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義捐者陸續たり

一昨日の本紙上に於て被害地の恤况を詳述し以
て衣服等日用必需品の義捐あらん事を請ひ宮城
縣廳亦其惠與の罹災者に利益ある旨を公告せら
れしに市内仁慈義侠の諸氏は翕然として奮起し
自身の衣を脱するあり妻女の衣帶を贈るあり子
女の衣服を寄せるもあり其他の物品を併せ一大
包と爲して寄送し來るもあり二十一日の朝より
暮に至る迄陸續として絶えす僅一日にして二千
五百余點の多きに上り二十二日も亦朝より寄贈
し來る者多く夕景迄にて?に総計八千
餘點に及ひしと云ふ、其同胞相濟ふの義氣
に富の深厚なる實に感嘆に堪へざるなり、斯て
縣廳にては適宜之を荷作りし一昨日以來被害地
へ向け陸續逓送せられし由なれば今明日中には
不幸なる罹災者の手に渡るなるへし、彼等が此
衣服を得て歡天喜地拜舞流涕して義捐諸氏の高
義を感謝する樣の眼前に見ゆる心地せらるるな
り、始め當局者も斯迄迅速に多數の物品聚るへ
しとは思はれさりしに以外の好結果ありしかば
大に縣民諸氏の義氣厚く慈心深きを感稱せられ
しと聞く、斯くてこそ東北人士面目ありと謂ふ
へし

仙臺市の開業醫に檄す

大海嘯の慘聞縣下に傳播せし以來各郡在住有志
の醫師中自費を以て被害地へ出張し施療に從事
する者陸續たるに獨り仙臺市の開業醫師中慨然
起て被害地へ赴き患者の治療に從事する者ある
を聞かす、各郡に對して誠に愧つへき次第にあ
らず乎、今日の塲合出張の費用容易ならざれば
單身の負擔は難かるへきを以て宜しく同業者協
議を盡し義團を組織なし、費用は協同負擔とし
技倆ある適當の人物を撰て委員に充て速に出張
せしむへし、然らざれは面目の世人に對する者
なきに至らむ、而して眼科醫は別に一團をなし
て施療に從事するを可とす

    電    報

    雜    報

  ●本縣大海嘯彙報

●海 嘯 實 視 録 (第四報) 本社特派員 在志津川町 今泉寅四郎

本郡の慘害は實に非常にして之を尾濃の震災磐
梯山の破裂酒田の震害に比すれば其慘害の度實
に十層百層の上にあり全郡の惣人口八萬餘の中
壓死溺死者の數目下の統計四千餘人に上らんと
し此後續々發見する由なれば其幾千人に上るや
未だ知る可らず一郡の死人口二十分
の一強死亡然も非常に斃れたりとすれば
勿論目に一滴の涙なき者と雖も應分の義捐金を
なし以て此無告の同胞を救助する事に躊躇せざ
るを知るなり
歌津村収入役三浦音吉書記佐藤初太郎唐桑村収
入役鈴木英治の三氏は溺死せり
収税屬三瓶篤氏も亦被害反別取調の爲め先刻來
着、鹽入田畠は夫々調査の上免税さるるとのこ
となり其反別概畧は田畠にて千町歩以
上に亘り到底耕作に適せざる者も四五百町歩
はあるならん但し眞の見積なり詳細に調査せば
其以上に上るやも知る可からず
死亡流潰戸數の前便に洩たる分は左の如し(但
し昨日迄の調査に係る)
小泉村 死亡三百三十名、負傷者六十名餘、潰
 家六十戸餘、被害反別三十丁餘、斃馬六十頭
御岳村 死亡四名、負傷者二名、潰家二棟
大谷村 死亡四百五十人餘、流潰家屋九十餘
階上村 死亡四百人餘、潰家九十餘
松岩村 死亡二人、潰家七戸、斃馬二頭
鹿折村 死亡家屋流失五十餘戸、死傷未詳
唐桑村 死傷七百八十人餘、其他未詳
大島村 死亡八十人餘、其他不詳
戸倉村 死亡六十四人、負傷五十人餘、潰家二
 十六戸、斃馬二十頭
十三濱村 死亡二百十五人、負傷七十四人、潰
 家七十七戸、斃馬八十六頭
  十八日午前十一時半志津川警察分署に於て
  之を認む

●海 嘯 實 視 録 (第五報)

十三濱村相川尋常小學校訓導原律平氏(五七)は温
厚篤實の人にて民望最も厚かりしが同校舎の流
失すると共に溺死せり、御眞影の奉置しある事
故多分之を他所へ移し 奉 らんが爲めに非常の
最期を遂げたるならん、尤も御眞影は他教員盖
なく奉移せり
志津川町字淸水分教塲は 悉 く流失して跡方も
留めずなれり
氣仙沼高等尋常小學校訓導諸氏は海嘯の變報達
するや教員三名生徒十四五名と共に救護隊を組
織し萬難を排して大谷方面に出張し身命を賭し
て盡力せしは殊に感心なりし、隊の一人訓導佐
藤辰三郎氏は志津川町淸水の出身なる故直ちに
駈けて歸家せしに無殘や己れが故郷は三戸を餘
すの外 悉 く流失し知己朋友は九分通り死亡し
其家亦流失の上六口の内四人は底の藻屑とはな
りぬ
當志津川警察署にては應援を石巻水上警察署に
請ひ只今同署の小蒸気船來津せるを以て所長野
村警部之に便乘し仙臺派出の醫員看護人等を載
せ各救護區域へ送致の爲出帆せり、尤も途次海
上に漂流しある財物等も随時収穫する筈なり
當所に目下各新聞社より滯在し居る者は東北新
聞社石田三郎東北日報社松本某時事新報社宮本
芳之助氏と余にして余は第一着なり今夜頃東京
日々新聞社員も來る筈なり
  十八日午後四時本吉郡衙に於て認む

●海 嘯 實 視 録 (第六報) (十九日出張先に於て)

東京朝日新聞社員横川勇次氏 (郡司大尉と千島
に行き又從軍せし人) 始め東京日々時事新報日
本等の特派員來着して材料の収拾に汲々たり
本吉郡内に於ける船舶総數は三千二百
九十六艘なるが其中八分通りは流失破
壞せり
前便報じたる村役塲員の死骸發見せり
秋山登米町長は兼て滯在して救護方法に付盡力
せられしが今日同郡書記二名人夫數百名を引率
して來津したるを以て一先づ歸郡せり
高等學校醫學部四年生三十名は今日來津、内五
名は十三濱村相川濱へ十五名は氣仙沼町方面へ
十名は歌津村方面へ何れも救護の爲め夫々派遣
せられたり是にて醫師は先以て充分ならん
當地方の米穀は被害地へ送付し又一時に多人數
の入込みたる爲め悉皆喰尽し備荒倉
の非常備籾を取出し僅かに飯米に供し居れり住
むに家なく喰ふに米なし慘絶々々、郵便局にて
端書を賣盡し餘儀なく往復ハガキを兩斷して需
用に供し居れり、仙臺警察署菅生警部は巡査數
十名を引率し應援の爲め本日到着せり
昨今の熱氣非常にて九十度以上なり暑氣實に堪
え難し東奔西走の勞殊に大儀なるを覺ゆ諸君の
察するに任す然れども敢て余が勞を誇るに非ず
巡査憲兵等の難儀は實に察知
の外に出づ
今日は暑氣に加へて雲烟漠々山岳を籠め水面を
掩ふ又も變事あらんかと人々の警戒心配一方な
らず果して變事あらんには余が諸君と復び紙上
にて見る事殆んど期す可らざる者あり、只今よ
り北方へ向け出發の覺悟なり志津川に於ける通
信は之を以て最後となす


   (欄外にも有り)