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橘町は二警官に救われた ”津波だ”と機敏な放送 近く表彰町民を起こして回る

二十四日早朝襲った大津波で阿南市橘町は一瞬のうちに全町千余戸を黒い濁流に洗われながら、幸い一人の
死傷者も出さずにすんだ。なんのまえぶれもなく、突然寝こみを襲われた災害にしては、全く奇跡的というほ
かはないが、実はこのかげには、二人の警察官の機敏で適切な活躍が秘められていた。町民たちは”命の恩
人”として感謝しており、長谷川県警本部長は近く二人を表彰することになった。

派出所裏の海岸で当時のもようを
語る橋本巡査部長㊧と竹本巡査

この”おてがら警察官”は阿南署
橘町派出所勤務の橋本利夫巡査部
長(四八)と竹本健巡査(二二)の二人。
津波が襲った二十四日、二人は派
出所に泊まっていたが、午前四時
半ごろ電話ベルがけたたましく鳴
るのに飛び起きた。橋本部長が出
ると町内の漁民から「いつもより
潮が高い。高潮ではなかろうか。な
にか警察へ予報ははいっていませ
んか」という問い合わせだった。
気象台はもちろん、阿南署からも
なんお連絡もうけていないむねを
答えたものの、橋本部長はいつに
なく胸さわぎがした。
 そこで派出所裏の海岸に出て、
 暗やみの海をみて驚いた。潮が
 高いどころか、沖の方まで引い
 てしまっているのだ。付近で出
 漁の支度をしている漁師たちに
 聞くと、わずか半時間足らずの
 間に、それまで満ちていた潮が
 水平線に吸い込まれるように引
 いていったという。
「これは大変なことになる!津
波だ!」橋本部長はとっさにそう
判断すると、竹本巡査に本署へ連
絡させる一方、自分は公民館へか
け込んだ。このとき田中秀美館長
(四三)も漁民たちの騒ぎで目をさま
し、公民館にやってきたところだ
った。
 「津波だ。町民を非難させなく
 ては」
さっそく町内の有線放送で「津波
がくるからまず老人、子供たちを
避難させるよう」と知らせた。こ
れを聞いて橘町漁協でも屋上のサ
イレンを鳴らしはじめた。
 町民たちはいっせいに飛び起き
 て荷物をまとめ、避難を開始し
 た。町はごったがえしたが、橋
 本部長と竹本巡査は手分けし
 て、まだ知らずに寝ている家を
 たたき起こして回った。
こうして午前五時ごろ、最初に小
さな津波が襲ってきたときには老
人、子供はすでに裏山に避難し、
全町に避難体制が整っていた。続
いて午前六時半ごろ、大津波の前
ぶれとして橘湾の浅瀬が海岸から
約五百メートルにわたって干上がったと
きには町民全員が逃げ終わり、午
前七時五分ごろの大津波にも死者
やけが人が出るのを防ぐことがで
きた。
 さらに波の去ったあとも二人は
 町内に押し流されてきた船の油
 で火災が起きることを心配し
 「一切たき火してはいけない」
 と知らせて回った。
こうした適切な行動はたれいうと
なく町民の間に知れわたり、みん
なから深く感謝されているが、こ
れを聞いた長谷川本部長も「まっ
たくよくやってくれた。わたしも
うれしい」と感激し、近く二人を表
彰することに決めたものである。

死者99、不明46 警察庁18道県の被害発表

東京=警察庁は二十六日、津波に
よる十八道県の被害状況を発表し
た。それによると死者九十九人、
行くえ不明四十六人、負傷者八百
五十六人、家屋全壊千八百六十六
むね、半壊千九百十一むね、流失
千百六十六むね、床上浸水二万一
千七百五十六戸、床下浸水二万七
十七戸、被災世帯三万五千三百九
十、被災総数は十六万七千百四十
七人にのぼった。

月末から自衛隊の手で復旧 橘の冠水田

津波による堤防の決壊で水田に被
害を受けた阿南市橘地区の農
業、岡部文さんら農民代表約四十
人は二十六日正午すぎ、県庁に原
知事をたずね、早急に復旧工事を
してほしいと陳情した。
 ●地区は堤防と国道九か所、延
 長二百七十メートルが決壊、海水が付
 近の水田約七十メートルに流れ込み、
 現在も五十ヘクタールに浸水している。
 このため一か月以内に復旧して
 水稲の作付けができるようにし
 てほしいーというもの。
これに対し知事は「復旧に全力を
あげるが、とりあえず自衛隊に出
動してもらう」と協力を約束、さ
っそく陸上自衛隊善通寺一〇九施
設大隊に出動を要請した結果、月
末ごろから約百人の隊員が出動す
るとの回答を得た。

手弁当で橘へ 小豆島などから救援続々

阿南市橘町へ、県民からの救援物
資や見舞い金が相ついでいる。こ
とに二十六日ははるばる香川県の
小豆島から消防団員がかけつけ、
町の復旧に一役買って出て町民た
ちを感激させた。
 この朝午前八時半、小豆島の小
 豆郡内海村から同村消防団員四
 十八人が橘町へやってきた。団
 員たちは内海村婦人会員からの
 救援物資を阿南市橘支部へ贈っ
 たあと、阿南市の清掃車二台、消
 防車六台に乗って町中に積みあ
 げられたゴミの清掃を始めた。
 スコップやシャベルも持参し、
 手弁当という気のくばりかた。
紺の消防団服を汗びっしょりにし
て夕方近くまで黙々と奉仕するそ
の姿に、町民のなかには涙を流し
て喜ぶ者もあり、橘支所へは「市
長の名で内海村長へ感謝電報を打
ってほしい」との町民の要望も相
ついだ。内海村消防団長の坂下秀
二さんは「テレビで橘町の惨状を
知り、みんなでお力になろうと相
談してかけつけました。困ったと
きはお互いさまです。町民の方々
から感謝され、かえってこちらが
萎縮しています」と語り、同日午
後六時過ぎ帰っていった。
 一方、橘町への救援物資、見舞
 い金はこれまでに海上自衛隊、
 徳島、鳴門、小松島の各市長、
 日赤県支部などから届いている
 が、二十六日も橘町幸野の丸谷
 カン詰め株式会社(谷藤吉社
 長)からカン詰め四千八百個が
 橘支所へ贈られた。またこの
 日、板野郡板野町の岡の宮親子
 会では「被災者に愛の手を」と
 町内に呼びかけ、集まった衣料
 三百点、ノート、教科書、エン
 ピツなどを日赤県支部に委託し
 た。
なお二十六日、徳島新聞社へもつ
ぎの救援物資が寄託された。
▽アジのかんろ煮(五十カン入
り)二十箱、徳島かんづめ株式会
社▽雑誌三十冊新町小学校・堤
章、佃峰人、東隆▽三千円徳
島市大道三町内会▽衣類二包徳
島市二軒茶屋一、竹原書店。

荷物まとめて避難 県南”再び津波”の報に大騒ぎ

チリ地震津波の影響で再び津波の来襲
が心配された二十六日、県下沿岸
の各市町村では朝から厳重な警戒体
制にはいった。
 来襲のおそれがあったのは午前
 二時ー四時、午後二時ー四時の
 二回で、阿南市橘町では午前二
 時十分、町内の有線放送で「津
 波がくるかもしれない」との情
 報が流されると同時に、全町民
 が畳をあげるやら荷物を山へ運
 ぶやら未明の町は大さわぎ。
日和佐、由岐両町でも町役場を警
戒本部にして、津波の際のサイレ
ンの鳴らし方、情報集めの方法な
どを決め、消防団員が沿岸要所を
警戒した。牢岐町でも早朝から漁
民が沿岸を巡回、昼すぎからは町
内放送と消防車で町民に警戒する
よう呼びかけるとともに、消防団
員たちは万一に備えて各分団で待
機した。牢岐小学校と牢岐保健所
も午後一時すぎから全児童を家庭
へ帰し、漁民たちも昼からの出漁
を見合わせた。
 また徳島市では土木課員たちが
 沿岸の波の高さをみてまわった
 ほか、市内の材木業者たちは貯
 木場の材木をナワでくくりつけ
 るのに懸命だった。
しかし、この日はなんら異常はな
く、徳島地方気象台が小松島港内
の検潮所で観測したところでも平
常の潮位とほとんど変わりないこ
とがわかり、関係者たちはホッと
胸をなでおろした。

津波の心配去る

大坂=大阪管区気象台は二十六日
午後五時「津波の心配はなくなっ
た」と次のような情報を出した。
 「チリの地震による津波が日本
 の太平洋岸を襲う心配はなくな
 った。地震による余波は二十六
 日午後まだ残っているが、これ
 は次第に衰えながらも数日続く
 もよう」