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防波堤を高くしては  生産的に頗る不便   山を切り開き盛土した方がよい    只越部落復興計画

今回の海嘯で本吉郡内でも最も激甚なる惨禍を蒙った本吉郡唐桑村只越部落の防波堤復旧工事は測量が終れば、具体的方針が樹てられ着手される事になろうが、県の現在の方針は大体高さ二丈余のコンクリートで固めた防波堤を築造するものの如くである、然しながら同部落民一般の要望するところは防波堤を高さ二丈余にしても今回の如き海嘯被害を絶対的に防止することは困難なることであるのみならず、■粕並びに鰹節製造工場を相当多く持っている同部落としては二丈余の防波堤は生産上頗る不能率的であるところから、南北の山を切り開いてこの土塊を以って部落全体を埋立て現在よりも海面より十尺も高くして海岸際近くを工場地帯とし、住宅は後方の山際に集■せしめれば、海嘯被害の程度も減じ得るし生産上にも何等差支えることがないという意見を有し、部落民一般は斯くの如く要望している。

奉仕団員へ弁 当寄贈  救済事務所係  員感謝

十四日正午近く宮城県罹災救護気仙沼出張所事務所に奥さん風な婦人が訪問、携えて来た風呂敷を開いて「罹災者救護のお手伝いにわざわざ遠方から来られている労力奉仕団の方々に差上げて下さい」と弁当二十人分を置き立ち去ったが、この婦人は気仙沼実科高等女学校教諭畠山重松氏夫人秀子さんで、救護所の係は大いによろこび十一日から慰問品の荷造り運搬に立働いている遠田郡田尻青年団に早速御馳走したが罹災者の救護に専ら心をとられ、労力奉仕団の真心を兎角閑却し勝ちな時だけに救護事務所の係の人も奇特な同夫人の心尽しを感謝している。

流石に女らし い心遣り  若柳女子青年  団の贈物

十四日栗原郡若柳町女子青年団から県罹災救護気仙沼出張所に宛て「罹災者の方達のお子さん達は着物やおむつに大変不自由されおられると聞きましたので団員相談の上、有合せのもので造ったものですが、お困りの方にお贈り下さい」と手紙を添えて子供着物十八点おむつ百十四点が送られて来た今までに慰問浜、救恤品が山程おくられて整理に転天古舞の救護事務所の係も女子青年団員にふさわしい心遣りにすっかり感謝して直日唐桑村に配給の手筈をとった。

慰問品や復興 材料を積んで  宮城丸活動

災害地への救護品は第二次的の薪炭、味噌、醤油から材木の復興用等々依然引きも切らず本県分は大半石巻救護出張所に輸送し来てるので出張所では当分水産試験場指導船宮城丸によって各地へ配給しているが、十四日は奉仕団員の応援をうけて慰問品を積込み石巻を出帆したが当分救護品に次いで復興材料の輸送に同船が活動する筈である。

船越校児童の 死亡者十二名

桃生郡十五浜村船越小学校通学児童八百四十二名中去る三日海嘯被害を蒙ったのは三百五十八名の多数に達し児童中死亡したもの男二名、女三名、行衛不明のもの男五名、女三名計十二名あるので、同校職員は連日遺族を訪問弔慰の意を表して居る、その他児童の負傷者は重傷一名、軽傷六名にしてこれ等は何れも経過良好であると。

十五浜の損害  七十五万円   明治二十九年の損害に    比べ約十倍に達す

桃生郡十五浜村今回の海嘯被害額は合計五十四万三千七百三十円の巨額に達し各部落別にすれば、
 荒四万八千六百五十円、船越十八万九千五百四十円、熊津一万五千円、名■六万三千百四十円、雄勝二十二万八千四百円
にして、その他漁船、漁具、肥料製造具、鰹節清製造具の大部分も流失したのでこれを合算するときは総額七十五万円を突破するといわれ引続き調査中である。因に同村被害額は前回の海嘯即ち明治二十九年当時に比較すれば約十倍に達しているが、これは独り死亡者が多いとか、流失家屋が多数なばかりでなく、当時と比較すれば村民生活程度並に各種漁具の設備装置に一大改善を加えて充実した関係上損害額が甚大に達したものである。

塩釜青年奉 仕団出発

今般繁忙の時間を割いて三陸沿岸復興の労力奉仕を行うこととなった塩釜町青年団は、十三日大一分団員十一名を本吉郡唐桑村に送ったが、今回同じく第七分団員十一名は佐々木勘助、村田虎之助両君引率の下に、罹災地桃生郡十五浜村方面の労力奉仕に赴くこととなり小学児童の雑記帳三百冊鉛筆三百本を携え十五日午前八時塩釜発の汽車で元気よく出発した

復興作業奉仕

遠田郡沼部青年団二十五名は去る十三日桃生郡十五浜村荒部落海嘯惨害地復興作業に奉仕した。

奉仕団帰郷

海嘯罹災地の救護及び復興のため気仙沼町、唐桑村で労力奉仕中の遠田郡不動堂青年団、並、石巻、門脇青年団は献身的に立ち働いて感謝されていたが、十四日四日間の労力奉仕を了えそれぞれ帰郷した。

純益金寄附

遠刈田温泉蔵王野球倶楽部では三陸地方義捐金募集のため同地公会堂で活動写真会を開き純益十円を災害地に寄附した。

四分校は漸く  授業を開始   雄勝、船越、名振三校は    本学期中授業覚束なし

桃生郡十五浜村津浪後の小学教育は未だ惨害地の後片つけ終了しないので雄勝、船越、名振の三校は正式授業開始に至らず、ただ同村大須、立、桑浜、水浜の四分校のみ取敢えず授業を開始したが、これだからとて児童の家庭大部分が被害を蒙っているので辛うじて午前中で授業を打切っている、尚本校の方は本学期一杯は授業開始覚束ないだろうといわれている、因みに小山雄勝、沼倉船越両校長は去る十四日上仙罹災児童の学用品給与方につき県に陳情したが、これ等罹災児童の学用品は全部文部省から交付さるる筈だが、教科書以外の学用品は船越校職員間で給与すべくこの旨村当局に申出でたと

慰問品消毒

本吉郡沿岸の海嘯罹災者に寄せられる慰問品は今尚続々と集って宮城県罹災救護気仙沼出張所では日夜配給に追われ消毒を要する慰問品の衣類等は熱湯で殺菌消毒して罹災地に輸送しているが、気仙沼魚市場前の広場はこれ等の■■した色とりどりの衣類で洗濯■の■を呈している。

県会議員  清く柔い児童の心に   速かに慰安を与えよ    寂寞たる光景は真に断腸の想い     難かしい海嘯記念碑      災害地視察

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 旅行中とて、ハッキリ記すわけには行かないが、支那の詩に
 荒村古岸誰■在 野水浮雲処々愁 唯有河辺■柳樹 ■声相送到揚州
とかいう詩を想起した。蝿声さえ耳にすることの出来ない今回の惨害地の、荒涼寂寞たる光景は真に断腸の想いに禁えざらしむるものがある。
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 凄愴悲惨の写真は■げて数うるに遑がない。殊に、骨肉親縁、冷躯となって汀渚に■れ、家なく食なく衣なく、郷当悉く惨苦に泣く時、無心神の如き幼児等が、一行の姿や自動車を物珍らしそうに取囲み、何やら嬉々然とざわめき立っているのを見た私は、是等の清い柔かい児童の心に一刻も速かに温かい慰安を与えてやりたいと思った。
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 二冊の古■草紙、一本のクレヨンがどんなに是等罹災地の児童達をなぐさめることであろう、児童慰安の方法も忘れてはならない、善後策の一たるを失わないと信ずる。罹災地から罹災地と歴訪している間に、罹災民から直接耳にする不自由品は、前に記した寝具、履物、野菜、漬物等の外に、婦人用の腰巻や男用の褌などは、配給の中にも少く実に不便と困難を感じているという事実を天下の仁人に告げたい。
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 次ぎに気付いたことは、罹災地の所々に、明治二十九年の■■大海嘯記念碑の建立されてあるのを見たが、その多くは何某といういわゆる学者の讃文に成り、むづかしい漢文で記されてあるものが多い。これは碑文としては実に立派なものであるが、海嘯記念碑建立の目的意義として考うべきことは此の地区は何年何月海嘯の襲来を受けて、斯くばかりの惨害を被ったということを、老若男女誰人にも知らしめ、予防警戒の懸念を喚起せしむることも目的の一たるを失わない。
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 然らば難かしい漢文などで書き記すことを止め、出来得るだけ簡易に通俗的に誰にでも読み易い文相字句を用いて事実を叙すべきだと思う。今回の惨事後、若し記念碑でも建てるようなことがあったなら、二回も三回も海嘯に遭った町域の真中に、記念塔でも建て、死亡者の霊を弔う意味と、この場所は危険至極だということを知らしめる意味とを持たせたなら一■■得たと思う。
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 一行は大沢部落を以て調査慰問を打切り、再び気仙沼町に帰り投宿、第一日一百一哩、第二日七十余哩、第三日六十哩の行程を終了し翌十日おのおの帰宅した。今回の惨事で罹災地の損害の莫大なるはいうまでもなく、間接的損害としては栗原郡のように三陸沿岸の漁撈者を得意として藁莚や縄等を年三十万円も生産していた地方の打撃や、罹災漁村への投資者の打撃等実に巨大な損害である。県当局は勿論、私共も真剣に議を重ね策を講じて、一刻も速かに罹災地方の復興を計らねばならないと信ずる。
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 以上の通りで、災害地視察慰問の行程は終ったのであるが、亘理郡坂元村の全潰家屋二一棟半潰一■棟浸水二九棟小舟の流失破壊五五隻という被害や、名取郡荒浜、又は■郡閑上町その他の被害地を慰問使視察し得なかったことを遺憾とする。謹でお詫びすると共にその復興の■かならんことを祈る■あでる(■)=富田■■記=