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§1, 緒言

1960年5月24日 チリ地震津浪は、本邦の太平洋沿岸の全域を襲い特に北海道、三陸地方に甚大な被害を与えた。
過去に於てチリ沖に発生せる津浪が、本邦に伝わった例は、明治以来数回あるがいずれも検潮記録に数10cm位の振巾が計測される程度で、被害を伴ったことがない。
我が国に於ける津波防災の研究は、昭和8年の三陸津波以来急速に発展して来たが、上記の如き事情から皆、これら研究は日本近海に発生した津浪に関するものであって今回の如き、所謂遠地津浪による災害の研究資料は皆無であり津浪研究の盲点でもあった。
今回のチリ津浪と近地津浪を比較すると、遠地津浪は太平洋沿岸の実に広範囲に亘る地域に津浪現象がみられることと、周期が一時間以上のものがみられ、湾その他の地形による影響に著るしい相異がある。
又、過去の資料によると三陸沿岸と東南海沿岸の津浪危険度を同一スケールで比較することが困難であったが、この遠地津浪の伝播は日本の太平洋全域に於けるエネルギーの配分を知る上に極めて重要である。
此の津浪はまた防潮堤その他の防禦土木施設の効果を再検討するのに絶好の機会で三陸海岸に於て極めて有効な働きをしたものもある。
この津浪の現地踏査のため文部省より総合科学研究費が与えられたので直ちに各大学、気象庁、水路部及び建築学会の関係研究者の協力を求め、速かに調査員を現地に派遣し調査にあたった。
各調査班の調査区域は、夫々大学所在地方を分担したが、東京に於ては、東大、気象庁らの調査員が出発前に地震研究所に集合、調査計画を立て、且つ、調査班を13班に編成、北海道——静岡県、浜松間の調査区域を指定し、未調査のない様努めた。
本速報は現地踏査事項の生の報告であり、波高の基準は全調査員の測定した値を、いずれも東京湾中等潮位面(T. P)を基準として統一した。又波高の測定誤差も信頼度を規定して全国同一基準にした。
また以上の地球物理学的調査以外に、大学、学会の工学者による土木、建築、構造物の調査事項も掲載した。
以上の如く多数の調査者の協力により、全国を網羅する広範な区域を調査したので現在なほ資料の整理中であるが、多くの関係者の要望もあるので、不備ではあるが速報として一部を発表、この資料を基礎として遠地津浪に対する研究を進め、後日、本報告を出版したいと考えている。
津浪来襲状況の写真について、今回の津浪来襲時刻が朝方であったことと相まって、地方関係機関をはじめ、多くの篤志家によって、非常に貴重な現象を撮影し、各調査員に御提供を得た。その他調査員は夫々の被害状況を撮影してきたが印刷の関係で今回は割愛する
終りにのぞみ、各県市町村の関係機関者の御協力を仰ぎ、且つ資料の提供を賜り、又気象庁、地理調査所、水路部、府県及び地方建設局などの管理する検潮所の津浪来襲当日及び調査員の波高測定期間中の検潮記録の複写を御提供いただき得たことを記し深く感謝する次第である。本速報の編集には地震研究所 羽鳥徳太郎君の多大の努力が払われた事を記し併せて感謝の意を表する。


昭和35年7月
東京大学地震研究所長
高橋 龍太郎

§2, 各調査班の分担調査区域及び氏名

第1部 北海道

調査区域 所属機関 調査員氏名


根室、釧路、浜大樹間
北海道大学理学部 鈴木建夫
同 清野政明
同 村瀬勉


広尾、襟裳、鵡川間
同 藤木忠美
同 須川明


苫小牧、渡島砂原間
同 工学部 柏村正和
同 八鍬功
同 高橋将


鹿部、江差間
同 理学部 大谷清隆
同 中村勉

第2部 青森、宮城間

四川目、音部間
東北大学 理学部 高木章雄
同 伊藤三吉


船越、気仙沼間
同 中村公平
同 江村欣也


岩井崎、只越間
宮城県気仙沼水産高校 西城忠泰


尾浦、寄磯間
東北大学 理学部 高木章雄
同 近藤実
東北大学 理学部 伊藤三吉


牡鹿半島、金華山
同 鈴木次郎


松島、尾浜間
同 石田治子


野蒜、荒浜間
同 江村欣也
同 石田治子


岩井崎、雄勝間
同 加藤盤男
同 阿部正宏
同 島田■郎
同 阿部宏


平井賀、女遊戸間
同 植田良夫
同 鈴木光郎
同 青木謙一郎


田老、大槌間
同 福井英夫
同 渡辺良雄
同 長谷川典夫
同 藤原健蔵


八戸、久慈間
同 岩井淳一
同 高柳洋一
同 中川久夫
同 佐藤湧


田老、釜石間
同 小貫義雄
同 柴田豊吉
同 三位秀夫
同 田村美乃


大船渡、気仙沼間
同 北村信
東北大学 理学部 小高民夫
同 片岡純
同 森啓
同 菅原捷

第3部 北海道、静岡間

一般踏査報告(大船渡、志津川間)
東大 地震研究所 河角広
同 佐藤泰夫


北海道
東京水産大学 三好寿
同 山口和貞


下北半島西岸、青森間
気象庁統計課 宮崎正衛
東大 理学部 高野健三


岩屋、尻屋崎、八木間
東大 理学部 佐藤良輔
同 栗本広
同 赤松敬


久慈、小本間
東京学芸大学 富永政英


田老、船越間及び津軽半島
気象庁気象研究所 宇野木早苗
同 研究所 土屋瑞樹


大槌、吉浜間
東大 地震研究所 表俊一郎
同 小牧昭三


越喜来、門之浜間
東大 地震研究所 桃井高夫
同 黒木義弘


大野、気仙沼間
東大 地震研究所 笠原慶一
同 理学部 茅野一郎


大谷、志津川、御前浜間
東大 地震研究所 平能金太郎
同 理学部 平沢朋郎


女川、石巻間
東大 地震研究所 相田勇
同 工学部 影山正樹


松島、那珂湊間
東大 地震研究所 羽鳥徳太郎
同 工学部 高隆三


房総半島
東大 地震研究所 山口林造
同 岡田惇


三浦半島、浜松間
東大 理学部 寺本俊彦
同 永田豊
同 須藤英雄
同 竹田厚


八丈島
東大 地震研究所 羽鳥徳太郎

第4部 静岡、和歌山間



名古屋大学 理学部
飯田汲事
島津康男
青木治三
熊沢峰夫
太田裕
成瀬聖慈

第5部 近畿、四国

京都大学 理学部
速水頌一郎

第6部 九州

九州大学 理学部
下鶴大輔
後藤賢一

第7部 釜石、大船渡、気仙沼、女川及び石巻 各港湾の津浪調査

海上保安庁水路部
新田清

第8部 宮城、岩手、青森県下の土木災害について

東京大学 工学部
堀川清司
鮮干■

第9部 チリ地震津浪災害調査報告

日本建築学会
代表者 武藤清

§3, 波高の測定方法及び基準について

各調査班の波高測定方法は、特別な場合をのぞき、いずれもハンド・レベル、巻尺及び折尺を使用、測定値は各調査班同一基準に統一して整理した。
次にその方法を記述する。

(1) 測定対象及び信頼度

波高を測定する対象は、家屋、構造物などに附着した泥、油などの痕跡(測定点附近における同一水面にある痕跡で、最高水位にあるもの)を、そのときの海水面を基準にして測定する。
その他砂浜においては、色の変った痕跡とか、ワラゴミなどの浮遊物の打ち上げ跡、或は津浪が護岸面にも達しなかった所では、目撃者から当時の最高水位をききこみ、前と同様に測定時刻の海水面から指示された最高水面までの波高を測定する。この際、最高水位は、ジワジワ盛り上がった水面で、護岸などに打ち上げられた波は除く。
次に測定値の信頼度は測定に際し、痕跡の明確度と測定誤差の大小にとり、3階級に基準を設定した。


A; 信頼度大なるもの、痕跡明瞭にして、測定誤差最も小なもの
B; 信頼度中なるもの、痕跡不明につき、聞きこみにより、周囲の状況から信頼ある水位を知るもの。 測量誤差小
C; 信頼度小なるもの、その他砂浜などで異状に波が、はい上ったと思われるもの、 或は測点が海辺よい離れ測量誤差が大なるもの。


従って測定値の精度は、ハンド・レベルの使用と、そのときの海面の模様などから±10cm程度の誤差は免ぬかれない。
なお附図に示した観測点の記号は上記の信頼度の規定に従い次の通り。


◎ 検潮記録の読みとり値
? 信頼度の大なるもの(A)
● 〃 中くらいのもの(B)
? 又は(○)〃 小さいもの(C)
? 他機関の測定によるもの
○ 地名
波高単位 m (T.P.上)

(2) 波高の基準について

波高の基準面は、測定点に近接する検潮所の記録上の東京湾中等潮位面(T.P.)を基準として求めた。
即ち、右図の如く


a; 測定値
b; 観測潮位
求める波高
h=a+b


以上の方法により、各調査班は同一基準で波高を求めた。
然し検潮所によって、上記 T.P との関係が明らかでない所では、その記録の平均海水面を基準とする。
又、測定点が二つの検潮所の中間に位置するときは、夫々の検潮記録のT.P を重ね合せ、観測潮位は右図の如く、A,B 検潮所の距離に比例配分して補正潮位を求め、波高を決定する。
その他、測定点に近接する地理調査所、県などの水準標石(B M)及び港湾の工事基準面を基準としたものもあるが、その場合は、但し書きを明記した。
(羽鳥)

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波高の基準面
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測定点が二つの検潮所の中間に位置するとき

§4 津浪波高地図

第1部 北海道

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第2部 青森、宮城間(東北大)

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第3部 北海道、静岡間

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地図 津浪波高地図

第4部 静岡、和歌山間(名古屋大)

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第5部 近畿、四国

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第6部 九州

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§5, 津浪の最高波耒襲時刻地図

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§6, 津波調査表

第1部 北海道

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第2部 青森、宮城間

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第3部 北海道、静岡間

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第4部 静岡、和歌山間

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第6部 九州

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地図 津波調査表

第7部 釜石、大船渡、気仙沼、女川及び石巻各港湾の津浪調査

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地図 津波調査表

§7, 各地域踏査記事及び測点々の記

第1部 北海道

歯舞、榊町間

北海道大学理学部 鈴木 建夫

歯舞・沖根婦・友知

5月24日4〜5時の間に歯舞の開発局の護岸提工事現場に浸水した。
以後1時間40分位の周期の大きな干潮が夕刻まで数度にわたり現われた。
最大の干潮はー1,8m (T。P上) であった。この附近で一般的に云えることであるが、小川に沿って海水が逆流して川岸の民家に多少浸水した。一方、一般の砂浜では急傾斜部分を上りきった程度で民家にまで海水は達していない。

花咲

検潮儀記録より津波来襲5月24日2時35分、最大波来襲24日4時40〜45分 scale out のため最高波高は不明。防波堤内は波高一様で、魚市場の壁に約 0,8 m の所まで明瞭な痕跡が殘っていた。堤外の砂浜は一般に波高は提内より低いが、湾の西端砂浜が荒磯に変る所で急に波高が高くなっている。漁船が高所(浜の上の湿地)に乗りあげていた。

昆布盛・瀬臥牛

通常の最満潮時より+1、0m位の高潮であった。

落石

土木現業所工事現場に24日5時40〜50分頃、工事中の提に浸水。
その前、4時20分頃に高潮来襲。前後の周期1時間20〜30分、その他25〜30分の周期もみられた。潮位異常27日晝頃までみられた。

根室港

24日6時30分頃最大の干潮があり、7時すぎに最大満潮があった。
周期30〜40分のもあり、遅巻き検潮儀によると30分周期と2時間周期がみいだされる。

貰人

昆布干しの漁夫が24日3時10分頃異常な上げ潮を確認。最大波来襲5時20〜30分頃。
最大干潮は8時30分頃で普段の汀線より約200m後退した。

奔幌戸

24日4時異常満潮に気付いた。4時30分干潮あり、4時45分最大波来襲、5時30分〜6時に大干潮があり、普段の汀線より200m以上後退した。7時50分頃満潮となった。その間5分以内の小周期がみられた。幌戸・奔幌戸は民家のある所から山側に湿地状の沼があり、そこまで海水は川沿いに逆流した。川沿いに逆流した海水は一般の所より0、3〜0、5m高い潮位が得られる。

榊町市街

ここは丁度床下浸水程度であるが、殆んどの地面に海水が上っている。

暮帰別〜浜中〜榊町間

この間は一面に浸入のあとがみられ、殆んどの民家は浮上移動していた。
この附近は地面より+1、0m位の浸水の跡がみられる。

霧多布、釧路間

北海道大学理学部
清野 政明

霧多布

5月24日04時40分頃、最高波が寄せて来た。大波は、浜中湾方向 ─琵琶瀬湾方向─ 浜中湾方向から、3回にわたって寄せてきて、霧多布街は、完全に水がついた。破壊された家を見ると、津波により打ちこわされたと云うよりも、波に浮び漂流した家や舟等が互いに衝突し合ってこわされた感じが強い。又、特に目立ったことは、コンクリート基礎の家屋はほとんど破壊をうけていず、木杭の上にのっているような家屋は全く壊滅状態であった。波の進行状態は、もりあがった平坦状態で進み、岸に近ずいてその前線がわずかに白くくずれ、丁度速く満ちてくる潮のような感じであったと云われている。

散布

津波をかぶった範囲は、大して広くなく、普通のシケであぶる程度あったが、引き波は今までにみられぬくらい大きかった。引き波は白くさざめき、返し波はふくれるような平静な波であったと云われる。

床潭

著るしい引き波により始まり、相当大きな津波を予想していたらしいが、返し波は普通のシケ程度で、十勝沖地震津波がこゝで大きく被害を及ぼしたのにくらべて、全く被害はなかった。

厚岸

厚岸町のパラサン崎寄りが、波は高く、浸水家屋はかなりあったが、流失家屋は全くない。波の進行方向は、厚岸湾口の色々な方向から来た如く、場所、人により違い、厚岸湾の対岸方向からくるようすを示したり、非常に複雑な流れをしているように思われる。

この区間(霧多布──釧路)の総括

津波は、24日04時30分〜05時の間に最高波がきているところがほとんどで、みかけの周期は、約40分 〜 60分のものが多かった。又、波の進行状態は、激しいと云う感じではなく靜かにもりあがるように寄せ、その前線は岸にくるまで明確にわからず、あふれるように寄せてきたと云われる。そしてこの最高波が寄せる前に著しく大きな引き波があったこと、かつてみたことがないような海底があらわれたことが、全区間で指摘される。
十勝沖地震津波が、前線にかなりのくずれをみ、かつ突然大波が寄せてきたのにくらべて、今回の津波の特長がある。

釧路港──浜大樹間

北海道大学理学部
村瀬 勉


この間では、釧路港の検潮儀と浜大樹で港を建設するためにスタジア式波浪記録観測計で波高を観測している以外検潮観測は行なわれていない。従って全て聞き込みで、周期、来襲時、最高波高、到達点等は正確を期し、難しかった。測量はポケットコンパスと折尺を用いた。

釧路港内

家屋の壁に泥水の痕跡がみられたが不明瞭であった。防波堤及び船着きの岸壁を越えて浸水したが直ちに地面は急傾斜であって浸水は広くない。

西庶路・刺牛

砂浜上で最高波の到達点を漁師に聞く。来襲時は不明であった。

白糠

漁師によれば、24日 4時30分頃、引き潮があり5時頃上げ潮で最高となった。砂浜上の到達点で最高波高をきめた。

尺別

漁師によれば、24日5時頃は著しくなかたっが、6時30分 〜 7時頃最高となった。砂浜上の到達点で最高波高をきめた。

厚内

漁師によれば、24日7時頃最高となった。砂浜上の到達点で最高波高をきめた。

大津

漁業組合職員によれば、24日4時頃及び5時頃来襲し、6時 〜 15分 〜 20分頃最高波となった。これは第3又は第4波とのこと、浸水は川沿いと海岸沿いの低地である。砂防提の上約10cmをこえたので、これを基準にして最高波高をきめた。

浜大樹

波浪観測者によれば、24日6時50分第2波と思われる押し波があり、これが最高で、直ちに引き初め、7時15分に100m程度普段の汀線より後退し、直ちに押しが始まり、7時15分には一ぱいになり 又 引き初めた。
(写真) 砂浜上の到達点で最高波高をきめた。
波形は、どの点でも膨らむようにしてきたという。

広尾、襟裳、鵡川間

北海道大学理学部 藤木 忠美
同 須川 明

総括

筆者等の分担した区域、広尾より襟裳岬を間に挟み鵡川に到る海岸は他の海岸に比し比較的大なる湾入の無い区域で特に襟裳岬以西では単調な地形である。全域を通じて云える事は検潮儀記録が浦河一カ所しか動いていなかった為、主として港湾関係の人々の談話によった為、早朝の来襲の為、正確を欠く事である。波高について云えば筆者等の測定以外は主として外洋に面する高さのわかっている堤防を基準とし高さの異る場所に於ける海面と堤防との関係から求めている。これは津波来襲状況がどこでもゆっくりしたものであり(波長大)且つ当時の天候が晴天で波が無いか、あっても小波であったので信頼出来る値と考えられる。来襲時、周期、第何波が最高波であったかに対する記録は大略の値であるが、浦河の記録に比べると大凡の傾向として合っていることがわかる。どこでも出漁準備中の漁師が引き潮の異常に大きいのに気づいて津波の来襲を気づいている。この為早く独断で警報を出し被害を少く出来た所もある。(東静内)一方測候所に問合せたが警報が出てないのでそのまゝにして被害を受けた所もある(庶野)十勝沖地震の津波に比し引きが極めて大であった。(平均距離にして二倍位)事と周期が長かった事(平均40分位)が上げられる。最大波は第2波という所と第3、4波という所が多い。海鳴り等については広尾一ケ所で聞いたのみで他は聞いていない。(十勝沖の場合は各地で聞いている。)波高は十勝沖に比し大きかった所と小さかった所がある。波高については注意す可き事が二つある。?つは浦河、三石を境として浦河以東襟裳岬側と三石以西と波高が1m異る事である。(東側が大)?つは襟裳岬の東西両側に波高の大なる地域が夫々対称的に存在している事である。(幌満と庶野及び目黒)第2図の()内の値はT。P上の値ではなく、来襲時の潮位を補正し津波のみによる高さを示す津波の実高値である。襟裳岬周辺の地域は平常よりbeacherosionの大なる所で今回の津波は高潮より結果としては波高が小さかった様であり、護岸のある場所では被害を少なくしている。然し高潮時と津波と重なった場合を考えると護岸の現在の高さより更に4米高い護岸が必要という事になる。庶野における漁船20隻近い損害は不可抗力では無く予報があれば防ぎ得たものと思われる。記事には書かなかったが、海岸全域特に襟裳周辺の海岸では引き波によるerosionは目には見えぬが海岸の昆布礁等をかなり破壊しているようである。

記事

広尾修築所員の談話による。当時の天候、海况は晴で波はなかった。この状況は調査全域(廣尾──襟裳岬──鵡川)を通じて同じであったので以下記述は略す。検潮儀は故障中で記録はない。第一波の来襲時刻は不明なるも3時20分頃引きで気がついたと云う。最高波は4時10分であった。(これは信頼出来る、技術員が測った。)波高は検潮所のガラス窓に残った明瞭な痕跡より計算した。基準は検潮所の球分体で、測定は修築事業所員である。周期は最大波来襲時約40分。ゴーゴーという海鳴りを聞いた。最大波は押しの第一波という人も多いが正確かどうかは不明、被害の主要なものは木材の流失と港内中突堤の先端が引き潮で折れた外、漁船が物揚場や中突堤へ乗りあげた。港外(防波堤の外)の砂浜で痕跡より波高を求めた。(筆者等の測定の結果は附表の如く2,4m(T。P。上)であった。潮汐の値を補正した津波の実高は2、8m(修築事業所測定)、港外2、6m(筆者測定)である。

目黒

赤石雅洋氏談。引きで津波と気が付いたが、時刻は不明、三四回目の押しが最大。高潮を防ぐため護岸を作ってあったので被害は無い。砂浜にあった漁船は陸へ引き上げたので流失を防げた。周期は40分位。結果として高潮時よりも波は低かった。高潮の時は波は護岸を越えて道路上にあふれるが今回の津波では護岸を越えなかった。広尾と目黒との間にあるフンベ(地名)では少しのシケでも波が路上に上るのに今回の津波では特に変った事なく気がつかなかったという。波高は護岸堤防の波の上った位置を指示してもらい、又少し離れた護岸のない砂浜二ヶ所につき測定し平均した。二ヶ所の差は20cm位である。津波の実高は3、5mで襟裳岬の東側周辺では最高である。

庶野

修築事業所談最大波4時30分〜5時頃。周期は不明なるも30分位という人多し。漁業組合長工藤兵治氏によれば引き潮で始まり第2波の押しが最大であった。波高は堤防(高さ3、5m)を基準とし、これが丁度見えなくなった事より堤防の基準面より計算してT。P。上の高さを出した。又筆者等は港内物揚場の砂浜に残った痕跡を指示してもらひ波高を求めた。2、6m(T。P。上堤防による)3、3m(T。P。上物揚場筆者等測定)此の差07mは測定の誤差では無い。筆者等の測定時の海面は港内海面であり波は全く無かった。修築事業所の堤防による測定に大きな誤差がなかったとすれば考えられる誤差はハンドレベルによる測定誤差のみであるから堤防と両者合せて±20cm位である。この差0、7m±0、2mは凡らく小さな港内へ浸入した津波があふれて陸地へ上ったものであろう。庶野の被害は筆者等の分担区内では最高であったが原因は附図第3図の如く工事中の排水せる船入澗との間の堤防が決潰した為、澗中の漁船が此の中へ突入してぶつかり合った為であり予報があれば防ぎ得たものである。此の為小型漁船20隻が破壊されている。

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第3図 庶野港略図
襟裳

庶野と襟裳岬との間の百人浜の砂浜では明瞭な痕跡を見出せなかったので測定は断念した。襟裳では小越の漁業組合金沢正史の談話による。3時10分頃より引き始めたという。最大波は5時頃であった。引きの最大時では満潮時の汀線より約70m位引いた。周期は40分位、被害は漁船3隻浸水。土砂の堆積物が大量に流出した。(掘さくした土砂を砂浜に盛上げてあったもの)波高は船入澗の中の砂浜を中心に澗外の砂浜痕跡を指示してもらひ、三ヶ所測定した。附表には平均値を記した。測定値は夫々2、5m、2、8m、3、0mである。これは附図第4図に示した関係位置にあり地形の影響であろう。(図には津波のみによる実高値を記した。

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第4図 襟裳港附近の場所による波高分布
エンシマ

砂浜痕跡を漁師に指示してもらい測定。土地の人の話しでは津波は高潮より低かったという。

幌泉

修築事業所による。四時頃より始まり、第4波が最大。周期は約30分。波高は防波堤防によって測定。最大波は岸壁護岸をわずかに越えた程度。被害漁船一隻。

幌満

九里信治氏談最大波は5時30分頃で、第三、四波、引きは100〜150m位で十勝沖地震の時に比し2倍位という。周期は不明。波高は護岸の痕跡指示によって測定、高潮時よりは波高は小という。然し乍ら実測による波高は3、7m(T。P。上)実高は4、1mで筆者等の分担区域内の最高を示している。信頼度が附表の如くCであるがこれは堤防(護岸)のどの辺まで波が来たかを指示してもらった為の考慮と測時波高3〜4m位の大波の為海面の位置を出すの苦心した為に多少の誤差を見越してCとしたわけであるが誤差0、5mとしても波高は3、6mとなり目黒と共に最高値となるので幌満の最高は動かせないものと考える。この事は襟裳岬をはさんだ両側に波高の高い地域がある事を示し、暴風時の高潮が仝様の傾向を示す事実を考えると地形的に波が集れんする場所にたっていると考えられる。注目すべき現象である。

様似

修築事業所による。周期、来襲時等不明。波高は防波堤(港の外側の)を越える波から測定。被害漁船三隻破損、最大波は6時〜6時30分頃という人もある。

浦河

修築事業所による。此所は分担区域内で検潮儀の記録を得られた唯一の場所である。測定は凡て検潮記録によった。津波時の潮位は前日同時刻の潮位を使用した。周期は最初の大きな三つの波の平均を取り50分。最初は2時30分頃の引きで始まった様であるが引きの量は少く副振動との区別は困難である。3時の押しからは明瞭な水位の上昇がみとめられる。最高波高2、1m(T。P。上)実高2、7mで様似と同じ値を示しているが、浦河以西の各地と比し約1m高い。これは岬の地形的影響が浦河あたりまでで浦河以西には及ばなかった事を示す様であるが、浦河以西では水深が浅くなる事も多少関係しているであろう。最高波の来襲時6時の記録は他の場所の談話による同時刻が大略正しいものである事を示す。

三石

修築事業所による。最大波6時30分頃。周期不明、防波堤による波高の測定1、2m(T。P。上)実高1、8m。津波は高潮程度で被害無し。
前記の如く三石より波高は浦河以東より約1m低くなる。

東静内

室蘭土木現業所修築事業所による。最大波の来襲時は7時30分頃。被害無し、引きの異状に大で400m位沖まで水が濁った。これは遠浅のためと思われる。漁師によれば3時頃引き出し津波と思いサイレンにて警報した。

厚賀

室蘭土木現業所修築事務所
4時30分頃引き始めたので出漁準備中の漁師が津波ではないかと気がついた。引きが異状に大であった。波高は防波堤による測定。周期は最大波来襲時頃は約40分。波高は十勝沖の地震津波より小さかった。海図のー2、5m線まで引いたと云う。

門別

漁業協同組合談。最大波は6;30〜7;00引きが強く津波と気附く。押しは十勝沖と同じ位。200m位沖まで引いた。波高は砂浜の痕跡によった。

鵡川

汐見漁業協同組合談。4時30分頃引きの大きい為に気附いた。最大波時刻不明なるも7時頃らしいという。周期不明。被害なし。引きは100m位沖合までという。高潮時より波高は小さい。

苫小牧、渡島砂原間

北海道大学工学部 柏村正和
同 八鍬功
同 高橋將


苫小牧港では、自記検潮儀の設備があったが、沿岸流による漂砂のため導水管が埋まり記録は信用おけず、午前六時三十七分より始められた量水標による2分毎の目視観測資料を用いることとした。
波高調査表及び、図中の数値は、これによるものである。
なお、苫小牧港における最低水位は、午前四時五十分、東京湾中等潮位下二百三十糎であった。
これらは全て、北海道開発局室蘭開発建設部苫小牧港建設事務所調査試験係にて行い、得た記録である。
白老町海岸は、苫小牧方面から続く平坦な砂浜海岸であり、海底にもさしたる特異性はみられないが、この点での最高波高が他に比して極めて大きな値を示したのは注目される。
この現象は、先の十勝沖地震の際には見られなかった事とのことである。
白老町での調査は、同町浜町四区漁業中山萬氏の話によるものである。
調査は五月二七日午前十一時より正午にかけて行なったが、最高波による痕跡はあまり明瞭ではなく、又測定時はかなりのシケで汀線附近に近よれなかったため測定値には大きな誤差があるものと思われる。
おそらく最大±50cm程度であろう。


鷲別町海岸における調査は、幌別漁業協同組合理事大屋源藏氏の協力を得て行ったものである。
鷲別海岸も白老海岸同様の平坦な砂浜海岸であるが、前浜勾配はやゝ急になっている。
測定は川口を利用して作られた船入澗の防波堤壁面の痕跡を用いて行ったが、その痕跡が、最高波襲来時のものか、調査当日午前中の風浪によったものかは、はっきりせず信頼度は小さい。五月二七日午後四時調査。


室蘭港における調査は、北海道開発局室蘭開発建設部室蘭港修築事務所で管理する検潮所の記録を基にして行ったものである。(高橋将)

有珠湾

有珠湾は噴火湾内では最も被害があった。
別図の如き小さな湾で「のり」や「かき」の養殖をしている。この施設が被害の主なものとなった。
漁業組合の話によると5月24日午前4時頃までは出漁中の漁師はつなみについては何も気がつかぬ程度であった。4時半頃約2米海面低下し汀線は100m後退した。七時頃から汐がこみ出し7時25分には低地帯護岸壁を越えて床上浸水家屋多数を出した。これは30分程で一先ず引きその后2〜3回上昇下降があったが7時半頃のようには上昇しなかった。次ぎの大きな海面上昇は15時15分から約10分間で7時半の時より50cmも高かった。浸水域は前回より拡大し避難する人は多数であった。次ぎの主な海面上昇は25日午前3時15分頃であったがこの時は浸水家屋なく、その后は次第に元に戻って行った。
此の大きな変動のあいまには30分間の周期で海面の上下があった。
15時15分の最高水位面は民家や学校の壁に丁然と残り5月30日12時15分の海面から230cm上であった。これは東京湾中等潮位上約130cmに相当する。新聞や他の報告に波高3〜4mと云われているのが見られるが、筆者の実測では全くそのような事実はない。ただ護岸壁の低い町であるので浸水に驚いた人たちの過大な見積りがそのまゝ報道されたのであろう。
(柏村正和)

国縫(5月31日15時30分)

砂浜海岸のため、はっきりした痕跡はつかめないが、附近の人々の話を総合して、24日6時頃はじめて水位が上昇したとき、及び14時30分頃最大波高が来たときの汀線の位置と測定時の汀線の位置との間の距離を測定し、更にその間の砂浜の勾配を測定して、距離と勾配から波高を算出した。6時頃の水位は測定時の海面から1、2m、最高水位(14時30分)は1、8mであったが、これは満潮時と重った為で、潮汐の影響を引き去ると6時の水位が波高であった。

八雲(5月31日12時10分)

国縫と同様砂浜海岸であるため、前と同様の方法により測定時の海面から最高水位迄の高さを算出した。
猶最高波の到達時刻、周期等は、漁師の人達及び役場の人達の話を総合して判断したものである。(八鍬功)

鹿部、江差間

北海道大学理学部 大谷清隆
同 中村勉

序言

チリ地震津波による北海道南部(鹿部──江差)沿岸の被害状況並びに波高調査を5月26日から6月1日迄の7日間にわたって調査した。
その概況を報告します。

I)

調査期間中、津波の余波が続いていて、海面の変動がはげしかったので、波高の測定基準は各地の水準点にとり、Handlevelと箱尺によって波高を測定した。Fig1は測点を示したものである。時刻は第一波の到達時刻である。これは検潮記録から読みとった値であるが、福島と松前では松前の方が7分早く到達したようになっているが、これは検潮記録の時刻に誤差があった為と思われる。

II)各測点について

鹿部(5月28日)
北海道土木現業所鹿部港修築事務所の検潮記録によった。最高波の来襲時は丁度干潮時であったので、最高水位が上ったのは15時頃であるが、振巾の最大時刻は7時頃である。津波は引き潮が大きく、検潮儀の井戸底をはるかに下まわっている。この地域では周期は20〜30分程度であった。物損は皆無であった。


東海(5月29日)
この沿岸は通常、波荒く、護岸を越えることはしばしばであるが、津波来襲時は全道にわたって海面穏やかであった為通常の満潮時より数10cm位の海面上昇では、漁民は大した注意もしていなかったようである。そのため痕跡も無く最高波の到達した高さ等も、おぼろげにしか記憶していず、値は不確実なものとなった。


椴法華(5月29日)
こゝも状況は上と同様で、一般の人は、ラジオのニュースをきいて始めて知った人が殆んどであった。検潮記録は開発局函館建設部の記録によった。記録の4〜5時、7〜8時等の最低潮位は、検潮儀の井戸底である。周期は155分位の卓越したものが見られる。


山背泊──志海苔(5月30日)
この沿岸は殆んどが海岸よりすぐ崖になっており、痕跡は全く不明であったが幸にも開発局函館建設部の修築事務所があり、そこの技術員の方が24日量水標等により目視観測をしてあったので、その記録によった。


函館市大森浜 ── 当 別(5月26日〜27日)
調査当日は津波の余波が続いて函館港では振巾 50〜80 cm、周期20〜50分の波が見られた。この地域は函館湾の影響を知る為に比較的密に測点を取った。その結果を Fig 2 に示した。実効波高=最高波高 ─ 来襲時潮位、であり津波だけによる海面の上昇を示したものである。


泉沢、茂辺地の値は札幌管区気象台チリ地震津波調査概況によった。この図によると、津軽海峡の太平洋側開口部に近い程、又開口部に対して平行な海岸程波高が高くなっている。上磯、七重浜では波高150〜180mにすぎないのに湾の奥、港内では240cm 前後の値を示している。これは畜川── 茂辺地の海岸よりの反射が影響しているのではないかと考えられる。函館市内では港に沿った地域約 0、85km^2に浸水がみられた。それを Fig3 に示す。又津波来襲時の状況を市消防本部で記録してあったのでその写しを記載する。

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地図 有珠湾平面図
第1章 検潮記録による函館港の津浪

1.第1波
到着時刻は5月24日3時41分、全振巾0、28m、周期38分で上昇を示した。


2.最高水位
時刻;24日7時07分、第1波到着後3時間26分、潮位表による満潮時刻後 4時間48分。
水位;平均潮位上2、13m、朔望平均満潮位上1、67m(検潮基準面上3、58m)
この水位は1955年4月以降の既往高極潮位よりも1、37m高い。


3.最低水位
時刻;24日10時31分頃第1波到着後6時間50分、干潮時刻後1時間14分。
水位;平均潮位以下3、0m、朔望平均干潮位以下2、5m(検潮基準面以下1、55m)
ただしこの値は検潮儀によるものではなく、岸壁から水面までの垂直距離を測ってきめた。(検潮井戸の底面は平均潮位以下2、1mあるので、これ以下の水位は検潮儀では測れない。)この値は、 1955年4月以降の既往低極潮位より2、2m低い。


4.水位が平均潮位より1、2m以上昇った場合
下記のとおり6時17分から14時12分までの8時間にわたり、5回起った。
回次 水位極大時刻 水位(平均潮位を0とする)
1 6時17分 1、72m
2 7時07分 2、13m
3 8時45分 1、35m
4 9時00分 1、33m
5 14時12分 1、25m
第3回のものは当時検潮儀欠測のため、西浜岸壁から水面までの垂直距離を測って定めた。


5.水位が平均潮位より1、5m以上降った場合
下記のとおり、5時から21時まで16時間にわたり、6回起った。
回次 時刻 水位 同左起時
(平均潮位を0とする)
1 5時07分〜5時19分 不明
2 5時55分〜6時00分 一1、89m(註1) 6時04分
3 7時26分〜7時55分 一1、98m(註1) 7時34分
一2、05m(註2) 7時44分
4 9時58分〜10時48分 一3、00m(註2)10時31分
5 12時41分〜12時52分 一1、90m 12時47分
6 21時08分〜21時13分 一1、53m 21時11分
註1;錘側基点から井戸内の水面までの垂直距離を測って定めた。
註2;岸壁から海面までの垂直距離を測って定めた。


6.水位の上昇速度
最も著しい例を挙げれば、6時06分に平均水面以下1、37mにあった水面が6時17分に平均水面上1、72mに達した。この場合水位は1分間に0、28mの割合で上昇したわけである。


7.水位昇降の巾
6時間毎の水位の昇降の巾は下記のとおり漸次小さくなって来たが、25日夜やゝ増大した。ここに上限、下限は共に平均潮位を0として示す。
日 時刻 上限(m) 下限(m) 巾(m)
24 0〜6 0、61 −1、50以下 2、11
6〜12 2、13 −3、00 5、13
12〜18 1、25 −1、90 3、15
18〜24 0、88 −1、53 2、41
25 0〜6 0、61 −0、70 1、31
6〜12 0、11 −1、12 1、23
12〜18 0、68 −0、59 1、27
18〜24 0、56 −0、84 1、40

第2章 津浪の被害損害額

1。主なる施設分 407、370、464円
2。そ の 他 82、744、643円
計 490、115、107円


札苅──森越(5月30日)
この海岸は砂浜海岸であるが、津波の
痕跡は無く、聞き込みによった。木古内の値は木古内町役場の記録による。この海岸は津軽海峡の太平洋側開口部に平行しているので、波高が高くなっている。
但し、森越の値は不正確である。


福島(5月30日)
開発局函館建設部福島港の修築事務所の検潮記録によった。9〜10時の値は、検潮儀故障の為実測によっている。松前においても同様であるが、検潮記録に、他の場所における記録の様な短い周期の波は無く、非常に滑らかな曲線を描いており、周期137分である。これは検潮儀の特性によるものでは無く、前日の記録には、港の静振等の短周期の波を記録している。


松前(5月31日)
ここも同様に開発局の修築事務所の検潮記録によった。


江差(6月1日)
開発局江差修築事務所の検潮記録によった。江差では殆んど津波の影響は表われていない。その振巾も10〜15cm程度である。

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津波による被災調べ
III)全般についての概況

最高波来襲時刻をFig4に示した。検潮記録又は目視観測のしていた場所以外は1時間位の巾がある。
Fig5は最高波高(T。P。上の値)を示している。一般に外洋よりも津軽海峡内の方が波高大である。松前を越して、日本海に入ると津波の勢力は衰えて、殆んど影響がなくなっている。
北海道南部に於て、比較的被害が少なかったのは、当日海面静穏で且つ最大波来襲時が丁度干潮時近辺であったためと思われる。
又、上げ潮よりも引き潮の方が約1、5倍程大きかったため、殆んどの人は引き潮によって津波を知った程度で沿岸の人は、引き潮時に、浜で海草やウニなどを採取して耒ている様な状態であった。
この調査範囲には7ヶ所の検潮所があったので、その記録による値を表1に示した。尚紋別の記録(オホーツク海沿岸)も付け加えておく。
(表1 次頁)


今回の調査に際して、開発局函館建設部、各修築事務所、海上保安庁第1管区水路部、函館海洋気象台、函館市役所土木課、函館市消防本部函館土木現業所、北海道新聞函館支社、木古内町役場井上俊昭氏、函館ラサール高校 鈴木 進氏等の方々に御協力頂いた。

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表1 チリ地震
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津波、道南検潮儀記録

第2部 青森・宮城間

チリ地震、津波に関する東北大学関係の報告について

東北大学理学部
鈴木次郎


報告について二、三のremarksをつけ加えます。
◎検潮儀の読みは気象庁から分けてもらったものは除いてある。


1 波高調査表並に地図について
東北大学関係の波高調査の全観察点を記入する事は大変なので適当に省いた。但し、各班毎に省いたので同じ点での観測が重なっているものもある。
検潮儀による値を除いた残りの点数479点を各班毎に番号をつけてあります。班内では原則として海岸沿いに北から南に向って番号がふえている。各班毎の点数は
班名(教室名) 記号 番号 点数
地球物理(第一班) A 1 86 86
〃 第二班 B 1 37 37
〃 第三班 C 1 62 62
〃 第四班 D 1 51 51
〃 第五班 E 1 70 70
〃 第六班 F 1 17 17
〃 第七班 G 1 5 5 (検潮儀)
理岩石 第一班(八) H 1 63 63
〃 第二班(九) I 1 7 7
地理 第一班(十) L 2 43(37欠) 41
地質 第一班(十) O 1 7 7
〃 第二班(九) P 1 27 27
〃 第三班(九) Q 1 2 2
合計 484点


観測点は北は青森県四川目から南は宮城県原釜迄にわたっている。
5月25日、26日は津波の余波が大きくあまり精度はよくないので省いたものが多い。
信頼度は各班毎に主観的につけてあるのでいくつかの班同志で比較すると必ずしもAがBより精度が高いか疑問な場合もある。
補正は津波の余波が残っている日でもそれを無視して行っている。
最高波来襲時刻は聞きこみで精度がよくない為に省いた所が多い。
同一点で甚しく異った値のでている所もあるが、一応そのまゝにしてある。
地図の空白部に5万分ノ一のの地図の名を記入してある。
地図は全部で75枚である。


2 各地域踏査記事等
地質教室第一班の分だけを提出。その他省略した。

八戸、久慈間

東北大学理学部
岩井淳一、高柳洋一
中川久夫、佐藤湧


地形、地質的に著るしい特徴をもつ海岸をえらび、特に津波の地質的作用に重点をおいて調査した。
波高は昭和8年3月3日三陸津波のそれに較べ、一般にはほヾ同様か或はそれ以下であったが八戸では2〜3m高かった。
したがって、浸水区域は八戸では著るしく増大し、前回は被害僅少にとどまった小中野の工業地帯・漁港・家屋密集地域が広範囲に亘って浸水し、湊・白銀・鮫地区も前回以上に及んだ。しかし、其他の地区では略、前回同様か、それ以下で、災害は少なかった。
八戸以外の地域で災害が少なかったことは、波高が低かったことのほか、防潮林、護岸、防波堤等の施設・家屋の移転等によるものと考えられる。
津波の浸水区域の概要は昭和8年三陸津波のそれ(地震研究所彙報別冊第1号所載)と比較して図示してある。津波の侵入状況について現地の観察事項から要約すると次の通りである。
海岸線が直線上に走り、砂浜、海岸平野が割合に広く帯状に発達する海岸では、河流・潟湖状の旧流路に沿って侵入するほか、砂浜内方に発達する浜堤の底部を越え、2列の浜堤の間の低地・間隙、河流につヾく浜堤背后の低地等からも侵入している。細かな屈曲を有する海岸でも岬間の間隙が長く、砂浜の発達良好なところでは上記と同様の侵入状態を示しているが、岬間の間隙の短い湾入部では巾狭く、傾斜の急な砂礫浜を全面的に浸し、稀にはその後方の草地をなす一段高い海岸平野にも達している。突出部は岩石海岸をなし急崖の下に波蝕岩、岩礁を有するが、このようなところでは海崖に迄、達している。
来襲前の異常の退潮のため、津波来襲の際港湾附近海底の砂泥が洗堀運搬、堆積され、また春雪地域の埋没も起ったと、きく。
浸水家屋の床下土台部の洗堀も注目されたが、河口附近の河底、海底では退水の際相当の影響を受けたと考えられ、それを明かにするための測深が期待される。
しかし、本調査地域では漂着物・附着物其他比較的小範囲の土砂の移動、再積は見られるが、今回の津波により特に新たに沖合遠くから運搬されたと考えられる堆積物や、地形変化をもたらす様な著しい浸蝕の跡は陸上には見当らなかった。
鮫・八木・王・脇(久慈)港のように、基盤からなる波蝕台・岩礁を利用して施設された港では浸水による附属設備の被害はあったが、港湾の基礎施設には殆んど、或は全く影響はなかった。しかし八戸港の一部のように波蝕台・岩礁等基盤岩のないところに施設された防波堤・護岸・岸壁等の多くは破壊された。また久慈海岸では砂利採取のため浜堤に生じた低地が津波の浸入経路になっていた。ただし、浸入した海水は幸に低塞地に溜り、地下に滲透排水された、ため、ただ一箇所を除き後方の防潮林のある浜堤には達していない。

第3部 北海道・静岡間

一般踏査報告 大船渡、志津川間

東大地震研究所 河角広
同 佐藤泰夫


1)5月25日地震研究所におけるチリ地震津浪調査計画打合せの席で次の報告がなされた。
建築学会の斡旋によって三陸沿岸調査のヘリコプター飛行が行なわれる。出発は5月28日(土)仙台より、乗員は震研よりは2名。これに対して河角、佐藤の参加がきまった。
2)佐藤は28日東京発、同夜東北大学工学部建築学教室栗山寛教授と連絡に当り、河角は翌朝仙台に着いたが、雨と視界不良の為、飛行不能の状態で、調査はジープにより地上より行う事に決定した。28日10時、陸上自衛隊ジープ2台に、東北大学工学部、東大工学部及び震研の2名が分乗し、宮城県志津川町及び雄勝町の被害と津浪の性質に関する概括的調査が行われた。仙台帰着は21時半。
3)志津川は2階床上に達する津浪に見まわれ、人命、家屋の損害が多く、ことに数十名の真性及び擬似赤痢患者が発生したが、収容の場所がなく、学校の校庭に張られた自衛隊のテントに入れられていたが泥濘が校庭を満たし悲惨であった。
雄勝は波がやヽ低かった事(軒下程度)、山が海岸に迫っている事に加え、一週間程前に津浪演習を行って居り、老漁夫の適切な避難指導があって、人命の全く失われなかったのは不幸中の幸であった。
4)調査の要点としては、三陸津浪との相違、又そのよって来る原因につき、短時間ながら出来得る限りの観察及び聞き込みを行った。その結果極めて限られた範囲の知識によっても猶、過去の津浪と今回のものを比べる時、波の高低が一定して居らず、志津川の如く今回の著しく高かった所と、三陸津浪の方がひどかった所のある事が明らかとなった。この事は又今後に残された問題の多い事を語っていた。
5)29日両名は岩手県大船渡市迄行き(陸前高田市以遠は列車不通であった)、雨中大船渡の調査を行った。列車及びバスの乗客を含め、津浪の経験ある多くの人からの聞き込みは有益であった。列車不通による交通の不便、うちつヾく長雨が復興をおくらせていることは気の毒であった。同夜河角は帰京、佐藤はこの地方の救援の中心となっている同市盛に一泊して聞き込みに従事した。
6)30日はじめて快晴、大船渡市発、主として徒歩で、道路が海岸より遠い所は部分的にバスを使用して陸前高田市迄行った。途中、津浪の高さ及び特殊の現象に留意しつヽ写真を撮すことに努めた。前の津浪との高低のいちじるしい違い、土地による原因のわからない波の高低は注目に値した。畑の作物、草木の葉等が枯れる為、海水の侵入範囲ははっきりと色によって区別されていた。又鉄道線路その他の物が流れている方向によって入る波と出る浪のいずれが強く物を動かしたかが推定された。
同じ波の高さでも、流速を押える地物のある所では被害の少い事も、わずかの例ながら見る事が出来た。又過去の再三度の経験が有効に人々を助けた所、役立たなかった所、又時にはかえって反対の作用をした所なども見られた。
陸前高田市の小友、脇ノ沢にはかなりの流速を想像させる所があったが、土地のわずかの高低差が被害の面で大きな相違をもたらす事は顕著であり、将来の都市計画に深い注意の必要な事を物語っていた。
7)気仙沼で途中下車し、上と同様の調査を行った。しかしこの港には殆ど被害はなく、わずかに床下の浸水がある程度であった。
8)津浪の高さ、来襲時刻、回数、周期等については、個別に行われた詳しい調査にゆずる。
9)調査に協力を惜しまれなかった各地の方々にお礼とお見舞を申上げる。

北海道

東京水産大学 三好寿
同 山口和貞


上記の2名はチリ地震津浪の調査(北海道班)として、5月31日より6月12日に亘り、北海道各地を視察した。
集まった検潮記録は7枚(函館、室蘭、苫小牧、浦河、釧路、花咲、根室)、観測点は52点(第211図)であった。尚カメラは各地に普及していて津浪来襲時の写真は約160点(八戸市を含む)集まったが、津浪の押しの有様を写したものは(撮影に危険がともなうので)少なく、引きの有様を写したものが多かった。
各地域について述べる前に、北海道を通じて見られる今回の津浪の特徴を挙げてみると、
(1)押しに比べて引きが強かったこと、これは検潮記録を通じても見られることであるが、住民の證言も各地を通じて一致していた。只、押しの方はハンド・レベルで計れるが、引きの方は計れないし、例えば21測点など、押し(1、5m)に比べて引きは2人の證言によれば、1人は2、5m位と見積り、1人は5m位と見積っており信頼度は低い。この引きが強いという特徴は、ものをえぐり取るという作用として土木関係の被害を大きくしている。
(2)津浪の継続時間が非常に長かったこと。これは23昼夜位津浪が続いている検潮記録は珍らしくないことによって容易に確かめられる。
(3)最大波は2つ目が圧倒的に多い。しかしこの最大波とその前の1つ目の波のその前に前駆的な小さい波が2つ位来ている。これが漁民に発見され、霧多布など大量死亡者が出るのが防げた。
各地の詳述に入る。

A 函館

港湾側(西)と大森浜側(東)と大差なく、押しは2m余であった。それにも拘らず津浪に対して経験(床の上まで水面が上ってやっと津浪だと気づいた人々が多かった)と抵抗力のないこの町の被害と浸水面積は広い。被害額も北海道でも霧多布に次ぐ。その6割が港湾に並んだ倉庫が水びたしになったことから来ていて、次に 1/4 は商店街の被害であった。
最初の波は6時半頃、2つ目は7時頃、これが大きかった。後10個位が住民の記憶に残っているが、みな小さく地面位まで(駅前広場で)の波が反復した。2つ目だけは押しも引きも奔流となった。他は潮汐の干満のようであった。駅の構内は全て水びたしとなり、列車も五稜郭どまりとなった。道路の内側の土砂も大量に運び去られた。

B 浦河

港湾や魚市場が被害を受けた。前駆的な小波2個が、検潮記録にはっきり出ている。

C 襟裳岬

先が尖ってしかも大きい岬の先端からある距離の地点は、海底地形の影響で津浪のエネルギーが収斂する。西側では8測点のニカンベツ川の付近に極大値があらわれたが、この近辺は一様に高い。
岬の先端は低い。被害の著るしい例は東岸の庶野(しょの)である。此処は港の拡張工事として、港に接続して広い空堀を堀っていた。その境のコンクリート塀が破壊され、港にあった漁船十数隻がこの空堀の中に落ち込み、1千万円をこす被害を受けた。特に庶野が津浪が高かったのではない。今後この地区は警戒を要する。
尚一々来襲時刻を確かめなかったが、殆んどが第2波が最高であった。又この地区の少し人口のある所は例外なく被害を受けている。

D 釧路

外洋に面した海岸ではいくらか波が高く、釧路川に続く地域は幾分低い。これは相当量の水が川をさかのぼり、あるいは川から補給されるためである。船舶と橋との衝突、木材の流出が目立った。

E 根室と花咲

根室湾に面した根室と太平洋に面した花咲は背中合せにあっているが、根室の津浪は殆ど観測にかヽらぬ位で、死亡1名を直ちに津浪と結びつけるのは疑わしい。それに反して花咲では津浪は相当顕著で船舶の被害、家屋の浸水などの被害があった。

F 霧多布

昭和27年3月の津浪のときは南方(琵琶瀬湾)から北方 (浜中湾)へ抜ける奔流が村落を壊滅させたが、今回は、


第1波(4h40m)は 北 → 南
第2波(5h00m)は 北 → 南
第3波(5h36m)は 南 → 北
第4波(5h50m)は 北 → 南
第5波(5h55m)は 北 → 南
第6波(6h10m)は 北 → 南
第7波(6h15m)は 南 → 北
第8波(7h25m)は 北 → 南
第9波(8h40m)は 北 → 南
第10波(10h00m)は 南 → 北
第11波(10h15m)は 北 → 南


となっており、その奔流は砂洲を切断してしまい霧多布は島となった。始め行方不明40数名と発表されたが、これは通信がとだえたためと、漂流していた人々が加えられたためであり、その後死亡行方不明11名に減少した。3h00m頃、先に述べた前駆的な小波が来たため「水取場海岸に繋留中の漁船浮遊せるため津浪の徴候を察知する」同4h00m頃「当直員の連絡により職員を招集する。この頃海岸方面住民湯沸山に続々避難」とある。
尚砂洲を切断した奔流の原因は津浪の進行方向と直角な落差から来るもので、琵琶瀬湾と浜中湾との別々な副振動が有力な要因と思われる。その他日頃は滑かな海岸線に直角に深い切り込みが到る所に生じ、運び去られた砂は莫大な量に達する。
尚霧多布はの人口(2026人)に対し被害人口(1422人)は70,1%であるが、霧多布の西方に接している暮帰別(人口 ; 183人)の被害人口は100%であることにも注意を要する。
尚筆者等の測定値が発表値 (3、7m) より低いのは、測点の特異性か、基準面の相異か、あるいは平坦地であったために精度がおちたためである。

G 厚岸

釧路と同じく外洋に面したところでは波は高く、厚岸湖に接したところでは低い。これは厚岸湖が水を蓄えたり放出したり、津浪とは逆の作用をしたためである。そのため厚岸湖と外洋を結ぶ水路に急流が生じ、厚岸湖西半分(第10図中斜線で示す)のかき、あさり類が流されてしまった。その後の行方は不明である。この被害その他は2億円に達する。
外洋に面したところでは家屋に浸水し、家庭用具、船具が流された。にしん漁が終ったばかりなので漁具の被害は少なかった。厚岸では警報は全然出なかったが、人畜の被害はなかった。

H 苫小牧

被害はなかった。只この地域は副振動が発達し難いので検潮記録 (検潮儀が不良であったので海中に棒を立てヽ2分毎に読んだ)は生まの津浪を捕らているものと思われる。

I 室蘭

被害はなかった。只外洋に面したところでは15h 00m頃最大波が来たというのに対して、港湾の中では4h 00m頃最大波が来たと證言している。潮汐波と津波とではやって来る様子が違うので、こうした差違が生じたと思われる。

むすび

今回の津浪の研究は全太平洋にどのようにエネルギーが分布したかを調べることが第1のテーマになると思われる。1952年11月5日カムチャツカ南端で生じた津浪はチリのタルカフアノ(36°41′S、73°06′W)で最大波を示している。検潮記録は大きくスケール・アウトしているのではっきり分らないが、スケールの範囲の12フィートの倍位(山から谷間での波高)になるものと思われる。このタルカファノとかカムチャッカ南端が地球中心に対してはる角度は141°である。今回の津浪の浪源と北海道及び日本の太平洋岸とはる角度も大体その程度であると思われる。
途中の通路に当るハワイ諸島の浅瀬の影響も大きい。凸レンズのような作用をしているからである。浪源を南極に新しく緯度経度を示す線をひいてエネルギー分布を調べる必要がある。
尚前駆的な2個の小波は、前駆的な小地震によるものか、近道を廻ったエネルギーの1部なのか(後者の可能性はうすい)明らかにしなければならない。
尚霧多布の村長談あるが11億円の予算が通って防波堤を作るということである。その他住宅地は湯沸山にし、仕事場を低地にするといった計画も検討して見る可きである。零細漁民なので移民は困難であるという、釧路支庁の談話であった。
クナシリ島北方のクナシリ水道を北方へ抜けたエネルギーを見るためにオホーツク沿岸の網走を調査することが望ましかった。気象庁から、波の高さ62cmという発表と検潮記録が出されている。

文献

1.The Tsunami of November 4, 1952 As Recorded at Tide Statitions . Special Publication No. 300 (1953) U. S. Departmennt of Commerce , Coast and Geodetic Survey , Washington , D. C. For sale by the Superintendent of Documents, U. S. Govenment Printing Office, WashingTon 25, D. C. ── Price 35 cents
2.Directivitity of the Recent Tsunamis, by Miyoshi H. ; (1955), Journ. Oceanogy. Sor. Jap. 11(4), pp. 151 155.

(1) 苫小牧の検潮記録は始めの部分が不良であるが観測によれば
4h 50m 2、3m
5h 50m + 1、9m
であった。(東京湾中等潮位より)
─ 苫小牧港建設事務所調査試験係 ─
(2) 浦河の検潮記録は、器械の不良で、実際の波の高さより少し低い値を示している。山や谷以外の部分も不自然な動き方をしている部分が見られる。
(3) 室蘭の検潮所のありかを聞き忘れたので図の中に書き込まなかったが、それによれば最高波は 15h 50m 、周期50分、波高85 である。
(4) 根室の検潮記録を入手し、25日に最高波が来ている(潮汐との関係による)のを発見したのは、第38 測点を調べた後であった。第38 測点の證言は 24日に対して行なわれたものと思うが、25日のものであった可能性もある。こゝでは、根室の海面の昇降は辛うじて住民の注意をひいた程度であることを述べておく。
(5) 苫小牧は実測が非常に困難である。津浪の時の最高の痕跡と、観測時の最高の波が砕ける先端との差をとった。津浪が来たときは6月10日19h 30m観測時より少し荒れていた。従って津浪の最高波高は第49測点の実測値2、4m以下になるものと思われる。

下北半島西岸、青森間

気象庁統計課 宮崎正衛
東大理学部 高野健三


1.[引きが強かったというのは、あらゆる測点で共通のことであった。それで、以下の各点の記では省いた。]

原別(Harabetsu)

No.2、3共、傾斜のゆるい土地で、附近の人々がこゝら辺まで水が来たという地面からの測定。

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地図 原別(Harabetsu)
野辺地(Noheji)

No. 6でのきゝこみ
24日午前6時には海に異常はなかった。
6時半ごろ強いひき。
午前中3回午後2回波が高かった。

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地図 野辺地(Noheji)
陸奥横浜

a地点 岸壁からこの辺まで来たと云う高さを測る(漁協職員の話)
b地点 低い防波堤。この上すれすれまで水がついたと云う。(a地点およびc地点からの目撃者による。)
c地点 かなり急勾配の砂浜。聞き込みや海藻のうちあげあとの状況から推定。


港内での聞き込み(漁協職員)
7h 30m min. 最低に達す。
8h 25m max. 最高に達す。
9h すぎ min.
10h 30m max.
11h 30m min.
7h 30m 頃港内の水深が1尺5寸位となる。
(設計水深は約1丈)
港外( c 地点 )での聞き込み。
7h 30m頃 min.
8h 8h 05m 頃 max.

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地図 陸奥横浜
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a地点の高さ
大湊─田名部

下北 下北駅付近 田名部川口の銑橋下の水位標のよみ
(max.附近のみ) (下北駅保線区員による)


橋桁下
9h 30m 0、80m × 平均水面は橋桁下 2、50m
10 20 1、42 ×
12 15 1、68
12 35 1、53
12 43 1、39
12 49 1、33
12 51 1、26
12 53 1、20
12 54 1、18
12 56 1、17 ×
14 24 2、30
15 00 1、45 ×
16 16 2、46
17 20 2、20
18 20 2、15
19 20 2、80
( × 印はmax. と思われるもの(宮崎))

大平(0taira)

No.11 6月3日14時10分調査
1回目の波が最も高く、80。(午前8時頃)
第2波は11時ごろ、第3波は13時ごろ。いずれも50 位。 (調査時潮位から)


No.12 6月3日14時20分調査
午前7時半ごろ 第1波、波高は第1波が最大。100cm。


No.11、 12 共傾斜のゆるい土の浜

1/2
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2/2
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地図 大平(0taira)
大湊(北部)

No.14 5時半ごろ引きが始り、8時前に最高潮位130cm。
No.13、14 共家屋の海岸側、家屋の下に並んでいる棒杭での測定。

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地図 大湊(北部)
大湊(中部)

上の二点より、やヽ南の突堤での測定(6月3日15時40分)
調査時の水位
6時ごろから引き始め、6時30分に引き最大となり、正に底が現われる。8時10分最高水位。

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大湊(中部)
川内町

i)a地点付近(青森地方気象台の報告による。)
6h 30m 7h 10m max. 高さ 0、6m
9h 30m min. 0、6
10h 20m max. 0、4
ii)a地点(漁協職員よりの聞き込み)
7h 頃 min.
10h 頃 max.
11h 頃 min.
12h 頃 max.
iii)川内町水位標 (河口より100m上流の橋のたもと)
7h 10m min. 平常水位より 1、3m
8h 00m 8h 15m max. 〃 +0、7m

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a地点,b地点
脇の沢 No.24、25、26、27(6月5日調査)

No.24 家の土台の棒杭による聞き込み測定。
No.25 脇の沢川入口の堤防での測定(9時50分)


漁船へ質問
「朝7時半、入港したときの水位は、ほヾ調査時の水位で、特に異常を認めない。しかし、きくところによれば、この前に既に一度大きな引きがあったというが、外海に出ていたので7時半前のことは直接見たわけではない。10時ごろ、水が著しく引き、深さ85 (調査時水位から)の川底がほヾ完全に露出し、中央部を巾 10 位で水がチョロチョロ流れるのみ。11時頃最高水位。45 。 10分位の周期で夕方まで水面が振動し、その Double amptitude は30cmかそれ以下。
[A]11時頃強い引き。
[B]6時頃最初の引き。16時ごろ迄10分内外の周期で水面が上下。Double amptitude は1メートル以内。
No.26 6時半ごろ引き始める。7時ごろ引きのMax。調査時(10時10分)の水位下約1米迄下る。以後1時間位の周期で振動。10時ごろ、午前中の最高水位を示し、(10時10分の)水位上50。16時ごろこの日最高の波が来る。17時ごろから平常となる。
[C]5時ごろから引き始める。7時から13時まで不在。13時以後海岸に棒を立てヽ、水面の動きを注視。調査時10時35分の水位をこえたことは一度もなかった。10分位の周期で水位が上下したが、15時以後は平常。
15時までは沖を見ると、黄濁した大きな波の連りが大湊方面に進行していた。さながらイルカの大群が進んでいるようであった。
こヽでは殆どすべての網が流された。隣接(西側)の漁村も同じ。
こんなに流れが早かったことはかって聞いたことがない。7時ごろ迄の引きで、大部分の網が流れ去った。といわれる。


流れ去る網をエンジン停止の漁船で追った一例。
脇の沢発午前7時半。A点到着は15時。A点に到って初めて網が停止。捕捉する。捕捉後7 knotsの保安庁機動船が、脇の沢に曳行。7 knotsを出しても、前進は極めて困難であった。網を追跡中、漁船はエンジン停止で汽車位の早さで走った。

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地図 脇の沢
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地図 流れ去る網をエンジン停止の漁船で追った一例
佐井

No.29 第二波が最高。以後20分 30分位の周期で4,5波来る。
5時すぎの最初の引きが最大。

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地図 佐井
大間町

聞き込みによるも、かなり精度は高いと思われる。


土木出張所 (田名部土木事務所大間出張所)の津浪当時の測定
地点は我々の測定地点の付近。
5h 30m min . 高さ(T, P. 上) 0、50m
7 20 max . +1、85
8 15 min . 1、50
9 00 max . +1、40
9 15 max . +1、70
10 20 min . 1、60
12 00 max . +1、60

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地図 大間町
大畑

大畑土木事務所に於ける観測報告
午後2h 35m 水位+0、715 │ 午後2h 55m +0、815
2 40 +0、065 │ 3 00 +0、655
2 43 +0、215 │ 3 05 +0、865
2 50 +0、695 │ 3 10 +0、465
午後3h 15m +0、245 │ 午後4h 25m +0、865
3 20 +0、345 │ 4 30 +1、005
3 25 +0、405 │ 4 40 +0、635
3 30 +0、165 │ 4 50 +0、235
3 40 +0、335 │ 5 00 +0、405
3 50 +0、185 │ 5 10 +0、495
4 00 +0、395 │ 5 20 +0、615
4 10 +0、505 │ 5 30 +0、635
4 20 +0、665 │
尚最高水位は午前6時30分 +1、35m
最低午前10時30分 2、00m
波高の調査については観測する程の波高ではありませんでしたので観測は致しませんでした。
観測地点 青森県下北郡大畑町大字大畑字湊地内
観測方法 東京湾中等潮位を±0として観測致しました。
風向は北西 3 5m

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地図 観測地点見取図
大畑(6月4日調)

村役場での調
4時頃までは海に異常なく4時半頃大きな引き。
8時頃最高潮位。以後40分乃至60分の周期で水面が上下。

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地図 大畑

岩屋、尻屋崎、八木間

東大理学部 佐藤良輔
同 栗本広
同 赤松敬

§ 青森県下北郡東通村

○岩屋 観測点付近は海岸から約15m位が砂地になっており、そのうしろの稍高い所に漁家が並んでいる。浸水家屋は全くなく。痕跡不明である。
漁師の話 04h 30m頃潮が異常に引いたのに気がついた。05h 30m頃の押し波は余り高くならず、07h 05m頃の押し波で海岸の汀近くにあった舟が流れそうになった。11h30m頃に最も潮が引いたが、5 10分位して上って来た。11h 30m頃の引きで、弁天島付近の底岩が見え、貝類などがだいぶとれた。上って来る速度は逃げれば逃げられる程度に遅く、じわじわと寄せて来た。引き退潮も同じ位であった。押しと引きの差は、水平距離にして120 130m位(これは或る人がロープで測ったという話である)、垂直方向の差は3 4m位であった。10年位前の津浪(十勝沖地震らしい)では道路まで上ったが、今度は全然浸水しなかった。


○尻屋 この辺は砂地が殆んどなく、岩が海岸近くまで張り出して痕跡は明瞭でなかったが、お前浜附近に一部ゴミの打上げが認められた。尻屋中学校長木村宮太氏のはからいで、当日朝お前浜で目撃した人の話を聞く。
南谷三之丞氏の話 04h 30m 頃海岸に面した岡の上で山菜を採っていたとき潮が異常に引いたので浜に降りて見たところ既に潮が満ちていたので津浪ではないかとおもった。05h頃、ガラガラと石の音を立てヽ潮が引いて行った。引いてしまってから次の浪が上って来るまでには5 10分 位かかったようである。07h から 08h の間に最も大きい引きがあった。引きと押しの速さは大体同じ位だったが、押しのときは靜かで、引きのときはガラガラと音がした。最も上ったときでも満潮位より稍大きい程度だった。当時は干潮時であったためあまり上らなかったようである。お前浜では水位の差は約2mであったが、海岸から 100m 以上の沖の底が出てしまった所もあった。


○尻屋崎 航路標識事務所で、06h 頃ラジオのニュースを聞いて津浪を知り海岸に降りて見た人の話を聞く。
自分の見た限りでは09h 頃の引きが最も激しく、引きから押しまでの時間は 10分内外であった。押しと引きの上下差は約1m、年最大の引き潮位の引きであった。押し引きの速度は大体同じであるが、引く方が稍速かった程度である。
話を聞いてから海岸に降りて見たが、そのときの海岸線よりも当時の上げ潮の方が低かったとの話で測定不能。


○尻労 漁港であるが、高さ約 10mの岸壁が海岸線から10数m位の所まで張り出していて痕跡は全く不明である。
早朝浜近くにいた石田由左衛門氏の話 04h 30m 頃引いていた。完全に引いてから約5・6分たって押し波が来た。06h30m頃まで押し引きが繰返された。浪はじわじわと押して来て、引く方が稍速かった。 上下の差は約3mである。漁港の防波堤内は水深約2mであるが、この水は完全なくなった。押しは満潮位より稍高い程度である。


○老部・白糠間は砂地はなく小石の海岸で、海岸線近くは稍急な傾斜になっている。海岸にごく近い所に船道具小屋や人家があり、少し高い津浪に襲われヽば流出或いは崩壊のおそれがあるが、損傷の跡は全く認められなかった。白糠の漁業協同組合及び海上保安部での聞き込みでも浸水家屋は全くなかったとの事である。


○白糠 白糠漁港付近の沿岸は急峻な断崖が連続し、特に隣接漁港泊港までの間は著しく、大半は重疊せる山岳または台地が海岸に迫っている。当地には青森県の検潮場があるが、2年前の22号台風で破壊し、現在は旧位置と別の所に新設されてあったがまだ検潮儀は設置されてなかった。白糠小学校長菊地久助氏に案内して頂き、漁業協同組合及び海上保安部白糠支部で話を聞く。
漁業協同組合での聞き込み 04h 少し過ぎ頃稍潮が高いので気がついた。 04h 20m 頃には、普通干潮時でも漁船が通れる漁港の防波堤内(水深2 3m)の水が殆んど引いてしまい、防波堤まで歩いて行ける位であった。06h 頃に最高波が押し寄せて護岸の上に少し上った。そのときはじわじわと盛り上って来た。川ものぼって来たが道路にまで溢れるようなことはなかった。 07h 30m 08h に最も潮が引いた。その頃、引いた時から上って来るまでの時間は20分位である。
海上保安部白糠支部での話 04h 20m 頃漁業組合から電話があり、海が変だというので出て見ると港内の水がだいぶ引いていた。 05h 10mに警報を出した。最高波は 06h 15m頃である。その後は干潮が近づいて来た為、そう大きい波は来なかった。周期は最初の頃は1時間位であったが、07h 頃からは稍短くなり(45分位)乱れて来た。
尚、5月24日の干満時は次の通りである。
満潮時 01h 45m 15h 31m
干潮時 08h 58m
以上、東通村各地での調査によると、北に行く程周期は短く、最高波の波高も低くなっているのが見られる。尚、白糠以北の地は、八戸市以南の場所に比較し、等深線が陸地に近づいていることを海上保安部白糠支部で指摘されたことを付記して置く。
尚、東通村北部の調査に当って、同村のジープを借して頂き、極めて能率良く調査を進めることができた。

§ 青森県上北郡百石町

○川口(奥入瀬川河口付近) 河口は北東に向いており、外洋側は砂堤状、内陸側は平坦な砂地で、河口付近に高さ約2、5mの堤防がある(地図参照)、浸水地は河口から約 130m離れた地域にまで達し、流失家屋及び全・半壊家屋は10数戸に及んでいる。最高波来襲時は 05h 07h であった。昭和8年の三陸津浪のときより1m位高かったという聞き込みがあった。

§ 青森県八戸市

○中平(測点 N0。6)海岸線から約20mの所に比較的傾斜の急な砂堤があり、そのうしろは、防潮林を含め約 300m 位が殆んど平坦な低地で田畑になっている。この附近は明らかに浸水の痕跡が見られるが、波高の推定は困難である。防潮林の後部約 100mの畑の中に長さ約 10mの漁船が打ちあげられていた。これは防潮林のすぐ後部に置いてあったものである。
漁師の話 04h 過ぎサイレンを聞いてわかった。1回目は砂堤を越え、2回目は防潮林の所まで来たが(時間不明)、この頃は引くのが速かった。3回目( 07h 08h頃)最大波が畑まで来た。引くのは遅く、だいぶ、長い間たまっていた。


○橋向(五戸川河口)河口附近まで川面上約 3、6 mの土手が伸びており、この土手の上まで達したようである。浪は第1の防潮林を越え、第2の防潮林をも越えたことは確かであり、第2の防潮林の背後約 50m の所の家屋は軒下まで浸水していた(海岸からは約 300m )。家の生垣の変色している所は、地面から約 1、6 mで、 前記の五戸川土手より 20 30cm 低い程度である。この付近での住家・非住家の破壊4戸、床下浸水は90戸に及んだとの事である。


○三角地工業地帯 馬淵川河口付近を埋めたてヽ流路を変え、旧流路は工業港となって新井田川河口に続いている。工業港の外洋側が三角地工業地帯で、東北電力八戸火力発電所及び変電所と日曹製鋼八戸工場がある。三角地の外洋側には、海岸から約70mの所に高さ約 5.3m T. P.(火力発電所の説明によれば、6.5m H. P. であり、 これは 5.7m T. P. に相当する)の
砂堤に囲まれた火力発電所の灰捨地があり、この土手を辛うじて浪が越したと思われる痕跡が数ヶ所あった。また土手の傾斜面には、打上げられたゴミの列が数段になって明瞭に残っていた。また、この砂浜に鮫から流れて来たと称せられる漁船1隻及びパイプ数本が漂着していた。この灰捨地のうしろは公安林で、こヽは浸水はしたが大したことはなかった模様である。三角地工業地帯への浸水は、外洋側からより、工業港側から岸壁をのり上げたものと認められ、日曹製鋼の護岸は 10 数m決潰、この付近は泥海と化した。馬淵川の土手の三角地側に道路上から約 1、2mの極めて明瞭な痕跡が残っていた。工業港の奥には、50 60隻の漁船が上架されてあったが、津浪の渦に巻き込まれ、殆んどが破損した。
東北電力八戸火力発電所技術課 戸部省三氏の話 朝会社からの電話で05h 40m 頃出社したが、その頃、既に構内に浸水していた。途中、馬淵川の土手を自動車で来るとき、馬淵川を白波を立てヽ水が逆流して行くのを見たが、これは第3波(八戸測候所検潮儀による 05h 14mの浪、最高波)によるものらしかった。06h 31mから07h 03mに至る引き浪の間に対岸の第2魚市場の岩壁が決潰するのを見た。日曹製鋼との境界付近の決潰は、その後の引き浪によるものである。浪は津浪が押し寄せて来たという感じではなく、じわじわと岩壁を越え侵入した。押して来る時、下水道中の空気が圧縮された為マンホールの蓋がとび、3m以上も水を吹き上げてそばへ寄れなかった。津浪来襲時も工業港には余り多くの浮游物は認められなかった。
火力発電所で撮影した写真多数及び同所で測定した当日の水位表を頂いた。水位は、工業港側の荷場岸壁(この高さは正確に分っている)に置いてあるアンローダーについてある水の痕跡をその都度測定したものである。時間は 07h 30m 19h 20mまで。これによると、新井田川河口にある八戸測候所の検潮記録とは、だいぶ違っている。


○小中野 新井田川の旧湊橋から第2魚市場に至る一帯は、護岸上に打上げられた漁船、漁船同しの衝突で破損したもの、打ち上げられた漁船に押しつぶされた家屋など損害著しく、新井田川護岸からの浸水により、床上床下浸水の家屋は数 100戸に及んでいる。特に第2魚市場は、工費1億5千万円で、昨年8月 30日竣工したものであるが、この岸壁が殆んど全区域にわたって決潰、殊に排水口の開いていた部分は完全に破壊してしまっていた。これは、新井田川口から侵入した浪をまともに受け、引き浪によって底からえぐられたものらしく、調査当日(5月29日)もなお決潰しつヽあることがチョークで記されてあった。
柔魚釣漁業協同組合災害対策本部 久保保三氏の話 04h 少し前頃、高潮か何かが来て船が危険のようだから見に来てくれと若衆が呼びに来た。すぐ浜に出て見ると(氏の住居は大沢付近)、普通なら青々としている海が、どす黒い感じで何か常と様子が違っていた。04h 頃から潮が引きはじめ、ぐんぐん引いて行った。地震もないので変だなと思ったがとに角も津浪だと判断した。保安部のサイレンがなるのが聞え、それから20分位して第1波がやって来た。第3波が最も大きかった(海上保安部での話によると、蕪島突堤近くにあった巡視船 ″くま がサイレンをならしたのが、04h 08m 頃、保安部でならしたのが 04h 10mである。また、新井田川河口にある検潮記録では、第1波は 03h 36m、 第2波は 04h 25m、最大の第3波は05h14mであるので、時間の点は多少疑問である)。04h30m頃船を沖に待避させるようにとの命令が伝達された。漁船の多くはエンジンの整備中であったし、しかも水がだいぶ引いてしまっていたので殆んどだ動けなかった。浪が引いたときは、新井田川河口から外洋に出ている防波堤の下までも見えた。新井田川を押し上って来るときは、泥水のようになって渦を巻き、音もなくもりもりと上って来た。引くときも渦を巻き、共に相当速く、駈け足しても追いつけない位である。ワイヤーで結びつけた船は浪にまかれ滅茶苦茶だった。繋留する閑がなく、橋にも衝突しなかった船が浪と共に沖に持って行かれ助かった例がある。一万噸埠頭建設に使用していたパイプが三角地や鮫港の方にだいぶ漂着しているようである。


○白銀(三島川付近) 三島川は海岸線から約 300mの所に真水の湧出口があり(飲料にもなっている)、そこから巾約2mの川となって海にそヽいでいる川である。この辺は近接地に較べ砂浜が広く低地となっているため被害が大きく、浪は湧水口のうしろまで浸水し、小路には小さい打上物を多数遺棄した(近所の人の話)。殊に、川の流域は殆んどが流出、或いは全・半壊し、その数 60数戸、浸水家屋は1、000戸にも達している。


○鮫港付近 この付近の民家は殆んどが八戸線後部の高台にあり(八戸線までは浸水していない)、低地にあるのは、会社関係の冷蔵室・倉庫等で、流出や全・半壊等の家屋は少ない。鮫港内の水深 4 7m であるが、最大引き浪時は、多くの個所で底が見えたという事である。港内の魚市場の柱の壁が護岸上約2、5m位の所まで崩れていた。


○蕪島付近 この付近の浸水状態は、八戸海上保安部提供の写真を見れば一目である。この地区にある同保安部及び八戸港工事事務所は著しい浸水を蒙った。蕪島突堤に繋留してあった、保安部の巡視船 ″く ま からの報告を聞き、直ちに警報のサイレンをならした。これが04h10mである。
八戸消防署鮫出張所 西館末蔵氏の話(同出張所は、保安部裏の岡の上にある)04h30m頃引き浪が大きく、蕪島突堤と内防波堤1号に囲まれた部分の港内(深さ3尋位)の水は殆んどなくなり、海岸から約1,000m離れた所にある沈船防波堤の底まで見えた。三陸津浪のときはさかまいて来たが、今度の津浪で、そのようなことはなく、全体として海水面がじわじわと盛り上って来るという感じであった。鮫港の西に建設中であった一万頓埠頭の所にあった浚渫船霧島丸が流され、蕪島突堤の外側を前後したあと、強い引き浪によって蕪島と北防波堤との間を通過し(こヽは普通は小漁船が辛うじて通れる程度である)、約2 離れたえびす浜に打ち上げられた。
尚、同消防署望楼で目視観測した津浪の押し引き時は次のようである。
内防波堤1号付近に設置してある八戸港工事事務所の検潮儀(フース型)の記録は、T.P. から 2、50m以上及び 1、00m以下がスケール・アウトしている。T.P. から1、5m以上及び 1、0m以下の浪の押引時は次の通りである。


引 き 波 押 し 波
04h 45m 大
05h 10m 3.09mT.P.(痕跡測定)
05 30 中
06 00 中
06 25 3.79 〃 ( 〃 )
07 40 3.29 〃 ( 〃 )
08 00 大
08 20 小
11 45 小
14 28 1.79 〃


○種差 此処で死者2名を出した。この付近の海岸は岩石で、すぐに急な傾斜となり、その上は平坦で綺麗な野生の芝生が生えている。遭難者は、早朝、海岸に打ちあげられた海草類を採るため海岸で仕事をしているうち浪が引き、それを干潮によるものと誤認してその次の押し浪が引くときの勢いで流されたということである。
種差小学校にてPTA会長ほか5人のPTA役員の方々の話 03h 20m頃海岸に仕事のために出た。 03h 30mから 04h 少し前位までは引いていた。04h30m頃の引きは大きく、その後05h 過ぎに大きな波が来た。最も引いたときは、4尋の深さの海底が見える位だった。押して来るときは、たらいの水を傾けてまた元に戻したときのような感じでじわじわと上って来た。押し上ってから2・3分位はその侭でいて、それから引いて行くような感じである。押しより引きの方が多少速いが、ずっと速いという程ではない。
南浜中学校(大久喜)の女生徒(遭難者の一人は同中学校の女生徒で、この生徒も当時同じ所にいた)の話 04h 30m 頃(余り確かではない)海岸に行った。海藻採りをはじめてから間もなく水が増えて来た。すぐ引くだろうと思ったらどんどん増えてくるので大きい岩にしがみついた。この波が引いて行ったとき近くにいた人に棒を出して貰って助けられた。それからは家に帰って何も知らない。


○法師浜漁師の話 03h 40m頃海の様子がおかしいのに気がつき岡の上から見ていた。最初の引きで、04h 20m頃寄せて来た。05h 15m頃に大きい波が来た。海の中に見える岩が丁度かくれる位の高さだった。寄せて最高になってからかえるのには 30分位かヽったようであった。白波などは立たずじわじわと寄せて来た。引いて行くより押して来る速度の方が速かったような気がする。波は北東(海岸線に直角な方向)から来たと思うが、じわじわと上って来たので、そうはっきりとは分らない。大きい漂着物は殆んどなく家も全然浸水していない。


○大久喜 大久喜は、海岸から70 80mの所に岩山があり、海岸は10 数m位の砂地を経て芝生の高台になっている。当時の模様を話してくれた人は、その高台に住んでいる漁師で、当時は家の裏手の更に高くなっている所で見ていた。
漁師の話 貝拾いのため 03h過ぎに起き海の異常に気がついた。その後一度水が引いたから砂浜の上に寄せて来たので津浪だと気づき、うしろの岡の上に逃げた。05h 過ぎに一番大きな波が来たが、その前には向うの岩山との間の水が殆んどなくなる位ひいた。また少し北の海岸線から 6070間位の所に、干潮のときでも水面下 10尺位の所にかくれている岩があるが、それが水面上 10尺位上に見えた。一番大きい波が来たときには、正面の岩山は八分通りかくれてしまった。昭和8年の津浪のときには、庭の前の所に鰯のカスをしぼる「たま」を40位 置いたが、そこには水がチャプチャプ来る程度だった。今度は庭先を流れ去り、「むしろ」を 20枚位とられた。
以上、八戸市調査に当っては、市役所・消防署・測候所・海上保安部・八戸港工事事務所並びに東北電力火力発電所の方々に非常に協力して頂いた。

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地図 八戸市
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地図 来襲時
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水位測定(痕跡)
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津浪の押し引き時
§ 青森県三戸郡階上村

○追越 追越から大蛇にかけての海岸は、海岸線から約 100mにわたって岩石累々とし、その後部は稍高くバス道路になっている。追越のバス停留所近くの駄菓子屋の石垣が崩れていた。
駄菓子屋の家人の話 気がついたのは 04h 30m 頃だった。05h 05m10m 頃に第1波があり、06h 30m頃 第2波があったが、その後はみな小さい波であった。浪は潮のようにもくもくと上って来た。屋内には、石垣にあたった、しぶきが入った程度だった。


○榊 国鉄八戸線階上駅近くの浜 海岸近くの丘の上に三陸津浪の記念碑が建っている。
現地で働いていた漁師の話 03h 40m頃、潮が異常に引いたので津浪だと気がついた。05h 40m頃 最大波が来た。ゆっくり、じわじわと白波など立たずに押し上って来た。引くのは速かった。北から稍東よりの方向から来たような感じだった。


○小舟渡 海面上からの高さ約4、6mの防波堤に囲まれた小漁港である。
漁業協同組合での話 04h 頃出漁の船が出たが、その頃だいぶ引いていた。しばらくして浪が寄せて来たので津浪だと気がついた。05h 過ぎ最大のものが来た。このときには、前の防波堤を越えて侵入し、高さは5m近いのではないかと思われた。05h 過ぎのが最大だったが08h 頃にも相当大きいのが寄せて来た。これは7波か8波位だったと思う。押して来るのに較べ引く速度ははやい。小さい浪は間隔が小さく押し引きするが大きいものは沖に引いてから押して来る浪をじっと待っているような感じがする位間隔が長かった。

§ 岩手県九戸郡種市町

○角の浜 青森県・岩手県の県境に二十一川という小川が流れ、青森県側に無人灯台がある。この付近から川尻に至る間は海岸線近くに野生の芝生が非常に良く繁茂している。この辺は海岸線近くには殆んど、人家がない。
吉田峯雄氏(氏の家が1軒だけ二十一川のほとりの海岸近くにある。岩手県側)の話 05h 10m頃家人に起された。そのとき浪は引いていた。海岸線から 100 150m位離れた所まで引いているような感じだった。間もなく(05h 20m頃)最大の波が来た。3段位になってもくもくと潮のように上って来た。外洋からの津浪による被害はなかったが、二十一川が溢れ、それでちょっとした漁具が流されてしまった。


○平内 海岸線から約20m位の所まで芝生の土手が張り出しており、今回の津浪のためその土手の下部がえぐられ至る所崩れていた。海岸線から約10m位は石浜であり、付近の人の話によると、昭和8年の津浪では芝生の土手の上まで少々水が上り、明治29年の津浪が最大で土手を大きく乗り越えたとのことである。


○川尻 平内と続いている海岸であるが、この辺は芝生の土手はなく、川尻川河口では砂浜からすぐ平坦な芝生となり、そのうしろは防潮林・国道となっている。津浪は川尻川を溢れ、相当上流まで浸水したが痕跡は不明である。
漁業協同組合長の話 04h 30m 頃 最初の波が来襲し、次のは弱く、3番目(06h 30 m頃)のが最大であった。川尻川河口付近の倉庫が流され、その屋根は鉄橋の上流まで押し上げられた。


○川尻から種市まで海岸線伝いに歩いたが、絶壁で砂浜は全くない。


○種市 海岸瀬から約 100 150mにわたって砂浜(江戸浜海水浴場)があり、そのうしろに防潮林がある。浪は防潮林を越えなかったとの話で、林内には打ちあげられたゴミが見られたが波高の測定はできなかった。


○鹿糠漁業協同組合長の話 04h 頃海岸の小屋に宿っていた人が浪で足を洗われ眠をさました。その後引いて行ったので、昭和8年の津浪を経験した人が津浪だと、いヽ出した。06h 40m頃 最大の浪が来たが、その前に川が流れるように勢よく引いて行った。干潮のときでも3 4尋位の深さがある所まで底が見えた。浪は 30 40分位の間隔で平らにじわじわと寄せて来たが、満潮のときの水位くらいになってから急にもくもくと押し上って来る感じだった。昭和8年のものより稍、小さいようだった。


○玉川漁業協同組合長の話 大部分の場所は大時化程度の高さであったが、窓岩(海面上20尺位)のあるあたりでは、それが隠れてしまう程大きい波が来た。


○八木 八木は北港と南港があり、共に埋立地で、両港の間は砂浜で海岸近くを国鉄八戸線が通っている。八木は昭和8年には相当の被害を受けたが、今回は殆んどなかった。北港は昭和8年以前に築かれたもので、漁業組合長の話によると、この辺の被害は、防潮堤約40m決潰(但しこの防波堤はだいぶ古く相当侵蝕されていた)、網などを入れた小屋に浸水した程度であった。南港は新しい埋立地で、コンクリートの護岸に囲まれ、現在ドライ築港中であった。漁業協同組合の事務所は南港にある。北港で漁師の話 04h過ぎに第1波が来た。07h 08h の間に最高の波が来たと思う。最高波の前の引きのときは、海面下7尺位は下った。干潮のときの水面よりずっと下で、海の底岩が広く露出した。
漁業協同組合事務員の話 当日は宿直で、事務所の2階で 04h 25m 頃目を覚ましたところ、朝が異常に引いていた。05h 過ぎに押し波が来て、事務所の北側の護岸を少し越えた。その波が引いたときは、干潮のときの水位より更に3m位下までさがった。大きい波としては、07h 頃(事務所の床には入らなかったが護岸を越えた)、08h 頃(更に大きく、床の上に少し浸水した)、08h 45m頃(最高波で、床上50cm位入り、屋外では窓の上の方まで上った)である。これらの波は護岸に衝突してその勢いで越えたのではなく、じわじわと上って来た。最高波後も何度も繰返して来たが、そう大きい波は来なかった。

測点の記

○岩屋 N0。1
痕跡は全くなく聞き込みによる打上げ線を測定した。精度は悪い。


○N0。2 尻屋 お前浜
打ち上げられたゴミの列を測定した(余り明確ではない)
精度はあまり良くない。
海岸より20cm位の水深約2mの底が見える程引いたという。


○N0。3 尻労
引きの際は港内の水が全部なくなり、押しの際は満潮時汀線より1m位上った。


○N0。4 白糠漁業協同組合付近
* 2m 3m水深の海底が07h30m 08h位の間完全に見えた。
** 押しの際、水がかぶった。
漁組員の話に従って測定した。精度はあまり良くない。


○N0。5 奥入瀬川河口(百石町)
道路上約1mの台の家の痕跡を測定■■■■川面を基準に■■■■度は悪い。


○N0。6 中平


○N0。7 橋向(五戸川河口)
八戸側の土手の上に痕跡があった。川面を基準に測定した。精度は悪い。


○N0。8
聞込み及び土手上の痕跡から測定した。精度はあまり良くない。


○N0。9
海岸より約150mの防潮林に引掛っているゴミを測定した。精度は悪い。


○N0。10 三角地外洋側土手
この土手上数個所で浸水の痕跡が認められた。
左図の如く、ゴミの列が出来ていた。この列は土手の面に沿って付いていた。


○N0。11 三角工業港側(東北電力八戸火力発電所)
東北電力火力発電所内重油置物小屋の痕跡をを測定した。


○N0。12 第2魚市場付近
太陽軒食堂の痕跡魚市場の岸壁まで約100m ある。 道路上の高さを測定した。


○N0。13 第2魚市場
建物の壁及びボイラー等の痕跡が明瞭であった。


○N0。14 新井田川護岸
湊橋から約 200m の「東京ロープ」のウインドガラスに痕跡が、2段明かであった。


○N0。15 川口検潮場付近
建物の壁に痕跡があった。


○N0。16 白銀
海岸線から約300m、高さ約 4mの道路を越え、八戸線の三路の手前約25mのところまで浸水した。


○N0。17 八戸税関支所
建物の壁に痕跡があった。 精度はあまり良くない。


○N0。18 人形沢 出光興産
出光興産の黒トタン塀に、4本の痕跡があった。地上よりの高さを測定した。


○N0。19 鮫港セメント倉庫
倉庫の板壁の痕跡を測定した。 太洋冷蔵の痕跡も同レベルであった。


○N0。20 鮫港魚市場裏の理髪店
鮫港内の理髪店の屋内の棚に明かな痕跡があった。


○N0。21 八戸海上保安部
海上保安部玄関の痕跡を測定した。痕跡は全部で4つあり、海面上それぞれ4、61m、4、45m、4、35m、 4、13mであった。


○N0。22 種差海岸
海岸付近の芝生上に打上げられたゴミが付いていた。 岩石が汀に突出ているので海岸線が不明確である。 精度はあまり良くない。


○N0。23 法師浜海岸
痕跡の測定と、聞き込みによる海岸から約 50m の岩頂とは大体等レベルであった。(聞き込みでは、最高波はその岩頂をかくしたとのことである。)
当日は海が時化であったので、精度は余り良くない。


○N0。24 大久喜海岸
目撃者は最高波で岩山が8分通り隠れたという。神社の鳥居だけ残っていた。


○N0。25 大蛇
聞き込み及び道路側の竹垣の痕跡により測定した。


○N0。26 追越
追越のバス停留所付近の駄菓子屋
店主の聞き込み及び石垣の崩壊から測定した。
海岸は割合平坦であるが、岩石に富んでいる。


○N0。27 榊・追越の境
この入江内の海水が全くなくなった。物置の下まで浸水したというが、痕跡不明である。精度はあまり良くない


○N0。28 榊
聞き込みにより指摘された付近に打上げゴミがあり、草が変色していた。


○N0。29 小舟渡
聞き込みにより、 店の土台を測定した。 精度はあまり良 くない。 突堤は完全にのり越えた。


○N0。30 角の浜(県境)
海岸まで芝が生えており、その上に打上げられたゴミが二列になっていた。


○N0。31 平内
土手の痕跡は不明であるが、 聞き込みに従って測定した。精度は悪い。


○N0。32 川尻・種市の間
測点付近は石が約200mも平坦に埋めてあり靜かである。 精度はあまり良くない。


○N0。33 種市
聞き込みにより防潮林までを測定した。 精度は悪い。


○N0。34 八木南港漁業協同組合
聞き込みにより測定した。津浪当時事務所に宿直した人の指示に従った。


○N0。35 八木南北港間の浜○N0。35 八木南北港間の浜
聞き込み及び土手の草の変色から測定した。

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岩屋
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尻屋 お前浜
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尻労
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白糠漁業協同組合付近
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奥入瀬川河口(百石町)
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橋向(五戸川河口)
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No.8
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No.9
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三角地外洋側土手
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三角工業港側
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第2魚市場付近
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第2魚市場
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新井田川護岸
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川口検潮場付近
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白銀
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八戸税関支所
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人形沢 出光興産
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鮫港セメント倉庫
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鮫港魚市場裏の理髪店
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八戸海上保安部
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種差海岸
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法師浜海岸
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大久喜海岸
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大蛇
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追越
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榊・追越の境
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小舟渡
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角の浜
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平内
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川尻・種市の間
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種市
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八木南港漁業協同組合
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八木南北港間の浜

久慈・小本間

東京学芸大学地学研究室
富永政英


小本・田老間は日数及び交通の関係上踏査できなかった。
久慈湾は連絡の手違いから踏査から泄れてしまった。従って実地に踏査し得たのは小本から久慈市南方の久喜浜までである。
海岸は本区域は殆んど断崖をなし、村落稀薄で、津浪の痕跡の発見、住民からの聞き込みは比較的困難であった。それに加えて交通極めて不便のため調査個所は一部に限定せられる。


久慈市宇部町久喜
久喜漁業組合長及び浜辺の漁夫数名より聞き込む。
5月24日3時30分頃潮が引ける。第一波は4時頃、あまり大ならず。
4時30分頃の第二波が最大で海浜に設置しある「こなご」を処理する窯小舟、「せいろ」など流失した。6時頃まで顕著な振動をくり返し以下同日15時頃まで小振動が続く。
海岸に平行して走る道路は護岸確実で損傷なし、高さ4mばかりの橋は上まで波に洗われたがコンクリート橋のため流失せず。


野田村
岩手県土木課の部員の測定によると浅瀬の上に構築した波止場の上に建っていた魚市場は廂の上瓦三枚位まで最高波によって洗われたといい、その高さは水面(土木部員の測定時不明)から4m85という。流失家屋10戸位あり。
波は防潮林の間をぬけて水田に浸水す。水田にて働いていた農民は防潮林の松の木によじ上って水難を避けたという。
魚市場のある築港の附近で二方向(方向不明)から来た波が重なって大きくなり宇部川口に押よせたという。
前浜での実測によるに沼高5mを越すから何等かの原因でとくに波が大きかったようである。


普代村太田名部
最高波は他の近接地域と異なって第4波が最高、六時頃来襲したらしし。(現地漁民の談) 4時30分頃湾内3尋位の深さの所まで干上ったという。昭和8年(波高18メートルあった)のときの全域に近い苦い経験により水の引くのをみて直に小舟を陸上に揚げ避難宜しきを得たので被害は僅少、また昭和8年以後民家は主として高い所に移動してある。


田野畑村平井賀
顕著な引潮なく3時50分頃いきなり海水が溢れてきたという。しかもこの第一波が振幅最大であった。そのあと著しい引潮があり、長さ400m位の湾の中間位まで干上ったという。深さ5尋位、平井賀の湾は真東に開いていて浅いU字形をなし、三陸沖に発生した津浪はまともに受け昭和8年のときには全村全滅に近い。それにも拘らず、防波堤・防潮林の設備は全くない。交通また極めて不便な村である。
羅賀海岸に行ったが痕跡全くなく、又昼頃にて漁民全く居らず、調査できず、その北の明戸浜も人跡なく、浜に痕跡もなし。


岩泉町小本
5月24日2時30分頃最初の波があったらしい。小本川口に繋留しておいた、長さ5mばかりの小舟のロープが切れて、流されていたのを3時頃発見している。
4時頃第2波が来て、沖に居た漁夫は、網が強い流れに流されそうになったという。
4時20分頃の第3波は最大で小本川口で水面から約3m上昇している。
その後5時10分頃にまた押返しがあり、20分位経過して引いて行った。
7時10分頃稍大きい波が押よせる。その後は20分乃至30分の周期で押寄せ夕方に至る。16時頃稍大きいのが来た。


岩泉町茂師
小本と同じく第3波最大で、その前に水が引き海浜より約50m沖の湾内4、5m位の深さの所は底が現われた。第3波は海岸に作ってあるなだらかなコンクリート壁をすべて洗い、その上に置いてあった小舟20隻は悉くさらわれた。

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地図 野田村

田老、船越間及び津軽半島

気象庁気象研究所 宇野木早苗
同 研修所 土屋瑞樹


[注意]
本報告の付図中の海面は観測時の海面である。従って、海面を基準として記入した高さは凡て観測時海面からの値で,T.P.上の値ではない。

I. 岩手県田老─船越湾
St.1 下閉伊郡田老町 岩手薪炭公社倉庫

最高潮位 T.P.上 2、60m
田老町役場の人が示してくれた倉庫外側の板壁上の痕跡はやや明瞭であった。(Fig1)
なお普通の波で水がバチャバチャやった一番上の跡は、この痕跡より50cm上方である。
漁師の観測によると、Fig2に示すように、互いに離れている四ッ島が津浪で水が一番退いた時には連がって見え、一番高い時は、水が岩の上を越したということである。よって波高は56mに達したと思われる。
町役場総務課長 中山長一郎氏の話
漁港内では22隻の船が小破し、岸壁の上にあった木材が100石流出した。
しかし、明治29年、昭和8年の大津浪にくらべると今回ははるかに小さく、津浪は防潮堤にまで達していない。目視観測によれば、津浪の来襲状況は次のようである。
時刻 水位(平均水面上)
第1回の山 4h 2m
第2回の山 5h 23m 2m
第3回の山 7h 20m 2m50
第4回の山 9h 50m 2m
第5回以降は波は次第に小さくなった。岸壁上の木炭倉庫の痕跡は第3回目の波で得られたものである。これらを測定した地点はFig3に示されているように港外から押寄せた水が1ヶ所に集った地点で、田老付近で一番水が高かった所である。その他の場所は平均水面上1、60mの岸壁が水を冠った程度である。
長内川をさか上った水は漁業協同組合付近まで達し、一方、田老川をさか上った水は、約2Km上方の第一田老橋まで達した。しかし水は田畑には入っていない。

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Fig.1
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Fig.2
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Fig.3
St.2 宮古市女遊戸海岸

最高潮位 T.P.上 2、06m
海辺には人家もなく、見出すことができなかったので、住民の示した海藻の打上げた跡から推定した。しかし、この打上げ跡は長く続いてかなり明瞭であった。測定値は3ヶ所における平均値である。
漁民の話。漁船を出そうとした時、水がどんどん退いて行くので、水を追駆けて船を出した。普通のときより2 3m低くなったようだ。退いた距離は 20 30m 位。2 3回強く引いたが、1回目より2回目または3回目の方が大きい。大体4 6時頃が顕著であった。津浪の周期は3040分程度である。
なお明治29年の津浪のときは山のふもとまで水が来て家が浸った。その後部落と海との間に立派な防潮林ができているが、今回は防潮林まで波は達しなかった。

St.3 宮古市 検潮所付近の造船所

最高潮位 T.P.上 2、29m
造船所倉庫内の微弱な痕跡に基く。昭和8年の津浪より今回は5寸程度低いとの話であった。(Fig4 参照)
この地点のすぐ近くに、宮古測候所の検潮所があり、津浪当日の記録が得られた。これによると、第1波は2時47分押しで始まり、 最高潮位は第4波目、 4時34分に起り、T.P. 上 1.17mの値を示している。その時の周期は約 50分位である。余り細い振動は除いて、相隣る山と谷の高さの差が最大となったのは、この第4波の山とその次の谷(5時 10分)の差で1.79mに達している。波高(山 谷の差)1m程度の振動は 24日9時頃迄、約40分の周期で続き、また 18時 22時頃にもその程度の波が見られる。25日もなお終日異常振動が続いている。

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Fig.4
St.4 宮古市鍬ヶ崎 宮古測候所下

最高潮位 T.P.上 2、31m
板壁についていた明瞭な痕跡によって測定。4時30分頃来襲した第2回目の波が最も高かったとの話。 ( Fig. 5)

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Fig.5
St.5 宮古市旧館 白浜行渡船乗場

最高潮位 T.P.上 2、00m
岩壁から約 20mの売店の外壁に痕跡があった。( Fig. 6)聞き込みではこの痕跡が津浪のよるものかどうか記憶がないとのこと。しかし、その付近で聞き込んだ波の打ち上げの状況から、最高波の高さを与えるものと想像される。当日は3時頃から海面が異常を呈し、第1波は岸壁が浸る程度で、第2波が最高であった。引いた時は岸壁近くの海底が見えたとのことであるから、4m位の波高があったものと推定される。波の到着時刻についての聞き込みは得られなかった。

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Fig.6
St.6 宮古市神林

最高潮位 T.P.上 2、04 2、90m
海岸では最高波の高さを推定できる痕跡が全くなく、聞き込みによって最高波の上限と思われる高さを測定した。
第2波が最高で、4時過ぎに来襲し、高いものはその後の数波で、周期は30分 1時間程度であった。一番引いた時は岩場の先端に孤立している岩が下まで見えたという。海面の異常はその日一日続いた。
この地点のすぐ近くで( Fig.7参照)川口より約 100m上流の川に面した魚屋店内の網戸に明瞭な痕跡があり、河水面からの高さを測定した。ここでの聞込みによると、4時頃疊まで浸水し、4時半には最高波が押し寄せた。これは第3波か第4波であったと思うとのこと、なお今回の津浪は昭和8年のものよりずっと低いものであったという話である。

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Fig.7
St.7 宮古市高浜

最高潮位 T.P.上 4、58m
海より道路をへだてて約 20mの家屋内の壁に痕跡があったので、それを測定する( Fig. 8)。4時頃気づき、最高波は5時頃であったが、気付く以前も数波あったらしいという。周期は 20 30分で、その後も同じ位の間隔で約10波の来襲があった。
なお、波の寄せて来るのが沖を見ているとわかった模様で、湾口から津軽石方面へ入って行った波が、岸ぞいに廻ってきて高浜に達したり、あるいは、湾口よりの神林方面から岸ぞいに入ってきたりしたということである。さらに対岸の太田浜、堀内方面と位相が逆になり、対岸で水位が下り人が浜に出ているのが見える時に高浜側では水位が高くなっていることがあったそうである。
一般に高浜付近は倒壊した家屋が多く、この測定した家屋も、戸、建具の類は全部流失している。

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Fig.8
St.8 宮古市金浜

最高潮位 T.P.上 5、53m
家屋内部の壁の痕跡と海岸の木の枯れた高さが、ほぼ同じであったので測定する。( Fig. 9) 第1波は3時頃、 第3波は最高で4時頃、 10 15分の周期で来襲、その後もかなり高い波が 10 15分の周期で続き、段々低くなりはしたが、その日一日は浜へ出られない位であった。
また前日の夜、2 2時頃潮が異常に引いていたということである。なお今回の津浪は明治 29年、昭和8年のいずれよりも高く、前者より1m、後者より2、5m高であった。

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Fig.9
St.9 宮古市赤前

最高潮位 T.P.上 4、90m
宮古湾の最も灣奥に当る場所であるが、この付近の海岸から約1、5Km内部の津軽石方面まで殆んど完全に洗い流されたような状況で流木、漁船等が防潮林を越えたか、あるいは決潰個所から、また津軽石川にそって浸入した津浪によって到る所打ち上げられている。( Fig. 10、11、12参照)先端が決潰した防潮堤の内側約 30mの家屋の二階外壁に残された明瞭な痕跡を測定したが、付近の樹木の枯れた高さもほぼこれと同じ高さを示している。
聞き込みによると、 初動の引きに続いて、第1波は3時30分、次いで第1波よりやヽ高い第2波が4時頃来襲、最高は第4波であった。これらの周期は約30分であったということなので、最高波の来襲は5時頃であったと想像される。防潮堤を越えた波は最高波だけである。海面の異常は翌日まで続いた。
津軽石付近の浸水地域の概略(斜線)なお、この津浪は明治 29年、昭和8年のいずれよりも高く、後者よりは約1、2m高とのことである。

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Fig.10
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Fig.11
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Fig.12
St.10 宮古市堀内

最高潮位 T.P.上 4、90m
海岸から道路をへだてて約10mの崖に生えた灌木の枯れた高さ(かなりの距離にわたって明瞭な一線をなしている)を聞き込みに基いて測定する。(Fig. 13)
最高は第3波で4時頃、 その後高かったのは第6波までで、12時半頃まで続いた。
なお、昭和8年、明治29年の津浪のいずれよりも高く、とくに明治29年のものよりはずっと高かったということである。

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Fig.13
St.11 宮古市太田浜

最高潮位 T.P.上 4、34m
海に直接面した崖に生えた灌木が十分長い距離に亘って明瞭な一線をなして枯れている高さを測定する。また汀線より約80m内部の並木も、ほヾ同じ高さの一線をなして枯れていた。(Fig. 14 参照)
付近の目撃者の話 第1波は3時前に汀線より6尺打ち上げた。第2波ははっきり憶えていないが3時過ぎ、第3波は最高で4時頃それぞれ来襲した。第3波は浜を越えて約300m 内部まで浸入した。周期は30 40分位であったが段々短くなる傾向があった。
15時頃にも浜を越える波が2回来襲した。なお、この津浪は明治29年のものより2m低く、昭和8年のものより2m高いとのことである。

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Fig.14
St.12 宮古市白浜 宮古行渡船舟つき場

最高潮位 T.P.上 3、23m
緩やかな砂浜にそって打ち上げた藻くずの高さを測定。上記の値は2点での観測の平均値である。聞き込みによれば、初動は引きで、第1波は3時30分、第2波は最高で4時過ぎ、計約6波の耒襲があった。最も引いた時には、約3尋の海底が見られた。

St.13 宮古市重茂 漁港

最高潮位 T.P.上 2、49m
漁船だまりの中で最高波の高さを聞き込み(痕跡はなし)測定する。また岸壁の高さを基準にして最高波高を聞き込んで測定した。( Fig.15参照)
漁民の話 最初押しから始り、第1波は3時半頃来襲し、約30分の後、最高の第2波が来た。この高さは平均海面上2mであった。その後は、これより短い間隔で何回となく寄せたり引いたりした。なお一番引いた時は平均海面下7 8尺の海底が現われた。
重茂漁業協同組合重茂為治氏の話 3時頃引きから始まり、平常の干満で2m引くが、その2倍位引いた。4時に第2波がきたが、これが最高で、荒天時の波浪と同じ程度の高さであった。

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Fig.15
St.14 宮古市姉吉

最高潮位 T.P.上 3、12m
海際には人家は無く聞き込みにより測定する。すなわち波が最も高かった時は、観測時の水面より2、75m上の護岸の面より更に10cm位 高かった。最も低くかった時は2、10m下の海底が見えたということである( Fig.16)。その差は4、95mになる。周期は20 30分。最初は上げで、3時40分に始まった。2回目(4時頃)が最も大きかったが引きの方が大きいようだ。津浪は翌日まで続いた。
なおここでは昭和8年の津浪は著しく大きくて、砂浜の背後の高さ11mの岩の上をも越したということである。岩の頂きの水面上の高さは1、34mであった。

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Fig.16
St.15 宮古市千鶏

最高潮位 T.P.上 3、12m
聞き込みにより測定。一つはFig.17aに示す藻くずの打ち上げ跡による( 観測時水面上2、75m ) 他はFig.17bに示すように水面上3mを得る。平均して2、88mとなる。最も退いた時は、満潮面より9尺も低くなった。よって最も高いときと低いときの差は約5mとなる。
水が引いて津浪に気がついたには3時30分頃であるが、既に3時頃から引き始めたように思われる。4時頃に最も高かったが、これは2回目に相当する。周期は約20分位。
午前中続いたが、午後は気がつかない程に小さくなった。昭和8年の津浪は観測時の水面上12m程度であるが、明治29年は昭和8年よりさらに34m高いということである。

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Fig.17a
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Fig.17b
St.16 宮古市石浜

最高潮位 T.P.上 3、82m
聞き込みによる。2ヶ所で測ったが、一つは観測時(6月4日12h25m)水面上5、35mで、もう一つは観測時(12h 40m)水面上3、65mであった。差が大きいが後者の方がより確かなように思われる。最初の波は引きで、2時30分頃始まった。3時30分頃、最も大きいものが来たが、2回目か3回目に相当している。周期は10分より短いようだった。最初の3つの波は少し長かった。潮の寄せ引きは比較的規則正しかった。
どこまで水が退いたかは人によって異っていて、満潮面より2m下の方まで水が退いたという人と、25尋の深さにある底が見えたという人がいた。
昭和8年の津浪は今回より2mほど高く、明治29年のは、これらより更に高いという話。

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Fig.18
St.17 下閉伊郡山田町大沢猫石坂東

最高潮位 T.P.上 3、09m
民家内の明瞭な痕跡に基いて測定、測定時水面上3、08mであるが、これは3回目の波による。聞き込みによって1回目の波の高さを測ると 1、60mであった(Fig. 19)。
一番高い3回目の波は5時20分 30分頃。目立った波は5,6個で周期は約30分。

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Fig.19
St.18 下閉伊郡山田町大沢部落東端

最高潮位 T.P.上 2、93m
水面上に建ててある漁具格納庫のガラス戸についている明瞭な痕跡によって測定する(Fig. 20)。
なおガラス戸の下の方にも痕跡が残っていたので測定した。これは水面上 2、50m (T.P.上 2、53m)の値となる。
1回目の波は大体3時頃に来て、2 3回目が最も高い。周期は20分位。
岸から200m位沖まで水が退いた。そこの水深は2m以上であろうとのことなので、最大波高(波の山と谷の高さの差)は4、9m位に達したと思われる。

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Fig.20
St.19 下閉伊郡山田町大沢部落西端

最高潮位 T.P.上 2、80m
倉庫の壁に残っている明瞭な痕跡による。なお聞き込みによると、第2波は最大波より89cm低い所に達している (Fig. 21)。
4時頃起きた時は既に水は退いていた。
3回目が最も高いようで、その時最も退いた。満潮時には、20尺(?)の深さにあるようなカキ棚の基部が見えたようだ。
周期は30分以上あった。また津浪が押し寄せて来るときは、山のように見えた。

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Fig.21
St.20 下閉伊郡山田町関口川河口大沢寄り

最高潮位 T.P.上 3、23m
海まで約30mの町営住宅の屋内と屋外の壁に明瞭な痕跡があったが、どちらも等高であった。(Fig. 22参照) 居住者の話では、気づいたのは4時頃だがそれ以前に既に始っていた。大きい波は5波来た。周期は2030分。そのうち最高は第3波で、5時頃来たもの。

St.21 下閉伊郡山田町関口川川口

最高潮位 T.P.上 3、06m
St. ー20と約200mへだたった関口川河口の町営住宅の窓ガラスに明らかな痕跡があった。 (Fig. 22、23参照)
第1波は3時40分に地面の高さに達し、第2波は4時10分、最高は第3波で4時30分、その後、第6波位まで高いものが20分位の周期で続いた。第6波は床上に達した。その後も、昼頃までは床位まで達するものが何度もあり、一日中海面の振動が続いた。
なおこの地点での地面の高さはざっとT.P.上 1、4m、床の高さはT.P.上1、7m となる。

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Fig.22
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Fig.23
St.22 下閉伊郡山田町 山田漁業組合連合

最高潮位 T.P.上 3、48m
山田漁協連事務所の窓ガラスに明瞭な痕跡があった。
この事務所は Fig.24に示す通り、屋根だけの魚市をへだてて、岸壁にのぞんでいる。

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Fig.24
St.23 下閉伊郡山田町 山田港岸壁南端

最高潮位 T.P.上 3、51m
直ちに岸壁に臨んだ家屋内障子に明瞭な痕跡があった( Fig. 25)。
第1波は岸壁の上端まで達し、 次いで引いたのが4時頃である。第3波が最高で5時頃来襲した。周期は約40分。
一番引いたときは観測時の海面下3尋の海底が現われた。また山田湾内の小島とそのそばの州が連なって見えた。
なお今回の津浪は昭和8年のものに比しやヽ高いとのこと。

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Fig.25
St.24 下閉伊郡山田町 織笠部落北端

最高潮位 T.P.上 3、50m
巾約5mの道路をへだてて海に面した家屋の外壁に明瞭な痕跡があった( Fig. 26,27参照)
第1波は4時頃丁度道路面まで達し、第2波は最高で4時15分 20分頃第3波は第2波より少し低い程度、第4波は道路面上約60 の高さであった。周期は10分もない位であった。最も引いた時は、約15尺の海底が見えた。また、当日空の色が、暗い、しかし普通の荒天の時とは全く違った特殊の色を呈し、そのような空の色は今迄見たことがないという話であった。
なお、この津浪は昭和8年に比し低く、また十勝沖地震津浪(昭和27年3月4日)にくらべて潮の引き方がずっと大きいということである。

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Fig.26
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Fig.27
St.25 下閉伊郡山田町織笠 織笠川河口

最高潮位 T.P.上 3、38m
織笠川左岸の河口近くで、1点は海より10mの家屋の外壁に、外の1点は海より3mの家屋の窓ガラスにいずれも明らかな痕跡があった (Fig.26)。両点の測定値はよく一致していたが、平均値は標記の通り、第1波は4時20分頃、第3波は最高で5時頃到達し、周期は20 30分であった。
最も引いたときは山田湾の小島と州が連なって見えた。今回の津浪は昭和8年のものと同程度乃至はやヽ低かったという。
なお織笠部落は、倒壊家屋も多く、特に織笠川にそっては相当内部まで浸水している。

St.26 下閉伊郡山田町船越 (山田湾側)

最高潮位 T.P.上 3、19m
山田湾に面した防潮林に藻くずがいたる所に引掛っていた。その高さは広範囲に亘って一様で、最高波の高さを示しているものと考えて測定する。
この防潮林の後の堤防は約20mに亘って決潰している(Fig. 28)。 浸入した水は約1Km南で、船越湾から浸入して来た水とつながった。(Fig. 33参照)。
第1波は4時頃、第2 3波が最高で4時30分頃来襲した。
高いものは初めの5波位で周期は約20分であった。

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Fig.28
St.27 下閉伊郡山田町大浦 山田行巡航船発着所付近

最高潮位 T.P.上 2、96m
約50m離れた2点で、1点は倉庫の外壁、1点は物置小屋内の柱にいずれも明瞭な痕跡があった。両点の測定値は測定誤差内で完全に一致した。
(Fig. 29)。 標記はその平均値。
最初に気づいたのは4時頃の寄せで、これから数えて第3波目が最高で5時頃耒襲し、これに続いた引きでは、2尋の海底が見えたという。もしこれが正しいなら波高(山と谷の高さの差)は約7mあったことになる。
その日は午後まで寄せ引きが続き、その後も数日海面の異常が見られた。
周期は約40分あるいはそれ以上で、寄せ方も大変ゆっくりしているという感じであった。
なお大浦海岸から低い地域にそって約0、5Km内部まで波が打ち寄せた。
昭和8年の津浪は今回よりもずっと高かったという。

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Fig.29
St.28 下閉伊郡山田町小谷鳥

最高潮位 T.P.上 2、31m
海岸には人家もなく、痕跡が得られず、聞き込みによって波の打ち上げた高さを測定した(Fig. 30)。 この聞き込みも直接目撃者から得たものでなく高い信頼度は期待し難い。第1波は4時頃到達し、一番引いた時は平均海面げ2尋の岩の底が見えた。従って波高は(山 谷の差)は6、3mとなる。
なお、昭和8年の津浪は、砂浜の後の防潮林を越えたということから、今回よりも4m位高かったと推定される。明治29年のものは昭和8年よりさらに数m高かったということである。

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Fig.30
St.29 下閉伊郡山田町田ノ浜部落南端

最高潮位 T.P.上 3、47m
岸壁より40m入った家屋内の痕跡(Fig. 31a)と、この点と約50m離れた岸壁上の家屋窓ガラスの痕跡(Fig. 31b)とを測定した。後者の方が26 高いがこの方が確からしいと思われるが、一応平均値を標記した。
第1波は4時頃、最高は第3波か第4波で5時頃来襲した。周期は1020分。最も引いた時は、観測時潮位下3mの海底が現われたというから波高(山 谷の高さの差)は6、3m程度となる。また湾口から入ってきた津浪は対岸に向って進み、そこから反射して田ノ浜に達したように見えたということである。
なお、昭和8年の津浪に比し、2 3m低かった。明治29年のものは昭和8年より更に高かったという。

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Fig.31a
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Fig.31b
St.30 下閉伊郡山田町田ノ浜早川 船越湾漁業協同組合事務所

最高潮位 T.P.上 4、08m
標記事務所の外壁に明瞭な痕跡があった。岸壁までの距離は30mであるが、その間にさえぎるものは全くない。

St.31 下閉伊郡山田町船越山ノ内 ( 船越湾側 )

最高潮位 T.P.上 2、66m
船越湾に面した石垣の防潮堤が水門(破壊前の巾8尺)になっていた所を中心として約15mに亘って決潰し、70m内部の倉庫の内壁に明らかな痕跡を残した(Fig. 32)。
こヽから浸入した水は、山田湾側から浸入してきた水と、道路にそった狭い範囲ではあるが完全につながった。このことは聞き込みによっても、流木、藻くず、地面の状況等からも疑いを入れない。しかし大部分の水は山田湾側から来たものであるという。Fig. 33にこの付近の大略の浸水区域を示す。
津浪は4時半頃から始ったが、最高は第3波であった。大きいものは初めの3波のみで、周期は40分位。一番引いた時は10尺以上の海底が見えたというから、波高(谷から山まで)は 5、3mとなる。第4波以後は低いものであった。
なお今回の津浪は昭和8年のより低かった。しかし同じ船越でも山田湾側では(St ー26付近)昭和8年よりも約2尺高かったという。

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Fig.32
St.32 上閉伊郡大槌町浪板

最高潮位 T.P.上3、20m
海岸には人家もなく、 痕跡、聞込ともに得られなかった。やむを得ず、汀線から10mの低い堤の破損の状態、その後の麦畑 Fig. 33 船越付近の浸水地域(斜線)の浸水の跡から最高波の高さを推定したに止り、信頼度は低い。

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Fig.33
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Fig.34
St.33 上閉伊郡大槌町吉里吉里

最高潮位 T.P.上 3、88m
砂浜の海岸から約50mの倉庫の外壁に油の痕跡が明瞭に残っていた。
4時頃、引いていたのに気づいたが、他の人の話しではこの前3時頃に1波寄せがあったとのことである。最高はこの4時頃の引きの次に来たもので、4時半頃来襲した。その後高いものは約2波位、10 15分の周期で押し寄せた。小さいものはずっと終日続き、翌日も多少異常であった。

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Fig.35
[註]

上記の観測は凡て海水面を基準として行っている。従って若し、測定時の海面が補正に用いた検潮所付近の海面と著るしく異る振動をしていれば、測定した最高波の高さは大きな誤差を含む。特に湾にセイシュが発達している場合は注意せねばならぬ、そのため、6月5日17時30分 18時の30分間、山田湾奥に当る山田町関口川河口付近でポールを水中に立て、5分毎に水位の観測を行ったが、水位の変動は5cmを越えなかった。従って当日山田湾には著しいセイシュは発生していなかったと思われる。
山田湾沿岸の各観測点はSt ー17、18、19の3点以外すべて6月5日に観測を行ったので、山田湾のセイシュのために測定値に誤差を含む恐れはないと見てよかろう。

II. 青森県津軽半島 青森─鰺ヶ沢
St.A-1 青森市奥内清水

最高潮位 T.P.上 1、44m
聞き込みによって2点で測定。1点はこヽまで水がきたという家人の証言により1、25m(7日10h 50m 海面上)を得る (Fig. 36)。もう1点は藻くずの打ち上げ跡により、1、10m(11h 50m 海面上)を得る。
津浪で水が退き始めたのは6時頃のようである。ひどくなり始めは朝8時頃からで、16時頃まで続いた。一番高かったのは13時30分 14時頃という人と、15時頃という人がいた。午前中は4回波が来た。波の周期に関してはいろいろ異っていて、10 15分、30分、90分と答えている。200mほど沖にある浅瀬(低潮面下3尺位)の付近まで水が退いた。
十勝沖地震津浪や昭和8年の津浪より今回の津浪が大きい。

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Fig.36
St.A-2 青森市後潟 市役所出張所横

最高潮位 T.P.上 1、33m
聞き込みによって指示を受けた藻くずの打ち上げ痕によって測量する。
(Fig. 37) 6時10 15分頃から気がついた。11時頃が最もひどい。
午後もつヾいたが大したことはなかった。大きいのは4回上下したが、3回目が最も大きい。周期は1時間30分 2時間くらいもあった。沖の方へ200m位退いた。そこは満潮時は2尋ぐらいの深さであろうとのこと。
なお昭和8年の津浪は今回の半分もなかったとのことである。

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Fig.37
St.A-3 東津軽郡蟹田町蟹田川口防波堤

最高潮位 T.P.上 1、27m
津浪当日、津波を見ていた町役場の係の人が、漁港防波堤で最高位置をマジックインキで記録してあったのでこれを測定した。( Fig.38)
津浪状況について蟹田町長より資料を戴いたので、要点をここに記しておく。


(1)最も早く海面の異常を知った時刻 24日5時40分頃。下げ潮であった。


(2)来襲状況 (Fig. 39)24日05h 40m頃一番引いた(人の話)。平常時の水際より60m位沖に水が引いた。
06h 00m頃50cm位水が上る(係員観測)。
07h 40m 頃 と同じ (係員観測)
08h 00m 頃 と同じ ( 〃 )
09h 20m 頃 10cm 位引く ( 人の話)
(09h 00m 頃) と同じ ( 〃 )
より7m位引いた ( 〃 )
12h 30m 頃 より30cm上る( 〃 )
13h 30m 頃に引いたかどうか不明 ( 〃 )
14h 00m 一番上った。
と同じ 以上
係員の話。14時最高で、波高(山谷)180cm位、周期は約2時間。
水が引くときはゴーツと音がして川のようになる。この付近では今迄に見たことがない現象である。津浪の最高水位は、満潮面上50cm、T.P.上1、15mであろう。

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Fig.38
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Fig.39
St.A-4 東津軽郡平舘村 港内

最高潮位 T.P.上 1、16m
聞き込みによって、最高波の高さを測定する。この付近は浸水した地域は全くなく、従って陸上の被害はなかったが、ツボアミ、チョコアミ等の漁網が多数破れたりする被害があった( Fig. 40)。
4時頃から引き始め、第2 3波が最高で10時頃きた。最も低くなったときは平均海面下2mの底が出た。したがって波高(山谷の高さ)は、3、0mとなる。
高かったのは第4波までで、周期は約一時間。午後も引き継いて異常であったが夜に入ってからは平常と変りがなかった。

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Fig.40
St.A-5 東津軽郡平舘村弥藏釜

最高潮位 T.P.上
1、13m
緩かな石浜にそって波が押し上ったという高さを聞き込みによって測定した(Fig. 41)。
初めは海面の異常に全く気付かず、ラジオで初めて津浪を知った位であった。気付いた後の第一波は6時頃、第2波(最高)は7時頃来襲、その後も約2時間位の周期で比較的高いものが2波位寄せた。一番引いた時は2尋半の海底が見えた。午後にはほとんどなかった。

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Fig.41
St.A-6 東津軽郡平舘村宇田

最高潮位 T.P.上 1、61m
この付近も水位は道路面以下で、被害は全くない。聞き込みによって測定する(Fig. 42)。
第1波は7時頃、これに続いた引きは8時半頃で1尋の海底が現われた。
第2波は最高で9時頃、第3波は10時頃来襲した。大きいものはこの3つの波で午後は多少の異常を示す程度で夜に入ってからは何ともなかった。波の寄せてくる時は白波がたって砕けながら耒るのが見られたが、音はしなかったという。
以上の聞き込みと測定結果から波高(谷 山)は3、9mとなる。
なお、昭和8年の津波は今回より高かったが、引き方は少なかったという話せある。

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Fig.42
St.A-7 東津軽郡今別町袰月

最高潮位 T.P.上 1、48m
道路面以下の水位で被害全くなし。聞き込みによって最高波の高さを測る( Fig. 43)。測定点は湾の一番奥に当る地点である。
初めは引きで4時40分頃から始り、第1波は5時すぎに寄せた。次いで引いたのは6時、第2波(最高)は6時40分頃、その次の8時 9時頃の引きが最もよく引いた。この付近まで引いたという地点まで小舟を出して水深を測ると観測時(6月8日09h40m)の水面下2、0mであった。従って波高(山 谷)は3、8mとなる。昼頃までに計4波押し寄せたが、それ以後は大したことはなかった模様である。

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Fig.43
St.A-8 東津軽郡今別町今別川河口

最高潮位 T.P.上 1、35m
今別川河口付近の砂浜に打ち上げた藻くずの跡によって測定( Fig.44)。被害は全くなし。
5時すぎ引きから始り、高いものは1時間の周期で3波押し寄せたが、10時すぎの第2波が最高であった。一番引いたときは観測時(6時8日09h 10m )潮位下6尺 6尺5寸の海底が現われたというから、波高(山 谷)は3、5 3、7m程度であったろう。15時頃に少し高いものが来たということである。

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Fig.44
St.A-9 東津軽郡今別町長川河口

最高潮位 T.P.上 1、41m
長川河口の突堤上で聞き込みに基き測定する。こヽでも被害は全然ない。
第1波は5時10分 20分頃で、高さは最高波より1尺低く、第2波が最高、第3波以後は低いものであったが15時頃まで継続した。測定値は1、70mで、また最も引いた時このあたりの底が見えたという所を突堤から測深し、2、0mを得たので、波高(山 谷)は3、7mとなる。

St.A-10 東津軽郡三厩村 港内

最高潮位 T.P.上 1、40m
三厩港内岸壁で聞き込みに基き測定する( Fig.45)。付近の住民の話しによる耒襲の状況は大体次の通り、 約2時間の周期で、 第2波が最高であった。
第1波 高 5時30分 6時
低 8時
第2波 高(最高) 9時
低 10時
第3波 高 11時
その後、午後は異常なかった。また現在70才の老人もこのような現象を経験したことがないという話である。
なお三厩区内観測所の種市良次氏(三厩村役場)が当日、観測された貴重な資料を戴くことができたのでこヽに付記する。
満干潮 時 間 平均水面との比較 備 考
干 4h 15m 不 明 海岸より30m潮引く
満 5 50 +1、00m 埋立地岸壁上面スレスレ
干 7 45 1、30 海岸より80m潮引く
満 9 25 +1、20 埋立地を越え役場の下まで流れ上る。県道も低いところ流れ上る
干 10 08 1、30 海岸より60m潮引く
満 11 30 +1、00
干 12 45 1、00 海岸より30m潮引く
満 13 40 稍平常に近い
干 15 20 0、50 海岸より15m潮引く
15 35 平常になる

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Fig.45
St.A-11 東津軽郡三厩村 龍飛木落

最高潮位 T.P.上 0、94m
バス停「木落」前の休息所の主人が尺を当てヽ直接測った最高波高(山谷)は7尺7寸であって、この値は正確であると思われる。( Fig.46参照)。水は5時頃から引き始め、大体13時頃まで振動が続いた。最も大きいのは10時頃で、これは2回目の波が最も引いた時に相当している。周期は40分位、風に起因する波がなかったので被害は僅少であった。なお最も引いた時は観測時水面下1、5mの海底が見えたというから、波高(山〜谷)は2、4mとなり上述の値とよく一致する。

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Fig.46
St.A-12 東津軽郡三厩村 龍飛北端

最高潮位 T.P.上 1、09m
2点で測定を行った。1点は聞き込みにより( Fig. 47a)、他は藻くずの痕による (Fig. 47b)。
前者はT.P.上1、12m、後者はT.P.上1、06mで、平均T.P.上1、09mである。
5時30分頃気がついたときは水は引いていた。 その前に寄せがあったらしい。 3波位大きいのがあって、 3つ目が最も大きい。その時刻は12時頃のようだ。周期は1時間30分〜2時間、波高(山 〜 谷)は2m位になる。 海面の上がり下がりは15時頃まで続いた。
とにかく90才のお婆さんが未だ経験したことのない現象である。
なお、奥谷旅館主の話によると、当地方で水不足で困る折でも嘗って涸れたことのない同旅館の井戸が翌25日には涸れたということである。ただし次の26日には平常に復した。
一方ここから6kmほど三厩に寄った釜の沢の川の水が少くなった。また付近の小さい川では水がすっかりなくなった。 井戸は Fig.48のようになっている。
また同じく奥谷旅館主によれば、龍飛崎のまわりの流れは、 Fig.47に示すように、西流は弱いが、東流は普通は5、5kt位である。ところが津波の当日(昼間)には7 8ktにも達し、かついつも通る航路が水が干いて浅くなっていたため、2隻の船のスクリューをひっかけて損害を蒙った。

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Fig.47a
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Fig.47b
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Fig.48
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Fig.49
St.A-13 北津軽郡小泊村 袰内

最高潮位 T.P.上 1、15m
漁師が示してくれた藻くずの跡を測定。長く続いているので3ヶ所の平均をとる。
津浪は6時間頃引きで始まる。2回目も高かったが3回目の波が最も大きく、大体9時30分頃であった。午後も続いた。100m沖(観測時の海面下■尋位)まで引いた。従って波高(山 谷)は3mとなる。周期は1時間以上。

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Fig.50
St.A-14 北津軽郡小泊村 小泊

最高潮位 T.P.上 0、83m
聞き込みによって2点で測量する。1点は岸壁の根本まで水がきたという話によって、観測時水面上 40cm(T.P.上 0,80m)、もう1点は水を冠った堤防の高さから同じく水面上 45cm(T.P.上 0,85m)の値を得た。
( Fig. 51参照)
漁業協同組合での話。5時30分頃一寸引き始め、6時30分 7時頃さらに引く。10時 11時頃最も大きいが、これは3回目の波、振動は16時頃まで続いて、その後は異常はない。周期は最初90分位で、次第に短くなる。
午後は20分位になった。波がくる時はゆるやかに耒る。
なお、昭和8年や十勝沖地震のときの津浪は大したことはなかった。
大高重蔵氏(小泊港修築工事所長)の観測結果
大高氏は津浪当日漁港内で、直接測定を行い、下記のような非常に貴重な資料を得られた。(表および Fig. 52)。
時 刻 水 位 風 向 風 速 気 圧 気 温
6h 30m 30 ─ ─ ─ ─℃
7 30 30 ─ ─ ─ ─
7 45 60 ─ ─ ─ ─
8 00 75 ─ ─ ─ ─
8 30 20 ─ ─ ─ ─
8 45 05 ─ ─ ─ ─
9 00 55 NW 2,5 769 18
9 30 65 ─ ─ ─ ─
9 45 35 ─ ─ ─ ─
10 00 40 ─ ─ ─ ─
10 15 70 ─ ─ ─ ─
10 30 50 ─ ─ ─ ─
11 00 10 ─ ─ ─ ─
12 00 ─ NW 2,0 768 21
水位基準;平均潮位下 75cm
(大高氏のお話では上記の通りであるが、この値は少しおかしいのではないかと思われる。津浪の状況を知るためには何等さしつかえないのでそのまま記しておく。)

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Fig.51
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Fig.52 小泊港潮位 (大高重蔵氏による観測)
St.A-15 北津軽郡小泊村 折戸

最高潮位 T.P.上 1、12m
漁民から聞き込んで測るが、あまり明瞭でない (Fig. 53)。波は34回位押し寄せたが、午前か午後か記憶がないという(12時頃最も高かったという人もいた)。普通の時5尺の水深の所まで水が退いた。一方、観測時水面から2 3尺高い岩が隠れたという人もいた。
波高(山 谷)は2 3尺、4尺、6尺という人がいて一定していない。
周期も30分またはそれ以下という人と、1時間位はあったという人がある。
波は次第に小さくなって晩まで続いた。

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Fig.53
St.A-16 西津軽郡鰺ヶ沢町

最高潮位 T.P.上 1、59m
鰺ヶ沢町中村川河口付近の砂浜で聞き込みによって測定する(Fig. 54)。
10時頃初めて津浪に気付いたが、その時は約10分のうちに海面が3尺位下がった。10時頃から午後まで、波高(山 谷)約6尺、周期約1時間の波が続いた。その後は段々小さくなりながら18時頃まで続いたが、19時頃には約4尺の引きがあった。
中村川は、波の寄せ引きに従って約 5kt の流速で上ったり、下ったりしたが、下りの流速の方が速いような気がした。
そのほか、5月24日以耒この調査当日(6月8日)でも未だに、平常よりも潮位が下っているような気がするという話であった。
さて、上述のように各観測点で得られた聞き込み事項で、波高調査表には書き込まれていない事項を要点だけとりまとめると次の表のようになる。
各項目とも聞き込みに基くものであるから、信頼度はそのつもりで判断されねばならない。
先ず、津浪の始った時刻であるが、海面の異常に初めて気が付いた時刻か、第1回目の寄せの時刻かを示している場合が多いと思われる。聞き込みに際しては、この点をはっきりさせるように最善の努力を払ったが、実際問題としては困難なことであった。第2に初動の押し引きであるが、初めて気付いた時の動きを示しているものになり勝ちであることは已むを得ない。第3の第何波目が最高であったかということも、当然気付いた時を起点として数えたことになることは、これまた已むを得ない。またここでの最高という意味は、天文潮も含んで、とにかく潮位が最高を示した時である。第4の最高波高とは、天文潮を含む潮位が最高を示した時の高さと最低を示した時の高さの差を、聞き込みによって測定したものである。具体的には、一番引いた時に、ここまで引いたとか、深さ幾らの海底が露出したとかいう聞き込みと、最高潮位の測定とから、その差を求めたものである。従って、相隣る山と谷との高さの差の最大のものを示すとは限らなわけである。数値も一応、0,1mの桁まで出したものは、そのまヽ記入してあるが、その精度は勿論期待し難いものが多い。
なお、表中同じ欄に数値を並記したものは、聞き込みが食い違い、いずれが正しいか判定し難いものを、そのまヽ羅列したものである。

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Fig.54
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大槌、吉浜間

東大地震研究所 表俊一郎
同 小牧昭三

今回我々が調査を担当した地域は第1図に示した大槌湾、両石湾、釜石湾、唐丹湾、吉浜湾の5つの湾である。行政的に云うと、大槌湾沿岸の北半分、白石より北は大槌湾、室ノ浜より南の大槌湾沿岸の南半分、及び両石湾、釜石湾、唐丹湾は釜石市、吉浜湾は三陸村に属する。
津波の最高波高を測定するに当っては、測定値の海水面を基準としたので、その際の潮位を知ることが必要である。幸ひ釜石港に検潮場があり、調査期間中の検潮記録を入手することができた。釜石港は丁度我々の調査地域の略中央に位置するので此処で得られた検潮記録によって、北は大槌湾より南は吉浜湾迄の潮位を各観測時について求めても各湾に於ける潮時及び潮高の差異は僅少で観測誤差の中に含まれると考えて、すべてこの釜石湾の検潮記録上で観測時に対応する潮位を求める潮位とみなした。更に、釜石湾の検潮記録の値は容易に東京湾中等潮位面(T.P.)を基準面とした値に換算出来るので、津浪の最高波高はすべてT.P.を基準とした値を示した。
(第一図 次頁)

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地図 第一図
I.大槌湾
A 大槌町

1 大槌町の被害の概要
今回我々の受けもった地域では、最も大きな被害を蒙った所である。町当局により調べられた部落別の住家被害は第1表の様である。
この他、住家以外の主な被害としては、防潮堤の欠壊約300m護岸の欠壞延110m余、及び漁船、漁具その他が報告されている。


2 大須賀
大槌町は第2図に見るように、南に海、東に大槌川、西に小槌川があって、この2つの川の間をつなぐ海岸線と、夫々の海岸との防浪堤を築いて、津浪の災害から街を守るように考慮されていた。
この防浪堤の内側に、大須賀、向川原等、街の中心部が発達していた。併し、ここは昭和8年の津浪のときの波高が3m位で余り高くなくその後に街を取圍んで築いた防浪堤も路面上の高さ僅か2m位であった。その為、3mを越した今回の津浪は楽々とこの防波堤を越えて、大須賀、向川原に浸入、多数の浸水家屋を生じたのであった。
小槌橋北端の漁業組合の建物はこの防浪堤のすぐ外側(海側)に建っていて鴨居の上迄浸水、波高39mの明瞭な痕跡を認めることができた。
この痕跡より推定すると津浪はそのすぐ裏手の防浪堤の天場より約80cm、高く越えて浸入したと考えられる。役場の近くで路面からの浸水高を測った所50cmあった。大槌町のこの地域については昭和8年の三陸津浪の后に那須が平板測量、水準測量を行って詳細な報告をだしている。その際、各測点の高さは地理調査所のベンチ・マークを基準として求められている。この那須の測定した地盤高と、我々の測った路面からの浸水高とをつないで求めた値(2、4m)も図に示されている。


3 安渡
安渡の部落は第2図の様に大槌川河口の東側から海岸へかけて国道沿いに発達した所で、日下河口の砂州を利用しての埋立が進行中である。
埋立ての完了した突端に漁業組合事務所、魚市場が建って居ていて津浪の痕跡が明瞭に残されていた。これについて測定すると最高水位は3、6mとなる。この埋立地及び安渡一帯は津浪に対しては殆んど無防備の状態であったので、津浪は埋立地を浸し安渡へ寄せて来て非常に大きな災害をもたらした。
海岸埋立地の突端にある魚市場で当日は宿直であった人の話によると、大きい波の第1回目は4時20分頃、第2回目は8時頃で、4時20分の方が大きかった由である。この4時の津浪の前に一番波が引いた岸壁から10m程離れた所迄海底が露出したと云う。丁度岸壁に大型漁船が繋留されていたので、岸壁から10m離れた所での水深を測ることができた。我々が竹竿で水深を測かった結果は第3図の様であった。此れによると、水が岸壁10m迄引いたという話であるが、この距離には目測による誤りがあったとも考えられる。併し少くとも岸壁の根が露出したことは間違いないらしい。仮りに、岸壁の丁度根まで水が引いたとして、これをT.P.からの値に換算すると4、9mとなる。又仮りに岸から10mの所まで引いたと云うのが本当だとすれば、T.P.下5、9mの引きがあったこととなる。
すでにのべたようにここでの最高水位は3、6mであるのでこゝにのべた値が正しいとすると引きが非常に大きかったこととなる。しかし后に述べる様に釜石港にある検潮記録をみると引き波が押し波にくらべて特に大きいということはないので当宿の人の話から推定される引き波の値はどうみても大き過ぎる様である。
町役場警備課での話によると、その当日5月24日はワカメの解禁日に当っていたので、2時半3時頃には既に漁師は海岸へ下りて居た。所が天候が悪くて解禁が中止になったので漁師は昆布採りの準備をしていた。その時に波の様子が変であることに気付いた。3時前に第1回目の波が来た。続いて3時40分頃2m位の高汐が来たが、直ぐ引いてしまった。この際、常時水深3mの所にあった機帆船が、水がひいた為に転覆してしまった。4時頃、蓬莱島との間に新につくった堤防を波がのりこえて来た。このときは海がグット一時に持ち上がり地面が下った様な感じがした。そして4時10分頃海が大きく引いて、白石附近の海苔養殖場の底が見えたとのことである。
津浪の来襲してくる有様は満潮の状態が早くやってくるよいう様な感じであった。埋立地にいた人が4時の大波の直前の警報で急いで避難したが、波の早さは駈足より早い位であったと云っていた。
埋立地の東南の海岸線に沿った一帯は鴨居近くまで浸水しているが、この辺は二階家が多く倒壊流失は多くない。大槌冷凍の建物では冷蔵庫の扉に明瞭な痕跡が残されていた。これに基いて測定し波高3、8mを得た。
大槌川河口、安渡橋から埋立地附近迄の国道沿いでは幾雙もの船が押し上げられ、家屋の倒壊流失が多い。浸水の高さは廂のすぐ下の所までの家が多く、いづれも痕跡が明瞭である。これらの痕跡から波高を求め、4、3mを得た。国道から約100m程山際寄に走っている旧道に沿っては、路面上1、20m程度の床上浸水で倒壊も半壊も見当らない。大須賀で行ったと同様、那須の測定した路盤上の高さを参照して、この1、20mの浸水高をT.P.を基準とした波高に換算して、3、2mを得た。


4 白石
白石では海岸に木切等種々雑多なものが打寄せられており、海岸に臨む家々も浸水し、或は倒壊したものがある。石油タンクも水に浮いたのが押し出されて傾いていた。魚市場の隣の家では窓上縁の近く迄浸水している痕跡が明瞭に残っていた。その波高は3、8mである。


5 漂流物について
第2図に示した大槌川安渡橋の少し下流にあった見張りの家(平屋35坪)は、4時20分頃の津浪で流出し、同じ日の朝9時頃、室ノ浜に流れついた。この際、家の中のものは、フトン、タンス等皆載せてそのまゝ少しも痛まず流れついたとのことである。
又、赤浜の埋立地にあるオットセイ研究所の書類は白石に流れついたとのことであった。
その他赤浜へは箱崎白浜の木材が少しばかり流れついたし、箱崎白浜の木材は室ノ浜へ流れついたとの話である。

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第1表
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地図 第2図
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第3図
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地図 第4図
B 釜石市

1 室ノ浜
室ノ浜の被害は全戸数の 60戸余の中、床上浸水8戸、木材2000石が流出したとのことである。海岸のすぐそばの家は押入の壁、襖、障子に痕跡が明瞭に残っていた。これに依って測定された波高は3、4mであった。先にのべた様に大槌川の河口の見張り小屋は此処へ24日朝9時頃流れ着いたとのことである。この他に安渡から24日朝8時30分頃もう一軒流れ着いたと云っていた。


2 片岸
片岸の海岸線に沿って石積みの堤防が走っている。第4図に見る樣にこの西側に200 300m離れて略平行に高さ約3mの国鉄築堤が走っている。
この鉄道の更に西側100 200mの所に国道が平行に走って居り、南の鵜住居川に架っている橋へ向うに従って国道築堤は高くなっている。住家はこの国道の北西に接する山際の高いところにある。国道、鉄道及び海岸の間の低地は一面田圃となっていた。津浪は海岸近くに点在していた住家を浸し、床上浸水4戸、床下浸水10戸の被害を生じ、又鵜住居川の海岸沿いの堤防を越えて浸入し、その際、堤防を数ヶ所に亘って延400m欠壞流出させた為、鉄道築堤との間の田圃は完全に水に洗はれ、田圃には大小5隻の船が打ち上げられていた。又、鉄道の築堤はある意味で防波堤の役割を果たしたので、これより山側では灌漑用水路から浸水した海水の為に、鉄道と国道との間の田圃もいくらか蔽はれ、一部は国道の低い部分を越して山側へ浸水した。鉄道築堤の側面には雑草が生じており、冠水したものとそうでないものとの境が判然とした綺麗な線となって認められた。測定の結果この高さは 4、0mで又海岸近くでの最高波高は 3、2mであった。鉄道の築堤で認められた水位の方が約80cm高くなっている。


3 鵜住居
鵜住居の部落は海岸から 1、2 kmも離れ高さもかなりあるので、今回は勿論、明治29年、昭和8年の時も、1回も津波の被害を蒙ったことはないとのことである。併し、鵜住居のしゅう落の端、鉄道のガードをくぐると、鉄道の築堤より海側は津浪に洗われている。
津浪は根岸、箱崎に通ずる道路(道の中央での高さ2m)を乗越えて、北より南へ流れこみ2ヶ所(88mと40m)に亘って道路を破壊している。併し、その壊れ方を見ると何れも道路の南側が破壊されていて、押波が道路を乗越える際に破壊していった様に見える。


4 根岸
根岸の海岸線に平行に走る道は110mに亘り流出し、我々の調査当日は自衛隊によって補修工事が行はれていた。根岸の人家には別に被害はなかった。


5 箱崎
こゝも被害が相当あり、全壊3戸、半壊4戸、床上浸水10戸床下浸水6戸とのことである。こゝには海岸の砂浜に沿って余り密ではないが、防潮林がつくられている。この為、昭和8年の時より浸水程度は幾分少なかったと云っていた。
防潮林のすぐ外側即ち海側の漁具小屋に明瞭な津浪の痕跡があった。これを測定して波高 3、5mであることが知られた。土地の人の言に依れば、水は防潮林の内側約240m距った小学校の周囲の石垣の路面上より30cm上の所迄昇ったということである。
この高さは海岸の漁具小屋の津浪痕と殆んど同じ高さであるのが見られた。海岸から約 100m距った小川氏宅では部屋の中の土壁が未だぬれていて浸水の高さ(床面より 80cm が明瞭に伺はれた。この程度の浸水で、疊、家財道具の大抵のものが浮上って流れたとのことである。路面上の津浪の高さは130cm となるが、これも海岸の漁具小屋と略同じレベルである。


6 箱崎 白浜
此処は次に述べる両石湾の仮宿、桑ノ沢及び唐丹湾の佐須と同様調査には行かなかった。幸ひ釜石市役所の水産課で最大波高、浸入地域を調べておられたので、これを再掲させて頂くこととした。
併しながら、この際、水産課で測られた波高hは護岸、堤防等港湾構築物を目安としておられ、従って工事基準面よりの高さである。
この工事基準面は、その湾の最低海潮面と一致しており、釜石港のそれは東京湾中等潮位面より約 80cm低いので、我々が基準としている東京湾中等潮位面からの値Hに引き直す為にH= h 0、8(m) の換算を行った。
此処では、漁業組合の裏にある高さ4mの護岸の天場より30cm下迄水が上昇したとのことで、 最大波高は 2、9mであったと考えられる。

II.両石湾
1 仮宿

護岸前面の根より1m上まで波が昇ったとのことであり根は工事基準面より 1、5mの所にあるというので此処での波高は 1、7mとなる。

2 桑ノ沢

工事基準面より3mの高さの桟橋の上 60cm 迄浸水したということであるので、求める波高は2、8mとなる。

3 両石

両石の部落は釜石市の中では津浪の被害が著るしかった地域で、流出7戸、全壊5戸、半壊6戸、床上浸水8戸、床下浸水10戸、である。 桟橋の際に漁業協同組合があったが、茲では浸水の最高水位を示す重油の黒い線が鴨居の上、三和土より180cm の所に残されていた。両石は両石湾に臨む細長い谷間に発達した部落であり、この間を鵜住居へ通ずる道に沿って海水が侵入し、 桑ノ沢へ行く道の曲り口の一寸手前、海岸より150mの所まで達している。
この海水侵入の最終点より約15m海寄りの所にある倉庫に残されていた津浪の痕跡は、海岸の漁業協同組合の痕跡よりも約40cm高いことが認められた。
昭和8年の津浪の場合には、この同じ道を海岸より約800mの所まで水が上っている。水の侵入地域は昭和8年の三陸津浪の場合の方が、はるかに広かったのである。波高も今回は前述のように、3、4m程度であるが、昭和8年の場合には10mと非常に大きな数字を与えている。上記、鵜住居に通ずる道を海岸より約1、5km行った所に標高53mの峠があり「こえの峠」という名称が付いている。明治29年の津波の時、両石から押し上った津浪の為に、大臼がこの峠を越えて鵜住居の方へ流れたので、この名前が由来したとの説がある。
漁業組合の裏側には巾約1間の小川を挟んで船を引上げておいたり、網を干したりする広い作業場があるが、此処にあった船は皆汀線より約40mの山側まで押流され、その為この山際にあった作業用バラック、或は物置小屋の中には屋根が或いは外され、或いは傾いたもの等が多い。
山崎松太郎氏の話によると、5月24日の朝3時半に起きて、網を降しに浜へ来た。漁業組合裏の小川に佇んでいると、海がノコノコ(話者の言葉のまゝ)押上げる様にして川の水が増えて来た。変だと思い、消防団長に知らせ又漁業組合に知らせた。 桟橋の板の上のスレスレ迄水が上昇して洗っていた。組合の周りの地面も少しの高さであるが浸水し、小川に架っていた小さな板橋は流されてしまった。この第1波の襲来時刻は4時前である。(釜石港の検潮記録によると、午前3時39分を極大値とする第2波があるのを見ると、山崎氏の云う第1波は第2波に対応するものと考えられる。)第2波は4時20分頃で、何れも満潮の時より潮の上り方が早いと感じただけであった。この時も地面は浸水し、小川の近くにあった簡単な公衆便所が押流された。この時部落に大潮であると通告した。
併し3回目の后、水が随分引いたので津波が来ると思い、浜辺の小屋の中の荷物を2回山手の自分の家へ運びこんだとき、第4回目の津波が来た。往復に5 10分経るので、この間約15分位の時間と考えられる。
この4回目が一番大きく、漁業組合の横の鳥居にその痕跡があるが、地面より 185cmの高さである。この際に船は陸地に押し上げられて、家を破壊し、家も流出したのである。このときも水位の上昇の様子は水が自然にあふれて来たという感じであった。又両石の漁業組合所属の船が前の日より漁に出ていたが、この朝津浪のあったことを知らず、沖で漁をしている時は只潮の流れが馬鹿に早いと感じただけで漁を終って帰る時に漂流物に遭遇してはじめて津浪のあったことに気付いたとの話である。

4 水海

此処では小さい川が海に這入り両石と似た樣な細長い谷の地形を成し、川沿いの低い所が津波に浸された。家は崖の上を走る道をへだてて散在しているので、水田が僅かばかり冠水した他は被害はない。津浪の痕跡はこの低地には物置小屋もないので判然としたものはない。崖の側面に生えている雑草が波のためになびいていて海水浸された部分が多少枯れて変色しているの等を参考として波高を求めねばならなかった。併しこの境い目は割合にはっきりしていて、これから求めた波高は信用できると考えられる。波高は3、6mで、両石の高さと略同様である。これを昭和8年のものと較べると此処でも昭和8年には波高10mに及んでいて、今回よりははるかにたかかったことが知られる。

III.釜石湾
1 釜石旧市内

釜石は昭和8年の津浪のときにはかなりの倒壊家屋を生じているが、今回の津浪では比較的被害軽微で旧市内では、半壊1戸、床上浸水658戸、床下浸水465戸である。
床上浸水の多い所は第5図、第6図に見られる様に滝の沢から魚市場、税関、埠頭等を連ねて矢浦橋に到る海岸線一帯、及び大渡川川口の松原、嬉石の一部等である。海岸より離れた浸水線の末端では主に下水道より水が浸入している。大渡川に沿っても水が逆流し五の橋より約150m下流、即ち川口より約2、5km上流の所迄、Back water が見られたとのことである。
滝の沢では、家屋の側壁、襖に残った痕跡より波高を測った。波高2、5mで床上浸水である。
海岸通りの建物では日本冷蔵の壁、釜石税関の壁に特に明瞭な痕跡があったので、波高を求め夫々2、78m、2、84mを得た。海岸通りでは、路面上1、2m前后の浸水である。
税関の所では、道は海岸通りから直角に北面に折れているが、これに面する釜石ビルの海側及び山側の壁に痕跡が残っており、これを測った所、夫々路面上 75cm、64cm あった。更に山側へ行き市役所の近く、只越町で家屋の外壁に残っている痕跡を測り、路面上26cm なる値を得た。これら3点に於ける標高は、市役所で測っておられるので、これをT.P. 上の値に換算して波高を求めた。それらの値は, 海側より順に 2.9,2.9,2,9 mとなる。松原でも同様に浸水の高さを路面上より求め(68cm)、その点の標高を加えてT.P.上の波高2、6mを得た。
南北両桟橋の間にある岸壁が今回の津波のために欠壞していた、50m余に亘って側壁が海側に倒れ落ちて大きな口を開いていた。
税関脇の2m岸壁(最低干潮面下2mの水深を有つ岸壁)は第3波(4時35分)の時、岸壁の根まで露出し、其処の海底が十分見えたと云う。これによると、引潮はT.P. 以下少くとも2、8mに及んだことは確かである。
昭和8年の津浪の際、那須は市内の一部、錦町附近で平板測量と水準測量とによって地形の測量及浸水の高さを正確に測している。
それによると、水位は3 4mである。今回は上に述べたように、2、8mで、その差は約1m位今回の方が低くなっている。しかるに被害は今のものに較べると、前回の方がはるかに大きくなっている。
これは釜石市のその后の都市計画により、市街地の路盤高が海岸で1、5mとなっていて、昭和8年当時と較べると少くとも50cm以上高くなっていること及び、今回の津浪による水位が前回のものより1m近く低く、この2つの理由のため前回は津浪による水位が路面上2m以上であったと推測されるのに対し、今回は路面上1m位に止った為であると考えられる。勿論、今回のものより大きい波高を持つ津波が釜石に来襲することを将来予想しないいうわけには行かないであろうから、現在の地盤高があれば津浪に対して安全であると云うのでは決してないが、今回の津浪に対しては釜石の路盤が高かったことが、その津浪被害が少なかったことに対する重要な要素であったということは特筆されなくてはならない。

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地図 第5図
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地図 第6図
2 嬉石

嬉石で浸水家屋を生じたのは、罐詰工場等嬉石漁港附近の極く一部分だけに限られた罐詰工場の壁に残されていた津浪の痕跡から、2、9mの波高を得た。釜石より稍々高い様である。
此処でも、昭和8年の津浪の直后、那須により測量が行はれ、詳しい調査がなされている。この時の水位は 3、8mと報告されているが、今回は昭和8年の際より被害がはるかに僅少であったが、これは釜石と同様、今回の津浪の波高の低いこと及び、嬉石漁港改修に伴いこの近辺の地盤が高くなっている為と考えられる。

3 平田

平田湾奥の西北側は釜石製鉄所の廃棄鉱滓により、目下埋立が盛んに行はれて居る。平田の漁港はこれに対し湾奥の西南側に位置している。埋立地は、盛土の高さ工事基準面(最低干潮面)から7mであるため、津浪による被害は皆無であった。その南側の平田の部落では、港の際にある漁業協同組合の入口三和土の上1、5mの所に波の跡があった。4回目の津浪(5時20分頃)のものが最も大きく、この時に18ton の巡航船(吃水1、8m)が桟橋(最低干潮面上2、5m)の上に持ち上げられた。4回目の大浪の前の引潮が大きく港の中の水が皆引いて空になったということである。
波高は比較的高かったので被害も海浜近くに多く流出4戸、全壊7戸、 半壊12戸、床上浸水10戸、床下浸水25戸であった。

4 尾崎白浜

尾崎白浜の部落は緩かな山の斜辺にあって岸壁が高い為、最高波も海岸の道にやっと上った程度であったとのことである。漁業組合の丁度前の所で道路護岸のセメントの高さスレスレであったとのことで、これにより波高を測り3、0mを得た。周期は大体20分位と云っていた。昭和8年のときは、もっとひどく山手の方まで水が上ったと云うことである。

IV. 唐丹湾
1 佐賀

此処は昭和八年には浸水がひどく13m余も水が上っているのであるが、今回の津浪では被害はなく、水も海岸を蔽った程度とのことである。浸水高は水産課の報告によると、工事基準面より2、8mとのことであるので、T.P.上2、0mとなる。

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地図 第7図
2 花露辺

部落は海岸に近いが、傾斜地にある為に津浪は海岸を蔽った程度殆んど被害はなかった。海岸及びその附近の構造物その他に津浪の上った痕跡がなく、津波の時の目撃者の証言に頼る以外に波高を推定する資料がなかった。目撃した人々の言に依れば、1)堤防の突端部において堤防が2、3寸水を冠ったということ。2)堤防工事の為に堤防の中程においてあったウヰンチ及び繋船杭を目標として波の上った高さは堤防天場より2尺上昇したということ、この2つであった。これらに基いて波高を求めた結果2、0mを得た。

3 本郷

第7図に見る様に昭和8年の津浪による被害が最もひどかった部落であるが、その后被害を蒙った国道下の低い地区に見切りをつけて、国道上の緩い傾斜地区に住居を移した。この低地には漁業用の納屋等があったが、住家は皆無であり、前回の大津浪の教訓が此処では今日まで生きていたといえる。今回の津波浪では浸水地域も極めて狭く、別に被害はなかった。
本郷は行政的には釜石市唐丹支所の管轄に這入る部落であり、次項で述べるように小白浜にある唐丹の支所では4時頃津浪の来襲に気付いて警戒態勢に這入っている。
何分にも本郷は昭和8年の津浪で甚大な被害を蒙っている部落であるので、支所長は早速電話を本郷にかけて津浪の様子を尋ねた由である。
併し電話をうけた本郷側では、特別に浸水しているでもなく、津浪が来襲してきているとは予想だにしていなかったので、初めは何の話か理解できなかったという程であり、今回の津浪に対しては全く安全であった。
津浪は川を通じても浸入したが海岸線においては北川堤防の中程電柱のたっている附近において波高が丁度堤防天場とスレスレであったとのことであるのでT.P.上2、3mとなると考えられる。
又砂浜を津波が洗った時、そこの砂、砂利を持ち去った后が、砂浜全面に亘って7,8ヶ所馬蹄形にえぐられていた。その高さは殆んど水平な同一面上に竝んでいて、その高さからも津波が水位2、2mと推定された。この値は既にのべた大槌湾、釜石湾等で見られた水位とくらべても小さすぎる値である。ここに得られたを測定する基礎となったものは、他の湾における様に明瞭に残された痕跡に基いたものではない。この点多少その数字に疑問が残る。併し、ここには海岸に船降しの為にコンクリートの緩かな斜面が作られていて、その上部に漁船が数隻つながれていた。津波の際その水位が最も高くなった時にも、この漁船の舳より30cm位の所までしか水が上って来なかったという。
漁船のつながれていた所は、津波の為に砂利が馬蹄形にえぐられた窪みの上縁の高さと略同一の高さであるので、従ってここに得られている値2、2mというのも略信用して差支へない値と云い得るであろう。
前の昭和8年の時の報告を参照すると、本郷では波高1112mと報告されている。これは今回の値と著しい差異を示すものである。既にのべた様に、大槌湾、釜石湾などでは前回の津浪と今回の津浪との差があまり大きくないのに、両石湾及び唐丹湾では両者が著しく異なっていることは注目に値する。
これは津波の波長、湾の形、水深等と関係する湾の自由振動の周期等と関連する問題であろうが、茲には先づ観測された事実を列記するに止める。

4 小白浜

唐丹湾の湾奥に位置する小白浜も本郷と同様昭和8年の津浪では波高11m余、甚大な被害を蒙った部落である。その結果道路も高い所に着け替る。住家も高い所に全部移転した。併し、その后人口の増加に伴って空地になっていた海岸縁りに、分家したなどの理由から家をたてるものができたりしていたので、今回の津浪の為それら海岸縁りの低い所に建っていた家が被害をうけた。
全壊2戸、床上浸水54戸、床下浸水6戸である。
唐丹支所は海岸に臨む崖の真上にあり、この朝、周囲の騒ぎで目をさました宿直員は潮が寄せたり引いたりする有様をよく観察して丹念に記録することができた。その結果は次の第2表に示す通りである。(実際の記録は例えば、
4時08分押しはじめ
4時16分引きはじめ
とかいてあるが、書いた本人によく確め、一般に了解し易い表現をとるため、最高水位時、最低水位時と書直して表には示されている。)
上記支所の宿直室からは、海岸が一瞬の中の望まれる。港の略中央に桟橋がでている。上記の潮位の観測を行った時、最大の引潮のときは桟橋の岸より7番目(丁度電柱が立っている所)の脚の南側の根が露出する迄、潮が引いたという、このことは、宿直員、支所長はじめ他にも目撃者がいて極めて正確な表現であると考えられた。
我々はその場所でテープに錘をつけて沈め、注意して水深を測り、これをT.P.の基準に換算し引潮は2、8mであることを知った。この値は、ここでの押潮の高さを参照して、釜石の検潮儀記録とくらべても不合理な値とは考えられない。我々の調査中、引潮が極めて大きかったということはしばしば、きかされた所であったが、確実な数字を掴み得る様なものが観測されていたのは、此処と他にもう一ヶ所、大槌においてだけであった。潮が引いた時は少しく遠浅の海岸では水平距離がかなりの沖合まで干上るので、引潮何mという数字はとかく誇張されて云われることが多いのではないかと考えられる。併し、この小白浜の場合には、極めて具体的に観察が行はれていたので十分信頼するに足る値が得られたものである。
小白浜の海岸には漁業組合の建物、其の他の家屋等に津浪の痕跡が明瞭に残っていて、これから最高水位を測定することができ3、2m、3、1mを得た。

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第2表
5 下荒川

熊野川が海に注ぐ低地の縁の高い所に部落がある為、人家についての被害はなかった。海岸は砂浜で立派な防潮林があるが、この防潮林は両端が排水用にあけてある為に、この両端及び川から水が浸入したとのことである。

6 大石

この部落は山が海に迫っている斜面に存在するので港の岸壁も割合に高く、津浪は最高水位の時でもこの岸壁の天場面より40cm下まで達した程度で、被害も全くない。唯、築港工事の為に堤防の先端においてあった砂利の頂端より30cm程下迄水が上り45の砂利が流された程度である。この外、とも綱の結んでなかった小舟が浮き上り一寸流されたが、回収されたと云っていた。
ここでは岸壁の下40cm、東側の小さい堤防の上10cm迄波が来たとのことでもあり、又堤防口の作業小屋の三和土床面まで水が来たということであった。津浪の水位の痕跡は残っていなかったが、上記の目標などから潮位を測定し、2、6mなる結果を得た。
ここでは前回の三陸津浪の水位は今回より高く5mと報告されている。
以上で、釜石市の行政区域についての津浪による被害状況をのべたが、茲で、家屋についての被害状況を一括して第3表に示すことにする。

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第3表
V. 吉浜湾

この吉浜湾より三陸村の行政区域に這入ることになる。

1 根白

此処も相当急な傾斜地に部落が発達している為、人家には被害は全くなかった。砂浜へ降りる所に石疊の急な斜面があって、この石疊の一番上まで浪が上って来たとのことである。他に拠るべき痕跡もないので、これを最高の波高と考えて測定し、3、1mを得た。

2 吉浜本郷

此の部落は明治29年の津浪により甚大な被害を蒙った所である。
その地震津浪の記念碑がたてられていて、この津浪の犠牲となった300名近くの人の名前が一面に書き連ねられている。この津波のあと人家は高台へ移すこととなり、相当徹底した津波対策がとられていたので昭和8年の津波に際して最高水位16、3mを観測したけれども、その割に被害は少く(住家非住家併せて、流失23,全壊14、半壊1,床上浸水4,床下浸水1,で)死者も僅かに3名にすぎない。しかし、この大津波の為に高さ5m、長さ100間に及び堤防は跡形もなく流失し、田圃には海水が浸入して、この為の被害は甚大なものがあった。この昭和8年津浪の后、将来の津波に備えるため、大防浪堤の建設が計画された。再建された防浪堤は、頑丈な石積みで3段になっていて、1段目の高さは砂浜より1、8mで2段目、3段目は各々2mで、高さ計5、8m、長さは約350mに及んでいる。
今回の津浪はこの防浪堤の第2段目より少し上まで来たという。堤防の南の端に吉浜川があり、又防浪堤の中央部に排水溝があるので、海水は此処から堤防の内側に浸水し、低地の田圃が約1町5段冠水したというのが唯一の被害であったとのことであった。此処でも波の上った痕跡はなく吉浜川にかかっている橋の1尺上まで水が上ったということに基いて波高を測定した所、4、7mなる値を得た。この数字は我々の調査した所では最高の値であった。
此処でも、ワカメ採りに行った人が最初津浪であることを知った、そして4時27分頃の津浪が一番大きいとのことである。

越喜来──門之浜間

東大地震研究所 桃井高雄
同 黒木義弘

No.1 大船渡市門之浜 西岸

海草、木片など打ち上げられた痕跡を測定

No.2 大船渡市門之浜湾水揚所

水揚場にいた若い男の証言にもとづいて砂浜に残る痕跡測定

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地図 No.2
No.3 大船渡市泊里

砂浜痕跡測定、聞き込み、第1、2回あったらしいが、その時刻不明、第3回頃、最大 Tsunami、時刻は4時、少しすぎた頃、音も光もなくなって来た。

No.4 大船渡市細浦

聞き込みにより、濡れた壁の痕跡を測定、家屋の床、すれすれに浸水した。

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地図 No.4
No.5 大船渡市石浜

a.m. 4時20分頃最大 Tsunami、この頃を peak として、前后に小さい、いくつかの Tsunami 来襲、海面は、普通の波状態で静かに上って来た。

No.6 大船渡市下船渡

家屋の壁に痕跡、床下浸水、地表より高さ30cm

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地図 No.6
No.7 大船渡市永沢

家屋床下浸水、地表より 高さ40cm 1m で、人の証言余り信用度なし

No.8 大船渡市船付場

聞き込み。 第1回の Tsunami、はa.m. 3時50分1 m位の高さ、第2回目、4時30分で3m60 cm、第3回目、2 m50 cm (いずれも、地表よりの高さ) 全く、音もなく、ふわふわと水が盛りあがって来た。波の進行速度は駆け足程度、第2回目の大きな Tsunami 来る前に湾の水が非常に引いて底が見えた(深さ4 m30 cm位、300ton の船が出入可能な所)
他の聞き込み
Tsunami は30 40分の周期で来る。

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地図 No.8
No.9 大船渡市駅附近
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地図 No.9
No.10 大船渡市内

軒下浸水、地上より2m50 cm

No.11 大船渡市内

軒下浸水、地上より2m50 cm

No.12 大船渡市内

壁痕跡、地上より1m

No.13 大船渡市内

壁痕跡、地上より1m50 cm

No.14 大船渡市赤崎

小野田セメント、工場内、壁痕跡、測定

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地図 No.14
No.15 大船渡市赤崎

壁痕跡測定、 聞き込み、津波はぐんぐん押し上げて来るようで、一度、押し上げたものが、引ける時、盛川、後の入川、須崎川の湾中央合流点で大きな渦を巻いたと云う。

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地図 No.15
No.16 大船渡市永浜

浸水痕跡、 聞き込みに依り測定

No.17 大船渡市上清水

(広田 ── 末崎)踏査の茅野氏御厚意に依る資料
上清水の大船渡水産実験場主任、菊地要三郎氏談
a.m. 3.50 起きた時、2m近い、水が来ていた。
a.m. 4.05 落潮始まり
a.m. 4.35 増水開始
実測(標水標に依るもの)に依ると4m
a.m. 4.50 落潮開始 15分 20分周期で2m
上下が続く。
a.m. 7.00 落潮開始
a.m. 7.22 水位 3m80cm
a.m. 7.25 落潮開始
その間の潮の動き不規則で湾内に急な流水ができていた。
午前は時間がずれて来たが、2m位の上下があった。2日目3日目は不規則な引き潮があった。

No.18 大船渡市蛸之浦

聞き込みに依る草地の枯れた痕跡測定した。併し信頼度余りなし。

No.19 大船渡市長崎

漁夫達の証言
第一回、4時20分、それが最大で波は防波堤を僅かに越える程度、この防波堤の高さ測定した。

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地図 No.19
No.20 三陸村綾里港東岸

聞き込み
第3回、最大、第5回目も大きな津波来る。
1回5時15分前、2回目が5時20分、上り方は、ただずっと上って来た。押し寄せて来たのではない。
他の聞き込み、村長談
4時20分に引け、1回目は2m引けてから来た。
2回目、4時30 40分、3回目、4時50分頃いずれも10 20分置きに津波押し寄せて来た。
4回目はうんと引けたが余り津波は上らなかった。

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地図 No.20
No.21 三陸村綾里港西岸

前図(N0.20 の所の)参照
小屋の板についている痕跡で測定

No.22 三陸村野々前

痕跡殆んどなく、聞き込みに依り、波高測定したが、信頼度落ちる。

No.23 三陸村白浜

聞き込み 旧道すれすれまで津波来たと云う。
これを測定、4h30m頃が第2回目位、4h40m最大津浪来襲

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地図 No.23
No.24 三陸村小石浜

聞き込みに依り、漂着物を基準にして測る。信頼度余りなし。

No.25 三陸村下甫嶺

製材所裏に、のこくず が置いてあり、それが流れた跡があった。

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地図 No.25
No.26 三陸村小泊

痕跡と聞き込み合せて測定せしも、聞き込み、人に依り異なる。
平均して測定。

No.27 三陸村浦浜

製材所、管理者風の証言により痕跡、確かめ、波高測定
隣の漁業組合の当直の人に当日の模様聞く。
防波堤 over の跡あり、防波堤の高さ2m50cm
第1回目の津浪 4時30分
第2回目、第3回目、共に不明
第4回目 6時40分
この時、積木、木材流出
津波、川に沿って上る。昭和8年の 1/3 程度の規模津波

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地図 No.27
No.28 三陸村崎浜

崎浜消防団員の総合意見
平均海面より2 3m上る。普通の波と同じように単に海面がもちあがって来た。
第1回 4時頃始まり、4時15分に引き終る。
第2回 4時30分に満潮となった。
4時35分に引き始め
第3回の満潮は4時50分
第4回目、一番ひどいもの、6時3分引き始め、6時10分に最高となる。

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地図 No.28
No.29

大船渡市復興事務局提供の資料で、測定値は完全な痕跡に従って測定したものであると云う。信頼度はAと考えて良い。

大野、気仙沼間

東大地震研究所 笠原慶一
東大理学部 茅野一郎

内容

§1調査の概要
§2各地域における被害状況(概要)及び聞き込み事項
2.1)気仙沼市
気仙沼湾西岸地区
大島地区
気仙沼湾東岸地区
2.2)唐桑町
唐桑半島沿岸地区
2.3)陸前高田市
広田湾西岸地区
広田湾奥部地区
広田地区
小友地区

§1 調査の概要

チリ地震津浪による被害状況を記録し、津浪来襲状況に関する各種資料を蒐集する目的で踏査を行った。われわれ2名の分担は、気仙沼湾口岩井崎附近から北上して大野湾口虻崎に至る範囲であり、その中には気仙沼市大島も含まれている。5月26日夜東京を出発し、翌 27日気仙沼市に到着した。 以降6月2日帰京の途につくまでの調査日程は次の通りであった。
5月27日 気仙沼市役所において状況聽取後、気仙沼湾奥部の調査。
5月28日 気仙沼湾西岸地区を調査。
5月29日 気仙沼湾大島地区を調査。
5月30日 気仙沼湾東岸を調査した後、唐桑町に渡り、同地区の一部を調査。
5月31日 唐桑町地区の残部を調査した後、広田湾西岸地区を調査
6月 1日 陸前高田市の広田・小友両地区を調査
6月 2日 陸前高田市の調査の補足、大船渡湾の被害状況を視察。帰途につく。
この間、42地点において津浪の最高水位の痕跡を捕えて波高実測を行うと共に、そのうちの約20地点において津浪来襲当時の状況を住民から聴取した。これら地点は附図に示す通り、気仙沼地区においては平均 2km間隔、その他の地区では 3 4kmに1点の割合で分布している。地点の選定に当っては、なるべく三陸津浪当地の調査地点と合致するよう心がけた。調査行中、随所において被害状況を写真に記録したことは云までもない。
検潮儀の記録は、岩井崎にある宮城県水産試験場所管のものを複写することができた。
大船渡湾、清水には岩手県水産試験場の器械が設置されているが、故障のため津浪当時以前から動いていなかった由である。

§2 各地域における被害状況(概要)及び聞き込み事項
2.1)

気仙沼市
気仙沼市においては、市内、内ノ脇から、浜町に至る地区において多数の家屋が床上、床下浸水に見舞われ、更に魚市場附近から前浜に至る広大な地域の水田が冠水した他、尾崎・片浜・台、沢・川原・階上・浪板・浦島・大浦・小々汐等の各地区が浸水被害を受けた。しかし水勢がさほど強くなかった故か、倒壊・流失した家屋は殆んどなかったようである。港湾関係では大川河口にある防砂堤防が倒壊した他、各所岩壁にも被害があった。
水産関係の被害は極めて大きく、漁船の流失・破損ばかりでなく、かき養殖筏やのり栽培設備が徹底的な打撃を受けたと云われる。事実、湾内には筏の残骸が散乱し、沿岸には無数の空樽(筏の浮子に使用していた)が漂着しているのが見られた。これらの状況については統計資料及び写真を参照されたい。


気仙沼湾西岸地区
地点No. 1 (気仙沼市 柏崎)同地区において鉄工場を経営する後藤氏によれば、当時の状況は次の通りである。
サイレン(午前4時20分)におくれること10 15分で海水はどっと岩壁を昇り同鉄工場に侵入した。この時の水位が最高であり(調査員の実測によれば海水面上2、7m)、その次に来襲した波(註) はこれより0、5m低かった。これら海水侵入に先立ち海水位が低下し海底の一部が露出したが、対岸に渡れるかと思われるほどであった。
地点No. 2 (気仙沼市 内ノ脇 三区) 阿部藤四郎氏
(県庁漁港課勤務)の夫人によれば、当日早朝、附近の漁師が海水位の大幅な低下を発見し、全住民が避難を始めた。やがて波浪のように盛り上った海水が押し寄せたが、サイレンがなったのはその後(時間不詳、但し4時30分よりは前)のことであったという。 第2波以後の体験について 避難中のことで、何も情報は得られなかった。
地点No. 3 (気仙沼市 階上 岩井橋附近)
村上理髪店において聞いたところでは、最初海水が退くのを認め(養殖筏が露出)、 やがてサイレンが鳴り、その後(時間間隔不詳、一時間位ともいう)水が昇って来た。この回の水位は余り高くなかったが、その次の回に床上浸水(約15cm)した。各回とも水勢は余り強くなく、水面を平らに保ったまゝ上昇するように見えた。その後、床上に昇る程高い浪は来なかった。
地点No. 4 (気仙沼市 階上 岩井崎)
水産試験所階上実験場において当日宿直していた辺見照男氏の体験は概略次の通りである。
4時10分頃、本所小野寺技師(地点No.6 の項参照)から電話による警報を受けた。その数分後、窓越しに外洋を見たら、 波(気がついた最初のもの)がやって来た。さヾ波を伴ってはいたが、白く崩れてはいず、実験場の岩壁の上縁すれすれのところに達した。やがて(この間30分位)水が退き切った時、沖の戸倉磯・黒大丸の岩礁が一体につながって見えた(ふだんは干潮のとときでもそうは見えない。) 第二波(時刻不詳)は音響 (ドンという)を伴っていた。護岸を越え建物内部にも侵入した。構内にあるビニールハウス(鉄骨入り、約15坪)はこの時押しやられると同時に倒壊した。前回と同じ程度に潮が退き、やがて第三波がやって来たが、護岸をわずかに越える程度であった。
地点No. 5 (気仙沼市階上字川原 森合部落)
小野寺則夫氏家人の話によれば、この部落ではサイレンの警報によって避難したが、その時津浪は来ていなかった(註1) その後しばらくして海水が堤防を越えて流れ込み一帯が浸水した。(註2)
(註 1) 同家は眼前に堤防があるので、居ながらにして海を見ることができない。堤防の切れ目附近の住民はサイレンの前に海水位低下を目撃していたという。
(註 2) 同家にある浸水の痕跡は堤防の上面より約1m低い。最高水位としては堤防上面すれすれと考える方が妥当であろう。
地点No. 6 (気仙沼市尾崎) 小野寺弘氏(水産試験技師)の話。出漁中の漁師の急報により、裏手の山に避難した。
4時前後海水が退き、星島辺りまでの海底が露出(一部深所を除き)していた。これは三陸津浪の時よりも著るしい退き方であった。
来襲した浪の高さは不詳であるけれども、三陸津波より高かったように思う。水が来襲する状況も、三陸津浪とは異なり、海岸からの水流は護岸を少し越す程度であり、浸水を起した海水の大部分は■■■川を迂回するものであった。気仙 沼湾内の水流を望見したところでは大島瀬戸を経由する流れが強かったようである。(図参照)
試験場の採集船2隻は魚市場附近の岩壁に繋留中であったが、ロープ切断・沈没した。
これと略、同一地点(気仙沼市 松崎 片浜部落)松岩漁業組合職員 藤田勝市氏(当日当直)及び 藤繁男氏の話
3時40分頃、別用で起きたら、既に潮が引いていた。その潮汐は最干潮時より2m以上も低かった。4時20分頃第一波が来襲した。グウーツと上って来て徐々に最高水位に達したが、約20分後に来襲した第2波は、これよりも更に高く床上浸水した。その後も波は来襲し、同日中に約10回潮の上げ下げが観察された。
引き潮の時、のりしだの間を歩くと、ふだんは干潮時でも見えないコブの根が頭より高いとこまで着いていた。従って低下時の水面より2m以下であったことは確かである。 気仙沼湾の海底も多く露出し、対岸の大島へ歩いて渡れそうに見えた。


大島地区
地点No. 7 (気仙沼市大島 浦ノ浜)
津浪の時、この地点に繋留してあった「第2やしま丸」の船長村上正雄氏及び同船乗組員の談話を綜合すると、当時の状況はおよそ次の通りである。
最初潮が引いた時(同日早朝、但し時刻不詳)は桟橋脚の基部まで露出した。その量は2m以上である。潮の上りもさることながら、引き方の著るしいのに驚いた。船の底がつかえ(吃水0、6m程度)、繋留に使っていた、ロープ4本のうち3本まで引き潮の際切断した。
海水は幾回も上げ下げしたが、その模様を同船甲板から写真に撮影した。
又村上船長の友人の一人は、津浪当時、定置網曳き船(大谷漁業組合所有)を運転して蜂ヶ崎附近を通過しようと試みたが、どうしても水流に逆うことができなかった。同船の能力から推定すると、この時の水流は12ノット以上であった。この水流により同地点の砂防堤は崩壊したが、その際組石が波にのって飛ぶのを望見した。崩壊後この隘路の水流は勢いが弱まったと云う。
(註) 汽船発着所小屋の壁面にある水位痕跡を測量したが、後で同所従業員に聞くと、この小屋は津浪当時、浮上・傾斜したおそれもある由。従ってこの地点における水位測定値は余り正確でない。
地点No. 8 (気仙沼市 大島要害) 村上八郎他3名の体験によれば、 4時30分頃水が退いているのを認めた。 この時の水位は、最干潮時より2m以上も低い。 最初の上げ潮は5時頃で、ジワジワとやって来た(但し 1 氏はドウーツとやって来たという)2回目は5時半頃で、これが最大であり、浜に置かれてあった漁船は崖際に押し上げられた。上げ潮と引き潮との境には、段があり潮目のように見えた。来襲は、延べ3 4回認められた。今回の水量は、三陸津浪より多かったが、水勢は後者の方がはるかに急激であった。
地点No. 9 (気仙沼市大島 横沼) 同地に住む村上 明氏は、3時30分頃出漁したが、その時異常は、認めなかった。竜舞崎附近( B地点 )で操業していたら、最初にうねりのようなものが来、これに続いて、水が退き始めたので( 後で浜の人にきいたら、 3時50分頃から潮が引いた由 )、 帰ろうとしたが水流が速く、自力ではどうにもならなかった。 附近のモータ船に受いてもらい、要害鼻と岩井崎の間にかゝるころ水がさし始めた。そのため横沼には帰れず、 要害の入江に入った。 これが5時頃であるが、 陸上の人々は既に騒いでいた。 モーター船の能力から推定すると、 この水域における海水は、8ノット程度の速度をもって 気仙沼湾奥部に流れ込んだようである。 潮の上げ下げの平均間隔は 20 30分程度であったが、 三陸津浪のように大きなうねりを伴わず潮汐の満干現象ににていた。
竜舞崎にあった漁網は、対岸の大谷附近に漂着した。
地点No.10 (気仙沼市大島 新王平)。 同地在住の山崎氏の談
3時30分頃、階上のサイレンが4回鳴り、ついて大島のサイレンがなった。第3 4回目と思われる波の来たのが5時頃であった。
3回目(?)の上げ潮の頃には既にかき筏が漂着し、4回目の上げ潮は浜にあった漁船を押し上げた。津浪に伴いザアーッという音がきこえたが、これはシケの時にも 々経験することである。津浪とはいうものの、一見シケの時の様子と大差なかった。三陸津浪より潮の引き方は著るしかった。引き潮から引き潮までの間隔は1時間位。同時に漂着したものの中には、田尻附近の筏や、大船渡市の交通標識(立て看板)があった。
地点No.11 (気仙沼市大島 小田浜 中山)
村上繁行氏が起きたのは3時40分頃であったが、浜に異状はなかった。その後30分間位のうちに潮はすっかり引いてしまった。およそ5時頃潮がさし始め、ジワジワと高くなって来た。それに続く引き潮は前回より小さかった。最高波は3回目のものであるが、大シケの時の水位(海岸にある石垣を越える)より約07m低かった。この附近の筏は全然流失しなかった。


気仙沼湾東岸地区
地点No.14 (気仙沼市大島 鶴浦) 聞き込み事項なし
地点No.15 (気仙沼市大島 梶浦) 仝 上
地点No.16 (気仙沼市大島 小々汐(1)) 仝 上
地点No.17 ( 〃 〃 (2)) 仝 上
地点No.18 (気仙沼市 大浦公会堂前) 仝 上
地点No.19 (気仙沼市 浜 埋立地) 仝 上

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地点No.6
2.2)本吉郡唐桑町

唐桑半島沿岸地区
極く小範囲の浸水(床下)を見た程度で、特筆に価する被害はなかった。唐桑半島の先端部では、三陸津浪の時10m前後の波高を記録しているにもかゝわらず、今回の水位はシケの時と同程度以下であった。
地点No.20 (本吉郡唐桑町 舞根) 畠山豊八氏の話によれば、来襲津浪のうち3 4回目のものが最高であったが( 第1波はそれより0、8m位低い )それでも三陸津浪より 約45cm低かった( 当時の痕跡記憶 )。引き潮は1,2,3回と後になるほど顕著であった。
地点No.21 (本吉郡唐桑町 宿浦) 漁業組合主事梶浦克志氏の話によれば、潮が引いたのは3時半、警報を出したのは4時10分、その後やって来た第1波は岩壁すれすれ(約1、8m)であった。最高のものは5時30分にやって来た第3波であった。
地点No.22 (本吉郡唐桑町 御崎) 明瞭な痕跡もないので同地住民(氏名不詳)の記憶する汀線(最高波当時の)を基にして波高概略値を求めた。同氏の話によれば、津浪が河の流れのように気仙沼湾に侵入するのが望見されたと云う。
地点No.23 (本吉郡唐桑町 鮪立) 聞き込み事項なし
地点No.24 (本吉郡唐桑町 小鯖) 仝 上
地点No.25 (本吉郡唐桑町 瀧浜) 仝 上
(津浪痕跡不明確)
地点No.26 (本吉郡唐桑町 砂子浜) 同地の消防団班長(氏名失念)の話によれば、今回の津浪は砂浜の途中までしか上らなかった(ふだんでも波の大きい時は 石垣を越えるという。)早朝潮が引いたので、驚いて舟を引き上げたが、津浪来襲まで1時間半も間があった。
最高波が来たのは4時半頃の由(津浪痕跡不明確)
地点No.27
(本吉郡唐桑町只越)聞き込み事項なし(津波痕跡不明確)
地点No.28 (本吉郡唐桑町 大沢) この部落の南北両
側は高さ約3mの堤防によって保護されているが、そのうち北側堤防の中央部を乗り越えて海水が侵入したという。事実その部分の堤防基部には落水によると思われる痕跡(土地が局部的にえぐられている)が観察された。これと共に海水は川に沿っても侵入したが、水量としてはこの方が多かったと思われる。
住民によると最高水位は堤防上約1mあったと云うが、余り確実でない。堤防越しの浸水が その中央部に 限られている点から見ても最高水位は堤防上面すれすれと推定するのが妥当であろう。
浸水地域の家に残された痕跡は堤防上面よりかなり低い。(附表参照)

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地点No.26
2.3)

陸前高田市
広田湾に面する陸前高田市においては、二つの事実が注目された。
第一に、湾の中心部から奥にかけて潮位が次第に高くなっている傾向が著るしい。そのため湾の最奥部に位置すう長部、脇之浜、小友等の地区において潮位は 4 5m に達し、陸上の被害は著るしいものがあった。(被害統計及び写真参照)
人命の損失、家屋の崩壊・流失や鉄道・道路の破壊等、気仙沼地区には見られなかった惨状がこれら地区一帯に分布していた。
岩手県 陸前高田市 被害統計
人員死亡 8名
行方不明 1名
重 軽 傷 1名
被災家屋
住家全壊 62
流失 87
半壊 126
浸水(床上) 235
〃(床下) 78
非住家全壊 129
流失 173
半壊 113
浸水 153
被災者総数 599世帯
3173 名
その他 田、畑、舩
第二の特徴は湾口附近の潮位が格別に高くはなかったことである。特に広田町の外洋に面した地域では、三陸津浪の時10m以上の波に見舞れたにも拘らず、今回それに対応するような現象は認められなかった。


広田湾西岸地区
地点No.29 (陸前高田市気仙町長部)
我々の調査旅行において、最初の大規模な破壊的被害のあった地区であった。
街道をはさんで海側──側及び山側の家のある部分は一段高くなっていて、この部分では家屋には相当な被害のあるものもあるが倒するには至っていない。
海岸の低い部分にあった家屋は二三の例外を除いて全て完全に倒壊したと見られる。その例外とは、製氷工場(一部破損)倉庫らしきもの及び住宅だがごく新らしいものである。海岸近くでも南端、北端では家は倒壊していない。部落背后の水田にはずっと奥まで海水が入っているが、これは川から入ったものと思われる。川沿には流木が非常に多く水田中にも各所に散在している。製氷工場内のオガクズが浮いてついた痕跡を測定したところ約5、5mとなった。
高田町附近は 高田松原背后の水田にかなり奥迄水が入っているが、例えば長砂附近では浸水という程度に止まる。しかし更に東に行くと、海岸付近の沼田では水は破壊的威力を発揮している。国鉄の線路の被害も著るしく、所によっては枕木のついたまゝ裏返しになっているものがある。
地点No.30 脇の沢駅付近
かなりの被害はあるが、壊滅的ではない。もっとも、どうやらひっくりかえらないですんだというような家も少くないが、それらは元々かなり老朽化していたと見る。
地点No.31 陸前高田市小友町長洞、出護岸の所々に舩を引き上げるためか少し低い部分があってそこは海側がゆるいスロープになっている。この部分から僅かに水が浸水した。
地点No.32 陸前高田市 前花貝
ここは、赤味を帯びたさゝれ石状の広い砂浜になっている。砂浜との境に75cm高さの石垣があって こゝすれすれ迄水が上がった。多くともこれを越えたい。
地点No.33 陸前高田市 六ヶ浦
六ヶ浦の西側平畑あたりは護岸が一部破壊している。これを越え又一部にある松林(防潮林というほどのものではない)を越えて田畑に水が浸水した。
海岸道路の傍の測定を行った家は1m程浸水している。この家は元々大分老朽しており、津波以前から居住されていなかったようにも見えるが確証はない。とも角この家がまだ建っている所をみると水勢は激しくなかった。
地点No.34 陸前高田市広田町岩倉
高い堅固な石垣が築いてある が水はその根元までも上らなかったらしい。
明瞭な痕跡がないので、海藻が打ち上げられている上縁で測ると約1,3m、カキイカダのタルの打ちあげられているものの一番低いものの下縁で測ると約 1、6m、ただし後者は一応片づけた様子が見えるので、元の位置よりも高くとも低くはない。 被害なし。家はかなり離れたところにあるので目撃者がない。堤防の背后は水田で家は全て高い所にある。
地点No.35 陸前高田市広田町集
三陸沖地震(昭和8年)による津波で大きな被害を受けた結果であろう。堅固な石垣が築かれているが、その上更に、石垣のすぐ上にある建物は全て納屋(元は住家)であって現在の住家は背后の高所にある。津波の時は下りていって見たというが、必ずしもごく近い所まで行ったわけではないらしいので、見聞談も確実なものとはいえない。がそれを記すと、石垣すれすれ迄水が上り、石垣上にあったオガクズが流れたという。しかし現在でもまだオガクズが少し残っていて ── あとからおいたものではなさそう ── せいぜい水がかゝった程度ではないかと思われる。石垣の下の浜(ジャリ)に海藻が打ち上げられているのが上縁がほヾ水平に階段状になっているがこゝまでとすると余りにも違いすぎる。石垣の上縁3、3m、海藻の上縁 1、4m。附近観測点の値よりみると、後者の方が真の値に近いと思う。 5 10回するすると退いて、 するすると上って来たという。
地点No.36 陸前高田市広田町泊港
岩手県水産試験場気仙分場
宿直中島輔氏らの話によると、 4時15分に起きたときは水が退いていた。退き切ったのは4時35分で、10分后4時45分には一番高くなった。これは二回目の波と思う。最高は三回目で堤防スレスレ迄上った。(約2、8m)上げ下げの周期は同じだが、最初のは長かった。
防潮堤の南側の小さな開口より水が流れこみ北側の大きな開口より流出し(上げた時)港内には反流も生じていた。退くときは丁度その反対であった。泡を立てゝ渦をまいていた。
偶々、同水試大船渡実験場主任菊地要三郎氏が来あわせていて、同地での状況を聞いたが、詳細は同地を担当する桃井氏に報告しておいたからそちらに譲る。
地点No.37 陸前高田市 大陽
地点No.38 〃 鵜沢
海岸の石垣(高さ2、8メートル)の上に、漁網を染める仕事場が建っていたが流されてしまった。脇の方に材木の破片が積んであったが、土台見ると余り新しい破壊のあとではないようである。隣接の倉庫には被害はなかったようである。仕事場は相当老朽化していたものと思われる。住家は全て高い所にあって被害はなかった。
地点No.39 陸前高田市 矢の浦
海岸の石垣の(高さ2、2メートル)すぐ上の家は いくらか浮上して土台がずれたそうで、一階内部はひどく荒れているが、骨組はそのまゝ使えるらしい。浸水は二階床上に達し、かなり年の経っている家と思われるから、水勢はさして強くなかったのであろう。
佐藤已之助氏の話によると、ひいていた時間も押して来た時間も長かった。三番波が最高であった。明治のは盛り上って来たが今度のは平らに来た。 昭和八年の話がないのは 何故か聞いてみなかった。
地点No.40 陸前高田市小友町塩谷
小屋敷で、海岸沿いの道路脇に、土台石だけをのこしてすっかり流されている家のあとがあった。
小友の浦では水位は非常に高く、両側の塩谷、三日市(地点No.41 )で共に5、5mであり、最奥部では これより高くはあっても低くはないと思はれる。海岸の堤防、道路は寸断され 孤塁を残すのみ背后の水田には約1,5km 奥まで浸水し、この中央を横切る国鉄大船渡線は数10 100以上も流されている。
地点No.41 陸前高田市小友町三日市
部落は海岸沿いに細長く伸びているが、ほとんど完全に倒壊している。国鉄はやゝ奥の土手上を走っているが、この附近では流失はしていない。


今回の津浪の調査に当って感じたことは、明瞭な痕跡の得られたもの全て家屋のあるとこで─── その大部分は泥壁の濡れたところ ──断崖、砂浜、堤防などのよころでは痕跡というべきものはほとんど全く存在せず、聞き込みによっても、確実で精度の高い値を得られない。前回の三陸津浪で被害の大きかったところは大てい住居を後背地の高所に移し、海岸には堅固な堤防を築き、その直后の低地は大部分水田となっている。従って家屋の浸水痕のないばかりでなく、間近かでの目撃者のないところも少くない。三陸津浪が今回の測定値の精度を減らしたとも云えよう。今後は、各所に測定のための標識として上記の泥壁に代るものを何か設置しておくことが望ましいものと思う。
更に、防災対策が進んで被害というものが減ることはもちろん歓迎すべきことだが、それにひきかえて、正確精密なデータが得られなくなってしまったのでは、地球物理学上は困ったことになる。

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地点No.29
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地点No.40
補遣

宮城県水産試験場階上実験場(気仙沼湾口岩井崎)の検潮儀の記録を写真にとって来た。残念なことに、津波当時の記録はスケールアウトして以后書いて居らず、翌日も故障で記録が得られていない。三日目、四日目の記録を見てもまだ津波の余波と思われるものが残っている。これは、小田の浜の村上茂行氏が「三日位潮が治らなかった」よいっていたのと符号している。
この両日の記録を Foarier 分析してみたので結果だけを参考迄に掲げておく。縦軸は成分波の振巾である。24時間を基本周期として40次(36分)迄計算してある。

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Foarier分析結果

大谷、志津川、御前浜間

東大 地震研究所 平能金太郎
東大 地球物理学教室 平沢朋郎


私たちの班は、宮城県本吉郡本吉町の大谷浜から同県牡鹿郡女川町の御前浜間の調査を担当して、5月27日から6月2日の7日間に亘って現地調査を行なった。
調査の目標としては、今回の津浪の来襲によって生じた諸現象を出来るだけ詳しく調べて、これらを過去に来襲した津浪によって生じた諸現象とを比較、考察することによって、その一致点及び差異点等を確めて、津浪の本来の性質及び港湾その他地形の差異等による諸現象の変化の生ずる原因を究めようとした。
そのため今回の調査では、昭和8年3月3日の三陸津浪のときに地震研究所において詳細に調査されている地点を特に選んで実施した。
以下これら地点での調査方法、被害状況ならびに土地の人々の談話等を略記するにとどめ、詳しい考察等は別の機会に述べることとする。

1. 本吉町大谷

本吉町役場大谷支所の岩槻 実氏の話によれば、当所関係の部落に、は被害はなく、4時20分頃に潮が完全に引き、それから約30分程あとに急ではなくジワジワとあがって来た。
また大谷海岸に居られた漁業組合の佐藤辰治氏の話によれば4時30分頃に潮が護岸を越して、海水が僅かに道路を浸程度で大したことがなかったが、引きのときは今までになく大きくて防波堤の突端まで引いた。
此処では護岸までの高さを測って最高潮位としたのが 2、1米である。
(昭和8年の津浪の高さは 4、5 米)

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地図 1. 本吉町大谷
2. 本吉町日門

気仙沼線大谷駅の藤野正氏の話によれば、4時15分頃起きたときに潮がすでに上って居て、その後23回ジワジワと上って来た。しかし最高でも線路の道床までは上らずスレスレの処まで来た。
ここでは道床の下端まで測って最高潮位としたものが3、4米である。
(昭和8年の津浪の高さが 4、0 米)

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地図 2. 本吉町日門
3. 本吉町前浜

同地の菊地徳八氏の話によれば、4時15分頃が最高であって、10分から15分の間に急に引き、防波堤内の水はみな引いて底が見えた。5米位の深さの処だと思われる。昭和8年の津波の時より引きが大きかったが上げは小さかった。( 昭和8年の津波は 5、8 米)
ここで同氏のこゝまで来たと云う護岸の痕路まで測った高さが3、9 米である

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地図 3. 本吉町前浜
4. 本吉町大沢の浜

同地の漁師菅原善四郎氏の話によれば、3時頃に漁にでて沖合に居たが、潮の流れが少し早くなったので、おかしいと思った程度で別段津浪とは感ぜられなかった。引きが大きくて4ヒロ位の深さの処まで引いたが、上げは大したことはなく 昭和8年の津浪( 5、7 米)のときより小さかった。
ここでは同氏のこゝまで来たと云う護岸の痕跡まで測った高さが4米である。

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地図 4. 本吉町大沢の浜
5. 本吉町登米沢

同地の佐藤市太郎氏の話によれば、最初は3時 4時の間で、引く前
に暫らく止ってそれから大きく引き、20分 30分 程たってから また上り始めた。引きの方が大きかったが上げの方は昭和8年の津波( 6、5 米)のときより小さかった。
ここでは海岸にある棚にかゝって居た海草までの高さを測ったが 3、4米のである。

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地図 5. 本吉町登米沢
6. 本吉町蔵内

同地の三浦哲郎氏の話によれば、最初は3時より4時に近い頃で引いた。5時頃に引いたのが一番大きく、引きの大きさは 古老でも今まで経験しなかった程であった。大きいのは6時半頃までで、その後は何回となくあったが大したことはなかった。上下の大きさは大あらしの時より低く被害はなかった。
ここでは越すか越さないかのスレスレであったと云われる護岸の高さまで測ったのが 3、7米のである。( 昭和8年の津浪は 4、4 米)

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地図 6. 本吉町蔵内
7. 歌津町田の浦

同地の三浦竹之助氏の話によれば、4時前から引いて後、あらしのときと違って上潮のときのように自然に上って来た。同海岸一帯に高さ4米近くの立派な防波堤があるが、今回の津波では、この防波堤の下半の石積の処までしかあがらなかった。しかし川筋に沿ってあがった海水のために川岸の土堤防を若干決潰したり田畑が若干冠水した程度の被害はあった。
ここではこゝまで上ったと云う石積の上端まで測った高さが 2、3米である。( 昭和8年の津浪は 4、5 米)

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地図 7. 歌津町田の浦
8. 歌津町中山

同地の阿部章之進氏の話によれば、始めは4時頃かと思うが、その後2030分の間隔で何回となく来た。潮の引きは今まで見たこともない程度で3米位の深さと思われる処まで 引いたが、上潮は大あらしのよきより小さかった。
ここでは越さなかったがスレスレまで来たと云う石垣の上端まで測った高さが3、1米である。( 昭和8年の津浪は 6、0 米)

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地図 8. 歌津町中山
9. 歌津町白浜

同地の高橋平助氏の話によれば、始めは4時頃で南の方から急に上って来て、引き潮は大きくマガキ島の処まで引いた。
また三浦富治氏の話によれば、一番引いたのが5時半前後で7米位の深さの処まで引いた。
潮の引いた時には浜の人々が漁(鰈ニユー)を採りに行ったが、潮が来たと云ってから逃げだしても遅れることがなかった。
ここでは潮位道路まで上らず、道路下のこゝまで来たと云う草枯れの処まで測った高さが2米である。( 昭和8年の津浪は 4米)

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地図 9. 歌津町白浜
10. 歌津町管の浜

同地の及川 広氏の話によれば、4時頃に第1波が来て、第2波がサット引き、第3波が追かけ追かけ来た。この部落では床上浸水や田畑の冠水等の被害が若干あり、また牡蛎は全滅した。
ここではここまで来たという土堤上の草枯水の処まで測った高さが 3、2米である。( 昭和8年の津浪は 3米)

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地図 10. 歌津町管の浜
11. 歌津町寄木

同地の畑山新右衛門、三浦信隆両氏の話によれば、何れも時刻は不明であるが、ムクムクと上って来て、引きは大変大きくて松島まで水がなくなった。約4ヒロ位の深さだと思うが、こんなことは始めてである由こゝではこゝまで来たという電柱の根元まで測った。高さが2、6米である。( 昭和8年の津浪は 3、4 米)

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地図 11. 歌津町寄
12. 歌津町韮浜

同地の阿部武雄氏の話によれば、5時から6時までの間が最大で、昭和8年の津浪( 2、9 米)より大きく同氏宅の玄関先まで来た由。
こゝでは同氏宅の玄関先まで測り高さが 2、8米であって、昭和8年の津波の調査記事による「津波のため漸く床とスレスレ位侵入す。 高さ2、9 米位なり。」から見ると大体同程度であったように思われる。

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地図 12. 歌津町韮浜
13. 志津川町細浦

同地の高橋徳太郎氏の話によれば、4時35分頃に津浪警報があって4時50分頃に第1回が来た。老人は「地震がないから津浪は来ない」とは云ったけれども用心のために避難準備をしたので第1回の時に避難することができた。2回目は最大であった。此処では護岸を越して住家その他に可成りの被害があった。
こゝでは海岸にある物置の硝子戸に残された浸水跡まで測った高さが 3、4米である。( 昭和8年の津波は 2、5 米)

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地図 13. 志津川町細浦
14. 志津川町清水浜

同地の佐藤幸一氏の話によれば、最大が5時15分頃でゆっくりと来た。引きは大きくて5米位の深さの処まで引いた。その後小さくはなったが40分位の間隔で3日位続いて来た。
ここでも津波は護岸を越して家屋その他に可成りの被害があった。海岸にある作業所の浸水跡まで測った高さが2、7米である。( 昭和8年の津浪は 2米)

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地図 14. 志津川町清水浜
15. 志津川町荒砥

同地の遠藤盛興氏の話によれば、引いたのが解らないが、第1回目に来たのが3時25分 30分の間で、 3時40分頃自然に引いて行き第2回目が潮が自然にさして来るように来た。5時20分頃が一番高かった。それから何回も続いて来たが上るときはただモクモクと来た。
昭和8年の津波(3米)のときは道路までであったが、今回は同家の壁土の落ちた処より 15 cm程上まで来て尚同家裏の石垣に当っての返りが更に20cm程上に上った。
こゝでは同家の壁土痕路まで測った高さが4米である。

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地図 15. 志津川町荒砥
16. 志津川町平磯

同地の護岸のすぐ前に住む菅原信治氏の話によれば、 サイレンを聞いて起きたときは4時20分であったが潮はもう引いて居た。1丈5尺位の深さの処まで引いて、上るまで30分位かかった。護岸下1尺位の処で5分位止って、それからものすごく上って来た。下るまでの時間は20分位であった。2回目は6時半頃で護岸一様の高さであった。今回の津波は昭和8年の津波(3、5米)のときより大きく、また老人の話では 明治29年のときより大きいとの事である。同家竝びに護岸附近では大破その他可成りの被害があったが部落の大半が高台にあるため部落としての被害は少かった。ここではこゝまで来たと云う坂道の道路上の痕跡まで測った高さが5米である。

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地図 16. 志津川町平磯
17. 志津川町袖浦

同地の菅原信治氏の話によれば、4時頃に第1回が来て、2回目に引いたのが一番大きく4ヒロ位の深さの処まで引いたので、どこまでくるかわからんと急いで避難準備をした。引きから上げまでの時間は約30分位で、昭和8年の津浪 (3、2米)のときより大きかったがゆっくりと来た。しかし志津川港沖にあった木材が同浜まで流れて来たため浸水の他に家屋の倒潰など可成りの被害があった。
ここでは、ここまで来たと云う坂道の道路上の痕跡と草枯れの痕跡を測った高さが4、5米と4、6米である。

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地図 17. 志津川町袖浦
18. 19. 志津川町

志津川町は今度私たちが踏査した内で被害が一番大かった処で、全町殆んどが浸入し、特に港湾の正面附近に、東と西にある両河川に沿って橋梁の流失、家屋の倒潰、流失等甚大なる被害があった。
町役場で聞いた津波の来襲時刻は
回数目 時刻 記事 回数目 時刻 記事
1 03時40分 6 08時40分 2回目より
8尺減
2 04 20 大被害 7 09 25 同10尺減
3 8 10 05 〃
4 07 35 9 10 42 〃
5 07 55 2回目より5尺減
× は流失した橋
─ ー ─ 線の南、床上浸水、北側は殆んど床下浸水(志津川町役場調べ)
となっている。
この町は昭和8年の津浪の調査では地図上に記されたのが 1、3 1、7米で、記事の方では 3、0 3、5米の処もあったようである。今回の調査では松原公園にある簡単裁判所内の浸水痕跡と港湾正面にある丸米水産志津川食品工場内の浸水痕跡を測ったのが 3、9 4、0 米である。

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地図 18. 19. 志津川町
20. 志津川町林浜

この部落の住家は高台にあるため、海岸で津浪を見て居た人がないらしく、従って聞き込みもできなかったので、海岸筋の雑木の根元の洗われた処まで測った高さが4米である。
( 昭和8年の津浪は 3.2 米)

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地図 20. 志津川町林浜
21. 志津川町折立

同地の渡部留治氏の話によれば、起きてから15分位してから潮が来た。
5時近くであったと思うが潮が護岸を 越してから避難した。潮が護岸を越すときは樽に水を入れたときに溢れるように来た。護岸を越したのが2度位であるが昭和8年の津波 (2.7米)では護岸は一度も越さなかった。
ここでは護岸の近くにある同家のこゝまで来たと云う壁土の落ちて居た処まで測った高さが4.1米である。

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地図 21. 志津川町折立
22. 志津川町水戸辺

同地の村松幸之助氏の話によれば、昭和8年の津浪 (1.9米)のときには護岸より1尺も下であったが、今回のは護岸より幾分溢れる程度であった。
ここでは護岸までの高さを測ったのが4.2米である。

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地図 22. 志津川町水戸辺
23. 志津川町波伝谷

こゝには立派な護岸(5月30日14時45分の海水面上より3.5米)があって、同地の後藤賀門氏の話によれば、その護岸を越したのが4時頃だと思う。同氏はパン屋さんで2時頃パンを焼き終ったが、3時頃に外が騒し くなったのででて見ると、青島、竹島の附近まで水が引いて居た。その後戸倉を廻って波伝谷に来た。昭和8年の津浪 (2.9米)より大きかった。
ここでは菅原 茂氏宅の壁の落ちて居た処まで測った高さが4.3米である。

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地図 23. 志津川町波伝谷
24. 志津川町津の宮

同地の住家は高台にあるため津波のときに海岸にて確実に見て居た人に会 えなかったので、同海岸に残された海草のある処まで測った高さが 3.8米である。昭和8年の津波のときは 3.6米で稍同程度であったと思われる。

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地図 24. 志津川町津の宮
25. 志津川町瀧浜

同地の後藤誠之助氏宅の人の話によれば、潮は同氏宅の前まで来たが、時刻その他不明である。
ここではここまで来たという同氏宅前まで測った高さが 3.2米である。( 昭和8年の津波は 2.4米)

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地図 25. 志津川町瀧浜
26. 志津川町長清水

同地の佐々木由藏氏の話によれば、4時半頃に第1回が来て、その後は何回となく来たがみな昭和8年の津波 (4.6米)のときより小さく、一番大きなものでも護岸の高さまでゆっくりと来た。
ここでは、こゝまで来たと云う護岸の高さまで測ったのが 3、5米である。

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地図 26. 志津川町長清水
27. 志津川町寺浜

同地の遠藤佐平次氏の話によれば、4時半頃に第1回が静かに上って来て、その後何回となく来たが大したことはなかった。
ここでは、ここまで来たという道路に沿って上った処の痕跡まで測った高さが3.5米である。
( 昭和8年の津浪のときの調査なし)

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地図 27. 志津川町寺浜
28. 北上町小瀧

この部落の住家は高台にあるため、津浪のときに海岸で見て居た人と会えなかったため、海岸に沿う崖下に印された枯草の根元まで測った高さが3.9米である。
( 昭和8年の津浪は 9.7米)

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地図 28. 北上町小瀧
29. 北上町大指

同地の石川三五郎氏の話によれば、4時半頃潮が引いて居たから津波が来るかも知れないと考えて避難した。3ヒロ半位の深さの処まで引いたが、上げはシズシズと来るので次の潮引きの時には天草 やウニ採りに行った。20 30分間隔で何回も来たが上げは大したことはなく昭和8年の津波 (3.8米)のときより、小さく大高潮程度であった。
ここでは海岸に残された海草までの高さを測ったのが3米である。

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地図 29. 北上町大指
30. 北上町小指

同地の人々の話によれば此処では津浪は最高のときでも道路まで上らず稍々スレスレであって、昭和8年の津波(4.6米)よりズット小さかった。
ここでは道路の上端まで測った高さが2.8米である。

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地図 30. 北上町小指
31. 北上町相川

同地の小山要之進氏の話によれば、今度の津波は昭和8年の津浪(5.5米)よりズット小さく、しかもゆっくり来たが、引きの方が強かった。護岸にスレスレであったが護岸は越えなかった。
しかし川に沿って上った潮のために川筋では人家及び田畑に若干の被害があった。
こゝでは護岸の高さまで測ったのが3.8米である。

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地図 31. 北上町相川
32. 北上町小室

同地の那須野平次郎氏の話によれば、一番上ったのが7時頃でムクムクとふくれ上って来た。
上げは道路を浸す程度であったが、引きが大きくて3ヒロ位の深さの処まで引いた。
こゝでは護岸の高さまで測ったのが4米である。 ( 昭和8年の津波のときの調査なし)

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地図 32. 北上町小室
33. 北上町白浜

同地の佐藤康藏氏の話によれば、6時から7時頃が一番大きかったが、そのどれでも道路の石垣の中央までで大したことはなかった。しかし引きは大きくて4ヒロ近くの深さの処まで引いた。昭和8年の津浪(3.2米)のときより海岸線が後退したため大小は解らない由。
ここでは、此処まで来たと云う石垣の痕跡まで測った高さが2.9米である。

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地図 33. 北上町白浜
34. 北上町立神

同地の高橋康雄氏の話によれば、8時頃のが最大で道路を越して同家の土台石の上まで来た。しかしゆっくりと来た。
ここでは同家の土台石の痕跡まで測った高さが3、4米である。
( 昭和8年の津浪は 3.2米)

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地図 34. 北上町立神
35. 北上町月浜

同地の渡船場前の千葉春雄氏宅(留守番の子供たちの話による)のこゝまで来たと云う同家内の浸水痕跡まで測った高さが1.8米である。
その後、東北地方建設局の御厚意によって頂いた月浜検潮所(同渡船所のすぐ側)の県庁記録の写によれば、第1波は2時47分頃で、一番高く上ったのが4時50分でT.P.上に直して1.9米となっている。しかし全振巾としては7時30分頃から8時28分頃にかけての 2、9米 が一番大きくなって居る。

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地図 35. 北上町月浜
36. 雄勝町名振

名振部落会長の高橋善三郎氏の話によれば、3時40分頃に第1回が来て、4時に引き始めたので4時10分に独自の考えで津浪警報を出した。4時15分に第2波が来て、4時40分に第2波が引いて、5時に来た第3波が一番大きかった。
ここでは、ここまで来たと云う防波堤までの高さを測ったのが 2.8米である。 ( 昭和8年の津浪は 3.3米)

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地図 36. 雄勝町名振
37. 雄勝町船越

同地の植木昭一氏の話によれば、3時半頃が始めで、4回目が7時頃で最大であった。昭和8年の津波(4米)より小さかったが、警報のでない前に避難準備をした。
ここでは同家の床上の浸水痕跡まで測った高さが 3.4米である。

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地図 37. 雄勝町船越
38. 雄勝町荒屋敷

同地の福島ハマ子氏の話によれば、時刻は不明であるが、一番大きな時でも護岸を僅かに越して道路を浸す程度であった。
こゝでは護岸の高さを測ったのが 3.4米である。( 昭和8年の津浪は 11.4米)

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地図 38. 雄勝町荒屋敷
39. 雄勝町大須

同地の阿部亀八氏の話によれば、4時15分頃潮時でもないのに潮が引くのでおかしいと思っていたら、その後におだやかに上って来た。2番目が一番引いて
12 13尺の深さの処まで引いた。上げは大したことはなく 昭和8年の津浪(3.8米)より小さく、同家の石段の3段目まで来た。
同家の石段の3段目まで測った高さが2.8米である

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地図 39. 雄勝町大須
40. 雄勝町熊沢

この部落は住家が高台にあるため近くで確実に見て居た人がなかったらしく、確かなことは判らないが、遠くか等見て居た人々の話では一番大きなのでも防波堤を漸く越す程度であった由防波堤の上端まで測った高さが 3.6米である。 ( 昭和8年の津浪は 7.3米)

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地図 40. 雄勝町熊沢
41. 雄勝町羽坂

同地の今野助之氏の話によれば、今度の津波は大したことはなかった。上げのときには上げ潮のときのように静かに上って来た。しかし引き方の方は可成り大きかった。
こゝでは同氏の云うこゝまで来たと云う海岸の砂利敷の上まで測った高さが 2.5米である。( 昭和8年の津浪は記事では4米となって居る)

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地図 41. 雄勝町羽坂
42. 雄勝町桑浜

同地の船着場前の長沼豊治氏の話によれば、最大は5時半頃で同家の土台石の上まで上った。昭和8年の津波(2.3米)より可成り大きいと思うが静かに上って来た。
こゝでは同家の土台石の上まで測った高さが3.2米である。

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地図 42. 雄勝町桑浜
43. 雄勝町立浪

同地の末永徳治氏の話によれば、時刻は不明であるが、最大は昭和8年の津波(2.0米)のときより大きく同家の床上まで浸水した。
ここでは同家の表の板戸に印された痕跡まで測った高さが2.7米である

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地図 43. 雄勝町立浪
44. 雄勝町大浜

同地の千葉亀男氏の話によれば、時刻は不明であるが、一番大きなのは昭和8年の津浪(2.0米)より大きくて同家の床上まで上った。
ここでは同家の屋内壁に残された浸水線の痕跡まで測った高さが2.8米である。

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地図 44. 雄勝町大浜
45. 雄勝町小島

同地の西島俊一氏(雄勝町土木常任委員長)の話によれば、同地では5回目が最大であって、8時40分頃ムクムクと上って来た。
今回の津波は昭和8年の津波(2、0米) より相当大きく、同部落で家屋の浸水も相当あり、又漁具類の損失も甚大であった。
こゝでは同家の倉庫の壁に残された浸水の痕跡まで測った高さが3米である。

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地図 45. 雄勝町小島
46. 雄勝町明神

同地の鈴木秋夫氏方の人の話によると、時刻は不明であるが、一番大きな時は昭和8年の津波(2.0米)より可成り大きくて同部落には浸水家屋が相当あり、同家も床上にまで上った。
こゝでは同家裏(海岸側)に残された浸水線の痕跡まで測った高さが3.3米である。

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地図 46. 雄勝町明神
47. 雄勝町雄勝

同町役場の話によれば、潮の引きが大きくなったので、4時20分に津波警報を発令した。津波の来襲は護岸を越したのを1回とし次のように来た。
回 時 分 回 時 分
1 4 30 5 7 35
2 4 45 6 9 10
3 5 10 7 9 50
4 6 45 8 10 30
同町は海岸に沿って細長く形成されて居るが、被害は海岸側にある家屋は殆んど全半潰で流失家屋相当ある大被害であったが、道路一つ隔つ反対側は高台に成って居るため浸水家屋はあったが破損、流失等の被害は見られなかった。
こゝでは町はずれにある駐在所の浸水跡まで測った高さが3.7米である。( 昭和8年の津浪の高さも 3.7米)

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地図 47. 雄勝町雄勝
48. 雄勝町船戸

同地の海岸際にある雄勝天然スレート工場の人の話によれば、時間は不明であるが、潮が自然に入って来て津波のようには感ぜられなかった。高台で見て居たが静かに何回もやって来た。
同地も海岸側は殆んど床上浸水で破損等も若干あったが、道路をへだつ片側は高台になって居るため被害はなかった。
こゝではスレート工場内に残された浸水線の痕跡まで測った高さが4米である。 ( 昭和8年の津浪の高さは 3.5米)

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地図 48. 雄勝町船戸
49. 雄勝町唐桑

同地では問合すべき適当な人に会えなかったので、津波来襲時の状況は解らないが、同地も海岸側には破損または床上浸水の被害が可成り見られた。
こゝでは海岸際にある近藤 清氏宅の硝子戸に残された浸水線の痕跡まで測った高さが 3.1米である。

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地図 49. 雄勝町唐桑
50. 雄勝町水浜

同地の海岸際に住んで居られる成沢三郎氏の話によれば、4時すぎに起きて見たら潮が大きく引いて居たので津浪が来ることを予期して避難準備をした。
6時すぎに来たのが一番大きかったと思う。上るのも静かであったが、引きも静かであったので床上浸水したのに物が流されなかった。
同家の板戸に残された痕跡まで測った高さが3.3米である。
( 昭和8年の津浪の高さは 3.5米)

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地図 50. 雄勝町水浜
51. 雄勝町分浜

同地では問合す適当な人が見当らなかったので、海岸際にあるポンプ置場の硝子戸に明瞭な浸水の痕跡があったのでそれを測った高さが 2.9米である。
( 昭和8年の津浪の高さが 1.8米)

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地図 51. 雄勝町分浜
52. 雄勝町浪板

同地の海岸際にある鈴木徳雄氏宅の人の話によれば時刻は不明であるが、大きく引いて後静かに上って来た。一番大きいので 護岸を漸く 越して同家(護岸より4 5米隔つ稍々水平の処にある。)の前まで来た。
こゝでは護岸までの高さを測ったのが3.4米である。(昭和8年の津浪の高さは 2.1米)

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地図 52. 雄勝町浪板
53. 女川町指浜

同地の鈴木忠見氏の話によれば、最大は4回目で6時前後か或は7時頃であって昭和8年の津波(2、1米)より大きかったが、大変静かで潮が引いてから時間があったので避難準備ができた。
こゝでは同家の物置に残された浸水線の痕跡まで測った高さが3.1米である。

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地図 53. 女川町指浜
54. 女川町御前浜

同地の阿部幸之進氏の話によれば、3時頃に起きて海に居たら波が岸にぶつかって居るのを見たので、どこかに津波があったのかと思って居たら、その内4時20分 頃一番引いて行って、大きいのが来るのに30分位時間があった。
3回目に来たのが一番大きくて5時20分頃である。昭和8年の津波(2.2米)の時より大きかったが静かに来た。
こゝでは同家の腰板に残された浸水線の痕跡まで測った高さが3米である。

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地図 54. 女川町御前浜
まとめ

以上で大体各測点の模様を略記したが、上記記事中の昭和8年の津浪の高さは総て震研彙報別冊第1号に記載されたものを引用した。
第1図は参考のために昭和8年の津浪の高さと今回の津浪の高さとの比較である。これで見ると細浦から瀧浜に至る志津川湾一帯と桑浜から御前浜に至る雄勝湾一帯が今回は高くなって居り、その他の地点では大体低くなっている。しかし今回私たちの調査した範囲の地域内では、昭和8年の津波のときには志津川湾、雄勝湾一帯は他の地点より比較的低かった処である。

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地図 第1図

女川、石巻間

東大 地震研究所 相田勇
東大 工・土木研究生 影山正樹


女川町尾浦より牡鹿半島を一巡し石巻市に至る区域の調査を担当した。
調査はハンドレベルによる最高波高の測定を主とし、来襲状況を土地の人々に聞き参考資料とした。
又、区域内の検潮儀の記録も集めた。
尚女川は津浪のため東北大理学部の検潮儀に浸水、使用不能となったので、特に水銀式の携帯用検潮儀を持参して東北大の御好意により臨時に据付けさせて頂き観測保守を御願いした。これは5月28日より観測を開始したが若し再び津浪があった場合に備えるためと、吾々の調査期間の海水面の基準にするための二つの意味から行ったもので、こゝに東北大理学部女川地磁気観測所の方々に厚く御礼を申述べる。
尚、この記録は零点を水準点に結ぶ測量を行っていないので、T.P.を求めるため調査期間3日間の平均水面を鮎川と比較して、T.P.を決める方法をとった。
調査にあたっては各市役所町役場当局に種々お世話になったことを申添えてこゝに謝意を表します。

踏査記事及び測点々の記
女川町、出島

女川湾北岸湾口にある出島と云う島の部落であるが、海岸沿いは 殆んど地上 1.5m程度の浸水である。津浪に際しては押し寄せる波頭の様なものは全然見えず、対岸とはさまれた海峡を南から北に押して来る潮の流れが見えたと云う。6h 頃が最も波高が大きかった。

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地図 女川町、出島
女川町、寺間

浸水家屋は概して地上 50 60m程度、被害は比較的少く思われた。
襲来状況は、やはりじわじわと来た様で、朝早く漁にでた人達は知らせをうけて帰って来たが、津浪来襲中でも、平常の様に岸へ舟を着けて上陸することができたそうである。
その舟はすぐ沖へ出して大きな浪の襲来に備えたが、最高波襲来の時は家の雨戸が内部へ押込まれる位の勢があったと云う。
測4が測5に比して約50cm位高く出ることは測定をやり直しても間違いでないことが確められたので、何等か理由ある事と思われる。測4の位置は突堤を越え、護岸を越えた場所であるので浪の高まりがあったものと推定される。

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地図 女川町、寺間
女川町尾浦

測6,測7附近で地上1 1.5m程度浸水、測8附近は地上 0.5m位の浸水、部落の約3割が浸水した。40 50分毎位にだんだん 大きくなり、 6時頃が最大であった。
対岸出島の北端とその附近の小島の附近は海が段になって見えたと云う。

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地図 女川町尾浦
女川町竹ノ浦

6h 30m頃より4回位大きい津波に襲われたが その模様は潮のさしてくる様にゆっくりであって高台に避難する人も、下げ波の時は下へ降りて来て、物のかたずけ等をすることが出来た。この間20 30分もあった。殊に引潮は大きく50トン級の巡航船の着く船着場の根元までも水が引いた。測10附近で昭和8年より1、5m位高かった。
以上は土地の人の談であるが、この部落では約40%が浸水、測9附近で地上1m 測10附近で地上1.5m位の浸水であった。
又測10附近では小舟に雨戸をやぶられた家等もあり小破壊家屋が見られた。

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地図 女川町竹ノ浦
女川町桐ヶ崎

部落の約80%が浸水したが、破 壊の被害はない。海際で地上 11.3m程度の浸水

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地図 女川町桐ヶ崎
女川町々内(石浜、宮ケ崎、小乗浜を含む)

4h 頃異常に潮が引き出した事から、津浪の警報を出したことがよくかなりの在港船はエンヂンをかけて沖に出、又人々も警戒したので死者、行方不明は無く、又船の損害も最小限度に止めたと云う。小乗浜附近及び湾奥の漁港修築事務所附近は浪の破壊力もかなりあったようで護岸の決潰、家屋の流失破壊もこの地区が多い。この津浪は各地共、比較的じわじわと静かに襲来しやので、地形によっての居部的な浪の高まりは殆んど無い様に思われたが、小乗浜は、その浸水線をたどると稍高地に迄及んでいる様で、或は先端で浪の高まる現象があったかと想像される。
役場の其の他土地の人の話によると町の高い所で防波堤と灯台を監視していて、その辺の潮の高くなったのを見て 警戒すると 稍遅れて湾奥の潮が 上って来る様であったと云う。然し その間に浪の様に或は段の様に見えるのは全然なかった。最も潮の引いた時は 港の奥の水深5m位の海底が現われた。
港の入口にある防波堤は、昭和8年の津浪の後に 建設したものだそうであるが、防波堤のなかったその時の津浪では 石浜附近が建物の破壊等が多かったが、今回は港の最も奥、測 19、 20の間の地域が最も破壊が多かった。然し港奥部の破壊は人家も密であり、又小舟等も多い所があるので、種々な漂流物の衝突による破壊が多かったと思われる。
町内を通じて殆んど浸水其の他の被害を受けた。海岸附近で地上2m以上に及ぶ所もある。

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地図 女川町々内
女川町大石原

女川湾は女川港を含む一つの湾と、この大石原を始め五つの部落を周囲に持つ五部浦と云う湾の二つの湾に別れている。大石原及び次の野々浜は、この港の最も奥にあたり被害も又大きかった。この部落は世帯数13の小部落であるが全部浸水、海沿いは地上1.5m程度である。又破壊された家もある。

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地図 女川町大石原
女川町野々浜

五部浦中で最大の被害を受けた。潮はじわじわと上って来たのであるが引きの力が強く、その際に多く破壊され、次の押波で流されると云った破壊のされ方であった。
海岸の道路を兼ねた堤防が一部決潰、測26附近から東側の地区の一部家屋は流失、破壊された。
浸水は海岸附近で地上2.5mに及ぶ所もある。

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地図 女川町野々浜
女川町飯子浜

殆ど全部落浸水、測28附近で地上高さ2m程度である。
測27附近には住家はなくカキの作業小屋の板壁についた痕跡を測定した。

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地図 女川町飯子浜
女川町塚浜

約50%の浸水家屋を出したが破壊等の被害はなかった。測29附近で地上 1.5m位の浸水である。
最高波は7h 頃襲来したが上って来るのに20 30分もかかったと云う。又潮が上って来る時に一旦上って来たのが途中でわずか下り又再び上り又途中で下ると云う様なことを繰返して、潮が最大になったと云うことも目撃していた人がある。

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地図 女川町塚浜
女川町小屋取

この部落は昭和8年の三陸津浪の際は相当な被害があったが、其の後低い所にあった建物は高い所に移転していたので今度は殆んど損害がなかった。従って浸水のはっきりした痕跡も残っていないの で部落の人のこのあたりまで来たという海岸の護岸の上面を測定した。潮が上ったと想像されるわらくず等のよごれ、草の変色等でも大凡そその高さでよい様であった。
尚、この海岸の続き南側に藤丸と云う部落(家は2軒のみ)がある。これは牡鹿町に所属するが、こゝでも殆んど同様であった。
非常にゆっくり引いては押して来る津浪であったので、潮が引いた時浜に取り残された魚がはねているのを取りに行ったりあわびを取ったりすることができた。この間およそ40分もあったと云う。

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地図 女川町小屋取
女川町寄磯

家屋への浸水なし。船着場のすぐ傍に診療所があるが、その土台下部まで潮が上ったと云うのでその高さを測定する。又、その前方の岩の頭が稍々残る程度迄潮が上ったと云う話もあるのでその方も測定したがそれは殆んど前の測31と等しかった。
土地の人の話では潮の上げて来た所まで出て見ていたが少しも危険はなく、潮の引いている間は海底へ下りてあわびを取った。
あわびをのびあがって取ったり、わかめがすだれのようにたれ下った光景は奇妙な感じであったと云う。又岸に引上げてあった小舟も潮が上ってくると浮き上るが、潮が下がって行くと其の場へ取り残され、ロープでつないで置けば流される様なことはなかった。
しかし、鮫の浦湾へ入って行く潮の流れは早く潮目が見えた。この為、定置網の被害が大きかった。
そしてこの場所でも3回目の浪が大きかったと云う。

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地図 女川町寄磯
女川町鮫の浦

昭和8年三陸津浪の時、被害が大きかった所であるが、部落を高い所に移したので、今回の津浪では殆んど浸水家屋はなかった。
吾々の測定した建物は倉庫兼作業場のようなもので海岸に近く低い地点にあったので地上2mを稍々越える程度の浸水を受けている。

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地図 女川町鮫の浦
牡鹿町大谷川

昭和8年の時、被害の大きかったこの部落は其の後海岸に立派な堤防を築いたので今度は家屋の被害は皆無であった。
唯南端の橋桁(コンクリート製)が流されてすぐ川上に落下していた。そして堤防を稍々破損させて潮の流れは、この部分より川上の田畑へ浸水した。
部落の人の話により堤防面にときどきざわざわと水がかぶる程度と云うことなので、堤防の高さを測定した。
ここでも引潮が大きく、鮫の浦方面迄歩いて行ける位に潮が引いたと云う。

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地図 牡鹿町大谷川
牡鹿町谷川

この部落も堤防のお陰で被害が軽微であった。堤防を僅かに越えた水が部落内 にたまって家屋数戸に浸水した程度である。堤防の上に小舟が乗り上げているので潮の高さは堤防上1尺1尺5寸位であると土地の人は云っている。この高さを測定し、又測35の点は崖に潮の上った跡がついていたと云うをペンキで書き込んであったのを測定した。
其の他 顕著な浸水痕跡は認められなかった。

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地図 牡鹿町谷川
牡鹿町新山浜

浜に水が上った程度で被害無し、従って潮の高さの 痕跡も皆無であるので土地の人の言によって測定した。測36は防波堤の上に方塊が置いてあったがその丁度中頃迄潮上ったと云うのでその高さを測定した。

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地図 牡鹿町新山浜
牡鹿町金華山

鈴吉汽船出張所の人の話によると、ここでは潮の高さ非常に低く船着場の上20cm 程度冠水したと云う。測37はこの高さを測定した。
引潮は2m位か?
と云っていた。金華山瀬戸の潮の流れは非常に早く南から北に向って進む、 小型のキャッチャーボートが三角波にほんろうされて進む事が出来ないでいるのを岸から望見していたという。

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地図 牡鹿町金華山
牡鹿町鮎川浜

町の主要部は殆んど浸水しているが床下浸水程度、浸水の高い所で地上1m位である。
ここでも襲来状況は静かで、津浪襲来中、長靴で水につかって歩いたり、写真を撮ったりすることができたようである。川沿いに潮が上り海岸より離れた低地がかえって浸水が大きかった。

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地図 牡鹿町鮎川浜
牡鹿町十八成

海岸道路が堤防になっているが、潮はこの上を越えて部落に浸水した。測41附近では浸水の痕跡は堤防天端より高いが、測42附近では浸水の痕路は堤防天端よりかえって低くなっている。
これは天端を乗りこえる程潮が高かったのは約10分位と土地の人も云っているが、堤防背後の低く、広いので天端を越えた水量が、広い面積に拡がって、潮の高さはあまり高くならなかったものと、思われる。

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地図 牡鹿町十八成
牡鹿町小淵

部落の殆んどは南側の湾に面した部分にあるが、海岸附近で11.5m位の浸水を受け ている。 数戸の破壊家屋も出した。
非常に奥深い湾の最も奥にある部落があるので、気象的波浪は静かな為、すぐ海岸まで家が立っているし、又岸の高さもあまり高くない等、波浪に対する防備の薄い浜であることが、被害をだした原因であろう。
測45附近はカキ小屋等作業小屋が多い。浜の潮は大いに引き20尺位の深さの海底が現れたと云う。

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地図 牡鹿町小淵
牡鹿町給分浜

測46附近は地上2m位の浸水部落の中でも地上1m程度の浸水を受けた。

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地図 牡鹿町給分浜
牡鹿町大原浜

給分浜より堤防も高く又土地も高くなっている様で、浸水は床上僅か、地上 50cm 程度である。

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地図 牡鹿町大原浜
牡鹿町小網倉

海岸にある部落殆んどが床上浸水、地上1.5m程度である。
部落東側の田もかなり低地にあるため冠水した。

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地図 牡鹿町小網倉
石巻市福貴浦

測50は大田浜と云う住家はない浜であるが、カキの作業小屋に浸水した。地上1m位である。
福貴浦も浸水は地上1m位半壊程度の家屋も見られた。

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地図 石巻市福貴浦
石巻市竹ノ浜

竹ノ浜、牧ノ浜、小積浜荻ノ浜及び桃ノ浦は牡鹿半島西岸で最も被害の大きかった地区である。
竹ノ浜は殆んど全戸数浸水しその70%程度が半壊の状態にある。地上2.5m位の浸水を受けている。

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地図 石巻市竹ノ浜
石巻市牧ノ浜

測53附近で地上浸水2m程度、約2/3が半壊した。

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地図 石巻市牧ノ浜
石巻市小積浜

荻の浜港の一番奥にあたるこの部落では襲来状況も最も激しかった様である。土地の人の話によると1回目の潮は護岸の上面すれすれ位で、2回目はそれよりも1m位高かった。引潮はこれも又大きく対岸迄の湾内が全部干上った。その間は浜へ下りて魚をとったりして遊んでいたが最も高い潮であった3回目はかなりの早さで押寄せ灣奥の堤防をつきやぶり又測54附近の家を押し流した。この時の高さ地上約2m位。どの地区にも共通して云えることであるが、流失家屋は基礎と土台がボルト締めしてないと云うことである。コンクリート基礎に土台をしっかりボルト締めしてある家は小破壊はあっても流失等の被害はないようである。
この地区では全壊家屋3戸を出した。

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地図 石巻市小積浜
石巻市荻ノ浜

被害の最も大きい地区であり、被害家屋70%位ありその1/3が全壊家屋と云う惨烈さである。
浸水は地上2 2.5mであった。

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地図 石巻市荻ノ浜
石巻市侍浜

部落は谷間の斜面にあるためすぐ海際の数戸のみ浸水した 測57は半壊状態の家屋であったが 地上2m位の浸水を受けていた。

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地図 石巻市侍浜
石巻市桃の浦

この部落も被害が大きかった。湾の正面は堅固な堤防があり、この 部分は浸水のみであったが測58の南の部分及び堤防北端河口附近に破壊家屋を出した。浸水高さは、道路面より1m高い堤防を越え、地上約1.5mに達した。

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地図 石巻市桃の浦
石巻市渡波町

こゝは万石浦と云う。長さ約4 巾約2.5 の湖の入口に出来た町であり、海岸は堤防があり、湖の入口には防波堤がある。
海岸の堤防附近では、堤防面より5寸位下まで潮が来たと云うが、これは乗り越えなかったので町への浸水は、防波堤東側の漁港入口より入った潮によって為された。防波堤上 約30cm位の高さであった由であるが、町の中で測定した結果は、図示のようにかなり低くなっている(防波堤の高さは、T.P. 上 2m80 になっているので、波の高さは堤防上で3.1mと推定される)。
これは漁港の入口が浅く(水深3m位)且つ せまく 流水量を制限しているし、又背後に万石浦と云う水のにげ場を持っているためと思われる。万石橋より約100m下流に渡波漁港修築事務所で管理している検潮儀があり、津浪の状況を記録した。
それより下流150m程に地理調査所水準点5631(1.3477m)があるので測63は海面からの測定とB.M. からの測定とを行った。
その差は7cmで 海面を基準として測定する吾々の方法の精度は この程度のものと推定される。
この様な状況で浸水は海岸沿いの家々に限られ地上約1m程度である。万石橋の附近の潮の流れは非常に早く土地の人の話によると20 /h 位は あったろうと云われる。そして5分毎位に その流れの向きを変えた。このため万石橋は東側の方で橋台が沈下し数日間交通止めとなった。
又漁港入口附近は砂の堆積する箇所で3年に1度位浚渫を行っていたが、今回の津浪の後の海深の測定を漁港修築事務所で行ったところ 3m位の場所が 4mに深さを増しているという結果がでたそうである。引潮は最大の時は 3mの海底が現われたと云う。
万石浦の中は殆んど測定出来るものはなかった。潮は平常の満潮位より 20cm 程度高まった位であろうと云う。
引き潮も大きくなく、沢田附近の話で、 75cm位の振巾で上下した位と云う。

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地図 石巻市渡波町
石巻市市内地区

北上川河口の石巻港を中心に市街地ができているが津浪は防波堤にはさまれた港の入口から侵入して市街地の川沿いの部分に地上1m以下の浸水を与えた。
門脇、魚市場附近に東北地方建設局管理の検潮儀があるがこの記録も引潮の一部を除いて記録がとれている。
この地点で津浪を目撃した人々の話によれば引潮で河底がさっと出た所へ港口から段の様な波が押し上って来たと云う。又測68南方の砂浜は汀線が200mも南に下ったと云う。 そしてその干上った固い砂浜で 子供達が遊ぶ程の時間があり 襲来はじわじわと来た様である。
測68は南方は殆んど障害物はなく外洋に面した浜の値が得られるかと予想したのであったが砂浜は砂丘があり、それをのりこえたものと狭い港口より押入ったものとによる浸水であって、直接外洋に面した所の値より低くなっている様に思われる。

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地図 石巻市市内地区
矢本町大曲、浜

農林省定川農業水利事業所の好意により大曲、浜部落のデータを頂いた。
すぐ海岸に面した場所で 3.1m(T.P.)で検潮儀は河口より約1入った所にあるが、その記録によれば2.0mと云うことである。

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地図 矢本町大曲、浜
石巻市蛤浜

谷間の部落で、多くは高い土地に部落があるので被害は少く1戸が半壊 2戸床下浸水であった。半壊の被害を受けた家で測定したのが測60であるが、これは地上2m近い浸水であった。そしてT.P. 上の波高値に於いてこの測点が女川─石巻附近の最高値を示した。

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地図 石巻市蛤
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検潮記録の比較
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検潮儀記録による波高
むすび

今回の津浪は比較的周期が長く、襲来状況はじわじわと来たものであったが、それでも女川湾、鮫の浦湾或は荻の浜港等に於いては湾奥での波高の高まりが見られる。殊に女川湾奥に於いてはT.P.上4mであり、土地の人の話乃至は写真等により低潮位を考慮に入れると、全振巾7 8mにはなると思われる。
湾外江の島の津浪計は全振巾 2.65m を記録しているので湾奥では江の島附近に比べ約3倍位に振巾が大きくなっていると云える。
又、波高分布で顕著に見えることは金華山の低いところである。
これは、江の島の津浪計記録と鮎川の検潮記録を比較すると波形がかなり相異している。即ち鮎川に於て最大を示す6h 35m 頃は、 金華山の北方海面を代表すると思われる江の島の記録では極大と極大の中間にあたっている。この事は金華山瀬戸を激しい潮流があったことを示し金華山の波高が鮎川より低い値になることが説明し得ると思われる。
牡鹿半島西岸は南より北に行くに従って波高が高くなっていることも顕著な事実である。今回の津浪の検潮記録を見ると女川 ── 石巻間のように短い距離をへだてた各地に於いても波形がかなり変化して居り、遠地津浪の種々な伝播経路による波形の複雑さに加えて、ごく海岸近くの海底及び海岸地形の影響による波の干渉等もある様で、津浪波形を複雑化し、波高分布にそれが現れていることが考えられる。
又、昭和8年の三陸津浪の際の波高と比較すると、女川湾内では、1.2 1.8m 位高い値を示し、鮫の浦湾では逆に0.5m位低くなっている。女川湾は 前回は湾口と湾奥で殆んど 波高が等しかったが今回は稍、湾奥が高くなっているし、鮫の浦湾は逆に前回は湾口より湾奥の波高は2倍位に高くなっていたが、今回は1、5倍位に止まったと云うことがこの結果となったわけであるが、湾の大きさと津浪の周期の関係によるものと思われる。
牡鹿半島西岸では、昭和8年の津浪は比較的小さかったので今回は各地とも前回より高くなっている。殊に、荻の浜港、桃の浦附近は前回より2m 3.3mも高く、被害も大きくなっている。

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被害統計(家及び人命)女川町
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牡鹿町
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石巻市

松島、那珂湊間

東大 地震研究所 羽鳥徳太郎
東大 工・土木教室 高隆二


松島湾内は塩釜をのぞくと、昭和8年の津浪と大体同様の波高で今度のチリ津浪と比較して特異性は認められない。塩釜は塩釜湾航路の三方筋に浸入、繁華街を襲い特に商店の商品、魚市場内の魚を流失せしめた。
福島県、茨城県下の海岸は漁港の岸壁面より数10cm若しくは溢れる程度の波高である。津浪来襲状況は満潮のときの潮のさす如く、ジワジワと盛上り、波高と流速のないのと相まって被害の小さかったことは幸いである。
この区の人々は異口同音に、潮位差の大きいのに驚き、特に引潮のときは岸より100m位の引き、普段見たこともない磯が現われ、老人達もこの現象は未経験と云う。又、引き潮のとき海藻、魚貝類を獲り、再び潮がさすとき、人が逃げ得る程度の速度であったことも共通の現象であった。

1.野蒜

鳴瀬川河口西岸の新町は、河川堤防が高く町は浸水しなかった。
湾に面した砂浜で、護岸より砂浜に通ずる道を潮がはい上り、一部分護岸に潮の痕跡をとどめたものを、土地の人の証言で測定する。
鳴瀬町新町、河川堤防の背面にある農家小山とみのさんの談話によるとこの堤防は6年前に完成津浪当日は山に退避して見ていたが、波は3回堤防上にとび上ったと云う。なおこの地区の浸水区域は洲崎浜より侵入、松原、東名の田畠並びに部落に浸水家屋をだした、その他、宮戸島の部落にも一部の浸水家屋をみる。
野蒜海岸より遠く、カキ養殖に使用する浮タルの浮遊をみたが、これは松島湾から流出したものか明かでない。

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地図 野蒜
2.松島

松島は衆知のごとく、島が多く、海岸に上るまでに津浪エネルギーの消耗大きく波高は渡船場附近の広場に溢れる程度で波は道路までも達しなかった。
昭和8年も同様であるらしくこゝの住民は津浪に対して安心感を藻っている。
観光案内者、佐藤秀男氏の談話によると、第1波は4時、最高は2回目6時15分、深度のある航路沿いに1先のカキ養殖棚附近より白波を立て56分で護岸に到達したと云う
興味ある談話が聞けた。(υ=3m/sec程度)
そのときは、ものすごい濁りを伴い、引き潮は、押しよりまだ速いと云っている。

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地図 松島
3.東塩釜

塩釜市藤倉126,港商事KK内の油・タンクに明瞭な痕跡をとどめ地上1.2m最高波より、第2波の潮目の方が明瞭でその差10cmである。
同社の高橋昌三郎氏の談話によると、最高波5時30分6時で第2波が最高であると云っているが、これは第3回目と思われる。潮の来襲状況は、潮の流れる如く、自転車位の速度であり、周期は30分位で、これがだんだんと長くなり満干の様になって来たと云う。
津浪速度は同社のタンクに地上1.2mの痕跡をとどめたにも拘らず、同社横にある材木置場の材木の流失を免ぬかれたことをみても速度がなかったことがうかがわれる。

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地図 東塩釜
3.塩釜

津浪は航路の三方筋に浸入、灣奥の市の繁華街を襲い、被害地は局部的のように思われる。松島湾航路の遊覧船は、道路又は、川筋に押上げ、波高は、地上1.5m程度にもかゝわらず流速小さく船舶漂流物による破潰の小さかったことは不幸中の幸いであった。
塩釜市役所(5月26日正午現在)による被害調査、次表の通り
死者 2,
傷病者 76、
流失家屋 1,
全潰 15,
半潰 10,
床上浸水 752、
床下浸水 422、
船舶の流失 7,
陸上に押し上げられたもの 48
小舟の流失 61,
橋梁の流失 4
その他 浅海養殖漁業の被害大

4.代ヶ崎

観測点は、東北電力KK横の埋立地、浜の入口は長く防波堤に囲まれ、津浪は埋立地面にも達せず、同社の浸水なし、観測点近くの鈴木きく代さんの談話によると、津浪はザワザワ音をたて、前面の防波堤が見えなくなり、最高は7時頃と思う。
又、昭和8年のときはこの防波堤はなく、同家のエントツの下まで波が来た由。

5.花渕浜

海岸道路に面した家は地上30cm、浸水。渡辺たきえさんの談話によると、最初引き潮で気がつき、最高波は5時30分、潮はカラカラ音をたてゝ来たと語っていた。

6.釣師

釣師浜には、高い海岸堤防が出来ていて、津浪は、これを越えることなく、川より侵入、数軒の家が川から廻った潮でエンの下に浸水した程度である。
浜野正治氏の談話によると津浪は4時30分が最高ジワジワ盛上る如く押しよせ8時30分9時が第2回目で、最高より3尺低く、又、浜にあった漁船は川上に流され、橋で止った。
新地漁業組合寺島丈夫氏の観測記録は次の通り
4時20分 ─── 200m引く
7時00分 ─── 最高
8時40分 ─── 強し(漁舟6杯、転覆)
10時20分 ─── 弱
11時50分 ─── 強


17時30分 ─── 弱

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地図 釣師
7.今泉

この附近の海岸線は崖が海にせまるか或は砂浜は堅固な海岸堤防があり、津浪はこれを乗越える程でない。
今泉には干拓用の掘割があり海の出口に閘門がある。
津浪は、この排水路より侵入したため波高は他地点より低くなっている。
従ってこの部落で浸水した家はない。農業、菅野芳信氏の談話によると4時00分引、5時30分最高、ジワジワ盛り上る如く来て、引きのとき附近の人々は海藻を獲っていたが潮が来て逃げるとき腰までつかり、5分位で来たが、昼頃は周期早く振幅小、形は同様である由。
中磯では80m位引き、押し寄せるとき渦になっていたと語っていた。

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地図 今泉
8.原釜

海岸堤防の中腹まで潮が上った程度。また堤防の建設途上にある部分はテトラポットが海岸沿いに積みあげられていたが、これも流失していない。浸水家屋なし。
漁業、木村留吉氏の談話によると、最高波5時00分、周期1時間位モッコリとしたウネリ状に来襲、波頭はくずれない。100m潮が引き、1尺程のカレー魚が岩にはさまっていた。又速度はのりを取る人が逃げられる程度、昭和8年のと比較して、今度の方が振巾が大きいと思うが、堤防があるため助かったと云う。
又、昭和8年のは最高の引潮が1回だけであった。

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地図 原釜
10.富岡(毛萱)

昭和8年の津浪で佛浜では波高2.7mと報告されているが、今回は護岸が完成しているので、毛萱部落を調査した。
ここも護岸が完成し、聞きこみによると津浪は捨ブロックがかくれたと云い、他の人は護岸の中腹まで達したと云う。
事実場所によって、白浪が護岸天端面にはね上った所もあり、護岸中腹に長く泥土が附着している。
測定当日はウネリがあり渚に立って測量出来ぬため図の如く砂浜の勾配より高を求めたため、測量誤差を伴うが、それにしても、この附近の波高として4.4mは可成り大きく、波は砂浜をかけ上ったため、特に大きくなったように思われる。この附近は台風時大きな波浪が押寄せ、かって護岸外の浜に2軒家があったが流失したと云う。
佐藤光明氏の談話によると最高波は7時30分モクモクと盛上る如く来襲、周期15分昼頃には段々短かくなった。
4 7時波高く護岸にぶつかり波はね上る。この音は護岸より50m距れた家のガラス窓に響き台風のときの違った地響である。
また引き潮は浜より100mも引き、今まで見たことのない海底を見る。そのとき30m先の岩のカニ、豆タコを獲る。大きな引き3回、海は平穏でウネリもなかったが、見ていて恐ろしい感じがした。又水は濁りきたなかった。
昭和8年にはこの様な現象は見られなかったが、明治29年の津波は老人の話で津浪は常磐線路近くまで達したと云っていた。(上記護岸天端面はT.P.上約7mこれを乗越えるとなると可成り大きな波高であるが勿論当時このような護岸のない地形であったから、波高の推定は困難である。

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地図 富岡(毛萱)
11.久之浜

久之浜の海岸は堅固な堤防があり津浪を受けつけなかった。
波高は漁港の市場前岸壁に溢れる程度であった。漁業組合長高木芳郎氏の談話によると大きな始まり3時50分、最高7時40分、引き潮で気がつく、港にゴーッと押し寄せ、引き潮から押しの時間20分川には盛上るごとく浸入した。
10時頃の周期40分1時間位と思う。
翌日の朝まで小さいのが続き、引きのとき港内の底が出る。
又漁獲量が少くなったのは津浪でなく潮流の影響と思う。

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地図 久之浜
12.四ツ倉

漁業の繋船杭の一部分が水没する程度の波高で街には浸水せず、漁業協同組合の松崎重二氏の談話によると、出漁準備中、旧29日なのに、異状な潮の引きに気が付く。4時30分ひき、最大5時00分、大きいものは第1回だけ、20ton底ビキ船のロープ切れ、潮は、わき上りながら港口より入り、モクモクとふえ満潮の如し、舟は岸壁面より高く上り、流されてはと思い、ロープを杭に止めている内、ゴム長靴に水がはいる。引き潮のときは川の流れのように速いが押しのときは貝を獲るものが逃げられる程度の速度、又、舟は上げ潮のとき、港外に脱出出来た。周期は15分位、昼頃は30分間隔と思うと語っていた。
又、海水は黒ばみドブくさかった。
なお出漁中の漁民は津浪を感せず、帰港してから、津浪のあったことを教えられたと云っている。

13.平市沼之内

津浪は砂浜を洗う程度で部落に浸水せず、山野辺森秋氏の談話によると、4時15分6時30分まで7回、最高6時00分、周期7分位と云う。波頭が白くくずれて押寄せる引き潮は100mも引き磯を見て、80才の老人もこの現象は初めての経験であり、昭和8年のも、この様なことはなかった。
赤色に少し濁り、押し寄せるときは音もなく、引くときゴーと音をたて押し寄せの速度は人間の駈るのに間に合わぬ程で引いたとき磯で魚をとっていたものが逃げるとき人によっては胸までつかった。
とにかく普通の潮位よりその潮位差の大きいのに驚いた由。
この地点はまったくの外洋に面し、副振動も考えにくいのにかなり短い周期が存在することゝ遠浅の海水浴場であるにもかかわらず速度は5m/s程度と思はれる。

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地図 平市沼之内
14.江名

この町も港内の岸壁に潮は上らなかった。漁業会の田子四郎氏の談話によると津浪と気がついたのは4時頃で、最高波は8時00分と云っている(特に他点より遅いのが不審である)大は1回、周期15分モクモクと盛り上るごとくさしてきて、港口では乱れず侵入、防波堤は乗越えぬが、工事途中と思われる一部低いところは Over Flow した。
この高さは、岸壁面より50cm高く、潮は岸壁面より30cm低いことから、80cm程度の落差をもって流れこんだふうにみられる。
引き潮のとき70ton漁船のモヤイ網が切れ、50tonの船と衝突した由。
又、引いたとき40tonの船が45°位も傾いたかと思われた。なほこゝでも60才位の人が初めてこの現象を経験したと云っている。(附図P.604にあり)

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地図 江名
15.小名浜

小名浜港内の波高は、一万屯岸壁(港務所の資料によりT.P.上2、13m)にある倉庫内の燐鉱石が床上10cm浸水、漁業組合前及び小名川河口の測定、港内検潮儀の推定読取値(同、検潮儀は最高波高及び最低引潮でスケールアウトしたが、港務所の推定により、最高波2.43m、5時20分、最低引潮3.07m、9時08分)などの位から、港内は一様に2、4mの波高、最高波のとき多くの目撃者により防波堤(T.P.上3.13m)がかくれた事実から5060cmの落差をもって潮は港内に流れこんだように思はれる。
港外の渚地区の測定で1.0m程度の波高で、港内は、それより1.4m程度波高がたかくなっている。このことは津浪エネルギーが港内に溜ったように思われ注目される。然し波高2.4m、周期70分(検潮記録による)、速度が小さく港内岸壁に溢れる程度で被害が小さかったことは幸いであった。
その他、浸水地域は小名川が溢れ流域の低地の一部分に浸水家屋を出し、港外西部の神笑地区の田畠1町歩浸水した程度である。


次に津浪来襲当時の模様を次の諸氏に聞いてみた。


小名浜海陸運送KK桜井芳隆氏談(一万頓岸壁に於て)
5時引き早く、最高波は5時30分、最大一回漁船は朝が早いため港内に入ることができなかった。その様子は頂度満潮の現象に速度が加わったようであり、紙片を海面に落し流れをみたが引き潮が早い。潮が押寄せるとき逃げ遅れたクレーン運転者の膝が水に浸り、又最高波のとき沖の防波堤はかくれて見えなかった。


小名川河口船宿の小高正男氏談
防波堤入口は白く波がくずれ、20ノットの船も乗りきれない程のものすごい速度で押寄せ、2回目の5時15分が最高と思う。潮は鉄橋より100mも引き沖の防波堤の底が見えるような気がした。初めての経験である由。
なお小名浜港務所に、この小名川にはいりこむ津浪の写真、その他江名港、勿来港の津浪来襲の模様を撮影した写真がある。


小名港漁業協同組合小野田基氏談
港内の漁民が、港の異状な引き潮で、さわぎだしたので気がつく。最高波5時00分、潮の周期2030分、午後は60分位、正午の満潮時に第3波と同様の波高があった。
引き潮のとき4060ton漁船のロープが切れ横倒しになる程で、川の流の様である。5時30分の2回目以後これらの漁船は潮のさすとき港外に脱出、潮位差は岸壁で撮影した最高、最低時の写真から判断して5mあると思う。港内の底を見たのは初めての経験である。
小野田氏はこの外当日5時と6時頃の2回に亘り漁協前及び検潮所附近から津浪の防波堤入口に於ける潮の出入を撮影することに成功した。

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地図 小名浜
16.大津

魚市場の岸壁に40cm溢れた程度で町に浸水していない。漁業組合の、永山弘氏、山形巍氏の談話によると最高波4時30分、周期20分、引き潮で気がつき、来襲の模様は、短時間で満潮になる如く、実に静かにヒタヒタとさし色は沼の如く濁る。
7時、港に白く押寄せ、灯台の防波堤かくれる。
潮は港口から扇状に流れこみ、人の駈るより遅い、引き潮のときあわびを取っていたが、潮のさすとき逃げられた。潮のさしたとき港内の漁船は港外の退避できた。
又、昼頃、振巾の小さく周期は変らない。昭和8年のは関係なく7080才の老人も港内の底を見たのは初めてだと云っていた。

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地図 大津
17.久慈

日立港の岸壁に潮が溢れる程度で、町には影響はみられない。日立港務所の谷津所長及び高久工務課長の談話によると、当日検潮儀の故障中で、観測出来なかったことを残念がっていたが、最高波は5時6時の間、大4回、2回が特に大きかった。周期3040分、現象は満干潮の様であったが56のしま模様のウネリ状をみる。
船は潮に乗って退避、白浪なく、くずれなかった。潮位差は4.5m位と思う。津浪後の漂砂の移動は感ぜられぬ。
久慈川河口の漁業組合三代義氏の談話によると、3時30分頃、外の人のさわぎ声で気がつき4時30分に引潮最大波は5時30分6時00分、河口にのぼってくる津浪の模様は大洪水の如く白浪を立てて押寄せるが人の駈る方が早いと思う。最高波は漁業会前の桟橋を洗う。なお、日立漁港の岸壁にあった網を流された。
引き潮のとき、かって見たことのない磯をみた。又、潮のさしてきたとき、河口から外洋に漁船が脱出し得た。

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地図 久慈
18.那珂湊

東那珂地区建設事務所の話では津浪は港内の岸壁面にも達し無かった。なお、同所の管理の祝町検潮記録によると、最高波は5時35分、T.P.上1.25mを記録している。なお、同所にて(撮影地点地図参照)上げ潮と引き潮の比較対象した興味ある撮影がある。
那珂港海上保安署金子啓一郎氏の談話によると、河口にはいる津浪は磯波と変らぬ程度で音もなく入り、速度は7ノット位と思う。大水のときは56ノットで津浪の方が早い、それでも川の中の水は乱れている。又引くときは、より早く、あれ程ひけたのを見たことがない。色は黒く濁っていた。
河口は水路部の測深によると3月3日、最干潮面上2.50mであったものが津浪後4.20m4.60mと深くなる。


次に同署が、量水標による観測をかかげる。
T.D──O基準[那珂湊]
但し、検潮記録の0はT.P.上0、883mとする。(量水標の0と検潮記録の0は等しい。)

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地図 那珂湊
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量水標による観測
あとがき

松島──那珂湊間の波高は、直接太洋に面したところが1.5m、港湾のセイシュの影響などが含まれると思われるところが2、5m程度である。
この波高を昭和8年の津浪と比較すると今回の津浪は大体+1.0 1.5m、釣師今泉が1.0mとなる。(左図参照)
最高波の到着時刻はききこみによると5月24日4時30分8時00分の間にばらつき一様でない。
検潮記録によると小名浜那珂湊の初動は押し波ではじまり、両点とも3時00分である。従ってこの区間では初動の到達時刻が南北いずれが早かったか云い得ない。

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地図 昭和8年の津浪との波高比較

房総半島

東大地震研究所 山口林造
同 岡田惇


銚子から千葉まで房総半島の海岸一帯についての調査した結果について報告する。われわれの調査した地域は被害の少かった地方であり、津浪の波高を求めるにも所謂痕跡というものはほとんどなく、僅かにそれらしいものとしては海岸に打寄せられた藁が形成していた汀線ぐらいのものである。それ故各漁業組合での聞き込みからの測定が多い。
今回の調査に於て聞き込み事項から一般に云えることは、前兆の様なものは4時前後に感じていたこと。最高波は5時から6時ぐらいまでに来襲しているが、明確な時刻及び第何波目かについては決定しかねた。それから先ず引き波で始まったことが、何處に於ても非常に強く印象づけられていたのは、大体満潮時であった為とも云えるし、又引き潮の最大は平常時における干潮より更に大きく引き、今迄見たこともない個所が露出されたことにもよるであろう。間隔は長いので4050分、短いので1020分が何回となく続き、異常は翌日まで感じられたこと、来襲の模様はモクモク、ジワジワであり、沖の方は屏風が立っている様であったこと、引き方は河の流れる如く、湾の形によっては渦を巻いていたことである。これらのことは検潮記録と比較することによって、聞き込みの精度がどの程度のものかを知り得るかと思う。
漁業に従事する人達は2時或は3時頃からではじめ、既に沖合にでていた人も多く、それらの人達にとっては、とりたてゝこれと云ったものは何も感じられなかった様である。一方まだ準備中であった人々は異常を感ずき適当な処置をとった為、漁船の被害を非常に少くしたことは不幸中の幸いだった。その他、特別な事項については各場所で記述することとする。

銚子港

ここでの船舶の被害は30屯級の大型かきがら採取船一隻が浸水沈没又川口町沿岸附近にはかなり土砂の堆積があり、5000程度の浚渫を必要としている。
利根川流域に沿って建設省所管の検潮儀がいくつかあるが、その中、川口町のは船の衝突で使用不可能になった。しかし竹町にあるのでよく記録されている。
銚子市三軒町〃長塚町茨城県鹿島郡波崎町荒波
以上いずれも検潮記録はとれており、銚子港にあるのと合せて利根川流域への津浪の影響を推察することができる。それらから簡単に主だった第1波から第6波までの各々の伝播速度を求めると、4.0、4.8、,5.3,7.7(最高波高の第4波)10.0、 8.3、 10.5m/secになり一日位たって又遅い方に戻っている様である。精しい検討は後日にゆず,りたい。,

波崎

検潮儀が故障であったので聞き込みから最高波高を決めた。,

黒生

防波堤、護岸などの損傷が数十米あった。,

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地図 黒生
犬吠岬

燈台附近で釣人一人が行方不明になったと伝えられている。又近くの岸壁にも可成りの被害があった様である。

長崎町

津浪来襲の方向は北方であった。こゝでは浸水家屋15軒、しかしそれらは非常に海岸に近く而も低地にあった為、波浪の結果と見られる。床下僅かに痕跡を残している家屋もあるが、それは凹地に溜った水によるものであり、測定対象としては岸辺の高さから見当をつけた。こゝだけは今回の調査で、地響をたて凄い音を聞いた唯一の個所である。恐らくは強く波浪が家屋防壁の石垣に一斉にぶつかった理由かと思われる。

外川港

水深23mの湾内から引潮でほとんど底を露出した。3屯の漁船が一隻沈没、一名死亡、又港内を漂流していた船もあったそうである。

犬若町名洗港

布良とともに此の調査の基準となる検潮記録がここで得られた。来襲時刻は2時40分、最高波は5時26分で2.09mを記録していた。

飯岡海岸

年間4m程も浸蝕されると云う屏風が浦を東に、そして九十九里浜の北端に位置する当海岸は、その波浪に於て、九十九里浜の荒波として聞えており、平静なる日は殆んどなく常に12mの波高を有していると云われている。その様な地域的な特殊性は津浪の最高波高に於ても、聞
き込みではあるが、他の個所に比べ1m余り高く測定している。
被害は図示してある如く護岸前面の捨方塊(10屯と4屯)及びテトラポット(4屯)が約160個津浪によって移動したとのことである。然し常時における影響も又幾分負担している様に思われる。又平松海岸にある木造三角枠が約280mの延長に亘って損傷した。

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地図 飯岡海岸
栗山川

漁船8隻(12屯級)損傷、相当流れが強かったらしく、1隻は河口より1、2隻は700m上流に押し流された。詰杭護岸の欠壞、ブロックの倒壊、捨石の流失など数十万円の被害があったと見られる。然し津浪の最高波高は河口より400m離れた地点での測定なので低くでている。

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地図 栗山川
作田川

現在、左岸の護岸工事の施工中で、幸い検潮記録を得た。来襲時刻は2時40分、最高波は5時13分である。記録の後の部分には不審な点が考えられる。此の附近は所謂砂浜で河口附近の流路は、いろいろな影響で変動し易い。津浪当時に於ても左岸は相当に土砂が削られて、シートパイルに、杭が頭を出し被害も少しあった。逆に右岸に堆積した土砂
は調査当日、目前で川の流れに依って、くずれ落ちて行くのを見た。

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地図 作田川
白子

剃金納屋附近は非常に低地であった為、浸水家屋は県道を境に海岸側で床上13軒、逆側で床下14軒を出している。田の冠水は50町歩、畑は36町歩にもなっている。県道も35mにわたって少し損傷した。これらは水が低地に沿って侵入したと思われ、被害が思わず大きくでた様である。又漁船の被害も大破2隻、中破1隻、小破6隻であった。

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地図 白子
一の宮

かって、ここでは検潮儀によって観測されていたが、3年程前から徹去されてしまった。
測定個所は入り込んだ河口から約1離れているので最高波高も可成り低い。

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地図 一の宮
大原漁港

最高波の時は荷上場をこえ、漁業組合事務所近くまで浸水した。土木出張所では10時の最干潮時で突堤で測定、1.3mA.P.まで潮位は上ったそうである。これを名洗の検潮記録と比較して最高波は1.8mT.P.と推定。これは又、最高波の突堤を基準にしての聞き込み値と一致した。

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地図 大原漁港
御宿漁港

ここで始めて可成り早くから津浪到着を感知していたことを知った。即ち、3時前後幸勝丸が浜岩船沖合500600m附近の地点を南下中に可成り異常な引潮を感じ、到着迄に20分要する処を約30分費した。又4時に起床した人は既に潮の到来あるを知り、丁度その時は引いて行くのを見た。半時間程して152mの高さで押して来たので、船の危険を感じ引上げた。港内に於ては北方向から来て渦を巻いていた。魚揚
場で最高波を測定。大原と略同じであることを知った。

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地図 御宿漁港
勝浦港

津浪の最高時、南の防波堤(3mA.P.)は越えなかったことから、港内における岸壁での測定は0.3m程高くなっていることが分る。又最も引いた時には御千代が島まで陸続きになったと云われている。

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地図 勝浦港
興津港
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地図 興津港
小湊

5時頃には既に4回目の波があったと聞く。その頃、潮の引いたときには、船を浮ばす為に平常よりシラを45個多くを要したそうである。そのことから大体0.50.6m余分にいたことが分る。最高は6時頃であったようである。
突堤及び吉田屋旅館下附近の藁の跡で測定する。

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地図 小湊
天津港

最高波はよく分らないが8時半頃の引潮が平常より1.5m程余分に引いたことからして布良の検潮記録に照し最高波高を推定した。

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地図 天津港
鴨川

ここの海岸では最高波の跡を示す藁による汀線が割合に綺麗に描かれていた。これと加茂川河口にある石垣にはさまれていた藁、更に最高波は川に沿って出ている堤防すれすれであったとの3点から略一致した高さを測定し得た。このことは今後海岸に打上げられた藁の汀線が最高波の高さを決める有力な手懸りであることを我々に感ぜしめた。
ここでは沖に出て網を張って居た人々には4時前から浮標相互の高低から異常を感じて居た様である。又朝方に潮の引くのを見て貝等を面白がって取りに行く程、波の周期が長かった話を聞いた。

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地図 鴨川
江見漁港
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地図 江見漁港
和田

既に3時半頃、置いてあった船がシラと共に少し下降して居り異常のあることを知ったとのこと、8時から9時位まで図示の個所で干満差が測定せられていた。又近くの砂浜に於ても干満差が2.6mと測定せられていた。それらから最高波が布良と同様であることを推定した。

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地図 和田
千倉

8時頃から土木出張所の方で、次の様に潮位の観測が行われていた。
護岸天端が+2.5m(東京湾中等潮位は+.978mとして)
8時 押+0.85m 引 0.45m 潮差 1.3m
10時 +0.20 0.45 0.65
11時 +0.29 0.09 0.38
15時 +1.14 +0.90 0.24
これらの記録を布良の記録と対応させるにはいささか困難であるが、8時の観測からは布良と略同じであったと推定される。4時半頃から騒ぎ出したそうで、5時位には相当引いた様である。
最高波に関してはききえなかった。

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地図 千倉
乙浜
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地図 乙浜
野島崎
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地図 野島崎
布良港

名洗港と共にこの調査における基準となるべき検潮記録が得られているが、名洗港のそれと比較して特に異ることは、干潮時にむしろ最高波の時以上に異常波高を有したこと、又、次の満潮時にも2度目の最高波を記録した点である。次に港内が真黒な汚れと化したことは、他の港湾では聞き得なかったことである。

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地図 布良港
坂田

砂浜の藁から最高波と、それより約0.2m低かった2つの汀線が明瞭にでていた。

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地図 坂田
館山
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地図 館山
船形港
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地図 船形港
富浦港
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地図 富浦港
勝山港
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地図 勝山港
吉浜
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地図 吉浜
金谷

ヘリーボートの発着所わきの岸壁に最高波の位置が白線で示されてあったので、それを測定、海岸に於ける藁による汀線からの測定と一致していた。又、海岸の砂浜には津浪当時の主だった高さの汀線と思われるものがいくつか残っていた。その中藁によるものが最高波1.6mの他に1.3、1.0mのたかさのものもあった。

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地図 金谷
荻生漁港

最高波は第3波とのこと。1沖合に出ていた人にも感じた。港の入口一帯に砂が溜り浅くなったとのこと。

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地図 天羽町荻生漁港
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地図 竹岡漁港

海岸でやはり2つの汀線を測定し得た。それらも0.3mの高さの差を有していた。このことは布良の検潮記録からも伺い得る。湊川に沿って鉄道及び道路橋の近辺で存し家屋を出した。これらは引潮の時に押え切れず溢れ出たものと考えられる。

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地図
富津港
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地図 富津港
木更津

新田で床下浸水約50戸を出している。

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地図 木更津
長浦

農林省干拓建設事業所の検潮儀があり、一週間捲きの記録で到達時間も明瞭には決定し得なかったが、然し最高波及びその後の変化に於て近くの測点の基準にとることを得た。

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地図 長浦
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地図 金杉
千葉港

検潮儀が故障して最高波はとり得なかったが、9時頃から正常に働き東京及び長浦の記録と比較して最高波を推定した。

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地図 千葉港
終りに

今回の調査にあたり、千葉県庁河港課、各土木出張所、銚子市役所、建設省銚子出張所、運輸省名洗港工事事務所、気象庁富崎測候所、農林省長浦干拓建設事業所、千葉港建設局及び各漁業組合の多数の方々から非常に多くの御援助を頂きましたことに対し、厚く御礼申し上げます。

三浦半島、浜松間

東大 理学部 寺本俊彦
同 永田豊
同 須藤英雄
同 竹田厚

St.1横須賀市田浦

津浪来襲当日、Kelvin式検潮儀は取り外されていて、代りに本多式(沈鐘型)検潮儀が作動していた。精度は余りよくないように見受けられた。即ち記録の一部は飽和していて山がつぶれている所もある。

St.2横須賀市川間

久里浜の運輸省、運輸技術研究所内にはFuess式検潮儀が備えられており、津浪当日、良好に作動していた。信頼度は高いものと考えられる。

St.3油壺
St.4葉山町、鎧摺港
St.5大磯町

大磯町漁業会社、社長の話。24日は5時から6時の間に満潮になる筈なのに、4時半過ぎ舟を出そうとした際、異常に潮が引いているのに気がつく。水位は、通常の場合より2、50mは引いた。30分後にはその日の満潮位より1m上った。津浪は、12時頃までかなり大きく、夕刻にも認め得る
程度続く、当時の推定潮位(伊東検潮所)から推定すると
最高水位 1.20m (A.P. 上)
最低水位 2.30m
最も引いた時は、カブト岩、および突堤のつけ根があらわれた。

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地図 大磯町
St.6真鶴町

真鶴町漁業協同組合での聞き込み。24日朝4時頃船を出そうとして異常を知る。第一波最高は4時30分頃、満潮面上約90cm(だいたい岩壁の天端まで)、引いた時は大潮の最低位より1520cm下った。第二波は6時50分頃引き始め満潮時位の水位、引きは普通の干潮時程度である。
当日の推定潮位(伊東)から推算すると、最高波潮位はA.P.上1.30m、最低潮位は1.20m位であると推定できる。

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地図 真鶴町
St.7熱海市網代

網代漁業協同組合における聞き込み。5月24日朝岩壁に横づけして荷揚中の漁船が急にひいた潮のため出港できなくなったことで気づく。(午前6時頃)、しかし間もなく潮満ち始めその船は出港したが、結局午前5時半から7時半位の間に2・3回(多分3回)干満があり、その間における最高(波)潮位(波)潮位の差は約2.7m。(岩壁に目じるしをつけて測定した所)午前7時半以後にはそれ程顕著な潮位の上下なし。

St.8伊東市
St.9河津町今井浜

津浪当日午前6時半頃から7時半頃の間の潮のひいた所を見はからってサザエをとりに海へ入ったと云う伊豫部良之輔氏の話。「バカに潮がひいたのでサザエでもとろうと海へ入った。潮はぐんぐんひいて何時もは見えない(今まで見たこともない岩)まで見えた。之はおかしいと思った。サザエを1個ひろった。間もなく(2・3分すると)急に潮がみちて来た。波は1つもなく、まるで池のようだが潮はぐんぐん満ちて来て腰まで水にひたり、更にのどの高さまでおしよせ、とうとう背が立たなくなって、潮にのせられて砂浜へ上げられた、砂浜までの距離は約6070cmだったが潮のふえてくる勢が大きくて潮に運ばれて砂浜へ上ったような恰好になった」尚彼は其の後近くの岩の上で潮のようすを見ていた由だが、それによると午前8時30分頃潮はひき、すぐ又満ちて来て午前9時05分頃満ちて来その後は大きなひきはなかったとのこと。
尚、東大地球物理学教室、日高研究室で河津浜(今井浜)へ備えつけてあった津浪計は、設置場所、帯域濾波器機構等に改良の余地はあるが、一応津浪を記録した。

St.10大島野増

長浜市氏談。午前6時頃から潮の異常な満ち干に気づく。初めは引きであった様に思われる。周期は1020m。又rangeは1m位。このため海岸コンクリート工事不可能、上述のことば堤防上につけたマークによって観測。

St.11大島波浮港

漁業組合長談。引きが大きく(大潮の時の干潮より大)目立った。普通干満の差(range)は150cm位(大潮の時で180cm位)だがこの日は90120cmで最大値が210cm位であった。周期は23時間位。それが午前中一杯でおさまった。波浮水産試験場の話では普通の干満と大差なしとのことだった。

St.12大島差木地

漁業組合での話。引き潮がいつもより強かった程度。北からの潮流大きく漂流物の多いことに気がついた。天草取作業できず。

St.13大島泉津

漁業組合、門井兼五郎氏談。引きが目立ち周期は約60分、rangeは1.30m位、午前5時の放送から測定し始めたが午前6時40分までは平常通り上げ下げの概略は次図の如し。

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上げ下げの概略
St.14静岡県賀茂郡下田町下田魚市場(砕氷塔下)

最高波高T.P.上1.75m
証言により柱の最高潮位を示す位置に佐藤明洋丸船長が目印をつけておいたその線の高さを測定、岸壁上の幅約10mぐらいの道路に直接面したコンクリートの外壁で、痕跡なし。
近くのSt─1517の3点に比し約30cm高い。直接面しているためしぶきなどのため高くなった可能性あり。なお魚市場での浸水高は(土間かと思われる)、次の通りであったといわれている。
5月24日 17h 30m (最高) 55cm
16h 50m 45cm
05h 30m 40cm (第3波)
04h 30m (05h30m と同程度)

St.15 下 田 町 田牛屋船食店付近路上

最高波高 T.P. 上 1.28m
道路面上 すれすれに 浸水したと 田牛屋船食店の証言( 里船長より伝聞)もとづき、田牛屋東方( 岸壁から約50cm )の道路面の高さを測定。

St.16 下 田 町 大工町 臼井繁太郎方

最高波高 T.P. 上 1.23m
土間入口の「ここまで浸水した」という高さ(路上数cmの敷居)を測定、痕跡なし。岸壁から約20mの距離(細い路地を通り斜に道路を横断して測量)。最高潮位に達した時刻は24日 16h 30m から17hまでの間、16h 40mぐらいであろうとのこと。

St.17下田町大工町654坂野方

最高波高 T.P. 上 1.32m,
土間入口の「ここまで浸水した」という高さを測定(路上数cm)、痕,跡なし。岸壁から約10mぐらいの距離にあり。,
弁天橋を通る道路をはさんでSt─16とほぼ対称の位置にあり、この道路,は両測点を通る道路との交叉部で約40cmぐらい盛り上っているので、鵜,島橋方面より浸水したものと思われる。St─16,St─17両点とも浸水高に関しては付近の他家の証言とも一致しており、十分信頼し得る値であると,考えられる。,

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地図 下田町 St.14〜St.17
St.18下田海上保安部警備救難課,

課長・課員の話を主に、船員、地元民等の話を加え、水路部測量船明洋,丸船長佐藤孫七氏のまとめた内容を記すと、次のようになる。,
下田海上保安部調べによる津浪来襲状況は次の通りである。
04h30m頃第1波来襲干満差約1.52.0m
04h55m第2波来襲第1波よりやや弱し
05h30m 第3波来襲 第1波と同程度
06h 32m 津浪警報発令
以後一時観測中止
13h 32m 下げ潮
13h 41m 上げ潮 交互に上げ下げをくり返し、
13h 49m 下げ潮 潮高差 約1.5mくらい
14h 00m 上げ潮
潮 位(水面から岸壁までの高さ)
16h 00m 下げ開始 0.75m
16h 05m 上げ開始 2.75m
16h 10m 下げ 〃 1.64
16h 23m 上げ 〃 2.78
16h 32m 下げ 〃 2.03
16h 36m 上げ 〃 1.80
16h 40m 下げ 〃 1.40
16h 48m 上げ 〃 2.73
17h 01m 下げ 〃 1.38
17h 08m 上げ 〃 2.58
17h 14m 下げ 〃 0.70
17h 25m 上げ 〃 2.50
17h 35m 下げ 〃 1.33
17h 45m 上げ 〃 2.00
18h 35m ものすごくひいた(最大にひいた)どんな大きな波が来るかと思ったら、普通の波しか来なかった。(津浪は大でなく普通の高さであったが速かった。ビットまできた)(図参照 図入るのところー水深2m以下ーがほぼ干出)
高潮性の津浪であった。30トンぐらいの漁船が第1波で座州しても、次の波で船が浮いたらそのまゝ沖合の安全なところへ出港できた。
船舶の被害なし。たヾし流れ速く、多少のけがをした船あり、流れの方向は南北。
げんかい(巡視船450t型)は沖合に退避した。瓜木崎南方5milesの地点で漂泊、昼すぎ帰港しようとしたが、乗組の1人が風波もウネリも全然ないから(NE5m/s)津浪はまだ続いて襲来しているから入港はだめだといい、船長は思いとどまった。事実そうであった。
大走島と防波堤との間に、船からみると、沖から寄せてくるとき、11.5mの水面差があった。
下げ潮のとき6ノットの船(巡視艇)が動かなくなった。その場に停滞、大走島との間に風力4ぐらいのときの波がたった。25日12hごろまで80cmぐらいの昇降が10分ぐらいの周期で続いた。稻生沢川(いのおざわがわ)が歩いていかれた。スズキ、セイゴ、ウナギ、ハゼがとれた。発光現象・音なし
下田港の総合考察──5月24日の満潮は03h49m、17h21m、干潮は10h18m、22h36mで満潮の潮位は2回ともほとんど等しい。したがって最大潮位は17h前後で振幅2m程度、これに次ぐ極大が16hすぎ、04h30mごろ、および05h30mごろにいずれも振幅約1.52.0mぐらいで起ったと推定される。満潮の時刻を考慮すると振幅の最大は05h30mごろであろう。(第3波)。また当日は04h30mころから18hごろに至る間の振幅の変化は比較的小さく終日1.5m前後と考えられる。

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地図 下田港
St.19賀茂郡下田町鍋田、東京教育大臨海実験所前砂浜(聞き込み測定)

痕跡なし、実験所の人の記憶による。被害、その他、変った現象なし。

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地図 釜田
St.20、21賀茂郡南伊豆町湊海岸(聞き込み測定)

同海岸(砂浜)東端の磯でアワビの養殖をしている。青木正好さんの話。
砂浜に打上げられている数条のゴミの列の中で一番上の列が24日
朝の最高潮位の汀線を示す、(幅は0.3cm1m位で上下の高さの差は数cm程度、上側を測定(説明図)約
200m隔った2点で測定。T.P.上1.79m、1.84m)時刻は0505h30m頃と思われる。下方のゴミの列はその後の満潮或は風浪によるもの。
24日07h頃見たところでは非常なナギ(それ以前は子浦(後出)へ行っていて不在)この海岸は台風(特に暴風半径の大きいもの)の接近の際は非常に高い波が打ち寄せる(青木さんの話より伊勢湾台風の際にはT.P.上約5mの波であったと推定)。

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地図 湊海岸
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地図 湊海岸説明図
St.22、23賀茂郡南伊豆町長津呂舟曳場(聞き込み測定)

遊覧船、伝馬船の船主の話24日05h頃舟曳場に上げてある伝馬船の底が半分水に浸る程度だった
(T.P.上0.73m)、又向って左側の石垣の上から5寸下迄来た。(T.P.上0.68m)
津浪であることを知って舟を上にあげたが前記以上の潮位にはならなかった。
こヽは深い入江の奥で、普通でも波が入って来る事は殆んどない。
24日朝も、波、流れ等変った現象もなくじわじわと“鑑のような水面”が上っては引いた。周期不明
尚、1923年の関東大地震のときにはT.P.上3、5m程(話から測定)で住家にも浸水した。戦争中特攻隊基地ができて土砂が海底を滑り台状に埋めたため、海底はかなり変った。

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地図 長津呂港
St.24賀茂郡南伊豆町子浦(聞き込み測定)

前記湊の青木さんの話から推定
24日05h頃商用で子浦にいた。岸壁天端に置いた単車が大潮で転倒した(05150530)水深は車輪の直径2尺程あった。岸壁の天端の高さは普通の大潮のときより1.5尺上である。その後湊からの電話で津浪と思い急いで帰った(推定T.P.上1、60m)。

St.25賀茂郡松崎町

最高波高T.P.上0.45m
煮干を干していた人たちの“対岸の岸壁のぬれているところまで来た”という証言にもとづき、その高さを測定。幅約100mの河口の左岸。
最高波高の起時は05h少しまえより08hごろまで、以後も小さいのがくり返された。振幅は1.5mぐらい。ひきの方が大きい。

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地図 駿河港
St.27清水市新港町8(検潮所)

位置は図に示すとおり、最高波高T.P.上0.45m
清水海上保安部当直の人の話は次の通り、24日04h20mごろ高潮があり、富士製糖より、いつごろひくかという問い合わせがあった(04h45m)。するとほぼ同時に伊藤鉄工よりひいたという知らせがあり、外へ出るとものすごくひいている。ただちに横浜の保安本部へ問い合わせてみたが未だ情報はいらず、05h30mになりはじめて津浪情報がはいった。第1波の山は04h30mごろと思われる。
静岡県清水港管理事務所日直の人の話最高潮位は04h30mごろで、干満差は3mに達し、貯木場防波堤をこえた。04h36mの満潮時にはすでにひいていた。周期は04hごろ08hごろ1520分、08h10hごろ20分、貯木場くい180本中130本うき、材木は10万本あったがとび出して、3m/secぐらいで流失、また商船大前の真珠・カキ養殖場は全滅、巴川沿岸に浸水家屋200戸を出したが、これは下水からの逆流による。

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地図 清水港
St.28焼津市焼津漁港内防波堤内側(静岡県焼津漁港修築事務所検潮所)

検潮記録5月13日24日(1週間巻)写し、記録紙のとりかえを忘れたため2重書きになって不明瞭な箇所もある。
最高潮位は同所基準面上+2.10m(24日04h00)で同所推算潮位+1.50mより0.60m高
同所基準面はT.P.上0.90m、よって最高潮位はT.P.上1.20m、最低はT.P.上1.04m、09h50mであった。
港内に、はげしい流れがあったが被害はなかった。

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地図 焼津漁港
St.29榛原郡相良町萩間川河口(聞き込み測定)

相良町漁業協同組合での5人の漁師の話を綜合すると。最高潮位は河口の護岸のカサ上げ部分の下から2寸というのが目撃した2人の一致した記憶(測定T.P.上1.36m)。
最低潮位は普通の干潮の汀線より6700m沖迄引いた(24日05h15m)・海面は珍らしいナギであった。・周期、10m1hの間という人が多い。但し引いてから満ちてくるまでは、誰もが数分に感じられた。
海鳴を聞いた。それによって異様さを感じ浜へ出た(1人)。同町地頭方では平均潮位より約2m引いて海底から岩礁脈が現われた。最高はその前後の満潮潮位より約1m高かった(07h頃)。
被害なし。50才位の漁師は一生に1度の見ものだったと云っていた。

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地図 相良町萩間川河口
St.31小笠郡大浜町千浜(検潮所)

菊川河口より941mの右岸にある量水標。
なお、ここから更に1Km余上流の左岸に国安自記量水標があり、最高は1.06mとなっているが、干潮時で河面が当時T.P.上約20cmとなっていることから、河口での波高より少し高くなっていると考えられる。

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地図 小笠郡大浜町千浜
St.32磐田郡福田町豊浜(検潮所)

太田川河口から約約1Km上流の左岸にある量水標、水位は海面とほとんど変らぬが、干満が1時間くらいおくれる。

St.33浜名郡舞坂町(検潮所)
St.34浜名郡新居町新弁天(検潮所)

ともに浜名湖入口付近にある。入口は堤防が200m開いているだけ。St.34の方が、St.33に比して通常干潮位で5080cm、満潮位で10cmくらい低い。

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地図 浜名郡新居町新弁天

八丈島

東大地震研究所 羽鳥徳太郎


八丈島神湊検潮所(管理者 水路部、観測者:八丈島水産試験所)の記録によると第1波は2時21分押し波で始まり、第4波の5時00分が最高波、周期40分、55分。最高波の潮位差65cmである。
この記録を1952年11月5日カムチャツカ津浪のときの中部太平洋Guam、JohnstonIs.などの記録と比較すると、周期4050分、全振幅数10cm程度の島特有の非常に類似した記録を示し興味がある。
最高波の到達時刻は島内一様に5時00分で部落による相異はみられない。

1.神湊

多くの漁民の證言で最高波高は港内の岸壁天端に溢れた程度で時間は5時頃、12時頃も大きかったが干潮時であった。16時の波も護岸天端に溢れたそうである。
東京都港湾局八丈島出張所佐藤良二氏は、この日、東京よりの定期船が来る日なので、5時頃港付近を散歩していたところ、その日は珍らしく朝焼で御蔵島が良く見え、東海汽船の椿丸が豆粒の如く見えた。5時30分頃港外1kmにカヌーが3バイ出ていたが、なぎにも拘らず、カヌーが見えなくなり、またしばらくすると、又見えだすので不思議に感じた。又、カヌーの人はあわてた気配を感ぜず、津浪の上に乗っているとは思っていなかったのであろう。更に通稱軍艦岸壁は普段ウネリは何個かの波模様をみるのだが、それが一様に大きく上ったり下ったりするので、更に不審に思い東海汽船乗り場付近で誰かが明神礁のときもこんなだと云っていたので、このとき初めて津浪であることを知り港で観察する。又八重根港の潮位観測のため所員を派遣する。
この時波の様子は(地図参照)漁船溜入口の丸太はすごい勢いで出入し、渦の中心の丸太は垂直に立った。外洋に面した湾奥では、水はスリバチ状に中央が凹み廻転する様子がよくみえた。
津浪と知ってから、港内で周期を観測し始め、10分位程度と思っていたところ同港内にある水路部検潮記録によると4055分周期で短かい周期がないので、実測との違いを不審に思っている。なお5時55分本船に向うハシケは、フルで運転しても進まず、次の引きのとき押し出された様なかっこうで進み得た。
(検潮記録の送り速度が遅くこの港内のセイシュが数分程度の周期は重なって読みとれぬ。地震研究所高橋研究室の観測によると神湊のセイシュは5分である。又、実測では長い周期は見落されてしまう様である。従って各地域で聞きこむ周期は同地区のセイシュを知らされることが多く。今度の津浪の1時間以上の周期を目測した所はすくない。)

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地図 神湊港
2.八重根

特に引き潮が大きくて、津浪と感じたのでなく、ラジオ放送で初めて知った人が多かった。
奥山安夫氏の談話による。港に5時30分頃下りて行き、当日はウネリもなくなぎの日なのに護岸が潮でぬれているのに不審を抱いた。78分の間に45回波が押しかえし、その次ぎ5分位静まると又初めの状態を繰り返し、上げ潮遅く、下げ早く、潮位差は1m位であった。そのときは音もなく白波も立たなかった。(この談話による周期は港の早い数分の波を観測したようである。地震研究所高橋研究室の測定によると、八重根の周期は2.5分及び6分。)同氏は更に、明神礁の津浪(ベヨネーズ付近の海底爆発に伴う津浪)(1)と比較すると、あのときは今度のより引き潮大きく、港の水がなくなるのではないかと思う位潮が引き、港内に水の流れがあったが、今度のはそれもなく、ラジオ放送があるまでは津浪とは思わなかった。
西浜春美氏の談話によると、船揚げ場から船を下そうとしていたとき、この津浪にあい、最大波は5時00分と云っている。この時間は神湊の検潮記録と一致している。そのときの周期30分、潮位差2m、ゆるやかに盛り上り静かなものであった。
小林誠一氏の談話によると、港の上で見ていたのでは津浪といわれてみなければ判らぬ位である。なお同氏は大正7年の小笠原津浪(1)を父島二見港で体験したと次のように述べている。
二見港内の倉庫は内地と同様海面より1m位の高さにあり、その日の正午頃津浪のとき倉庫内の船は流失、泳いで行って船を取り返した。波高2m(地上1m)。周期20分位、港内に音もなく静かに潮が上り、浅い所は川の流れの如く潮が引き、水深2mのところが干上った。オク村に帰化人,部落があったが、一面の海となり、後で家屋内の痕跡を見にいったことが,あったが、流失家屋はなかったと。,
以上のように今回の津浪と比較している。,その他八重根では過去数百年前、前崎浜(現在東京都港湾局に於いて漁,港建設のため浚渫工事を実施中)の奥深くまで津浪が襲ったという伝説、,があることを聞き、こゝも津浪来襲地として例外でなく、島の開発に伴い,津波対策は忘却出来ない。,
(1)諏訪彰 1953 明神礁の海底噴火について、 地学雑誌 Vol. 62, No.3
(2) 雑録 1918 得撫島及父島の津浪、 気象集誌 37巻、 337,雑録 1918 北海道得撫島沖に発せる地震、 東洋学芸雑誌 35巻、446号 676,
次に東京港湾局八丈島出張所、小野靖夫氏は、八重根商港入口(地図参照)で、8時30分 ── 9時30分、 15時50分 ── 16時50分の2回に亘り津浪を観測した記録を示す。

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地図 八重根港
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八重根
3.末吉、洞輪沢

津浪は海岸道路面まで達せず、漁民の證言で防波堤天端面より2尺程上ったと云い。一方船揚場に於ける浸水線を指したが、2点とも大体同一平面にあり、信頼度がある。
この漁港はやヽ遠浅で島内の他点と違い引き潮のとき、港内が干上り、漁民がいち早く津浪と気がついた点が特徴である。又波高は島内でもっとも高く2mであったが、この港背面は崖に囲まれ、津浪退避路がなく、地形的に非常に危険であり、十分な警報対策が必要である。
末吉漁業組合に於いて、沖山末喜氏その他漁民の談話によると、4時頃魚網を乾していたとき、小さいのが来た。その頃網を引いていたが、ナギで静かな海であるにも拘らず網が強く引かれ手ごたえあり、4時30分に一番引き潮となり津浪と気が付く。最高波は5時00分と思う。
漁業組合では津波と知り海上を注意していたが、周期は5分位の波が繰返し、それに30分のがあった。
速度は人の駈ける方が早く(磯の岩などの障害物で実際には駈ける方が遅くなるのではないかと語っている)。押し潮より引き潮の方が早い。港内は大きく渦を巻き、見ていて恐ろしい感じがした。又8時頃でも防波堤の天端面がかくれ、夕方まで続いていたが、段々おさまって来た。
大正12年の関東地震のときも同様に引いた。今回は明神礁のときより津浪大きく、そのときの周期は早かった。
末吉にある八丈島灯台長田辺保三氏の談話によると、この灯台は海抜96mであり、特に海上を注意していなかったので津浪の状況判らず普段と変らなかった。なお同氏は昭和8年の三陸津浪のとき、岩手県崎灯台(海抜58m)にいたが、そのときも地震は大きく感じ灯台の灯が消える程であったが、津浪のあったのを知らず、その附近で食料品を買いに行ったりする姉吉は当時60戸の部落であったが全滅し部落は大きな玉石だけ残り、土もない河原と化し、発動機が山の上に乗揚るのをみて非常に驚いた由。
灯台より近くの浜を見ていれば津浪来襲を知ることが出来るが、洋上だけ見ていても判らないのではないかと言葉を結んでいた。

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地図 洞輪沢漁港

第4部 静岡、和歌山間

名古屋大学理学部 飯田汲事・島津康男
青木治三・熊沢峰夫
太田裕・成瀬聖慈

緒言

1960年6月24日早朝発生したチリ地震津波に対し、今回わたくしたちは静岡県浜松市以西愛知県及び三重県の太平洋を経て和歌山県周参見に至るまでの地域を調査したので、その概要をここに報告する。
静岡県及び愛知県の分は現場にも赴いたが主として檢潮儀により調査し、三重県鳥羽付近より和歌山県潮岬付近に至る区間に主力を注いで調査した。したがってここに述べる報告も非常に詳しい部分とそうでない部分とがある。なお資料として若干の寫眞等があるがそれらは省略した。

記事

静岡県の部

S─1 舞坂檢潮所(檢潮記録参照)


S─2 新居檢潮所 〃


S─3 浜名湖周辺 〃


S─3.1 水族館檢潮所(檢潮記録参照)


S─3.2 舟着場 〃 〃 三メートル檢潮儀


S─3.3 佐浜 〃 〃


S─3.4 堀江 〃 〃


S─3.5 気賀 〃 〃


S─3.6 鵺代 〃 〃


S─3.7 表鷲津 〃 〃

愛知県の部

A─1 赤羽根海岸
5月24日9時頃には
高潮
低潮
周期 40分程度


A─2 伊良湖檢潮所(檢潮記録参照)


A─3 福江 〃 〃


A─4豊橋 〃 〃


A─5 前 芝 〃 〃


A─6 形 原 〃 〃


A─7 矢作古川鉄橋下流 100m
測定時間 潮位(T.P. 上)
5月24日 5h 25m 1.95m
5 35 2.45
6 05 2.55
6 10 2.45
6 15 2.25


A─8 一色町藤江
測定時間 潮位(T.P. 上)
5月24日17h 27m 2.49m
17 33 1.94
17 42 2.65
17 57 1.57
18 08 2.35
※ 24日17h以前の測定その他の資料はない。
18h 14 1.89m
18 20 2.15
18 25 2.35
※ A─7、 A─8 共に岡崎土木調査資料による。


A─9 西尾海岸
偏差 080m(下り)周期 30分
護岸測定;5h 30m の水位 +1.60m


A─10 幡豆海岸蜆川
偏差 085m ;17h 05m の水位 + 1.40m


A─11 衣ヶ浦水位観測所 (檢潮記録参照)


A─12 師崎檢潮所 〃


A─13 名古屋檢潮所 〃


A─14 鍋田干拓地 (潮位観測曲線参照)
測定日時 潮位(T.P. 基準)
5月24日10h 00m 0.30m
11 00 0.68
12 00 0.40
13 00 0.65
14 15 1.00
15 00 1.80
15 15 2.10
17 00 2.30
17 30 2.50
18 00 2.40
25日04h 15m 2.32m
4h 30m 2.40m
5 00 2.45
5 15 2.50
5 30 2.55
24日 07h 50m 及び 09h 50m に0.5mの水位上昇あり


A─15 木曽川左岸 木曽岬村 (潮位観測曲線参照)


A─16 弥富 ( 〃 〃 )


A─17 ※ 新川日之出橋 下流147m
測定時間 波高(T.P. )
5月24日 5h 35m 1.37m
6 00 1.36
6 30 1.44
7 30 0.51
8 00 1.53
9 15 0.92
9 40 1.02


A─18 ※ 庄内川明徳橋 上流 16m
測定時間 波高(T.P. )
5月24日 4h 50m 1.75m
5 06 1.86
5 54 1.68
6 10 1.99
7 30 1.09
8 00 1.59
9 20 0.75
9h 40m 0.89m
※ 共に庄内川改修工事事務所よりの資料、各々の記録は極値(山 or 谷)に対するものである。

三重県の部

M─1 桑名市周辺


M─1M─1 横滿藏檢潮所(檢潮記録参照)


M─1M─2 長島海岸(潮位観測曲線参照)


M─1M─3 吉之丸檢潮所(檢潮記録参照)


M─1M─4 城南海岸


M─2 四日市檢潮所(檢潮記録参照)


M─3 千代崎
三重県土木部調査


M─4 白子


M─5 津檢潮所(檢潮記録参照)
24日7h迄時計がstopしていて、最高波高、同来襲時間等不明。
県土木部調査によれば津港奥部で maxM─2.14m(T.PM─基準)


M─6 松阪檢潮所(檢潮記録参照)


M─7 宇治山田市二見(附図参照)
海岸堤防現場の宮本組重城氏の測定による。
C点まで水がたまりその痕跡高を港湾基準上から求め3.20mとえた。
痕跡を付けたものは24日05h40mのものでそれ以前は気附かず、ほヾ西より来潮。


M─8 鳥羽市周辺
[概況]
5月24日早朝に高潮が押し寄せた。その時この附近は滿潮時であった。高潮の襲来回数は6 10回程度。潮の引くのが特に目についた様子。早朝のため津浪の最初を見た人は殆んどいなかった。時計を持っている人はなく。来襲時間、周期に関しては極めて不正確である。


M─8M─1 鳥羽市小浜町(附図参照)
住民の指示によって岸壁に付いた痕跡を測定。かなり正確である。


M─8M─2 鳥羽市小浜町南(附図参照)
砂浜に置かれた舟の底が最大波高に一致するとの指示によって測定。


M─8M─3 鳥羽市北(附図参照)
ヘイに附着した痕跡による。不明瞭。


M─8M─4 鳥羽水族館裏手(附図参照)


M─8M─5 鳥羽檢潮所(檢潮記録参照)


M─8M─6 鳥羽海上保安庁前(附図参照)
保安庁職員の記録によれば岸壁上0.2 0.3mの時が最大であるという。潮流速度は6 7ノットであった。


M─9 答志(附図参照)
今回の津浪は防波堤をこさなかった。一寸した低気圧でも防波堤をこす。伊勢湾台風踏査報告 StM─450の地点。


M─10 和具(附図参照)
A、B2点で別々に測定。24日06h頃異状に水面上昇。しかし、09h の方が高かったという人もある。家の土間面迄は来なかった。津浪が引いた時間には丁度桟橋の底部が現われた。


M─11 今浦(附図参照)
痕跡はかなり明瞭である。
第1波 06h
第2波 08h30m 09h 痕跡はこの時のもの。
津波の引いた時は前方の入江が皆底を露出。この時1人でろを漕いでも流される位の流速だった。 Amplitude は3ヒロ位という人もある。


M─12M─1 本浦 (1)(附図参照)


M─12M─2 本浦 (2)( 〃 )
第1波 04h 30m
第2波 06h ─ 最大波高
第3波 09h


M─13 石鏡(附図参照)


M─14 的矢湾周辺


M─14M─1 国崎町


M─14M─2 相差町(附図参照)
海岸にある舟の底部迄来たのが最高であるという。図中の岸壁では痕跡は判然としなかった。流れはかなり早かった。


M─14M─3 岬蛸町(附図参照)
最高潮位の来襲位置は漁夫3人に別個に聞いた結果による。


M─14M─5 堅子町漁業組合前(附図参照)
組合員の指示によって岸壁の痕跡を知る。かなり正確。


M─14M─6 堅子町対岸
04h 20m 頃上げ潮で始ったという。


M─14M─7 的矢町漁業組合前(附図参照)


M─14M─8 的矢檢潮所(檢潮記録参照、附図参照)
京都農地事務所々属のもの。こそ檢潮記録とは別に附図中のscaleによって目視観測をしたと思われる記録があるが、兩者は一致していない。


M─14.9.1 三箇所 (1)(附図参照)
住民の指示によって外壁に附着した痕跡を測定、かなり正確。


M─14.9.2 三箇所 (2)(附図参照)


M─14.10 渡鹿野橋(附図参照)
道路面と同じ高さ迄来たという住民の指示による。最大波の来襲時は夕方であるという人がある。周期は不規則で5分 15分という。潮流はかなり早い。


M─14.11 渡鹿野島対岸(附図参照)
真珠業者に聞く。04h 10m 頃上げ潮で始まり最初の4回が特に大きい。最大波は4回目。夕刻でも Amp.は2m以上。
25日
朝 1.5 2 m
夕 1m
26日は AmpM─小さいが潮流はかなり強かった。27日夕刻消滅。
附地図中P点では引き潮が最大8ノット。(24日06h 30m頃)
Q点では流れは小さくR点の被害は少ない。


M─14.12 安乗港(附図参照)
第3波が最大(05h)。これと同程度のものが3回続く。
Amp.
24日 昼 1m 以上
24日 夕 1m 程度
25日 消滅
附地図中N点では渦がみられた。こヽでは上げ潮が速く、浮灯標が400m流されている。


M─14.13 甲賀(附図参照)
04h30m 頃頃第1波。 2 or 3波が最大波。この程度のものが数回あったという。これらは周期40分 60分、昼頃にもAmp.=2mの波があったが、一般には09h頃より次第に小さくなる。09h 14hの間、周期短かく20分、以後再び長くなり60分程。
Amp.
24日 夕刻 0.5m 程度
25日 夕 小 ─ 潮流普段より大


M─16波 切 港
漁業組合専務に聞く。
第4波が最高波、第1 6波位迄は殆んど同規模。
Amp.
08h 1m
昼 0.5m
夕 小
※ 和具漁業組合にてこの地域の様子を聞く。それによると、
上げ潮 15分間
引き潮 5 10分
のため引き潮が非常に早く間崎島近くでは9ノットの船が全速を出しても流された。特に水道では大きく、このための被害が大。
F点 流速 大
附地図上
L点 潮流が乱れ、各所に渦を形成。


M─17 船越(附図参照)
目撃者殆んどなし。25日にもかなりのAmp.があった。


M─18 和具外港
第3波が最大波。4波以後も昼頃迄2 2.5のAmp.で続く
Amp.
25日1m 潮流大で沖合の島でも海女の潜水不可能。
26日 小 潮流が認められた。


M─19 英虞湾周辺


M─19M─1 御座港
漁業組合員に聞く。
Amp.
24日 昼迄 2m
〃 夕 1m
26日 0.2 0.3m
26日 夕 小
潮流
上げ潮 6ノット
引き潮 10ノット


M─19M─2 和具内港
真珠業者による。。
24日 夕 1m 以上 周期は次第に長くなったが最初は30 40分。
25日 1m 程度
27日 認めうる 潮流殆んど認められない。
28日 小


M─19M─3 大王町船越(附図参照)
人家外壁に明瞭な痕跡があり、 これを測定、 信頼性は大きい。
周期は始めの5波頃まで20 30分程度。
Amp.
24日 夕 1 1.5m(2m が1回あった)
25日 夕 認められる
地図上L′点 3ノット程度
潮流
〃M点 小


M─19M─4 立神大戸(附図参照)
壁の痕跡明瞭、 第1波が最大。周期40 50分程度。次第に長くなり、60分以上にもなった。この入江では水深が浅く潮流は2ノット位。部分的には渦も生じた。


M─19M─5 阿児町神明(附図参照)
この地点では津波の来襲は満潮時とほヾ一致していた。5時以前は目撃者なく不明。第4波以後は急激に小さくなったという。
24日夕刻には大体津浪はおさまる。地図上B点は引き潮が速く、第3波によってイカダが6 7km流された事から判断して5 6ノットの流速と考えられる。上げ潮はおそくイカダは動かなかった。
部分的に渦を認める。


M─19M─6.1 阿児町 神明賢島(1)(附図参照)
第1波。2波の引き潮は平常の潮位程度。第3波が最大。昼頃には衰ろえ(Amp.ー 0.2m)夕刻まで続く。
尚附地図参照


M─19M─6.2 阿児町 神明賢島(2)
三重県土木部調査


M─19M─7 間崎島(附図参照)
第1波は 03h 30m 頃。小さなAmp.を繰り返し、06h 30m 頃最大波高。07h頃引き潮が烈しく流速最大となった。以後周期30分で大きい波が4回(AmpM─2m)。夕刻AmpM─1m 周期30分。25日も1日中流れが認められる。附地図上G点は水道になっており流れが速かった。(特に引き潮が速い)


M─19M─8 鴉方福川原(附図参照)
引き潮が速く、 附地図上A地点で5 6ノット。上げ潮はこの半分。25日にも潮流は認められた。
第1波引き始め 04h 10m 時刻はかなり正確
〃2 〃 〃 04h 40m
以上眞珠業者の指示による。


M─19M─9 浜島町塩屋(附図参照)
測定は以前漁業組合にいた人の指示による。引き潮については竿で測定。舟で夜釣りをしていた人の言によれば引きで始まったという。
※ 測定の精度は靜かな湾内では一般によい。(護岸壁の痕跡が明瞭であるから)しかし外洋に面した所では目撃者も殆んどなく測定の手掛りとなる対象が貧しい上に、波も荒いため精度は落ちる。
※ 被害については
1)波高よりもむしろ潮流の速度に関係する。
2)從って被害は湾内に限られる。
3)湾内でもその地形的因子が最も影響するものと考えられる。
a)比較的幅広く深い水道を持つ奥深い入江では被害が特に著しい。
(船越)
b)狭く浅いところは被害殆んどなし。(阿児町神明)
c)広い所でも水深が小さく、 且つ水道からはずれるところは被害小。
(間崎H地点)
d) 地形(海岸線)が複雑で屈曲の多いところは渦が生じやすい。
(附地図上L地点)


M─19.10.1 浜島町 浜島(附図参照)
三重交通鵜方 ─ 宿田線、バス停浜島より東約30mの護岸。護岸の東方100mのところで最大流速5ノット(推定)


M─19.10.2 浜島町 縣水産試驗所北(附図参照)
居住者数名の指示による。
第1波 1.3m ±10cm(観測時潮位上)
〃 2 〃 ?
〃 3 〃(Max)1.75m ± 5cm( 〃 )
引き潮の方が大きい。第3波は05h前(ラジオがなっていなかった)。


M─19.10.3 水産試驗所南
縣水産の裏手より南100mの燈台迄コンクリートの突堤があり、その突堤上のクイの下側に藻がかゝっていて東向きに流れた事を示す。
※ 潮位計資料
浜島町南東約2.9に御座港あり。そこでの平均の干滿差=2.10m.


M─19.10.1 、M─19.10.2 のほヾ中間の点の護岸はT.P.上2、29mであり5月30日 17h 45m の海水面より測って2.05mである。


M─20 浜島町南張前川橋 photo(附図参照)
第1波 ?
〃 2 〃 1.55 m (観測時潮位上)
〃 3 〃 (Max) 1.82 m ( 〃 ) 橋のたもとの石による(農協の人の指示)x2の点では、これより 0.15m高い.流れは第2波が最大であったが、それが引く前に第3波が来たので潮位は第3波が最大となった。


M─21 南 勢 町 地 域(五ヶ所湾周辺)


M─21M─1 南勢町田曽浦桟橋 (附図参照) 観測時
photo 潮位上
第1波 04h 30m に電話連絡ある。 桟橋面(上に干した魚が中央に集る) 1.35 m
〃 2 〃 〃 面上 0.1m 1.45 m
〃 3 〃 (Max) 最上段のクズ 2.01 m
〃 4 〃 第2 〃 〃 1.44 m
〃 5 〃 桟橋面 1.35 m
潮流は激しい時で 25km/h
24日10h頃 6ノット
漁業組合常務の話によれば
第1波 桟橋を越えない。
〃 2 〃 (Max) 桟橋より01m高い。
〃 3 〃 第2波とほヾ同じ。
であるという。


M─21M─2 南勢町神津佐39 河村勝之方 (自転車屋) (附図参照)
第1波 04h 15m頃 路面一杯 (=第2波より 0.94m低い)
〃 2 〃 (Max) T.PM─上 3.55m ( 五ヶ所土木出張所測定 )
〃 3 〃 第2波より 0.3 m 低い
前川左岸幅約20mの堤防決壊がある。


M─21M─3 南勢町五ヶ所漁業組合室内及び外側モルタル壁 (附図参照)
第1波 04h 30m 05h 床上一杯(居住者の指示)T.PM─上 2.40m
Max 〃 2 〃 1時間後 室内外壁痕跡 〃 3.08m
〃 3 〃 更に 〃 室内 (居住者の指示) 〃 2.88m
護岸の高さは南勢町五ヶ所土木出張所資料による。
※ 尚土木出張所の時間測定資料をあげておく。


M─21M─4 南勢町高浜 高浜橋北東約20mの小屋 (附図参照)
第1波 引き 3h 55m 4h 00m Maxより 0.27m 低い
〃 2 〃 4h 30m 〃 0.15 〃
Max 〃 3 〃 6h 2.96m (観測時潮位上)
堤防を5回程乗り越えた。夕方 6h には0.6m程over、我々の測点の北約 100mで五ヶ所土木出張所の測定があってT.PM─上3、05mである。高浜橋上で我々の測点と五ヶ所土木の測った地点の最高潮位の差をポケットコンパスを使って求めると、五ヶ所土木測点最高潮位=我々の測点最高潮位+18cmである。但し誤差は ±10cm程度。


M─21M─5 南勢町内瀬 (附図参照)
津浪調査用アンケートに対する解答。突堤に付いたゴミによるという。その結果はかなり信頼出来る。
第3波
Max 05h 頃
第4波
第3 4波によって船が堤防に上ってそれ以後動かなかった。


M─21M─6 南勢町迫間浦
五ヶ所土木出張所測定。
迫間居住者によると Max は第2波、doubleーAmpM─は 4.5 5m流速4 5ノット。第3波は Max より 0.2m低く。 4波は更に、1.2m低いという。


M─21M─7 南勢町南海中学校北方坂道 (附図参照)
この点の最高潮位は伊勢湾台風の最高潮位の高さを松の木にD.H.W.L.=2.70mと記した高さと同じレベルである。


M─21M─8 南 勢 町 南海中学校東方約80m (附図参照)
第1波 2波より 0.30m 低い 教員の記憶
Max 〃 2 〃 1.53m (大潮滿潮面H.W.L.上)
第3波 2波と殆んど同じ。 教員の記憶
〃 4 〃 2波より約0.4m 低い。 〃 〃
12波まではMaxより1.40m以上は低くない。
AmpM─2.5 m
中学校に宿直した教員は東方より雨のような音を聞いたという。


M─21M─9 南勢町 磯浦巡航船船発着場 (附図参照)
第1波 3h 30m ?
Max 〃 2 〃 4h 過ぎ 1.70m ± 5cm (測定時海水面上)
〃 2 〃 1.34m ± 5cm ( 〃 )
※ H.W.L = 0.28m + 測定時海水面
潮流の最も烈しい時で12ノット程度。引き潮が烈しく、最も引いた時はL.W.L(大潮干潮面)より約1.5m下。


M─21.10 南勢町相賀浦 (附図参照)
横賀漁業組合横 測定時
第1波 4h 05m頃 Maxより13cm下(附近の人の指示)1.17m±5cm 海水面上
〃 2 〃 4h 25m 30m 〃より41cm下 ( 〃 ) 0.89m±〃( 〃 )
Max 〃 3 〃 4h 50m 5h 00m ( 〃 ) 1.30m±〃( 〃 )
〃 4 〃 1波とほとんど同じ
MaxM─AmpM─3m
この地点の南東約100mで五ヶ所土木出張所が最高潮位を測定して
2.50m(T.PM─上)
を出している。これは漁業組合より05m以上高いことになるが、この辺は局部的な地盤沈下が激しいので詳細は不明である。


M─22M─1 南島町阿曽浦表 (附図参照)
最高潮位は5h 30m 頃で古い突堤(T.PM─上 2.16m)をこえていた。これが第2波か3波かは不明。
※ この地点における津浪の来襲を8mm 撮影した人がある。詳細は不明。
阿曽浦南島町役場中島 ─ 連絡所 橋本光次


M─22M─2 南島町阿曽浦北側巡航船船着場 (附図参照)
田中氏宅が床下浸水。潮高は居住者の指示による。
第1波 4h 20m ? 1.80m±5cm(測定時海水面上)
〃 2 〃 3波と殆んど同
Max 〃 3 〃 (コンクリート面) 1.90m±5cm( 〃 )
〃 4 〃 1.50m±10cm( 〃 )
神前土木出張所資料によればコンクリート面はT.PM─上 1、60mである。


M─23 南島町道方船着場(附図参照)
巡航船々長の指示
第2波 5h 15m 前 1.86m(測定時海水面上)
Max 〃 3 〃 1.99m( 〃 )
〃 4 〃 1.46m( 〃 )
MaxM─AmpM─2m


M─24 南島町慥柄浦(附図参照)
附近の人の指示
第1波 1.77m(T.PM─上)
Max 〃 3 〃 3.40m( 〃 )
2、3波は0.3mも違わない。神前土木出張所資料によって防波堤の高さが5.00m(T.PM─上)と知れている。


M─25 南島町 神前漁業組合横(附図参照)
最大潮位は第3波でT.PM─上1.16m。1波は3波より0.2m2波は0.1m夫々低い.T.PM─上3.85m の突堤は南島町土木 出張所飼料による。約100m南の神前247. 浜地次郎氏宅の家の中では
第1波 Maxより0.78m下
〃 2 〃 Maxより0.13m下 第1回は第3回より20cm下(目撃者の指示)
Max 〃 3 〃 第2回 〃 9cm下(目撃者の指示及び壁に痕跡)
床上浸水 178戸 床下浸水 150戸


M─26M─1 南 勢 町 棚橋 (1) (附図参照) photo
南島町西農業協同組合前
第1波 4h 30m 頃 1.92m(T.PM─上)
〃 2 〃 4 50 1.97m( 〃 )
Max 〃 3 〃 痕跡 3.19m( 〃 )
〃 4、5 〃 1.63m( 〃 )
2.07m(T.PM─上 )は南島町土木出張所資料による。
最高潮位は 伊勢湾台風最高潮位より約0.23m低い。
13号 〃 〃 0.21〃 〃


M─26M─2 南勢町 棚橋 (2)


M─26M─1 より約150m南東の地点。 南島町新桑磯崎九三郎氏宅では第3波は第1波より 0.96cm高い。これがM─26M─1 の第1波の高さ1.92mに等しいと考えれば、最高潮位 = 2.88m(T.PM─上 )
干滿潮位表(磯部土木出張所資料による)
H.W.LM─T.PM─L.W.L.
鳥 羽 2.14m 1.04 0.00
宇 治 山 田 2.00 1.00 〃
松 阪 港 2.57 1.26 〃


M─27 紀勢町地域


M─27M─1 紀勢町錦町 (1) (附図参照)
自転車店内壁上の痕跡(明瞭)による。


M─27M─2 紀勢町錦町 (2) (附図参照)
漁具倉庫外壁(トタン)上痕跡による。


M─27M─3 紀勢町錦町 (3) (附図参照)
錦町郵便局附近住宅の木のヘイ上の痕跡(明瞭)による。この最
高潮位の外にこの痕跡下 0.26m 及び 0.46m にやヽ不明瞭な痕跡
がある。


M─27M─4 紀勢町錦町 (4) (附図参照)
漁業組合屋内壁の痕跡による測定


M─28 長島町地域


M─28M─1 長島町名倉 (1) (附図参照)
住宅戸袋上痕跡(明瞭)による。海岸より15mの地点。


M─28M─2 長島町名倉 (2) (附図参照)
倉庫側壁上の痕跡。 海岸より5m。


M─28M─3 長島町名倉 (3)
尾鷲土木出張所調査による結果


M─28M─4 長島町長島 (1) (附図参照)
電気屋の向いの倉庫壁上の痕跡(明瞭)による。


M─28M─5 長島町長島 (2) (附図参照)
物置内板壁上痕跡らしいものを附近の人が最高潮位の痕跡と云う。
他の聞き込みとも余り違わない。


M─28M─6 長島町長島 (3)
長島魚市場。尾鷲土木出張所調査。


M─28M─7 長島町海野 (1) (附図参照)
海女のたまり場附近の海岸に打ち上げられたわらなどのゴミによる。


M─28M─8 長島町海野 (2)
海野漁港。尾鷲土木出張所調査。


M─28M─9 長島町古里 (1)
海岸に打ち上げられたわらなどのごみによって推定。


M─28.10 長島町古里 (2)
古里海岸。尾鷲土木出張所調査。


M─28.11 長島町道瀬 (附図参照)
道瀬区長が防波堤の石垣に付けておいた印による。正確である。


M─28.12 長島町三浦 (1)
神社前の海岸に並んだ松葉の列による。


M─28.13 長島町三浦 (2) (附図参照)
南海大地震(1944)の時の津浪の最大波高が松の木に印してあった。これによれば今回の最高潮位は2m程低くなっている。


M─28.14 長島町三浦 (3) (附図参照)
防波堤内側の民家の外壁についた痕跡による。波は川をさかのぼってかなりの距離を逆流した。


M─28.15 長島町三浦 (4)
砂浜に並んだ松葉の横列。


M─28.16 長島町三浦 (5)
三浦漁港。 尾鷲土木出張所調査。


M─29 海山町北部地域


M─29M─1 海山町白浦 (1) (附図参照)
家屋・外壁上の痕跡(明瞭)による。
キキコミM─29M─2 海山町白浦 (2) (附図参照)


M─29M─3 海山町白浦 (3)
白浦漁港。尾鷲土木出張所の調査。


M─29M─4 海山町島勝 (1) (附図参照)
家屋内壁及び柱、窓ガラス上の痕跡 (明瞭)による。南海地震(1944)の津浪による荒壁上の 図 入 る 701の三痕跡が同じ所に残っており、今回より 0.75cm高い。


M─29M─5 海山町島勝 (2)
物置壁、タールを塗ったトタン板上の痕跡(明瞭)による。


M─29M─6 海山町島勝 (3)
島勝漁港。尾鷲土木出張所調べ。


M─30 尾鷲湾周辺


M─30M─1 海山町南部地域


M─30.1.1 海山町須賀利 (1)(附図参照)
家外壁の痕跡による。海岸から15mの地点。(居住者は室内の疊の面が最高潮位であるというが、これは外壁の痕跡より25cm 高い)


M─30.1.2 海山町須賀利 (2)(附図参照)


M─30.1.3 〃 (3)( 〃 )
家屋のドアーにインクで記された印とそばの壁の痕跡による。
(兩者は一致)


M─30.1.4 海山町須賀利 (4)(附図参照)
仕事小屋の壁の痕跡(明瞭)による。


M─30.1.5 海山町須賀利 (5)(附図参照)
小屋の黒い壁についた痕跡(明瞭)による。


M─30.1.6 海山町須賀利 (6)(附図参照)
住宅側壁上の痕跡。この最高潮位の痕跡の下 11cm、20cm の
別の痕跡がある。


M─30.1.7 海山町須賀利 (7)(附図参照)
船着場附近の漁業事務所の壁に残された痕跡(明瞭)による測定。


M─30.1.8 海山町須賀利 (8)
須賀利漁港。尾鷲土木出張所調査。


M─30.1.9 海山町矢ノ口 (1)(附図参照)
事務所外壁上痕跡(トタン)による。充分正確である。


M─30.1.10 海山町矢ノ口 (2)(附図参照)


M─30.1.11 海山町矢ノ口 (3)
矢ノ口漁港。尾鷲土木出張所調査。


M─30.1.12 海山町生熊(附図参照)


M─30.1.13 海山町引本 (1)( 〃 )
巡航船キップ売場荒壁及び柱上の痕跡(明瞭)。1部には堤防の決壊があった。


M─30.1.14 海山町引本 (2)
漁師が防波堤の上面より下15cm 迄潮高が来たという。他の人も似た説明をなす。


M─30.1.15 海山町引本 (3)
引本港。尾鷲土木出張所調査による。


M─30.1.16 海山町渡利 (1)
居住民の指示によって家屋外壁上の印を測定する。


M─30.1.17 海山町渡利 (2)(附図参照)
かさ上げのしてある住宅の入口にある石垣の下迄潮がすれすれに来たが石垣はぬれなかったという家人の指示によって測定する。


M─30.1.18 海山町白石湖 (1)


M─30.1.19 海山町白石湖 (2)
小屋の前の石垣を対象として指示された高さを測定。


M─30.1.20 海山町白石湖 (3)
屋内にすえ附けられた機械とその台を示して、その所有者は台迄は海水が来たが機械はぬれなかったという。


M─30.1.21 小山と相賀の間
海岸の砂浜に散乱したワラ、藻くず等の分布から推定した。


M─30M─2 尾鷲市地域


M─30.2.1 尾鷲市水地(附図参照)
漁師の家の踏石まで来たという家人の報告による。他の人の証言も同じ高さを示す。南海地震の時の最高潮位は納屋内部の荒壁に僅かに残る痕跡から判断して今回より66cm 高い。


M─30.2.2 古里(1)
新築■倉庫屋内板の上の痕跡による。


M─30.2.3 古里(2)(附図参照)
附近に居住する老人の指示によって石垣の該当の高さを測る。
東海地震の際は今回より1.12m高い。


M─30.2.4 天滿浦 (永井鉄工所)(1)
住居及び工場内壁の痕跡による。(明瞭)この痕跡下16cmに別のものがある。南海地震津浪の高さがペンキで記してあり、これは今回より1.66m 高い。


M─30.2.5 天滿浦(2)
永井鉄工所東30mの商店の窓ガラスの痕跡(明瞭)


M─30.2.6 天滿浦(3)
鉄工所西100mにある家の戸袋上痕跡による。


附記
M─30.1.19 海山町白石湖 (2)
南海地震の時は石垣下が浸水の上限であって、このことから今回の津浪より50cm程低かった事になる。非常に稀な例である。独立に2人に聞いた結果。


M─28.13 長島町三浦 (2)
松の木のほかに海岸より30m奥の民家の壁に残った南海地震と今回の津浪との痕跡から、その差は2mで、今回の方が低かった。


M─30.2.9 尾鷲檢潮所
こゝで檢潮儀とは独立した実測した結果。以后は観測をやめる。
※ 1)この観測は海上保安庁尾鷲の港北口において行ったもの。
2)4h 24m 以前に小津浪の来襲があった模様であるが観測はない。
同じ点から4h45m 5h40m 頃迄写した Photo 10枚一組がある。


M─30.2.7 尾鷲市街
魚市場前交番内痕跡による。(明瞭)


M─30.2.8 尾鷲市港出張所
屋外痕跡による。


M─30.2.9 尾鷲港檢潮所(檢潮記録参照)
尾鷲港土木出張所調査結果。


M─30.2.10 尾鷲市矢ノ浜(附図参照)
住宅 (住人なし)の窓ガラス上の痕跡 (やゝ不確)による。


M─30.2.11 向井(附図参照)
段々畠の中、第3段は無事であるが第2段は作物が枯死している。その畠の持主の言によれば第2段へは僅かに海水の浸入があった。


M─30.2.12 大曽根浦 (1)(附図参照)
住宅の前の特徴ある石の一つが最高潮位に該当するという指示による。


M─30.2.13 大曽根浦 (2)
倉庫外壁(トタン板)の上の痕跡(明瞭)による。


M─30.2.14 紀伊松本
木造倉庫外壁上の痕跡(明瞭)による。
※ 以上紀勢町 ─ 尾鷲の附近は一般に痕跡がかなり明瞭に残存している事及び南海地震津浪などを経驗しているために、住民の津浪に関する知識が普及されている事とのために、我々の測定の精度にはかなりの信頼を置く事が出来るものと考える。


M─30M─3 尾鷲市南部地域


M─30.3.1 九鬼
漁業組合で聞く。第1波来襲4h30m頃、以後単純に増水したという(?)最高潮位はL.W.L +3mという。午後 16h以後は殆んど衰えた。河口近くでは最高潮位 3.5m 4m (L.W.L上) ともいう。 一部に被害があった。 20回程度の繰り返しを数えた。


M─30.3.2 早田港
最高潮位はL.W.L より1.5m程度。 5h 頃


M─30.3.3 三木浦 (1)
港の入口。 この地の土木技師が実際に測定したものの check。
1.40m(T.PM─上)


M─30.3.4 三木浦 (2)
三木浦漁港。尾鷲土木出張所調査。


M─30.3.5 三木里 (1)(附図参照)
湾奥、最高潮位は5h 頃と聞く。周期 20分程度の繰り返しが著しい。今回の津浪による異状は25日12h頃迄目視で充分観察されていた。 引き潮の最も烈しかったのは5h前後であってL.W.L より下へ1m程度下ったという。附図に当地の津浪浸水区域を示した。


M─30.3.6 三木里 (2)
三木里漁港。 尾鷲土木出張所の調査による。
第1波 4h 30m 頃


M─30.3.7 古江
尾鷲土木出張所調べ。


M─30.3.8 賀田港 (1)
最高潮位 5h 30m 15m (H.W.L 上) この値は既知標高からの中学校生徒の測定結果を check したものである。


M─30.3.9 賀田港 (2)
尾鷲土木出張所の調査。


M─30.3.10 曽根漁港
梶 賀 〃 尾鷲土木出張所の調査。


M─31 熊野市地域


M─31M─1 甫母漁港 (1)
24日 9h 現在ではAmpM─2m前後且つ周期20分程の変動を示す。


M─31M─2 甫母漁港 (2)
熊野土木出張所調べ。


M─31M─3 二木島 (1)
二木島小向。 24日 5h 頃引潮が顕著。
24日一杯異常が認められる。
24日 7h 7h 30m 頃 H.W.L 3.5m (Max か否か不明)
以上は旅館に聞く。


M─31M─4 二木島 (2)(附図参照)
二木島小向。 漁師、 中学校先生に聞く。
第1波 4h 5h 頃
津浪の流れの方向附図に記入しておいた。
最高潮位 6h 20m 2.50m (測定時潮位上)


M─31M─5 二木島漁港 (1)(附図参照)
湾口附近の防波堤建設工事の人に聞く。
最高潮位 2.8m (測定時潮位上)
〃低 〃 2.0m ( 〃 )


M─31M─6 二木島漁港 (2)(附図参照)


M─31.5 より少しく湾奥へ向った地点。
二木島漁港組合で聞く。
最高潮位 2.8m (測定時潮位上)
〃低 〃 2.0m ( 〃 )
一部分眞珠イカダが流されかけた程度である。


M─31M─7 二木島漁港 (3)(附図参照)
湾奥、河口の近く。漁師の指示による海岸の石段についた痕跡を測定して、
最高潮位 2.1m (測定時潮位上)
〃低 〃 2.0m ( 〃 )


M─31M─8 二木島漁港 (4)
熊野土木出張所調査による。


M─31M─9 遊木漁港 (1)
市役所の話
24日 9h 現在ではAmpM─25m前後の潮位で変動している。
この時間以降平常に回復しつヽある。
漁師の説明によれば
第1波 5h 30m
Max 〃 2 〃 7 30 H.W.L 2mの増加
AmpM─2m程度の波は10回程来襲した。特別に来襲方向に決っていない。
※ 二木島檢潮所は観測休止中。


M─31.10 遊木漁港 (2)
熊野土木出張所調査による結果


M─31.11 新鹿漁港 (1)
津浪の来襲時に起きていた漁師の説明による。
第2波 5h 30m 頃
最高潮位 6h 6h 30m H.W.L 1.5m
5h 7h頃迄は周期は30分程度である。以後15分位に短くなった。


M─31.12 新鹿漁港 (2)
熊野土木出張所調べ。


M─31.13 古泊漁港 (1)(附図参照)
漁業組合調べ
第1波 4h 30m 5h
最大波高は既知標高(H.W.L)より測って1.5m。又最低はL.W.L上 ─ 1.3m程度。大きな波は10回位繰返す。
10h 以前 10分 (?)
周期
10h 以後 4 5分 (?) 段々早くなる。
湾口、湾奥の如何による潮位の偏差は見られない。


M─31.14 古泊漁港 (2)
市役所で聞く。
4h 30m 頃 異常を認める。
以後25m(H.W.L上)の潮位を見たが10h 30m 現在では1m程で変動を続ける。


M─31.15 古泊漁港 (3)
熊野土木出張所調査による。


M─31.16 大泊港
市役所で聞く。
第1波 4h 30m
〃 2 〃 5 00 周期 10 15分 (?)
最大波高 4h 30m 5h H.W.Lより1m程上る。


M─31.17 古泊海岸
熊野土木出張所調査による。


M─31.18 木本漁港奥
木本漁港組合にて聞く。
第1波 4h 5h
6h 30m までに最大波高来襲、H.W.L上 0.65 0.7m (波跡から測定) 18h 30m 19h 以後殆んど平常に回復。


M─31.19 木本海岸
熊野土木出張所の調査による。


M─32 阿田和町海岸(附図参照)
L.W.L 下 0.60 cm にあって通常は全然見えない岩が、今回の津浪の引潮の際に殆んど水面近くまで現われた。即ち
最高潮位 0.6m (H.W.L 上)
〃低 〃 0.6m (L.W.L 上)


M─33 鵜殿
熊野土木出張所の調査による。

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土木出張所の時間測定資料
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干満潮位表
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M-30.1.20
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M-30.2.12
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M-30.3.1
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M-30.3.5〜M-30.3.6
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M-31.4
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M-31.6
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M-31.14
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M-31.19
和歌山県の部

W─1 新宮市周辺
津浪の来襲時が早朝であるために目撃者が殆んどいない事、この地域の海岸線が比較的單調な事からして、津浪高は尾鷲湾、英虞湾周辺に比して一般に小さい。このために津浪来襲の痕跡は一般に不明瞭である。
從って此の地域の調査は主に聞き込みにらざるを得なかった。


W─1M─1 新宮市熊野川河口(附図参照)
最高波高は平常の滿潮位より0.3m程高い。


W─1M─2 新宮市海岸外側 (1)


W─1M─3 〃 〃 (2)
24日6h7h頃には約10分間隔で1.8mの振巾の変化が続く。この海岸は殆んど直線状、且つ海浜になっているために「津浪が来たと思われるぬれた線が認められた」程度であり、詳細は不明。


W─1M─4 新宮市三輪崎 (1)(附図参照)
4h30m頃開始。最大振巾は7h頃で1.2m程度。間隔は20分程度で次の日迄継続。


W─1M─5 新宮市三輪崎鈴島 (2)
漁師に聞く。5h30m頃最大振巾の津浪あり。それを含めて5h7h迄に大きい波が2回あった。こゝの平均滿潮位より0.7mの高さの突堤は数回波をかぶり、約2mの突堤は一度もかぶらなかった。


W─2 那智勝浦町地域


W─2M─1 勝浦町宇久井(附図参照)
第1波4h15m20m頃
Max6h頃で、その時の引き潮との垂直の差は約3m。
5月31日10h20mの海水面より見て、1.6mの高さの突堤が数度波をかぶる。その回数不明。漁業道具 (小型テイチ)に多少の被害があった。


W─2M─2 勝浦駅南海岸
最大振巾の波は6h頃。那智湾内の岩礁は全て見えなくなり、女島 (L.W.L上1516m)が完全にかくれた。


W─2M─3 勝浦町天滿海岸
全般的にはこの津浪による被害は天滿、勝浦附近は小さい。この地域の海岸線一体は砂浜であり、高さ4.5mの堤防があって高潮はこの堤防迄到達しなかった。最高潮位の推定は浸水したと思われる面にもくず、木の屑が取り残されていた事から行った。


W─2M─4 勝浦町天滿浅井町(附図参照)
水門附近の居住民に聞く。
6h前、同町の有線放送の警告によって気付く。第1波その他知らず。最高波高のとき水田排水土管の水門より海水が「噴水の如くに」逆流したという。 (6h30m頃)この時は水門は開けてあった。海水は土台 (コンクリート)を10cm程余す迄来た。H.W.Lと推定される高さより1.201.30mのところにもくずを認め、これが最高潮位と考えた。


W─2M─5 勝浦町大勝浦(附図参照)
第1波5h頃H.W.Lより1.2m程高い。
〃 2 〃
〃 3 〃 第1波より小。
〃 4 〃
Max 〃 5 〃 日の出直前
大勝浦は勝浦港の最深部にあたり、津浪の港内侵入方向と直角をなす。


W─2M─6 勝浦町漁業市場前海岸(附図参照),
勝浦町の直接海に接した民家の庭に一部高潮が浸水したのみで,ある。この地点にある製氷会社は約2.2m (観測時潮位上)の高,さにあり,内庭の面一杯迄浸水した。即ちこの附近では海底面 (観測時潮位の)より陸地迄の高さは平均■■mであり、これより,低い地域には海面から道路に浸水して床下に達した民家が多くあ,った。浸水地域の広さは海岸線から56mである。,
24日18hの滿潮時には1.60m程度 (H.W.L上)と推定される。,


W─2M─7 勝浦町中之町海岸通(附図参照)
海岸通りに面した商店
5h30m6h頃に床下浸水。周期23m (?)で23回繰り返えす。店の玄関先の道路上のドラムカン (半分程油入り)が海中に流される。ガラス戸に附着した痕跡あとを店の人から聞いて測定した。


W─2M─8 勝浦町湯之越
この地域は主に木材置場でありそれ以西は旅館になっている。
居住民によれば4h過ぎ水面が普段より相当上昇したという。
4h1.70m (観測時潮位上)
Max6h30m2.50m ( 〃 )
夕方18hの滿潮時には、津浪波高はH.W.Lと同程度であるという。


W─2M─9 勝浦町湯川(附図参照)
湯川駅北方約160mの鉄橋下
第1波5h頃
以後30分間隔で襲来。今回の津浪で橋桁の根本が約30cm程うまる。最高波高H.W.L上1.4m程度。


W─2.10湯川駅附近「にかうばし」下(附図参照)
湯川駅より北方250m、川口より約500m。
この附近の居住民の話を檢討して書いたものが附図。6h頃「にかうばし」下の流れは海に向って流れており (引き潮)、干潮位より0.50.7m程高い所に河床があると思われる。


W─3 下里町地域


W─3M─1 下里町大地
第1波5h前
MaxAmpM─6h頃2.0m (山と谷)
約20分間隔で20h頃迄は顯著に繰返す。


W─3M─2 下里町太田川河口
6h頃H.W.L海に特別の変化はなかった。24日18hの滿潮時には潮高は殆んど普段と変らないが、潮流がかなり著しかったという。


W─3M─3 下里町太田川河口
粉白、浦神間紀勢線鉄橋下。
24日7h頃見た時に最大潮の運んだと思われるゴミが一直線をなして残っていたという指示に從って測定した。粉白派出所の言によれば津浪来襲は「確実」に5h30mに始ったという。


W─3M─4 下里町浦神駅前居住民の指示。丁度河口に面した橋の桁下まで来たという。痕跡なし。


W─3M─5 下里町浦神漁業組合及び浦神小学校(附図参照)
漁業組合長の話によれば
第1波4h50m
〃 2 〃 5101.4m (Amp.)
Max 〃 3 〃 6002.0m ( 〃 )
〃 4 〃 640約1m ( 〃 )
眞珠用イカダの移動は第2波で始まり第3波以後に終って附図A点に集積した。この附近は地形 (海岸線)が非常に複雑なために、かなり大きな渦が2つ出来た。この1つに7h頃1.5トン程度の船で速度3ノットを出して近づいたが危險を感じて引き返した程である。尚この渦は恐らくは、6h40mとかいた波の引きと第5波の上げ潮との衝突によって生じたものという。6h頃の潮流は34ノットあったという。24日23h頃に至って普段の潮位変化を示したが、水平方向の変化 (流れ)はいぜんとして大きかった。
当日宿直であった小学校長によれば4h前に潮位変化があったという。周期は小舟が海底の岩の上に舟底を見せてから次の同じ状態になる迄を計って40分程という。床上浸水若干あり。
※ 1浦神檢潮所は休止中。漁業組合横に設置した水位計の取り扱い担当者が津浪来襲当時入院中のため読み取り記録なし。
※ 2沖合10浬程に出漁していた船では津浪来襲を全然気付かなかった。


W─4 古座町漁業組合
組合横岸壁、組合員の指示によれば潮高の顯著なのは4h6hの間であって振巾1.0m、0.9mを数回繰り返したという。H.W.Lとの差は50cm程度。組合横が漁港になっているが、その入口が狭い (古座川川巾250m、漁港入口50m)ために第2波の引き潮時に入港しようとした漁船 (1.6トン、6ノット)が潮流に押し流されて入港出来なかった事より判断して流速は78海浬/時程度と推定される。6h頃はAmpM─0.5m、流速23海浬/時で持続。この頃港内の海水に全く濁って、水深1m以上の見透しはきかなかった。


W─5 樫野港内
最高潮位0.75m (T.PM─上)5h前
最大振巾1.50m5h6h迄の間は1m (目視)
5h7hの間に78回来襲。
10h以後はかなり衰える。防波堤のために港口が狭く。且つ港内は広くなっているために津浪波高は小さい。


W─6 須江港
最高潮位0.6m5h前
max、AmpM─1.2m (目視で複振巾約2mという)
周期はかなり早い。
24日8h頃AmpM─0.8m (実測)
〃 12h 〃 0.50.6 ( 〃 )


W─7 串本檢潮所 (檢潮記録参照)
■h■mの最高潮位はscaleoutのため不明。推定によれば■m。


W─8 江住海岸 (附図参照)
漁師の指示による。第1波は4h30m頃。附図の堤防は一度も越えなかった。


W─9 周佐美
24日6h頃及び24日18h頃に最高潮位を示し、H.W.Lより0.3m程高いという。その振巾 (複)は1m程度であって、引き潮の方が大きく明瞭であるという。


W─10 富田地域 (附図参照)
串本測候所の踏査による。


W─10M─1 富田川河口附近 (1)


W─10M─2 〃 〃 (2)
3h過に第1波来襲 (漁に出ていた船の報告)回数不明Max
AmpM─はH.W.Lより1.31.5m程度。
川迄引いてある排水口から海水が多少水田に浸入した程度。


W─10M─3 富田川河口附近 (3)及び南白浜海岸
Max、AmpM─は場所によって異るが平均してH.W.Lより0.5m程度であって伊勢湾台風よりはるかに小さい。


W─10M─4 細野港 (1)
港入口。堤防の決壊がある。


W─10M─5 細野港 (2)
最大波高H.W.Lより1.50m前後。


W─10M─6 細野港 (3)
港中部附近 (堅田漁業組合)
最大波高H.W.Lより2.30m。5h30m頃、この頃を頂点としてかなり弱くなり50分60分程度の周期で1日中続く。同時夕刻17h30m頃再び大きな波 (2m程)来襲。全流失物の1/3は夕刻の大波による。


W─10M─7 細野港 (4)
コンクリート堤防決壊


W─10M─8 細野港 (5)
湾奥附近Max、AmpM─1.701.80m (H.W.L上)


W─11 下津檢潮所 (檢潮記録参照)


W─12 和歌山檢潮所 ( 〃 )
※ 和歌山地方気象台集積による各地の津波来襲時刻を次に記す。

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W-1.1
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W-1.2
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W-1.3
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W-2.1
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W-2.4
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W-2.5
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W-2.6
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W-2.7
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W-2.9
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W-2.10
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W-3.2〜W-3.5
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W-8
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W-12

第5部 近畿、四国

京都大学理学部 速水頌一郎

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最高波記録

第6部 九州

九州大学理学部 下鶴大輔 後藤賢一


昭和35年5月24日早朝、日本沿岸を襲ったチリ地震津浪調査に際して、我々は、九州を分担し、5月26日出発し、27日より調査を開始し、鹿児島県南部及び大島は協同で調査し、それ以后は調査区域が広範囲にわたるため、手わけをして調査を行い、沿岸は殆んど、県の自動車で廻ったために、比較的短時日のうちに調査を終了した。
九州では、大島及び種子島を除いては、津浪の高さが比較的小さく。そのような場所では、聞き込みによる調査は殆んどむづかしい、又、得られたデータの信頼度もうすいと考えられるので、檢潮儀によるデータをもとにした。
津浪の高さが小さい場合、注意すべきことは、津浪の痕跡の高さを現場で測定しても、それはかならずしも最高波の痕跡を意味するものではないことである。即ち、干潮時に最大波が来ても、一般的に津浪の振巾が小さいときは、最高痕跡の さは、満潮時の津浪によって残される場合があるということである。この意味で、別紙「波高調査表」中の「最高波」の値は、檢潮儀から得られたものは、波の振巾の最も大きいものをさしているに反して、聞きこみによって得られた値は、振巾の比較的小さい場所では、必しも、最高波による痕跡ではない場合も含まれている。

被害調査

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地図 被害調査

測点点の記

(1)鹿児島湾の中では津浪は小さく、ききこみは非常にむづかしかった。


(2)山川港 護岸工事をしていた人夫が 波が来たときに、現場にいてよくわかる。最高波は9時頃で,複振巾は2.30mとのことであった。大きいのは1回だけで、あとは1m位の波がつづいた。


(3)知覧町内浦 複振巾が1.90m位であったという。


(4)名瀬港 海上保安本部のケルヴィン式檢潮儀は、6h 10mにブイが浮き上って、記録不能になり、10時から、大島支庁、土木課港湾係が pole で水位を測定した。岸壁天端のさは、那覇の水路部原点を0としたときに 3.30mあり、 最 波は 4.50m まで達し、床上、床下浸水をもたらした。
(現在の檢潮儀の0)


(5)喜瀬 浸水家屋の雨戸に明瞭な痕跡があった。


(6)用 第一回の波は6時頃、最高波は6時半頃来た。


(7)名仁屋 県の土木部保管のリシャール型檢潮儀は、ドラムの速度がおかしく、津浪の時刻に関しては不明瞭
(名瀬の0+10cm)


(8)志布志 複振巾が5mで、県土木部出張所の観測によると、第一波来襲時刻……6時30分、第二波……6時50分、第三波……7時15分、第四波……7時40分とのこと。


(9)串木野 海上保安本部で、poleにより次のように測定した。


其の他の事項 一般に、鹿児島県西岸及び熊本県沿岸は、津浪の高さは小さく、檢潮儀のデータに頼るより他にないが、阿久根、 三角、島原の檢潮儀はそれぞれ故障、欠測中で津浪の記録はとれていない。
檢潮記録の初動はすべて押しできているが、よくみると、顯著なinitial phaseの前に2山ほど、周期が長く、振巾の小さいphaseがみられる。

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名瀬港
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名仁屋
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串木野
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鹿児島県大浦村
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波高調査表

第7部 釜石、大船渡、気仙沼、女川及び石巻各港湾の津浪調査

海上保安庁水路部 新田清

聞き込み

場所 梶ヶ浦(観測点No.12)
午前4時半頃こんぶ採取のため出漁の際、低潮時後あまり時間が過ぎていないにもかゝわらず水位は満潮面を示していたので異常を感じた。
顕著な波は約5回来襲し、そのうち第2回目の波が最大であった。引き潮時の流速は蜂ヶ崎附近を帰港中の漁船(ヂーゼル45馬力約6ノット)が流れに逆航出来ない位であった。
梶ヶ浦附近の設置してあったカキ棚は引潮に運び去られ大島瀬戸を経て大島南東(黒崎島、大前見島、唐桑崎を結んだ範囲内)に漂流発見された。


場所 鶴ヶ浦(観測点No.13)午前4時頃潮が異常に引いていた。約40分後急激に水面が上昇し始めた。以後顕著な波が5回来襲したがそのうち最水位を示したのは第2回目の波であった。なお津波の被害より見て大島側は鶴ヶ浦側より水位が低かった模様である。
鶴ヶ浦付近のカキ棚は大島瀬戸を経て大島南方黒崎島付近に漂流発見された。


場所 神明崎(観測点No.5)
津波来襲時は湾奥を反時計廻りに流れ引潮時は時計廻りの流れがあった。その際の漂流物の流れ去る速さは常時巡航船の速度(57ノット)と同じ位であった。


場所 女川町女川浜(観測点No.2)
女川町消防団の調べによる津波の来襲時刻は次の通りである。
第1波3時55分
〃 2 〃 4〃25〃 第6波に次ぐ
〃 3 〃 5〃12〃
〃 4 〃 5〃56〃
〃 5 〃 6〃30〃
〃 6 〃 7〃13〃 最高水位
〃 7 〃 8〃36〃
〃 8 〃 11〃58〃
〃 9 〃 13〃27〃
〃 10 〃 14〃13〃

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地図 津浪調査

第8部 宮城、岩手、青森県下の土木災害について

東京大学工学部 堀川司
鮮干 ■

1 はしがき

われわれは特に被害の著しかったと考えられる三陸地方を踏査し、特に土木災害に注目し、その災害の状況から津波の特性、並びに津浪対策工事のあり方につき資料を得ようと考えた。踏査区域は石巻、志津川、気仙沼、(以上宮城県)、陸前高田、大船渡、釜石、両石、大槌、船越、山田、宮古、田老、久慈(以上岩手県)、八戸(青森県)並びにその近傍である。從ってその他の地方の状況は明らかでなく、あるいはこゝに述べる事柄には三陸沿岸の局地的な特性が強く表わされているとも考えられるので今後各地の状況についても検討を加える必要があると思われる。

2 土木災害の諸例

こゝにはわれわれが視察した土木災害の諸例を簡単に説明することにする。

(1)橋梁災害

津浪が河川をさかのぼって木橋を押し流した例は各地に見られるが,漁船の衝突によって生じた被害も無視出来ないようである。また石巻市内万石橋のように昭和27年の津浪により、基礎の掘られた所を捨石して補強した部分は被害なく、前回補強を要しなかった部分に万石浦えの流れが集中したことも原因して洗堀が進み、津浪襲来後1.5mにも及ぶ沈下を起した例がみられる。

(2)岸壁災害

岸壁の災害で一きわ注意をひいたのは、鋼矢板岸壁の倒壊である。一つは大船渡一万トン岸壁につらなる部分であり、他の一つは富士製鉄釜石製鋼所岸壁である。何れも前面の洗堀と長時間あるいは何回にもわたる津浪の襲来のために、土が水により飽和して流動しやすくなっている時に急速な引き波により、大きな動水勾配が生じ、土が矢板の先端を通って抜け出て崩壊したのではないかと推測される。根入れの重要性に併せて、長時間浸水した時の土質の変化についての考慮の必要が痛切に感じられた。また施工の不良のために矢板の隙間から裏込土砂が吹き出した事実もあるのではなかろうか。特にコンクリート矢板においては顕著と考えられる。
次に重力式物揚場として、釜石にての裏込の吸出しによると推測される天端の沈下や、八戸市魚市場においての、津浪浸入に伴う航路の深堀れに伴う物揚場前面の深堀れが原因となって完全に倒壊した例がみられる。

(3)道路護岸災害

道路護岸の被災状況は各所に見られ、波返し及び壁体の前面への倒壊路版の浮き出しが目立った。土は飽和して流出し易くなり、一方引き波により裏よりの水圧作用が前面洗堀とも相俟ってか、破壊に導いている様子が各所で認められた。この場合に護岸背後地の貯水面積の大小が顕著な破壊に至るが否かに大きな影響を持っている様にも思われる。今回の様に長い周期の津波によっては、上記の様な現象を呈する事は注目に価する。しかしながら護岸に働く外力として前面より受ける波力は当然考慮すべきであろうし、三陸津浪の様に周期の短い津波の場合に前面に作用する動的な力も無視することは出来ないと考える。
大槌町の道路兼防波堤は崩壊するには至らず、その役割は十分に果したが、越した水が噴流の様にして斜面を洗い、場所によっては2m近くも深掘れしているのが認められた。しかしそのすぐ背後の家は被害を受けていない事、また防波堤の前面に小屋があった所では、被害をまぬがれている等誠に興味深い。
その他船越の北、山田湾に面した所の石張り護岸の被害は維持の不備な個所から破壊された模様である。

(4)防潮林の被災

最も顕著な被災は陸前高田の有名な松原の被災であり、昨年10月に筆者の一人はこの地を訪れたのであるが、様相の一変に一驚した程である。松原の中央部に気仙川旧河口に溢流堤がつくられ、松原の奥行が浅く、かつ松の木自体も他に比して小さかった様であるが、この弱い個所に力が集中した感があり、松原が切れ、潮の出入り激しく深い所は、6mにも達したという。
防潮林の津波に対する効果については、われわれとしても極めて関心が深いわけであり、その効果、例えば船、流木等をくい止め、また周期の短い津波に対して、エネルギーを減殺する効果はある程度期待しうるにしても、浸水を防ぐことは望むべくもなく、特に長い周期の津浪に対しては然りである。從って間接的補助的な作用を期待しうるのみであり、その上田松原の現実も念頭におくべきと考える。

(5)その他

防波堤ケーソンの傾斜、ブロックの流出、埋立護岸の破壊、あるいは航路の埋没等の被害が見られる他に、流木あるいは船舶による家屋の破壊等の現象も若干見られた樣である。伊勢湾台風潮後大きく取り上げられている貯木場あるいは製材場内の木材の貯留については相当の考慮が払われねばならぬ事を感じた。
猶防波堤に津浪のように非常に長い波に対して何程の効果を期待し得るかは明らかにすることが出来なかった。例えば両石港においては、漁師達は防波堤が少しでも伸びていたので、津浪の力を幾分でも反射させたから昭和8年に比して低く、被害も軽微であったといゝ、広田湾、長部港では防波堤が出来たので却ってくなったと称しているようである。研究されるべき課題の一つである。八戸の鮫港においては浚渫船が引き波により流され座礁したが、その時の速さは目視の結果、10ノット位はあったのではないかといわれる(八戸港工事事務所長談)。

3 既往の津波対策

三陸沿岸は明治29年、昭和8年と大津浪に襲われ、殆んど壊滅にひんした部落が各所に見られ、死者の数おびただしく、よって津浪対策が現地においては死活の問題として取り上げられて来た。例えば(1)警報伝達組織の完備、(2)住家の地への移転、(3)避難道路の建設、(4)退避訓練の実施、(5)防潮林の植林、(6)防波堤の建設、(7)防潮壁の建設、(8)特に港湾では海に面した部分に永久構造物を建造する等々、各種の対策が取り上げられ、実施に移されて来た。しかしながら、東北の僻地であるために投資効果が低い事、非常に稀にしか(例えば30年に1度)津浪の被害が起らないこと、生業の便益の爲に次第に元の低地に移り住む等々の理由によって、殆んど無防備と云っても過言でない状況にある。
しかしながら例えば吉浜や田老の如く、見るからに雄大な防波堤が建設され、末永く町村の住民を津浪から守って行くであろう箇所も数少いが見受けられる。今回の津浪に対しては吉浜の防波堤は見事にその機能を果した。また山田町の街中には防潮壁が建造されているが、特に漁港、港湾区域で港の機能の上から海岸にい壁をつくり得ぬ様な所で採用しうる一方法であろう。岩手県下においては、宮古湾奥の赤前、津軽石、浜には海岸堤防の建設が計画され、一部施工を見、また普代に対しても防禦計画が進められていると聞く。これを機会に國として恒久の対策を樹立し、根気よく実施に移される事を期待したい。
しかしながら、津浪対策は技術的にも蔽い難い困難に直面している。つまり、この地点に何程のさの津浪が襲う可能性があるか推断する事が出来ない点である。一応構造物のさを決定するにあたっては、既往の津浪のさを唯一の根拠として定められる。そして既往の津浪に対して越えない十分なさを構造物が持っているとしても、津浪の規模を予測し得ない現状においては、絶対に越えないとは何人も断言し得ない。よって、最善の方法は退避にあり、ゆめゆめ防浪堤を過信してはならない。三陸沿岸の津浪常襲地の住民は津浪に対して極めて敏感であるが、稀にしか起らぬ事と相俟って、油断があってはならず、技術者としても構造物の耐えうる限度を明らかにし、かつ住民に衆知させる必要があろう。漁業をもって生活の糧とする者の多いこの地方においては、彼等の生活の真情をよく理解しその上に立って地移転なりの具体的処置を講じて行かねば、遂には有名無実の施策に帰する惧れも多いと考えられる。その他、鉄道路線の築堤も津浪襲来の時には効果的な防浪堤の役割を果している事が各所で認められた。


本調査を実施するにあたっては、宮城、岩手、青森の各県並びに運輸省第二港湾建設局その他多くの箇所を見る事が出来たことを深く感謝する次第である。
なお本調査は東北大学岩崎教授と行を共にして行われたことを付記する。

検潮所分布図・検潮記録

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