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明治二十九甲午年五月五日 大水海 仙台ヨリ八戸マテ

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明治二十九甲午年五月五日 大水海 仙台ヨリ八戸マテ

これのように(津波が)・・・

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これのように(津波が)次々ときたそうだ 流された人が皆な おぼえていて話しをしました

みなこのとおり死んで流れる・・・

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みなこのとおり死んで流れるものもあり、生きているものもあり、岸に上がるものもあり 又、木につかまって助かるものもあり、山にあがる者もあり、本当に現状をみたら哀れなり この現状を昼に高い山から見たら、誰も驚かないものは居ないだろう また、涙を流さないものもいない

水海

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水海

水海後

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水海後

ユメノゴトグ

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ユメノゴトグ

流し舟(網を使って魚を捕る船)が・・・

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流し舟(網を使って魚を捕る船)が漁より帰ってきて現状を見て驚いて泣いていたところ 夢にも想像がつかない程の光景を見 て、ただ泣くばかり

手のない者もあり、・・・

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手のない者もあり、足のない者もあり 見れば本当に身の毛が立つようだ 本当にこの通り、これに違いがなかったそうだ

今、死体を集めて・・・

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今、死体を集めて検査をしているところだ。医者は検死をして、巡査は書きとめている。

死んだものもあり、・・・

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死んだものもあり、生きた者もあり 女性器を出す者もあり 男性器を出す者もあり

残骸をみな焼き払い・・・

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残骸をみな焼き払い イヌも死体に寄ってくる カラスも死体に寄ってくる

水海後2

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水海後2

残骸を焼いているので・・・

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残骸を焼いているので毎日モヤカブレの状態(煙が上に昇らず漂っている状態)

(五月)七日から人足(人夫)が・・・

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(五月)七日から人足(人夫)が集まって死人の死骸を集めて葬る

頭のない者もあり・・・

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頭のない者もあり 頬のない者もあり 後のない者もあり

死体は寺の前にみな一ヶ所に葬る

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死体は寺の前にみな一ヶ所に葬る

人足達が昼食を持って毎日通っている

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人足達が昼食を持って毎日通っている

(警察官が検査をしているところ)

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(警察官が検査をしているところ)

津波から3年目には赤痢が・・・

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津波から3年目には赤痢がはやり多くの人が傷つき、赤痢棟に80人位いた時があり、7年目には凶作がきて田も3分位、畑も3分位なり、寅年は南京米がたくさんきて、そのために大変米が安くて、町の者から田舎の者まで楽に生活し、その年は仙台の米は一升18銭まであり、南京栗が15銭もあり、13銭もあり、南京米は13銭から15銭まであった。津波から一つも良い年がない。

物調べ

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物調べ

水海後3

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水海後3

仕事中に津波がきたと嘘を言って逃げて来たこともある

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仕事中に津波がきたと嘘を言って逃げて来たこともある

明治二十九丙申年五月五日・・・

明治二十九丙申年五月五日の夜の大津波 この津波は仙台より八戸までの津波 人は何千人が死んだか数えしれず、そのうち田老町は一番の被害で田老と乙部の人の数が多い 流し舟に乗って行った人が14,5人残り又、その他津波で流された人が10人ばかり残り、又後は春網に行き、松前に
行った人が2,30人残り又、その他津波で流された人が10人ばかり残り、ここ5,6年で元の田老町になった 水海につき 御歌がござる 音に聞こえし津波の後にきてみれば 泪はながれし袖ぞ濡れけり
この津波は、大川(田老川)内は簗瀬の上側までとどき、小川(神田川)内は兄形の下まで届き、田老、乙部、青砂里一軒も残らず流れ、女遊戸がみな残らず流れた
明治三十六年三月十二日より十四日までに書き
前川門蔵と言う人三十五才にて書き

水海後4

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水海後4

この人達は稗刈に頼まれて田舎の者・・・

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この人達は稗刈に頼まれて田舎の者(津波の届かなかった部落の人達)が皆、来て刈っている 田老の馬持ち(馬主)が頼んで刈らせている 稗が生える、栗が生え、それがみな実になって 田老の者は、それを脱穀したり揉いだりして、大変、役にたったそうだ

明治二十九丙申年五月五日の夜の大津波・・・

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明治二十九丙申年五月五日の夜の大津波 この津波は仙台より八戸までの津波 人は何千人が死んだか数えしれず、そのうち田老町は一番の被害で田老と乙部の人の数が多い 流し舟に乗って行った人が14,5人残り又、その他津波で流された人が10人ばかり残り、又後は春網に行き、松前に 行った人が2,30人残り又、その他津波で流された人が10人ばかり残り、ここ5,6年で元の田老町になった 水海につき 御歌がござる

頭のない者もあり 頬のない者もあり・・・

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頭のない者もあり 頬のない者もあり 後のない者もあり 人足達が昼食を持って毎日通っている

死体は寺の前にみな一ヶ所に葬る

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死体は寺の前にみな一ヶ所に葬る

仕事中に津波がきたと・・・

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仕事中に津波がきたと嘘を言って逃げて来たこともある

残骸を焼いているので毎日モヤカブレの状態・・・

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残骸を焼いているので毎日モヤカブレの状態(煙が上に昇らず漂っている状態)(五月)七日から人足(人夫)が集まって死人の死骸を集めて葬る

流し舟(網を使って魚を捕る船)が漁より帰ってきて・・・

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流し舟(網を使って魚を捕る船)が漁より帰ってきて現状を見て驚いて泣いていたところ 夢にも想像がつかない程の光景を見 て、ただ泣くばかり 手のない者もあり、足のない者もあり 見れば本当に身の毛が立つようだ 本当にこの通り、これに違いがなかったそうだ