岩手縣沿岸大海嘯取調書(甲・乙・丙・丁)

陸中国東閉伊郡磯鵜村(現、岩手県宮古市 白浜など)

陸中國東閉伊郡磯鶏村

●本村海嘯被害地ハ 字白濱 大田ノ濱 金濱 高濱 神林
                        飛鳥田 磯鶏 七ケ所
○流亡戸数  七拾四戸 ○潰戸數    六十八戸 ○流亡納屋  五十二棟
○潰納屋   三拾二棟 ○死亡人口     百人 ○負傷人口  五十五人
○流亡牛馬       ○流亡耕地・田畑     ○流亡舩舶
○流亡財産       ○流亡道路・堤防

漁村ノ新位置
一、新住家ヲ設クヘキ地及旧住家トノ利害
  ○本村 白濱ハ 在耒ノ位置ヨリ上昇セ 宅地ヲ設ルト云 高濱の如キハ  山手ニ寄セ 新居住地ヲ設ル
     設計ト云 下飛鳥田モ 少々 引揚ケ  居宅ヲ設ルト云
二、海面ヨリ高低及沿岸ノ地形方位
  ○海面ハ 二尺ヨリ 十尺余マテ 一定セス 詳細部落図ニ記ス 沿岸  地形方位ハ 宮古湾口ハ 
      北ニ當リ 本村 宮古湾内ニ 中央ニシテ海湾 西ニ 金濱 高濱 神林 飛鳥田 磯鶏 五濱ハ 東ニ
     海面  在リ 東 重茂村半島付 白濱 大田ノ濱 二濱 西ニ 海面アリ  海ヲ 隔タル 飛地の村落ナリ
     南方ニハ 津軽石村■■ 海濱ニアリ
三、津浪ノ耒ル場所
  ○北方 丑寅ハ 宮古湾口 故ニ 是ヨリ 激浪 走込ミ 海濱ヲ 破壊セシモノナリ 津浪ハ 弱キ方
四、防風林及防浪林其他堤防必要ノ有無
  ○本村ノ防風林(字神林 飛鳥田 磯鶏)大ニ 効アリ 白濱ノ如キモ 先年  製塩所 設置の際モ 浪止
      ノ乱杭打 置キタル為メ 今回の津浪 害 少シ
  ○昔 宝暦年間迄 大ナル防風林アリ 宝暦八年 當時 海嘯ノトキ枯損の為メ 失ヘタリト云 宝暦 
      海嘯ニ潰レタル 土地 五石通リ 海面ト 成レリ
五、魚付場及海湾近傍山林原(野)
  ○本村 魚付ニ関スル事 不足 昔ヨリ 樹木無キ方 山野ハ 雑林木 多シ
六、新道路ノ見込ミ及古道ノ便否
  ○本村 高濱ヨリ 八木沢迄 在耒ノ里道在リ 其他 金濱ヨリ 八木沢ヲ  経テ 磯鶏ニ至ル里道
      (從前ノ本道ナリ)此 二道路 開鑿 修繕ト  濱街道 修築ヲ以テ 便トス
七、漁村沿岸運搬ノ便否
  ○本村 沿岸 運搬ハ 欠ク能ハス 如何トナレハ 向 東 白濱 大田ノ濱の二部 飛地ニ在リ 故ニ


      小運搬ハ 欠ク事ヲ 能ハス

住 家
一、海濱住屋ノ建造之方法
  ○家屋ノ造リハ 屋根及棟木(材木)ノ軽木ヲハ 流易シ 大材木ヲ用ヘ  重キ方ハ 流カタシ 又 
      家具モ大家屋ハ 失ハサルヤノ如シ
二、住家ト納屋ト離合ノ利害
  ○本村ハ 多ク 本宅ト納屋 離隔セシ方 合併造リ多ク 無シ
三、海濱住屋建造ノ遺法の有無
  ○本村無

漁民風俗
一、祭事婚姻家庭ノ状況
  ○不漁ニハ 神官ニ托シ 祭ルナリ
二、漁民禁物
  ○産婦アルモ 死亡者アルモ  何レモ 忌ム 七日間ナリ
三、食物
  ○米 粟 稗 麦 布ノ粉(二石 三石食)
四、衣服
  ○木綿 麻
五、漁民衣食物供給ノ時季
  ○旧 七月 旧 正月
六、被害町村漁民年々北海道及其(他)出稼ノ状況
  ○年々 北海道 出稼 三百人位
七、良習慣ト不良習慣トノ種類
  ○家屋建築  屋根替等ニハ 人夫 助合ス 多ク 働カス 酒食ヲ 呑食ヘ助合 実意ニ在リ 不良習慣アリ

漁村制
一、漁業組合ノ状況及改善ノ策
  ○本村 末タ 充分 組織ナラス
二、漁民ノ労働及稼業ノ順序
  ○農漁 兼務 漁業ニモ 男女 從事ス 農耕モ仝ス



三、旧漁場ト新漁場トノ位置ノ状況
  ○今ニ 調査セス 舟無キ為メ
四、漁場紛擾仲裁法
  ○村内 重立モノ 之レヲ 捌ク
五、捕獲魚類沖合販賣ノ利害
  ○本村ハ 販路 充分ナラサル地方 故ニ 宮古 鍬ヶ崎 地方ニ於テ  賣買スルナリ 沖合ニテ 
      賣買スル事 無
六、藩政ノ當時ノ方法及税法
  ○書類 無キニヨリ 記セス

凶年調査
一、海産物凶年ノ備荒品及製造
  ○布ノ粉 
二、凶年ノ状況
  ○未詳
三、凶年の際藩政ノ救助方法
  ○仝
四、凶年及津浪后ノ流行病
  ○安政三年七月二十三日 津浪后ニ チャウチフシ流行

漁民需用品
一、海岸山林原(野)ノ状況及將耒ノ企望但材木薪炭木トモ云
  ○本村 材木薪炭木 欠乏 近比 稍 氣侏アリト云
二、竹木大麻藁物消費年額
  ○網ハ 東京 千葉縣 水沢 麻 地元産 藁物モ 仝断
三、造舩の種類及年々造舩ノ員数
  ○艀漁舩(湾内ニ 漁スル 小舟) 五大力 四間 五間 命 十年  トヾリ舟 四間 命 十一年  
      傳馬舩 三間 命 七八年  ダンヘ 二間 命 五六年  壹ケ年 新ニ 拾艘位の造舩ス
四、木材ヲ需ル便宜ノ場所
  ○山口官林 飛鳥田官林 越田官林トス
五、將耒漁舟漁具改良ノ方法
  ○漁民 馴レサルル為メ 別方法の考 無



六、漁民衣食供給ノ場所
  ○本郡宮古町

海 湾
一,旧漁場の位置及変更の状況
  ○海湾 浅深 障害物 岩石 変動等 詮議中ナレトモ  末タ 充分 調査セス 舟 無キ為メ
二、海湾ノ主産
  ○鮭 鰯 鯣
三、海湾捕魚の種類及時期
  ○春・鰯 貝類  夏・鯣 鮑  秋・鮭 鯣  冬・海鼠 鱈 サカ
四、沖合漁業ノ位置里程
  ○鱈ハ 十五哩  サカ 二十哩
五、製塩所位置興廃
  ○一新以耒 高濱ヘ 本縣の奨励ニヨリ 改良 製塩所 設立セシモ  薪炭の欠乏ニヨリ 廃業セリ

海事考
一、四季の氣候
  ○雪 十月下旬ヨリ 四月下旬迄 降ル 二尺位 積ル 梅花 四月中旬 咲
二、起風雨前知
  ○未詳
三、不漁前知
  ○仝
四、大漁前知
  ○仝
五、潮流ノ状況
  ○仝
六、海湾ニ関スル事歴
  ○本村 小林福太郎ノ祖先ハ 磯鶏ノ松原ヲ植シト云 又タ 磯鶏ヲ  市街ニ 造リラント 當時 設計セ
      シモ 其事 果サス 方今 村落モ  町並揃ヘ 海濱ニハ 要害ノ地ニ ナシタリ 右 松原ヲ調査スルニ
   凡 百八十年位ナリ 二代の金次郎 植付シナラン
  ○松原海岸ハ 明治廿九年ヲ去ル 三十年以耒 四五間 海成
七、固有漁場ノ変遷ノ状況
  ○昔ヨリ 何漁場モ変リタルト云


八、津浪ノ歴史
  ○中島ノ古書ニヨルト 慶長十六年十月廿八日津浪アリ 津軽石ニテ  百五十人 死亡トアリ
  ○本村 字白濱 中村松太郎 慶長十九年ノ津浪アリシトモ古書ニ在リ  今回 津浪ニテ 失ヘタリ
  ○北村福太郎ノ家ニ 石垣マテ 慶長ノ津浪 打上タリト云  凡 海岸ヨリ 二百五六拾間ノ所ニ在リ
九、津浪ノ耒ルヘキ前兆
  ○鰻ハ 安政三年七月廿三日津浪ニモ 明治十一年旧三月十七日ノ [ヨタ]鰻 三十日位前ヨリ 海底アラ
      ワレルト云 

漁村挽回
一、迅速ナル業務
  ○艀漁舟 早ク造ルニアリ
二、造舩職工ノ有無
  ○職工アレトモ 間ニ合ス

漁民將耒ノ企望
一、管内沿岸一致漁業組合設ル方法
  ○有志見込アルト 雖 容易ニ 行ワレカタシ
二、授産方法ニ付便利見込有無
  ○別ニ考無
三、他ヨリ團体ヲ造リ漁業ニ耒ル者アルトキハ如何スルヤ
  ○他ヨリ 耒ルヲ拒ム 能ハス 故ニ 縣廳ハ 夫ニ奨励アリテ 改良地ヨリ  模範的漁民 各業ニ付 
      移住ノ策 需ルニ便アリ
  ○是マテモ 越中地方ヨリ 耒リ 沖漁ヲ行フ者多ク在リ(石ナキ釣)本村漁民ハ 石ナキ釣ノ針 
      要求スルモ 決シテ譲ラス ヤリソクナエ  譲ルト云 実ニ 専賣ノ如シ 他ヨリ 耒ルモ 拒ム 
      能ハス  早ク 前述の如ク 移住策 急ナリ

陸地産業被害調査
一、家畜ノ関係
  ○
二、耕地被害
  ○





商業調査
一、物價相庭魚類販路
  ○鮪漁アリ 代相庭 宜敷 販路 大ニアリ
  ○物價 五割口 高シ
二、貸借変動及金利質屋ノ景況
  ○金利 壹割五分  質屋 無