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忘れられていた津波 社説

東西首脳会議の決裂、新
安保条約をめぐる政局の
濁迷、長期化する労働争
議、幼児誘かい事件、相
次ぐ火災、交通事故など
内外ともに不安のさなか
に、本邦太平洋沿岸は二十四日津波に
襲われた。夜明け前から三十分ないし
五十分おきに、最高六メートルの津波が押し
寄せ、これまで判明しただけでも死者
行方不明者が約百六十人を越えたほか
家屋、工場,田畑,船舶,道路など産業,
土木、通信施設などの被害が多数にの
ぼり、その中には目を覆うものさえあ
る不安と恐怖の一夜を明かした被災者
には心からお見舞いを申し上げたい。
 これまで日本を襲った津波は”外測
地震帯”を震源地とするものがほとん
どで、明治二十九年、昭和八年の三陸
津波、昭和二十一年の南海道地震津波
昭和二十七年の十勝沖地震津波などが
これである。このうちでも昭和八年の
津波は死者約三千人。流出家屋約四千
戸を出し、世界最大とまでいわれ、本
県でも多大の損傷を出したので、中年
以上の人には、まだ記憶に残っている
はずである。ところがこんどの津波は
一万八千キロも遠くの南米チリの太平洋
岸が震源地というから、自然の猛威に
は、ただただ驚くばかりである。
 外電の伝えるところによると、チリ
では二十一日から二十二日(日本との
時差は十四時間)にかけ大地震が起こ
っており、きのうの本紙もこれを報じ
ている。この地震が日本にまで大被害
を与えると予想した人はおそらくある
まい。現にハワイにある太平洋地域津
波情報センターも、津波の兆候を認め
ているが、その規模などについては細
かい情報を出していない。だから二十
三日午後十時ごろ北海道釧路で第一波
を認めながらも、最初に警報を出した
のは札幌管区の二十四日午前五時、続
いて中央気象台の五時二十分である。
ところが午前四時ごろには本格的な被
害を受けはじめている。太平洋のかな
たが震源地では警報が遅れることも不
可抗力であるが、これが被害を大きく
した原因の一つであることは否定でき
ない。いつの災害にもいいうることだ
が、自然の暴力は人知を上回っている
ことを忘れてならぬし、さ細な情熱に
も神経をとがらすべきことをこんどの
津波は警告していると思う。
 これまで津波に対してはV字型やU
字型の湾が脆いとされていた。これは
湾口まで同じ高さだった波が、せばめ
られてぐっと高くなるからである。昭
和八年に十数メートルの波に襲われ全滅に近
い被害を受けた岩手県田老町などはこ
の例である。このとき砂浜つづきの本
県東海岸は五メートルぐらいだったという。
ところが今回の津波では、これまでの
実証を裏切って砂浜、港湾地帯まで被
害を受け、それも北は北海道から南は
九州にまで及んでいる。つまり、これ
までの津波は三陸海岸とか十勝地区な
どと地域的に限定されていたのに、こ
んどのは広範囲にわたっている。もっ
とも三陸、北海道の被害が多大だが、
これが第二の特徴といえよう。
 昨年の伊勢湾台風で高潮の恐ろしさ
をわれわれはいやというほど見せつけ
られた。こんどまた同じことを繰り返
したのである。台風や洪水の歴史も古
いが、津波の歴史もこれにまさるとも
劣らない。明治以前でも、一八五四年
(安政元年)一六一一年、一六〇四年
(ともに慶長年間)一四九八年(明応
七年)八六九年(貞観一一年)など大
津波の記録が残っている。ただそれは
四年に一回の大地震や毎年のように襲
う台風と違って回数が少ない。いわば
”忘れたころにやってくる災害”なの
である。そのために洪水ほど注目され
ないのであろうが、その被害は一瞬の
うちで、まさに地獄絵といってよかろ
う。しかも最近のように臨海工業地帯
が産業上に占める役割、あるいは津波
が漁村の窮乏の根源になっている事実
からすれば、伊勢湾台風以前に高潮対
策をもっと真剣に考えてよかったので
はないか。
 しかしいまは責任の追及よりも救援
対策が第一である。われわれにとって
気になるのは、国会がマヒ状態になっ
ていることである。国会の機能が停止
しているとすれば、政府あるいは県、
市町村独自でも対策を急がなければな
らぬ。あすの手厚い救護も大切だが、
きょうの救援がより大切なことも忘れ
てはならない。とくに本県では八戸市
の被害がひどく、県では知事が陣頭指
揮に立って災害救助法を発動するとと
もに、自衛隊の出動を求めたことは、
かつてない手際だったが、復旧、伝染
病予防などこんごに待たなければなら
ない施策が多い。また火力発電所はじ
め工場地帯の被害も多大だし、今後判
明する被災もあると思うので、手抜か
りない 対策を 講ずべきである。被害
程度の いかんによっては 全県的な救
援運動を 起こすことも一つの 方法で
あろう。