岩手縣沿岸大海嘯取調書(甲・乙・丙・丁)

陸前国気仙郡綾里村(現、岩手県大船渡市三陸町綾里)

陸前國氣仙郡綾里村

●本村海嘯被害地ハ字 石濱 港 田濱 野々前 砂子濱 
                 小石濱 鬼ヶ沢 八ケ所ナリ
○流亡戸数       ○潰戸數         ○流亡納屋  
○潰納屋        ○死亡人口        ○負傷人口
○流亡牛馬       ○流亡耕地・田畑     ○流亡舩舶
○流亡財産       ○流亡道路・堤防

漁村新位置
一、新住家ヲ設クヘキ地及旧住家トノ利害
  ○本村 被害地ノ内 元居宅地 変更セシ所ハ 石濱 港 向濱ノ三ケ所ナリ
  ○港ハ 本村第一ノ輻輳地元町割ノ小市街ノ港ナリ 土地ハ 海面ヨリ 二尺ノ地 故ニ 平素 激浪ニモ
   時々浪打上 家ヲヒタシ事アリ 故ニ 西側山手ニ 宅地ヲ移シ 將耒 永遠不朽 案全ノ地ニ 居住
   セシメント 有志者 協議中
  ○字石濱 白濱両所モ 元宅地 居住ノ見込無キヨリ 石濱 拾間ヲ引揚ケ 宅地ヲ設ク 白濱ノ如キハ 
   海岸 北山手ニ 海面ヨリ 三拾尺モ高キ所ニ 移轉地ヲ定メントス
二、海面ヨリ高低及沿岸ノ地形方位
  ○本村ノ湾ハ 東大洋ニ 面シ 村内被害ノ海濱ハ 南北ニ在リ 三方 皆 海面ナリ 
   是カ為 激ナリ 其他 部落地 詳細 記入ス
三、津浪ノ耒リタル場所
  ○綾里村 東大洋直面シ 津浪ハ東北ヨリ激烈ニ 打込ミタルヤ如シ 詳細ハ 部落図ニ記ス
  ○本村 綾里湾 沖合六哩計リノ所 漁民 漁ニ従事セシニ 音二回計 大砲ノ音ノ如ク 聞シノミ 波浪
   モ荒ク無ク ヲタヤカニテ 十六日 明方戻リタルニ 大海嘯 歸帆セシ 海濱 惨酷 実ニ驚キ 上陸
   セリ 此舟ハ 鮪流網ミナリ 字野々前ノ漁民 カッコ舟ニ 乘リ 小漁業ニ 湾内ニ居タル 大砲ノ如
   ク聞キシヲ 蒸気ハ港ニ着セシ 音ナラント 聞キシノミ
四、防風林及防浪林其他堤防必要之有無
  ○潮止メ堤防ヲ要スル所ハ 港ニ 凡 二百間 石垣堤防ヲ要ス 白濱 及 港ニ 防風林ヲ 植付ハ 必
   要ナリ 詳細 部落図ニ 記ス
五、魚付場及海湾近傍山林原野ノ景況
  ○本村 従前ハ 私有 共有 官有ニ関セス 海岸ヲ去ル 百五拾間(直立険阻ノ海岸)木種ヲ 問ハス 
   伐木ヲ禁ス 一新以耒 乱伐セシヨリ 漁業欠乏ヲ見ルヨリ 明治三十年ヨリ 壹村申合 村内ノ人夫ヲ



   以テ 植ルト云
六、新道路ノ見込及古道ノ便否
  ○本村 九十九曲リ 通リ 開鑿 濱街道(氣仙沼ヨリ唐丹ニ返ル) 赤崎村字中赤崎ニ 通ル道 第一ト
   ス 其他 田濱 白濱ニ 通スル里道ハ 詳細 地図ニ記ス 港ヨリ 田濱 白濱ニ通スル道路ハ 本村
   中央線トス
七、漁村沿岸運搬ノ便否
  ○本村ハ 小半島 故 山坂 嶮ナリ 故ニ 運搬ハ 舟ヲ以テ 便利トス

住 家
一、海濱住屋ノ建造ノ方法
  ○別無
二、住家ト納屋ト離合ノ利害
  ○離隔スルニ便アリ
三、海濱住屋建造ノ遺法ノ有無
  ○別無

漁民風俗
一、祭事婚姻家庭状況
  ○祭事ハ 大漁アルトキハ 村社ニテ祭ル 溺死者アルトキハ 臨時 施餓鬼ヲ 行事アリ
  ○本村 赤魚 大漁 故 本年四月ハ 村社ニ於テ 大漁祭リ行ヘ 亦 五十年前(弘化四年六月十八日)
   溺死者 供養ヲ 施行セリ
  ○漁民 多数死亡セシトキハ 有志者ニテ祭ル 亦タ 年回モ仝ス
  ○溺死者アルトキハ 神官ニ托 祭ルアリ 僧侶ヲ以テ 絶(施)餓鬼ヲ行フ
  ○神官ハ 諸祭ト唱ヘ 海濱ノ精浄ヲ 祈ル
  ○不漁 大漁ハ 神官ニ托シ 浦々 濱々ニテ 祭ルアリ
  ○婚姻ハ 本村ノ 海濱農漁兼業部民 故ニ 山手 村落ヨリ縁組ヲ 忌ムニアラス 田濱 港ニ 漁業
   一方ノ者モアレトモ 僅々ナリ
二、漁民の禁物
  ○鯨ト云事ヲ ヱヒシト云 猿ヲ ヤエント云 蛇ヲ 長虫ト云 生産死亡ヲ忌ム
  ○宮城縣牡鹿(本吉)郡本吉辺 昔ハ 壹部ニ 僅ノ家屋ヲ立 産室トナシ 漁民ノ妻 出産ニハ 必ス此所
   ニ行キ 産ス 本縣南閉伊郡釜石町ニ 一新以后マテ在リ
  ○伊豆国大島抔ニハ 尤 有リ 女 月々血(月)経ニテ此産室ニ行キ 居ト云事 綾里村ニテ 聞ク 
   宗眞 明治六年同島上陸セシトキモ 耳朶ニセシ事有リ



三、食物
  ○麦 稗八分 米貳分 凶年ニハ 大根 トコロ 蕨ヒ コサ 松皮澡 ヒツキノ葉(マルコ葉) 若布 
   細布 ヒツキ 穴布等アリ 之レヲ 二舛入 湯ニ 稗 壹盃位ニ 右糧ヲ交セ 食スルナリ
四、衣服
  ○木綿八分 麻ハ働ノ上着ナリ 夏氣 常衣トス
五、漁民衣食物供給ノ時季
  ○盆旧 七月上旬 旧十二月年末
六、被害町村漁民年々北海道及其他出稼ノ状況
  ○本村漁民ハ 春ハ 遠島(牡鹿辺)辺廿人位 秋 南部地方(釜石辺)拾人位 北海道ヘモ拾人位アリ 
   遠島及釜石地方出稼の如ク 家ニ歸ヘ ラサルニ 困ルナリ
  ○大工木挽ニテ平素 八拾人位 釜石地方遠島地方ヘ出稼在リ 今回 流亡 職工ヲ 取調ニ 大工廿三人
   木挽 三十四人ハ他ニ出稼キ 居ル哉ノ如シ 末タ 歸村セス 大工ハ 南部地方 木挽 近村 近都
七、良習慣ト不良習慣ト種類
  ○吉凶共ニ 契約ヲ若者ハ 結ヒ 互 助合 悪事ヲ 除去スル方法ト 貯蓄法ノ如キモアリ 月々 年々
   留錢ヲナシ置クモノナリ

漁村制
一、漁業組合ノ状況及改善ノ策
  ○漁業組合ハ 日 浅クシテ 充分ニ実地ノ効 見ル 能ハス
二、漁民ノ労働及稼業之順序
  ○夫ハ漁業の為メ海二 婦ハ 農業ノ為メ山ニ 労働スルヲ以テ 本村 人民ノ業トス 工 是ニ次ク 
   商 僅々ナリ 農漁兼 七分 工漁兼 二分 商漁兼 壹分ナリ
三、旧漁場ト新漁場ノ位置ノ状況
  ○昔ハ 鮪立網 海岸近ク寄リタルハ 目今ハ 沖ニ寄ル 是レ 氣候ノ変遷ト云ヘル 数十年の間 惣 
   尤 変遷アルモノナリト云
  ○仮令 引承ステ 曰ク 鹿猟ハ 本村ニテ 十ケ年前 百五拾頭位 猟セシモ 近年ハ三拾頭位 内 猪
   三疋 鹿 廿七疋位
四、漁場紛擾仲裁法
  ○従前ハ 紛擾仲裁ハ 成丈 村内ニテ脩メ 及ハサルトキハ 隣 村長 仲裁ス 本訴ヲ好マザルヲ務メ
   タリ(當村ノ村長ハ肝入ト唱ヘタリ)
五、捕獲魚類沖合販賣の利害
  ○有力者ハ漁舟ヲ造リ(カッコ舟赤魚舟)漁師ニ貸与 漁業者ハ 食物 餌差出シ 部分方法ニテ 漁業ヲ
   営ム者 拾分ノ二 漁師ハ 有力者ノ雇夫 トナリ 漁舩具 其他諸事ヲ 渡シ 漁業スル者 拾分八ニ
   ナリ 之カ為メ 沖賣起リ 亦 捕具 漁迄 ヱキヤウヲ 及ホシ (海岸近傍小漁舟根付モノノ類ヲ云)


  ○カッコ漁ハ 旦那ヨリ 仕込金ヲ 借用 漁業ヲ 以テ 返却スル 故ニ 自然 狡徒ニナリ 沖ニテ 
   賣却 旦那ヘハ 不漁ヲ 以テ 訴ル 次第ナリ
六、藩政ノ當時ノ方法及税法
  ○氣仙郡皆同一

凶荒調査
一、海産物凶年ノ備荒品及製造
  ○布ノ粉 ヒツキ 若布 細布 穴布
二、凶年ノ情況
  ○天保ノ凶年 人 路傍ニ斃ル
三、凶年ノ際藩政ノ救助方法
  ○凶年ニハ 藩政ノ 備荒倉ヲ 開キ 救助セシナリ 亦 村内 富有ノモノニハ 粥ヲ出シ 救助命令
   セリ 是レラ 八盃粥ト唱ヘ
四、凶年及津浪后ノ流行病
  ○凶年ノ后 赤痢 チャウチフシ病ニテ 人 多ク死シ

漁民需用品
一、海岸山林原野ノ状況及將耒ノ企望但材木薪炭木ヲ云
  ○本村海岸ハ 多ク 雑木 故ニ 村内協議ヲ以テ 松杉ノ植立ヲ 企望ス居ル
二、竹木大麻藁物消費年額
  ○麻網 大麻 水沢 岩谷堂及 銚子 東京ヨリ買入 又 麻 一ノ関 山ノ目地方及高田町 盛町ヨリ買入
  ○藁ハ 土地ニテ足ル 鮪網 小友 米崎 塩釜辺ヨリ買入
  ○竹ハ 本郡横田村産及地元産ニテ足ル
  ○鮪網 壹把ニ付 百五拾円ヨリ二百円 縄代ヲ 要ス 本村五ケ所ニ在リ 凡 七八百円ヨリ千円 其他
   諸費マテ二千円位
三、造舩種類及年々造舩ノ員数
  ○本村左ノ如シ
   カッコ舟 百艘 サッパ舟 三拾艘 鰹舟 二十艘 流舟 廿艘 合 百七拾艘 年々 拾分ノ一 造舩
   スルヲ以テ足ル
四、木材ヲ需ル便宜の場所
  ○本郡 日比(頃)市官林
五、將耒漁舟漁具改良方法
  ○未タ 漁民 進マスト 雖 將耒 見込アルハ 第一改良舟ナリ



六、漁民衣食供給ノ場所
  ○衣服ハ 高田市 盛町 食物ハ 舟米 石巻 塩釜ヨリ買入 其場所 本郡 港ナリ 酒造家アリ 醤油
   呉服 小間物 惣テノ商業在リ 東磐井郡大原 石巻地方トス

海 湾
一,旧漁場ノ位置及変更ノ状況
  ○未タ調査セス 津浪ニ付 変更無ト思フ
二、海湾ノ主産
  ○鮪 鰹 赤魚 鯣 鰯 字砂子濱ノ鮭
三、海湾捕魚ノ種類及時期
  ○鮑 細布 東海婦人 海苔 ふのり 角又 鯛 主産ニ加ヘシ
四、沖合漁業ノ位置里程
  ○鰹舩 百六拾哩(山無)■■■ 時 大同小異
  ○本村八ツ森 立石ハ 沖ヲ見ル場所 旧藩時代 外國舩通行 旧藩ノ時ハ 此二ケ所ニ 唐舩 見番所
   在リ(方今ノ望樓臺)
  ○漁舟ノ目標山ハ 本郡五葉山 氷上山 其他 本村 富士等ヲ以テス 北ハ 大小鯨山 南 室根山 
   金花山トス
五、製塩場位置
  ○塩竃ハ石濱 二ツ 野々前 壹ツ 白濱 壹ツ 皆 清水竈

海事考
一、四季ノ氣候
  ○雪 旧九月下旬ヨリ二月迄 降ル 昔 五尺位積リ 目今 二尺位 梅花 椿 旧二月咲ク
二、起風雨前知
  ○不詳
三、不漁前知
  ○山野 草木ノ葉ニ 虫付タル等ヲ以テ 知ル 抔ト云 書スル能ハス 山林ニ 赤楊等 立木 沢山ナル
   所 夏 緑々トシテアル色虫 付着 赤楊ノ葉 食侭ト 山色 夏山ニアラス 秋山ノ如シ 然ルトキハ
   魚族 方針ヲ失ヘ 不漁トナルコトアラント云
四、大漁前知
  ○かもめ 多ク 耒サルトキハ 大漁アリ
五、潮流状況
  ○潮 南ニ 流ルルトキハ 漁アリ 北ニ 流ルルトキハ 不漁ナリ


六、海湾ニ関スル事歴
  ○明治廿九年ヲ去ル 百年前(寛政八九年)迄 港ニ 家 五六戸有リト云 天保ノ比 三拾二戸ヨリ四拾
   戸ニ 増 海嘯前 九拾五戸 皆 流没ス
七、固有漁場ノ変遷ノ状況
  ○未詳
八、津浪ノ歴史
  ○天保ノ津浪(天保六年六月ナラン)ニ 港 人家ニ破損 無 海岸ヨリ百五拾間マテ 浪走タリト云
  ○安政三年七月二十三日 地震 此津浪 海面ヨリ 拾尺 打上 走浪 百五拾間
  ○文久ノ津浪(大潮ト唱ヘ)打上浪 十三尺 二百間走リ浪アリ
  ○綾里村 寛政六年 検地在リ 其 當時ノ 未詳 其前 亨保十二年 御検地■■■■ ト云 此 當時
   墓所■■ 荷所■■ テ在リト云 (此 文字 當ラス  無学ノ誤リナラン)
  ○文政四年八月十日ヨリ 両日々 二三日ニ 満水 坂本川 山根川 供(洪)水 綾里村 大川堤防 破壊
   (岩崎土手)(十五間三十間)(南部 平金村ヨリ廿五切 壹歩ニテ 普請ヲ 渡タリト云)川上 津浪風
   の為メ 海ヨリ 潮 走込ミ 綾里 字岩崎ハ 湖水ノ如クナリ 其 惨状 云方 無シ 非常の大害ナ
   リ 家モ 流亡 耕地ハ 勿論 又タ 五十年以耒 家ヲ 流亡セシ 供(洪)水 三回在リト云
   詳細ハ不詳 本村千田学治 親父の話
九、津浪ノ耒ルヘキ前兆
  ○未詳

漁村挽回
一、迅速ナル業務
  ○カッコ舟 造リハ 専務ナリ
二、造舩職工有無
  ○造舩大工 老人壹人残リ 皆死亡 是ニ困却 縣ニ出願 他府縣ヨリ雇入ノ企テ 有リ
  ○字野々前ヨリ 山路ヲ越エルトキ 木挽 居 日雇銭ニ 間ニ 一日三拾銭 三四坪ノ板 ヒクト云

漁民將耒の企望
一、管内沿岸一致漁業組合設ル方法
  ○容易ニ人 無キ為メ 行ハレス
二、授産方法ニ付便利見込有無
  ○別ニ考無
三、他ヨリ團体ヲ造リ漁業ニ耒ル者アルトキ如何スルヤ
  ○他府縣 良産地ヨリ 熟達の者ヲ 移住セシムルニ便アリ



陸地産業被害調査
一、家畜ノ関係
  ○
二、耕地被害
  ○

商業調査
一、物價ノ相場魚類販路
  ○物價三割口 高直 魚類販路速ニアレトモ 漁舟無キ為メ 捕獲スル能ハス
二、貸借変動及金利質屋景況
  ○金利 六十円ニ 一月壹円 八十円ニ 壹ケ月壹円ノ割 残ル 二分通リ 當分 利子 見ル能ハス


  全戸  流亡戸  潰戸  惣人口  負傷  死亡  男女  生存者  絶家
  440      264     15     2795                男612     387    103
                                              女739

   カッコ舟 サッパ舟  鰹舩   網舟   商舟   西洋形  生存牛馬   死亡馬   死亡牛
流    125        15      13      8     4              馬164      142       306

抔     35         7       2      1     2        1     牛  77      17        94

字岩崎分

  全戸  流亡戸  潰戸  惣人口  負傷  死亡  男女  生存者  絶家
   45       28       6       248              男 41     74    
                                                女70