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寫眞説明

 (1)宮城縣桃生郡十五濱村の小高い小學校々庭に打ち上げら
れた漁船 (2)氣仙沼小學校に避難中の兒童達
(3)燒殘りの食器を集めて憐れな食事(氣仙沼にて)
(4)倒壞家屋の慘状釜石只越付近)

ま晝にも聲なき  廢墟の如き町々    意外の山の手に船     宮古にて武藤本社特派員發

釜石と共に震災の中心となつた岩
手縣山田町を三日午後訪づれると
まだ間斷なしに地ゆれが續き古老
は今晩八時頃にはまた津浪が來る
から逃げるが宜いと道行く隣人に
 不 愉 快 な言葉を傳へて
ゐるだけに、町民はいづれも山の
中に逃げ込んで街は嵐の後の如く
無氣味に靜まり返り晝ながら夜の
街といつた感じ、一波サッと津浪
に洗はれた市街地の山田町川向區
境崎は三百余戸がさらはれた後に
土台石がズラリと殘されてゐるだ
けだ、海は殆ど平常に沖は濃紺に
輝いてゐるが、流石昨夜の嵐を物
語つて岸には多數の家の破片がう
づ高く打ち寄せる浪にもまれてゐ
る、海岸から約十五町離れた岡ま
で發動機船が押し上げられてゐる
飯岡部落の發展に伴ふ埋め立地は
時局匡救の護岸工事が
 全 滅 し て見る影もない
三百軒も家が流された割には死傷
者の少いのは、明治廿九年の慘事
と津浪の經驗で欲張りは命を取ら
れるといふ津浪に對する信念から
裸で逃げたものらしい、大澤村に
入ると宮古町に行く道路に發動機
船が四五十隻山の如くうづ高く並
んで、元寇襲來の繪巻物を見るよ
うな有樣だ、家屋といふ家屋は打
ち破られて眞黑に壁土がぬれてゐ
る、道路も五、六町にわたつて木
材屋の裏口を行くように木材の重
ねられた上を通行してゐる、海岸
に並んでゐた家は全部流失してし
まひ下閉伊郡一の鰛粕製造所八戸
秋本良藏氏經營の製造所がこはれ
て魚粕三千俵が飛散してゐる、こ
の邊
 一 帶 は 二丈もある津浪
が押寄せた後とて七、八町先きの
岡まで發動機船が押し上げられ、
長谷川製材工塲の木材一千石が畑
の中に押流されてゐる、磯鶏村の
金濱では魚粕の製造工塲廿個所が
全滅し、魚粕や木材の流されたも
のが海岸四百間の丘の上まで押流
されてゐる、このほかに碇泊して
ゐた廿隻の船は沖合に持ち出され
行方不明、海面から百間位はなれ
た住宅に發動機船が押し込んでを
り、造船塲が二個所、魚粕製造工
塲十戸が跡型もなくなつてゐる田
畑は海水に埋没して歩行が不可能
だ、宮古地方の藤原須賀は波浪の
ため
 造 船 塲 魚粕製造塲十五
六戸は土砂に埋もれ宮古橋は中央
を殘して陷落し、發動機船百余隻
が川口より十四町も上流に押流さ
れ宮古測候所下にまで押上つてゐ

海底から叫ぶ  わが子の聲!    八木村に哀話、慘話     陸中八木驛にて        法師本社特派員發

岩手縣九戸郡種市村字八木濱を中
心とする付近漁村の被害は目もあ
てられぬ慘状を呈してゐる、流失
家屋五十三戸、倒潰家屋九戸、納
屋の流失卅三棟、行方不明となり
溺死と見られてゐるもの九十九名
内午後六時までに死體となつて
 漂  着 したもの卅五名、一
家族家諸共沖へ流された山口虎藏
ほか三家族、漂着した死體は海岸
に山をなし生き殘つた家族、知人
は死體に取りすがつて泣き叫ぶや
ら、泣きわめく聲で洗ひ流された
沙漠の如き海岸はこの世ながらの
生地獄である、村役塲では陸中八
木驛前に出張所を設け岩手縣廳か
らは午後六時半着で救護班が到着
と共に救護に務めてゐる、八木濱
で生き殘つた村人達は語る
 地震の後大抵の家では一旦見直
 した折丁度卅分たつたころ大き
 い音がしたと思ふと間もなくも
 う村全體は浪の底になつてゐた
 のです、津浪が何回押しよせた
 か、またどうしてわれ々々が生
 き殘つたやら全く夢のようです
 同  村 字大濱雜貨商松橋淸
四郎(五一)の一家は家もろ共家族五
人が激浪にさらはれたが沖合で家
は屋根と本屋と二つにくづれ淸四
郎と長女つき(二〇)二女はな(一一)の
三人は屋根にしがみつき、 妻と長
男幸一(一四)は本屋に殘り離れ々々
になつて漂流したが幸か不幸か激
浪のため屋根は岸へ打ち上げられ
その屋根の下から三人だけは奇蹟
的に助つた、生殘つた父の談によ
れば「親子五人が離れ々々になつ
た時 十四歳の幸一が 屋根の中か
ら聲も絶え々々に『おとうちやん
々々』と泣き叫ぶ聲が耳に入り今
もなほ耳底にこびりついてゐる」
といつてゐる

善後委員會 設 置   宮城縣の救護 と復興指導

【仙台發】三陸沿岸地方未曾有の
慘事に直面して宮城縣當局では三
日深更にいたるまで三邊知事を中
心に二見内務、鈴木警察、淸水谷
學務の三部長が重大協議を行つた
結果今回の歴史的悲慘事に泣く罹
災民を完全に救護すると共に復興
の指導的機關として震災善後委員
會を設置し、三邊知事を會長に縣
廳各課長及び民間有力者を委員と
して活なる活動をなすことにな
つた、縣當局は三日廿名の係員を
罹災地現塲に急派して損害額の大
要復興費の所要額等を調査せしむ
るところあり調査の結果に基き政
府から百萬圓以上の復興低利資金
の融通を仰ぐと同時に、災害土木
生業復興に關する各種勸業費等の
縣債をおこしこれを罹災廿三ヶ町
村に轉貸する方針を確立し一路復
興を目指して雄往邁進することに
なつた

寒氣にふるへる  涙 の 第 一 夜     宮城縣唐桑村にて        吉川本社特派員發

地震につぐ津浪に打ちひしがれた
三陸沿岸に荒凉たる罹災第一夜が
身を切るような寒風と共にやつて
來た、夕方第二師團衛生班をはじ
め赤十字社支部縣衛生課からの救
護班が仙台から驅けつけ小鯖、只
越、大澤の三區に手分けして醫療
に給食に狂奔する罹災民達はこの
差し出された暖かい手に感謝の涙
を浮べながらも、家を親を妻を兄
弟を奪はれたかれ等は放心したか
のように無言のまヽ夜の海原を眺
めてゐる寒暖計は零下六、七度を
示してゐるのだらう手の先も靴の
先も感覺を失ひさうだが、罹災者
の衣服は潮にぬれたまヽだ
  救 護 陣
【盛岡發】三陸大津浪の倫治救護
本部となつた釜石警察署には湯本
岩手縣學務部長、中野警務課長な
どが詰めかけ三日の夜は取り敢ず
毛布數百枚を遠野町より急送、そ
の他寢具を買上げ寒さに襲はれて
ゐる被害地へ配給することになつ
た、なほ縣の監視點は海上より被
害地沿岸を調査するため三日午後
十時釜石港を出發、櫛田官房主事
その他救護班をのせ、倒潰流失家
屋二百六十五戸、死者三百七十名
傷者卅三名を出し最激甚地といは
れる氣仙郡唐丹村に向ひ、四日早
朝中野警務課長は東洋捕鯨會社の
捕鯨船を出動させ山田大槌宮古方
面に向ひ横須賀を出發した驅逐艦
と協力海上より食糧品を配給極力
救護することになつた
    ◇
【仙台發】宮城縣廳では寒さに泣
く罹災民に防寒具を供給すべく大
童の活動を續けてゐるが第二師團
より毛布二千枚を借用三日夜十一
時頃トラツク四台に積み込んで現
塲に向つた
空から視察
 流 木 漂 ふ 中 に
 人影なき死船
  慘たり金華山以北
【土浦發】三陸地方における震災
の被害状况視察のため三日午前十
時四十分館山海軍航空隊を出發し
た西澤大尉■隈中尉外下士官八名
が乘組んだ一五式飛行艇二機は罹
災地付近の災害状况をつぶさに視
察し歸還の途につき西澤大尉の一
番機は
 途  中 航路を變更して午後
六時十分霞ヶ浦航空隊水上隊に着
水した、西澤大尉は元氣に語る
 私共は海上を海岸線傳ひに飛び
 ましたが、金華山沖以南は海上
 陸上共に被害は全然なかつた、
 金華山付近から海面に澤山の流
 木が漂つてゐるのが見え、北上
 するにしたがつてます々々これ
 が多くなり釜石付近の海上では
 これ等の流木に混つて人のゐな
 い漁船が三々五々浮んでゐるの
 が見えた、釜石
 上  空  についたのは午後
 三時ごろだが町の所々から盛ん
 に煙が上つてゐた、生憎風が強
 く氣流が惡いので充分に高度を
 下げることが出來なかつたのが
 殘念だつた