1. 緒言
沿岸各地には津波が頻繁に来襲するが,万が一防潮堤・堤防等を越流し密集市街地へ氾濫すると,甚大な被害をもたらすことが予想される.安全な街づくりに際しては,有効な防災計画を立案するため,事前に防災施設(防波堤,防潮堤,堤防等)及び市街地の構造物(家屋,道路,鉄道等)が遡上津波及び氾濫流の挙動に及ぼす影響を詳細に検討し,これらが災害時に有効に機能しかつ安全であるかを十分把握することが重要である.
これまでにも津波の発生・伝播・遡上に関する研究が数多く行われているが,沿岸市街地への津波遡上・氾濫に及ぼす防災施設や土地利用の影響についての詳細な検討は充分とは言えない.また,市街地での氾濫解析では,家屋等による抵抗を適当な粗度係数あるいは家屋の占有率に応じた等価粗度係数で評価するのが一般的である.
福岡ら(1994)は道路幅と同サイズの格子からなる一般曲線座標系での計算を行っており,この手法は道路沿いの氾濫流を良く再現している.しかし,家屋群の抵抗は家屋占有率に応じた等価粗度係数で表しているため,道路の横方向への分流や家屋間での氾濫流挙動については十分とは言えない.従って,津波氾濫特性に対する構造物の存在をより忠実に表現できる数値解析が必要とな
る.
そこで本研究では,三陸海岸のある市街地を対象とし,明治29年の三陸津波と同規模の津波が発生した場合の津波遡上・氾濫状況をできるだけ詳細に把握し,津波防災施設や避難対策の確立に必要な情報を得ることを目的としている.また,2種類の格子間隔を用いた数値計算を行い,格子間隔を細分化することによって家屋や土地利用が市街地氾濫流に及ぼす影響を検討すると共に,津波に対する防災施設の効果及び津波被害の低減策についての検討を行う.
2. 数値計算法と計算条件
2.1 津波伝播・氾濫解析の基礎式
本研究では,津波伝播,遡上及び津波氾濫に関して数値計算を行うが,沿岸付近での津波・陸上への遡上及び市街地への氾濫計算には,非線型長波理論より導かれる以下の連続式と運動方程式を用いる.
(1)
(2)
(3)
ここで,tは時間,ηは水位変動(静水面からの距離),hは静水深,Dは全水深(D=h+η),MとNはそれぞれxとy方向の流量フラックス,gは重力加速度,nはマニングの粗度係数である.また,遠地の津波伝播計算では,非線型項と摩擦項を省略した線型長波理論を用いる.基礎式の差分化は,空間差分にはスタッガード格子を,時間差分にはリープフロッグ法を用い,風上差分スキームで行う.
2.2 計算領域,格子間隔と時間間隔
波源域から対象沿岸域までの全計算領域を格子間隔及び時間間隔の異なる7領域(A〜G)に分割する.まず,波源を含む領域では津波発生・伝播計算を行い,次に,これに接する領域へと計算を進める.この手順で最終の領域まで逐次進めるが,領域間の境界上では水位と流量フラックスを接続させる.また,海岸線での境界条件は,線型長波理論を用いた領域では完全反射とし,非線型長波理論を用いた領域では,小谷ら(1998)の遡上境界条件を用いる.
本研究では,図-1に示す市街地(計算領域G)での津波遡上・氾濫に着目して検討を進める.また,計算結果海岸工学論文集 第48巻(2001)に及ぼす格子間隔の影響を検討するため,対象領域Gにおいて50mと5.5mの二種類の格子間隔の標高データと土地利用や堤防等の位置・方向を含めた地目データを作成した.なお,データを作成する際に,構造物などを忠実に反映するため,海底地形図(1/50000)・漁港平面図(1/2000)・河川台帳図(1/2000)・都市計画図(1/2500)を利用した.
50m格子の計算では,格子上での構造物等の抵抗を粗度係数として表現し,小谷ら(1998)が設定した地目別の値を使用している.また,本研究では,氾濫流に及ぼす堤防や家屋等の影響を直接に表現するために,5.5mに細分した格子のデータも作成したが,格子間隔を5.5mにした理由としては,①格子間隔比が1/3の関係を持つ計算領域の境界上では水理量の接続が容易であること,②家屋の大きさや堤防の幅などをそのまま表現できることが上げられる.
5.5m格子を用いた計算では家屋が占める格子が越流や透過させないものとし,格子上の流速は全て零とした.
各領域の格子間隔及び計算の時間間隔は表-1に示した通りであり,また,計算時間は津波発生後2時間までとした.
2.3 計算条件
三陸沿岸を襲った近地津波の中で,明治29年津波は100年〜200年に一回の頻度で生じる巨大津波であり,津波の高さや被害の程度は過去最大規模であった.本研究ではこの三陸津波を対象津波とする.また,数値計算に用いる波源モデルは相田の断層モデルを採用し,津波を励起する初期の海面水位分布は表-2に示すパラメータから推定する.
遡上津波の水位は防波堤・防潮堤・堤防の天端高を超えて越流する場合,越流量を本間公式より計算する.河川の上流端条件としては20年問の日平均流量2.59m^3/sを定常的に与える.
3. 数値解析による検討
3.1 検証計算
この地域に関しては最も古い地形図を基に50mと5.5m格子の2種類の地形データを作成し,明治29年津波の再現計算を行った.
図-2は遡上津波先端の到達時間コンターを比較したものであり,図中の点線が50m格子による浸水範囲を,実線が5.5m格子の結果を表しており,両者は類似した結果を示している.
図-3は津波の浸水範囲と最大浸水深の分布状況を比較したものであり,格子間隔による計算結果の違いはほとんど無い.明治29年当時はこの地域には海岸構造物等はほとんど無いことから,津波氾濫に対して地形のみが影響するような場合には,津波到達時間,浸水範囲,最大浸水深分布に対する格子間隔の影響はないと言える.
従って,データの作成と解析に要する時間やコストを考えると,構造物等の影響が少ない場合であれば,細分化による大きな効果は見られず,50m格子間隔でも津波遡上を十分予測することが可能である.
3.2 対象市街地の現況における氾濫流計算
対象地域の現在の地形及び地目データを用い,明治29年津波が発生した場合を想定し,氾濫状況を検討する.まず,津波の到達時間と上昇水位について検討する.図-4は,図-1中のS.1地点(港口)及びS.2地点(防潮堤前面)での津波水位の時間的変化を示している.津波の第1波が最も大きく,港口までの津波到達時間は約40.5分である.また,港口での最大水位が4mであるのに対し,防潮堤前面では5.8mとなり,約1.5倍に増幅した.しかし,防潮堤の高さはT.P.6.4mであるため,遡上する津波は防潮堤から越流することがなく,この個所の防潮堤の防災効果が確認できる.
一方,図-5に示すS.4地点(河川内)での最高水位は6.7mとなり.河川両岸にある堤防の天端高がT.P.6.4mであるためこの部分から越流する.更に,S.4地点付近では鉄道橋が川を横断するため,左岸側の堤防にはT.P.3.8mと幅約16mの開口部,右岸側にはT.P.4.7mと幅約20mの開口部があるため,市街地への氾濫を増大させる.
図-6は,津波発生後42分の氾濫状況を,図-1の実線で囲まれる部分を拡大したものである.堤防の越流による津波氾濫は,左岸では開口部の1個所,右岸では開口部と河口の防潮水門付近の2個所,計3個所で発生する.
堤内地のこれら氾濫源付近は津波被害を受けやすい区域であることが分かる.しかし,50m格子の結果では,防潮水門付近の堤防を越えて越流することは確認されなかった.その理由としては,50m格子は,①河口付近での局所的な地形変化の表現,②構造物(防潮堤,堤防,水門など)の位置と方向性の取り込み,③百数十メートルの川幅に対して50m格子上での堤防位置の設定,等の点で正確性に欠けるためと思われる.
また,格子間隔の違いによる市街地での浸水状況を比較したのが図-7である.50m格子の計算では,道路や家屋の抵抗を粗度係数で表現するため,氾濫流は発生源から扇型状に広がる様子が見られる(図-7(a)).これに対し,5.5m格子の計算結果(図-7(b))では,道路,空地及び家屋間の小さな街路を流れるが,家屋間は他に比べて流下し難いため,主に道路上や空地の低いほうに集中するようになる.
図-8は道路上の水深の時間的変化を比較したものである.左岸では標高の高低差が小さいめ,50m格子の計算では,開口部付近のP.1地点から同距離に位置するP.2とP.3までの到達時間はほぼ同時であった(図中上段).これに対し,5.5m格子の場合は,図中下段に示すように,P.1と同じ道路上にあるP.2地点に比べて,家屋背後のP.3地点での到達時問は遅く,浸水深も浅くなっている.
図-9は図-7(b)の浸水状況に対応する流速べクトルを左岸の一部で拡大したものである.氾濫流は道路上を集中して流れることがこの図から良く分かる.氾濫水の先端では流速が早く,最大2m/s程度になる.また,家屋の間を通る氾濫流は,家屋との干渉によって方向を変えて流れて行く様子が所々で見られる.更に密接している家屋群の背後には,家屋の抵抗を受けることによって氾濫流が届かない死水域になる所も現れている.また,この図から分かるように,道路上での氾濫水の流速が早く,到達時間が短いため,氾濫流の避難対策として道路を利用することは不適切であり,特に,氾濫源に面する道路の利用は危険である.
図-10は最大浸水範囲と最大浸水深分布の比較を示す.5.5m格子で計算された最大浸水範囲は50m格子の場合より全体的に狭くなっているが,最大浸水深は開口部付近で2.2mとなり,50m格子の最大浸水深0.9mを大きく上回る.図-10(b)のような詳細な浸水深分布状況を予め把握すれば,津波氾濫対策とする避難場所の設定には参考になる.
以上のように,格子間隔を細分化した氾濫流の計算は家屋等構造物の抵抗,道路に沿って流れる傾向,地形状況の影響等をより詳細に表現できることが明らかである.更に,このような数値シミュレーションにより,道路・家屋・地形変化の存在を反映した氾濫水の到達時間,流速及び浸水深の分布状況を把握することにより,津波氾濫対策としての避難経路や避難場所の設定が効果的になると言える.
3.3 津波挙動に及ぼす防災施設の影響
次に,5.5m格子間隔での数値計算より,津波遡上に及ぼす防災施設の影響について検討を行う.
堤防の開口部を閉じた場合も,遡上津波は図-6と同じ場所から溢れることが分かった.これは開口部付近での川幅が狭く,そこでの遡上高は堤防高を超えているためであった.また,左岸では氾濫範囲及び浸水深が大幅に低減されたのに対し,右岸では大きな効果が見られなかった(図-11).従って,過去最大津波が再び来襲した場合の災害対策として,遡上津波に直面する右岸での対策が必要である.
また,漁港施設が存在しないとした場合の数値計算を行い,図-1中のI-I断面での水位の空間変化を比較したのが図-12である.現況(漁港あり)では津波上昇水位が防潮堤の高さを超えないのに対し,漁港がなければ津波は大きく増幅し,防潮堤を越流する.その結果,堤内地への浸水流の到達時間が短く,浸水深が大きくなり(図-13),漁港施設は津波制御に大きな役割を果たしていることが分かった.
4. 結論
本研究では,明治29年の三陸津波と同規模の津波が発生した場合の,市街地への津波遡上・氾濫特性について数値計算によって検討を行った.また,市街地氾濫流に対する家屋等土地利用の影響及び津波挙動に対する防災施設の効果を検討した.得られた結論を項目毎に要約すると,以下のようになる.
① データの作成と解析に要する時間やコストを考えると,構造物等の影響が少ない場合であれば,粗い格子間隔でも津波遡上を十分予測することができる.
② 市街地氾濫流の流況を詳細に調べるためには,家屋などの土地利用の影響を考慮した数値解析が必要となり,格子間隔の細分化は有効である.
③ 対象市街地の現況での津波遡上・氾濫解析より,漁港施設が津波防災のために有効に機能しているかを確認し,更に避難経路・避難場所等の氾濫流対策に必要な情報が得られた.
なお,本研究は岩手県土木部河川課が津波防災計画を検討する一環として,著者らと共同で行ったものである.
参考文献
河田恵昭・小池信昭(1996):津波の伝播・氾濫特性に基づくハザードマップに関する研究,海岸工学論文集,第43巻,pp.1301-1305.
小谷美佐・今村文彦・首藤伸夫(1998):GISを利用した津波遡上と被害推定法,海岸工学論文集,第45巻,pp.356-360.
福岡捷二・川島幹雄・松永宜夫・前内永敏(1994):密集市街地の氾濫流に関する研究,土木学会論文集,No.491/II-27,pp.51-60.