I 緒言
從來地震に封する構造物の強度に就ては多くの研究があり、我國に於ては耐震構造が土木建築學の一分科を形成する程度にまで重要視されてゐるに反し、地震に伴う津浪に関しては、その起る度數が決して尠くないに拘らず、從來何等この災害防止に関する實際的の研究がなく、我國の主に外側地震帯に面する海岸は、この災害に對しては無防備の状態に置かれてあった。今回の津浪は幸か不幸か37年以前に大津浪の襲来を受けた三陸地方に起った爲に、往時の經驗に依り多くの部落に於ては豫めその襲来を豫知し適當の非難をなした爲に津浪が大なりし割合に生命の損失を著しく尠くすることができた。若し同じ程度の津浪が近い過去に經驗をゆうしない他の地方を襲ったとしたならば、それによる生命の損失の甚大さは今囘のものとは手異動を異にしたであらう。
今囘の津浪の後を見るにその強さ及高さは地形に依り著しく異なり、ある場所に於てはその勢力が餘にも大なる爲に之を防ぐ事は人知の企て及ぶ可らざる所と考ふるも、他方適當の設備によって著しくその被害を輕減し得ると考ふる所も多い。しかもこの兩者は震源地の如何に拘らず地形的に區別し得る事が多い。故に津浪の危険ある海岸地方に諸施設をなすに當り、適當の場所を選擇すると同時に之に有効なる防備施設を置き被害を輕減する様に心掛くる事が最も肝要である。
明治29年には大なる津浪が三陸地方を襲ったが當時の技術界は之に對し十分の考慮を費す餘裕がなく、僅かに被害甚大なる部落が自發的に高處に移轉した以外は一二防浪堤、防潮林等の設置を見たのみであって津浪の強さに對する具體的な研究は發表されなかった。従って土木工作物に依って被害を輕減する事に就ては遺憾ながら殆ど考慮を費されず、今囘の津浪によって家屋その他の構造物は37年以前と殆ど同様の実害を繰返した。
本編に於ては津浪の勢力が大となるべき地形、津浪の性質及勢力就ての私見を述べ、津浪被害の少なかるべき場所の選擇、防浪及耐浪構造設計に對する資料を提供遷都したものであるが、これは尚多くの研究試験の結果に俟たなければならない問題であるに拘らず玄に述べたものは匇々の間に纏めたものであって考慮不十分の點が多々ある事と思ふ。
諸家の御叱正を得れば幸甚である。
本調査に當って内務省仙臺土木出張所、岩手、宮城兩縣土木課各位及行を共にしたる所員八木技手を煩わしたる事大である。玄に前記各位に對し厚く感謝の意を表する。
II 被害の概要
1.地震
3月3日午前2時31分頃に發生した自信を人體に感じた區域は本州中部以北及北海道全部であるが震度は一般に割合に小であって、岩手縣宮古、釜石、宮城縣石巻、仙臺等は比較的大なる地震を感じたのであるが此等の地に於ても最大加速度は400~500㎜/秒/秒程度であって中央氣象臺の地震スケールの5,即ち強震(弱き方)に属する。従って地震
に依る被害は殆どなく僅に岩手縣兩国灣水海及その西方女遊部を結ぶ線に沿ふて道路切取部に於て最大重量約10tの巨石が轉落し道路を塞いだ程度である。山形縣に於ては倒潰家屋が7戸あり、又同地方の酒造所に於ては地震の爲に酒が樽より溢出した爲の被害が多少あった。
東京市王子區志茂町荒川右岸にある當試験所分室に備付けた地震研究所の加速度地震計の記録は次の如くである。これは水平加速度のみを記録するものであり、その中南北方向の加速度は記録不完全であったから東西動のみのものに依る。
表:地震研究所加速度地震計の記録
之に依ればこの地震はほかの一般地震に比し主要動終期に於ける週期が著しく長い。三陸地方に感じた自身も極めて緩慢な振動であったとのことで津波を伴う自信の特長である。この地震の震源は中央氣象臺發表に依れば東経144.6'北緯39.2'の地點であって、釜石東方約240kmの水深約7,000mの海底附近である。
2.津浪の被害
北海道、青森縣、岩手縣、宮城縣及福島県の太平洋に面した沿岸に於て地震後約30分に襲来した津浪の達した高さは各地に於て異るも、最大29mに及びその有する大なる勢力の爲に多数の家屋その他の工作物を破壊流出し、又多くの死傷者を出した。前記各縣に亘る被害町村の数は70に及び中には全部落が殆ど跡形もなく流失したものもある。之を明治29年6月15日午8時頃に同地方を襲った所謂三陸大津浪に比するに、浪の高さは一般に之より稍低く従って被害程度も稍尠い。兩度の被害を府縣別に表はせば次の如くである。今囘のものは3月15日内務省警保局發表に依り、明治29年のものは
震災調査報告第十一號に依る。
下記の表に就て見るに流失倒潰及焼失合計は今囘のものは明治29年に比し約47%に當るに拘らず死者及行衞不明(この大部分は死者と見做さるべきもの)の合計は約14%に過ぎない。之は今囘の津浪では以前の經驗に依り地震後故老の言に聞いて早く非難した爲である。
尚概算に依る今囘の地震及津浪に依る被害額は警保局発表によれば約12,632,979圓であって縣別にすれば
岩手縣 10,877,741圓 宮城縣 1,306,788圓 青森縣 275,945圓
北海道 168,000圓 福島縣 2,400圓 山形縣 2,305圓
である。
尚津浪による昭和7年度災害土木工事費として内務省にて査定されたる額は岩手、宮城兩縣下に於て次(表:津浪による昭和7年度災害土木工事費)工の如くである。
3.各地に於ける津浪の高さ及浸水面積
津浪が海岸に於て到達した最高の高さは本編終の附圖第一乃至第五圖に示す如く同一部落に於ても必ずしも同一でないが次に記すものは、その中の最高であって津浪發生直前のその海岸の静水面より測定した高さである。
津浪の當日は舊暦8日であって午前3時頃には三陸沿岸では干潮より稍上げ潮に向った時であって、その時の水面の水路部基本水準面上の高さは次の如く、これは略平均海水面に近い。
北海道釧路 +0.92m 宮城縣追波川口月濱 0.95m
青森縣八戸 +1.07 鹽釜灣頭花渕濱 +0.79
尚此の附近海面の潮汐は(表:附近海面の潮汐)。
次に掲げた三陸沿岸の主要なる各地の津浪の高さは、自ら測定したもの及縣土木課に依頼して得た結果であって詳細は附圖第一乃至第五に示した、参考の爲に竝記した明治29年の中、調査不能の分(*印)は震災豫防調査報告第十一號伊木氏の報告に依る。
附圖の中浸水區域調査未了の分は津浪の高さのみを記した。地圖に記入の高さは今
囘の分は津浪發生當時の水面より、明治29年の分は平均水位よりの高さである。今
囘のものも津浪發生當時の水位は略平均水位に近いから兩方共に平均水位よりの高さとして近似的に差支えない。尚明治29年の高さは土地の人の當時の記憶に依ったものが多いから必ずしも正確を期し難い。
表:津浪發生當時の浸水區域の水位
以上第一圖参照。
第一表は縣土木課調査による今囘の津浪の各部落別浸水面積であって宮城縣の一部に就ては明治29年の調を()内に記した。

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4.工作物に對する被害
津浪の高さは沖合に於ては割合に小なるも岸に近づくにしたがって大となり、殊に津浪の源(以下之を浪源と稱す)に向って開いた灣に於てこの現象が著しい。先般の津浪は第III章に述べる如く海岸線の海に向って突出した線より数粁離れた、水深約100mの場所に於ける波の全體の高さは、約3乃至5mと推定さるるに拘らず、岸に於ては前記の如くその時の水面上29m以上の高さに及んだ所がある。之は水深及地形により浪の勢力が次第に狭い面積に集中する爲である。津浪夫自身の破壊力は水深が小になれば相當大となるが(第III章2参照)工作物に最も大なる被害を與へるのは津浪が碎けた後の所謂碎波の勢力であると考へる。この碎波が波よりも流れの状を呈して陸上の緩斜面に大なる勢力を以て押寄せる場合、此處にある家屋その他の工作物は容易に破壊され木材等は浪と共に陸側に運び去られる。この碎波は相當距離の間猛威を逞しくする間に次第にその勢力を失ひ、次にいったん上昇した水は急な流れとなって再び海に流れ返る。この返りの流れは前の寄せ波により破損されて僅かに残った家屋その他の工作物を破壊し、その木材等を海に運び去る作用をなす。この作業の反覆によって最初の間はよく耐へた工作物も次第に弱められ遂に破壊するに至る。本編終の寫眞第十九及第二十九は田老町及山田町に於て津浪が達した最高地點附近に浪によって運ばれた家屋の破片である。碎波の作用を受くる事割合に尠く、浸水したるのみにて破壊作用を伴うことが尠い場所も多少あるが此等に就ては第III章に述べることとする。
桟橋等は寄せ波の割合には普通設計には殆ど考へない上向の力が働くから、この時に最も危険であるに反し護岸、岸壁等は引き波の時に背面に大なる水壁が働き危険な状態となる。實際の被害状況を見るに桟橋は殆ど全部上部の床板を失ひ(寫眞第二十八、三十、三十三、三十八、三十九参照)その跡に亂杭の如き状態となって柱のみが残る。護岸も空積間知は寄せ波及その場合の漂流物により破損された形跡の認められるものが多いが(寫眞第十一、二十六、二十八、五十四、六十九参照)比較的堅固な練積間知は引き波によって被害を受ける(寫眞第三、四、二十七)。連積間知も基礎水面附近の施工不十分の爲にこの部分が空積と土曜の状態となりこれが原因して全體の倒潰を来したものが所々に見受けられた。寫眞第三は宮古港の鐡筋混擬土角柱の間にスラブを建込んだ構造のものの被害であるがスラブは大部分後方に投出されてゐるものも認められ前述の二様の津浪の作用を明に示してゐる。
道路は倒潰家屋及漂流物の爲に路面を塞がれたものが多く特に海岸に沿ふて盛土した道路及海岸棧道が洗ひ流されてものが僅にある。(寫眞第四十七、七十六、七十八参照)
橋梁は津浪により破壊されることは尠く漂流船舶等の激突の爲に或は橋脚を折られ或は上部桁を運び去られたものが多い。(寫眞第二十三、二十四、三十二、五十二、及七十一参照)
III 津浪の性質及勢力に對する考察
1.津浪の形
(1)記録 津浪の形を知るには自記檢潮儀の記録に依るのが最も確實であるが、岩手縣沿岸の宮古に設けられたものが津浪の爲に流失し宮城縣氣仙沼附近のものが津浪襲来後2時間半にして檢潮舎が流材の爲破壊流失した爲、外洋に面した場所の記録として完全なものは北海道釧路(北海道廳所屬)三陸沿岸では青森縣八戸(縣所屬)及宮城縣追波川口(内務省仙臺土木出張所所屬)のもの、その他北海道では根室、室蘭、函館(北海道廳所屬)のみであるが、三陸附近では青森(縣所屬)石巻、鹽釜灣頭花淵濱、鹽釜(内務省仙臺土木出張所屬)及牡鹿半島鮎川(海洋氣象臺所屬)の記録がある。
以上の中主なる記録を同一寸法にして第二圖に示した。尚参考の爲に横濱港、東京靈岸島、清水港(内務省東京土木出張所及横濱土木出張所所屬)の記録をも竝記した。
之に依れば津浪の襲来の時刻は八戸に於けるものが最も早く地震後約36分であって距離が大になるに從って次第に遅くなってゐる。(氣仙沼のみが時刻と距離との關係が一致しないが、之は記録の時間が相違してゐた事に因るのではないかと想像される)
津浪襲來の状態は記録の大部分は何れも初めに普通の水面より稍高くなり次に著しい引潮がありその後に津浪の頂に相當する部分が來てゐる。一般に最高は初期に表れてゐるが數囘目の浪が最高になってゐる所もある。一つの波の高さとしては記録された中では氣仙沼の2.92mが最大であるがその時の静水面上の高さとしては八戸及氣仙沼の1.82mが最大である。檢潮儀記録による各地の津浪の状態は次の如くである。下記の中調子は測候所の記録、布良は中央氣象臺のものに依る。
表:檢潮儀記録による各地の津浪の状態
(2)振動週期 外洋に面した場所の記録を見るに津浪書記の週期及浪の形は割合に良く一致してゐる。就中八戸、氣仙沼、追波川口の三つは浪の初めより一時間半位は明に夫々相當した浪を見出すことが出來る。その週期は最初の四つの波に就て見るにその平均は
八戸 12分、追波川口 12分、氣仙沼 10.5分
である。
浪源よりの距離が大となるに從って週期は次第に大となり北海道の檢潮儀記録の中外洋に面したる釧路に於てはその波の形は初めの間は前記三ヶ所のものと一致し夫々相當した波があるに拘らず週期は著しく大で前記四つの波に就て見るにその平均は
釧路 22.5分
となってゐる。
上記の外に週期は津浪の初期に於て
鮎川 10分、銚子 12.5分
となってゐるが距離が大になるに從って小週期の波が消失し大なる週期が殘り且つ下記の如き大灣内各地に於ては灣の固有振動週期の影響を受けて週期は著しく大となり次の如くなる。
鹽釜 40分、横濱 60分、東京 70分、清水 70分
津浪の波動が反覆される間に灣の固有振動は次第に發達し次(表:主及副振動週期)の如き主及副振動週期が明に観測されるに至る。
表:主及副振動週期
(3)傳播速度及波長 S.Russel氏により ω=√(g(H+h_0/2)) 玄にωは波の傳播速度、Hは水深、h_0は波の全體の高さ、とし波の高さは前記各地の観測結果により假に深さによる波高の變化を無視して常に h_0=6m とし各水深に對する波の傳播速度及波長を計算すれば次(表:各水深に對する波の傳播速度及波長)の如くなる。波長の計算には週期を(1)に述べた八戸、氣仙沼、追波川口の平均をとり11.5分とした。
表:各水深に對する波の傳播速度及波長
上の表に就て見るに波長が極めて大であるから傳播に依る勢力の消耗が尠く從って波動が遠距離まで容易に傳播される。
尚上記のωに依り浪源より釜石海岸まで約240㎞の間傳播するに要する時間を計算すれは約43分となる。
2.海岸に於ける津浪の高さ及勢力
第II章に述べた如く海岸に於て津浪が達する高さは各地に於て著しく異り、これは
1.灣口の浪源に對する方向
2.海岸に於ける海底勾配
3.灣の形状
及その他二三の事柄に原因する。以下此等を項を分って観察する。
(1)波源よりの距離 津浪の勢力従って浪の高さはその源よりの距離に依り異るは勿論であって第二圖に明らかなる如く遠距離に至るに從ひ次第に小となる。而してその浪の高さは大洋中に於ては傳播の勢力の損失がないものと考ふれば源よりの距離の平方根に逆比例する。實際には淺海に於ては傳播による勢力の損失が相當にあるから、それよりも尚小である。今囘の浪源は海岸より非常に遠距離にある爲に三陸各地の浪源よりの距離の相違による影響は次に述べる各種の事柄に比すれば極めて小である。
(2)灣の方向 灣が浪源に向ってゐるか否かは灣内の浪の勢力に著しい影響があるが、これを理論的に決定する事は困難であって模型試驗の結果に俟たなければならぬ。普通の海波に就ては廣井勇博士は次の關係を示されてゐる。
h=h_0(1-θ/240)
第三圖
玄にh_0及びhは夫々方向を轉換する以前及以後の浪の高さ、θは波の進行方向の轉換したる角(度にて表はす、第三圖参照)。
この關係を直ちに津浪の如き長波に適用する事に就ては尚攻究の餘地がある。又岸に於て津浪が達する高さは、後に詳述する如く、所謂波の高さとは別の意味を有するのであるが、この岸に於ける高さも畢竟波の有する勢力の發現であり、波の高さも同様であるから、この意味から岸に於て達したる高さに灣の方向の修正を施す場合に上記の式を適用する。
即ち各灣内に於ける高さをHとし、若しこの灣が浪源に對しθ=0の方向にあったとした場合に達すべき高さをH_0とすれば
H=H_0/(1-θ/240)
である。第II章3.に記したものの中灣の奥にある主要なる各地に就てH_0を算出すれば次の如くである。表のHはその時の平均水面よりの高さであって波の全體の高さの半分に相當すべき値である。(各灣のθに就ては第一圖参照)尚表の右端にある灣内平均海底勾配に就ては後に述べる。
(3)海底勾配 海岸附近の海底勾配は津浪の勢力に著しい影響を與へる事を認めたから灣の奥の地點に達する迄の灣内の海底勾配を代表するものとして各灣の口に於ける灣の水深と灣口よりその地點までに至る灣の長さとの比をとり之を平均勾配と考へ(前項(2)の表中のsはその値)之と前に換算したθ=0とした場合に浪の到達すべき高さH_0との關係を今囘及明治29年の兩津浪に就て見れば第四圖及第五圖の如くなる。
津浪は灣の方向及海底勾配の外に次に述べる諸種の事柄の影響を受けるから尚夫等の修正を施す必要がある爲に上記の圖中の點は必ずしも一つの曲線上には集らないが大體の傾向として
昭和8年の津浪に對しては其の達する高さH_0は H_0=1.0+2500s^1.35(m單位)
明治29年の津浪に對しては H_0=1.0+3500s^1.35( 〃 )
の式を與べる事が出来る。即ち海底勾配が急なれば津浪の達する高さが著しく大である。綾里等が著しく曲線から離れてゐるのは上記の外に灣形の影響が大きい爲である(次の項参照)。
(4)灣の形状 V字形をなした灣の奥に於ける浪の高さがU字形のものよりも一般に大であり、更に中開き形に比し一層著しい差がある事は勿論であるが普通の淺海浪に於て波の傳播による勢力の損失がないとした場合に、灣内の幅及水深の變化による波の高さの變化の割合は次の如く表にされる。(物部博士著水理學536頁參照)
数式:(1)
玄にB_1及びB_2はA_1およびA_2に於ける灣の幅である(第六及び七圖參照)
一例を綾里灣にとつて計算すれば
灣口A_1の幅B_1=2600m;水深H_1=65m; 灣の奥の岸より400m?ち灣口より3600mの距離のA_2點に於てB_2=750m;H_2=9.0m(附圖第五參照)。
灣口A_1の波の高さをh_1=3.0mにすれば、A_2に於ける波の高さh_2は
数式 h_2
又米國gaillard氏の觀測の結果に依れば灣の幅員が口に於て狭く奥に廣き場合には口に於ける波高h_1灣の奥に於て口よりlなる距離にある點に於ける波高をh_2とすれば
数式 h_2/h_1
となり灣の奥に於ける波高は灣口に於けるものよりも小となる。これは(1)式の灣の幅の變化に對する項のみに就て多少の修正を施した形であるがこの場合深さの相異に依る波高の變化は考へてないから實際の場合には更にこの關係が入り灣の奥に於ては上に示された波高よりは大となる筈である。
尚同様の關係を灣の奥が狭くなつてゐる場合に適用する爲に物部博士は次の式を示されてゐる(水理學521頁)。
数式 h_2/h_1(湾の奥が狭くなっている場合)
(5)水深の變化と津浪の勢力 水深の變化が波高に及ぼす影響は海底勾配が緩なる場合は著しく底面の影響を受け同一の津浪でも場所に依つてはその高さに大なる差を生ずる事は本章(3)に指摘した通りである。津波の淺海浪と考へ底面の摩擦抵抗を無視した場合には(4)で述べた如く水深の變化に依る波高の變化はh_2/h_1=(H_1/H_2)^1/4で表はされる^1)
淺海波理論に依り
数式 r=
1) 津浪が淺い海に來た場合には水分子運動の速度が底面附近に於ても大であるから之に對して抵抗を無視する事は出來ないのであるが今は水深の變化による水分子運動の變化を概觀する爲にかく假定したのであつて實際の状態は之とは多少異つてゐる。
水深100mの場所に於ける浪の高さを假りに3mとして上記依つて水深の變化による此等の値をT=345秒(本章1(2)參照)として算定する。(第八圖參照)
即ち運動中の水分子が衝突して生ずる壓力は水深の減少に伴つて著しく増大する。
(6)碎波の勢力 津浪の高さは水深の減少に從つて大となるが一定の水深以下では波動を繼續する事が不可能となる。普通の淺海波に於てその限度は(物部博士著水理學519頁參照)。
数式 H=
で表はされる。之に依れば津浪の如き長波に於てはH=h_0/2に於て碎波となる事が明であるから各水深に於てh_0=2Hの高さの波が碎けた場合の水分子の運動速度ν_h及之に依る壓力P_vを計算すれば次の表に示す如くである。尚波が碎けんとする場合には水分子落下の速度により大なる壓力を生ずる。
この落下の高さは(第九圖參照)h_0/2+b_0であるから靜水面に於ける落下速度ν_vは
数式 ν_v=
で表はされる。依つてν_h及ν_vの速度を合成した速度ν_v及之に依る壓力P_rを算出して次表に示す。(第十圖參照)
上記の壓力P_rは最大勢力を有する部分に就て計算したものであつて一般に碎浪を生じた箇所に於て局部的に此の如き壓力を生ずる事を豫期しなければならぬが防波堤の垂直面その他の廣い面積に作用する力はP_vに近いと考へる。
一旦碎浪を生じた後は津浪は波の性質よりも流れの性質を帶びて海岸を襲ふ。この流れの勢力は碎浪を生じた地點を遠ざかるに從つて小となりその關係を
dν/dx=kν^2 玄にxは碎浪を生じた點より流れの方向に測つた距離, kは常數
で表はせば
1/ν_x=k_z+1/ν_0 ν_0は碎浪を生じた點のν
ν_xは夫よりxなる距離のν
となり之に依つて任意の地點の流れの速さ從つて壓力を計算する事が出來る。kは各地點に依り異るべき常數であつて河川敷等に津波が侵入する場合には小であり森林地帶等に於ては著しく大である。これは地方的に從來の津波の侵入の高さ等を精密に調査して決定するべき値である。第十一圖は内務省仙臺土木出張所宮古港修築事務所の調査に成る宮古港附近の各地の浸水高の變化であるが此の如き調査に依り各地のkが近似的に決定されると思ふ。
津浪が海岸に襲來する場合には一般に緩勾配を上昇するがこの上昇の爲に勢ひの一部を失ふ事は明らかであるから之を考慮に入れる事は勿論必要である。
津浪は之が碎浪となると否とに拘らずV字形灣の閉塞した終端に於ては勢力が集中してその高さが著しく大となり又津浪の壓力も大となる。綾里灣白濱、重茂村姉吉、廣田村集等の灣の末端に於て津浪の高さが著しく大であるのは之に依る。
防浪堤設計等に如何なる壓力を採るべきかは尚研究を要する問題であつて、玄にその正確な数字を擧げる事が出來ないのは遺憾であるが、各地に於ける實際の浪の高さ(岸に衝突して跳ね上つた高さでない値)を知る事が出來れば-これは波の進行方向に平行した地點に於て割合に正確に觀測され得ると思ふ-碎浪を生ずる水深を知る事となり從つてその附近に於ける壓力は上記に依り近似的に計算する事が出來る。碎破を生ずる地點より一定の距離にある構造物に作用する壓力は距離が大となると共に、又靜水面よりの高さが大となると共に次第に小となるが近似的に上記の値を採れば相當に安全なものとなる。
(7)工作物の被害程度と津浪の勢力 今囘の津浪の被害の數例に就て以下簡單な計算を施し各地の津浪勢力推定の資料とする。
i 吉濱の防浪堤。 岩手縣氣仙郡吉濱村は明治29年の津浪の被害が甚大であつた爲に海岸に延長約420mの防浪堤を築き將來の津浪に備へた。その斷面は第十二圖に示す如く海に面した部分のみ空積間知を施した土堤であつて、高さは地盤に高低ある爲一端に於て5.45m他端に於て1.8mである。底部には此の附近の海岸に多くある徑約15cmの玉石を多く使用し、目潰しに粘土を含んだ砂を用ひた。この防浪堤は今囘の津浪により流失したが(寫眞第四十五參照)その跡に就て見るに、防浪堤底面に於ける土砂の性質はtanφ=40° s=2.0t/m^2程度と推定される。
玄にφは底面に於ける土砂の内部摩擦角、sは粘着力とする。今堤の最高部分に就て計算すれば底面に於ける剪斷抵抗力はωtan40°+s×9.8=54.7×0.84+2×9.8=65.5t玄にωは堤の單位長の重量とする。
之に對してその高さは5.45mであるから單位鉛直面に對し65.5/5.45=12.0t/m^2
堤の破壞の原因がこの水平壓力であるとすればその壓力は之以上であつたと推定される。但し今囘の津浪當時は寒さ甚だしく地表面が一部分凍結してゐたと考へられるがその程度竝に凍結部分の?度が明らでない。
試みに地表面より30cmの間凍結しこの凍結部分が150t/m^2の剪斷抵抗力を有するとすれば津浪の壓力は次の値より大である筈である。
(150×0.6+65.5)/54.5 = 28.5t/m^2
ii 各地の土堤 今囘の津浪に遭遇した各地にあつた土堤の中あるものは流失したが又よく津浪に耐へて被害輕減の功を樹てたものも多い。次に三四例を採り各地の津浪の勢力の算定を行ふ。此等土堤の中には相當に水を含み凍結してゐたと考へるものもあるがiに述べた如くその程度不明であるから此慮には之を考慮に入れず、且つ土砂の性質も一々之を試験したのではないから極めて概念的な數字である。
iii 防波堤 靑森縣八戸港の防波堤は第十四圖の如き斷面を有しその低水面には八戸修築事業所の廣井式波力計が取付けてあつたが津浪直後の記録は800^#/□'となつてゐる。同港のこの附近に設置したる檢潮儀記?等により波力計附近に於ける津浪高は最大h_0=3.2m; T=360秒と推定される。その時のこの位置に於ける水深は4.4mであるから、浪が防波堤に達する迄は碎波とならず防波堤にて碎波を生ずると考へる。即ち波力計に作用する壓力は碎波による壓力ではないから、前の例に從つて計算を施せば波力計位置に於ては
r=318m, r'=1.34m, v_h=2.78m/秒
波力系はこの外に波高による壓力P'を受ける
p'=wh=1.03*2.65=2.73t/m^2
即ち波力計に作用する壓力はP_h+P'=1.55+2.73=4.28t/m^2となる筈である。これに對し測定値は3.92t/m^2であるから近似的に一致すると見て差支えないと思ふ。
宮古港の混凝土潛凾の防波堤先端に於ては水深約5.5mにあつた混凝土方塊(寸法2.5×1.8×1.1m(重量12t)7個が津浪により舊位置より約32mの距離に散亂し潛凾基礎の割石(一個の重量150kg内外のもの)は面積約12.5×5mに亘り深さ約1.2m洗堀されたが、之に依ればこの水深附近に於て津浪の壓力は尠くとも1.1t/m^2以上と計算されるが實際はこの値より相當大であつたと考へる。
iv 岩石等の移動,樹木の倒壞 今囘の津浪により水中から大なる岩石が陸上に運ばれたもの多く、此等はまたその地に於ける津浪の勢力を推定する資料となるから、次の表に此等の大さ又之を水中にて運ぶに要する壓力を計算して掲げる。岩石は水底にあつたものとし地盤との摩擦係數を0.7とする。實際は初め地中に幾分埋つてゐる事もあるから表に算定した値以上の壓力が働いたと考へるのが至當である。此等は必ずしも直六面體をなしてゐる譯ではないが、近似的にかく取扱ひ波がその中どの面に當つたかに依り壓力に相違を生ずるから、その最大及最小値P_max及びP_minを計算した。
表:岩石等の移動,樹木の倒壞
尚越中喜來、綾里湊、末崎村細浦等に於ては金庫が流失したものがあるが、之は中に水が入らなければ大型のものは水に浮く程度のものがあり、小型のものも全體として比重が約1.5であるから、水中に於ける移動は極めて容易であつて津浪の勢力算定の好資料とはならない。
綾里村白濱、鵜住居村水海(兩石灣)等に於ては根本の太さ20~30cmの樹木が多數に根本から折れてゐる(寫眞三十五及第五十一參照)。
今此等に就て計算を行ふにあたり一本の樹木の寸法が第十五圖の如くであるとし、地上50cmの高さにて折れたものとすれば斷面係數W=πd^3/32=2640cm^3であつてσ(抗曲強度)=460kg/cm^3とすれば枝のある部分の投射面に對しP_h=0.1t/m^2になればこの樹木は折れる。枝の部分は多くの間??が存するからP_h=nγν_h^2/2gに於てn=0.5とすればν_h=2.0m/秒となる。樹の列の縱の方向から波の力を受けた場合には數本の樹木にてその壓力を支へる事となるから尚大なる力が必要となる。
( 1) 寸法不明瞭であるから假りに立法體として取扱ふ)
(8)灣内のセイシュ 常時三陸附近に於て測定された灣のセイシュの現象は
宮古湾 週期22分 最大振幅0.3m (寺田博士測定)
鮎 川 週期25.2分及7.3分 (大森博士測定)
である。津浪が襲來すれば初めの間は左程でもないが津浪が、再三反覆する間に灣の固有振動が次第に卓越して、遂にこの灣の固有振動のみが認められるに至る。一度發生したこの振動は永く殘つて數日以上も繼續する。セイシユの影響は灣の形が簡單で殊に奥行きが大であるか又は灣口の狭いものに著しい。この形のものは津浪の襲來によつて突然に高い浪が押寄せる事が緩和されるから被害も割合に尠い。
IV 被害輕減の方法及被害防備施設
1. 被害輕減の方法
部落の位置による被害の大小
何れの灣もその奥には相當の部落が發達し、しかもこれ等の部落は兩側にあるものに比し一般に被害を受ける事が大であつて、【殊に海底勾配が急な場所に於ける津浪の高さは緩なる場所に比して大であるから特に避難道路を完成し非常の場合に直ちに高地へ避難し得る様に設備することが最も必要である。海底が急勾配であつて灣口が直接外洋に開く所謂V字形の奥行が割合に淺い灣の奥では津浪の勢力は最も大であつて、この勢力に對抗して防備施設を施すも効なき場合が多いから、かゝる場所では住宅地の移轉を考慮しなければならぬ。この種類に屬するものとしては田老、綾里灣白濱、兩石灣兩石及水海、唐丹灣小白濱及本鄕等である。
海底勾配急なるもV字形でなく灣の口が割合に狭いものは前者に比し多少勢力が小であつて且つ灣のセイシュの爲に急激な津浪の襲來が緩和されるから津浪防備施設によつて被害を輕減し得る可能性がある。この部類に屬するものは釜石、越喜來等である。
海底勾配が緩なるものは前者に比し更に津浪の勢力は著しく減殺され防備施設は愈々有効に働く。これに屬するものは宮古灣の奥、山田灣山田及織笠、大槌灣大槌及鵜住居、大船渡、廣田灣長部、氣仙沼、志津川、雄勝、女川等である。
此等の大灣内でも地形上外洋に面する箇所があるが此等は海岸勾配も急であつて被害を受け易い状態にあるから灣内の他の場所と同様に取扱ふ事は出來ない。
所謂外洋に直面する突出部は勾配が急であつて、津浪はその勢を滅殺されることなしに岸に衝突して大なる被害を與へ、又この突出部の裏面に相當する場所もその餘勢を受けて大なる被害を受ける事があるが此等は個々に對策を研究しなければならぬ。
2.防備施設
(1)防浪堤
防浪堤の作用は主に
第一、碎波を海岸より成可遠方に發生せしむる事
第二、既に發生した碎波の勢力を海岸に於て減殺する事
であつて、之に依つて浸水による被害までも防ぐ事を期待することは困難である。
第一の目的の爲には海岸より成る可く遠法に築造するのが有利であるが、水深が大從つて工費も大となつて實現不可能の場合が多い。この目的の爲の防浪堤の高さはその頂が平均水面位まであれば十分である。之に作用する力は第III章2(6)に述べた如く大であるから相當堅固にするを要する。たゞ津浪は一般の場合に比し反覆作用による被害が尠いから安全率は多少低下して差支ない。津浪に對してのみかゝる構造物を築く事は經費の點からも困難であるから港灣の普通の防波堤築造に際し防浪の作用をも兼ねしむる様設計するのが賢明の策である。
第二の目的の爲には海岸に近い場所に築くのであつて、この場合津浪は浪といふよりも流れの性質を有するから水制工の如き構造が適當してゐる。碎波を生ずる場所は普通の港灣では、水深3及至4m以下であると推定されるからこれよりも海岸に近く築くを要する。しかも海岸に近い程之に働く力は小となるから簡易な構造で足りる。その最も岸に近いものは堅固な護岸である。第III章2(7)iに述べた吉濱の防浪堤はこの種類に屬するが浪の力に對し堤の力が不足した爲に流失した。
この形の防浪堤はその兩端附近に著しい害を與へるから配置決定には特に注意を要する。又人家よりは數十米離れてゐる事が望ましくその高さはある程度まで高き程有効であるが(例へば尠くとも水面上2米)之に働く力は第III章2(6)に依り計算出來る。防浪堤の位置が水面上高い位置にあれば碎波の勢力の一部分が水位を高める事に費され之に作用する力は小となる。
(2)防浪林
防浪堤の項に述べた第二の動きをなすものであるから成可く岸に近く、しかも人家等の構造物よりも數十米離れてゐる方が適當である。流れが甚だ大なる場所では樹木が根本より倒され又折れらる爲に(第III章2(7)iv及寫眞第三十五及五十一參照)第二第三の浪に對してその効果を發揮する事が出來ない。既に浪の勢が小なる場所即ち海岸の縱斷底勾配が比較的緩なる部落附近に於てのみ有効である(寫眞第五十八及五十九參照)。但し流れの勢を殺ぐに最も必要な下部に多くの間隙がある場合には効果は著しく減ずる。
(3)道路盛土
浪の高さ及勢力が小なる場所に限り、海岸に沿ふて築かれた道路或は鐵道線路盛土は防浪の効果あるも、浪の勢力の大なる場所に於ては大なる効果を期待出來ないのは防浪林の場合と同様である。
今囘の津浪に於て海岸の築堤が相當浪の勢力が大なる場所に於ても有効に働いたのは土中に含まれてゐる水が凍つてゐた爲に堤の強度を著しく增してゐた事に原因すると思ふ。
(4)護 岸
堅固なる護岸は相當に効果あるも護岸附近には多少の被害は免れないからあ或る距離(例へば10m)空地を存して、その後方に構造物を置くのが適當である。鐵筋混凝土護岸、練積間知等が適當であるが基礎の施行に充分注意を要する。
山田灣山田町に於ては護岸ある箇所と無き箇所に於ては陸上於ける津浪の勢力に著しい差異が認められる。
(5)棧 橋
津浪の勢の最も激しい場所にある棧橋を耐浪的ならしめるには多大の經費を要するから、簡易なる漁港用のものは豫めその破壞を豫期し只之が流失して家屋等を破壞する原因とならない爲に流失を防ぐ程度に止めた方が有利と考へる。
特に重要なる棧橋に對しては防浪堤の項に述べた如き力を豫想し特に上向の力に對し考慮を費す必要がある。上部床板の間に間隙を設くれば作用する力を多少減少することが出來る。
(6)橋 梁
津浪に依る直接の被害は尠く漂流物の爲に橋脚等が破壞されることが多いから之に對し豫め計算を施し相當堅固なる構造にするか或は下流側に防舷柱を置く必要がある。又輕い構造の桁は上向の僅かの力で容易に破壞するから之に對し考慮を拂ふ事が必要である。
(7)建築物
建築物を耐浪構造とすることは浪の力が弱い場所にのみ適當であつて斯の如き場所に限り耐浪構造(例へば鐵筋混凝土造)を海岸に沿ふて壁状に設くればその裏の弱い建物をある程度保護する事が出來る。大なる勢力の津浪が襲來する灣内では耐浪建築に依つて津波を防ぐ事は不可能である。
(8)船 舶
碎浪を生ずる附近にある船舶が最も危險であつて轉覆或は漂流を免れ難い。津浪を豫知した場合には沖に避難するのが最も安全ではあるが之が不可能な場合には津浪に依り船に作用する浮力が增加し碇綱に大なる張力が働き之が切斷する事なき様碇綱を差支なき限り長くしておく事が良策である。今囘の津浪では30噸位の大きさの船が20.5tの重さの石碇と共に移動した例があるが水位が高くなり碇綱の長さが不足した場合この程度の重りでは船の浮力に打勝つ事は出來ない。
海岸に曳き上げた船は今囘の津浪では大部分流失したのであるが、津波を豫知した場合には陸上のものにも相當の長さの碇綱と丈夫な碇とを附する事に依り流失による被害を輕減することが出來ると考へる。
(9)河川及緩衝地帶
綾里灣等の如く灣の奥が塞つてゐる場合には浪の流れが堰き留められて水位が昇つて甚大な被害を與へる結果となるが、灣内に河川が注ぐか或はその他水を貯溜し得る地帶があれば一部の水が之に入る爲に被害が輕減されることゝなる。
附圖 津浪の高及浸水區域圖
附圖第二乃至第五は本年3月3日及明治29年6月15日の兩度の津浪の高さ及浸水區域を示す、圖中黒點は測定したる箇所、記入の數字は今囘の津浪、( )内數字は明治29年の津浪の略平均水面上の高さである、(本文第II章3參照)。又圖に記入した太い實線は今囘の津浪の浸水區域太い破線は明治29年の夫れを示す。
津浪の高さ及浸水線の大部分は岩手、宮城兩縣廳土木課の助力を得て著者が當所八木技手と共に實地に踏査して得たる値である。今囘の津浪に就ては能ふる限り殘れる痕跡に基き、之を認め得ざる箇所及明治29年の分に就てはその土地の人の言に依り之を實測した。往年のものは地形の變化記憶の不正確等の爲に必ずしも正確を期し難い。
附圖第一は附圖第二乃至第五の圖の位置を示し、その圖の番號を記入したものであつて各圖には下の相當番號の圖を収める
附圖第二 1~16
第三 17~27
第四 28~34
第五 35~45
附圖 第二 岩手縣九戸郡及下閉伊郡
1.種市村八木
2.久慈町
3.宇部村小袖
4.野田村
5.野田村玉川
6.普代村堀内
7.普代村譜代
8.田野畑村羅賀・平井賀及島ノ越
9.小本村
10.田老村攝待
11.田老村田老
12.宮古町
13.津輕石村
14.重茂村千鶴及姉吉
15.山田町及織笠村
16.船越村大浦及小谷島
附圖 第三 岩手縣下閉伊郡、上閉伊郡及氣仙郡
17.船越村
18.大槌町浪板及吉里吉里
19.大槌町及鵜住居町
20.鵜住居村両国及水海
21.釜石町
22.唐丹村本郷、小白濱及下荒川
23.吉濱村
24.越喜来村崎濱
25.越喜来村浦濱及下甫嶺
26.綾里村湊及白濱
27.大船渡町及び末崎村
附圖 第四 岩手縣氣仙郡及び宮城縣本吉郡
28.廣田村及末崎村門ノ濱
29.小友村三日市
30.高田町及氣仙町
31.唐桑村大澤
32.氣仙沼灣近傍。唐桑村、大島村、鹿折村、松岩村、階上村及大谷村
33.小泉村及歌津村
34.歌津村石濱
附圖 第五 宮城縣本吉郡、桃生郡及牡鹿郡
35.歌津村、志津川町及戸倉村
36.十三濱村
37.十五濱村名振及船越
38.十五濱村大濱及大須
39.十五濱村雄勝
40.女川町御前
41.女川町女川
42.大原村前綱
43.大原村鮫浦、大谷川及谷川
44.萩濱村萩濱
45.大原村小綱倉
寫眞
寫眞の順位は岩手縣北方より海岸線に沿ふて順次南下宮城縣に至る

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(追加)第二十七號 昭和九年第二冊
本所報告第24號に掲げた三陸津浪調査報告の附圖として掲げた、各地津浪の高及浸水區域圖は著者が實地に踏査した岩手、宮城兩縣下の文のみであったが、その後北海道廳及青森縣の土木當局に依頼して調査した結果を追加として玄に附圖として掲げる。即ちこの分は著者が踏査したものでなく専ら兩當局の調査に依るものである。
記入の數字は昭和8年3月3日拂暁の大津浪が達した最高點の中等潮位上の高さをmで表はしたもの、黒點は測點、太い實線は浸水區域である。尚圖の太い破線は明治29年6月15日の三陸大津浪の浸水區域であって分明したもののみに就て之を記入した。
第1及2圖は附圖の各圖番號の位置を示したものである。
附圖 北海道及青森縣津浪浸水高及區域
1 北海道日高區幌泉郡幌泉フンコツ
2 同 庶野
3 同 襟裳岬
4 同 歌露
5 同 歌別
6 青森縣上北郡三澤村砂森
7 同 六用目
8 同 淋代
9 同郡百石村一用目
10 同郡市川村橋向
11 八戸市湊及鮫
12 同 白濱
13 同 法師濱
14 同郡階上村追越
黒點は昭和8年3月3日津浪高測點を示し記入の数字はその最高點の●●潮位上の高さ(m)、-(実線)同浸水區域、(点線)明治29年6月15日の津浪浸水區域

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