明治二十九甲午年五月五日 大水海 仙台ヨリ八戸マテ
これのように(津波が)・・・
みなこのとおり死んで流れる・・・

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水海
水海後
ユメノゴトグ
流し舟(網を使って魚を捕る船)が・・・

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手のない者もあり、・・・

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今、死体を集めて・・・
死んだものもあり、・・・
残骸をみな焼き払い・・・
水海後2
残骸を焼いているので・・・
(五月)七日から人足(人夫)が・・・
頭のない者もあり・・・
死体は寺の前にみな一ヶ所に葬る
人足達が昼食を持って毎日通っている
(警察官が検査をしているところ)
津波から3年目には赤痢が・・・

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物調べ
水海後3
仕事中に津波がきたと嘘を言って逃げて来たこともある
明治二十九丙申年五月五日・・・
明治二十九丙申年五月五日の夜の大津波 この津波は仙台より八戸までの津波 人は何千人が死んだか数えしれず、そのうち田老町は一番の被害で田老と乙部の人の数が多い 流し舟に乗って行った人が14,5人残り又、その他津波で流された人が10人ばかり残り、又後は春網に行き、松前に
行った人が2,30人残り又、その他津波で流された人が10人ばかり残り、ここ5,6年で元の田老町になった 水海につき 御歌がござる 音に聞こえし津波の後にきてみれば 泪はながれし袖ぞ濡れけり
この津波は、大川(田老川)内は簗瀬の上側までとどき、小川(神田川)内は兄形の下まで届き、田老、乙部、青砂里一軒も残らず流れ、女遊戸がみな残らず流れた
明治三十六年三月十二日より十四日までに書き
前川門蔵と言う人三十五才にて書き
水海後4
この人達は稗刈に頼まれて田舎の者・・・

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明治二十九丙申年五月五日の夜の大津波・・・

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頭のない者もあり 頬のない者もあり・・・
死体は寺の前にみな一ヶ所に葬る
仕事中に津波がきたと・・・
残骸を焼いているので毎日モヤカブレの状態・・・

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流し舟(網を使って魚を捕る船)が漁より帰ってきて・・・

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