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大聲疾呼して世の 仁人義士に訴ふ

本縣下本吉桃生兩郡大海嘯災變の報當市に達す
るや本社は第一着に罹災難民の救恤せざるべか
らざる所以を陳して大方慈善諸君の義捐金を請
ひしに幸ひにも此擧を賛同せられて金員を義捐
せらるる諸君の陸續たるは本社の深謝する所な
り、而して尚重て諸君に對し金員の外日用必需
の衣服物品をも併せて義捐せられん事を請はん
と欲す
曩に災變の急報あると同時に本社は直に社員今
泉寅四郎氏を派出して實况を視察せしめ其報告
する所と他の實地視察者の談話とに據るに皆罹
災者衣帶の欠乏至急に供給せざるべからずと曰
はざるはなし、蓋海潮の來る轟然として山岳を
倒すが如く其去るや急瀧の勢ひを以て一擧萬物
を洗ひ去るにより家屋の如き其屋根は全きもの
と雖も柱を倒し土臺下を崩し家財を擧けて持去
るか然らざるも縦横蹂躙器具を破壞し盡して去
るを常と爲す、故に倖に一命を拾ひ得たる者と
雖眇乎たる一塊肉を存するのみ、身体を掩ふべ
きの衣服なく裸体にて踉蹌蹣跚道路に哭泣す其
慘?實に目を擧けて視るに忍びざる者あり、此
に於てか被害を免れたる慈善者は全家の衣服を
擧けて罹災者に施與すと雖も限りあるの衣服は
以て限りなき需用に應する能はず、今猶身に一
絲を掛けす醜?を露呈して如何ともする能はざ
る者到る處に之れあり、此輩食物丈は郡役所の
焚出又は有志者の給助に依て僅に飢餓を免るる
事を得るも衣帶のなきには非常の困難を極め居
ると云ふ、仍て茲に慈仁者の施與を請ふべき品
目を擧ぐれば概ね左の如し
衣服(袷、單)帶、褌、裙
以上男女用及ひ大小新舊を論せす實用に適する
ものなれば撰む所なし
手拭、寝具、夜着、蒲團、毛
布の類(是亦大小新舊を論せす)
以上は必用品中の最必用品にして罹災者の尤も
欠乏を憂ふる所のもの、慈仁者ありて其餘裕を
義捐せられなば依て以て幾多不幸の同胞を救助
するを得べし、蓋中等以上の家に在て一衣一帶
を割愛するは敢て至難の事にあらす、而も罹災
の難民に在ては日夜仰望苦求して得る能はざる
所なり、今千人の慈仁者あつて一人一衣を義捐
せんか以て千人をして衣あらしむべし、一萬人
あれば一萬人に衣せ十萬人あれば十萬人に衣す
る事を得、遂に罹災地方復た一人の衣帶なき者
を見ざるに至らむ、是豈無上の美擧と謂はさる
へけんや、大方慈仁の諸君願くは罹災者の苦境
を憫諒して陸續其有餘の衣帶物品を義捐せられ
ん事を、

●事 務 所 設 置  (昨日午後四時十五分在京社友發)

 在京の千葉代議士等の組織したる三陸罹災民
 救助會は本日より其事務所を東京京橋區南鍋
 町一丁目八番地に設置したり

    雜    報

  ●赤十字社救護彙報

  ●實地視察者の談話

唯慘の極痛の至りと謂ふより外別に説明するの
言葉を知らず、父子負債兄弟姉妹の一は死し一
は生き半宵の間に幽明其途を異にせる何れか哀
れにあらざらむ、別て哀れなるは一家此悲慘に
遇ふて泣き悲しむ中に莞爾として遊び戯れ居る
頑是なき三四歳の小兒、尚其にも勝りて憐れな
るは死したる母親の乳房に縋かりて頻りに乳を
呑んとする小兒なり、之を見ては如何なる人も
魂消えぬはなからむ、斯る者の行末如何と思ひ
遣らば愈々悲し
引汐の爲めに家の柱は皆拂ひ倒されしも屋根は
破れず編笠を伏せたる樣に伏しヽが多し、軈て
遁れ出てたる者立返りて逃後れし家族を尋ね屋
根を破りて内に入り亡しき骸を見出して泣き悲
しむ聲四邊に響きて物凄き事謂はん方なし、殊
に二十前後の血氣壯んなる若者又は花ならば蕾
に譬ふべき少女が無殘の最期を遂げし樣二目と
見得る者はあらじ
此の家の内には我等が親の死してや在さむ助け
玉へ救ひ玉へと屋根に上りて頻りに泣?ふ漢子
あり、されど我社手を假して取らせんと云ふ者
もなし、是は自己の身にも負ひ兼ぬる程の悲哀
あればなり、扨彼の漢子の自ら屋根破りて其親
の安否見届けんとはせす只管泣?ぶのみ、餘り
に云甲斐なく見ゆれど是は驚愕の餘り喪心せし
なり、斯樣の者被害地に多し
死者凡そ三千六百人、父母妻子兄弟の亡屍見付
けて嘆く樣誠に慘痛の極みなれど猶浪に引かれ
て骸も留めすなりしを怨む者に較ふれば心遣る
方もありなんかし、昨日迄一家團欒せし其人の
今日は何方へか行きけむ影だに見えず、磯邊の
石にや碎かれけむ、水底の魚にや喰れけむ抔種
々に思ひ廻さんに之が所縁の者の身に取りては
自己の骨も散々に碎け膓も寸々に裂るる心地や
せむ、此頃氣仙沼に入津せし帆前船の水手の言
ふを聞けば金華山の沖合より釜石の沖合迄屍骸
の浮べる樣さながら大河の柵に流水のかかりし
が如く見えしと、されば其筋にては軍艦を派遣
し死体の捜索に從事せらるるよし、六親眷属の
亡骸を失ひし人々之を聞かば如何に嬉しくも頼
母敷思ふなるべし
古來火事にて丸燒になりし者を一夜乞食と云ふ
是は箸一膳持たざるの謂なるべし、海嘯は其慘
虐火事よりも甚し、罹災者は衣服調度は勿論鍋
釜膳椀皿鉢等臺所道具一物もなし其?眞に憐む
に堪へたり此際鍋一つ箸一對にても寄贈する者
は無量の功德なるべし
平素唐桑王と世人より稱さるる鈴木禎治氏の一
家は倖に恙なく擧て罹災者の救恤に從治され之
が爲め生活を得る者甚た多し、唐桑一村の幸福
と謂ふべし、殊に罹災者の多く被物なきを憐れ
み家族一同の衣類をあらん限り出して施與し十
餘襲ありし洋服迄皆呉れ盡して一襲をも留めす
とかや天晴義侠の振舞と謂ふべけれ

●海 嘯 實 視 録 (第二報) 於志津川町 本社特派員 今泉寅四郎

 只今迄の調査に係る死亡者流失家屋其他の統
 計は先以て左の如し
志津川町の中志津川沖の洲埋地のみにて死亡者
三十六名負傷者二十六名流失家屋三十六戸潰家
七戸半潰家十九戸行衛不分十名(多分死亡)
同町の中志津濱戸數六十二戸の中流失潰家六十
二戸(即ち全濱)棟數百九十五、 死亡百三十七名
男六十二女七十五 (此後追々發見して二百以上
に達せり詳細未詳) 死亡馬四十餘頭負傷人員未

同町の中細浦濱戸數三十二戸の中流失棟數百棟
餘、死亡男四十五人女七十一人負傷男女十九人
斃馬三十二頭、同町の中荒戸平磯兩濱不明多分
六十名以上ならん
歌津村の中伊里前驛死亡四十四名負傷三十名、
潰家七十戸(百戸餘の中)棟數二百五十、同村の
中寄木濱戸數十六戸の中潰家十一棟數三十五、
死亡二十五名負傷四名、 同村の中韮の濱潰家四
戸棟數十二死傷なし、同村の中泊濱潰家七戸棟
數二十一、 死亡五人負傷なし、同村の中馬塲中
山の二字、 流失潰家四十戸棟數二百死亡百五十
名負傷三十名、 同村の中名足濱流潰四十戸棟數
二百、死亡百三十、負傷二十五、同村の中石濱
流潰家屋二十二、棟數七十死亡五十、負傷二十
名、同村の中田の浦戸數五十七戸流潰五十五戸
死亡二百餘、負傷四五十名、同村の中湊濱潰家五
十戸棟數二百死亡百二十名負傷三十、
戸倉村の中折立濱流潰七戸棟數十五、 死亡なし
負傷四人、同村の中破傳谷濱流潰十四棟五十七
死亡十五負傷十五名斃馬十頭、同村の中水戸邊
濱流潰二戸棟三死傷なし、同村の中藤濱流潰四
戸棟十一死亡七人負傷二人死馬三頭、同村の中
長淸水流潰十七、棟六十三、死亡二十九、負傷
十五、斃馬八頭、同村の中寺濱流潰三戸棟十七
死亡十一、負傷一人
十三濱村の中相川濱流潰三十九戸棟百六十死亡
百五十七、負傷五十斃馬六十五、同村の中小泊
濱流潰三戸棟十三死亡三、負傷なし斃馬一頭、
同村の中大室濱流潰四戸棟十二,死亡十三人、
負傷七,斃馬五頭、同村の中小室濱流潰二,棟
五、死亡二、負傷なし、同村の中長鹽屋流潰三
戸、棟二,死亡一、負傷なし、同村の中小指濱
流潰十一、棟四十、死亡二十四人、負傷八人、
死馬十二、同村の中大指濱流潰四戸、棟十五、
死亡十五、負傷八人、死馬三頭、同村の中月濱
流潰六戸、棟二十五、死亡なし負傷一人、死馬
なし、同村の中立神濱流潰一戸、棟八戸死傷な
し、同村の中白濱流潰四戸、棟七、死傷なし
 志津川警察分署所轄十三濱戸倉志津川歌津の
 一町三村にて
 死亡千百九十名
       (右荒戸平磯を除き)
 氣仙沼警察署所轄小泉御岳大谷階上松岩氣仙
 沼唐桑大島の一町七村
 死亡二千四百五十人
右は六月十七日午後五時頃迄の調査なり目下日
々死亡者を發見せり結局何千人に上るやは未だ
明言す可らず、嗚呼慘又慘
 六月十七日午後十一時三十分記す

●海 嘯 實 視 録 (第三報) 在志津川町 本社特派員 今泉寅四郎

昨日は黄昏過到着したるを以て目撃する處も左
程にあらざりし今朝四時頃起床先づ以て宿所の
樓上(五日町江山亭とて海面よりは餘程高き處
なり)より一望するに一回もある可き材木其他
船の破壞せるもの等軒下に漂着し居りて縱横算
を乱せり樓前には土豚を築きて潮水の浸入を防
ぎたる程なりと云ふ
昨夜十二時過河村參事官藤田縣属等に面會せり
同氏等の繁忙は實に目を回す程にて碌々談話す
る暇なしこの席にて戸澤本吉郡長山形病 院 長
等にも接見したれども何れも仝樣なり
昨夜深更登米町長秋山峻氏訪はる氏は當地の慘
害を聞くや否や直ちに仝町病 院 長黑澤俊德氏
を伴なふて來着せり何樣醫師拂底の今日殊に黑
澤氏は前日迄志津川病院長として在住し居られ
たる人なれば町民一仝其厚意を喜び居れり
目下養蠶最中にて被害者ならざるも一人の人足
に出るものなし、去れば當町撰出縣會議員佐藤
久作氏の如きは職、消防小頭なるを以て規定の
消防服を纏ひ鳶口を携ひ自から死人を運搬し負
傷者を護送する抔去る十五日の變事以來未だ一
瞬の睡を取らず東奔西走し居れり右の有樣故余
は未だ面會せず
町内一名の人足なく死者運搬其他に窮迫し死人
は今に濱邊にころがり居り丸で肴町の鮪市塲を
見るが如し見るもの毛髪森慄手戰のぎ目眩す人
間の慘絶痛絶蓋し戰爭と雖も是には如かじ
車錢は一里平均一圓前後なり、伊里前は當町を
距る二里半、而して其賃錢は三圓其れも頓首再
拜して歎願せざれば車夫敢て見向もせず
 六月十八日午前六時半記るす

   (欄外にも有り)