,435円03.0銭
樺太2,529円30,0銭
関東州21,337円29.0銭
南洋247円58.0銭
満州国116,953円83.O銭
中華民国9,741円52.0銭
北米合衆国13,099円63.0銭
南米4,648円05.0銭
印度57円18.0銭
ベルギー国102円75.0銭
伊太利国164円40,0銭
仏蘭西国57円39.0銭
無名22円00.0銭
○以上の内の内費途指定義捐金
1警察官吏296円
内 東京府105円
  京都府191円
1漁業組合375円

 岩手県50円
 長野県25円
神奈川県300円
1消防組1,720円

内 岩手県20円
  神奈川県100円
  東京府1,300円

  新潟県300円
1飲料水改善及放療費
262円60.0銭
内 岩手県127円60.0銭 
東京府15円
兵庫県120円
1理髪業者100円45.0銭
東京府100円45.0銭
1小学校児童3,340円93.0銭
内(
群馬県95円05.0銭
福島県12円27.0銭
東京府453円79.0銭
神奈川県1,048円08.0銭
栃木県IO円50.0銭
長野県5円
富山県4円
京都府1,660円50.O銭
鳥取県4円
広島県1円47.O銭
島根県1円53,0銭
朝鮮21円78.0銭
台湾7円96.0銭
満州15円  )
1水難救済会1,000円
東京府(帝国水難 救済会)1,000円
1満州派遺兵家族29円64.0銭
内(岩手県15円、山梨県14円64.銭)
1宮古町公共団体4円10.0銭
兵庫県4円10.0銭
1釜石町1円
福島県1円
1一小学校へ5円
新潟県5円
1震災記念碑建設26,230円26.0銭
東京府(東京大阪 朝日新聞)26,230円26.0銭
1農業家へ300円
東京府300円
1釜石宮古附近へ3円
岩手県3円
1在郷軍人会員6円30.0銭
台湾6円30.0銭
1銃後慰問金300円
岩手県300円
1思賜財団済生会臨時依
托医療救護費中需用費1,800円
東京府1,800円
1貧困者133円08.0銭
山形県133円08.0銭
1罹災青年団員80円
東京府80円
合計35,987円36.0銭

2.義捐品
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義捐品

第3節当時の岩手日報

(昭和八年三月七日付)
最初の復興委員会きのう県庁で開会
県庁員,議員その他を委員に意見の交換を行ふ
復興計画最初の委員会は8日午後6時から県庁応接室に石黒知事,前田内務部長,吉田,沢藤,坂本諸県議,進藤殖銀頭取,福士県農会幹事,佐々木商工会頭,小泉市議,庁内各課長,技官出席し
石黒知事より,この度の災厄と応急措置に就いて報告説明し被害は激甚であり県とし殆ど手の下しやうのない事件であり恒久対策である復興には政府の力をかりるの外ない,よって復興資金は国庫の補助によるか又は1千万円或は2千万円の融通を受くる場合極めて長期の元金償却の方法により利子は政府からの補給によりたい復興計画について良案あらば提示されたいと述べ各課長より関係施設其の他被害額の報告説明あり意見の交換を行ない案は各課に於て取りまとめ八日午後1時第2回委員会を開き協議することとし4時散会した。
復旧部と恒久対策部の二部に分けて活躍
復興は飽くまで組織的に
石黒知事対策を語る
石黒知事は震災地の復旧策につき左の如く語る。
今回の震災並びに津浪に対し政府貴衆両院も非常な同情を注ぎ陸海軍初め全国から多大の同情を賜はり臨機の処置が大体進み居るは感謝に堪えない,県民に代り厚くお礼を申す次第である。
×××
今後の措置に関しては第1に衣食住の充実徹底を図ることが必要で遺憾ない方法を講じたい,之を何時迄如何なる方法により支給するか早急に考慮する必要があり折角調査中である。第2に恒久の職業につく事で当分の間は復旧事業等に従事せしめて自活の途を辿らせる外特殊の仕事が他にあらば之に従事する様尽力もするし各種事業家,慈善事業家が此の地方の人に仕事を与えてくれる事も必要である。親戚等に寄留するものには旅費を支給しても自活の途を得せしめたい。
×××
第2に罹災民の職業の復旧に就いては従来の職業を続けるものには器具機械を与へ生活を建てられる様に考えてやる,恒久対策としては罹災者の多くは従来水産に従事していたから,之をモット組織的に堅実に,ドシドシやらせる。それには丁度幸ひ水産々業組合が組織されたから之を広大し全海岸線に亘り指導統制を図りつ』やらせる。副業とか工業とかの復興も行なはねばならぬ,今度の災害に鑑みて未改修道路の改修,橋梁港湾の完成を図る必要があり鉄道の速成も希望してやまない。
××X
住宅も今後は防波建築につき考慮を払ふ必要がある。防波設備をなさず再び建築をなす事は災害を繰り返す事になる。今後は合同の力により更生を図らねばならぬ。組合とか町村とか部落単位とかで産業交通其他の事を進行せねばならぬ。又貯金食糧品の貯蔵を考へねばならぬ。資金関係については国庫の補助を仰がねばならぬし県費も出すが国から借りる低利資金は長期据置きのものとし利子は国家から補給する様されたい。今後の計画は県庁員と県会議員とで復興委員会を設け復旧部と恒久対策部とに分けて進めることにする。
昭和8年3月8日付
震災善後処理部けふ県庁に新設
県では震災善後処理部を設置鋭意諸計画立案実行に当ることになった。
◇職制並事務分担
部長内務部長
副部長警察部長学務部長
◇庶務係
係長官房主事
副係長地方課長会計課長高等課長
震災前後措置に要する各般の経理に関する事項
罹災警察署長出先官吏その他各方面との連絡に関す
る事項
見舞客の応接接待見舞文書の処理その他儀礼的事項
震災記録調製に関する事項
他係の主管に属せざる事項
◇義捐金品係
係長教育課長
副係長社会課長社兵事課長視学官
御下賜金の伝達に関する事項
義捐金品の募集及接受に関する事項
義捐金の配給に関する事項
◇物資係
係長農務課長
副係長商工課長山林課長保安課長
物資の調達及配給に関する事項
義捐物資の配給に関する事項
◇救療係
係長衛生課長
副係長健康保険課長
救療に関する事項
防疫に関する事項
◇作業係
係長土木課長
副係長山林課長耕地整理課長
復旧工事に関する事項
その他各般の技術的作業に関する事項
◇警備係
係長警務課長
副係長刑事課長
警戒警備に関する事項
◇情報係
係長特高課長
副係長保安課長
情報の蒐集及発表に関する事項
高等通報に関する事項
◇復興計画係
係長商工水産課長
副係長庶務課長農務課長山林課長耕整課長土
木課長教育課長地方課長
罹災地の復興計画に関する事項

第4節論説

1.音響と海鳴

強震後各地に於て異常な音響を聞いた所が多い。此の音響は大砲を打った様な響と云うのが多く而も多くは海岸で聞かれている。其の為の或は津浪が海岸の断崖に打当った時の響では無いかとも考えられる。今此の音響が如何なる原因によるものかを明らかにするために各調査員の報告及三陸地方の各管内観測の報告によって調査して見ようと思う。
岩手県(53個所中30)
盛岡(震前地鳴,震後27分東方に鳴動),猿沢(震前地鳴),大原(震後東方に鳴動),若柳(震後東方に砲声の如き音3回),岩谷堂(震後鳴動),永岡(震後鳴動2回),湯田(震後砲声の如き音),沢内(震後遠雷の如き音南東へ3回),岩根橋(震前に地鳴,震後30分南東に砲声の如き音2回),附馬牛(震後5分砲声の如き音3回),西山(震後北東へ碓声の如き音2回),大志田(震前遠雷の如き2回),雫石(震後遠雷の如き音),松尾(地鳴あり),御堂(震後遠雷の如き音),葛巻(震後地鳴),浄法寺(震前地鳴),田山(震後30分南東に地鳴),荒沢(震後大砲の如き音),一戸(震後30分砲声の如き音),福岡(鳴震後地,金田一(震後30分砲声の如き音)種市(震後地鳴),久慈(震前地鳴),宇部(震後35分飽声の如き音),山形(震後地鳴),山田(震後10分鳴動),釜石(震後砲声の如き音),田子(震後砲声の如き音),盛(震後30分南東に砲声の如き暑を聴く)。
宮城県(13個所中7)
気仙沼(震後5分音響),若柳(2時30分,同50分,弱音2同,2時50分鞄声の如き吾),登米(砲声の如き音),吉岡(東方に雷鳴の如き音3回),大河原(音響らしき音),松倉(2時54分,同56分南東に爆音),湯原(暴風の如き音)。
青森県(20個所中8)
三厩(震後46秒雷鳴の如き音響),蟹田(発震直後地鳴)
金木(発震後30秒風声の如き地鳴),泊(地震終る頃午砲の如き音響),黒石(発震直後風声の如き地鳴),七戸(震後直に雷鳴の如き音響),休屋(震後雷鳴の如き音響),三戸(東方に大砲の如き音響3回)。
福島県(23個所中6)
安積(地震前車橋上を走る如き音響),三阪(音響甚多)
田島(音響激シ),川俣(遠雷の如き音響〉,上遠野(声響あり),棚倉(発震数秒内声響あり)。
秋田県(15個所中9)
毛馬内(震後爆発様音響),花輪(2時50分ドンと音す)
大館(震前南西より風声の如き響あり地震直後遠雷の如き音),鷹の巣(声響あり),船川(地鳴あり),角館(弱き地鳴),大曲(2時58分に1回,3時に連続2回,東北県方向に方砲の如き音),本荘(声響を伴う),矢島(音響あり)。
北海道(57個所中ll)
静内(震後声響),土武佐(県西方向に地鳴納),沙布(地鳴西より東へ),西別(弱き地鳴),舌辛(音響を伴う),標茶(風声の如き音響),大津(震前2秒,強風の如き地鳴),夕張(地鳴あり南西方),森(車橋上を走る如き声響),石狩燈台(弱き地鳴),恵山岬(地捻の如き弱き地鳴)。
茨城県(17個所中5)
大子(地鳴あり),直壁,結城,水海道,守谷(何れも(地鳴あり)。
千葉県(40個所中1)
多古(震前車橋上を通る如き地鳴)。
栃木県(9個所中2)
佐野,矢板(何れも地鳴あり)。
埼玉県(25個所中3)。
岩槻(自動車走る如き音響),槻川(発震15秒前東方に風声の如き音),本庄(西北西より遠く地鳴)。
神奈川県(14個所中1〉
姥子(ゴーゴーと云う地鳴を聞いたものあり)。
郡馬県(22個所中1)
万場(地震と同時に風声の如き地鳴)。
山梨県(23個所中1)
山中(僅かに地鳴を聞く)。
長野県(22個所中2)
境(鳴響あり),上田(地震前風声の如き響)。
岐阜県(8個所中1)
高鷲(地鳴あり)。
以上報告を総括して見るに砲声の如き鳴響を聞いた所は岩手,宮城,青森,秋田の4県下に限られ,然も凡て地震後に聞いて居る更に斯様な音を聴取した所で聴取時刻を測り得た7回につき平均時刻を求めて見ると大体発震後30分乃至35分となっている。又以上4県下で地震前に地鳴を聞いた所は6個所で其の音は単に鳴響或は風声の如く聞れた様なものであった。之れは恐らく主要動の前に聞いたものであろう。
更に遠距離の地方でも地鳴を聴いた所もあるが之等は遠雷の様な音或は風声の様な音が最も多く砲声の如き音と云う所はない又砲声の様な音を聞いた所を調べて見ると其の中最も遠距離な所は秋田県の大曲,花輪等であって大平洋海岸から最短130粁も距って居る。若し此の砲声或は爆音の如き音が海岸の断崖へ亘浪が打当った言と仮定しても,夫れが130粁の遠距離迄聞える位大きかったという事は極めて疑はしい。
又秋田県下で此の音を聞いた時刻は2時50分乃至3時であって,丁度津浪が三陸沿岸へ襲来したのは同時刻或は夫れより少し前である。然も音響は三陸沿岸から秋田県下迄10分位の走時を要するから,之れから見ても各地で聴取した砲声或は,爆音の如き音は波浪が断崖に激突した時に生じた音とは考えられぬ点である。
次に各踏査班が調査した三陸沿岸各地に於ける音響聴取状態を調べて見る。
宮城県
小積砲声様の音3回。
小網倉碓声様の音2回。津波の少し前に聴く。
大原津波の少し前砲声様の吾更に15分後微声1回
小渕震後東方に砲声様の音3回。
十八城震後30分東方に砲声様の音2回。
鮎川震後30分東方に砲声様の音。
大谷川震後25分碓声様の音。更に15分後微声。
女川震後東方に汽車の如き大音響。更に北方に銃砲様の音2回。
雄勝3時10分東方にゴーと云う大音響2回。
立浜地震と津波との間にゴーと云う音。
荒屋敷地震直後東方にゴーと云う音。
小泊津浪の5分前沖の方で砲声様の音2回。
大指津波直前砲声様の音沖に聞ゆ。
小指同前。
志津川地震直後砲声あり。
小泉大沢地震後東方へ音を聞く。
前浜震後2.30分大音響あり。之れから5分後微音あり。
尾崎,片浜,七午沢,台ノ沢,浪板,気仙沼同前。
小々汐震後音響聞ゆ。
岩井崎津浪直前ダイナマイト爆音の如き音東方に聞ゆ。
鶴ケ浦 津浪直前爆音あり。更に5分後微音。
梶の浦 震後20分音響。
宿 震後20分爆音。
小鯖 3時頃ドンと爆声。
安波山燈標 2時36分頃音響。
只越 津浪前引汐と共に爆音2回あり。後のもの稍小。
唐桑大沢 震後20分音響。
欠浜 震後8分東北東に砲声様の音を聞く。後5分梢小なる音。更に25分後稍大なる音あり。
岩手県
長部 震後25分晋響。
高田 震後20分南々東から底力あるドンと云う音2回。
根崎 震後20分東方に爆撃あり更に8分後微音。
両替 震後20分ダイナマィトの如き爆音。
泊港 震後25分東方にハッパの如き爆音。
唯出 震後20分砲声の如き音2回。
基石 震後10分乃至25分爆音2回。
泊里 同前。
細浦 震後25分西方に音響。
大船渡 震後30分東方に大きくないが強い音を聞く。
綾里 震後20分東方にハッパの如き音。
砂子浜 震後20分施声の如き音東方に2,3回。
吉浜 震後15分沖合に砲声の如き音。
釜石 震後10分東方に底力ある遠雷の如き音3回。
鵜住居 震後10分沖合に遠雷の如き音。
伝作鼻 震後10分砲声の如き音1回。
湊 震後30分遠雷の如き音。
青森県
鮫 震後25分南東方に異状音を聞く。
三川目 震後IO分北方に砲声様の音。
四川目 地震中砲声の如き音。
五川目 震後10分乃至20分地響ある砲声の如き音。
淋代 震後間もなく砲声の如き音。
六川目 砲声を聴く。
織笠 震後ドーンと云う音地中より響き来る如し。
塩釜 震後間もなく雷の如き音。
天ケ森 震後ドーンと云う音聞ゆ。
尾鮫 震後15分砲声の如き音。
平沼ケ浜 震後雷鳴の如き音2回。
平沼 震後15分ドンドンと音聞ゆ。
木野部 3時半頃砲声様の音聞ゆ。余韻あり。
以上調査した結果を総合して見るに音響は殆んど全部砲声或は爆音の如きものを聴取して居り其の時刻は凡ての個所にて津浪襲来前即ち海水が退いた前後にドーンと云う音が聞えたと云うのが多い。そうして聴取時刻は最も遅い所で3時10分,速い所で2時35分であり全52個所の平均は2時52分となっている。而して之等各地の震央距離の平均274粁であるから,之れから算出すると音波速度は秒速度約230米となってグーテンベルヒの走時表中最も遅いものとは,一致するが,通常のものの3分の2強にしか当らない。然し之れは平均の値であるし,又材料が不正確の嫌ひがある故之れから音波速度を論ずるのは,無理である。
又音を聴取した状態を見ても2回或は3回も聞いた処がある而して2回目或は3回目の音は微かなものであったと云うのが多い。之れから見ると2回目或は3回目の音は反射音であろうかとも考えられる。
要するに地震と津浪との間に於て聴取した砲声或は爆音の如き音響は地鳴であって,断崖へ浪が激突したために生じたものでは無いらしい。此の音の走時巨曲線も,各地の震央距離も測定して書いて見たが何しろ材料が住民の談話を綜合したものであるため正鵠を欠き適当なものが得られなかった。
次に海鳴或は潮音であるが,津浪が押寄せる頃には浴岸各地で多く海鳴或は潮音を聴いて居る。其の様な音を聴取した状況は下の如くである。
宮城県
坂元 震後30分乃至1時間海鳴強し。
荒浜 震後10分,30分に海鳴あり,4時頃甚強し。
網地島 第1回の津浪来る時,金華山方面にサアーと云う音を聞く。
伊里前 一津浪が来る時ゴーッと云う音聞ゆ。
名足 潮が引いた後ゴーと云う音聞ゆ。
岩手県
唯出 震後30分乃至40分海鳴2回聞ゆ。
千鶏 3時頃ゴーゴーたる音聞えて津浪来る。
重茂 3時頃ゴーゴーたる波音聞ゆ。
赤前 3時8分遠方にゴーゴーたる音聞え次第に高くなる。
宮古 3時2分強風吹荒む如き音聞ゆ。
野田 震後30分強風の如き鳴動と共に津浪来る。
入木 雷鳴の如き音と共に津浪来る。
青森県
小舟渡 震後30分ゴロゴロと石を転ばす如き音と共に汐退く。
細谷 震後30分ゴーゴーたる音聞ゆ。
要するに海鳴と思わるる現象は津浪襲来の際の浪音であって亘浪の押寄せる前に遠く沖合で聞えた音或は海水が退いた時の波音であったと思われる。従って気象学上で云う如き海鳴の現象は観察されて居ない。
津浪の前兆
津浪の前兆とも見らる可き異状現象が所々に於て観察されている。其の様な現象としては魚類の棲息状態の変化,土地の沈降及ぴ井水位の変化である。今各調査員の1実地踏査による之等諸現象は下の如くである。
宮城県
大谷川汐が退いた後井戸の中は室になって居た。併し地震の最中には尚水があった。
名足津浪により魚類章魚,鮑迄も打揚げられで居た。鮑が打ち上げられたと云う例は今迄なかった様である。
気仙沼改修事務所では2日前より潮位低下し,工事渉った由,同所潮位は平常4.0乃至3.0米である可きがO.7米であった山。
大島2月中旬から井水減少,海苔製造に故障を生じた。今迄井水は期節降水量によっても減少することはなかったが,今回始めてにて特に要害で著しかった。
西海岸沈降しつつあるものの如く,海岸に浩ふ村道は10年前に3回陸地の方へ改修した。80年前と現在の村道の高低差は2米に及ぶ。
欠浜四季を通じ今迄減水した事もない井戸が2月中旬から目立って減水した。
岩手県
越喜来 小学校長小原氏の調査によれば,本村高所にある井戸にて直接津浪による被害其他無き6個所の井戸は凡て異常を呈した。即ち何れも渇水混濁したが其の期日は一定して居ない。20日前よりのもの1.45日前よりのもの1.3日前よりのもの2・3・4日前よりのもの1,2月中旬から1週間に亘ったもの一等であった。
釜石 地震後井戸著しく減少し,殆んど濁水状態となったが4日常態に帰る。
船越 数日前から井水減少し津浪後渇水した。
織笠 地震後井水半減した。
大沢 井水減少したと称するものがあった。
千難 昨昭和7年4月上旬から中旬に亘り鞭藻類群集浮流した。
重茂 昨年2月頃から厄水(フノリを溶した様なもの)流れ来り昨年5・6月頃最も著しく8月頃に止んだ。
鵜難蝶,アブラメ,スイ等が打揚られた。
赤前 赤貝等多数打揚られた。
金浜 蝶,ドンコの類が打揚げられた。
田老 冬期鰯の大漁があった。
青森県
川口 強震2日前から潮位1米下る。井戸渇水した。
以上の如くであって前兆と見做さる可き現象としては
(1〉3月頃から井水の水位減少した。
(2)2月前から潮位が著しく低下した。
(3)1O年来陸地の沈降が起りつつあった。
(4)一昨春鞭藻類が群集浮流した。 
(5)昨冬から今春にかけ鰯の大漁があった此の現象は三陸沿岸至る所で観測された現象である。
上の中井水位の減少所々で観測されて居るが,之れは明治29年の大津浪の際にも現われた現象であるため特に法意して観測されたものである。併し宮城県大原,十八成では震後直ちに井戸水を検査したが水位の変化は認められなかった由である。兎に角所によって井水に変化を来した事は何によるものか判らぬが注意すべき現象である。それと共に潮位の変化が又関聯しているものとも見られる。
即ち潮位変化は2・3日前から起ったと称する所もあり,気仙沼の如きは験潮儀にも現われて居るから先ず確かなものと見られる。之れは相対的現象であって海水の減退によるものか陸地の隆起によるものか判明しない。
然るに一方宮城県大島村村長の談によれば大島浩岸の陸地は10年来次第に隆起しつつあった由である。此の両者の減少は全く反対なものであるが今迄長年日に亘り徐々に隆起しつつあった陸地が発震直前急激な沈降に移ったとも考えられる。
陸地沈降の現象は又本台鷺坂清信氏が宮城県南部に於いて津浪が打上げた高さを調査し之れを明治29年の際のものど比較した結果から立証している果して地震前に於て陸地の隆起沈降等の現象が起ったか何うか之れも興味ある現象として尚今後の精査に俟たねばならない。
昨冬から今春にかけて鰯の大漁があったと云う現象は明治29年の大津浪前にも同様観測された事である。此の現象から鰯が地震を予知して移動したと称する向もあるが,著者は夫れよりも1月来頻々として,発現して局発性前震のために,鰯が移動したと考へる方が合理的では無いかと思っている。尚鞭藻の浮流に就てはそれが約10ケ月も以前に起った現象であるから何とも云ひ難い点がある。
以上今回の強震の前兆とも見做さる可き現象には数種あって何れも前回,明治29年の大津浪の際にも観察された現象と一致して居るのは興味ある事で,何れの現象も今後に注意して観測する事を要すべき事柄と考へられる。
発光現象
武者金吉氏によって特に注意された此の現象に就ても著者は各踏査員に依頼して現象の現不現を確める事とした。各調査員の踏査結果は下の如くである。
宮城県
亘理 荒浜,角田,閖上,川崎,鳴子,鎌先,荻浜 認めず
小積 無し但し海面キラキラと光っていた。
小網倉 認めず。
小渕 地震と津浪との間に於て北東方に2・3回稲妻様の光を見る。
鮎川 一般に認めず,但し山火事の如き光り物を北西方の室に見たものあり。
渡波 南西方の室に南から北へ亘り稲妻様の薄蒼き光を見たものあり。
金華山 燈台看守震後徹宵して観測したが発光現象なし。
川渡 東北東の室に蒼光あり,2・3度漏電の如き怪光あり。
前網,寄磯,飯子浜 光認めず。
女川 特別な光なし,津浪の波頭砕けて淡く光る。
出島,尾浦,御前,立浜,桑浜,小泊,小室 光を認めず。
雄勝 東方に稲妻様の光を見たと云うものあり。
志津川 発震直後光あり。最初青光にて聞もなく赤色に変じ尾を引いて消ゆ。
長崎 認めず。
安波山燈標 震後南2度東の室に薄い青白く光あり。
只越 浪が岩に砕ける時青白く光り放電光の如し。
欠浜 光を認めず。
岩手県
基石,門之浜,泊里 光を認めず。
大船渡 震後青光を見る。
生形 震後東南東に明るい青光を数回見る。
下甫嶺,泊 浦浜,鮭崎燈台 光を認めず。
川代 震後西室に青色光象を見たものあり。
千難 強震後1回ピカッと青白色眼前に光る。
重茂 強震後発光現象3回あり。
青森県
二川目 地震と共に南方に電光の如き光を見たものあり。直ちに停電す。
三川目 震後南方に放射状光映る。
四川目 南方室薄明るくなる。津浪の波頭光る。
五川目 砲声の如き音の後窓にチラリと稲妻様の光が映るのを見る。
織笠 光りを見る。
天ケ森 電光の如き光あり。
尾鮫 稲妻様の光を見たと云うものあり。
平作ケ浜 電光様の光を見たものあり。
神奈川県
姥子 地震と共に稲妻様の閃光東方の室だけに見ゆ。電気のスパークの如く青白くピカッピカッと頻りに断続す。
箱根山 東方の室にピカッと光った様に見ゆ。
茨城県
築波東山 震動中東南東にパッパッと2回光る。
築波ケーブルカー宮脇停車場 震動中南方へ雲あり,其の後でパッパッ3回光る色薄青し。
上の外測候所及管内観測所で発光現象を認めて之れを
観測した処は僅かに下の3個所であった。
秋田測候所 2時35分即ち発震後3分,構内にて北方に当り青白き電光の如きものを2条を見る。
同所管内大曲 2時35分東南東の室に青白き電光の如きものを見ゆ。
盛岡測候所 本震最中南方に発光現象あり。
此の外個人にて発光現象を観測報告せられた分は下の2件である。
窪田瀬吉氏報告(東京市大森区新井宿4丁目本台宛)
本震にて家族一同戸外に飛出しましたが最大振幅を感ずると同時に北西(寧ろ北よりに)の室より震光一閃致しました。普通はピカピカと瞬きますが昨夜のはピカッと1閃したのみの様でした。先年箱根地方大地震の時は西南方の室にピカピカ致したのを見ました。
中井友三氏報告(茨城県平磯町電気試験所藤原技師宛〉
発光現象発見当時の経緯地震を感ずると同時に起床,暫し様子を向ひ居り候ひしも継続時間長くして終熄の様子も見えざる故に万一の場合逃出しの準備として雨戸(南向き)を1枚開け暫し外を見て居る内に南方の室に発光を認め候。
発光の時刻及び光の継続時間大体の見当で最初に地震を人体に感じ始めてから約3・4分後,光は殆んと瞬間的。
方向及光度南方,暗夜のこととて対照物無きため精確のこと不明なれど大体の見当で距離約10米の広場を隔てて存在する平家の屋根の少し上位比較的低き室間に発見。
形及色形は1つの線よりなる。色はアークの色に近い様な淡青緑色恰も虹状で只色が単色であるという点が虹と違う円弧の半径は大体の見当で普通の虹の半径と同等か。線の幅は虹の7色の線全体の幅よりも細い様に感じた線は相当はっきりした。線光度は弱い方当夜は晴天にて星光を諸所に認めた。
前述の如くにして此の光が電力線,震燈線の切断等により生ずる火花或はアークに依るものに非ざることは光の形よりして容易に想像し得られることにして又当地は水戸に候今共其の光を認めた方向には斯かる電力線燈線は無之候(但し当家より南へ数町先迄は電燈線有之候,以上は小生の住家水戸市上市備前町)に於ての記事に候。同日平磯の役所にて此の話を致し候処平磯でも同時刻に南方に光を認めたと云う者1名有之候。但し平磯に於ける光はサーチライト状の光だったと申候但し平磯の方の話は確信を以て御紹介出来不申候 以上。
扱前述した報告中各調査が踏査した個所合計266個所中発光現象を認めたと云う個所は僅かに19個所であったが其の光は電光様のものと云うのに一致して居る様である。又金華山の燈台の如く徹宵注意して見て居たが光象を認めなかったと云う様な処もあり,斯様な所さえ22個所もある。更に以上発光現象を観測したものにつき大体其の性質を見るに。
色 判然と色を指摘した所11個所中青白色と云うのが7,青色が3,青緑色が1であって大体青味がかった色である事に一致している。其の外電光様と称すのが多いから先ず凡てが青味勝ちの色と思われる。
形形を指摘した16個所中稲妻状と云うのが6,電光状と云うのが6,山火事の如き,放射状の如き,尾を引いた如き,弧状如きと云うのが各1であった。稲妻状と電光状と云うものの差は何うであるか到らぬが先づ電光状と云うのに一致していると見る可きであろう。青森県二川目の如き電光様発光現象後に停電したと云う所もある。
方向方向は全く一致せず,あらゆる方向に認めて居る。宮城県南部では北東,北西,南西,東北東各一であり,岩手県では東南東西,北各一で更に眼前に光ったと云うものあり,青森県では南方3,茨城県では南方2東南東1,東京市では北西,神奈川県では東方2となっている。即ち震央の方向とは殆んと一致せず寧ろ震央とは反対の方向に見たものが多い。
斯様にして見ると発光現象と云うものは少くとも今回の三陸強震では震光様のものが多く高圧線のシヨートによると見られる場合が多い様である。併し尚此の現象の本性に就ては今後の調査によらねばならない。
尚津浪の際沖合の方の海が青白く光ったとか波頭が青白く光ったと云う様な観測をした向も多いが之れは海面に浮游するプランクトンの如き微生物による光であろう。

2,津波対策三陸地方の津浪対策岩手県教者委員会(昭和26年3月3日)

(イ)施設
津波に対する施設としては防浪堤性防波堤護岸等及び防浪林,緩衝地区,退避道路等があります。これからは港湾の機能,聚落の占める位置。湾岸の地形等を考慮の上経費の許す限りに於いて造られていることと思います。此の中最も大がかりな築造堤である田老町の防浪堤等は相当程度の津波にも可成りの効果があるでしようが,それでも昭和8年程度の津浪を完全に防御出来る程のものではありません。ましてや防浪堤や護岸等は単に浪勢をそぐ程度の目的としか見られないのであります。
又後退移動と広い防浪林地帯とを設けている所もありこれらの中には防浪林の今後の育成に伴って将来は可成りの完定感を得られると思われるものもあります。然し放任しておいては成果は望めないと思います。
一方津浪に対する警戒心の弛緩を戒めるため朝日新聞社の寄付等によって殆んと各部落に津波記念碑が建てられております。この記念碑は明治29年の後にも多数建てられましたが,明治,明和の碑文を比較して見ますと,全般に明治の碑文は津浪現象の異常な模様,惨害の様子等の記録であって,山口弥一郎氏等も指摘されておられる様に難かしい漢語が多く現地一般の人々には可成りしたしめないものが多い。これに引き換え昭和8年の碑文は波波の科学が可成り明らかにされた後のものだけに文献的なものは余りなくその大部分は被害数と警文が簡潔され著しく対策的になって来ています。これは記念碑の性格に改革を来たしたものとでも言うべきでしようか,兎に角津波災害軽減に対する計画的指導性が積極的に強く感じられます。
(ロ)高地移転
明治29年の後にも多少移動したものがありますが,大部分は昭和8年の後事情のゆるす限りに於いて部落の高地移転を行い津波線より完全な後退又は津波線附近迄後退して被害の軽減と退避の容易を計りました。この高地移転は災害軽減の上から最もよい方法でありますが,結局日々の生活の不便より津波の恐しさの方が勝っている時に於て保たれるものと思いますから,殊に原地居住者との経済的,感情的な刺戟をさける様努力を必要とする場合が多いことと思います。
以上の対策は当時官民こぞって慎慮の結果実行されたものであることを忘れずに又,天災に対する普段の闘いであることを充分守護して行かねばならないものと思います。
(ハ〉1経験と知識の生かし方
津波は湾内に入って異常な勢いで凡てのものを洗い渫い持ち去って了うものであると言う程度のことは明治29年の津波以前にも大低知られていたことと思われますが明治29年直前と昭和8年直前の津波に対する沿岸民の知識と警戒心を比較して見ると格段の差があつた様であります。この津波知識による警戒が防災に対していかに重大なものであったかの具体的立証にもなかろうかと思いますので岩手県に於ける両度の流失家屋と死亡者数の関係を比較して見ませう。
明治29年の場合は流失家屋6,156戸死亡22,568名でありましたが,昭和8年に於いては流失家屋3,850戸死亡2,658名でありました。これは流失家屋1戸につき夫々3,7名(明治)及び0.7名(昭和)の死亡者を出したことになり,後者は前の5分の1以下に其の割合を減じております。このことは地震津波の大きさの相異と言うことにも多小よるかも知れないか,原因の大部分は矢張り知識の相違によるものと思われます。
しかしこの数字は平均でありまして,部落毎に見ますと可成りまちまちであります。
即ち昭和8年の時にも略最大値と思われる明治の割合に近いものもあり又一方可成の流失家屋を出していながら殆んと犠生者もなかった所もありました。
この経駄言い伝えによる知識は尊いものと言えるでしようが,中には誤った指導をした例もあります。宮城県雄勝町荒屋敷の例ではこの部落は明治29年の時も多数の死亡者を出したので今度も又津波が来るかも知れないと思い,皆一度外に出て津波を警戒しました。しかし大部まっても津波が来ないので其の中「地震が強ければ津波が来ないものだ」と言う様なことを誰かが言い出したため結局家屋に帰った処を津波に襲われて死亡者97名にも達しました。又他所でも寒い時には津波は来ないものだと言って犠性者を増しましたし,これらを考えて見ますと,普段の出来事で別に生命に障りのない事柄であったなら,前回の経験を其の侭誤って常習と思い込んでも大したことはなくて済むかも知れませんが生か死かと言う場合にはもっと慎重であらねば誰でも剣断はつく筈なのでありましようが,これも人間の弱さで自分の眼の前の都合のよい様に解釈したがる傾向から出たものと言えましようか当時夜明け近くの寒さは厳しかったことと思います。
これと多少違ったことでありますが,私が一昨年沿岸町村の津波普及の途中に次の様なことがありました。それは大地震(津波に伴う地震)の時は必ず雉が鳴ないたと言うことを固く信じている人があって,これによって,津波地震かどうかを判定すればよいと言うことでありました。この真偽を確めるには例え普段の地震には必ず鳴き,明治,昭和の両度の津波の地震に鳴なかったにしても今後幾回かの津波地震に対しても鳴かないかどうかを実際に当って観察するより外にないでありましよう。勿論この様なことは悠長すぎることであるし,津波対策普及の立場であったので大地震と雑との関係は今の処文献に乏しく不明であるとするより外がないが,そのことを大規模地震の際雉が鳴かなかったら一層津波に注意する様に利用することはよいことであるが大規模地震であり乍ら雉が鳴いたら津波の心配はないと言う様なことは絶対に慎んで載き度いと言うことでやっと了解してくれたことがありました。
他の一例をついでに述べますと赤崎村の長崎に立寄った際「津波は馬が不思儀な噺き方をして教えてくれる。明治,昭和と二度ともそうであったから」といっておりました。私も余り時間がなかったためそうではないかと言っただけで納得行く迄は話し合わずに了いましたが,其の足で隣村の綾里について話をしましたところ綾里では明治29年の時は断いた馬もあったが,昭和8年には噺かなかったと言っておりました・何れにせよ前の津波の時起った此様な異常現象が後の津波の時にも示其処に必ず繰り返えされるかと言うことになりますと,どうしても否定的にならざるを得ないのであります。
余談になりますが,雑と地震については,古くから色々言われておりまして中村(左)博士によりますと大正12年の関東大地震の際には宮城本丸内の雉は余震が続々と起るにつれて初めの中は一々鳴いていたが,暫く後には鳴かなくなった。其の後1・2週間たって地震が少くなると又鳴く様になったと言うことであります。又故大森博士によりますと雑は人間より微動に敏感であることや10倍の地震計より鈍感であること等が記載されております。幸い雑も方々に住んでいて地震も多数起るので二の様な調査が出来るのでありましよう。
概して陸上の動物は地震の加速度に比例して体感を増すものでありますが,一般に背の高いもの程長週期の振動に感じ易く背の低いもの程短週期のものに感じやすい傾向があると言われております。
又地震や津波其の他の天地異変に先立っていろいろの動物が異常を示すことはよく聞くものでありますが,資料が少ない上に見当がつきにくいと言うのが現状でありましよう。多分其等の中には充分理由があってそうなっているものも少くないと思われますが,災害対策上からは其の取扱乃至運用を誤らない様充分な注意が必要なものと思います。
以上は動物の異常の一端について述べましたが,其の他,大地震なので海岸の井戸を見たら減水していないので津波が来ないと思ったら来たとか,川の水は津波直前にはカラカラに減水すると言われますが,これ等は来襲時の大退潮と土質とに関係あるものと思われますので寧ろ異常な退潮を直接見た方が勝っていることでありまよう。しかし異常退潮について前述の通りであります。
(二)警戒すべき地震
以上によって得られる結論は大規模地震即ち地震の強弱に拘らず数分以上に亘ってゆれる地震には必ず警戒し退避すること及び其れに前記した様な異常現象を伴った場合は尚のこと抜かりのない様に落ちついてしかも機敏に行動することであります。
本年(昭和25年)2月28日の夜可成り大きな地震がありましたが,此の地震は誰にも大規模な地震であると感じられたので方々で,津波の警戒をしました。此の地震はオホック海南部の深所約400粁の地下に起った可成り大規模なもので勿論津波の心配はありませんでした。しかしあの地震によって退避されたことは正しいことだと言わねばなりません。と言うのはあの程度の地震が附近海底に起れば勿論津波の惧れがあるし,又あの程度の地震を数回経験する中に必ず津波を伴うことを覚悟しなければなりません。この様な地震は度々起るものではなく,数年或いは10年に一度程度のものでありますから津波を警戒されなかった方は是非考え直して欲しいものであります。
又一方津波に必ず問に合うかどうかは現在の所保証の限りではありませんが,或る規定の大きさに達した地震に対しては,地震後20〜30分間内には津波予報(後述)が伝達及び放送されることになっておりますから三陸沿岸関係放送局のラジオにも御注意下さい。
(ホ)退避
実際の津波の場合以上の知識によって或いは体験を正しく生かして機敏に退避するのでありますが,前述の通り津波は来襲が急激でありますので狼狽したり,持ち残したり,家族がちりぢりになったり,津波の通り筋の危険な方に走ったり,其の場になってから考えたのでは満足なことは出来ないものであります。殊に婦女子等は恐怖につかれ他に取りすがろうとばかりして肝心の足が言うことを聞かなかった等とよくきくところであります。
そこでいつ津波が来てもこうした段取りで逃げると言う手筈を整え家中で皆知っておかねばなりません。実はそのため退避場をきめ退避道路を造りました。しかしこの天災は単に造つただけのことで全く解決出来るものではありません。是非津波を仮想して実際やって身につけておかねばならないものです。それには一度それもほんの1時間位の演習をして或る程度をきめ安んじて其の年を送ることが最もよいと思います。この年に1度のことでさえも仲々苦労でありましようが,それは津波の恐ろしさを忘れたためであり,津波直後2〜3年やった記念演習より大儀に感じられる頃の方が却って必要であることは言を侯たないのであります。「天災は忘れた頃に来る」と言う寺田博士の有名な言葉は100読含味すべきでありましよう。
次に昨昭和24年に岩手県から出された退避心得の重なものを挙げて見ましよう。
(1)見易い場所に退避心得を貼っておくこと。貴重品の持出し割当て,非常袋,懐中電燈等の携帯。
(2)火気を始末し,利慾に惑うことなくよく落ちついて,老幼病弱早者の皿退避。
(3)同伴を見失わない様に,もし波が接近して了ったなら真近の山地にかけ上るζと,一度退避したなら1時間は待つこと,津波が来てからは海面が平静になる迄は決して帰宅しないこと。
其の他が挙げられておりますし,岩手県昭和震災誌等にも詳しく載っております。又出来れば見張人を立てられれば一層よいと思いますし,津波に安全な場所で津波予報の受領所に近い所や海面状況の到る所に半鐘があるかと言うことも重要なことだと思います。

経過報告

チリ地震津波災害に対する復興対策を強力に推し進めるためr大船渡市災害復興事務局設置規程」を制定し,職員6名をこれに配置したのであるが,対策業務の進捗に伴い,これ等の記録を集録して保存する必要性を痛感し,その第一輯として「チリ地震津波災害における応急対策」を昭科35年8月に発行し,続いて同年10月,第二輯「チリ地震津波災害における応急対策の現況と問題点」を発行したのである。
また,向後の災害に対応し,その被害を最少限度に止めるために防災組織の確立を図った「大船渡市における防災対策組織」を第三輯として,また第四輯は恒久的災害対策計画事業を集録した「防災都市建設計画」を夫々36年3月に発行したのである。
一方,大船渡市,陸前高田市,三陸村の各教育委員会並ぴに気仙郡教職員組合が主体となって組織した「チリ地震津波災害調査委員会」において,チリ地震津波の猛威に直面して,将来の災害防止の立場から,今回の津波の現象と,その後の種々の対策等を科学的に調査研究し,今後の児童生徒の教育上の参考資料を集録した「三陸津波誌」を発行することに決定,その準備を進めていた。
市においては,この三陸津波誌は,旧気仙郡を主体としたものであり,且つ科学的な見地がその主流となっているので,これとは別に大船渡市の今次津波災害における行政的諸対策について集録し,対策業務に対する反省とし,今後における災害対策の参考資料とするため「チリ地震津波災害誌」を発行することに決し,復興事務局において,その準備を進めたのであるが,事務局職員の外に専門的立場から金野菊三郎氏がこれに参画し,なお広範な資料の蒐集につとめた。昭和36年6月,一応災害対策業務の初期の目的が達成され,且つ,市の機構改革により,復興事務局の解散がなされたため,同年7月,新たに7名から成る委員会を設け,本格的編輯に入ったのである。
編輯の主眼は,津波発生後一年間行政的対策業務を主体とし,復興事務局において発行した前記四編に,県並びに国の対策を加え,更に「三陸津波誌」に掲戴されなかった新たな資料を合編することにした。
爾来数回にわたる委員会を開催し,遂次資料の整備を進め,昭和37年2月,ようやくにして脱稿し,続いて3月5日入札を施行し,大日本印刷仙台営業所と契約を締結したのである。

編集委員

藤原 滝三郎(市助役)
金野 菊三郎(大船渡市社会教育委員会議長)
金  成一(市庶務課長)
臼井 勝三(市財政課長)
広津 登米夫(市商工水産課長)
山口 司(市都市計画課長補佐)
吉田 伊勢生(市庶務課庶務係長)
(山口記)

編集後記

昭和36年2月半ば,この記念誌編集の話が出て,その頃教育委員会教組関係の記念誌を編集中の私が,並行的にこの編集をお引受けすることになったが,教育関係の編集が完了したのが3月20日であったから,本格的にこの編集に取組んだのは4月からということになる。復興事務局が処理した厖大な記録と文書と,数百葉の写真,数十冊に上る参考文献とを机上に重ねて,数次にわたって編集委員会が開かれたが,これを如何様にして一冊の書籍として纏めるかは至極容易なものではなかった。勿論一周年記念日に間に合わせるなどは思いもよらぬことであったが,せめても二周年記念日,あわよくば市制施行十周年祝賀の37年4月中旬までにはとの希望をかけて,とにかく2月25日に脱稿,3月5日入札,この日大日本印刷仙台営業所に原稿を渡したのであった。
しかし印刷所にとっては,3月4月は,年度末年度始の多忙を極める時期である。十周年の祝賀の日は勿論のこと,二周年記念日の5月24日にもとうとう間に合わず。遂に製本は6月まで延びてしまった。これは予感がしない事でもなかったが何としても遺憾な事であった。
とにもかくにも,500頁に近い大冊の津波記念誌が,大船渡市の出版として皆様の蔵書の一冊として加えられることは編集子としては此の上ない喜びである。こんな記録誌は当地方としては始めてのことであるし,復旧対策,災害対策,防災対策及びその問題点をとらえて各部門に涯って実体に即して論じ,最後に防災都市建設計画に及んでいる点,論説編の論文と相俟って,津波常襲地の行政当事者にとっては机上宝典ともなるべきものではなかろうかと,ひそかに期待と誇りとを感じている次第である。
編集にあたって,岩手県及岩手県立図書館の津波関係蔵書を多数参考させていただき,また特に岩手大学工学部小川博三先生の御厚意による東北開発研究会関係各位の論文,盛岡地方気象台の加藤先生の踏査報告を登載させていただいたことは,本誌にとって一層の貴重さを加えたものとして喜び堪えない。謹んで感謝の意を表する次第である。
校了の日 編者 金野菊三郎記