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泥の中からさあ復興 三陸現地を見る 意外に明るい顔 東北人のねばりを示す

大津波に荒らされた三陸沿岸は一夜明けてウソのように穏やかだ。高台に避難していた人々も二十五日
早朝から荒れ果てた泥のわが家に帰って復興に立ち上がった。東北人独特の辛抱強さを発揮して、その
顔は意外に明るかった。以下は現地に駆けつけた各特派員が寄せた「立ち上がる三陸沿岸民」の報告だ。

最大の被災地大船渡市では盛岡駐とん隊など三百人の自衛隊
が復旧に活躍している(伝送)

宮城県女川町では自衛隊や消防団員の活躍で町はきれいに整理されたが、港には押し
寄せた流木や家屋の破片が重なり合い、手のつけられぬありさまだ。

【女川(宮城県)にて郡司記者】
三陸の漁港女川町は、二十五日朝
から町ぐるみで復興に立ち上がっ
た。材木や家財道具で足の踏み場
もなかった海岸通りも、自衛隊や
町の消防団員の徹夜作業できれい
に整理され車の往来もできるよう
になった。食料品など救援物資の
補給は順調で、被災者に配給され
る米やカン詰めなどが町役場の前
庭に山と積まれ、洗面器や、ふろ
しきを持った行列を係員が手ぎわ
よくさばく。どの家庭もけさは食
卓を戸外に移し、路上で食事をと
っていた。
 このように復興への足音は力強
 いが、一方では「あすからどう
 して生きよう」と途方に暮れて
 いる被害者も多い。同町大原、
 雑貨商、鈴木いとさん(六六)の場合、
 夢中で中風の主人や孫たちを連
 れて裏山に逃げた。この直後に
 家は半壊、家財道具は全部流さ
 れハシ一本も残らなかったとい
 う。
【塩釜にて】市内の高台や、小山
第一小学校など数か所に不安の一
夜を明かした数千人の被害者たち
は、二十五日午前津波警報解除と
ともに各自の家に帰り、家財道具
の手入れに忙しい。市内のいたる
ところに打ち揚げられた材木や遊
覧船、漁船などの手入れも約百人
の自衛隊員や消防団員の手で進め
られ、また魚市場には近海マグロ
が水揚げされるなど、町の空気は
ようやく生色を取り戻したかっこ
うだ。
【石巻にて】二十五日朝、警報解
除で約一千人の避難民たちは泥に
埋まったわが家に帰り、さっそく
水洗いなど清掃に余念がない。商
店や歓楽街も次第に活気がみなぎ
り港内で沈没した多数の漁船や観
光船の引き揚げ作業も元気に始ま
った。
【八戸(青森県)にて水野記者】
二十五日朝六時、二十四時間ぶり
に津波警報が解除された。八戸市
北東部の低地では泥と腐った魚の
悪臭のたちこめるなかで、水の引
いたあとの復旧作業が本格的に開
始された。とくに浸水のひどかっ
た港湾周辺の地区では、おりから
の晴天を利用して道路一面にぬれ
た畳や家具を並べて大そうじ。港
内北側の岸壁には津波で押し上げ
られた漁船十数隻が横倒し、ある
いは仰向けに並んだままマストや
ヘサキだけを見せた沈没船が十隻
以上もある。
 沈没船の引き揚げや押し上げら
 れた船を水に戻すには、一隻当
 たり約五十万円かかるとあって
 漁民たちは手をこまねいている
 ばかり。市の救助対策本部でも
 「漁船の復旧はいつになるか見
 当がつかない」といっている。
比較的被害の軽かった南部港町で
は津波騒ぎで水揚げのできなかっ
た漁獲物を市場に並べ、仲買人
や売り子の声で平常通りのにぎわ
いとなった。市の中心部はすでに
平静を取り戻し、市内九か所の避
難所に収容されていた被災者も午
前十時までにはほとんどが自宅に
引き揚げた。

続々救援トラック 自衛隊は道路作業に懸命

【宮古(岩手県)にて遠山記者】二
十五日朝寸断された県道、国鉄山
田線を縫うように復興に忙しい釜
石、宮古の陸中国立公園百キロを車
で走ってみた。津波のツメ跡は釜
石湾の北両石湾に始まっている。
そのさきの大槌湾の底部大槌町は
一面黒い泥の町、住民たちは水道
のホースをふり回してわが家を洗
うのに懸命だ。町はずれの安渡部
落の入り口には二十トンあまりの大
型漁船がまだデンと居すわったま
まだ。
 通りすぎる部落には全く無傷な
 ものもあって、三陸沿岸の複雑
 なリアス式地形による運不運を
 現わしている。山田湾にはいる
 とようすは一変、山田町織笠部
 落は死傷者こそないが四百戸前
 後が全半壊だ。宮古への県道は
 ここで途切れ、二十五日朝山田
 線が折り返し運転を始めるまで
 全くの孤島だったという。北へ
 の鉄道はまだ途絶状態で、救援
 の食料もまだ着かない。カキは
 全滅、湾内を埋めていたノリシ
 ビも行くえ不明。主婦たちが畳
 洗いに精を出すそばで男たちは
 まだボウ然。学校が休みの子供
 たちだけは輝く陽光を受けて元
 気にはね回っていた。
十二神山のふもとの林道には「災
害救援」のノボリを立てたトラッ
クが続々。宮古湾沿いの山田線の
各地では消防団、高校生らが洗わ
れた道床のじゃり積みに大わらわ
だ。マクラ木を満載したトラック
も盛岡経由で集まってきている。
「復興はまず交通からだ」と威勢
のいい掛け声が響いていた。
【大船渡(岩手県)にて小林、稲
垣記者】三陸で最も大きな痛手を
受けた大船渡市にも明るい朝がや
ってきた。津波の跡は台風や川の
はんらんなどと違い、案外カラッ
としたものだ。水もきれいに引い
た二十五日午前四時四十五分には
津波電報が解除された。避難して
いた人々も早朝から無残にこわさ
れた家に帰り、あとかたづけや整
理を始めた。自衛隊、消防団の復
旧作業が開始され、町の人々は案
外明るい表情で忙しそうに動き回
っている。
 津波は幅五、六百メートルの小さな湾
 口からふくれ上がるようになっ
 て奥へ奥へと向かった。だか
 ら港内の奥深いところが最も大
 きな被害を受けた。命からがら
 逃げ出したという大船渡町浜町
 通りの佐々木契さんは、けたた
 ましいサイレンの音と、津波だ
 という叫び声で奥さんといっし
 ょに表に飛び出した。白々と明
 け始めた港の方を見ると、黒い
 大きなかたまりがみるみる迫っ
 てくるのが見えた。初めての経
 験だが、これが津波かと思うと
 恐ろしくて足がすくんだ、夢中
 でかけたが、波は早い、もうだめ
 かと思ったとき、どうにか鉄道
 線路の築堤を越えて逃げのびる
 ことができた、と恐怖の興奮も
 さめやらぬ表情だ。大惨事を招
 いた原因の一つは、市の中心に
 ある丸太の貯木場で「この丸
 太が流されて家を押しつぶされ
 た」と古物商の二階堂さん(大
 船渡町)はクチビルをかんでい
 た。
二十五日、大船渡市は早朝から明
るい五月の太陽が輝いた。のど
かな鳥の鳴き声がきのうの恐怖を
忘れさせる。”余波”を恐れて大
船渡小学校など四か所の避難所で
夜を明かした被災者たちは、夜明
けとともに思い思いにわが家へ帰
り始めた。どこから手をつけてい
いやら戸惑うほどの荒れかただ
が、東北人のねばりをみせて明る
い顔であとかたづけに取りかかっ
ている。自衛隊も大活躍だ。第九
特殊科連隊(盛岡)などの三百二十六
人が二十五日朝までに到着、地元
の消防団と協力して、大船渡ー陸
前高田間の国道復旧作業を開始し
た。

警備艦三陸沿岸で救助活動開始

塩釜=第二管区海上保安本部は二
十五日午前五時、管内各保安部に
非常配備解除を指令、出勤中の所
属巡視船二十一隻は流木の整理、
出入り船舶の誘導などに当たって
いる。また海上自衛隊横須賀地方
総監部所属の警備艦旗艦”はるか
ぜ”など三隻は、二十五日朝塩釜
港に入港、三陸沿岸の被災者救助
活動にはいった。

チリでまたも激震 気象庁発表 津波、日本まで来まい

【サンチアゴ二十四日発UPI=
共同】チリ内務省は二十四日夜
「チロエ群島のケンチョウ島を震
源地とする震度七の強い地震が、
二十四日午後七時二十分(日本時
間二十五日午前八時二十分)チリ
を襲った」と発表した。現在のと
ころまだ被害報告はないが、死者
が若干出るのではないかと心配さ
れている。
 チリ中部のドルディビア州では
 シネウ湖岸の二つの火山が二十
 四日午前十一時四十分(日本時
 間二十五日午前零時四十分)噴
 火を始めた。この結果、同州で
 は全部で九つの火山が噴火を始
 めたことになり、煙は三千メートル上
 空に達している。また新火山の
 噴火で、火山に沿って約四十キロ
 の地面が陥没した。
【ブエノスアイレス二十四日AF
P】当地から西南方一千三百キロチ
リ国境に近いサン・マルチン・デ
・ロス・アンデス町の南方にある
火山が二十四日爆発しはじめ、
溶岩と火山灰をふき出している。
このため南方約百五十キロにまで及
ぶ一帯が噴煙と火山灰で暗くな
り、火山灰が降下している。
 一方同火山から東南に六百五十
 キロ離れた大西洋岸のコモドロ・
 リバダビア町(人口約二万五
 千)は噴火が始まったのと全く
 同時刻(午後四時)に激震を感
 じ、住民は恐怖につつまれてい
 る。
気象庁観測部は外電が伝えた二十
五日朝のチリの地震について、同
日午後三時次のように発表した。
 「日本時間で二十五日午前八時
 二十分ごろ南米チリ国に地震が
 あったと報道されているが、こ
 の地震の日本での記録に基づき
 地震の規模をはかると六程度な
 津波は起こらないと思われる」
 注地震規模六とは=大正十二
年九月一日の関東大地震の百分の
一程度で、この規模の地震が日本
付近に起きたとしても津波は発生
しない。