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     社     告

   ●岩手縣海嘯公報   (承前)

気仙郡は被害各郡中廣袤最も強く被害の部分も
少なからず廣田村六ヶ浦と稱する所の如きは水
面より髙きこと五丈余の所にある民家を碎き激
波の爲め數丈の髙き山頂に船を打揚げ巡査駐在
所は流失し駐在巡査は重傷を負ひ家屋は皆流亡
せり
末崎村に於ては巡査駐在所流失駐在巡査一名重
傷を負ひ家族六名皆死亡せり大船渡の如きは沿
海十八町余間の電柱悉く折れ北友村は浸害田畑
百八十余丁歩に渉れり
綾里村の如きは死者は頭腦を碎き或は手を抜き
足を折り實に名状すべからず村役塲は■長一名
を殘すのみ尋常小學校駐在所皆流失して片影を
止めず巡査は家屬と共に死亡せり
越喜來村は駐在所流失し巡査家族共に死亡し尋
常小學も流失したるも訓導佐藤陳は妻子の死を
顧みず辛ふじて御眞影を安全の地に奉置せり
唐丹村は郡内第一の被害にして駐在巡査は家族
と死亡し二千八百餘の人口中死亡二千五百なる
は悲慘の至りなり而して概数は左の如し
 各村合計死亡六千八百十六人負傷者三百十八
 人
南閉伊郡は被害地面積は氣仙郡に及はすと雖も
其慘害は本郡に於て激甚を極めたり乃ち氣仙郡
は一町十一ヶ村にして八千八百餘の死亡者を生
ぜしと雖も本郡は僅かに二町一ヶ村にして六千
六百餘の死亡者ありて以て其慘状の如何に甚し
きがを知る釜石町は千二百餘戸の市街にして人
口六千餘あり然るに海嘯の爲め家屋僅に百餘戸
を殘し高所より之を莅めば市街全■頽潰し片々
たる家屋の破材積で堆をなし流屍は累々其間に
露はる沿海の耕地は總て泥濘を以て充し警察
署郵便電信局及尋常小學校六ヶ所流亡し巡査一
名死亡し署長以下皆重傷を負ふ郵便電信局員某
僅かに身を以て遁れ數時にして豫備器械を据付
け爲めに通信の便を得たり
大槌町鵜住居村の如きも慘状最も甚し其被害概
數は左の如し
 人口一六、二五九 死亡六、六六九負傷一、四一
四戸數二、九二六流失家屋一、七九九半潰家屋
未詳
東閉伊郡本郡中被害の最も多き處は田老村にし
て激浪の高きこと十餘丈に達し潮流の勢最も強
大にして沿岸にありたる二抱え以上ある松樹凡
そ百本餘僅かに樹根を存するのみ又風帆船の海
岸浪打際を上ほる二町餘の山腹に打揚げられた
るあり以て其の慘状の一般を知る此の如くなれ
ば村役塲 尋常小學校員 等皆死亡し巡査駐在所
流失し駐在巡査一二名家族と共に死亡せり重茂
村重茂巡査駐在所々在地の如きは恰も平原と化
し只村長の屋根の端に押付けられあるのみ船舶
は一隻も不殘流亡或は破壞し巡査駐在所巡査一
名家族と共に死亡せり船越村も亦被害少なから
ず村役塲尋常小學校巡査駐在所皆流失し駐在巡
査重傷を負ひ妻子殘らず死亡せり山田町警察分
署は大破に及び海波の爲め千餘人を失ひ災後失
火の爲め復々四十餘人一片の烟と化したるあり
實に酸鼻に耐へざるなり而して其の概數は左の
如し
 人口二八、三二八 死亡六、七〇四負傷一、三七
〇戸數五、三〇八流失家屋一、八〇二破壞家屋
三三五
北閉伊郡普代村は村役塲書記一名死亡し又巡査
駐在所流失し巡査家族死亡す小本村も巡査駐在
所流失し巡査は僅かに身を免れ家族は皆死亡せ
り同所概數左の如し
 合計 死亡者千六百八十人負傷者四百二十五
    人
    流失家屋二百九十八戸同破壞二百三十
    八
南九戸郡野田村巡査駐在所流失し妻子死亡せし
も巡査は身を免るヽを得たり
久慈町は被害も多く村役塲尋常小學校駐在所皆
破壞し巡査の妻子死亡す其概數は
 合計 死亡千七十四人 負傷六百九十四人
北九戸郡種市村の如きも亦被害少からず然れど
も氣仙郡等に比すれば被害の少きは地勢の然ら
しむる處ならんと雖とも亦潮勢の激甚ならざる
に依るなるべし而して被害の概數左の如し
 合計 死亡者三六六人 負傷者一七五人
右報告に及候也
 六月廿四日      岩 手 縣 知 事
(完)

   ●大海嘯慘話片々

●慰問使派遣

 大谷派本願寺にては海嘯罹災民
救恤の爲め曩きに災害實况取調として金松空賢
氏を特派せしが尚ほ慰問使として佐々木■慰、
千原圓空の兩氏に出張を命じたる由