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 上流婦人の視察を希望す

大海嘯被害以來實地視察者の出張陸續たるに婦
人視察者の一人も之れなきは吾輩の深く遺憾と
する所なり、但し目下の旅行は尠なからざる旅
費を要する故之を中等以下の社會に望むも實際
行はれ難かるべければ上流婦人即ち文武高等官
の夫人及ひ銀行會社の重役豪商紳士等の婦人諸
君に向て之を希望するなり
婦人の視察眼は一種警敏緻密にして男子の决し
て思ひ付かざる所に觀到るの特能あり、蓋婦人
が其同姓及び小兒に對する感情愛念は男性の考
慮を以てしては思ひ到らざるもの多し、今此警
敏なる眼識を具へたる婦人をして罹災地を巡回
せしめ親しく被害の婦人小兒に接して現?を細
密に視察せしめなば扶助救護の手段に於て大に
發明する所あるべきを信す
罹災以來四方の慈仁者より物品を寄送せらるる
者の夥多敷は誠に感服に堪へざる所なるが直接
に婦人より寄贈せらるるものの少なきは頗る遺
憾とする所、特に婦人特有の感情愛念より出て
たる惠贈物と思はるる者の絶無なるは最も遺憾
に堪ゆる能はざる所にして是畢竟するに目下視
察する者は皆男子のみにて婦人諸君は彼等の實
况を目撃せざるに因るならむ、今茲に手足を挫
折して呻吟嘘欷する少女ありとせんに優しき婦
人の手より一枝の花簪を贈られたらんには彼は
必す莞爾として一時痛苦を忘るるならむ、又慈
母を失ひ其身も怪我を爲し或は肺炎を繼發し母
を慕ふては泣き痛苦を訴へては悲しむ小兒あら
んに(實際此種の不幸兒は澤山にあり)温かなる
婦人の手より一匙のコンデンスミルクを惠まれ
なば彼は戀しき母に再會せし思を爲して哀慕の
苦と疾病の苦とを同時に忘るるを得べし、是等
皆一時姑息の慰撫法に似たれども精神上に無限
の愉快を與ゆるを以て實際疾病の快癒を催進す
るの効力偉大なりとは專門醫師の説く所なり、
然るに今日の視察者慰問者は官吏醫師地方有志
新聞記者抔何れも六ヶ敷肩書を有する者のみ故
被害地の空氣は冷々然として一点の温氣なし、
是特に婦人視察者の出張を希望する所以なり
以上は單に被視察者に就て篤志婦人出 張 の利
環を述べたるものなるが翻つて視察者たる婦人
の身心にも亦數多の利環あるべし、即ち山河を
跋渉するに依て健康を助くるは云ふ迄もなく彼
の罹災人民の萬般欠乏せる衣食住を一見せられ
なば自然驕奢を戒め勤儉を勉むるの心を生すべ
く家事經濟上子女教育上兩つながら莫大の利環
ありて一回の視察必ず十年の女教書を讀みしに
勝るものあるべきなり、目下は道路の修繕家屋
の取片付等も粗整頓し聊かの增賃金を拂へば車
馬の交通に差支なく若又舟を嫌はれざる女性に
在ては唐桑十三濱の如き水路よりすれば誠に容
易なり、婦人諸君願くは同志者と協議し一日も
早く視察の途に上られん事を、附云嘗て本紙に
記載せし外國宣教師モール夫人は廣瀬梅子外一
女子を率ゐて罹災地中最も不便なる名足の假病
院に在り患者の看護に從事せるよし、異鄕萬里
の客にして猶此の如し、名譽ある我國の婦人諸
君 冀 くは熟思する所あれ (志津川に宿せる夜
燈下草之鐵軒)

  鍋、鐵瓶、コンデン   スミルク、鑵詰類

屡次本紙に記載せし如く罹災地の人民は實に一
物をも有せざる故萬般の事項に不自由を感ずる
内にも鍋と鐵瓶(方言湯釜)のなきには第一に困
難し居れり、試に罹災者に向て何が尤も不自由
なるやと問へば萬口一齊鍋と湯釜なき困難を訴
へざるなし、鍋なければ米あるも飯を焚くべき
樣なく汁を煮るべき樣なし、湯釜なければ生水
の飲むの害毒を知りながらも沸かして飲むの道
なき故據ろなく災後の惡水を飲
む之に依て疾病を釀す者甚た多く被害地は日

々患者を增加するの傾あるなり、今や衣物及ひ
漬物の類は粗行渡れる如し、故に慈善者の至急
に寄贈あらん事を請は鍋鐵瓶藥鑵の類なりとす
而して縣治當局者は速かに義捐金を以て右物品
類の買集めと配附に着手すべし
次には病人滋養品としてコンデンスミルク魚類
鑵詰鯛味噌等の寄贈あらん事を冀ふ、病院を巡
視して大患重症者若くは老人小兒の食時に會し
飯粥及び梅干と古澤庵漬の外は一物の副食品な
きを見ては眞に酸鼻に堪へざるなり、幾度も言
ふ如く營養の不足は啻に疾病の治癒を遅緩なら
しむるのみならず時としては輕症を重症に陷ら
しむる事あり、擔任醫員諸氏の尤も深く憂ふる
所なり、肺炎の患者に一匕のミルクを與へんと
欲して得る能はざる如き豈に人世至慘の事にあ
らずや、大方の慈善者願くは速に此の不幸なる
病者を救ひ玉へ(鐵軒居士於相川行舟中記之)

    雜    報

●本 縣 大 海 嘯 彙 報

●慘 况 一 斑(四)鐵 軒    雨中明戸大谷を過く

渺々たる一帶の鹽田中處々に小山の如きものの
見ゆるは破壞されし家屋の潮勢に依て打寄せら
れ一堆を爲したるなり、鹽燒煙にも似て此處彼
處に立揚るは丘の如く積み重なりし塵芥を燒棄
るなり、破れたる家屋を取片付けて死屍を發掘
せんとするも泥深き鹽田往來働作共に自由を得
ず、潮の干たる折を見計らひて一時に着手する
も潮滿れは中止せざるを得ず、災後の取片付に
第一困難せしは此明戸に過くるはなかるべし、
六月二十四日此地を巡視せしに折柄夕陽西に舂
て細爾菲々たり、海上は冥濛として濤聲雷の如
く一段凄凉の氣味を添ゆ、只見被害地には貳百
餘の人夫幾手にも分れ憲兵巡査之を指揮し村役
人有志等何れも雨に濡れ泥まぶれになりて作業
しあり、其樣火事塲に似て慘?は之に勝れり、
戸長黑澤源氏に逢ふて被害の景?を問ふに屍体
の未た發見し得ざるもの數十人あり此日も男二
人女四人を泥土中より發掘せしと云ふ、聞く災
害の當時氏は志津川に在りしが急報に接して直
に歸村し爾來災後の經營に晝夜奔走草鞋を脱す
るの暇なしと、されば罹災の人民も氏の熱心に
感し嘖々賛稱し居れり
人間の死生は一定の天氣あつて存し死すへきは
必す死し生くべきは必す生きる事宛も算を執て
數を計ふる如しとは古來一派の學者が主張せし
所なるが今回の事變に於ても其説の一証として
見るべきもの多し、階上にては此明戸のみ非常
の災害を受け他は無難の處多きに其無難の塲所
より農事の手傳又は節句の祝ひ等に來りて不意
の最期を遂けたる者あり、又明戸某氏の子供六
歳許なるは家と土藏との間に推付けられて身体
は無難なるも這出つる事能はす斯て三晝夜を經
たる後旅客の通るに聲掛けて助を請ひ依て以て
一命を全ふせしと、死生果して天命と謂ふべき
に似たり
大谷村の戸長役塲は稍高き處にあるを以て難を
免かる、戸長岩村章九郎氏は此邊に聞えたる漢
學者なり、又談話に長す、其死体發見の形?を
語る頗る詳細にて聽者をして酸鼻せしむ、曰く
其海上より打寄せられる者惡魚に喰破られしも
あれば烏に喙喰れしもあり、其?慘擔として目
視るに忍ひす、就中奇とすへきは屍体に海栗の
多く附着せしなり、蠢爾たる彼の微物猶人を食
ふの勇ありとは實に意想外の感ありと、鮪鮫鯛
等の人を食ふ事は素より聞く所なるが海栗の人
を食ふ事は創聞に屬す、但し海栗の口は物を噛
むに適せざれば想ふに人肉を吸ふにやあらむ、
坂口なる被害地を巡視するに毛髪の途上に狼藉
たるあり一目慄然、此日同行せしは縣參事會員
齋藤信太郎松岡馨兒の兩氏なり

   (欄外にも有り)