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副食物及滋養品の欠乏

本吉郡各村の大海嘯被害地を巡視し罹災者に接
して第一に氣の毒に感するは副食物の欠乏是れ
なり、鹽を嘗めて飯を喰ふと云ふ事は吝嗇家を
嘲けるの套語にして實は是より以下の生活は人
間の爲し得べからざるものと定めあるに被害地
にては鹽を多く潮浸にして失ひたれば難民は實
際鹽を嘗めんとするも殆と得易からざるの苦境
にあるなり、鹽?に斯の如し況や味噌、醤油、梅
干、 澤庵漬の類に於てをや、即ち是等の副食物
を寄贈し罹災の人民をして食に鹽味あらしむる
は慈善の最大なるものと信す
次には各臨時病院に於ける滋養品の欠乏なり、
醫員に就て聞く所に據れば患者等皆榮養非常に
欠乏し居るを以て左程の大患にあらざる者迄治
癒の期大に後れ彼是する間に餘病を發するもあ
りて治療を施すに意外の困難ありと云ふ、蓋目
下の處入院患者の食物なりとて別段注意するに
暇なく好多少注意したればとて一個の鶏卵一本
の鰹節さへ容易に難き程なれば假使重症大患な
りとても十分の滋養品を給する事は到底望むべ
きにあらず、乃ち醫員看護人等に在ては此の病
人に斯々の食料を與ふれば治癒を速かならしむ
る効ありと知りつつも之を斷念するより外なし
嗚呼絶大の災害に罹りて僥倖に一命を繋き得な
がら彼等は海嘯に死せすして將に滋養の欠乏は
死せんとする者なり、世の仁人義士願くは榮養
上必要の物品を寄贈して此の憐れむべき不幸の
同胞を救助せられよ、副食物及ひ滋養品として
最も罹災者に利益多かるべき品目概畧左の如し
梅干、澤庵漬大根、ラツ
ケウ漬、各種味噌類(鯛味噌
南蠻素味噌、經山寺味噌等の類)味噌漬
類、其他各種漬物、乾魚
類(各種干物)鰹節鶏卵、牛肉
魚肉各鑵詰類、コンデ
ンスミルクの類、鯣、鰊、
鯡、鮭、鱒、鱈等鹽魚類、
海藻類、此他各種
要するに鍋も釜も皿も鉢もなき罹災者に給する
もの故煮熟するにあらざれは食ふべからざる品
は概して不便利にて煮す燒かすして直に喰ふ事
を得るものを最も適當なりとす、尚滋養品に就
ては醫師の意見を聞き分量最少にして効能最大
なるものを撰擇すべし
災變以來此に十日餘味噌梅干澤庵漬の如き各地
方最寄の有志者よりあらん限りは寄贈して一時
を凌かせたるも今は悉皆喰尽し獨り
罹災者の食に鹽味乏しきのみならず最寄の慈善
家も亦漬物類の缺乏に苦んとす、乃ち副食物類
の寄贈實に目下焦眉の急務と謂ふへきなり
是は食料にあらざれと筆の次手に一言すへし、
目下罹災者の大に困難し居るは冠り笠、
手巾 草鞋の欠乏せるなり、草鞋は随
分供給に不足なき樣なれど其價格は非常に不廉
にして到底罹災者の能く買ひ得る所にあらず、
故に此の炎天に露頂跣足にて熱泥中に奔走し居
る者多し、其?一見人をして酸鼻せしむ、是等
の物品亦仁人義士の至急に惠與あらんことを望
む       (於罹災地鐵軒居士手記)

    電    報

    雜    報

●慘 况 一 斑(一)鐵 軒

今回本 吉 郡各村に於ける大海嘯の被害地を巡
覧するに大略三種に分つ事を得、其一は潮勢の
最大激烈なる處にして其來るや大山の崩るる如
く家屋と土地とを併せて持去りしものなり、其
跡は唯渺々として一帶の黄茅白沙を餘すのみ、
時に或は船舶の其處に横はれるあり、彼是こそ
何某が住居の趾なりと傍人の指点するあるも殆
と信し難き程の變化を爲せり、其二は潮水の力
幾多の家屋を揉み摧きて一團と爲し之を山の根
又は灣の隅に押付けて立去りしもの其?宛も小
兒が手玩箱を打返して種々雜多の玩具を引撒し
之を散々に踏躙りしに似たり、是は潮勢は烈し
かりしも其嵩の前者より稍低かりしにより家屋
を打壞せしにみにて持去るに及はす打棄て立去
りしならむ、其三は潮水の稍低く且つ弱かりし
ものにて其來れる勢は以て家屋を倒すに至らざ
りしも其引去る力は頗る強くして土臺根太板敷
居等を打折り踏摧き家財什具を一括して持行き
たるなり、是等の家屋は伏して人字形なる立て
介字形なる倒れて皿字?なるあれど何れも皆其
建築の地盤をば離れぬなり、此三種の内第一は
慘の極なれど痕跡を留めざる故人の感情を動か
すの力薄し、第二は其形?の慘烈なる一見人を
して酸鼻せしむ、第三は被害の最も輕きものに
て多少の手入れを加ふれば重ねて住居する事を
得べきものも少なからず、又死傷者を出せしに
至ては第一には死者ありて傷者なく、第二は死
傷共に多く、第三は最も少なし、各地被害の有
樣皆大同少異にして此の三種を以て概括する事
を得べし、而して此に一例外として見るばき慘
絶虐絶悲絶愴絶等幾多悲哀の文字を羅列するも
到底其萬一を形容する能はざる處あり、階上村
字明戸是なり
明戸の部落は稍高き處にあり其前面の灣内に近
年浪除突堤を築きて鹽田を作り永遠海を煮るの
計を爲せり、扨被害の日は宛も舊暦五月五日の
節句にて男子ある家は親類知己を招き祝宴を擧
け或一大家(醤油屋)にては田植の手傳人五十余
名にて仕事を終り今や祝ひの宴を開きし眞最中
なりし、轟然たる一大響と共に海潮は奔馬の勢
を以て左右より襲來し家屋を一掃し盡せり、斯
て此の家屋を呑たる左右の潮水は灣内にて衝突
し幾回か滾轉せし後破茅乱材と人畜鶏犬とを併
せて幾堆の小丘陵を作り之を灣内の泥裏に放擲
し?々然凱歌を奏して立去りしものに似たり、
されば潮水の引きたる跡の有樣は宛も五もく飯
と鹿兒島汁とを打雜て之を泥溝の中に抛棄たる
が如し、其?慘憺殘虐抔云ふ有ふれたる文字の
能く形容し得る所にあらず、嗚呼當日飽迄祝酒
を喫して快よく眠りし者夜半醉醒の水を思ふ頃
には?に數十尺の泥下に在て滿腹の潮水を喫せ
しなり、死者實に四百二十一人と云へど他の村
落より來れる者を仔細に調べなば尚數人を增す
べし、十六日即ち被害の翌朝此處に駈付たる某
氏の談話に曰く隣近の被害地を經過して?に其
慘虐なるに驚きしが此處に來るに及んでは驚愕
極まつて何とも言ふへき所を知らず、家屋の泥
中に倒挿されたる、人の同しく泥中に逆立せる
屋根より首を出し天を望て息絶たる、或は手の
み屋根の上に出して体の見えざる又は路傍に老
嫗小兒の倒れて死せる實に目も當てられぬ有樣
なりしが、中にも殊に憐れに覺えしは年若き女
子の小兒を抱きて難を遁れたるが材木に急所や
撃れけむ其身は血に塗れて息絶ながら猶懷裏の
小兒は母が身を捨て掩ひし一念に依りてか恙な
くて乳房に縋り聲を限りに泣居れるがありしと
今回の被害地何處も慘痛ならざるはなけれど此
明戸は他被害地に類なき地形即ち其前面に鹽田
ありし爲め又他處に類なき慘?を現はせしなり
實に慘憺中の最慘憺なるものと謂ふ可し
被害地の實?は到底筆舌の能く其萬分一をも盡
し得る所にあらす、若し圓山應擧瀧澤馬琴の二
人を左右に從へ行き、擧をして?かしめ、琴を
して記さしめは或は稍其髣髴を得るに庶幾から
むか、雖 然 是猶十の一二を盡すに過きざるな
り、世の仁人君子其眞况を知らんと欲せば必す
杖を被害地に曳かさるへからす、百聞一見に如
かざるの語今回の被害地に於て益々其信なるを
知りぬ