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 送山田収税長 今泉生 稿

曾て記す、童謡に曰ふ佛揆一に鬼智寛彼是れ苦
のなき林通故と、盖し三人は宮城縣廳中の三英
物にして之を德川幕下の三傑に比したる者なり
爾來智寛(早川)は野に退きて陶朱の富を得通故
は晩節僅かに振ふて忽ち白玉樓中の人となり了
ぬ、獨り足下は官に留りて荐りに榮進し官、高
等官四等に至る亦榮なりと謂ふ可し、而して今
や石川縣収税長に轉任す、或は榮轉なりとは言
ひ難かる可きも吾人は寧ろ這回の轉任を以て却
て足下の爲に榮譽として喜んで足下の前途好望
なるを賀せんとする也。
足下は官吏として誠に敏腕家なり、磐井縣の廢
さるるや最下級の判任官を以て宮城縣に轉任し
爾來二十有餘念、官禄?び進みて或は會計課長
となり或は租税課長となり、衛生を司どり學務
に參與したるの故を以て百般の事務総て通曉せ
ざるはなく身は収税長となりて直接に地方税の
事務に關預せざるの職責にあるも縣廳内に於る
大小の事務は渾て預からさるなきは勿論、公共
の事業は何事も足下か一臂の力を借りざる事な
く、足下は實に我宮城縣の爲に國利民福を增進
したる事其幾何なるを知らざるなり、而して今
や突然石川縣に奪ひ去らる本縣の不幸と謂はざ
る可からず、然れども是れ區々の私情のみ、足
下が後來の驥足を伸さんには盖し石川縣に如く
事なし、石川縣は維新前三雄藩の随一にして人
口の夥多面積の廣狭は宮城縣の比ならず金澤の
都市其繁昌は仙臺に駕佚する事數等、殊に本年
を以て師團を置かるるあり、足下の大手腕を揮
ふは實にこの時にありとす、行矣吾人は喜んで
足下の轉任を送る。
然れども吾人は足下の行くに臨みて一事の縣下
の爲に甚だ痛惜に堪ざるものあり、何ぞや今回
の大海嘯慘害是れなり、吾人は其善後策に關し
て甚だ足下に希望したるもの多かりき、思ふに
今回の如き大變事に就ては是非とも足下の如き
二十年已上も本縣に在任して官民の事情に通曉
し、且つは大手腕の譽れある足下等の劃策に參
與する事を望まざる可からす、而して今や能は
す、吾人足下の轉任を送ると共に本縣罹災民の
爲に善後策を劃する一大英物を失ひたるを痛惜
す、妄言多罪。

    雜    報

  ●本吉郡海嘯彙報           (廿三日志津川發)

芳賀藤十郎氏の熱心 氏は志津川町々會議員な
るが々町海嘯被害の當日より町長を助けて罹災
者救濟事務に鞅掌し一日として怠る事なく熱心
に盡力し居れり他の議員諸氏も斯くありたきも
のなり
本吉郡役所の繁忙 今日は至るまで徹夜出勤事
務を執り居らる其繁忙實に察し遣らるるなり
宮城縣神職取締副長 後藤文哉氏海嘯被害慰問
として來郡金壹圓を義捐せり
芳賀市治郎氏の賑恤 目下志津川町病院内に負
傷 患 者七十余名在り食料は握飯に味噌位なる
を氣の毒に思ひ氏は惣菜を料理して各患者へ給
與されしかば患者の喜悦一方ならざりしと

   (地図入る)

●海 嘯 實 視 雜 録 (五)       於被害地特派員  今泉寅四郎記

余の十年前志津川町に寓するや旅店江山亭を以
て家となす、亭の親戚にお鳥と云へる少女あり
當時僅かに七才常に余が僑寓に來りて頑是なき
遊戯に日を暮せり、この可憐なる少女は本年正
に十六歳の春秋を重ねたれば今は立派なる乙女
になりぬらん、去るにても今回の奇變には異?
かりし歟、抔とは余が志津川町に入らざる以前
私かに胸中に畫きたる想像なりき、同町に着し
て江山亭に宿し「お鳥坊は」と問へば主嫗先づ涙
を浮め、彼は其日迄わが家に來りて宿客の給仕
などなし居りしが家に歸ると間もなく海嘯の押
し來りて一家五人父母兄弟を併せて歸らぬ旅路
に赴むきしと、常人の感情として知らざるもの
の罹災よりは知れる人の遭難こそ一層悲しみを
覺ゆる者にて余は彼の可憐なる少女の災死を聞
て殊に痛惜に堪えざりき、聞く彼は素性も柔順
にて顔は同町一の美人と稱せられ他の乙女等の
模範となり居りし由にて萬口一齊惜まずと云ふ
ものなし、海若多情人間未開の花を折り去りて
妾嬪に充てんとするか、海王の暴痴寧ろ惡む可
く憐れむ可きなり。
故老の談に曰ふ、今を距る四十一年前而ち安政
三年にも志津川近海に海嘯の奇變あり、今回の
襲濤よりは寧ろ濤勢激しかりしも其時や漸次に
押し寄せたるを以て人々相戒しめて家財を取形
付け然る後徐ろに難を高處に避たり、去れば人
畜の死傷は至りて僅少なりし、今回は之に反し
て濤勢の低きにも拘はらず、押し來る時間の急
速なりし爲め被害者は相奔竄するの暇なく遂に
前古未聞の慘?を見るに至れり、且つ前年の海
嘯は井水盡とく乾涸したるを以て海嘯の來るを
全治したれども今回は井水其他に何等の異?な
く敢て奇變の前兆として見る可きものなかりし
も只天氣の餘りに晴朗なりしより或は海嘯の來
るに非ずや抔と一二古老の戯談半分に言ひたる
ものなりしと。
志津川町の前面一孤島あり荒島と曰ふ、海岸を
距る事僅かに半丁許り、聞くならく當夜狂濤の
山をなして押し來るや一度は島の爲に濤勢を殺
ぎれたるも餘勢は島と陸との挾所に入りて奔流
激湍となり一寫萬里の勢を以て激しく沖の須賀
を衝きたるなる可く、其碎けて左に回りたる分
は餘勢遠く走りて戸倉村折立驛を激突し濤勢岩
に激して逆戻し、同村水戸邊波傳谷を粉韲した
るならんと、前後の時間を以て推測するに全た
く然る者に似たり。
歌津村韮の濱と覺ゆ、當日は陰暦節句の事とて
濱の若もの六七人一處に會して酒を酌み交しあ
りしが時ならぬ砲聲は海中遙かに聞えぬ、この
會合の中に平生口輕にて人の頤を解く男あり今
の怪聲を種子に一番滿座を笑はせ呉れんと最と
眞似目になり彼こそ露國軍艦の支那に助力して
寄せ來れるなり油斷して怪我するなと高らかに
呼び立つれば一犬虚を吠て萬犬實を傳ひ、スワ
こそ大事なりとて家々何れも燈火を吹き消し魚
貫して後山に上り、息を殺して其消息を窺ひ居
る間もなく咄喊號砲の聲頻りに聞ゆる者から今
は人心地さへなく何れも震慄して互ひに抱き合
ひ居りしが暫時にして天地靜粛萬籟遽かに歇み
夜氣森然たり、扨は一人の居らざるより敵艦の
他方に向ひたる事よと初めて安堵の思ひをなし
一同山を下り見るに斯は何事ぞ己等の住居せる
家屋は跡方もなくなりて只潮流の微かに壞屋倒
家を洗ふ聲を聞くのみ、去ればこの濱にては二
人の負傷者あるのみにして溺死者は一人もなか
りしなり、不幸中の奇幸とや云はめ。
大谷階上兩村は全村海岸に瀕せる分の家屋は多
分流失潰倒して一戸の完屋なき比例には死亡者
思ひの外尠少なり(尠少と謂ても大谷村三百廿
九名階上村四百二十一名)是れ當時氣仙沼町に
凱旋式及び招魂祭ありたる爲め村中の重立ちた
る連中は宴會に臨席し又婦人小兒等は見物に行
きたる故に無難なりしもの凡そ六七百人ありし
と、眞に奇幸と謂ふ可きなり。

   (欄外にも有り)