チリ地震津波災害個所図
まえがき
三陸地方における津波は,記録によると,貞観11年5月26日(西暦869年7月23日)三陸沖の地震津波が最も古く,「陸奥国の水死者1,000余人に及べり。」とあります。勿論これ以前にもあつたことでしよう。この貞観11年以降を記録の上から見ましても大小約40回程の津波に見舞われております。勿論大災害をともなったものも相当あつたものと思われます。明治に入つてからでも同29年6月15日の津波と昭和8年3月3日の津波があげられますが,前者は死者21,953人,後者は3,010人という大災害てありました。又これらの災害に際して軍官民あげて救助に当つたものと思われますが唯問題は救助が組織的に,どの程度行われたかということてす。非常災害の多かつた我が国においては古くから義倉,常平倉その他各種の災害救助制度があり明治時代には窮民一時救助規則,備荒儲蓄法を制定し,更に明治32年には罹災救助基金法が施行されて最近にいたったのでありますが,この法律は,災害の救助活動を規定したものでなく,各都道府県の救助基金制度を規定したもので,実際の救助活動そのものには役に立たなかつた。特に終戦後における物価指数の上昇は,非常災害に対する救助が罹災救助基金のみではまかないきれるものでなく,何らかの対策が必要とされるにいたり,ここに非常災害時における罹災者の応急救助を図る目的で災害救助法が制定(罹災救助基金法廃止)され昭和22年10月から施行されるにいたりました。この法律は,定められた期間,一定基準の数量,金額により応急救助を実施し,民生の安定を図るものであります。今次チリ地震津波による非常災害に対し,県は災害救助法に定められた基準に基づき,又救助の種類によつては多額の県費負担をいたしまして罹災者の応急救助に当り万全を期したのであります。本誌は県の非常災害に対する体制,応急救助の実施概要を簡単に取り纏めるとともに,仙台管区気象台の御協力によりまして,チリ地震津波の概要を併せて纏めたもので御参考になれば幸いと存じます。
昭和36年3月20日
宮城県民生部長 大槻七郎
第一章 三陸地方の地勢
三陸(陸奥(青森県),陸中(岩手県),陸前(宮城県)の国を称していう。)沿岸は,北は青森県八戸市の東,鮫岬から南は宮城県牡鹿半島にいたる沿岸である。この地方は北上高地の南北山地が隆起し又は沈降して傾動運動を起して形成されたものである。沿岸の複雑な山容は真つすぐに海にせまり山はそのまま海水に洗われて岬角となり,或いは断崖となって島々を形成して岬と入江がのこぎりの歯のように入りくんでリヤス式沈降性海岸を現わしている。すなわち宮古市を境にして北部海岸は岩壁が直接海にせまり湾入は少ない。そのため高い海蝕崖を有し100m〜200mの海岸段丘が海に面して複雑な凸凹が多く,他の海岸に見られない特徴を示している。これに対し南部海岸は三陸リヤスとよばれる沈降海岸で高低がひどく,又海岸には平地が見られず,従つて湾内のせまい平地に人口が集つて部落を形成しており,耕地は海岸よりやや高い段丘上に散在しており人口が閉ざされたリヤス湾で入江は波静かであるが水深は浅い。このため三陸沿岸は日本でも有数の景勝地となっているが,ひとたび地震による津波の来襲を受けると北部海岸の場合は断崖のため比較的に被害は大きくならないが,南部海岸地帯は海岸段氏のため奥深い湾ほど津波の高さがだしくなり従つて被害をもたらす要因をなしている。
第二章 チリ地震津波の概要
第1節 概観
1 昭湘35年5月23日04時11分(以下すべて日本標準時)チリ中部沿岸に大地震が発生した。この地震の後22時間30ないし23時間を経て日本の太平洋沿岸一帯に大津波となつて襲来し,各地に多大な被害を与えた。
2 米国沿岸測地局(USCGS)が決定したこの地震の震源地はチリ西部沿岸38°S,73.5°Wで,規模M(第2節で解説)は81/4〜81/2という世界最大級の地震の一つであつた。この地震の約2日前の5月21日19時02分より本震まで前震5回が日本各地の地震計に記録され,余震もまた数多く記録された。
3 東北地方太平洋沿岸に襲来した津波の第1波は,地震の発生後22時間27分の24日02時37分にまず宮城県女川町江の島に到着し,ついで02時50分前後岩手県の三陸沿岸一帯に到着した。それより10〜20分遅れてその他の東北地方太平洋沿岸一帯に到着,一方陸奥湾ではさらに1時間30分近く遅れた04時24分に青森,約50分遅れた05時12分大湊に到着した。津波の最大波は05時〜08時に発生し,その高さは外洋では江の島の検潮記録から124cm(全振幅は277cm),外湾または湾口では北から南までだいたい同じで2〜3m前後であつた。ただし青森,岩手の両県境の外湾では3〜4mの高さを示した。湾奥では一般に高くなり4m以上になつた湾もかなりあり,野田および広田両湾では6m以上になつた。これを昭和8年の三陸沖地震津波と比較すると,外湾の波高分布も異なり,湾奥についても昭和8年で高い波高を示した湾では今回は低い波高となつたり,また逆の現象も現われた。すなわち今回の津波は昭和8年の場合と全く対照的な結果を示した。
4 被害は波高の最も高かった三陸沿岸に最も多く,東北地方全部で死者101名,行くえ不明15名負傷者791名,家屋の各種被害あわせて31,128戸,その他農業,漁業,商工業などの被害は多大であつた。被災者総数は127,233名,被害戸数31,128戸となり,中でも宮城県は最も多くその半分近くを占め,いかに津波の影響が大きかつたかがわかる。
5 チリ地震により津波は,過去において東北地方に何らかの影響を与えたものは10回あつたが,そのうち多少なりとも被害を与えたものは5回あつた。しかし今回ほどの規模の大きなものはなかつた。
6 仙台管区気象台では津波に対し,24日04時58分東北地方太平洋沿岸に津波警報を発令した。気象庁が津波予報業務を開始してから,かつて経験しなかつたきわめて遠地の地震津波であつたため,発令の時期を失したという世間の批判を受けたが,最大波の到達が遅かつた地域では関係機関の協力もあつて,警報の目的は1部達せられたものと考えられる。
第2節 チリ地震
2.1チリにおける地震活動
チリにおける地震活動は環太平洋地震地帯の一環として,日本と同様かなり活発な地域である。第2.1図に南米における浅発地震の震央分布を示した。この図は地震の規模(magnitude:M,3ぺージの注記参照)7以上で期間は1,900年より1,952年の53年間である。この図から浅発地震の分布は海岸線に沿つてMが8以上の大地震がかなり発生しており,なかなか活発である。この期間に津波が日本に多少なりとも影響があつたのは1906年2月,1906年8月,1922年,1943年の四つであつたが,いずれも今回に.比べかなり小さい津波であつた。しかし前の三つは81/4以上の最大級の地震であり,また一つはエクアドル沖,二つはチリで起きたものである。逆にMが8以下では日本に実質的な津波の影響はなく,あつても検潮記録にわずかながら見出されるにすぎない。
また陸に入るにしたがつて,深発地震が分布しておることなども日本とかなりよく似た現象を呈している。しかし津波の発生と同時に陸地でも地変や相当の被害があつたことから,震央が半分海(あるいは陸だな),半分陸地といつた所に存在していることは,三陸沖地震のように完全に外洋にある場合と異なつており,津波の実体にもかなり変化をあたえているものと考えられる。
2.2今回の地震
第2.1図には今回の震央の位置もあわせて示しておいた。今回の地震で非常に特徴的であつたことは2日前から大きな前震が発生したということである。第2.1表に東北管内で記録した一連の今回の地震を表にした。これらはすべて震央周辺ではかなりの被害を生じたものと考えられ,いかに地震活動が活発であったかがわかる。特に本震を中心とした記録を見てわかるように15分前と1分前に二つの前震があり,このため記録はきわめて複雑で,地震波の各相を判別することがむずかしい。つぎに本震のみについて最大振幅を読み取つたものが第2.2表である。ここで実動全振幅とは読取全振幅を幾何倍率で割つたものである。これを見ると実動全振幅は50〜100μでだいたい東北地方全部が同じような値を示しているが,南北動より東西動がすべて大きい。いずれにしてもかなり大きな振幅であり,世界最大級の地震の一つであることはまちがいない。
次に仙台からの震央距離は17,010kmで,走時は19分55秒である(東北地方全般について震央距離は17,000km前後,走時は20分前後で,観測所によって大差はない)。したがつて第1波の平均の速さはl4.2km/secとなりかなり早いもので,おそらく地球の核(core)を通つてきたいわゆるPKP(あるいはPダッシュ)であろう。
その他,気象庁松代地震観測所では5月22日に2回,23日に15回,24日2回,25日に3回,26日に2回記録している。松代地震観測所の地震計の倍率は1,000倍以上なので管下の観測所よりかなり数多く記録しておると考えられるが,それにしても17,000kmも離れた観測所でさえかなりの地震を記録しておるのであるから,震央付近ではおそらく1,000回以上はあつたものと考えられる。
普通にいう「地震の大きさ」という言葉は二通りの意味に使用されている。一つは地震そのものの大きさ,っまり地震が放出する全エネルギーに関係したもので,これを規模(magnitude:M)という。もう一っは地震が起こつたある地点におけるゆれ方の激しさでこれを震度といつている。したがつて一つの地震があれば多くの地点で記算した規模はだいたい一定しているが,震度は震源地に近いほど大きく,遠くなれば小さくなる。
震度階級は各国まちまちであるのに反し,規模の方は各国共通の尺度が使われている。これはアメリカの地震学者リヒター(C.F.Richter)が1935年に提案し,グーテンベルグ(Gutenberg)およびリヒターが発展させたもので,その定義はっぎのとおりである。
“震央から100kmのところにある標準地震計(ウツド・アンダーソン地震計と呼ばれる基本倍率2,800,固有周期0.8秒,減衰定数0.8のねじれ地震計)の記録上の最大振幅(ミクロン(μ)単位)の常用対数の値をその地震の規模とする”
たとえば100kmのところで標準地震計の最大記録振幅が1cmのときはlcm=10,000μであるからこの地震の規模MはM=log10,000=4となる。実際には震央からちようど100kmのところに地震計が置いてあると限らないので,任意の距離における最大記録振幅Aをあたえた時,ただちにMが求められるような換算方法が決められている。たとえば日本付近に起こつた浅い地震については1954年提出された坪井の式M=logA+1.73log-0.83がよく用いられている。このほか震度を使つた河角の式がある。
規模MとエネルギーEとの関係は学者によつてかなり異なつた換算式が発表されているが,第2.3表の中のEは1956年にグーテンベルグが出した1ogE=11.8+1.5Mを用いたものである。Mの値に対し若干解説を試みたのが第2.3表である。
第2.3表Mの値の解説
M9 以上の地震は地震観測が始まつて以来起こったことがない。
M81/2〜9 の地震は最大級の地震で全世界を通じて10年に1度しか起こらない。
M8 以上の地震は第1級の大地震で内陸に起これば大被害,海低に起これば1大津波を生ずる。
M7〜8 の地震はかなりの大地震で,内陸に起こると大被害を生ずることがある。海低に起これば津波を伴う。
M6〜7 の地震は内陸に起こると(とくに震源が浅いとき)被害を生ずることがある。
M4〜6 程度の地震では被害を生ずることはほとんどない。われわれが時々感ずる地震は大部分この程度のものである。
M3〜4 程度の地震は震源地の近くで人体に感じることがある。
M2 以下の地震は高倍率の地震計によつてのみ観測される。
最大級の地震M=81/2のエネルギーは4×1024ergであるが,これは水爆4個分に相当する。しかしこの比較では両者のエネルギーをそのまま比較したわけであるが,実際にそれだけの火薬を地下に埋めて爆発させた時,そのエネルギーに相当する規模の地震が起こるわけではない。火薬爆発の時地震波のエネルギーになるのは1/100以下といわれている(あとは熱エネルギーなどになる)ので水爆では400個以上要することになる。

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第3節 検潮記録より推定される津波現象
一般に検潮記録は,津波そのものを忠実に記録する津波計(宮城県女川町江の島に設置した)ERI—111型—東京大学地震研究所所属)による記録を除いては,必ずしも津波の実体をそのまま表現しておらない。すなわち天体潮や気象潮(湾の固有振動を含む)がいつしよになつたり,川口などに設置されているものは川の水量の影響がきいている。また検潮所の所属もまちまちで各々の目的に応じて適当な種類の器械を設置してあるので,われわれの欲する津波の実体をそのまま得られるわけではないが,適当な補正を施すことにより,かなりの精度でその現象を理解することのできる自記記録である。このためわれわれは可能な範囲で多くの記録の収集に努めた結果,全部で30か所のものが得られた。以下この記録に基いて津波の実体を見ることにする。
3.1検潮所の所在地,所属,器械の型,その他
ここで検潮所という言葉は,建設省や農林省などで水位観測の目的で設置した水位観測所や量水所なども含めた広い意味で使用した。第3.l表に検潮資料表としてまとめて一覧表にした。この表を見ると所属は気象庁,建設省,農林省,各県といつたものが大部分で,変わつたところでは江の島の東大地震研究所のものがあり,また勿来の火力発電所のものがある。器械の型はフースとロールが大部分であるが,故障やスケールアウトのため完全な記録は少なかつた。
数は太平洋沿岸22か所,陸奥湾および日本海沿岸で8か所となつているが,これを湾や川といつた地形的な立場でだいたいの位置を分けてみると(表の最後の項),大部分は湾奥で,湾外(外洋)が1か所,湾口が2か所,川口が8か所,川中(下流)が4か所となつている。この地形的な位置は津波現象を理解する上に非常に重要なことである。すなわち検潮所の位置が湾や川のどんな位置にあるかによつてかなり振動状態が異なつてくるからである。
3.2検潮記録より得られた諸要素
検潮記録より津波の現象を理解する上に最も重要な第1波および最大波について読み取ることにする。それには前にも述べたように記録の中に天体潮や気象潮が入つているので,これを除くため次の方法を取つた。
まず第1波の到達時間は1日前の記録を参酌し,湾の固有振動や波浪を充分見分けるとともに気圧変動を考慮に入れて判断する。湾によつては非常に判断しにくい記録もあるので,この場合には特に慎重に取り扱い客観的に無理のないようにした。たとえば八戸(湊)を例にとつた第3.1図においてAを第1波の到達時間として採用し,Aダッシュは取らなかつた。時間は分単位で不正確なもの,たとえば取り換え時間の明記してないものはすべて捨てた。次に振幅は潮位表より推算潮位を記入すると,第1波到達時において14cmのずれがあり,実際のものより推算潮位の方が高くなつている。これは当日の気圧配置を見ると,津波到達時前後には移動性高気圧の範囲に入つたためで,この気圧変動によるものを補正するため,14Cmだけ平行移動しこれを平常潮位とした。(第3.2図および第3.3図参照)。もちろん厳密にいえば気圧変動を表わす自記記録を用いるべきであるが,津波到達後数時間は津波到達時とあま
り変動がないと考えられるので,一応津波到達時の値をそのまま用いることにした。また第3.1図においてBより零線に垂線を下して平常潮位曲線との交わりをCとし,BCを振幅とした。そうすると事実上天体潮と気象潮がいつしよになつて除かれたことになる。同じような方法によつて平常潮位曲線を切る点を基準に考えて,M点を最大波の到達時間とし,その全振幅を(a+リ)とすることにした。
以上の方法に従って読み取つたものが第3.2表の各要素である。30か所の記録のうちこの表にのせたものは17か所であつて,他のものは週巻の記録であつたり,日巻でも時間の不正確であつたりしたものでこれらは除かれた。更にこの17か所の中でも故障やスケールアウトのため,最大振幅が読み取れないものが相当あり,全く完全な記録はわずかであつた。
3.3若干の考察
得られた結果より若干の考察を試みることにする。
i)第1波
第3.4図に第1波の到達時間を示した。これを見ると太平洋沿岸では湾外(外洋)にある江の島で02時37分で最も早く到達し,岩手県沿岸では02時50分前後,宮城県沿岸(仙台湾を除く)では02時55分より03時ごろ,さらに5分遅れて福島県沿岸に,さらに10分遅れて八戸港に到着し,最後に03時20分に仙台湾に到着している。また陸奥湾では04時24分に青森に到着し,50分遅れて大湊に到着した。
この結果太平洋沿岸ではだいたい東の方から平行に襲来してきたということがわかる。また幅振は最大が八戸の99cmでだいたい50cmであつた。しかし注目すべきことは江の島の振幅がかなり小さいこと,周期が短くちようど形が二つに割れたようになつていることは昭和27年11月4日のカムチヤツカ地震津波と対照的なものである。この原因として浪源の形状の違い,あるいは経路の異なつているためなどが考えられるが,いずれにしても今後の大きな研究課題である。
ii)最大波
江の島の記録を見ると05時と07時30分前後に最も大きな波が到来していることがわかる。しかし各地においては必らずしも同じ時間に最大となつていないが,三陸沿岸では05時から08時の間で起こつている。これは各湾の固有振動が大きく影響しているので記録の型とともにいろいろと異なつたものとなつた。
全振幅については湾外(外洋)に当る江の島の277cmに対し,湾奥ではかなり大きなものとなり,
八戸では2倍以上の560cm,久慈では最も大きく595cmとなつた。しかし振幅の方からいうと江の島で押し波より引き波が大きかつたにもかかわらず,他の地点では押し波の方が大きいという奇異な現象となつた。もつとも最大波の起きた時間はちようど干潮に当つておつたので,基準面より考えると引き波の方がはるかに大きかつたことは後の踏査報告に見られるとおりである。
第4節 津波の最大波高(最大浸水高)
われわれは津波発生直後より6月上旬にかけて第1回の現地踏査を実施したが,かなり未踏査地域があつたので7月中旬再び第2回の現地踏査を実施した。現地踏査の際大部分の地域で(最大波高)最大浸水高を測定したので,その結果を適当に補正および整理を行ない,特に昭和8年の三陸沖地震津波の場合と比較してその実体を説明することにする。
4.1資料
測定方法としては普通最も簡便な方法として用いられているクリノメーターおよび巻尺を用い,現地に残つた形跡や聞きこみにより,測定時における潮位よりその高さを測定した。中には既に東京湾中等潮位(以下T.P.の略号を用いる)のわかつている地点よりの高さを測定したものもある。これらの値から津波が最大になつた時刻の平常潮位(前章で説明)よりの高さとT.P.よりの高さを換算した。この換算には付近にある検潮記録や推算潮位(潮位表)を用いた。しかし各湾,各地区ごとに検潮記録があるわけではなく,またあつても不正確であつたため,厳密に言えば正確な補正をほどこしたとは言えないが,現在のところ,これ以上のことは不可能なのでやむを得ない。したがつて測定時の誤差と合わせると平均10%ぐらいの誤差はまぬがれないであろう。また標題および文中の()で浸水高という言葉を用いたのは,平常潮位よりの高さであるならば波高という言葉が波動論の定義から適当であるが,T.P.のような固定点よりの高さはむしろ浸水高とした方が適当であろうと考えたからである。(一般には混同して使用されている)。
以上の方法によつてまとめた結果を第4.1表に一覧表にした。この中の備考欄には昭和8年の三陸沖地震津波の値を比較のため記入した。次に検潮記録から計算したものが第4.2表,われわれ以外の人が測定した値を用いてメモしてきたり,また報告を受けたものを表にしたものが4.3表である。第4.3表の方は基準点が不明なものが若干あつてどのくらいの精度の値であるかわからないが,これらはわれわれの測定値のない地域だけ採用することにした。
4.2各地の最大波高(最大浸水高)
第4.1表から第4.3表までを50万または20万分の1の地図に記入したものを原図としたのが第4.1図から第4.8図までである。また宮古湾については測定値がかなり数多いので,見やすくするため5万分の1の地図に記入したものを原図としたのが第4.9図である。この図では平常潮位からの値を記入し基準不明の値は数字は括弧をつけて示した。測定値は全部で210を採用した。
T.P.よりの測定値を使用したものも同様に記入することは容易であるが,あまり大きな変化はないし,また昭和8年の値は平常潮位から測定してあるので,その比較のため平常潮位からの値の方を図示した。
この図から一般につぎのことがいえる。
i)湾外あるいは外湾を見ると太平洋沿岸一帯では北から南にだいたい同じ値で約2〜3mの値となつている。ただし八戸の南から岩手県の中野あたりまで3〜4mぐらいの所がある。これは第3章で述べたように収束効果のためであろう。
ii)湾奥では一般的に高くなつているが,野田湾,宮古湾,大船渡湾,広田湾,志津川湾,雄勝湾,女川湾,萩の浜では4m以上となり,6mを越したものに野田湾と広田湾がある。ただし野田湾の玉川は8.1mとなつておそらく今回の津波の最大の値であると考えられるが,1点だけの値なのでこの地域の代表性を表わすかどうか疑問である。否定すべき根拠もないのでそのまま採用することにしたが,全く異常なものとしか判断てぎない。
4.3昭和8年との比較
次に昭和8年との比較をすると一般的に次のことがいえる。
i)湾外(外洋)における波高分布が全く異なつている。昭和8年の場合は岩手県沿岸および宮城県北部一帯は5〜10mであるが青森県,宮城県南部および福島県沿岸ではかなり低く,2m前後となつており,今回の場合は前に述べたように全地域ほとんど一定であつた。これは明らかに浪源の遠近の極端な違いのためであることは容易に理解できる。
ii)湾内においては,昭和8年の場合綾里湾のように23.Omという極端な波高を示したが,今回はそんなに高くはない。しかし大きな湾では昭和8年の場合は湾奥で湾口よりかなり低くなつているが,今回の場合は全く逆現象が見られた。たとえば宮古湾,大船渡湾,広田湾などはこのよい例である。この原因として襲来した津波の周期が昭和8年は10〜20分であるのに,今回は60分以上であつたためと考えられる。このため湾の固有振動が大きく左右したのであろう
第三章 被害状況
第1節 被災要囚
県は,昭和8年の三陸津波を記念し毎年3月3日仙台管区気象台を始め,各関係機関と協力津汲訓練を実施しており,太平洋沿岸地域住民の津波に対する心構えは充分あつた筈である。しかしチリ地震津波が,地震を住民に直接感じさせなかつた処に今回の津波災害を大ならしめた原因があつた。
被災地域においては,仙台管区気象台からの津波警報発令前に,何れも潮の干満の異状(引き潮の場合は海底が見わたせた。)を発見しており,この発見者の通報によつて各市,町,当直は適切に津波警報を発令している。(ただ一部にサイレンのみによる警報のため火災警報と誤認された地帯があつたので,今後の津波警報の発令方法が再検討されることになつた。)これらの適切な措置により人的被害を最少限度に止め得たことは不幸中の幸いであつた。ただ被害の最も大きかつた志津川町が死者合計54名(行方不明3名を含む。)中38名(70.4%)を出しているが,これは津波の来襲を知つておるにもかかわらず,地震を感じなかつたために避難をすることに真剣でなかつたためで,これらの人達は何れも避難途中において溺死(男12名,女26名)しているが,今後の非常災害に対する貴い教訓になることと思われる。
津波来襲時間は,第1波が午前4時前後から始り,これに伴いそれぞれ警報が発令されたが,被災者は早朝のため殆んどが就寝中で着のみ着のままで避難した。このため被服寝具は勿論家財道具までが瞬時にして流失したが,特に商店街における商品類の被害が甚だしかつた。
第2節 人的及び家屋被害
チリ地震津波による被害が三陸沿岸地帯に発生したのに対し,仙台以南の沿岸地帯においては家屋の被害はなかつた。これは所謂被災地域の「リヤス式沿岸」に対して海岸線が単調で砂浜が連なり地勢がなだらかであつたためと、思われるが,しかし最高波は何れも1.7m〜2.5mを記録しているこれは当然被災を予想されていた仙台市蒲生,名取市閑上,亘理町荒浜の各漁港にはそれぞれ太平洋に流れる七北田川,名取川,阿武隈川があり津波がこれらの川をのぼつたことは勿論防波堤(名取市閖上)堤防(亘理町荒浜,仙台市蒲生)のためにさえぎられて災害を免がれたものと思われる人的被害及び家屋被害の市町村別は第2.1表のとおりである。なお,参考までに昭和8年3月3日の三陸津波の被害状況調(第2.2表)を添付したが全壊,流失,半壊の罹災人員は3,840人(チリ地震津波の同罹災人員13,077人)となつている。

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1.人的被害
人的被害が甚大であつた志津川町(前述)の38名を除く16名(内行方不明3名を含む)。は,内9名が出漁のため出港する漁船が引き潮のために,海底又は川底に接し動きがとれなくなつているうち大潮の来襲によつて転覆し死亡又は行方不明になつたもので,直接の被災地域外であつた。又被災地域内においても石巻市の1名が漁船の転覆による船内の窒息死,気仙沼市の2名及び石巻市の1名は湾内操業中による舟の転覆による行方不明で,溺死者は3名(塩釜市2名,牡鹿町1名)で志津川町を除いた被害地域の避難活動が適切に措置され,人的被害が最少限にとどめ得られた
2.家屋被害
第2〜第4波の上げ潮により一斉に運び出された障害物が湾奥に入り,これが急激な引き潮によつて奔弄されながら海面に突進するのであるが,家屋の基礎がすてに海水に洗われ,更に障害物に激突されることによつてたちまち破壊されることは当然である。津波の来襲はその後段々に弱まつたとはいいながら25日午前中まで続いた。この結果大被害をもたらしたものであるが,特に半壊家屋は屋根だけが残るという全壊にひとしい被害であつたが,特に志津川町の被害がひどかつたことは造船所用材の流木によるためであつた。
第3節 各部門別被害状況
県下の被害状況は公共施設,民間被害を含めて73億5,198万円(第3.1表)で家屋被害が42億6,580万円を加えると116億1,778万円に達した。

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1)農林被害
田植直後の水稲及び畑作並びに農業用施設に大被害を受けた。又本吉地区の桑園被害も大きく蚕種4,300箱が飼育不能となり,畜産関係は,にわとりが全般的に被害を受け一方海岸林の被害も50haに及んだ。
2)水産被害
水産関係は定期漁業,かき養殖,漁船漁具,共同利用施設に大被害を受け沿岸漁民の生計が全く閉ざされるにいたつた。又鮮魚,水産製品の流失による被害もひどかつた。漁港の破損も甚だしく,県営9港,市町村営50港に達した。
3)商工被害
商工業に及ぼした被害は家屋被害に次いで34億という巨額になつた。特に塩釜,女川,志津川地区等の商品の流失によるその惨状は言語に絶するものがあつた。又石巻,女川,気仙沼等各地区の工場,事業所の受けた被害も甚大であつた。
4)土木被害
土木被害は,河川関係が47ケ所,海岸堤防等において27ケ所,道路橋梁の欠かい破損104ケ所に達し,土木関係港湾被害も41ケ所に及んだ。
5)文教被害
学校は比較的に被害が少なかつたが,志津川町の戸倉小学校が津波を正面から受けて大被害をこうむつた外,小学校2校(志津川1,雄勝1)中学校1校(気仙沼)高校2校(気仙沼1,石巻1)に被害があり,又公民舘4が被害を受けた。
6)衛生施設被害
衛生施設関係では,病院3,医療機関43ケ処が被害を受け,又上水道,保健所,清掃施設等11ケ所が被災した。
7)公益事業の被害
公共事業関係は鉄道,通信関係,電力関係に被害を受けた。何れも第2波〜第4波により道床流失,切断,浸水,倒壊等により1億8,571万円に達した。通信電力関係は全般的に,鉄道関係は気仙沼線の築堤決壊,女川港臨港線,仙石線本塩釜駅を中心にして被害を受けたが,25日には総力をあげた復旧作業により通信関係を始めとし順調に作業が進められた。
第四章 災害救助の概要
第1節 救助体制
県庁の宿直室に現地からの第l報が入つたのが4時40分頃「女川町に海水浸入,床上1〜2m,津波らしい。」という女川町からであつた。宿直者からただちに関係課長に連絡された。社会課長(災害救助主管課長)は宿直者に対し知事,副知事,各部長に緊急連絡方を指示するとともに5時50分総合開発室主幹(災害対策本部主管室)とともに,登庁宿直室において非常体制への準備に入つた。
これよりさき現地志津川県福祉事務所は,非常通話により4時25分頃仙台管区気象台に対し津波警報発令の有無について問合せをし,更に4時28分頃県庁との連絡がとれ。これから通話という時に断線のため不通となつている。しかし事態の緊急性にかんがみて一刻も早く連絡をとるべきとし引き潮を利用し東北電力志津川変電所を利用,同所から佐沼変電所,本社を経由して6時5分頃社会課長公舎〜県庁宿直室にと連絡し,災害救助法発動の要請をしている。又雄勝町においても4時35分頃警察電話等により県警,自衛隊,日赤県支部(支部から県に)救援出動の要請がなされている。更に6時5分頃気仙沼保健所長から宿直室に,気仙沼市の被害状況,志津川県福祉事務所との電話不通等について連絡があつたが,これらの連絡から大被害が予想されるにいたつたので,隣郡迫県福祉事務所に対し応援出動準備と情報蒐集並びに報告方の指示がなされた。6時10分地方課長(自衛隊関係窓口)を経由して陸上自衛隊に対し災害派遣の要請を行つた。
副知事,民生部長(災害救助主管部長)登庁とともに副知事室に津波災害対策本部を設置した。6時20分災害対策本部において関係部長,課長の協議により非常災害と断定,副知事の決裁により本県三陸沿岸地域に対し,災害救助法を発動することに決定し,これに基づいて災害救助本部を社会課内に設置した。被害の状況を把握し,災害対策に万全を期するため早急に被害地の調査を実施することとなり,8時10分現地調査班(第1班気仙沼方面,第2班志津川方面,第3班石巻方面第4班閖上方面,第5班塩釜方面)を編成し出発せしめるとともに,更に大被害地と見られる気仙沼,志津川,石巻地方の民生保護及び各種連絡業務などに対処させるため地方対策本部を設置することになり,午後6時担当者の決定とともに現地に急行させた。
第2節 応急救助
6時20分本県三陸沿岸地域に対して災害救助法を発動することに決定されたので,昭和35年度宮城県災害救助対策実施要領(参考資料)に基づき社会課内に災害救助本部を設置した。各隊員(主として社会課員—電話による非常召集又はラジオのニユースにより登庁)は7時頃に所定の配置につくことができ,応急救助体制に入つたが,災害の規模が余りにも大きかつたためか被害状況報告が概数的で救助の具体的方策が樹てられなかつた。しかし情報の総合判断から被害激甚地を石巻地区,志津川地区,気仙沼地区とし,備畜物資(被服,寝具,日用品,その他生活必需品)の給与準備方を日赤県支部(入,出庫は日赤県支部に委託)に連絡,物資輸送のため陸上自衛隊に対し車輌派遣方(地方課経由)を要請し,又災害救助法第32条の規定による日赤県支部との委託協定に基づき日赤県支部に対し救護班の急拠出動を要請した。以来現地と密接な連絡をとりながら現地からの要請による食糧を始め被服,寝具,日用品その他生活必需品,学用品等の調達について,関係機関,仙台市内業者の協力により順調に入手,自衛隊の輸送(空輸を含み)協力と相俟つて応急救助が完全に実施されるよう措置された。
応急仮設住宅の設置戸数(災害救助法の限度(30%以内)戸数300戸)が227戸(22.5%)で終つたことは土地の入手に困難があつたことが第一の原因であり,又住宅の応急修理戸数が12%で30%まで実施し得なかつたことは一戸当りの費用(20,000円)の範囲内で修理することが困難(修理し得なかつた)であつたためである。
なお半壊家屋(1,209世帯)中特に被害の甚だしい584世帯に対し,被服,寝具,その他生活必需品の給与を全壊並みに,又教科書の給与期間を延長する措置を講じ被災者の救助に最善を期した。
災害救助種目別支弁費用市町村別の明細は第2.1表のとおりであるが,各市,町長に委任した救助事務を簡単に取り纒めると次のとおりである。

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1)被害状況の報告について
5月24日の第1報から5月27日頃までにいたる間が被害状況のピークを示し,以降数字が徐々に減つてきた。県が被害状況調べの最終的決定をしたのは7月8日である。これは役場職員が罹災者であつたこと又は救助業務のため部外者をして被害調査に当らせたたためと,その調査員が地理不案内或は罹災者の避難先不明等により,確定されなかつたためと思われるが,このため県の救助物資の給与,炊出しの現物給与等について被害地域ごとに或る程度差が生じた。応急救助の迅速化という面から被害状況については今後正確に報告されるべきである。
2)避難所の開設並びに収容について
避難所の設置状況は既存建物を利用(野外は塩釜の1ケ所)しかも公共建物がほとんどであつた。又牡鹿町,唐桑町は避難所を開設せずそれぞれの縁故先避難とした。
避難所のうち一部民間施設,神社等を利用したものについては謝金,物件借上げ等の経費を伴なつたが,収容延人員から比較して避難所設置に要した金額は微々たるものであつた。なお,志津川町から避難所設置期間(災害発生後10日以内)の延長要請があつたが,手続きの関係,経費を必要としないことなどから避難所として引続き公共建物が利用できるものであるならば,期間後の経続収容は差しつかえないとした。
3)炊出しその他による食品の給与について
県は災害の発生が早朝であつたため,又大災害と断定したことにより緊急に食糧を確保,罹災地特に遠隔地)に送付するため農林部(災害救助隊経済第1部1食糧担当)を通して政府米(乾パンを含む。)の払下げを要請した。かくて5月24日午後には炊出し用として主食を石巻,志津川,気仙沼地区に急送するとともに,ヘリコプターにより乳児用粉ミルク,哺乳器等の空輸を始め,又月25日には志津川町に対し乾パンを空輸(その他の被災地に対しては車輌輸送)し,以後現地からの要請に基づき主食の給与を実施した。なお,県は志津川町の5月24日における炊出し(にぎり飯)の応援を迫県福祉事務所に指示,同所は登米郡町村会の協力によりトラツク22台により志津川町に輸送した。ただ副食物の給与については(基準給与額1人1日50円以内)の範囲において,市,町長に委任したのでその実態は種種であるが,罐結等が多く利用された。
罹災市町のうち,牡鹿町,唐桑町,歌津町は現物給与を,石巻市,女川町は一部遠隔地(離島を含む。)に対し現物給与を実施し,又七ケ浜町は炊出しを実施したが,町民からの救援米を始めすべての応援により一切をまかない,救助費としての経費を必要としなかつた。なお,石巻市と鳴瀬町から精算の結果主食の返納が行われた。
4)飲料水の供給について
飲料水の供給についてはは自衛隊による給水,仙台市外の給水協力等により,ろ水器その他給水用機械器具の直接借上げはなかつたが,女川町,雄勝町において浄水用の薬品費及び井戸替用ポンプの燃料費(雄勝町),又気仙沼市においては給水のための燃料費と給水用のバケツ代(これは破損修理不可能として特に認めたもの。)が主なものであつた。
5)医療について
救護班による医療の実施は,日赤救護班関係が25ケ班,知事からの応援依頼による国,公立関係4病院その他直接協力の医療班(簡易保険局,NHK等)により被災地に派遣実施されたが,救護班が派遺されない地区においては地区内病院,診療等によつて医療が実施された。すなわち塩釜市においては災害診療券を交付市内20病院の協力により,鳴瀬町においては町立診療所で,女川町は石巻医師会の協力により診療所を設置,志津川町は被害を受けた志津川病院が志津川高校内に仮診療所を設置して何れも医療を実施したが,塩釜市の患者中一部医療費の対象にならない(災害に起因しない医療)者があつた。
6)罹災者の救出について
罹災者の救出については行方不明者(合計3名中)2名を出した気仙沼市が,5月25月湾内を舟艇により実施したが発見できなかつた。(罹災者の救出期間は災害発生の日から3日以内で,以後は死体の捜索期間となる。)
7)埋葬及び死体の処理について
埋葬及び死体の処理については,志津川町及び塩釜市が,死体の検案を(志津川町は洗浄,消毒等の処置も)実施し,更に塩釜市においては埋葬に必要なものの現物給与を実施した。なお,その他の地区においては直接罹災家族が処置している。
8)障害物の除去について
障害物の除去(日常生活に直接影響のある石,竹木等の除去で除去戸数は半壊,床上戸数の3%以内)については,それぞれ隣接地消防団,勤労奉仕団等により応援実施されたため,直接実施したのは雄勝町のみにとどまつた。
9)生業資金の貸付について
生業資金は2ケ年間無利子で貸付るものであるが,金額が少額なためと手続きに余裕がなかつたためか貸付は1件もなかつた。
10)輸送費及び人夫賃について
食糧,救助物資の配分その他の応急救助を実施するため各地区とも庁用車は勿論車輌の借上げ及び人夫の雇傭を行ないそれぞれ万全を期した
(参考資料)
宮城県災害救助対策実施要領
1.宮城県災害救助隊本隊(以下「本隊」という。)は,非常災害(被害程度が災害救助法適用基準以上に達した災害をいう。以下同じ。)が発生した場合において,応急的に必要な救助を行ない,罹災者の保護と社会秩序の保全を図るため,災害救助法及び法規に基づくほか,この実施要領により行動する。
2.本隊の編成は,別紙のとおりとする。
3.県福祉事務所,市支隊及び町村分隊においても,本要領に準じて救助計画を定めるものとする。
4.本部の設置
(1)非常災害が発生した場合は,本隊は,直ちに本部を県社会課に設置し,災害救助対策協議会において決定された応急救助対策の実施について各部の活動を推進する。
(2)本部室には,各部から連絡員を派遣させ,相互の連絡を密にして救助業務の円滑な運行を期するとともに,「非常災害用電話」として局番を指定して特別通話ができるよう措置する。
(3)救助に関する各種情報対策及び措置状況は,これを中央及び東北北海道地方災害救助対策協議会に報告し,必要あるときはその指示を受け,又は協力方を要請する。
(4)本部の閉鎖は,災害発生後おおむね20日をもつて閉鎖する。ただし,状況によつて延長又は短縮する。
5.救助の実施要領
(1)隊長は災害が発生し,又は発生のおそれがあり,救助活動を実施する必要があると認めたときは,副隊長,各部長を召集し,救助隊活動に関する方針を決定するものとする。
(2)各部長は,隊長の方針に基づき,各部内の具体的事項について協議し,直ちに救助活動を開\始するものとする。
(3)各部長は,非常災害の発生に際し,あらかじめ定めてある召集要領によつて隊員を所定の配置につかせ,また,本部との連絡のため連絡員及び伝令等をすみやかに派遣するものとする。
(4)他県に発生した非常災害にいつて,救助応援を行なう必要が生じた場合の救助隊編成その他の事項については,その都度決定するものとする。
宮城県災害救助隊編成表

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県は災害救助法に基づく応急救助の実施とともに,更に罹災者の救援を行なうため厚生省に対して米国から送られるCAC援助物資の寄贈方を要請(米国からの海上及び国内輸送運賃は県の負担),日本国際キリスト教奉仕団を通じて第1回分を自衛隊輸送機4機により,第2回分を貨車輸送により寄贈を受け第2.2表のとおり被災地に配分した。
第3節 自衛隊の災害派遣活動
5月24東北方面総監部並びに第6管区総監部は,知事の災害派遣要請に基づき午前lO時には志津川町,女川町に各1ケ大隊の出動を開始,24日中に各被災地に対し部隊の派遣を完了総力をあげて活動を開始した。すなわち救助作業,遺体収容,道路の啓開,堤防補修,家屋整理,給水,防疫救助物資の輸送又海上自衛艦による掃海,物資輸送等が迅速に行われた。特に,志津川町における入浴,洗濯は民生の安定に,万石浦の架橋作業は同方面被災地域ヘのその後の救助活動を順風ならしめた。自衛隊の派遣状況は第3.1表のとおりであるが,なおあわせて衛生科部隊の派遣状況(第3.2表)をも添付した。

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第4節 チリ地震津波災害義援金募集委員会
チリ地震津波による被害の甚大なるにかんがみて,県は被災者救援のため日赤県支部,県社協,県共募等と打合せの結果「チリ地震津波災害義援金品募集要領を決定,募集主体を宮城県チリ地震津波災害義援金品募集委員会(委員は,日赤宮城県支部,宮城県社会福祉協議会,宮城県協同募金会,仙台中央放送局,東北放送株式会社の5者)とし,事務局を日赤宮城県支部内に設置,5月24日から6月23日まて1ケ月間にわたり活動を開始した。
この災害によせられた全国からの義援品43,263梱,義援金102,990,731円で,この外直接被災地への分を含めると義援金総額は140,574,300円となつた。被災地ごとの義援金額及び募集委員会からの配分額は第4.1表のとおりである。

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