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暴虐な海嘯は  こんな悪戯もする   唐桑村で拾った話

幾百の生命を奪い、幾千の家屋と漁船を木葉微塵に打ち砕く暴戻を恣にした海嘯がフト起した悪戯心から本吉郡唐桑村子鯖に遺して行った奇■二つ−
唐桑村長で子鯖部落の漁元、吉川良之氏の所有漁船、甚生丸(四○トン)が、永い遠洋漁業を終え子鯖に帰港して磯近く船を着けて、 廿日目の午前二時半、例の大地震に揺られ、船内に寝泊りしていた乗組漁夫五名、流石に経験から来る鋭い直感で非難行動を起すべく機関運転に取りかかった漸く機関が運転し始めたところ、突如船体が左方に急角度で傾斜したので吃驚した乗組員一同、甲板に馳せ上って海面を見ると海水一滴もなく船は動かずして陸上に乗上げているのだ、津浪だ−五名異句同音に連呼して船上から飛び降り裏山に走り込んだ、それから間もなくだ、物凄い響きを伴った海嘯、
 東の空が白々と明けかかり、押し寄せる津浪の余波も漸く鎮まって来かかった頃、浜辺に出て見ると、自分達のホテルである甚生丸が海面から数尺ある石■を乗り越え恰も大洋の真中に浮かんでいるが如く船首を北に向けて陸上に乗り上がっているのだ木造船なのに舷側を調べたが一向破損したところが無い、梯子をかけて船内隈無く見廻っても機関から船室何れも異状無しで一同大喜び。
ところが、何せ海面までは数尺もあるので、進水するのには並大抵なことではない、この点でハタと行き悩みとなったが、
四十噸もある木造船が無暇だ、こんな例は他にソウ沢山は無いと進水に頭を捻りながらもよろこんでいる
磯から一町位は二階建ての店舗を持ち雑貨商を営んでいた及川伝吉さんの家族達は津波襲来を予知して手に手をとり裏山に避難した、押し寄せる物凄い波、メリメリという響も波音の間に聞きとれた、「家は流されたのだ」家族の顔を暗闇の中で見渡したが一同無事だ、生命拾いしたのは何よりだと思い直して不安の夜が一刻も早く明けてくれればよいがと念じつつ樹の下で夜を明した
波の退くのも待ち遠しく山を駆け降り見渡せば、向い山の下に数軒の家が残っているだけだ、自分の家は跡形もなく何所かに吹き飛んでいる、足を奪われながら破片を飛び越え部落内を一廻りに出懸けて一丁も歩いた頃、見覚えのある家が田圃の真中にチョコナンと据わっている
 ハテナ…秘密の家でも探るような気持で、近づいて見れば正しく我家の一階だ、中に入ってみると畳も大してぬれていない、壁も大丈夫使用に堪える
五日、田圃の中から残った二階家を引張って来て元の家跡に据え付け早速前の
雑貨商を開業というスピード振りだ、伝吉さんの店先を通っただけでは流失した家とは思われない、先ず被害地としては堂々たる店舗である
「津波の奴は随分激しく暴れ廻る奴ですが、こんな悪戯もするのです」
台所にする板囲いの仕事から一休みした伝吉さんの話である。

只越の  惨状に歎声   県議団の視察    終る

伊丹県会議長初め山田、粟野、安藤、富田、大槻、北村の県下震災地視察県議の一行は九日午前八時佐藤、高橋両県議が案内役となって一行に加わり、本吉郡志津川町を自動車二台に分乗して出発、歌津村、小泉村二十一浜、大谷村の惨澹たる海嘯被害地を詳に視察の上
 途中大谷村、階上村の両役場に立ち寄り、慰問の辞を述べて午前十一時半気仙沼町に来着、同前役場を訪問して、臼井町長に同様慰問の挨拶を述べて昼食をとり、
午後一時更に松山県議も加わって気仙沼を出発、自動車で只越峠の難路を越え唐桑村に至り、只越部落の惨状に一行何れも歎声を発しつつ、尾崎道路を車で駆って宿部落に到着、同村役場に立ち寄った上、更に子鯖、鮪立の両部落を訪問し、
 元来たコースを逆行して午後四時過ぎ気仙沼町に引返し、同夜は菅野旅館に一泊、十日帰仙した

激浪を衝いて  荒部落を救助   かくれたる大功労者    大須水難救護組合

十五浜村大海嘯の際、隣接部落の惨禍を逸ち早く知って救護に死力を■し偉大な功を樹てた部落がある、それは同村大須部落水難救護組合にして、組合長阿部善助氏外十三名の組合は、津浪襲来ときくや激浪を衝いて救助船を下ろし、同村被害部落中最も惨害を極めた荒部落沖合に出動し、押流されて漂流中の部落民十三名を救助し、更に死体三個を発見、直ちにこれを引き揚て安全地帯に送り届け、手厚い救護をなし、引続き波浪収まらぬ危険を冒し、全組合員決死の勇を■して漂流物の捜査やら死体捜索に出動し、同部落から小船五十艘(見積価格五千七百円)を拾い上げ一般から非常に感謝されている、因に大須部落は太平洋に面した荒磯地帯にして明治二十九年大海嘯の際両部落を一呑みにされ合ところにして、その後部落民申たせて、全部高所に家屋を移転建築したため、今度の惨害から完全に免れる事が出来たばかりか、隣の荒部落に急援して素晴らしい活動をしたものであると。

清水谷学務部  長の視察

県下震災被害地実地調査視察に向った清水谷学務部長は八日本吉郡歌津村波伝谷、藤浜の海嘯被害地を視察、藤浜部落の死者に対し知事代理で弔慰金を贈った上、志津川町に引返し同夜は一泊、
 九日午前八時志津川町を出発自動車で歌津村、伊里前、馬場、中山、名足、石浜、田ノ浦、港から小泉村二十一浜の各被害地を一巡の上階上村に至り同村死亡者に知事代理で弔慰金を贈って午後三時気仙沼に来町同夜一泊の上、
十日午前から八時自動車で只越峠を越え唐桑村只越、小鯖を同様視察し零時二十分気仙沼発列車で帰仙した。

沿岸漁業は  俄かに激減   低利資金を借入れ    応急救済策を講ず

今回の震央が金華山東二百キロの地点であっただけに最も漁業に打撃を来たし三日から沿海漁は全く減少している、渡波水産試験場漁況係の調査では三日以前と比較して昨今では約五分の一も水揚がないといわれる、塩釜、石巻、女川、気仙沼、渡波の各主要港に水揚が鮫位でトロール物も非常に減じている、沿岸漁は勿論小舟が到るところ流失、大小破しているので半島方面は全くなくなっている、ことに半島沿岸の数百の定置網は流失又は大破しこの修理又は建替には相当の時日を要するのでこの損害が莫大でひいて半島漁民の生計を困難ならしめている、牡鹿郡水産会では目下対策中だが、
 定置網と小舟の被害調害調査中だが定置網の流失と破損も同様至急に建造又は修理の出来るよう講じなければ漁民の救済が出来ない、結局県又は農林省からもttも簡略な手続きによって借入れるより外に方途がないと考えるが水産会としても対策を考究中である。
といっている。

労力奉仕団体  涙ぐましい活動

罹災民を感動させた惨害直後の労力奉仕の各団体の活動は廃墟の中に復興と更生の響きを早めたことであるが六日振りで帰署した八巻石巻署長の調査による牡鹿郡大原村の災害地で活躍された奉仕団体は
 三日大原消防組百二十名、荻浜消防組三十名、鮎川村消防組二十名、荻浜青年団二十名、新山実業団二十名、泊実業団三十名大原村■婦会三十名、四日石巻九後浜義勇団二十一名、泊主婦会十五名、六日石巻渡波消防組二十名、小積青年団十名、大泊青年団■十名、七日荻浜青年団二十名、寄磯自警団十五名、同実業団三十名、同主婦会二十名、前網実業団十五名、八日遠田郡大貫青年団二十八名、東京神田区三河町青年団数名
等々で寄磯主婦会員約二十名が罹災家庭の洗濯や縫物をして奉仕したのはよろこばれたもので、八巻署長の真剣な活動は涙ぐましいもので感謝されている。

罹災地を救え  栗原郡下の救   援活動

三陸沿岸大震災の報が伝わるや栗原地方では罹災者に対し深甚なる同情を寄せ郡下の男女中等学校及び小学校ではそれぞれ生徒児童より義捐金を取纏めて居りまた各町村でも対策を講じているが
 若柳町では町会の議決により宮城県に二百円、岩手県に一百円を送附し、また同町の上青義勇団では町内各戸より義捐金品を取纏め白米十八俵及び衣類日用品七十点を気仙沼町の救済本部に送附、築館町でも町内各戸よ義捐金募集中、志波姫村及び沢辺村でも募集すべくそのほう歩を協議している。

小学生の義侠

刈田郡福岡村尋常高等小学校三年生我妻ふみさんは震災地の小学生に送って下さいとて九日白石署に鉛筆半ダース、クレヨン一箱、教科書数冊に現金一円を添■て届け出た。

罹災地に野菜  を送る   名取郡農会で    奔走

桃生郡十五浜村の海嘯被害地方は野菜物欠乏したため非常に苦しんでいたが、今回名取郡農会の斡旋奔走によって、約一千■現場に到着したので、村当局はそれぞれ避難民に配給、大好評を博した、なお同郡農会でも引き続き野菜供給につき協議を進めている。

鎌先温泉も  湧出量増加   地震のお陰で

鎌先温泉では過般の地震より一分間四、五升平均湧出量が増加したので非常によろこんでいる。

焼香の煙も悲  しく   九日夜松島の    罹災者供養会

三日暁にかけて三陸沿岸を襲うた津浪のために、あたら生命を沈めて行った哀れな人達の霊を弔うべく松島瑞巌寺、同町役場、大宮司惟之輔氏佐浦もと刀目相計りて九日午後六時から松島海岸波止場において震災供養会を催した。
 ■■香華物々しく飾り立てられた祭壇には松原老師の筆になった「三陸大震災惨死者各■位」の白木の大位牌を安置し、■竜老師外末山の二十八ヶ寺の僧侶の読経、主催者及参列者の焼香祈拝等終ったのは午後八時であったが
弥生の■空暗澹と曇りて星影もなく、福浦島から双子島■ヶ島かけて汀辺にままたぐ■火の明滅、墨を流したような波間に漂う弔灯の影もさびしく、それに梵鐘の悲しき余韻を堪えて居並ぶ人達の瞳を濡らし、しめやかな場面を呈していた、
(写真は同祭壇前に堵列した僧侶達)

県会議員  涙で視、涙で聴き   涙で語るより外なし    感謝に耐えぬ吏員、消防らの活動     惨澹さる谷川浜      災害地視察

(2)
山甚翁、例に依って集合第一着のテープを切り伊丹議長、大槻(■)安藤北村南条の各氏参集粟野氏は九時四十分に宮城■鉄停留所に着くという知らせ、若生書記君のお世話で三台の自動車に分乗、県庁を出発したのは午前九時半、一路牡鹿半島大原村へ……
昨夜の小雪に■遺われた今日の天候は、カラリと晴れた好日和に恵まれ、利府松島を後に石巻俵屋旅館に着いたのは十一時半、粟野氏駆けつけ、小野寺氏参加、弁当に腹を拵えて■発、金華山道路の九十九折をウネリクネって荻の浜を過ぎた。此辺の漁家に布団や畳などの天日に干されてあるのを見ると、いよいよ災害地に入ったような気になる。難道の評のある坂路の案外に路面の良いのに驚いた。ただ欲をいえば、急カーブの所に車■注意の標識を立てて貰いたいことだ。
災害地大原村役場を訪えば、助役さんを始め役場員一同大量の活動、消防夫青年団、それに出張の県吏員が汗と塵にまみれてその■精振りには敬意を表せざるを得ない仙台市役所の救恤品■送のトラックも見えた。
役場の一■を見ると、梱包そのままの義捐品が山と積まれてある天下の同情仁心の結晶である。罹災民の寒い身体、ふるえる心を、一刻も速かに、この温かい人の情けに包んでやりたいものだ。
然し、驚愕と恐怖と、痛心と昼夜兼行の活動の疲労とに依って、村役場の諸君は殆ど気抜けの状態にある。無理もないことだ。出張の県吏員も手不足と、肝腎の船舶の不足に、血眼の勉■も思うに委せず、どうしても義捐品の配給難に陥らざるを得ないわけである。私は心から、各係員の御苦労を感謝すると同時に、斯うした突発的非常時の際は、何よりも先に、救恤品の迅速配給策に手ぬかりのないよう心がくべきであるという事に気づいた。
写真説明 (1)打上げられた甚生丸(2)災害地視察中の県議一行(以上唐桑村小鯖部落)(3)慰問品をトロで運搬(十五浜村)(4)鈴木警察部長視察(×印十五浜村にて)
村役場を出発して、いよいよ大惨害の現場谷川に向った、峠越しの坂路、県土木課の土砂運搬自動車や人夫が■■、路面の補■につとめている現状を見て、有難いことだと思った、現場谷川浜の惨状は、ただ涙で視、涙で聴き、涙で語るより外はない。
各新聞等の報ずる通り、流失家屋四八、納屋その他流失四六、倒壊家屋二八、船流失二八、負傷一三、行衛不明五、死者二一という惨況である行衛不明というのは、屍体がまだ発見されないため、死亡数に数えないまでのことである。
こんな損害別を挙げるよりは、谷川浜全滅といった方が当っている。漁船の破片、家具の泥まぶれ衣類布団の水漬けなど、大自然の暴威の跡は、戦場の跡を訪うより異状に悲惨である。哀■悲■、奇跡的思い出は、各新聞が既に報じた通りだから特記しない。
各署から急派された警察官は、消防夫と協力して跡片付けや、公安維持や、救恤品配給やにつとめている。感謝を禁じ得ない。吾々一行が現状を踏査している時、数日前に暴威を逞しうした恐るべき悪神とも見えぬ静かな小波が、恰も軍人の蓮歩の如く寄せつ返しつしている汀に、六十歳前後の老婦人の屍体が襦袢と足袋を穿ったきり裸体のままで打ち上げられてある
この谷川浜の人ではないそうだどこかの災害地のいわゆる行衛不明者であろう。四囲の家屋がことごとく倒壊流失している中にタッタ一軒、立ち残されてある渥美某氏宅は、真に奇跡中の一光景とも■られるが、方言「イグネ」と称する脊戸の樹木が、引き浪の猛勢を弱めたためとも考えられる。家屋の周囲の立木の一功徳とも称すべきであろう。(■)=富田■重記=