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チリ地震津波関係資料 表紙

気仙沼市
(写真)気仙沼湾昭和45撮影

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写真 気仙沼港

気仙沼漁港事務所管内図

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地図 気仙沼漁港事務所管内図

気仙沼港の概要

 気仙沼湾は、宮城県の最北端に位置し、リアス式海岸が形成した天然の良港であり、湾口は面積9kmの離島大島により東湾と西湾にわかれ、湾口から湾奥までの距離は6マイル、水深5〜40mで、湾口の大島が天然の防波堤となり四季平穏である。
 気仙沼は、アイヌ語の「終端の湾」という意味の「ケセモイ」が転訛したものであろうといわれ、気仙沼湾はもと細浦と呼ばれ、その後、釜の前湾とも称されたが、紙明崎、柏崎、蜂々崎の三崎が鼎足のように湾を形造っているので鼎々浦の呼称もある。また、慶弔16年(1611年)伊達政宗の時、イスパニアの使節セバスチャン・ビスカイノ一行が仙台領内の港を測量したが「今まで発見した諸港の中で最良の港である」と報告している。
 一方、寛文のころより製塩事業がおこり、また、宝暦の頃廻漕船の漂流の記録によれば、銚子方面との交易が行われていた模様である。
 明治にいたって、同22年航行の便を図るため大川河口を前浜地区に移動したが、流砂の被害をのぞくことができず、その後、昭和4年内務省の第二種指定港湾に編入され翌5年漁港修築が起工された。さらに、利用漁船、水揚量の増加に対応して数次にわたる修築事業の結果、年間のべ37,000隻程度の漁船が出入し水揚量は過去10か年、常に10万トン前後の実績をもち、水揚量の60%前後は県外船によって占められる全国有数の遠洋・近海漁業の根拠地となるにいたった。

気仙沼港

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写真 ▲昭25年
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写真 ▼昭35年.5.24 チリ津波地震

チリ地震津波関係資料 気仙沼市

(一)津波発生の前兆及びその時間並びに発見者から市役所又は役場に至るまでの報告経路五月二十四日午前四時頃の異常を発見した人々は、地震の予告がないので単に高潮程度に感ずるものが多かつたが、午前四時三十分頃消防団松岩分団小野寺班長から干潮の度がはげしく、津波らしいとの通報が電話で市役所及び消防本部にあり、以後引続き各方面より連絡があつたので、市では津波と断定し午前四時四十五分頃津波警報を発令した。
 午前四時四十八分には仙台気象台から津波警報が発令され、全四時五十分静かに上●潮がはじまり、浅瀬にのつた海水は奥地ほど速度の勢いを増して浸水し、大きな災害をもたらすに至つた。
(二)市の津波発生後における応急対策 市では津波発生と同時に五月二十四日午前六時三十分市役所内に津波災害救助本部を設置救助行動に入つた。
 災害救助本部の機構は次のとおりである。

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災害対策本部組織図

チリ地震津波関係資料 気仙沼市

同時に災害状況の第一報を県知事に通報すると共に、災害救助法の発動を要請した。
●市議会においては、二十四日午前八時緊急市議会を開催し、津波災害対策について協議したが、各常任委員会委員はそれぞれ市の関係所管課と合流し一体となつて救助対策事業を推進することに決した。
午前九時災害救助本部は市職員を以つて、九班二十名の災害状況現地調査班を編成、市内各罹災地区に出動せしめ、その調査結果に基き午前十時市内の災害状況についての第一回の発表を行うと共に、県知事に第二報をおくつた。
また、午前九時三十分市消防署指令車にて一般市民に対する広報活動を展開し、一方県立立鼎が浦高校、市立気仙沼小学校、市内三日町旅館佐藤本館を炊出場とし、市職員及び各関係学校教職員、生徒の協力を得て罹災民に対する炊出し作業を開始、午后二時市内十五ヶ所に於て罹災者三〇九二に第一回の炊出し係給をした。午后三時次の五ヶ所を救護非難所とし、避難者を収容
 古町消防屯所、市立気仙沼小学校、市立鹿折小学校、階上地福寺、市立浦島小学校午后四時鹿折地区罹災者に飲料水を供給し、又市内罹災各地の水道管破損箇所の応急修理を行つた。その後陸上自衛隊大衝戦車隊三三八名が救助に来市、午后八時三十分当市に災害救助法が発令され、宮城県災害救助本部気仙沼市現地本部が設置された。


津波の来襲状況及びその時間
●●二十一日から南米チリ●で発生●●地震●●にといわれているこの津波を●●て●●したのは五月二十四日午前四時である。このときは単に強い高潮程度に感じたのであるが、不気味な引き潮が静かにはじまり、潮●が三米異常まで下がるに至り意外な津波の来襲を知つたのである。●●から第二波が来るまで三十分間、午前四時四十五分に又静かな上げ潮がはじまつた●●が予想をしなかつた大津波となりしない各地に浸水、その猛威をほしいまゝにしたその後再び引き潮がはじまり午前五時五十五分上げ潮となり、四十分で第三波が来週、これも第二波同様役十分間にわたり湾内をあれくるつたが、湾奥部にあり従前から安全地帯とされていた市の中心商業市街においてかなりの水位を示したことは、過去における津波とはその来襲携帯をまったく異にしたものと思われる。●市の来襲回数及び時刻等は次の通りである。

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チリ地震津波関係資料 気仙沼市

(五)死者の男女別、年齢当市におけるチリ地震津波のための志望者は左の二名である。
○小野寺丑五郎 (明二二 一二 二七 生)
○松本松治 (明二七 五 二九 生)
五月二十四日総長小舟にて湾内操業中津波に遭遇、舟が転覆し波にまきこまれ死亡したものと思われる。

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被害状況総括表

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被害状況総括表 (昭和35年5月30日) (単位千円)

被害状況総括表 (続き)

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被害状況総括表 (昭和35年5月30日) (単位千円)

被害状況総括表 (続き)

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被害状況総括表 (昭和35年5月30日) (単位千円)

被害状況明細書

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被害状況明細書

被害状況明細書(続き)

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被害状況明細書

被害状況明細書(続き)

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住宅関係

被害状況明細書(続き)

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住宅関係(続き)

被害状況明細書(続き)

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住宅関係(続き)

被害状況明細書(続き)

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住宅関係(続き)
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水道関係

被害状況明細書(続き)

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土木関係 (単位千円)

被害状況明細書(続き)

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土木関係(続き)

被害状況明細書(続き)

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農林関係

被害状況明細書(続き)

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農林関係(続き)
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その他

被害状況明細書(続き)

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水産関係

被害状況明細書(続き)

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水産関係(続き)

チリ地震当時の新聞

気仙沼 潮差は東京湾中等潮位に対し、満潮(+0.866m)干潮(-1.150m)潮差2.016m


(第三種郵便物認可) 昭和35年6月7日 (火曜日)

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チリ地震新聞

チリ地震津波の実態岩崎東北大教授の調査

東北大工学部岩崎敏夫教授(河海工学)はさる二十四日未明、三陸沿岸を中心に太平洋岸を襲い大きな被害を与えたチリ地震津波の高さ、時間、堤防などの土木関係災害の実態をつかむため、さる二十七日から五日間にわたり、津波の被害激じん地である宮城県気仙沼、志津川、石巻、塩釜を調べ、調査結果を急いでまとめているが、同教授は「こんどの津波は複雑な波だったことが特徴だ。被害は「引き水」による方が多かったように思う。津波を防ぐには一貫した対策が必要で、総合的な研究機関をぜひ設けるべきだ」と指摘、同大土木科として災害研究所も計画したいといっている。

検潮儀超える強さ引き水による被害大きい

調査結果はいま整理中で、近く結論が出される予定だが、大体次の点が指摘されている。


 1.津波が予想外に大き過ぎ、検潮儀が働かず、最高最低の潮位が性格に記録できなかった。検潮記録は六ヶ所でとられたが海水が異常に引いたり(鮎川港)波が高すぎたり(女川)したため、波の後などで推定することが多かった。
 2.波長は数十キロという長いもので、流れも速く、波というよりは「流れ」といった方がよく、特に雄勝町のように湾の奥ほど波が高く、川ができたようなものだった。したがって今後は地形的な要素を十分考えて検潮儀の設置や新しく「津波計」といった計器が必要ではないか。
 3.潮位が最高になった時刻は気仙沼が午前四時四十五分、志津川同五時、雄勝同六時五分、鮎川同六時半と場所によって二時間近い差が見られた。気仙管区気象台の速報の「最大波が午前五時から同六時ころにかけて押し寄せる」と大体合っている。潮位は志津川が最高で、TP(東京湾中等潮位)より四・二メートル高く、他は三メートル内外だった。
 4.こんどの津波は複雑な波というのが特徴。一般には周期が三十分−一時間といわれているが、記録では十分前後の周期で、複雑な高さの波が押し寄せてたことを物語っている。遠くから来る津波は直進するばかりでなく方々で反射したり互いに干渉しあったりしながら進むためと考えられる。直進してきた流れのぶつかったところがいちばん痛めつけられたわけである。
 次に建造物の受けた被害をみると、「押し寄せてくる波よりも引き水による災害の方が大きい」ことが目立っている。代表的な例が牡鹿半島の桃浦で、同じ高さで波が侵入したのに。海岸堤防のあるところとないところで破壊の程度がはっきり区別された。家屋のほとんどが海の方へ倒れている。花潤浜では引き水で家が流された。荻浜では堤防のこわされた口に向かって家屋や石、木材が殺到している。これらの点から同教授はいままでのようなまちまちな津波対策では一貫した津波対策は望めない。学者、関係官庁、地元が一体となった機関を早く設ける必要がある。そのための資料はいくらでも提供するといっている。

チリ地震津波被害範囲図

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地図 チリ地震津波被害範囲図(気仙沼市)昭35.5.24

宮城県内被災地域の最大波高図

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地図 宮城県内被災地域の最大波高図

津波を振り返って(当時の新聞)

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写真

津波のあとを振りかえつて

 今回太平洋沿岸を襲つた津波は昭和八年の三陸津波に次ぐ大津波だつたといわれております。皆機も新聞、ラジオ等によりご承知のように当市の被害もおびただしいもので家屋の流失、前回、半壊、床上床下浸水を始め、道路や●岸も各所で欠壊しかきいかだ、のり施設、漁網も大部分が流失しました。また当市の主要な生産市場である●●工場、製氷冷蔵工場、水産加工施設の損害や、商品の被害もぼう大な数字に上り、たんぼ、畠も海岸に面したところは大部分が冠水し、流失したところもあります。
 以下は当時の模様を写真にしたものです。


 今回の津波の被害により、縣では当市に災害救助法を発動、直ちに七〇儀の救援米を始め、小麦粉、乾パン、●詰等の食料品と、毛布、作業衣、作業ズボン、ズボン下等の衣料品、マツチ、庖丁、シヤモジ等の台所用品、筆入、消ゴム等の学用品が救援物資として、市の災害救助本部に送付になりました。
 また日赤宮城縣支部からも、毛布、薬品、ドライミルク等が送付になり、またNHKや、三沢航空基地、その他民間会社や各種団体及び多くの方々から愛の贈り物が届けられております


 五月二十四日津波の去つたあとの深更十一時頃、宮城縣知事の要請により、黒川郡大和町在駐の自衛隊第六特車大隊相原二等陸佐他役三四〇名が、被害個所の復旧作業に協力のため、トラツクやジープ二十数台に便乗大挙来市、気仙沼小学校にキヤンプを張り、翌日より階上、鹿折地区の被害個所において、機械力を駆使しながら終日、土のう作りや、その運搬に従事して下さいました。この自衛隊の協


●●●●●●●みるみる中に完成、滞在期間四日間の中、雨の日もズブ濡れになりながらその作業の進捗を図り、おかげ様で応急的ではあるが主なる欠●場所は原●に復帰することが出来ました。
 また救援物資の輸送や運搬にも協力して頂き「ありがとうございました、ありがとうございました」

 救援苗二〇万把到着植替、補植始まる

 さき頃太平洋沿岸を襲つた津波に、気仙沼市内の水田もおよそ百六十ヘクタールが塩水の被がいをうけたが、敏速な助演作業と、登米、栗原群下から送られた二〇万把の救援苗で、植替えや補植を始めております。
塩水をとり除くことについては津波の直後二日ばかり続いた降●●●●●●●●●●●●●●立直つたといわれ、作付不能の水田は最終的には十ヘクタール内にとどまるのではないかと●られております。

 お知らせ

○さき頃の津波の被害により●活資金に困窮している世帯●ありましたら、民生委員さ●に申し出てください。
○縣の災害救助本部では、土木課内に住宅相談所を設置いたしました。この相談所では●住宅の復旧、融資等一般の相談に応ずることになつています。
○昭和三十五年度四月分から、国民健康保険税の督促手数料が一件につき二〇円に増額されました。三十四年度までの分については従前通り一件につき十円です。

 お願い

○水産商工業者の津波による被害については目下調査中で●が、その調査を至急取りま●めなければなりませんので、未調査の向きは至急、市水●商工課へ申出下さい。

チリ地震津波被害状況調

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チリ地震津波被害状況調(決定) 宮城県 (昭和35年7月8日)

大島周りの流状図

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地図 流状図

気仙沼市の地図

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地図 気仙沼市の地図

漁港

 当市では、現在、特定第三種気仙沼漁港、それに第二漁港2港、第一種漁港9港が指定されている。


 1.気仙沼漁港


 特定第三種漁港


 指定年月 第三種漁港 昭和26年7月10日 農林省告示第255号


 区域変更 昭和37年3月20日 農林省告示第432号


 特定第三種
 漁   港 昭和44年3月3日 政令第16号


 管理 宮城県 昭和27年11月21日 農林省告示602号


 基本施設 岸壁 1.149m 桟橋 1.360m 物揚場 470m


 船揚場 111m 防潮堤 2.237m 護岸 3.687m

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気仙沼市の漁港

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第一・二漁港とその位置

造船所

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造船所の位置と能力

裏表紙

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写真 気仙沼港