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    雜    報

●海 嘯 實 視 録 於志津川町 本社特派員 今泉寅四郎

 六月十六日夜仙臺停車塲發車、石越停車塲に
下車せしが今回の變事に際し人力車は盡とく
 出拂ひ且農桑事業繁忙の折柄馬一疋人足一人
 を得る能はず已むを得ず自ら荷物を背負ふて
 石越より志津川に至る十里の長程三尺の泥濘
 に脛を没して徒歩せざるを得ざる次第、思ひ
 の外道中に埒取りて午後八時頃漸やく當地に
 到着せり故に本日は敢て實地に就て査察する
 を得ざるのみならす郡役所警察署町役塲等一
 切空虚、又仙臺より出張せる勝間田知事始め
 警部長參事官技師藤田縣属等は今朝草鞋掛け
 にて出掛けられたる儘今に歸宿せられず、全
 町の人々は宛も喪心同樣にて何を問ふも要領
 を得る能はず燈臺下暗しとやら死傷人員流失
 戸數の如きは仙臺にて聞き得たるヨリも漠然た
 る者なり、依て本日は途上一二目撃せしもの
 と些しく聞き得たるもののみを報道す、明日
 は勉めて詳細なる報道をなさん事を期す
登米郡米谷驛より志津川町に至る有名なる水界
の隧道を過ぐれば本吉郡の境界にして一望志津
川の近海を眺望す可し、平日は頗る佳矚に富む
處なれどもこの日は何となく海面慘憺として総
ての景物愁容を帶るに似たり、一溪源を郡界の
山脈より發し淸泉潺湲として流る末流は志津川
町を貫きて海に入る溪に沿ふて下る事里餘、障
子板戸椀釜鍋火鉢皿鉢臼杵其他の諸家財河中に
狼藉たり即ち是れ前々夜海嘯の際河水逆流して
斯の如き者一見其慘害の?を知るに足る猶沿ふ
て下る事數丁すれば屋根柱骨許りの家屋船舶の
破壞せるものを以て河の前面を埋む殊に寒心し
たるは生々しき血痕の附着したる衣類の算を乱
して河岸に曝されあるなり、心あるもの再び見
るに忍びず況んや余が如き曾て志津川町に久し
く滯留したる身は是れ朋友の血痕にあらずや是
れ知人の家屋にあらずやと心魂爲に踊悸し正視
する能はず面を背けて過ぐ、?に志津川町に入
れば死者を運ぶもの病者を送る者先後相望み呻
吟するもの嗚咽するもの悲泣するもの其慘?た
るや實に名?す可からず、
志津川町の死傷者數は未だ判然せざる由、今日
猶潮水の引退したる跡にて床下より赤兒の頭の
轉び出るあり老婆の死屍の梁木に吊されあるを
發見するあり慘憺悲痛の有樣筆紙の盡す可きに
あらず今回の慘害は仙臺にて聞きしより殆んと
千層萬層の慘毒を極めたり、途上にて聞く所に
依れば午後五時頃迄に溺死者を發見する事三千
何百人に上ると以て其如何に慘害の甚しかりし
を知る可し
本吉郡中殊に慘酷なりしは志津川町の中荒戸志
津平磯細浦及び歌津村の中伊里前驛等ならん志
津は五十六戸の中三戸を殘し伊里前の如きは住
民大半死亡して溺死者の簇々岸に打揚るも之を
處置する者なく死屍路上累々たりとぞ酒田の地
震濃尾の震災豈道ふに足らんや
六月十五日は陰暦五月五日の節句とて家々菖蒲
蓬を 挿 み幟を立て祝酒に大平を歌吹するあり
殊に燈日海面最も穩かにして靑疊を敷きたる如
く近年になき程の好天氣なりし只黑雲中天に垂
れ氣壓は非常に低くして故老等の一二は此の如
き時は海嘯あるものなりなど噂し合りしも只一
塲の茶吹話として格別心頭に留むるものもなか
りしなり頓て午後七時頃にやあらん大砲の如き
音響(仙臺邊にて聞きたると同時なるべし)の西
南の山に當りて聞きたるも遠雷ならん抔話し合
ふのみにて是亦何等の警戒をもなさでありしに
頓て八時五十分頃車輪の轟ろく如き響きあり何
事ならんと思ふ間もあらせずスハ出火よとて警
鐘乱打の驚天動地火事は何處ぞと?く間に「海
嘯なり々々」との異樣の聲は町の前面なる沖の
洲に起れり斯は大事よと消防夫警察官はあはて
駈け付たる時は無殘や三四十戸の同地は影もな
く驚濤に洗ひ去られて一戸も留めず只波の間に
々々悲泣號哭の聲を聞くのみ是等の人々は憐れ
にも大半は漁腹に葬られぬ、一家八口皆死した
る者當才の小兒を殘して父母兄弟の死せるもの
嗚呼天の災を此地に下す何ぞ爾く慘なる哉
 干時六月十七日午後十時、書し了て何の處か
 鬼哭啾々の聲を聞く
只今着したる電報は左の如し
 唐桑村  死亡 七百七十一名
 大島村  死亡 四十七名

  (被害地地図を入れる)

●大 海 嘯 被 害 者

   救 恤 義 捐 金
金貳圓也  仙臺市東四番丁  桑原 東岸君
金貳圓也  仝二日町     吉岡 豊治君
金壹圓也  仝國分町     東北文藝社
金壹圓也  仝  仝     筆道精修學舘
金五拾錢也          松波 千代子
金貳拾錢也 仝北目町女髪結  高野 もよ子
金拾錢也  仝北目町     小林 與吉君
金拾錢也  仝  仝     小西 正藏君
金拾錢也  仝  仝     庄子 卯吉君


   (欄外にも有り)