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明治二十九年六月十九日明治廿九年六月十九日第七千六百五十六號 その他(付録) ◎海嘯慘状

明治二十九年六月十九日 ◎陛下の御仁慈

漏れ聞く處によれば十六日正午宮城、岩手、賴
森三縣に於ける大海嘯の****に達するや天皇陛下には直ちに侍從試補男爵澤*九氏を中央氣象臺に差し*はされ被害の模樣を聞き質さしめ給ひしと承はる

明治二十九年六月十九日 ●海嘯の眞原因(未確定)

今回起りたる大海嘯に就ては其原因奥州東海岸を隔つる廿里乃至六十里内外の方向にある最深海底トスカロラの陥没に**する者なるべしとの説なるが今某地震學者の謂ふ處を聞くに吾國地震學者がトスカロラの陥没なるべしと云ふは多分は至當なるべけれど曾て安政元年十一月に於て伊豆下田より幾内沿岸特に土佐海濱に悲慘を極めたる海嘯の如きは二十四時間を経て米國西海岸に同一なる大災害を興へたる事あり今回の海嘯も或は米國の海岸に影響を及ぼしたるやも計るべからず去れば其結果によりて充分なる調査をなすに非らずしてトスカロラの陥没と斷定し得べきにあらず云々

明治二十九年六月十九日 ●海嘯の時間と旅順丸

去る十五日午後八時過
岩手、宮城、賴森三縣下の東南海岸に大海嘯ありし後九時三十分頃北垣拓殖務次官の乘組居られし旅順丸は函館より金華山附近を通過したるに此時は既に海上靜穩に*し津浪のあるも知らざりしが海霧の壓塞甚しく同船は凡そ四時間程進航を停止し午前二時頃漸く進航を始めたる由なれば海嘯の時間は僅々一時間内外にして海霧壓塞は此の大事變の爲めに起りたるなるべし

明治二十九年六月十九日 ●帝國大學の海嘯調査

帝國大學にては理科大
學地質科學生及び同助教授神保小虎氏等を學術研究の爲め靑森縣海嘯實況の*に赴かしめんとの協議あるやに聞く

明治二十九年六月十九日 ●石巻測候所の消息

東北地方の海嘯の詳況を
報ずるに便宜なるに同測候所よりは一昨十六日午前八時四十一分秒地鳴震動ありと報じ越せしまヽ中央氣象臺員は何等の消息に接せざるに依り氣遣ひ居るといふ

明治二十九年六月十九日 ●第二師團軍醫の出張

海嘯被害者救助のため
第二師團軍醫部副官一等軍醫後藤幾太郎、黒田一
等軍醫、奥田、岡田二等兩軍醫、看護長二名、看病人
十五名と供に本吉郡志津川町へ向け發されたり由

明治二十九年六月十九日 ●在京被害三縣有志者の會合

宮城、岩手、賴森の三縣下は今回海嘯の爲め未曾有の慘害を蒙りたるを以て千葉胤昌、佐藤昌藏、武者傳次郎の三氏發起人となり明二十日午後一時より右三縣撰出代議士を始め弘く在京の三縣下有志家を會し新肴町開花亭に於て救助方法等に關する協議を爲す由なり

明治二十九年六月十九日 ●寫眞師の出張

群馬縣高崎町寫眞師江原熊太
郎、江原竹次郎、伊藤方直の三氏は三陸海嘯寫*の爲め器械を携へ被害地へ出張したり
発行人*印刷人花田節編集人****
発行所東京市京橋區尾張町新橋七番地毎日新聞社
横濱市本町六丁目八十二番地横濱販売所